7月18日 静岡県周智郡森町飯田太田 山名神社 お舞
普通森では祇園さんといっている。山名神社という名称はこの辺に多い。偶々山梨の山名神社も祭で、森では現 在この山梨の方が盛んらしい。
祇園さんは毎年7月14~15日であるが最近はその日に最も近い土、日曜に改められた。
山名神社はもと飯田村牛頭天主社。祭神は素盞鳴尊、応神天皇と菊理姫命を併せ祭る。祭祀はもと飯田村六部落 の祭で、現在は太田川に沿い、本殿から約200m下流の御仮屋(御旅所)へ神幸祭が18日午後あり、19日還御にな る。6部落は、市場、下飯田、中飯田、上飯田、西組、東組の6部落で、それぞれの部落より人形飾りをつけた屋台 を曳廻る。この屋台にはそれぞれ屋台囃しがある。人形の飾り題目は随意。本年は森蘭丸等あり。
舞楽(お舞という)は18日は午後5時頃より19日は還御の後(だいたいやはり5:00p.m)より始める。曲目は 同じ。
お舞の舞人は主として少年小学校の6年生位まで。但し「うでんじし」の優填は大人がなる。大太鼓1人、鼓(大 皮)4人、笛2人、後見1人。
舞人はもと氏子のうちから抽籤でその役割を定めた。現在は氏子の有力者の子供に頼んで出て貰っている。祭祀 関係からいって、氏子中には鈴木、村松の両姓の人が多い。
拝殿前、中央に拝殿に向って正面の舞台がある。
正面3間、両脇2間半、その後方は楽屋。楽屋の後左手に出入の階段を設けてある。床の高さ約2m。
舞台と楽屋との間仕切は引幕浅黄色、三巴の紋 2 つ。舞台中央稍後方と前面両脇の柱には太縄を荒巻きにしその 上から紅白の布を綾に巻く。中央の紅白の柱は舞のとき特別に立てた柱。その後に大太鼓を置く。
Bの旗 Aの旗
舞台の部分3方には手摺がつき楽屋の方は正面に向って右側は板壁、左側は水屋柵となっていて、この柵に宝冠、
獅子面を始め各舞の冠のもの、面、採物等を置く。後方は腰板張出しになっていて、右側から出入する階段がつく。
床下の柱組には幕を引き、屋根は瓦葺、破風造り、廂に赤の丸提灯を釣る。
所伝の曲に8曲あるが最初の「やつはち」を演ずる前役に「まくり」といって音取風の調子しらべがある。
太鼓方、大皮方、笛方の順に楽屋から舞台に出て舞座(中央に敷いた二畳の薄縁の上)に正座して正面を拝し定 めの位置につく。まづ笛を吹き、太鼓を打ち、次いで大皮が掛声をしつゝ大皮を打つ。この調子は珍らしいものら しい。約6分半かゝる。
1、やつはち(八初児と書く。八鉢であろう)
前段の「まくり」との間に中断することなしに引続いて行われる。稚児 2 人、造花を天冠にさす。天冠は正面 に鳥居の立ったもので、その奥には日、他は三日月立のもの、桃色の垂布を目の下に垂れて顔をかくす。白の 肩衣、錦織の大口袴、白足袋、白手袋、羯鼓を腹に下げる。
細撥を右手に 2 本、担ぐようにして笛に合せて足拍子を踏みつゝ後見がまくり掲げる幕の下から、橋がゝりの 代りに敷いた薄縁の上を通って舞座に出る。舞座の薄縁のふちを足で探るように4方に巡り、正面では2人が その位置を入れ替り、2本の撥を左手に持って担ぐようにすることもあるが、また1本づゝ両手にとって羯鼓を 打つ仕草もある。退場するときは、あとづさりに幕をあげて入る。約13分。楽人は前方を拝して退場する。
2、みてまい(神子舞)
稚子1人。第2曲以下は「まくり」の楽は殆んどない。すぐ舞人が出る。日立の冠に花をさす。白の女面をつ け、打掛を着る。つけ髪を後に垂らす。右手に鈴左手に扇。
舞の基本型はやつはちと同様であるが、4方に舞ふ(右廻り)とき、腰を前へ上体を殆んど直角に倒し、左手の 扇を後方上方へ上げ、右手の鈴を前下へさげて振る。中尊寺延年の老女の舞う姿を思わせる。後すさりに退場。
約20分間。
3、鶴の舞
稚児 2 人。鶴の冠りものを頭に戴き顔に赤毛を垂れる。白衣の上に肩布、大口袴、白足袋、白手袋。背に茶色 漆塗りの羽をつける。始めから 2 人登場。舞座の縁を巡るが、そのときは両手を可なり不自然に垂れて動かさ ない。
背に付けた羽の両端の 1 枚がそれぞれ右手、左手の手首に括りつけてあって、手を横へ開くと同時に羽がひら くようになっている。羽をバタバタさせながら片足で右左へ跳びながら舞う。
途中1人が後すさりに退場。残った1人がしばらく舞う。約16分。
4、獅子。
2人舞い。白布で頭を包み、その上に腰のあたりまで垂れる赤毛をつけ、頭上に獅子頭をいただく。顔には桃色 の前垂をつけること八鉢と同じ。赤衣裳、大口袴。越後獅子に似ている。
初め 1 人が跳出して舞座の中央に坐し、両手を腰に、ゆっくりと左右を振眺める所作をする。このとき長い赤 毛を激しく振り廻す。次いでその場で跳上ること3 回。膝を床につける。やがてもう1人の獅子が登場して 2 人舞となる。床に坐るとき片足を延し、延した方の側の手は腰に手の甲の方を当てゝ横たわりざま頭をあげる ことが多い。
やがて先に出た方が、後ずさり退場。後の1人がしばらく基本の振を繰返し退場。約35分。
獅子を演ずる舞人は男児と雖も大分年長で17~18才位に見えた。
5、かりようびん「迦陵頻」
土地では羽衣の天女の舞という。稚児 1 人舞。神子舞に用いた面をつける。日の立もののついた天冠、打掛、
背中に羽をつける。両手を垂れたまゝ舞座を 4 方に舞う。途中から右手をあげて右半分の羽根を拡げ、次に左 半分を繰返し、次に両手を一ぱいに拡げて羽ばたくような振をする。約19分。
6、りようの舞(竜の舞)
柱登りがあるので始まる前に舞殿正面両隅の 2 本の柱及び太鼓の前の組入柱に酒を吹きつけて濡す。また赤地 の水引幕をたくし揚げて邪魔にならぬようにする。
稚児2人。柄ものの上衣と大口袴、龍のつくりものを頂き、赤毛を垂れる。始め1人が出て、途中から2人と なり最後は1人で舞納める。
特徴のある振としては登場する時からして舞うとき左右の足を前で交叉させて踏む。可なり急ピッチで、チョ コチョコチョコと歩く。また途中で 2 人が正先に出て両手を手摺にかけて分れて左右角柱に登り、両足股の所 でしっかりと柱を支え上半身を身をひるがえして逆様になり、足を掛け替えて、3度程のけぞる振りをする。勿 論これには大人の人が楽屋から出て来て介添につくが、子供にしては大へんな技である。舞座に下りて一息入 れるとまた始めのウロコに踏す振りを繰返す。左右柱を替えて、柱登りは2度演じた。
次いで1人退場。残った後出の1人は3度目の柱登りをする。今度は大太鼓の上に乗り、太鼓の前の組柱に飛 付いて前段の技をやるのである。この組柱は最初に書いたように舞台の建造上の柱ではなく、この舞のため当 日持込んで立てた柱である。
多分に散楽雑芸の風を残した技といへる。約22分。
7、とうろう(蟷螂舞)
稚児1人。鶴舞と同様の衣装、冠り物は蟷螂で背中の羽は巾広の黒色3枚。冠った蟷螂の脚を動かす紐を両手 でしっかりと胸の高さに持ってゐて、羽は肱のあたりに括ってあるので、舞の途中で手首は胸で繰り紐を支え たまゝ肱を脹るようにして羽を動かす振をするが、蟷螂の冠り物が珍しいだけで舞の特徴はない。約15分。
8、うでんじし(優填獅子)
獅子に扮するもの稚児1人。白の肩衣、白布を頭に巻きその上に獅子頭を頂く。顔を布で覆う。径1.2m位の輪。
紐付。
優填1人。大人がなる。代々相伝といゝ、黒の鬼面、しゃぐま、金襴衣裳、大口。採物、赤布を巻いた。
初の獅子1人出て舞う。舞振は第4曲の獅子に似ている。
やがて優填登場。やはり 4 方に舞いつゝ最後に持っている輪を獅子にかける。このとき獅子は輪をはずして逃 げる。
優填はそれとも知らず扇をあふぎつゝ1度楽屋へ入るがすぐ出て来て再び輪をかける。うでんに引かれて、獅子 も退場する。
今夜のうでんしじでは1度輪掛けに失敗する様をやり、明日の演出では1度で掛かることになるらしい。
優填は素盛鳴尊で、ししは大蛇。即ち、この曲は「おろち退治」を現わすと土地の人はいう。約45分。
これで終了する。明夜は「うでんしし」の次にもう一度「やつはち」を演ずるらしい。午後10時終了。
本田安次『日本の民俗芸能Ⅲ 延年』(木耳社 S44.5)によれば、元禄14年(1702)の奥書のある「遠州山名神 社舞楽指南書」によれば
遠州山名郡飯田之郷氏神牛頭天王御祭礼九拾七年以前乙未三年迄中絶仕申ニ付右翌年丙午之年摂国天王寺ニ而 伝来由、其*今ニ至る迄伝来リ申通御祭礼仕候。舞物舞様楽打鼓打様并役人仕立申次第銘々書付之事。
とあって各曲番の明細を記入。
右御祭礼舞物指南仕候儀毎年楽打指南仕申候得共楽打子孫細少御座候ニ付指南仕申儀不羅成廿年餘拙者指南仕 候近年楽打指南仕申候得共少死相違之儀御座ニ付悪敷所近年も指図仕候。右御祭礼舞物之次第書付御神前に無 御座候ニ付、向後如何様之儀御座候而茂相違之儀無御座候様と奉存、前々之通り相違無御座候様ニ銘々書付御 神前ニ奉納申候巳上
当巳ニ七拾歳 村松孫兵衛(花押)
元禄十四年辛巳九月吉日
「やつはち」は三信遠地方の楽曲に見る瑟丁伝(しつとで)のようである。
田中勝雄「静岡県芸能史」によれば
鶴舞は崑侖八仙(新楽小曲4人舞)の風流化したものという。竜の舞は納蘇利(新楽小曲2人舞)1名双竜舞とい う。
土地の人の伝承によれば蟷螂は虫追行事と関係あるらしい。