私は一般的に見れば弱い人間だろう。頭の中ではいろいろと考えるが、自分からはなかなか動こうとはしない。その理由は大体わかっていて、それは新しいことに挑戦することを恐れているからだと思う。小学校でも中学校でも、自分から誰かに働きかけることは記憶している限り無かった。基本的に何をするにも人任せだった。小学校でも、先生や、おしゃべりでよく動く班長の指示に従って言われたとおりに動くだけだった。指示されたことだけやっていれば、当たり障りなく楽に過ごして行けた。中学では陸上部に所属していたが、顧問や部長の指示を待つだけで、自分から練習をするのはめんどくさいから嫌いだった。「まあこのくらいやっとけばいいか。」、「これだけやっていれば文句は言われないだろう。」という思考回路だったからそこまで苦労もしなかった。ただ、その怠惰な思考は大きなリスクを伴う。いつしか僕は、自分という存在があやふやになってきた。楽なのはいいが、言いようのない退屈さがあっ た。高校ではそんな不満がどんどんと積み重なり、だんだんと自分が霞んでいって、僕はいったい何をしたいのかが分からなくなった。そして僕は、自ら退学を選んだのだ。自分とは何なのか、自分はこの世界でいったい何がしたいのだろか。その答えを見つける確かなきっかけを掴んだのは、今年の8月に行った上海での取材である。
成田空港から浦東空港へ、約3時間の空の旅をして到着し、手続きを済ませ、1時間ほどタクシーに揺られてホテルへ向かった。乗り物に弱い僕は、なんとも言いようのない微妙な不快感の中、ぼーっとしながら窓の方へ頭を傾けた。すると、向こう側には普段見ることのない異質な景色が、僕の頭の後ろの方へ流れていた。すごい速さで流れるようすを眺めていると吐き気がするので休み休み、ちらちらと外を見ていた。そんなことを繰り返していると、僕を強い不安が襲ってきた。「これから始まる中国での滞在は、日本での甘えた生活とは訳が違うんだ。怖 いなー怖いなー。」僕はそう思って身震いした。
街を歩くと大通りは人であふれ活気に満ち溢れていた。どこからともなく、鳴りやまぬ音楽、喧騒。慣れない空気感に頭が痛くなった。自分をはっきりもたなければ、この地の強大な力に飲み込まれてしまうという焦りを感じた。今の自分では舐められ、嵌められ好きなようにされてしまうのではないかという妄想が一瞬頭をよぎった。僕は、変わらなくては駄目だなと思った。新しい環境によって、僕は変化を強いられたのだ。それは僕が今まで感じたことのない恐ろしい感覚だった。
話のテイストは少し変わって、月並みな話になるかもしれないが、僕が中国
ではないだろう (おそらく上海に限ったこと
も少なかった。例えば、よく言われるのは接客態度の 本人のような細やかさを中国人に感じることはとて 義的であるということだ。失礼な表現ではあるが、日 )に抱いた印象は、人々が目的至上主
行 き 詰 っ た ら 、 な に か 新 し い こ と に 挑 戦 し て み よ う か
外国語学部 中国語学科3年 島田 周太
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違いであるが、確かに笑顔も基本的になく、不愛想な印象を受ける。一通りの業務をこなせれば、笑顔などという一見細かなところはどうでもいいのだという国民性が、僕と店員さんの間の空気を介してなんだか伝わってくる。夜に小腹がすいてカップラーメンを買いに行こうとホテルを出ると、何やら道が騒がしい。そのままコンビニの方に向かうと、騒がしさの正体が分かった。道をふさいで大声で話している群衆は、大人気である月餅のチケットを売っているようだ。多分中国でも通行を妨げてまで商売をするのはいいことではないのだと思うが、実際に目の前でそのような光景を見てしまったのだから、中国人の目的に対する貪欲さ、よく言えば商売に対する情熱はすさまじいものがあるのだと感じてしまう。僕はその群衆をかき分けてコンビニに行って、ビニール袋をシャカシャカ言わせながら、せめともというつもりで申し訳なさそうな表情を顔に貼り付け、再び大声の飛び交う小市場(僕からすれば戦場のようだった)を攻略してホテルに戻った。ロビーに着いた時、無意識に小さくため息をついたような覚えがある。きっとホッとしたのだろう。 時間が無いのだ。自分から動いて、計画し、実行しなければ
…
。突っ立って眺めていても、取材は成り立たない。月餅合戦なんかにビクビクしている場合じゃなかった。動きたいように動けない不慣れな土地にいるだけで押し潰されそうになるが、負ける訳にはいかない。自分が変わる必要があった。生まれ育った土地を堂々と歩く人々の中に紛れ込んだ、異国から来た小さな自分。初めて味わうような孤独感。その中でも立ち向かわなければならなかったのだ。自分が動かなければ、現状は何も変わらない。そう思ったとき、自分の中に、知らない自分を見つけた。確かに変わろうとする自分がひょっこりと姿を現したのだ。僕の今までのゆるい生活の中で構築してきた、のんびりとした思考回路から繰り出される意思とは違う、本能的な自分を見ることが出来た。休んでいる暇はない。次から次へ移動し、無我夢中でカメラを持って奔走する。そんないつもとは違う生き生きとした自分を、「ちょっと頼もしいぞ!」と、我ながら思った。お恥ずかしい話だ。取材の中で印象に深く残ったものがある。僕はフランス租界を訪れ、フランス人女性に自らマイクを向けて取材をした。異国の地で、流暢に中国語を操る彼女からは、自信がビンビンと伝わってきた。以前の自分は単なる憧れで終わったはずだが、中国での生活で少し鍛えられた僕は、「負けてられるか!」という気持ちになった。そんな変化は小さなことだと笑い飛ばされるかもしれないが、これは僕の中でとても大きな変化なのだ。自信満々な人を眺める側から、参加する側に立とうとしたのだ。もはや僕の中の世界に対する見方が変わったような、革新的な出来事である。 る様々な出来事(原作では果物やお菓子であるが)を吸収し、成長し、立ちはだかる困難)(原作では単なる食べすぎによるあおむしの腹痛であるが、何事もこうしてポジティブに考えるべきなのだ。)を乗り越える。そして蛹となり、至極美しい蝶になるのだ。僕は蝶になるきっかけを得た。納得のいかない自分は変えればいい。いつからだって遅くはないんだ。これから僕たちを待ち受ける世界は、自分次第でどんどん面白くなっていく。行き詰ったら、新しいことに挑戦してみよう。道はいくらだって自分で切り開いていけるんだ。
「自分は世界一、強い人間だ。」
いつの日か、なんの疑いもなくそう言い放てるよう、あとは僕がやりたいように、自由に、あらん限りの力を以てして前に進んでいくだけだ。どうにかして心から自信をもてるように生きる。結局これが大切だ。
(南京路の月餅のチケット売り)
行き詰ったら、なにか新しいことに挑戦してみようか
(広西北路のコンビニ)
大国中国にそんな手厚い歓迎も受けつつ、いざ取材が始まると、頭をかすめた焦りはいよいよ現実のものとして、僕の目の前に満を持してのご登場をしてきた。なんと言っても想像していたよりも 日本に帰国してからは上海へ行ったメンバーで演劇をする機会があった。私は立候補したわけではないが、劇の監督として僕なりに奮闘した。演目は「はらぺこあおむし」だった。目の前に現れ
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