生 体 分 子 間 の 相 互 作 用 解 析 法 と し て 等 温 滴 定 型 カ ロ リ メ ト リー(Isothermal Titration Calorimetry; ITC)が古くから用 いられている.近年,検出感度の向上と測定サンプルの微量 化を達成した測定装置が市販されるようになったことから,
今後その利用頻度はさらに高くなっていくものと思われる.
ITC測定は,一度の測定で相互作用の熱力学的パラメータの フルセットを得ることができるという点において,表面プラ ズモン共鳴法やその他の分光学的方法による相互作用解析系 とは一線を画している.本稿では筆者らが行った糖質加水分 解酵素‒基質間相互作用解析の例を中心に,ITC測定の原理 と一般的な使用法に加えて,酵素の基質結合メカニズムに迫 るより詳細な解析法について述べる.
一般的な測定方法
生体分子間の結合には必ず熱の出入りが生ずる.ITC 測定(Isothermal Titration Calorimetry)はその発熱も しくは吸熱量を定量することにより,相互作用の結合定 数( a),反応の結合比( ),およびエンタルピー変化
(Δ )を直接求めることができる方法である.さらに得 られた値を熱力学基本式である式(1)と(2)に代入するこ とにより,それぞれギブス自由エネルギー変化(Δ ) とエントロピー変化(Δ )を得ることができる.以下 に基本的な測定原理と方法を記述する.
∆ =G -RTlnKa (1)
G H T S
Δ =Δ - Δ (2)
測定装置は図1Aに示すように一対のセルがあり,一つ は参照セルとして機能し,純水もしくは試料溶液の調製 に用いた緩衝液で満たす.もう一方は試料セルであり,
測定時は試料溶液(ここではタンパク質溶液)で満た す.相互作用を測定するには,リガンド溶液を満たした シリンジから一定量を一定時間ごとに試料セルに注入 し,撹拌する.2つのセルは断熱ジャケットに覆われ任 意の一定温度に保たれているが,セル内の物質が相互作 用すると結合量に比例した熱の発生もしくは吸収が起こ り,試料セルの溶液温度が変化する.ここで生じた参照 セルとの温度差(Δ )がセンサーによって検知される と,温度差をゼロにするよう試料セルに熱量が供給(熱 補償)され,供給された熱量は電力の変化として検出さ
【解説】
Thermodynamic Analysis of Enzyme‒Substrate Interactions by Isothermal Titration Calorimetry (ITC)
Yoshihito KITAOKU, Takayuki OHNUMA, 近畿大学農学部バイ オサイエンス学科
等温滴定型カロリメトリーを用いた 生体分子間相互作用解析
北奥喜仁,大沼貴之
れる.実際の測定では発熱反応は見かけ上負のピークと して(図1B),吸熱反応は正のピークとして時間軸に対 してプロットされる.滴定が進行すると結合部位が徐々 にリガンドで飽和されてくるため,それに伴って熱シグ ナルも減少していく.滴定実験の終了時点付近では,リ ガンドの希釈熱のみが観察されるようになる.図1Bで 得られた結果から,各滴定におけるリガンド1モル当た りの発熱量(もしくは吸熱量)をセル内のリガンド/タ ンパク質モル比に対してプロットし直すことにより,相 互作用の結合等温線が得られる(図1C).リガンドの希 釈熱をブランク実験によって測定し,その結果を結合実 験の測定結果から差し引いて真の反応熱を決定する.得 られたデータは結合平衡のモデル(1)に従って(装置に付 属する専用ソフトウェアを用いて)解析することによ り,反応の結合比( ),結合定数( a)およびその他 の熱力学的パラメータを決定することができる.
ITC測定は反応に伴う熱の出入りを指標にしているこ とから,測定に用いるタンパク質やリガンドの標識や固 定化を必要としないので,天然に近い環境下で結合の親 和性を測定することが可能である.また,詳しくは後述 するが,温度を変えて測定することで,結合反応におけ る熱容量変化(Δ p)やファントホッフエンタルピー変 化(Δ vH)を決定することができる.
低親和性結合への対応
ITC測定時,Wisemanらによって紹介された式(3)
で表される 値に注意しなければならない(1).
= · a· [ ]M
c n K t (3)
はストイキオメトリー(化学量論比), aは結合定数,
[M] はタンパク質濃度を示す.
結合定数とタンパク質濃度の積で表されるこの値は,
結合反応がどの程度起こるかを示す目安となる.彼らは 値が1< <1,000範囲内にあるときのみ,ITC測定に よって結合定数 aが正確に求められることを示した
(現在一般的には10< <1,000と考えられている).それ ゆえ,非常に強い結合反応の場合にはタンパク質濃度を 減らし,逆に弱い結合の場合には濃いタンパク質溶液を 実験に用いることにより, 値がこの領域の値をとるよ うに調整する必要がある.必然的にITC測定よって測 定可能な結合定数の範囲が104〜108 M−1程度に収束す る.iTC200(MicroCal社,現 在 はMalvern社) の オ ペ レーションソフトウェアには実験に用いるタンパク質と リガンド溶液の濃度に加え,予想される結合定数および 結合モデルを入力することにより,どのような結合曲線 が得られるかをシミュレートする機能がついているので 測定前に試してみると良い.しかしながら実際のところ 生体分子間の相互作用には,103 M−1程度の比較的弱い 親和性を示す反応が少なくない.この場合,適切な 値 を得るために高濃度のタンパク質溶液(付随して高濃度 のリガンド溶液)が必要となるが,それだけのサンプル 量の調達が可能かどうかや,溶解度の問題が生じること もある.このような低親和性の結合反応のITC測定に 図1■等温滴定型カロリメトリーの概略図 と測定原理
A: 装置概略図.B: サーモグラム.C: 結合等 温線.
対してTurnbullらは解決策を検討し,①十分なデータ ポイントからなる結合等温線が解析に用いられること
(タンパク質:リガンド=1 : 40くらいまで).②結合の ストイキオメトリーが既知であること.③測定に用いた タンパク質とリガンドの濃度が正確にわかっているこ と.④シグナル/ノイズ比が適正であること,以上の4 つの条件が満たされれば, 値が0.01< <10でも得られ る熱力学的パラメータの値は十分な精度をもつことを示 した(2).現在ではこの方法を用いて,低親和性の結合反 応もITCで測定されるようになっている.
熱力学的パラメータの理解
自発的な反応ではΔ は負の値となり,結合が強いほ
どΔ はより大きな負の値をとる.ITC測定ではΔ と Δ も決定することができるので,結合の駆動力を特定 することができる.Δ の負の値に対してΔ の寄与が 大きい場合の結合には,水素結合の形成やファンデル ワールス相互作用が関与しており,特異性の高い相互作 用が結合の駆動力(エンタルピー駆動型)になっている ことが予測される.一方Δ の寄与が大きい場合には,
比較的特異性が低い疎水性相互作用が結合の駆動力(エ ントロピー駆動型)になっていることが予測される.創 薬の分野ではより強くより特異的に標的分子に結合する ドラッグを開発するために,Δ の内訳であるΔ とΔ の値を指標としたドラッグデザインが行われている.
図2と表1にわれわれが行ったファミリー GH19キチ ナーゼであるナガハハリガネゴケ( )
図2■BcChi-A-E61Aと キ チ ン オ リ ゴ 糖
(GlcNAc)( =3‒6)結合のITCサーモグ ラムおよび結合等温線
キチナーゼBcChi-Aとキチンオリゴ糖の相互作用解析 の結果を示す(3, 4).ファミリー GH19キチナーゼは糖質 関連酵素のデータベースであるCAZy(Carbohydrate Active enZYmes)(http://www.cazy.org/) に お い て 糖質加水分解酵素19(Glycoside Hydrolase; GH19)に 分類される酵素であり,ランダムにキチン鎖の
β
-1,4結 合を加水分解するエンド型酵素である.結合実験は酵素 による基質分解の効果を取り除くため,触媒基である Glu61をAlaに置換したBcChi-A-E61A変異体を用いて 行った.図2と表1に示すように,BcChi-A-E61Aとキ チンオリゴ糖(GlcNAc)( =3‒6)との結合は発熱反 応 で あ り,結 合 に と っ て 不 利 な エ ン ト ロ ピ ー 変 化(− Δ は正の値)とともに,有利なエンタルピー変化
(Δ は負の値)が優勢にはたらくエンタルピー駆動型 の反応であることがわかった.また3から6へとキチン オリゴ糖の重合度が増すにつれて結合定数は増加し,
Δ 値も負に大きくなることから,BcChi-Aの基質結合 クレフトには単糖単位を認識するサブサイトが少なくと も6個以上あることが推定された.後になってわれわれ は,BcChi-A-E61Aと(GlcNAc)4複合体の立体構造をX 線結晶構造解析により決定することに成功した(5)(図 3).複合体構造を詳しく見てみると,触媒基である Glu61は 基 質 結 合 ク レ フ ト の 中 心 部 に 位 置 し,
(GlcNAc)4はGlu61を挟んでプラス側とマイナス側にそ れぞれGlcNAc単位を2個ずつ結合していることがわ かった.また,+2と−2サイトの外側には糖が結合で きる部位はなく,BcChi-Aの糖結合サブサイトは−2,
−1, +1, +2からなる4サイトで構成されていることが 明らかになった.それではITC測定の結果から予測さ れたサブサイト数6と,実際に結晶構造解析によって決 定されたサブサイト数4の違いはなぜ生じたのであろう か? この疑問に対して,われわれは以下のように理解 している.図3に示すようにBcChi-Aのようにエンド型 の酵素には,比較的オープンな基質結合クレフトが酵素 の 分 子 表 面 を 横 切 っ て い る.こ こ に 基 質 で あ る
(GlcNAc)4が結合する際,糖残基が4つのサブサイトす べてにピッタリ填まる結合様式に加え,糖が還元末端も しくは非還元末端側のどちらかにずれ,1ないし2残基
分サブサイトを空けた状態で結合する結合様式(ずれた 結合)も一定の頻度で起こる.しかし測定に用いるオリ ゴ糖の重合度が酵素のサブサイト数(ここでは4)より も大きくなると鎖長に 余裕が できるため,ずれた結 合を起こしても空きサブサイトは延長した糖残基が結合 することによって占有されてしまう(すべてのサブサイ トが結合状態になる).ITC測定によって得られる熱力 学的パラメータは,すべての結合様式でのパラメータが 平均化されている.それゆえ実際のサブサイト数よりも 高い重合度のオリゴ糖を測定に用いた場合,サブサイト 数と同一の重合度をもつオリゴ糖よりも高い親和性が観 察されることがあり,その結果サブサイト数も見かけ上 多く推定される.このような結合様式が実際に起こって いることは,酵素‒基質複合体の立体構造のみを見てい ただけでは見過ごしてしまう可能性が高く,均一な溶液 状態での熱力学的な相互作用解析を行うことの重要性を 示している.
エントロピー項のパラメタリゼーションと熱容量変 化
結合のエントロピー変化Δ は次式(4)に従って3つの パラメータ,水和エントロピー変化(Δ solv),混合エン トロピー変化(Δ mix),コンフォメーションエントロ ピー変化(Δ conf)に分離することができる(6).
図3■BcChiA-E61Aと(GlcNAc)4の 複 合 体 構 造(PDB 3WH1)
BcChi-Aはサーフェスモデルで,(GlcNAc)4はスティックで示し た.クレフト中央の濃い部分は触媒基であるGlu61の位置を示し ている.
表1■BcChi-A-E61Aと(GlcNAc)n ( =3‒6)結合の熱力学的パラメータ
(GlcNAc) a (×105 M−1) ∆ (kcal/mol) ∆ (kcal/mol) − ∆ (kcal/mol)
(GlcNAc)6 13 −8.5 −9.5 1.0
(GlcNAc)5 5.5 −7.9 −8.1 0.2
(GlcNAc)4 0.63 −6.6 −7.6 1.0
(GlcNAc)3 0.04 −5.0 −8.3 3.3
solv mix conf
S S S S
Δ =Δ +Δ +Δ (4)
solv pln 303.15 K 385.15 K
S C
Δ =Δ (5)
この際必要な熱容量変化Δ pはΔ の温度依存性から 決定する.すなわちΔ を各温度で測定し,Δ と温度 との関係をプロットすると直線関係が得られることか ら,その傾きよりΔ pの値を得ることができる.Δ pの 値から(5)式によりΔ solvが求められ,水のモル濃度
(55.5 M)よりΔ mixを得る(6).(4)式にこれらの値を代 入することによって最終的にΔ confを求めることができ る.このなかでΔ solvとΔ pおよびΔ confは,その相互 作用について貴重な情報を与える.酵素‒基質複合体の ような生体分子間の相互作用は,X線による複合体の結 晶構造解析やNMR解析によって視覚化が可能であり,
原子間の配向や距離情報から相互作用に寄与する水素結 合や疎水性相互作用などを特定することができる.しか しそのような手法が適用できないケースでは,Δ solv, Δ p,Δ confの情報の重要度が増してくる.Δ solvとΔ p
は結合前後における酵素および基質の水和状態の指標と なり,結合に疎水性相互作用の寄与が大きい場合には Δ p値は負の大きな値となる.この場合,結合により結 合面から水和水が 解き放たれる ことによってΔ solv
が増大する(水1分子当たり〜7 cal/K mol)(7).大きな Δ solvを与える場合は,酵素にはオープンで溶媒露出の
大きい比較的広いクレフト型の基質結合部位が存在する ことが推測される.一方小さなΔ solvの場合は,局所的 なポケット型の基質結合部位を推測することができる.
なお,Zolotnitskyらは糖質加水分解酵素であるキシラ ナーゼと基質であるキシロオリゴ糖との相互作用解析か ら,Δ pに関する有益な情報を得た.彼らは酵素‒基質 複合体の立体構造とITC測定により得られた熱力学的 パラメータを詳細に調べ,酵素の芳香族アミノ酸の側鎖 と糖リングの間に疎水的なスタッキングが形成された場 合,−100〜−150 cal/K molのΔ p値を生じることを示 した(8).このことはΔ pの値からいくつの芳香族アミノ 酸残基が基質結合に関与しているのかを間接的に推定で きることを示しており,阻害剤や糖転移反応におけるド ナー基質やアクセプター基質の分子デザインに有益な情 報を与えるものと考えられる.さらに酵素‒リガンド結 合における水和水の動態は,立体構造情報からも推定す ることが可能である.リガンドフリーとリガンド結合状 態の酵素の立体構造が決定されているならば,両構造に おける非極性の溶媒露出表面エリア(apolar solvent ac- cessible surface areas; apolar)の差(Δ apolar)を コンピューターによって算出することができるので
(GetArea 1.1, Galveston, TX, USA)(9),ITC測定によっ て得られたデータと合わせて考察するとよい.Δ confが 大きな値を与える場合には,基質結合前後での酵素およ び基質の構造変化が起こったことが推測される.
図4■ファミリーGH18キチナーゼの立体 構造
AtChiC: シロイヌナズナキチナーゼ(PDB 3AQU),NtChiV: タバコキチナーゼ(PDB 3ALF),CrChiA: ソテツキチナーゼとアロサ ミ ジ ン(ス テ ィ ッ ク) の 複 合 体(PDB 4R5E),SmChiA: セ ラ チ ア キ チ ナ ー ゼA
(PDB 1EDQ),SmChiB: セラチアキチナー ゼB(PDB 1E15).
カロリメトリックエンタルピー(Δ cal) .ファン トホッフエンタルピー(Δ vH)
反応の熱力学を理解するうえで,ITC測定によって直 接結合のエンタルピー変化(Δ cal)を決定する以外に,
表面プラズモン共鳴やほかの分光学的な手法などの相互 作用解析によって結合定数を得た後,ファントホッフの 式(6)を利用して間接的に結合のエンタルピー(Δ vH) を決定する方法がよくとられている.この方法は平衡定 数の温度依存性に基づいているものの,Δ とΔ が測定 温度内において一定(結合に伴う熱容量変化Δ pがゼ ロ)であることを前提としていること(しかし多くの反 応では温度依存的),結合反応においてエンタルピー‒エ ントロピー補償が起こることによって平衡定数に温度依 存性が生じにくいことから,その解釈には注意が必要で ある.実際に,ITCにより熱の出入りから決定されたエ ンタルピー変化(カロリメトリックエンタルピー変化)
Δ calとファントホッフエンタルピー変化Δ vHの値に差 が生じることがいくつかの反応で示されている(10, 11).
∆ ∆
= − +
lnKa H S
RT R (6)
熱力学的パラメータの重要性
酵素‒基質間相互作用を詳しく調べることの意義につ いて,考えてみたい.図4はファミリー 18(GH18)に 分類されるキチナーゼの立体構造を示している.GH18 キチナーゼはさまざまな生物種に見いだされており,キ チンを構成糖としてもたない植物もこの酵素を多数発現 している.GH18キチナーゼは由来する生物種によって 付加ドメインにバリーションがあるものの,酵素の中心 骨格は共通のTIMバレルと呼ばれる(
β
/α
)8バレル構造 をとっている.タバコとシロイヌナズナのGH18キチ ナーゼ(NtChiVとAtChiC)に基質であるキチンオリ ゴ糖を反応させた場合,キチンオリゴ糖は加水分解され 低分子のオリゴ糖を生成する(12, 13).一方,ソテツ由来 のGH18キチナーゼCrChiAに同様の基質を作用させる と,加水分解産物である低分子のオリゴ糖に加え,反応 に用いた初期基質よりも長鎖のオリゴ糖が生成される(14〜16)(図5).この生成物はCrChiAが糖転移反応を
効率よく触媒するために生じたものであるが,AtChiC やNtChiVを用いた場合にはこのような現象は見られな
い.一方,土壌細菌である の生産
するGH18キチナーゼSmChiAとSmChiBは,基質であ る結晶性キチンをそれぞれ還元末端側と非還元末端側か ら分解するプロセッシブ酵素である(17, 18)(図6).また,
キチンオリゴ糖と反応させた場合にはSmChiAのみが 糖転移活性を示す(19).筆者らは互いに立体構造の似た GH18酵素でありながら,糖転移活性の強弱やプロセッ シビティの有無,プロセッシブ分解する際の方向性(非 還元末端→還元末端側とその逆向き)に違いをもたらす 酵 素 側 の 要 因 に 興 味 を も ち,各GH18キ チ ナ ー ゼ と GH18キチナーゼの競争阻害剤であるアロサミジンとの 結合性をITCを用いて調べた(16, 20, 21).アロサミジンは GH18キチナーゼのマイナス側サブサイト−3,−2,
−1に結合することがX線による結晶構造解析から明ら
図5■MALDI-TOF-MASSによるCrChiAの糖転移活性の検出 A: 標 準 キ チ ン オ リ ゴ 糖,B: 基 質(GlcNAc)6,C: CrChiAと
(GlcNAc)6の反応産物.反応後,基質である(GlcNAc)6よりも長 鎖の(GlcNAc)7〜(GlcNAc)9が生成されていることがわかる.
図6■セラチアキチナーゼAおよびキチ ナーゼBによる結晶性β-キチンのプロッ セッシブ分解の模式図
かにされている(16, 22, 23).ITC測定の結果を図7と表2に 示す.結果から3種の植物GH18キチナーゼと2種の細 菌GH18キチナーゼは,それぞれ同程度の親和性でアロ サ ミ ジ ン と 結 合 す る こ と が わ か っ た(Δ =−9.6〜
−9.4 kcal/mol).しかし詳しく調べてみると,負のΔ に寄与する各熱力学パラメータに違いがあることがわ かった.SmChiBを除くすべての酵素の結合におけるエ ンタルピー変化Δ は負の値(Δ =−6.5〜−4.5 kcal/
mol),エントロピー変化Δ は正の値をとり(− Δ =
−5.1〜−2.9 kcal/mol),エントロピー変化とエンタル ピー変化の両方が結合の駆動力であることがわかった.
一方SmChiBのΔ とΔ はともに正の値をとり,結合に おいてエンタルピー変化はやや不利に(Δ =3.8 kcal/
mol),エントロピー変化は大きく有利にはたらくこと がわかった(− Δ =−13.2 kcal/mol).エントロピー 項を詳しく見てみると,水和のエントロピー変化はすべ ての酵素において正の値をとり(− Δ solv=−9.8〜
−4.5 kcal/mol),NtChiVとAtChiCのコンフォメーショ ン エ ン ト ロ ピ ー 変 化 は 負 の 値 を(− Δ conf=2.3〜
3.7 kcal/mol),CrChiAとSmChiAの同値は小さな正の 値(− Δ conf=−1.2〜−0.9 kcal/mol)であった.一方 SmChiBのΔ confは 大 き な 正 の 値 を と り(− Δ conf=
−11.2),コンフォメーションエントロピー変化が基質 結合に大きく寄与していることが明らかになった.加水 分解酵素が示す糖転移活性の強弱やプロセッシビィティ の有無とその方向性を制御するメカニズムは,酵素の立
体構造上の特徴によるところが大きいが,各反応の起こ る仕組みを理解するうえで基質との結合反応における熱 力学的パラメータも重要な要素と考えられる.特に SmChiBのようにコンフォメーションエントロピー変化 が主な駆動力となる酵素‒基質結合はあまり例がなく,
興味深い.プロセッシブ型の分解活性を行うキチナーゼ は,キチン鎖間の水素結合により強固に固まった結晶構 造からキチン一本鎖を引き剝がし,分解しながらキチン 鎖上をスライドする.この原動力についてはまだ明らか にされていないが,SmChiBの特徴的な熱力学的パラ メータはその 謎 を解く一つのヒントかもしれない.
また,プロセッシブ分解において逆方向(還元末端→非 還元末端)へと進行するSmChiAの同値との比較も興 味がもたれる.
そのほかの利用法
ITC測定は単純に反応に伴う熱の出入りを計測してい るに過ぎないことから,酵素‒基質間相互作用だけでな く,酵素‒阻害剤(24),タンパク質‒医薬分子(25, 26),タン パク質‒核酸(27)間などさまざまな生体成分を測定対象と することができることも一つの特徴として挙げられる.
この場合,モル濃度がはっきりした成分同士でなく,多 糖のような質量濃度しかわからない相手に対しても熱力 学的パラメータを決定する方法が開発されている(28). また,異なった緩衝液を用いて滴定実験を行いΔ を得 ることで,反応に伴うプロトンの出入りの様子を調べる ことも可能となっている(20).さらに,酵素反応には必 ず熱の出入りが伴うことから,反応熱をITCで計測し,
酵素反応の進行をリアルタイムで観察したり,速度論的 解析を行う目的でもITCが使用されている(29, 30).この 場合,分光学的特性を示さないような天然基質を反応に 用いても容易に反応の進行過程をモニターすることがで きることから,適用できる反応系は多岐にわたる.
図7■ファミリーGH18キチナーゼとアロサミジン結合の熱力 学的パラメータ
表2■ファミリーGH18キチナーゼとアロサミジン結合における熱力学的パラメータと酵素の特性 Protein ∆
(kcal/mol) ∆
(kcal/mol) − ∆
(kcal/mol) − ∆ solv
(kcal/mol) − ∆ conf
(kcal/mol) 糖転移活性 プロセッシ ビティ
NtChiV −9.6 −4.5 −5.1 −9.8 2.3 ̶ ̶
AtChiC −9.4 −6.5 −2.9 −9.1 3.7 ̶ ̶
CrChiA −9.5 −6.3 −3.3 −4.8 −0.9 ++ ̶
SmChiA −9.4 −6.2 −3.2 −4.5 −1.2 + ++
SmChiB −9.4 3.8 −13.2 −4.5 −11.2 ̶ +
おわりに
すべての生命現象は,それにかかわる生体分子間の相 互作用の結果として現れる表現型である.生物には低分 子から高分子にわたる実に多くの生体分子が存在してい るが,分子間に起こる結合,反応,解離とその連鎖が生 の原動力を生み出している.近年,テクノロジーの飛躍 的な進歩に伴い研究対象となる生物の全遺伝情報を短期 間のうちに取得することや,遺伝学的スクリーニングに よって特定の遺伝子の機能を解析することは比較的容易 になされるようになった.また,いまだ制限はあるもの の,NMRやX線結晶構造解析を用いたアプローチに よって,実際に現場で機能するタンパク質の仕組みも構 造的,視覚的に捉えられるようになった.一方で生物を システムとして理解するうえで,生体分子間相互作用に ついて(その組み合わせは膨大な数に上るが),熱力学 パラメータから得られるような情報を一つひとつ理解し ていくことも必須と考えられる.生命科学の研究では一 分子観察も可能な実験装置が登場し始めているのに対し て,ITC測定に必要なタンパク質やリガンド量はまだ少 なくないかもしれないが,サンプル量のさらなる微量化 と,複雑な相互作用系でも測定できるような新たな測定 法および解析法の発展に期待したい.
謝辞:本文中で取り上げたBcChi-AおよびCrChi-Aは琉球大学農学部亜 熱帯生物資源科学科の平良東紀先生にご提供いただきました.キチナー ゼの立体構造決定は産業技術総合研究所の沼田倫征先生との共同研究に より決定しました.アロサミジンは東京大学大学院農学研究科の作田庄 平先生にご提供いただきました.この場を借りて御礼申し上げます.
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プロフィル
北奥 喜仁(Yoshihito KITAOKU)
<略歴>2013年近畿大学農学部バイオサ イエンス学科卒業/2015年同大学大学院 農学研究科バイオサイエンス専攻博士前期 課程修了<研究テーマと抱負>LysMドメ インをもつキチナーゼの構造と機能<趣 味>観葉植物
大沼 貴之(Takayuki OHNUMA)
<略歴>1997年名城大学農学部農芸化学 科卒業/1999年同大学大学院農学研究科 農学専攻修士課程修了/2002年九州大学 大学院生物資源環境科学研究科遺伝子資源 工学専攻博士課程修了/同年イリノイ大学 アーバナ‒シャンペーン校獣医学部博士研 究員/2003年カリフォルニア大学バーク レー校植物・微生物学部博士研究員/2006 年農業生物資源研究所植物・微生物間相互 作用研究ユニット特別研究員/2008年近 畿大学農学部バイオサイエンス学科助教/
2012年 同 講 師/2015年 同 准 教 授<研 究 テーマと抱負>酵素タンパク質の構造と機 能,新規酵素の探索<趣味>海外旅行,電 車に乗ること,読書<所属研究室ホーム ページ>http://nara-kindai.unv.jp/02gakka /06bio/BioMolecularChem/enzyme/index.
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Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.53.834