1.微生物製剤とは
微生物は肉眼では観察できない微小な生物のこと で,細菌類,原生動物類,真菌類,微細藻類などを指 しています.これらの微生物は人間の歴史より遙かに 遠い昔の地球上に誕生し,様々な進化と分化を繰り返 しながら,人間と共存する現代まで至っています.物 質循環の視点から見て地球環境の維持にも非常に重要 な役割を果たしています.すなわち光合成を通じて有 機物の合成を行う生産者(シアノバクテリア・光合成 細菌・微細藻類など)及び,有機物の無機化を行う分 解者(従属栄養細菌など),共に地球生態系を構成す る重要な部分となっています.以下に紹介する微生物 製剤とは, 有用微生物 を工業的に生産し,様々な 産業分野に役立つように製剤化された商品のことで す.微生物の中でも特に細菌類と真菌類が多く微生物 製剤として用いられています.
有用微生物とは,すなわち人間にとって有用な微生 物のことを指しています.筆者の認識では,有用微生 物には 2 つの要件があります.まず,膨大な種類の微 生物の中で特に優れた物質変換能力または特殊な物質 を生産する能力を備えていること.次に,その微生物 が病原性を有しておらず,安全に扱うことができるこ とです.微生物製剤の応用の多くが開放系または半閉 鎖系であることを考えると,物質変換能力と同様に安 全性の大切さは言うまでもありません.以下,微生物 製剤の製造と応用をセクション2〜4に概観してから,
その安全性についてセクション 5 で述べることにしま す.
2.有用微生物の工業生産
有用微生物を自然界からスクリーニングし,必要に 応じて機能改良を行なった上で,現場で利用できるよ うに品質を安定化した製剤を創り出すのは簡単なこと ではありません.有用菌種の探索から製剤化までのプ ロセスを,筆者が所属するノボザイムズ バイオロジ カルズ社の例を挙げて説明します.まず,微生物製剤 の原料である有用微生物株はどこから得るのでしょう か.国公立及び民間の微生物カルチャーコレクション の利用は当然考えられますが,特殊な用途向けの微生 物製剤の開発には必ずしも用が足りません.そのため,
有用微生物を求めて研究者たちが日常生活環境から,
酷寒な極地や高温の温泉,深海など極限の世界まで足 をのばし,探索の努力を厭いません(Zocco, 2002).
そこから製剤化までのプロセスも地道な作業の積み重 ねです.野外から採取してきたサンプルから微生物を 単離した上で,同定と性質の検討を行います.目的に 合った株が発見された場合は,毒性試験などを通じて 非病原性を確認した上で大量培養,そして製品化へと 進みます.ノボザイムズ バイオロジカルズ社では,
微生物の培養はすべて単一菌種での純粋培養を行い,
これを目的に応じて配合することで,製品の高い均一 性,安定性と安全性が確保できるようにしています.
このように,機能性の高い微生物製剤が開発できる か否かは,優秀な微生物菌株をどれほど保有している
第 4 回
微生物製剤と衛生・環境分野におけるその有効活用
孫 炳坤
ノボザイムズ バイオロジカルズ ジャパン株式会社
〒261‑8501 千葉市美浜区中瀬 1‑3 幕張テクノガーデン CB‑5
Biological products and their industrial applications on hygiene and environment
Bing-Kun Sun
Novozymes Biologicals Japan Ltd.
Makuhari Techno Garden CB-5, Nakase 1-3, Mihama-ku, Chiba 261-8501, Japan
E-mail: [email protected]
連載「微生物の産業利用─はたらく有用微生物」
かにかかっています.1 つの高機能な微生物株を得る ためには数年間から十数年間の歳月がかかる場合もあ り,特に機能の有用性・経済的価値を備えた菌株の場 合はそれ自体に特許が認められることもあります.こ のような利用価値の高い菌株を数多く集めて初めて,
様々な用途に応じた製剤シリーズの生産が可能になり ます.また,高性能かつ安定した品質の微生物製剤を 生産するには,製剤の安定化技術と応用の場での即効 性に寄与する細胞の活性化技術など特殊な製剤化技術 も不可欠です.
3.どんな微生物製剤があるのか
現在一般的に流通している微生物製剤は粉体品,液 体品及び成型品など様々なものがあります(図 1).
これはそれぞれの用途と使用の便利さを図るためで す.例えば,粉体製品は麦ぬかなどの担体に芽胞・生 菌細胞を付着させて製造したもので,水溶性素材の パッケージに入れておくと,水処理のプラントで投入
の作業性が著しく向上します.また,液体製品はタイ マー制御付きのポンプによる自動添加システムに向い ています.成型品中に芽胞を入れた製品は,水と接触 した時に徐々に放出される仕組みになっています.
微生物製剤の成分は菌体と担体のみとは限りませ ん.用途に応じて,微生物の栄養成分や香料,色素を 配合しているものや,即効性を出すために界面活性 剤・酵素などを配合しているものもあります.一つの 例を挙げると,洗浄と消臭用途の微生物製剤の場合,
消臭ケミカルと臭気成分の有機物を分解する微生物の 両方を配合することにより消臭効果の即効性と洗浄・
消臭効果の持続性の両立が期待できます.製剤に使わ れるケミカルは微生物と相性が良いことが要求されま す.苛性や劇物などが除外されるため,結果的に微生 物製剤は作業者や環境に優しいものとなります.
図1 Biological products in various forms a : A powder product and capsules filled with powder product b : A water soluble bag filled with powder product
c : A liquid bacterial product
d : A wedge-shaped product containing 18 species of mycorrhizae e : A cylinder-shaped product wrapped in a net
a b
c d e
4.微生物製剤はどのように使われているのか 1)衛生での利用(家庭・公共施設分野)
一般家庭や公共施設など私たちの生活圏は実に様々 な有機物由来の汚れと不快な臭いに囲まれています.
たとえば家庭の生ゴミの臭いや流し台のぬめり,ペッ ト特有の臭い,厨房床面の油脂汚れ,公衆トイレの悪 臭など,これらはすべて有機物由来です.従来のケミ カルによる洗剤や消臭剤の場合は単純な汚れの移動や 臭気のマスキングにより一時的にこれらを除去するの は主流ですが,微生物製剤は汚れと臭気の原因物質を 分解することで,より徹底的で持続性のある洗浄・消 臭効果が期待できます.このような微生物製剤配合タ イプの洗浄・消臭製剤の優位性が近年市場に認知され,
徐々に普及し始めています.レストラン厨房などの排 水中には,しばしば動植物油脂が高濃度で含まれるが,
これを下水道に直接放流すると付着や凝固による下流 管きょの閉塞・悪臭などの問題を引き起こしやすいた め,グリーストラップという油水分離装置の設置が法 律により義務付けられています.グリーストラップに 留まる油脂や長鎖脂肪酸類(油脂の生分解中間産物)
などの汚れは頻繁に抜き取りが必要であるばかりでな く,悪臭や害虫の発生など衛生上の問題もあります.
そこで,グリーストラップ向けに開発された動植物油 脂分解用微生物製剤がこのような場合の衛生維持とメ ンテナンス作業の軽減に大いに役立っています(図 2a).
動植物油脂の化学構造はグリセリン骨格に三本の長 鎖脂肪酸がエステル結合をしている形で,トリグリセ リドと呼ばれます.トリグリセリドは,その生分解の 過程でまず菌体外酵素リパーゼによりグリセリンと長 鎖脂肪酸へと分解されますが(図 2b),このステップ は比較的容易です.しかし長鎖脂肪酸は難分解性のた め系内に蓄積する傾向にあります(Novak & Kraus, 1973).この長鎖脂肪酸の蓄積が系内の pH の低下を 招き,生じた酸性環境条件が土着菌の分解活性を低下 させます.このような問題を解決できるものとして、
ノ ボ ザ イ ム ズ バ イ オ ロ ジ カ ル ズ 社 の 特 許 取 得 株 BioS3112 TMを配合しているグリーストラップ向け微 生物製剤があります.BioS3112 TMは芽胞を形成する 属の桿菌で,高い長鎖脂肪酸分解活性を示し ます.しかも,pH 6 付近で最も高い増殖速度を示し,
pH 4.5 という低 pH でも最大増殖速度の 50%が維持 できます(図 3).表 1 は BioS3112 TM株に数種類の長 鎖脂肪酸と低分子脂肪酸をそれぞれ単一の炭素源とし て与えた場合の呼吸活性を示し,いずれの脂肪酸をも b: Hydrolysis of a triglyceride (in this case, containing
stearic, palmitic, and oleic acids) by lipase a: Pictures of a grease trap
O
H OH
OH
CH3 OH
O
+3
CH3 C
H3
O O
O
C H3
O O O
triglyceride
glycerol
fatty acids
図2 Treatment of oils in grease traps with biological product
before treatment
during treatment
分解・資化できることを示しています.
2)環境での利用(産業排水分野)
産業排水処理や土壌浄化の分野においても微生物製 剤の活躍の場が広がりを見せています.環境中の有機 物の微生物処理はまさに生態系の物質循環の中での分 解者である微生物を効率良く利用した良い例となりま す.現在では,動植物油脂・セルロース類・界面活性 剤・フェノール類・石油系ハイドロカーボンなど種々 の難分解性化合物を含んだ排水の生物処理及び石油系 汚染土壌浄化のバイオオーグメンテーションに使用さ れ,多くの現場で既存の生物処理設備への増強目的に 活用されています.環境浄化用途の微生物製剤は,分 解対象有機物が変化に富んでいるためそれに応じた酵 素活性を持つ菌種のブレンドが必要になります.
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, , , ,
, , など多数
の菌種が利用されています.
活性汚泥による排水処理の場合,微生物製剤の使用 目的は対象物質の分解促進による COD(Chemical Oxygen Demand, 化学的酸素消費量)除去率の改善 から,排水の負荷変動に起因する処理効果不安定の軽
0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5
3 3.5 4 4.5 5 5.5 6 6.5 7 7.5 8 8.5
Final pH
Growth Rate Hr
-1図3 pH-growth profile of BioS3112
表1 Oxygen uptake of BioS3112 on various carboxyl- ic acids
( / ) ( )
stearic acid, C-18 1.74 230
palmitic acid, C-16 2.87 480
valeric acid, C-5 2.37 342
butyric acid, C-4 1.96 308
acetic acid, C-2 1.70 247
a: Improvement of activated sludge settling indicated by SV30
b: Microscopic observation on the changes of sludge(at 400×)
図4 Bioaugmentation in a food wastewater treat- ment plant
減,硝化工程の機能回復,糸状性バルキングの解消に よる汚泥沈降性向上まで多岐にわたります.活性汚泥 のような高濃度に微生物を維持している系の中に微生 物製剤を投入して本当に効果が期待できるのかという 疑問をよく耳にしますが,実際に効果を得るために重 要な点が二つあります.すなわち,対象に合った微生 物製剤の選定と現場での環境条件の制御です.生物反 応槽にすでに定着している菌叢と共存させて製剤中の 微生物の特定の機能を引き出すには,pH や温度,溶 存酸素,栄養因子など環境を如何に制御するかが重要 になります(Zocco, 2002; 佐々木ら,2002).そのため,
微生物製剤を利用するバイオオーグメンテーション技 術はバイオマスエンジニアリングとも呼ばれます.図 4 に乳製品加工工場の排水処理施設で実施したバイオ オーグメンテーションの例を示しました.牛乳由来の 油脂分が原因と見られる活性汚泥の糸状性バルキング
(糸状性微生物の大量増殖に由来する活性汚泥の沈降 不良)が長期化し沈殿槽での固液分離が困難な状態に 陥ったところに,油脂分解能力の高い微生物製剤を連 続的に投入して約 1 ヶ月後,活性汚泥中の糸状性微生 物が大幅に減り圧密度の高いフロックが形成され,汚 泥の沈降性が顕著に改善しました.図中の SV30 は活 性汚泥の沈降性を示す指標で,シリンダ中で 30 分間 活性汚泥サンプルを静置させた時の下部汚泥の割合で 表示され,数値が小さいほど沈降性の良いものです(須 藤,1998).この例では添加した微生物製剤の活性汚 泥に与える効果を高めて菌叢の改善を早めるために小 型のオンサイト前培養装置を設けました.これにより,
投入製剤中の微生物の活性化・菌数増加・処理排水へ の馴養を図りました.
5.微生物製剤の安全性
産業用微生物製剤の歴史がまだ浅く,世間一般での 認知度と理解が今ひとつであるのは事実です.微生物 製剤を我々の生活と様々な産業分野に広く普及させる ためには,やはり安全性の説明が大切でしょう.微生 物製剤の安全性に対する懸念の多くは微生物学的知識 の不足によるものとは言え,微生物製剤メーカー自身 が製品の安全性に細心の注意を払うことは重要です.
自然界から得た天然微生物でも変異の可能性や病原菌
による汚染も考えられるので製剤中の菌種の非病原性 の確認や製品検査を社内制度化することは不可欠で す.万全な安全性を確保するため,ノボザイムズ バ イオロジカルズ社では,世界的に権威のある微生物研 究機関(米国 CDC など)のバイオセイフティー規準 を使用すること(最も安全なクラスの菌種を使用する こと),ロット毎の製品検査(菌数規準の適応性とサ ルモネラ菌汚染の有無)を実施すること,代表的な製 品については社外検査機関の毒性検査を受けることな ど,製品の品質管理と安全性をハイレベルで追求して います.
6.微生物製剤技術の将来展望
以上で述べたように,産業用微生物製剤が様々な分 野で注目され,普及し始めています.ただし,全体的 にはまだ歴史が浅くやっと黎明期を迎えた段階と言え ます.微生物の利用は自然の摂理にかなった環境親和 型の技術であるため,今後様々な用途に普及していく ことは充分予想されます.今回は紹介しませんでした が,生活環境において有用微生物を優勢にして有害な 微生物の生育を抑えるバイオコントロール技術,生産 現場で排出される有機性廃棄物を分解して廃棄物を排 出しないゼロ エミッション技術,化学農薬・化学肥 料に頼らない有機農業の実現に貢献する農業分野用微 生物製剤技術が,近い将来大いに活躍すると期待され ています.
文 献
Novak, J.T. & Kraus, D.L. (1973). Degradation of long chain fatty acids by activated sludge. Water Res.
7: 843-851.
佐々木雄真,浅野孝幸,三津橋浩行,鎌田樹志(2002).
微生物製剤の利用技術に関する研究.北海道立工業 試験場報告 301:75‑81.
須藤隆一(1998).環境微生物実験法.講談社サイエ ンティフィク,東京 .
Zocco, L. (2002). Let the bugs do the work. Pollution Engineering Nov. 1: 32‑35.
(担当編集委員:高木 忍)