はじめに
2009年 6
月19
日、「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」(以下、「海賊対 処法」と言う)が成立した(1)。海賊対処法は、同法で定義される「海賊行為」の処罰を定め る特別刑法としての性質と、海賊行為への対処に係る海上保安庁および自衛隊の権限を定 める行政作用法としての性質を併せ持つ。また同法は、ソマリア周辺海域といった特定海 域での海賊行為を想定したものではない海賊行為に関する一般法であり、テロ対策特別措 置法やイラク人道復興支援特別措置法のような時限立法とも異なり、恒久法として制定さ れたものである。国際法上、公海上で行なわれる海賊行為は、その暴力、略奪行為によって「海上交通の 一般的安全」を害するゆえに、「人類共通の敵(hostis humani generis)」とされ、古くからすべ ての国に広範な管轄権の行使が認められてきた。公海上の船舶は、旗国の排他的管轄権に 服し(旗国主義)、旗国以外の国による管轄権の行使は原則として認められない(国際連合海 洋法条約
92条)
。ただし海賊行為に対しては、例外的に、いずれの国もその軍艦や政府公船 によって(同107
条)、旗国の許可を得ることなく、臨検(同110条)
、拿捕、逮捕、押収とい った警察権を行使することができ、さらには、自国の裁判所で起訴、処罰するなど、普遍 主義に基づく刑事裁判管轄権の行使(同105条)
も認められている(2)。戦前の日本では、海軍の軍艦が、平時に公海や外国の領海にある際に準拠すべき事項を 定めた「軍艦外務令」(3)のなかで、海賊の定義を置き、軍艦による海賊対処の権限を規定し ていた。同令に関する海軍省大臣官房の解説書(4)によると、同令で定義された「海賊」は、
当時の国際慣習法上の海賊を意味し、公海上で目的船舶の国籍のいかんを問わず暴行、略 奪を行なうものである(5)。その行為が日本船舶に対するもののみならず、他国船舶に対する ものであっても、軍艦指揮官はこれを逮捕することができる(6)。逮捕した海賊は、便宜の港 に引致したのち、中央の指令を待って裁判所に引き渡されるが、日本の刑事法令に国際法 上の海賊を処罰する規定がなかったため、いかなる規定を適用してこれを処罰するかにつ いては疑義が残るとされていた(7)。
戦後、軍艦外務令は自然消滅し、海賊行為を特に対象とした国内法令は存在しなくなっ た。海賊行為の処罰に関しては、国際法の定義に則して国内法で海賊行為の構成要件を定 めるのではなく、強盗、強要、逮捕・監禁といった個々の犯罪類型に分解して、刑法によ
って対処してきたが、そのうちの一部には国外犯の処罰規定を欠くものもあった(8)。また、
海賊行為の取締りについても、戦後、海上保安機関として新たに海上保安庁が創設され、
海上における人命・財産の保護や治安の維持に第一義的な責任を負うことになり(9)、その後 に創設された海上自衛隊にも、「特別の必要がある場合」に限り、海上警備行動として、補 完的な役割が与えられることになったものの、海賊行為への対処を特に想定した権限が付 与されていたわけではなかった。
こうした流れを踏まえたうえで、本稿では、第一に、なぜこの時期に海賊対処法が必要 とされるようになったのかという観点から、海賊対処法の成立経緯を概観する。第二に、
国会での政府答弁などを参照しながら、条文のみからは必ずしも明瞭でない点も含めて、
同法の内容を可能な限り明らかにする。第三に、以上の考察を前提として、同法の意義と 問題点について、若干の指摘を行なうこととする。
1
海賊対処法の成立経緯(1) 国連海洋法条約の批准
1982年 4
月に国連海洋法条約が採択され(1994年11月発効)、日本も1996年6
月に同条約 を批准した。同条約は、「すべての国は、最大限に可能な範囲で、公海その他いずれの国の 管轄権にも服さない場所における海賊行為の抑止に協力する」(100条)と定めているが、同 条約の批准に際し、日本は、特に海賊行為の抑止を目的とする国内法を制定しなかった。その理由は、同条約が、海賊行為の具体的な取締りを条約上の義務として課したものでは なく、また政策的にも、日本が国籍を問わず海賊行為を処罰、抑制、取り締まる現実的な 必要性がなかったからだという(10)。
(2) 海賊被害の増加
他方で、世界各地での「海賊被害」(公海上での「海賊」のみならず、内水・領海内での「海 上武装強盗」による被害を含む)は、1990年代前半(1991年107件、1994年90件)は減少傾向 にあったものの、
1995年
(188件)を境にして増加に転じ、突出して多かった2000年(469件)を除き、2003年(445件)まで年々増加し続けた。2004年(325件)以降、東南アジアでの海 賊被害が減少してきたため、2006年(239件)までは全体としては減少傾向にあったが、ア フリカ、特にソマリア周辺海域での海賊被害が増加した2007年(263件)から再び増加に転 じ、2008年には
293件を数えるに至っている。
また、日本関係船舶(日本籍船および日本の事業者が運航する外国籍船を含む)の海賊被害 も、1996年以降、2桁台の数字を記録し、東南アジアでの海賊被害が頻発した
1999年、2000
年には、それぞれ39件、31件に上っている。その後、全体的な減少傾向がみられた2004年 から06年にかけては1
桁台の被害件数にとどまったものの、2007年に10件、2008年に12件 と、再び増加傾向を示している(11)。(3) 東南アジアでの海賊対策
1996年以降、東南アジアでの海賊被害が急増し
(1995年71件、1996年124件)、2000年にはピークの
242件を数えるなか、日本は、2001
年、地域協力促進のための法的枠組みとして、「アジア海賊対策地域協力協定(ReCAAP)」の作成を提唱し、同協定は、2006年
9
月に発効 した。同協定に基づき、同年11月には、シンガポールに情報共有センター(ISC)が設置さ れ、締約国間で情報共有と能力向上を軸とした協力が行なわれるようになった(12)。東南ア ジアでの海賊対策への日本の協力は、日本の海上保安庁や自衛隊による直接的な取締りに よってではなく、周辺関係国の海上保安機関による取締りを前提としたうえで、それら海 上保安機関への無償資金協力や能力向上支援等を通じて行なわれてきたと言える。(4) 海洋基本法の成立と海洋基本計画の策定
2007年 4
月、日本の海洋政策の新たな制度的枠組みを構築するために、海洋基本法(13)が制定された。同法は、「海洋については、海に囲まれた我が国にとって海洋の安全の確保が 重要であることにかんがみ、その安全の確保のための取組が積極的に推進されなければな らない」(3条)として、「海洋について、我が国の平和及び安全の確保並びに海上の安全及 び治安の確保のために必要な措置を講ずるものとする」(21条1項)と規定している。同法の 国会審議に際しては、衆・参の国土交通委員会で、国連海洋法条約等の規定に基づく国内 法の整備がいまだ十分でないとの認識が示され、同条約その他の国際約束に規定する諸制 度に関する日本の国内法制を早急に整備することを求める決議・附帯決議(14)が採択された。
海洋基本法の制定を受けて、2008年2月には、内閣官房海洋総合政策本部に法制チームが 設置され、海賊行為の対処等に関する法整備の検討が開始された。また、同年3月に策定さ れた海洋基本計画(15)は、「エネルギー資源等の多くを海上輸送に依存している我が国にとっ て、海洋における航行の自由を確保しつつ、石油等の主要な輸送海域における海上交通の 安全……を確保することは、経済的側面を含む我が国の安全を確保する上で極めて重要で ある」(第
1
部2)
との認識を示したうえで、「我が国の国益のためのみならず、海賊行為……の防止という国際社会の要請に応えるとの観点から、国際法に則し、公海上でこれら の行為を抑止し取り締まるための体制の整備を検討し、適切な措置を講じていく必要があ る」(同)としている。
(5) ソマリア海賊問題
ソマリア周辺海域での海賊被害は、2007年の
44
件から2008
年には111
件へと急増した。ソマリアでは、1991年以降、武装勢力間の内戦状態が続いており、2005年6月、暫定連邦政 府(TFG)が成立したのちも、政府軍と各種武装勢力との抗争は終結をみていない。長年の 内戦による国民の貧困化、武器の横行、TFGの治安維持能力の欠如といった要因を背景に、
イエメンとの間に挟まれ年間約2万隻もの船舶(日本関係船舶は約
2000隻)
が通航する国際 航行の要衝アデン湾を中心に、身代金目当ての海賊事件が多発するようになった(16)。こうした状況に対応すべく、国連安全保障理事会(以下、「安保理」と言う)は、2008年6 月2日、決議1816号を採択して、ソマリア周辺海域での船舶に対する海賊・武装強盗事件が、
ソマリアの状況を悪化させており、そのことが、地域の国際の平和と安全に対する脅威を 構成すると決定した(前文)。そのうえで、国連憲章
7
章の下、ソマリア沖で海賊・武装強盗 と闘うTFGと協力する諸国が、ソマリア領海内で、関連する国際法の下で海賊に関して公 海上で認められる行為と合致する方法で、海賊・武装強盗行為の抑圧のための「あらゆる必要な措置」を用いることができる旨決定した(本文7項)。また、
10月7
日の決議1838号は、海上活動の安全に関心を有する諸国が、国連海洋法条約等の国際法に従いつつ、特に軍艦 および軍用機を派遣して、ソマリア沖の公海上での海賊との闘いに積極的に参加すること を求めた(本文2項)(17)。これらの決議を受けて、欧米およびアジアの約
20の国・機関
(欧州 連合〔EU〕、北大西洋条約機構〔NATO〕)が、軍艦などをソマリア沖、アデン湾に派遣して、自国籍船を中心とした船舶の護衛や哨戒等の活動を実施している。
(6) 海上警備行動の発令と海賊対処法案の国会審議
ソマリア周辺海域での海賊被害は、2007年10月のケミカル・タンカー「ゴールデン・ノ リ」(パナマ船籍、日本企業運航)、2008年
4
月の原油タンカー「高山(タカヤマ)」(日本船籍)への襲撃等、日本関係船舶へも及ぶようになり、同年
10
月には、海運業界の意向として、日本船主協会から「アデン湾における海賊事件への対応の強化」(18)という要望書が国土交通 大臣に提出され、そのなかで、「日本関係船の安全確保のため、国際条約を踏まえたわが国 法制度の整備や関係各国との連携を含め、海賊行為を防止するより効果的かつ具体的な対 策」の強化が求められた。
こうしたなか、麻生太郎総理は、2008年
12月 26日、浜田靖一防衛大臣に対して「関係省
庁と連携のうえ、自衛隊が海賊対策に早急に対応できるよう検討作業を加速する」ことを 指示した。他方、与党(自民党・公明党)は、2009年1月 7
日、「海賊対策等に関するプロジ ェクトチーム」を設けて、海賊対策新法の制定に向けた検討を開始し、1月27
日、3月上旬 を目途に国連海洋法条約等に則した海賊行為の抑止・取締りのための法案を国会に提出す ること、ソマリア沖の海賊対策のために、当面の応急措置として、自衛隊法82条に基づく 海上警備行動を発令して自衛艦派遣の措置を要請する旨の「中間とりまとめ」を麻生総理 に報告した(19)。翌28
日、浜田防衛大臣は、統合幕僚長等に対して、ソマリア沖・アデン湾 での海賊対処の準備を指示。3月13日、政府は、安全保障会議および閣議決定を経て、海上
警備行動を承認し海賊対処法案を決定した(20)。この承認を経て、同日、浜田防衛大臣は、自衛艦隊司令官に対して、海上警備行動に関 する命令を発出(21)。3月
14日、約 400名の自衛官と 8
名の海上保安官を乗せた海上自衛隊の 護衛艦2隻が出港し、同月30日よりアデン湾での護衛活動を開始。5月 15日には、ジブチ空
港を活動拠点として、固定翼哨戒機P-3Cを派遣する命令が発出され、同機は6
月11
日より 任務を開始した。他方、海賊対処法案のほうは、3月
13
日に国会(衆議院)に提出され、4月14日から審議
が開始された。衆議院では、野党民主党から、海賊対策本部の設置、国土交通大臣からの 要請の明記、自衛隊の派遣に関する国会の事前承認の必要等を内容とする修正案(22)が提出 されたが否決され、4月23日、法案は衆議院本会議で無修正のまま与党の賛成多数により可 決、参議院に送付された。参議院では、5
月27日から審議が行なわれ、6月19日の本会議で、
民主党ら野党の反対多数で否決されたのち、同日、衆議院本会議で3分の2の多数をもって 再可決・成立した。
2
海賊対処法の内容(1) 法律の目的(1条)
本法は、①日本の経済社会と国民生活にとって船舶航行の安全の確保がきわめて重要で あること、②国連海洋法条約ですべての国が最大限可能な範囲で公海等における海賊行為 の抑止に協力するとされていること、の2つを理由に挙げ、海賊行為の処罰と海賊行為への 適切かつ効果的な対処のために必要な事項を定めることで、「海上における公共の安全と秩 序の維持を図ること」を、その目的としている。
本法制定の理由に挙げられている2つの要因のうち、①は日本の国益に、また、②は国際 社会の要請に係るものである。②の要因は、すでに日本が国連海洋法条約を批准した
1996
年以来存在してきたものであるが、前述したように、その時点では、海賊抑止協力義務の 一般性や、現実的な必要性の欠如といった理由から、法制化が見送られたという経緯があ る。そうだとすると、今回の法制化を促した新たな要因は何であったのか。政府は、近時の海賊行為が、海上における公共の安全と秩序の維持に対する重大な脅威 となり、日本国民の人命、財産の保護の観点から、日本にとって喫緊の課題となっている として、日本の国益という側面を法制化の主要な要因として強調している(23)。もっとも、日 本関係船舶に対する海賊被害の件数は、すでに2000年頃にピークを迎えており、当時、な かでも深刻であった東南アジアでの海賊対策のために、日本は、周辺関係国の海上保安機 関への無償資金協力や能力向上支援等を通じて、国益確保や国際社会への貢献を果たして きた。2007年以降に増大するソマリア沖での海賊被害の深刻化とその独自の性質が、東南 アジアの海賊対策とは異なる新法の必要性を促したのだとすると、その要因は何であろう か。
ソマリア沖の海賊問題は、①東南アジアと異なり、ソマリア自身を含めて沿岸国の海上 保安機関に、少なくとも短期的には実効的な海賊取締り能力の向上を期待できない、②安 保理決議で各国に軍艦等の派遣が求められ、実際に約
20
の国・機関が軍艦等を派遣してい る、といった新たな要因が考えられるが、それだけであれば、ソマリア周辺海域への自衛 隊派遣のための時限立法という選択肢もありえたはずである(24)。恒久法という形式が採用さ れたのには、おそらく、2007年4月の海洋基本法制定以来の、日本の海洋政策に関する総合 的な制度構築と国内法制化の流れが影響を与えているものと推察される(25)。現在のソマリア 沖での海賊対処という文脈を離れ、将来において、本法に基づく海賊行為への対処の必要 性が、日本の国益や国際社会の要請という観点から、どのような形で想定されるのか、本 法の恒久法としての存在理由が問われるところであろう。(2) 海賊行為の定義(2条)
本法において、「海賊行為」とは、船舶(軍艦および政府公船を除く)に乗り組みまたは乗 船した者が、「私的目的」で、公海(排他的経済水域を含む)または日本の領海・内水で行な う以下のいずれかの行為とされる。すなわち、①航行中の他の船舶の強取・運航支配(2条
1
号)、②航行中の他の船舶内の財物の強取等(同2号)
、③航行中の他の船舶内にある者の略取(同
3
号)、④航行中の他の船舶内にある者を人質にした第三者への強要(同4号)、⑤ ①―④の目的での航行中の他の船舶への侵入やその損壊(同5号)、⑥上記目的での航行中の 他の船舶への著しい接近等(同
6号)
、⑦上記目的での凶器準備航行(同7
号)。このうち、①―⑥の行為は、「航行中の他の船舶」に対するものに限定され、また、⑦の凶器準備航行も、
航行中の他の船舶に対し①―④の行為を行なう目的により限定される。換言すれば、本法 の海賊行為の定義からは、船舶の内部にいる乗組員や旅客が当該船舶を不法に奪取する行 為(いわゆる「シージャック」)は除外されている。
他方、本法が1条で言及している国連海洋法条約は、海賊行為を次のように定義している
(101条)。すなわち、(a)私有の船舶または航空機の乗組員または旅客が私的目的のために行 なうすべての不法な暴力行為、抑留または略奪行為であって、(i)公海における他の船舶も しくは航空機またはこれらの内にある人もしくは財産、(ii)いずれの国の管轄権にも服さな い場所にある船舶、航空機、人または財産に対して行なわれるもの、(b)いずれかの船舶ま たは航空機を海賊船舶または海賊航空機とする事実を知って当該船舶または航空機の運航 に自発的に参加するすべての行為、(c)(a)または(b)に規定する行為を扇動しまたは故意に 助長するすべての行為。
国連海洋法条約上の海賊行為の定義と、本法上の海賊行為の定義との異同はどのような 点にあるか。共通点としては、第一に、「私的目的」による行為である点、第二に、複数の 船舶相互間で外部から行なわれる行為である点(「2船要件(two-ship requirement)」)が挙げら れる。他方、一見して異なる点としては、第一に、条約では、公海上または「いずれの国 の管轄権にも服さない場所」での行為に限定されているのに対して、本法では、日本の領 海または内水における行為も含まれている点、第二に、条約では、航空機の乗組員等によ る他の航空機等に対する行為も含まれているのに対して、本法では船舶に限定されている 点。また、一見して明らかではないが、第三に、条約では明示されていない他の船舶への 著しい接近等や凶器準備航行を本法では海賊行為に含めている点、第四に、逆に条約には 含まれているが、本法では明示されていない点としては、いずれかの船舶を海賊船舶とす る事実を知って当該船舶の運航に自発的に参加する行為や、海賊行為を扇動、故意に助長 する行為がある。
政府は、海賊行為の行なわれる場所に日本の領海や内水を加えた理由として、①本法は 海賊行為を行なった者に一般の刑法犯より重い刑罰を定めており(3条、4条)、同じ行為に もかかわらず、領海や内水での行為に対する刑罰が公海でのそれより軽いとなるとアンバ ランスが生じる、②海賊行為の対処には特別の武器使用権限が与えられているが(6条)、公 海では行使できて領海や内水では行使できないのは不合理である、③本来、各国は領海内 での行為に管轄権を有しており、その取締りや処罰を行ないうるのは当然であるため、国 連海洋法条約にも矛盾しないことを挙げている(26)。
海賊行為の主体から、航空機を除外した理由としては、①航空機による海賊行為は実際 に発生していないこと、②現段階では、航空機から船舶に乗船することは技術的に困難で あり、今後そうした行為が行なわれることは想定しがたいことを挙げている(27)。
また、他の船舶への著しい接近等(2条6号)や凶器準備航行(同
7
号)を本法では海賊行 為に含めている点については、これらの行為に関し国連海洋法条約のなかに具体的・明示 的な言及はないが、本法の定義は、条約の定める海賊行為についての日本としての理解を 明文化したものであり、両者の定義の間に齟齬はないという(28)。もっとも、日本として、国 連海洋法条約の規定のどの部分をそのように解釈したのかについての明確な理由は示され ていない。他方で、これらの行為の具体的な判断基準に関しては、前者の行為(2条6
号)につき、これまでの海賊事案を踏まえて、船舶の外観、航行の態様、乗組員の異常な挙動 その他の周囲の事情などを勘案して、合理的に判断する(29)、後者の行為(同7号)につき、
上記の要素に加えて、船舶に積載された凶器の状況を勘案したうえで判断する(30)、といった 一定の基準が示されている。
海賊行為の定義に関する最大の争点は、国連海洋法条約上の定義をめぐっても議論のあ る「私的目的」(31)を、日本としてどのように解釈するかである。政府によると、本法におけ る「私的目的」とは、「私人の利得の欲望、憎悪、復讐その他の目的という意味」であり、
「外国政府が国家意思に基づいて行うようなものは入らない」という。また、その具体的判 断基準については、本来公海上で掲げるべき国旗を掲げず国籍を隠している、身代金目的 といった動機、小型船を使用して襲撃するといった行為の態様など、さまざまな態様に照 らして判断するとされる(32)。
テロリストの行為と海賊行為との関係については、テロリストに関する国際的な定義自 体が明らかでないため、行為の主体がテロリストか否かではなく、その行為が本法におけ る「私的目的」に当たるか否かで判断され、結果としてそれに該当する場合も排除されな いという(33)。他方で、環境保護団体シー・シェパードによる日本の捕鯨調査船への航行妨害、
業務妨害などの抗議活動については、そうした行為が、国連海洋法条約上の海賊行為に該 当する可能性は直ちには排除されないが(34)、少なくともこれまでの活動に関する限り、本 法の海賊行為には該当せず、別途、海洋航行不法行為防止条約(SUA条約)に従って対処す べきものとされる(35)。もっとも、海賊行為に該当しない理由が、「私的目的」に当たらない ためなのか、本法
2条各号の構成要件を満たさないためなのかについては、必ずしも明らか
ではない。(3) 海賊行為に関する罪(3条、4条)
上記(2)でみた本法
2条の海賊行為の定義は、そのまま犯罪の構成要件となっており、3条
では、2
条各号に規定した海賊行為の類型に即して、それぞれに対応する刑罰を定めている。すなわち、①
2
条1
号ないし4号のいずれかの海賊行為(船舶の強取・運航支配、船舶内の財 物の強取等、船舶内にある者の略取、人質による強要)をした者は、無期または5
年以上の懲 役に処する(3条1項)とともに、4号の人質による強要を除く上記の罪の未遂は罰せられる(同
2
項)。②2条 5
号または6
号の海賊行為(船舶侵入・損壊、他の船舶への著しい接近等)を した者は、5年以下の懲役に処する(同3項)。③2
条7号の海賊行為(凶器準備航行)をした 者は、3年以下の懲役に処するが、3条1項または3項の罪の実行に着手する前に自首した者
は、その刑を減刑または免除するものとされる(同4
項)。4条は、結果的加重犯についての規定で、上記①の罪を犯した者が、人を負傷させたとき
は無期または6年以上の懲役に、死亡させたときは死刑または無期懲役に処するものとされ
(4条1項)、その未遂も罰するものとされている(同
2
項)。本法には、共犯に関する規定は置かれていないが、刑法8条により、他の法令に特別の規 定がない場合には、刑法第1編の総則が適用されるため、海賊行為の共犯についても刑法総 則の共同正犯(60条)、教唆(61条)、幇助(62条)などの規定が適用される。国連海洋法条 約の海賊行為の定義にある、いずれかの船舶を海賊船舶とする事実を知って当該船舶の運 航に自発的に参加する行為については共同正犯や従犯に、また、海賊行為を扇動、故意に 助長する行為については教唆に当たる可能性があるとされている(36)。
海賊行為の処罰に関しては、ほかに、日本の刑事裁判管轄権の及ぶ範囲や、海賊行為の 容疑者を他国に引き渡す際の手続等の問題があるが、本法中には、これらの点に関する明 文の規定は存在しない。この問題については、節を改めてのちに論じる。
(4) 海上保安庁による海賊行為への対処(5条)
海賊行為への対処は、本法、海上保安庁法その他の法令の定めるところにより、海上保 安庁がこれに必要な措置を実施するものとされる(5条
1項)
。次の(5)でみるように、自衛隊 の部隊が海賊行為に対処することも想定されているが、それは、「特別の必要がある場合」に限られていること(7条)から、海賊行為への対処は、第一義的には海上保安庁の責務で あるとの位置づけになっている。
海上保安庁法は、海上における①法令の励行、②犯罪の予防・鎮圧、③犯人の捜査・逮 捕等に関する事務を行なうことにより「海上の安全及び治安の確保を図ること」を海上保 安庁の任務として規定している(2条1項)。海上保安官は、その職務の遂行に必要な場合、
船舶書類の提出命令、停船命令、立入検査、質問の権限を行使し(17条
1項)
、また、一定の 要件の下に、船舶の進行停止、海上での人の生命・身体への危険や財産に対する重大な損 害を及ぼすおそれがある行為の制止(18条1項)といった強制措置をとることが認められて いる(37)。海上保安庁による海賊行為への対処は、基本的には、従来から海上保安庁法で認め られていたこれらの権限に基づいて行なわれることになり、この点に関する限り、本法で 新たな権限が付与されることになったわけではない。(5) 自衛隊による海賊対処行動とその権限(7条、8条
1
項)防衛大臣は、海賊行為に対処するため「特別の必要がある場合」には、内閣総理大臣の 承認を得て、自衛隊の部隊に海上において海賊行為に対処するため必要な行動(以下、「海 賊対処行動」と言う)をとることを命じることができる(7条1項)。この場合には、自衛隊法
82条の規定
(海上警備行動)は適用されない(同項)。この規定を受けて、自衛隊法も併せて改正され、防衛大臣が、海賊対処法の定めるところにより、自衛隊の部隊による海賊対処 行動を行なわせることができる旨の規定(82条の
2)
が新たに設けられた。「特別の必要がある場合」とは、自衛隊法82条の海上警備行動の際の「特別の必要」と同 趣旨であり、海上保安庁のみでは海賊行為に対処することが不可能または著しく困難であ る場合を言う(38)。ソマリア沖海賊との関係では、海上保安庁の巡視船を派遣することが、①
日本からの距離、②海賊が所持する武器、③各国海軍の軍艦等が対応していることを総合 的に勘案すると、現状では困難であるからだとされている(39)。
防衛大臣が、本法7条
1
項の規定による内閣総理大臣の承認を受けようとするときは、関 係機関の長と協議して、以下の事項に関する対処要項を作成し、内閣総理大臣に提出しな ければならない。すなわち、①海賊対処行動の必要性、②海賊対処行動を行なう海上の区 域、③海賊対処行動を命ずる自衛隊の部隊の規模・構成、装備および期間、④その他海賊 対処行動に関する重要事項。もっとも、現に行なわれている海賊行為に対処するため急を 要する場合には、必要となる行動の概要を内閣総理大臣に通知すれば足りるとされる(7条2項)
。②の行動区域に関しては、基本的に他国の領海での活動は想定していないが、当該沿岸 国の同意や要請がある場合に、公海から海賊を追跡したり、日本人を人質にした船舶の入 港先を見届けたりするために他国の領海に立ち入ることは本法上も可能である。他方で、
他国の領土にまで入ることはできないとされる(40)。
内閣総理大臣は、①海賊対処行動の承認をしたときは、その旨および上記の各事項、② 海賊対処行動が終了したときは、その結果について、遅滞なく国会に報告しなければなら ない(7条3項)。国会の事前承認を不要とした理由については、海賊対処行動は警察行動で あるため、海上警備行動と同様の扱いにしたとされる(41)。
海賊対処行動時の自衛隊の権限については、海上保安庁法16条(一般人等への協力要請)、
17条 1
項(立入検査等の権限)および18
条(船舶の進行停止等の強制措置)の規定が、海賊対 処行動を命ぜられた海上自衛隊の3等海曹以上の自衛官の職務の執行について準用される(8条
1
項)。もっとも、海上保安庁法31条に基づき、海上保安官および海上保安官補には認
められている司法警察権(刑事訴訟法に基づく捜査・逮捕等の権限)は、本法においても自衛 官には認められていないため、自衛官が行使できるのは行政警察権(立入検査、停船措置等 の権限)にとどまる。(6) 武器の使用(6条、8条2、3項)
海上保安庁による海賊行為への対処に際しては、海上保安官または海上保安官補は、海 上保安庁法
21条 1
項で準用される警察官職務執行法(以下、「警職法」と言う)7
条の規定に 基づく武器の使用が認められるほか、現に行なわれている海賊行為のうち本法2条 6
号に係 るもの(他の船舶への著しい接近、つきまとい、進路妨害)の制止に当たり、当該海賊行為を 行なっている者が、他の制止の措置に従わず、なお船舶を航行させて当該海賊行為を継続 しようとする場合、「当該船舶の進行を停止させるために他に手段がないと信ずるに足りる 相当な理由のあるとき」には、「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において」武器を使用することが認められる(6条)。
警職法7条の規定による武器の使用は、①犯人の逮捕・逃走防止、②自己等の防護、③公 務執行抵抗抑止のために必要と認める相当な理由がある場合に、「その事態に応じ合理的に 必要と判断される限度において」認められる。ただし、危害射撃が認められるのは、正当防 衛(刑法
36条)
や緊急避難(同37条)に該当する場合か、兇悪犯や逮捕状による逮捕等の対象となっている者が職務執行に抵抗するか逃亡しようとする場合等に限られている。本法 で新たに「停船射撃」を認めた理由は、ソマリア沖海賊の実態を踏まえ、海賊行為のうち で特に他の船舶への著しい接近等の行為については、①その後のより重大な危害の発生を 回避するため、その段階で抑止する必要があり(42)、②かかる接近等の行為が警職法
7
条1号
の「職務の執行に対して抵抗し」という要件を満たすかにつき解釈が分かれるため、自衛 官等の判断に躊躇が生じないように新たな要件を付加する必要があったためだとされる(43)。 自衛隊による海賊対処行動に関しても、同様に、警職法7条の規定と本法6
条の規定が、自衛官の職務の執行について準用される(8条
2
項)。ただ、自衛官による武器の使用に関し ては、海上保安官等による武器の使用の場合と異なり、さらに自衛隊法89条2項の規定が準 用され、正当防衛や緊急避難に該当する場合を除き、当該部隊指揮官の命令によることと されている(8条3項)。(7) 日本法令の域外適用(9条)
本法5条から
8
条までの海賊行為への対処に関する日本国外での日本の公務員の職務の執 行およびこれを妨げる行為については、日本の法令(罰則を含む)が適用される。この規定 が設けられた理由は、外国船のなかに乗り込んで職務を行なおうとする公務員の行為やそ れを妨げる行為については、これまで国内法の規定がなかったためであるとされる(44)。他国 を旗国とする公海上の海賊船舶に対しても、国際法上は、臨検、拿捕、逮捕等の権限を行 使できるとはいえ、かかる船舶内では、国内法上も当然に日本の管轄権が及んでいるわけ ではない。本条は、そうした場合にも職務執行の根拠となる法令(海上保安庁法、自衛隊法、刑事訴訟法等)や職務執行を妨げる行為に係る刑法の罰則規定(公務執行妨害罪等)を適用す ることを明確化したものと考えられる。
(8) その他(10条―
13条)
その他、海賊行為への対処に関する海上保安庁長官および防衛大臣への関係行政機関の 長による協力(10条)、海賊行為による被害の防止のために必要な情報の収集・整理・分 析・提供等に関する国および船舶運航事業者等の責務(11条)、日本が締結した条約その他 の国際約束の誠実な履行、確立された国際法規の遵守(12条)、政令への委任(13条)につ いて定められている。
3
海賊対処法の意義と問題点(1) 普遍的管轄権
海賊行為の処罰に関しては、これまで刑法の規定で対処してきたが、日本の刑事裁判管 轄権の及ぶ範囲については限界があった。すなわち、日本の領海・内水での行為について は属地主義(刑法
1
条1
項)、日本籍船に対する行為については客観的属地主義または旗国主 義(同1条2項)、日本国民による行為については積極的属人主義(同3条)、日本国民に対す る行為については消極的属人主義(同3条の2)の規定に基づき処罰が可能であったものの、公海上での外国人による外国籍船に対する行為を処罰するための国内法上の根拠が欠けて いた(45)。そのため、日本の事業者が運航する外国籍船(便宜置籍船)や日本の貨物を運搬す
る外国籍船を公海上で襲った外国人の海賊を、日本の刑法で処罰することはできなかった。
海賊対処法の制定により、このような場合にも処罰が可能になったのか。
海賊対処法は、2条で海賊行為を定義し、3条および
4
条で刑罰を定めているが、日本の 刑事裁判管轄権の及ぶ範囲についての規定を特に設けていない。この点で、執行措置に係 る日本法令の域外適用を明示的に定めている(9条)のと対照的である。その理由につき政 府は、2条の犯罪の構成要件で、国連海洋法条約に則して、公海上等での海賊行為を処罰の 対象にすることを明確に規定していること(46)、海賊行為に関係する船舶や行為者、被害など に関して国籍を限定していないことを理由に挙げ、海賊対処法は、犯人の国籍と犯行地の いかんを問わず、その実行者の身柄を抑留し逮捕したすべての国が自国の刑法の適用を認 められるという意味での普遍主義を定めたものであると説明している(47)。国際法上、海賊行為に対しては、公海上での外国人による外国籍船に対する行為であっ ても、いずれの国も普遍主義に基づく刑事裁判管轄権の行使を認められるが、かかる行為 を日本の国内法でも罰すべきものとするか否かは、また別の問題である。犯罪の構成要件 で関係船舶や関係者の国籍が限定されておらず、場所として日本の領域のみならず、公海 上の行為をも対象としているということだけからは、そのうちいずれの条件を満たす行為 に日本の刑事裁判管轄権を及ぼす趣旨かは、法文上、必ずしも明確ではない。実際に、国 際法上の犯罪行為を、国外犯を含めて特別刑法で処罰すべきものとする場合、犯罪構成要 件で関係者の国籍や行為地が特定されていないとしても、別途、国外犯の処罰規定を置き、
犯罪類型ごとに管轄権の適用範囲を明示するのが通例である(48)。そのような意味で、本法が 普遍的管轄権の行使を前提としているのであれば、そのことを対外的に明らかにするため にも、立法政策上は、その旨の明示の規定を置くことが望ましかったと言える。
(2) 犯罪人引渡し
海賊対処法が、普遍主義に基づく刑事裁判管轄権を定めたものであるとしても、日本の 海上保安庁や自衛隊が拘束したすべての海賊を、必ず日本で処罰しなければならないわけ ではない。政府によると、日本船舶に乗船した日本人が殺害されたような場合には、原則 として海賊の身柄を日本に護送するが(49)、そうでない場合には、例えば、被害船舶の旗国、
被害者の国籍国、沿岸国の官憲に引き渡すといった方法も考えられるという(50)。それにもか かわらず、海賊対処法のなかには、犯罪人引渡しに関する規定は特に置かれていない。実 際には、どのような手続に従って引渡しが行なわれることになるのか。
この点につき政府は、国際法上、海賊の身柄を他国に引き渡すことは、あらかじめ当該 他国との間で国際約束がなくとも、必要に応じて当該国政府の同意を得れば可能である(51)。 また、国内法上も、刑事訴訟法203条などの規定(司法警察員が「留置の必要がないと思料す るとき」)に基づき当該海賊を釈放したうえで、船員法26条、27条に基づく必要な措置(船 長による船内にある者に対する措置)として沿岸国で下船をさせ、これを当該国に引き渡すと いう手順になるとして、現行法の規定により十分対応可能であるという(52)。
他方で、日本に護送した海賊について、当該海賊の国籍国や被害船の旗国が引渡しを求 めてきたような場合にはどのようになるか。ソマリア沖の海賊に関しては問題となりそう
もないため、この点に関する政府の説明はみられないが、海賊対処法が恒久法であること を考えると、そのような場合もあらかじめ想定しておく必要があろう。実際に、日米犯罪 人引渡条約は、国際法上の海賊を引渡し犯罪の対象に含めており(2条および付表26)(53)、請 求国から引渡しを求められた場合の、引渡しを拒むための国際法上の根拠や、引渡しを行 なう場合の逃亡犯罪人引渡法の適用の可否など、なお検討を要する点も多いと思われる。
(3) 海賊対処行動と武器の使用
自衛隊法
82
条に基づく海上警備行動の地理的範囲は、任務を達成するために必要な限度 で公海にも及ぶとされてきたが(54)、その保護の対象とされる「海上における人命若しくは 財産」とは、基本的には日本国民の生命または財産とされ(55)、これまでは、①日本籍船、②日本人が乗船する外国籍船、③日本の事業者が運航する外国籍船または日本の積み荷を 輸送している外国籍船であって日本国民の安定的な経済活動にとって重要な船舶のみが保 護の対象となり(56)、それ以外の船舶は保護できなかった。また、任務遂行時の武器使用に関 しても、警職法7条の規定が準用されるため、すでにみたような限界があった。これに対し て、海賊対処法の下では、こうした執行措置に係る側面でも、海賊行為の定義(2条)で当 該行為に関係する船舶や行為者、被害などに関して国籍を限定していないため、単に日本 関係船舶のみならず、広く外国籍船を保護の対象にできるようになり、また、海賊行為を する目的で航行中の船舶へ著しく接近する等の行為を制止し、その後のより重大な危害を 未然に防止するための武器使用も明示的に認められるようになった(6条)。
海賊対処法6条に基づく武器の使用と日本国憲法との関係については、相手が国家または 国家に準ずる組織である場合には、憲法9条1項の禁ずる武力の行使に該当するおそれがあ るが(57)、海賊対処法に基づく武器の使用は、私的目的による私人の行為としての海賊行為 に対し警察権を行使するものであるため、憲法9条の問題は生じないとされる(58)。国際法上 も、公海海上警察権の行使に伴う「実力の行使」と、国際関係における「武力の行使」(国 連憲章2条4項)は、異なる範疇に属するものとして区別されており(59)、この点についての政 府の説明は首肯しうるものである。
もっとも、ソマリア沖の海賊に関する限り、これまでの事例から判断して、私的目的に よる私人の行為としての性格づけは容易だとしても、一般的な文脈で、公海上で海賊類似 の行為を行なう船舶に遭遇した自衛艦や海上保安庁の船舶が、国家に準ずる組織によるも のか私人によるものかを即座に判断することは、そう容易なことではないと思われる。ま た、警察活動としての「武器の使用」が、「武力の行使」に当たるものでないとしても、人 命の安全の確保をはじめとするより厳格な国際基準に服することは言をまたない(60)。現状 では、自衛隊の武器使用基準につき、いまだ決定されていないというが(61)、国際条約・判 例などを通じて蓄積されてきた基準を踏まえた、その早急な策定が求められるところであ る。
おわりに
海賊対処法の成立により、ソマリア周辺海域で活動中の自衛隊は、これまでの自衛隊法
に基づく海上警備行動から、法的根拠を切り替えて、海賊対処法に基づく海賊対処行動を 行なうことになる。ソマリア周辺海域での海賊被害の現状や、海上保安庁の現在の能力を 考えると、同法は、これまでの国内法の不備を補完し、自衛隊による海賊対処行動により 確実な法的基礎を提供するものとなるであろう。
もっとも、海賊対処法は、ソマリアの文脈を離れた海賊対処に関する一般法・恒久法と して制定されたものである。海賊対処に第一義的な責任を負うとされる海上保安庁の活動 区域は公海にも及ぶとはいえ、その英語名であるJapan Coast Guardにも表われているように、
現状では、日本周辺海域での活動が中心となっている。他方で、自衛隊による海賊対処行 動は、「現に行われている海賊行為に対処するため急を要する場合」に、内閣総理大臣の承 認を得るための手続が簡素化されている(7条2項)とはいえ、海上保安庁のみでは海賊行 為に対処することが不可能または著しく困難な「特別な必要がある場合」に限られている。
その意味で、今回のソマリア沖での活動のような特定海域での一定期間内での活動を想定 したもので、公海上での日常的な海賊対処を想定したものとは考えがたい。
日本にとって、海洋基本計画に定められたように、「石油等の主要な輸送海域における海 上交通の安全を確保」し、同時に「海賊行為の防止という国際社会の要請に応える」こと が重要であるとするならば、主要な輸送海域周辺国の海上保安機関への能力向上支援や、
日本で海賊対処に第一義的責任を有するとされる海上保安庁の規模・装備面での能力拡充 等の問題も含め、今後とも、両機関の有する本来の特性にも配慮した総合的な将来設計が 求められていると言えよう。
(1) 平成21年6月24日法律第55号。平成21年7月24日施行予定(http://www.cas.go.jp/jp/houan/pirate/
PPML_houan.riyu.pdf)。
(2) 山本草二『海洋法』、三省堂、1992年、228―229ページ。
(3) 明治31年5月27日海軍省達第85号。昭和22年5月3日自然消滅(http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/
1999/00557/contents/125.htm)。
(4) 榎本重治編『軍艦外務令解説』、海軍省大臣官房、1938年。
(5) 同前、393―394ページ。
(6) 同前、401ページ。
(7) 同前、402ページ。
(8) 田中利幸「国際法益と国内刑事管轄」、広部和也・田中忠編『国際法と国内法―国際公益の展 開(山本草二先生還暦記念)』、勁草書房、1991年、433―434ページ。
(9) 海上保安庁の成立の経緯とその特徴について、詳しくは、村上暦造・森征人「海上保安庁法の成 立と外国法制の継受―コーストガード論」、山本草二ほか編『海上保安法制―海洋法と国内法 の交錯』、三省堂、2009年、26―45ページを参照。
(10) 金子一義国土交通大臣答弁『171回国会衆議院海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及 び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会〔以下、「海賊対処特別委員会」と略称〕議録』6 号(平成21年4月22日)、2ページ。
(11) 日本船主協会のホームページ(http://www.jsanet.or.jp/pirate/index.html)に紹介されている国際商業 会議所国際海事局の統計を参照。
(12) 外務省「アジア地域における海賊問題の現状と我が国の取組」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/
pirate/asia.html)。なお、シンガポール・マラッカ海峡の海賊問題への取組について、詳しくは、本 号所収の西村論文を参照。
(13) 平成19年4月27日法律第33号(http://law.e-gov.go.jp/announce/H19HO033.html)。なお、海洋基本法 制定の経緯やその全体像について、詳しくは、奥脇直也「国際法から見た国内法整備の課題」、山 本ほか編、前掲書(注9)、420―464ページを参照。
(14) 166回国会衆議院国土交通委員会決議(平成19年4月3日、http://www.shugiin.go.jp/itdb_rchome.nsf/
html/rchome/Ketsugi/kokudo28B19C3E41BCBA56492572B3003118CD.htm?OpenDocument)、同参議院国 土交通委員会附帯決議(平成19年4月19日、http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/old_gaiyo/166/
1664110.htm)。
(15) 平成20年3月18日閣議決定(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kaiyou/kihonkeikaku/080318kihonkeikaku.
pdf)。
(16) 外務省「アフリカ地域における海賊問題の現状と我が国の取組」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/
gaiko/pirate/africa.html)。なお、詳しくは、本号所収の西村論文を参照。
(17) ソマリア海賊・海上武装強盗関係の安保理決議の詳細については、本号所収の岡野論文および森 川幸一「海上暴力行為」、山本ほか編、前掲書(注9)、309―312ページを参照。
(18) http://www.jsanet.or.jp/pressrelease/index.html
(19) http://www.jimin.jp/jimin/daily/09_01/27/210127g.shtml
(20) 麻生内閣総理大臣談話(「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律案」および海上に おける警備行動に係る内閣総理大臣の承認の閣議決定について、http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/
2009/03/13danwa.html)。
(21) 政府の説明によると、海上警備行動の発令は、「ソマリア沖において海賊事案が多発、急増して おり、日本国民の人命、財産を緊急に保護する必要があることから、新法の整備の応急措置とし て海上警備行動を発令したものであって、……国連安保理決議の要請に応じて派遣したものでは ない」という。浜田防衛大臣答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』3号(平成21年4 月15日)、27ページ。
(22)「海賊対処に関する民主党の考え方」(談話、http://www.dpj.or.jp/news/?num=15809)。
(23) 大庭靖雄内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』
3号(平成21年4月15日)、2ページ。
(24) 政府も、「海賊対処法というのは、国連海洋法条約に基づいて構文されておりますので、国連安 保理決議との直接の関係はありません」として、対処法と安保理決議との関連性を否定している。
金子国土交通大臣答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』4号(平成21年4月17日)、3 ページ。
(25) 政府も、国連海洋法条約の趣旨に加えて、海洋基本法や海洋基本計画の存在を海賊対処法の必要 性の理由として挙げている。金子国土交通大臣答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』
3号(平成21年4月15日)、13ページ。
(26) 岡田直樹国土交通大臣政務官答弁『171回国会参議院外交防衛委員会会議録』16号(平成21年6 月4日)、22ページ。
(27) 大庭内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』6号
(平成21年4月22日)、10ページ。
(28) 鶴岡公二外務省国際法局長答弁『171回国会参議院外交防衛委員会会議録』15号(平成21年6月
2日)4ページ。
(29) 大庭内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』4号
(平成21年4月17日)、12ページ。
(30) 浜田防衛大臣答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』3号(平成21年4月15日)、23ペ
ージ。
(31) 国際法上の海賊行為の要件としての「私的目的」については、山本、前掲書(注2)、230ページ、
特にソマリア沖の海賊との関係でこの点を考察したものとしては、森田章夫「海賊行為と反乱団 体」、海上保安協会『平成20年度海洋権益の確保に係る国際紛争事例研究』第1号(2009年3月)、 44―58ページを参照。
(32) 大庭内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』4号
(平成21年4月17日)、28ページ。
(33) 同上、7ページ。なお、海賊行為とテロリズム行為との関係について、詳しくは、本号所収の奥 脇論文を参照。
(34) 中曽根弘文外務大臣答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』6号(平成21年4月22日)、
21ページ。
(35) 金子国土交通大臣答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』3号(平成21年4月15日)、 19ページ。なお、2008年8月18日、警視庁公安部は、シー・シェパードのメンバーであるアメリ カ人2名とイギリス人1名につき逮捕状を請求した。公海上で日本の目視専門船「海幸丸」にゴム ボートからロープを投下し、スクリューに絡ませて航行を妨害した行為が、刑法の威力業務妨害 罪に当たるというもの。管轄権の根拠は、SUA条約上の対象犯罪(「船舶を破壊し、または船舶・
その積み荷に対して、当該船舶の安全な航行を損なうおそれがある損害を与える行為」(3条1項(c)) に該当することを理由に、刑法4条の2の条約による国外犯の規定に求めている。
(36) 岡田国土交通政務官答弁『171回国会参議院外交防衛委員会会議録』16号(平成21年6月4日)、
23ページ。
(37) 海上保安庁法に基づく海上執行措置について、詳しくは、斎藤誠「海上執行措置の組織法と作用 法」、山本ほか編、前掲書(注9)、46―71ページを参照。
(38) 宮 礼壹内閣法制局長官答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』6号(平成21年4月 22日)、6ページ。
(39) 金子国土交通大臣答弁『171回国会衆議院会議録』23号(平成21年4月14日)、5ページ。
(40) 金子国土交通大臣答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』4号(平成21年4月17日)、
3、5ページ。
(41) 麻生総理大臣答弁『171回国会衆議院会議録』23号(平成21年4月14日)、7ページ。
(42) 大庭内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』3号
(平成21年4月15日)、16ページ。
(43) 横畠裕介内閣法制局第2部長答弁『171回国会参議院外交防衛委員会会議録』16号(平成21年6 月4日)、30ページ。
(44) 大庭内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』3号
(平成21年4月15日)、16ページ。
(45) なお、刑法4条の2は、条約で罰すべきものとされている国外犯に刑法を適用する旨定めている が、国連海洋法条約は各国に海賊行為の処罰義務を課すものではなく、単に権限を付与するもの であるため、同条は適用できなかった。これらの点につき、詳しくは、鶴田順「海賊行為への対 処」『法学教室』第345号(2009年6月)、2―3ページを参照。
(46) 大庭内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁『171回国会参議院外交防衛委員会会議録』15号
(平成21年6月2日)、4ページ。
(47) 大庭内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』6号
(平成21年4月22日)、10ページ。
(48) 例えば、「航空機の強取等の処罰に関する法律」5条、「化学兵器の禁止及び特定物質の規制等に 関する法律」42条、「放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法
律」8条など、その例は枚挙にいとまがない。
(49) ソマリア沖で拘束した海賊の身柄を日本に護送する場合には、第三国を経由して航空機によって 行なうことが想定されており、ジブチとの間では、自衛隊等の地位に関する交換公文(2009年4月 3日交換)によって、護送のための領域通過権が認められているという。別所浩郎外務省総合外交 政策局長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』3号(平成21年4月15日)、16ページ。
なお、護送に係る刑事手続上の論点については、田中利幸「公海における執行に係るわが国刑事 訴訟法の課題―海賊への対処策とともに」、海上保安協会、前掲書(注31)、87―98ページを参照。
(50) 金子国土交通大臣答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』3号(平成21年4月15日)、 8ページ。
(51) 中曽根外務大臣答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』6号(平成21年4月22日)、31 ページ。
(52) 大庭内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』4号
(平成21年4月17日)、16ページ。
(53) 山本草二「海上執行をめぐる国際法と国内法の相互関係」、山本ほか編、前掲書(注9)、11―16 ページを参照。
(54) 浜田防衛大臣答弁『170回国会衆議院テロ・イラク特別委員会議録』3号(平成20年10月17日)、
31ページ。
(55) 丸山昂防衛庁防衛局長答弁『75回国会衆議院決算委員会議録』15号(昭和50年6月24日)、18ペ ージ。
(56) 徳地秀士防衛省運用企画局長答弁『171回国会衆議院安全保障委員会議録』3号(平成21年3月 17日)、3ページ。
(57) 宮 内閣法制局長官答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』7号(平成21年4月23日)、 9ページ。
(58) 横畠内閣法制局第2部長答弁『171回国会衆議院海賊対処特別委員会議録』3号(平成21年4月15 日)、29ページ。
(59) この点について、詳しくは、森川幸一「国際平和協力外交の一断面―『海上阻止活動』への参 加・協力をめぐる法的諸問題」、櫻川明巧ほか『日本外交と国際関係』、内外出版、2009年、271―
275ページを参照。
(60) 同上、275―276ページ。
(61) 浜田防衛大臣答弁『171回国会参議院外交防衛委員会会議録』15号(平成21年6月2日)、14ペー ジ。
もりかわ・こういち 専修大学教授