アジアの新たなフロンティア
2011年8月20日、大メコン圏(GMS)の調査を続けている私たちのチームはヤン ゴンに入った。ちょうどその前日、テイン・セイン=ミャンマー大統領とアウン・
サン・スー・チーが首都ネピドーで会談を行ない、21日の現地新聞にはアウン・サ ン将軍の肖像画を背にしたアウン・サン・スー・チーの写真が大きく載った。新政 権による「改革」の幕開けを象徴する、まさに歴史的な時期のミャンマー入りであ った(ミャンマーの最良の現状分析は、工藤編2012)。
まず驚いたのはヤンゴン市内の交通渋滞である。とくにネピドーからヤンゴン市 内への帰路、市の境界を示す石碑から29キロ離れたセドナホテルまで、たっぷり1 時間以上もかかった。もうひとつ驚いたのは、訪れた日系縫製工場の水準の高さだ。
従業員1000名を超えるこの工場は、イトーヨーカドーが独自ブランドで販売するメ ンズシャツの6割を縫製している。私はこれまで東南アジア諸国の縫製工場を数多 く見学したことがある。そのなかでも5本の指に入る優れた工場であった。日本人 工場長の10年以上にわたる指導があったとはいえ、ミャンマーの人々の潜在能力の 高さが強く印象に残った。
いま、インドシナ大陸に位置するカンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム
(CLMV)は最も活気にみちた国々である。そのことは、各国の首都やホーチミンシ ティーにおける車・自動二輪車の急増と都市景観の急速な変貌から実感できる。明 らかにこれらの国々は、経済的な「離陸」(テイクオフ)の時期に入っている。タイ
は1988年から、ベトナムは2000年代半ばから経済ブーム、消費ブームを経験し、経
済的な飛躍を遂げた(末廣2009)。残るCLMも両国に続いて今後大きく変貌する可能 性は高い。
CLMVはひとつの経済圏か?
CLMVはメコン川流域に位置することで地理的空間を共有している。戦争や内乱
Suehiro Akira
ヵ国に対して「後発組」4ヵ国に所属していること、ラオスを除けばコメの一大生産 地であること、希少鉱物資源や薬草・薬樹を豊富に保有することなどで共通してい る。
第1表はCLMV、CLMVとともにGMSを構成するタイと中国、そして日本の主要 指標を比較したものである。CLMVの合計人口は日本の1.3倍、総面積は4倍弱であ る。1人当たり国内総生産(GDP)の水準も800ドルから1100ドルの間にあり、世界 銀行が定義する低所得国か低位中所得国(936ドル以上、2009年基準)の初期段階に 属する。ベトナムなどはタイや中国と同様に、高位中所得国(3706ドル以上)、いわ ゆる「中進国」の仲間入りを果たす可能性を秘めている。それだけにCLMVがひと つの経済圏に発展すれば、新しい消費市場としての魅力が高まるだろう。
ただし違いもある。人口規模はラオスの644万人に対し、ベトナムはその14倍の 9000万人弱である。経済の開放度を示す「貿易/名目GDP」の比率は、輸出志向工 業化を進めるベトナム(147%)と経済改革を開始したばかりのミャンマー(35%)の 間では、大きな開きがある。それに人口構成も大きく異なる。国際連合は65歳以上 の高齢人口が全人口の7%を超えたとき、その国を「高齢化社会」(Ageing Society)と 規定している。タイ、中国は2001年に、ベトナムも2007年に、それぞれ高齢化社会 に突入したのに対し、ミャンマーは2018年、ラオスに至っては2030年と、高齢化社 会を迎えるのはまだ先の話だ。
それでは、このように共通性と相違性を併せもつCLMVをどのような視点で捉え たらよいのか。以下では、GMSに代表される域内協力の試み、進出が目立つ中国と の関係、日メコン産業政府対話に示される日本の新たな関与の3つの側面から検討 してみたい。
第 1 表 CLMV、タイ、中国および日本の主要指標(2010年)
1,429 18 11.6 814 90.5 2027
644 24 6.5 984 89.2 2030
6,119 68 45.4 832 35.0 2018
8,826 33 104.0 1,168 147.1 2007
17,018 143 167.5 1,010 110.6 ―
6,388 51 319 4,992 118.8 2001
133,972 9,600 5,878 4,382 50.6 2001
157,378 9,794 6,365 4,042 55.6 ―
59,955 448 1,865 3,111 107.6 ―
12,759 36 5,459 42,783 26.9 1970
1.33 3.94 0.03 0.02 ― ―
カンボジア ラ オ ス ミャンマー ベトナム
CLMV合計(平均)
タ イ 中 国 GMS6ヵ国 ASEAN10ヵ国 日 本 CLMV/日本
国土面積
(万平方キロ)
人口
国・地域別 (万人) 1人当たりGDP
(ドル)
名目GDP
(10億ドル)
高齢化社会
(年次)
貿易/GDP
(%)
(注) 貿易(輸出+輸入)/名目GDPは経済の開放度を示す。高齢化社会は65歳以上の高齢人口が全人口の7%を超える社会。
国際連合の「2010年中位推計」に基づく。
(出所) 日本アセアンセンター、日本貿易振興機構(ジェトロ)のウェブサイトより作成。
GMSはだれのものか?
第1の側面は、1992年からアジア開発銀行(ADB)の主導で始まったGMSである。
これは戦争から和平に向かったインドシナ3ヵ国を中心に、メコン川流域に位置す る国が相互に協力して、経済社会開発と環境の保全を共に進めていこうとするユニ ークな地域経済協力プロジェクトである。構成メンバーはCLMVにタイと中国を加 えた6ヵ国。ただし発足当初、中国は雲南省地方政府のみが参加した。その後、2002 年11月の第1回GMSサミット(プノンペン。開催は3年に1回、加盟国の持ち回り方式)
で北京政府の公式参加が、2005年7月の第2回GMSサミット(昆明)で広西チワン族 自治区の同席が決まった。
GMSのなかには、1995年4月の交通、電力、観光の3つを皮切りに、以後、環境、
通信、投資円滑化、貿易促進、農業開発など計11のフォーラム(作業グループ)が設 置され、分野ごとに活動している(石田・工藤編2007)。なかでも交通と電力の比重 が圧倒的に高い。実際、第1期(1994―2007年)の34プロジェクト、計98.7億ドルの うち交通(72%)と電力(18%)の2つだけで90%を占める。また、第2期(2008― 2012年)の場合も、110プロジェクト、154.5億ドルのうち交通(73%)と電力(21%)
の2つで94%を占めていた。交通のうち最も重要なのは、GMS加盟国の主要都市や 港を縦横に結ぶ「経済回廊」(economic corridors)である。現在までに南北経済回廊、
東西経済回廊、南の経済回廊など本線、支線合せて12ルートの建設が、ASEANや日 本の支援も受けて進行している。
経済規模に関係なく加盟国が対等に参加し、互恵的関係を結ぶGMSであるが、問 題もいくつか浮上している。まず、経済回廊による道路の整備が、必ずしも道路沿 線の地域に繁栄をもたらすとは限らない点だ。ベトナムのダナン市の南ティエンサ 港からミャンマーのモーラミャインを結ぶ東西回廊の真ん中に位置するラオスは、
道路を走るコンテナ車に搭載する商品がないため、単なる通過点の役割しか果たし ていない。もちろん、工藤年博が指摘するように、経済回廊はこれまで各国におい て開発の枠外に置かれてきた地域に、「国境経済圏」という新しい発展戦略をもたら す可能性をもつ(石田編2010)。しかし、道路の保全もままならないラオスが、経済 回廊を使って国際競争力のある工業品を製造し輸出するのは容易ではない。
もうひとつは、GMSプロジェクトに対する資金的コミットの違いである。私たち の調査によると、第1期の98.7億ドルのうち最大の出資者はADBの35%で、これに 次ぐのが中国の27%であった。ところが、第2期の154.5億ドルの場合、中国が32%
と1位に躍進し、ADBの22%を大きく上回った。ベトナムは4%、カンボジア、ラオ スは1%にも満たない(末廣ほか2009、36ページ)。経済力の差と言えばそれまでだが、
部と内陸部の経済格差是正に利用している点に注目すべきであろう。
南進する中国とCLMV
中国はGMS開発協力で主導権を握るだけではなく、CLMVとの貿易、投資、経済 協力の面でも、近年急速にプレゼンスを高めている。2005年と2010年の2つを基準 年にとって、各国の輸出と輸入に占める中国(香港を含む)の比率をみてみよう。
カンボジアでは中国の比率は輸出で2005年19%から2010年25%へ、輸入も14%か ら36%に上昇した。以下、ラオスでは輸出が3%から23%、輸入が9%から16%、ミ ャンマーでは輸出が12%から13%、輸入が28%から39%、ベトナムでは輸出が10%
から11%、輸入が15%から24%へと、中国の比率は軒並み上昇した。ラオス、ミャ ンマーの最大の貿易相手国は依然タイであり、カンボジアとベトナムの最大の輸出 先はアメリカではあるものの、中国はCLMVにとってもはやなくてはならない貿易 パートナーなのである。
一方、2003年までの直接投資の累計額と2004年から2010年まで(ミャンマーは
2011年まで)の累計額にそれぞれ占める中国の金額と比率を計算すると、カンボジア
は7.1億ドル(13%)から74.4億ドル(27%)へ、ラオスは2.7億ドル(5%)から32.6 億ドル(27%)、ミャンマーは2.4億ドル(3%)からじつに200億ドル(61%)へ急上 昇し、ベトナムのみが10%から5%へ低下した。
しかも、こうした数字は公表されたもののみで、中国の経済協力と共に進んでい るダムや工場の建設請負、労務提供、コンサルティング業務(いわゆる経済合作)が 生み出す巨額の利益・賃金の本国送金や、CLMVの外国企業を中国企業が買収した 際の投資金額は含んでいない。例えば、2009年に中国企業はラオス最大の金・銅鉱 山セポンを買収したが、その巨額の投資はラオスではなく、買収先であるオースト ラリア企業の本国の統計に計上されている(末廣ほか2011)。
中国がCLMV進出を加速させている最大の理由は、本国の経済成長の維持に不可 欠のエネルギー源の確保や、輸出が急増する情報技術(IT)関連製品の原材料とし て使用するレアアースや希少鉱物資源の獲得にあった。ミャンマー、タイの天然ガ ス、ミャンマーのタングステン・ニッケル、ラオスの金・銅、ベトナムの石炭・ボ ーキサイトなどがそうである。さらにCLMVの水力発電開発には、中国の五大国有 電力企業集団のすべてが参加していた。CLMVや東南アジア諸国に向かう中国の
「対外攻勢」の凄まじさは、末廣ほか(2011)や白石・ハウ(2012)などが詳しく紹 介しているので、ぜひそちらを参照していただきたい。
メコン地域への日本の新たな関与
2000年代に入ってから活発化した中国の対外戦略に対して、日本は従来の二国間
協力の強化や、「ASEAN統合イニシアチブ(IAI)基金」を使ったCLMV支援だけで はなく、CLMVとタイに対象を絞った新たな協力に乗り出した。2009年7月から始 まった日メコン産業政府対話がそれだ。東西経済回廊などのインフラ整備と各国の 産業界のニーズを結びつける「日メコン経済産業協力イニシアチブ」(MJ-CI)がそ の中心を成す(助川2011)。
歴史をひもとくと、日本はこれまで都合3回、メコン地域に積極的に関与してき た。1番目は1960年代前半のメコン委員会によるメコン川下流流域総合開発への技 術協力である。これはベトナム戦争の激化でのち棚上げとなった。2番目は1990年6 月のカンボジア和平会議(東京)の開催から1995年2月の「インドシナ総合開発フォ ーラム」第1回閣僚会議(東京)に至る期間の、インドシナ諸国の戦災からの復興・
開発への経済協力である。このフォーラムも結局は竜頭蛇尾の結果に終わった(山
影編2003)。その後はインパクトのある構想はなく、ASEANを通じて「先発組」と
「後発組」の経済格差の是正に貢献することを目指してきた。
今回のMJ-CIは、日本の経済産業省とASEANが長きにわたって構築してきた産業 経済協力スキーム(AMEICC)をCLMVとタイに適用し、さらに対象地域の民間企業 代表や産業団体(商業会議所など)の意見を取り込んで、各国の政策に反映させよう というものである。もちろん、日本側にも業績不振にあえぐ建設業界の活路を、メ コン川流域のインフラ建設に求めようという差し迫った理由があった(二階俊博経済 産業大臣の「アジア産業大動脈構想」など)。道路、鉄道、港湾、エコ型都市開発とい ったハードインフラの建設だけでなく、物流システムのIT化などソフトインフラの 開発も含み、これに円借款と民間資金を投入するというのが日本側の構想である。
カバーしている事業計画の内容はまさにGMS開発と重なっており、ADBから中国に 主導権が移りつつあるメコン川流域開発をもう一度日本側に引き寄せようという意 図が窺える構想であった。
CLMVが直面する2つの課題
GMSは国際機関のお膳立てを前提とする国家間の協力であり、日本のMJ-CIは民 間企業や産業団体のニーズを前面に出した経済目的の協力である。しかし、メコン 川流域の主役は国や企業ではなく、何と言ってもそこに住む人々であろう。彼らは いま、経済開発がもたらす果実に目を向け、よりよい生活を求めて膨大なエネルギ ーを発揮している。「成長信仰」は、過去の開発主義的政策からの脱却を図ろうとす るASEAN先発組にとってはすでに批判の対象となっているが、CLMVにとっては国 民全体が今まさに共有するイデオロギーなのである。
その一方、メコン川流域の開発は森林資源や水資源の適切な管理を要請する。自
の住民自身が求める方向性でもある。2011年9月、ミャンマーのテイン・セイン大 統領は、中国電力投資集団公司が36億ドルを投じて建設しているミッソン・ダム
(カチン州)の凍結を決定した。これは国際世論への配慮、過度の中国依存体制の是 正とともに、ミャンマーの人々にとって心の拠り所でもあるイラワディ川源流の自 然を守るという、住民の強い意思に応える必要があったからである(工藤編2012、
324ページ)。
人々が渇望する自国の経済成長と地域を超えた環境保全をどう調和させていくの か。これは発展途上国だけでなく、世界各国が直面する共通の課題である。この難 しい課題に真摯に取り組むことが、CLMVだけではなく、CLMVに協力する日本に も問われていると私は考える。
■参考文献
石田正美編(2010)『メコン地域―国境経済をみる』、日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所。
石田正美・工藤年博編(2007)『大メコン圏経済協力―実現する3つの経済回廊』、日本貿易 振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所。
工藤年博編(2012)『ミャンマー政治の実像―軍政23年の功罪と新政権のゆくえ』、日本貿易 振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所。
白石隆、ハウ・カロライン(2012)『中国は東アジアをどう変えるか―21世紀の新地域シス テム』、中公新書。
末廣昭(2009)『タイ―中進国の模索』、岩波新書。
末廣昭ほか(2009)『大メコン圏(GMS)を中国から捉えなおす』、東京大学社会科学研究所現 代中国研究拠点研究シリーズNo. 3(同研究所のウェブで公開)。
末廣昭ほか(2011)『中国の対外膨張と大メコン圏(GMS)・CLMV』、東京大学社会科学研究 所現代中国研究拠点研究シリーズNo. 7(同上)。
助川成也(2011)「日メコン協力―MJ-CI行動計画における産業界からの提言」(末廣ほか
〔2011〕、所収)。
日本貿易振興機構(2012)「特集 新興メコンの実力―本格始動するアジアのニューフロン ティア」『ジェトロセンサー』同年3月。
山影進編(2003)『東アジア地域主義と日本外交』、日本国際問題研究所。
すえひろ・あきら 東京大学教授 http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp [email protected]