はじめに
〔世界貿易機関(WTO)の〕多角的貿易交渉(ドーハ開発アジェンダ〔DDA〕)が停滞するな か、地域貿易協定(RTA)が広がりをみせている。現在、約
546
件のRTAが、関税および貿 易に関する一般協定(GATT)/WTO
に通報されている。RTAが対象とする貿易は世界貿易 の約50%を占める。交渉参加国は共通の利益と意欲に基づいて選定されることから、RTA での協議はWTOの交渉に比べて容易である。RTAは、自由化、円滑化、協力のほか政治的 関係など幅広い分野を対象とすることができる。実際にRTAは、多国間協定に代わるもの ではなく、本質的にはそれを補うものと考えられる。アジアの経済統合はかつては市場志向であった。21世紀に入り自由貿易協定(FTA)の交 渉がきわめて活発になっている。アジアでのFTAは飛躍的に増加しており、109件のFTAが 発効、75件が交渉中、および
50件が提案されている。東アジアにおいては、2013
年3
月現 在で発効しているFTAが67件、交渉中が63件、および提案が41件である
(1)。FTA
の利益は、伝統的な便益か非伝統的な便益かのどちらかを通じて実現が可能となる。伝統的な便益とは、貿易創出と貿易転換、交易条件の改善、規模に関する収穫の増加、競 争力の向上による資源配分の効率化から生じる資産効果、および、経済成長を促す地域内 外における投資の活性化から構成される。非伝統的な便益は、地域主義の視点からみれば、
より説得力のあるものである。すなわち、地域協力を通じて広範な貿易紛争の損失を避け るという保険の確保、より安全な国際環境の醸成、外国との協議における交渉力の強化、
および国内改革の促進である。
2001年の WTO加盟後、中国は FTA
の協議に取り組み始めた。FTA戦略は多くの点で、中 国の利益に適うものである。すなわち、市場アクセス(貿易、サービス、および投資)、国内 の改革開放の促進のほか、相手国との関係改善である(2)。現在、中国は31の国・地域を包含
する14件のFTA
を抱えている。そのうち8
件の協定はすでに調印済みであり、具体的には 中国・ 東南アジア諸国連合(ASEAN)FTA
(CAFTA)、中国・パキスタンFTA
(CPFTA)、中 国・チリFTA、中国・ニュージーランドFTA
(NCFTA)、中国・シンガポールFTA、中国・ペルー
FTA、中国・コスタリカ FTA、およびアジア太平洋貿易協定
(2001年に調印し、「バン コク協定」として知られている)である(3)。CAFTA
は中国による〔FTAへの〕最初の取り組みであり、中国が提案してASEAN
がグループとして
2000年に支持したものである。枠組み協定が 2002年、物品貿易協定が 2004
年、サービス貿易協定が2007年、および投資協定が2009年(2010年から完全実施)に調印された。
最近ではさらに5件の
FTAが交渉中であり、これには中国・湾岸協力会議
(GCC)FTA、中
国・オーストラリアFTA、中国・アイスランドFTA、中国・ノルウェー FTA、および中国・
南アフリカ関税同盟(SACU)
FTAが含まれる。加えて中国・インド地域貿易協定、中国・
韓国FTA(CKFTA)、中国・日本・韓国FTA(CJKFTA)、および中国・スイスFTAなど4件の
FTAが検討中である。
貿易相手国とFTAを交渉する際、中国は最初に物品、次いでサービスと投資という段階 的なアプローチをとってきた。CAFTA、CPFTA、および中国・チリ
FTA
がこの段階的なア プローチによってまとめられた。CAFTAもCPFTA
も早期収穫措置から始まって、その後に 物品、サービス、および投資に関するさらなる交渉が続いた(4)。これとは対照的に、中国・ニュージーランド、中国・シンガポール、および中国・ペルーの各FTAでは、調印に当た って包括的かつ一括受託方式がとられている(5)。
概して、中国と発展途上国とのFTAは、市場アクセスと経済協力に重点をおく傾向があ り、ニュージーランドやシンガポールなど先進国とのFTAは、知的財産権、透明化措置、
品質保証基準、および競争政策など、より政策的で制度的な争点を包含している(6)。
1
新戦略としての東アジア地域包括的経済連携(RCEP)東アジアはFTAを絶えず追求してきたことにより、重複する二国間や多国間の貿易協定 が複雑に絡み合う―しばしば「スパゲッティボウル」現象(あるいは「アジアヌードルボウ ル」)と称される―という特徴を有している。ヌードルボウル現象とは通常、多国間の重 複するFTAが原因となって、同一商品が異なる関税や関税引き下げ措置、および特恵関税 を受けるための原産地規則(ROO)を課せられることを意味する。FTAの数が増加するに伴 い、貿易市場は大きな混乱に巻き込まれ、煩雑な事務処理や越境手続きから、取引コスト も相応に増加する恐れがある(7)。
アジア開発銀行(ADB)の報告書が指摘しているように、協定間の不一致は事業展開コス
第 1 表 東アジアにおけるFTAのROOの概略 AFTA
関税番号変更基準(CTC)
付加価値基準(RVC)比率 加工工程基準(SP)
累積基準
デミニマス(僅少)基準
(注) AFTA=ASEAN自由貿易協定、ACFTA=ASEAN・中国自由貿易協定、AJCEP=ASEAN・日本包括的経済連携、
AKCEC=ASEAN・韓国包括的経済協力、JSEPA=日本・シンガポール経済連携協定。
(出所) 各FTAの規定から要約。
あり、
しかし 必要はなし
ACFTA あり、
しかし 必要はなし
AJCEP
あり
AKCEC
あり
JSEPA
あり
NCFTA
あり
40% 40% 40% 60―40% 60―40% 50―30%
第50―63条 第50―63条 第50―63条 規定なし 第28―40、
50―63条
第28―40、
50―63条
あり あり あり あり あり あり
規定なし 規定なし 7―10% 10% 8―10% 規定なし
トの上昇や貿易転換による厚生上の損失を招く可能性がある(8)。実際に、第
2
表に示したと おり、東アジア諸国の国境措置はそれぞれ大きく異なっている。域内のビジネス環境が未 整備なため、他の地域に比べて、ヌードルボウル現象の影響には特に注視していく必要が ある。ヌードルボウル現象のゆえ、すべての国・地域において東アジアのFTAの利用率は低い。
異なる段階的関税引き下げスケジュール、除外品目リスト、矛盾する基準、各
FTA
でのROO、そして特に原産地証明
(CO)など煩雑な事務手続きと文書のために、企業の多くがFTAの特恵関税を活用しないこともある。たとえば中国、日本、韓国、フィリピン、シンガ
ポール、およびタイに拠点を置く製造企業841
社から得た、FTAに対する見解とその利用経 験に関するADBの追跡調査によれば、調査対象企業のうちFTAの特恵関税を利用したこと のある企業の平均割合は約28%である(9)。2008年後半には、FTAが輸出事業に及ぼす実際の 効果と認知されている効果を調査する目的で、15の省と主要都市から中国企業のうち調査対象企業
232社が無作為に抽出されて調査が実施された。FTA
を利用した企業によれば、CAFTA
の利用率が29.6%と最も高く、中国・チリFTAが14.6%、CPFTAが 9.7%、NCFTA
は6.6%にすぎなかった
(10)。東アジアでのFTAの重複が生み出す問題が認識されるにしたがって、統合された地域FTAへ 向かう必要性が強調されてきた。こうした方向への事前の政治的合意は2004年のASEAN+
第 2 表 東アジアにおけるビジネス環境の現状 輸出に要する書類
(数)
輸入に要する書類
(数)
輸出所用時間
(日)
輸入所用時間
(日)
オーストラリア 6 7 9 8
ブルネイ 6 6 19 15
カンボジア 9 10 22 26
中 国 8 5 21 24
イ ン ド 9 11 16 20
インドネシア 4 7 17 23
日 本 3 5 10 11
韓 国 3 3 7 7
ラ オ ス 10 10 26 26
マレーシア 5 6 11 8
ミャンマー
ニュージーランド 5 6 10 9
フィリピン 7 8 15 14
シンガポール 4 4 5 4
タ イ 5 5 14 13
ベトナム 6 8 21 21
(注) 政府省庁、関税当局、港湾コンテナターミナル当局、検疫・技術管理当局、および金融機関が求める、通 関に必要な書類を考慮。所要時間はすべての書類の入手、内陸輸送と取り扱い、通関手続きと税関検査、港 湾ターミナルでの取り扱いに要する時間を含み、海上輸送時間は含まない。
(出所) World Bank, Doing Business 2013(世界銀行報告書『ビジネス環境の現状 2013年版』)。
― ― ― ―
3
(ASEAN+中国、日本、および韓国)の経済閣僚会議で成立し、このときは東アジア自由貿 易協定(EAFTA)に関するフィージビリティー・スタディー(事業化採算性分析)が必要で あると認識された。2005年には中国が主導するかたちで、ASEAN+3
の13ヵ国からの有識 者で構成する共同専門家グループが設置された。当グループは2006年 9
月のASEAN+3経
済閣僚会議に報告書を提出し、そのなかでEAFTA
の理論的根拠は、東アジア諸国の利益と 合致すると主張した。EAFTAの経済的便益は、ASEAN自由貿易協定(AFTA)や、いかなるASEAN+1 FTA、あるいは他の二国間、準地域的な協定をも上回ると見込まれている
(11)。当 報告書はEAFTA
は包括的で、高い基準をもち、一括受諾として交渉、実施される必要があ ると提言した。また、EAFTAは、東アジアにおける既存のFTA
を超えて、まずASEAN
+3 諸国間で構成し、次いで地域内の他の諸国に拡大するべきであると提言している(12)。当グル ープは東アジアの首脳に対して、EAFTAの締結に向けた作業を早急に始めるよう強く促し た。残念ながら、最初の報告書の提言はすぐには受け入れられなかった。EAFTAの第2
フェ ーズの研究レポートは、EAFTAは段階的かつ現実的な戦略に従って、既存のFTAを地域全 体をカバーするFTAへ集約し、その第一段階として統一されたROO
体制を築くよう提言し た。すべての参加国がEAFTAの便益を十分に享受できるよう、貿易と投資の具体的な円滑 化措置に重点がおかれた(13)。日本は、2006年に東アジアサミット(EAS)の枠組みに基づく、東アジア包括的経済連携
(CEPEA)という別のアプローチを提案した。CEPEAに関するフィージビリティー・スタデ ィーの報告書は
2008年7
月に完成し、EAS閣僚会議に提出された。当報告書は、インド、オ ーストラリア、およびニュージーランドを包含するより広域な包括的経済連携は、他のい かなる地域的FTAよりも大きな利得を生み出す可能性があると論じた。当報告書の提言に よると、CEPEAは経済協力を優先し、かつFTAを中核として、円滑化、自由化、環境、エ ネルギー、および情報通信技術(ICT)を対象としながら、地域的な統合と協調に資する広 範な枠組みを提供すべきであるとしている(14)。当調査報告書は、CEPEAの目的は制度面の 発展とともに、経済協力、貿易と投資の円滑化、貿易と投資の自由化という3本の柱を通じ
た、経済統合の深化、発展格差の是正、および持続可能な発展の達成にあると明記してい る(15)。中国と日本による共同提案(「EAFTAと
CEPEAの構築を加速するためのイニシアティブ」
)が2011
年に公表されるまで、東アジアにおける地域的なFTAの実現に関して、目立った進展 はほとんどみられていない。ゆえに、この共同提案は、米国が主導するアジア太平洋にお ける環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の進展を背景としつつも、東アジアでの広範囲 にわたるRTAの形成に向けた大きな前進であると考えられている(16)。ASEANは2011年11月
に、〔EAFTAとCEPEAを踏まえて日中から提案された〕
東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の開始に素早い反応を示した。2012年のASEAN経済閣僚会議の際に
RCEP
の指針が承認さ れ、同年末のEAS
会議ではASEAN+6(日中韓、インド、オーストラリア、ニュージーランド)のすべての国・地域がRCEPを全面的に支持した。
RCEPは、地域経済の統合をいっそう促進し、漸進的に関税障壁や非関税障壁を撤廃して、
WTOの規則との整合性を確保することを同時に目指すことになる。RCEP
では、物品貿易、サービス貿易、投資、経済・技術協力、知的財産、競争政策、および紛争解決に取り組む ことが期待されている。将来加盟を希望する国は、RCEPの規則と指針を遵守することに同 意さえすれば参加できるよう、開かれた加盟制度が採用されている。
RCEPは、貿易と投資に関連した政策、規則、および基準を調和させながら、貿易、サー
ビス、投資をよりいっそう自由化させていくことで、地域統合を深化させると見込まれて いる。市場主導による経済統合は、東アジアの生産ネットワークとサプライチェーンに大 きく貢献してきたが、越境措置、非整合的な国内規則、差別的な規制、および事業展開コ ストの増加を招く事務手続きなど、解決すべき多くの障害が今も置き去りにされている(17)。 それゆえ、RCEPは、地域の生産ネットワークとサプライチェーンの拡充に役立つ政策を支 える枠組みの一部とみなされている。RCEPは、地域包括 FTA
の東アジアモデルとも言えるひとつの新たな取り組みになると、期待を集めている。東アジア諸国では発展の格差が大きいため、ひとつの高水準な
FTAで
地域の多岐にわたるニーズを満たすことはできないだろう。発展途上国にもより受け入れ やすくするには、柔軟で差別的な待遇が求められよう。包括的な適用が求められるのであ るならば、労働権、環境基準、国有企業、および知的財産権よりも、伝統的な貿易条項に より重点が置かれてもよいだろう。さらに、地域の均衡ある発展の促進に向けた経済協力 が優先されてもよいだろう。一方でコネクティビティー(連結性)などの事項が、RCEPに 組み込まれることもありうる。すなわち、RCEPは、地域の投資を促進し開発支援を強化す るような、より良い環境を提供することができるのである。EAFTAに関する研究を主導し、かつ日本との共同提案を打ち出すことを通して、重複す
るFTAの統合に懸命に取り組んだこともあって、中国は
RCEP
に対して高い関心を示してい る。RCEP交渉の促進では積極的な役割を担い、交渉では前向きかつ現実的な政策をとろう という意図が、中国にはある。RCEPに対する中国の積極的な姿勢は、いくつかの理由から説明できる。たとえば、貿易
構造のリバランスに努める中国にとっては、米国と欧州連合(EU)の低下しつつある市場 の潜在能力を考慮した場合、統合された東アジア市場はきわめて重要な意味をもつように なる。TPPは中国を排除する可能性があるため、中国は東アジアにおける他の選択肢にひと きわ注目している。さらに中国は、増大する経済力を背景として、地域統合と制度構築に おいて重要な役割を果たそうとしているのである。2
試金石としてのCJKFTA
2008年に正式に打ち出されて以降、中国、日本、および韓国による三国間の協力は進展
している。数々の成果のなかでも、三国間FTA
(CJKFTA)の立ち上げが最も意義深いもの と考えられる。3ヵ国は、密接なサプライチェーンと補完構造によって、緊密に統合されて いる。三国間のFTAによって、3ヵ国が経済効率を高め、経済構造の高度化を進めることは 間違いない。3ヵ国は、投資の促進、円滑化、および保護に関する合意書に署名し、今後の交渉に向けて良い土台を築いた。
CJKFTAの提案は 2002年に出され、3
ヵ国の首脳から積極的な支持を得た。7年間にわた って共同学術研究が実施され、費用と便益、手順、およびアプローチに関する包括的な分 析が提供された。政府主導の共同研究は2011年に始まり、最終報告書は3ヵ国に受理された。正式な交渉は
2013年の初めに開始される予定だが、それ以前から予備協議は実施されてき
た。3ヵ国間にある経済構造の違いを考えれば、3
ヵ国には大きな共通の利益が存在するものの、交渉は容易ではないと見込まれる。自由化に関しては、日本にも韓国にも農産物にセ ンシティブ品目があり、中国は一部の工業製品で弱点を抱えている。サービスと投資の部 門で、中国がネガティブリスト方式と投資前の内国民待遇〔投資自由化〕政策を採用するこ とは困難である。交渉の難しさを考えると、CJKFTAには強い政治的支持と合意が必要であ る。
CJKFTAは 3
ヵ国にとって試金石となる。3ヵ国の経済界は交渉の早期妥結に対して強い 支持を表明しているものの、中国と日本間および日本と韓国間の島をめぐる争いのために、緊密な協力に向けた3ヵ国の政治的環境は、残念ながら芳しくないようである。3ヵ国で
RCEP
加盟国の国内総生産(GDP)の3分の2
以上を占めることから、観念的には、CJKFTA の早期妥結はRCEP交渉を非常に強く後押しすることになる。しかし逆に、CJKFTA交渉の 進展が遅い場合には、RCEPの交渉過程がCJKFTAの交渉を促すことも考えられる。
3
難題としてのTPP
2009年、米国はニュージーランド、シンガポール、チリ、およびブルネイによる環太平
洋戦略的経済連携協定(P4)への参加を表明した。これには、P4を環太平洋パートナーシッ プ協定(TPP)と改名して、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシア、カナダ、メ キシコ、および日本など、より多くの国々に参加を呼び掛けて、情勢を変えてP4を高い基 準をもつ広範な地域協定の一つに改変しようという、米国の意図が現われている。
TPPには、
既存の貿易協定を統合するような代替的なモデルを提供し、将来のFTA交渉に備え包括的 で新しい模範的な枠組みを作り出すという目的がある(18)。
TPPは既存の貿易協定を統合してヌードルボウル現象に対処すると謳われているが、それ
がヌードルボウル現象を抑制するひとつのモデルとして役立ちうるかという点には疑問が 呈されてきた(19)。米国は、既存のFTA
の市場アクセスに関するスケジュールが、現行のTPP
交渉でも維持されるよう強く要望している。ひとつの新規でシンプルかつ地域を包括する ような累積規定ではなく、既存の複雑なROOがTPP
の取り決めに組み入れられようとして いる。さらに米国の交渉担当官は、自国のセンシティブ製品を保護するために、狭い範囲 の製品ごとのROOを推し進めている。また米国は、繊維に関しては、いわゆる原糸原則規 定が協定に盛り込まれることを要求している。実際に、この規定のもとでは、繊維製品の原 料(綿や合成繊維)は、自国もしくはFTA加盟国から調達しなければならないことになる
(20)。TPP
交渉のあらゆる場面で、ハイブリッド(多層的)なアプローチが採用されるならば(21)、TPPの ROOは、進歩的で有効かつ簡潔な規定にはならず、ヌードルボウルのなかの 1本のヌ
ードルになると予想される(22)。TPPはひとつの戦略的な活動と考えられる。米国の本当の意図は、米国企業がFTA
の利益 を享受できるよう支援し、地域貿易の規制においてはルールメーカーとして米国の立場を 確保するなど、間接的な長期の経済的便益を獲得することにある、と考えている中国の研 究者もいる(23)。さらに重要なのは、米国は、自国企業が差別を受けて、その結果、貿易が害 されることを懸念している。一方で、環境、透明性、労働、および知的財産を含む「21世 紀」型のTPP協定は、米国の多国籍企業と中小企業(SMEs)が、アジア市場へのアクセス を獲得できるよう後押しするものと解されている。実際に、米国がTPPを推し進める目的は、国際的な経済規則の管理を独占することにある と考えられている。米国は、これまで貿易交渉においては、ハンディをなくすことに長け ていた。具体的には、複数の
FTA交渉を同時に始めて
(競争的自由化)、相手とは釣り合い のとれない力で交渉を推し進め、次いでひとつの大きな特別なグループを形成して、最終 的には多国間の貿易交渉をテコで動かすというものであり、これは逐次交渉とも呼ばれて いる(24)。現在進行中のTPP交渉は、金融サービス、電子商取引、投資、環境、および労働などの伝 統的なWTOプラスの争点のみならず、国営企業(SOE)、制度的整合性、および
SMEs
とい った数多くの分野横断的な横串の事項も対象としている。米国のTPP首席交渉官であるバー バラ・ワイゼルが述べたとおり、米国の目的はアジア太平洋諸国すべてに適用される一連 の規則について合意を目指すことであり、いかなる加盟準備国もそうした規則を遵守しな ければならない(25)。TPPから除外されて、中国は神経質になっている。中国の研究者の多くは、TPP交渉を推
し進める米国の真の目的について、きわめて懐疑的である。TPPは、米国がアジア太平洋地 域への回帰という戦略に向けて、実質的に踏み出しつつあるという事実を反映している、と指摘する者もいる(26)。楊潔勉は、米国のピボット(アジア旋回)戦略は、アジア太平洋地 域への中国の影響力を弱め減退させると示唆しており、これは緩やかな対立とみなすこと も可能である(27)。米国は、東アジア支配に向けた下準備を進めつつ、中国を封じ込めようと 望んでいるだけではなく、東アジアの協調プロセスを引き延ばして妨害している、と断言 する者さえいる(28)。しかし、異なった見解をもつ者もいる。彼らは、中国には持続的な成長 潜在力と特有な競争力に起因する独自の強みがあるため、TPPは中国にほとんど影響を及ぼ さないと主張している。ほとんどの東アジア諸国にとって中国は最大の市場であり、中国 は当地域に対しより多くの公共財を提供することになろう(29)。
実際、東アジアの大半の国が、それぞれ異なる利益を追求することができるため、TPPに もRCEPにも関与することに関心を示し続けている。その利益の違いは解説可能である。地 政学的な観点からみると、TPPと
RCEP
を同時に体系化することで、米国と中国の両国の関 与が可能となる。TPPとRCEP
は、将来のアジア太平洋の統合へ至る補完的で実現可能な道 筋であると言ってよいだろう(30)。4
将来の展望中国政府は、TPPによって隅に追いやられるというリスクを考慮して、自身の
FTA
戦略に よりいっそう重点をおいていく可能性がある。WTOへの信頼が失われていることから、中 国は国内外での自由化に向けた歩みを進めるために、FTAを通じた努力をいちだんと積み重 ねる必要がある。たとえば、さらに効率的で自由化された地域の生産ネットワークとサプ ライチェーンを、RCEP協定のもとで再構築していくことも可能である。東アジア各国で異 なるいくつもの煩雑なROOは撤廃されることが求められており、RCEPを通して市場アクセ スがさらに改善されよう。中国はこうしたプロセスへの参画に自信をもっており、RCEPの 成功に貢献すると考えられている。中国、日本、および韓国の経済は、直接投資(FDI)と貿易のネットワークを通して密接 に統合されている。3ヵ国はそれぞれASEANと
FTA
を締結しているが、3ヵ国間には正式な 協定はない。CJKFTAを歓迎する声は非常に多く、3ヵ国すべてに便益をもたらすと考えら れている。現在の政治的機運は弱く不安定と言えるが、中国は交渉過程に参加して推進し 続けていくであろう。現在、CKFTAは交渉中である。2ヵ国は投資・貿易構造を基礎として密接に統合されてい る。日本は、中国と韓国のみで協定に調印した場合は代償を払う恐れがあると懸念してい るため、CKFTAは
CJKFTAを促進するものとして役立つ可能性がある。興味深いことに、
東アジアのFTAをめぐっては、対抗意識から生み出された成果も確認されている。
近い将来において、中国はTPPに加盟できそうにはない。しかし、中国は米国との関係に 大きな関心を寄せている。中国と米国間のFTA交渉は困難であるが、2ヵ国間の投資協定は 現在検討されている。しかし、このひとつの投資協定ですら簡単なものにはならないだろ う。投資前の内国民待遇、SOE、パフォーマンス要求、労働、および環境など対処しなけれ ばならない争点があるからである。また、中国は
FTA
ネットワークを拡げる別の機会を探 ろうとしている。現在、中国・カナダFTAが検討されている。カナダはNAFTA
とTPP
両方 の参加国であることから、中国が中国・カナダFTA
をまとめ上げることはきわめて戦略的 である。さらに、中国のこれまでの経済的な成功は、開放的で協力的なグローバル環境に強く依 存してきた(31)。中国は自身の輸出志向型成長モデルの改変と、内需構造のさらなる強化に 取り組んでいるものの、中国の世界市場に対する関心が阻害されることはないだろう。な ぜなら中国の今後の経済的活力は、世界市場の環境と密接に結び付いているからである(32)。 このため、中国は多国間貿易システムの維持に強い関心を抱いている。そして、貿易円滑 化協定や、新しい情報技術協定(ITA)に関する問題、さらに、投資促進・円滑化協定、ま たは、新たなドーハ開発アジェンダ(DDA)等の多国間協定について交渉していくなど、
WTOの活動的な役割をより積極的に支援していこうとしている。
(1) ADB, Asian Economic Integration Monitor, Mandaluyong City, Philippines: Asian Development Bank,
March, 2013, p. 51.
(2) http://fta.mofcom.gov.cn/english/index.shtml
(3) 特別協定として中国中央政府は2003年に香港と、同年マカオと経済連携緊密化協定(CEPA)に
署名し、2010年には台湾との経済協力枠組協定〔正式名称は「海峡両岸経済協力枠組協定(ECFA)〕
に調印した〔バンコク協定加盟国は中国、韓国、インド、バングラデシュ、スリランカ、ラオス〕。
(4) Zhang Yunling, Economic and Social Impact of Liberalization: A Study on Early Harvest Program under China-ASEAN FTA, Beijing: Social Science Academic Press, 2009.
(5) Zhang Yunling(ed.), China and Asian Regionalism, Singapore: World Scientific Publishing Company, 2009.
(6) Zhang Yunling, “People’s Republic of China,” in Masahiro Kawai and Ganeshan Wignaraja(eds.), Asia’s Free Trade Agreements: How is Business Responding?Edward Elgar Publishing Limited, 2011, pp. 107–109.
(7) Jagdish Natwarlal Bhagwati, US Trade Policy: The Infatuation with FTAs, Columbia University Discussion Paper Series 726, New York: Columbia University, 1995; R. Baldwin, “Multilateralising Regionalism: Spaghetti Bowls as Building Blocks on the Path to Global Free Trade,” The World Economy, Vol. 29, No. 11, 2006.
(8) ADB, Asian Economic Integration Monitor, Mandaluyong City, Philippies: ADB, July 2012, p. 44.
(9) Shen Minghui, “Towards a Region-wide FTA in East Asia—A Chinese perspective,” Ritsumeikan International Affairs, No. 34, 2011, pp. 16–18.
(10) Zhang Yunling, Shen Minghui and Liu Dewei, “Impact of FTA on Business Activity—A Survey on Firms in PRC(the People’s Republic of China),” Contemporary Asian-Pacific Studies, No. 1, 2010.
(11) Zhang Yunling and Shen Minghui, “The Status of East Asian Free Trade Agreements,” ADBI Working Paper Series, No. 282, May 2011, p. 26.
(12) Joint Expert Group for Feasibility Study on EAFTA, Towards an East Asian FTA: Modality and Roadmap, 2006(http://www.thaifta.com/thaifta/Portals/0/eafta_report.pdf).
(13) Joint Expert Group on EAFTA Phase II Study, Desirable and Feasible Option for an East Asia FTA: A Report, Monograph, 2009(http://www.thaifta.com/thaifta/Portals/0/eafta_phase2.pdf).
(14) CEPEA Track Two Study Group, Report of the Track Two Study Group on Comprehensive Economic Partnership in East Asia(CEPEA), Monograph, June 2008.
(15) CEPEA Track Two Study Group, Phase II Report of the Track Two Study Group on Comprehensive Economic Partnership in East Asia(CEPEA), Monograph, July 2009.
(16) Joel Rathus, East Asian Free Trade Area: bank on it, East Asia Forum, December 11th, 2011(http://www.
eastasiaforum.org/2011/12/11/east-asian-free-trade-area- bank-on-it/).
(17) Masahiro Kawai and Ganeshan Wignaraja, “Asian FTAs: Trends and Challenges,” ADBI Working Paper Series, No. 144, August 2009, p. 5.
(18) Peter A. Petri, Michael G. Plummer and Fan Zhai, “The Trans-Pacific Partnership and Asia-Pacific Integration:
A Quantitative Assessment,”East-West Center Working Papers, Economics Series, No. 119, October 24, 2011, p. 6.
(19) John Ravenhill, Extending the TPP: The Political Economy of Multilateralization in Asia, paper presented in UNESCAP Asia-Pacific Trade Economists’ Conference on Trade-Led Growth in Times of Crisis, November 2–3, 2009, Bangkok, Thailand.
(20) Claude Barfield, “The Trans-Pacific Partnership: A Model for Twenty-First-Century Trade Agreements?”
American Enterprise Institute for Public Policy Research International Economic Outlook, No. 2, June 2011, pp.
4–5.
(21) 市場アクセスがハイブリッドアプローチをとることは確実である。Office of the United States Trade Representative, Trans-Pacific Partnership Negotiations Take Place in Kuala Lumpur, December 7, 2011
(http://www.ustr.gov/about-us/press-office/blog/2011/december/trans-pacific-partnership-negotiations-take-
place-kuala-lum)を参照。
(22) Shiro Patrick Armstrong, “Australia and the Future of the Trans-Pacific Partnership Agreement,” East Asian Bureau of Economic Research(EABER)Working Paper, No. 71, December 9, 2011.
(23) Wei Lei and Zhang Hanlin, “The Intensions of America’s TPP Strategy and China’s Responses,” International Trade, No. 9, 2010, pp. 54–58.
(24) Craig Van Grasstek, “US Plans for a New WTO Round: Negotiating More Agreements with Less Authority,”
The World Economy, Vol. 23, No. 5, 2000, pp. 673–700.
(25) Du Lan, Comments on US Strategy for Promoting Trans-Pacific Partnership(http://www.ciis.org.cn/english/
2011-08/03/content_4380581.htm).
(26) Fu Mengzi, “TPP, the Adjustment of America’s Asia-Pacific Strategy, and Its influence on China,” China Review, March 2012.
(27) Yang Jiemian, “The Change of America’s Power and Re-structure of International System,” International Studies, No. 2, 2012, p. 57.
(28) Huangpu and Liping, “The Real Intention Behind the United States’ Proactive Promotion of TPP,” Outlook, December 6, 2011, p. 58.
(29) Guoyou Song and Wen Jin Yuan, “China’s Free Trade Agreement Strategies,” The Washington Quarterly, Center for Strategic and International Studies(CSIS), Vol. 35, No. 4, 2012, pp. 110–111を参照。
(30) Peter A. Petri, Michael G. Plummer and Fan Zhai, op. cit., p. 4.
(31) World Bank, Securing the Present, Shaping the Future, East Asia and Pacific Economic Update: 2011, Vol. 1, Washington, DC: World Bank, 2011.
(32) Zhang Yunling and Shen Minghui, “Emergence of ASEAN, China and India and the Regional Architecture,”
China & World Economy, No. 4, 2012, pp. 14–15.
Zhang Yunling 中国社会科学院国際研究学部主任・教授
Shen Minghui 中国社会科学院アジア太平洋・グローバル戦略研究院
アソシエイト・リサーチ・フェロー 原題=FTAs in the Asia-Pacific: a Chinese Perspective