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団 子 山 古 墳 4 塚 野 目 古 墳 群 1 - 附属図書館 - 福島大学

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福島大学考古学研究報告第10集

団 子 山 古 墳 4

福島県須賀川市団子山古墳第6次調査報告書

塚 野 目 古 墳 群 1

福島県伊達郡国見町塚野目古墳群測量調査報告書

2017年3月

福 島 大 学 行 政 政 策 学 類 福島大学行政政策学類考古学研究室

調 調

10

〇一 七

福 島 大 学 行 政 政 策 学 類 福 島大 学行 政政 策学 類考 古学 研究 室

(2)
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福島大学考古学研究報告第10集

団 子 山 古 墳 4

福島県須賀川市団子山古墳第6次調査報告書

塚 野 目 古 墳 群 1

福島県伊達郡国見町塚野目古墳群測量調査報告書

2017年3月

福 島 大 学 行 政 政 策 学 類

福島大学行政政策学類考古学研究室

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序 文

『福島大学考古学研究報告』第10集では、2016年に実施した福島県須賀川市団子山古墳 の第6次調査の成果、および福島県伊達郡国見町塚野目古墳群の測量調査の成果を報告する。

2006年に第1集を刊行した本シリーズは、今回で第10集刊行の節目を迎えることになっ た。本研究室ではほかに、他機関の刊行物として出版した報告書、科学研究費報告書、研 究室シンポジウム資料集も刊行しており、合計するとこれまで15冊を超える刊行物を研究 室として執筆・編集している。教員と学生をあわせて10名にも満たない小規模研究室であ りながら、ほぼ毎年考古学関連の刊行物を世に送ることができているのは、調査・整理・

執筆・編集に献身的に取り組んできた歴代の学生たちの努力と協力の賜物にほかならない。

あらためて感謝の言葉を述べたい。

この序文では毎回の記述となるが、2011年3月に発生した東日本大震災と東京電力福島 第一原子力発電所の爆発事故から、今年で丸6年が経過した。福島県内および県民の 被 災地 であることの物的痕跡と心象がしだいに薄れてきたことは否定できないが、福島県 沿岸地域(浜通り)を中心とする地域ではなおいたるところに震災と原発事故の爪痕が残 り、 復興 を容易に感じ取ることができない。我々が関わる被災文化財の保護と活用も必 ずしも十分な将来像が見えず、途半ばの感は大きい。明るい展望は容易に開けないが、被 災地に暮らす者の一人として、震災と原発事故に関わる諸問題から目をそらさず、これら にたいし粘り強く取り組み続けていきたいと考えている。

団子山古墳の考古学的調査は今年で6年目となり、本文に触れるようについに中心埋葬 施設の一端に調査のメスを加えることになった。また、塚野目古墳群についても、42年ぶ りに1号墳(八幡塚古墳)の測量図を作成するなど、小さくない成果を上げることができ た。一方で、小規模研究室であるゆえその歩みは遅々としたものであり、いずれも今後な おしばらく調査を継続してゆく必要があると考えている。調査の実施にご理解とご協力を いただいた地権者・須賀川市・国見町をはじめとする個人と機関には、ご厚情に深く感謝 申し上げるとともに、団子山古墳と塚野目古墳群の全体像解明までなおしばらくの間、こ れらにたいする調査と研究を続けさせていただくことをお願い申し上げたい。あわせて、

すべての関係各位に今後の福島大学の考古学活動にたいする重ねてのご協力を心よりお願 い申し上げる。

2017年3月1日

福島大学行政政策学類 考古学研究室

菊 地 芳 朗

−!−

(6)

例 言

1.本書は福島県須賀川市日照田字入ノ久保に所在する団子山古墳(福島県遺跡番号20700385)の第6次調査、および福島 県伊達郡国見町塚野目に所在する塚野目古墳群(福島県遺跡番号30300112)の測量調査報告書であり、福島大学行政政 策学類考古学実習の報告書を兼ねている。

2.団子山古墳第6次調査は福島大学行政政策学類考古学研究室が主体となって実施し、塚野目古墳群測量調査は福島大学行 政政策学類考古学研究室と福島県伊達郡国見町教育委員会の共同調査として実施した。調査期間は以下のとおりである。

団子山古墳第6次調査:2016年8月2日〜8月25日

塚野目古墳群測量調査:2016年3月15日〜3月18日、4月29日〜5月7日 3.調査担当は菊地芳朗(福島大学行政政策学類教授)である。

4.調査参加者は以下のとおりである(所属は当時)。

塚野目古墳群測量調査(3月):菊地芳朗(福島大学教員)、大栗行貴(国見町教育委員会)、清水勇希(福島大学大学 院地域政策科学研究科修士課程2年生)平澤慎(福島大学行政政策学類4年生)、阿部智裕、佐藤純平、松田瑞生

(同3年生)、加藤柚香、平塚知巳(同2年生)

塚野目古墳群測量調査(4月〜5月):菊地芳朗(同上)、大栗行貴(同上)、柳沼賢治(福島大学うつくしまふくしま 未来支援センター特任准教授)、平澤慎(福島大学大学院地域政策科学研究科修士課程1年生)、阿部智裕、佐藤純 平、松田瑞生(福島大学行政政策学類4年生)、加藤柚香、櫻田実希、平塚知巳(同3年生)、安藤史章(同2年生) 河合嵩也、清水勇希、鈴木裕一郎、高橋忠道、千田一志(福島大学卒業生)

団子山古墳第6次調査:菊地芳朗(同上)、柳沼賢治(同上)、上田直弥(大阪大学大学院博士後期課程1年)、木村理

(大阪大学大学院博士前期課程2年生)矢内雅之(東京学芸大学大学院修士課程2年生)、肥田翔子(大阪大学大学院 博士前期課程1年生)、平澤慎(福島大学大学院地域政策科学研究科修士課程1年生)、阿部智裕、草野未来、佐藤 純平、松田瑞生(福島大学行政政策学類4年生)、加藤柚香、櫻田実希、平塚知巳(同3年生)、今西純菜(東北大学 3年生)、小田島留歩(東京学芸大学3年生)、安藤史章、金成弘喜、佐々木洋輔、鈴木健仁、田中航平、松本光平

(福島大学行政政策学類2年生)、佐藤駿人、佐藤秀樹、関樹(同1年生)、河合嵩也、竹田裕子(福島大学卒業生)

5.本遺跡の出土遺物および調査記録等は、福島大学行政政策学類考古学研究室が保管している。

6.調査にあたり、下記の機関・個人にご指導およびご協力をいただいた。(敬称略)

団子山古墳第6次調査:金沢八百吉、金田拓也、管野和博、佐藤渉、富岡直人、須賀川市、須賀川市社会福祉協議会 塚野目古墳群測量調査:国見町教育委員会、正法寺、森江野町民センター

7.本書におけるレベル高はすべて海抜を示し、方位は座標北を表す。

8.本書における掲載の地図は、国土地理院発行25,000分の1地理図「須賀川東部」および50,000分の1地形図「桑折」「保 原」「福島」「須賀川」「棚倉」、国見町発行2,500分の1県北都市計画図「№6」「№12」を複製使用した。

9.写真撮影については、おもに菊地が担当し、一部を福島大学大学院生・学生が担当した。

10.本書の編集は菊地芳朗・平澤慎が担当し、執筆分担については目次に記した。

11.調査の実施および本書の出版にあたり、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(B)「古墳分布北緑地域における地 域間交流解明のための実証的研究」(代表:菊地芳明)および福島大学行政政策学類考古学実習費の一部を使用している。

−!−

(7)

本文目次

第1編 団子山古墳第6次調査………1

!

古墳の位置と周辺の遺跡………櫻田実希・大島頼子・室井誠斗…3 1.地理的環境………3 2.歴史的環境………3

"

調査の方法と経過………櫻田…9

1.調査の目的………9 2.調査の経過………10 3.調査の方法………10 4.記録の方法………11

#

発掘調査の成果………加藤柚香・平澤慎…12

$

出土遺物………平塚知巳…17 1.遺物の概要………17 2.出土遺物………17

%

団子山古墳調査の成果と意義………菊地芳朗…19

第2編 塚野目古墳群測量調査………23

!

古墳群の位置と周辺の遺跡………25 1.地理的環境………佐藤純平…25 2.歴史的環境………阿部智裕…27 3.塚野目古墳群の研究史………大栗行貴…29

"

調査の方法と経過………34

1.調査に至る経緯と目的………平塚…34 2.調査の経過………加藤…34 3.調査の方法………櫻田…35

#

塚野目古墳群測量調査の成果………37 1.古墳群の現状………松田瑞生・平澤…37 2.古墳群の特徴………松田・平澤…39 3.採集遺物………佐藤…44

$

塚野目古墳群調査の成果と意義………菊地…45 引用・参考文献………49 2016年度研究室活動報告

−&−

(8)

図版目次

図版1 団子山古墳近景

1 団子山古墳近景(南東から)

2 団子山古墳近景(北東から)

図版2 団子山古墳墳頂トレンチ(その1)

図版3 団子山古墳墳頂トレンチ(その2)

1 墳頂トレンチ(南東から)

2 墳頂トレンチ(西から)

図版4 団子山古墳墳頂トレンチ(その3)

1 西1区(北西から)

2 東1区(東から)

3 西2区(西から)

4 東2区(南から)

5 西3区(西から)

6 東3区(東から)

7 西4区(西から)

8 東4区(東から)

図版5 団子山古墳墳頂トレンチ(その4)

1 西1区(西から)

2 東3区(北から)

3 東2区南西隅付近で検出された石(北から)

4 東2区南西隅付近で検出された石(東から)

5 西1区東壁土層断面(西から)

6 西2区東壁土層断面(西から)

7 西3区東壁土層断面(西から)

8 西4区東壁土層断面(西から)

図版6 団子山古墳墳頂トレンチ(その5)

1 西1区南壁土層断面(北から)

2 東2区北壁土層断面(南から)

3 西2区南壁土層断面(北から)

図版7 団子山古墳墳頂トレンチ(その6)

1 東3区北壁土層断面(南から)

2 東3区南壁土層断面(北から)

3 西4区北壁土層断面(南から)

図版8 団子山古墳出土遺物

1−a 墳頂トレンチ出土土器(表)

1−b 墳頂トレンチ出土土器(裏)

2−a 墳頂トレンチ出土埴輪(表)

2−b 墳頂トレンチ出土埴輪(裏)

図版9 塚野目1号墳(その1)

1 全景(南西から)

2 全景(西から)

図版10 塚野目1号墳(その2)

1 近景(北西から)

2 近景(東から)

図版11 塚野目1号墳(その3)

1 墳頂現況(西から)

2 前方部現況(東から)

図版12 塚野目1号墳(その4)

1 北側くびれ部(北東から)

2 前方部側辺(北西から)

図版13 塚野目11号墳(その1)

1 全景(北西から)

2 墳丘北側(北から)

図版14 塚野目11号墳(その2)

1 墳丘西側(西から)

2 墳頂(南から)

−!−

(9)

挿図目次

Fig.1 団子山古墳の位置(大島作成) ………3 Fig.2 団子山古墳の位置と周辺の遺跡(広域)(大島作成) ………4 Fig.3 団子山古墳の位置と周辺の遺跡(詳細)(大島・室井作成) ………6 Fig.4 団子山古墳測量図(櫻田作成) ………9

Fig.5 発掘調査風景 ………10

Fig.6 調査参加者集合 ………10

Fig.7 団子山古墳調査区位置図(櫻田作成) ………11

Fig.8 墳頂トレンチ平面・西2区南壁・東3図北壁断面図(平塚・櫻田作成) ………13

Fig.9 墳頂トレンチ断面図(加藤・平塚作成) ………15 Fig.10 出土遺物(平塚作成) ………18 Fig.11 塚野目古墳群の位置(櫻田作成) ………25 Fig.12 塚野目古墳群の位置と周辺の遺跡(櫻田・阿部作成) ………26 Fig.13 塚野目古墳群全体図(大栗作成) ………30 Fig.14 塚野目古墳群の遺構・遺物(1)(大栗作成) ………31 Fig.15 塚野目古墳群の遺構・遺物(2)(大栗作成) ………32 Fig.16 地元児童への調査成果の説明 ………35

Fig.17 調査参加者集合 ………35

Fig.18 塚野目1号墳基準点成果表(櫻田作成) ………36

Fig.19 塚野目11号墳基準点成果表(櫻田作成) ………36

Fig.20 1号墳測量図(高倉・柴田1977)(平澤作成) ………37 Fig.21 塚野目古墳群の周辺地形(平澤作成) ………38

Fig.22 塚野目1号墳測量図(平澤作成) ………40

Fig.23 塚野目1号墳測量図(拡大)(平澤作成) ………41

Fig.24 塚野目11号墳測量図(拡大)(平澤作成) ………42

Fig.25 塚野目11号墳測量図(松田作成) ………43

−!−

(10)
(11)

第1編 団子山古墳第6次調査

(12)
(13)

0 50㎞

0 500㎞

(1/25,000,000) (1/2,500,000)(1/2,500,000)(1/2,500,000)

福 島 県 Fukushima Pref.

団子山古墳 Dangoyama Tumulus

! 古墳の位置と周辺の遺跡

1.地理的環境

団子山古墳(以下当古墳)の所在する福島県須賀川市は、日本列島本州島の東北部、福島県中通り地 域南半分に位置する人口約7万7000人、面積約279.55㎢の市である。北は郡山市、南東は石川郡玉川 村、平田村、南は岩瀬郡鏡石町、南西は天栄村と接している。須賀川市域は、西は奥羽山脈、東は阿 武隈山脈によって画され、盆地を形成している。中央部には那須火山群(通称那須連峰)を源として宮 城県沖まで北上する阿武隈川が流れており、須賀川市域を東西に大きく二分している。1954年に須賀 川市と隣接する浜田村・西袋村・稲田村・小塩江村の4か村が合併し、1955年に仁井田村、1967年に は大東村、2005年に長沼町および岩瀬村を編入し、現在の須賀川市が成立した。

当古墳は須賀川市大字日照田字入ノ久保に所在し、須賀川盆地のほぼ中央に位置する。阿武隈川東 岸に向かって張り出す舌状大地の先端裾部を利用して造られている。当古墳周辺の地質は、地盤が古 期花崗閃緑岩で構成され、その上部に石英安山岩質烙結凝灰岩およびその風化層が堆積している(江藤 ほか1974、江藤ほか1981)。

2.歴史的環境

須賀川市の周辺には多くの古墳・遺跡が存在しており、市内全域に分布する。特に阿武隈川とその 支流の河岸に集中する傾向が強い。

弥生時代以前 須賀川市での旧石器時代の遺跡には、乙字ヶ滝遺跡がある。阿武隈川北岸の河岸段 丘上に立地する。刃部磨製石斧や面的加工が施されたナイフ形石器などが出土し、後期前半期に位置

Fig.1 団子山古墳の位置

! 古墳の位置と周辺の遺跡

−3−

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46 46 46 47

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80 80 80

83 83 83

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Fig.3 範囲 Fig.3 範囲 Fig.3 範囲

87 87 87 88 88 89 88

89

89 909090 91

91 9291 92 9392 93 9493 94 97 94 97

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26 26 26

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Fig.2 団子山古墳の位置と周辺の遺跡(広域)

−4−

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づけられている(江藤ほか1974)。

縄文時代になると、阿武隈川東岸の丘陵部やその周辺には関向・富岡遺跡など早期〜中期にかけて の多くの遺跡が分布し、後期〜晩期では、牡丹平遺跡や小倉川流域の一斗内遺跡のように低地への進 出傾向がみられるようになる(若林1984)。

弥生時代の重要遺跡として、阿武隈川東岸の丘陵地にある牡丹平遺跡があげられる。この遺跡から は人骨を伴出した再葬墓が検出された。また、阿武隈山地系でも高所に位置しており、そのあり方が 注目される(金谷ほか1983)。後期には阿武隈川西岸丘陵に芦田塚遺跡・弥六内遺跡などの集落遺跡があ る。特に、弥六内遺跡では同一遺跡内に方形周溝墓とみられる遺構の検出もあり、須賀川盆地におけ る弥生時代から古墳時代への変化を考える上で重要である。

古墳時代前期 古墳時代になると、須賀川盆地は阿武隈川流域およびその支流域を中心として古墳 が濃密に展開するが、分布などからみて、その中心は阿武隈川両岸の沖積面とその周辺の段丘および 丘陵部にあったことが明らかである。

前・中期に比定できる古墳は少ない。阿武隈川西岸の台地東縁部にあるイカヅチ古墳群は、当古墳 の北西約3.6

"に所在する。前述の弥六内遺跡と重複する古墳群であるが、方墳2基、前期の円墳1基、

中期の円墳7期が確認されており、銅釧、模造勾玉などが出土した(永山ほか1984)。仲ノ平古墳群は、

当古墳北西約7"に所在する。丘陵上に計10基確認されており、主体は横穴式石室をもつ円墳である が、3号墳、6号墳が前期の前方後円墳である(柴田ほか1991)。八ッ木遺跡は当古墳の北約2.5

"に所

在する。古墳時代前期から一部平安時代におよぶ集落跡で、竪穴住居跡64軒、土杭5基、焼土遺構7

1.団子山古墳 2.阿弥蛇壇古墳群 3.西の内古墳群 4.葉山古墳群 5.蒲倉古墳群 6.天正坦古墳群 7.三ツ坦古墳群

針生古墳 8.清水内遺跡 9.堂山古墳群 10.坦ノ腰古墳 11.来玄坦古墳 12.柴宮山古墳群 13.桝壇古墳群 14.東前田古墳 15.麦塚古墳 16.民耕地C遺跡 17.亀河内遺跡 18.丸山古墳群 19.南山田古墳群

がぶつ壇古墳 20.八幡古墳群 21.妻見塚古墳群 22.大安場古墳群 23.後田古墳群 24.駒屋古墳群 25.四十坦古墳群 26.大坦古墳 27.中山田古墳群

28.蝦夷穴横穴群 29.大善寺古墳群 30.狐坦古墳 31.雷堂古墳 32.大六古墳 33.四角坦古墳 34.念仏坦古墳 35.正直館跡 36.下田横穴群 37.御代田古墳群 38.神成横穴群 39.東山田遺跡 40.下原古墳 41.カガヤ坦古墳群 42.田子団古墳 43.滑川古墳 44.亀田窯跡 45.石山古墳 関下窯跡群 46.雁俣古墳群 47.下山古墳群 下山横穴群 48.籾山大壇古墳 49.坂上古墳 50.一斗内古墳群 51.跡見塚古墳群 念佛壇古墳群 大壇古墳群

52.梅ノ木古墳群 南谷地前古墳群 石井山古墳群 53.タキジリ古墳 54.竹の内遺跡 55.海道西古墳群 56.オサン壇古墳群

西作古墳群 竹ノ花古墳群 57.念仏壇古墳 58.滑沢窯跡 59.おたきや遺跡 60.西川梅田十三仏

刈木内古墳 大壇場古墳群 61.狐石古墳 62.新城館古墳群 63.岩下横穴墓群 稲古舘古墳 64.岩崎横穴古墳群 65.向原古墳群 66.北作古墳群 67.番山壇古墳群 68.深内古墳 69.館石横穴群 70.御大宝古墳 71.二塚遺跡 72.方八丁遺跡

73.萱林古墳 74.熊野山遺跡 75.木曽古墳 76.笠木壇古墳 77.泉田古墳群 78.石の下古墳群 79.仁井田横穴墓 仁井田古墳群 80.鏡田古墳群 81.四十壇古墳群 82.七曲横穴墓群 83.後作田古墳群 84.百八横穴墓群 85.悪戸古墳群 86.竜が塚古墳 87.向久保古墳群 88.東ノ前古墳群 89.弘法山古墳群 90.江平遺跡 91.白山E遺跡 92.白山C遺跡 93.白山D遺跡 94.白山A遺跡 95.久当山横穴墓群 96.宮前古墳群 97.上宮崎A遺跡 98.鬼穴古墳群

! 古墳の位置と周辺の遺跡

−5−

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18 18 17 17 17 15 15 16 15

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56 56 58 58 58 59

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基、溝跡3条が検出され、土師器、須恵器、玉類、石製模造品、石製品、鉄製品などの遺物が出土し ている。特に土師器は種類、量ともに豊富で、遺構の重複関係から導き出されるそれらの編年は、市 内だけでなく県全域の編年観に大きな影響を与えている(皆川ほか2002)。高木遺跡は、当古墳北西5!

に所在する。古墳時代前期から平安時代におよぶ集落跡で、竪穴住居跡60軒、掘立柱建物跡7棟、井 戸跡2基、土杭13基、溝跡12条、方形区画溝状遺構1基、焼土遺構2基が検出され、弥生土器、土師 器、須恵器、土製品、石製品、陶磁器などが出土している。

古墳時代中期 上ノ代遺跡は、当古墳の北約1!に所在する。中期を中心とする古墳時代の集落跡 で、周囲に堀と柵を巡らせた首長居館跡が検出された。仏坊古墳群は上ノ代遺跡に隣接し、17基の古 墳が確認されており、11号、12号、13号墳が調査された。墳丘は直径20m前後の円墳であり、埋葬施

1.団子山古墳 2.仲ノ平古墳群 3.御所の宮古墳 4.庫の屋敷古墳 5.岡ノ内古墳群 6.中江持古墳 7.長者屋敷古墳群 8.行人山田古墳 9.稲荷神社古墳 10.上人壇廃寺跡 11.神明前横穴群 12.塩田古墳 13.大壇古墳 14.栄町遺跡 15.古館横穴群 16.石塚古墳 17.古館古墳群 18.甲塚古墳群 19.洞川岸古墳群 20.神開田古墳 21.上川原古墳群 22.愛宕山城東古墳 23.芦田塚遺跡 24.浜尾横穴群 25.イカヅチ古墳群

弥六内遺跡 26.イカヅチ板窯跡 27.螺河岸A古墳群 28.螺河岸B古墳群 29.和田横穴群 30.丸塚古墳跡 平内古墳跡 31.蝦夷穴古墳 32.八沼古墳群 33.早稲田古墳群 34.八ツ木遺跡 35.石花古墳群 36.下小山田古墳群 37.釜池窯跡 38.金池窯跡 39.大仏古墳群 40.大仏横穴群A 41.大仏横穴群B 42.西舘跡 43.関向・富岡遺跡 44.塚畑古墳 45.欠の下古墳 46.ウメツボ窯跡 47.番屋窯跡 48.舘山横穴群 49.仏坊古墳群 50.上の山古墳群 51.市野関稲荷神社古墳 52.東小屋古墳 53.上ノ代遺跡 54.町ノ内横穴群 55.前田川大塚古墳 56.乙字ヶ滝遺跡 57.念仏担古墳 58.乙字ヶ滝横穴群 59.開山古墳群 60.高木遺跡

Fig.3 団子山古墳の位置と周辺の遺跡(詳細)

−6−

(17)

設は箱式石棺である。中でも12号墳の埋葬施設は削平により失われていたが、周溝の外側から内面に 赤色顔料が塗られた箱式石棺が1基検出された。中から鉄剣、鉄斧、鉄鏃が確認され、5世紀中葉か ら後半に築造されたと考えられる(皆川1998)。仏坊古墳群と上ノ代遺跡は強い関連性があると考えら れる。甲塚古墳は、当古墳の北西約3.5

"

に所在する。1966年の調査時には直径22m、高さ2.5mの円 墳で、木炭を床面に敷き詰め、その上に2mの木棺を置いて粘土で覆い、それをまた木炭で包むとい う木炭槨が検出された。副葬品は、盗掘の被害を受けていたため検出されなかった。

古墳時代後期以降 古墳時代後期には、阿武隈流域沿いに多数の古墳や横穴が築かれる。市野関稲 荷神社古墳は、当古墳の北西約1.5

"に所在する墳長39mの前方後円墳である。段築、葺石、埴輪は確

認されていないが、広いテラスを持つ墳丘第一段(基壇)を伴っている可能性が高い(菊地ほか2007)。 また、前方部が後円部より大型であることも特徴である。後円部墳丘の一部に角礫が確認されている ことから、埋葬施設は横穴式石室である可能性が高い。

塚畑古墳は、当古墳の北西約2"に所在する墳長40m、後円部直径25mの前方後円墳である。南側 の周溝部からは大量の形象埴輪が出土しており、その中には天冠をかぶった埴輪男子像や武人埴輪の 冑の一部、靫、家、馬形埴輪が確認されている(江藤ほか1974)。

蝦夷穴古墳は須賀川市街地の東方、当古墳から北西3"に所在する。当地域最大級の横穴式石室を 持ち、金銅製頭椎大刀、鍔、銅椀、刀子、三輪玉、切子玉、辻金具、金銅製鈴、馬歯が出土した。石 室および副葬品の特徴から6世紀末から7世紀初めに築造された古墳と考えられる(江藤ほか1974)。

大仏古墳群は、当古墳の北西約2㎞に所在する後期群集墳である。前方後円墳3基、円墳13基で構 成されている。多くが過去に盗掘されており遺物の数は多くなかったが、直刀や土師器、金銅製の飾 り鋲が出土している(梅宮ほか1964、江藤ほか1974、福島1997)。

大仏横穴群は、当古墳の北西約2"に所在する。二群に分かれており、一群は鎌倉期の磨崖大仏の 左右にあり、20数基が開口している(江藤ほか1974)。古くから開口していたようで、大仏の周囲では横 穴の壁を利用して仏像が彫られている。遺物はすべて散逸して残っていない。他の一群はこの崖と連 続する東北のほど近いところにあり、2基開口している(江藤ほか1974)。

館山横穴群は、当古墳の北西約1.5

"に所在する。15基の横穴が確認されているが、ほとんどの横穴

が後世の削平などによって破壊されており、全体規模や構造を捉えられるものがない。唯一1号横穴 が玄室天井部を残すのみである。土師器・須恵器が主な出土遺物であり、8号横穴から完形の細頸瓶 が出土している。これらにより、古墳時代後期に位置する横穴群と推定されている。また。15号横穴 から鉄製の直刀が出土している(皆川1998)。

西館跡は、当古墳の北西約1.5

"に所在する。古墳時代後期の集落跡と中世の館跡との複合遺跡であ

る。竪穴住居跡3基、掘立柱建物跡2基、土杭15基、柱列跡1列、溝跡2条、性格不明遺構2基、ピッ ト296基が検出されており、竪穴住居跡3基、土杭数基が古墳時代後期に位置づけられる遺跡である。

竪穴住居の床面から多量の土器類が出土しており、古墳時代後期における住居内の器種編成を考える 上で貴重な資料となっている(皆川ほか2002)。

! 古墳の位置と周辺の遺跡

−7−

(18)

稲古舘古墳は、当古墳の西約8!に所在し丘陵尾根の頂部に位置している。直径12mの円墳であり、

埋葬施設は切石積みによる前庭部、玄門部、玄室を持つ横穴式石室であった。内副葬品として大刀、

鉄鏃、刀子、土師器が出土している。大刀は、刀の装具が奈良の正倉院に納められている刀と類似し ており、この古墳に埋葬された人は、律令期に岩瀬郡で活躍した官人層の可能性が考えられている(皆 川2003)。

古墳時代が終焉を迎える7世紀以降は律令国家の形成が進み、栄町遺跡、上人壇廃寺、うまや遺跡 に代表されるように、須賀川駅周辺の地域が古代岩瀬郡の中心地となった。

栄町遺跡は奈良・平安時代の石背(のちに磐瀬)群衙であり、群衙の中心的建物となる正殿や脇殿が 確認された。脇殿の柱穴から「石瀬」と書かれた墨書土器が出土したことで、古代の石背群衙であっ たことが裏づけされた(皆川ほか2012)。上人壇廃寺は石背群衙の付属寺院であり、出土遺物には瓦類、

土師器、須恵器、円面硯などのほか、発見例の少ない六角瓦塔、鉦鼓、軸頭などがある。8世紀前半 には創建され、10世紀前半頃にはその終焉を迎えたと考えられる(皆川ほか2011)。うまや遺跡は奈良時 代を代表する大集落遺跡であり、遺跡の西方に位置する上人壇廃寺との関連性は明らかである。県内 で初出の和同開珎が竪穴住居跡より出土しており、官人層の居住地域とも推定されている(皆川2003)。 以上のように当古墳周辺地域の状況から見て、須賀川地域は東北有数の古墳密集地域であり、集落 が数多く存在していることから県内でも有数の重要遺跡集中地域といえる。また、とくに古墳時代後 期の有力古墳が数多く存在することがわかる。しかし、周辺に後期古墳が多い中で、当古墳は出土し た埴輪の特徴から前期古墳の可能性が考えられており、この古墳の被葬者が周囲の古墳の被葬者とど のような関係にあったのか、その関係性が注目される。当古墳が築造された時代を明らかにし、地域 の社会背景を解明するためにも、今後の研究調査が望まれる。

−8−

(19)

0 20m

(1/800)

(1/800)

261.0 261.0 261.0

263.0 263.0 263.0 265.0 265.0 265.0 267.0 267.0 267.0

269.0 269.0 269.0

271.0 271.0 271.0

273.

0 273.0 273.

0

To To T2 T2 Tc

Tc

T5 T5 Td

Td

T6 T6

Tk Tk Tf

Tf Tm Tm

T3 T4 T3 T4

Tb Tb Ta Ta

TⅠ TⅠ

TK TK NEb

NEb

NEa NEa

T14 T14

T13 T13 T15

T15

T16 T16

T17 T17

T7 T18 T7 T18 T19 T19 T8 Th T8 Th SWb SWb

SWa SWa

SEb SEb SEa

SEa

Tn Tn

T9 T9

T11 T10 T11

T10 T12T12

T1 T1 Tj

Tj

! 調査の方法と経過

1.調査の目的

福島大学行政政策学類考古学研究室は、団子山古墳に対し、2012年に測量調査・物理探査・発掘調 査、2013年と2014年、2015年に発掘調査を行い、墳丘規模や築成方法等に関する数々の成果を得てき た。しかし、築造当時の古墳の姿を完全に復元するにはなお情報が不足しており、埋葬施設について もほとんどが不明であった。そこで、埋葬施設の規模・構造の確認のため、第6次調査として2016年 8月2日から8月25日にかけて墳頂部の発掘調査を実施した。実働日数は22日間である。今年は晴天 が多かったが一方で、時折台風による風雨で作業が中断されることとなった。

Fig.4 団子山古墳測量図

! 調査の方法と経過

−9−

(20)

2.調査の経過

8月2日 第6次調査開始。機材搬入。調査区設定準備。午後から雨のため作業中止。

8月3日 墳頂トレンチ掘削開始

8月5日 墳頂トレンチに RTA・RTB 杭を設定。ベルト設定。今年度の調査区設定完了。

8月7〜8日 オープンキャンパスにおいて考古学実習紹介を行うためいったん作業を中断し、福 島市に戻る。

8月10日 写真撮影開始。

8月15日 墳頂トレンチ断面図作成開始。

8月16日 墳頂トレンチ土層注記開始。

8月17日 午前中台風のため作業中止、遺物注記作業。午後から作業再開。

8月20日 RTA・RTB 杭の標高を設定。

8月21日 平面図作成開始。

8月22日 午後雨のため作業中止、宿舎にて遺物注記作業。

8月23日 写真撮影終了。

8月24日 断面図・土層注記・平面図の作成終了。墳頂トレンチの埋め戻し終了。

8月25日 宿舎清掃。第6次調査終了。

3.調査の方法

先の目的のため、古墳墳頂に1ヶ所のトレンチを設定し、「墳頂トレンチ」と命名し、掘削を行った

(Fig.7)。後述する区割りに従って基本的に平面的に掘削を進めていったが、随時トレンチの拡張お よびサブトレンチを加え、平面および断面を確認しながら墓壙プランを把握するように努めた。

墳頂トレンチは、新たに設定した RTA・RTB 杭を両端の基準として設定した。両杭は昨年度の墳頂 トレンチで検出された埋葬施設の上面プランとみられる長方形の土層境界の仮想中心軸の両端に設置 し、両杭間の距離は12mである。RTA 杭から RTB 杭に向かって南東方向に1mごとに1区、2区…

12区まで区割りし、両基準杭を主軸として、その西側から1mごとにa区、b区、…f区としてそれ

Fig.5 発掘調査風景 Fig.6 調査参加者集合

−10−

(21)

T13 T13 T14

T14

263.0 263.0 264.0 264.0 265.0 265.0 266.0 266.0 267.0 267.0 268.0 268.0 269.0 269.0 271.0 271.0 270.0 270.0 272.0 272.0 273.0 273.0

T2 T2

Swb Swb

RTB RTB

墳頂トレンチ 墳頂トレンチ

第6次調査 第6次調査

RTA RTA

第2次調査 第2次調査 第3次調査 第3次調査 第4次調査 第4次調査 第5次調査

第5次調査 0 10m10m

(1/600)

(1/600)

らの組み合わせによって区 を命名した。この区割りは 遺物の取り上げや調査所見 の記述の際の基本的な単位 として用いた。ただし、未 掘部分もあるため、実際に 掘削を行ったのは3a区〜10 f区の東西6m×南北10m の範囲である。

4.記録の方法

各トレンチの完掘状況は 20分の1平面図と断面図に 記録した。各トレンチの平 面図は、遺構実測ソフト(遺 構くん cubicC タイプ2012)を 用い、断面図は手実測によ りそれぞれ図化した。平面

図には傾斜変換点(破線)を加えている。断面図の土層注記の土色は『新版標準土色帖』2011年版(小 山・竹原2011)に従っている。写真撮影は、35

"銀塩カメラ

(メモ用)、6×7判銀塩カメラ(完掘状況 撮影用)、デジタルカメラ(メモ用および完掘状況撮影用)を用いた。銀塩カメラではモノクロフィルムと カラーリバーサルフィルム2種類により撮影している。

Fig.7 団子山古墳調査区位置図

! 調査の方法と経過

−11−

(22)

! 発掘調査の成果

1.墳頂トレンチ

(Fig.8,9)

トレンチの目的と位置 第3〜5次調査で検出した墓壙上面プランとみられる土層境界をふまえ、

墓壙の全形と規模の確定を目的に、墳頂の中央部に南北約8m×東西約6mの大きさでトレンチを設 定した。

土層の堆積状況を観察するため、昨年度までの墳頂トレンチで使用したベルトを生かしつつ、トレ ンチ内に南北方向のベルトを一本、東西方向のベルトを3本設定した。各ベルトの幅は0.3mである。

ただし、昨年度までのトレンチの方向に制約されているため、すべてのベルトがトレンチの主軸に厳 密に平行、直交するものとはなっていない。

結果として、トレンチがベルトにより8分割されることとなり、南北ベルトを挟んで東側を「東区」、 西側を「西区」とし、さらに各区を北から順に「東1区」〜「東4区」、「西1区」〜「西4区」と命 名した。これらの区名を「調査の方法」で示した区割りとともに用いている。なお、今調査の墳頂ト レンチは、第5次調査「墳頂第5トレンチC区」と「墳頂第4トレンチA区」を除く墳頂トレンチす べてを包含するものとなっている。

調査の経過 開始時 まず、第5次調査までの所見を再確認するため、第4次調査および第5次調 査の調査区に相当する西2区と東3区を開け直し、西2区南壁・東3区北壁および平面の精査を行っ た。西2区南壁では、7b 区で黒褐色砂質シルトと黄褐色砂質シルトの土層境界が認められた。東3区 では6e〜8e 区で墓壙埋土と墳丘盛土、褐色砂質シルトの境界を検出した。

一方、第4次調査に5c、6c 区の平面で墓壙プランとして検出した土層境界については、断面で十 分な墓壙の立ち上がりを確認できないため、この土層境界を盛土の境界であると見解をあらためた。

続いて、第5次調査に検出した墓壙プランを再度確認するため、第5次調査調査区に相当する東1、

2、4区、西4区を開け直して精査し、東4区の9d、9e 区、西4区の9b、10b〜10d 区で墓壙埋土 と盛土の境界を検出し、東1、2区の3d、4e〜6e 区で連続した墓壙プランを検出した。

調査の経過 西区 墓壙プランの延びを確認するため、新たに西1〜3区を掘削した。

西3区では現地表下0.5mまで掘削し、7b、8b 区で西2区と連続する墓壙ラインと考えられる土層 境界を確認した。西4区では8c 区で陥没坑の一部と思われる黄褐色砂質シルトが確認された。これよ り、西2〜4区でひとまず連続した墓壙プランと考えられる境界を検出することができた。

西1区では明確な墓壙プランを確認できなかったため、東壁の分層を行い墓壙と思われる立ち上が りを検出し、一部不明瞭なものの3b、3c 区で墓壙プランと考えられる境界を検出し、さらに一部撹 乱で不明瞭なものの3c〜4c 区で墓壙プランと考えられる土層境界を検出した。

西2、3区でも墓壙プランをより明瞭にするため掘削を進めたが、西2区では明確な墓壙プランを

−12−

(23)

0 (1/40) RTBまで1m

9区

d区 c区b区a区

e区f区

6区

3区 2m 1 Hue 10YR4/4 褐色 砂質シルト しまりやや小 粘性小 表土 2 Hue 10YR4/6 褐色 砂質シルト しまりやや小 粘性小 細かい礫をわずかに含む 墳頂堆積土 3 Hue 10YR5/6 黄褐色 砂質シルト しまりやや小 粘性小 5㎝程度の石を含む 墳頂堆積土 4 Hue 10YR4/6 褐色 砂質シルト しまりやや大 粘性中 2㎝程度の軽石を含む 3㎝程度の粘土を含む 土師器片がしばしば出土 5㎝程度の石を含む 墳頂全体を覆う人為土か 5 Hue 10YR3/4 暗褐色 砂質シルト しまりやや大 粘性中 混ざり物は少ない 白色の粒をわずかに含む 墓壙埋土 6 Hue 10YR3/4 黒褐色 粘土質シルト しまりやや大 粘性小 白色の粒状の石を多く含む 墓壙埋土 7 Hue 10YR5/8 黄褐色 砂質シルト しまりやや大 粘性大 東3区でしか見られない 墳丘盛土 8 Hue 10YR5/4 にぶい黄褐色 砂質シルト しまり大 粘性中 4㎝程度の石をわずかに含む 墳丘盛土 9 Hue 7.5YR5/6 明褐色 砂質シルト しまりやや大 粘性やや小 白い粒状の石を含む 墳丘盛土 10 Hue 10YR5/8 黄褐色 砂質シルト しまりやや大 粘性中 白色の粘土のブロックを含む 墳丘盛土 11 Hue 5YR8/2 灰白色 粘土 しまりやや大 粘性やや小 2㎝程度の小石を含む 墳丘盛土 12 Hue 10YR6/6 明黄褐色 砂質シルト しまり大 粘性小 粘土のブロックをわずかに含む 2㎝程度の小石を多く含む 墳丘盛土 13 Hue 10YR6/8 明黄褐色 粘土質シルト しまりやや大 粘性やや大 混ざり物は少ない 墳丘盛土

D′

D

A′ B′ C′

A

B

B

C

カク カク カク

カク カク

 没

 

 没

 

陥 没 坑 カクカク

カク ラン

131211 10

9 9

32 8

4 4 5 6

4

3 3 4 5

6 67

3

2 22

1 1

1 カク カク

カク カク

カク カク カク

カク カク

カク

カク カク カク

カク カク カク

カク

カクラン

カク ラン カク ラン    ラン

RTAまで1m 火成岩 黒褐色 粘土質 シルト層 黒褐色粘土質シルト層 灰白色粘土層 灰白色粘土層 B′273.500m

Fig. 8 墳頂トレンチ平面・西2区南壁・東3区北壁断面図

(断面図は反転合成)

−13−

(24)
(25)

0 (1/40)

2m

1 Hue 10YR4/4 褐色 砂質シルト しまりやや小 粘性小 表土 2 Hue 10YR4/6 褐色 砂質シルト しまりやや小 粘性小 細かい礫をわずかに含む 墳頂堆積土 3 Hue 10YR5/6 黄褐色 砂質シルト しまりやや小 粘性小 5cm程度の石を含む 墳頂堆積土 4 Hue 7.5YR4/6 褐色 砂質シルト しまり中 粘性小 2cm程度の軽石を含む 3cm程度の粘土を含む 土師器片がしばしば出土 5cm程度の石を含む 墳頂全体を覆う人為土か(東3区南壁では、4層の認識前に土層断面実測を行ったため、   図に記されていないが、存在している。 5 Hue 7.5YR3/4 暗褐色 砂質シルト しまりやや小 粘性小 7cm程度の石を含む 土師器片がしばしば出土 炭化物を含む 墓壙埋土 6 Hue 10YR3/4 暗褐色 砂質シルト しまり中 粘性小 1cm程度の炭化物 2cm程度の粘土ブロック 墓壙埋土 7 Hue 10YR5/8 黄褐色 砂質シルト しまり中 粘性小 2cm程度の粘土ブロック 1㎜程度の炭化物 6cm程度の石を多く含む 明るいオレンジ色の土がまだらに混じる 1cm程度の軽石を含む 墳丘盛土 8 Hue 10YR3/3 暗褐色 砂質シルト しまりやや大 粘性やや小 混ざり物は少なめ 墳丘盛土 9 Hue 10YR6/8  10 Hue 5YR8/2 灰白色 盛土 粘土 しまりやや大 粘性大 墳丘盛土 11 Hue 10YR5/6 黄褐色 シルト しまり中 粘性中 陥没坑

カク

カクラン

カクラン カクラン

カク カク カクカク

カク ラン

カク

カク ラン

カク

カク ラン

カク 1 32 4 7 1 33

2 4 1 32 4 57 86

1 32 4

1 32 4

1 32 495 5 6

991055 11 11

1 2 3 1 2 3

4 55 68

A 273.500mA′ C 273.500mC′ D273.500mD′ カク

カク

カク ラン

カク ラン

カク ラン

カク ラン カク ラン

カク ラン

カクラン

確認できず、サブトレンチを5a・5b 区、6b 区に設定して0.15mの深さまで 掘削しつつ、さらに西1〜3区で掘削 を行い、3c〜5c 区、6b〜8b 区で土 層境界を確認した。

西2区では5c、6c、6b 区で墓壙プ ランと考えられる土層境界を平面で検 出したが、西3区の7b、8b 区で検出 した墓壙プランと東西方向に約0.5mの ズレが生じたため、さらに精査を行い、

西3区の墓壙プランを以前より東側に 寄った位置に見解を改めた。以上によ り、西2〜4区で連続した墓壙プラン を確定させるに至った。

調査の経過 東区 東1区では第5 次調査で墓壙プランの北東角が検出さ れているため、縦断ベルト部分まで拡 張し、3d、3e、4e 区に伸びる明黄褐 色砂質シルトと褐色砂質シルトの違い による土層境界を検出した。しかし、精 査を再度行ったところ、墓壙プランの北 東角は調査区外に出ると見解を改めた。

東2区では、東1区に連続する4e

〜6e 区で墓壙プランと思われる境界を 検出した。また、北、南、西側をベル ト部分まで拡張し、西側で墓壙埋土の 違いと考えられる境界、また5e・6e 区で暗褐色砂質シルトを検出した。

東3区では7e・8e 区で東2区と連 続する墓壙プランと考えられる土層境 界、6e・6f・7e・7f 区に広がる黒褐 色粘土質シルト、7e〜8e 区に伸びる 土層境界を検出したが、なお墓壙プラ

ンを把握しきれなかったため、さらに Fig.9 墳頂トレンチ断面図(断面図は反転合成)

! 発掘調査の成果

−15−

(26)

掘り下げを行った。東3区の7d、8d 区に陥没坑と思われる黒褐色土、東3区の6e、6f、7e、7f 区で第5次調査の6層にあたる黄褐色砂質シルトを検出した。これを北壁でも確認するため、東3区 北壁に沿って幅約0.4mのサブトレンチを設定したところ、平面と対応する土層を北壁断面では確認で きなかった。

これまでの掘削により、東2区の5e〜7e において南北方向に延びる2本の土層境界を把握してき たが、いずれかが墓壙の東辺をなすのか確定できなかった。そのため、この部分の精査と検討を重ね、

東3区北壁に墳丘盛土の層が見えず、かつ東4区9e、10e 区の盛土と粘土の土層境界が8e 区で墓壙 プランに接し、途切れることから最終的に東側にある境界を墓壙プランとして適切と判断した。

東3区を縦断ベルトに沿って拡張し、東3区7d、8d 区の陥没坑と考えられる土層境界が主軸方向 に伸びていくことを確認し、西3区で見られた陥没坑と考えられる土の性格とも一致した。しかし、

東3区北壁では陥没坑を確認できなかったため、北壁まで陥没坑は届かないと見解を改めた。

精査終了段階において、東2区6d 区で西壁に沿うように露出部の長さ約0.3m、高さ約0.1mの自然 面が残る火成岩を検出した。ベルトにもぐる形で西区方向になお続くことから全形を確認するまでに は至らず、正確な形状や大きさは不明であるが、埋葬施設に関わる石材である可能性が高い。

以上により墓壙プランの全形および規模の確認ができる状況となったことから掘削を終了した。

埋葬施設の構造 今年度の調査で検出した墓壙上面プランは、南北6.2m、東西2.68mの規模をもつ。

北東隅は確認できていないが、幅はほぼ均一で北辺のみ不整な長方形を呈している。長軸の方位はN 14°Wである。また、墓壙のほぼ中央部分にあたる9c、5d、6d、7d、8d、9d 区において不整形 の黄褐色シルトの広がりを確認した。この黄褐色シルトは、土層断面からは墓壙埋土に落ち込む状態 で確認できることから、墓壙の埋土が木棺の腐朽にともなって落ち込んだことで生じた土層、すなわ ち、陥没坑にあたると考えられる。

一方、6d 区の陥没坑内にあたる場所で長辺0.3mほどの火成岩を検出した。この石の全体を確認す ることはできなかったが、検出した位置が現地表下約0.9mであり、後世の撹乱を受けていない陥没坑 内に位置していることから、この石は古墳築造に伴って人為的に配置されたものと考えている。

埋葬施設に伴う可能性のある施設として、墓壙東辺に接する7e、8f 区において黒褐色粘土質シル トの広がりを確認している。この黒褐色土は第5次調査でも確認していたが、今年度調査において墓 壙上面プランの長軸に直交するように幅2.5m、長さ2.7mの規模で東方向に続いていることから、こ の黒褐色土は東側から棺を搬入する際に用いられた墓道が埋め戻された際の土層である可能性が出て きた。この方向には第5次調査の「連接トレンチ」で検出した前方部が位置することから、非常に示 唆的である。その場合、墓壙は長辺に搬入口をもち、棺が運びこまれたことになる。しかし、この黒褐 色土が広がる範囲をすべて確認していないため、盛土の可能性もなお残っている。

遺物出土状況 埴輪片152点、土師器片204点、陶器片1点、須恵器片1点、縄文土器片1点が出土した が、いずれも破片であり原位置は把握できていない。須恵器は西2区の撹乱層から出土しており、古墳 にはともなわない。出土遺物のうち、土師器片73点、埴輪片36点、須恵器片1点が西2区から出土した。

−16−

(27)

! 出土遺物

1.遺物の概要

今回の団子山古墳の調査では、墳頂トレンチから埴輪片と土師器片が出土した。埴輪は主に表土層 から出土し、原位置と思われるものはなかった。出土した埴輪は昨年度と同様に小さく、墳頂縁辺に あったものが移動したものであると考えられる。土師器に関しては、主に墓壙埋土から出土しており、

その量は昨年度を超える。一方で、墓壙埋土直上の堆積土層からも少数出土している。出土位置は墓 壙プランの内側に集中している。

調査中に墳丘上で表採された遺物も24点あるが、墳頂トレンチで出土している遺物と調整などに大 きな差はない。今回の報告では、埴輪の各部名称については「須賀川市団子山古墳の埴輪―首藤保之 助コレクションから―」(柳沼・管野2011)を、色調については『新版標準土色帖』2011年版(小川・竹 原2011)を参考とし、記述する。

2.出土遺物

(Fig.10)

(1)墳頂トレンチ出土埴輪

152点出土し、円筒埴輪と朝顔形埴輪がある。その中で、摩滅が少ない朝顔形埴輪の頸部突帯部1点 と三角形透孔をもつ埴輪片2点、逆三角形透孔をもつ埴輪片2点の図化を行った。出土位置は、墳頂 トレンチの各区にわたる。

1は朝顔形埴輪の頸部で、突帯をもつ。外面にはナナメハケが見られ、突帯上部にはヨコナデが施 される。内面にはヨコハケがある。2と3はともに三角形透孔をもつ。2は外面にタテハケが見られ る。内面はナナメハケを施した後に、縦方向にナデがある。3は外面にナナメハケが見られる。内面 は磨滅しているが、若干上部にヨコハケが見られる。4と5はともに逆三角形透孔をもつ。4は外面 にタテハケが見られる。内面は上部にヨコハケと下部にナナメハケが施される。5は外面にタテハケ が見られる。内面はヨコハケがあり、ナデ調整が施されるが方向まではわからない。4と5はともに 内面が剥離、摩滅により調整はわからない。

(2)墳頂トレンチ出土遺物

土師器 204点出土した。その中で、口縁部2点、頸部1点、脚端部1点、底部1点の図化を行った。

出土位置は、墳頂トレンチの各区にわたる。

6と7はともに直口壺の口縁部と考えられる。その復元直径はそれぞれ8.5

"、12.

"である。6は

内外面ともにヨコナデの後に口唇部成形によるヨコナデが施される。7は外面にタテミガキが施され る。内面にはナデがある。8は直口壺の頸部と考えられる。外面は剥離しているが、ヨコナデの擦痕

! 出土遺物

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(28)

0 1

2

4 5 3

6

7 8

10 9

(1/4)

20㎝

が見られる。内面にはタテ方向のミガキが確認できる。9は土師器の底部と考えられるが器種は不明 である。その復元直径は6.4

!である。内外面ともに剥離、磨滅により調整はわからない。外面はナデ

と思われる擦痕が見られる。10は小型器台の脚端部と考えられる。その復元直径は9.2

!である。外面

には主としてナナメハケが施される。内面にはヨコまたはナナメハケがある。なお、端部はヨコナデ されている。

その他 カクランからの出土で古墳には伴わない須恵器片、陶器片、縄文土器片が各1点出土した。

器種 出土区 部位 外面調整 内面調整 色調 備考 挿図番号 図版番号

朝顔形 3a 区 頸部 ナナメハケ

ヨコナデ ヨコハケ にぶい赤

突帯 10−1 8−

参照

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