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哺乳類における 揮発性フェロモンの同定 - J-Stage

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多くの哺乳類は非常に発達した嗅覚をもち,嗅覚を利用して 仲間とコミュニケーションをとっていることは古くから知ら れ て い た.1991年 に,後 に ノ ー ベ ル 賞 が 授 け ら れ る こ と に なった嗅覚受容体の同定が報告されて以来,嗅覚に対する理 解は飛躍的に深まり,またその知識を背景として嗅覚を介す るコミュニケーションに関しても研究が大いに進展した.そ の結果,さまざまな不揮発性物質が「フェロモン」としてコ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に 利 用 さ れ て い る こ と が 明 ら か と な っ た が,揮発性物質を介したコミュニケーションに関する理解は 進 ん で い な か っ た.本 稿 で は,哺 乳 類 に お け る 嗅 覚 系 や フェロモンに関して説明するとともに,筆者らが近年同定し たヤギとラットの揮発性フェロモンを紹介する.

多くの哺乳類は,視覚に依存しているわれわれヒトが 想像できないほど,非常に発達した嗅覚をもっているこ とが知られている.イヌやネコの飼い主の多くは,外出 先でほかのイヌやネコをなでると帰宅後に察知されて,

匂いを嗅がれることを体験しているであろう.イヌにお いてはこの発達した嗅覚が利用されて,空港では麻薬探 知犬や爆発物探知犬が活躍しており,がん患者における

呼気の匂いの変化を察知するがん探知犬の育成も試みら れている.さらに近年タンザニアでは地雷や結核を探知 するラットが育成されており(1),またオランダ警察では 銃器の使用を鑑別するためにラットを利用する試みが始 まっている.

動物たちはこの卓越した嗅覚系を用いて,多様な嗅覚 シグナルを発信することで同種の仲間とコミュニケー ションをとっていることが知られている.たとえばイヌ は,散歩中にさまざまな場所で尿を用いてマーキングを することで,自分の健康状態や繁殖状態,縄張りといっ た情報を発信するとともに,ほかのイヌが行ったマーキ ングの匂いを嗅ぐことでそれらの情報を得ている.また ネコは新しい環境におかれると,しきりと頬や顎を突起 物にこすりつけたり,尿を後方に放出したりすることで マーキング(尿スプレー)を行うが,このマーキングは 自分の縄張りを主張したり,自分の匂いに囲まれて安心 するために利用されている,と考えられている.また基 礎的な研究が進んでいる齧歯類では嗅覚シグナルの役割 がより明らかにされてきており,たとえば母ラットは嗅 覚シグナルを発信し,活発に動き回り始めたもののまだ 1頭では生きていけない仔ラットを巣に引き寄せること

哺乳類における 

揮発性フェロモンの同定

清川泰志,武内ゆかり

Identification of Volatile Mammalian Pheromones

Yasushi KIYOKAWA, Yukari TAKEUCHI, 東京大学大学院農学 生命科学研究科

【解説】

(2)

で,仔ラットが迷子にならない手助けをしていることが 知られている(2).また雄マウスは,自分の縄張りに侵入 してきたマウスが雄である場合には攻撃を仕掛け,雌で ある場合には性行動を試みることが知られているが,こ れは嗅覚シグナルによって判断していることが明らかと なっている(3)

哺乳類の嗅覚系

嗅覚シグナルは,ヒトでは揮発性物質にほぼ限られる ものの,多くの哺乳類では揮発性物質と不揮発性物質が 存在する.揮発性物質は,吸気と一緒に化学物質が鼻腔 内に吸い込まれることで受容される.一方で不揮発性物 質は,動物の鼻先が直接触れることで鼻先に存在してい る粘液中に溶け込み,その粘液が受動的もしくは能動的 に鼻腔内へと運ばれていくことで受容される(4)

鼻腔内に運ばれた嗅覚シグナルの多くは,主嗅覚系と 鋤鼻系という2つの経路によって受容される(図1.主 嗅覚系においては,化学物質は嗅上皮と呼ばれる感覚上 皮へと運ばれ,そこで上皮を構成している嗅神経細胞に 発現している嗅覚受容体と結合することで,嗅覚シグナ ルが受容される.受容された情報は主嗅球という脳領域 に集約された後,大脳皮質を含む広範な脳領域へと伝達 されていく.ヒトや動物たちは,この経路によってさま ざまな匂い,たとえばコーヒーやバラの匂いなどを感じ ている.またマウスでは,ペプチドのような不揮発性物 質も主嗅覚系で受容していることが明らかとなってい る(5).もう一つの経路である鋤鼻系では,吸気と一緒に 吸い込まれた揮発性物質や,鼻先が直接接触することで 取り込まれた不揮発性物質が,鼻中隔の基部に存在する 鋤鼻器の中に存在する感覚上皮である鋤鼻上皮へと届け

られ,上皮を構成している鋤鼻神経細胞に発現している 鋤鼻受容体に結合することで,嗅覚シグナルが受容され る.この情報は副嗅球という脳領域を介して,視床下部 や扁桃体へと伝達される.残念ながらヒトでは鋤鼻器が 退化してしまったため,鋤鼻系で嗅覚シグナルを感知す るという感覚がどのようなものかを想像することは難し い.またいくつかの動物種ではこれら2つの経路のほか に,嗅上皮と同様の感覚上皮であるものの嗅上皮から離 れて島のように存在し,受容した情報を主嗅球へ伝達し ているマセラ器(Septal organ of Masera)(6)と,鼻腔の 先端に位置して受容した情報を主嗅球へと伝達している グルーエネベルグ神経節(Grueneberg ganglion)が存 在していることも報告されている(7)(図1).

フェロモンとは

嗅覚シグナルのなかには,フェロモンと呼ばれるシグ ナルが存在する.フェロモン(Pheromone)とは,「あ る個体から放出され,同種他個体にたとえば明確な行動 反応や発達過程の変化といった,ある特定の反応を微量 で引き起こす物質」と定義される化学物質を指し,1959 年にKarlsonとLuscherによって提唱された語である(8). 現在のところこの定義が最も広く受け入れられているも のの,これは昆虫における研究成果をもとに作られたた めに,哺乳類にそのまま適用することに関してはいまだ 議論が続いている.そのため,たとえば「伝達されるこ とにより,送り手と受け手の両者に利益が生じる物 質」(9),「同種間でお互いの利益となる化学感覚コミュニ ケーションに使用される物質」(10),「ある個体から環境中 に放出される揮発性の化学シグナルであり,同種他個体 の生理や行動に影響を与える物質」(11)や「ある個体から 放出され,同種他個体にたとえば常同的な行動や発達過 程の変化といった,ある特定の反応を引き起こすために 進化してきた物質であり,混合物の場合はある特定の混 合比率にて効果を発揮する物質」(12)などが,哺乳類にお けるフェロモンの定義としてこれまで提唱されてきた.

これらの議論を参考に,筆者らは「生存している個体か ら放出され,同種の他個体が受容したときに非常に微量 で特定の反応を誘起し,動物の進化を考えるうえで適応 的な機能をもつコミュニケーションに利用される物質」

という定義を提唱している(13)

フェロモン同定の戦略

昆虫においてのみならず,哺乳類においてもこれまで 図1嗅覚系の概略図

ラット前頭部の矢状断面図を示した.嗅覚シグナルは鼻孔から取 り込まれて嗅上皮や鋤鼻上皮で受容され,その情報はそれぞれ主 嗅球と副嗅球へ伝達される.

(3)

さまざまなフェロモン分子が同定されてきたが,その方 法は大きく2つに分類することができる.一つは動物が フェロモンに対して示す表現型(反応)に着目する伝統 的な方法である.この方法では,最初にフェロモンを含 む嗅覚シグナルが誘起する反応,たとえば行動反応や神 経内分泌反応などを特定する.その後,誘起される反応 を指標として嗅覚シグナルの中からフェロモン分子を絞 り込んでいき,最終的に化学合成した分子が嗅覚シグナ ルと同じ反応を引き起こすことを確認することで,フェ ロモン分子を同定する方法である(14).もう一つの方法 は,嗅覚系が化学物質を受容することに着目する逆薬理 学的方法である.嗅覚系に限らず神経細胞は,自身が発 現している受容体にリガンド分子が結合すると興奮する ことが知られている.そのため,この神経細胞の興奮を 指標として動物から放出された化学物質を絞り込んでい き,最終的に化学合成した分子が同様に神経細胞を興奮 させることを確認することで,嗅覚系にて受容されるリ ガンド分子を同定する.その後,同定したリガンド分子 が誘発する行動反応や神経内分泌反応などを明らかとす ることで,リガンド分子がフェロモン分子であることを 確認する方法である(15〜17)

哺乳類は尿や涙といった体液中に多くの嗅覚シグナル を放出することが知られていることから,哺乳類におけ るフェロモン研究は主に体液に着目し,逆薬理学的方法 によって多くの不揮発性フェロモン分子が同定されてき た.しかし近年,哺乳類は揮発性の嗅覚シグナルを大気 中に直接放出することでも,さまざまなコミュニケー ションをとっていることが明らかとなってきた.筆者ら はこの揮発性の嗅覚シグナルに着目し,それが誘起する 表現型に着目する伝統的な方法を用いることで,ヤギ(18)  とラット(13)において揮発性フェロモン分子を同定する ことに成功した.以下にそれぞれの概要を紹介する.

ヤギにおける揮発性フェロモンの同定 1. 雄効果フェロモン

特定の季節にしか繁殖することができない季節繁殖動 物であるヤギやヒツジなどでは,非繁殖期の雌の群れに 雄を導入すると雌の卵巣活動が賦活され,排卵に至るこ とが古くから知られており,雄効果(male effect)と呼 ばれている.またこの効果は雄の被毛だけを雌に呈示し ても再現されることから,被毛には雌の性腺活動を賦活 する雄効果フェロモンが含まれていることが推察されて いた(19).そこで筆者らは,実験動物であるシバヤギを モデルとして用い,雄効果フェロモンの同定を目指すこ

ととした.

2. 生物検定系の確立

フェロモンが誘起する表現型に着目してフェロモン分 子を絞り込んでいくためには,さまざまな候補物質が着 目している表現型を誘起するかを確認する,生物検定と 呼ばれる操作を繰り返し実施する必要がある.雄効果 フェロモンの表現型として雌ヤギの排卵を観察すること が最も直接的であるが,当時の超音波技術では高い精度 で排卵を確認することは困難であった.また血液中のホ ルモン動態から排卵を推測することも可能であるが,

フェロモン呈示後に排卵する時期(フェロモン呈示の 10日から13日後程度)を正確には予測できないため,

すべての期間において経時的にホルモン濃度を測定する というように,多大な労力とコストを要する方法となる ことから,こちらも非現実的な生物検定系と考えられ た.

雌の性腺活動は,脳の視床下部より分泌される性腺刺 激ホルモン放出ホルモン(Gonadotropin releasing hor- mone; GnRH)によって制御されていることが知られて いる.視床下部より分泌されたGnRHは下垂体に作用し 黄体形成ホルモン(Luteinizing hormone; LH)の分泌 を 促 し,分 泌 さ れ たLHが 卵 巣 を 活 性 化 す る.こ の GnRHは常に一定量が放出されているのではなく,周期 的(パルス状)に分泌されており,分泌パルスが低頻度 のときには卵巣活動が停滞する一方で,パルスが高頻度 になると卵巣活動が活発化し排卵に至るというように,

GnRH分泌のパルス頻度が卵巣活動を支配している.し かしこのパルス頻度は,GnRH分泌細胞自身が決定して いるわけではないと考えられている.卵巣の活動状態 は,卵巣より分泌される雌性ホルモンであるエストロ ジェンなどを介して視床下部にフィードバックされる が,GnRHを分泌する細胞自身にはエストロジェンの受 容体が存在しないことから,GnRH分泌細胞より上位に 存在しその活動を制御しているGnRHパルスジェネレー ターという神経機構の存在が想定されている(20)(図2 そこで筆者らは,雄効果フェロモンが排卵を誘起するの はフェロモンが雌ヤギのGnRHパルスジェネレーターを 活性化させた結果であると考え,パルスジェネレーター の活動をフェロモン効果の表現型として使用できるかと いうことについて検討した.

パルスジェネレーターの活動を電気生理学的に観測す るために,電極を雌ヤギの弓状核というパルスジェネ レーターが存在すると考えられている脳領域へ設置し,複 数ニューロンのユニット活動(Multiple Unit Activity; 

(4)

MUA)を計測したところ,活動の一過性上昇(MUA ボレー)がパルス状に観察された.またこのMUAボ レーのパルスはLHの分泌パルスと同期していたことか らも,観察したパルスがGnRHパルスジェネレーターの 活動であることが考えられた(21).次に,排卵が遅延し ていた雌ヤギに雄ヤギの被毛を嗅がせたところ,MUA ボレーのパルス頻度が増加し,排卵を示唆するホルモン 動態が確認されたこと(図3A)から,雄効果フェロモ ンはGnRHパルスジェネレーターの活動を増加させるこ とで排卵を誘起していることが示唆された.さらに,卵 巣を摘出した雌ヤギに雄ヤギの被毛を嗅がせたところ,

即座にMUAボレーが誘起されることが明らかとなり,

呈示した後に即座にMUAボレーが誘起されるという表 現型をフェロモン効果の指標として用いることが可能と なった(22)

3. フェロモン分子の同定

フェロモン分子の同定に向けて,まずフェロモン分子 の揮発性を確認した.その結果,雌ヤギが雄ヤギの被毛 に直接接触しなくてもMUAボレーが誘起されたことか ら,雄効果フェロモンは揮発性分子であることが明らか となった.また同時に,雄ヤギを去勢するとフェロモン が産生されなくなること(23)や,雄ヤギの頭頚部被毛は フェロモンを含むが臀部の被毛は含まないこと,雄ヤギ の被毛を1秒間呈示するだけでもMUAボレーを誘起す るには十分であること(24)などが判明した.

そ こ で,幅 広 い 揮 発 性 物 質 を 回 収 で き る 吸 着 剤

(Tenax)を皮膚から数cm離して維持しておくことので きる帽子を開発し,それを雄ヤギに1週間かぶせておく ことで,頭部の皮膚より放出される揮発性物質だけを吸 着剤に捕捉した.この吸着剤の内容物から,特に揮発性 の高い化学物質が数多く含まれると考えられる1画分を 抽出し雌ヤギに呈示したところMUAボレーが誘起され たことから,この画分にフェロモン分子が含まれている ことが明らかとなった.筆者らの先行研究により雄ヤギ 被毛に含まれる酸性の物質と中性の物質がMUAボレー を誘起することが明らかとなっており,また酸性の物質 に着目したほかの研究グループによる先行研究ではフェ ロモン分子の同定には至らなかったことから,MUAボ レーを誘起した画分に含まれる中性の物質に着目するこ ととした.その結果,エチル基をもつアルデヒドやケト ン,ジケトンなど18物質が画分のなかから同定された.

次にこの18物質を化学合成し,雄ヤギの被毛に含まれ る含有率を模して混ぜ合わせたカクテルを作製して雌ヤ ギに呈示したところ,MUAボレーが誘起されたこと

(図3B)から,フェロモン分子をこの18物質に絞り込 むことができた.また,雄ヤギを去勢するとフェロモン 図2雄効果フェロモン同定に必要となる生物検定系の確立

候補成分のフェロモン活性を評価するために,GnRHパルスジェ ネレーターの活動をMUA(Multiple Unit Activity)として計測 した.

図3MUAボレーを指標とした雄効果フェロモンの同定

A:  排卵遅延が認められた雌ヤギに雄ヤギ被毛を呈示すると,

MUAボレーの間隔が短縮し(GnRHのパルス分泌が促進され), その後排卵が確認された.B: MUAボレー周期の中間で18成分カ クテルを呈示すると,直ちにMUAボレー(GnRHのパルス分泌)

が誘起され,下垂体よりLHが追随して分泌された.

(5)

が産生されなくなることが明らかとなっていることか ら,18物質のうち去勢ヤギではその放出量が少なくな る物質に着目したところ,エチル基をもつ7物質へと候 補分子を絞り込むことができた.この7物質がそれぞれ 単独でMUAボレーを誘起する効果をもつかを検討した 結果,4-ethyloctanalただ一つのみがMUAボレーを誘 起することや,また18物質から4-ethyloctanalを除くと

MUAボレーを誘起する効力が低下することなどが明ら かとなった.これらの結果より,4-ethyloctanalが雄効 果フェロモンの主要分子であることが示唆された(18). 図4にはこれまでの研究より推察される雄効果フェロモ ンの受容・神経機構を示した.

ラットにおける揮発性フェロモンの同定 1. ラットの不安を増大するフェロモン

ストレスを受けた動物は特別な嗅覚シグナルを放出す ることは魚類において初めて発見され,その後マウス,

ラット,シカ,ウシ,ブタやヒトといった幅広い哺乳類 においても確認されていることから,このような嗅覚シ グナルは哺乳類にとって重要なシグナルと考えられる.

そこで筆者らはラットをモデルとし,まずはストレスに 関連する嗅覚シグナルの存在を確認することから開始し た.

電気ショックを負荷できる実験箱を用意し,そこに嗅 覚シグナルを放出させるために雄ラットを2頭導入し た.このようなラットを,以後はドナーと呼ぶこととす る.実験箱内でドナーに電気ショックを負荷するため,

この実験箱内にはストレスに関連する嗅覚シグナルが充 図4雄効果フェロモンの想定神経回路

こうした神経機構は哺乳類を通じて普遍性が高いと考えられるの で,今後の成果が期待される.

図5ストレスに関連する嗅覚シグナルに関 する解析

A: 事前にドナーが電気ショック受けた実験箱 に導入されたレシピエントは,体温上昇反応の 増強を示した.B:  麻酔下ドナーの肛門周囲部 を局部電気刺激することで,レシピエントに 同様の反応を引き起こす嗅覚シグナルを放出 させることが可能であった.C:  この嗅覚シグ ナルは,水中に捕捉することが可能であった.

(6)

満すると考えられる.電気ショック後ドナーを取り出 し,実験箱を異なる部屋へと運んだ後,新たに別の雄 ラットを導入した.このように,被験動物としてドナー から放出された嗅覚シグナルに暴露される雄ラットを,

以後はレシピエントと呼ぶこととする.レシピエントに とって実験箱は新奇環境であるため,導入されるとスト レス反応の一つとして一過性の体温上昇を示すが,事前 にドナーが電気ショックを受けた実験箱に導入された場

合には,この反応が増強されることが明らかとなった.

そのため,ドナーは電気ショックを受けると特別な嗅覚 シグナルを放出し,それはレシピエントの自律機能反応 を増強することが明らかとなった(25)(図5A)

レシピエントの自律機能反応を指標として用いて,ス トレスに関連する嗅覚シグナルに関する解析を進めた結 果,麻酔下ドナーの肛門周囲部の皮下に刺した2本の針 を通じて局部電気刺激を行い人工的に筋肉の収縮を引き 起こすことで,肛門周囲腺からストレスに関連する嗅覚 シグナルを自在に放出させられることが明らかとなっ た(26)(図5B).またこの嗅覚シグナルを水のなかに捕捉 する方法も確立した(27)(図5C).この嗅覚シグナル含有 水を用いて,その効果をさまざまな実験系において検討 した結果,ストレスに関連する嗅覚シグナルは直接的に 自律機能反応を増強するのではなく,レシピエントの不 安を増大させることで,実験系に応じたさまざまな反応 を誘発することが明らかとなった(28〜31).すなわち,こ れまで観察された自律機能反応の増強は,不安の増大に よる二次的な反応の一つであることが判明した.そのた めストレスに関連する嗅覚シグナルには,レシピエント の不安を増大するフェロモンが含まれていることが推察 された.

2. フェロモン分子の同定

レシピエントがフェロモンに対して示す反応のなか で,最も簡便に測定可能な反応である聴覚性驚愕反射の 増強を,生物検定の指標として用いることとした(30). 動物は突然大きな音を聞くと,全身の筋肉が硬直して飛 び上がる驚愕反射を示すが,この反射の強度は動物の不 図6不安を増大するフェロモンの同定

A: 聴覚性驚愕反射の増強を生物検定系の指標として用いた.B: ス トレスに関連する嗅覚シグナルを画分1, 画分2, 画分3に分画した ところ,画分1のみが聴覚性驚愕反射を増強した.C:  画分1をさ らに画分1-1と画分1-2の2つに分画したところ,画分1-1のみが聴 覚性驚愕反射を増強した.D:  画分1-1の拡大図と,その抽出イオ ンクロマトグラム.

図7不安を増大するフェロモンの想定神経回路

主嗅覚系と鋤鼻系にてそれぞれ受容された情報が脳内で統合され,

不安が増大される.

(7)

安と関連していることが知られている.すなわち,不安 が増大すると驚愕反射の強度が増すのである(図6A) フェロモン分子の同定に向けてまず,フェロモン分子 の揮発性を検討した.その結果,レシピエントは嗅覚シ グナル含有水に直接接触しなくても驚愕反射の増強を示 したことから,フェロモンは揮発性であることが確認さ れた(32).そこで麻酔下ドナーの肛門周囲部から放出さ せた揮発性物質を吸着剤(Tenax)が充填されたガラス 管に吸い込むことで捕捉し,吸着剤の内容物を画分1,  画分2,  画分3の3つに分画した.その結果,画分1のみ が聴覚性驚愕反射を増強したことから,この画分にフェ ロモン分子が含まれていることが判明した(図6B).画 分1をさらに画分1-1と画分1-2の2つに分画したとこ ろ,画分1-1のみが聴覚性驚愕反射を増強したため,こ の画分にフェロモン分子が含まれていることが明らかと なった(図6C).この画分1-1に含まれる物質を精査し たところ,フェロモンが存在するサンプルには4-meth- ylpentanalが存在し,hexanalの含有量が増加すること が明らかとなったため,この2つの物質がフェロモン分 子の有力候補と考えられた(図6D).

次に,化学合成された2つの物質を用いて,これらが フェロモン分子であるかということについて検討した.

その結果,それぞれの物質を単独で呈示した場合には驚 愕反射を増強しないものの,2物質を混合物として呈示 した場合には驚愕反射を増強することが判明した.ま た,この2種混合物は非常に微量で効果を発揮すること や,ストレスに関連する嗅覚シグナルと同じタイプの不 安を増大することが薬理学的研究により明らかとなっ た.さらにこの2種混合物は,聴覚性驚愕反射とは異な る試験においても不安の増大を示唆する反応を引き起こ す こ と が 確 認 さ れ た こ と か ら,4-methylpentanalと hexanalの2種混合物がフェロモン分子であることが明 らかとなった(13).図7にはこれまでの研究より推察され る,ラットの不安を増大するフェロモンの受容・神経機 構を示した.

おわりに

筆者らの属する研究分野は「獣医動物行動学」とい う,獣医学のなかでは医学における精神科あるいは心療 内科に相当するような専門分野である.言語での意思疎 通ができない動物が対象となるため,まずは相手の表情 や行動を観察することが何より重要な手がかりになって くる.そのため,不揮発性フェロモンのみならず,これ まで解析が遅れていた揮発性フェロモンに関しても研究

を進め,動物にとっての言語である嗅覚シグナルをより 包括的に理解していくことで,いつの日か動物と意思疎 通することを可能にしてくれる「ソロモンの指環」を手 に入れて,飼い主が動物たちと良い関係性を構築してい くことに貢献することが期待される.

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プロフィル

清川 泰志(Yasushi KIYOKAWA)

<略歴>2002年東京大学農学部獣医学専 修卒業/2005年日本学術振興会特別研究 員/2006年同大学大学院農学生命科学研 究科獣医学専攻修了/2007年日本学術振 興会特別研究員/2010年東京大学大学院 農学生命科学研究科助教,現在に至る<研 究テーマと抱負>哺乳類における情動コ ミュニケーションに関する研究<趣味>読 書,スキー<所属研究室ホームページ>

http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/koudou/ 

index.html

武内 ゆかり(Yukari TAKEUCHI)

<略歴>1987年東京農工大学農学部獣医 学科卒業/1989年同大学大学院農学系研 究科獣医学専攻修士課程修了/同年国立精 神・神経センター神経研究所流動研究員/

1991年東京大学農学部助手/1997年同大 学大学院農学生命科学研究科助教授/2007 年同准教授,現在に至る<研究テーマと抱 負>哺乳類におけるケミカルコミュニケー ションに関する研究と気質に関する行動遺 伝学的研究<趣味>映画鑑賞<所属研究室 ホームページ>http://www.vm.a.u-tokyo.

ac.jp/koudou/index.html

Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.53.681

参照

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ど一部の重要な香気成分が減少すると報告されてい る5.一方,酵母 をス ターター液として発酵前の異なる4つの品種のカカオ豆 に接種すると,得られたカカオ豆から61の揮発性物質 が定量されるが,官能評価では品種により香味が異なる と報告されている6.これらは,カカオ豆の特徴的な香 味を得るために,品種や最適な発酵が重要であることを 示唆している.