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卒業生への祝辞「沈思 黙考」

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() 第 34 号      2009

弘  学  時  報

(平成2)年3月27日(金)

学長 𠮷岡 利忠

 2009(平成

21)年 3月 19日

(木曜日)に本学体育館で学位記授

与式が開催されました。その一部

を弘学時報

34号に掲載し卒業生・

修了生への祝辞とします。

 大学卒業生は文学部第

35回生、

社会福祉学部第

7回生となり、看

護学部は初めての卒業生を出しま

 学校法人弘前学院  弘前学院理事長学院長

 阿保 邦弘

七 郷土での活躍

1東奥義塾と本多塾長

 藩校稽古館は明治四年廃藩置県

とともに新設の青森県庁に経営

管理が移管され、明治五年「弘前漢

英学校」となった。ところがその八

月、政府は学制頒布を全国に令し、

府県立公学校などを廃止する方針

をとったので、弘前漢英学校も経

営の基礎を断たれ、ほとんど廃校

第 34 号

(年4回発行)

編集発行 弘 前 学 院 大 学 広 報 委 員 会

印 刷 所

㈲小野印刷所

した。大学院社会福祉学研究科修

士課程では第

5回生、文学部修士

課程では第

3回生の学位記授与で

ありました。

 本年は、社会情勢、経済情勢は昨

年に増して大変厳しいものがあり

ます。本学ではこれまでに4度目

の就職セミナーを開催し、首都圏

および北東北3県から多くの企業

が参加してくれました。皆さんに

は昨年の就職セミナーに参加して

いただいたわけですが、今現在の

就職率は大学院などに進学する卒

業生を加えて全学部でほぼ

90%と

上昇しております。今後さらに内

定率が増え、最終的には100%

に瀕した。

 本多の盟友菊池九郎は、明治二

年から慶応義塾に学び、三年には

鹿児島に遊学し、四年九月以後帰

郷して弘前にあったが、母校の廃

滅を痛嘆して私立学校として再建

に奔走し、明治五年十一月政府に

申請して許可を得た。これが稽古

館の後身東奥義塾である。幹事兼

松成言、副幹事菊池九郎以下外国

語教師として招聘した宣教師ウォ

ルフを含めて教授陣三十人、弘前

漢英学校から引き継いだ漢英両学

部に小学部の生徒数四百余人で

あった。そして当時東京にあって

旧藩主津軽家の内政をつかさどっ

ていた西舘孤清の推薦によって、

横浜留学中の本多庸一を迎えて塾

頭とすることになった。  明治七年十一月満二十六歳の

時であった。本多の弘前時代は明

治十九年に至る十二年間である。

この間彼は多くの分野にわたり八

面六臂の活動を展開した。すなわ

ち塾頭として東奥義塾の経営と教

育に当たり、弘前教会を中心とす

る伝道活動を精力的に進め、「共

同会」を基礎とする青森県の自由

民権運動を指導して県政界に活躍

したのである。そして、これらの活

動分野は本多において分かちがた

く互いに関連しあっていた。かつ

ての盟友菊池九郎は再び彼の同士

であり、教育、伝道、政治のすべて

にわたる彼らのチームワークは固

く、見事であった。

 本多が赴任した当時の東奥義塾

は、東奥における文化センターと

して自他共に認める段階になりつ

つあった。新任の本多は明治八年

に義塾に「博覧書院」と呼ぶ図書館 を開設し、これを一般公開した。ま

た同じ年に、東京の明六雑誌にな

らった「開文雑誌」を発行したが、

これは十一年に内容の一層充実した「学友通信」に発展した。さらに

本多の着任直前にその第一回が

行われた「博覧会」の第二回を明治

十三年八月、義塾の講堂に開き、郷

土名門旧家秘蔵の美術品、武具や

地方物産など三千余点を陳列公

開し、観客三万人を動員した。また

「文学会」を組織し、演説、討論を毎

週行わせ、議事法の練習をさせた

りした。

 一方義塾の規模も本多、菊池の

指導のもとに発展し、明治八年一

月、一時廃していた小学部を小学

科として復活し、四月にはその女

子部を設置した。女子の学校教育

などは当時の弘前では夢想だにさ

れなかったところであり、開設当

時はむしろ奇異の感を持って迎

魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚

になるものと期待しております。

特に、看護学部卒業生はほぼ全員

の就職が決まっております。

 皆さんはキリスト教主義教育を

貫く弘前学院大学および大学院研

究科を卒業、修了しました。毎週、

木曜日の礼拝のみならずいくつか

の行事にも参加し、その場では心

を穏やかに静かに考える時間、そ

れが短い時間であってもいわゆる

「沈思黙考」するという素晴らしい

ひと時を経験しました。この「沈思

黙考」は、卒業していくあなた方が

いつでもどこでも自分自身を振り

返ることが出来るひと時であり、

大学において礼拝やさまざまな儀

式から身についたものです。皆さ

んが静かに自分を振り返って見る

とき、自分が置かれている状況を

正しく把握でき、今後の進むべき 方向を見定めてくれます。たとえ

短い時間の「沈思黙考」であって

も、極めて有意義な何かをもたら

すことになります。どうぞ、この

「沈思黙考」という言葉とともに、

あなた方の毎日の生活に生かして

下さい。

 さて、弘前学院は創立123年

目に入ります。幸運にも、皆さんは

3年前の創立120年記念式典

に参加する機会がありました。多

くの参加者とともに厳かな式典 を経験しました。歴史と伝統のあ

る大学に在学したことに、堂々た

るプライドを持って欲しいと思い

ます。弘前学院創設以来の歴史や

伝統は、見え隠れしながら皆さん

の誇りや自信を形成してくれてい

るのです。崇高なプライド、誰にも

負けない誇りと自信を抱き社会に

飛び立って下さい。そして、この伝

統を持つ弘前学院大学に入学し卒

業・修了したことを皆さんが卒業

した高校の後輩、先生方、兄弟、友

人たちあるいは職場の

皆さんに大いに誇りと

して下さい。

 また、弘前学院聖愛

中学校・聖愛高等学校・

大学そして大学院は、

いわゆる中・高・大・院

の一環教育に力を入れ

た結果ですし、この土

地から望まれたもので

す。聖愛中学校は大学

の看護学部と同様に、

この

3月に第一回生を

送り出しました。キリ

スト教主義を背景とし

た中・高・大・院を通し

た一環教育は北東北に あっては誇れるものであり、在校

生、卒業生、同窓会の強い絆が形成

され、地方の教育機関として輝い

ております。

 大学を卒業・修了した皆さんは

さまざまな環境において多種多様

の人たちと巡り会います。年齢の

異なる人たち、学歴が異なる人た

ち、地位が異なる人たち、大学生時

代では友達、部活の仲間というほ

ぼ横の繋がりが主であったもの

が、歴然とした上下関係が存在す

る中に入るのです。皆さんにとっ

てはかなり強烈な試練が待ち構え

ています。ストレスが溜まり、寝不

足になったり、頭痛を訴えたり、た

まには胃袋も痛くなるでしょう。

どのような環境でも前向きに進む

ということ、この姿勢が厳しい環

境にも馴染むものです。ここでいう「馴染む」ことは、その環境に受

動的に染められるということで

はなしに、自ら適応し、順応し、順

化するということです。次々と変

化する状況に積極的に入ってい

くということです。私は、長年、生

命科学の分野の研究をしてきま

した。全て事実に基づいていなけ

ればなりません。たとえば、実験動

卒業生への祝辞 「沈思 黙考」

えられたという。さらに明治十一

年には学則を改正して組織を拡大

し、公立中学設置に先立って中等

科をおいた。結社人主務(法人理事

長)菊池九郎、塾長本多庸一以下教

職員三十五人、中等本科、予科、小

学科の生徒総数二百九十六人で

あった。本多はこのとき正式に塾

長となった。そして十四年に印刷

所を設け、十五年には文学専門科、

法学専門科を置いた。すべてこれ

らのことは、当時にあって破天荒

な試みであり、横浜がえりの本多

や福沢門下の菊池が、協調しての

アイデアやその果敢な実行力とを

もって、義塾の教育水準を引き上

げ、地方文化の啓発に貢献した実

績は決して少なくはない。

 これとともに本多が伴ってきた

イングの与えた影響は大きい。イ

ングはもと南北戦争に従軍した北

軍の騎兵少佐で、のちメソジスト り、満堂粛として感涙に咽ぶ有様

であった」と「東奥義塾再興三十年

史」に述べている。彼がアメリカか

ら各種の野菜果樹を移植し、特に

りんごを輸入して、のちの青森県

最大の産業の基礎をつくった功績

は特筆されるところである。

 イングは日本語はほとんど話せ

なかったが、明治十一年三月帰国

までの三年四カ月に、本多と協力

して教育に伝道にその人格的感化

の及ぼした影響は強くかつ広く、

明治八年六月に早くも義塾生中最

初の受洗者十四人を出している。

その後続々入信者が会った

が、明治十年六月には、これら

の俊秀中五人がイングの母校

インディアナ州アズベリー大

学に留学している、珍田捨巳、

佐藤愛麿等、のちに外交界に

活躍する名前をその中に見る

ことが出来る。 (以下次号) 監督教会の宣教師となって中国に

伝道し、明治七年帰米の途中横浜

に立ち寄ったところを、バラに説

かれて弘前に来ることになったも

のである。彼は、初期の宣教師に共

通のピューリタン的情熱と高潔

な人格を持った人物であったば

かりでなく、博識、かつ有能であっ

た。「資性忠厚義気に富み、英語、

理化、数学、博物、史学を担当した

が、教授に当たっては片言隻句(わ

ずかな言葉)悉く肺肝より迸り(勢

いよく飛び散る)、談たまたま忠孝

節義のことに至れば声涙並びくだ 物ラット、ネズミですが、ラットを

ランニングマシンの動くベルトの

上を走させると、最初はそんなに

走らなくてもその内自ら走るよう

になり、それに効果的なトレーニ

ングをプラスすることによってな

んと最終的には長い時間走ること

が出来るようになり、持久性を獲

得するというそれに適応した状態

になります。ラットの生理機能に

循環器系や呼吸器系の向上が見ら

れ、すなわちマラソン選手が出来

上がるわけです。また、ラットにダ

ンベルを揚げさせたこともあり、

なんと重量挙げ選手を作ることが

出来ました。これも、その環境に適

応させた結果でしょう。動物と人

間、多くの違うところがあります

が、やはり、環境の生き物であり、

同じ動物です。今の社会、かなり厳

しいとは言えどのような環境にも

馴染むことが必要でしょう。多少

不満がある仕事、不本意な仕事で

も積極的に行うことにより、さま

ざま知識や技能などを修得でき、

その結果、幅広い人間性を形成す

ることになりましょう。この方が、

選んだ仕事、好きな仕事よりかけ

がえのない多くのモノを得ること が出来るというものです。また、そ

の環境にいる人たちとのコミュニ

ケーションを密にすることも大切

です。仕事をする上での多様化は

避けて通れません。環境に適応、順

応、順化という言葉は、生命科学の

分野の専門用語ですが、前にも述

べたように適応することが重要で

す。これは、これが駄目

ではなく、どんなことでも挑戦す

る姿勢、弘前学院大学で学んだ皆

さんには充分その志気が備わって

います。

 繰り返しになりますが、弘前学

院大学を卒業・修了したことに、自

信、誇りを持ちながら、胸を張って

諸君の志を達成するために歩み続

けてください。そして、私は、将来、

皆さんのお子様達が諸君の母校で

ある弘前学院大学を目指していた

だき、弘前学院の歴史を作ってい

ただきたいと期待するものです。

そのような、皆さまに愛される大

学になるように私ども教職員は一

丸となって前進したいと思いま

す。

 以上、皆さんの前途を祝し、私の

式辞といたします。

  2008 年度   理事長賞  

文学部 英語英米文学科

  高橋 絢佳

    (盛岡白百合学園高校卒)

文学部 日本語日本文学科

  佐藤 香織(弘前中央高校卒)

社会福祉学部社会福祉学科

  安田 理央(尾上総合高校卒)

看護学部看護学科

  石川 祥子(新庄北高校卒)

学位記授与式

ジョン・イング

(2)

(2) 第 34 号      2009

弘  学  時  報

(平成2)年3月27日(金)

「独立型社会福祉士」   (不) 可能性に関する研究

 

社会福祉学部 講師 小川 幸裕 研究紹介⑤ である「リカレント教育支援

基金」として250万円が贈

呈された。

 贈呈式は、弘前学院法人本

部理事長応接室で行われ、白

石会長から𠮷岡利忠学長に

目録が手渡された。 ggggggggg

cc cc

cc cc

cc cc

cc cc

cc cc

 結成

50周年を迎える弘前ライ

オンズクラブ(白石一雄会長)か

ら記念事業の一環で、県内の病

院、保健施設等の現役看護師を

対象としたリカレント教育(再

教育)に先進的に取り組んでい

る本学に対し、生涯教育の一環

弘前ライオンズクラブより 二五〇万円の寄付

 看護学部では青森県の委託を

うけて二月十六、十七、十八、二

十七、二十八の五日間、標記の講

習会を開催した。

 この講習のねらいは、平成

二十一年度から看護教育のカ

リキュラムが改正され、新しく

「フィジカルアセスメント」「医

療安全」「災害看護」などの教育

内容が組み入れられたことに伴

い、先ず実際に教育に携わって

いる教員の資質向上を図ること

に置かれていた。

 医師不足など、最近は医師の

過重労働が問題になって、その

緩和策として、医療行為の一部

を看護師などに委ねる方法が考

えられている。

 フィジカルアセスメントは、

従来医師が行なってきた目、鼻、

咽喉などの状態を調べる診断技

法を看護師が行なえるようにす 氏の協力を得て実りある講習を

行なうことが出来た。

 整えられた教育環境の中で、

「フィジカルアセスメント」「医

療安全」「災害看護」など実際に

活躍されている講師の方々か

ら、具体的な方法やポイントを

学ぶことが出来大変満足してい

る。今後も継続して欲しいなど

受講者の皆さんから好意的な意

見が沢山寄せられたこともその

証左といえよう。   

「青森県 看護 教員再教育講習 会」

―― 看護学部で開催 ――

看護学部長 神郡  

 本学院卒業生が入会する弘前

学院校友会(工藤幸会長)から、

2月

27日(金)に母校援助金

30万

円が𠮷岡学長へ贈呈された。校

友会母校援助金は毎年度寄贈

され、昨年度は校旗掲揚台の費

用の一部に、今年度は体育館ス

テージ引き幕を購入する。学位

記授与式(卒業式)には新しい引

き幕で卒業生を送り出すことに

なりました。

 みなさん「独立型社会福祉

士」という名称を耳にされた

ことはありますか。

 弘前学院大学社会福祉学部

では、社会福祉士の受験資格を

取れることはご存知のことか

と思います。社会福祉士は、生

活に困りごとを抱えていらっ

しゃる方の相談に乗り、そ の方が望んでいる生活を支える

ことを仕事にしている専門職で

す。しかし、国家資格として誕生

し約二十年が経過するにも関わ

らず、いまだ社会的な認知は低い

のが現状です。

 このような中、私は二〇〇七

年から社会福祉の現場で働く社

会福祉士の方と一緒に「独立型

社会福祉士」の実践をテーマに

共同研究をはじめました。「独

立型社会福祉士」とは、福祉施

設や機関から独立・開業して自

ら事務所を立ち上げ、実践活動 をしている社会福祉士のこと

を指します。現在は、「独立型社

会福祉士」が実践されている地

域に足を運び地域性を調べる

「フィールドワーク」と、直接利

用者と向き合って活動している

社会福祉士への「インタビュー

調査」を行っています。調査を通

して、各地域の実践の違いや、社

会福祉士という専門職の可能性

と限界を明らかにできればと

思って取り組んでいます。

 この研究の醍醐味はなんと

言っても、地域に入り現地でお話

を伺うことです。これまで北海

道・青森県・滋賀県・岡山県・広島

県・山口県・大分県で活躍する「独

立型社会福祉士」の方々を訪問し

てきました。土地に入ることで、 その地域ならではの風景はも

ちろん、歴史・文化・風土・気候・

産業などによって、人々の生活

が創られていることを毎回、痛

感させられます。また、社会福

祉士としての誇りを持ち、他者

の人生を自らの人生のように

慈しみ、その幸せを願う方々と

の出会いは、多くの学びを得る

とともに、自らの人生に対する

希望や夢をも再確認させても

らっています。

 私にとってこれらの研究

は、人の幸せを支える社会福

祉士の可能性を社会に発信す

る機会であると同時に、大学

における講義に向かう際のエ

ネルギーになっていると確信

しています。 域総合化研究所関係

 二〇〇九年度

     助成金の獲 得

 ●地域総合文化研究所の客

員教授鈴木克彦(考古学)氏と共

同研究者の笹森研究所所長が、

(財)青森県学術文化振興財団の

助成金を獲得した。

 助成金額:965、000円

 評価員は、評価対象大学の

書面調査、実地調査、調査報

告書の作成等の職務を行い

ます。

 (任期は、平成

23年 3月 31

日までの

2年

6ヶ月) ることによって、医師の負担を

軽減しようとするものである。

 「医療安全」、「災害看護」は最

近の医療や災害発生などの現況

から特に重視されている。

 本講習では、こうした要請に

応えられるよう、プログラム作

成の段階から、出来るだけ

その道の専門家に加わっ

てもらい、講習の効果を

高めることに心を砕いて

きた。その結果、幸い、本学

部の教員の外に、聖マリア

ンナ医科大学病院救命救

急センター専門看護師藤

野智子、山崎雅美、国立病

院機構災害医療センター

ディマット福元大介、齋

藤意子、弘前脳卒中セン

ター看護部長和島早苗各

 2009(平成

21)年 2月 10

日(火)、吉岡利忠学長は東京

千代田区の首相官邸で河村官

房長官に宇宙に関する要望書

を手渡した。学長は、日本宇宙

航空環境医学会の理事を長く

務めており、国が新しく宇宙

開発戦略本部(麻生太郎本部

長)を立ち上げたのを期に、宇

宙開発新体制に対して要望を

したものである。その骨子は、

宇宙開発新体制における宇宙 医学研究の重要性の確認、宇宙

医学研究を推進する環境整備、

宇宙医学研究を推進する人材の

育成である。日本は、米国、欧州、

カナダ、ロシアなどと国際宇宙

ステーションの建設に参画して

おり、日本実験棟「きぼう」が取

り付けられたことは記憶に新し

い。ステーションでは長期宇宙

滞在にむけて各国の宇宙飛行士

が訓練に励んでおり、特に、宇宙

環境における生体機能の影響に

吉岡学長、 河村建夫内閣官房長官に 宇宙開発に関する要請書を提出

 この度、2008(平成二十)

年度の成績優秀者が決まり、三

月十九日の学位記授与式後に表

彰状の授与が行われた。

 この賞は、学業成績・人

物ともに優秀で、社会福

祉士・精神保健福祉士養

成校の養成課程修了者に

対し贈られるものです。

 受賞者は次の方々で

す。

社 会 福祉士 ・ 精神 保健 福祉士 養成 校 成績優秀 者表 彰

 

社会福祉士養成校協会

     表彰者 渡辺あずさ

精神保健福祉士養成校協会

表彰者 乗田麻衣子

ついては解決しなければならな

い多くの課題が存在し、これら

の問題を解決する

ことは日本宇宙航

空環境医学会の大

きな使命でもある

し国の充分な支援

が無くてはならな

い。この要望書は

吉岡学長によって

作成され、栗原敏

理事長(東京慈恵

会医科大学学長)

とともに河村建夫

副本部長に手渡し

た。この機会は、青

森県選出の木村太 11111111111111111111111111111111111111111

111111111111111111111111

弘前学院校友会 よ り ― ― ―    校援助金

30 万円 の寄贈

郎衆議員を介して実現したもの

である。

111111111111111111111111

11111111111111111111111111111111111111111  研究内容:「青森縄文時代の

木製楽器(縄文琴)について」

●研究所所長である笹森氏が代

表である団体も、(財)むつ小川

原地区・産業振興財団の助成金

を獲得した。

 助成金額:1、800、000円

 研究内容:「津軽地方の中世

の宗教活動・地方文化振興につ

いて」

吉岡学長が財団法人日本高等教育機構から「評価員」に再委嘱

表彰者 乗田麻衣子 表彰者 渡辺あずさ

(3)

(3) 第 34 号      2009

弘  学  時  報

(平成2)年3月27日(金)

555555555555555555555555

   大江健三郎と

しょうけん

の文学

顧  偉良

談話室

華の道

  日本語日本文学科2年下山佳代子 クラブ紹介

11 11 11 11 11

yyyyyyyyyyyyyyyyyyy

yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy 図を持たない旅人』。私としては、

どうしてもこの二つの作品につい

て言及したかったのである。日本

の近代文学では、森外により始

められた歴史小説の叙述が、歴史

に対する新たな文学方法であり、

そのような文明批評の精神が脈々

と継承されている。一発の原子爆

弾で奪われた数十万人もの命、核

時代に生きる人間の声を世界の

人々に伝えようとした『ヒロシマ・

ノート』は、単なるエッセイでは

なく、同時代と正面から向き合お

うとする大江の姿勢を示した。一

方、激動の毛沢東時代を過ごした

蕭乾の回想録『地図を持たない旅

人』は、決して文壇話や旧事回想

ではなく、政治の闇の世界に翻弄

  文学散歩に参加して

日本語・日本文学科2年 下山 静香

 十月二十六日、文学散歩に行っ

てきました。今回行って来た場所

は、寺山修二記念館と三沢航空科

学館です。学校からバスで2時間

ほどかけて三沢市に移動しまし

た。移動中、バスの窓から外を眺め

ると、秋ということもあり木の葉

が紅葉に色付き、とても綺麗でし

た。また、小川原湖の近くを通り季

節の風情を感じられました。  三沢市に着いて最初に訪れたの

は、寺山修二記念館でした。寺山修

二は、青森県出身の劇作家で、館内

には彼が脚本を書いた映画のポス

ターや彼に関する年表、実際に使

われた机や椅子などを再現した展

示物がありました。机の引き出し

を開けると映像が出てくるという

変わった仕組みになっており、工

夫されていました。館内を見学後、

記念碑を見るため雑木林の道を十

分程歩き、今回の文学散歩の目的

でもある記念碑へ。悲しげな顔を

した犬の像が印象的でした。行き

は十分程かかった道のりでした

が、実は別に最短ルートがあり、私

たち二年の学会委員はそこを通り

一番初めに帰ってきました。記念

館を去る際に写真を撮ってきたの

ですが、舞台の上で撮ったことも

あり、女優気分でした。  皆さんは「華道」と聞くと、ど

んなイメージを持ちますか?「日

本の伝統文化、堅苦しくて難しそ

う、女性の習い事」などといった

ところでしょうか。

 確かに、長い歴史の中で形成さ

れてきた生け花の作法や型がある

ため、「堅苦しそう」と感じるか

もしれませんが、華道の一番の基 本は、「花を愛する心」です。そ

んな華道部の魅力は、生けた花に

人となりが表れるところだと思い

ます。同じ花材、花器を用いても、

人によって異なった表現になり、

作品には生けた人の心がそのまま

映し出されます。穏やかな気持ち

の時には、花も優しい感じのもの

になりますし、悲しい時に生けた

花は、どこか悲しげに見えてくる

ものです。

 さて、弘学の華道部ですが、毎

週水曜日に華道部部室で活動して

います。流派は最古の伝統を有す

る池坊で、お花の先生がきっちり 指導してくださいます。最大の行

事は、学祭での花展です。花展で

は、普段のお稽古の時とは違い、

多くの人に見てもらおうと、花器

も花材も華やかにして生けます。

 他にも、インターネット花展に

作品を応募したり、巡回講座に参

加して、お花の勉強もします。一

号館の正面玄関にある花も、華道

部が飾っています。

 最後に、華道は女性のものと思

われがちですが、そんなことはあ

りません。元々は、室町時代の僧

から始まったものですし、今日で

も多くの男性の教授者が活躍して

軟式野球部

社会福祉学科3年 成田 聖司

 私たち野球部は、部員九人にマ

ネージャー二人の十一人で活動し

ています。練習日は土・日が主で、練

習内容はランニングやフリーバッ

ティング、ノックなどをし、冬は体

育館でストレッチや体力づくりに

励んでいます。人数が少ないため

練習メニューも限られています が、チームワークを活かしながら

全員が楽しく野球をしています。

昨年の秋の奥羽地区軟式野球大会

予選では見事3位に輝きました。

 私たち野球部の良さは、どんな

時でも明るく、負けていても最

後まで声を出し、粘り強い所だ

と思います。また、私たち野球部

のメンバーは個性豊かな人ばかり

です。そこでその個性豊かなメン

バーの紹介をしたいと思います。

まずは、八戸一仁君を紹介します。

八戸君は私と同期でどこでも守れ

るオールラウンダーです。続いて

二年生を紹介します。野球部ナン

バーワンのパワーをもつ木下嗣仁

君は、いつも皆を笑わせてくれる 人気者です。工藤純輝君は、試合

での鉄壁な守備と華麗な走塁が素

晴らしいです。千葉裕輔君は足が

速く、左右どちらでも打つことが

できるスイッチヒッターです。最

後に一年生を紹介します。工藤安

都君は野球部内のムードメーカー

で、野球に対する姿勢や考えがと

てもしっかりしています。藤田陽

介君はサウスポーでピッチャーと

ファーストができるイケメンで

す。長内康平君と野呂成明君は私

の高校の後輩にあたり、野球に対

する熱意が熱く、練習熱心です。

マネージャーの山内麻子さんと

櫛引望さんは選手の練習のサポー

トや、資料の整理などをしてもら

「私の卒業後」

 英語英米文学科

    2006年

堤  一憲 3月卒

 まず、卒業後、すぐに入社した会

社は、全国規模の靴屋です。ここで

は、一年半在籍していました。そ

こを退職後は、一年半に及ぶ長い

転職活動が始まります。その間、 色々な事をしました。職業訓練校

に通ったり、入社が決まったもの

の本採用にならなかったり。最近、

話題になっている派遣社員とし

て、運送業で働いてみたりもしま

した。そして、紆余曲折を繰り返し

ながらも、ようやく、今の外資系の

靴屋に落ち着くことができまし

た。以上が簡単な私の職歴です。転

職活動中は数え切れないほどの

会社を受け、時に面接官から心な

い言葉を浴びせられたり。また、自

分のやりたい事と、やれる事の違

いに葛藤した事もあります。答え

をだすために、普段、読まないよう

な新聞、ビジネス書や啓発本に手 います。

 というわけなので、現在男女と

もに部員募集中です。この機会に、

日本の伝統文化に触れてみてはい

かがでしょうか。

いとても助かっています。

 今年の目標は、本戦に出場する

ことです。これからも、部員皆で

力を合わせ、弘前学院大学らしい

野球をしていきたいと思います。

を出してみたり、社会人向けのセ

ミナーに参加してみたりもしま

した。おそらくこれは、大半の人が

持ちえる悩みなのでしょう。実際、

私が卒業後に出会った様々な人々

も、みんな同じ悩みを持っていま

した。しかし、最近、おぼろげなが

らも、その答えを見つけつつあり

ます。夢や目標なんてたいそうな

もの、焦って探す必要はない。好き

な事やってりゃ、そのうち、夢や目

標になる。と感じるようになった

のです。だから今、自分が好きな靴

関係の仕事に就いて、日々、自分の

人生を模索しています。以上が私

の卒業後に体験した事です。 されながら、波瀾万丈の人生を経

めぐる喜悲劇の物語であった。い

わば現代中国版の『ユリシーズ』

ともいうべく、明らかに中国現代

文学の新たな里程標として刻まれ

ている。

 なお『地図を持たない旅人』(花

伝社、一九九二)の訳者故丸山

昇(元東京大学名誉教授)氏は、

一九八八年から二〇〇五年にかけ

て蕭乾・文潔若と書簡を交し合っ

たが、昨年の暮、その往復書簡の

整理を依頼され、目下、入力作業

中である。蕭乾文学と大江文学は

その根底において通い合うものが

ある。九月の講演でその一端にで

も触れることができれば幸いであ

る。

 次の三沢航空科学館に行く前に、

道の駅で昼食をとるため移動して

いたところ、ふと窓の外を見ると、

なんと牛が!あまり本物の牛を間

近で見たことがなかったので、みんな「牛だ~!」と叫んでいました。道

の駅に着くとお待ちかねの昼食で

す。メニューは豚肉と野菜の定食で

した。道の駅では他にも特産品など

を販売しており、いろいろな品が売

られていました。昼食の後は、三沢

航空科学館です。ここでは遊びなが

ら科学を学べます。休日ということ

もあり、家族連れが多かったです。

私たちが体験したのは、月での実際

のジャンプ力を体験できたり、翼の

しくみやスピード力を測れたりと、

童心に帰させてくれるものばかり

でした。

 いろいろなものを見たり体験で

きたり、とても有意義な一日を送

ることが出来ました。

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 昨年の8月、私は海外研修と

いうプログラムに参加し、アメ

リカのIllinoisに行ってきま

した。私たちが行った大学は

Napervilleという町にある

Norte Central Universityで、そこの寮で約3週間過ごしま

した。月曜日から木曜日の午前中

はReadingとWritingの2つ

のクラスがあり、昼食を食べた後、

現地の学生によるチューターの

時間がありました。これらのクラ

スはクラス分けがあり、1クラス

の人数は7~8人程度でした。金

曜日は選択クラスで、あらかじめ

とったアンケートを基にして分け られたクラスで授業を受けまし

た。私は発音の強化をしたかった

ので発音やアクセントを学ぶクラ

スを受けました。今回このプログ

ラムは私たちの大学の学生だけで

はなく、他県の大学生や、韓国人、

台湾人も参加していました。また、

別のプログラムで来ていたカター

ル人とも一緒のクラスで勉強しま

した。自由時間はチューターの学

生と野球をしたり、買い物に行っ

たりし、また、クラスのない土日は

列車でシカゴへ行ったり、遊園地

に行ったりしました。毎日新しい

発見があり、充実した3週間を過

ごしました。今回のこのプログラ

ムに参加して、国籍を問わずたく

さんの人に出会い、国の情勢やい

ろいろな価値観、そして英語とい

う言語を学んでいることの意味が

わかりました。今、世界では英語を

外国語または第二外国語として学

んでいる国はたくさんあります。

日本もそのうちの一つです。日本

にいれば英語を話すことが出来な

くても普通の生活は出来ます。し

かし、英語を話すことが出来れば、

英語を母国語とする人たちだけで

  海外研修に参加して

英語・英米文学科2年 福 士    二〇〇九年一月に、大江健三郎

の作品『臈(らふ)たしアナベル・

リイ 総毛立ちつ身まかりつ』は、

中国の『人民文学』雑誌社より、

最佳外国小説賞微山湖賞を授けら

れた。中国の作家蕭乾(しょうけ ん、一九一〇~一九九九)逝去十

周年に当たる今夏、蕭乾出身地の 内モンゴルを訪れる予定だった

が、先日、蕭乾ご夫人文潔若氏と

の電話で、北京の中国現代文学館

と内モンゴル大学で大江健三郎に

ついて講演を行うようにとの依頼

を受けた。さて、大江健三郎につ

いて何を語ろうかと考えているう

ちに「大江健三郎と蕭乾の文学に

ついて」という演題が浮び上がっ

てきた。講演内容は三つに分ける。

〈一〉、大江文学と〈戦後文学〉の

関係、〈二〉、大江文学における私

小説の影響、〈三〉、文学の記録性

―『ヒロシマ・ノート』と『地

なく、英語を学習している国の人

とも交流することが出来ます。グ

ローバル化している今、より多く

の人と人を繋ぐことの出来る言葉

を学ぶことは今を生きている私た

ちにとって「あったほうがいい」能 力だと思います。これから先、英語

をメインに使う仕事に就くとは限

りませんが、どんな職に就いたと

してもどこかで活かすことが出来

ると思うのでずっと学んでいきた

いと思います。

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11 11 11 1 選択クラスの仲間(後列左側から四人目本人)

2008.10.26 寺山修二記念碑の前で

(4)

(4) 第 34 号      2009

弘  学  時  報

(平成2)年3月27日(金)

 四年間を通して、学校で

笑わない日はきっとなかっ

た。そう言える程、毎日が

笑いで溢れていました。嫌だ

と思うような講義があったとし

ても、友人達に会えると思うと

自然と足が学校へと向かうし、

講義が楽しくなる気がする。「飽

きる」と言う言葉を忘れるよう

な日々でした。

 今、卒業という日を迎え、放課

後ばかりの毎日は、終わりとい

うチャイムと共に完全に思い出

と化そうとしています。それな

のにそんな気がしないのはきっ

と、今でも日々の笑い声が頭か

ら離れない所為だと思います。

 様々な知識を得られた講義に

感謝を。

 お世話になった沢山の方々に

感謝を。

 最高の友人達に出会わせてく

れた大学に感謝を。

 何より、笑い合えた日々と友

人達に心からの感謝を。

 四年間、楽しかったです。  光陰矢のごとしとはよく

言ったもので、もう4年も過ぎ

てしまったものか…と正直驚い

ています。

 ここ、弘前学院大学では、た

くさんの素敵な仲間や教授との

出会いがありました。また、さ

まざまな機会を与えていただ

き、新しいことに挑戦するきっ

かけをいただきました。そこか らたくさんの刺激を受け、人生

2度目となる留学もさせて頂き

ましたし、自分自身を見つめな

おし、新たな興味や可能性を見

つけることもできました。確か

に大変なこともありましたが、

それを乗り越えたときに自分自

身に対する自信となりました

し、自分の好きなことを追究で

きたこの4年間は、ほかの何に

も代え難い、とても充実した時

間となりました。

 苦楽を共にし、ここまで一緒

に頑張ってきた仲間、困った時

には親身になって相談に乗って くれ、そして時には背中を押し

て、一歩前へ踏み出す勇気をく

れた教授の方々、さまざまな面

でサポートしてくださった関係

者の皆様、そして、4年間見守

り続けてくれた家族、そんなた

くさんの人たちに支えられ、最

高の大学生活を送ることができ

ました。きっと弘前学院大学で

なければ、こんなに有意義な大

学生活を送ることはできなかっ

たと思います。ここで過ごした

4年間は、私の貴重な宝物です。

ありがとうございました。これ

からは弘前学院大学で学んだこ

とを胸に、社会人として精一杯

努力してまいりたいと思いま

す。今まで本当にありがとう

ございました。

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  卒業にあたり

英語・英米文学科卒 高橋 絢佳 

 四年間の思い出をと言われ、

咄嗟に思いつくことが講義等に

関するものでないというのは

不謹慎かも知れませんが、私の

思い出と言ったら、講義よりも

何よりもこれしかないと思いま

す。

 「毎日が放課後のようだった」

これだけです。

 確かに、講義はとても楽しい

内容のものもあれば、少し難し

いようなものもありと、とても

充実していました。教育実習に

行き、教育の現場をほんの少し

だけれども経験したこともとて

も印象深いです。けれども、ど

んなことをしようとも、結局行 き着くのは「毎日が放課後」な

のです。

 私は高校時代、放課後以外で

誰かと騒いだり笑ったりという

ことが極端に少なく、クラスで

はほぼ一人で居るような状態

で、授業の合間の休みに誰かと

お喋りということは殆どありま

せんでした。

 そんな自分が大学に入学して

果たして上手くやっていけるの

かと不安でしたが、リトリート

であっさりと友人が出来、気が

付けばその時のテンションのま

ま四年間が過ぎたようにも思え

ます。

 講義の前と後に必ずお喋りを

して、つまらないことでも何故

か笑い合う。登校してから帰り

際まで笑いが止まらないという

環境は、高校時代では考えられ

ないものでした。

  四年間の思 い出

日本語・日本文学科卒 佐藤 香織   私が大学生活を振り返るに

あたり、欠かせない出来事は、多

くの友人との出会いです。当初、

私は、「大学とは、勉強はもちろ

ん、その他何に関しても、他の人

に頼らず、一人でやらなければ

ならない所」と思っていました。

同時に、大学生活に馴染むこと

 ができるだろうかという不安

  も抱いていました。自ら話

  し掛けるのが苦手であり、 また、「一人でやらなければ」と

気負っていたため、友人ができ

るとは想像もしていませんで

した。そんな私に、笑顔で話し掛

け、優しく接してくれる友人が

でき、本当に嬉しかったです。

 勉強においても、友人が助け、

支えとなりました。その一つに、

国家試験に向けて友人と勉強し

たことが挙げられます。模擬試

験で良い結果が出ず、勉強にも

身が入らなくなり、受験するこ

とを諦めかけたこともありまし

たが、友人と勉強することで、励

まされ、頑張ろうという気持ち

になれました。国家試験を受け ることが大学生活の一つの目標

でもあったため、受験に挑戦し、

そして精一杯できたと感じるこ

とができました。

 また、講義を通して、楽しい学

び、驚きの学び、反省の学びとい

う多くの学びができました。知

る・学ぶことは、楽しく、面白く、

物事を考えて行く上で非常に重

要なことであると改めて感じま

した。辛いときもありましたが、

乗り越えたときの充実感もあ

り、ここまでこられたことを驚

くとともに、嬉しく思います。

 大学生活は、多くのことを学

ぶことができただけでなく、ご

指導してくださった先生方、多

くの仲間、周囲に支えられた、

充実した四年間でした。ありが

とうございました。

  大学生活を振り返って

社会福祉学部社会福祉学科卒 安田 理央 

 私たちが弘前学院大学に入学

してから、早いもので四年の月

日が経とうとしています。

 私がこの四年間で最も印象

に残っているのは、看護臨床実

習です。それまでは主に授業で

しか学んでいなかった疾病の特

徴や治療法などについて、実際

に患者さんを通して学ぶもので

した。実習を行ってみると、「同

じ病気でも、患者さんによって

病状も治療の仕方も違う。」とい

う大切なことに気づかされまし

た。患者さんの性格や特徴を踏

まえ、一人ひとりに合わせたケ アプランを立て、関わっていく

ことがいかに重要であるかを学

びました。患者さんの生と死に立

ち合うこともあり、辛さを感じる

こともありましたが、この実習を

通して、看護に携わっていく者と

して一回り成長できたのではな

いかと思っております。

 また、看護学部の仲間の存在

も私にとって大きな支えとなり

ました。お互いに苦楽を共にし、

励まし合ったからこそ実習や試

験勉強を乗り越えられたのだと

思います。特に、国家試験の勉

強は、不安やプレッシャーの連

続でしたが、分からない箇所を

教え合ったり、他愛もない話を

して笑い合ったりしながら、目

標に向かって進んできました。

看護学部の仲間には、本当に感 謝しています。そして、いつで

も私たちを温かく見守り、優し

く時に厳しくご指導して下さっ

た先生方に、心から感謝を申し

上げます。

 これからは、それぞれ自分の

選んだ道を歩んでいくことにな

りますが、弘前学院大学での学

びを糧に、社会人として一歩一

歩前進していきたいと思いま

す。

 最後に、本学の益々のご発展

をお祈りし、お礼と致します。

  弘前学院大学で      過ごした四年間

看護学部看護学科卒 石川 祥子   わたしは本業である保育園で

の現場経験を活かして社会人入

試を受験、大学院社会福祉学研

究科の門をくぐりました。

47歳

の春のことでした。かつて、人

50年といわれていたことを思

えばなんとも贅沢な人生を歩ま

せていただいたことか。社会人

に対し、広く門戸を開かれてい

る学院の理念あるれる運営姿勢

とそれを培い、支えてこられた

関係者の皆様にあらためて感謝

申し上げます。

 ところで、わたしの志望動機

はライフ・ワークである保育と

いう営みを通じて平和な社会の

実現に多少なりとも貢献しうる

スキルと人間性を身につけるこ

とにあった。わたしが保育園を

運営する町は最近マスコミ報道

でもよく取り上げられる、いわ

ゆる「保育所待機児童」が多い

地域である。利用者及び潜在希

望者数が多いだけに入園の是非

や子育て支援策の展開など、現

場に実際携わる者の姿勢が大き く問われるところである。ま

た、経営には金が必要だからと

さまざまな費用を思慮なく徴収

すれば、この不景気である。た

ちまちサービスを受けられる子

どもの間で格差が生じるに違い

ない。このように保育実践者の

人間性は町の子育て環境のグラ

ンドデザインと大きく関わるほ

どに影響が大きいことが分か

る。福祉産業の民間委託・依存

がますます拡大する現代におい

ては、高齢者・障碍などの他の

福祉分野においても同じことが

言えるであろう。福祉実践者が

真の福祉社会のあり方について

探求し続けなければならない理

由はここにある。

 本学院ではそれらについて学

び、研究するための素晴らしい

環境が用意されている。そのお

陰でわたしも多くを学び、研究

に没頭することができた。その

中身についてすべてを披露する

ことは適わないが、あえて一言

で申し上げると、「福祉のここ

ろとその精神性に裏付けられた

福祉現場の日常を創造する人間

の具体的なあり方」についての

学びの日々であった。

 福祉の理想は気高い。その気

高さゆえに悲しい出来事のあま

りにも多い現代社会において究

め行く道程は遙かに遠いことか

も知れない。しかし、その道の

途中で見る景色は美しく詩情に

満ちているのではあるまいか。

創造力を発揮しつづける子ども

たちのように新たな自己との出

会いを喜び、社会の母性として

福祉のこころが社会に広がりゆ

くことを夢見る

49歳の春です。

弘前学院の想い出

大学院社会福祉学研究科修了 杉本 一久

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卒業記念パーティー 2009.3.19

祝卒業

参照

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(4) 第 55 号 2014(平成26)年3月31日(月) 弘 学 時 報 私にとって弘前学院大学で 過ごした四年間は、たくさん の人との出会いを通して成長 することが出来た四年間でし た。入学当初は、自分で選択 した科目を自由な席で学ぶこ とが新鮮に感じられ、学ぶた びに自分の世界が広がりまし た。一方で、学ばなければな