(1) 第 21 号
弘 学 時 報 (創立 120 年記念特集) 2005年11月22日峨
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学 校 法 人 弘 前 学 院 理 事 長 ・ 学 院 長 阿 保 邦 弘
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学校法人 弘前学院創立120年記念式典 2005年10月1日
本日ここに学校法人弘前学院創立一二〇年記念式典を挙行いたしましたところ︑日本基督教団奥羽教区総会議長・文部科学大臣・青森県知事・弘前市長・キリスト教学校教育同盟理事長はじめ全国キリスト教界・政界・財界・教育界から各界を代表する皆様︑さらに実習協力施設︑同窓生・旧PTA役員︑旧教職員︑後援会員ならびに関係企業・協力者各位のご臨席を賜り︑まことに名誉なことと厚くお礼申し上げます︒ 弘前学院は一八八六年︑明治一九年に元寺町の弘前教会に誕生いたしました︒創立者は︑津軽の先覚者にして明治キリスト教界の巨頭︑日本メソジスト教会初代監督本多庸一先生です︒本多先生は︑弘前教会関係者の要望を受けすでに開校していた函館の遺愛女学校当局者と話し合い︑分校の弘前開設が決まり︑とりあえず︑日曜日以外は空いている弘前教会堂を利用して﹁来徳女学校﹂の名称で始めることになりました︒次の年﹁弘前遺愛女学校﹂となり︑一八八 九年﹁私立弘前女学校﹂と改称して県知事の設立許可を受け︑一八九八年青森県で最初の私立弘前幼稚園も開設し弘前女学校と同じ校舎で教育活動が行われました︒弘前女学校を支え導いたのは︑初代校長ハンプトンから十五代を数えたアメリカ人婦人宣教師や弘前に来た男女五十名を超える宣教師たちでした︒キリスト教伝道と教育の使命感に燃えた多くのアメリカ人宣教師が万里の波頭を越えて来日し弘前に入り厚い信仰に基づき献身的に働き︑教職員生徒に大きな感化を与えました︒当時アメリカから日本までは順調に旅して五〇日︑横浜から弘前までは三週間が普通だったのです︒ 一八八九年︑明治二十二年県の設立許可には︑尋常小学科四年・高等小学科三年・本科三年で一五〇名が募集され︑本科では英語が週六時間のほか経済学初歩︑化学初歩︑万国史︑理科初歩など使用教科書はすべて英文でした︒代々の校長はアメリカ人婦人宣教師であり︑この人たちが英語の授業は英文による 教科書を使用していました︒この頃県内において正式に英語の授業を行っていたのは東奥義塾・県立第一中学校だけでした︒また︑裁縫や編み物に重点を置いて女子の技芸教育に多くの時間を割いているのが特徴で︑語学と技芸教育が学科課程の二本の柱でありました︒ その後校地は元大工町︑坂本町と移転し︑一九一七年︑大正六年高等女学校卒業と同等以上の学力を有するとの指定を得︑一九一九年︑大正八年校名を私立弘前女学校から︑弘前女学校と改称しています︒ 終戦直前︑青森市は空襲のため焦土と化し︑弘前の空襲も時間の問題となってきました︒一九四五年︑昭和二十年八月六日︑弘前市は空襲に備えて市内十箇所にわたって︑建物疎開計画を公表しましたが︑弘前女学校キャンパスはその中にすっぽりと入っていました︒直ちに市・県と交渉に入りましたが︑八月十三日実施を言い渡されてしまいました︒時の理事長笹森順造先生は八月十五日午後一時県との最後の陳情を約し青森に向かったのであります︒この日の正午戦争は終わりました︒奇跡が起きたとしか思われません︒ 戦後弘前聖愛高等女学校︑弘前聖愛中学校と改称︑一九五〇年弘前聖愛短期大学英文科が認可され︑同年学校法人弘前学院となり︑校名を弘前学院短期大学︑弘前学院聖愛高等学校中学校と改称しました︒短期大学には家政科に続いて国文科も増設され︑一九七一年短期大学英文科と国文科を改組転換四年制大学文学部となりました︒一九七八年までに弘前の中心部坂本町に位置していた校舎を弘前市の南西に広がる台地稔町・原ヶ平・城南に移転し新キャンパス で教育活動が展開されることになりました︒ 一九八六年︑昭和六十一年には創立一〇〇周年記念式典を開催し移転後の新天地において建学の精神を高く掲げ︑弘前学院教育の使命を果たし地域に貢献する決意を新たにいたしました︒以来二十星霜︑短期大学家政科を生活福祉学科と改称し︑一九九九年これを発展的に改組転換四年制社会福祉学部とするとともに男女共学に踏み切り︑次の年高等学校も男女共学に致しました︒二〇〇三年大学院社会福祉学研究科︑本年は大学院文学研究科ならびに看護学部を開設し︑新世紀への地固めを致しました︒来年四月中高一貫の聖愛中学校を開設する予定です︒社会福祉学部開設以降の事業を創立一二〇年記念事業と位置づけ︑今日の記念式典に結集してお祝いすることにいたしました︒ 弘前学院が今日まで祈りつつ︑喜びをもって歩み続けることができましたのは︑一重にご臨席の各位のご理解︑ご協力︑ご支援によるところであり︑深甚なる感謝を奉げるものであります︒ 私共学生生徒教職員は︑三万五千五百人に及ぶ卒業生の築いた輝かしい歴史と伝統をまもり︑変えるべきものとそうでないものを鋭く見分けながら︑キリスト教主義に基づく学校として建学の精神である畏神愛人を踏まえ己を絶対化することなく︑人々と共に生き︑平和を作り出す人を育成すべく︑各位のご支援のもと更なる精進を続けることをお誓いして式辞といたします︒ 二〇〇五年 十月一日
弘 前 学 院 創 立
百 二 十 年 記 念 式 典 式 辞
二〇〇五︵平成一七︶年十月一日︵土曜日︶︑弘前市民会館およびホテルニューキャッスルに
おいて︑弘前学院創立一二〇年
記念式典︑記念講演会そして記念祝賀会が盛大に催されまし
た︒この様子は︑地元のテレビや新聞で大々的に報道され︑参
加者のみならず多くの県民や関係諸氏︑卒業生︑在学生︑保護
者の目︑耳にするところとなりました︒ここに至るまでの弘前
学院の歴史は︑﹁弘学時報﹂の紙
面に掲載されていますのでご覧下さい︒
津軽地方の小中高大などの教育関係施設の多くはそれぞれ古
い歴史を誇っています︒特に︑十月という月には︑その創立記
念式典開催の通知を頂くことが多く新聞紙上などで式典の様子
を目にすることが度々です︒多くの式典のある中︑トップを
切って弘前学院創立一二〇年記
念式典が開催されました︒この日この時間︑式典開催に携わる
ことができましたことは私どもにとり誠に喜ばしい限りであり
ます︒記念式典︑柳田邦男氏による﹁いのちと響き合う言葉﹂
の記念特別講演会︑記念祝賀会を︑私たちすべての教職員がこ
ころを一つにして対応できたことが盛大で華麗にしかも感動的
に開催することができました︒
後日︑参加していただいた方々からのお褒めのお言葉は︑それ
ぞれの職場で忙しい毎日を過ごしていたことを忘れさせてくれ ました︒
弘前学院大学は︑文学部︑社会福祉学部︑看護学部の3学部
と前2学部の大学院研究科を有
する総合大学となりました︒毎年︑学部学生︑研究科学生は総
勢270名を迎えることになっています︒向学心に燃え活気あ
ふれる在学生︑それを指導する教員そして学生生活全般をサ
ポートする職員が︑現在の弘前学院大学の姿です︒また︑県内
外における卒業生の活躍はよく
耳にするところであります︒最近︑﹁大学全入時代﹂という言葉
をよく聞きます︒高校生数の減少が原因の一つでありますが︑
確固たる歴史とともに基盤のしっかりした大学については受
験生が入学したい大学の一つでしょう︒これに加え︑有能な教
授陣︑教育内容の高さとともに入学志望動機の上位にランクさ
れています︒特に︑卒業生やそ
のご親戚の皆さまのご子弟におかれましては︑本学への入学を
強く希望するものです︒短期大学発足以来︑大学の歴史は五十
五年経過しますが︑一二〇年を誇る弘前学院のここまでの道筋
を振り返りつつそれを糧にし︑現在の高等教育情勢を正しく受
け︑先を見据える姿勢を養い︑期待される弘前学院大学を築い
ていかなければなりません︒弘
前学院創立一二〇年記念式典がその一つの区切であり︑未来に
向けての出発点であると考えています︒
盛 大 ・ 華 麗 ・ 感 動 そ し て 期 待 の 式 典
一八八六年創立者本多庸一先生のもと︑元寺町弘前教会に産
声を上げ今年で一二○年を経過し︑校名も幾度か改称され昭和
二五年学校法人弘前学院となったのであります︒
その間社会の変動や︑教育改革など幾多の変遷を重ねて参り
現在の姿となりましたが︑常に時代に即応した教育環境の改善
に取り組んでまいりました先達
のご努力に心から敬意を表するものであります︒
特に開学当初から四四年間︑外国人校長を迎えましたが︑そ
の生涯をこの異国の伝導と教育に捧げた︑代々の校長先生の崇
先 人 の 偉 業 に 感 謝 協 賛 会 長 野 澤 武
高なる人柄に接し強い影響感化
を受け本学教育のために︑心血
を注がれた歴代の教職員のご労苦を称え感謝の誠を捧げたいと
思うのです︒ 尚︑弘前学院整備拡充に物心
両面にわたって支援してまいりました歴代の理事長初め︑多く
の徳旨者のご行為︑神のなせる技か︑その偉大さ︑海外のミッ
ションからの額と合わせ計算し
がたい膨大なものとなります︒ 脈々と続けてご支援下さる校
友会︑PTA︑後援会の心温まるご協力︑更に更に尊く思うも
のであり︑次代を担う若人の教育の一端にお手伝い出来る幸
せ︑慶び分ち合いながら感謝致しております︒
そしてなによりも誇れるもの
は第一回卒業生中村のぶ女史以来︑教育︑文化︑医学︑福祉等
広い分野で全国各地で活躍して︑実績を残している卒業生で
あります︒ 本学教育の素晴しさを実践し
全国に知らしめた卒業生に︑惜しみない称賛の言葉を捧げたい
と思います︒
在校生の皆さん︑二一世紀に
入って早や五年を経過しようと
しております︒ 新世紀は夢と希望の平和な︑
豊かな時代を迎えるものと考えておりましたが︑南北の経済格差︑
思想︑宗教的なものなのか後進国内戦状態︑そして国際テロ問題︑
地球規模の環境汚染︑破壊︑国内に於いても残虐な殺戮︑それも最
も頼りにしている肉親同志の犯罪行為等等慙愧に耐えません︒
弘前学院の建学の精神﹁畏神
愛人﹂この心こそ世の全てを救える指針なのであります︒
本学で学んだ知恵と力と勇気をもって世界平和に貢献してい くことを期待しております︒
最後になりましたが一二〇年は素晴しい優れた先人に育まれ
築かれてきた歴史であり︑全て
の人々に心から感謝するもので
学 長 岡 利 忠
あります︒一二〇年記念を契機として︑弘前学院の益々のご発展︑心より
祈念してあいさつと致します︒
第 21 号
(創立120年記念号)
編集発行 弘 前 学 院 大 学 広 報 委 員 会
印 刷 所
㈲小野印刷所
(2) 第 21 号
弘 学 時 報 (創立 120 年記念特集) 2005年11月22日峨
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坂本町 旧校舎
本校創立一二〇年の記念の年に際し︑まことに感謝に耐えません︒私は三年前校長に就任して以来︑弘前学院聖愛高等学校のあるべき姿を求め﹁新たな視点﹂﹁新たな発想﹂﹁新しい展開﹂で活力ある学校を目指してまいりました︒ まず︑生徒の学校生活を豊かなものとするために︑様々な面で改革を計画実行しております︒例えば︑短時間で集中力を高め効率よい授業展開を図るために︑今年度より一単位四五分授業を導入致しました︒ さらに︑一般コースでは一人一人の特性に合った学習活動ができるように一般系・英語英会話系・看護進学系と三つの系列を設け︑コースの細 分化を図ると共に︑放課後の時間をそれぞれが有意義に用いることができるように六時間授業としました︒一方︑特進コースでは進路実現に向けてじっくりと学習できるように七時間授業としました︒まだ始めて半年余りですが︑教職員一丸となって生徒の指導に励んでおります︒ 部活動においては野球部が全国高等学校野球選手権大会青森県予選会において︑創部五年目にして四強入りすることができました︒これは︑生徒の地道な努力と皆様の応援あっての勝利だと思っております︒ありがとうございました︒ また︑バレーボール部においても高校総体で優勝し︑インターハイへの出場を果たすなど︑運動部の活躍は顕著なものです︒もちろん︑文化部においても︑囲碁部は青森県選手権大会で強豪を破り優勝し︑全国大会出場︒演劇部︑吹奏楽 部は青森県で優秀な成績をおさめる活躍をしております︒ 聖書にはこのような言葉があります︒﹁求めなさい︒そうすれば与えられる︒探しなさい︒そうすれば見つかる︒門をたたきなさい︒そうすれば開かれる︒だれでも︑求める者は受け︑探す者は見つけ︑門をたたく者には開かれる︒﹂︵マタイ七
と考えております︒ つ教育活動に励んでいきたい け継ぎ︑新しい改革を加えつ 基づいた人間教育の伝統を受 おります︒キリスト教主義に 高める力があると私は信じて どもたちの可能性を引き出し︑ いる昨今ですが︑教育には子 育の閉塞感が取り沙汰されて どもたちの心の荒廃や学校教 始まろうとしております︒子 中学と高校の六年一貫教育が 学校の開校が予定されており︑ 二〇〇六年四月には聖愛中 いりたいと考えております︒ きで積極的に教育を進めてま に考え︑生徒・教職員共に前向 この聖書の精神を私は大切 八︶﹂ ‥七ー ︵神を畏れ︑人を愛する︶です︒は憂うべきものがあります︒献をすることは確かです︒ います︒それは︑﹁畏神愛人﹂ありません︒生命軽視の風潮からの日本と世界に大きな貢 しい建学の精神が与えられてが行なわれることも︑稀ではせん︒﹁畏神愛人﹂は︑これか 弘前学院には︑実に素晴らります︒家庭内で傷害や殺人えているように思えてなりま を開設しようとしております︒うという風潮が広がりつつあ的な意味と課題を私たちに与 ました︒来年度には︑聖愛中学あります︒人の命を簡単に奪学の精神﹁畏神愛人﹂は︑今日 合大学へと偉大な成長を遂げ対する畏れの思いを失いつつ馳せるときに︑弘前学院の建 聖愛高校︑三学部を擁する総 次に︑現代人は︑命の尊さに このように二一世紀に思い 称を変えて歩んで来ました︒敬の念の回復が必要です︒と言っています︒ 校︑弘前女学校︑弘前学院と名出します︒聖なるものへの畏自然は︑﹁第三の聖域﹂である なものでした︒弘前遺愛女学ります︒人間性を喪失を生みの神学﹂というのがあります︒ りました︒教育の内容は素朴なるものの軽視︑否定に繋がす︒キリスト教の神学に﹁環境 和室を教室にして教育が始まが薄くなりつつあります︒聖は自然への畏敬の念の回復で 弘前教会の礼拝堂を講堂に︑する﹁畏れの思い﹂︵畏敬の念︶ いま︑私たちに必要なもの た︒来徳女学校の誕生です︒ 現代人は︑聖なるものに対の復讐が始まっています︒ 八六年︑遂に︑その時が来ましながら考えてみます︒に︑犠牲になっています︒自然 を持っておられました︒一八 現代の社会の様相を踏まえや洪水や旱魃で多くの人が死 頃から女子教育に大きな熱意味を考えてみました︒常気象のせいでしょう︒台風 師は︑弘前教会創立間もないの弘前学院の歩みに与える意然災害が多発しています︒異 平成十七年十月一日 大安 時代の先覚者︑本多庸一牧せて︑﹁畏神愛人﹂が二一世紀滅の危機にあるようです︒自 ています︒創立一二〇年に寄れ︑騒音も大きい︑動植物も絶 極めて︑大きな意義を持っ海や川や湖は汚れ︑空気も汚 に歴史を刻んで来ました︒ではないようです︒山は荒れ︑ 弘前学院は︑この旗印のもとられてきました︒最近はそう も秀逸だと自讃しています︒然に親しみつつ生きると教え キリスト教主義学校のなかで 日本人は︑自然のなかで自 いも失われつつあります︒ 第三は︑自然への畏れの思 一世紀の私たちの課題です︒ 生命の畏敬の回復︑これも︑二
うまの日︒︵十月は私に誕生の
月︑うまは私の干支︒良い月と良い日を重ね最良の日とする
=私の満足論︶この日︑愛する
母校弘前学院創立百二十年記念式典が挙行されました︒天
地自然恵みの雨が降りました︒
その雨が全ての渇きを潤し余すことなく大地にしみたよう
に︑式典参加者千三百名と参加できなかった各地の方々を
も含め︑学院を祝福する全て
の者が思いを共に︑強く︑深く心にしみこむものを覚えたこ
とと思います︒
この百二十年の真中︑創立六十周年は私が女学校四年生
でした︒弘前女学校から弘前
聖愛高等女学校と改称されました︒国の様相の変化も大き
く︑日常生活は衣・食・住にも
乏しく︑学校は授業より農作業が多く食糧増産に追われて
いました︒今となっては︑自ら
耕した農場で歌った讃美歌と小さな祈りが大きな思い出の
一頁となっています︒
古い時代の先輩に﹁貴女達には青春がなかったのね︒可
哀相に﹂と言われたこともありましたが︑私達には私達な
りの青春があり︑固く結ばれ
た絆は年と共に得難い友情となり︑その身は遠く離れ七夕
のように︑年に一度の出会い
とか何年振りの文字や声の交換でも︑互に温もりと喜びを
味わい往時の青春が甦り︑人
生の糧となり︑母校の存在価値を実感しています︒
今︑私は気付きました︒平成 五年︑校友会の役を背負わされ早くも十二年︒それは学院
の歴史百二十年の十分の一に
当たる大それた年月であることに恐縮しています︒唯︑学校
行事には可能な限り参加し︑
生の姿︑生の声に接したいと心得ています︒十月十日の学
祭偐私達と一緒に做は︑とて
も良い雰囲気でした︒ありがとう鎧来年も又ね︒
校友会は毎年︑秋から冬に
かけて各支部の集いが開催されます︒十月二十二日仙台支
部が皮切りです︒私の土産話
は︑母校創立百二十年記念の諸事と︑学生・生徒を含めた学
院の様子を得意の津軽弁で伝えること︒これが凡そ三万人
に及ぶ校友の和と輪の広がり
につながるものなら本望です︒ 学院の百二十年︑校友会の
百五周年︑いずれも創立以来
多くの愛と信仰に支えられ︑幾多の困難を乗り越え今日に
至った尊い年月であることに
感謝し︑新たな前進に尽力することが私達の務めだと思い
ます︒
さて︑弘前学院の皆様︒過去には感謝︑現在には喜び︑未来
には希望をもって︑強く︑明る
く共に楽しい学園づくりに励みましょう︒
︱私の七十五年に感謝︱
創立一二〇年おめでとうございます︒弘前に生まれ育ったのですが︑そのような立派な伝統があるとは全く知らず恥ずかしい限りでございます︒そして一二〇年という節目の年に︑﹁父母と教職員の会﹂の会長という重責を伴う大役を仰せつかり︑大変恐縮致しております︒看護師という仕事をしておりまして︑仕事上不規則な生活を送っているので多々ご迷惑をおかけすると思います︒この原稿も忙しさにかまけてしまい︑締切日当日 の夜勤をしながらやっと書くという状態になってしまいました︒ このような有様ですから︑前任の会長様には到底及ばないと思っております︒しかし学生の方々が安心して就学でき︑また悔いのない学生生活をおくれますように︑私なりに精一杯努めていきたいと考えておりますので︑皆様方のご協力及びご指導よろしくお願い致します︒ 今年度は大学院文学研究科と︑看護学部が開学されて歴史と伝統を誇る弘前学院大学に︑また新しい風が吹き込んできたのではないでしょうか︒開学して数ヶ月︑看護学部に通う我が家の娘達もようやく 慣れてきたというところでしょうか︒職業柄︑今はどんな勉強と指導をしているのかなど︑とても興味津々です︒私も勉強し直すつもりで︑娘達の話を聞くのを楽しみにしています︒ 皆がより多くの事を学び︑未来を担う人材が数多く排出されるように︑協力できたらすばらしいと考えております︒ 御父母の皆様方には﹁父母と教職員の会﹂へのご理解とご協力をお願いし︑本会の目的である﹁学生の幸福とキリスト教主義により人格教育の完成を目指す大学の充実発展に協力する﹂ための様々な活動に︑積極的なご参加をご期待しております︒ 至らないことが多々あると思いますが︑これからよろしくお願いいたします︒
アメリカのキリスト教学校プリンストン大学の建学の目的は︑﹁教養ある言語と自由なる文芸と科学における青年の教育﹂及び﹁すべての大学に共通なる学問と教育を︑正しいキリスト教信仰によっておこなう﹂である︒﹁正しいキリスト教信仰によって教育をおこなう﹂ために︑宣教師たちは︑わが国に多くのクリスチャンスクールを建てた︒ 日本の他のキリスト教学校と弘前学院の違うのは︑宣教師ではなく︑本多庸一の牧する弘前教会の会堂から教育が始められたことである︒ キリスト教会の本質は︑礼拝である︒礼拝・伝道・奉仕を 教会の三本柱としている︒ 初期のキリスト教学校はこの教会の本質に倣ってきた︒学校において礼拝だけでなく︑伝道と奉仕をしてきたのである︒教職員は︑皆︑キリスト教徒であった︒その理由は﹁正しいキリスト教信仰によって﹂教育することが理念だったからである︒現今︑子供の減少が問題となっている︒同様の現実として︑全国のキリスト教学校では︑クリスチャン教師の減少が起こっているのである︒学校は︑﹁世俗化﹂の道を歩み初めている︒ ところで︑弘前学院の建学の精神︑本多庸一の掲げた﹃畏神愛人﹄である︒畏敬ではなく畏神である︒聖書には︑神に対する畏敬という語はない︒﹁敬﹂は朱子学の用語で﹁理﹂に対するものである︒聖書には﹁父母を敬え﹂と記されてい る︒弘前学院の﹃畏神﹄は﹁主を畏れることは知恵の初め﹂︵箴言1章7節︶を根拠とする︒﹃畏神﹄とは天地の創造者のみを神として拝むことで︑その具現が礼拝なのである︒ 欧米のキリスト教学校は︑一九世紀以降︑真に人間を形成するためには学問︑知識︑技術だけでなく︑愛が必要と考えている︒学問の教育︑研究が人間性を豊かにするためには︑だれでも生涯︑愛︑自己と他の人間性を豊かにする愛について学び続けなければならない︒知識は人を誇らせ︑知識・技術は︑猛毒の科学物質を作り︑無差別に人を損なうこともある︒﹁愛は人の徳を高める﹂︒学問と人間形成を目的としているのが︑﹃畏神愛人﹄である︒ 弘前学院は︑文学部・社会福祉学部・看護学部・社会福祉学研究科・日本文学研究科という大木になって︑本多庸一の掲げた理念に基づいて創立一二〇年を迎えたのである︒
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(3) 第 21 号
弘 学 時 報 (創立 120 年記念特集) 2005年11月22日峨
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看護学部模擬実習
「心電図をとってみよう」
文学研究科授業風景 タッド・レオナルド先生
欧米文化演習授業風景
弘前会場 10月9日(日)
二〇〇三年三月 英米文学科卒 対馬 香澄
私は卒業後︑日本通運株式
会社へ就職しました︒という
ものの︑仕事内容は日本航空
より空港業務を委託され︑青
森空港で航空券の発券やチェッ
クインなどをしています︒友
人は皆﹁華やかな仕事﹂という
イメージを持っているようで
すが︑実際は﹁華やか﹂とはほ
ど遠いと感じることも少なく
ありません︒出発時刻までに︑
すべてのお客様の手続きをし︑
安全に飛行機にご案内しなけ
ればならず︑時間との闘いで もあります︒天候にも左右さ
れ︑何百人ものお客様と接す
るため︑さまざまな問題が起
こります︒その問題に迅速か
つ臨機応変な対応をしなけれ
ばなりません︒時にはお客様
からお叱りを受けることもあ
ります︒しかし︑その中でお客
様の﹁ありがとう﹂の一言に救
われることもたくさんありま
す︒﹁あなたのお陰で楽しい旅
行ができました﹂と手紙を戴
いたこともあります︒苦しい
ことが多い分︑仕事のやりが
いを感じることが出来る魅力
的な仕事だと私は思います︒
空港で働くというのは︑高
校時代からの夢でもありまし
た︒人と接するのが好きとい うだけで︑正直なところ︑最初
は漠然と﹁空港で働きたい﹂と
思っていました︒しかし︑大学
に入学し空港業務について調
べていくにつれ︑やりがいの
ある仕事だと思い︑ますます
夢は大きくなりました︒その
為に大学四年間は接客のアル
バイトをし︑お客様の接し方︑
言葉遣いなどさまざまなこと
を学びました︒今考えると大
学四年間は︑私にとって将来
の為の準備期間だったと思い
ます︒また︑大学の友人と集
まっては将来について語り
﹁自分にとって仕事とは何か﹂
と考えることが出来た貴重な
四年間だったと思います︒
在学生の皆さんは︑自分の
ために今何をすべきなのかを
考え︑この長いようで短い大
学生活を大切に過ごして欲し
いと思います︒ 地区別父母懇談会が今年も
九月︑十月の日曜日︑四日間を
利用して︑秋田︑盛岡︑弘前︑
青森の四会場で行われ︑無事
終了いたしました︒
懇談会では︑学生生活︑学業
成績および就職問題等につい
て︑父母︑教員および就職課の 職員の間で弔憚のない話し合
いを持ちました︒大学側とし
ては︑父母の方々が日ごろ抱
えている悩みや問題点などの
関係情報を事前に集め対応し
ました︒当日の父母および大
学側教職員の出席者は︑次の
通りです︒
○秋田会場
九月二十五日︵日︶
父母参加者 七名
大学教職員 四名
○盛岡会場 十月 二日︵日︶
父母参加者 十一名
大学教職員 五名
○弘前会場 十月 九日︵日︶
父母参加者 五十二名
大学教職員 十四名
○青森会場 十月十六日︵日︶
父母参加者 十五名
大学教職員 六名
今年は学祭が開催されないと聞い
て︑信じられないと思っていた︒学
友会からスタッフを募集して学祭を
やることを聞き︑学祭をなくしたく
ないという思いと︑好奇心で参加し
たのが始まりだった︒参加したメン
バーは全員一年生︒まさか一年生だ
けでやることになるとは誰も思って
いなかったでしょう︒そして手伝い
程度の気持ちで入った私がまさか実 行委員長になるとは⁝⁝︒
何も分らない私達は︑先の見えな
い不安を抱えながら討議を繰り返し
てきた︒何をすればいいのか分から
ず︑意見がぶつかり先に進めない︒
迷いと苛立ちで時間だけが過ぎてい
くこともあった︒やればやるほど学
祭の仕事が大変だということを実感
し︑さらに不安が高まっていた︒そ
れでもみんな諦めず︑逃げることも
なく互いに協力し合い頑張った結
果︑先生や職員︑先輩方︑地域の皆
様など多くの協力もあり︑なんとか
学祭を開催できることとなった︒決
してすべてが成功とは言えず︑学祭
前日︑当日もトラブルが多々あり走
り回っていたが︑大きな失敗もなく
天気にも恵まれ︑無事学祭を行うこ
とができた︒
今年の学祭は良かったと言って頂
けたのがとてもうれしかった︒参加
してくれた人が少しでも楽しんでく
れたことで今までの苦労が報われ
る︒よき思い出として皆さんの心に
残っていただければと思います︒で も皆さんには悪いかも知れないが︑
学祭を誰よりも楽しみ︑充実したの
は私達学祭実行委員会のスタッフで
す︒学祭に多くの時間を費やし思い
を注いで作り上げたスタッフにとっ
ては大きな思い出となることでしょ
う︒学祭のために熱く語り合い︑
怒って︑笑って︑泣いて︑みんなで
寝転んで見上げた打ち上げ花火︑ど
れも素晴らしい思い出です︒
学祭は今年だけではありません︒
年に一度の学生の祭典をこれからも
盛り上げていかなければなりませ
ん︒今しかできない学祭というイベ
ントをいかに楽しむかが学生として
の課題でもあります︒是非皆さんも
学祭に積極的に参加して盛り上げて
行こうではありませんか︒そのきっ
かけの第一歩が今回の学祭で築く事
ができ︑これからの弘学祭につなが
ることができれば幸いです︒学祭を
開催できたことを皆様に深く感謝
し︑厚く御礼申し上げます︒本当に
ありがとうございました︒ 本学では︑大学は市民に対して開かれてあるべきだという理念の下︑研究成果の一端を地域へ還元することを目的として﹁開放講義﹂を実行しています︒これは︑本学学生に対して日常行われている講義をそのまま︑市民の皆さんにともに受講していただくものです︒本学におけるこの試みは十年ほど前に始まりましたが︑その主な狙いはもちろん飯意欲と関心のある市民に︑本学講義を学習機会として活用していただくということ︑です︒しかし︑付随して以下のような点も目論まれています︒挽本学学生が︑意欲ある市民に接することによりさまざまな刺激を受けるであろうこと︒晩教員にとっても︑市民からの問いかけにより自らの研究を問い直す契機となるであろ うこと︒ これらの点が相乗的な効果を生み︑地域に根ざした大学として︑市民とともに学ぶ・ともに活性化することの一助となれば幸いであると本学では考えています︒過去にご参加いただいた方々からは︑幸いにして大方ご好評をいただいております︒当初の目的に照らしてよい方向に導いていただいていることについて︑地域の方々にお礼申し上げますとともに︑今後さらに使命を果たしてゆくべく︑決意を新たにしているところです︒ 父母の皆様におかれましても︑お気軽にご参加いただければ幸いに存じます︒ 二〇〇五年度後期は︑文学部十四科目・社会福祉学部四 科目を開放し︑延べ九名の市民の方にご参加いただいています︒既に後期の開講から日も過ぎ︑今期の募集は終了いたしましたが︑二〇〇六年度に向けて計画を策定中ですので︑ご質問・ご希望などあれば公開講座委員会までご連絡ください︒︵なお︑この﹁開放講義﹂では単位の修得はできません︒単位修得を希望する方に対しては﹁科目等履修生﹂の制度がありますので︑本学までお問い合わせください︒︶︵公開講座委員会委員長 文学部教授 井上諭一︶ 今年度は︑4月に開設された看護学部を含む3学部同日実施となりました︒ 各学部・学科別のプログラムで実施されましたが︑多くの高校生達は﹁模擬講義︵実習︶﹂を体験できてよかったとアンケートで答えていて︑学科や本学に対してはっきりとしたイメージを持つことができるきっかけになったようです︒ ﹁在学生との懇談及び教員との個別相談﹂の時間では︑在学生の皆さんが積極 的に︑本学の授業やサークル︑一人暮らしや学生生活を話したり︑高校生達からも資格のことなどいろいろと質問している様子が見えました︒個別相談をする参加者も多く︑留学や奨学金など︑入学の意思を固めている高校生が真剣に話しに耳を傾けている姿が印象的でした︒ 全体的に高校生や保護者の参加が増え︑また目的や興味を持った参加者が多く︑本学へ多くの期待が寄せられていることに気 づかされます︒オープンキャンパスを通じて︑本学や各学科に興味を示し︑大学生気分を味わうことができた一日になったのではないでしょうか?
私が弘前学院大学大学院に入学して︑半年が過ぎました︒もともと私が大学院に入ろうと思ったのは︑卒業論文を書き終えてからでした︒卒業論文を書くにあたって︑やっと勉強をしたような気がし︑ここで終わってしまうのがもったいないように感じたので︑大学院受験を決めました︒ 大学院の授業は︑講義・演習︑それに自分の課題を調べていく課題研究があります︒講義や演習には青森県の民俗芸能や地域メディアを扱った講義もあり︑地域色豊かな講義が受けられることが特徴だと思います︒それに対して課題研究は︑自分 で課題を調べていくものです︒卒業論文であつかったテーマを続けて研究している人もいれば︑まったく違う分野に取り組んでいる人もいます︒ また︑大学院生は現在4人で︑どの講義も少人数で行われます︒ときにはきついと思うときもありますが︑人数が少ない分︑講義の間はほどよい緊張感があり︑より細やかな指導が受けられます︒先生方も熱心で︑学生が意欲を持って講義にのぞめば︑講義の内容だけでなく︑様々なことを教えてくださいます︒ 大学と大学院は︑そんなに違った場所ではないと思います︒講義の内容も︑大学の延長 に近いものです︒しかし︑大学生のときに比べて︑自分の将来や現状について真剣に考えるようになりました︒私の当分の目標は︑自分の学力を上げ︑修士論文の作業を進めることです︒これからも目標に向かって︑有意義な大学院生活を送りたいと思っています︒
(4) 第 21 号
弘 学 時 報 (創立 120 年記念特集) 2005年11月22日峨
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野澤会長より表彰状を受ける葛西氏
式典(弘前市民会館)
講師 作家 柳田邦男氏
来賓お出迎え
工藤幸校友会長のお礼のことば 祝賀会(ホテルニューキャッスル)
十月一日︑弘前学院創立百二十年記念式典が弘前市民会館で挙行され︑聖愛高校と弘
前学院大学の生徒︑学生︑教職員および来賓関係各位を合わせた約千三百人が出席し︑弘前学院の長い歴史をお祝いしました︒
式典の第二部では︑﹁いのちと響き合う言葉﹂と題してノンフィクション作家の柳田邦男先生による記念特別講演が行われました︒ここで︑講演会
の報告をいたします︒ 今回︑柳田先生が講演を引き受けて下さったのは︑柳田先生の娘さんが本学の卒業生という縁があったからです︒
柳田先生は︑現代人の﹁いのちの危機﹂をテーマとした執筆活動や講演など多方面にわたって活躍されています︒また︑数々の賞も受賞されています︒
講演の中で柳田先生は︑﹁言葉というのは大変︑大きな力を持っている﹂と話されました︒災害や事故などで大切な人を失い︑悲しんでいる人た
ちや病気で苦しんでいる人たちなど︑世の中には様々な悲しみや苦しみを抱えた人たちがいます︒その人たちを救うことができたのは︑まわりの
弘前学院120年の歩み
1886(明19)年 牧師本多庸一により弘前教会内に女学校として創
立。来徳女学校と称す。
1887(明20)年 弘前遺愛女学校と改称。
1889(明22)年 元大工町に校舎を新築、弘前女学校と改称。
1901(明34)年 坂本町に校舎を新築移転。
1946(昭21)年 弘前聖愛高等女学校と改称。
1948(昭23)年 新学制施行により弘前聖愛高等学校を設置し、弘
前聖愛中学校を併設。
1950(昭25)年 弘前学院短期大学英文科を設置。校名を弘前学院
短期大学、同聖愛高等学校、同聖愛中学校と改称。
1957(昭32)年 短期大学に家政科を設置。
1966(昭41)年 短期大学に国文科を設置。
1970(昭45)年 短期大学の校舎を稔町に移転。
1971(昭46)年 4年制大学文学部英米文学部・日本文学科設置。
1974(昭49)年 原ヶ平字山元に中・高校舎を新築移転。
1978(昭53)年 弘前学院スクールハウス献堂式
1979(昭54)年 弘前学院外人宣教師館を大学構内に復元完成。
1980(昭55)年 弘前学院聖愛中学校閉校。
1986(昭61)年 創立百周年を迎える。
1989(平元)年 弘前学院短期大学家政科を生活福祉学科に改組。
1999(平11)年 弘前学院大学社会福祉学部を設置。大学男女共学
導入。
2000(平12)年 弘前学院短期大学閉学(3月)
弘前学院聖愛高等学校男女共学を導入(4月)。
2003(平15)年 弘前学院大学院社会福祉学研究科を設置。
2005(平17)年 弘前学院大学看護学部を設置。
弘前学院大学大学院文学研究科を設置。
創立120年を迎える。
2006(平18)年 弘前学院聖愛中学校開設予定。
十月一日︑学校法人弘前学院創立百二十年記念式典が弘前市民会館にて挙行されました︒ 当日は朝からのあいにくの雨にもかかわらず︑日本基督教団︑文部科学大臣︑青森県知事︑弘前市長をはじめ多数のご来賓や卒業生・在校生・旧教職員・お取引の方々など約千三百人が出席し百二十年の節目をお祝いしました︒ 式典は︑中澤大学宗教主任の司式のもと︑竹佐古真希氏によるオルガンの前奏︑賛美歌合唱により厳かに始まりました︒ はじめに石垣聖愛高校宗教主任による聖書朗読︑祈祷の後︑野澤協賛会長の挨拶がありました︒ 挨拶では﹁長い歴史と伝統のもと先人達の努力のおかげと感謝するとともに︑全国各地で活躍し実績を残している卒業生に敬意を表する﹂と述べられました︒ 続いて阿保理事長より式辞が述べられました︒式辞では﹁本学は一八八六︵明治一九︶年︑キリスト教信者︑本多庸一先生により︑弘前教会内に青森県初の女子学校として創立され︑以来百二十年の歴史と伝統を支えてくれた先人に感謝するとともに︑これからも 建学の精神である畏神愛人の精神にもとづき教育に精進することを誓う﹂と述べられました︒ 続いて表彰に移り︑受賞者を代表して葛西泰輔氏に野澤協賛会長より感謝状と記念品が贈られました︒ その後︑校歌斉唱︑石垣宗教主任による頌栄︑祝祷があり︑そして後奏のあと︑最後に聖愛高校吹奏楽部による祝奏が演奏され記念式典はとどこおりなく終了しました︒ 人たちによる言葉の支えであったと話されました︒さらに︑﹁言葉を話すことに限らず︑書
く行為も生きる支えになる︒書くことによって︑カオス︵混沌︶を整備し︑気持ちを整理し︑生きる力を感じる﹂と
も話されました︒先生ご自身も息子さんを亡くされ︑書くことで︑その悲しみから立ち直ることができたと話され
ました︒ また︑先生は︑﹁ITが進行する時代︑教育でも子育てでも︑肉声のつながり︑スキンシップのつながり︑目と目を
向き合うつながりが大事であり︑意識的に取り入れていかなければならない﹂と︑言葉の大切さについて力説されました︒
最後に︑聖愛高校の春藤校長先生から︑﹁言葉の力というものは︑いのちを助けることもあり︑生きる力にもつながっていく︒わたしたちもこ
れからの生活の中で言葉の使い方について︑もっともっと研究していきたい﹂と謝辞を述べられました︒ 言葉というのは︑何気ない
一言で相手を傷つけてしまうこともあれば︑救うこともあります︒言葉を大切に扱うかどうかによって︑ひとりひとりの人生を左右することにな
ります︒改めて︑言葉の力の大きさ︑言葉を発することの大切さに気付かされました︒ 柳田先生の講演に出席者全員が感動され︑魅了され︑拍手
喝采で記念特別講演を終了いたしました︒ 記念祝賀会は︑ホテルニューキャッスルにおいて︑ご招待
者三百六十名のご出席のもとに盛大に行われました︒開会に先立ち︑協賛会長︑理事長︑学長︑校長︑校友会長が御出席者全員を入口にてお迎えしま
した︒ 学長租岡利忠の開会のことば︑大学宗教主任中澤實郎の聖書拝読︑お祈りの順で会は始まりました︒
はじめに︑協賛会長野澤武から︑式典・ 講演会が成功裡に終ったことへのお礼と祝賀会ご出席者へのお礼がなされました︒阿保理事長からは︑女子
校時代から男女共学と︑新しい時代が始まり︑高校の野球部の県大会で見せたがんばりや進学対策の著しい成果など︑教育に真剣に向き合っていく
ことで今まで支えてくれた方々へ恩返しをしていきたいと力強い話しがありました︒ ご来賓の方々からのご祝辞は︑衆議院議員津島雄二様か
ら青森県における女子教育の先駆者として︑キリスト教の教えを中心に自立した人間の育成に寄与し︑又︑これからの日本の大事な分野である看護 と福祉の教育に大いに期待する旨の話がありました︒
県議会議長山内和夫様はご公務のため︑副議長西谷洌様が代読され︑教職員︑父母︑同窓
会︑地域の方々とともに百二十年を迎え︑大学教育︑高校教育さらには中学校からの一貫教育を実施することにより︑健全で人間性豊かな社会人の育成を期待する旨の話をいただきました︒弘前教会牧師竹内郁夫氏からは来徳女学校そして現在に至
る弘前学院百二十年の歴史に神様の見えざる導きの手があり︑愛があった︒神が与えて下さった畏神愛
人の建学の精神をともに歩んで欲しいと祝辞をいただきました︒ 乾杯のご発声
は︑弘前商工会議所会頭新戸部満男様から国造りは子供の教育から始まるとし︑御出席の議員の
方々に私学助成金を減らさないようユーモアを交えて︑訴えていただきました︒ このあと︑しばしの歓
談を通し︑旧交を温め︑思い出話や名刺交換など楽しいひとときを過ごしました︒途中には︑アトラクションと
して渋谷和生さん等による津軽三味線合奏︑小山内忠勝さんの民謡﹁津軽山唄﹂他の演奏が華をそえていただきました︒ 今回会場が手狭なために第二会場︵二階曙の間︶を設け︑高校︑大学および本部の教職員が第一会場︵麗峰の間︶の模様をモニターで見ながらのお
祝いとなりました︒ 会も押し詰まり︑校友会長工藤幸のお礼のことばは︑御出席者への感謝と︑百二十年の長きにわたる皆様への感謝
をそして︑新しい明日のために今日があり︑未来のために今日がある︑皆様の愛をこれからもお願いしますと感謝の言葉がありました︒
最後に︑聖愛高校春藤英徳校長が︑今後とも皆様の力を借りながら︑もっともっと︑発
展していくことを誓い閉会となりました︒︵広報委員会記︶