シェーラーの共感論について
著者
仲島 陽一
著者別名
NAKAJIMA Yoichi
雑誌名
国際地域学研究
号
8
ページ
93-102
発行年
2005-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003800/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja- は じ め に 国 際地 域 学 研究 第8 号2005 年3 月
シェ ー ラー の 共感 論C
仲
島
陽*
こつ い て
93 〈共 感 〉の問題 を考 える に際し て、 マ ッ ク ス=シ ェ ーラ ー(MaxScheler,1874-1928 ) の著作 に お け る考 察 が重 要 であ るこ と は、 異議 があ る まい。 そ の著 作 は、 はじ め1913年 に『共 感 感 情 の現 象 学 と理 論 に よせ て、 な らび に愛 と憎し みにつ い て』 とい う題 で 出さ れ、1923年 の再 版 に おい て 『共 感 の本 質 と諸形 態 』 と改題 さ れた もので あ る1)。 シ ェ ーラ ーが この研 究 を行 っ たの は、 勿 論< 共感 〉 とい う 問題 そ の もの に理 論的 関 心が あっ た か ら であ ろう。し かし 他に も動 機が あ る こ とは 、 これら の題名 から もうか が え る。 まず、 現 象学 派 に 属 す る著 者が 、現 象学 に とっ て困 難 であ る が重 要な「 他我 問題 」につ い てー 、Th. リ ップ ス2)など と対 決 し つつ、-< 共 感 〉 とい う側 面 か ら取 り組 もう とい うこ とで あ る。 第二 に、〈共 感〉 の問題 圏 と重 なる、 あ るい は接 する 「愛 と憎し み」 の心 理 の問題 を考 え、著 者 の 倫理 学や 宗 教思 想へ の 支 えに す る とい う こ とで あ る。 た だし 本稿 で は、 その よう な シェ ーラ ー自 身 の意向 に沿 っ て とい う より も、〈共感 〉に関 す る私 自 身 の問 題 関心 と先 行研 究 とか ら、 興 味 深い 点 や重 要 と思 わ れる点 を拾っ て い こう とす る、 さ さや か な 試 み に過 ぎな い。 二 「 共 感 」 の 「 諸 形 態 」 に つ い て シ ェ ー ラ ー は ま ず 、「 共 感 」[Sympathie ] の 名 の 下 に 雑 然 と考 え ら れ て い る 諸 現 象 を 種 々 の「 諸 形 態 」[Formen ] に 分 類 す る こ と で 、 概 念 を 明 確 に し よ う と す る 。 シ ェ ー ラ ー は 「 追 感 得 」[Nachfuhlen ] と 「 共 同 感 情 」[Mitgefuhl ] と を 区 別 す る (S.19-20 )。 前 者 は 他 者 の感 情 の 認 知 で あ り 、 後 者 は そ の 他 者 と 同 じ 感 情 を 持 つ こ と で あ る。 さ ら に シ ェ ー ラ ー は「 共 同 感 情 」 を、「 感 情 伝 播 」[Gefuhlsanstekung ] と 区 別 す る(S.25一26)。 後 者 も 「 他 者 と同 じ 感 情 を 持 つ 」 と い う 点 で は 前 者 と 共 通 す る が 、 他 者 の 感 情 の 認 知 を 前 提 し な い と い う こ と が 特 徴 で あ る。Anstekung と は 本 来「 感 染 、 伝 染 」を 意 味 す る 医 学 用 語 で あ り 、 意 識 を 前 提 し な い 作 用 を 示 し て い る 。 シ ェ ー ラ ー に よ れ ば 、 ダ ー ウ ィ ン 、 ス ペ ン サ ー 、 ニ ー チ ェ は こ の 両 者 を 混 同 し て い る。( 前 二 者 は そ れ を 肯 定 的 に 、 後 者 は 否 定 的 に 評 価 す る点 で 異 な る が 。)(S.28 ) *東 洋大学 国 際地域 学部非 常勤 講師94 国 際地 域学 研究 第8 号2005 年3 月 こ の 「 感 情 伝 播 」 の 極 限 状 態 が 「 一 体 感 」[EinsgefUhl ] で あ る。 シ ェ ー ラ ー は 「 一 体 感 」 に つ い て い ろ い ろ 興 味 深 い 考 察 を し て い る が 、 そ の 一 端 を示 そ う 。 ① 未 開 民 族 の 卜 − テ ム 信 仰 な ど に こ の 「 一 体 感 」 が 現 れ て い る 。 ② デ ィ オ ニ ュ ソ ス の よ う な 古 代 宗 教 の 秘 儀 に お い て 、 こ の 「 一 体 感 」 が 現 れ て い る 。 ③ 催 眠 術 に お い て 、 こ の 「 一 体 感 」 が っ く ら れ る こ と が あ る。 ④ い く っ か の 異 常 心 理 に お い て 、 患 者 が 直 接 に 接 触 す る 他 者 と「 一 体感 」 を 持 つ こ とが あ る( フ ロ イ ト の 分 析 )。 ⑤ こ ど も が 人 形 や 芝 居 で 遊 ぶ 際 に 、 こ の 「 一 体 感 」 が 現 れ る こ と が あ る 。 ⑥ 「 神 憑 り 」 に お い て 、 信 者 が 信 仰 対 象 と 「 ― 体 感 」 を 持 つ こ と が あ る。 ⑦ 「 愛 に み た さ れ た 性 行 為 」 に お い て 、 こ の 「 一 体 感 」 が 現 れ る こ と が あ る。 ⑧ 「 群 集 心 理 」 の 中 に 「 一 体 感 」 が 現 れ る こ と が あ る ( ル・ボ ン の 分 析 )。 ⑨ 母 子 関 係 に お い て「 一 体 感 」が 現 れ や す い と 考 え ら れ て い る 。 ⑩ 昆 虫 の 中 に 、 他 の 生 物 と共 棲 し てF 一 体 感 」 を持 つ と さ れ る 場 合 が あ る ( フ ァ ー ブ ル の 観 察 )。 さ て 、「 一 体 感 」の こ の よ う な 発 現 諸 形 態 を 概 観 し た 後 で 、 シ ェ ー ラ ー は「 一 体 感 」 全 般 に つ い て 次 の よ う に 注 意 す る。「 人 間 は「 知 性 」の 肥 大 化 の た め に 動 物 の 特 殊 化 す る 一 体 感 の 能 力 や 多 く の 本 能 を 、 文 明 人 は 未 開 人 の 、 成 人 は こ ど も の 、 一 体 感 の 能 力 を ほ と ん ど す べ て 喪 失 し た 。」(S.42 )こ れ は事 実 問 題 に つ い て の 彼 の 総 括 で あ る が 、 そ れ を 前 提 と す れ ば 、 一 私 は 基 本 的 に は そ れ を 前 提 し て よ い と 考 え る が 、 一 一価 値 問 題 と し て は ど う な る か 。 彼 は こ れ を 単 純 に 好 ま し い 進 歩 とし て 評 価 す る の で な く 、 こ う し た 「 発 展 」 が 同 時 に「 退 廃 」で も あ る とし て 、 次 の よ う に 主 張 す る 。「 進 歩 と 保 持 と の接 合 、 な い し い ま に も 失 わ れ そ う な も の の 再 覚 醒 、 そ し て あ ら ゆ る種 類 の 発 展 一 動 物 か ら 人 間 へ 、 未 開 人 か ら 文 明 人 へ 、 こ ど も か ら お と な へ の 発 展- の 段 階 間 の 特 殊 な 時 間 的 分 業 の 統 合 、 こ れ ら こ そ は じ め て『理 想 』と し て 妥 当 し な け れ ば な ら な い も の で あ る。」(S.43)「 同 じ こ と は 、 偉 大 な 文 化 圏 に 属 す る 種 族 の 根 底 に つ い て も指 摘 さ れ る。[ … ]世 界 全 体 の 発 展 を 文 明 化 さ れ た 男 性 的 ヨ ー ロ ッ パ 人 へ と 統一 的 『君 主 制 的 』 に 集 中 す る と い う 純 然 た る 『段 階 的 』 発 想 は 、 はじ め か ら 除 外 す べ き で あ る。」(S.43) 「 一 体 感 」 に つ い て の シ ェ ー ラ ー の こ の よ う な と ら え か た は 、 共 感 全 般 に 関 し て の 、 比 較 思 想 史 的 お よ び 精 神 史 的 な 考 察 を 促 す で あ ろ う。 三 共 感 の 範 囲 に つ い て シ ェ ー ラー は、彼 のい う「 共同 感 情 の発 生的 理論」にお い て は、 私達 はかつて 自 分 が体 験 し た(の と同 じ 他 者 の)感 情 を了 解 で き るに過 ぎない、 という誤 っ た命 題 が たて ら れる とし て批 判 す る(S.58 )。 ここ には 〈共感 〉 の問 題 の中 で も難点 の一つ であ る、「共 感 で き る範囲」 の問 題 が かか わ っ て く る。 これ に対 し シェ ー ラー は、 共感 の 質(彼で は「 段 階」)を考 慮 す るこ とに よっ て 答 え よう とす る。 す なわ ち まず「 感性 的感 情 」の共 同 感情 を持 つ には、 当 の感 情 の再 生産 が必 要 とさ れ る(S.59)。 し か し「 生命 感情 」 にお い て は、 了 解 と共 同感 情 は生物 界 全体 に い きわ た る とす る。 そし て 「 心的 感 情、 まして 精神 的感 情 」は、 個人 的体 験 に依存 せ ず、「 歴 史的 な、 また民 族的 な 壁 を、 否、 人 間 的 な壁 さ え も超 え て、了 解 し、 共感 」で きる もの もあ る とす る(S.60)。一 以 上 を どう考 え るべ きで
仲 島: シェ ーラー の共感 論 につい て 95 あ ろ う か。 まず、「感 覚感 情」の場 合、 た とえ ば当 事 者 が身体 の痛 みを感 じ てい る「 とい う こ と」は、 その 発 現 また は表現 (た とえば涙 や叫 び声 ) か ら観 察者 に了 解 さ れて も、 前者 の痛 みそ の もの は後者 に同 じ 体 験が な け れば了 解で き ない、 と言 わ れ るか もし れな い。 し かし 「同 じ 体験 」 とは何 なの か。 歯 痛 と胃痙 摯 と はまっ た く違 う 痛 みの ようで あ る が、未 体 験 の一 方の 痛 み を了 解 す る手 掛 かり とし て 体 験 済 みの 他方 の痛 み を想 起 す る こ とは、 まっ た くの「無 意 味」 と言 え るで あろ うか。 逆 に 厳密 な 同 一性 を要 求す る なら ば、 あ る歯痛 と他 の歯 痛 もまっ た く同 じ とは言 え ない ので は ない か。 こ こ か ら気 づ か れる原 則 として 、完 全 に 異な る二体 験 も完全 に同 じ 二 体験 もない 、 と言え る。 そし て、 他 者 の感情 を了 解 す る際 に、 そ れの手 掛 かり とな る自己 の 感情 との差 異 と同 一 ( あるい は類 似性 ) の あ り方 が「 有 意味」 で ある か どう か を、 前 もっ て かつ 一 律 に規 定 す るこ と はで きず、 また多 く の場 合「 どれだ け了 解 で きる か」 とい う程 度問 題 で あ る。 さ らに、 感覚 感 情の了 解 の限 界 につ い て、「 日本人 が さし みを好 ん で食 べ る とき の快」を、 倒 錯者 の 快 を正常 者 が了 解す るの と「同 じ よう に」難し い とする例 示(S.59)は、 私 達 日本人 とし ては抗 議 せ ざ るを 得 ないで あ ろう。無 論 私 達 は、 今 日 の ような「 日 本食 ブ ー ム」以 前 の、 また「 生 魚」 を食 べ る こ とが未 開野蛮 のし るし と考 え が ちな 西洋 人 に とっ て、 この 「了 解 」 が困難 で あっ だ ろう こ と を「了 解」 で き る。 し かし ま た食文 化 が 民族 的 、地 域的 に多 様 で あっ て 、 ある人 々 に とっ て それ を 食 す るこ とが ぞっ と する よう な もの を、他 の人 々 が好 んで食 べ る こ と も、容易 に知 るこ とが で きる。 この こ とを考 慮 すれ ば、 シェ ー ラー 自身 が 刺身 に そそ ら れな かっ た とし て も、 そ れを「 倒錯 者 の快 」 と並列 し た こ とは少 なく と も軽 率 で は な かっ たか。 もし も人類 の大多 数 の 側に ない もの を、 それ だ け の理 由 で「 正常 」で ない もの、 と決 め付 け るな ら話 は別 で あ るが。 以 上 の 考察 は、 シ ェ ーラー があ る 先 入見 を もっ てい る ので は ない か と言 う疑 い を起 こさ せ る。 こ の疑 い は、彼 が「精 神的 感情 」の例 とし て、「 ゲッ セマ ネに お け るイエ ス の悲 哀」を挙 げて、 それ が 「 歴史 的 な、 また民族 的 な壁 を[… ]超 え て、了 解し共 感 す る こ とが 可 能」と断言 す る(S.60)の を み る と、 いっ そう 当 たっ てい る よう に も思 わ れ る。 それ を私 は「 カ ト リ ッ ク的 普 遍主義 」 の先 入 観 と呼 びた い が、 この語 で 意味 し たい こ と は二 つあ る。 ①「 カ ト リッ ク」 が ( その語 の原義 が示 す よ うに )「普 遍 的」であ る という 前提 。 ② 普 遍的 な も ののほ うが 価値 が 高 い という 前提 。- くDにつ い て言 え ば、 公平 ないし 中 立 の立場 から 比 べ ればカ ト リ ック とプロ テ ス タ ント とが 「歴 史的 な、 また 民 族 的 な」 特性 を帯 びて い る こと は否 定し が た い ので はな かろ う か。同 じ 論法 で キ リスト 教 その も の もそ う言 え よう。 確 かにあ る特 徴 に 注 目 すれ ば、 それ と仏 教 や儒 家 思想 と も共 通面 が あ る とい う 意味 にお い て は普遍性 を認 めら れ るが 、 そう す れ ばa まさ にキ リ スト 教で あ る所以 の もの は失 わ れ てし まうで あ ろうし 、b それで もそ れを 超歴 史的 と するの は飛 躍 があ ろ う。② につ い て言 え ば、た と え ば「民 族 的」 で あ るこ とは必 ずし も、 自民 族 に対し て 他 を低 く評 価し た り排 除 した り す る とい う 意 味 で の「民 族 主義 的」 であ るこ と を要し ない。 この こ とを考 慮 すれ ば、 普 遍的 で ある こ とが 価値 が高 い こ とに直 結し ない こ と にな る。 こ こで さ ら に憶測 を加 える なら ば、 シェ ーラ ー は「 共同 感 情」 が 「感 情」 で ある こ とを避 け よう とし て い る ので はない か と の感 もわ く。
96 国 際地 域学 研究 第8 号2005 年3 月 四 共 感 の 比 較 思 想 シェ ー ラー は、 ショ ーペ ン ハ ウア ー に代 表さ れる、「形 而上 学的 一元 論 」を退 け る3)。 ここ で 問題 にな るの は他者 の問 題 で ある。 共 感 が「一 体 感」や「 感 情伝 播」 と区別 さ れ る限 り にお い て、「 真 の 共 同 感情 の 能作 とは、[ …]『他人 』 を 『他人 』 とし て等価 の 実 在性 を持 つ もの とし て 把握 す る こと ー だ 」(S.76)とする シェ ーラ ー は正 しい 。し かし彼 が、「 共同感 情 はシ ョー ペ ンハ ウア ー やハ ル ト マ ン の主 張 に みら れる よう な、人 格 の本質 的同 一 性を示 し てい るわ けで な く、 むし ろ反 対 に真 の 共同 感 情 こ そ […] 純 粋 な本 質的差 異性 を あ らかじ め前提 し てい る」 とい うの は、 逆 の行 き 過 ぎで はない ー か と疑 問 が持 た れ る。 差異 が本 質 な らな ぜ共 感が成 り立つ の か。 これに シェ ー ラ ー はこう 答 え る。 共 同感 情 はそ れ ゆえ これ「 を もと もと共有 し てい るあ ら ゆる人 格 の同 一 の創 造者 へ と推 論 し て い く 共 同 の基 底 に なる。」(S.77)紐 帯 は人 々 相互 の 間にあ る ので な く、そ の外 の超越 神 に よっ て 与 え ら れ る と す るので あ る4)。 シ ェ ーラ ー (一 般 に キリ スト 教 ) にお け るこうし た超 越神 の要 請 は、 内在的 な 紐 帯 への 悲 観的 認 識 と 結び つ いて い る。「 他人 の絶 対 的 に内 密 な人 格 [… ] につ いて 私達 は、[… ] あ ら ゆる 可能 的 な ー 共 同体 験 に もかか わら ず、 絶対 的 に閉 ざ さ れた ままで あ る と言 う事実 を アプ リ オリ に知 っ て い る」 (S.77)と彼 は述 べ る。再 び言 え ば私 はこ れは一面 的 な誇 張で あ る と思 う。だ が個人 的 感 想 で な く彼 の 立場 の 理論 的問 題点 を考 え るな ら ば、 その「人 格」概 念 が吟 味 さ れ るべ きで あろ う6)。「 共同 感 情 は、 相対 的 に 内密 な人 格 を前 に して 、一 面 識、 交際、友 情 、婚 姻、 さ ら に社 会 、共 同体 、国 家 、 文 化 圏な ど、 要 す るに人々 を相 互 に結 びつ け るど んな形 態 の紐 帯 が問 題 かにし た がっ て 、人 格 は そ の 都度 その 『形 態』 にお い て了 解 で きる様 々 な『充 実様 式 』 を含 むが 、一 理 解 の限 界 を 自 分自 身 の 側 か ら絶対 的 に 内 密 な人 格 の領域 へ とお し あげ る こと はで きな い」(S.78)。 この よう に「人 格 」 の 最内 密 の領 域 とし て、 社会 的 な諸 紐帯 をい わばひ っ ぺがし てい くな ら ば、残 るの は「物 自体 」 と し て の人 格で あ ろう。 そして カ ント の「物 自体」 をヘ ーゲ ルが 適切 に 批判 し た よう に、 そ の よう に 空 虚 な「物 自 体」 が認 識 不可 能 で あ るの は当 然の話 で、 むし ろ物 の本 質 を諸現 象 の捨 象 とし てで な く 、諸現 象の総 括 とし て把 握 す る必 要が あ る6)。わ が国 のあ る詩 人 の よう に「 わた くし」は一 つ の「現 象」 と言 うの は逆 の極 論 か もし れ ない が、 シェー ラー の人格 概 念 は、 個体 とし て の 実 体 に偏 し てい る とい う問 題 が あろ う。 シェ ーラ ーの共 感論 はこ の よう に、彼 の キリスト 教評 価 に影響 さ れて いる。 し か し彼 は一 面的 に 「 異教 」 を断 罪し て はい ない。 そ こ を考 察 す るこ と は彼 の共 感 論 を より 全面的 に とら え るの に必 要 な だ けで な く、興 味深 い こ とで もある。 すな わち彼 は ユダ ヤ由 来 の思 想 が、自 然 との一 切 の一 体 感 を「 異 教的 」とし て排 斥し た こ と を問 題 視 す る(S.94)。 そし て これ を乗 り越 え る「 偉業 」を、 アッ シ ジ の聖 フ ランチ ェ ス コにお い て みる。彼 は これを、「 キリ スト 教が もた ら した万 人 へ の無 宇宙 論 的 、 人 格的 な[ …]愛 の神秘 主 義」と、「 自然 的 存在 と生 命 との宇 宙 生命 的一 体 感情 を た だ一 つ の生 命 の 過 程 の中 に統一 し 統合 し よう とす る試 み」と位 置付 け る(S.97)が、 この規 定 は私達 に はわ か り に く い。また シェ ーラ ー はプ ロ テ スタ ン テ ィズ ムにつ いて、「 自然 に対 す るあ ら ゆる種類 の 異教 的 一体 感
仲島 : シェ ーラ ーの共感 論 につい て 97 の 破 棄 、 し た が っ て 自 然 を 人 間 の 支 配 と 労 働 の 独 占 的 対 象 と し て 格 下 げ す る ユ ダ ヤ 的 な ら び に キ リ ス ト 教 的 な 根 本 傾 向 を 強 力 に 高 揚 す る」(S.I04 )と し て 批 判 的 に み て い る い る の が 、私 達 に と っ て は 興 味 深 い 。 シ ェ ー ラ ー は 「 一 体 感 」 に つ い て 、 そ れ を 共 同 感 情 な か ん ず く 「 愛 」 と 同 一 視 す る 見 解 を 厳 し く 退 け7) つ つ も、 後 者 の た め の「 基 底 付 け 」 に お い て 前 者 が 必 要 で あ る 所 以 を 述 べ る8)。 そ れ ゆ え 彼 は 前 者 に 否 定 的 な プ ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ム を 批 判 す る こ と に な る の で あ る。 そ し て そ れ は ヴ ェ ー バ ー の 有 名 な『 プ ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ム の 倫 理 と 資 本 主 義 の〈 精 神 〉』(1904-05 )と重 な る も の が あ る9)。ヴ ェ ー バ ー の 言 う 「 合 理 化 」 の 過 程 を 、 シ ェ ー ラ ー は 「 歴 史 的 に ユ ダ ヤ 教 か ら 派 生 し た 、 人 間 に よ る 一 方 的 な 自 然 支 配 の 思 想 」(S.I13)と規 定 す る 。 と こ ろ で こ の 合 理 化 を 一 方 的 に 否 定 し て い る の で な い こ と も 、 ヴ ェ ー バ ー と共 通 す る 。 す な わ ち こ れ に つ い て は 、「『科 学 的 』 な 、 つ ま り 技 術 と 産 業 に と っ て は 最 高 度 に 必 要 な 、 形 式 的・機 械 的 な 自 然 考 察 は、[ … ]専 門 科 学 の 人 工 的 な 態 度 様 式 の み にmm し な け れ ば な ら な い 」(S.113 )と 限 定 的 な 位 置 を 与 え る。 そ し て 積 極 的 に は 、「 宇 宙 生 命 的 一 体 感 を 再 び 展 開 し て 、 資 本 主 義 社 会 の 精 神 ( な ら び に す べ て の も の を 運 動 可 能 な 量 と み な す 、 こ の 精 神 に 本 質 的 に 属 す 世 界 像 ) を も っ た ヨ ー ロ ッ パ 的 人 間 の 中 に 眠 り 込 ん で い る 状 態 か ら 、 こ の 一 体 感 を 新 た に 呼 び 覚 ま さ な け れ ば な ら な い 」(S.113 ) と 問 題 提 起 す る 。 こ こ に お い て 彼 の 姿 勢 は ヴ ェ ー バ ー と 微 妙 に 異 な る 。 ヴ ェ ー バ ー の い う「 合 理 化 」論 に つ い て は 、 は じ め は「 近 代 主 義 」的 な 、 つ ま り そ れ を 評 価 し 推 進 し よ う と い う 意 図 を 読 み 込 む 解 釈 が 多 か っ た 。 し か し 今 で は む し ろ そ の 点 で ヴ ェ ー バ ー は 「 両 価 的 」 で あ っ た 、 す な わ ち そ れ を 正 負 両 面 あ る もの と受 け 止 め て い た と す る 理 解 が 多 く な り 、 中 に は 特 に 「 近 代 批 判 」 の 面 を 強 調 し よ う と す る 受 容 さ え あ る10)。前 者 で は「 ヨ ー ロ ッ パ 」の 普 遍 性 が 高 唱 さ れ る が 、後 者 で は そ れ は まさ し く「 私 達 ヨ ー ロ ッ ー パ 人 」 の 思 い 込 み に 過 ぎ な い と し て 相 対 化 さ れ る 。 私 自 身 の 解 釈 とし て は 、 ヴ ェ ー バ ー は 事 実 問 題-確 か に それ に両価 的で 、 その悪 い面 、 い わ ば 「非人 間的 」 ない し人 間 疎 外的 な面 を も強 く問 題 視し てい た と考 える。し かし そこで 彼 はシェ ーラ ー とは異 な り、 だか ら「 私 達 ヨ ーロ ッパ人 」 は東 洋人 な ど から も学 ぶ こ とが あ り、 また 両 者 の総 合 に よっ て正 し い道 につ く こ とがで きる とは考 え ない。 そうし た構想 は彼に とっ て は楽 観 的 に 過 ぎ、換 言 す れば ヴェ ーバ ーの見 地 は より悲 観的 で あ る。 こ の 違 い は どこか ら くる のか。 単純 な もので はない が、 そ の一 つ はい ま挙 げ た、「事 実間 題 とし て の」 ヨ ーロ ッパ的 合 理化 の威力 の承認 とい う こ とにあ ろう。 素朴 に考 える とシ ェ ーラ ー のよ り希望 の持 て る構想 のほう が受 け入 れやすい し 、 とりわ け 私達東 洋人 に とって よ り好 感 を寄 せや すい 立場 で あ る。 し かし こう して ヴェ ーバー と比 較し て みる と、感 情的 に受 け入 れや すい もの に安直 に肩 入 れす るの で な く、理 性的 かつ 批判 的 に吟 味 す る必 要 を意識 す る こ とが で き る。アド ル ノ とホル クハ イ マー に よる 「 自然支 配」 の告発、 ハ ー バ ーマ ス の「 生活 世 界の植 民 地化 」 の問 題 提起 な ど は、 この 「合 理化 」 の否定 面 に かか わ る もの で あ る。 そ れが こ のよ うに持 続 し て追 究 さ れてい るこ とは、 か えっ て シェ ーラ ー の考 える対 策 が、 少 な く と も彼 が 思っ た ほ ど容 易 に 成功 す る もの で ない こ とを、 示し て い る ので はな かろう か。
98 国 際 地 域 学 研 究 第8 号2005 年3 月 と も あ れ シ ェ ー ラ ー は 、「 ア ジ ア 的 エ ー ト ス と ヨ ー ロ ッ パ 的 エ ー ト ス と の 相 互 的 な 調 停 」(S.113 ) を 課 題 と す る 。し か し 彼 が ヨ ー ロ ッ パ 人 に と っ て の そ の 方 策 と し て ま ず 述 べ る の は 、( す ぐ 思 い つ か れ る よ う な )「 異 文 化 の 理 解 」や「 交 流 」で は な い 。 よ り 内 在 的 な も の で あ る 。 す な わ ち ヨ ー ロ ッ パ 人 が 学 ぶ べ き宇 宙 的 一 体 感 は 、 ま ず 生 命 の 統 一 体 と し て の人 間 相 互 の 間 に 呼 び 覚 ま さ れ る と し (S.116 )'"、 そ れ は 思 春 期 以 後 の「 愛 に 満 ち た 性 行 為 」に お い て み ら れ る と す る(S.117 )。 で あ れ ば ヨ ー ロ ッ パ 人 も 、「 そ れ 以 外 の す べ て の 地 域 の 文 化 的 民 族 に よ っ て は 異 口 同 音 に 承 認 さ れ た 」形 而 上 学 的 意 味 を そ こ に 再 付 与 す れ ば よ い (S.I18 ) とい う こ と に な る 。 こ う し た 「 エ ロ ス 」 の 意 義 付 け は 、 私 達 に 再 び フ ラ ン ク フ ル ト 学 派一 特 に マ ル ク ー ゼー を 思 わ せ る で あ ろ う。 し か し こ こ で も差 異 面 を 見 落 とし て は な る まい 。 す な わ ち 「 フ ロ イ ト 左 派 」 と 重 な る 「 初 期 フ ラ ン ク フ ル ト 学 派 」 は 、 本 能 を 敢 え て 重 視 す る生 物 学 主 義 的 傾 向 が 強 い ( こ の 点 で フ ロ ム は 異 な る )。 し か し シ ェ ー ラ ー は性 愛 を 性 欲 に 還 元 す る 考 え に は 強 く 反 対 す る の で あ る。 こ の 意 味 で シ ェ ー ラ ー の 位 置 を 次 の よ う に お さ え る こ と が で き よ う 。 す な わ ち 彼 は 存 在 論 的 形 而 上 学( た と え ば シ ョ ー ペ ン ハ ウ ア ー )に 反 対 す る。 他 方 で 多 か れ 少 な か れ 科 学 的 手 法 に よ る 研 究( ス ペ ン サ ー 、 リ ッ プ ス 、 フ ロ イ ト ) を 不 十 分 と す る。 こ う し た 位 置 は 、 彼 の 哲 学 上 の 師 と 言 え る フ ッ サ ー ル に 既 に み ら れ る 。 す な わ ち こ の 「 現 象 学 」 の 創 始 者 は、 形 而 上 学 を 排 し つ つ 、 ガ リ レ オ 以 来 次 々 と 自 立 し て い く 「 科 学 」 に よ っ て 哲 学 そ の も の の 場 が 失 わ れ て い く趨 勢 に 、 激 し く 立 ち 向 か お う とし た か ら で あ る 。フ ッ サ ー ル に お い て は 、認 知 や 思 考 が 中 心 的 な 問 題 圏 で あ っ た が 、シ ェ ー ラ ー に お い て は感 情 や 倫 理 が 中 心 と な る 。 こ こ で 戻 る こ と に し よ う 。 シ ェ ー ラ ー は 「 ― 体 感 」 を 「 人 格 愛 」 に 対 し て も そ の 「 基 底 付 け 」 と し て 必 要 とし た わ け だ が 、 後 者 を 前 者 に 還 元 す る こ と に 反 対 で あ る 以 上 、 前 者 の 後 者 へ の 自 然 的 な 一 移 行 は 認 め な い 。 さ き ほ ど と 逆 の 問 題 設 定 に な る が 、 で は 私 達 は ど の よ う にし て 「人 格 愛 」 を 学 ぶ こ と が で き る の か 。 し か も シ ェ ー ラ ー に よ れ ば 両 者 の 間 に は「 段 階 」「 梯 子 」が あ っ て 後 者 の ほ う が 高 い とさ れ て い る (S.137 ) の だ か ら 、 こ れ を 「昇 る 」 こ と は 当 為 と み な さ れ る こ と に な る 。 と り わ け「 男 女 両 性 間 に お け る 本 来 の 個 体 的 愛 を まっ た く知 ら な い 」(S.184 )、 と 断 定 さ れ て い る 私 達 日 本 人 に は そ れ は ど の よ う にし て 可 能 な の か 。 キ リ ス ト 教 を 信 じ よ と で も 言 う の かー と 言 う の は 、 い さ さ か 意 地 の悪 い 反 問 で あ ろ う 。 む し ろ 私 達 は、 彼 の キ リ ス ト 教 的 な立 場 が こ こ で は 何 を 意 味 す る か を 問 う べ き で あ ろ う 。 つ ま り 東 洋 的 「 一 体 感 」 に 欠 け て 西 洋 的 「人 格 愛 」 に あ る と さ れ る も の は 一 何 な の か 。 そ れ は 他 者 性 で あ ろ う 。 私 達 日 本 人 は 「 可 哀 想 だ た 惚 れ た っ て こ と よ」 と ば か り 、 共 感-な い し 同 情 を す 感-な わ ち 愛 と と り12)、そ れ はlike と い う 英 単 語 の 二 義 が 示 す よ う に 、「 似 て い る が ゆ え に 好 き 」な の だ が 、 そ れ と 西 洋 人 の 言 う「 愛 」と は 異 な る と い う 問 題1刊 ここ こ で 再 会 し た の で あ る。 で は 私 達 は ど の よ う に し て 他 者 性 を 承 認 す る こ とが で き る の か 。 シ ェ ー ラ ー に よ れ ば 、 ま さ に 彼 の い う 「 愛 」 に よ っ て 、 と い う こ と に な る 。 実 際 、 概 念 的 に は け っ し て 汲 み 尽 く し 得 な い 他 者 の 個 体 性 は 愛 に お い て だ け 純 粋 な 姿 を 現 す と し(S.163)、 空 間・時 間 的 秩 序 を 唯 一 の 個 体 化 ノ 原 理 とし た シ ョ ー ペ ン ハ ウ ア ー を 批 判 す る(S.76)''')の は 、卓 見 で あ ろ う 。し か し こ こ で 問 題 と な っ て い る の は 、 私 に と っ て の あ る 他 者 と 他 の 他 者 と の 違 い で あ っ て 自 他 の 区 別 で は な い 。 す な わ ち こ の「 個 体 的 愛 」
仲 島: シi ―ラー の共感 論 につ いて 99 は自 他 の非同 一 性 に もかか わ らず可 能 な愛 で あ って も、 この非同 一 性 そ の もの を可能 に して い る も ので は ない。 この 問い に正 面 から は答 えて い ない よう に思 わ れる シェ ーラ ー を離 れ るな ら ば、事 柄 そ の もの は どう 考 え られ るか。 一 つは、 個人 史 にお け る他 者認識 の 発達 の面 か ら考察 で き る。 し かし 東 洋 と西 洋 の比 較 とい う点 で は、 こ れ は直接 に は役立 つ まい。 す る と社 会 史が 考察 さ れ るべ きで あ り、 私 の 考 えで は、 西洋 にお け る「 労働 の 分割 」[dieTeilungderArbeit ]の進 展 を機 動力 とす る市民 社会 の 進展 が 、東 洋 にお け る共 同 体 の根 強 さ と対比 さ れ て浮 かび上 が っ て く る。 また そう す る とこの問 題-に 実践 的 題-に どう方向 付 け すべ きか も予 見 さ れて くる。 す なわ ち自 他の同 一性 と差 異の ど ち らか だけ に固 執 す るこ と は一 面 的で あ ろ う。 現 実 の場 面 とし て は どち ら かに力 点 をお きつ つ も、一 般 的 に は両者 の止 揚 が めざ さ れ るべ きで あろ う。 そし て そ れ を根底 にお い て進 め る と考 え ら れる もの は、「 労働 の転 換」[derWechselderArbeit ] で あ ろう。 勿 論 こ の経 済的 基底 は、(民 主主 義的 な )政 治 や、 教育 、文 化 な どの 各 方面 で補 足 され、 あ るい は媒 介 さ れ る必 要が あろ う。 五 同 情 倫 理 に つ い て シェ ーラ ーは「 同情 倫理 」 を批 判 す る。 これ は「共同 感 情 の中 に最 高 の道 徳的 価 値 を認 め、 共同 感 情 から 道徳的 に価値 あ る一切 の態 度 をひ きだ そう とす る」(S.17)もの とし て 規定 さ れ る。 具 体的 に 念頭 に お かれ てい るの は、 アダ ム= ス ミス、 ルソ ー、 ショ ーペ ン ハ ウア ー などで あ る。 シ ェ ーラ ー はこ れに対し て 、 た とえ ば それ 自体 価値 あ る感情 との共 同 感情 だけ が、 道徳的 価 値 を 持 ち 得 る、 とし て批判 す る。 し かし こ の こ とは、多 かれ少 な か れ「 同情 倫理 」 の主 張 者 によっ て も 指 摘 さ れて いた15)。す なわ ち シェ ーラ ー の規 定 の前 半、「 共同 感 情 の中 に最 高 の 道徳的 価 値 を認 め る」 こ とに「 同情 倫理 」 の本 質が あ るの な ら、 そ の批 判 は比 較 的 容易 で あ る と思 われ るが、 問題 はむ し ろ後 半で あ ろう。シェ ーラ ー はこ の後 半 に当 て は まる理論 とし て アダ ム =ス ミ スを ひく16)。実際 彼 は 他人 が共 感 で きる態度 に、 道 徳的 な「 適切 さ 」 を与 えた。 それ に対 す る シェ ー ラーの 批判 は、 中世 の魔 女裁 判 の例 を もって す るが、 こ れは説 得的 であろ う か。 私 は疑 問 に思 う。 た とえ ば民 主的 に 決 定 さ れ た事柄 が す べて よい (な いし 正 し い) とは限 らな いが、 そ れ は手 続 き とし ての民 主 主義 の よ さ (ない し正 し さ) を否 定 す る十 分 な 根 拠 と言 えない の と同 様 であ るまい か。 結局 、 問題 は次 の と ころ にあ るよう に思 わ れる。「同 情倫 理 」は、 道徳 性 とい う もの が社 会的 に成 立 す る とい う考 えに 属 す るの に対 して、 シェ ーラ ーが この 考 え を認 め ない、 とい う ところ に。 シェ ー ラー ははっ きり と言う。「道 徳 現 象 はけ っし て本 質的 に、 まし て独 占 的 に『社会 的J 現 象 で はな い。 道 徳現 象 は、 た とえ社会 が 崩 壊し て も依 然 とし て存 続 す るで あ ろう。 他人 への、 あ るい は 共 同体 への関 係 は、 そ もそ も道徳 現 象一 般 を本 質的 に存 立せ し め るた め の不可 欠 の条 件で はない。」 (S.83)「 倫理 学 の社会 的 基底 付 け は すべて 最 も厳し く退 け られ な けれ ば なら ない。」(S.83) し かし この断 定に対 し て、シェ ーラ ー は どん な根 拠 を挙げ て い るの か。彼 は彼 自 身 の倫理 学 の内 容 が、
100 国 際 地 域 学 研 究 第8 号2(K5 年3 月 「 価 値 の客 観的 序 列 につ いて の教 説 た るあ ら ゆる理論 的倫 理 学 の中核 は、「自 我 と他人 」『個人 と社会 』 の事 実 的存 立 に対 す るな んら の 考慮 なし に も構築 さ れ得 る」(S.83)こ との 実証 と言 う か もし れ な い。 し かし そ れ も、道 徳 意識 を(他人 や 社会 で な く)「神 と自己 自身 とに対 する特 定 の価 値 に みち た 関 係」 を根 源的 に規 定 す る(S.83)、 と いう 彼 の立 場 を前 提 しな け れば、 必 ずし も説得的 で ない ので はな か ろ う か。 裏 から考 えて み よう。 道徳 を「 社 会」 か ら ひきだ す理 論 への シ ェー ラ ーの批判 は十 分 か。 彼 が 出 す「 魔 女狩 り」 の例 は、 確 かに二 十 世紀 に おい て も無 効 で はな い。 ア ダ ム= スミ ス流 の同 情 倫 理 の 場 合 、「で は多 数 決(に よ る決定 内容 )が常 に正し い(道 徳的 なの) か」 とい う問題 、 シェ ー ラ ーが 正 当 に「良 心 」 の問題 と結 び付 け てい る事 態が生 じ る。 実 の と ころ スミ ス もこれ に は薄々 気 づ い て い た ようで 、「道徳 感情 論」の改 版 にお い て「 神」の比 重 が大 き くな るの もこ れ と関 係 す る と の議論 もあ る。 し か し具 体例 を 考 えて み よう。 国民 の多 数 の賛 成 に より侵 略戦 争 が行 わ れ、 これ に 反対 す る者 が処罰 さ れ るこ とが あ る。 そ の際私 達 は民主 主 義一般 を支持 す るとし て も、 この 反対 者 を単純 に不 道 徳 と断 定で きない であ ろ う。 そ の際 彼 の「 道 徳性 」 の根 拠 とし て、 何 か超 越 的 な掟 な り命 令 な り があ る こと も確 かに可 能 であ る。 また、 殺し た り殺 さ れた り する こ とはい や だ とい う個 人 的 な 「 感 情 的」 理 由 には たし て また ど れだ け「 道徳性」 を認 め られ る かは、 難 しい問 題 で あ る。 し か し 第 三 に、形 式 上処罰 され て も多 数 意 見 に抗 す るこ とが この場 合 は まさ に祖 国の た め とい う考 えが 理 由 の こ と もあ り得 る。 そ の とき彼 はあ りう べ き国 民 から の同 感 を自 ら の道徳 性 の 根拠 にし て い るこ と に なる。 一 般 にこ うし た可 能的 な国民 や人 類 を想 定 すれ ば、狭 い 意味 で の経 験的 な同情 倫 理 で は ない が 、宗 教 的 ないし 形 而上 学的 な倫理 で もない 。 そし て ヒュ ー ム・ ス ミス・ ル ソ ーら の倫 理 思 想 に も、多 かれ 少 なか れそ うし た側 面 が含 まれてい た。 し かし シェ ーラ ー はそ れを切 り捨 てて 、 社 会 に よ る倫理 を狭 く限定 し てお い て、 そ れで は道徳性 を十 分 に説明 し ない と非 難 す る。 こ れ は論 理 的 に欠 点 が あり 、公 正で もない 論法 で あ ろう。 凡 例 引 用 文 中 の下 線 は 原 著 者 の、 斜 字 体 は引 用 者 の強 調 。 前 者 は 省 略 し た と こ ろ も あ る 。
1 )Ma χScheler,WesenundFormender 6Aufl,.FranckeVerlag,Bern,1973. 以 下 , 本 書 か ら の 引 用 は こ の 版 の ペ ー ジ 数 の みを 本 文 中 に 示 す 。 訳 文 は 青木・小 林 訳 『 シ ェ ー ラ ー 著 作 集 、8』 白 水 社1977 を 参 照 さ せ て い た だ い た が 、 私 の 先 行 研 究 に お け る 用 語 法 と の統 一 な ど のた め に 変 更 し た と こ ろ もあ る 。 な お こ の 両 訳 者 に よ る 書 名 邦 訳 は 『 同 情 の 本 質 と諸 形 式 』。2 ) リ ッ プ ス と フ ロ イ ト と の 理論 と〈 共 感 〉 と の関 係 に つい て は 、 拙 稿「『共 感 』 と 『感 情 移 入 』 の 概 念 」(『フ イ ロ ソ フ ィア 』 第87 号 、 早 稲 田 大 学 哲 学 会 、1999 ) を参 照 さ れ た い 。3) シ3 ー ペ ン ハ ウ ア ー の 共 感 論 に つ い て は 、 拙 稿 『 ショ ―ペ ン ハ ウ ア ー とフ ォ イ エ ル バ ッ ハ に お け るr 受 苦 』 と 『 共 苦 』」『国 際地 域 学 研 究 』 第6 号、 東 洋 大 学 国際 地 域 学 部 、2003 、 を 参 照 さ れた い 。4 ) こ の 点 は、( ニ ーチ ェ の 言 う の と は 違 っ て キ リ ス ト 教 で な く )近 代 ヒ ュ ー マ ニ ズ ムこ そ がF ル サ ン チ マ ン 」で あ る とし て 批 判 す る シ ェ ー ラ ー の 思 想 と 関 係 づ け ら れ る。Vgl.Scheler,DasRessentimentimAufbauderMoralen.in:VomUmsturzderWerte,Francke.Bern1972. 5) シェ ーラ ーの「人格」概 念につい ては、石関敬三「実質的価 値倫理学 の研 究」(第4 章第1 節)前野 書店、1955、 参 照。
仲 島: シェ ー ラー の共感論 に つい て 101 6 ) 近 現 代 の 心 理学 にis け る 「 た ま ね ぎ の 自 我 」 の 問 題 点 に つ い て 、 次 の論 文 が 興 味 深 い 。 永 井 務 「 心 理 学 と ポ スト モ ダ ン 」『 東 京 国 際 大 学 論 叢 人 間 社 会 学 部 編 』 第7 号 、20017 )「 こ の著 作 [ … ]が 示 そ う と し た こ と は、[ … ]同 情 が、 愛 と は ま っ た く 異 な っ た 現 象 で あ る こ と」 ス ビ ー ベ ル バ ー ク 『 現 象 学 運 動 』 世 界 書 院 、2000 、476 頁 。 またChoJeong-Ok,LiebebeiMaxScheler,Miinchen,1990, S.48. 参 照 。8 ) た だし チ ョ ー が 言 う よ う に シ ェ ー ラ ー の「 基 底 付 け 」の概 念 は 一 義 的 に 明 確 で は な い 。ChoJeong-Ok,op.cit 。-S.48.9 ) 資 本 主 義 の 起 源 を めぐ る ゾ ン バ ル ト と ヴ ェ ー バ ー の 周知 の 論 争 に お い て 、 シ ェ ー ラ ー は後 者 に好 意 的 な 立 場 で あ る。vgl.Scheler,DerBourgeoisunddiereligiBsenMSchte:op.cit.10 ) ヴ ェ ー バ ー の受 容 とし て 「 近 代 主 義 的 」 な も の の 代 表 と し て 、 青 山 秀 夫 『マ ッ ク ス・ウ ェ ー バ ー 』岩 波 新 書 、1951 、 また 反 近 代 主義 を代 表 す る も の とし て 山 之 内 靖 『現 代 社 会 の 歴 史 的 位 相 』 日 本評 論 社 、1982 、 な ど を 挙 げ ら れ る 。 い わ ゆ る大 塚 史 学 は無 論 前 者 の 系 列 に 属 す る。H ) こ こ にな お「 ヨ ーロ ッ パ 的 人 間 中 心 主 義 」を みる こ と もで き よ う 。 な お 中 村 真 一 郎 は性 愛 の 本 質 を「 ―体 感 」 に みて そ の東 洋 思 想 に お け る史 的 意 味 を 探 求 し た(『色 好 み の 構 造 』岩 波 新 書 、1985 、 な ど )が 、 同 時 に き わ め て 「 近 代 的 自我 」 の 主 張 者 で も あ り (『愛 と 美 と文 学 』 岩 波 新 書 、1989 、 な ど )、 私 の み る と こ ろ で は両 者 を つ な ぐ 論 理 は構 築 し な か っ た 。 後 者 を 前 者 が 「 代 償 」 し てい た と す る の は 穿 ち 過 ぎ た 解 釈 だ ろ う か 。12 ) 拙 稿 「夏 目 漱 石 と高 貴 な 未 開 人 」『桐 一 文 芸 と 教 育- 』 第11 号 、 大 東 文 化 大 学 第 一 高 校 、1994 、 参 照 。13) 土 居 健 郎 『 漱 石 文 学 にお け る 「 甘 え 」 の研 究 」 角 川 文庫 、1972 、51 頁 、 参 照 。14 ) シ ェ ー ラ ー に よ れば シ3 ー ペ ン ハ ウ ア ー は 「 個 体 化 」 を「 特 殊 化 」 と 混 同 し て い る。A.R.Luther,Personsin NijhonTheHague,1972,p.44. 15) た と え ばRousseau,Emile: (EuvrescomplStes,t.4,Gallimard,1969,p.548.16 ) アダ ム = スミ スの 共 感 論 に つ い て は , 拙 稿 「 ヒ ュ ー ム と ス ミ ス に お け る< 共 感 〉 の問 題 」『 国 際 地 域 学 研 究 』 第4 号 , 東 洋 大 学 国 際地 域 学 部 ,200U 参 照 。
102 国 際地域 学研 究 第8 号2005 年3 月
VonderTheoriederSyrapathiebeiScheler
Yoichi,NAKAJIMA
IndiesemBeitragversucheichzuzeigen ,dassMa χScheler<FormenderSympathie
〉(Einsgefiihl,Gefiihlanstekung,Mitgefiihl )genauunterscheidetundbestimmt.ZwarwirtdieTheoriestriktabgelehnt,nachderdasMitgefuhlausderniedrigerenEmotionsphanomenenentsteht,aberwirdindessendieBeziehungder<Fundierung
〉zwischendiesenFormenangenommen.DennochkritisierterdieMitleidethik,weilerdemMitleidkeinenmoralischenWertbeilegt
。Esfalltunszwarschwer,SchelersEthikpositiveinzuschatzen,weilsiejaendlichnichtganzgesellschaftlichist