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<疎外>・民主主義・キリスト教 : <危機の時代>の思想家としてのA ・D ・リンゼイ (1)

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〔論 説〕

〈疎外〉・民主主義・キリスト教

――〈危機の時代〉 の思想家としての A・D・リンゼイ (1)

平 石

【目次】 1:はじめに――本稿の視角 2:大規模産業社会における〈疎外〉とその帰結 3:「自由で自発的な結社」を軸とする民主主義の理念 (以上本号、以下次号) 4:「共通生活」の基盤となる「恩寵ないし挑戦の道徳」としてのキリスト 教 5:国家の位置づけ 6:おわりに

1:はじめに――本稿の視角

本稿の目的は、20 世紀前半から半ばにかけて活躍した英国の政治学者 A・D・リンゼイ(A.D. Lindsay, 1879-1952)の思想を再考し、彼を、二 つの世界大戦や戦間期におけるゼネスト・世界恐慌を経験した時代にあっ て、噴出する社会経済的・政治的難問をトータルに把握し対処しようと知 的に苦闘した〈危機の時代〉の思想家として再評価することにある。 周知のように、リンゼイは『民主主義の本質』(1929 年)や『現代民主 主義国家』(1943 年、未完)といった民主主義に関する古典的なテキスト の著者として知られる。彼の名前は日本においても、戦後民主主義の定 着・成熟における要として個人の主体性や自発的結社の重要性が指摘され

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る際に、高木八尺や丸山眞男といった政治学者によってしばしば言及され

てきた。1

し か し、T・H・グ リ ー ン(T.H. Green, 1836-1882)や B・ボ ザ ン ケ (Bernard Bosanquet, 1848-1923)らの影響のもとに英国理念主義(Brit-ish Idealism)の拠点であったオクスフォード大学の名門ベイリオル・コ レッジの学寮長を 1924 年から 49 年まで 20 年以上の長きに亘って務めた リンゼイは、同時代を牽引する代表的知識人の一人であり、民主主義に関 する理論家であった以上に視野が広くスケールの大きな思想家であった。 例えば、スコットランド教会から分派独立したスコットランド自由教会 の聖職者の家系に生まれた彼は、当初目指していた聖職者の道を捨てて哲 学を専攻することを選び、その最初期にはベルクソンやカントに関する著 作を著した。しかしキリスト教への高い関心は終生失われることはなく、 コレッジのチャペルでの講話をもとにした『宗教的真理の性質』(1927 年)や社会の一般道徳とキリスト教的道徳との差異を論じた『二つの道 徳』(1940 年)といった作品も残している。 また、リンゼイは、社会問題に強い関心を寄せていた両親の影響もあっ てか大学学部生時代には社会主義者を自任してフェビアン協会に加入して おり、1926 年のゼネストの際に国民全体の調和をはかって交渉再開を促 そうとするカンタベリー大主教の立場に賛同して「オクスフォード調停委 員会」を立ち上げ、労使調停のために奔走した。しかも、そうした活動と 並んで、『カール・マルクスの資本論』(1925 年)や『キリスト教と経済』 (1933 年)をも発表している。前者は H・J・ラスキのマルクス論に影響 を与え、後者は R・H・トーニーの『宗教と資本主義の興隆』を念頭に置 いて著された作品であった。 さらに教育にも強い関心を寄せつづけた。現在 PPE とよばれ幾多の著 名な政治家・ジャーナリスト・知識人を生み出してきたコースであるモダ ン・グレイツを創始した一人はリンゼイであった。また WEA(Workers’ Educational Association)への参加を通じて労働者階級における成人教育 とも深く関わった。ベイリオル学寮長の退任後、彼が製陶業などで知られ るスタッフォードシャーに新設されたノーススタッフォードシャー・ユニ バーシティ・コレッジ(現キール大学)の初代学長に請われて就任したの は、この WEA での活動がきっかけであった。第二次世界大戦後初の地方 新設大学となったこの大学が担うべき新たな教育の理念を示そうと、リン

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ゼイは、専門化が進む時代における一般教養の意義など数多くの重要な提 言を残している。 本稿では、こうした多面的なリンゼイの思想の全体像に接近するための 一つの試みとして、彼を、20 世紀前半から半ばにかけての〈危機の時代〉 にあって問題の核の一つに大規模産業社会における〈疎外〉状況をみ、こ の問題に対処するために独自の視点から民主主義の理念とキリスト教的倫 理とを提示した思想家として描き出したい。このような試みにはまだ研究 の余地が残されていると考えられるからである。2 ただここで付言しておかなければならないのは、〈危機の時代〉や〈疎 外〉といった観念がリンゼイ自身の用語であるよりは彼を理解するための 筆者による補助線であることである。とはいえ、例えば〈危機の時代〉と いう感覚が同時代的に洋の東西を問わず共有されていたことは、1934 年 に発表された南原繁(1889-1974)の「「時代の危機」の意味」にも示され ている。 ここで南原は「現下、社会の情勢は国民の政治的・経済的生活のあらゆ る範域にわたって、いまだかつてない困難に直面しつつある」が、これは 「ひとりわが国のみならず、世界の諸国を通じての現象であって、真に 「時代の危機」として叫ばれつつあるところのものである」と指摘する。 その上で、問題は「それらの政治経済生活の根本理論」、「煎じ詰めれば現 代「文化」一般の根本精神に関わる」と論じ、「実証主義」「個人主義」の 再検討の必要性を強調するのである3。後に見るように、南原のこうした 問題関心にはリンゼイのそれと重なる部分がみられる。 また〈疎外〉については、ここでは内田義彦にならって「自分のつくっ たものが自分の外に出て、自分に対立するというほどの意味」4で用いてい る。内田はその具体例として原子力・原子爆弾や組織を挙げているが、本 稿の場合、具体的には、①恐慌や長期的かつ広範囲な失業に見られるよう に、人間が豊かになるために生みだしたはずの産業社会が、その発展にと もなって高度な相互依存性と非人格性とを備えて人間による統御を困難に している状況、また、②こうした産業社会における高度な組織化の進展に よって人間が組織の歯車とみなされ手段化されている状況、さらには、③ そうした状況のなかで自己や他者を手段化しなければ自らが無意味と見な されかねないような状況を指している。相互依存性・非人格性・組織化を 特徴とする大規模産業社会を「巨大社会 the Great Society」と名づけ、

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そこに社会環境と人間性との間の齟齬をみたのはリンゼイの年長の同時代 人 G・ウォーラス(Graham Wallas, 1858-1932)であり、その問題意識は B・ラ ッ セ ル(Bertrand Russell, 1872-1970)、W・リ ッ プ マ ン(Walter Lippmann, 1889-1974)、K・マンハイム(Karl Mannheim, 1893-1947)ら にも共有されていたとみてよいが、次節にみるように、リンゼイもまた 「経済的関係」や産業化に関する独自の理解を通じて、大規模産業社会が 生み出すある種の倒錯とそこにおける〈疎外〉とを意識していた。 以下、まず社会経済問題に関するリンゼイの議論を検討することで彼が 大規模産業社会に観察した〈疎外〉の様相とその帰結とを確認し、次に、 そうした状況を克服しうる可能性として彼の民主主義の理念があったこと を示す。その上で、その民主主義の理念を支える要となっている彼のキリ スト教理解の特質を考察し、最後に、彼の思想における国家の位置づけに ついて検討しておきたい。5

2:大規模産業社会における〈疎外〉とその帰結

リンゼイが恐らく家庭環境の影響もあって早くから社会問題に関心を寄 せ、学部学生時代には社会主義者を自任していたことはすでに紹介した。 しかしここでさらに注目したいのは、第一次世界大戦中・後の経験を通じ て、リンゼイが彼なりに大規模産業社会における問題の核心についての理 解を深めていったと考えられることである。 これらの経験のうちの一つは、第一次世界大戦における従軍経験であっ た。30 代半ばを過ぎて志願したリンゼイは、フランスに送られて後に王 立工兵隊となる後方支援部隊に配属され、戦況にあわせて遊撃的に建設等 を行う部隊を随時配置し管理する任務に携わる。そこで彼が気づかされた のは、勝利という公的利益が部隊の目的であるにもかかわらず働く者は不 平不満を持ちうるということ、つまり、「もし彼らが機械の歯車のように 扱われれば、その機械が動いているのは個々人の利益か公的利益のためか はあまり重要ではな」く、「歯車のように扱われていることが機械の目的 よりも重要だ」ということであった。6 もう一つの経験は、1926 年のゼネスト以降 1930 年代にかけて英国が広 範囲かつ長期的な失業を経験した際、リンゼイが WEA での人脈を通じ て、南ウェールズのロンダ渓谷のセツルメント運動やリンカンの民衆奉仕

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クラブ(People’s Service Club)といった活動と関わるようになったこと である。その際、石炭業が唯一の産業であり地域としても隔絶していたロ ンダ渓谷では、失業が地域全体を覆ったものの地域コミュニティの伝統が 根強かったために、失業者自身によるクラブ活動や成人学級の設立を支援 するだけで運動は一定の成果をあげた。しかし、ヨリ産業が多様であり就 業者と失業者とが混在していたリンカンでは、失業者が地域内で孤立した 分だけその失意や絶望が深く、成人学級の設立のみではその疎外感を十分 に埋めることはできなかった。そこで助言を求められたリンゼイが有閑階 級に属する親類の自尊心の保ち方を考えて提案したのが、たとえ無報酬で あっても失業者に何か仕事をさせることであった。この試みは功を奏し、 失業者はみずからの発案で救貧院の高齢の病人のために患者を支える台を 製作したり失業者の子どものためにブーツを修繕したりするようになり、 それによって生きがいを取り戻した。7 この経験からリンゼイが発見し注目したのは長期失業の心理的影響で あった。長期失業者にとって物質的欠乏はもちろん重大である。しかしそ れと同等ないしはそれ以上に深刻な問題は、失業によって自らの技能を発 揮する機会を失い、共同体における居場所をなくし社会的紐帯を失うこと で、尊厳と自尊心とを失うことであった。「失業の最悪の影響は人生で何 も役割を果たしていないという感覚である。こうした人々は自らを幽霊の ように感じている」8 以上のような経験や観察から学んだリンゼイは「経済的関係」や産業化 の性質に関する考察を深め、そこから大規模産業社会における〈疎外〉の 状況とそれがもたらす帰結とを見据えようとする。その要点は次の三点に まとめられる9 第一点目は、大規模産業社会の根幹をなす「経済的関係」の性質に関す るリンゼイの理解である。「経済的関係」の本性を「獲得欲」や物質的欲 求ではなく交、換、にみる彼は、「交換という事実が直接的には人々の目的や それに対する責任を変更しない」点に注意を促す。つまり、交換は「目的 の善悪とは関係なくその実現を全体的に容易にするだけであり、したがっ て道徳的には、われわれは経済的関係が立ち現れる以前と全く同じ場所に 立っていると言いうる」のである。このように論じた上で、リンゼイは、 この「経済的関係」がわれわれの「従僕」であるかぎり「自由の不可欠な 道具」であるとも指摘する。というのも、この「経済的関係」を通じて各

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人は自らの特殊な役目や能力を自由に発揮する余地が与えられ、自らの目 的の実現に専心することが可能となるからである。10 しかし実際にはこの「経済的関係」は「優れた従僕」ではなく「たちの 悪い主人」としてわれわれを支配するようになる。なぜなのか。一つに は、「本質的に非人格的な関係」であるこの関係は、友情や道徳的関係と 異なって相互理解や共通目的を必要とせず、「容易に加入し維持できる」 からである。しかもこの関係にもとづく経済システムは、順調に機能して いるかぎりでは、交換なしに可能であるよりもはるかに高い生活水準を提 供する。かくして「われわれの文明は交換に支配され」、「われわれは世界 大の経済システムを、一見して、その経済システムを機能させるのに必要 となる最低限度の相互の忍耐や共感、理解をもつことになしに組み上げて しまった」。11 だが一度このようにして成立した経済システムがわれわれの文明を支配 してしまうと、「最初はわれわれの目的に資するために採用した道具がわ れわれに必要不可欠となり、挙げ句には、その道具の維持が、われわれが 心に描き役立ちたいと望むあらゆる目的よりも重要になる」。というのも、 このシステムの崩壊は、被害者が避けられず、しかも彼らに責めを帰すこ とのできない巨大な被害をもたらすからである。そしてこの依存の一つの 結末が、「社会の各人にとってともかくも生き残るためにはこのシステム の中に居場所を見つけることが必須となる」状況であった。そこでは各人 は他者による自分のサーヴィスの利用に依存するようになる。つまり、 「自分自身が価値ありと認めるサーヴィスをなす」よりは「いかなるサー ヴィスであれば金になるかを発見することによって生活の資を稼ぐこと」 が「最初の懸念」となるのである。12 しかもこのシステムは「常なる技術的変化に依存」しており、「その単 位[である個人]の成功は、技術的進歩に遅れないでいることに依存す る」。それは次のような「皮肉」を生む。 このシステムの支配が意味するようになったのは、技術的変化は もはやわれわれが認め助長したいと望む目的によって方向づけら れ刺激されるのではないことであった。それは、われわれが最も 基本的な生活の必要のために自らをシステムの中に押し込み、同 じように自分を押し込んでいる他の単位に遅れまいとすることに

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依存している事実によって刺激され、方向づけられているのであ る。もしわれわれが、自らなすことができ、そのために支払って もらえるような必要を何ら見いだすことができないのであれば、 われわれはある欲求 want を試み刺激するように駆り立てられる。 そして欲求を刺激することにおいてわれわれが最初に考慮するの は、その欲求がよいものであることではなく、それがわれわれの 提供できるものであり、したがってそれによってわれわれが生活 の資を稼げることである。欲求を刺激する技術は独立した活動と なり、その実践者は他の者と同じくシステムに自らを押し込むし かない。最も高い報酬は、最初に改良された手法を利用できた者 か、新たな欲望を刺激し満足させる者の手に渡る。そしてこれら の新たな発明は常に人々の行動や社会的慣習を変えることを要求 し、かつそれを成し遂げつつある。 かくして「欲求の相互満足のために機能するシステムは必要とされない 人々をも生むが、もし諸君が必要とされないのであれば、諸君は無きもの に等しい」ことになる。そしてこうした「不安定さ」のゆえに「広範に行 き渡る無力感・・・が現代の展望の恐るべき特徴となっている」。13 「経済的関係」がもたらすこのような状況をさらに深刻化させる要因と してリンゼイが注目したのが産業化であった。これが、〈疎外〉状況に関 するリンゼイの議論の第二のポイントとなる。その際、リンゼイは、産業 化の進展によって相互依存関係が深化・拡大するという側面にも注意を 払っている。しかしここでさらに注目したいのは、大規模な機械的生産の 導入によって産業の「寡頭制的」性格が強まったという彼の指摘である。 「現代産業においては、人々の組織化と規律とはそれ自体が生産の道具と なった。人が人を統率し「人手 hands」を機械の小片のように扱うことは 産業機構の一部分である」という彼の言葉にも暗示されるように、それは 一方で、単なる手段および管理・統制の対象と見なされるようになる被雇 用者や賃金労働者の「地位や個人的尊厳」が失われたという彼の認識を生 む。軍隊におけるリンゼイの経験も、この文脈の中で位置づけ直されるこ ととなる。14 しかし他方でリンゼイがもう一点留意するのは、「寡頭制的」性格を強 めた産業化の進展が、そこで維持される「経済的関係」の視点もあって、

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他者の手段化・道具化という線に沿って社会を分裂させている状況であ る。リンゼイが、産業社会における根本的な区別は財産の多寡によっても たらされるのではなく、「責任をとり管理し組織し規律づける者と、何ら 責任を持たされることなく、管理され組織され規律づけられる者との間」 に存在するとしばしば強調した所以は、ここにある。しかもこうした分裂 は、生活・居住空間の分断によってますます深刻化する。「われわれの住 宅の物理的分布は、われわれがその人生の多くを自分自身の階級の雰囲気 に完全に包まれて生き、他方の側の社会がどのような状態なのかをほとん ど理解せず、それがどのように感じているかを全く理解しないで生きるこ とを可能とした」からである。15 「経済的関係」や産業化の特質をこのように観察し、かつ、大規模産業 社会における生産性は数量的分析・規格化された単位・交換可能な部品・ 大規模な画一化に依拠することを見据えていたリンゼイが、この社会の行 き着く姿としてみていたのが、「カエサル主義」や「全体主義」と結びつ いた「全能国家 omnicompetent State」であった。これが〈疎外〉状況に 関するリンゼイの議論の第三のポイントとなる。オルテガの『大衆の反 逆』に引照しつつ、「応用科学がもたらす生・仕事の画一化」や「機械産 業」における組織する少数者と組織される多数者との分断がいかに「カエ サル主義」に行き着くかを論じてリンゼイは次のように述べる。 機械の時代によって、人々は生産過程に従事するあいだ機械のよ うになるだけではない。それはあらゆる差異や特異な生活様式を ぬぐいさり、行動の、いやあまつさえ享楽の集団的 mass 様式をも たらす。行き過ぎた都市化は古くからの地区の特色を破壊した。 地方の特異性は集団的文化 mass culture に道を譲り、その集団的 文化によって人々はますます同一の意見や偏見を持つようになっ ている。大衆プロパガンダはすでに精巧な技術を組み上げた。 ……誰一人として、彼[オルテガ]が描写したような大衆の反逆 は、19 世紀が知っていたような民主主義を目指した反逆なのでは なく、それに対する反逆なのだということを理解せずに、あの本 [『大衆の反逆』]も、近年ドイツで生じていることについての説明 も、読むことはできない。……もしわれわれが生み出そうとして いる社会において個人は単なる斉一化された単位に過ぎないとす

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れば、われわれが用意しているのは民主主義への道ではなくカエ サル主義への道である。16 このような社会の成立をゆるす理論的前提としてリンゼイが注目し定式 化しようとしたのが「科学的個人主義」である17。彼がみるところホッブ ズを祖としベンサムやマルクスに引き継がれたこの個人主義は、近代自然 科学にその範を求め、「質的に区別不可能な単位の間の量的な関係という 観点からあらゆる物理的実在を描写しよう」とする原子論をとって、その 原子を「相互には外的な関係しか持ち得ない、完全に独立したもの」とみ る。こうした分析的手法に則る結果、そこで理解される個々人は物理的力 において平等であるとみなされるものの、その精神は連合主義心理学で説 明し尽くされて完全に利己的で独立した存在であると見なされ、各人が前 提としてきた利害関心を超えて他者と新たな道徳的関係を築きうる存在と は見なされない。連合主義心理学に基づいて理解されたような「精神を もった人間は彼らの偶発的な欲望に翻弄され、その欲望の引きずるまま に、したがって、かくして偶発的に決定された自己利益に沿って、行動で きるにすぎない」のである。 「科学的個人主義」のこのような定式化が、「直接的には人々の目的や それに対する責任を変更しない」点に「経済的関係」の特徴をみたリンゼ イの視角と密接に関連していることは見やすいであろう。実際彼はこの 「科学的個人主義」が同時代の経済学・政治学に多大な影響を与え、「経済 人 economic man」18の理念の基盤をなしているとみていた。 しかしここでさらに注意しておきたいのは、リンゼイにおいて、この 「科学的個人主義」は「容易に専制に転化する」と考えられていたことで ある。「人格の無限性ないしは「他者の他者性」の無限性に対する尊重」 をほとんど顧みない「科学的個人主義」は、社会を構成する個々人を相互 の結合を失ったバラバラの原子として理解するが、そこに止まらず、近代 自然科学が自然を支配したように、そうした原子を「管理し統御」しよう とするからである。「時として利益の調和は人工的に生み出されなければ ならない」と考えていたベンサムにとって「原子の群れの外側に神か科学 者のように悠然と座ってあらゆる個々人の利己的な行動が一般善に至るよ うな環境をつくるのは自分の仕事であった」。19 このような特徴をもつ「科学的個人主義」があまりにも分断され相互的

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な結びつきを失った社会に適用されると「全体主義」や「カエサル主義」 と結びついた「全能国家」を生むことになる。というのも、「人工的で強 制的な紐帯」が必要とされるその社会では「大衆心理および力以外にはい かなる結合 union も見出し得ない」からである。そこに、「国家がその成 員のあらゆる活動に対して完全で無制約の権力を自ら引き受け」、「他の国 家においては国家とそれとは別のあらゆる自発的結社との間で個人に分有 されている忠誠と献身とが国家に、そして国家だけに、与えられる」余地 が生まれる。その意味で、ホッブズが欲したものは「ヒトラーと全体主義 国家」であった。20 リンゼイのこうした議論の念頭にまずあったのはイタリアのファシズム であり、ロシアのボルシェヴィズムであり、ドイツのナチズムである。し かし彼は決して英国の状況を楽観視していなかった。ドイツ社会に比べれ ば英国社会には根強い民主主義の伝統があるものの、第一次世界大戦直前 に英国社会を麻痺させた深刻な社会的亀裂は、ようやく戦争の危機と勝利 という共通目的とによって克服されたに過ぎず、それを支えていたのは 「戦争に特徴的な集団的感情」に過ぎないと見ていたからである。しかも ナチズム下のドイツに関する優れたルポルタージュを読んだリンゼイは、 幻滅・冷笑・無関心という点でドイツの若者と南ウェールズの若者との状 況が酷似していることをはっきりと確認させられる。リンゼイにとって 「全能国家」は自らの問題であった。21

3:「自由で自発的な結社」を軸とする民主主義の理念

リンゼイの民主主義の理念はまさに、「経済的関係」や産業化がもたら す以上のような〈疎外〉状況と、その極点としての「カエサル主義」「全 体主義」の性格をもつ「全能国家」の可能性とに抗して提示されていた。 彼が民主主義を「国制上の理論、つまりいかに政府が構成されるべきかに 関する見解」である以上に何よりも「社会の理論」であると理解し、民主 主義は「共同体のあらゆる権力・利害・目的を自らのうちに吸収しようと する政府を甘受することはでき」ず、「自由な民主的社会というその理想 は自由で自発的な結社を要求する」22と論じた真意は、ここにある。すな わち問題の根幹に社、会、の、〈疎外〉状況をみていたからこそ、リンゼイは 「社、会、の、理論」として民主主義を理解し、その「理想」の核心に「自由で

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自発的な結社」をみたのである。 もっともこのように論じるとき、リンゼイは大規模産業社会における自 発的結社の限界も十分に意識していた。例えば彼は、「われわれはその生 活の資を世界システムの安定性と繁栄とに依拠している」が、「世界大の 変化によって惹起された広範な失業は労働組合が対処するにはあまりにも 大きな問題であり、この失業によって資金が枯渇せられ労働組合の力は吸 い取られてしまう」と指摘する。「いまや自発的な労働組合組織はそれ自 体では経済的安定の深刻な擾乱と格闘することはできない」。リンゼイが 「国家のみがこの悪と格闘できる」と考えて専門家による「計画」の重要 性を認め、ウェッブ夫妻の「ナショナル・ミニマム」の理念を支持し、第 二次世界大戦後のアトリー政権による一部の産業の国有化に肯定的だった 理由は、このような判断にもとづいていた。23 しかしこうした限界の認識にもかかわらずリンゼイが「自由で自発的な 結社」に拘ったのは、彼がそこに「全能国家」とは異なった社会的紐帯の 核としての意義を見出したからに他ならない。 例えばリンゼイは「民主主義的社会観」の鍵概念として「自由」ととも に「平等」を挙げ、「民主主義では、人間として人格として道徳的存在と して人間が共通に持っているものが重要なのであって、このことに比べれ ば個々人の大きく明らかな差異は取るに足らない」と論じる。彼にとって これは「科学的な意味において自明なことではな」く、「信念、信仰」で あった。「すべての人間は彼自身が目的として扱われるべきであり、決し て単なる手段として扱われてはならない」というカントの議論や、「イン グランドで最も貧しい者でも最も豊かな者と同じように生きるべき生命を 有する」というピューリタン革命時代の水平派レインボロー大佐の議論が 肯定的に言及されるのも、この文脈においてである24。「経済的関係」が 優位を占め各人が手段化・道具化される〈疎外〉状況において民主主義の 理念として「目的」としての人間の平等を指摘することは重要であった。 だが見逃してはならないのは、こうした議論と同時にリンゼイが「民主 主義はすべての人間が肉体的能力・知的能力・道徳的能力において等しい とは言っていない」と指摘し、「兄弟愛 brotherhood を考慮に入れずに自 由と平等とを論じると、それは非現実的な抽象的概念となってしまう」と 留保していることである。つまりリンゼイにとって「兄弟愛」ないし「友 愛 fellowship」は「自由」「平等」と並ぶ「民主主義的社会観」の重要な

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鍵概念であった。リンゼイがしばしばレインボロー大佐の議論の意義を強 調しつつも水平派の議論にアナキズムに陥る可能性を認め、独立派のクロ ムウェルの重要性に着目するのは、こうした理解と関わっていた。25 ではこの「兄弟愛」ないし「友愛」によってリンゼイは何を意味してい るのか。 「自由で自発的な結社」というとき、リンゼイがその具体像として念頭 においているのは教会、大学、労働組合、WEA、生活協同組合、労働者 クラブ、友愛協会などである。だがその理念型は、17 世紀のピューリタ ン革命期に活躍した再洗礼派・独立派・クエーカーといった「左派ピュー リタン」の宗教的集い religious congregation に求められた。それは、リ ンゼイがクロムウェルを高く評価していたからばかりではなく、彼が、産 業主義に対抗して誕生し組織的な労働運動の一翼を担っていった労働組 合、WEA、生活協同組合、労働者クラブ、友愛協会を「左派ピューリタ ン」の系譜に連なる非国教徒の活動と理解していたからでもあった26。リ ンゼイにとってピューリタン的集いは単なる重要な歴史的過去ではなく、 現に息づいている伝統だったのである。そこで、少々長くなるがこの ピューリタン的集いに関するリンゼイの説明を二点引用したい。 最初の引用では、先にも注目した「平等」「友愛」といった鍵概念が用 いられながらピューリタン的集いが次のように説明される。 それらは神の栄光とその意志を実現するという意味で自、身、を、超、え、 た、何、か、を、目、的、と、す、る、結、社、であった。そ、の、成、員、は、共、通、の、経、験、と、信、仰、 と、を、共、有、す、る、点、に、お、い、て、平、等、であり、その事実が非常に重要で あったため、そ、の、社、会、 society に、お、け、る、平、等、は、成、員、間、の、多、様、性、や、差、 異、を、も、喜、ん、で、受、け、入、れ、た、。そこにおける精神 spirit は一つであった が、現れ方 operation においては多様であった。何と言っても、そ の社会は友、愛、的、結、合、 fellowship であった。個人主義や自由や思索の 自由が度を超さないのは絶対的で変わることのない信条や絶対的 な個人的権威によるのではなくて、共通の経験を共有するという 結合を促す活動と、共通の信仰および共通の生活によるのであっ た。差異が生まれたときには……とらえどころはないが現に存在 している集、い、の、意、識、 the sense of the meeting が調停者となる。友 愛が、そして共通の信仰および経験が本物であるかぎり、統一と

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多様性、連続性と変化の双方を保つという細心の注意を要するわ ざは維持されうるが、全、体、を、な、す、の、は、永、遠、に、刷、新、さ、れ、続、け、る、信、仰、 の、冒、険、である。(傍点平石)27 次の引用は近代民主主義が独立派や再洗礼派に由来する理由が論じられて いる箇所であり、先の引用と重複する説明もあるが、「一般意志」に至る 「討論」に焦点を当てている点で目を惹く。 彼らには個、々、の、構、成、員、の、目、的、を、超、え、た、目、的、に、献、身、す、る、社、会、 a soci-ety の経験があった。その社会では構成員全員がその社会の目的に 等しく関心をもつと認められ、また、とりわけ、その社会は共、通、 の、討、論、が、可、能、な、ほ、ど、十、分、に、小、規、模、であった。そうした社会におい ては一、般、意、志、とでも呼ばれうるような何かが存在する。なぜなら ばそこには共通精神 a common mind と呼ばれうるような何かが存 在するからである。……共通の目的のためにともに働く男女が集 まって自らの経験を持ち寄り、それぞれの困難を共有するとき ――そう、そして自らの不満をもぶつけるとき――その討論から は真にその社会の決定が生まれうるし、実際にしばしば生まれる。 そうした決定はい、か、な、る、個、人、も、単、独、で、は、到、達、し、得、ず、、しかも各人 が、自、身、の、元、来、の、提、案、よ、り、も、十、全、に、そ、の、社、会、の、目、的、を、実、行、す、る、と、 見、な、す、よ、う、な、も、の、である。われわれはみな、そうした討論がいか に創造的なものでありうるかを知っている。共通の目的があると しても人々はそれを見るのに異なった能力をもつ。彼らは異なっ た角度からみ、その目的に異なった可能性をみる。そしてもし、 一見、互いに相容れない入り乱れた見解のなかでそれぞれが主張 するようにみえる経験や能力の豊かな多様性が統一を見出し、共 通の綱領や共通の政策ないし統一された行動の定式を見出すなら ば、他のやり方では決して生み出されない何かが生み出されたの である。その定式を生みだした思考、そして共通行動を可能とし た決意を生み出した意志は、その社会の思考であり意志であった。 (傍点平石)28 以上のような説明を踏まえてリンゼイがその民主主義論において念頭に

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おいていた「友愛(兄弟愛)」の具体像・含意を考察すると、その特徴と して次の三点が浮かび上がってくる。 第一に、討論が重要な役割を担っていることである。「投票ではなく討 論への集中こそが民主主義の真の精神に合致する」という言葉にも示され るように、リンゼイにとって「民主主義は当座しのぎでも、妥協でも、表 面的な全会一致を生み出すことで人々を黙らせる手段でも、わざわざ頭を かち割る労を執るより頭数を数える過程でもな」かった29。そこでは意志 の決定自体よりも、その決定に至る過程が重視される。上記の引用にも示 されるように、平等や多様性の意義もこの視角から確認されることにな る。 第二に、リンゼイが討論を論じる際、「われわれが主として関心を持つ のは同意を調達したりそれを記録したりすることではなく、何、か、を、見、出、す、 こ、と、で、あ、る、」30(傍点平石)と留意している点が重要である。そこでは、 単なる意見交換を超えて「何か」といういわばある種の弁証法的な方向性 が求められているからである。彼がルソーやボザンケに由来する「一般意 志」や、それとの類比で理解されクエーカー教徒由来であるとされる「集 いの意識」といった言葉を援用したのは、まさにこの「何か」を説明する ためであった。 加えてもう一点注意したいのは、「共通生活への参加、そして共通討論 の自由と活発さとによってこそ、何らかの一般意志、共通精神、集いの意 識が見出されることが確実となる」31というリンゼイの主張に示されるよ うに、「一般意志」ないし「集いの意識」を伴う討論が「共通生活」の上 に成り立つと考えられていたことである。リンゼイにおける「友愛(兄弟 愛)」観の第三の特徴はこの点に関わって現れる。 すなわち、一方でリンゼイは、彼のいう討論が成り立つためには「共通 生活」の枠組みである結社が小規模で素朴でなければならないことを意識 していた。したがって、彼は「一般意志」ないし「集いの意識」の磁場と して大規模な現代国家を安易に想定しない。彼が、(彼が理解するかぎり での)ボザンケのような英国理念主義者にみられがちな、強制的機関とし ての国家と社会全体とを同一視し「一般意志」と「主権」とを同定する 「一元的社会観」を批判した所以である。32 だが他方で、上記の引用に示されるように、リンゼイはこの「共通生 活」が「自身を超えた何か」つまり「個々の構成員の目的を超えた目的」

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によって結ばれていなければならないことに注意を促していた。彼が「真 の社会はある人物の欲求や目的を実現するためだけのものではない」と述 べて結社の組織原理には三つあることを指摘し、「契約 contract」および 「信託 trust」にもとづく結社と区別される第三の組織原理に基づく結社が あることを強調したのは、まさにこのゆえであった。33 すなわちリンゼイによれば、「契約」にもとづく結社とは「各人が個人 として必死に欲求するものをヨリ効果的に得る際の単なる道具」であり、 その典型例は「経済的結社」である。そこでは「人々の欲求が契約によっ て決定されることは全くない」。ただ「気まぐれ」は避けられるべきで 「単に道具とはいえ、固有の法や要請はある」。34 これに対して「信託」にもとづく結社とは「結社形成前に共通に目的と されていたものを実現するための道具」であり「各構成員が社会[結社] の外部にある目的に資するように権力と権利とを有する機構」である。リ ンゼイによれば、ロックの社会契約の観念はこの類型に含まれる。という のも「彼は自然権を国家とは別に個人に固有のものと考え、国家はそれら を保護し維持するために形成されるものと考えたからである」。ただしこ こでさらに注意が促されるのは、ロックが「道徳的法と相互的な道徳的権 利との認識にもとづいて国家から独立した社会の観念を保持した」もの の、「教会とその他の社会とのあいだのピューリタン的対照を棄てた」点 である。 この点を受けて、リンゼイは「共通の自我 moi commun を強調する際 にルソーが強調しているのは、ある結社の本質において他の理論が考慮し ない何かである」と指摘する。リンゼイによればその「共同体の目的はそ の共通生活から発展」し「共同体は目的によって統治されるがその目的は 固定されているのではなく発展し続ける規定 code と考えられている」。 そして、「これらの社会は目的実現のための単なる道具ではなくそれ自体 が構成員の目的を発展させ維持するからこそ、その社会の共通生活がその 行動の唯一の十全な基準となる」。 このように説明する際、リンゼイはこうした結社の性質は「もしそれら が本来的に備わった生命と発達する力とをもつと見なされない限り」十分 に理解されないと指摘し、「こうした種類の結社が存在することでわれわ れは団体人格について語りたくなるのだ」とも論じる。だが彼自身は「共 同体のこの生が単一の意志 a will であると想定する必要はない」と述べ、

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安易に共同体ないし結社を人格として実体化することには批判的である。 以上の瞥見からも明らかなように、この第三の結社に関するリンゼイの 説明は必ずしも明瞭ではない。しかし彼の民主主義論においてこの結社が 最も重要であることは、討論の問題において引照されたルソーがここでも 言及されていることを考えれば明らかである。そして、リンゼイが「自由 で自発的な結社」の理念型をピューリタン的集いに求め、ロックによる 「教会とその他の社会とのあいだのピューリタン的対照」の放棄に注意を 促し、「科学的個人主義」の対抗概念として「キリスト教的個人主義」を 提示しているのを確認するとき、この第三の結社の組織原理をヨリよく理 解するためには彼のキリスト教理解を考察しなければならないことに気づ くのである。これが次節の課題となる。 (以下、次号) 注 1 豊川慎「A・D・リンゼイのデモクラシー思想とピューリタニズム――日本の戦 後民主主義と「リンゼイ・テーゼ」の再検討に向けて」、『ピューリタニズム研究』 第 4 号、2010 年、40 頁。 2 なお、リンゼイに関する本格的な先行研究は英米圏・日本を問わず決して多く はない。恐らく本文ですでに紹介した点も含め、最も包括的にリンゼイの思想と 行動とを活写したものはいまだに、娘のドゥルシラ・スコットがリンゼイの弟の トムやリンゼイから強い影響を受けた哲学者ドロシー・エメットの協力を仰いで 著した評伝 Drusilla Scott, A.D. Lindsay: A Biography(Oxford, 1971)である。永 岡薫編著『イギリス・デモクラシーの擁護者 A・D・リンゼイ――その人と思想』 (聖学院大学出版会、1998 年)もリンゼイの思想に多角的に接近しており便利であ

る。

モノグラフとしては、比較的短い論説であるが Graham Maddox, The Christian Democracy of A.D. Lindsay in Political Studies, Vol.34(1986)が Oxford Diction-ary of National Biography にも挙げられている意味で古典的な解釈と言えるかもし れない。これは、リンゼイを「現代の参加理論の仕事に先鞭をつける」理論家と して理解し、リンゼイの民主主義理論の特徴を、①討論の強調、②民主主義にお ける国家の中心的位置、③憲法主権、④自発的結社の役割、⑤民主主義における 革命的・創造的精神という五点に求めたものである。 これに対して近年では日本において幾つかの研究が発表されており、先に挙げ た豊川慎のもののほか、植木献「契約とコモンセンス――リンゼイのデモクラ シー理論における伝統」(鷲見・千葉編著『ヨーロッパにおける政治思想史と精神 史との交叉――過去を省み、未来へ進む』(慶應義塾大学出版会、2008 年)所収) や中村逸春「A・D・リンゼイのデモクラシー思想――コングリゲーションの伝統

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とその再生」(1)―(3・完)、『法学』第 75 巻第 3 号、2011 年;『法学』第 77 巻 第 3 号、2013 年;『法学』第 79 巻第 1 号、2015 年がある。 豊川の研究は近代民主主義はピューリタン的集いの経験から始まったとする 「リンゼイ・テーゼ」を戦後日本の民主主義の成熟という視点から再考し、リンゼ イにおいて抵抗権思想や契約概念が積極的な意味を持たない点を批判している。 これに対して中村の研究はリンゼイの思想の中心点をピューリタン的集いの理 念と英国理念主義とに求めながら、彼の発表したさまざまな解説・パンフレット・ 論説にまで目を配りつつ、その思想の展開を丹念に跡づけようとしている。本稿 ではキール大学所蔵のリンゼイ文書に保管されている原稿を参照できただけの資 料についても、出版された媒体・発行年まで突き止めている事例もあり、こうし た面での価値も高い。 植木は、リンゼイの民主主義論の意図を彼の労働問題に対する関心に求め、そ こから、リンゼイが「契約」ではなく「コモンセンス」にもとづくリーダーシッ プの擁護と共同性の回復とを試みたのだと論じる。 この植木の研究が「経済人」「契約」「産業主義」「共同性の回復」といった鍵概 念に着目しているのを考えると、本稿の視角は植木のそれと重なる。ただ植木が その議論を民主主義論とそこにおけるリーダーシップ論とに収斂させているのに 対して、本稿では植木が必ずしも十分に紹介・検討していない社会経済問題やキ リスト教に関するリンゼイの理解にまで目を配り、彼の思想の全体的な構造に接 近することを主眼としたい。逆に言えば、本稿では、重要ではあるものの、植木 が注目するリーダーシップ論の問題やマドックス等が指摘する憲法主権の問題に までは十分に立ち入る余裕がない。また本稿がリンゼイの思想の全体像を明らか にし尽くしたと主張するつもりもない。哲学や科学に対する彼の考察を見ても、 彼の最大の問題関心は近代そのものを問い直すことにあったのではないかと思わ れるからである。しかし、これらの残された課題の考察は他の機会に委ねたい。 さらに、リンゼイの思想を 19 世紀末から 20 世紀前半にかけて展開されたさま ざまな思想潮流(例えば英国理念主義、政治的多元主義、フェビアン主義やギル ド社会主義、リベラル・アングリカニズムを初めとするキリスト教思想等々)の 中に位置づけ直すことも今後の課題である。これについては、リンゼイを「新理 念主義 Neo Idealism」と位置づけた A・ウラムの『イギリス社会主義の哲学的基 礎』(Philosophical Foundations of English Socialism(1951))が古典的作品とし て知られるが、最近の研究としては、英国の「公共的アイデンティティ」を強く 意識した知識人の一人としてリンゼイを位置づけその民主主義論を論じた Julia Stapleton, Political Intellectuals and Public Identities in Britain since 1850 (Manchester, 2001)やリンゼイを 19 世紀以降のリベラル・アングリカニズムの思 想的伝統の中で、同時代の W・テンプルや E・バーカーと並べて論じた Matthew Grimley, Citizenship, Community and the Church of England(Oxford, 2004)が ある。

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4 内田義彦『資本論の世界』(岩波書店、1966 年)、11 頁。

5 以下、本稿で参照するリンゼイの著作の一部については次のように略記する。 1.A.D. Lindsay, The Nature of Religious Truth: Sermons Preached in Balliol

Chapel(London, 1927)(古賀・藤井訳『オックスフォード・チャペル講話』 (聖学院大学出版会、2001 年)):NRT

2.――――, General Will and Common Mind(London, 1928):GWCM 3.――――, Christianity and Economics(London, 1933):CE

4.――――, The Churches and Democracy(London, 1934)(山本・大澤訳『キ リスト教諸教会とデモクラシー』(聖学院大学出版会、2006 年):CD

5.――――, The Essentials of Democracy(London, 2nd edn, 1935)(永 岡 薫 訳 『増補 民主主義の本質――イギリス・デモクラシーとピュウリタニズム』(未

來社、1992 年):ED. なお原著初版は 1929 年刊。

6.――――, The Two Moralities: Our Duty to God and to Society(London, 1940)(中村正雄訳『二つの倫理』(弘文堂、昭和 34 年)):TM

7.――――, The Modern Democratic State, Vol.1(Oxford, 1943)(紀 藤 信 義 訳 『現代民主主義国家』(未來社、1969 年)):MDS

8.――――, Religion, Science and Society in the Modern World(New Haven, 1943)(渡辺雅弘訳『自由の精神――現代世界における宗教、科学、社会』(未 來社、1992 年)):RSS

9.――――, Christian Individualism and Scientific Individualism in T.F. Wood-lock et al., Democracy: Should It Survive?(London, 1946)(永岡・山本・佐野 訳『わたしはデモクラシーを信じる』(聖学院大学出版会、2001 年)所収):CI-SI

10.――――, Selected Addresses(Holmrook, 1957):SA. なお、とくに本書所収の BBC 連続講演 I Believe in Democracy(1940)(永岡・山本・佐野訳『わたし はデモクラシーを信じる』(聖学院大学出版会、2001 年)所収)については IBD と略記する。

11.A.D. Lindsay et al., Christianity and the Present Moral Unrest(London, 1926): CPMU なお、訳出は既存の邦訳を参照しつつ筆者自身で行った。また、本稿脚注で L ○○○と記されているのはキール大学図書館所蔵のリンゼイ文書(Lindsay Papers)のファイル番号である。示されている頁数はそれぞれの資料に付され ている番号である。例えば後に何らかの媒体で発表された論説であっても参照 しているのがリンゼイ文書に残されているその論説のタイプ原稿であれば、示 されているのはタイプ原稿の頁数であるので注意されたい。

6 A.D. Lindsay, The Organisation of Labour in the Army in France during the War and its Lessons in The Economic Journal, Vol.34 No.133(March, 1924) , pp.74-5.

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Alice Cameron, Lindsay and the Unemployed Club at Lincoln, L170.

8 A.D. Lindsay, Unemployment and Education in The New Era(Sep.-Oct. 1935), L170, p.217. See also, CE, pp.81-3.

9 以下、特に「経済的関係」に関するリンゼイの考察については、1930 年・32 年 の講演をもとに 1933 年に刊行された『キリスト教と経済』に基づいているが、彼 が具体的にどのような経緯を経てこうした考察に至ったのかは現段階では不明で ある。というのは、すでに本文で触れたように彼にはこの前に発表されたマルク ス論(Karl Marx’s Capital: An Introductory Essay(London, 1925))があるが、 そこでは本文で以下紹介するような議論はほとんど見られず、二著のあいだの ギャップが印象に残るからである。マルクス論ではむしろ、個人主義的見方に立 つマルクスの労働価値説・剰余価値説と集合的労働者(collective labourer)に関 する彼の議論とのあいだの矛盾がもつ意義などに焦点が当てられている。 これに対してたしかに、ヨリ早い 1916 年初頭に発表された論考では、「経済的 関係」は「真の共通目的」を必要としないという理解がすでに示され、拡大する 「経済的相互依存関係」に見合った何らかの「政治的組織」が必要だという議論が なされている。しかしここでの主旨は(恐らくノーマン・エンジェルなどを想定 しつつ)「経済的相互依存関係」の成立はそのまま平和を意味しないことを指摘す る点にあり、〈疎外〉についてのヨリ広範な考察は見られない。(A.D. Lindsay, The State and Society in Louise Creighton et al., The International Crisis: The Theory of the State(Oxford, 1916), pp.104-5.)

なおラスキンに関する後年の論考(A.D. Lindsay, Ruskin and the Social Con-science in The Listener Vol.39 No.1005(April 29, 1948), pp.699, 707)には、リン ゼイがラスキンの経済論から学んでいた可能性を疑いたくなる箇所が多数見つか る。しかし 1930 年までの段階でリンゼイがどこまでラスキンを読んでいたかは不 明である。やはりゼネスト以降本格的に始まった失業問題との取り組みが彼の考 察を深めるきっかけとなったのではないかと思われるが、いずれにせよ、当時の 知的状況も含め、さらなる検討が必要である。 10 CE, pp.38-42, 45-6, 53. 11 CE, pp.56-8. 12 CE, pp.58-60. 13 CE, pp.60-2, 69.

14 CE, pp.72-3, 80-1; IBD, pp.23-4(邦訳、29-30 頁);ED, p.4(邦訳、9 頁). 15 CE, pp.74-5, 97; RSS, p.56(邦訳、117 頁).

16 CD, pp.34-7(邦訳、26-9 頁).

17 以下、「科学的個人主義」については、CISI, pp.120-3(邦訳、87-8、90-5 頁); MDS, pp.79-80(邦訳、110-1 頁);ED, pp.2, 5(邦訳、5、11 頁)を参照せよ。 18 E.g., CISI, p.124(邦訳、97 頁);ED, p.1(邦訳、4 頁).

19 なお、以上のように「科学的個人主義」の特徴を理解するとき、リンゼイはそ れが経済学や政治学に強い影響を及ぼしたことを認めながらも、「科学的個人主

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義」が「普遍的利己主義 universal egoism」に基づいているのに対し、実際の経済 学や政治学は必ずしも個人を純粋に利己的なだけの存在と見なしていない点にも 注意を向けている。しかしその経済学や政治学も「個々人の利害関心は限定的だ」 と見ている点でキリスト教的個人観と大きく異なると彼は指摘する。(CISI, p.125 (邦訳、98 頁). 20 CD, pp.44, 46(邦訳、34-5 頁);ED, p.2(邦訳、5 頁).

21 CD, pp.42, 50-2(邦訳、32、38-40 頁);A.D. Lindsay, Notes on the Way in Time and Tide(Sep. 5th, 1942), L196, p.701.

22 IBD, p.10(邦訳、14-5 頁).

23 IBD, pp.28, 46-7(邦 訳、33-4、54 頁); A.D. Lindsay, Incentives in Industry (probably in British Weekly(Sep. 4th, 1947), L204; A.D. Lindsay, The Philosophy of the British Labour Government in F.S.C. Northrop(ed.), Ideological Differen-ces and World Order(New Haven, 1949), pp.254-5, 260-2, 267-8.

なお、これらの箇所からも分かるように、リンゼイが国家干渉や産業の公有化 を肯定したとしても、彼はそこにおける官僚化の問題を看過せず、国有産業にお けるある種の自主管理の導入の必要性を説いていたことは、すでに触れた彼の軍 隊経験とあわせて、やはり特記に値する(See also, Scott, A.D. Lindsay, pp.295-6)。また、リンゼイがナショナル・ミニマムを支持する際、ウェッブ夫妻のよう に経済的側面に問題を限るよりも、この理念には「社会は共通生活でなければな らないという民主的前提」が控えている点を理解することが重要だとわざわざ強 調している点にも注意したい。こうした点でリンゼイはやはり G・D・H・コール に好意的であるし、逆にウェッブ夫妻には「本当のところは民主主義的ではな」 く「ベンサム主義」にすぎないという評価を与えている(A.D. Lindsay, The New Labour Government(probably in Virginia Quarterly Review(1946)), L158, pp.8-9; A.D. Lindsay, Review on Adam Ulam, Philosophical Foundations of English Socialism in Public Affairs(1951), L154. なお同じウラムの著作に対する書評でも Manchester Guardian に寄せたものにはウェッブ夫妻批判がない)。

24 IBD, pp.13-4(邦訳、19-20 頁);ED, p.13(邦訳、28 頁). 25 IBD, pp.12-3(邦訳、17-9 頁);ED, pp.35-6(邦訳、73-4 頁).

26 IBD, pp.15, 25(邦訳、21、31 頁); ED, p.81(邦訳、160 頁); RSS, pp.56-7(邦 訳、117 頁); CD, p.24(邦 訳、19 頁); MDS, pp.10, 117(邦 訳、24-5、157 頁); Lindsay, The New Labour Government in Great Britain, p.5.

27 RSS, pp.17-8(邦訳、28 頁).

28 GWCM, pp.18-9. See also, A.D. Lindsay, Symposium: Bosanquet’s Theory of the General Will in Proceeding of the Aristotelian Society, Supplementary Volumes, Vol.8(1928), p.43.

29 GWCM, p.22; ED, pp.36-7(邦訳、75-6 頁). 30 ED, p.37(邦訳、76 頁).

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32 CD, pp.71-2(邦訳、55-6 頁). したがって、リンゼイは大規模な現代社会におい ては多様な結社において多様な意志がまず形成され世論となった上で、しかるべ き代表の過程を通じて政治的に翻案されていくべきだと考えていた。リンゼイの こうした理解については例えば、GWCM, pp.22-3; ED, pp.37-8, 40, 80-1(邦訳、77-9、80-1、159-60 頁)を参照。 33 以下の点については、Lindsay, Symposium, pp.38-9; MDS, pp.12-3, 22-3; 238-40 (邦訳、27、39、307-10 頁)を参照。 34 なお、1928 年のシンポジウムではホッブズの社会契約論がこの「契約」にもと づく結社に含められていたが、1943 年の『現代民主主義国家』では含められてい ないのは興味深い。自己保存を自然権として設定したという意味では、ホッブズ の議論には次のロックと同じように「信託」の要素も含まれることが意識される ようになったからであろうか。

参照

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