• 検索結果がありません。

マーケティングと社会科学--「流通価格革命論」批判---香川大学学術情報リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "マーケティングと社会科学--「流通価格革命論」批判---香川大学学術情報リポジトリ"

Copied!
43
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

香 川 大 学 経 済 論 叢 第68巷 第 2・3号 1995年11月 371-413

マーケティングと社会科学

一 一 一 「 流 通 価 格 革 命 論 」 批 判 一 一

相 銭

し 問 題 の 所 在 本稿では,昨今,まさに時代のキーワードとなりつつある「価格破壊」や「価 格革命」という現象を端緒として,改めて,流通・マーケティングにおける「理 論」と「実践」との相互関係を追って見たいと思う。すなわち,流通・マーケ ティング理論は現在の「破壊」的かっ「革命」的現象にたいしてどのような影 響を与えているのか,逆に,実践としての「破壊」や「革命」現象が流通・マ ーケティング研究者にどのような課題を投げかけているのかが,議論の焦点と なる。 次節からの議論で明らかになるだろうが,流通・マーケティング「理論」と 破壊や革命を煽る「実践」が,相互作用を通じて共に強化されるプロセスを辿 るが,必ずしも,それらの「理論」と「実践」が流通・マーケティング「現場」 の住人達が長い試行錯誤の経験の上で体得したいわば「フィー/レドの知」と一 致していないことが分かる。よく言われる「認識の知」と「フィールドの知」 のギャップが,日本の流通・マーケティングの現場の一角に吹き荒れている価 格「破壊」や流通価格「革命」という名の扇動的スローガンによってさらに拡 大される恐れがあるのであるO 結論を先取って言えば,われわれは rパワー還元主義」的な政治学やウェ ーパー(Weber)流社会学の伝統が,流通・マーケティング理論の科学化にお いて多大な影響力を及ぽした行動科学的アプローチに理論負荷されたと考え 香 川 大 学 経 済 論 叢 第68巷 第 2・3号 1995年11月 371-413

マーケティングと社会科学

一 一 一 「 流 通 価 格 革 命 論 」 批 判 一 一

相 銭

し 問 題 の 所 在 本稿では,昨今,まさに時代のキーワードとなりつつある「価格破壊」や「価 格革命」という現象を端緒として,改めて,流通・マーケティングにおける「理 論」と「実践」との相互関係を追って見たいと思う。すなわち,流通・マーケ ティング理論は現在の「破壊」的かっ「革命」的現象にたいしてどのような影 響を与えているのか,逆に,実践としての「破壊」や「革命」現象が流通・マ ーケティング研究者にどのような課題を投げかけているのかが,議論の焦点と なる。 次節からの議論で明らかになるだろうが,流通・マーケティング「理論」と 破壊や革命を煽る「実践」が,相互作用を通じて共に強化されるプロセスを辿 るが,必ずしも,それらの「理論」と「実践」が流通・マーケティング「現場」 の住人達が長い試行錯誤の経験の上で体得したいわば「フィー/レドの知」と一 致していないことが分かる。よく言われる「認識の知」と「フィールドの知」 のギャップが,日本の流通・マーケティングの現場の一角に吹き荒れている価 格「破壊」や流通価格「革命」という名の扇動的スローガンによってさらに拡 大される恐れがあるのであるO 結論を先取って言えば,われわれは rパワー還元主義」的な政治学やウェ ーパー(Weber)流社会学の伝統が,流通・マーケティング理論の科学化にお いて多大な影響力を及ぽした行動科学的アプローチに理論負荷されたと考え

(2)

372- 香川大学経済論叢 568 る。さらに同アプローチが徐々に強かな理論ノfラダイムを産み出すがゆえに, 昨今の「破壊」や「革命」を煽る実践理性と相互強化プロセスを繰り返してい ると見ている。だとすれば,改めてすでに科学としての市民権を獲得したとさ れるそれら既成の社会科学が物事の殆どを還元しようとする「パワー論」が, まず伝家の宝万として,遅れてきた社会科学としてのマーケティングが科学化 の途を急ぐことにおいて,どのように振り回されたかが論じられるべきだろ う。次にパワー論がその生まれつきの属性上,戦争・支配・破壊・革命の殺風 景なイメージを抱えざるを得ないが故に,流通・マーケティング理論にもたら した問題点は一体何?あったかが,分析される必要があるだろう。その作業を 通じて,改めて現在の流通・マーケティングの理論と実践に批判的視角を露呈 することカまできる。 もし,流通・マーケティング理論が「不本意に」その現場に対して破壊や革 命の実践を煽ることになり,それが政治学やウェーパ一流社会学,そして行動 科学のパワー論に影響されたと言えるならば,ここに来て,思考の大転換を行 い流通・マーケティング「現場」の住人達の「フィールドの知」と認識のルー ツをともにしながら追体験を重視するもう一つの柾会科学群,すなわち文化人 類学と世会的交換理論,そして商人的マーケティング論を登場させることが求 められる。それらは,現在の先進の流通・マーケテイング理論のキーワードで ある「交換J, I関係J, I信頼」などのコンセプトを豊かに抱えるがゆえに, 「理論」の補完・修正・発展に寄与するばかりではなく,破壊と革命を煽る実 践理性に歯止めをかける役割をも果たすことが期待できるのである。 II.流通・マーケテイングにおける理論と現実 1.日本企業のマーケティング神話の崩壊 パフソレ経済の破綻とそれに伴う不況の長期化は,日本の経済社会の構成員の 行動ノTターンに少なからぬ変化をもたらした。大人しかった消費者が低価格志 向のうるさくて賢い生活者になり,順応的であった流通業者が

PB

を作り

NB

の消費財メーカーに真っ向から対抗する姿勢を強化するようになった。新問屋 372 香川大学経済論叢 568 る。さらに同アプローチが徐々に強かな理論ノfラダイムを産み出すがゆえに, 昨今の「破壊」や「革命」を煽る実践理性と相互強化プロセスを繰り返してい ると見ている。だとすれば,改めてすでに科学としての市民権を獲得したとさ れるそれら既成の社会科学が物事の殆どを還元しようとする「パワー論」が, まず伝家の宝万として,遅れてきた社会科学としてのマーケティングが科学化 の途を急ぐことにおいて,どのように振り回されたかが論じられるべきだろ う。次にパワー論がその生まれつきの属性上,戦争・支配・破壊・革命の殺風 景なイメージを抱えざるを得ないが故に,流通・マーケティング理論にもたら した問題点は一体何であったかが,分析される必要があるだろう。その作業を 通じて,改めて現在の流通・マーケティングの理論と実践に批判的視角を露呈 することができる。 もし,流通・マーケティング理論が「不本意に」その現場に対して破壊や革 命の実践を煽ることになり,それが政治学やウェーパ一流社会学,そして行動 科学のパワー論に影響されたと言えるならば,ここに来て,思考の大転換を行 い流通・マーケティング「現場」の住人達の「フィールドの知」と認識のルー ツをともにしながら追体験を重視するもう一つの柾会科学群,すなわち文化人 類学と世会的交換理論,そして商人的マーケティング論を登場させることが求 められる。それらは,現在の先進の流通・マーケテイング理論のキーワードで ある「交換J, I関係J, I信頼」などのコンセプトを豊かに抱えるがゆえに, 「理論」の補完・修正・発展に寄与するばかりではなく,破壊と革命を煽る実 践理性に歯止めをかける役割をも果たすことが期待できるのである。 II.流通・マーケテイングにおける理論と現実 1.日本企業のマーケティング神話の崩壊 パブノレ経済の破綻とそれに伴う不況の長期化は,日本の経済社会の構成員の 行動ノTターンに少なからぬ変化をもたらした。大人しかった消費者が低価格志 向のうるさくて賢い生活者になり,順応的であった流通業者が

PB

を作り

NB

の消費財メーカーに真っ向から対抗する姿勢を強化するようになった。新問屋

(3)

569 マーケティングと社会科学 ← 3ス3 無用論の再三の台頭によって,メーカーの市場リスクの緩衝帯として機能した といわれた卸売商はその社会的存立根拠さえも危うくなってしまった。そし て,戦後日本経済成長の原動力として内外の一致した評価を受けた大手消費財 メーカーは,円高による内外価格差の対消費者還元を妨げる主犯として斜視化 されている。それ故に日本経済の優れたパフォーマンスを支えたと高く評価さ れてきた大手消費財メーカーの様々な商慣行(例えば,系列取引,建値制,リ ベート,返品制等々)が,いつの聞にか,諸悪の根源となり縮小・撤廃の途を 辿らざるを

f

辱なくなっている。 その結果,メーカー・卸売商・小売商・消費者を結ぶ、巨大な価値連鎖システ ムは,新たな様相を呈している。従来の価値連鎖システムが誇ってきた,パー トナーシップと信頼関係に基づいた「長期継続的協調関係」が,今日に至つて はかえって批判される。その代わりに価格一本で還元されそうな経済的合理性 に基づいた「臨機応変的取引関係」がバーチャノレな取り組みと賞賛される。要 するに,この新たな時代の到来によって,日本の経済社会の構成員は,昨今「長 い付き合い」に馴染んできた体質を自ら「馴れ合い」と「談合」と罵倒し,か っその前近代的な従来の商慣習を切り捨て,急いで新たな取り組みの相手を捜 し求めている。彼らには,変革の流れに乗り遅れるならば,到来した新たな時 代に消費者から背を向けられてしまい,当然ながら,新たな市場論理で質量共 に武装強化した競争者にマーケット・シェアを取られてしまうという焦りが見 られる。 流通・マーケティング研究につとめているわれわれは,この時代の変革にた いへん困惑している。「価格破壊j, '流通価格革命j,'PBとNBの対決j, 「新流通革命j, '半値戦略j, 'NBの逆襲」等々,破壊と革命を促す,まる で蟻烈な戦争を紡併させるようなスローガンが乱舞するまで,われわれは,お もにメーカーと流通業者の安定した協調関係をどうすれば定式化・理論化すれ ばよいかという課題に取り組んでいた。戦後日本経済の成功を支えてきたと積 極的に評価されたその協調関係 (cf.石井, 1984;丸山, 1992;高嶋, 1994) は , 信 頼 か ら 発 端 さ れ る が ゆ え に 安 定 的 ・ 継 続 的 ・ 拡 大 志 向 的 で あ る 569 マーケティングと社会科学 ← 3ス3 無用論の再三の台頭によって,メーカーの市場リスクの緩衝帯として機能した といわれた卸売商はその社会的存立根拠さえも危うくなってしまった。そし て,戦後日本経済成長の原動力として内外の一致した評価を受けた大手消費財 メーカーは,円高による内外価格差の対消費者還元を妨げる主犯として斜視化 されている。それ故に日本経済の優れたパフォーマンスを支えたと高く評価さ れてきた大手消費財メーカーの様々な商慣行(例えば,系列取引,建値制,リ ベート,返品制等々)が,いつの聞にか,諸悪の根源となり縮小・撤廃の途を 辿らざるを

f

辱なくなっている。 その結果,メーカー・卸売商・小売商・消費者を結ぶ、巨大な価値連鎖システ ムは,新たな様相を呈している。従来の価値連鎖システムが誇ってきた,パー トナーシップと信頼関係に基づいた「長期継続的協調関係」が,今日に至つて はかえって批判される。その代わりに価格一本で還元されそうな経済的合理性 に基づいた「臨機応変的取引関係」がバーチャノレな取り組みと賞賛される。要 するに,この新たな時代の到来によって,日本の経済社会の構成員は,昨今「長 い付き合い」に馴染んできた体質を自ら「馴れ合い」と「談合」と罵倒し,か っその前近代的な従来の商慣習を切り捨て,急いで新たな取り組みの相手を捜 し求めている。彼らには,変革の流れに乗り遅れるならば,到来した新たな時 代に消費者から背を向けられてしまい,当然ながら,新たな市場論理で質量共 に武装強化した競争者にマーケット・シェアを取られてしまうという焦りが見 られる。 流通・マーケティング研究につとめているわれわれは,この時代の変革にた いへん困惑している。「価格破壊j, '流通価格革命j,'PBとNBの対決j, 「新流通革命j, '半値戦略j, 'NBの逆襲」等々,破壊と革命を促す,まる で蟻烈な戦争を紡併させるようなスローガンが乱舞するまで,われわれは,お もにメーカーと流通業者の安定した協調関係をどうすれば定式化・理論化すれ ばよいかという課題に取り組んでいた。戦後日本経済の成功を支えてきたと積 極的に評価されたその協調関係 (cf.石井, 1984;丸山, 1992;高嶋, 1994) は , 信 頼 か ら 発 端 さ れ る が ゆ え に 安 定 的 ・ 継 続 的 ・ 拡 大 志 向 的 で あ る

(4)

374 香川大学経済論叢 570 (崖,

1

9

9

4

;

1

9

9

5

b

)

とそのダイナミックスが究明されるに至った。そして, その協調関係は,価格を中心とする経済合理性が主に重視されることになった 現在の視角からは I物語マーケティング」や「神話のマーケティングJ, I記 号のマーケティング」という,いささか胡散臭い響きが残るコンセプトをも入 れ混ぜて,日本の流通・マーケティング現場を説明する有力な理論パラダイム を創ろうとしていた。しかし,その試みは,現在のところ一応,挫折している ように見える。今や「物語」も I神話」も I言己号」も,悪き「パブソレ化」さ れ弾けてしまった。一時,日本企業の成功の原因だと言われた日本的マーケテ ィングの神話は,新たに再来した流通革命論の嵐にさらされて崩壊しつつある。 2.諸流通革命論の展開と昨今の「流通価格革命論」 戦後,目ざましい技術革新と大量生産体制の確立とともに,戦前までの卸売 支配型の流通チャネルが,化粧品,家電,自動車,医薬品などの消費財におい てメーカー主導型のマーケティング・チャネノレ,すなわち流通系列化に切り換 わった。加藤

(

1

9

9

5

)

で指摘されるように,流通系列化の成立の契機は,小売 商聞の過当な値引き競争によって多くの小売商が倒産に陥ったこと,さらにそ れによって川上の問屋とメーカーの経営までもが苦しくなったことにあった。 言い換えれば,メーカー,問屋,小売商などの価値連鎖システムの全構成員が 「共存共栄」するためには I乱売」は避けなければいけない課題であり,そ の結果,日本の流通系列化が胎動したわけである。 しかし,日本で, 30年以上も繰り返しテーマとして提唱されてきた「流通に おける革命待望論」は,日本の流通・マーケティングを,上述の「共存共栄の 構造」であるより I支配・非支配の対立構図」として捉えてきた。林

(

1

9

6

2

)

の「流通革命論J,佐藤(1

9

7

4

)

の「流通産業革命論」が先駆的に提唱され, その後にも絶えず,新流通革命論とか新流通産業革命論とかが提起されてき た。もちろん,時代の流れによって流通における競争優位・劣位「構造」の変 還は避けられないが,従来の支配階層に代わって新たに台頭しつつあるパワー の持ち主による,新支配の正当化という支配・非支配「構図」はいまだ変わっ 374 香川大学経済論叢 570 (崖,

1

9

9

4

;

1

9

9

5

b

)

とそのダイナミックスが究明されるに至った。そして, その協調関係は,価格を中心とする経済合理性が主に重視されることになった 現在の視角からは I物語マーケティング」や「神話のマーケティングJ,I記 号のマーケテイング」という,いささか胡散臭い響きが残るコンセプトをも入 れ混ぜて,日本の流通・マーケティング現場を説明する有力な理論パラダイム を創ろうとしていた。しかし,その試みは,現在のところ一応,挫折している ように見える。今や「物語」も I神話」も I言己号」も,悪き「バブル化」さ れ弾けてしまった。一時,日本企業の成功の原因だと言われた日本的マーケテ ィングの神話は,新たに再来した流通革命論の嵐にさらされて崩壊しつつある。 2.諸流通革命論の展開と昨今の「流通価格革命論」 戦後,目ざましい技術革新と大量生産体制の確立とともに,戦前までの卸売 支配型の流通チャネルが,化粧品,家電,自動車,医薬品などの消費財におい てメーカー主導型のマーケティング・チャネノレ,すなわち流通系列化に切り換 わった。加藤

(

1

9

9

5

)

で指摘されるように,流通系列化の成立の契機は,小売 商聞の過当な値引き競争によって多くの小売商が倒産に陥ったこと,さらにそ れによって川上の問屋とメーカーの経営までもが苦しくなったことにあった。 言い換えれば,メーカー,問屋,小売商などの価値連鎖システムの全構成員が 「共存共栄」するためには I乱売」は避けなければいけない課題であり,そ の結果,日本の流通系列化が胎動したわけである。 しかし,日本で, 30年以上も繰り返しテーマとして提唱されてきた「流通に おける革命待望論」は,日本の流通・マーケティングを,上述の「共存共栄の 構造」であるより I支配・非支配の対立構図」として捉えてきた。林

(

1

9

6

2

)

の「流通革命論J,佐藤(1

9

7

4

)

の「流通産業革命論」が先駆的に提唱され, その後にも絶えず,新流通革命論とか新流通産業革命論とかが提起されてき た。もちろん,時代の流れによって流通における競争優位・劣位「構造」の変 遺は避けられないが,従来の支配階層に代わって新たに台頭しつつあるパワー の持ち主による,新支配の正当化という支配・非支配「構図」はいまだ変わっ

(5)

571 マーケティングと社会科学 -375 ていない。端的に本稿の中心テーマーとなっている,昨今の価格破壊をスロー ガンとする「流通価格革命」も基本的な構図は変わっていない。 では,当面の流通価格革命について,ちょっと詳しく見てみよう。バブル期 を挟んでの最近までの日本の流通システムにおいては,消費者ニーズの多様化 とも相まって改めて商業の社会性・個別性が重視されるように見えた。だから こそ,古き規模の経済の論理が横行した従来の流通システムに

2

4

時間利便性の 提供を訴える

c

v

s

や高品質・高価格・高満足のブランド物を揃えている専門 庄が加えられて,消費者に真の意味での選択権を与え,結果的に多岐に渡る消 費者ニーズを豊かに充足させることができたとも言えるはずであった。その面 で,やっと日本の流通・マーケティング現場における革命の終震が到来したか のようにも見えた。後述するだろうが,東西冷戦の終荒の到来,それによる暗 欝な革命やイデオロギーの終震の到来と時期を共にしながら,共栄の時代が到 来したかのように見えた。しかし,それも束の間,パフもルの崩壊と不景気の持 (1) ち な み に 諸 流 通 革 命 論 の 中 身 と し て 革 命 の 主 体J, 革 命 の 大 義 名 分 ( 建 て 前 ) と本音J,革命の方法」について覗いてみよう。様々な流通における革命論が,その 主体において林(1962) では暗黙襖に寡占メ カーを想定したが,佐藤(1974) 以来, 現在の疏通価格革命までは概ね大手流通企業を前面に立てていることはよく知られてい る。他方,革命の大義名分としては常に「消費者(生活者)の福祉のために」という, いささか政治学における「市民の自由のために」という近代市民革命的スローガンを真 似しているが,本来の目的は「流通における既存の支配構造を改変すること」にほかな らなかった。特記すべきことは,革命の方法論についてである。支配構造の改変という 革命の目的を達成するために特段の「物理的な手段(パワー )Jを振るう一団のパワ一階 層が台頭するということは東西の様々な革命のステレオタイプである(cf.Mills, 1956)。 とりあえず流通革命論でも時代の流れによって次々と新たなノfワ一階層が現れ,時代に フィットするような強力なパワ を駆使するという方法論は同様である。例えば,時代 の変遷とともに,まずは易;占メーカーが規模の経済論理にしたがう大.[!生産体制をもっ て,次は大手スーパーがチェーン・オペレーションという経営技法をもって,流通シス テムの前面に登場した。特に,後者のロジック,すなわち古い工場制生産のコピーにす ぎないマス・マーチャンダイジングを武器(パワー・ベース)とするいわば「チェーン ストア理論」の考えは,多くの「亜流」流通革命論を産み出しながら今日に至っている (矢作, 1981)。言うまでもなく,最近,流行の流通価格革命も,さほど変わコてはい ない。革命の主体が, PB"C'再武装した大手スーパーに加えて,ディスカウント・スト ア,カテゴリ ・キラー,パワー・センタ一等々の小売業態になっており,彼らは優れ たシステム・パワーを誇り,相変わらず,消費者を味方とした非合理的な流通経路の改 善という決まり文句を繰り返しているからである。 571 マーケティングと社会科学 -375 ていない。端的に本稿の中心テーマーとなっている,昨今の価格破壊をスロー ガンとする「流通価格革命」も基本的な構図は変わっていない。 では,当面の流通価格革命について,ちょっと詳しく見てみよう。バブル期 を挟んでの最近までの日本の流通システムにおいては,消費者ニーズの多様化 とも相まって改めて商業の社会性・個別性が重視されるように見えた。だから こそ,古き規模の経済の論理が横行した従来の流通システムに

2

4

時間利便性の 提供を訴える

c

v

s

や高品質・高価格・高満足のブランド物を揃えている専門 庄が加えられて,消費者に真の意味での選択権を与え,結果的に多岐に渡る消 費者ニーズを豊かに充足させることができたとも言えるはずであった。その面 で,やっと日本の流通・マーケティング現場における革命の終震が到来したか のようにも見えた。後述するだろうが,東西冷戦の終荒の到来,それによる暗 欝な革命やイデオロギーの終震の到来と時期を共にしながら,共栄の時代が到 来したかのように見えた。しかし,それも束の間,パフもルの崩壊と不景気の持 (1) ち な み に 諸 流 通 革 命 論 の 中 身 と し て 革 命 の 主 体J, 革 命 の 大 義 名 分 ( 建 て 前 ) と本音J,革命の方法」について覗いてみよう。様々な流通における革命論が,その 主体において林(1962) では暗黙襖に寡占メ カーを想定したが,佐藤(1974) 以来, 現在の疏通価格革命までは概ね大手流通企業を前面に立てていることはよく知られてい る。他方,革命の大義名分としては常に「消費者(生活者)の福祉のために」という, いささか政治学における「市民の自由のために」という近代市民革命的スローガンを真 似しているが,本来の目的は「流通における既存の支配構造を改変すること」にほかな らなかった。特記すべきことは,革命の方法論についてである。支配構造の改変という 革命の目的を達成するために特段の「物理的な手段(パワー )Jを振るう一団のパワ一階 層が台頭するということは東西の様々な革命のステレオタイプである(cf.Mills, 1956)。 とりあえず流通革命論でも時代の流れによって次々と新たなノfワ一階層が現れ,時代に フィットするような強力なパワ を駆使するという方法論は同様である。例えば,時代 の変遷とともに,まずは易;占メーカーが規模の経済論理にしたがう大.[!生産体制をもっ て,次は大手スーパーがチェーン・オペレーションという経営技法をもって,流通シス テムの前面に登場した。特に,後者のロジック,すなわち古い工場制生産のコピーにす ぎないマス・マーチャンダイジングを武器(パワー・ベース)とするいわば「チェーン ストア理論」の考えは,多くの「亜流」流通革命論を産み出しながら今日に至っている (矢作, 1981)。言うまでもなく,最近,流行の流通価格革命も,さほど変わコてはい ない。革命の主体が, PB"C'再武装した大手スーパーに加えて,ディスカウント・スト ア,カテゴリ ・キラー,パワー・センタ一等々の小売業態になっており,彼らは優れ たシステム・パワーを誇り,相変わらず,消費者を味方とした非合理的な流通経路の改 善という決まり文句を繰り返しているからである。

(6)

一376 香川大学経済論叢 572 続は,消費者の実質所得の減少と購買意欲の喪失をもたらすことになり,危機 感を感じた流通システムの構成員が落ち込んだ消費者を刺激するため一気に低 価格路線に走った。その結果,気づかぬうちに,新たな革命の必要性がマーケ ティング・ジャーナリズム?取りあげられたことこそが現在の流通価格革命の そもそもの発端である。新たな革命の緊要性を強調するために, DSや大手ス ーパーなどの一握りの小売業態が,前面に立てた革命の当為性は r低価格志 向」になった消費者を満足させるためであり,言うまでもなく,革命の方法論は 低価格製品の製造・販売システム作りであり,打倒すべき対象は,建値制やリベ ート制などの価格管理制度を温存してきた寡占メーカーと物価高の元凶として 再三叩いても未だ生き残っている問屋と零細小売商であった。要するに,日本の 物価を高くする従来の流通・マーケティングの現場の構成員を,今度こそ倒す べきだということで,従来の諸流通革命論とさほど中身が変わらないことが分 ヵ、る。 もちろん,今回の流通価格革命は大いに勢いが感じられる。不況の長期化に もかかわらず続いている円高トレンド,内外価格差を狙って日本市場進出を図 る世界各国の有名企業の動き,欧米諸国からの市場拡大要求に基づく政府と民 間の規制緩和への傾斜,ノてイイング・パワーを増した大手小売商のグローパ/レ 製品調達の顕著化,そして何よりも低価格製品を選好するようになった消費者 の意識変化などは,日本の流通・マーケティングの悲願であった流通革命を今 度こそ成功させるように見える。 「日本の物価を半分にする」という唐突かつ野心的なスローガンの下に「半 値戦略」がある大手スーパーの最高経営者の口から吐き出される。新聞誌上に は,絶えず、, POS, ECR, QR, EDI等々のエレクトロニツク・システムの構 築が価格革命のために欠かせない,情報流と物流の合理化対策であることが強 調される。多くの企業がリストラクチュアリングやリエンジニアリングという 名分の下に自前の営業システムを合理化したり,取引先を積極的に絞り込む。 結果的に従来の日本の経済的成功の最大要因として取りあげられた,メーカー と流通業者間,あるいは流通業者同士の長期継続的協調関係をポジティブに論

一376 香川大学経済論叢 572 続は,消費者の実質所得の減少と購買意欲の喪失をもたらすことになり,危機 感を感じた流通システムの構成員が落ち込んだ消費者を刺激するため一気に低 価格路線に走った。その結果,気づかぬうちに,新たな革命の必要性がマーケ ティング・ジャーナリズムで取りあげられたことこそが現在の流通価格革命の そもそもの発端である。新たな革命の緊要性を強調するために, DSや大手ス ーパーなどの一握りの小売業態が,前面に立てた革命の当為性は r低価格志 向」になった消費者を満足させるためであり,言うまでもなく,革命の方法論は 低価格製品の製造・販売システム作りであり,打倒すべき対象は,建値制やリベ ート制などの価格管理制度を温存してきた寡占メーカーと物価高の元凶として 再三叩いても未だ生き残っている問屋と零細小売商であった。要するに,日本の 物価を高くする従来の流通・マーケティングの現場の構成員を,今度こそ倒す べきだということで,従来の諸流通革命論とさほど中身が変わらないことが分 ヵ、る。 もちろん,今回の流通価格革命は大いに勢いが感じられる。不況の長期化に もかかわらず続いている円高トレンド,内外価格差を狙って日本市場進出を図 る世界各国の有名企業の動き,欧米諸国からの市場拡大要求に基づく政府と民 間の規制緩和への傾斜,ノてイイング・パワーを増した大手小売商のグローパ/レ 製品調達の顕著化,そして何よりも低価格製品を選好するようになった消費者 の意識変化などは,日本の流通・マーケテイングの悲願であった流通革命を今 度こそ成功させるように見える。 「日本の物価を半分にする」という唐突かつ野心的なスローガンの下に「半 値戦略」がある大手スーパーの最高経営者の口から吐き出される。新聞誌上に は,絶えず、, POS, ECR, QR, EDI等々のエレクトロニツク・システムの構 築が価格革命のために欠かせない,情報流と物流の合理化対策であることが強 調される。多くの企業がリストラクチュアリングやリエンジニアリングという 名分の下に自前の営業システムを合理化したり,取引先を積極的に絞り込む。 結果的に従来の日本の経済的成功の最大要因として取りあげられた,メーカー と流通業者間,あるいは流通業者同士の長期継続的協調関係をポジティブに論

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(7)

573 マーケティングと社会科学 -377 じる者の声は弱くなりつつある。すべてを製品のコストダウンとの関連で,す なわち「価格」還元的に考え行動すること,そのためにはコストのかかる従来 の非合理的な慣行,まして人間くさい信頼関係などを内蔵するような系列シス テムは素早く改造し,可能ならば,情報化・高島織化・合理化・マニュアル化を 目指した新たなビシネス・システムに切り換えることが求められる。 終戦を前後にして,価格の乱れとそれによる経済構成員の共倒れを防ぐため に成立した日本の系列システムは,昨今その功過の評価において「功」の側面 は隠され r過」の側面だけが浮き彫りになり,いよいよ新たな価格競争の嵐 に襲われ今やその存立根拠さえもが危うくなりつつある。半世紀以上にも及ん で出来上がった日本の壮大な系列システムは,このまま泡沫化されてしまうだ ろうか。だとすれば,マーケティング時代の繁明期に演じられた蛾烈な価格競 争を引き起こした,あの死滅的競争 (cut-throatcompetition)のこの舞が昨 今再演される中で,いささか空しさを感じざるを得ない。日本の流通・マーケ ティングは,改めてその血生臭い闘争の歴史の出発線上に立っている (cf Hukuyama, 1992)というべきか。 3.パワー還元的な理論と実践の相互作用 われわれは,ここで,大きな疑問を抱かざるを得ない。扇動的な革命論が, 流通・マーケティング「現場」に対してこのように革命の「実践」を呼びかけ ている中で,マーケテイング・アカデミズムは,どのような「理論J を用意し ているのか。言い換えれば,果たしてマーケテイング・アカデミズムは,パワ ー構造のヘゲモニーを握るためにひとえに「低価格」主義を呼びかける流通革 命論者とそれに応えて蛾烈なパワーの決戦場化されつつある流通・マーケティ ング現場に対して, 体,どのような理論ノfラ夕、イムをもって対応しているの か。要するに,マーケティング理論は流通革命論に同調するかそれともそれと 相反するか。 この疑問に答えるため,取りあえず二つの大きなマーケティング理論の流れ を見てみたい。第一,目下,流通価格革命が誘導している全面的「価格競争」 573 マーケティングと社会科学 -377 じる者の声は弱くなりつつある。すべてを製品のコストダウンとの関連で,す なわち「価格」還元的に考え行動すること,そのためにはコストのかかる従来 の非合理的な慣行,まして人間くさい信頼関係などを内蔵するような系列シス テムは素早く改造し,可能ならば,情報化・高島織化・合理化・マニュアル化を 目指した新たなビシネス・システムに切り換えることが求められる。 終戦を前後にして,価格の乱れとそれによる経済構成員の共倒れを防ぐため に成立した日本の系列システムは,昨今その功過の評価において「功」の側面 は隠され r過」の側面だけが浮き彫りになり,いよいよ新たな価格競争の嵐 に襲われ今やその存立根拠さえもが危うくなりつつある。半世紀以上にも及ん で出来上がった日本の壮大な系列システムは,このまま泡沫化されてしまうだ ろうか。だとすれば,マーケティング時代の繁明期に演じられた蛾烈な価格競 争を引き起こした,あの死滅的競争 (cut-throatcompetition)のこの舞が昨 今再演される中で,いささか空しさを感じざるを得ない。日本の流通・マーケ ティングは,改めてその血生臭い闘争の歴史の出発線上に立っている (cf Hukuyama, 1992)というべきか。 3.パワー還元的な理論と実践の相互作用 われわれは,ここで,大きな疑問を抱かざるを得ない。扇動的な革命論が, 流通・マーケティング「現場」に対してこのように革命の「実践」を呼びかけ ている中で,マーケテイング・アカデミズムは,どのような「理論J を用意し ているのか。言い換えれば,果たしてマーケテイング・アカデミズムは,パワ ー構造のヘゲモニーを握るためにひとえに「低価格」主義を呼びかける流通革 命論者とそれに応えて蛾烈なパワーの決戦場化されつつある流通・マーケティ ング現場に対して, 体,どのような理論ノfラ夕、イムをもって対応しているの か。要するに,マーケティング理論は流通革命論に同調するかそれともそれと 相反するか。 この疑問に答えるため,取りあえず二つの大きなマーケティング理論の流れ を見てみたい。第一,目下,流通価格革命が誘導している全面的「価格競争」

(8)

378 香川大学経済論叢 574 について,マーケティングの生成と発展との関わりで書かれたいくつかの古典 的見解を概観することにする。第ご,諸流通革命論が描いている支配・被支配 構造のヘゲモニーを握るためのパワー・ゲーム的様相について,マーケティン グ理論の中で,最も関連の深いといわれるマーケテイング・チャネノレ論の考え 方を覗き見ることにする。 古典的マーケティング理論と価格競争 まず,前者について見てみよう。マー ケティングの母国の米国において,マーケテイング成立期に当たる19世紀末か ら20世紀初頭にわたって消費財を作る巨大企業がとったマーケティング行動の 一貫した特徴は,消耗的ごまもなく共倒れを伴いかねない価格競争をできるだ け避けながら,製品とサービスを中心とした非価格・差別化競争に重点を置く ことであった。すなわち,価格の面では相互に協調しつつ品質やサービスを中 心に競争することこそが経験的に最も合理的だと判断したわけである。これに 対して巨大企業のマーケティング行動を理論化しようとする卓越した研究者達 が現れるが,彼らのマーケティング理論のエッセンスが非価格競争原理にある ことはいうまでもない。代表的な研究者だけを取りあげてみれば,まず, Clark (1922)は,巨大企業による大量生産体制は需要の平準化と同時に製品の標準 化をもたらし,製品に実質的差異がないがゆえに,製造業者は価格競争を回避 するためにブランドによって製品の差別化を図るしかないと述べている。 Copeland (1923)も消費者の購買動機が製品の機能的属性からブランドヘシ フトしているがゆえに,価格競争より差別化競争が大事であると主張する。そ してShaw(1915)は,マーケティング成立期の米国企業が採用していた価格 政策を顧みて r市場価格以下での販売J,r市場価格での販売J,r市場価格以 上での販売」の三つに分類し,とりわげ製品差別化をベースとした「市場価格 以上での販売」を流通における「最も特徴的な価格政策」であると述べている。 ちなみに, Chamberlin (1933)の独占的競争論を論じる際において製品差別 化概念を援用したAlderson (196δ)によって寡占企業聞の差別的優位性を獲 得するメカニズムが究明されよ要するに,マーケティング理論の先駆者達が ( 2) Alderson(1965) は, ~1占企業の「差別的優位追求の 6 局面」として,市場細分化を 378 香川大学経済論叢 574 について,マーケティングの生成と発展との関わりで書かれたいくつかの古典 的見解を概観することにする。第ご,諸流通革命論が描いている支配・被支配 構造のヘゲモニーを握るためのパワー・ゲーム的様相について,マーケティン グ理論の中で,最も関連の深いといわれるマーケテイング・チャネノレ論の考え 方を覗き見ることにする。 古典的マーケティング理論と価格競争 まず,前者について見てみよう。マー ケティングの母国の米国において,マーケテイング成立期に当たる19世紀末か ら20世紀初頭にわたって消費財を作る巨大企業がとったマーケティング行動の 一貫した特徴は,消耗的ごまもなく共倒れを伴いかねない価格競争をできるだ け避けながら,製品とサービスを中心とした非価格・差別化競争に重点を置く ことであった。すなわち,価格の面では相互に協調しつつ品質やサービスを中 心に競争することこそが経験的に最も合理的だと判断したわけである。これに 対して巨大企業のマーケティング行動を理論化しようとする卓越した研究者達 が現れるが,彼らのマーケティング理論のエッセンスが非価格競争原理にある ことはいうまでもない。代表的な研究者だけを取りあげてみれば,まず, Clark (1922)は,巨大企業による大量生産体制は需要の平準化と同時に製品の標準 化をもたらし,製品に実質的差異がないがゆえに,製造業者は価格競争を回避 するためにブランドによって製品の差別化を図るしかないと述べている。 Copeland (1923)も消費者の購買動機が製品の機能的属性からブランドヘシ フトしているがゆえに,価格競争より差別化競争が大事であると主張する。そ してShaw(1915)は,マーケティング成立期の米国企業が採用していた価格 政策を顧みて r市場価格以下での販売J,r市場価格での販売J,r市場価格以 上での販売」の三つに分類し,とりわげ製品差別化をベースとした「市場価格 以上での販売」を流通における「最も特徴的な価格政策」であると述べている。 ちなみに, Chamberlin (1933)の独占的競争論を論じる際において製品差別 化概念を援用したAlderson (196δ)によって寡占企業聞の差別的優位性を獲 得するメカニズムが究明されよ要するに,マーケティング理論の先駆者達が ( 2) Alderson(1965) は, ~1占企業の「差別的優位追求の 6 局面」として,市場細分化を

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(9)

575 マーケティングと社会科学 379 価格競争の回避と,非価格競争のための差別化をかねてから進めていることが 分かる(近藤, 1988, pp.238-239)。 このように,寡占企業が価格競争へ巻き込まれることを警戒した米国の成立 期マーケティングの研究者達の教示は,まもなく迎える「マーケティングの全 盛期」を経て現在に至るまで,殆どすべてのマーケティング・テキストに継承 されている。そのことは,それらの内容を改めて見るより,現代マーケティン グ研究の大御所のLevitt(1983)の次の言及を引用するだけで充分であろう。 「本来は差別のしにくい消費財だけれども,ブランド,パッケージング, 広告,ときには外観,価格などを変更したり強調したりする作戦によって差 別化されている製品が無数にある。しかし,価格による差別化は邪道である。 それ以外の差別化をまったくやらないとしたら(パッケージングの差別化く らいはやるにしても),価格による差別化だけでは,たいてい失敗するJ (邦 訳, p.1l6)

一方,寡占企業のマーケティングの展開において,日本のマーケティング研 究者達も価格競争のるつぼに入り込むことを戒めてきた。たとえば,風呂 (1968)は r一般的にいえば,そうした紋切り型の価格引下げは,寡占競争 のもとではく破滅的競争>(cut-throat competition)の結果をもたらし,双 方の利潤目的にとって必ずしも有効な方法ではないことが経験的にもはっきり してくる (P.5) Jと述べており,田村 (1971)でも「価格切り下げ戦略(と 小売商への直接販売戦略)は必ずしもすべての産業において有効な戦略であっ たわけではなしまたそれらを適用しえた産業においても小製造企業や卸商か らの強い抵抗に直面せざるをえなかった (P.98)Jと価格競争の問題点が指摘 されているのである。石原 (1982)も,価格競争への危倶から,かえって「非 価格競争の一般化・基軸化 (p.131)Jを促しており,非価格競争こそが「模倣 と追随におけるタイム・ラグの存在と不完全性 (pP.129 -133) Jのため有効な 通じての差別化,訴求の選択による差別化,交変系による差別化,製品改良による差別 化,工程改良による差別化,製品革新による差別化を取り挙げる。これについて詳しい ことは,陶山 (1993) の第 1章を参照のこと。 575 マーケティングと社会科学 379 価格競争の回避と,非価格競争のための差別化をかねてから進めていることが 分かる(近藤, 1988, pp.238-239)。 このように,寡占企業が価格競争へ巻き込まれることを警戒した米国の成立 期マーケティングの研究者達の教示は,まもなく迎える「マーケテイングの全 盛期」を経て現在に至るまで,殆どすべてのマーケティング・テキストに継承 されている。そのことは,それらの内容を改めて見るより,現代マーケティン グ研究の大御所のLevitt(1983)の次の言及を引用するだけで充分であろう。 「本来は差別のしにくい消費財だけれども,ブランド,パッケージング, 広告,ときには外観,価格などを変更したり強調したりする作戦によって差 別化されている製品が無数にある。しかし,価格による差別化は邪道である。 それ以外の差別化をまったくやらないとしたら(パッケージングの差別化く らいはやるにしても),価格による差別化だけでは,たいてい失敗するJ (邦 訳, p.1l6)

一方,寡占企業のマーケティングの展開におい、て,日本のマーケティング研 究者達も価格競争のるつぼに入り込むことを戒めてきた。たとえば,風呂 (1968)は r一般的にいえば,そうした紋切り型の価格号│下げは,寡占競争 のもとではく破滅的競争>(cut-throat competition)の結果をもたらし,双 方の利潤目的にとって必ずしも有効な方法ではないことが経験的にもはっきり してくる (P.5) Jと述べており,田村 (1971)でも「価格切り下げ戦略(と 小売商への直接販売戦略)は必ずしもすべての産業において有効な戦略であっ たわけではなしまたそれらを適用しえた産業においても小製造企業や卸商か らの強い抵抗に直面せざるをえなかった (P.98)Jと価格競争の問題点が指摘 されているのである。石原 (1982)も,価格競争への危↑具から,かえって「非 価格競争の一般化・基軸化 (p.131)Jを促しており,非価格競争こそが「模倣 と追随におけるタイム・ラグの存在と不完全性 (pP.129 -133) Jのため有効な‘ 通じての差別化,訴求の選択による差別化,交変系による差別化,製品改良による差別 化,工程改良による差別化,製品革新による差別化を取り挙げる。これについて詳しい ことは,陶山 (1993) の第 1主主を参照のこと。

(10)

-380ー 香川大学経済論叢 576 マーケティング行動であると強調している。より具体的には次の言及は吟味に値する。 「価格面=協調,非価格面=競争といった,あるいは価格競争の衰退=非 価格競争の展開といった図式的理解をそのまま受け入れることはできない が,それにもかかわらず,マーケティング競争の軸点を非価格的要素を主要 な手段とした市場における競争的価値実現に移行させるということ自体に は,疑問をさしはさむ余地はなしり(石原, 1982, p.'39)。 同じく,陶山(1993) も「寡占企業聞の差別的優位の獲得をめぐる競争が, 非価格競争とりわけ製品・サービス競争として展開されるのは,直接的な価格 切下げ競争の困難,ないしこの局面での統一価格についての合意の成立,協調 的価格行動の展開という状況のもとで,この分野が従来は主たる競争場外にお かれてきたということのみならず,寡占企業にとって価格操作以上に有効な競 争手段として期待されることにもよる (P.31)Jと指摘する。 いうまでもなく,日本の代表的マーケティング研究者達が一斉に価格競争か ら差別化競争,とりわけ「銘柄広告を中核戦略とするマーケティング戦略J(田 村, 1971, p.100) を強調したのは,米国のマーケティング研究の影響もある が,やはり米国と同様に日本においてもマーケティングの生成期の激しい価格 競争がもたらす弊害を追体験したからであろう (cf.加藤, 1995)。 かくして,流通・マーケティング現場は,その歴史的展開において初期の織 烈な価格競争から r協調」的装置をも内蔵した「非価格競争」への途を辿っ ていく。冒頭での日本の流通・マーケティング現場における「協調」関係はま さに歴史的試行錯誤の経験的産物にほかならないことが確認されたと言える。 パワー還元的なマーケティング・チャネル論簡略ではあるが,一応,米国と 日本の代表的なマーケテイング研究者達が,むやみに価格競争に突入すること について,一致して憂慮していることが分かった。では,これらのマーケティ ング理論にもかかわらず,昨今その勢いを増している流通価格革命の流行は, いったい何を意味するのか。ジャーナリスティックな革命論とそれによる一部 の流通・マーケティング現場の追随を横目で脱みながら,やはり「現実は理論 を超える」と考えるべきか。そして,さっそく理論の空虚さを悟って,革命の 380ー 香川大学経済論叢 576 マーケティング行動であると強調している。より具体的には次の言及は吟味に値する。 「価格面=協調,非価格面=競争といった,あるいは価格競争の衰退=非 価格競争の展開といった図式的理解をそのまま受け入れることはできない が,それにもかかわらず,マーケティング競争の軸点を非価格的要素を主要 な手段とした市場における競争的価値実現に移行させるということ自体に は,疑問をさしはさむ余地はなしり(石原, 1982, p.'39)。 同じく,陶山(1993) も「寡占企業聞の差別的優位の獲得をめぐる競争が, 非価格競争とりわけ製品・サービス競争として展開されるのは,直接的な価格 切下げ競争の困難,ないしこの局面での統一価格についての合意の成立,協調 的価格行動の展開という状況のもとで,この分野が従来は主たる競争場外にお かれてきたということのみならず,寡占企業にとって価格操作以上に有効な競 争手段として期待されることにもよる (P.31)Jと指摘する。 いうまでもなく,日本の代表的マーケティング研究者達が一斉に価格競争か ら差別化競争,とりわけ「銘柄広告を中核戦略とするマーケティング戦略J(田 村, 1971, p.100) を強調したのは,米国のマーケティング研究の影響もある が,やはり米国と同様に日本においてもマーケティングの生成期の激しい価格 競争がもたらす弊害を追体験したからであろう (cf.加藤, 1995)。 かくして,流通・マーケティング現場は,その歴史的展開において初期の織 烈な価格競争から 「協調」的装置をも内蔵した「非価格競争」への途を辿っ ていく。冒頭での日本の流通・マーケティング現場における「協調」関係はま さに歴史的試行錯誤の経験的産物にほかならないことが確認されたと言える。 パワー還元的なマーケテイング・チャネル論簡略ではあるが,一応,米国と 日本の代表的なマーケティング研究者達が,むやみに価格競争に突入すること について,一致して憂慮していることが分かった。では,これらのマーケテイ ング理論にもかかわらず,昨今その勢いを増している流通価格革命の流行は, いったい何を意味するのか。ジャーナリスティックな革命論とそれによるー部 の流通・マーケティング現場の追随を横目で脱みながら,やはり「現実は理論 を超える」と考えるべきか。そして,さっそく理論の空虚さを悟って,革命の

(11)

-381-現場に走って,革命を支持するための証言と資料を集め,新たにマーケティン グ理論を補完・修正すべきなのか。 というのは,昨今の流通価格革命を含めての諸流通革 その必要はあるまい。 あるいは現実からかけ離れたもの 命論に対して,現実を度外視しているとか, 一方的に非難するのは不公平で、あり,実は,流通・マーケティング だとかと, そうしたパワー・ゲーム的あるいは革命扇動 のアカデミズムの世界において, それは製造業 者と流通業者のインタフェースの局面を理論化しようと試みる「マーケティン グ・チャネル論」という分野にほかならない。長らく議論する余裕はないので, 簡略にふれてみよう。 マーケティングと社会科学 577 的な理解を助長する理論ノfラダイムが発展してきたからである。 日本と米国のマーケティング・チャネノレ研究における支配的ノfラダイムは, 「チャネル交渉論」と「チャネル・システム論」であるO それぞれ,風呂(1968) 今日でも依然 ものだが, (石井, 1983) の先駆的研究による とStern (1969) として各々の国で、支配的な理論ノTラダイムの椅子を譲っていない。 マノレクス流の商業経済論とパーソンズ(Parsons)流 両パラダイムは,一各々, の社会システム論という異なる学問を認識のルーツとしているせいか,両ノfラ ダイム間には対立的特徴が強調されてきた。しかし,対立的特徴にも拘わらず, 両理論は「チャネル協調・コンフリクト観」において意外なほどよく似た考え 日本 (居, 1993)。冒頭の議論との関連で言えば, をもっているように見える と米国を代表するこのこつの理論ノてラダイムに内在する共通のチャネノレ協調・ ヂ

1

f

;

J

U Nぽ ザ ペ ト 川 町 は か 一 日 た + コンフリクト観, つまりパワーの行使によって,独立した組織同士のあって当 かつあることが望ましい「コンフリクト」をわざと抑えればチャネノレ協 然の, 日本における「流通革 こそカむ 「 ノfワー・ゲーム的理解」 調が得られるという そし 命」的理解を助長しかっ正当イじする役割を果たしたように思われるのだ。 「一安価の製品」を提供するための仕 て,革命で勝ち抜くための最大の武器が, という強力なパワ)源であるこ チェーン・オペレーション) (たとえば, 組み その名 とりわけ昨今の流通「価格」革命は, というパワーを革命の第一の手段とすることをより強く催促し とはすでに指摘した通りである。 「価格」 とおり

i

i

j

j

577 マーケティングと社会科学 -381-現場に走って,革命を支持するための証言と資料を集め,新たにマーケティン グ理論を補完・修正すべきなのか。 その必要はあるまい。というのは,昨今の流通価格革命を含めての諸流通革 命論に対して,現実を度外視しているとか,あるいは現実からかけ離れたもの だとかと,一方的に非難するのは不公平で、あり,実は,流通・マーケティング のアカデミズムの世界において,そうしたパワー・ゲーム的あるいは革命扇動 的な理解を助長する理論ノfラダイムが発展してきたからである。それは製造業 者と流通業者のインタフェースの局面を理論化しようと試みる「マーケティン グ・チャネル論」という分野にほかならない。長らく議論する余裕はないので, 簡略にふれてみよう。 日本と米国のマーケティング・チャネノレ研究における支配的ノfラダイムは, 「チャネル交渉論」と「チャネル・システム論」であるO それぞれ,風呂(1968) とStern (1969)の先駆的研究による(石井, 1983)ものだが,今日でも依然 として各々の国で、支配的な理論ノTラダイムの椅子を譲っていない。 両パラダイムは,各々,マノレクス流の商業経済論とパーソンズ(Parsons)流 の社会システム論という異なる学問を認識のルーツとしているせいか,両パラ ダイム間には対立的特徴が強調されてきた。しかし,対立的特徴にも拘わらず, 両理論は「チャネル協調・コンフリクト観」において意外なほどよく似た考え をもっているように見える(居, 1993)。冒頭の議論との関連で言えば,日本 と米国を代表するこのこつの理論ノてラダイムに内在する共通のチャネノレ協調・ コンフリクト観,つまりパワーの行使によって,独立した組織同士のあって当 然の,かつあることが望ましい「コンフリクト」をわざと抑えればチャネノレ協 調が得られるという「ノfワー・ゲーム的理解」こそが,日本における「流通革 命」的理解を助長しかっ正当イじする役割を果たしたように思われるのだ。そし て,革命で勝ち抜くための最大の武器が r安価の製品」を提供するための仕 組み(たとえば,チェーン・オペレーション)という強力なパワ)源であるこ とはすでに指摘した通りである。とりわけ昨今の流通「価格」革命は,その名 とおり「価格」というパワーを革命の第一の手段とすることをより強く催促し

(12)

382 香川大学経済論j叢 578 ている。とにかく安い製品を提供できるように価格還元主義に徹底化すること こそが流通価格革命の成功の鍵となるわけである。 われわれは,この事態に直面して困惑せざるを得ない。確かにマーケティン グ理論の中で,流通現場の住人達の行動ノfターンを記述・説明・予測する定め をもっマーケティング・チャネル論という理論ノfラダイムがかえって流通革命 を助長していたからである。すなわち,マーケテイングのもう一つの理論世界 は,パワ}・ゲーム的理解の限界を述べるのではなく,ノfワー・ゲーム的理解 を正当化するイ動きをしてきたのだ。 それでは,何故このような理論パラダイムが,実践としての諸流通革命論と 相互強化作用を繰り返してきたのか。それは,次節での議論で明らかになるよ うに,遅れてきた社会科学としてのマーケティングがその科学化の途を急ぐう ちに,自然科学に負けず,実証・実験主義に徹している「行動科学的アプロー チ」の方法論を無批判的に受容したことによって,とりわけそのアプローチに 最も馴染んでいるマーケティング・チャネノレ論

(

S

h

e

t

he

t

a

l

.

1

9

8

8

)

の展開にお いて,同アプローチのパワー還元的志向が次第にドミナント・パラダイムに理 論負荷されたことに基づいている。 しかし,諸流通革命論とマーケティング・チャネノレ論の相互強化作用を批判 的に考察するにおいて,パワー還元的な行動科学的アプローチを問題にするこ とは,改めてわれわれに厄介な課題を投げかけている。それは,さらに,行動 科学的アプローチにパワー論を持ち込んできたとされる他世会科学,すなわち そもそもが「権力」と「戦争」などの問題をカバーすべき「政治学J,社会の 支配構造の成立過程を究明すべき一部「社会学」などに対して批判のメスを入 れる問題である。節を改めよう。 III. マーケテイングとパワー還元的社会科学 本節では,流通・マーケティング理論にパワー還元主義を理論負荷させたと 思われる「行動科学的アプローチJ,そして支配構造の改造のための革命メグ ファーを頻繁に使わせる理念的背景になったと思われる「啓蒙思想」や「政治 382 香川大学経済論j叢 578 ている。とにかく安い製品を提供できるように価格還元主義に徹底化すること こそが流通価格革命の成功の鍵となるわけである。 われわれは,この事態に直面して困惑せざるを得ない。確かにマーケティン グ理論の中で,流通現場の住人達の行動ノfターンを記述・説明・予測する定め をもっマーケティング・チャネル論という理論ノfラダイムがかえって流通革命 を助長していたからである。すなわち,マーケティングのもう一つの理論世界 は,パワ}・ゲーム的理解の限界を述べるのではなく,ノfワー・ゲーム的理解 を正当化する働きをしてきたのだ。 それでは,何故このような理論ノfラダイムが,実践としての諸流通革命論と 相互強化作用を繰り返してきたのか。それは,次節での議論で明らかになるよ うに,遅れてきた社会科学としてのマーケテイングがその科学化の途を急ぐう ちに,自然科学に負けず,実証・実験主義に徹している「行動科学的アプロー チ」の方法論を無批判的に受容したことによって,とりわけそのアプローチに 最も馴染んでいるマーケティング・チャネノレ論

(

S

h

e

t

he

t

a

l

.

1

9

8

8

)

の展開にお いて,同アプローチのパワー還元的志向が次第にドミナント・パラダイムに理 論負荷されたことに基つ守いている。 しかし,諸流通革命論とマーケティング・チャネノレ論の相互強化作用を批判 的に考察するにおいて,パワー還元的なI行動科学的アプローチを問題にするこ とは,改めてわれわれに厄介な課題を投げかけている。それは,さらに,行動 科学的アプローチにパワー論を持ち込んで、きたとされる他世会科学,すなわち そもそもが「権力」と「戦争」などの問題をカバーすべき「政治学J,社会の 支配構造の成立過程を究明すべき一部「社会学」などに対して批判のメスを入 れる問題である。節を改めよう。 III. マーケティングとパワー還元的社会科学 本節では,流通・マーケテインク‘理論にパワー還元主義を理論負荷させたと 思われる「行動科学的アプローチJ,そして支配構造の改造のための革命メグ ファーを頻繁に使わせる理念的背景になったと思われる「啓蒙思想」や「政治

(13)

579 マーケティングと社会科学 ← 383 学」さらに「ウェーパ一流支配社会学」等々の社会科学まで遡って議論を進め たいと思う。流通・マーケティング理論の一部(マーケティング・チャネル論) のセンチメントがパワー論に影響された結果,マーケテイング・ジャーナリズ ムの扇動的な流通価格革命論と相互強化作用を経ながら,いよいよ流通・マー ケティング現場の実際の住人達の行動ノfターンとかけ離れた現実像が描かれて いるのではないかという認識をもつが故に,われわれはパワー論の原型あるい はルーツまで遡って,それがどのような世界観をもっているか,そしてそれが 描いた社会像は何であったのかを概略的に記述する。そのことによって,われ われは新たにパワー論に帰属させるような流通・マーケテイングにおける理論 と革命扇動的な論者に警鐘を鳴らすことができるかもしれない。 さて,流通・マーケティングのパワー還元主義と行動科学的アプローチ,そ して他社会科学のパワー志向性との相互関係を議論する前に,ひとまず,最近, 流行言葉になっている「歴史の終わり」という興味深いテーマから切り口を聞 きたいと思う。 し歴史の終わりと最初の人間 社会主義の崩壊をいち早く読み取って,自由民主主義と資本主義の終局的な 勝利を誇らかに宣言した先見的な論文として ,

T

h

e

N

a

t

i

o

n

a

l

l

n

t

e

r

e

s

t

誌の1989

年夏号に発表されたフクヤマ(Hukuyama,1989)の「歴史の終わり?(The End of History?)J というものがある。そこでは,戦後,ほぽ半世紀の間,繰り返 されてきた東西聞の理念闘争の歴史,それに伴う「パワー」の対決の歴史が, 西方陣営の圧勝という結果を残したまま,いよいよ終意を告げていると語られ ている。 彼の大胆な予言通り,少なくとも堅い東西イデオロギーに基づいた紛糾や戦 争は一段落したような様相を呈している。そして,東西冷戦の時代の避けられ ないつきものとして,世界の至るところで,いつも勃発の恐れがあった革命や クーデターというのも,もはや旧時代の遺物のように見える。強いて言えば, 国際政治における「革命」の時代は去り,いわば「共存共栄」の時代が到来し 579 マーケティングと社会科学 ← 383 学」さらに「ウェーパ一流支配社会学」等々の社会科学まで遡って議論を進め たいと思う。流通・マーケティング理論の一部(マーケティング・チャネル論) のセンチメントがパワー論に影響された結果,マーケテイング・ジャーナリズ ムの扇動的な流通価格革命論と相互強化作用を経ながら,いよいよ流通・マー ケティング現場の実際の住人達の行動ノfターンとかけ離れた現実像が描かれて いるのではないかという認識をもつが故に,われわれはパワー論の原型あるい はルーツまで遡って,それがどのような世界観をもっているか,そしてそれが 描いた社会像は何であったのかを概略的に記述する。そのことによって,われ われは新たにパワー論に帰属させるような流通・マーケテイングにおける理論 と革命扇動的な論者に警鐘を鳴らすことができるかもしれない。 さて,流通・マーケティングのパワー還元主義と行動科学的アプローチ,そ して他社会科学のパワー志向性との相互関係を議論する前に,ひとまず,最近, 流行言葉になっている「歴史の終わり」という興味深いテーマから切り口を聞 きたいと思う。 し歴史の終わりと最初の人間 社会主義の崩壊をいち早く読み取って,自由民主主義と資本主義の終局的な 勝利を誇らかに宣言した先見的な論文として ,

T

h

e

N

a

t

i

o

n

a

l

l

n

t

e

r

e

s

t

誌の1989

年夏号に発表されたフクヤマ(Hukuyama,1989)の「歴史の終わり?(The End of History?)J というものがある。そこでは,戦後,ほぽ半世紀の間,繰り返 されてきた東西聞の理念闘争の歴史,それに伴う「パワー」の対決の歴史が, 西方陣営の圧勝という結果を残したまま,いよいよ終意を告げていると語られ ている。 彼の大胆な予言通り,少なくとも堅い東西イデオロギーに基づいた紛糾や戦 争は一段落したような様相を呈している。そして,東西冷戦の時代の避けられ ないつきものとして,世界の至るところで,いつも勃発の恐れがあった革命や クーデターというのも,もはや旧時代の遺物のように見える。強いて言えば, 国際政治における「革命」の時代は去り,いわば「共存共栄」の時代が到来し

参照

関連したドキュメント

 当図書室は、専門図書館として数学、応用数学、計算機科学、理論物理学の分野の文

共通点が多い 2 。そのようなことを考えあわせ ると、リードの因果論は結局、・ヒュームの因果

 

  中川翔太 (経済学科 4 年生) ・昼間雅貴 (経済学科 4 年生) ・鈴木友香 (経済 学科 4 年生) ・野口佳純 (経済学科 4 年生)

経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を

○東京理科大学橘川座長