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東京・自由が丘に見る、都心部商店街の現状とこれから

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Academic year: 2021

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(1)4. 特集:人口減少時代の環境デザインを考える. 清水泰博 Kiyomizu Yasuhiro 東京藝術大学. Tokyo University of the Arts. 第一部:現状調査報告. 東京・自由が丘に見る、都心部商店街の 現状とこれから The Current State and Future of the Downtown Shopping District, Seen in Jiyugaoka, Tokyo. 1.自由が丘という街 自由が丘の歴史は1927年の現東急東横線の開通に始まる。開通後すぐの 1929年に当時の名称「九品仏前駅」が隣の駅名になることになり、新たな名 称としてこの駅の近くにあった自由ヶ丘学園にちなみ「自由が丘」の名前に 改称することによって、沿線の新興住宅地の駅としてスタートした。当初は 多くの文化人が住み「自由が丘文化村」とも呼ばれたが、その当時は今の高 級住宅地のイメージではなかったようだ。その後、駅前商店街の発展ととも に周辺地域が次第に高級住宅地へと変貌してゆき、高度成 長期を経てお洒落なファッションの街として定着してきて いる。 そのような自由が丘には現在12の商店街があり、会員数 が1,200∼1,300の国内最大級の商店街組織となっている。. 12の商店街は団結して単一組織である「商店街振興組合」 を形成し、現在ではこの振興組合の元に様々な事業、イベ. ントが行われている。数多くのイベントのある自由が丘で、 最大規模のものは10月半ばに行われる「自由が丘女神まつ り」であり、これは商店街のイベントとしては日本最大級 のもので、3日間の期間中の来場者数は50万人以上とも言 われている。その他のイベントとしては5月のゴールデン ウィークに開かれるスイーツのイベント「スイーツフェス タ」 、夏の盆踊り、冬のクリスマス、またそれぞれの商店 街のイベントなど、ほとんど毎月何かのイベントが行われ ている。このように自由が丘は常に多くの人が訪れ常に賑 図1 自由が丘中心部地図. わっている街であり、テレビドラマなどのロケ地にも頻繁 に使われ、現代で最も成功している商店街のイメージが出来上がっている。 3年前にこの街の商店街からアートを使った街づくりの依頼を東京藝大に 頂き、彫刻科とデザイン科の2つの研究室で2年間取り組むことになった。 そしてその折にこの街の調査を行い、自由が丘の実態や課題も知ることに なった。その時に一番強烈に感じたことは、一言で言えば「商店街の少子高 齢化」と言えることが起こっているということだった。またこのことが自由 が丘の現代の課題でもあることも知った。その折のヒアリングなどから分 かったことは、50年前の駅前のスーパー建設から起こった駅南地区の発展、. 図2 女神まつりの南口・九品仏川緑道. その後のビル化は駅周辺全域に広まったが、それと同時に商店街の少子化が.

(2) デザイン学研究特集号  Vol.28-2 No.104. 始まったことである。ここで私が言う「商店街の少子化」とは後継ぎ世代の 家業継続者の減少による商店街自体の変質の意味であり、街の発展と同時に この地の人たちが継ぐべき職業を無くし始めてしまった歴史でもあった。 実はこのようなことは他の多くの成功した日本の商店街でも起こっている ということを知るのは後になってからではあったが、本稿では今成功してい る商店街の代表的な例として自由が丘商店街を取り上げ、そこに見られる街 の発展の経緯と今、現状の課題とその起源、そしてそれに対して行われてい 図3 自由が丘の坂. る対応などを紹介し、少し将来ビジョンの提案もしようとするものである。 尚、ここに書く情報の多くは自由が丘の事業主の方、商店街振興組合の方な どへのヒアリングから得たものである。. 2.商店街の現状 現在の自由が丘の来街者の多くは奥沢、九品仏、田園調布といった近隣の 住民の方々のようである。本来このような駅を中心として出来た商店街は、 その駅を帰宅時に利用する人たちの為の、生鮮食料品や日常生活のものなど を購入する店舗が中心であったはずなのだが、商店街が発展するにつれて商 圏は拡大し、より広い領域の人たちを集めるようになる。自由が丘も勿論そ のような意味合いもあるのだが、それに加えて、飲食店において顕著なの は、自由が丘に住まわれている方々の高齢化によって次第に外食の機会が 減ってきている現実もあり、また自由が丘居住の次世代が核家族化によりこ の街から転出し、若い世代の人口が減っていることもある。そのため街の発 展と同時に起こった少子高齢化と共に来訪者は次第に在住者から周辺部の居 住者へと変化してきているようだ。 図4 フレル・ウィズ自由が丘前のマリク レール・ストリート. 自由が丘の店舗については「店の回転が早い」とよく言われる。それは店 舗が撤退してもすぐに次の店舗が入るという意味合いで、この街の持つ集客 力に他地区を含む多くの事業主が魅力を感じ、この地が常に注目されている 証拠でもあろう。だからこの街で出店したいと思っている人や企業は結構多 い。平日でもかなりの賑わいを見せる街であり、それ故に多少賃貸料が高く とも、次々に出店者が現れるようだ。だが現実にはそのような賃貸料故に、 ここでは効率的な商売を行わないと生き残っていけず、短期で撤退すること になる店舗が多い面も併せ持っている。. 図5 現在の自由が丘駅南口. 3.商店街の少子高齢化の経緯 改めて自由が丘の商店街発展の経緯を少し詳しく記述してみる。この街の 急発展は今から約50年前、1970年ごろの東急ストア(現フレル・ウィズ自由 が丘)の駅南への出店に始まる。同時に南口に改札ができ、南口に急激なテ ナントビル化、不動産屋化が起こったようだ。そして南口側商店街は急速に 北側の駅前商店街に匹敵する規模になっていった。この時期に南北地区とも に街としてのビル化が進んだようで、今の駅周辺地区のビルもそのころに 建った築後40年∼50年のものが多い。実は今の自由が丘駅周辺の街並みはそ の頃のビルの改修によってリニューアルされた店舗が多く、実は建物構造自 体は昔のままのものである。 次の発展の契機は、30年前のメルサ自由が丘1&2のこれも南口側への出 店であった。そのような二つの契機と共に起こった店舗のビル化の折に、こ の地のオーナーはどういったことを考えたのであろうか。その時の対応は大. 図6 北側の駅前広場に面する建物. きく二つに分かれ、一つはビル化しても店を残しオーナーが商売を引き継い. 5.

(3) 6. 特集:人口減少時代の環境デザインを考える. だものであり、もう一つがビル化した際に店をやめ、完全に賃貸化したもの であった。そしてこの時点からオーナー店主の減少が起こってきたのである。. 4.商店街の店舗の変化 自由が丘は商店街の集客数などの現状データを見る限りでは地域自体の高 齢化はあるものの、それほどの問題はなく、元気な商店街のイメージを持っ ている。 図7 メルサ自由が丘前の九品仏川緑道. しかし現在の商店街の店舗が、居住する街の店舗として昔からの店が存在 しているかというとそうではない。自由が丘では魚屋は5年前に消滅し、肉 屋、八百屋も消滅の危機に陥っている。これは地域内のスーパー「ピーコッ ク」にとって代わられたとも言えるが、また近隣の高級店のザ・ガーデン、 成城石井などの存在もある。地価の高い自由が丘では普通の魚屋、肉屋、 八百屋の営業は次第に難しくなり、高級志向の店舗などの方が生き残りやす いのかもしれない。この街の居住者ではない人々の増加によっても、ここに 求められる業種が次第に変化してきていることも想像出来る。来訪者の増加 によって自由が丘では店舗の高級化、別業種への転換が次第に行われてきた ようだ。生鮮食料品店の減少、消滅の事実が示すように他の生活関連業種に も近いものがあるように思われる。唯一の例外は「ひかり街」と「自由が丘 デパート」だけに見られる昭和のイメージ店舗の存在であり、ここだけ時間 が止まったままの印象だ。 自由が丘商店街のイメージの変遷を見ると、自由が丘の街が高度経済成長 期より、通勤に便利な高級住宅地のイメージが作られて、昼間は女性と子供 中心の街と言うことから当時は「ファッションの街」「女性の街」というイ メージだったようだ。そこにファッション小物などの「雑貨の街」の要素が 加わり、その後は「スイーツの街」へと変遷してきた。今の自由が丘で特徴. 図8 昭和レトロな「ひかり街」の店舗. 的なスイーツの店舗の多さは、戦前からあった「モンブラン」や「亀屋万年 堂」など菓子屋の起源はあるのだが、その後に「スイーツの聖地」とも言わ れるようになるには、ある意味戦略的に作られてきた部分もありそうだ。パ ティシエ・辻口博啓氏が1998年に自由が丘に「モンサンクレール」を出店し たことがその契機にもなっているが、更に2003年には南口にお菓子のテーマ パーク「スイーツフォレスト」が誕生し、2005年にスタートしたイベント 「スイーツフェスタ」が今も継続的に行われていることもある。この「ス イーツの街」イメージは完全に定着し、今は他の地域にもある全国展開する チェーン店をも多く引きつけるようになっている。そのため逆に次第にどこ の街にもある店が目立つようになってきているのも現状である。 「スイーツの街」の自由が丘から更に街のイメージは変遷しつつあり、現. 図9 スイーツフェスタ・駅前の舞台. 在ではヘアサロンやネイルサロン、マッサージやヒーリングなどの「サロン の街」のイメージが大きくなってきているのが今の動きであろうか。. 5.自由が丘商店街の経営者∼店舗の新しい道の模索 現在の自由が丘商店街の地元オーナー比率は約5%。それは商店街振興会 の会員が1300だとすると自由が丘在住の店舗オーナーは65人くらいというこ とになる。それほどまでに店舗のテナント化が進んでいるとは思ってもみな かった(実はその後に上野の商店街の方から上野も同じくらいだと聞かさ れ、更に驚いたのではあるが)。 図10 スイーツフェスタの九品仏川緑道. 自身で事業展開をしながら、新しいテナントづくりもされている奥角翼氏.

(4) デザイン学研究特集号  Vol.28-2 No.104. は、1929年に自由が丘に創業した「オクズミ写真館」から発展したオクズミ 商事の当代オーナー社長であり、また企業デザイナーからの U ターン経営者. でもある。以前に自身の店舗、自由が丘の「スープストック」の経営方針に ついて、賃貸店舗に全てを任せるのではなく、ここにしかない商品開発を同 時に行うこと、テナントの大家へのプレゼンの必要性など、事業アイデアを 持って新たなテナントづくりをする姿勢に共感を持った。その店舗が2019年 夏前に残念ながら閉店することになった。その後尋ねたところ、近隣住民・. 図11 オクズミ商事・奥角氏. 来街者の自由が丘に求めているターゲットやニーズと違いがあったのではな いか、主な客層がスープストック好きだが自由が丘には根付いていない人 だったのではというようなことを聞いた。ここにマスを志向しがちな商店街 の中での個性化の難しさも感じた。 氏はネットでほとんどのモノが買えてしまう現代において、ここでしか買 えない差別化が必要との立場である。駅近郊の多くの店は一般的なものを売 る。こだわった品を置く店は賃料の安い少し離れたところに店があるのが一 般の構図だが、自由が丘では時折少し変わった店を見つけることがある。実 は自由が丘の強みはガイドマップとしては常に完成しない、新たな特徴的な 店を探し見つけ出すための歩く街のイメージなのかと思う。地域のモール化 (歩行者空間化)についてはどうかとの問いかけには、物流の問題はあるが 出来ないことはないだろうとのコメントだった。 その折、奥角氏からは若い経営者が減っている実態もお聞きした。現在の 商店街青年部は20∼30人くらいで、この地の銀行員やサラリーマンの人も 入って構成されているが、地元の人は1∼2割という状態だそうだ。当初は 青年部は42歳までと年齢制限が設けられるくらいだったようだが、今は人数 減と同時に年齢自体が上がってきている。若者の多く集まる商店街ではある のだが、地元経営者は次第に高齢化しつつある商店街なのである。 「シャッター街」を、そこに住んでいる人がその地で働かず、別の場所で 働いている街と定義するなら、自由が丘は「人の集まるシャッター街」とも. 図12 初春の九品仏川緑道. 言えるのである。だからここで見られる状況はというと、普通のシャッター 街とは全く違う様相を示している。. 6.イベント活動について 藝大の受託研究の2年目には、私の研究室では都の助成金でのイベントに 関わったのだが、その時には助成金の使途が限定され、今の時代とズレてし まっていることを感じた。これは自由が丘と言うより東京都の問題なのだ が、商店街活性化の助成金の仕組みがその助成金が出来た当時のままで、時 代に合った仕組みに更新されず、現代のインターネットや SNS、スマホなど. のある生活などは考えられていない基準に沿ったものになっていることであ る。昔ながらの一時的な設備やオブジェを作ることに限定された助成金に なっていて、設備やオブジェが街を活性化した時期は確かにあったのだが、 現代の IT 技術とライフスタイルの急速な変化に沿って、助成制度の内容自. 体の見直しの必要性を強く感じたものである。. またいくつかのイベントに訪れた折に感じたことは、イベント名称と内容 との関係があまり感じられないこともあった。「スイーツフェスタ」のイ メージで訪れてもスイーツが街に溢れているイメージなどは感じられず、他 の自由が丘のイベントと同じ印象を受けてしまう。これはおそらく本来であ 図13 スイーツフェスタ準備中の駅前広場. ればそのイベントに関わるべきスイーツ関連の人ではない人が中心に運営が. 7.

(5) 8. 特集:人口減少時代の環境デザインを考える. されているからであろうが、当事者ではない商店街振興組合がイベントを取 り仕切るようになっているからであろうか。 イベントが多く、毎月のようにイベントをやっていて、まちづくり活動が 活発な街ではあるのだが、逆にその活動が多すぎて商店街側の参加者の意識 がついて行けてないのではないかといったことも感ずる。これも大きくなっ た商店街の弊害かと思うのだが、多くのイベントの効果を商店街の人たちが 実感出来ているのかといった擬問も残る。. 7.自由が丘の街の今後 3年前の富山での街づくりセミナーで、当時の自由が丘商店街振興組合理 事長の岡田一弥氏は下記のように言われている。「近年、自由が丘では、本 業を手じまいして不動産賃貸業になる人が増えています。すると、シャッ ター街にはならない反面、跡を継ぐ住民が街からいなくなり、街の活力を維 持できません。求められるサービスは山のようにあり、どんどん高次元化し ていく中で、我々は時代とともにどんどん変化しています。しかし、昔なが らのことをやめるわけにもいきません。両立させるためには人・物・金やア イデアが必要なので、産業能率大学や企業の方々といろいろ連携しながら取 図14 J-Spirit 社長の岡田氏(左)、事務局 長・中山氏(右). り組むようにしています。」これが自由が丘の現状と課題である。岡田氏は 今は自由が丘の TMO である J-Spirit の社長であるが、ずっと自由が丘の街 づくりの中心にいる人物である。. 今の自由が丘について岡田氏に尋ねたところ、自由が丘のイメージは「夫 婦+子供2人」の成功型モデルの街。来訪者は地域だけでなく、日本中から やって来る場所で、この街のライフスタイルに憧れがあるということだ。東 急沿線の良いイメージもあって、まだ右肩上がりだと言う。楽天の二子玉川 進出も追い風だし、この地域には新しい成功者がどんどん入ってきていて、 まだ数十年は大丈夫だとも言われた。確かに自由が丘のある目黒区、世田谷 区も人口は増えているが、全国的な人口減の中で東京だけが今でも増加傾向 にある特殊な都市なのである。人口が増え、子供の数も増えているのが東京 だが、その中にある商店街では別の少子高齢化が進んでいるのだ。. 8.大学とのコラボレーション 自由が丘の恵まれている点は近隣に東京工業大学や産業能率大学などの大 学が多くあり、若者がやって来やすい立地になっていることもある。特に産 業能率大学はエリアマネジメントの授業に自由が丘商店街のメンバー(岡田 氏や奥角氏)が講師として参加するなど、街との交流があり、産業能率大学 図15 東京藝大の学生によるボラードペイ ント・パフォーマンス. の学生(70名程度)も、授業として自由が丘案内人「セザンジュ(女神を取 り囲む天使の意)」となり、自由が丘のイベントなどに参加している。この ようなことから若者がイベントに参加する状況が自然に形成されている。こ れは少子高齢化した商店街にとってはありがたいことで、常に若いエネル ギーを注入出来る仕組みが出来上がっている。自由が丘の街のイメージが若 者たちの求めるものと一致しているからこそ出来ることで、どこの商店街も 近くに大学があれば出来るというものではない。. 図16 自由が丘の街づくりに関わる人たち とセザンジュの産業能率大学の学生 たち+筆者.

(6) デザイン学研究特集号  Vol.28-2 No.104. 9.自由が丘の道路の実情 多くの店舗の集合した自由が丘駅周辺には幹線道路と呼べるものがほとん どない。その上に今では逆に珍しい電車の踏切がある。だから交通対策はか なり大きな問題である。狭い街路に自動車が侵入し、バスが通る。これは小 さな路面型の店舗で構成されている自由が丘の街路空間としては由々しき問 題である。その街路の狭さから逆にヨーロッパの中世の街のイメージを感ず る場所もあるのだが、それらが繋がることなくあちこちで分断されてしまっ ていて、とても勿体ないことになっているように思う。このような細い道が 図17 自由が丘駅横の踏切のある道. 多い自由が丘は歩いて巡る街として整備すれば、街と道の関係もうまくいく と思うのだが、今はそのショッピングの店やカフェのある細街路にバスや自 動車が入り込んでくるのだ。ゴミ収集を人のいない夜間の時間にするなどと いった大胆なことの出来る自由が丘だけに、細街路の魅力を活かした商店街 全体のモール化なども可能なように思うのだが、まだそこまでには至ってい ない。また細街路故の自転車駐輪問題、公共の休憩所不足、景観問題などが 同時に起こってもいる。. 10.今後に向けての考察 図18 街路に入り込む自動車. 細街路に小さな路面型の店舗が多くある自由が丘はそれだけでもかなり特 徴的な商店街である。ハードの課題が道路交通の問題だとしたら、ソフトの 課題は大規模な商店街のイベントを含めた取り組みルールの問題かもしれな い。今はイベントがどれだけ販売促進になっているかも分からないような状 況のように思え、また巨大化した故に出来た商店街振興組合に各店舗がイベ ント運営を任せてしまい、自分ごとではなくなってしまっているようにも見 える。本来であれば出店者がイベントを企画すべきなのだが、それが出来に くくなっているのがオーナー経営者の減少と、サラリーマン店主の増加によ るものなのだろうか。 自由が丘も沿線で横浜、渋谷、新宿などと繋がる超広域型商店街であった 時期から今は次第に商圏を縮小させているのではないか。それは自由が丘近 隣の二子玉川、武蔵小杉、中目黒などの商店街が発展することによって、消 費者にとっては多くの選択肢が増えたと言うこともあるのだが、これからの 商店街はその場所に個性がないとその街まで行くことの意味を感じなくなり つつあるのではないかとも思える。チェーン店の進出は街の発展と共に自然 に起こってくるのだが、そこには差別化とは真逆のコモディティ化(陳腐. 図19 自由が丘・駅前広場. 化)の要素しかない。今後の街の活性化の方向性はそこにしかないものがあ るから行くという動機付けを如何に作るのかなのだと思う。 更にはネットショッピングのヴァーチャルな商店街の今後の発展はどのよ うな局面を作り出していくのだろうか。そこに必要なのは現実のリアルな商 店街の街路としての快適な空間性であり、街歩きの楽しさの演出ではないか と思うのである。 今回は商業地としての自由が丘を採り上げたのだが、このような「少子高 齢化」が日本では他の産業(農業や林業)でも起こっているのではないだろ. 図20 サンセットアレイのペイブメント. うか。後継者がサラリーマンとなって林業をやめてしまった山間地、自作農 をやめて委託してしまった農地など、これらは資本主義社会の行き着く先の 姿だったのだろう。更にグローバル資本主義への加速の中で今、コロナ騒動 が起こっている訳だが、今はこの流れを再考すべき時に来ている。. 9.

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