ばっくとぅざぱすと その32
高 商 の 母
わたしたちが在籍する滋賀大学経済学部は、歴史を溯ると、彦根高等商業学校という教育機関にゆ きあたります。1923 年に最初の入学生を迎えた彦根高等商業学校は、第二次世界大戦下の 1944 年 に彦根工業専門学校へと転換し、実学教育を担ったその使命をいったん終えることとなりました。そし て日本国憲法のもとで、1949 年に滋賀大学経済学部が発足します。 これまでこの高等商業学校は、充分に研究されてこなかったとわたしにはみえます。たとえば、国立 大学法人の経済学部の前史として小さくあつかわれるていどだったり、あるいは、やがて国立大学へと 昇格してゆくことを期待された未熟な幼虫のように描かれてきたりした観があります。 19 世紀の末から 20 世紀初頭に設置された官立のこの高等商業学校は、山口、長崎、小樽、大分、 福島、彦根、和歌山、横浜、高松、高岡、そして、台湾と朝鮮にもおかれました。東京、名古屋、神戸の 高等商業学校はほかの学校よりもさきに大学に昇格してしまったため、高等商業学校というときに数え られないばあいがあります。 わたしはここ数年にわたって、各地の高等商業学校の歴史資料を調査し、それらを整理するばあい もあり、そして高等商業学校史の研究をしています。小樽商科大学が創立百年を記念して刊行した小 樽商科大学百年史編纂室編『小樽商科大学百年史』学科史・資料編(小樽商科大学出版会、2011 年) に小樽高等商業学校が実施した海外修学旅行についての稿を寄せましたし、また、その母体が東京 等高等商業学校だった一橋大学の附属図書館が「旅する高商生」と題して開催した 2012 年度企画展 示にあわせて催された講演会に講師として招聘されました。 いくつかの高等商業学校を調べるなかで明らかになったことがあります。それは、20 世紀前期に機能 した教育機関としての高等商業学校は、たんに現在の国立大学法人経済学部の前史とだけみるには 惜しい研究対象であること、そしてときに軽く貶めるようなものいいで語られる、高等商業学校は金太 郎飴のようだ、とかたづけてしまうにはあまりある多様で多彩な知の装置だったということです。 残念ながら、高等商業学校の関係史料は、それぞれの後継となる国立大学法人できちんと整備され ていないところがあります。それを整えるために、わたしはいくつかの史料目録もつくってきました。史 料の一点ずつを手にとる目録づくりは、時間がかかりますが、ひとりで道具もあまり用いずにできるもっとも簡便な歴史の記録づくりでもあります。また歴史の痕跡としての史料を未来へと継いでゆくために も、いまや文書などのデジタル撮影は、史料保存のために不可欠な環境整備ともなっています。そうし た手立てに習熟して慣れてゆくこと、史料の案内としての目録づくりを欠かさないこと、これらは研究者 も怠らずにみずからおこなうべき作業だとわたしは考えています。 過去から継がれてきた文書などを史料として保存し公開し活用してゆくことは、いろいろなつながりを 介しておこなってゆくところにその興趣があります。今年、滋賀大学経済学部は創立 90 周年を迎えま す。2013 から 90 を引くと 1923 となり、この 90 周年という記念の仕方は、わたしたちの学部がその創立 を彦根高等商業学校の開学においていることをあらわしています。起源を想起し回顧することは、あら たな未来の創生を見晴るかすこととつながります。この記念の年にわたしは、高等商業学校という歴史 を媒介にして大学外のひとたちとの交流をも深くしっかりと結びなおし、そのつながりを未来への確か な結び目としたいとおもっています。わたしたちの学部の母体となった高等商業学校という教育機関は ひとつではありませんでしたし、それを調査し研究するときの視座はひとつではないのですから。 ( 社会システム学科 阿部安成)