札幌大学総合研究 第 12 号(2020 年 3 月)
〈論文〉
鈴木直道・北海道知事にリーダーシップはあるのか?
浅野 一弘
Ⅰ はじめに 北海道知事就任後,半年という節目の日(2019 年 10 月 23 日)の記者会見で,鈴木直道は, 「応援団会議発足のほか,新千歳空港の発着枠拡大や北海道・北東北の縄文遺跡群の世界 文化遺産国内推薦候補決定を成果として挙げた」という(『北海道新聞』2019 年 10 月 24 日, 2 面)。しかしながら,「北海道が抱える様々な課題を乗り越えるため,道内はもとより 道外からも,北海道を愛する全ての方々の知恵と力を結集し,北海道の活性化を図るこ とを目的」として設置された(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/csr/ouenndankaigi-proposal-h31.htm〔2020 年 1 月 15 日〕),「ほっかいどう応援団会議」について,地元紙は, 「確かに,東京都内で企業を集めて発足イベントを開くなど,演出は派手だった。だが, 集めた資金を使ってどんな施策を実現しようとしているのかが判然としない」との疑問を 投げかけていた(『北海道新聞』2019 年 10 月 29 日〔夕〕,1 面)1)。 つぎに,鈴木が就任半年間の成果としてあげた「新千歳空港の発着枠拡大」であるが, これを実現した背景には,菅義偉・官房長官と鈴木とのあいだにある太いパイプが大いに 役だったといえる。その証左に,たとえば,2019 年 7 月 25 日の『北海道新聞』には,「6 月 29 日,参院選の応援で札幌入りした菅氏に,知事は『来道外国人 500 万人の目標達 成には,新千歳空港の発着枠の拡大が必要です』と訴えた。かねて懸案で調整が難航して 1) なお,ほっかいどう応援団会議のホームページのなかの「応援団会議とは」という項目には,「北の大 地が育む豊かな自然や安全,安心な食,そして地域に根ざした多様な文化などは,私たち道民の誇りで あり,次の世代へしっかり引き継いでいくべき宝です。このため,『北海道を愛している』『北海道をフィー ルドとしてプロジェクトを実施したい』など,北海道にゆかりや想いのある個人や企業・団体の方々の 知恵と力をお借りしながら,本道が抱える様々な課題を解決していくため,『我こそは,北海道の応援団』 という方々が集うネットワークとして,『ほっかいどう応援団会議』を立ち上げることとしました。北 海道が,魅力あふれる北の大地であり続けるため,一人でも多くの方に参加いただきますようお願いい たします」とある(https://hkd-ouendankaigi.jp/about/details/〔2020 年 1 月 15 日〕)。いたが,菅氏はすぐに各省の担当者に検討を指示。日中の発着枠は 1 時間当たり 42 回か ら 50 回に拡大される」との記事が掲載されていたほどだ。くわえて,当該記事には,「菅 氏とのパイプが分かりやすく反映された形」との記述もみられた(『北海道新聞』2019 年 7 月 25 日,3 面)。 さらに,「北海道・北東北の縄文遺跡群の世界文化遺産国内推薦候補決定」であるが, これについては,2011 年 6 月 1 日に,「縄文世界遺産推進室」が北海道庁環境生活部内 に新設されたことや(『北海道新聞』2011 年 4 月 27 日,2 面),2012 年 3 月 24 日,「北 海道と青森,秋田,岩手の東北 3 県にある縄文遺跡 15 カ所の世界遺産登録を進めようと, 『北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録をめざす道民会議』(北の縄文会議)」が設 立会合を開催したことからもわかるように(『北海道新聞』2012 年 3 月 25 日,37 面), 以前から,さまざまな環境づくりがすすんでいた2)。それが,たまたま4 4 4 4,鈴木の知事就任後に, 「北海道・北東北の縄文遺跡群の世界文化遺産国内推薦候補決定」の報が届いただけでし かなかった。 しかも,鈴木と菅とのあいだのパイプの太さによって実現したといわれる,「新千歳空 港の発着枠拡大」に関しても,「実際には国交省は 1 月から検討を始め,知事の要望段階 では拡大は固まっていた」との見方もある(『北海道新聞』2019 年 8 月 29 日,3 面)。 ということは,鈴木の知事就任後半年の成果は,なに一つないといういい方もできなく ない。地元の『北海道新聞』は,「<社説>鈴木知事半年*見栄えより針路示して」のな かで,「知事がこれまでに明確に意思表示したのは,この二つぐらいしかないと言っていい」 として,「道議会新庁舎の喫煙所設置問題で『税金を使うことはできない』と述べたことや, 維持管理費に 1200 万円かかる知事公邸の廃止を表明したことに,有権者が好感を抱いた」 との見解を示している(『北海道新聞』2019 年 10 月 23 日,6 面)。 こうした事実からもわかるように,鈴木道政の半年間,顕著な成果はみられなかった。 もちろん,知事就任後,まだ一年もたたないうちに成果を求めるという発想自体,問題が あるとの指摘もあるかもしれない。しかし,人口減少をはじめ,さまざまな課題をかかえ る北海道にとっては,悠長なことをいっている時間はない。 そこで,あえて,鈴木の知事就任から 9 カ月を目前としたこの段階(2019 年 1 月 15 日)で, 鈴木のリーダーシップについて考えてみたい。とはいえ,知事としてのめだった業績がな いため,ここでは,鈴木の著作に着目し,鈴木自身の政治観を浮き彫りにし,今後の鈴木 道政の方向性を考えるヒントを探りたいと考えている。なお,ここでもちいる鈴木の著作 2) 『北海道新聞』によれば,こうした動きは,「2003 年に当時の堀達也知事が東北 3 県の知事に提案した」 ときにまでさかのぼることができるようだ(『北海道新聞』2013 年 8 月 6 日,3 面)。
とは,夕張市長時代にあらわした,『やらなきゃゼロ!−財政破綻した夕張を元気にする 全国最年少市長の挑戦−』(岩波書店,2012 年)と『夕張再生市長−課題先進地で見た「人 口減少ニッポン」を生き抜くヒント−』(講談社,2014 年)の 2 冊である。 Ⅱ 鈴木の政治戦術 鈴木のあらわした,『やらなきゃゼロ!』には,夕張市との事実上の4 4 4 4出会いについて, 以下のように記されている(鈴木 [2012], pp. 77-78)。 ある日の金曜日。私は突然上司から呼び出されました。 「鈴木君。北海道夕張市って知っているかい」 「あぁ猪瀬副知事が職員を派遣すると発表していましたね」 「実は君がその候補にあがっているのだよ」 「えぇ」 突然の呼び出しは,私がその夕張市派遣の候補に名前があがっていることを告げる ものでした。 このあと,実際に鈴木が夕張に「派遣された初日は年が明けて間もない二〇〇八年一月」 のことであったが(鈴木 [2012], p. 117),夕張いきを決意した理由について,鈴木は「私は, 『徹底的に効率化された行政を学ぶことができるはず』と考え,派遣に手をあげたのだった」 と述べている(鈴木 [2014], p. 43)。なお,東京都庁関係者によると,「夕張派遣に決まっ たとき,鈴木さんは,福祉保健局の総務部 総務課 庶務係 というところにいました」 とのことだ。この庶務係というセクションに関連して,その関係者は,「役所ですと,総 務,庶務,と付く部署は,『権力者のおひざ元,側用人,秘書役』のようなニュアンスが あり,重視されております」とコメントしている。さらに,「組織名に総務,庶務と付く 部や課,係は,分担表に,『その他,他の部(課,係)に属さない業務』と言う言葉が入っ ており,決まった業務に専念する,というより,『突発的な事態に対応する』ことも役割 の一つになります」とし,「災害時の被災地支援,派遣等も,まず各局の庶務係から人が 派遣されており,鈴木さんも福祉保健局の庶務係の中で,若手,独身,健康等の条件で上 司から話が行った」とみている。要するに,鈴木の「元・上司の人は,『彼はとても気が 利く』と評価した」わけだ(関係者からの電子メールによる回答〔2019 年 10 月 24 日〕)。 くわえて,当該関係者は,「庶務係 ⇒ 機転がきく,フットワークが軽い,(ある程
度の真面目さを前提として)要領が良い,事情通」とも断じている(関係者からの電子 メールによる回答〔2019 年 10 月 24 日〕)。ということは,鈴木は,東京都庁在職時から, 政治家タイプであったといういい方もできよう。ちなみに,鈴木は,高等学校時代に,生 徒会長の選挙に立候補した経験があるらしく,このときを回想し,「選挙活動を通して学 校の顔である制服を変えてしまうほどの大きな力につながるのだなあと,当時はなんとも 不思議な気持ちと達成感があったのを覚えています」と語っているが,これは,「私が生 徒会長になったら,この学校の制服を変えます」という「選挙公約」が,鈴木の卒業後に, 実現したことをさしている(鈴木 [2012], pp. 64, 66)。もしかすると,このときの成功 体験によって,鈴木は公約を実現することのよろこびを覚えたのかもしれない。 ところで,鈴木によると,「当初,私の派遣期間は一年間でしたが,自ら一年間の延長 を申し出ていました。その理由は,『一年では何も形にはできないが,二年目はその一年 間の経験や地域との関係を基に,具体的な行動が実施できるのでは』と考えていたからで す」(鈴木 [2012], pp. 92-93)「せっかく東京からやってきたのだから,何かひとつでも『鈴 木が来て,変わった』とか『こうなってよかったね』と言ってもらえるような成果を残し たかった。また,残さなければ私の派遣は意味がないと思っていた」とのことだ(鈴木 [2014], p. 58)。かくして,鈴木は,「予定より一年長い,二年二ヵ月におよんだ夕張への派遣期間」 を過ごした(鈴木 [2014], p. 72)3)。東京都庁にもどった鈴木は,すぐに,「内閣府の『地域 主権戦略室』に出向することになった」ようだ(鈴木 [2014], p. 72)。 そのような折り,鈴木の運命をけっする日が到来した。鈴木は,つぎのように述べてい る(鈴木 [2012], pp. 11-14)。 二〇一〇年一一月二五日,私は夕張市の行政参与としての仕事で,北海道に行くこ とになり,新千歳空港に降り立ちました。 そこで私を出迎えてくれたのは荒舘康治さんでした。 実はその前日,事前に電話で, 「夕張市長選に出馬してほしい。新千歳空港で要請文を渡すから」 3) 東京都庁の関係者によれば,「鈴木さんたちの夕張市への派遣の前は,都の職員が長期間,都外に派遣 されるという制度はありませんでした」とのことで,「知事とそのお気に入りの副知事が肝煎りでイレ ギュラーなことを命じた状態なので,続けざるをえず,そのための人探しの手間が省けるという点で組 織としてはありがたかったと思います」と語っている(関係者からの電子メールによる回答〔2020 年 1 月 10 日〕)。
と言われていました。しかし,その時は現実のような気がせずに, 「わかりました」 とだけ言って電話を切りました。 彼が,東京都から夕張市に二年間出向していただけの東京都の一職員を市長にしよ うと立ちあがったのです。 東京に戻り,決断するまでの五日間は,人生で最も長い五日間となりました。 ここで名前のでた荒舘康治とは,鈴木が「夕張市に出向していた時に,一九九〇年から 開催されている映画人と映画ファンが集う日本で初めてのリゾート型映画祭である『ゆう ばり国際ファンタスティック映画祭』などのイベントを通じて知り合った仲間」の一人で ある(鈴木 [2012], p. 11)。このとき,荒舘は鈴木に,どのようなことばを投げかけたの であろうか(鈴木 [2014], pp. 74-75)。 なぜ,荒舘さんは私を出馬させようとしたのだろうか−。 その理由を,彼はこう説明した。 「これまでは市役所の職員が課長になり,部長になり,助役になり,市長になると いう歴史がずっと続いてきた。でも,破綻して四年。夕張をどうしていくのか,どう 変えていくのかというビジョンをつくっていかなければならない。それは,先輩方で はなくて,私たちの責任なんだ。そのためには,次の選挙こそ『この人でいい』では なく,『この人がいい』という人を選ばなければならない。そういう人を自分たちの なかから出さなければいけない。そう考えたとき,思ったんだ。『直道くんを出したい。 ぜひとも彼に夕張の未来を託したい』ってね」 荒舘のこのことばを耳にした鈴木は,「たくさんの不安があるにもかかわらず,『NO』 とはっきり断ることができないのは,『やりたい』とどこかで思っている自分がいるか らではないのか−」と自問している(鈴木 [2014], pp. 76-77)。もっとも,鈴木は,「私も, もともと政治にほとんど興味はありませんでした。しかし,夕張に派遣職員として来て地 域での活動や夕張のために行うさまざまな活動のなかで仲間と出会って,何とかこのまち を良くしたいという想いが結果的に政治へとつながっていきました」と述べているように, 夕張市長選挙への出馬要請を受けた時点で,現実政治への関心がゼロであったとはいいが
たい(鈴木 [2012], p. 171)。おそらく,この遠因の一つに,前述した,高等学校時代の生 徒会長としての経験=人のうえにたつことのよろこびもあったのではなかろうか。ここで 注目したいのは,生徒会長選挙に立候補したときの経緯である。鈴木の著書には,つぎの ような記述がある(鈴木 [2012], p. 64)。 「私が生徒会長になったら,この学校の制服を変えます」 これが私の人生初めての選挙公約でした。というのも私は高校時代に生徒会長を務 めていて,生徒会長選挙に立候補した経験があったのです。 何故,立候補したのかと言われれば,ある日,先生に呼び出されて, 「生徒会長に立候補しないか,他になり手もいないし,鈴木ならできると思う。やっ てみないか」 という単純な理由からでした。そして特に異論もなかったので二つ返事で OK し たのがきっかけです。 鈴木は,先生から誘われ,立候補したと断じている。だが,ふつうに考えて,生徒会長 選挙に出馬するとき,先生から声をかけられるのであろか。ということは,鈴木の場合, すでに高等学校の時点から,年齢の離れた人に気に入られる才能を有していたといっても よかろう。鈴木自身,夕張市役所に出向していたときのことをふり返り,「後から話を聞くと, 私が雪かきに来た時は夕張のお母さんたちの間でどの団体がいちはやく鈴木君を引き入れ るかで面白いことになっていたということでした。どうやら若くてイキのいい働き手は重 宝されるようです」と語っている(鈴木 [2012], p. 86)。こうした才能が,官房長官の菅 とのパイプづくりや東京都知事の石原慎太郎,副知事の猪瀬直樹からのあつい信頼に結実 したように思われる。 では,荒舘からの出馬要請を受けた鈴木は,どのように動いたのか(鈴木 [2012], pp. 19-20)。 夕張市長選挙出馬の要請から五日後,私は一一年と八か月間勤めた東京都を退職し, 報道陣の前で夕張市長選挙への出馬を表明しました。 テレビカメラを前に, 「夕張再生への思いは誰にも負けません,夕張のために人生を捧げる覚悟をしました。 この決断をバカだと言う人もいるかもしれませんが,この決断が間違ってはいなかっ たと言ってもらえるように一日一日を頑張りたい」
と語りました。 このように,鈴木は,東京都職員を辞し,夕張市長選挙に打ってでる決断をした。立候 補した鈴木は,「無名の新人候補の私は,どの政党からも推薦は無く,私の後援会の幹部 はある新聞社からの取材で『なぜ負けるとわかっている人を応援するのですか?』などと 聞かれる始末でした」と述懐しているが(鈴木 [2012], p. 27),じつは,「連合夕張と夕 張市職労の支援を得た」なかでの出馬であった。だが,選挙戦術として,「連合を支持母 体とする民主党などの既成政党から推薦を受けず,親交のある仲間を中心に草の根の選挙 戦を展開。若さをアピールするとともに『夕張と東京をつなごう』などと訴え,石原慎太 郎東京都知事も応援に駆けつけ,幅広い支持を集めた」かたちとなった(『北海道新聞』 2011 年 4 月 25 日,1 面)。こうしたやり方について,地元紙は,「鈴木氏を支援した夕 張市職労は表に出ず,黒子役に徹した。そこには,草の根選挙のイメージを損ないたくな いという陣営のしたたかさ4 4 4 4 4も垣間見える」(傍点,引用者)と評していた(『北海道新聞』 2011 年 4 月 25 日,3 面)。このように,鈴木は組織を前面にださず,勝手連的な選挙戦 を演出したわけだ。 では,表面上の「草の根の選挙戦を展開」するにあたって,その中核となった「親交の ある仲間」には,どのような人物がいたのであろうか。鈴木によると,「私の後援会の幹 事長となってくれた澤田直矢さんは夕張でイベント会社を経営しています」「私に夕張市 長選挙への立候補の要請をしてくれた荒舘さんはその会社の社員でした」「同じく後援会 で副会長を引き受けてくれたのは若狭翁斉さん」「若狭さんは『北海道物産センター夕張 店』という市内のお土産屋さんの店長です」といった面々であったという。鈴木が回想し ているように,「初めに私を応援してくれた人たちはこのように主に夕張に住む『若い世代』。 圧倒的に高齢者の多いこのまちでわずかながらも若い人たちが手を挙げた」わけで,こ のことが,「多くの人たちに驚きを与えました」とのことだ(鈴木 [2012], pp. 28-30, 34-35)。 かくして,「『若さ』は自分の大きなセールスポイントです」と豪語する鈴木は(鈴木 [2012], p. 188),若さを前面におしだした選挙戦を展開することを選択した。もちろん, 若さだけをアピールしたのではない。くわえて,みずからのリーダーシップを強調するこ とも忘れなかった。そこには,「大学は無事四年間で卒業。体育会ではボクシング部の主 将を務め」た過去や(鈴木 [2012], p. 75),夕張の「市役所内の同年代の職員に声をかけ,『映 画祭でポップコーンを作って売らないか』と話をしました。みんな『いいね,やってみよ う』という感じで,他にも何人か集めて市役所内に『若手の会』が立ち上がりました」と
いった実績もあった。夕張市役所時代のこのようなこころみに対して,以前から,「鈴木 君がこうして若い人たちを集めて,担ぎ出してくれたことで市役所の人たちが参加してく れるようになった。これは本当に大きなことだよ」との評価を得ていたことが,選挙戦で 大いに役だったことはいうまでもなかろう(鈴木 [2012], pp. 87-90)。 こうしたリーダーシップにくわえて,若さをおしだした選挙戦をみたマスコミは,好感 をもったようだ。その証左に,「私は財政破綻をした夕張市の市長となったのです。その時, 私は丁度一か月前に三〇歳を迎えたばかりであり,全国最年少の市長となりました。『全 国一高齢化率の高い夕張市に全国一若い市長が誕生した』というニュースは,全国でも 当時話題になりました」といった鈴木のことばをあげることができよう(鈴木 [2012], p. 55)。ここで留意しなければならないのは,マスコミが鈴木に注目したというよりも,鈴 木がマスコミを巧妙に活用してきたといったほうが適切かもしれないという点だ。かつ て,鈴木は,夕張市に「派遣され約一年半が経った頃」に,「市役所の職員としてではな く,一人の夕張市民として」,「夕張の事態を打開すべく」,「夕張市内の全世帯を対象とし た住民アンケート調査」を実施するとのアイデアをあたためていたことがあった。このとき, 鈴木は,「まずは,運営委員を務めていた市民団体『ゆうばり再生市民会議』へこのアン ケート調査の実施について提案しました。いかにこの時期に住民の声を集めることが有効 であり必要であるのか。『マスコミにうまく取り上げられれば4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4,北海道及び国も住民の声4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 を無視することはできません4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4』と強く訴えました」(傍点,引用者)と語っているからだ (鈴木 [2012], p. 93)。そうしたマスコミの操縦術にたけた鈴木は,「世間の注目を集める ために,あえて夕張でなく北海道庁で『こういう調査をやります』と記者会見を行ったこ とで,学生が一所懸命聞き取り調査をしている姿などがテレビで特集された。そして,こ のアンケート調査は人々の耳目を集めることになっていった」というような成果を得た(鈴 木 [2014], pp. 62-63)。 ところで,この「夕張再生市民アンケート」とは,「ゆうばり再生市民会議の鈴木直道さん, 北海学園川村雅則准教授,法政大学の宮崎伸光教授らが実行委員会をつくり財政再建団体・ 夕張市の住民に対して行っている」もので,「自治労道本部も協力している」調査であっ た(http://www.jichiro-hokkaido.gr.jp/2009/08/post_466.html〔2020 年 1 月 15 日 〕)。 では,全市民を対象にした調査の回収率はどのくらいであったのか。鈴木によると,「全 世帯数の二六パーセント,一六六一世帯から回答が得られ」たとのことであった(鈴木 [2014], p. 63)。この 26%をどうみるかは,人によって評価のわかれるところかもしれな い。だが,「このアンケート調査は人々の耳目を集めることになっていった」と鈴木が述 べているわりに,26%という数字はあまりにもひくすぎるような気がしてならない。鈴
木は,折りにふれ,「幸いなことに,調査開始前後に記者会見していたこともあって,テ レビや新聞等が何度か取り上げてくれていたため,調査に対する注目は集まっていました」 といったことを述べているが(鈴木 [2012], p. 95),どうも,アンケートをしたという行 為だけが一人歩きしてしまって,その回収率のひくさという点は,黙殺されてしまってい るような印象を受ける。これこそが,鈴木の演出の巧妙さなのかもしれない。 また,このアンケート調査をめぐっては,当初,「そんなアンケートをとれば,その声 に応えなければならなくなる」とし,夕張市からは反対されたそうだ。しかも,「東京都 からも『それはおまえのやるべきことではない。派遣されている立場でそこまで立ち入っ てはいけないのではないか』と反対された」ようだ(鈴木 [2014], p. 60)。そこで,鈴木 がたよったのが,猪瀬・東京都副知事であった。アンケートの実施について,「幸い,猪 瀬東京都副知事は賛成してくれた。そこで市の職員としてではなく,夕張の一市民の立場 でやることに決めた」というのだ(鈴木 [2014], p. 61)。猪瀬と鈴木とのパイプはかなり 太いようで,アンケート実施後,この調査結果を国に届けるため,ふたたび,「猪瀬副知 事に連絡を入れた」そうだ。そして,総務省の「渡辺(周)副大臣に調査概要を説明した いのです。副知事から依頼していただけないでしょうか?」(カッコ内,引用者補足)と たのみこんだ。このときの猪瀬ルートからの“口きき”があったからか,「夕張の視察を すべて終え,副大臣が新千歳空港に向かうバスの車中」で,夕張市民の声を届けたようだ (鈴木 [2014], pp. 64, 66)。 鈴木の夕張市役所への出向時だけでなく,夕張市長選挙への出馬表明後も,折りにふれ, 猪瀬は鈴木をサポートしたという。それは,「東京都の猪瀬副知事には,派遣時代から頻 繁に相談に乗ってもらっていたが,私が出馬を決めると,自らがコーディネートするテレ ビ番組『東京からはじめよう』(TOKYO MX)に対談のゲストとして呼んでくれた」と の鈴木の言からもわかる(鈴木 [2014], p. 86)。しかも,多忙であるにもかかわらず,「猪 瀬副知事は,告示日前のシンポジウムと選挙戦最終日の二回夕張を訪れ,私を応援して くれました」というほどの熱の入れようであった(鈴木 [2012], p. 47)。選挙戦最終日に, 猪瀬は,鈴木の「合言葉の『1(イチ)』と声を出しながら支持者らと街頭を行進」まで したそうだ(『北海道新聞』〔地方版〕2011 年 4 月 24 日,29 面)。 「夕張再生のキーとなるパートナーは『首都・東京』だと思っています」と断言する鈴 木は(鈴木 [2012], p. 174),「夕張と東京の縁は,私が都職員時代に夕張に派遣されたこ とで生まれた。私が市長になれば,東京には国と『戦う』際のサポートをしてもらいたい」 と語ったことがあるが(『北海道新聞』〔地方版〕2011 年 4 月 19 日,21 面),猪瀬だけ でなく,東京都知事である石原とのあいだでも,太いパイプを構築していたようだ。石原
は,市長選挙がはじまったら「『俺は必ず応援に行く』との約束通り,夕張まで応援に駆 け付けてくれた」というのだ。「石原知事が夕張にやって来たのは四月二〇日のこと」であっ たそうだが(鈴木 [2012], pp. 48-49),東京都の「石原慎太郎都知事による応援も『本当 に来たことで支持者の安心感につながった』」と,陣営幹部はみていた(『北海道新聞』〔地 方版〕2011 年 4 月 23 日,27 面)4)。このように,東京都との太いパイプを巧妙に駆使す ることで,鈴木は当選をはたしたといえよう5)。鈴木の当選後も,石原は庁議の場で,「夕 張市長に協力しろ。しない奴はクビだ」といい放つなど,全面的に鈴木をサポートする姿 勢をみせたようだ(鈴木 [2014], p. 129)。 鈴木自身,「幸い,私は東京都職員の出身で,当時の石原都知事や猪瀬副知事とも直に 話ができる関係だった」と明言しているが(鈴木 [2014], p. 129),東京都庁の関係者に よれば,「都知事が人と会う,というのはかなりのことでして,通常,東京都の区長や市 長が都庁に来ても,副知事にしか会えません。町長,村長の場合は,一般職の局長級にし か会えません。(町村長だと副知事も出てきません。)特別区長会会長,東京都市長会会長 という肩書で来庁して,初めて知事に会ってもらえます。そんな感じですので,都知事が 時間を取って激励する時点で,かなりの政治的な応援だと思います。(軍隊で言うと,伍 長の退職時に,元帥が会って激励を行うくらいの違和感です)」とのことだ(関係者から の電子メールによる回答〔2019 年 12 月 3 日〕)。そのためであろうか,「都庁の経歴の方も, 夜間部卒業まではかなり傍流ですが,卒業したとたんに中枢に配属されています。このとき, かなりの,ひきか推薦があったのを感じます。夕張に行った後も要所要所で権力者にかわ いがられています。よっぽど計算ができるか,人間的魅力があるか,その両方かだと思い ます」との声も東京都庁内で聞かれるほどだ(関係者からの電子メールによる回答〔2019 年 10 月 24 日〕)。 なお,鈴木は「夕張市長になった後は,石原・猪瀬さんの色が強いので,舛添(要一), 小池(百合子)と知事が変わったとき,都庁と夕張市の縁が切れるかも,という話があり ましたが,その度に素早く都庁に飛んできて,新しい知事に会い,関係継続を図っていま した」(カッコ内,引用者補足)とされており,庶務係に配属されるだけのフットワーク の軽さ,要領のよさをここでも発揮したといえよう(関係者からの電子メールによる回答 4) このとき,「夕張入りした石原知事は『元上司』として鈴木氏の腕を高々と掲げ,JR 清水沢駅前を埋め 尽くした聴衆」をまえに,「鈴木君の命を預けます。この選挙を,みんなで夕張,そして日本をつくり 直す大きなきっかけにしよう」と話したそうだ(『北海道新聞』2011 年 4 月 25 日,3 面)。 5) 夕張市長選挙(2011 年 4 月 24 日)の結果は,鈴木直道:3,569 票,飯島夕雁:2,779 票,羽柴秀吉: 1,440 票,笹谷達朗:114 票という結果であった(「開票速報」〔届出順〕https://www.city.yubari. lg.jp/kurashi/senkyo/senkyokekka/senkyokekkah23.files/1303653722.pdf〔2020 年 1 月 15 日〕)。
〔2019 年 10 月 24 日〕)。東京都とのパイプという点では,その後の北海道知事選挙への初 出馬の折りにも,「自民党東京都連幹事長も応援に入り,鈴木氏にはこんな人脈もあるの かと驚いたよ」と担当記者が語っていたことを付言しておきたい(『北海道新聞』2019 年 4 月 10 日,4 面)。 さて,夕張市長選挙について,地元紙は,「17,18 日,市民を対象に行った世論調査では, 市長を選ぶ基準として『若い力』『実行力のある若い人』などの声が目立った」ことなど を理由に,「夕張市長選で元東京都職員の鈴木直道氏が当選したのは,市民が鈴木氏の若 さと都との連携に期待した結果だ」と,鈴木の勝因を分析していた(『北海道新聞』2011 年 4 月 25 日,1 面)。鈴木自身,このことを熟知しているからこそ,著書でも,「市の人 口約一万人のうち約四七〇〇人が六五歳以上で,約四四%の高齢化率は日本一です。そん なマチで『日本一若い市長』が誕生したのも,何かの縁なのかもしれません」といったか たちで,ことさら,若さを強調している(鈴木 [2012], p. 176)。東京都とのつながりに ついては,市長選挙のときだけでなく,その後の「六月に都庁で行われた物産展では,猪 瀬副知事が『夕張応援隊』の文字が入った法被を着て,夕張メロンを販売した」ことから もわかるように,つねに,目にみえるかたちで,夕張市民に伝えようと,気をくばった(鈴 木 [2014], p. 129)。 くわえて,忘れてはならないのは,鈴木の市長選挙での当選の最大の要因は,マスコミ を巧妙に活用したという事実だ。たとえば,市長選挙の「告示前,87 回にわたり市内全 域で開かれた『お茶の間懇談会』では冒頭,東京のテレビ局が鈴木氏の夕張派遣に密着取 材したビデオが上映され,その懸命な姿に涙を流すお年寄りもいた。『その後に本人が登 場するので効果的だった』(陣営幹部)」といったやり方は,まさにマスコミのつかい方を 熟知した鈴木ならではの戦術といってよかろう(『北海道新聞』2011 年 4 月 25 日,3 面)。 先述したように,おそらく,鈴木は夕張市役所に派遣されたときに,マスコミの利用法を 学んだにちがいない。たとえば,「一ヵ月ほど過ぎたころ,ある新聞社から取材の申し込 みがあった」らしく,「東京からやってきて一ヵ月。どんな印象を持ちましたか?」と問 われたという。その後も,「東京から派遣されてきたということだけで私は新聞やテレビ で頻繁に取り上げられた」のだ(鈴木 [2014], pp. 44, 47)。この記述には,かなりの謙遜 がみられるが,確実に,こうした過程で,鈴木はマスコミの旨味を知っていった。同時に, マスコミの取材を受けるたびに,どんどんコネクションができあがっていったはずだ。そ して,マスコミに露出することで,自分をいかに売るかという知恵をつけたのである。マ スコミの側でも,全国で最年少の市長が,財政破綻した夕張市をどう再建していくかとい うストーリーに飛びついた感もなくはない。それゆえ,鈴木自身も,折りにふれ,「夕張
市が全国で唯一,『財政破綻した自治体』」であることをおしだした(鈴木 [2014], pp. 3-4)。 市長選挙で私は,ほかの三人の候補者を破って当選した。そのとき三〇歳。当時, 日本でもっとも若い市長だった。初登庁に数多くのメディアがつめかけたのは,この 若さによるところも小さくなかった。 だが,それだけで全国のメディアがわざわざ北海道まで,しかも人口わずか一万人 程度の地方都市の新市長の初登庁を取材するためにやってはこない。私の初登庁がそ れだけの注目を集めたのには,ほかにもっと大きな理由があった。 それは,夕張市が全国で唯一,「財政破綻した自治体」であったからだ。 しかも,夕張市のかかえる危機を日本全体の危機であることを力説し,より注目度をた かめるなど,マスコミへの露出をはかることにも余念がない。著作のなかの以下のような 記述は,そのことを物語っている(鈴木 [2014], pp. 8-9)。 夕張の姿は五〇年後の日本の姿であり,夕張が抱えている「人口減少」「少子・高 齢化」「財政難」という三つの課題は,そのとき日本全体が抱えることになる共通の 課題なのである。夕張を「他人事」だと思っている人は,そのことに気づいていない だけ。いつのまにかお湯の温度が少しずつ上がっているのに気づかず,のぼせあがっ ている「ゆでガエル」と同じなのである。 ここで,鈴木の著書のなかで,マスコミに関してふれた部分を紹介してみよう。前出の 「夕張再生市民アンケート」の報告書についても,鈴木は,「もし,道や国が調査報告書を『受 け取れない』と言うのなら,それでもかまわないと私は思っていた。断られたら,また記 者会見を開いて訴えればいいと思っていた。『北海道や国は,夕張市民の声を聞く耳すら 持っていないようだ。どういうことなのだ』と……」としたうえで,「そうすれば,必ずメディ アがとりあげて,道や国を追求するだろう。そうなれば,今度こそ道も国も無視できなく なるはずだ」と述べている(鈴木 [2014], p. 65)。こうした表現をみるにつけ,鈴木がい かにマスコミのはたす役割をたかく評価していたかがわかる。これ以外でも,夕張メロン を PR し,その輸出をふやすため,「私がカタールに向かったことが日本のテレビ番組で 報道されると,それを見たアメリカの農業・食品企業『ドール・フード・カンパニー』の 日本法人関係者が夕張農協を訪ねてきた」そうで,その折り,「夕張メロンを輸出しましょ う」との声をかけられたという(鈴木 [2014], p. 214)。このような積みかさねが,マス
コミの価値を鈴木にすりこませたのであろう。 鈴木の政治戦術という観点からいうと,国=菅とのパイプにも言及する必要があろう。 鈴木の北海道知事就任後のことであるが,2019 年 7 月 17 日付の『北海道新聞』に,「鈴 木直道知事は 16 日,同日付で新たに 1 人ずつ増やす総合政策部次長,経済部次長,保健 福祉部次長と,建設部に新設する国土強靱(きょうじん)化・復興担当課長の 4 人に辞 令を交付した。4 人は財務省,国土交通省,厚生労働省から出向する官僚で,知事の公 約実現に向け,国との調整役を担う」との記事が掲載されていたように(『北海道新聞』 2019 年 7 月 17 日,5 面),中央省庁からの出向者を「より現場に近い部次長に充て,政 策立案や歳入確保で中央の経験や人脈を活用する」など(『北海道新聞』2019 年 7 月 3 日, 2 面),国とのパイプも重視していることがわかる。 ただ,鈴木の人事のうまさが光るのは,「知事は 4 月の選挙で中央とのパイプを強調し, 副知事に官僚をそろえるとの見方があったが,総務省から出向中の総務部長の昇格にとど まった」ことだ(『北海道新聞』2019 年 7 月 3 日,2 面)6)。とりわけ,知事選挙の直後に は,「『関係が近い菅義偉官房長官が中央官僚を送り込むかも』と臆測を呼ぶ」といった新 聞記事もでていたものの(『北海道新聞』2019 年 4 月 12 日,5 面),3 名の副知事のう ち,中央官僚は 1 名のみにとどめたことで,鈴木は首相官邸のいいなりでなく,みずか ら決断できるという姿をつくりだすことに成功した。とはいえ,「関係が近い菅義偉官房 長官を通じても,各省に人事での協力を働き掛けた」ことは事実であり(『北海道新聞』 2019 年 7 月 25 日,3 面),まさに演出の妙といい得よう。しかも,鈴木の巧妙なところ は,そこに,「副知事が全員入れ替わるのは道政史上初めてとなる」,斬新さというスパイ スをきかせたことだ(『北海道新聞』2019 年 5 月 9 日,6 面)。なお,外部から有能な人 材を送りこんでもらうという手法は,鈴木の得意技のようで,夕張市長時代も,「道と都 からひとりずつ副市長相当の人間を派遣してもらってはどうだろうか」として,「石原東 京都知事と高橋はるみ北海道知事に要請してみると,東京都は二〇〇人ほどの部下を率い ていた三九歳の若手管理職を,北海道は夕張の内情を理解している五二歳のベテラン職員 を,それぞれ二年間の予定で派遣してくれることになった」過去がある(鈴木 [2014], p. 119)。 6) なお,ここでいう「総務省から出向中の総務部長」とは,中野祐介のことである。ちなみに,この中野は, 「鉄路があって当然という時代は過去」と発言するなど(『北海道新聞』2019 年 6 月 1 日,4 面),JR 北 海道の路線存廃問題で,北海道民にとって厳しい判断をくだす可能性があることも付言しておこう。
Ⅲ 鈴木の政治哲学とは? 2015 年 4 月 26 日におこなわれるはずであった,夕張市長選挙では無投票当選をはた し,2 期目に入った鈴木であったが,自著のなかでは,「『夕張は素晴らしいところです』 と PR する市長が市外に住んでいたら説得力を欠きます」「夕張を再生させることと自身 の人生を同化すると言えば大袈裟かもしれませんが,この地に根を張り,人生を賭ける。 そういう思いを込めて家を建てました」「本当に夕張に住んでよかったと実感しています」 といった具合に,ことあるごとに,夕張市を愛する姿を強調してきた(鈴木 [2012], pp. 130-131, 134)。くわえて,鈴木はこのようにも述べている(鈴木 [2012], pp. 136-137)。 私が建てたこの家には私の夕張への思いとともに,私の夢と願いを込めました。夕 張が再生して,この地に暮らす人たちが幸せであるように。この願いは,夕張の地で 暮らす私たち家族の夢と願いでもあるのです。 もともと私は東京都の職員でしたが,この地に関わって暮らすことでこの地を良く したいという思いが人生の目標になりました。 「市長としての目標と個人としての人生の目標が一致しているんだね」 とある人に言われました。 私はその言葉をいただけたことをとても嬉しく思いました。 あふれんばかりの愛情を夕張市にそそぐ鈴木であったが,2019 年 2 月 1 日には,記者 会見をひらき,北海道知事選挙(2019 年 4 月 7 日)への立候補を正式表明した(『朝日新聞』 〔北海道版〕2019 年 2 月 2 日,28 面)。ここで,どうして,鈴木はこれほどまでに愛す る夕張の地をすてようとしたのかという疑問がわく。なぜなら,夕張市長としての鈴木の 仕事はまだ終わっていないからだ。鈴木自身が自負しているとおり,「私が市長に就任し た年の夕張メロンの売り上げは八年ぶりに増え,映画祭の入場者数は財政破綻以降最高 を記録しました」というように,鈴木が市長となって以降,夕張市に活気がとりもどさ れつつあったことは事実であろう(鈴木 [2012], p. 140)。だが,人口をみてみると,鈴 木が市長となった直後の 2011 年 5 月 1 日の人口は 1 万 807 人であったが(「広報ゆう ば り 」2011 年 6 月 号〔https://www.city.yubari.lg.jp/gyoseijoho/kohokocho/kohoshi/ kohoyubari2011.files/2011-06.pdf(2020 年 1 月 15 日)〕),失職した(2019 年 2 月 28 日) 直 後 の 2019 年 3 月 1 日 で は,8,111 人 と な っ て お り(「 広 報 ゆ う ば り 」2019 年 4 月 号〔https://www.city.yubari.lg.jp/gyoseijoho/kohokocho/kohoshi/soumuc20191201.
files/2019-04.pdf(2020 年 1 月 15 日 )〕),2,696 人 も の 人 口 減 少 を く い と め る こ と が できなかった。 さらに,夕張市長選挙直後の地元紙の解説記事で,「残り 16 年で 322 億円の赤字解消 を目指す財政再生計画の中で夕張をどう再生に導くか。全国最年少市長となった鈴木氏の 手腕が注目される」とされていた(『北海道新聞』2011 年 4 月 25 日,1 面),財政破綻 の問題も未解決のままである。夕張市のホームページには,「借金時計」という項目があり, 「夕張市の市債の状況を市民の皆さまにわかりやすくお知らせすることを目的とし,市債 残高の見込額を時計の形で示したもの」がある。それによると,「再生振替特例債償還終 了 年 月 は 2027 年 3 月 で す。 あ と 2632 日 で す 」(2020 年 1 月 15 日 時 点 ) と あ り, 夕 張市の借金はまだ完済されていない(https://www.city.yubari.lg.jp/syakintokei/index. html〔2020 年 1 月 15 日〕)。にもかかわらず,夕張を愛してやまない鈴木は市長職を途 中で投げだしたのだ。鈴木は,折りにふれ,財政破綻の問題についても言及していた(鈴 木 [2012], p. 121)。 財政再建計画というものは「財政」を立て直すための計画であって,そこに住んで いる人の生活や実情は計画には入っていませんでした。まさに机上の計算で作られた 計画でした。誰がそのような地域に住みたいと思うでしょうか。 一八年後,借金は返すことができても,そこに夕張に住む人たちの笑顔はあるのだ ろうかという思いがありました。 つづけて,鈴木は,「一七年間,二〇一三年より毎年平均約二六億円の返済というのは, 夕張の実態やその計画によってそこに住む人がどのような影響を受けるのか,その先に未 来はあるのかということが十分に考慮されていないのです」とし(鈴木 [2012], p. 123), この問題と闘うことを誓ってきた。だが,こうした力づよいことばとは裏腹に,借金の返 済が終わっていないにもかかわらず,鈴木は途中で職務放棄をしたわけである。鈴木は,「日 本で一番お金のないまちがどうやって再生をしていくのか,この過程こそがこれからの未 来のモデルケースになると私は信じています」とまで断じていたが,結局は,「これから の未来のモデルケース」を提示できないまま,夕張の地を離れた(鈴木 [2012], p. 169)。 夕張市長選挙での初当選時のことを回顧し,鈴木は「当選が決まった翌日,選挙管理委員 会から当選証書を受け取ったとき−それはファイルに入った,たった一枚の紙切れだった が−ずっしりと重く感じた。言うまでもなくその重さは,私が背負うことになった責任と, 再生の希望を私に託した夕張市民の期待の大きさを表していた。当選証書を手にして私は,
そのことをあらためて痛感したのだった」と語っていた(鈴木 [2014], pp. 9-10)。その 後の鈴木の行動をみると,鈴木にとっての責任とは,いったいどのようなものであったの かとの疑問があたまをもたげてくる。 しかしながら,北海道知事選挙に立候補し,当選をはたしたということは,北海道民は 鈴木の決断を認めたということにちがいない。夕張市長時代の鈴木はかつて,「市長とい う仕事は『ここまでやれば合格』というものではありません。合格かどうかは,四年に一 回の選挙で市民が判断します。当然のことですが自分で合格は出せないのです」「市長と いう仕事は,その壁を越えていくのか否か,壁の先を予想しながら決断していかなければ いけません。成功すればまちにとってプラスになりますが,失敗をすれば次の選挙でクビ になるかもしれません。そのような選択を毎日繰り返し,挑み続けていかなければならな い仕事なのです」との認識を披露していたが(鈴木 [2012], pp. 128-129),この考えは知 事選挙においてもおなじということであろう。そのため,鈴木は,知事選挙で当選をはた したことで,夕張市長としての自分の実績を北海道民が評価したというにちがいない7)。 さて,北海道知事となった鈴木には,JR 北海道の路線存廃,泊原子力発電所の再稼働 といった,前任の高橋はるみが放置した課題を解決する必要があった。そうした課題の一 つに,IR(統合型リゾート)があった。この問題については,2019 年 10 月 17 日付の『朝 日新聞』で,「現在,グループインタビューやアンケートを通し,多くの意見を聞いてい る最中です。国が 9 月に基本方針案を公表しましたが,国や,誘致に名乗りを上げた他 の自治体で最近様々な動きが出てきています。そういった状況も勘案し,挑戦するのかし ないのか,年内に判断したいと思います」と鈴木は語っていたが(『朝日新聞』〔北海道版〕 2019 年 10 月 17 日,30 面),夕張市役所への出向時代も,鈴木は前出の「夕張再生市 民アンケート」を実施しているし,市長に就任してからも,「私は,浄水場の更新と水道 料金の値上げに関して『住民説明会』を行うことにしました。そしてその場で水道料金の 値上げに関するアンケート調査も実施することにしました」といったふうに(鈴木 [2012], p. 142),住民の声に耳をかたむけることをつねとしてきたようだ8)。こうしたスタンスが 7) ただ,このときの選挙は,「2014 年 10 月に政治資金規正法違反事件で有罪判決が確定し,一時,政界 を離れた」(『読売新聞』〔北海道版〕2019 年 2 月 6 日,1 面),石川知裕との一騎打ちであった。石川が 有罪判決を受けたということもあり,相手候補のタマがよければ,鈴木はもっと苦戦していた可能性が あることを付言しておきたい。 8) また,夕張市長時代の鈴木は「市のこれからを思う会話のキャッチボールこそが,地方自治のスタート 地点で,知恵を出す源と考えます。二つの会(『市長と話そう会』および『ふれあいトーク』と題した 市政懇談会)を両輪に一緒に考え,悩み,前へ進みたいと思っています」(カッコ内,引用者補足)と語っ ており(鈴木 [2012], p. 184),知事となっても,北海道民と語る場をつぎつぎ設定することが予想される。
みちびきだされる背景には,「『市民の皆様の声を聞きます』『市民の声が第一です』とは よく政治家が選挙の際に口にする言葉です。政治家にとって民意に寄り添うことはとても 大切なことです」「これだけの負担を将来にわたってさらにお願いしなければならないのに, こちらで選択肢を一方的に決定して丁寧な説明もなしに値上げをしてしまったら,『また 市役所が勝手に……』ということになってしまいます。市民の多くが納得した上で負担を お願いするという形を目指さなければ行政と市民との信頼関係も構築できません。そして それは夕張市が残念ながらないがしろにしてきたことでもありました」との考えがあろう (鈴木 [2012], pp. 144, 161)。それゆえ,北海道民との信頼関係を壊さないためにも,JR 北海道の路線存廃問題や泊原子力発電所の再稼働問題でもおなじように,アンケート調査 をおこなう可能性もたかい。ただ,鈴木自身も言及しているように,「いまの時代,全員 が賛成ということはありえないかもしれない」。しかしながら,「少しでもそれに近づける ために努力を重ねることは行政の義務である」ことだけはまちがいない(鈴木 [2014], p. 147)。 くわえて,鈴木は,「反対が多数を占めてもなお,行政が決断しなければならない問題 もある。しかし,決定にいたるまでの過程において,なぜそうなったのかをきちんと説明 し,住民との意見交換を通じてその声を反映させる場を設けることは絶対に必要だ。そう したステップを踏むことで,住民たちも自分たちの問題として受け止め,どうすべきなの か,行政とともに考えようとするはずだ」と自著のなかで力説しているが(鈴木 [2014], pp. 147-148),IR の誘致断念をめぐるプロセスは,不透明な部分が多々あるように思わ れた9)。「無作為に抽出した道民へのアンケートでは約 7 割が誘致に『不安』,地域説明会 では逆に約 7 割が『期待』と答え,意見が分かれた」状態にあったが(『毎日新聞』2019 年 11 月 29 日,22 面),そのこと以上に,鈴木は,「道の誘致判断には道議会で過半数を 占める自民党・道民会議が誘致でまとまることを前提」としていた(『北海道新聞』2019 年 11 月 28 日,1 面)。選挙期間中,「道民目線」という四文字をさかんに強調してきた 鈴木であったが,最終的には,みずからがすすんで泥をかぶろうとはせず,自民党側に責 任をおしつけるようなかたちをとったわけだ。 しかも,2019 年 11 月 29 日の「道議会一般質問で,カジノを中心とする統合型リゾー ト施設(IR)の道内誘致について,2021 年 7 月までの国への認定申請を断念する方針を 鈴木の場合,こうした場をもうけることで,自身の政治活動に大いにプラスとしてきたといえよう。 9) 報道関係者によると,「知事は,(IR 事業をめぐる汚職事件で)秋元(司)議員が逮捕されることを事 前にキャッチしていたので,IR の誘致を断念した」(カッコ内,引用者補足)とのことだ(関係者への インタビュー〔2019 年 12 月 25 日〕)。
表明した」折り,その理由として,「候補地の苫小牧市植苗地区は付近で猛禽(もうきん) 類などの希少生物が確認されていることなどを踏まえ『限られた時間で,環境への適切 な配慮を行うことは不可能であると判断した』と述べた」(『北海道新聞』2019 年 11 月 28 日,1 面)。だが,候補地にこのような環境問題があったことは以前から自明であった はずだ。にもかかわらず,土壇場になって,こうしただれもが反論できないような理由を かかげ,誘致断念を表明したのであった。では,どうしてもっとはやくに,この決断がで きなかったのかという疑問が生じる。結局,鈴木は,北海道民が納得できる,説得力のあ る説明責任をはたしたとはいいがたい。夕張市長時代に,「無駄は許されない財政再生団 体だからこそ,十分に議論を尽くし,将来につながる施設が必要なのです」と明言してい たが(鈴木 [2012], p. 178),鈴木にとって IR は将来につながらない施設であったのかも しれない。だが,この点についても,明確な言及をさけている。また,鈴木の説明をさら にわかりにくくさせているのは,誘致の断念を表明しておきながら,「今後に向け『誘致 に挑戦したい。可能性を幅広く検討する』と述べた」ことであった(『北海道新聞』2019 年 11 月 30 日,1 面)。鈴木の八方美人的な対応は,北海道民の多くにクエスチョンマー クをもたらしたといえよう。地元紙は,「<社説>IR誘致断念*カジノに頼らぬ観光を」 で,「今後も,泊原発の再稼働問題などで決断を迫られる。トップとしての責任を回避せず, 主体的に判断を下す覚悟が求められる」との注文をつけていたが(『北海道新聞』2019 年 11 月 30 日,6 面),はたして,鈴木はこうした行動をとることができるのであろうか。 つぎに,議事機関との関係についてみてみよう。北海道議会=学芸会とまで揶揄される ようになった最大の原因が,「1983 年の横路孝弘道政 1 期目から始まったとされる」,答 弁調整である(『北海道新聞』2019 年 3 月 27 日,2 面)10)。「道議会の質疑応答を一字一 句すり合わせる答弁調整」について,鈴木は,北海道新聞社との「インタビューで『道民 に違和感があるなら,議会と話をして改める必要がある』と言及した」ことがある(『北 海道新聞』2019 年 4 月 12 日,5 面)。また,記者会見の席でも,「道議会との質疑応答 を事前に一字一句すり合わせる答弁調整を見直す意向を表明した」(『北海道新聞』2019 年 6 月 15 日,2 面)。こうした鈴木の発言にくわえて,夕張市長時代にも,「所信表明で は『前例主義からの脱却』を宣言しました。これからも,議会や市民と手を携え,先頭にたっ て,新たな発想で市政に取り組みます」「現状に甘んじていては,創造や前進はありません。 だからこそ,『慣れ』で市政運営が惰性にならないよう,自分を律することを心がけています。 二年目も,それ以降も,この姿勢を持ち続け,一歩ずつ前に進んでいかねばなりません」 10) 北海道議会における答弁調整については,浅野一弘『現代日本政治の現状と課題』(同文舘出版,2007 年),113-118 頁を参照されたい。
との決意を語っていたことから(鈴木 [2012], pp. 178-179, 198-199),北海道議会の悪 弊である答弁調整という前例主義から脱却するのではないかとの期待がたかまっていた。 だが,「第 3 回定例道議会(2019 年 9 月 10 日∼ 10 月 4 日)は,道幹部と道議の質疑応 答を事前にすり合わせる答弁調整が従来通り続いた。道と道議会は,6 月の第 2 回定例道 議会で議論の活性化や透明化を目的に答弁調整を見直したが徹底されず,今定例会でも改 善しなかった。鈴木直道知事が自らの言葉で語る場面もあったが,用意された答弁書を読 み上げる姿が目立った」(カッコ内,引用者補足)といった具合に(『北海道新聞』2019 年 10 月 6 日,2 面),鈴木は答弁調整を廃止するどころか,前例を踏襲しただけでしかな かった11)。鈴木は,かつて,「たしかに私には経験がない。しかし,経験はときに足枷にな ることがある。経験がないからこそ,前例にとらわれることなく柔軟な発想で実行できる こともある。そもそもいまの時代,予測不可能なことばかりではないか。そこで大切なの は,目の前の問題にどこまで本気でつきあえるか,そして決断を下すことができるかだろ う。下した決断に責任を持てるのであれば,それ以上のことは何もいらないと思った」「『無 理だ』と言われると,逆に『絶対やってやる』と燃えるのが私という人間」と力説してい たが,こうしたみずからのことばを思いおこすべきではなかろうか(鈴木 [2014], pp. 78, 100)。しかも,鈴木が知事となってからは,定例の記者会見でも,「これまでよりも厳しく, 事前に質問を提出させられるようになった」ようである(関係者へのインタビュー〔2019 年 8 月 30 日〕)。 このように,発言と行動のズレがめだつ鈴木であるが,いったい,どのような政治哲学 を有しているのであろうか。鈴木は自著のなかで,以下のように記している(鈴木 [2012], pp. 145-146)12)。 たとえば必要な政策だが,反対されるだろうからあえて丁寧な説明はしないという 決断をしたとします。しかしその政策が実施され,それが国民生活に影響を与えはじ めれば遅かれ早かれその決断に対して,国民の政治不信は高まり,十分な説明が無かっ たということで納得がいかないという声が当然ですが上がってくることになります。 決断するにあたって,なぜそれが必要なのか私たちは逃げずに説明しなければなりま 11) 鈴木の前任の高橋も,「2003 年の初出馬で答弁調整廃止を掲げた。当選後は意見交換方式に改め,当 初は質問,答弁とも箇条書きしたものを交換していたが,次第に答弁調整が復活。11 年に今度は道議 会会派が答弁調整をしないと宣言し,意見交換にとどめる方針を示した。しかし,それでも議員も道幹 部も徐々に再び答弁調整をするようになった」経緯がある(『北海道新聞』2019 年 3 月 27 日,2 面)。 12) なお,本文中の「水摘」という記述については,誤字である可能性がたかいが,もしかすると,深い意 味があるかもしれないとの判断から,そのまま引用している。
せん。そしてできないことはなぜできないのかを丁寧に説明していく。この繰り返し こそが国民との信頼関係を回復するのです。それは硬い石に水摘が何度も落ち,いつ しか穴を開けるように気の遠くなるような時間がかかる世界かもしれませんが,未来 の日本を担っていく政治の役割だと思います。もちろん今の時代一〇〇人の人間がい て全員が賛成するということはありえないことです。しかし,少しでもそれに近づけ ていく努力を放棄してはならないのです。 べつの著書では,つぎのようにも語っている(鈴木 [2014], p. 195)。 おたがいが現在思っていること,「こうしたほうがいい」と考えていることなどを 忌憚なく出し合い,まちの将来について意見を闘わせながら,主張すべきことは主張 し,譲るべきところは譲り,落としどころを見つけていく。それが民主主義というも のだろうし,まちの在り方を決めていくうえでいちばん大事なことだと私は思う。そ うすることで信頼関係も強まっていく。 これらは,政治学の教科書に掲載すべきような名言である。ただ,前出の IR をめぐる 決断においてもわかるように,知事となった鈴木が,このことばどおりに行動していると はいいがたい。さらに,鈴木はこのようにも述べている(鈴木 [2014], p. 228)。 どんなにすぐれた政治家といえども,目はふたつしかない。そこに複眼的な視点を 取り込みながら,瞬時に適切な判断をしていく関係性と態勢を構築すること。それが, 政治家が備えるべき新しいリーダーシップのかたちなのではないかと思うのだ。 この記述をみて,空虚に思えてしまうのはなぜであろうか。それは,鈴木がこうしたこ とばどおりに,道政運営にあたっていないからである。「政治家は大きな方向性を示すと ともに,その将来に向かってどの選択肢が最良であるのかを判断した上で,決断していく という大きな役割があります。また,役人とは違った視点,市民感覚により近い立場から 新たな『D』という選択肢を創造することも役割の一つです」(鈴木 [2012], p. 148)と する鈴木のことばには同意するが,そのプロセスを軽視していたのでは,ただの政治屋4で しかない。鈴木はいま一度,みずからの発言の意味を問いなおすべきではなかろうか。か つて,鈴木は,「一万人いれば,一万人分のヒントがそこには眠っています。私たち政治 家は,そのヒントを掘り起こし,頭で考えるだけではなく『実際に見て,聞いて,行動する』。
夕張は小規模な市町村だからこそよりきめ細かく動ける強さがあり,このことを私は大切 にしたいと考えています」と語っていたが(鈴木 [2012], pp. 37-38),鈴木のめざす自治 とは,夕張市のような小さなまちでは可能であっても,北海道のような大きなまちでは実 現できないということなのであろうか。鈴木は,「生徒会長をしていた自分の高校時代は, アルバイトに明け暮れていました。その経験から芽生えたのが『自分の道は自分で切り開 く』です」と断言しているが(鈴木 [2012], p. 210),今後,鈴木がどのような政治姿勢 を示すのかに注目があつまる。その意味でも,「行動を起こせば,一の成果しか生まれな い可能性はあるが,もしかしたら一〇〇になるかもしれない。最初は渋々であっても,協 力した結果,商品が売れたり,イベントが成功したりという目に見える結果が出れば,次 は,『この部分は自分がやるよ』『じゃあ,うちはこれを担当するよ』と支援が集まってく るものだ。でも,何の行動も起こさなければ,成果はゼロなのである」との発言もいま一 度思いおこすべきであろう(鈴木 [2014], p. 57)。 Ⅳ 結び-鈴木のもつ危険性?- 鈴木道政の評価についての世論調査は,これまでに 2 度,北海道新聞社によって実施 されている。2019 年 10 月 20 日付の『北海道新聞』に掲載された調査結果(10 月 11・ 12 日実施)によると,「鈴木知事の道政運営への評価について」は,「大変良い」:15%,「ま あ良い」:35%,「あまり良くない」:6%,「まったく良くない」:4%,「どちらとも言え ない」:38%であった。ということは,知事の支持派は 50%,不支持派は 10%という読 みかえもできよう。このように,鈴木はたかい支持率にささえられているものの,回答者 の 38%が「どちらとも言えない」としているのが目をひく。要するに,鈴木の“ほんと うの顔”がみえていないということであろう。それゆえ,この支持率のたかさは,イメー ジによるものといえる。その証左に,支持の理由として,「人柄・イメージが良い」をあ げたのは 34%で,以下,「38 歳という若さ」:28%,「前夕張市長の経験を生かしている」: 22%,「官邸などとの太いパイプ」:8%,「政策の実現力」:6%といった順につづく。他 方の不支持の理由としては,「中央・東京の言いなり」:42%,「行政手腕が足りない」: 30%,「知事としては若すぎる」:12%,「実現した政策が少ない」:7%となっている(『北 海道新聞』2019 年 10 月 20 日,1 面)。 ちなみに,7 月 22・23 日におこなわれた世論調査では,「就任 3 カ月を迎えた鈴木直 道知事の道政運営への評価」に関して,「大変良い」:5%,「まあ良い」:28%,「あまり 良くない」:6%,「まったく良くない」:3%,「どちらともいえない」:57%となっていた。
ここからは,鈴木の支持派が 33%で,不支持派が 9%であったといえる。このときから くらべると,支持率もアップしていることにくわえて,「どちらともいえない」とする回 答が 19 ポイントも減少しており,鈴木の顔がみえているといえなくはない。ただ,ここ で注目したいのは,支持の理由についてである。「前夕張市長として行政経験がある」: 30%,「政策が良い」:18%,「官邸など国とのパイプがある」:17%,「指導力がある」: 13%,「38 歳という若さ」:12%,「イメージが良い」:8%となっていた(『北海道新聞』 2019 年 7 月 27 日,1 面)13)。 この結果を 10 月の調査とつきあわせると,本来,「前夕張市長の経験を生かしている」 という回答がふえていなければならないはずであるのに,3 カ月ほどのあいだに,8 ポイ ント減少してしまっているのだ。しかも,10 月の調査で「政策の実現力」をあげている者も, わずか 6%にとどまっている。ところが,「38 歳という若さ」は 16 ポイント,「人柄・イメー ジが良い」にいたっては,26 ポイントも増加している。新千歳空港の発着枠拡大などでは, 菅の政治力を活用していたにもかかわらず,「官邸などとの太いパイプ」が 9 ポイント減 少しているのは,前出の副知事人事などでのたちまわりの巧妙さ=イメージ戦略の成功を 反映したものであろう。このように,鈴木支持者の大半は,若さと鈴木の描きだすイメー ジにおどらされているような印象を受ける。くわえて,「行政手腕が足りない」と「実現 した政策が少ない」ことを理由に不支持とした 37%の回答者(10 月調査)も,鈴木の知 事としてのリーダーシップに疑問をいだいているという事実は重く受けとめるべきであろ う。このようなイメージ先行型知事でしかない鈴木が,今後,ほんとうの意味の「道民目 線」で,行政手腕を発揮できるかどうかが,問われている。 とはいえ,こうした「ふわりとした支持」が(『北海道新聞』2019 年 10 月 23 日,6 面),選挙において大いにプラスにはたらくことはまちがいない。このことは,前任の高 橋についてもいえる14)。だが,選挙では異常なほどのつよさをみせた高橋であるが,是非 のわかれる課題については,なんら判断をくださないまま,知事職をさったといえなくは ない。そのため,鈴木には,泊原子力発電所の再稼働問題や JR 北海道の路線存廃問題で の決断がせまられることとなる。 前者について,地元紙のインタビューで,「北電 OB がトップを務める道経連から推薦 が出ています。原発再稼働の判断に影響するのでは」と問われた鈴木は,「熟慮の上で判 断します。推薦いただいた方がどうだから判断に影響する,ということではありません」 13) なお,不支持の理由としては,「官邸の言いなりになる」:30%,「指導力がない」:14%,「38 歳と若 すぎる」:13%,「政策が良くない」:11%となっていた(『北海道新聞』2019 年 7 月 27 日,1 面)。 14) 高橋の選挙のつよさについては,たとえば,浅野 [2013], pp. 173-199 を参照のこと。