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はじめに(pdf)

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Academic year: 2021

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はじめに

この本をどこからどう書き始めたらよいかという問題をずっと考えていた。 私がこれを書こうと決めた最大の動機は,アンドリュー・ハクスリー卿への 私の尊敬の念と賞賛の思いである。とすれば,研究者であったホジキンと学生 であったハクスリーが実験のため,ケンブリッジを発ってプリマスの海洋生物 学実験所に着いた 1939 年の夏の話から始めるというのが,ひとつの可能性で あった。しかし,そこから始めてしまうと,彼らの実験や実験に基づいた理論 的洞察というものを,歴史的文脈のなかに正しく位置づけることを怠ることに なりかねない。一方で,これまで先人の研究者の関心を引いてきたような神経 インパルスというものは,“動物電気”(ガルヴァーニの言葉)という意味に限 られるものではないから,動物電気の話から始めるというのもためらわれた。 ほかにも考慮すべきことがあった。まず,神経インパルスの本質の理解がこ の本のテーマではあるが,インパルスがその終着点である神経線維終末に到着 したとき,いったい何が起こるのかという問題。また,神経系の研究でノーベ ル賞を受賞した他の研究者たちの仕事もできうる限り紹介するべきなのではな いかという点。そして最後に,生理学会に対し恩返しをしたいという気持。私 は,過去 30 年以上にわたって,生理学会会員として様々な恩恵をこうむって きた。学会の年次大会のおかげで,生理学の分野で名高い何人もの研究者に出 会う機会をもてたし,彼らの講演を聞くことができたし,さらに彼らによる実 験供覧へもしばしば参加することができた。さらに同学会は,由緒あるカレッ ジを含め,様々な大学を訪問する機会を与えてくれ,学会の伝統にのっとって 新旧の友人らと一緒に夕食を愉しむこともできた。こうした個人的事情もあ り,学会の創設とイギリス生理学の黎明期の物語もこの本に含めることにし た。 書き始めたものの,私はほかの誰か,たとえば専門の科学史家,あるいはお そらくはホジキンやハクスリーが直面した問題と関わった第一級の経験をもつ

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生理学者の方が,自分よりよいものを書けるのではないかと考えずにはおられ なかった。2002 年は,この種の本を出すにはうってつけの年であった。とい うのも,その年は,イカの巨大神経軸索で神経インパルスに関するもっとも重 要なホジキン―ハクスリーの論文が出版されて 50 年目に当たっていたからであ る。ところがその年は,アンドリュー・ハクスリー自身によるインパルスの数 学的取り扱いに関する解説1を含め,ごく少数の雑誌記事が出ただけだった。 しかしながら,これに類する出版物はすでに 2 つ出されていた。ひとつは, 2002 年からさかのぼること数年,フェラーラ大学のマルコ・ピッコリーノに よる“動物電気”と神経インパルスに関したすぐれた歴史的総説2である。そ れから,2000 年,スタンレー・フィンガーによる神経科学における先駆的研 究の歴史を扱った本があらわれた。タイトルは,“脳の背後にある心:パイオ ニアとその発見の歴史(Minds Behind the Brain: A History of the Pioneers

and their Discoveries)3”で,プロの歴史家の手になるすぐれたものである。

この本は,ある程度神経インパルスの研究,たとえばガルヴァーニやヴォルタ の研究や,ずっと後のエイドリアン,エアランガー,ガッサーについても触れ ている。しかしながら,フィンガーのこの本は広範囲の問題を扱っており,ど ちらかというと大脳皮質の異なる領域の機能局在に力点が置かれていた。私自 身の最初の原稿は,フィンガーの本の存在を知る以前に完成していたが,彼の 本が最終原稿に影響を与えていないというと嘘になる。本書の注釈を見ればそ れは明らかである。たとえば,私は,インパルスを可視化するためにセントル イスのグループによって使われた手製の陰極線管のひとつが今でもワシントン 大学の資料室に保管されていることを知らなかった。フィンガーの本と私の本 は,お互いに相補い合うものと見てほしい。たとえ,博識さにおいて軍配は前 者に上がるとしても。 躊躇しながらも,私は自分の新しい仕事に関して下準備がまったくなかった わけではない。見習いと師匠ほどの違いはあるが,私はアンドリュー・ハクス リーを直接知っていたし,私自身学生時代,ロレンテ・デ・ノがその 8 年前に 報告したもの4と同じ技術を使い,末梢神経に関する単純な実験もやってい た。その後,筋の硬直や麻痺を引き起こす遺伝的疾患をもった患者の筋線維か ら微小電極で記録をとった。さらに,神経生理学における他のテーマでも研究 がある―筋肉疲労,脊髄反射,そしてヒトの生涯にわたる脊髄運動神経細胞 の数を推定する方法など。それらは大きな水のほとばしりではなく,小さなさ ざなみを引き起こす程度の仕事であったが,とても楽しいものであった。それ

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ix はじめに から学会参加がある。ベルナルド・カッツやジョン・エクルズなど多くのすぐ れた神経生理学者はいうに及ばず,現役時代のアラン・ホジキンやアンド リュー・ハクスリーと会うことができたのも生理学会の年次大会においてで あった。強いていえば,実験室での仕事と学会への参加という両方の経験のお かげで,私は一冊の本を著すこととなった。最初の,よろめきながらの出発か ら半世紀たった今でさえ,私はオシロスコープのスクリーン上で神経インパル スを見ながら週の何日かを過ごしており,かつてのように,それを今も魅力的 な仕事だと感じている。 本が形をなし始めるにつれ,私は多くの先入観を排除しなければならなかっ た。ジョージ・ビショップが 1944 年ノーベル賞を分かち合えなかった理由, またケネス・コールの不機嫌の原因などについての発見もあった。しかし,た とえ性格的欠点があったとしても,たいていは賞賛すべきことの方がずっと多 い。私は長年抱いていた偏見を捨て去るまでになった。事実,私がこの本に書 いた人物は,すべて,非常にわずかな資源を上手く使い,多くのことを達成し た驚くべき人たちであった。シェリントンの時代オックスフォードでは,実験 装置はおそまつで少なく,研究費もほとんどなく,また論文を準備するのに秘 書の助けもなかった,とエクルズは回想している5。人は,神経系を調べるた めの新しい機器や新しい技術を使いたいという強い期待のため,古い観察,さ らにはそれらの観察から得られる演繹を看過する危険性のあるということにも 気づかされた―昔の観察も演繹も,今でも有効であるというのに。今日,意 識を研究するうえで,誰がヘルムホルツの“知覚の真実(The Facts of Per-ception)”を読むであろうか。しかし,1878 年,ベルリン大学での講演をもと にしたこのすばらしい論文6は,ヒトの脳における意識の起源について多くの ものを内包しており,以後に現れた多くの考察を凌いでいる。 また別な発見もあった。それは,私の大学の初代外科室長,現在 90 歳代の 名誉教授が,かつてジョセフ・エアランガーから生理学を教わり,さらには ジョージ・ビショップの実験を手伝ったことがある7という事実を知ったこと である。ほかにもまったく予期しなかった発見があった。シェリントンが所持 していたすべての正服と褒賞は,誰もがそこにあると思うオックスフォード大 学にはなくて,カナダのブリティッシュ・コロンビア大学のウッドウォード図 書館にあったのである。私がシェリントンのペンとインクで書かれた実験ノー トの 1 冊を手にとり,目を通すことができたのは,まさにそこであった。ま た,オックスフォード大学のウェインフリート冠教授,コリン・ブレイクモア

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博士(当時)の厚意で,シェリントンのいた古い部屋で夏の 1ヵ月間仕事を し,両側からアクセスできる彼の巨大な机に座ることができたことで,私の シェリントンとの一体感はいやが上にも高まった。同じ年,イギリスに妹を訪 ねたとき,私はシェリントンが退職後に住んでいたイプスウィッチの慎ましい 家を訪問する機会を得た。シェリントンが裏庭でエイドリアンやフォーブスと 写真をとったあの家だ8。もうひとつ,うれしい驚きもあった。手間のかかる 文献検索作業の間,私を励ましてくれたその発見とは,マクマスター大学の医 学図書館にあった雑誌のいくつかが,かの有名なイェール大学の神経生理学者 であり医学史家であり,シェリントンの友人かつ研究上の同僚であったジョ ン・フルトンが所有していたという事実であった。 本書は,科学論文に留まらず,自伝的エッセイ,さらには著名人の死亡報告 記事など,多くの出版資料にも助けられている。とくに役立ったのは,‘王立 協会会員の伝記的回顧録(Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Soci-ety)’と ‘ノーベル賞受賞講演(Nobel Lectures)’(ともにインターネットで閲 覧可能)であった。私は,電子媒体にはいく分とっつきが悪かったが, Google を開発した若い人たちには感謝したい。また,驚くべき検索エンジン によって自宅でも気楽に呼び出せる絶え間ない情報の増大には驚かざるをえな い。 しかしながら,将来の歴史研究家にとって,あまり好ましくない状況が生ま れつつあることを 2 点指摘しておきたい。最初のものは,版権のある資料の複 製という問題である。以前は,このような許可は無料で,しかも多くの場合快 く与えられた。不幸なことに,事態は商業的になってしまった。ある出版社は 寛大であるが,他は使用料の請求をいとわない―ある場合には,1 枚の写真 につき数百ドルも! 第 2 の懸念は,資料図書館の管理者がたえまなく製本さ れた雑誌の棚をコンピュータ端末に置き換えていくことである。これは,私と 同じような年齢と経歴をもった人たちを狼狽させる。実際,コンピュータのプ リンターから出てくる“ハードコピー”を見たときと,ほとんど 1 世紀も前 に,それも他の大陸において印刷された本のページをめくるときの喜びとを, いかに比べられようか。いったい今までにその本をどんな人物が手にとって読 んだことだろう。こんなことを考えたのも,私がキース・ルーカスの 1917 年 の著書“神経インパルスの伝導(The Conduction of the Nervous Impulse)” のなかに,第 2 次世界大戦前ウイーンで発行された一続きの列車切符,それと 英語で鉛筆書きした書き込みを発見したからである。おそらく,かつては意欲

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xi はじめに のある神経生理学者の所有物であったのであろうが,その本が 80 年後,どの ような経緯でアメリカの古本屋に並べられるようになったのだろう。 仕事が進むにつれ,神経インパルスの研究では,ずっと以前の出来事が後に なって同じ場所での研究によって釣り合いがとられるというような,ある種の 均整というものがあることがわかってきた。たとえば,ケンブリッジ大学で生 理学教室を最初につくるようにはたらきかけたのは,T・H・ハクスリーであ り,1939~45 年の戦争前後,アラン・ホジキンとともに同大学で研究し,重 要な発見をしたのはハクスリーの孫のアンドリューであった。それから,ロッ クフェラー研究所(現在のロックフェラー大学)は,1940 年代の記念碑的だ が不成功に終わったロレンテ・デ・ノの末梢神経の研究の場であるとともに, その 50 年後,興奮性膜に関するロデリック・マッキノンのすばらしい勝利の 場でもある。失敗は報いられたのである。 それからまた,生理学における 2 つの異なる学派の寄与を比べてみることは 興味深い―アメリカのグループには発明心に富み,活気に溢れる若者がい る。多くは,科学に関して自学自習である。他方,イギリスのグループは世代 から世代へと受けつがれる優秀な学術的名士からなっていた。活力と資源のあ る新大陸とは勝負にならないはずである。だが実際には,ながらく優勢を保っ ていたのはイギリスの生理学者たちであった。 私は,検索した歴史的事項を書くうえでの問題点について,すでに指摘し た。だが,もうひとつの問題があった。厳密に年代順に出来事の説明を並べて いくべきか,それともある期間は個別的科学者の仕事を書くべきか,それと も,何らかのトピックスについて最初から現在までの流れを扱うべきか,とい う問題である。結局,私はその時代のエピソードを少しずつ拾いながら,年代 順に話を進める道を選んだ。ただし,このやり方は当然,著者にとっても読者 にとっても,ある種のチャレンジである。たとえば,1700 年代後半のガル ヴァーニの研究と 1 世紀後のベルンシュタインの研究の間について書くこと は,おきまりのスタイルを採用しないことには困難である。一方,それに続く 出来事は,部分的には個人による回想や記録を含む,はるかに多く残された資 料があり,より柔軟な方法が採用できた。 この本には,現在形で書かれたいくつかの挿話が盛り込まれている。これら のエピソードは,事実を多少フィクションで飾ってある。これを書いた私の意 図は,本文で説明された半世紀も前の出来事を単にそのまま放っておくのでは なく,実際の出来事として新しい命を吹き込むことにある。ともかく,関わっ

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た人物や出来事が私にはあまりに生き生きとしていて,それらを描くには,そ うするより外に方法がなかったからだと告白したい。私は当然それによる批判 は受け入れるつもりだ。多分,より咎めを受けることが少ないのは,政治的, 社会的,経済的な時代背景を書いた部分であろう。例外はあったが,研究は状 況が好ましい場合にのみ続けられるということだ。もし 1914~18 年と 1939~ 45 年の 2 つの戦争がなかったら,そして,その間にある不況がなかったら, 神経インパルスの本質に関する研究の進歩は,より速やかなものだったであろ う。また,ヒトラーの脅威に曝されたドイツとその近隣国からユダヤ人の出国 がなかったとしたら,ヨーロッパ大陸からの貢献はもっと大きくなっていただ ろう。 もうひとつ。歴史の研究では,科学的記述をどれだけ含めるべきかという問 題がある。私が,もしもバランスの調整に成功していないとして,不当には しょっていると感じる人には,もとの資料を当たってほしいというしかない。 一方,あまりにも微に入りすぎると感じる人には,気に入らないページを読み 飛ばしてほしいとお願いするだけである。また,本書のサブタイトルに関係す る問題もある(訳注:翻訳本ではサブタイトルをタイトルとした)。神経イン パルスの本質ならびに神経終末での化学伝達の本質は,神経系が機能する全物 語のほんの一部にしかすぎないのである―それでも非常に重要な部分である ことは確かであるが。しかし,この限られた物語においてさえ,そこに含めら れるべきだが,除外せざるをえなかった多くの著名な研究者がいる。ただ,そ れらに深く首を突っ込んでいたとしたら,物語の本道がぼやけてしまったこと であろうし,神経生理学の名士録(Who’s Who of Neurophysiology)のような 本になってしまったであろう。業績について書けなかった研究者や同僚また家 族の方々に対しては,私はただお詫びするしかない。そして最後に,このよう な盛りだくさんな内容の本には,なんらかの誤りがあって当然である―その 場合,決して意図的なものではなく,それを発見してくださった方々によって 訂正されるべきものである。 人生は,ああ,なんと妥協に満ちていることか。

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