立正佼成会教団史資料紹介
事
誌
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| |昭和 二十一年四月二十日から二十一年七月二十三日まで || 務 日 解 題 事務 日誌 索 引 大 中本 宏 至 163解 題 この 『 事務日誌 」 (原題は単に「日誌」となっているが、後に記すように表紙に「事務」と書かれているところか ら教団史編纂室では 「 事務日誌 』 と呼んだものである 。 以下 『 日誌 』 という)は、立正佼成会(昭和十三年三月創 立、庭野日敬 師・長沼妙 佼師によって創設された法華系の在家仏教教団)が『立正佼成会史』(全七巻、教団史編纂 委員会編、佼成 出版社刊、 一九八三年 j 八 五年)を編纂する際に収集 した 資料のひとつである 。 第二次大戦後間も ない昭和二十一年四月二十日から記録が始まり七月二十三日で終わっているが、同会の著しい会員の増加を見る直 前の動きが瞥見できること、この後の「日報」「日誌」類の晴矢とな っ たと思われるので紹介することにした 。 昭和二十一年の四月から七月といえば前年八月十五日の終戦の日を迎えてから、僅か八か月を経過したばかりで、 日本全国の主要都市は焦土と化した催、国民は住宅難、食糧難に哨ぎ、連合国最高司令官総司令部 (GHQ) によ る占領政策が強力に推進され始めた時期である 。 この年一月には天皇神格 化 否定の詔 蓄 が出され ( 天皇の人間宣 言) 、 共産党主導による労働争 議 が頻発し、五月 中 旬の飯米獲得人民大会 ( 食料メ ー デ ー )では労働者を中 心 として 二 十 五万人が集結 して代 表が官邸に座り込みを行ない、さらに極東国際軍事裁 判 が聞かれるなど 旧秩 序の解体と国民生 活の逼迫が進んだ時期である 。 立正佼成会は創立後、昭和十八年三月に指導者であった庭野開祖 ・ 長沼 脇祖 (立正佼成会では昭和五十三年よ り 庭野日敬師 ・ 長泊妙佼師をそれぞれ庭野開祖・長沼脇祖と尊称を付して 呼 んでいる 。 以下本稿でも庭野開祖・長沼 の二人が杉並 警 察署に 拘引 され(「第一の階段」と呼ばれる事件 ) 、かなりの退会者を出 し た後(大野 脇祖と記す) 光正「立正佼成会創立初期の信仰指導の特徴 l 信仰体験事例等を通して」 『 中央 学術研究所紀要第二十一号 』 一九九
一五六頁)、米軍による空襲、疎開による信者の離散、そして終戦を迎えている 。 庭野開祖・長沼脇祖はその 後残った僅かな幹部と共に布教活動を続けたが二十年十二月末の会員数は千二百七十七名(世帯)を数えるのみで あった 。 しかし、幸いにして数次に渡る激しい東京空襲の被害を免れた本部道場(東京都杉並区和国一丁目 )を 拠 点として布教活動は続けられ、新たな展開がみられた 。 二十年十一月十五日、長沼脇祖の降神指導による本尊(久 遠実成釈迦牟尼仏)が勧請され 、 さらに二十一年三月十五日、幹事長・支部長・幹事等の教団役員の交替が図られ 新たな体制を整えた 。 同年四月二十五日初めての地方支部である茨城支部 (茨城県大津 町 )が設 けられた 。 二十一 年 年十二月末会員数は三千二百四十二名(世帯)入会率は二百六パ ー セントと爆発的な会員の増加を見た 。 (前出「立 正佼成会史」第二巻四 頁表 1 「会員数の推移」 )『日誌』 はこのように初の地方拠点の設 置、会員数の大 幅な増加等、 小規模教団から、より大規模な教団成立へ第一歩を踏み出した時期に記入が始ま っている。 『 日誌 』 は罫線のない白紙の A5 判必枚の冊子体である 。 表紙は、裏とも厚紙であるが、模様、印刷された文字 など一切ない 。表 紙には墨 筆 で右上から縦に「昭和二十一年四月昔日」中央上段に大きめの字で「日誌」と記し、 左下に「事務」とだけある 。 本文の紙質はざら紙、 一ページを横線で上下二段に分け、二日分記入 し ている 。 イン ク字が渉むためか裏ぺ i ジは二か所のペ ー ジを除いて使われていない 。 四月二十日から五月十 一 日まで、六月二十 五日から七月二十三日まで、各ぺ l ジには年月日を意 味する 算用数字が ゴム印で横 書きに記されてある。五月 十 二 「事務日誌」 日から六月二十三日まで日付は手書きである 。 記入者は中山貢司郎・岡部修規の二人 。 中山は幹 事長 、阿部は会計の要職にあ った。この『日誌』を検閲も しく は閲覧した者の形跡は確認できないが、文末に記入者の捺印があること、記入者が複数であること等から、個人の メモ・備忘録 ・ 心覚えの類ではなく立正佼成会の正式記録といえよう 。 本文はペン書きの縦書き、ごく一部青鉛筆 165
での記入があり、 片仮名を主とし平仮名をまじえて記述されている 。 翻刻者は原文に沿 って忠実 に解読するように 166 努めたが、 明らかな誤字・脱字については補正した 。漢字は新字体を 使用し、 かなづかいについては、原文のまま 使用した。 〕の部分は翻刻者が加筆したもの 】は説明文で、 「中 山 印」「岡部 印」とあるのは 署名 と印鑑の押捺 がある場合、「中 山 」は署名のみ、「 n 印」は中 山 の印影のみ、「 o 印」は岡部の印影のみを意味する。 この翻刻するにあたって、記入者の中山氏は故人であるが、もうひとりの阿部氏からは出版のご了解と当時の状 況について詳細なご教示をいただいた。 内容についてはその日の行 事、儀式、庭 野開祖・長沼脇祖両師の動向、 事 件、など教団にと って 比較的 重要な 出 来事を中心に記入者の感想をまじえて記述されている。会員数は当時千三百名(世帯)弱で、昭和二十年末の会員 数と殆ど変 化 のないこと、庭野開祖と長沼脇祖の二人は出来る限り幹部の自宅を訪問していること。幹部・準幹部 の区別が始まったこと、「法座」(法の語り合いがなされる場) という単語は現在使用している意味には定着してい なかったと思われること等など、大変興味深い内容が記録されている。 最後になったが立正佼成会の日誌類の資料紹介としては、昭和五十五年に森岡清美・白水寛子両氏が『中央学術 研究所紀要第九号 』 に「日報綴(抄)」 l 昭和二十三年八月一日から二十四年七月三十一日までーとして抄録し、解 題もついているので参考にされたい。
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、参 , 'ミ( 1 ) 導月間 「導き」を重点的に推進する月 。 「導き」とは入会を勧誘すること 。 佼成会で は己の信仰を高揚するための行としている 。 (2) 本部 本部付きの意。庭野開祖、長沼脇祖の親類、 縁者の会員で椛成 。 (3) 当時、数字名の支部は第 ー から第 8 ま で八つあり、支部長は左記の通り。 役員名簿昭和幻年 3 月日日 付 より 。 第一支部長空席 幻年 5 月日日より 第二支部長森岡恭司 第三支部長長沼伸吉 第四支部長有路公重 第五支部長鋲野和代 m 年 5 月日日より 第六支部長寺尾晶子 第七支部長 岡部 倭子 第八支部長 保谷好 信 田 中 lilf 之 岩船かよ 目・ 4-m 168 本日四月分入会者締切日。
。臨月間ノ
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月日日ヨリノ各支部入会者次ノ如
シ。 0名 ハ U 円 L 円 LnL4406nL 1 1 ム司 1 ム 1 本部 2 第1 第 2 第 3 第 4 第 5 第 6 第 7 第 8 3。四月分 (3 月目日ヨ リ 4 月初日マデ ) ノ入会者及総数。 新入会 退会 総数 会費 本部 l 。 38 21 第l 18 。 65 第 2 39 6 270 270 第 3 2 。 52 。 第 4 14 9 82 82 第 5 25 6 141 141 第6 37 25 229 229 第 7 24 1 304 304 第 8 17 。 108 37 計ー 177 47 1289 【右表の罫線は見易くするため入れた 。署 名、印共にないが阿部氏の筆 跡である】 「事務日誌」 169
(4) 本部御命日 毎月五日(虚空蔵大菩薩御命日)、十五日 ( 釈 迦牟尼仏御命日)、 二 十八日 ( 八幡大菩薩御命 日 )の三 日をい 、 7 。 「本部三大御命日」ともいう。 ( 5) 幹部会 庭野開祖、長沼脇祖と総務一名、幹事長一名 会計一名、幹部八名、支部長 ・ 副支部長各八 名、合計二十九名で構成 。 会の運営面につい ての会議をもった 。 (6) 御講義 朝礼後に会員を対象に庭野関祖は釈尊一代記 等を中 心に講 義をした 。 れ -4-m 過去帳残部僅少ニナリタルタメ 各支部二分配ス 。 本部 3ilU・ 第 1
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lU -第 2 15fIU・ 第 3 3 冊 第 4 5 冊 第 5 9冊 第 6 14冊 第 7 9刑-第 8 6冊 計 70冊 本部ノ残 10冊 【 署名、 印共にないが、阿部氏の 筆跡である 目・ 4-m 本部御命日 一、天気 晴朗ニシテ参詣者善男 善女ヲ 以テ満 員ノ大盛況 :・ 。 玄関ニ溢レ 庭ニ溢レ両先生ノ御説法ニ聞キヒタッテ居タ 。 説法当番 第六、 七支部 一、各御命日ガ斯ノ如ク日ヲ追ヒ月ヲ追ッテ大盛況ニ終始スルノ為メ、 遂ニ説法会ヲ二部制ニト云ふ幹部カラ声ヲ開ク事ニナッタ 。 ( 5 ) 一、御命日終了後、臨時幹部会開催ス。 朝議 々案 ノハ 御議 講事 義互録 ~ー 尚記 スミ 中 山 n H 〆十←(7) 支部御命日 支部長の各家に御守護神の勧請された日をい い、毎月その日に儀式を執り行う 。 第六支部は支部長寺尾家に御守殻神が昭和問 年 6 月 mu 日に勧請されている 。 ( 8) 問先生 庭野日敬開祖、長沼妙佼脇祖をいう 。 (9) 田中氏 田中庸之 (本名精 次 )(一八 九 三 l 一九 四八 ) 昭和幻年 5 月日日より第 一支 部長 。 ( 日 )守護 神 一家の守 り神のこ と。御守談 判 または御守護 尊神ともいう。 佼成会の最高幹部と認められた家庭に勧請さ れた 。 「事務日誌」 引 ・ 4-m 田両第 中先六 氏主生買支 早)御一部 朝揃御 ヨヒ官官 リニ日2 本テ 部御 畑参 ーー 日日 勤サ 労ル 奉 イ士 サ j レ て朝ノ 御講 義参加者昨 日ニ変リ 三十三名参集ス。 梢険悪、然、ン守護神ガ何等カノ形ニ於テ好キ結末 て第五支部ノ件 ヲ我等祈ル 。 合 掌 中 山 円 H H l rE ・
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(日)大津班 昭和幻年 4 月お目、茨城県多賀郡大津町(現 在北茨城市大津町)に野崎修代を支部長とす る 口 名の会員で発足した野崎支部の愛称 。 (ロ )三 人組 野崎支部長は常に鈴木謙太郎、鈴木謙次問問 支部長らを伴内 三 人で立正佼成会本部を参 拝し、庭野、長沼両師の指導を受けた 。 目・ 4 ・ 却 第五支部ノ守護神愈々、神々様ノ無量ノ神力ニ依 リ 鎮野家ニ再ビ鎮座シ タ 目出度/\/\ 。 明日ハ愈々男ノ節句月男子班ノ真ニ乗出ス五月ヲ大乗ノ気力デ遁進セン トスル者ナリ 。 中 山 ~p 引・ 5 ・ 1 朝ノ御講義ノ聴衆者大盛況ナリ 以て本年ノ前半ヲ終ラントスル前半ノゴールイン デア リ御 導月間ノ後 半ニ入ラン ト スル、本日益々信者ノ熱意表ニ現ハレントス 。
大津副ノ三人総帰ル
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フレ!大津班::: ::ヨ n 印幻 ・ 5 ・ 2 (日 ) 鑑定当番 姓名、方位鑑定の当番 。 一、第二支部御命日ノタメ本部参拝者多数ナリ 。 一、鑑定当番第て第八支部合同午前中多数ナレド午後関散ナリ 。 新規入会者拾弐名ナリ 導月間本日現在 1. 第六支部 十六名 2. 第 十 名 3. 第七 二 十九名 4 第 ート 名 5. 第四 十 名 6. 第八 ート 名 7 . 第五 十 名 8. 第 九 名 9. 本部 。 名 150名 遺憾ナリ {署名、印共にないが、阿部氏の筆跡である 「事務日誌J
れ・ 5 ・ 3 第四支部御 命日ナリ両先生ニテ御 参詣遊 サレル 。 朝ノ講義ノ聴衆者柑閑散ナ リ 、感謝ノ足ラヌ信者ヲ思フ時、矢張 JV サウ ダト思フ節ヲ感ジル 。 中 山 I OP れ ・ 5 ・ 4 五月晴レ トモナ ッ夕、此晴れ夕日第二支部井草家ニ御守護 神 ノ御鎮座ニ 成ッタ 。 両先生御揃ヒデ御出張ニナッタ。今後井草家ニ一層ノ御手配ノ附ク事ナ ( M ) 野崎氏(一九 一一 i 一 九八七 茨城野崎修代支部長 。 大幹 津部 ヨイl多 リ 業 二ア 名 リ 来月 ル並 野例 111時ニ 氏TI~ 十ア ~, 例 にノ 張如 切 ン j レ 中 山 I OP
目 ・ 5 ・ 5 夜半カラ大雨アリ 。 虚空蔵大菩薩御命日終日雨カト見レパ降ラズ降ラズ ミニテ大盛況ナリ 。 御 守護神大満足ナル 可 シ 。 散会後、幹部一 同例ニ依テ 茶ノおヨパレヲ受 けタ 。 目出度/\/\ 。 n 印 目・ 5 ・ 6 幹部一同 七時集合、長沼家ニ於テ御親戚信者ノ御供養ア リ 。 御供 養ノおヨパレヲ受ケタ 。 一 同明朗 ノ 中ニ散 会ス 。 御守護[神]鎮座 発表 九 日 第 峯国家 十 日 第 大津家 n 印 「事務日誌」 175
(日)御子息 長沼脇祖の甥、現在の立正佼成会長沼基之理 事長のこと 。 (団)交成会 立正佼成会は昭和お年 6 月まで「立正交成会」 と称した 。 ( 口 ) 中山家 中 山 貢司郎(本名幸次郎 )(一 九 Q 丁一九八九 ) 幹事長、第十三支部長を歴任 。 この日誌の記 入者のひとり。 ( 凶 ) 阿部氏 阿部修規 ( 本名英夫 )(一 九二二 l ) 会計、経理部長、理事、資任役員を歴任、現 在監事 。 この「日誌」の記入者のひとり 。 幻 ・ 5 ・ 7 176 長沼妙佼先生御子息南方ヨリ御帰還ナサレ夕、 コンナ目出度イ事ハナ ィ。妙佼先生ノ御喜ビ様ハ、誠ニ端デ見ル眼モ感激サレザルヲ得ヌ。 {日 ) 尚一層交成会ガ明朗ニナッタ 。 信者モ愈々集ッテ来ル事ナラン 。 n 印 引 ・ 5 ・ 8 中山家御守護神ノ御命日デ諸氏ヨリ一ト足先ニ帰家ス 。 n 印 事務会計阿部氏未だ御サ トリ ノ病床ヨ リ 離レズ、欠勤ス 。 若キ人悩ミモテリ 。
( 川口 )一般修行日 役員以外の一般会員を対象に九字、盛感修行 等を行なった。 (初)御クジ 九字は密教では災 害を はらい勝利を得るため の呪法、佼成会では病気治療等に用いた。 ( 幻 )幹事会 庭野闘祖、長沼脇祖、佐野総務、中 山 幹事長 阿部会計、幹事八名の十 三名で構成 し、会の 重要議題 を検討した 。 「事務日誌J 幻・ 5 ・ 9 第二支部 峯田家 ニ対シ御守護 ノ御鎮座、障リナク御組込ヲ 両先生御揃 ヒデ成就 シタ。 降ラズ照ラズ誠二好キ日ナリ。両先生ノツキヌ法論ニ峯田家モ亦大功徳 ヲ頂いタ。 中山 ~p れ・ 5 ・叩 (日) 一般修行日 御 導月間ガ物ヲ云ッテカ大盛 況、締切タ硝子戸ガ人息れデ外ガ見エヌ程 ダツタ。 久方振 リニ両先 生御立合ノ上 御 クジノ試合ヲ見テ頂イ夕 、尚 結ビノ一 番ヲ両先生 ニテ 試合ヲ遣リテ頂ケテ良カッタ 。 散会後ハ幹事会デアッタ 。之 ニモ両先生ノ御参加ヲ辱クシ一同和気ニ テ散 会ス。 議事案 別紙 ノ通 リ 。 中 山 円 H V 〆ドト
目・ 5 ・ u 朝ノ御講義 ニ 参加者三十一名ノ大盛況ナリ。 大津ヨリ四名上京ス 。 阿部 会計未ダ病床。 日曜日 ノ故カ午前中ノ参詣者多数ナ リ 。 天候相変ず降らず晴れず 。 n 印 引・ 5 ・ロ
天候定ラズ、又政治定ラズ、人ノ心モ定ラズ、卜云フノガ
昨日 今日ノ世 相ダ 。 我ガ交成会ノ会員ハ文字通りノ幸福に満テ居ル 。噌曙 卜 シテ居ラ レル、之一偏ニ両先生ノ御カゲノ賜デアル 。 感謝、感謝 n 印( n ) 堀ノ内妙法寺 東京都杉並区堀ノ内三|四八|八にある日蓮 宗の 由緒 寺院の ひとつ 。 もと真言宗であった が元 利七 年(一六二こよ り日蓮 宗 に改 宗 。 ( 幻 )第 七 支 部長 岡部倭子(本名つね) (一 八九二 1 一九 七 三) 「事務日誌」 目・ 5 ・ 日 午後小雨止ム頃、
両先生
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テ例月
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堀ノ内妙法
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御参詣デア
ツタ。 一日ノ御サ ト リデ御供 ノ 出来ナカ ッタ事 心カラ残念ナリ 。 両師、第七支部長ヲ御供ニ岡部会計宅ヲ御見 舞 ナサレル 。 阿部会計、尚サト リ 結パレズ 。 、An ur y a r ド L F 179の ・.圃a・ 【次の記 事 は、 5 月ロ目、日日の裏ぺ l ジに日付なしで -記載してあ っ たも 180 一般修行 支部日別組合セ方 井一 時 月 十六日 二十六日 ふ t宇 月 十八日 井一 昨 月 十 日 主且 第二支部 第四支部 本部付 ろ 組 八 日 第六支部 第一支部 第五支部 は 組 日 第七支部 第八支部 六月ヨ リ 実施ス n 印
(μ) 入神者 唱題修行などの行をおさめ、庭野開 祖・ 長沼 脇 祖 によ っ て戒名作成を認められた者 。 ( お )総戒名 各家の祖 箆 を供養するために設けられた儀礼 の 一 形態で、基本形式は諦生院法道慈善施先 祖 ロ 家徳起菩提心と書かれたお 札 様式のも の 、 00 家とある部分は右 側に 夫 の姓 、 左 側 に妥の姓を入 れ る 。 「事務日誌J 21 新・ 入 5 神・ 者~14 九 名 峯 回 家 真壁家 鈴木家 宮崎家 森田主家 井 草家 永井家 渋沢家 総戒 (
勧
)御手配
有路家 滞ナク両先生ニテ入神ノ御手配ヲ済マス 。 目出度シ、/\ 。 n 印 181( お )三大 御命日 「本部御命日」本文一七 O 頁 参 照 ( 幻 ) 御 長 陀羅 臼辺聖人が弘安四年 ( 一 二 八 こ に図顕した 受陀経を縮小印刷したもの 。 友の余白部分に は、庭野開祖の筆跡で勧諮の年月日および「庭 野法座 」 と 書 き込まれている 。 唱 i ' -、 , . EJ っ ι ・ 5 、 . 1i 本部御命日 文字通り立すいの余地を残さず、参拝者で道場を埋めつくし、尚人あふ れて御供養並ニ説法を終了す 。 三 大御命日の御説法会廃止にな っ た 。 何がな淋しい 。 両先生の説法も同時にきかれなくなって了 っ た 。 御命日散会後、幹部会実施 。 一 般修行の変更ノ件、御導キ月聞を尚一ヶ月延長さす 。 ガン張レ n 印 幻 ・ 5-M
御量陀髄様請願者十五名中十三名ハ見事パス(但し方便を以て)
で あ る 交成会始って以来なる可し、十三名が 一 人 一 人感謝感激の顔、顔 。 妙佼師先生の御指導には全く頭の下がる思ひ蔦感胸を衝くものあり 。 目出度/\。 n 印(犯)ポン界 漢字は「凡解」をあてる 。 佼成会では俗界ま たは俗人を意味する語 。 ( mU ) 蔭 限に見、えない神仏のこと 。 「事務日誌j れ ・ 5 ・ 口 我が事の為に御本部に欠勤せり 。誠 に申訳なし 。 朝の御講義も不参 加 が ボン界にとらはれる事を恐れる。 如何にも残念である 。緊張、/\ 、 中 山 ~p 目 ・ 5 ・ 日 昨日より東海道浜松に来てゐる 。 昨晩も今暁も夜通し仕 事やらさ せて頂 蔭ひ のおて 守)居 護.Q も 旅 来 て 層 深 め る も. σ〉 だ n 印 幻 ・ 5 ・ 日 第一支部 国分家に御量陀羅様御鎮座にて 、 両先生御出張さる。 n 印 183
幻・ 5 -m 一般修行 各支部会 同 の最後の修行。 道場一パイの大盛況、新キ御クジを頂くもの八名 。 目出度し、/\ 。 n 印 目・ 5-n 両先生、清玉県第三支部の大津家に対し御畏陀羅様御鎮座に、御出張遊 される。 道中一切無障解にて、御帰還を心から御祈する。 塩十俵入手出来さ、 7 0 信者の為に両先生にて金の御心配を頂く、勿体ない次第。 中 山 ~11
目 ・ 5 ・ 2 左記ノ通 リ 御鎮座決定ス 渋沢家御守護尊神 「事務日誌」 五月二十六日 六月 六月 十八日 御霊陀羅 五月二十六日 五月二十七日 1 1 11 H 11 五月二十九日 六月 H 六月 十一日 六月 十 日 H 九 日 十六名 日 第 五 第 七 、氷井家 11 第 遠藤家 11 第 藤岡家 第 岡野家 第 四 森岡家 第 五 高橋家 第六 桃井家 仲井家 第 七 第 宮下家 第 布施家 第五 田中家 第 郷 家 第 相国家 第六 滝 川 家 185
六月 十 日 六月 1 1 六月 十 日 印共にないが、阿部氏の 筆 跡である】 第 八 加藤家 【署名、 日 第 七 尾本家 186 第 八 野口家 第 八 岩崎家
(初)一部経 立正佼成会では「平楽寺版法華経」 ( 法華経普 及会代表深見耀宏編 『 訓諜妙法蓮華経並開結 』 平楽寺書店、昭 和十七 年 。) をいう 。 「無量義 経」「妙法蓮華経」「観普賢菩薩行法経」の三 経が 収 められている 。 ( 幻 )発音者 神がかりとな っ て 神 意の取りつぎ役をする者 。 第一支部佐野匡 重 他九 名がいた 。 「事務日誌J 幻・ 5-n 名有 。 O 本部ヨ リ 一部経借 用 シテ イル 者 ヨリ 整理ノタメ一時全 部返却ト御指 【 署名 ・印共 にないが、阿部氏の筆跡である】 幻 ・ 5-m 幹部修行 日 例ニヨ ッ テ例 ノ 如 シ 。 幹部 ニテ 遅 刻及 欠席者有 ルハ遺憾ナリ 。 発音者 ニ対 シ 、 長沼 妙 佼先生 ヨリ御 注意ア リ 。 幹部一 同 生気ヲソソガル 。 【「幹部修行日以下 遺感 ナリ」までは、阿部氏の 筆 跡である} 中山 187
(犯)佐野匡重(本名マサ子)(一九二五 1) 第七支部長、中野教会長、理事を歴任。 (お)森田支部長 森田育代(本名いし子)(一九一五 l 一九五三) 第二支部長、責任役員(理事)。 幻 ・ 5 ・ ぉ 188 大 津 J ¥ 最 高 森佐幹 回野部 支匡二 部重喜人
長室氏主
サ ノレ 第一支部 第二支部 大勢ノ信者ヲ集メテ法雨ヲソソガレテイル事が目ニ浮プ。今晩モ丁度雨 ガ降ッテ居ル。 (一
)度ヨシ
/l\ 中 山 目 ・ 5 ・ お 御守護神御鎮座 渋津家 両先生御出張、帰路第七支部ニ御廻リニナル。御機嫌ヨク御返リ 。 御霊陀羅御鎮座 第六 藤岡家 一部ノ幹部ニテ大津カラノ古イ御札ノ御クジヲ切ル。長沼先生ノ御気モ 晴レサウ。 夜半、大津ニ派遣の森田、佐野両氏帰京ス 。 中 山幻 ・ 5 ・ U 御霊陀羅御鎮座 五家、五支部ニ渡ル今回ヨリ畏陀羅鎮座ハ各支部長指揮ノ元に施行。 本部ニテ御供養後ハソレ片\各方面 ニ 各方向ニ御鎮座ノ嬉シサハ同感 ソレム人 、 ノ喜ビ此ヨキ日ヲ永久ニ保チタイモノデアル。 ニ耐へヌ 。 中 山 目 ・ 5 -m 本部御命日 本日ヨリ御供養ハ午前八時半ヨ リ 幹部ノミヲ以テ施行スル事ニ変更サル。 尚一般信者ハ自由参拝ニテ終日道場ヲ埋メテ引キモ切ラズ 。立ツ 人モナ ク三三五五車座ニ法論ノ花ヲ咲カセタ 。 変更初メテノ御命日にテ信者達ノ気持チハ知何?や 【署名、印共になし、 書 体からして中 山 氏の記入と思われる】 「事務日誌、J 189
引 ・ 5 -m 190 御豊陀羅御鎮座 第 宮下家 両先生オ揃デ寺尾支部ヲ有路支部ヲ御 参 拝ニナ[一フ] レタ。 御機嫌ヨク ト 後姿へ合掌サセラレタ 。 中 山 n ・ 5 ・ 却 今朝来、両先生ノ余リニモピッタリ卜、文字通りの妙法ヲ発揮サレタノ デ、我々モ真ニ心強イ気ガシタ 。 大イニ我々モ学パネパナラヌ。 併シ我々ハ全ク両先生ニ 何 時モ乍ラ御心配パカリカケテイル 。 ウヂ虫共 デハアル。 中山
(斜)総務佐 野氏 佐野元章(本名源之助)(一八九五 l 一 九七四 ) 総務、第一支部長、大阪支 部 長、 神 戸支部長、 理事、教務局長等を歴任 。 「事務日誌」 目・ 5 ・ 出 男ノ節句モ終リ 明日ハ愈々夏トモナルノデアル 。 御 導月間ノ五 月モ ハツラッ ト張切 タママ六月ヲ迎へルノデアル 。 ココデ 皆 ン ナガ大キ ク息ヲ 吸ヒ込 ン デ、新ラシイ月ヲ迎へヨウ 。 ( M ) 総務佐野氏ハ未ダ弘前ニ行タマて 会計ノ 阿部氏 ハ再度 サト リ デ欠ハ物足リヌ次第 。 中 山 引 ・ 6 ・ 1 晴れタ 。全ク 晴れタ 。 久 し振りニ日 本晴 レ卜 云フオ天気ニナ ッ タ。 然モ六月ノ一日デアル 。 (? ? ) 今月ハ何がナ良イ事パカリ続キサウナ思ヒニ、 ウタ レル 。 三井氏カラ来た特選醤 油ガ信者ヲ 嬉シガラ セテイル 。 ソ レホド売レ タ。 岡部氏未 ダ オサトリデ欠 ダ。本部ノ道場ハ静カダ 。 中 山 191
目・ 6 ・ 2 第二支部 御命日 午後両先生御揃ヒニテ御参詣サル 。 両先生ノ御出マシハ全ク悶 卜 云フモノガナイ 。 日暮レテカラ、ポツリ/\ ト雨ニナッタ 。 本年ハ誠 ニ雨 ノ多イ事オ感ジル 。 中山 幻・ 6 ・ 3 御霊陀羅御鎮座 第五 田中家 第 布施家 岩崎家 第 八 第 八 野口家 定例ノ 如 ク各支部長副支部長ニ連レラレテ御鎮座ニ詣ル 。 夕景ヨク晴レ 。/ 。 中山
目 ・ 6 ・ 4 幹部修行日 ソ ー ダ水ノ清涼剤ト云フカ、モット強ク云へばカンフル注射ト云フカ、 幹部一 同 飛上ル様ナ修行ヲ両先生カラ大功徳ヲ頂イタ 。 眠ッテ居タ様ナ幹部修行モ一服ノ目覚し薬ヲ飲サレタ如ク幹部モ発音者 モピリットシタ 。 【署名、 印 共になし、書体からして中 山 氏の記入と思われる】 目 ・ 6 ・ 5 虚空蔵大菩薩様御命日 午前八時半、定時ニ於テ幹部一同(五十名余)にて大供養ス。 一般信者ハ臨時参拝シタ。御本部ヲ足溜
リニ
シテ、三三五
(五
)足ノ踏場
モナク法論ガ沸騰、ンテ居ツタ 。 問先生ヨ リ 幹部一同へ御野菜ノ配給ヲシテ頂イタ 。 何時モ乍ラ、大慈悲 デアル。 「事務日誌j (阿部会計現ル) 中 山 193(お)本部内民図 当時の本部道場(杉並区和問一丁目 ) の南側 一都(現在の 旧本部と庭園 のあたり)に、食 糧不足を補うため、昭和十九年頃から疏菜を 栽培していた。 (お)妙法 庭野開 祖を法に、長沼脇祖 を妙にゆ嚇えて二人 を併せて「妙法」とい っ た 。 「両先生」の別称 。 自 ・ 6 ・ 6 佐野総務モ鉄砲玉 。 阿部会計尚出勤セズ:・ 。 幹部、 一般ガスローデアル。両先生ヲ御安心サセル時、何時来ルヤ 。 誠に申訳ナシ 。 中 山 幻・ 6 ・ 7 中山欠ス 。 {署名、 印共になし、 書体 からして中山氏の記入と思われる} 自 ・ 6 ・ 8 本部農園ニ対シ、愈々夜警ヲ設置スル事になっタ。第一支部長田中氏 ヲ、 ト ッ プニ開始サル 。 中山 n ・ 6 ・ 9 御守護神御鎮座 永井家デアル 。 会長先生お一人デアッタ 。 幹部一同デ御見送りスルモ、 妙法デナキ時程心淋シサヲ感ジルモノデアル 。 中 山
目・ 6-m 一般修行 受持ハ第七支部、第八支部 道場ヲ相当埋メツクシタ 。 盛デアル 。 新規御クジノ獲得者六名ア リ 。 カンキシテ居タ 。 共 中 山 目・ 6 ・日 御 霊陀羅 御 鎮座 第二支部 郷 家 第八支部 加 藤家 午後カラ晴レタ 。 カラ リト 晴レテ 夏 ラシクナッタ 。 両先生モ極メテ御満 足デ 共ニ目出度し/\ 中山 目・ 6 ・ロ 会長先生、庭野家ノ御供養ア リ テ幹部 一 同 (二 十九名、他十四名)列席 。 「事務日誌」 昼食ノ御供養ヲ頂ク 。 申訳ナキ次第ナ リ 。 中 山 195
目 ・ 6 ・ 日 196 御量陀羅様御鎮座 相国家 瀧 川 家 尾本家 溢谷家 ラ ジオ報道 でハ悶トアルニ、ココニ神 ノ 御守護カ天 気ハ 、カラ リ ト晴レ タ (過カ) 四家ノ精神誠ニ 素晴ラシ イ 。 中 山 n ・ 6 -M 幹部修行日 今朝ハ又発音者ガ何ヤラ伸 ビ テ居ル感ガ多々アル 。 コンナ雰囲気ヲ打破
スル権威アル幹事長ガ欲シイ
ト感
(侭
) セラレル 。 阿部会計出現ス 。 極メテ元気ナリ 。 本部御宝前ノ掃除ヲ済ス 。 大津ヨ リ 三名来ル 。 { 署名、 印共になし、 書 体からして中 山 氏の記入と思われる 。 】【次の記 事 は、 6 月日日、 H 日の 裏ペ ー ジに記載してあったもの】 幹事会並ニ幹部会ノ例会ヲ変更セン事にハナラナクナッタ。 来ル二十日御講義後 ニ 右ヲ決定セント思フ 。 幹事長 れ ・ 6 ・ 日 本部御命日 両師及ビ幹部一同ニテ 八時半御供養セ リ 。 朝ポツ ン ト来タ雨モ信者ノ参詣時ハ、カラリト晴レタ 。 南無七面大明神 定メシ御満足ノ事 ト 思フ 。 終日、各支部長ニテ法論沸トウシテ居タ 。 当番第八 中 山 「事務日誌J 197
(幻)青経巻 無量義経、妙法蓮華経、普賢菩薩行法経の法 華三部経から経文を抜粋 、 編集したもの 。 表 紙が青色だったので、一般的に青経巻と称さ れた 。 当時東京には 印刷所が殆 ど焼失していたので ツテを頼って青森県弘前市で印刷した 。 目・ 6 ・日 第二支部 第四支部 本 部 青三 経部 巻宣合 同 ア 般 修 行 四十冊 弘前ヨリ届ク。第一回売出し 当番第二 【 署名・ 印共になし、 書体からして中 山氏の記入と思われる】 目・ 6 -U 中山 欠 総務 感じられる。定めし旅行疲れかと思ふ。 【署名・印共になし、書体からして中山氏の記入と思われる】 佐野氏帰京セリ 。 久 しく逢ぬ内に大 変と老人めいて来た御様子が
目・ 6-m 中 山 欠 一般修行 第六〔支部〕 第一支部 第 五 〔支部〕 盛況ナ リ 【 署名 ・印 共になし、書体からして中山氏の記入と思われる】 自・ 6 ・日 中山 欠 【 署名 ・印共になし、 書体から して中山氏の記入と思われる】 幻・ 6-m 「事務日誌」 焦心卜思フ。 朝 ノ御講義後 ニ於テ、臨時幹 事会開催ス。特 別目新ラシイ議 案ナイ事 ヲ モ ッ ト/\両先生並ニ本会ニ打込ナクテハナラヌ 。 【 署名 ・印 共になし、書体からして中山氏の記入と思われる】
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(お)陀羅尼経 妙法蓮華経の陀羅尼口聞と普賢菩薩勤務ロ聞の陀 羅尼の部分だけを編集したもの 。 ( 鈎)修業者 佼成会に青年部が生まれる前に道場へ日参す る青年たちのこと 。 目 ・ 6 -m 。 臨時幹事会開催 。 午前九時 。 議事 一、幹事会 毎月一日トス (午前九時) て幹部会 一、幹部、準幹部名簿作製ノ件 毎月十五日トス (御供養直後 ) 五月以前幹部トス 。 五月以後準幹部トス 。 (各支部ノ幹部トス ) ( 犯 ) 一、陀羅尼経印刷ノ件 て各支部長ハ二十五日迄ニ幹部名簿作製シ提出ノコト 一、命日名札製作ノ件 。 二十五日迄前項ト同 ジ ク提出ノコト て一般修行日支部ノ当番ハ別ノ支部ノコト ( 鈎 ) て修業者注意ノ件 阿 部 ~p
目 ・ 6 ・ n 幹部一同ニ対シ長沼先生ヨ リ お麦を頂く、重々ノ御慈愛に感謝感激セザ ルヲ得ヌ 。 多くの信者に斯うした御慈愛を分けなければならぬ責任を感じる 。 中 山 目 ・ 6 ・ 2 修業ノ浅イ極ク浅イ幹事長ナルガ故ニ:・? 長沼妙佼先生ヨ リ 大功徳ヲ頂いタ 。 足リナイ自己自分ガ情ケナク思フ。 凡テ 蔭ヲ認識シ 以テ本会ニ打込ム 事ヲ誓フ者 ナリ 。 中 山 目 ・ 6 ・ n 幹部一同(三十名)畑作業ニ御奉仕サセテ頂ケル事ガ出来タ 。 一同歓喜シテ、然モ元気デ従事シテ居ル様ガ好カツタ 。 (朝々ノ御講義ヲ御休ミ) 「事務日誌、」 201
( ω ) 一貫 目 一、 七五同のこと 。 幹奉 事 仕 長後 各 自 約 貫 目お 程 グ〉 白 菜 ヲ 戴 イ タ
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欠 阿 部 ~p 【「幹部 一 同以下御休ミ ) 」まで 書 体から中山氏の記入と思われる 。 「 奉 仕後 ::: 」以下は阿部氏の筆跡である 自 ・ 6 -m 幹部修業日 遺憾ナルコトニ幹部の出席ガ少ナイ。時間厳守の出キナイノガ大欠点。 中山幹 事長 何のたメカ欠席 。 第六支部宮崎家御子息復員サル 。 本部ノ前ノ畑約七百坪借用契約成立ス。 神様ヨリ長沼妙佼先生ニ対シテ余 リ ニモ御苦労ヲオカケシテイルコトノ 御注意ガア ッタ。 幹部一同キモニ銘ジナケレパナラヌ。 。 ~pn ・ 6 ・ お 御講義ハ御慈悲 ニ ヨリ三十分間 ト ナル 。 居ネムリ組大イ ニ ? 朝修行ノ子供ノ 事 デモメル 。 中 山 幹事長未ダ現ハレズ 。 寝テイル由 。 。 ~p 目 ・ 6 -m 第二、第 四、 本部修業目、 満員ノ盛況ニシテ道場セマキ感有 。 中 山 幹事長出席ス 。 会長先生阿部家命日ニヨリ御参拝。長沼先生 ト 御一緒デナイノガ残念ナ 天気晴朗 ニ シテ涼シキ日ナリ 。 。 ~p 目 ・ 6 ・ U 明日本部御命日ノタメ掃除。 「事務日誌j 。 ~p 203
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八幡大菩薩様御命日 。 七支部ノ当番 。 何時モノ命日ノ様ニ鑑定に来ズ 。 夕刻、総務、会計、第二、第五支部長、長沼家ニテ夕食御馳走ニナル 。 。 ~p 自・ 6-m 第六支部長 寺尾家御守護神御命日 。 ~p 目・ 6 ・初 会計の金の事で両先生より御注意有り 。 『 第八支部長 保谷典世殿 入神 サル 』 。 ~p 幻・ 7 ・ 1 一日参リノ信者ぞくん t\ 本部へ参る 。 午前九時より定例幹事会(HU) 幹部 御守護神の勧請のあったものをいう 。 (必)準幹部 御受陀羅の勧請のあったものをいう。 (必)改名 選名のこと。昭和幻年頃までは入会すると家 族全員が庭野開 祖より姓名 学に基づく名前を もら っ た 。 その名前を選名と称している ロ 「事務日誌」 一、幹部及準幹部名簿作製ノタメ議事有 リ 。 幹部三十七名準幹部二十三名 幹部及準幹部が改名 し ていなかったので両先生より御注意有り。 一、陀羅尼経 印刷反対ノ件 。 。 円ド 仁ト 幻・ 7 ・ 2 第二支部森田家御命日。 。 改名願提出ノ件 。 。 ~11 目・ 7 ・ 3 【記入なし】 幻・ 7 ・ 4 幹部修業日 例ニ依 ッテ 阿部指揮ノモトニ虚 空蔵菩薩様ノ御掃除ガ施行サレタ。 中 山
目 ・ 7 ・ 5 206 虚空蔵菩薩様御命日 。 御供養後、男子幹部ニ御茶ノ御接待ア リ 。 両師ノ面前ニテ法論座施行ス 。 女子幹事幹部一同御接待一 一アズカル 。 第 部 意気大いニ昂ッテ良? 中 山 【以下 7 月 6 日から 7 月比日までのゴム印の日付けはあるが、本文の記 入はない】 目 ・ 7 ・ 日 O 定 例幹部会 。 一、本 部幹部、準幹部 ノ発表。 一、会計報告ハ来月ニ行フ 。 一、長沼先生ノ件。 【署名、 印 共にないが、岡部氏の筆跡である】 【以下 7 月四日から 7 月お日までのゴム印の日付けのみ、空白となって いる 。 】
「事務日誌」 家別索引 本目回 5/22.6/13 真壁 5/14 有路 5/14 峯田 5/6.5/9.5/9.5/14 井草 5/4.5/4.5/14 宮崎 5/14.6/24 岩崎 5/22.6/3 宮下 5/22.5/29 遠藤 5/22 桃井 5/22 大津 5/6.5/21 森岡 5/22 岡野 5/22 森田 7/2 阿部 6/22 森田主 5/14 尾本 5/22.6/13 加藤 6/22.6/11 怨日 5/22.6/11 国分 5/19 鎮野 4/30 詰主j翠 5/14.5/22.5/26 溢谷 6/13 鈴木 5/14 高橋 5/22 瀧)11 5/22.6/13 田中 5/22.6/3 寺尾 6/29 仲井 5/22 中山 5/8 永井 5/14.5/22.6/9 長沼 5/6.6/28 庭野 6/12 野口 5/22.6/3 藤岡 5/22.5/26 布施 5/22.6/3 207
第七支部長 田中氏 中山 中山幹事長 長沼先生 長沼妙佼先生 野崎氏 保谷典代 三井氏 妙佼先生 森岡 森田支部長 両師 両先生 鈴木謙太郎(本名保寿) 1909-。 目立第二支部長、八戸教会長。 鈴木謙次(本名兼輔) 1912-。 平支部長、原町教会長。 岡部倭子(本名つね) 1892 -19730 5/13 後に選名を和代と変える。 田中庸之(本名精次) 1893-19480 4/29,6/8 第一支部長。 中山貢司郎。 6/7 , 6/17 , 6/18 , 6/19 中山貢司郎。 6/24 , 6/25 , 6/26 長沼脇祖1889-1957。副会長。 5/26 , 6/21 , 6/26 , 7/15 長沼脇祖。 5/7 , 5/24 , 6/22 , 6/24 野崎修代。 5/4 保谷典代(本名シヅ) 1911 -19890 6/30 第八支部長、豊島教会長。 不詳。 6/1 長沼脇祖。 5/7 , 5/16 森田育代 (本名いし子) 1915-19530 5/26 第二支部長。、責任役員(理事)。 森田育代。 庭野開祖、長沼脇祖。 庭野開祖、長沼脇祖。 5/25 5/13,6/15,7/5 4/28,4/29,5/4, 5/9,5/9,5/10,5/10 5/10,5/12,5/13, 5/14,5/15 5/19,5/21,5/21,5/26 5/29,5/30,5/30,6/2. 6/2,6/4,6/5,6/6 6/11,6/20,6/30,7/1
「事務日誌j 索引凡例 1. この索引は『事務日誌j の人名および人名に関する項目を「人名索 ヲ IJ とし、 00家については「家索引」と分け、それぞれ五十音別 に配列した。 2. 項目の検索は日誌の記載のあった月日によることとした。例えば 7/4 は 7 月 4 日にその項目があることを意味する。 3. 同じ日に同一項目が 2 個以上ある場合も記した。 人名索引 阿部 阿部修規(本名英夫) 1923- 。会計、 7/4 経理部長、理事、責任役員、現在監 岡部会計 岡部氏 会長先生 幹事長 事。 岡部修規。 阿部修規。 庭野開祖1906- 。 中山貢司郎(本名幸次郎) 1902-1989。幹事長、第十三支部長。 5/11,5/13,5/13, 6/5,6/6,6/14 5/8,5/31,6/1 6/9,6/12,2/26 6/14, 6/14 佐野 佐野元章(本名源之助) 1895-19740 5/26 総務、第一支部長、大阪支部長、神 佐野氏 佐野総務 佐野匡重 戸支部長、理事、教務局長。 佐野元章。 佐野元章。 5/31,6/17 6/6 本名マサ子 1925 一。阿部修規と結婚、 5/25 阿部公重と名のる。第七支部長、中 野教会長、理事。 三人組 野l崎修代(本名かね) 1911-19870 5/1 野 11崎支部長、茨城教会長、理事。 209