智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) 抄録 本稿では現行の智山声明の反音曲を中心に呂律の旋律構造の考察を試みた。智山声明の由里は商と徴に付き三重の宮 にはユリソリが付く。由里とは核音に付く働きである。核音とは旋律の中心となる音で由里が付く商、徴、三重宮が智 山声明の核音である。この商、徴、三重宮の間隔は四度である。四度音程の音の集まりをテトラコルドという。智山声 明では商、徴、三重宮を核音とするテトラコルドが三段に重なる旋律構造であると考える。また、商、徴、三重宮は上 下に音を持ち四度下に音を持つ。これは導音と上主音と下方に属音を持つ主音の位置と考えられる。呂音階で導音、上 主音、属音を持つのは商である。この事から智山声明は呂音階商旋法が四度音程で三段に重なる旋律構造であると考え る。以上の視点から智山声明の旋律構造について考察してみたい。
一、はじめに
智山声明の旋律は大きく分けて呂律系、中曲系、陰旋律系の三つに分類される。その内、陰旋律とは半音程の進行を 含む音階で「遺教経」 、「興教大師和讃」 、「舎利和讃」などがこれにあたる。しかし声明は本来、半音程を含まない五音 音階の旋律である。智山声明の五音音階には呂音階と律音階がある。智山声明の諸讃の反音曲は商で起止する。或いは 商以外で始まる事はあっても終止音は商であるから商が主音と言って良い。しかし智山声明の旋律は宮(二重)は常に 商に進み、角は常に徴に進み、揚羽は常に三重宮に進む。これらは導音の働きと考えられるので導音を持つ商、徴、三智山声明に於ける呂律の旋律構造について
我
妻
龍
聲
智山学報第六十七輯 重宮の三つが主音に働いていると考えられる。この事から現行の智山声明の旋律は一曲を通して一つの主音、一つの音 階から構成される構造にはなっていないと考える。小泉文夫氏は次の様に述べている。 声明も原則として全音的五音音階であり、─中略─ 半音程をもたないテトラコルドによっている。 (1) 小泉氏の説では声明は原則として半音程がない無半音五音音階であり、テトラコルドで構成されているとする。テトラ コルドとは核音の両端が四度音程の音の集まりである。また、小泉氏は次の様に述べている。 旋律における核音のもっとも徹底した支配をわれわれはここに見る事ができる。声明においては、もはや旋律ら しい動きはなく、ただあるものは、一つの音をめぐる上下の抑揚である。これこそ本来の核音であって、もしそれ 以前の音楽について、われわれが一切の手がかりを失ったとすれば、核音支配による旋律構造の源流をここにおか なければならない。 (2) 日本の唄のすべてはメリスマ的である。芸術歌曲では、 このメリスマが、 たとえば「ゆり」─音程の、 ある決まっ た数だけの反復─ のような規範形式をもつ。 (3) 上下の抑揚とは由里の事である。旋律の中心となる音を核音と言う。由里は核音に付く。智山声明では由里、或いはユ リソリは導音を持つ商、徴、三重宮に付く事から主音の働きと考えられる。それに対し色は宮や角など由里の付く博士 のすぐ下の博士に付く事から主音に進む導音的な働きと考える。現在の智山声明の呂律の旋律を観察すると初重の羽、 二重の商、徴、三重の宮の四つが核音でありこの四つの音の間隔は四度である。その内、導音を持つ商、徴、三重宮は 主音であると考えられる。現在の智山声明の呂律の旋律はこの三つを主音とする四度音程で構成されていると考える。 本稿では現在の智山声明の呂律の旋律構造を反音曲を中心に四度音程の視点から考察してみたい。尚、この考察では宮 をドとして取り扱う。文中の洋楽の音名や階名は邦楽の音高とは厳密には違うからあくまで目安である。また、特に初 重、二重、三重をことわらない時は二重である。
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻)
二、テトラコルドから見た智山声明
テトラコルドについて小泉氏は以下の様に述べている。 テトラコルドは四つの音を持ち、 四度にまたがる音程系列関係を意味する。しかし、 両端の間にはさまる二音は、 旋法によってかならずしも常に使われなければならないとも限らないしそれぞれの分割方法によってその位置を異 にするので、テトラコルドにとって不可欠の要素は、両端の不動の音が互いに四度音程の間隔をなすということで ある。 (4) 核音の両端にはさまる二音とあるが四度の中に二音あると何処かが半音程になるので無半音の声明では一音になる。テ トラコルドに不可欠な要素は両端の核音が四度音程であるとする。智山声明をテトラコルドで観察すると【図一】の様 に核音、初重羽、商で構成されるテトラコルドと核音、商、徴で構成されるテトラコルドと核音、徴、三重宮で構成さ れるテトラコルドの三つがあり、この三つのテトラコルドは商、徴、三重宮が主音に働く事から本稿では商のテトラコ ルド、徴のテトラコルド、三重宮のテトラコルドと呼ぶ事にする。旋法はこの三つのテトラコルドが三段に重なって構 成されていると考えられる。この他に商の上主音として呂角、徴の上主音として羽、三重宮の上主音として三重商があ るがテトラコルド外になるので取り敢えずテトラコルドには含めないで考える。テトラコルドを二段に重ねる事をコン ジャンクトと言う。小泉氏は以下の様に述べている。 実際の曲では、コンジャンクトされた二つのテトラコルドに含まれる三つの核音がそれぞれ核音としての機能を 失わないで、同時的に存在するということは、両端の核音がオクターブではなく、短七度であるという特殊な状態 であるため、あまり明確な形としては存在しない。しかし、二つのテトラコルドが、継時的にコンジャンクトされ て、あたかもオクターブの完全な体系から見ると転調したようにみえる例は、しばしば存在する。 (5)智山学報第六十七輯 【図一】 三重宮のテトラコルド 徴のテトラコルド 商のテトラコルド 四度(六律) 四度(六律) 四度(六律) ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ◎ 宮 羽 徴 角 商 宮 羽 揚 律 ド ラ ソ ファ レ ド ラ ♯ 三重 二重 初重 【図二】 コンジャンクト(七度) (四度) (四度) (四度) 三重宮のテトラコルド 徴のテトラコルド 商のテトラコルド ◎ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ◎ 宮 羽 徴 角 商 宮 羽 コンジャンクト(七度) 小泉氏はテトラコルドの移動を一種の転調としている。テトラコルドで見れば智山声明の諸讃の旋律は商のテトラコル ドと徴のテトラコルドと三重宮のテトラコルドの三段のテトラコルドのコンジャンクトで構成されていると考える。オ
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) クターブ音階から見るとテトラコルド間の移動は転調の様に見える。 『大典』に次の様な記述がある。 呂の楽には律は低く呂は高し。律の楽には呂は低くして律は高しと。また呂律口伝にいわく、そうじて声明中に 弥陀の讃は呂の終わりより律に移り、律の終わりより呂に移る博士あり。 (6) 「阿弥陀讃」は沢方の博士とされるが『大典』では反音曲の注釈に用いている。 「呂の楽には律は低く呂は高し」とは律 より高い呂があるという事になる。 「律の楽には呂は低くして律は高し」 とは通常の呂律の旋律である。この文から呂、 律、 呂 の 三 段 の 音 階 が 考 え ら れ る。 【 図 三 】 を 一 見 し て も「 愚 拏 迦 羅 」 と「 那 慕 彌 陀 婆 」 は 同 じ 呂 で も 高 低 差 が あ が 分 か る か ら 低 音 域 が 呂、 中 音 域 が 律、 高 音 域 が 呂 で あ る と 考 え る。 「 呂 の 楽 に は 律 は 低 く 呂 は 高 し 」 と は 徴 の テ コルドと三重宮のテトラコルドのコンジャンクトに対応し「律の楽には呂は低くして律は高し」とは商のテトラコルド と 徴 の テ ト ラ コ ル ド の コ ン ジ ャ ン ク ト に 対 応 し て い る。 「 阿 弥 陀 讃 」 に は 三 つ の テ ト ラ コ ル ド が 現 れ る。 魚 山 集 の かの反音曲では二重の羽から三重、つまり三重宮のテトラコルドを呂と表記している。 【図三】 (7)
智山学報第六十七輯 【図三】で示せば「愚拏迦羅」が三重宮のテトラコルドで高い呂に対応し、 「怚摩寧」と「也邇那也」が徴のテトラコル ド で 律 に 対 応 し、 「 那 慕 彌 陀 婆 」 が 商 の テ ト ラ コ ル ド で 呂 に 対 応 し て い る。 本 稿 で は 反 音 曲 の 商 の テ ト ラ コ ル ド は 呂、 徴のテトラコルドは律、三重宮のテトラコルドは三重呂とする。呂の終わりより律に移り、律の終わりより呂に移ると はテトラコルドの移動に対応している。
三、智山声明の呂律の音階
音 階 の 考 察 に あ た り 先 ず『 声 明 大 典 』 か ら 呂 律 の 音 階 を 採 譜 す る。 『 大 典 』 に 記 さ れ る 呂 律 の 音 階 を 音 階 図 に 書 き 換 えると以下の通り。 【図四】 「四智梵語」の呂音階(8) 一 上 神 盤 鸞 黄 鳧 双 下 勝 平 断 一 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 宮 羽 徴 角 商 宮 ド シ ラ ソ ファ ミ レ ド智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) 「吉慶梵語」の律音階(9) 平 断 一 上 神 盤 鸞 黄 鳧 双 下 勝 平 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 宮 羽 徴 角 商 宮 ド シ ラ ソ ファ ミ レ ド 「四波羅蜜」の律音階( 10) 平 断 一 上 神 盤 鸞 黄 鳧 双 下 勝 平 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 宮 羽 羽 徴 角 商 商 宮 ド シ ラ ソ ファ ミ レ ド
智山学報第六十七輯【図五】 『大典』に表記される呂律の音階は【図五】の様な音階である。 ド シ ラ ソ フ ァ ミ レ ド 呂音階 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 律音階⑴ 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 律音階⑵ 宮 ○ 羽 羽 ○ 徴 ○ 角 ○ 商 商 ○ 宮 一般に音階とは音の階段と説明するが、東川清一氏は以下の様に述べている。 音楽で用いられる音高素材を高さの順に配列したものを「音階」と呼んでいる。 ( 11) 音階には色々あるが要するに音階とは楽曲の構成音を採取して低い順から並べたものである。つまり音階とはその曲の 構成音の事であり主旋律ではその構成音以外は使ってはならない。由里などに半音程らしき音があるがそれは装飾音で あ り 本 稿 で は 主 旋 律 に は 含 め な い。 【 図 五 】 の 呂 音 階 と 律 音 階 ⑴ は 一 般 的 な 呂 律 の 音 階 で そ の 違 い は 角 で あ る。 律 の 角 は呂の角より一律(半音)高い。西洋音階に置き換えれば呂音階はドレミソラとなり律音階⑴はドレファソラとなる。 構 成 音 は 呂 旋 で は ミ を 使 い フ ァ は 使 わ な い。 逆 に 律 旋 で は フ ァ を 使 い ミ は 使 わ な い。 例 え ば「 四 智 梵 語 」 で は「 日 囉 羯磨」 の「囉」 にミが出現するのでこの箇所は呂であると判断する。 このミ (呂角) は呂旋を証明する大切な音である。 「磨」 の色の付く角はファであるからこの箇所は律であると判断する。実際に智山声明の旋律を観察すると【図六】の音階が 得られる。
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) 【図六】 ① 呂音階 ◎は主音 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ 宮 羽 徴 角 商 宮 ド ラ ソ ミ レ ド ② 律音階 ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 宮 羽 徴 角 商 宮 ド ラ ソ ファ レ ド ③ 三重の呂音階 ◎ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 宮 羽 徴 角 商 宮 ド ラ♯ ソ ファ レ ド ①は呂音階、②は律音階である。③の音階は律音階⑵の低い商と高い羽を使う音階で「東方讃」 、「四智漢語」 、「四波羅 蜜」などに見られる三重の旋律に使われる音階である。律音階であるから律の様であるが魚山集の反音曲では二重羽か ら三重の博士を呂と表記しているので本稿では三重の呂音階とする。②の音階は①の音階に比べて角が一律高い、③の 音階は②の音階に比べて羽が一律高い。坊田寿真氏は次の様に述べている。
智山学報第六十七輯 旋律の流れをみた場合、 その音階音に含まれない音が出現すると、 その音が転調を告げることになる。それゆえ、 転調は音階音に含まれない音の出現によって知ることになる。 ( 12) ② の 律 音 階 を 基 準 に す る と「 四 智 梵 語 」 の「 日 囉 羯 磨 」 の「 囉 」 の ミ( 呂 角 ) は 新 し い 音 の 出 現 で 構 成 音( 音 階 ) が 変わるから②から①への転調である。②の音階で使用するのはラ(諸由のあとの引き返しの音)であるが三重宮のユリ ソリの導音はラ♯(揚羽)であるから新しい音の出現で構成音(音階)が変わるから②から③への転調である。この様 に智山声明では呂律間を移動する度に一種の転調をくり返していると考えられる。
四、智山声明の旋法
楽曲の旋法を知るには先ず主音を見極めなくてはならない。坊田氏は以下の様に述べている。 日本音楽の音階はそれを五線譜上に記載してみると常に二個ずつの音が、音階的に配置されているが、ただ一カ 所のみ三個の音の連続がある。─中略─ この三個連続している場所は音階ではただ一カ所で羽音、 宮音、 商音(導 音、主音、上主音)が音階的に順にならんでいるのである。 ( 13) この場合の宮は旋法の主音という意味である。坊田氏の説く三連続音には短音階も含むが前述の通り声明に半音程はな い。 邦 楽 で は 導 音 も 全 音 で あ る。 ( 14) 坊 田 氏 は 邦 楽 で は 三 連 続 音 は 導 音、 主 音、 上 主 音 で あ り そ の 中 心 が 主 音 で あ る と し て い る。 例 え ば「 四 智 梵 語 」 の 律 旋、 「 迦 嚕 婆 縛 」 の「 嚕 」 が 角 徴 羽 の 三 連 続 音 の 順 次 進 行 で あ る。 智 山 声 明 の 三 連続音は次の様になる。 【図七】 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ 呂音階 宮 羽 徴 角 商 宮智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 律音階 宮 羽 徴 角 商 宮 ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 三重呂音階 商 宮 羽 徴 角 商 宮 呂音階では商、律音階では徴、三重の呂音階では三重宮が三連続音の中心であるから、呂旋の主音は商、律旋の主音は 徴、三重呂旋の主音は三重宮という事になる。 この様な旋法になるのは邦楽独特の楽理によるものと考える。田辺尚雄氏は律音階について以下の様に述べている。 我邦の俗楽に於いて用いられる所の五聲は、宮商徴羽の四音は前と同じであるが、然し角の音だけは前のものよ りも約半音、即ち一段だけ高い。即ちこれはどうして出来たかというに、先ずこの俗楽五聲を前の正楽五聲と合致 せしめて見ると、前の一階から二階に渉った中階の所に一つの新しい階段を作ったことになる。 【図八】 二 階 一 階 志那五聲(宮調) 宮○○羽○徴○○角○商○宮○○羽○徴○○角○商○宮 俗楽五聲(徴調) 宮○○羽○徴○角○○商○宮 新しい一階 即ち徴の音を宮として音階を取り扱って行ったことになる。かかる音階を志那では徴調という。これに対して正
智山学報第六十七輯 楽の音階は宮調というのである。─中略─ 我国では前の正楽にあたる音階を呂旋と呼び、俗楽にあたる音階を律 旋と呼ぶ。 ( 15) ここが洋楽と違うところで洋楽では階名を書き替える事はないが邦楽では徴を宮に読み替える様に階名を書き替える。 邦楽では呂音階の五音をすべて宮に置き換えて五つの音階を作りそれを「調」と呼ぶ。この様な言葉があるのかは分か らないがいわば階名調である。これにより呂音階の音の配置は変わらないのだが音の呼び名が変わる。宮調(呂音階) の宮をそれぞれ羽徴角商に置き換えた場合の音度差を下行で考えた場合は次の様になる。 【図九】 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 宮調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 一度 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 宮調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 三度 羽調(宮調の羽を宮にする) 商 ○ ○ 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ 商
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 宮調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 四度 徴調(宮調の徴を宮にする) 角 ○ ○ 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ 角 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 宮調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 六度 角調(宮調の角を宮にする) 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ ○ 宮 ○ 羽 ○ 徴 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 宮調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 七度 商調(宮調の商を宮にする) 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 ○ 羽 羽調は三度、徴調は四度、角調は六度、商調は七度下に宮が下がる。それぞれの調の宮の高さを揃えると【図十】の様 になる。これが各調の音階となり宮が音階の主音である。括弧の三連続音の中心が旋法の主音である。智山声明で意味 する調とは音階の事であり旋法の事ではない。つまり智山声明に於いて宮とは音階の主音を指し旋法の主音の事ではな い。
智山学報第六十七輯 【図十】 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 宮調(呂音階) 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 羽調 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ 商 ○ ○ 宮 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 徴調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 角調 宮 ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ ○ 宮 レ ○ ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 商調 商 ○ 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 この結果、宮調は呂音階の商を主音とした旋法、羽調は呂音階の羽を宮とした音階の角を主音とした旋法、徴調は呂音 階の徴を宮とした音階の徴を主音とした旋法、角調は呂音階の角を宮とした音階の羽を主音とした旋法、商調は呂音階 の商を宮とした音階の宮を主音とした旋法と言える。音階の主音と旋法の主音がどちらも宮なのは商調のみである。各 調の宮と旋法の主音である三連続音の中心との音度差は【図十一】の様になる。
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) 【図十一】 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 宮調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 七度 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 羽調 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ 商 ○ ○ 宮 五度 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 徴調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 四度 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 角調 宮 ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ ○ 宮 二度
智山学報第六十七輯 レ ○ ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド 商調 商 ○ 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 一度 更に各調の宮の音度差と旋法の主音の音度差を足す。即ち【図九】と【図十一】の音度差を足すと次の様になる。 【図十二】 宮 調 一度 + 七度 = 八度 → 七度 羽 調 三度 + 五度 = 八度 → 七度 徴 調 四度 + 四度 = 八度 → 七度 角 調 六度 + 二度 = 八度 → 七度 商 調 七度 + 一度 = 八度 → 七度 音度差の和はすべて八になるが音度を足す時は連結の音が二回数えられるので各調の音度差はすべて七度である。ドに 対する七度下はレであるから宮に対する商である。これは宮調以外の調は宮調の階名を書き替えただけで初めの宮に対 しすべての調の旋法の主音は宮調の商であり音階は呂音階という事である。すべての調は呂音階の配置の音階の呂音階 ( 宮 調 ) で あ れ ば 商 と 呼 ば れ る 三 連 続 音 の 中 心 を 旋 法 の 主 音 と し た 旋 法 で あ る。 つ ま り 智 山 声 明 の 旋 律 は す べ て の 調 に 於いて呂音階(宮調)の商旋法を転調した旋法である。智山声明の呂律では階名や音階は変えるが呂音階商旋法を変え る事はない。呂音階では三連続音の中心、即ち導音と上主音を持つのは商のみであるから商旋法になりやすい。宮をド
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) とすればレ旋法である。 例 え ば 邦 楽 の 呂 旋 の 代 表 的 な 曲 は「 君 が 代 」 だ が、 東 川 氏 は「 君 が 代 」 は 陽 類 均 ニ 調 レ 旋 法 と し て い る。 ( 類とは呂音階と言って良いだろう。 均とはハ (C) 均の事でありCは神仙の事である。ニとは一越 (D) の事であり レ旋法とは商旋法の事であるから、 陽類 均ニ調レ旋法とは呂音階神仙均一越調商旋法という事になる。つまり呂音階 の神仙(C)を宮(音階の主音)として一越(D)を旋法の主音とした商旋法という事である。曲中に転調がある。一 ♯均に転均するとしているから陽類一♯均イ調レ旋法に転調すると考える。一♯均とはト(G)均でありGは双調の事 である。イとは黄鐘(A)の事であるから呂音階双調均黄鐘調商旋法に転調する事になる。つまり呂音階の双調(G) を宮 (音階の主音) として黄鐘 (A) を旋法の主音とした商旋法である。 「君が代」 には三連続音の箇所は二箇所ある。 鍵盤では 「君が代」 の 「みがあ」 がドレミ (CDE) の上行の順次進行で 「八千代に」 の 「ちよに」 がシラソ (BAG) の下行の順次進行である。三連続音の中心のレとラが主音である。全体的な主音はレであり転調した時の主音がラであ る。途中に転調はあるが「君が代」は終始呂音階商旋法である。また、東川氏が指摘する様に五声音階では調を均の様 な意味にも使っている様である。 ( 17) 前述の【図六】の智山声明の実際の旋律から得た音階と比較すると①の音階は宮調、②の音階は徴調、③の音階は商 調と一致する。智山声明の呂律に使うのは商を主音とする宮調、徴を主音とする徴調、宮(三重)を主音とする商調で ある。智山声明の反音曲では宮調を呂とし、 徴調を律とし、 商調を三重の呂とする。以下、 宮調、 徴調、 商調を観察する。
智山学報第六十七輯 【図十三】 徴調 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド シ ○ ラ ○ ソ 宮調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 四度 角 ○ ○ 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 徴調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 四度 【図十四】 商調 ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ 宮調 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 七度 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 商調 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 七度
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) 徴調とは宮調の徴を宮とする音階だから下行すると四度下の音階となる。声明ではこの徴を宮に書き替える。これを 宮調の宮と宮の高さを揃えると【図十三】の様になる。この宮の高さを揃えた時に四度上に転調する。つまり徴調にし た時点で音階、即ち五音はそれぞれ四度上に上がる。これに伴い商も四度上の徴となる。この時、宮調では商と呼ばれ ていた音環境( 18)の音、即ち三連続音の中心である旋法の主音商は四度上の徴に移る。徴調、即ち律音階で徴と呼ぶ のは呂音階の商である。次に商調とは宮調の商を宮とする音階だから下行すると七度下の音階となる。声明ではこの商 を宮に書き替える。これを宮調の宮と宮の高さを揃えると【図十四】の様になる。この宮の高さを揃えた時に七度上に 転調する。つまり商調にした時点で音階、即ち五音はそれぞれ七度上に上がる。これに伴い商も七度上の宮となる。こ の時、宮調では商と呼ばれていた音環境の音、即ち三連続音の中心である旋法の主音商は七度上の宮に移る。商調、即 ち三重の呂音階で宮と呼ぶのは呂音階の商である。羽調、角調も同様の変化をする。商調について田辺氏は次の様に述 べている。 我邦の雅楽で普通に呂旋と称している調子は正しい呂旋ではなくて、多くはこの商調である。 ( 1() 音階の主音と旋法の主音が宮で一致するのは商調のみだから商調を呂旋とすれば洋楽の調の概念と一致する。既に述べ た通り田辺氏は宮調を正楽の呂旋とし徴調を俗楽の律旋とし、更に商調を雅楽の呂旋としている。 宮調の四度上が徴調で七度上が商調である。四度+四度=七度であるから宮調、 徴調、 商調は四度間隔となり商、 三重宮を核音とする四度音程のテトラコルドのコンジャンクトの旋律が形成される。この様に智山声明の呂律の旋律は 呂音階商旋法が四度音程で移動する旋律である。由里、或いはユリソリはすべてこの商に付いている。ただ、テトラコ ルドがずれる事は良くある。例えば「四智梵語」の前半部分の商は実際には徴音に唱えている。この様な博士とテトラ コルドのずれは良く見られる。これも或る種の転調だろう。 この四度音程の移動は呂律間の移動であるから反音という事になるがこの反音は魚山の四種反音の何れにも該当しな い。魚山集に規定する四種反音は概略、隣り合う音、つまり短三度、或いは長二度上下に転調する曲中反、隣次反と主
智山学報第六十七輯 音と属音の関係、つまり五度上下、或いはその転回音である四度上下に転調する甲乙反と五調子に上無下無を加えた七 音 で 隣 の 隣 に 転 調 す る 七 声 反 で あ る が、 ( 20) 現 行 の 曲 中 反 の 箇 所 は そ の 何 れ に も 該 当 し な い。 強 い て 言 え ば 甲 乙 反 に 近い。 洋楽では調とは音名に付き音階と旋法を指す。ハ調、イ調とは呼ぶがド調、ラ調とは呼ばない。一方、邦楽では調と は宮調、 羽調や一越調、 盤涉調といった様に階名と音名のどちらにも付き旋法の事ではなく音階を指す。十二律(音名) に付く調も宮を十二律に指定する事であるから音階を指す事に変わりはない。洋楽では音階と旋法の主音は同じである が邦楽では音階と旋法の主音は別である。ただ商調のみ音階の主音と旋法の主音が同じである。 洋楽の階名の定義で宮とは何かと言えば、その二律上に商を持ち、その二律上に角を持ち、その三律上に徴を持ち、 そ の 二 律 上 に 羽 を 持 ち、 そ の 三 律 上 に 宮 を 持 つ、 こ う い っ た 音 環 境 の 音 を 宮 と 呼 ぶ。 ( 21) そ の 音 環 境 を 変 え れ ば そ の 音はもう宮とは呼べなくなる。他の五音も同様である。一方、邦楽では音階音の配置はそのままで階名を書き替える。 洋楽では主音の音名を変えて転調するが智山声明では呂音階の階名を変えて転調する。厳密にはこの旋法を転調と呼ぶ のが相応しいかどうかは分からないが他に適当な呼び方がないから転調としておく。要するに三段のテトラコルドの移 動 で あ る。 こ の 様 に 両 者 は 違 う 音 楽 理 論 を 持 つ か ら 一 概 に 智 山 声 明 の 旋 法 を そ の ま ま 洋 楽 の 理 論 で 説 明 す る の は 難 し い。一般に律音階は呂音階の角を一律上げた音階と言われる。音の配置はそうなのだがそれでは旋法の主音の移動を示 していない。単に角一つを上げたのではなく呂音階の徴を宮としてその音階全体を四度上げた音階である。同様に三重 の呂は呂音階の角と羽を一律上げた音階であるが、これも呂音階の商を宮としてその音階を七度上げた音階、或いは律 音階を四度上げた音階である。
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻)
五、智山声明の旋律構造と五音の働き
最後にテトラコルド外なので除いておいた上主音を加える。智山声明の旋律はテトラコルドに上主音を加えた基本形 で成立している。 【図十五】 基本形(五度) 上主音 主音 導音 属音 ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ○ ◎ テトラコルド(四度) 基本形の構造は【図十五】の様になる。この基本形の両端は五度になる。核音の両端が五度音程の音の集まりをペンタ コルドと言うが、この場合、上主音は核音ではないのでペンタコルドとは言えない。基本形は主音、導音、上主音、属 音で構成され商、徴、三重宮を主音とする三つの基本形がテトラコルドのコンジャンクトにより商徴で連結して三段に 重なっている。智山声明の属音は下にある。主音が最低音ではない四度音程をテトラコルドと呼ぶのが相応しいかは分 からないが両端は四度である。智山学報第六十七輯 【図十六】 三重宮の基本形(商調) 商の基本形(宮調) 商 ○ 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 角 ○ 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 テトラコルド テトラコルド テトラコルド テトラコルド テトラコルド レ ○ ド シ ○ ラ ○ ソ ○ フ ァ ミ ○ レ ○ ド シ ○ ラ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ○ 商 ○ 宮 ○ 羽 羽 ○ 徴 ○ 角 角 ○ 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 揚 律 呂 テトラコルド 羽 ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 徴の基本形(徴調) ◎で連結 この基本形を本稿では商の基本形、徴の基本形、三重宮の基本形と呼ぶ。商の基本形は宮調、徴の基本形は徴調、三重 宮の基本形は商調に対応する。この三つの基本形内の構造はすべて同じであるから同様の旋律が四度の高低差で移動し ている事になる。商の基本形は三連続音の宮(ド) 、商(レ) 、呂角(ミ)と属音の初重羽(ラ)を使い、徴の基本形は 三 連 続 音 の 律 角( フ ァ) 、 徴( ソ )、 羽( ラ ) と 属 音 の 商( レ ) を 使 い、 三 重 宮 の 基 本 形 は 三 連 続 音 の 揚 羽( ラ ♯ )、 三 重 宮( ド )、 三 重 商( レ ) と 属 音 の 徴( ソ ) を 使 う。 反 音 曲 で は 商 の 基 本 形 は 呂、 徴 の 基 本 形 は 律、 三 重 宮 の 基 本 形 は 三重呂に対応する。 智山声明の呂律の旋律は商調、徴調、宮調の三つで構成されるが各調の音階音をすべて使う訳ではなく基本形の音だ けを使う。
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) 【図十七】 基本形 上主音 主音 導音 属音 ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ○ ◎ 宮 調 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 (羽 調) 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ 商 ○ ○ 宮 徴 調 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ 角 ○ ○ 商 (角 調) 角 ○ 商 ○ ○ 宮 ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 商 調 徴 ○ 角 ○ ○ 商 ○ 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ○ ○ ○ ○ ◎ 核音 核音 テトラコルド この旋法により宮商角徴羽の五音にはそれぞれ主音、導音、上主音、属音の働きができる。智山声明の反音曲では宮 (二重)は商の導音に、 商は主音と徴の属音に、 律角は徴の導音に、 徴は主音と三重宮の属音に、 三重宮は主音に働く。 呂角は商の上主音に、羽(二重)は徴の上主音に、三重商は三重宮の上主音に働く。主音には由里、導音には色、上主 音には引反しや押し上げ、属音には五ッ色、或いは浅自下が付く。例えば主音の商には片由と藤由とユリソリが付く。 同じく主音の徴には諸由と片由とユリソリが付く。諸讃には諸由が多く、 唯呂曲の「三礼如来唄」 、「唱礼」と中曲の「理 趣経勧請」 、「両界勧請」には片由が多い。諸由は律旋の特徴であるから呂曲には付かず中曲には少し出てくる。同じく 主音の三重宮にはユリソリが付く。智山声明のユリソリには二つあり、一つは藤由の様に下向きに由るユリソリともう
智山学報第六十七輯 一つは上向きに反るユリソリである。導音の宮(二重)と律角には色が付く。属音の商には五ッ色、同じく属音の初重 羽には浅自下が付く。五ッ色は博士は角だが商音であり導音が主音に進む色とは違い属音が主音に進む一種のドミナン トモーションの働きであると考える。上主音の呂角と羽(二重)と三重商には引反しや押し上げ(或いは押し遣る)が ある。羽については初重の羽はユルいで下がった時の最低音として商の属音に働くが、二重の羽は少し複雑に働く。二 重の羽は音高としては徴音(ソ)の時、正羽(ラ)の時、揚羽(ラ♯)の時、三重の宮音(ド)の時があり自分の当位 にいない事が多く流動的に上下の核音を助ける、或いは核音に代わる働きをする。旋律上では三重宮の導音揚羽の働き が重要である。ただ、傾きによる博士の性質上、派生音は表記できないため揚羽は羽(二重)の博士か三重宮の博士に 含まれる。 『大典』 中に揚羽の表記があるがこれは音高 (ラ♯) を指すのではなくノコギリ節の様な旋律を指す様である。 智山声明で言う引反しは進流では「モドリ」と言う様であるが、中川善教師は次の様に述べている。 モドリを呂曲は同音に律曲は一音上げる。 ( 22) 智山声明でも同音の引反しと一音上がる引反しがあるが、一音上がる引反しの音が上主音である。羽音(ラ)は諸讃の 諸由の後の引反しに現れるが博士上に二重の正羽を示す垂直上向きの博士が出てきたらそれは概ね羽音(ラ)ではなく 徴音(ソ)か大ソリの揚羽音(ラ♯)と三重の宮音(ド)である。大ソリとは二重羽の博士に付く働きであるがこれは 羽(揚羽)が大きくソリ過ぎて一位上の三重の宮に達するソリの事であると考える。 『大典』に 呂律一位の高下ある故、呂の角は律の徴なればやはり徴に由るの道理なり。 ( 23) とあり「散華」の五徳由の付く角の本質は徴であるから大ソリの付く徴の本質は羽である。羽には大ソリの働きがある ので三重の宮までいける。徴に付く大ソリが三重の宮音であるのはそのためであると考える。 智山声明の博士は音高を示すというよりもその働きを示す役割が重要でその旋律は基本形の集合体であるため音程が 正確である。我々は博士の音譜的機能ではなく諸由、色、五ッ色などの旋律の働きで徴音、角音、商音などを記憶して いる。智山声明の習得者に無理なく或る音を出し、それを徴として角、商、羽を出しなさいと言っても余程音感が良く
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) なければ出せないだろう。しかし色をやりなさいと言えば角音が、五ッ色をやりなさいと言えば商音が、諸由の引反し を や り な さ い と 言 え ば 羽 音 が い と も 簡 単 に 出 せ る は ず で あ る。 で は 宮 を 出 し な さ い と 言 え ば そ れ は 出 せ な い は ず る。宮は徴の基本形外であるから徴から宮への直接の進行はないからである。徴から宮へ進むには商を経由しなくては ならない。これが本稿で言う転調である。では、色や五ッ色から商に下りて宮の回由、或いは浅自下をやりなさいと言 えば簡単に宮音が出せるはずである。 商の基本形に移るからである。 そのまま下がれば初重の羽音が出せるはずである。 同様に単に揚羽、三重宮、三重商を出せと言われても難しいが、徴からユリソリをやりなさいと言えば揚羽音、三重宮 音がいとも簡単に出せるはずである。次に引反しなさいと言えば三重商音が出せるはずである。この様に我々は五音を 音ではなく働きで記憶している。だから音程が正確である。そして商徴を経由して三段の基本形を移動している。この 基本形の移動はテトラコルドの移動であるが商、徴は三段のテトラコルドの連結部分であり、連結する二つのテトラコ ルドのどちらにも含まれる音であるから転調の基点となる。基本的にこの二つの核音を経由して次の基本形に進む。或 いは浅自下のユリ反しの様に上行の時に商の基本形から商を経由せずに直接徴に進む事もあるがその時は一端導音の角 に進んでから徴に進む。同様に三重宮へ進む時も徴を経由するか一端導音揚羽に進んでから三重宮へ進む。例外は休止 の様に音が途切れるところである。 無理なく或る音とはどう出すのか。 『大典』に面白い記述がある。 圓識房晋詮老師かつて吾が師に語って曰く。人間の日常対話する声は先ず二重の角位なりと。一応その理を得た るというべし。 ( 24) 少し現実的ではないがこの文では普段話している声を一応二重の角としているのでそれより少し高い声が二重の徴とい う事になる。覚意師の五音博士の発声域は徴から一階上の徴を経て二階上の徴までの二オクターブである。一般人の発 声域を二オクターブとすればその人の発声域の真ん中を二重の徴とすれば丁度良い。二重の徴は上下に一オクターブの 音域があるから唱法上にも無理がない。会話の声といっても人それぞれだから目安である。尤も唱和する時は或る程度
智山学報第六十七輯 の絶対音高が必要だろう。 智山声明の呂律は三段の基本形の積み重ねであるから旋律の最低音である初重の羽から最高音である三重の商までが 智山声明呂律の実質の音域となる。これにより智山声明の初重、二重、三重には三つの場合が考えられる。一つは覚意 師の五音博士が示す初重、二重、三重。もう一つは「舎利講式」 、「光明三昧」などの転調音階の初重、二重、三重。こ の 場 合 は「 光 明 三 昧 」( 25) の 博 士 か ら 初 重 と 三 重 が オ ク タ ー ブ 関 係 で 初 重 の 四 度 上、 三 重 の 五 度 下 が 二 重 で あ る。 そ してもう一つが呂律の旋法による初重、二重、三重である。この場合、商の基本形が初重、徴の基本形が二重、三重宮 の基本形が三重である。三重宮の基本形には二重の徴、揚羽が含まれるがこの二つは三重宮への上行の予備動作の音と 言 っ て 良 い。 「 文 殊 讃 」 に 三 重 の 角 徴 が 現 れ る が こ れ は 二 重 の 博 士 を 一 オ ク タ ー ブ 上 げ る 岩 原 諦 信 師 の 説( 26) に 従 え ば良い。 一般に楽曲は静かに始まり中程で活動してまた静かに終わる構造が多い。智山声明の反音曲は概ね発音、 休止、 終止、 或いは低音部の表現には呂(商の基本形)を使い、 曲の主題には律(徴の基本形)を使い、 高音部の表現には三重呂(三 重宮の基本形)を使う。旋律は律旋が主役となり徴が旋律の中心となる。
六、
四度音程と五度音程
『大典』に次の様な記述がある。 由里とは(ユルギの略)博士に生ずる抑揚なり。略して由と云う。この由里は多く商の博士と徴の博士にあり。 ( 27) こ の 記 述 は 商 徴 に 由 里 が 付 く 四 度 音 程 を 示 し て い る。 『 大 典 』 の 記 述 が 示 す の は 四 度 音 程 の 旋 法 で あ る。 一 方、 魚 山 の 規 定 で は 呂 旋 で は 宮 と 徴 に、 律 旋 で は 宮 と 角 と 徴 に 由 里 が 付 く。 ( 28) 呂 旋 の 宮 は 麗 し く ユ ル と あ り こ れ は ユ リ ソ リ の 様な旋律と考える。律旋の角に付く由里は現在の色の原形であると考える。色ユリと言って色も由里の一つであった様智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) である。 ( 2()概ね由里が付くのは商ではなく宮と徴であるから五度音程である。柴田南雄氏は次の様に述べている。 中 国 の そ れ の 多 く が 五 度 音 程 を 枠 と し て い る よ う に 思 わ れ る の に 対 し て、 日 本 の そ れ は 四 度 音 程 を 枠 と し る。なぜこんなに近い、となり合った国同士で、しかも大昔から交流のあった二国の間で、こんなにも根本的な音 組織の相違が起こっているのだろうか。 ( 30) 日本民謡や日本の多くの芸術音楽では、オクターブも五度も三度も重要ではない。むしろそれらの存在に無関心 でさえある。─中略─ あくまで完全四度を基本に、音の組織が成り立っている。 ( 31) 唐楽は五度音程を基調とし邦楽は四度音程を基調とするとしている。 新 井 弘 順 師 の 説 で は 反 音 曲 の 呂 の 宮 は 商 に、 徴 は 羽 に 書 き 替 え ら れ て い る と し て い る。 ( 32) つ ま り 元 々 商 は 宮 り羽は徴であった事になる。魚山中、 反音曲は商で起止、 或いは羽で始まり商で終わる。中曲と概ね唯律曲は宮で起止。 唯呂曲は徴で起止。反音曲でも「云何唄」と「散華」は徴で起止する。反音曲以外で商で終わるのは「對揚」 、「吉慶梵 語」 、「金剛手言」 、「善哉」 、「合殺」などであるが「對揚」も商で終わるのは「對告句」のみである。もし反音曲が書き 替えられていなければ魚山中のほとんどの曲は宮で起止するか徴で起止する、或いは徴で始まり宮で終わる事になり商 で起止する曲は少ない。宮徴で起止する、或いは宮徴を核音とするのが元々の声明であれば声明は五度音程が基本であ る。魚山集には四度音程や階名調や商旋法などの記述はない。魚山の由里の規定は五度音程であり、声明は元々呂曲と 律曲は別々のものであったと考えられる。唯呂、 唯律とは反音を使わずに一曲を解決する旋律であり、 曲中反とは呂曲、 律曲間を往復する事である。本来、曲中反とは一越調呂から盤涉調律、或いは双調呂から平調律といった様に平行調間 の転調( 33)の様な意味であるから唯呂、唯律、曲中反などは呂曲と律曲が宮徴を主音、属音とした独立した一つの音 階から構成される旋法である事を示すものであると考える。 一 方、 『 大 典 』 の 記 述 は 商 徴 に 由 里 が 付 く。 こ れ は 主 に 反 音 曲 の 事 で あ る が 現 行 の 智 山 声 明 の 諸 讃 の 旋 律 は 反 音 唯呂曲、唯律曲を問わず多くの旋律が商音か徴音で起止する、或いは徴音で始まり商音で終わる。これは商徴の四度音
智山学報第六十七輯 程の旋律である。五度音程は唐楽であり四度音程は邦楽である。仮に唐から輸入した声明が次第に邦楽化したとしても それはむしろ自然な変化であると考える。
七、唯呂曲、唯律曲、反音
智 山 声 明 の 現 行 の 旋 律 は 反 音 曲 以 外 の 唯 呂 曲、 唯 律 曲、 「 理 趣 経 勧 請 」、 「 両 界 勧 請 」 な ど の 中 曲 も 旋 律 構 造 は 同 じ で ある。商の基本形、徴の基本形、三重宮の基本形も同じであるが反音曲以外は商の基本形を呂、徴の基本形を律、三重 宮 の 基 本 形 を 三 重 呂 と す る 訳 に は い か な い 。唯 呂 曲 で は こ の 三 つ の 基 本 形 は す べ て 呂 で あ り 唯 律 曲 で は す べ て 律 で あ る 。 唯呂曲は 「三礼如来唄」 や 「唱礼」 などであるがこれらの曲は徴で起止して徴に由里が付くから徴が主音である。 「三 礼如来唄」の「如来唄」は角で終止するがこれは導音終止の不完全終止という事で良いだろう。これは律ではなく徴が 主音の呂旋である。つまり現行の智山声明の呂には徴を主音とする唯呂曲の呂旋と商と三重宮を主音とする反音曲の呂 旋 が あ る 事 に な る。 こ れ に つ い て「 云 何 唄 」 の 博 士 を 観 察 す る。 「 云 何 唄 」 は ほ と ん ど が 呂 旋 で あ る が 初 め の 二 行 は 徴 が主音の唯呂曲で三行目は反音曲となり四行目でまた徴が主音の唯呂曲にもどると考える。三行目の「復以」は商が主 音の反音曲の呂旋で「何因」は律旋で「縁」は商が主音の反音曲の呂旋であり最後の角徴で徴が主音の唯呂曲にもどる と 考 え る。 「 云 何 唄 」 は メ リ ス マ 的 で 旋 律 ら し い 箇 所 は「 復 以 何 因 」 の 箇 所 の み で あ る が「 復 以 」 の 商 音 は 当 位 で 以 下 正 確 に 角 徴 に 上 が る 四 度 音 程 の 反 音 曲 の 旋 律 で あ る。 「 縁 」 で 旋 律 は 徴 が 主 音 の 唯 呂 曲 に も ど る が 博 士 は ま だ 商 に ユ リ ソ リ が 付 く 反 音 曲 の 呂 で あ る。 「 寿 」 の 博 士 に 三 重 宮 が 現 れ る が こ れ は 反 音 曲 の 宮 で は な く メ リ ス マ 的 な 唯 呂 曲 の 宮 で あると考える。また、岩原師はユリソリは呂特有の働きで律にはみられない( 34)としている事から『法要次第』に表 記する藤由の様なユリソリは商に付く徴に付くという事ではなく呂に付くと考える。それに準ずれば「散華」の博士も 「云何唄」同様にユリソリの付く箇所は呂旋であると考える。 「云何唄」と「散華」は反音曲でも特殊で唯呂曲を基礎と していると考える。前述したが『大典』に智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) 律の角は呂の徴の如く働く故に角を由るなり。─中略─ 一越は呂なり。散華は呂の博士なるを律に唱うれば呂 律一位の高下ある故、呂の角は律の徴なればやはり徴に由るの道理なり。 ( 35) と あ り「 散 華 」 の 博 士 は 呂 で あ る が 律 の 様 に 一 位 高 く 唱 え る と し て い る。 「 散 華 」 に は 律 旋 の 特 徴 で あ る 諸 由 と 角 が一つもない事からほとんどが呂旋であると考えるが反音については不明である。 岩原師は 「散華」 の反音について 「場」 と、これと同じ譜形の「教」 、「道」は曲中反としている。 ( 36)「場」は「ン願我在道」から短三度上行する。曲中反と は別名羽調反音であるから宮調の宮を短三度下の羽にする反音である。 【図十八】 (一越反音) ♯ D C B A G F F E D C B 一 上 神 盤 鸞 黄 鳧 双 下 勝 平 断 一 上 神 盤 宮調(一越調呂) 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 羽調(盤涉調律) 商 ○ ○ 宮 ○ 羽 ○ ○ 徴 ○ 角 ○ 商 ○ ○ 宮 先ずは普通に考えれば曲中反は 【図十八】 の様に宮調から羽調に反音するのだが一越調呂の徴 (A) で 「ン願我在道」 を発音すれば 「場」 はCDとなる。これは盤涉調律では三重の嬰宮 (C) 商 (D) であり博士とはまったく一致しない。 も し こ れ が 逆 な ら 分 か る。 宮 調 か ら 羽 調 に 移 る の で あ れ ば 上 行 は 不 自 然 で あ る。 【 図 十 八 】 の 通 り 宮 調 か ら 羽 調 へ ば 短 三 度 の 下 行 で あ る。 音 律 上 は 羽 調( 律 ) で 始 ま り 反 音 の 箇 所 で 宮 調( 呂 ) に 移 る 方 が 自 然 で あ る。 「 ン 願 我 在 を盤涉調律の徴(F♯)で発音して「場」で一越調呂の徴(A)に反音すれば同じ徴でもF♯からAへの短三度上行の 転調になる。しかしそれでは呂律が逆である。また、仮に羽調(律)で始まり宮調(呂)に反音するとしてもこの音階 ではF♯に上主音(G♯)と属音(C♯)がないのでその後の旋律が成り立たない。
智山学報第六十七輯 次 に 羽 調 と 宮 調 の 音 階 の 主 音 の 高 さ を 揃 え て 比 べ て み る。 【 図 十 九 】 の 階 名 を 書 き 替 え な い 羽 調 と 宮 調 を 比 較 す る と 階名を書き替えない羽調は宮調の五音に比べてそれぞれ四律(短三度)高くなる。 【図十九】 (ハ均) ド ○ ○ ラ ○ ソ ○ ○ ミ ○ レ ○ ド 宮調(呂 ) 宮 ○ ○ 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 ♯ ♯ 書き替えない ド ○ ラ ○ ○ ソ ○ ファ○ レ ○ ○ ド 羽調(律) 羽 ○ 徴 ○ ○ 角 ○ 商 ○ 宮 ○ ○ 羽 「ン願我在道」 は宮調の徴で発音する。この徴をソとすれば 「場」 の大ソリは羽調の徴のラ♯とドである。同じ徴でも 「ン 願我在道」の徴はソであり「場」の徴はラ♯である。ソの短三度上はラ♯であるから短三度上行の転調になる。ドは大 ソ リ の 働 き で あ る。 こ れ で 転 調 に つ い て は 一 応 の 説 明 が つ く が こ の 羽 調 音 階 の 角( ソ ) に も 上 主 音 と 属 音 が な い。 「 律 は一位高い」とは【図十八】の様に羽反音では律音階は呂音階より一位低いから同じ音高を表記するなら博士は律が一 位 高 く な る と い う 事 で あ る と 考 え る。 【 図 十 八 】 の 宮 調 の 角 は F ♯ で 羽 調 の 徴 と 同 音 で あ る。 こ の 羽 調 の 徴 を い つ の 間 にか宮調の徴と取り違えた様である。それに準じて五音も一位上がる。或は【図十九】の様に邦楽では音階の主音を何 でも宮に揃えてしまうからそうなると考える。何れにしてもこの箇所は単に律は一位高く唱えるとの解釈が良い様であ る。 本 稿 で は 大 ソ リ の 徴 は 羽( 揚 羽 )、 五 徳 由 の 角 は 徴 と し て こ の 箇 所 の 旋 律 構 造 も 基 本 形 の 移 動 と し て 扱 う。 以 下 角 徴が曖昧だが「散華」は概ねその旋律構造である。また、 「散華」の羽の博士は押し上げ以外は徴音と扱って良い。 唯律曲には「對揚」 、「吉慶梵語」 、「梵音」 、「錫杖」 、「文殊讃」などがあるが「對揚」 、「吉慶梵語」については旋律構
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) 造 は 反 音 曲 と ま っ た く 同 じ で あ る。 「 梵 音 」、 「 錫 杖 」、 「 文 殊 讃 」 は 音 源 が 少 な い の で 断 定 し 難 い が こ れ ら も 概 ね 同 旋律構造であると考える。特に 「梵音」 は 「對揚」 の旋律構造に良く似ている。唯律曲で気を付けるのは 「對揚」 の 「那」 に見られる浅自下である。浅自下は低音部の重要な旋律型である。この浅自下は商の基本形であるが蒲生郷昭氏は「新 義の浅自下は律曲にのみ用いられる」 ( 37)としている。智山声明では荒由+自下を本自下と称し、 荒由が不完全かまっ た く な い も の を 浅 自 下 と 称 し て い る。 蒲 生 氏 は 自 下 に つ い て「 一 位 下 が っ て 二 位 上 が る 」( 38) と 表 現 し て い る。 二十】の「那」の浅自下の本博士は宮、初重羽、商と一位下がって二位上がっているが初重羽から商の博士が連続して い な い。 『 大 典 』 の 本 博 士 に は 時 々 博 士 が 連 続 し て い な い 箇 所 が あ る が そ の 箇 所 は 何 れ も 直 接 次 の 博 士 に は 進 ま ず 引反しか突きが間に入る。 【図二十】 ( 3() 『大典』に 浅自下とは片由一つして下がって三つユルグ。而して下の羽に下がりて引反す。 ( 40) とあるが智山声明には引反しは二つある。 一つは通常引反しと呼んでいる引反しでこの引反しにも二つある。 一つは 智梵語」の「薩」の様な同音の引反し、もう一つは諸由の後の一音上がる引反しである。次にもう一つの引反しとはユ
智山学報第六十七輯 リ反しである。反しとは或る方向に進む旋律の反動の様な働きで引き返す、或いはもどる働きで旋律のバランスを保っ ていると考える。浅自下の引反しはユリ反しである。ユリ反しの徴音はテトラコルドの移動になるが、 唯呂曲、 唯律曲、 中曲に理論上は反音はない。一方、低音部には【図二十】の「主」の様に浅自下の様にユルいで下がって初重羽で終わ る 旋 律 が 良 く 現 れ る が 二 位 上 が ら な い、 ま た は 反 し の な い 旋 律 は 本 稿 で は た だ 振 り 下 げ る だ け と し て 自 下 と は 扱 わ な い。この振り下げる博士は自分では上がらないが次の博士が向かえに来る感じが多い。 『大典』 「西方讃」の「縛」に浅 自下があるが続く「羅」と合わせて「南方讃」同様の二字自下と解釈する。ユリ反しは「散華」にも良く現れるが多少 の強弱の違いはあるかも知れないが旋律は大ソリと同じユリソリである。違いは進む方向で大ソリは前に進む働きでユ リ反しは後ろに引き返す働きであると考える。 「四智梵語」の「羯」や「對揚」 「弘法大師」の「大」の様に引反しの箇 所が五ッ色になっている箇所がある。何れも直前の音は初重羽音ではなく商音である。五ッ色は本来角の博士に付く。 作り博士とはいえ徴に付くのは不自然である。この五ッ色もやはり旋律の機能としては「四智梵語」の場合も反音では なく反しの働きであると考える。浅自下同様の旋律型は「四智梵語」の「羯」や「四智漢語」の「業」の様に反音曲に もあり反音曲では呂旋となる。この様に唯呂曲と唯律曲の呂律は同じ基本形でも反音曲と同じには扱えない。特に唯律 曲の商の基本形を呂に、唯呂曲の徴の基本形を律に間違えない様に注意を要する。常に徴だから律、商だから呂とは限 らない。 唯呂曲の呂旋はメリスマ的旋律が多く音が少な過ぎて旋法の規則性を判じがたい。尤もそれが前述した小泉氏の説く 声明本来の旋律だと考える。 「云何唄」 を見ると元々声明はそれほど複雑な旋律ではなかった様な気がする。加えて 「云 何唄」や長曲の「如来唄」には三重の博士が現れるが「云何唄」の「寿」には「散華」の頭とほぼ同型の博士が現れる 事から「唄」には元々もっと高い旋律も含まれていたと考える。呂旋は初期の声明で低い音と高い音の組み合わせを単 純 な 旋 律 で 唱 え て い た と す れ ば そ れ ほ ど 複 雑 な 旋 法 も 必 要 な く、 そ れ な ら ば 四 度 も 五 度 も あ ま り 関 係 な か っ た と 考 え る。むしろ重要なのは小泉氏が「核音支配による旋律構造の源流」と指摘する様に旋法よりも由里である。それに対し
智山声明に於ける呂律の旋律構造について(我妻) て律旋は音の変化が多く進行も早く旋律の規則性もある事から呂旋よりも後に進化した旋律と考える。律旋はハッキリ とした旋律で呂旋は変化の少ないユッタリとした旋律と言える。 反音曲間の反音については実際の旋律は四度音程の移動になっているがこれを羽反音とは言い難い。現在、反音曲で 呂と呼ぶ旋律は商が主音に働く旋律で律と呼ぶ旋律は徴が主音に働く旋律である。曲中反の箇所は現行では商が主音の 旋律から徴が主音の旋律に、或いは徴が主音の旋律から商が主音の旋律に移る構造になっている。現行の曲中反とは四 度音程の主音の交代である。律と三重呂の反音も同様である。しかしこれは基本形の移動であるから反音に限らず現行 の智山声明全般の旋律構造である。魚山が規定する曲中反は呂曲、律曲が独立した旋律体系を持って可能となる。最初 から呂律で構成されている旋律で魚山通りの曲中反は困難である。反音は多くの場合、転調の意味に捉えられる。勿論 そうなのだが現行の反音を観察すると反音の「反」は辞書の語義の一つの「かえる」という意味合いが適当ではないか と考える。
八、まとめ
本稿では反音曲を中心に実際の旋律に基づき現在の智山声明の呂律の旋律構造を考察してきた。考察の結果、智山声 明の旋律は四度音程の商、徴、三重宮を主音としたテトラコルドに上主音を加えた三つの基本形が三段に重なり、その 基本形を或いは一つ、或いは二つ、或いは三つと必要に応じて交互に使い分ける旋律になっている。これは呂音階商旋 法が商、徴、三重宮の四度音程を移動する旋法、或いは宮調、徴調、商調が転調する旋法となる。この旋律構造は邦楽 の調の概念と呂音階の性質によるものであると考える。智山声明の旋律の骨格は徴音から商音、商音から徴音、商音か ら初重羽音、徴音から三重宮音といった様に何れも四つの核音から成る四度音程で構成されている。由里、或いはユリ ソリを見れば主音は一目で分かる。反音曲では商に由里が付く時は商が主音の呂であり徴に由里が付く時は徴が主音の 律であり三重宮にユリソリが付く時は三重宮が主音の三重の呂である。色は導音的働きであるから一見して角に色が付智山学報第六十七輯 く時は徴が主音の律であり宮に色が付く時は商が主音の呂である。終止形は商に片 由 が付くから商が主音の呂である。 反 音 曲 以 外 の 唯 呂 曲、 唯 律 曲、 「 理 趣 経 勧 請 」、 「 両 界 勧 請 」 な ど の 中 曲 も 博 士 や 主 音 や 呂 律 の 扱 い な ど は 違 っ て く る が 旋律構造自体は同じである。勿論、 例外もある。 「長音」 、「調声」 の段々の頭の様な独立した音階を持つと思われる旋律、 或いは「教化」 、「祭文」 、「表白」 、「説草」 、「講式」の様なアクセントを反映していると思われる旋律などである。その 他にも細かい例外は沢山ある。 以上、現行の智山声明の呂律の旋律構造を考察してきたが本稿は旋律を観察しただけで魚山集や『大典』の博士と記 述そのものを考察した訳ではない。智山声明の旋律構造には一定の規則性がある様だが節回しと呼ばれる唱法の微妙な テクニックと音程は言葉では説明できない。声明の本質が伝承にある事は言うまでもない。いくら理論的に考察したと ころで片由一つすら習得する事はできない。声明を音律的、学問的に研究する事は大いに有意義な事であると考える。 しかしそれはすべて説であって伝ではない。声明に於いて説とは声明を理解する上では大いに参考になるがあくまでそ の人の個人の考えである。伝とは嫡々相承されてきたものを指し個人の意見が入り込む余地は一切ない。その違いは明 確にしなくてはならない。伝と説はその活躍の場を異にする。伝が説に左右されたり伝に説を持ち込む様な事があって はならない。周知の事ではあるが筆者の自戒も含めて蛇足ながら書き添える。 (註) (1) 『日本伝統音楽の研究』 小泉文夫著 二〇八頁 (2) 『日本伝統音楽の研究』 小泉文夫著 一二〇頁 (3) 『日本伝統音楽の研究』 小泉文夫著 六九頁 (4) 『日本伝統音楽の研究』 小泉文夫著 一三一頁 (5) 『日本伝統音楽の研究』 小泉文夫著 一七〇頁