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密教文化 Vol. 2003 No. 211 002古坂 紘一「『金光明最勝王経』重顕空性品に見る空性論と実践論 PL1-L35」

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(1)

密 教 文 化

金 光 明最 勝 王 経 』重 顕空 性 品 に見 る

空 性 論 と実践 論

古 坂 紘 一 §緒 言 こ こ に 「空 性 論 」 と い うの は、 何 が 如 何 に して 「空 」 で あ るか とい う存 在 論 的 な 問 題 を 論 じる一 連 の 命 題 を 指 し、 そ れ に対 して 「実 践 論 」 とは、 空 性 を 知 る所 に どの よ うな 実 践 的 価 値 が あ る のか と い う徳(功 徳)の 問題 、 お よび そ の 徳 にか か わ って 行 為 は ど う あ るべ きか と い う当 為 の問 題 を論 じ る命 題 を 指 す 。 この 空 性 論 と実 践 論 の二 者 が 「空 性 」 を説 く仏 典 で ど の よ う に総 合 され 得 るの か 、 あ る い は総 合 され よ うと して い るのか をあ ぐって、 こ こ に イ ン ド中 期 大 乗 仏 教 の サ ンス ク リ ッ ト(梵 文)経 典 で あ る 『ス ヴ ァ ル ナ ・プ ラバ ーサ ・ウ ッタマ ・ス ー トラ」、 唐僧 義 浄 に よ る そ の 漢 訳 『金 光 明 最 勝 王 経 』(以 下 『最 勝 王 経 」)の 「重 顕 空性 品第九 」(略 称 「顕 空 品」)、 お よ び法 相 宗 第 二 祖 慧 沼(648/50-714)の 最 晩 年 の 作 と さ れ る1)、『金 光 明 最 勝 王 経 疏』(以 下 『疏』)を 通 して 若 干 の考 察 を試 み た い。 『最 勝 王 経 』 は、 高 野 山 金 剛 峯 寺 にお いて 現 在 も毎 年 旧暦 六 月 十 ・十 一 日 に厳 修 され て い る 「御 最 勝 講 」 で 論義 され る基 本 的経典 で あ るが、 チベ ッ トで も密 教 経 典 と して 扱 わ れ るの で 、 密 教 と不 可 分 の関 係 を もっ とい え よ う。2)こ の 『最 勝 王 経 」 に は特 に空 性 に っ い て重 点 的 に説 く品 が 二っ あ る。 一 は 「重 顕 空 性 品 第 九」 で、 他 は 「依 空 満 願 品 第 十」(梵 本 欠) で あ る。 『最 勝 王 経 」31品 の うち梵 本 が 現 存 す るの は21品 で あ るが、 「重 顕 空 性 品 第 九 」 は梵 本 も現 存 して お り、 この 品 にお いて 空 性 論 と実 践 論 が 共 に簡 潔 に 説 か れ て い る。 そ の こ とは慧 沼 の 『疏」 に照 ら して 見 れ ば 一 層 明 らか に な る。

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-116-そ れ で は 「重 顕 空 性 品 」 は も と も と どの よ うな 動 機 で 造 られ た もの で あ ろ うか? §重 顕 空 性 品 の 主 旨 「重 顕 空 性 品 」 は eunyata-parivartahと 名 づ け られ る梵 語 名 を も っ て い る。 直訳 す れ ば 「空 性 の章 」 で あ る。 この 「重 顕 空 性 品 」 即 ち 「顕 空 品 」 は弘 法 大 師空 海 の 『金 勝 王 経 秘 密 伽 他 』 に よ る と、 六 根 と五 纏 は相 い識 らず 一 一 の 細 念 は我 が 躬 に あ らず3) と い う頒 を以 て概 括 され て い る。 後 述 の いわ ゆ る内 空(4偶)、 無 際 空(20 偶)に 特 に焦 点 が 当 て られ た上 で の概 括 で あ る と考 え られ る。 「顕 空 品 」 の動 機 に っ い て は この 品 の 第1∼3偶 に説 明 さ れ て い るが 、 特 に 第1偶 で は、 他 の経 に説 か れ る空 の法 を 要 約 して こ こに説 く、 と言 っ て い る。 慧 沼 の 『疏 』 で も 「飴 の甚 深 の経 に 於 いて 」 が 『深 密 』 『榜 伽 』 『般 若 』 等 の経 に お いて と い う こ とで あ る と して い る が 、 しか し義 浄 訳 で 「重 顕 空 性 品 」 とい わ れ る こ との 理 由 にっ いて 慧 沼 の 『疏 」 は、 前 の寿 量(品)等 に お い て大 乗 の果 を 明 か し、 夢 臓(夢 見 金 鼓 繊 悔 品 第 四)等 の 下 は大 乗 の行 を明 か す 。 大 乗 の行 は境 に託 して生 ず。 前 の 諸 品 中 に略 して 空 を 明 す と錐 も未 だ 広 く正 し く は辮 ぜ ず 。 今 境 を 明 さ ん が 為 め の故 に此 品 来 る。4) と い う。 っ ま り この 品 の前 に空 性 の こ と は略 して説 か れ た け れ ど も、 こ こ で 大 乗 行 の対 象 を 明 らか にす るた め に重 ね て 一 品 を設 け た、 と い うの で あ る。 空 海 の 『最 勝 王 経 開題 』 にお い て も、 顕 空 性 品 の 意 は、 前 の寿 量 、 三 身 の二 品 は大 乗 の果 を 明 か し、 次 の俄 悔 滅業 等 の 諸 品 は大 乗 の行 を 明 か す。 行 は必 ず 境 に 由 りて 生 ず るが 故 に、 今 大乗 の 境 を明 か す が故 に此 の 品有 り。5) と い うよ うに 『疏 」 と軌 を一 に した解 説 が施 され て い る。 ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

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-115-密 教 文 化 で は 「重 顕 空 性 品 」 よ り前 の壽 量 品 と分 別 三 身 品 に は 「空」 が どの よ う に説 か れ て い るか 、 義 浄 訳 を も とに、 主 な記 述 を拾 って み よ う。 まず 「如 來 壽 量 品 第 二 」 に如 來 の究 寛 般 浬 葉 の特 徴 の一 っ と して、 如 來 は有 情 及 び法 の髄 性 は皆 空 な り と了 知 す 。 空 を離 る る もの は 有 る に非 ず。 空 性 は即 ち是 れ眞 の 法 身 な る が 故 に 、 名 づ け て 浬 藥 と爲 す。6) とい う。 こ こで は空 性 、 法 身 、 浬 樂 の同 一 性 が示 され て い る。 次 に 「分 別 三 身 品 第 三 」(梵 本 欠)に 、 讐 え ば無 量 無 邊 の 水 鏡 の光 に依 るが 故 に、 空 影 に種 種 の異 相 を現 ず る を得 るが如 く、 空 は即 ち是 れ 無 相 な り。 善 男 子 よ。 是 くの如 く諸 弟 子 等 を受 化 す る は、 是 れ 法 身 の影 に して 、 願 力 を以 て の 故 に、 二 種 の身 (化 身 ・応 身)に 於 い て種 種 の相 を現 す も、 法 身 地 に 於 い て 異 相 有 る こ と無 し。7) とい う。 空 の影 、 法 身 の影 す な わ ち化 身 ・応 身 は種 種 相 を 現 す が 、 法 身 そ の もの は空 で あ り無 相 で あ る と い う。 この 章(品)で は化 身 ・応 身 は常 か っ 無 常 で あ る が、 法 身 は常 住 で あ る とす るの で 、 法身 と して の空 性 は常 住 で あ る と して い る こ とに な る。 「前 の諸 品 」 に お け る この よ うな 法 身=空 性 観 は顕 空 品 にお い て明 示 さ れ て い な い。 しか し法 身 と して の空 性 、 浬 葉 とい う 目的 に 向 か う過 程 に お いて 観 察 され るべ き大 乗 行 の対 象 と して の実 践 行 的空 性 が こ こ に説 か れて い る と い う 『疏 』 等 の解 釈 は、 顕 空 品 の合 目的性 を 明 らか にす る と同 時 に、 空 性 と い う概 念 が 『最 勝 王 経 」 で如 何 に重 要 な位 置 を 占 あ るか を 示 唆 して い る。 しか しなが ら、 経 の本 文(第1偶)に 照 らす限 り、 「重 顕 」 と い う 語 の 本 来 の 意 味 は、 目的 を述 べ そ の過 程 の 内容 を重 ね て顕 わ す と い う よ り も、 他 の 諸経 典 を 要 約 して重 ね て顕 わ す とい う こ とに あ る の で はな いか と 考 え られ る。 で は重 顕 空性 品 で 説 か れ る空 性 は概 して ど の よ うな意 味 を もっ と言 え る の で あ ろ うか?ま ず 慧 沼 の 『疏 」 を介 して 空 性 が どの よ う に分 析 され 得 る

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-114-か を見 て み よ う。 § 重 顕 空 性 品 と 『十 八 空 論 」 慧 沼 の 『疏 」 は 「重 顕 空 性 品」 を 注釈 す る に当 って 、 『十 八 空 論 』 お よ び 『辮 中 辺 論 」 を 引用 しっ っ、 この 品 の段 落 を解 釈 して お り、 中 で も 『十 八 空 論 』 を 「彼 論 」 と呼 び っ つ 引用 して顕 空 品 の頒 を 注解 して い る。 以 下 に見 る内 空 、 外 空 等 の名 称 は ハ リバ ドラの 『現 観 荘 厳 論 』(梵 文) にお い て列 挙 さ れ る二 十 空 が adhyatma-sunyata, bahirdha-sunyata 等 と名 づ け られ て い る の を見 れ ば、8)「十 八 空 」 の 「空 」 は 「空 性 」 と 呼 ば れ るべ き概 念 で あ る。 『十 八 空論 』 は 『マ ドヤ ー ンタ ・ヴ ィバ ンガ』 即 ち 『中辺 分 別 論 』 に基 づ く もの で あ る とい う こ とを 、 宇 井 伯 寿 博 士 は 「十 八 空 論 の研 究 」 にお い て 詳 し く考 証 され、 「何 人 か が評 釈 講 述 して 中辺 分 別 論 疏 を 造 り、 そ の 人 の 中辺 分 別 論 疏 を三 蔵(真 諦)が 訳 し、 そ れ の残 簡 が 十 八 空 論 とな って 居 る ので あ ら う」9)と推 定 され て い る。 『十 八 空 論 』 は、 竜 樹 作 と記 され る に も拘 わ らず 、 『中辺 分 別 論 』 と事 ほ ど左 様 に近 い関 係 に あ る の で あ るか ら 当 然 唯 識 法 相 の論 書 に類 せ られ る。大 正 蔵 で も楡 伽 部 に入 れ られ て い る。 と こ ろで 慧 沼 の 『疏 』 は 『中辺 分 別 論 」 で はな く、 『マ ドヤー ンタ ・ヴ ィ バ ンガ』 の も う一 っ の訳 の 『辮 中辺 論 』 の 方 を よ く引 用 して お り、 特 に 『辮 中 辺 論 』 の 中 の無 際空 ・無 散 空 ・本性 空 ・一 切 法 空 の 解 説 文 を 直 接 引 用 して い る。10)そう した理 由 は慧 沼 が 玄奨 の 弟 子 の 基 の弟 子 に 当 り、 法 相 宗 の第 二 祖 の立 場 に あ っ た こ と と強 ち無 関 係 で は な い で あ ろ う。 『中辺 分 別 論 」 と同様 に、 『辮 中辺 論 」 で は 「内 空 ・外 空 ・内 外 空 ・大 空 ・空 空 ・勝 義 空 ・有 爲 空 ・無 爲 空 ・畢 寛 空 ・無 際 空 ・無 散 空 ・本 性 空 ・ 相 空 ・一 切 法 空 ・無 性 空 ・無 性 自性 空」11)とい う十 六 空 を 論 じて い るが 、 『十 八 空 論 』 に も、17有 法 無 法 空 、18不 可 得 空 が それ ぞれ空 の髄(六 空)、 空 の 用(十 空)に 属 す る の で十 八 が十 六 と も成 る と して い る。12)即ち前 掲 ﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

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-113-密 教 文 化 「十 八 空 論 の研 究 」 に論 じられ て い る通 り 「十 八 空 は十 六 空 の真 意 味 を 明 確 に示 す もの で あ る こ とを 明 に せ む と して い る も の」13)に違 い な い 。 しか し 『摩 詞 般 若 波 羅 蜜 多経 』14)およ び 『大 智 度 論 」15)でも数 え られ る 十 八 の 空 が そ の よ うに集 約 さ れ るか ど うか 、 検 討 を要 す るで あ ろ う。 『疏 』 が依 用 す る 『十 八 空論 」 に は次 の よ うに 空性 の 十 八 の局 面(十 八 空)が 列 挙 され る。16)(下線 は 『中 辺 分 別 論 』 『辮 中 辺 論 』 『疏 』 に 共 通 、 下 線 は 『辮 中辺 論 』 『疏 』 に共 通 して 用 い られ る用 語 で あ る こ とを 示 す 。) 1内 空(受 者 空 。 眼 耳 鼻 舌 身 意 と い う六 根 が 有 るの み で は色 声 香 味 蝕 法 の六 根 の対 象 即 ち六 塵 の果 報 を受 け るこ とが で きな いので受 者 空 と もい う。) 2外 空(所 受 空。 六 根 の 対 象 で あ る六 塵 の み な らば 人 が 受 け 入 れ る もの が な い の で所 受 空 と い い、 唯識 無 境 の故 に外 空 とい う。) 3内 外 空(身 空。 此 の身 の 四 大 即 ち地 水 火 風 は内 外 の 所 依 で あ る 。 内 依 は六 根 、 外 依 は六 塵 。 この根 お よ び非 根 が皆悉 く是 れ空 で あ る こ とを い う。) 4大 空(身 の 所 住処 た る器 世 界 即 ち 自然 界 は十 方 無 量 無 辺 で あ る と い う 意 味 で空 で あ る こと。) 5空 空(能 照 た る空 智 が 空 で あ る た め に名 づ け られ る。) 6真 実 空(第 一 義空 、 勝 義 空 。 空 智 の対 象 が 真 実 で あ る こ と に っ い て 名 づ け られ る。) 以 上1か ら6ま で は空 の 自盟 を 明 か す六 空 とさ れ る。 い わ ば 「存 在 論 的 空 」 に相 当す る。 こ れ に対 し以 下7か ら16ま で は空 の用 を 明 か す 十 空 と さ れ る。 即 ち 「実 践 論 的空 」 に相 当 す るg 7 有 為 空 (三十 七 品 等 の 善 道 が 空 で あ る こ とを い う。) 8 無 為 空 (菩提 と して の 善 果 が 空 で あ る こ とを い う。) 9 畢 寛 空 (菩 薩 は空 を 修 し、 畢 寛 恒 に他 を利 せ ん と欲 す る が 、 そ の 畢 寛 の心 を捨 て て 自然 に利 益 さ せ る真 実 智 を畢 寛 空 と名 づ け る。) 10 無 前 後 空 (無始 空 、 無 際 空。 生 死 は是 れ 空 で あ る と見 て 、 前 後 始 終 を 分 別 しな い こ と。) 11 不 捨 離 空 (不散 空 、無 散 空 と も。 一 切諸 仏 が 浬葉 に お い て も功 徳 善 根

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を 捨 て ず、 衆 生 の 機 縁 に随 って 応 身 ・化 身 を現 わ して衆生 を導 利 す るこ と。) 12仏 性 空(自 性 空 、 本 性 空 、 性 空 。 清 浄 な る仏 性 は空 で あ る故 に性 空 と 名 づ け られ る。 仏 性 は 自然 に有 る故 に諸 法 の 自性 で あ り、 真 実 、 不 可 得 に して 無 相 で あ り、 不 生 不 滅 に して 寂 静 、 即 ち 自性 浬 藥 で あ る。 この 自性 空 は下 劣 心 、 高 慢 心 、 虚 妄 に著 して真 実 を 棄捨 す る こ と、 お よ び我 見 、 怖 畏 とい う五 種 の過 失 を除 去 す る。) 13自 相 空(相 空 。 浬 葉 真 実 に相 が 無 い こ と。 菩 薩 は この 相 空 を 修 し て 、 三 十 二 相 八 十 種 好 の化 身 の相 貌 を修 治 し清 浄 な ら しめ る。) 14一 切 法 空(一 切 如 來 の十 力無 畏 等 の 不 共 法 が 恒 河 沙 の如 く無 量 で あ り、 法 身 と応 身 が相 離 不 相 離 空 で あ る こ と を明 らか に す る。) l5有 法 空(人 法 の二 が 無 所 有 で あ る こ と。 増 益 の 誘 を 除 去 す る。) 16無 法 空(無 人 無 法 の道 理 を衆 生 が妄 執 して 、 此 の 道 理 無 し と損 減 す る 諺 を 除 去 す る。) 17有 法 無 法 空(空 の体 と相 を明 か す 。 空 は無 の 法 で あ る こ とか ら、 決 定 無 を 体 と し、 人 法 が無 で あ る とい う道 理 が 有 るか ら決 定 有 を相 とす る こ と を い う。) 18不 可 得 空(出 果 空 。 空 の 理 が 非 断 非 常 で大 常 、 非 苦 非 楽 で 「大 楽 」 で あ り、 不 可 得 で あ る故 に名 づ け られ る。) 以 上 の よ う な十 八 の空 性 が 『最 勝 王 経 』 顕 空 品 の 偶 の語 句 に ど の よ うに 当 て は ま るか を 、 慧 沼 は この 『疏 』 にお い て明 らか に し よ う と して い る の で あ る。 但 これ らの内 、 「大 空 、 真実 空 は法 空 に摂 せ られ、 空 空 は人 空 に摂 せ られ る。 故 に別 に説 か ず。 有 為 空 、 無 為 空 は そ の因 果 を 明 か す も、 但 自利 に在 る故 に 之 を 明 か さず。 相 空 は諸 相 好 を成 す 為 に劣 る故 に 明 か さず 。 余(15∼ 18)は 勝 要 に非 ざ る故 に略 して説 か ず」17) と して お り、 十 八 空 の全 て を 顕 空 品 の 解 釈 に充 て て い る訳 で は な く、(1) 内 空 、(2)外 空 、(3)内 外 空 、(9)畢 寛 空 、(10)無 際 空 、(11)無 散 空 、(12) 自性 空 、(14)一 切 法 空 の八 空 の み を こ こ に適 用 して い る。 ﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

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密 教 文 化 で はそ の よ うな 『十 八 空論 』 の空(空 性)が どの よ う に重 顕 空 性 品 の本 文 に 当 て はめ られ、 適 用 され て い るか を、 『疏 』 に記 され る本 文 の 分 段 を 示 しっ っ、 照 ら し合 わ せ て み よ う。 そ う して空 性 論 と実 践 論 の 関 係 が こ の 品 の 中 で ど の よ うに示 され て い る か を吟 味 して み よ う。 §重 顕 空 性 品 の 本 文 比 較 本 文 の テ ク ス トと して は梵 文 、 二 種 の漢 訳 、 二 種 の チベ ッ ト訳が あ るが、 こ こで は煩 を恐 れ て 、 漢 訳 は 『疏 』 が 注 釈 す る義 浄 訳 の み を 記 し、 梵 文 (Nobel本)を 基 準 と して和 訳 を施 し、 チ ベ ッ ト訳 は 必 要 に 応 じてT: の よ うに記 入 す る に止 め る。 な お、 梵 文 の 和 訳 の た め にTIIを 参 照 し、 義 浄 訳 漢 文 の訓 読 み のた め に義 浄 訳 か らの チ ベ ッ ト訳 で あ るTIIIの文 を参 照 した。 梵 文 の字 句 にっ いて は、SとVの 本 文 お よ び脚 注 に見 られ る 主 要 な異 同 に 限 り注 記 す る こ と とす る。 義 浄 訳 の 前 後 に(疏)と 記 す の は 『疏 』 の分 段 お よ び注 釈 を 示 す 為 で あ る。 (S) Sunyata-parivartahf (C3) 重 顕 空 性 品 空性 の章 (疏) (一)叙 説 の 因 る所 を結 集 す。 (C3) 爾 の時 世 尊 は此 の(前 の金 勝 陀 羅 尼 品 の)呪 を説 き 已 りて 菩 薩 摩 詞 薩 と人 天 大 衆 を利 益 して、甚 深 な る真 実 第 一 義 を悟 解 せ しめ ん と欲 す る が爲 め の故 に、重 ね て 空 性 を明 か さん と して18)而して 頗 に説 い て 日 く、 (S) atha khalu bhagavams tasyam velayam ima gather abhasata//

さ て実 に世 尊 は其 の 時次 の偶 を お説 きに な った。

(8)

後 段 を 次 の よ うに六 分 す る こ とが で き る とす る。 初3頗 総 標 説 意 次30頗 別 為 説 空 (1)12頒 明初 三 空 4-15偶 (2)有 半 頒 明畢 寛 空 16偶 前 半 (3)4頒 半 明無 際空 16後 半 ∼20偶 (4)1頒 明無 散 空 21偶 (5)1頒 明 自性 空 22偶 (6)自 飴 文 明一 切 法 空 23-33偶 しか し23,24偏 を 注 釈 す る際 に 、「下 三 頒 は一 切 法 空 を 明 か す」即 ち23-25 偶 が 一 切 法 空 を 明 か す と し、26偏 以 下 につ い て は特 に一 切 法 空 を 明 か す 頗 と は して い な い。 それ は後 述 す る よ うに、26偶 以 下 が 『十 八 空 論 』 で は 自 性 空 の 解 説 の た め に述 べ られ る所 の五 功 徳 に対 応 す る と しな け れ ば な らな か った こ と に よ る と考 え られ る。 (疏)(二)佛 重 ね て空 義 を 陳 ぶ。 (1)広 を 指 し略 を顕 わ す 。 (C3)我 已 に鯨 の甚 深 の経 に於 い て 廣 く真 な る空 の微 妙 法 を説 け り。 今 復 た此 の 経 王 の 内 に於 い て 略 して空 法 の 不 思 議 を 説 か ん 。

(S) anyesu sutresu acinti(V:ta for ti)yesu ativistaram dharmah

tasmad ime sutra-varottamena (V: vah for na) samksepato desita sunya-dharmah // 1 // 思 議 す る こ との で きな い(ほ ど多 くの)他 の経 典 に お い て 、空 の法 が 極 め て詳 細 に説 示 され た。 そ れ故 に この 経 で 要 約 して空 の法 が 汝 ら の た め に説 か れ る。 (疏)(2)其 の 為 す 所 を 明 か す 。 (C3) 諸 の廣 大 甚 深 の 法 に於 い て 有 情 は無 智 に して能 く解 せ ず 。 ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

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故 に我 れ斯 に於 い て重 ね て敷 演 し 空 法 に於 い て開 悟 を得 しめ ん 。

(S) sattvo 'lpa-buddhir avij anamano na sakya jnatum khalu dharmah (V: -h)/

tasmeha (V: pasyeha for tasmeha) sutrendra-varottamena ato desita sunya-dharmah // 2 //

有 情 は知 恵 が少 な く無 知 で あ って、一 切 を 知 る こ とが で き な い。 そ こ で こ こ に最 勝 の経 王 に よ って、要 約 して 空 の法 が説 き示 され る。 義 浄 訳 で 「我 れ」 と い う の は 梵 文 で い う 「最 勝 の 経 王 に よ っ て 」 (sutrendra-varottamena)の 意 訳 で あ る。経 が 世 尊 と同 一 視 され て い る。 (疏) (3)説 を起 す 因 を 明 か す。 (C3) 大 悲 もて有 情 を哀 患 す るが故 に 善 方 便 の勝 れ た る因 縁 を 以 て 我 れ今 此 の 大 衆 中 に於 いて 演 説 して 彼 を して 空義 に 明 か な ら しめん 。

(S) anyair upayair naya-hetubhis ca sattvana karunya-vasodayartha m/

prakasitam sutra-varendram etad (V: m for d) yathabhijananti hi sarva-sattvah // 3 // 他 の方 便 お よ び道 理 と因 に よ り、す べ て の 有 情 が 知 る もの とな り、 有 情 に慈 悲 の力 が起 るよ うに、 この 最 勝 経 王 が説 か れ る。 (疏)空 を明 か す。 (1)総 じて初 め の三 空 を 標 す。 (C3)當 に知 るべ し、此 の身 は空 聚 の如 しと。[(疏)内 外 空 を標 す] 六 賊 依 止 して 相 い知 らず 。[(疏)内 空 を標 す] 六 塵 の 諸 賊 は別 に根 に依 り 各 相 い知 らざ る こ と亦 是 くの 如 し。[(疏) 外 空 を標 す]

(S) ayam ca kayo yatha sunya-gramah sad grama cau (V: co for cau) ropama indriyani/

(10)

tany eka-grame nivasanti sarve na to vijananti parasparena //4 // こ の身 体 は恰 も空 の村 の よ うで あ り、諸 々 の根(感 官; 六 根)は 六 群 の 盗 賊 の 集 団 と同 様 で あ る。そ れ らは一 つ の村 に住 して も、 す べ て互 い に知 る こ とが な い。 『疏 」は 「六 賊 依 止 不 相 知 」を 内 空、「六 塵 諸 賊 」等 を外 空 を あ らわ す 句 と して い るが、 それ らの句 に は 『十 八 空 論 」 に言 うよ う な 六 根 と六 塵 の 相 待 性 が 述 べ られ て い る訳 で はな い。同 様 の こ と は少 な く と も5,6偶 に つ い て も当 て は ま る で あ ろ う。 したが って 疏 が 『十 八 空 論 』 を 適 用 す る場 合 に も必 ず し も全 面 的 に齪 歯吾の な い適 用 が 行 わ れ て い る と は言 い切 れ な い面 が 伺 え る。即 ち 『最 勝 王 経 」 と 『十 八 空 論 」が対 応 す るか に見 え る もの の、実 は合 理 的 に一 致 して い る と は言 え な い面 も あ る。 (疏)内 空 を 明 か す。 (C3)眼 根 は常 に色 庭 を観 、 耳 根 は聲 を聴 きて 噺 絶 せ ず 鼻 根 は恒 に香 境 っ ね な を嗅 ぎ 舌 根 は鎮 に美 味 を嘗 む。

(S) caksv (V: ur for v) -indriyam rupaga (V: me for ga) tesu dhavati srotrendriyam sabda-vicaranesu (V: na for su) /

ghranendriyam gandha-vicitra-hari j ihvendriyam nitya rasesu vati // 5 // 眼根 は色 に属 す る もの に馳 せ 、耳 根 は声 を 分 別 し、鼻 根 は 種 々 の香 り を取 り、舌 根 は常 に味 に走 る。 (疏)内 空 を 明 か す。 (C3)身 根 は輕 軟 な る鯛 を受 け 意 根 は法 を了 して厭 う こ と を知 らず 。 此 等 六 根 は事 に随 って起 き 各 自境 に於 い て 分 別 を 生 ず 。

(S) kayendriyam sparsa-gatesu (V: to for tesu) dhavati (V: vati) manendriyam dharma-vicaranesu (V: na for su) /

sad-indriyani ti parasparena svaka (V: +m) svakam visayam

abhi-﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(11)

-107-密 教 文 化 kramanti (V: abhidhavati)//6// 身 根 は触 れ る もの に馳 せ 、意 根 は もの ご と(法)を 分 別 す る。 こ れ ら 六 根 は互 い に各 自 の対 象(境)に 赴 く。 梵 文 に よ る と 「分 別 す る」 の は意 根 で あ るが、義 浄 訳 は六 根 が 分 別 を生 じる と して い る。 (疏)内 空 を明 か す 。 (C3)識 は幻 化 の如 く眞 實 に 非 ず 、 根 と庭 に依 止 して 妄 りに貧 求 す。 人 の空 聚 の中 に奔 走 す るが 如 く 六 識 の根 に依 る こと亦 是 の如 し。

(S) cittam hi mayopama cancalam ca sad-indriyam visaya-vicaranam ca /

yatha naro dhavati sunya-grame samgrama caurebhi samasritas ca // 7 // 実 に 心 は 幻 の よ う に あ ち ら こ ち ら に 動 き、 六 根 は 対 象 を 分 別 す る が 、 (心 は)恰 も人 が 空 疎 な 村 に 行 き、 そ し て 六 群 の 盗 賊 に よ っ て 占 領 さ れ た か の よ う に な る 。 4偶 の 場 合 と 同 様 、六 賊 は こ こ で も 六 根 を 指 して い る 。Nobe1も 指 摘 す る よ う に19)、第14偶 で はcittaとvijnanaは そ れ ぞ れ 「心 」 「識 」 と 訳 さ れ る が 、 こ こ で はcittalp(心; TII: sems)はC3で 「識 」, TIIIでrnam shesと 訳 さ れ る 。Cittaと 識(Vijnana)を 同 義 と 見 な す 用 例 は、 『大 乗 阿 毘 達 磨 集 論 』 で 「心 と は 何 か 。 繭 界 処 の 習 気 に よ り薫 ぜ ら れ た 一 切 種 子 の 阿 頼 耶 識 で あ る20)」 と い う 定 義 等 に 見 られ る 。 し か し 同 書 で は 「心 意 識 」 の 心 は 阿 頼 耶 識 、 意 は 末 那 識 、識 は 六 識 身 の こ と で あ る と す る。 こ こ で もそ の よ う な 所 謂 る 八 識 説 を 当 て は め てcittaを 阿 頼 耶 識 と 読 む こ と は 不 可 能 で は な く、 義 浄 は そ の よ う な 視 点 か らcittalpを 「識 」 と 訳 し た と 考 え られ る 。 以 上 の5∼7偶 は 『疏 』 に よ る と 内 空 を 明 ら か に す る も の と さ れ る が 、 『十 八 空 論 』 に い う 内 空 が 含 意 す る 心 お よ び 六 根 の 外 境 に 対 す る 相 待 性 よ り も む し ろ そ れ ら の 無 常 性 を 空 性 の 根 拠 と して 説 い て い る の が5∼7偶 で

(12)

あ ろ う。 この よ う な無 常 観 は原 始 仏 教 以 来 四 念 処 の 心 念 処 と して 伝 承 さ れ た、心 は無 常 で あ る と観 察 す る発 想 に類 似 して い るが、 これ らの 偶 に 一 層 近 似 して い る の は 『大 般 若 経』(玄 奘 訳) の次 の よ うな表 現 で あ る。 此 の 心 は住 せ ず 速 疾 に轄 易 す 。随 眠 は根 本 に して諸 悪 趣 の 門 な り。煩 悩 の 因 縁 は善 趣 を壊 滅 す 。是 れ 不可 信 な る も貧 瞑凝 の主 た り。 一切 法 に於 い て 心 を 前 導 と爲 す 。若 し善 く心 は悉 く衆 法 を解 し、 種 種 の 世 法 は皆 心 に由 りて 造 す る と知 らば、心 自 ら種 種 の過 失 を見 ず 。若 し く は 善 若 しく は悪 皆 心 に由 りて 起 る。心 性 の速 か に韓 ず る こ と旋 火 輪 の 如 し。瓢 忽 に して停 らざ る こ と風 、野 馬 の 如 し。 水 漫 の起 るが 如 く、火 の能 く焼 く るが如 し。是 くの如 き観 を作 して 念 を して 不 動 な ら令 め 、 心 を して随 い 已 りて心 行 に 随 わ ざ ら令 む べ し。(令 心 随 已 不 随 心 行 。) 若 し能 く心 を伏 す れ ば則 ち衆 法 を伏 す。21) こ の よ うなr大 般 若 経 」に見 る心 念 住 の無 常 性 あ るい は無 常 観 か ら導 か れ る空 性 と 『十 八 空 論』 に い う相 待 性 の故 の 内空 とは観 点 が 異 な っ た概 念 で あ る。『最 勝 王 経 」の 上 述5∼7偶 の心 等 の無 常 な る が 故 に 空 で あ る とす る視 点 はむ しろ 『大 般 若 経 」 の そ れ に近 い、 と言 え よ う。 (疏)内 空 を 明 か す 。 (C3)心 は遍 く馳 せ求 め て庭 に 随 い て轄 じ 根 に託 して境 を 縁 じ諸 事 を 了 す。 (疏)外 空 を 明 か す 。 常 に色 聲 香 味鰯 を愛 し 法 を 尋 思 して 暫 く も停 る こ と無 し。

(S) cittam yatha sadvisayasritam ca prajanate indriya gocaram ca / rupam ca sabdam ca tathaiva gandham rasam ca sparsa (V: +m) tatha dharma-gocaram // 8 // ち ょ うど心 が 六 っ の対 象 に よ って 根 の 対 象 を も知 る よ う に、そ の よ う に、(TII: 心 は六 っ の対 象 に 占領 され て 根 の 対 象 を も知 る。)即 ち 色 と声 と香 と味 と所 触 と同様 に法 とい う対 象(を 知 る)。 ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(13)

密 教 文 化 『疏 』 は こ の後 半 の偶 を外 空 を明 か す 偶 と して い るが 、『十 八 空 論 』 の捉 え 方 に よ る とす れ ば、む しろ内 空 を 明 か す偶 とす べ きで あ ろ う。 (疏)外 空 を 明 か す 。 (C3)縁 に随 って遍 く六 根 に行 き 鳥 の如 く空 を飛 び て障 擬 無 し。 此 の 諸 根 を 籍 りて 依 庭 と作 し 方 に能 く外 境 を 了 別 す。

(S) cittam ca sarvatra sad-indriyesu sakunir iva cancalam Mm) indriya-sampravistam /

yatra ca (V: -ca) yatrendriya-samsritam ca tatre (V: na ce) ndriyam kurvatu j anam atmakam // 9 //

そ して心 はあ らゆ る所 で 鳥 の よ うに六 根 に動 い て入 る。(そ して 心 は) お よ そ根 が存 在 す る と こ ろに お い て、(そ の)根 を-自我 と して知 る(V; TII. Pk: こ と はな い)。 これ も外 空 とい うよ り内 空 を 明 か す偶 とい うべ き で あ ろ う。 以 下10∼13, 15偶 は身 体 要 素 論 を踏 ま え て の空 性 論 を展 開 す る。 (疏)内 外 空 を 明 か す。 (C3) 此 の 身 は無 知 に して無 作 な る者 で あ り 艦 は堅 固 な らず して 縁 に託 して成 り 皆 虚 妄 分 別 に從 りて生 ず。讐 え ば機 關 の 如 く業 に 由 りて 轄 ず 。

(S) kayas ca niscesta ni (V: +r) vyaparas (V: m) ca asarakah pratyay a-sambhavas ca /

abhuta-vikalpa-samutthitas ca sthita-karma-yantram (V: m) iva su nyagramah // 10 //

身 体 は無 能 で作 用 な く、.堅 固 で な く、縁 に よ って 生 じる もの で あ り、 実 在 しな い もの にっ い て の妄 想 か ら生 じ、空 の村 (=身 体) は業 によ っ て 動 く機 械 の よ うに存 在 す る。

(14)

-104-(疏)内 外 空 を 明 か す。

(C3)地 水 火 風 共 に身 を 成 し 彼 の因 縁 に随 って異 果 を招 き

同 じ く一 慮 に在 る も相 い違 い て害 す。 四 毒 蛇 の一 簾 に居 るが如 し。

(S) ksitis ca (V: ksityambha-) tejo salilanilas ca (V: 'nilani yatha caura- for sa-o) gramantarastha (V: h for rastha) sthita dese (V: sa- for se) dese /

parasparenaiva sada viruddha yathaiva asi visa eka-vesmani // 11 //

地 と火 と水 と風 は(空 な る)村 の 内 部 の(V;TII.Pk:他 の 村 の)各 区 域 に あ る。 例 え ば毒 蛇 が一 っ の処 に居 て常 に互 い に相 反 す る よ うに。 (疏)内 外 空 を明 か す。 (C3)此 の 四大 の 蛇 は性 各 異 り 一 庭 に居 す と錐 も昇 沈 有 り 或 は上 に或 は下 に遍 く身 に於 い て 斯 等 終 に滅 法 に蹄 す 。

(S) dhaturaghas to ca catur-vidhani dve urdhva-gam! dvaya gami/

dvayadvayam disa (V: si for sa) vidisasu sarva (V: vam for va ) nasyanti to (V : ta) dhatu-bhuj an (V: om) gamani // 12 //

そ れ ら要 素(界)の 四 種 の 蛇 は二 匹 は上 方 に行 き、二 匹 は下 方 に行 く。 そ れ ら要 素 の蛇 は二 匹 ず つ異 な っ た位 置 に あ って悉 く滅 す る。

(疏)内 外 空 を 明 か す。

(C3)此 の 四 種 の毒 蛇 中 に於 いて 地 水 の二 蛇 は多 く沈 下 し 風 火 の 二 蛇 は性 輕 く墨 る。 此 の乖 違 に 由 りて衆 病 生 ず 。

(S) ksityuragas (V: ogas) ca saliloragas (V: ogas) ca imau ca hesta ksayatam vrajete /

tej oragas (V : ogas) canilamarutoraga(V: oga) imau hi dve gatau ca bhonti (V: nabho 'nte) // 13 //

﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(15)

-103-密 教 文 化 そ れ ら地 の 蛇 と 水 の 蛇 は 下 方 に 消 え て 行 き 、 そ れ ら火 の 蛇 と風 の 蛇 の 両 者 は 上 方 に 行 く も の で あ る(V; TII. Pk: 虚 空 の 涯 に 行 く)。 梵 本 で は 四 大 の こ と を 病 苦 の 原 因 と して 言 及 し て は い な い が 、義 浄 訳 の よ う に 衆 生 の 病 苦 が 地 水 火 風 の 四 大 の 不 調 に よ る と い う こ と は 『最 勝 王 経1 除 病 品(p. 447b-8c)に も繰 返 し述 べ ら れ る。 そ の パ ラ ダ イ ム は ア ー ユ ル ・ ヴ ェ ー ダ で 言 わ れ る ト ゥ リ ・ ドー シ ャ の 不 調 和 に よ り病 苦 が 起 る と い う理 論 と も類 似 し て い る。 ア ー ユ ル ・ヴ ェ ー ダ の 古 典 『チ ャ ラ カ ・サ ン ヒ タ ー』 で は 、

ドー シ ャ は風 (vata=anila)・ 胆 汁 (pitta)・ 粘 液 (slesma)の 三 で あ る 。 そ れ らが 自 然 の 状 態 で あ る 場 合 身 体 に 有 益 で あ る が く し か し そ れ ら は 変 異 に 陥 っ た 場 合 さ ま ざ ま な 種 類 の 疾 患 に よ っ て 身 体 を 苦 し ま せ る 。(dosah punas trayo vata-pittaslesmanah/te prakrti-bhutah

sariropakaraka bhavanti, vikrtim apannas to khalu nanavidhair vikaraih sariram upatapayanti // Carakasamhita, Vol.II, Vimana-sthanam, 1,5)22)

と い う。 こ の 風(vata=anila)・ 胆 汁(pitta)・ 粘 液(slesma)と い う ア ー ユ ル ・ヴ ェ ー ダ 特 有 の 用 語 は 下 の15偶 に 登 場 す る 。

(疏)浄 楽 等 無 き が 故 に 空 な る を 明 す 。不 浄 業 の 故 に 五 趣 の 果 を 招 く。 (q3)心 識 は此 の 身 に 依 止 し 種 種 の 善 悪 業 を 造 作 し

當 に 人 と 天 と 三 悪 趣 に 往 き 其 の 業 力 に 随 っ て 身 形 を 受 くべ し。

(S) cittam ca vijnana samasritam (V: onam adhyasthitam) ca gatva' yatha purva-krtena karmana. /

deve manusyesu ca trisv apaye (V: oya) yathakrtam karmabhave pravrttam (V: purva-bhave pravarttya for karmao) // 14 //

先 に行 わ れ た業 に従 って心 と識 は決 定 され て行 き、天 と人 間 と三 悪 趣 に お い て先 の生 涯 で行 わ れ た とお りに生 存 状 態 が展 開 す る。

この偶 は心 識 が業 を造 り、そ の 業 に応 じて 輪 廻 して 再 び 五 趣 の い ず れ か

(16)

-102-の世 界 に生 まれ て身 体 を受 け る と い う輪 廻 観 を 示 して い るが 、『疏 」 は 身 受 心 法 の不 浄 不 楽 無 常 無 我 と い う四 念 処 が 空 の理 由 で あ る と し、善 悪 の業 を起 す 身 体 の不 浄 性 を 示 す こ とで 空 性 を 明 か して い る とす る。 (疏)不 浄 相 は浄 楽 無 きが故 に空 な るを 明 か す 。 (C3)諸 の疾 病 に遭 い て身 死 した る後 大 小 便 利 悉 く盈 ち あ ふ れ て 流 れ 膿 燗 轟 蛆 樂 う可 か らず 棄 て られ て屍 林 に在 らば 朽 木 の如 し

(S) slesmanilam (V: ola) -pitta- ksayanta-praptam (V: otah) kayamrto (V: kayah sakrn) mutra- purisa- purnah /

nirabhiramayah(V: nirabhiramah) krmi-skandhabhutah(V: purnah for skandhao) ksiptah smasane yatha kastha-bhutah // 15 //

粘 液 と風 と胆 汁 が 尽 き る と き、死 せ る身 体 は大 小 便 の排 泄 物 で 満 ち て い て、心 楽 しま せ る もの もな く、蛆 虫 や 微 細 な もの で 満 ち て お り、 塚 に捨 て られ る と朽 木 の よ うに な る。

こ の梵 文 の前 半 偶 に は再 び 身 体 要 素 論 が 示 さ れ、slesma, anila, pittaと い う ア ー ユ ル ・ヴ ェー ダの術 語 が用 い られ るが 、義 浄 訳 に は見 られ な い 。 曇 無 識 訳(C1)は 胆 汁 を火 と見 な し、 トゥ リ ・ ドー シ ャを水 火 風種 と訳 して、 四大 種 の 内 の三 大 種 に対 応 さ せ て い る。 この偶 の 身 体 観 は しか し医学 の観 点 か ら言 わ れ る もの で は な く、 い わ ゆ る不 浄 観 を促 す た め に説 か れ て い る。同様 の こと は 『大 般 若 経 』 の身 念 住 の説 明 に見 る こ とが で き る。曰 く、 此 の身 は足 從 り頂 に至 る まで 、唯 種 種 の 不 浮 の過 失 有 り。 無 我 無 樂 無 常 に して敗 壊 す 。腱 躁 臭 稼 、筋 脈 連 持 す 。斯 くの如 き 悪 色 誰 か 當 に 憲 び見 る べ け ん。是 くの如 く観 已 りて身 中 の貧 欲 執 身 我 見 皆 復 た生 ぜず。 此 に 由 りて便 ち能 く諸 善 法 に順 う。23) や は り身 体 が 無 常 に敗 壊 した 時、膣 躁 に して(な ま ぐ さ く)臭 く臓 く筋 や脈 が連 持 す る、 と観 察 す れ ば 、貧 欲 乃 至 我 見 が 生 まれ な くな る、 とい う。 ﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(17)

-101-密 教 文 化 っ ま り不 浄 観 と そ の効 果 を説 いて い る の で あ るが 、今 の偶 も同様 の 発 想 で あ り、人 間 の身 体 あ る い は色繭 は不 浄 で あ り、無 我 で あ る と して い る。 無 我 と い う こ と は、空 で あ る とい う こ と と ほぼ 同義 で あ るか ら、 空 性 の理 由 と して 身 体 の 不 浄 性 が こ こ に示 され て い る訳 で あ る。 『疏 』 に よ る と、以 上15偶 ま で は空 の蹉(六 空)の う ち の 初 の 三 空 を 観 る こ とを 明 か す と され る。そ して以 下 は空 の用(十 空)の う ち(9)畢 寛 空 、 (10)無 際 空、(11)無 散 空 、(12)自 性 空 、(14)一 切 法 空 の 五 空 を観 る こ とを 明 か す と され る。 (疏)(2)畢 寛 空 を 明 か す 。 (C3)汝 等 當 に法 を是 くの如 く観 るべ し。 云 何 ん ぞ 我 と衆 生 有 り と執 せ ん や。 (疏)(3)無 際 空 を 明 か す 。 -切 諸 法 は書 くれ ば無 常 、 悉 く無 明 の縁 力 従 り起 る。

(S) pas" yahi tvam devata eta dharman katir (V: ebhi evam katy for etao) atra sattvas tatha pudgalo va /

sunya hi ete khalu sarva-dharma avidyatah pratyaya-sambhavas ca // 16 // 天 女 た る汝 は これ ら諸 法 を見 よ。 どれ ほ ど この世 で有 情 や人 が そ の よ うで あ るか を 。 実 に これ ら一 切 法 は空 で あ り、無 明 の縁 に よ り生 じて い る。 梵 文 の 「天 女 た る汝(tvarp devata)」 と は梵 文 の 前 品(蓮 華 喩 讃 品)で 仏 の 対 告 者 とな って い る菩 提 樹 神 善 天 女 (bodhisattvasamuccaya kulade-vata) で あ る。「そ の よ う(tatha)」 とは上 述 の無 常 、不 浄 の 意 味 で の空 を 指 して い る と考 え られ る。 この偶 の前 半 は い わ ゆ る人 法 二 無 我 の意 味 で の 空 を言 い表 わ し、後 半 偶 以 下19偶 まで 法 無 我 の理 由 と して 十 二 縁 起 を 提 示 して い る。 この 人 法 二 無 我 説 と十 二 縁 起 説 は 『疏 』 に よ れ ば 空 の 用 を 説 く 範 疇 に入 れ られ る が、我 々の 考 え で は存 在 論 的 空 性 論 の範 疇 に入 れ るべ き 空 性 論 で あ る。 しか し 『疏 』で は前 半 偶 が 畢 寛 空 を 明 か す も の で あ る と し

(18)

っ っ 、『十 八 空 論 」を 引 い て 、 故 に彼 の論 に云 く、菩 薩 は空 を修 して畢 寛 じて衆 生 を 利益 せ ん と欲 す るが 為 に、生 死 の 際 を 書 くす まで断 絶 せ ざ る こ とを誓 う等 。 然 し て 彼 の論 の文 は以 て 生 の 無 を観 ず る所、能 願 の心 は畢 寛 空 な りと観 ぜ しむ。 と 爾 らず ん ば執 著 して 大 悲 を成 ぜ ず。衆 生 は法 を撹 りて以 て 成 す も、法 いず くん 既 に艦 空 な り。衆 生 寧 ぞ有 らん や。故 に 生 空 を 観 ず24) と い う。 自我 と もの ご と(法)が 空 で あ る こ と を観 じて 執 著 な く利 他 行 へ 向 か う菩 薩 の実 践 、即 ち人 法 の空 な るを 観 じて 畢 寛 じて 衆 生 を利 益 せ ん と す る菩 薩 の実 践 的 姿 勢 が含 意 され て い る とす る。そ うで あ る とす れ ば、 こ こ に空 性 論 と実 践 論 の一 っ の連 接 点 を見 い だす こ とが で き るで あ ろ う。 (疏)無 際 空 を 明 か す 。 (C3)彼 の諸 大 種 は威 虚 妄 な り。 本 と實 有 に非 ず 髄 は無 生 な り。 故 に大 種 の性 は皆 空 な りと説 く。 此 の浮 虚 は實 有 に 非 ず と知 るべ し。

(S) ete mahabhuta [maha asambhavah] abhuta [sambhuta a] vas ca /

(V: abhuta sarvas ca yasman mahabhuta-prakrtyabhava / for maha asamo... ca /)

tasman mahabhuta maya prakirtita yasmac ca bhuta hi vas ca // 17 //

(V: tasmac ca bhuta hi asambhavas ca avidyamana na kadaci ate // for tasman... ca //)

これ ら大 種(物 質 的要 素)は 大 いな る非 実 在 物 で あ り、 無 か ら生 じっ つ(本 来 は)生 じな い。 もの は生 じな い故 に 、 そ れ 故 私 に よ り大 い な る非 実 在 物(maha-abhuta)と 名 づ け られ た。 (疏)無 際 空 を 明 かす 。 (C3)無 明 の 自性 は本 と是 れ 無 に して 衆 縁 力 の和 合 を籍 りて 有 り。(TIII: ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(19)

-99-密 教 文 化 無 しyod pa min) 一 切 時 に 於 い て 正 慧 を 失 う。 故 に 我 彼 を 説 い て 無 明 と 爲 す。

(S) avidyaya naiva kadaci vidyate (V: this pada included in 17) yatah pratyaya-sambhavas ca /

avidyamanaivam (V: -m) avidyaya ca (V: avidyavacah for avidyao) tasman maya ukta avidya esa // 18 //

無 明 に よ って は(TII: 非 存 在 は)決 して 存 在 しな い が 、[も の ご と は] 無 明 の 縁 か ら生 じるの で あ る。 こ の よ う に 無 明 に よ っ て は(TII: こ の 無 明 は)存 在 しな い の で、そ れ 故 に私 は これ を無 明 と云 う。 vidyamanaは 動 詞vid (見 い だ す) の受 動 態 現 在 分 詞 で 、 見 い だ さ れ っ つ あ る、存 在 して い る の意 で 、avidyamanaは 存 在 して い な い 、非 存 在 で あ る と い う意 味 を表 す が、 無 明(avidya)を 非 存 在(avidyamana)な る も の で あ る とす る言 い換 え方 は、一 種 の語 源 的 説 明方 式 で あ る。 そ う い う仕 方 で無 明 が本 来 空 な る もの で あ る とい う こと を表 そ うと して い る。 こ の よ うな空 性 観 は空 の思 想 史 の上 で注 目す べ き思 想 で あ ろ う。無 明 と は 本 来 存 在 しな い もの で あ る に も拘 わ らず、そ れ が根 本 的原 因 とな って 老 死 に至 る 苦 が起 る とい う こ とを説 い て お り、 いわ ゆ る無 生 法 忍 の一 っ の 視 点 を 顕 わ して い-る。 (疏)無 際 空 を明 か す。 (C3)行 と識 を縁 と爲 して 名 色 有 り 六 庭 及 び鰯 と受 随 い て生 じ 愛 取 有 を縁 と して 生 老 死 憂 悲 苦 悩 恒 に随 逐 す。

(S) samskara-vij nana sanamarupam (V: this pada included in 18; o pam for 'Pam) sad-ayatana-sparsa tathaiva vedana/

trsna upadana tatha bhavas ca jati-jara-marana-soka nam // 19 //

(そ れ は)行 と識 と名 色 を と もな う。六 処 と触 と同 様 に受 、愛 と取 と同 様 に有 と生 老 死 の 憂 悲 苦 悩。

(20)

-98-(疏)無 際 空 を 明 か す。

(C3)衆 苦 悪 業 常 に纏 迫 し 生 死 輪 廻 の 息 む 時 無 し

本 來 非 有 に して盤 是 れ空 な れ ど も 不 如 理 に 由 りて 分 別 を生 ず 。

(S) duhkhani samsara acintiyani (V: this pada included in 19; ra for samsara) samsara-cakre ca yatha sthitani /

abhuta-sambhuta asambhavas ca ayonisas citta-vicaranam ca (V: tatha for ca) // 20 //

輪 廻 に お け る もろ もろ の苦 は思 議 す る こ とが で きな い。 そ して 輪 廻 の 輪 に お い て ど の よ う に存 在 す る も の も、非 存 在 か ら生 じ た も の で 、 (本 来)不 生 で あ る。不 如 理 に心 の分 別 す る こ と も。 この 偶 は上 の十 二 縁 起 観 を受 け て、輪 廻 が 本 来存 在 しな い無 明 か ら起 る もの で あ り、本 来 不 生 で あ る と し、無 生 法 忍 を促 す 。 (疏)(4)無 散 空 を 明か す。 (C3)我 れ 一 切 の諸 煩 悩 を箇 じ 常 に正 智 を以 って現 前 に行 じ 五 緬 の宅 は悉 く皆 空 な り と了 し 菩 提 の 眞 實 庭 を 謹 す る こ とを 求 む。

(S) drstigatam chetsyatha atmanasya (V: this pada included in 20; atmanasva for atmanasya) jnanasina chindatha klesa-jalam

(V: om) /

skandhalayam pasyatha sunya-bhutam sprsatha (V: sparsetha) tam bodhigunam hyudaram // 21 // 我 見 よ り造 られ た も の を汝 らは断 つ べ き で あ る。知 恵 の 剣 に よ り煩 悩 の網(TII: 海 、浮 腫)を 断 て(TII, Dg: 離 れ よ, Pk: 切 り裂 け)。 五 繭 の 住 居 を空 な る もの と見 よ。(そ して)実 に そ の菩 提 の徳 に触 れ よ。 この偶 は五 蕊 を空 な る もの と見 る こ と を促 す と い う形 で 、実 践 的 当 為 の 命 題 を端 的 に示 して い る。義 浄 訳 で は仏 の境 地 を述 べ る命 題 に な っ て い る の で、一 切 諸 仏 が 浬葉 にお いて も功 徳 善 根 を捨 て ず 衆 生 を導 利 す る こ と を 意 味 す る無 散 空 を明 か す とす る こ とは可 能 で はあ るが、梵 文 で は命 令 法 の ﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(21)

-97-密 教 文 化 二 人 称 複 数 の動 詞 に よ って仏 が衆 生 に向 か って当 為 の命 題 を示 して い る の で 、た とえ 『疏 』の よ う に 「無 散 空 を明 か す 」 とい う と して も、そ れ は無 散 空 を契 機 と した仏 の教 化 の言 葉 を表 して い る と い う限 りで 妥 当 で あ る。 上 述 の 『般 若 経 』 の 「是 くの如 き観 を作 して念 を して 不 動 な ら令 め 、 心 を して 随 い已 りて(あ るい は 「己 に 随 い」?)心 行 に随 わ ざ ら令 む べ し。 若 し能 く心 を 伏 す れ ば 則 ち衆 法 を伏 す 」 とい う言 明 は この21偶 等 に見 る 実 践 論 に近 い内 容 を 示 して い る。「煩 悩 の網 を断 て 」 は 「心 行 に随 わ ざ ら令 む べ し」に対 応 す る か らで あ る。 (疏)(5)自 性 空(本 性 空)を 明 かす 。 (C3)我 れ 甘 露 の大 城 門 を開 き 甘 露 の微 妙 の器 を示 し顕 わ さん 。 既 に甘 露 の眞 實 味 を 得 た れ ど も 常 に甘 露 を以 って群 生 に施 さ ん。

(S) vivrtam ca me amrtapurasya dvaram (V: this pada included in 21; vivarta for vivrtam; dvaram//)

samdarsitam (V: samdarsi tam) amrta-rasasya (V: purasya for rasasya) bhaj anam (V: om)/

praveksyaham (V: tam for ham) amrta-puralayam subham (V: o m /) tarpisya ham (V: -m) amrta-rasena atmanam // 22 //

私 に よ っ て甘 露 城 の 門 が 開 か れ た。甘 露 漿 の 器 を 見 て 私 は清 らか な 甘 露 城 の住 居 に入 り、私 は甘 露 漿 に よ って 自 らを 満足 させ よ う。 甘 露(amrta)の 門 と い う語 は 『法 華 経 』化 城 喩 品 の 「普 智 の 天 人 尊 は 群 萌 類 を慰 哀 し 能 く甘 露 門 を開 い て 広 く 一切 を 度 した ま う」25)とい う 句 に も現 れ る。 この偶 の場 合 も 『法 華 経 』の 場 合 も いず れ に お い て も甘 露 は浬 葉 を意 味 す るが 、仏 性 の意 味 で 言 わ れ て い る訳 で はな い。 『疏 』で は、「(微妙 の器 た る)仏 性 は能 く受 く る こ と を 得 、浬 葉 の甘 露 を 証 す26)」と言 い、甘 露 は浬 葉 の同 義 語 と して用 い られ 、 甘 露 の 器 が 仏 性 と され て い る。 と こ ろで 曇 無 識 訳 『大 般 浬 葉 経 』 で は甘 露 の味 が 仏 性 を 指 す 。 そ の こ と

(22)

-96-は、 衆 生 の仏 性 を 知 る こ と 猶 迦 葉 等 の 如 し。 無 上 の甘 露 味 は 不 生 亦 不 死 な り。27) 云 々 とい う句 に現 れ て お り、 そ の よ うな 思 想 が 甘 露 と仏 性 を 連 結 さ せ る 『疏 」 の発 想 の背 景 に な って い た で あ ろ う こ と も考 え られ る。 そ こか ら仏 性 は不 可 得 に して無 相 で あ るの で この偶 は 自性(本 性)空 を 明 か す と さ れ る。 さ らに ま た 『疏 』 で は仏 性 を菩 薩 の種 姓 と同 一 視 して 、 故 に無 始 由 りの仏 性 を因 と為 す。六 入 の解 脱 を欲 求 す る所 以 な り。 若 し仏 性 無 けれ ば解 脱 の果 成 就 す る こ とを得 ず 。 此 の 意 は 彼 の 善 戒 経 、 地 持 論 等 の 六 処 殊 勝 等 に同 じ。28) と い う。 六 入 あ る い は 六 処 と は眼 耳 鼻 舌 身 意 の 六 感 官 の こ と で あ るが 、 「六 処 殊 勝 」 と い う用 語 は、玄奨 訳 『喩 伽 師地 論 』菩 薩 地 種 姓 品 に、 本 性 住 種 姓 と は謂 く諸 菩 薩 の六 処 の殊 勝 な るな り。是 の如 き相 有 りて 無 始 世 従 り展 転 伝来 し法 爾 と して 得 る所 な り。29)

(prakrtistham gotram yad bodhisattvanam sadayatana-visesah/ sa tadrsah paramparagato 'nadikaliko dharmata-pratilabdhah /30)) と菩 薩 の本 性 住 種 姓(prakrtisthamp gotrarp)を 説 明 す る時 に用 い られ る。 そ れ に対 応 す る曇 無 識 訳 『菩 薩 地 持 経 』種 姓 品 で は、 是 の 菩 薩 の六 入 の殊 勝 な る展 転 相 続 して 無 始 よ りの法 爾 、是 を 性 種 姓 と名 つ く。31) と訳 され て い る。 しか しそ れ に対 応 す る求 那 践 摩 訳 『菩 薩 善 戒 経 』で は、 本 性 と言 う は、陰界 六 入 、次 第 に相 続 して 無 始 無 終 な る法 性 の 自 ず か ら爾 る。是 を本 性 と名 つ く。32) と い う。 こ の対 比 か らす れ ば 、 「六 処 殊 勝 」 は 『菩 薩 善 戒 経 』 に は無 くて 『喩 伽 師 地 論 』菩 薩 地 に見 られ る用 語 で あ る。 そ こで 『喩 伽 師 地 論 』の 最 も浩 潮 な注 釈 書 で あ る道 倫(ま た は遁 倫)の ﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(23)

-95-密 教 文 凡 『喩喩伽 論 記 』を 参 照 して 見 る と、 六 処 殊 勝 と は若 し蕾 解 に 依 らば 、 謂 く 自性 住 の 仏 性 、即 ち如 来 蔵 な り。お) 云 々 と注 解 され て い る。 そ の 解 釈 か らす れ ば 『喩 伽 師 地 論 』 に 関 連 す る 「旧 い解 釈 」で は、六 処 殊 勝 と は仏性 で あ り・如 来 蔵 で あ る と され て い た こ とに な る。慧 沼 の 『疏 』が 仏 性 を六 処 殊 勝 と結 び付 け た の も そ れ と同 系 統 の解 釈 に従 った た め と考 え られ る。因 み に道 倫(ま た は 遁 倫)は 慧 沼 と ほ ぼ 同時 代(650-710/720年 頃)に 長 安 で活 躍 した 新 羅 出 身 の法 相 宗 の 学 僧 で あ る。鋤 (疏)(6)一 切 法 空 を 明 か す。 (C3)我 れ最 勝 の 大 法鼓 を撃 ち 我 れ最 勝 の大 法螺 を 吹 き 我 れ 最 勝 の大 明 燈 を然 し 我 れ 最 勝 の大 法 雨 を降 らす 。

(S) parahata me vara-dharma-bheri (V: this pada included in 22; orih for ori) apurito me vara-dharma-sarikhah prajvalita me varadharma ulka/

pra (V: suo) varsitam me vara-dharma-varsam (V: om) // 23 //

私 に よ って 最 勝 の 法 の (TII: 大 い な る) 鼓 が 撃 た れ 、 私 に よ っ て 最 勝 の 法 の 螺 貝 が 吹 か れ 、私 に よ って最 勝 の法 の炬 火 が燃 や され、私 に よ っ て最 勝 の 法 の 雨 が 降 らされ た。 第1偶 の前 で述 べ た よ う に、『疏 』 は先 に 「自飴 の文 は一 切法 空 を 明か す」 と して い るが、 こ こで は 「下 三 頒 は一 切 法 空 を 明 か す 」 と す る。一 切 法 空 とは 『十 八 空 論 』で は一 切 如 來 の十 力 無 畏 等 の不 共 法 が 無 量 で あ り、 法 身 と応 身 が相 離 不 相 離 空 で あ る こ とを 明 らか に す る空 性 で あ るが 、 こ れ らの 偶 は仏 の利 他 行 の 内容 を表 して い る。空 性 を 成 覚 した 如 来 の利 他 救 済 の 驚 異 的 、超 越 的 な な 力 が 明 か され る とい う点 で 、一 切 法 空 を表 す 偶 で あ る と す る の は適 切 で あ る。

(24)

-94-(疏)一 切 法 空 を明 か す 。

(C3)煩 藺 の諸 怨 結 を 降伏 し 無 上 の大 法 憧 を建 立 し

生 死 に海 に於 いて 群 迷 を 濟 い 我 れ當 に三 悪 趣 を關 閉 す べ し。

(S) paraj ita me paraklesa-satravah (V: this pada included in 23) ucchrepitam me (V: +vara-) dharma-dhvaj am by anuttaram / pratarita me bhava-sattva-(V: sattva-bhava) samudrah (V: ot for o h)/

pithitani (V: pidhitani) me triny apaya-pathani (V: 'paya-pathani tri ni) // 24 // 私 に よ って 最 大 の煩 悩 の敵 勢 が 降 伏 され 、私 に よ って 最 勝 の法 橦 が掲 げ られ た。私 に よ って生 存 の有 情 の海 が 渡 られ(TII: 生 存 の 湖 か ら有 情 が救 わ れ)、 私 に よ って三 悪 趣 が遮 断 され た。 (疏)一 切 法 空 を 明 か す。功 徳 の利 用 を明 か す。 (C3)煩 悩 の 熾 火 は衆 生 を焼 き 救 護有 る こ と無 く依 止 無 きを 清 涼 の甘 露 彼 を充 足 せ しめ 身 心 の熱 悩 並 び に皆 除 く。

(S)………(N: Sattvah klesagnina dagdhah)

…………(N: nistranah aparitranah)

klesagnidaham samayitva praninam

…………(N: sitalam -rtena tarpitah)// 25 //

(TII) sems can nyom mongs me yis gdungs gyur pa // rten med gyur cing dpung gnyen med pa dag / srog chags nyon mongs mes gdungs zhi byas nas //

bdud rtsi khu ba bsil bas (Pk: khub pa sil bas) tshim par byas /

(TII: 有 情 は煩 悩 の火 に よ って 苦 しみ、寄 る辺 な く救 い もな い が)生 類 の煩 悩 の火 の燃 え盛 るの を鎮 め て、(TII: 清 涼 な 甘 露 漿 に よ り満 足 させ た。) ﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(25)

-93-密 教 文 化 『疏 』 に よ る と、以 上 は空 の体 と空 の用 を説 い て い る こ と に な る が 、22 ∼25偶 は空 の用 の 中 で も如 来 に具 わ る超 越 的 な作 用 と して の 空 の 用 を指 し て い る。 そ れ に対 し、以 下 に は、『疏 』 に も言 わ れ て い る よ うに、 空 の 用 を 体 得 す る に至 るた め の実 践 修 行 の在 り方 が 説 か れ る。 (疏)我 れ此 の一 切 功 徳 を求 め ん が為 め の 修 行 方 成 を 明 か す。 即 ち 空 の 勝 を観 じて五 利 を獲 る こ とを顕 わ し人 に修 学 す る こ とを勧 む。五 の 勝 利 とは 「十 八 空 論 」に云 く、 一 は下 劣 心 を 除 き正 勤 事 を生 ず、 二 は高 慢 心 を除 き恭 教(マ マ; 敬?) 心 を生 ず、 三 は虚 妄 想 を除 き慈 悲 行 を生 ず、 四 は我 見 心 を除 き般 若 観 を生 ず 、 五 は怖 畏 心 を除 き正 法 を楽 受 す 。 『十 八 空 論』 で は これ らの五 功 徳(勝 利)は 一 切 法 空 ので は な く、 自性 空 (性 空)の 観 察 に よ る功 徳 とさ れ て お り、 これ らの功 徳(徳)を 志 向 して 修 行 が 実 践 さ れ るべ き こと(当 為)が 、 自性 空 の段 で 説 明 さ れ て い る。 『疏 』 で もそ の 自性 空 を解 説 す る箇 所 で この五 功 徳 を援 引 して い るが、 こ の よ う-に一 切 法 空 の段 の後 に これ を再 び説 い て い る の は、 『十 八 空 論 』 の 順 序 と は異 な って、一 切 法 空 の 後 の22∼25偶 に五 功 徳 が よ り よ く適 合 す る と考 え たか らに違 い な い。 (C3)是 れ に由 りて我 れ無 量劫 に於 いて 諸 如 來 を 恭 敬 供 養 し、 禁 戒 を堅 持 して 菩 提 に趣 き 法 身 の安 樂 庭 を謹 す る こと を求 む。

(S) yasyartha (V: yasmad dhi) purvam aham aneka-kalpa (V: opan) acintiya pujita (V: otva for ota) nayaka hi/

caritva bodhaya drdha-vratena saddharma-kayam parivesamanah / /26//

先 に私 が 思 議 で きな い多 劫 の間 供 養 した の は導 師 (釈尊) の た め で あ り、(TII: そ の)正 法 身 に仕 え て、堅 固 な禁 戒 に よ り菩 提 の た め に行 じ

つ つ 、

(26)

-92-(C3)他 に眼 と耳 と及 び手 足 妻 子 憧 僕 を施 して心 に恪 む こ と無 く 財 寳 と七 珍 の 荘 嚴 具 を 來 りて 求 む る者 に随 いて 威 供 給 す

(S) hastau ca padau ca parityajitva dhanam hiranyam mani-mukti (V: ota)-bhusanam /

nayanottamarigam priya-(V: +dara)-putra(V: +om)-dhitara (V: -dhitara) suvarna-vaidurya-vicitra-ratna (V: onani) //27//

手 足 と(TII: 手 と眼 と足 と)財 と黄 金 ・宝 珠 ・真 珠 の 装 飾 品 、 眼 と い う最 高 の肢 分 、愛 す る優 れ た 子(V, TII: 子 と妻)、 金 ・瑠 璃 ・種 々 の 宝 石 を捨 て て 、 (C3)忍 等 の諸 度 は皆 遍 く修 し 十 地 圓満 に して正 畳 を 成 す 。 故 に我 れ一 切 智 と構 す る こ とを 得 る も 衆 生 の 度 量 す る者 有 る こと無 し。 (S)(TII)(C1)に 無 し。 『疏 』 に よ る と、26偶 前 半 の 「是 れ に由 りて 我 れ 無 量 劫 に於 い て」 は五 功 徳 の う ち の(1)初 め に正 勤 を生 ず る に無 量 劫 を経 て 正 勤 事 を行 じ、井 び に (5)第 五 の正 法 を 楽受 す る に無 量 劫 を経 るを 明 か し、「諸 如 來 を恭 敬供 養 し」 が(2)高 慢 を除 きて恭 敬 心 を 生 ず るを 明 す とす る。 次 い で26偶 後 半 「禁 戒 」 か ら 「忍 等 の 諸度 は皆 遍 く修 し 十 地 圓 満 に し て正 畳 を成 す」 ま で が二 頗 と して 扱 わ れ、(3)妄 想 行 を 除 き慈 悲 行 を(生 ず る を)明 か す もの とさ れ る。 そ の内 容 と して 「他 の 破 戒 の垢 を 除 く故 に持 戒 。戒 は諸 善 の 根 本 を為 す故 に所 以 に先 に 明 か す(26偶 後 半)。 他 の 貧 を除 く為 の故 に布 施 を行 じ(27偏)、 他 の瞑 及 び慨 怠 を 除 く為 の 故 に 忍 等 の 諸 度 を 行 ず る こと(無 番 偶 前 半)」 が 明 か さ れ て い る とす る。 次 いで 無 番 偏 後 半 の 「故 に我 れ 一 切 智 と称 す る こ とを得 る も」 以 下 の 五 頒 半(漢 訳 に は31偶 が 無 い ので33偶 まで)は(4)我 見 を 除 き般 若 観 を 生 ず るを 明 か す もの と され る。「故 に我 れ一 切 智 と称 す る こ と を得 る も衆 生 の 度 量 す る者 有 る こ と無 し」 は我 見 を 除 きて般 若 観 を生 ず る も、 飴 の 能 く量 らざ る を 明 か す もの と され る。 ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(27)

-91-密 教 文 化 そ して以 下 の5偶 は仏 世 尊 の 智 の 量 り難 い こ と(「校 量 難 知 」)を 明 か す とさ れ るが、や は り我 見 を除 い て般 若 観 を生 ず る こ との一 環 とされ て い る。 (疏)校 量 す る も知 り難 き こ と、一 三 千 の塵 敷 を挙 ぐ。 (C3)假 使 え 三 千 大 千 界 蓋 く此 土 地 よ り生 長 せ る物 と 有 らゆ る叢 林 の諸 の樹 木 稲 麻 竹 葦及 び枝 條 此 等 の諸 物 を 皆 伐 取 し、

(S) chinditva trisahasrayam sarva-vrksa-trna (V: -trna)-vanaspati-bhyah (V: otim for otibhyah) /

...sarvam ca dharaniruhah (V: -dharaniruhah) //28//

(TII) stong gsum shing ljon thams cad dang / rtswa dang rtsuwa rnams thams cad dang //

nags tshal dag dang sa las ni // 'khungs pa thams cad gcad gtubs to // 三 千 (世 界) に お い て、一 切 の 草 木 ・大 樹 と地 か ら生 ま れ た もの 、 そ の 一 切 を(TII: 粉 砕 して 、) (疏)校 量 す る も知 り難 き こ と、十 方 の 塵敷 を挙 ぐ。 (C3)蛇 に悉 く細 末 を微 塵 と作 し 庭 に随 って積 集 せ る量 は知 り難 く 乃 至 虚 空 界 一 切 の十 方 諸 刹 土 に充 満 し、

(S) curnayitva ca tat sarvam kuryac chuksma(V: tat kuryat suksma for ca o)-raj opamam/

curna-rasim karitva to yavad akasa-gocaram //29//

そ れ ら一 切 を 微 細 な 微 塵 の よ うに砕 いて 、虚 空 の涯 に至 る ま で粉 の 山 に して、

つ い

(C3)有 らゆ る三 千 大 千 界 の 地 土 皆 悉 く末 に塵 と爲 し 此 の微 塵 の量 敷 う可 か らず して 、

(S) tri sakto (V: asakadbha for tri sakto)bhaga-bhinnaya

(28)

-90-raja (V: +h) samani va /

[sarvasyah trisahasrayah raj adhatur acintyah] //30//

(TII: こ の世 で) (そ れ を)三 っ の部 分 に分 け る こ とが で き る(と して も、)は た ま た地 上 の微 塵 は平 等 で あ る(と して も、) 一 切 の三 千(世 界)の 微 塵 界(の 量)は 思 議 す る こ とが で きない。 (S)... …………//31// (疏)校 量 す る も知 り難 し。正 し く校 量 し、初 め て塵 敷 を知 る。 (C3)假 使 え 一 切 の衆 生 の智 此 の智 慧 を以 って一 人 に與 え 是 くの 如 き まさ 智 量 無 邊 に して 容 に彼 の微 塵 の 敷 を 知 る こ と可 な るべ き も、

(S) sarva-sattvatirekebhir (V: aneke hi f or otirekebhir) j air naraih (V: tathaiva ca for otarair naraih) /

sarvam ganayitum sakyam na to jnanam jinasya ca // 32 //

(た とえ)す べ て の有 情 を超 え た知 恵 あ る人 達 に よ り、一 切 を 数 え る こ とが で き る と して も、 しか も(彼 等 は)最 勝 者(仏 陀)の 知 を(数 え る こ と はで き)な い。

cf. (S)...N//31//

(TII) sems can kun gyi shes pa gang// de ni sems can gcig gir gyur// shes pa de yis rdul rnams kyi // phye ma (Pk. 213b) bgrang bar byed

na ni // (TII:) 一 切 の有 情 の知 た る もの 、そ れ が一 有 情 の もの に な り、 そ の 知 に よ って微 塵 の数 を数 え る と して もで あ る。 (疏)正 し く校 量 す る も知 らず 。 (C3)牟 尼 世 尊 の一 念 の 智 は 彼 の 智 人 を して共 に度 量 せ令 る と も ﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(29)

-89-密

多 くの倶 豚 劫 敷 の 中 に於 い て 其 の少 分 を も算 知 す る こ と能 わ ず 。

(S) eka-ksana-pravrttam to yaj j nanam ca mahamuneh / aneka-kalpa-kotisu na sakyam ganayitum kvacit // 33 //

而 して 大 牟 尼 の智 た る もの は、一 刹 那 に展 開 した もの で も、 幾 億 劫 を 経 て も何 も数 え る こと はで き な い。 これ ら一 連 の不 可 量 数 の観 念 は 『最 勝 王 経 』や 『法 華 経 』 の 如 来 寿 量 品 に如 来 の寿 量 が 不 可 量 数 で あ る と言 って い る表 現 を想 起 させ るが、 こ の 顕 空 品 の 場 合 は如 来 の 智 が 不 可 量 数 で あ る と い う、異 色 の讐 喩 的 表 現 に な っ て い る。如 来 の智 は イ デ ア や モ ナ ドの よ うに無 量 無 数 で あ る と い う か の如 くで あ る。 い ず れ に せ よ こ こで は、如 来 の 智 が 不可 量 数 で あ る こ と を 知 る こ とが我 見 に よ る輪廻 を 捨 て て 出 離 す る こ と にっ な が ると提 唱す るた めに、 この よ うな讐 喩 が 用 い られ て い る。 (疏)(三)時 の衆 、益 を獲 て慶 躍 し奉 行 す 。 (C3)時 に諸 の大 衆 、佛 の此 の甚 深 な る空 性 を 説 け る を 聞 き、 無 量 の 衆 生 有 りて悉 く能 く四大 五 繭 の腔 性 倶 に空 に して、六 根 六 境 の妄 りに 繋 縛 を 生 ず るを了 達 して、輪 廻 を捨 て 、正 し く出離 を修 せ ん と願 い 、深 く心 に 慶 喜 し、説 の如 くに奉 持 せ り。

(S) iti (V: +Sri-) Suvarna- (V: +pra) bhasottamat (V: ra-rajdt (V: oje)

S unyatd-parivartah (V: oto) (V: +nama) pancamah (V: h)// 以 上 『金 光 明最 勝 王経 』空 性 の章 、第 五 。 § ま と め 慧 沼 の 『疏 』 を参 照 して 『最 勝 王 経 』顕 空 品 の 偶 全 体 を 見 れ ば 、 こ の 顕, 空 品 の 基 本 的 な 空論 は空 罷 を 説 く4∼15偶 に お い て 示 され て い る が、 そ れ

(30)

-88-は身 体 を 空 の 村(空 聚)と 表 現 す る こと に見 られ るよ う に、 空 性 は 空 疎 な る もの を 意 味 して い る。ま た16偶 か ら19偶 まで の 人 法 二 無 我 説 と十 二 縁 起 説 の存 在 論 的 空 性 論 に も、物 質 的要 素 は大 い な る非 実 在 物 と し、無 明 を非 存 在 な る もの とす るな ど、存 在 論 的空 性 論 で は空 は単 純 に非 実 在 、非 存 在 と い う意 味 しか表 して い な い。 そ れ は竜 樹 の 『中 論 』等 に 説 か れ る縁 起= 空 な ど と は ち が った、原 始 仏 教 以 来 の四 念 処 に対 応 す る比 較 的素 朴 な 空 性 概 念 で あ る。 しか し如 来 の 自性 等 の性 質 や徳 と して の価 値 あ る空性 を 示 す 場 合(22∼25偶)に は、「空 」 と い う語 を用 いず に、「甘 露 」 と い う語 で そ の 「空 性 」を 表 して い る。そ れ に続 いて 偶 は、我 見、高 慢 心 等 を取 り除 く空 の 用(功 徳)を 強 調 す る実 践 論 を展 開 し、 自己 と 自 己 の も の を 惜 しみ な く他 に施 す こ と(27偶)が 、我 見 を 除 い て般 若 観 を 生 ず る こ と(28-33偶)へ っ な が る と説 く。 これ らの偶 につ いて、慧 沼 の 『疏 』は 『十 八 空 論 」 を適 用 さ せ て解 釈 し、 同 品 の 内容 を考 察 す るた め に示 唆 に富 ん だ注 解 を施 した。 しか し顕 空 品 の解 釈 に 『十 八 空 論 」を 直i接的 に適 用 した仕 方 は上 述 の よ う に所 々 に問 題 を孕 ん で い る。特 に 『十 八 空 論 」 の 内 空 、外 空 等 は縁 起 あ るい は依 他 起 性 の故 に空 で あ る とす るが 、そ の よ うな理 由 づ け は顕 空 品 の 偶 を見 た限 りで は見 られず 、む しろ四 念 住 の心 ・身 念 住 で言 わ れ る よ う な 無 常 ・不 浄 の故 に空 で あ る とす る理 由 づ けが 基 本 と な っ て い る。 した が っ て偶 と 『十 八 空 論 』 の間 に は ギ ャ ップ が認 め られ る。 しか しそ の点 に 対 す る視 角 は 『疏 』で は 『十 八 空論 』 を依 用 した た め か 、明確 で は な い。 ま た第1偶 で 「思 議 す る こ との で きな い(ほ ど多 くの)他 の 経 典 に お い て 、空 の 法 が 極 め て詳 細 に説 示 され た。 そ れ故 に この経 で 要 約 して 空 の 法 が 汝 らの た め に 説 か れ る。」 と い う こ と が 何 を意 味 して い る か に つ い て 『疏 」で 『解 深 密 経 』『入 榜 伽 経 」『般 若 経 』等 の経 名 が挙 げ ら れ た に も拘 わ らず 、そ れ らの 参 照 検 討 が 殆 ど行 わ れ て い な い。 しか しな が ら、慧 沼 の 『疏 』 に お い て、空 性 につ い て の実 践 論 的 命 題 が い わ ゆ る空 の 用 を明 かす 段 の 中 に表 され て いて 、勝 れ た 功 徳 も空 性(空 の ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 重 顕 空 性 品 に 見 る 空 性 論 と 実 践 論

(31)

-87-密 教 文 化 罷 と用)の 観 察 か ら 自然 に結 果 す る もの と して 捉 え られ て い る点 は 、空 性 論 と実 践 論 が ど の よ うに総 合 さ れ得 る の か とい う我 々 の 当面 の 問 題 を検 討 す る視 点 に と って 重 要 で あ る。特 に如 来 の徳 の 超絶 性 と して の 空 性(自 性 空 、一 切 法 空)を 観 て 我 見 を離 れ る に至 る ま で の実 践 的 な 徳 と 当 為 が 、26 偶 以 下 に 『十 八 空 論 」 を 適 用 す る こ と に よ っ て 明 確 化 さ れ て い る。 ま た 『疏 』 に よ って 、空 の 用 と して の畢 寛 空 を表 す と解 せ られ た 第16偶 前 半 に 、 空 性 論 と実 践 論 の 繋 が りを読 み 取 る こ と もで き る。 慧 沼 の解 釈 は、『最 勝 王 経 』顕 空 品 と 『十 八 空 論 』等 を対 比 しっ っ 、 そ の よ うに空 性 の存 在 論 と実 践 論 の 関係 を示 唆 し明 示 して い る点 で 、思 想 史 乃 至 教 義 史 の上 で 注 目す べ き位 置 を 占め て い る と言 え よ う。 『疏 』 はあ くま で義 浄 訳 の テ ク ス トに基 づ い た 注釈 書 で あ るが 、 経 本 文 の文 化 史 的意 義 を多 角 的 に研 究 す るた め に は必 須 の論 典 で あ る。そ の意 味 で は 『金 光 明 経 』(C1)に 対 す る吉 蔵 の 『金 光 明経 疏 』 な ど三 論 宗 の 系 統 の 注 釈 書 や 日本 に お け る三 論 ・法 相 お よ び空 海 の解 釈 も詳 し く見 る必 要 が あ るが、一 先 ず こ こで 『疏 』 を中 心 と した顕 空 品 の管 見 を終 え た い。 [こ の報 告 は文 部 科 学 省 科 学 研 究 費(基 盤 研 究C、 平 成14年)に よ る共 同 研 究 『薬 師寺 最 勝 会 の 形 成 過 程 の 研 究 ー儀 礼 ・音 楽 にお け る伝 承 ・創 造 の 視 座 か ら-』(研 究 代 表 者: 大 阪 教 育 大 学 澤 田 篤 子 教 授)の 研 究 成 果 の 一 部 で あ る。] 参 考 文 献 こ こに 用 い た テ ク ス トと主 な参 考 文 献 お よ びそ の 略 号 は次 の 通 りで あ る。 (S): Nobel, Johannes (ed.) Suvarnaprabhasottama-sutra, Das

Sutra, Ein Sanskrittext des Mahayana-Buddhismus, Leibzig, Otto assowitz, 1937.

(N): 上 記 Nobel 本 の脚 注

(V): Vagaci (Bagchi), Sitamsusekhar (ed.) Suvarnaprabhasasutram, ddhist Sanskrit Texts (Vaidya*) No. 8, Darbhanga, The Mithila

参照

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