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地 = ノラに替えていくんです 野良仕事のノラ それが大陸側の流儀です その考え方が人類の歴史を方向付け 気付いたらとんでもない深みにはまっているのが現実の大問題です 大陸側はムラの周りのハラを否定してノラ化していく歴史を展開し やがて四大文明を発達させます それに対して 縄文はムラとその周りに広が

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Academic year: 2021

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こん に ちは、 只 今ご 紹介 にあず かりまし た 小 林で す 。本来 な ら、 スト ーンサ ークルの す ぐ そば で 話す舞 台 設定 がな されて いたよう で すが、残念ながら雨に打たれてしまいました。 さて 、 縄文人 は 色ん なこ とを気 にして生 き て おり ま した。 縄 文人 の残 した遺 跡や遺物 を 見ておりますと、彼らが気にしていたことや、 彼 らの 社 会の仕 組 みが 見え 隠れす るところ に しばしば当たります。 どう も 縄文人 は 「円 」を 相当気 にしてい た まる よ うで す 。彼ら が 最初 に円 を表現 したのは イ エ でし た 。寝起 き する 場所 である イエを設 計 す る時 、 床を円 く する んで す。世 界的にみ る と 四角 い 床が多 い ので すが 、縄文 の場合は 一 万 年以 上 にわた っ て円 が見 え隠れ します。 見 え 隠れ す るとい う のは 、円 に始ま り、やが て 四 角に な ったり 、 また 円に なった りを繰り 返 す とい う こと。 あ るい は、 関東地 方では円 な のに、中部地方に行くと四角とかあるんです。 だ から 縄 文人み ん なが いつ も、ど こでも円 と いって騒いでいたわけでもないのです。 それ に しても 、 最初 に自 分たち が寝る場 所 を 円く 設 計した 。 これ は正 にスペ ースデザ イ ン の始 ま りなん で す。 ちょ っとハ イカラで し ょ 。カ タ カナを た まに 入れ るとね 。日本語 と い うの は とても 便 利で 、歌 を詠む 時はひら が な 、あ る 時には カ タカ ナを 差し挟 むと非常 に 印 象が 強 いもの に なり ます 。日本 語の右に 出 る もの は 、世界 に ない と思 います 。余談で す が 、俳 句 の世界 で も縄 文に 心を寄 せている 人 が いる 。 俳人の 中 で縄 文を 気にし ていると い う のは む べなる か な、 色々 と理由 があるん で す。 縄文 人 には自 然 と一 体に なって 生きてき た 一 万年 以 上の歴 史 があ りま す。一 万年以上 に わ たる 自 然との 共 存・ 共生 は、縄 文を世界 の 文化の中では個性的に彩っています。 大陸 側 と比べ る とよ く分 かりま すが、縄 文 人のムラの周りには、ハラが広がっています。 そ のハ ラ に出か け てい って 、食料 や日用の 道 具の材料を手に入れます。そしてムラに戻り、 人間的な生活を展開してきました。 しか し 、大陸 側 では ムラ の周り にハラが あ り ませ ん 。ハラ は 遊休 地で あり、 すぐに開 墾 し て征 服 してい き ます 。ハ ラを否 定して農 耕 1937年新潟県生まれ。國學院大學名誉教授。新 潟県立歴史博物館名誉館長。考古学に新たな地平を 切り開いた縄文研究の第一人者。 国民文化祭あきた2014 JOMON ART フェスタ

講演

「ストーンサークルは、なぜ円い?」

講師 :小林達雄先生 (國學院大學名誉 教授)

日時 :平成26年10月4日(土)13:30~14:30

場所 :大湯ストーンサークル館

万座ホール

【たて穴住居跡】堀 量 遺跡/秋田県湯沢市ほうりよう

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地 =ノ ラ に替え て いく んで す。野 良仕事の ノ ラ 。そ れ が大陸 側 の流 儀で す。そ の考え方 が 人 類の 歴 史を方 向 付け 、気 付いた らとんで も な い深 み にはま っ てい るの が現実 の大問題 で す。 大陸 側 はムラ の 周り のハ ラを否 定してノ ラ 化 して い く歴史 を 展開 し、 やがて 四大文明 を 発 達さ せ ます。 そ れに 対し て、縄 文はムラ と そ の周 り に広が る ハラ と一 万年以 上も共存 ・ 共 生し て きまし た 。縄 文が なぜこ れだけの 個 性 的で 面 白い内 容 の文 化を 形成し てきたか と いう謎は、そこにあるんです。 その 縄 文人が 円 にこ だわ ってい ました。 私 た ちは 何 かのカ タ チを イメ ージす る時に、 直 線 と曲 線 を元に イ メー ジし ます。 直線は方 向 性 を持 っ ていて 、 その 先へ の無限 なつなが り を 我々 に 予想さ せ ます 。こ れが直 線の一つ の 重 要な 性 格です 。 もう 一つ が、そ れに対す る 曲 線で す 。曲線 を ずっ と描 いてい ると、だ ん だ ん円 く なって く るん です ね。円 を描く曲 線 は 、ま た 似たよ う な所 に戻 ってく るんです 。 こ れが 円 の性質 の 不思 議な 、特徴 的なもの に な ろう か と思い ま す。 その 円を、 彼らの寝 起 き の床 面 に用意 し た。 これ から触 れていき ま すが、いろんなところに円が出てくる。 もう 少 しイエ の こと につ いて付 け加えて お きましょう。縄文人の描く円はいつも一つで、 二 つ三 つ と連ね て 描き ませ ん。こ れも縄文 人 の 特徴 で 、イエ も そう です 。折り 重なって 寝 る わけ に はいき ま せん から 、寝起 きするた め に 一定 の 面積が 必 要に なり ます。 やがて子 ど も が誕 生 する、 年 老い た両 親が加 わる。イ エ が 手狭 に なれば 、 大き く建 て直し ます。イ エ を 拡張 す るのだ け れど も、 もう一 つの円を 描 こ うと は しない ん です 。つ まり、 彼らのイ エ は いつ も 一部屋 造 りで す。 一部屋 造りが縄 文 人 のイ エ のカタ チ の基 本で あるこ とも、意 味 深長なところがあります。一部屋造りの中で、 家 族が 顔 を合わ せ て生 活す る。こ れが縄文 人 の 家族 意 識をど ん どん 強め ていく 大きな基 に なっているのではないかと思います。 一部 屋 造りは 、 その 後の 住居の 基本的な ス タ イル と なりま す 。一 部屋 造りが いくつか の 部 屋を 持 つよう に なる のは 、古代 以降の寝 殿 造 りな ど が出て き てか らに なろう かと思い ま す 。ず っ と一部 屋 造り が続 き、部 屋の真ん 中 に あっ た 炉が囲 炉 裏に 替わ り、そ の後の和 風 の 建築 へ とつな が って いく のだろ うと思い ま す 。そ う やって 円 と縄 文人 との付 き合いは 、 ふ だん 寝 起きす る イエ の床 のデザ インから 始 まったということです。 それ だ けでは あ りま せん 。ムラ は、少な く とも三家族ぐらいが寄り集まっておりました。 手 をつ な いで輪 を 描く よう にイエ が配置さ れ て いた こ とが分 か って いま す。私 はこれを 縄 文 モデ ル ムラと 名 付け てい ます。 ここから も 彼 らが 生 活空間 を 円く イメ ージし た、ある い は円にこだわったということが分かるのです。 縄文時代の前期のあたりから中期になると、 直 径百 ㍍ を超え る よう な堂 々たる 環状の貝 塚 が 出て き ます。 環 状と いう のは、 円形に、 ド ー ナツ 状 に貝殻 が 捨て られ ている というこ と で す。 こ れも、 縄 文人 の円 に対す るこだわ り が 、ゴ ミ を捨て て いく 時に 貝を円 く蓄積し て いったということを表しています。 貝塚 は 色んな 意 味を 持っ てまし た。ただ ゴ ミ を捨 て たので は あり ませ ん。貝 塚からは た く さん の 人骨が 発 見さ れて おり、 縄文人は 貝 塚の中に墓穴を掘って死者を埋葬しています。 つ まり 、 環状に め ぐる 貝塚 は、単 に円くカ タ チ をと っ たとい う だけ では なく、 そこには 色 ん な意 味 が重な っ てい る。 一方で は死者を そ こ に埋 葬 し、あ の 世に お送 りする モノ送り の 場であるということがはっきりしてきました。 【貝塚の下の墓】北黄金貝塚/北海道伊達市 写真提供:伊達市噴火湾文化研究所 【たて穴住居内部模型】 写真提供:新潟県立歴史博物館

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【太陽の運行】大湯環状列石/秋田県鹿角市 だか ら 、壊れ た 土器 も捨 てたと いうだけ で は なく 、 今まで 役 に立 って くれて ありがと う よ と、 あ の世に 行 けよ とい って、 そこに捨 て て いる 。 貝殻も 邪 魔に なっ たから ゴミとし て 捨 てた の ではな く 、我 々に ちゃん と食べさ せ てくれた、それをまたあの世に送り返す。 知っ た ような こ とを 言い ました けれども 、 そ れと 全 く似た よ うな こと をアイ ヌの人た ち が つい こ の間ま で 色ん な場 面で継 承してき ま し た。 送 りの場 を 設け て、 そこで 特別なマ ツ リ をし な がら、 あ の世 にモ ノを送 っている 。 全 部ゴ ミ として 捨 てる ので はなく 、関わり を 持 った モ ノをあ の 世に 送る 場所が あり、そ こ で マツ リ をやる ん です 。円 形の環 状貝塚、 こ れ も単 に 円くし た とい うデ ザイン だけじゃ な く て、 そ こには 縄 文人 の色 んな思 いが込め ら れたものです。 貝塚 は 海岸よ り に形 成さ れます 。大量に 貝 を 採っ て 、大量 に 消費 する のは、 やはり地 の 利 を得 た 海岸近 く の人 たち です。 ところが 、 内 陸に 入 ると、 そ れほ ど貝 はない のに円形 の 貝 塚を 造 ってい ま す。 そう いう場 所では貝 と い ろん な ゴミ、 我 々か ら見 ればゴ ミのよう な 廃 棄物 と 土が混 ざ って いま す。貝 のない環 状 貝 塚は 、 言葉を 換 えて 言う と、貝 を抜きに し た 土手 な んです 。 貝が ない から全 然違うも の だ と我 々 には見 え るん です が、縄 文人の側 に 立 つと そ うでは な い。 そこ に彼ら は土器の か け らな ど を捨て 、 土を 盛り ました 。そして 、 モ ノ送 り の場と し て使 った り、そ の他にも 色 ん なこ と を行っ て いた 可能 性があ ります。 私 は それ を 劇場空 間 と呼 んで います 。縄文人 は 何 とな く 仲間と 集 まっ て、 そして ムラをつ く っ たの で はなく 、 彼ら にと っての 劇場空間 が あったのです。 今日 す ぐそば で お話 しで きるは ずだった 大 湯 のス ト ーンサ ー クル も円 いんで す。この 円 も 今ま で 話して き た円 形の 貝塚や 、円形の 土 手 と同 じ ように 、 円い とい う基本 をちゃん と 守 って い るもの で す。 万座 も野中 堂もちゃ ん と 円く な ってい ま す。 その 円の真 ん中に、 ま た 小さ な 輪があ り ます 。こ れは外 側をめぐ る 直 径四 十 ㍍級の 円 形と 並ぶ もので はない別 物 で、私はそれをヘソと呼んでいます。つまり、 円には中心がある。その中心がヘソであって、 万 座に も 野中堂 に もち ゃん とある 。面白い こ とに円形の真ん中に中心を持っています。 その 2 つの中 心 を直 線で 結ぶと 、北西の 方 向 を向 い ていま す 。こ れは 夏至の 日に太陽 が 沈 む方 向 を指し て いる 。た だ単に 2つの円 の 中 心を 結 んだだ け では なく 、その 直線上に 日 時 計と 呼 ばれる 一 際目 立っ た丁寧 な造りの 配 石 があ り ます。 ヘ ソと ヘソ を結ん だ直線だ け で はな く 、さら に その 線上 に日時 計がのっ て い る。 4 つの点 が 一直 線に 並ぶと いうのは 、 よ ほど 強 固な意 志 がな けれ ば並ぶ ものでは あ り ませ ん 。2つ な ら直 線に なりま すが、3 点 に なる と 直線に の せな けれ ばなり ません。 そ れ が4 つ のるん で すか らね 。縄文 人が非常 に 意 識し て 、円と ヘ ソと 日時 計を結 んだ。そ し て 、そ の 先に夏 至 の日 没が 当たる というこ と をデザインの上で示してくれているわけです。 日 時計 と いうの は 、特 別な カタチ に仕上げ た 組石です。 夏至の日没の方向 万座環状列石 日時計 ヘソ 野中堂環状列石 面白 い ことに 、 円形 の土 手にも ヘソがあ る こ とが 分 かりま し た。 例え ば、栃 木県の寺 野 東 遺跡 で は、縄 文 人は 直径 165 ㍍の土手 を 造 り、 そ の真ん 中 に小 さな 石を並 べた小さ な 土 盛り の ヘソを 設 けて いる んです 。そのヘ ソ か らは 、 筑波山 の 頂に 冬至 の日の 出を望む こ とができます。見事なものです。 縄文 人 は冬至 、 夏至 、春 分、秋 分を、全 部 心 得て い ました 。 大湯 スト ーンサ ークルや 寺 野 東遺 跡 の土手 と 同じ よう に、三 内丸山の 6

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本 柱が そ うなん で す。 あの 6本柱 は3本と 3 本 が対 に なって 6 本な んで す。3 は縄文人 の 聖なる数です。縄文人は、奇数が好きだった。 大 湯ス ト ーンサ ー クル から 見つか った土器 の 中 には 、 口の縁 が 5つ のも のや、 3つのも の へり が あり ま す。3 や 5は 、と ても配 分が難し い の です が 、彼ら は その 数を 表現し たいとい う 思いで、土器の縁に突起を付けたのです。 つま り 、三内 丸 山の 6本 柱も、 3と3が 向 き 合っ て いるも の なん です 。夏至 の日に、 二 列 三対 の 柱の間 か ら太 陽が 昇って きます。 冬 至 の日 に は、反 対 側に 太陽 が沈む のが見え る ん です 。 ただ黙 っ て昇 るの ではな く、自己 主 張 しな が ら太陽 が 昇っ てき ます。 ダイヤモ ン ド フラ ッ シュと い って 、6 本ぐら いの光線 が 放 射状 に 見えま す 。夏 至の 日の出 、冬至の 日 の 入、 こ れは円 と はた だち に結び 付きませ ん が 、円 の 中に込 め られ た色 々な思 いは6本 柱 にもあるということです。 世界 遺 産のた め の国 際会 議で、 私はその こ と を強 調 したい と 思っ てい ます。 そうなっ た ら イギ リ スのス ト ーン ヘン ジと同 格です。 ス ト ーン ヘ ンジは 夏 至の 日の 出に軸 を合わせ て 設 計さ れ ていま す 。ス トー ンヘン ジは世界 遺 産 にな っ ていま す が、 その 設計の 中での重 要 な 要素 を 、縄文 の 遺跡 は備 えてい ます。縄 文 人 は円 が 好きだ か らや って いるの ではなく 、 円 の持 つ 概念に 縄 文人 の観 念が込 められて い るということを推し量らなければならない。 つま り 、あれ は 彼ら の世 界観を 表してい る の だと 考 えると 納 得で きま す。円 は住居か ら 始まりましたが、四角になる時もあるんです。 だ から 住 居の床 面 は、 絶対 に円で なければ な ら ない と 彼らは 考 えて いる わけで はないん で す 。住 居 が円い 床 面を 持っ たのは 、円に対 す る観念が住居と重なったんです。 ある 時 それは 重 なっ たも のの、 別次元の も の です か ら、離 れ ばな れに 生きる 時もあり ま す 。円 い 世界観 に 関わ る要 素を2 百年続け て き たか ら そろそ ろ 違う もの とか心 が動く。 隣 の 地域 は ずっと 四 角で やっ てきて いる、そ っ ち も面 白 い。円 よ りも 四角 の方が 柱を立て る 時 の柱 間 とかを と りや すい 。梁を 設計する 時 に 、円 は 大変で す よ、 壁を 円くす るんです か ら 。だ か ら、こ だ わっ てい ても、 時に円に ま つ わる 世 界観か ら 離れ るこ ともあ るという こ とです。 円というのは色々な性質を持っていまして、 円 は混 沌 とした も のを 丸く 収める 。そもそ も 円 は包 容 力があ る んで す。 そうい う円の意 味 が 何か な んてい う のは 、我 々には 分かりっ こ ないんです。円は縄文人の世界観なんですね。 だ って 、 わざわ ざ 7千 2百 個ぐら いの石を 、 7 ㌔も の 上流か ら 運ん でき て、し かも一人 で は 動か せ ないよ う な石 まで 入って いますよ 。 そ れだ け の石を 運 んで きて 、円く する。我 々 に は見 え ないけ れ ども 、石 でもっ て世界観 を カ タチ に したん で す。 これ が縄文 人の世界 観 と関わりを持つ円の正体の片鱗です。 大湯 の ストー ン サー クル を見て ください 。 き れい に 円くな っ ては いま せん。 凸凹して ま す 。き れ いな円 に しよ うと 思えば 小学生で も 仕 上げ る ことが で きま すが 、なぜ か石を運 び 込 むこ と にこだ わ って いる 。つま り、世界 観 と 関係 を ずっと 続 ける こと にこだ わって運 ん で 来て い る。そ し て、 自分 たちの ムラが運 ん で きた 石 を決め ら れた 場所 に並べ ていく。 働 き 手が 多 いと石 の 数が 増え ていき ます。見 る と 分か り ますが 、 こう して 節々が できます 。 つ まり 、 いっぱ い 石が 集ま ってい る所と、 ま ば らに し かない 所 があ りま す。い っぱいあ っ て はみ 出 ている 。 はみ 出さ ないで 、足りな い と ころ に 分けて あ げた らど うかと いうのは 私 の気持ちなんですが。 しか し 、縄文 人 はそ うし なかっ た。野蛮 な ん です よ 。野蛮 と いう こと は彼ら の考えが あ る とい う ことで す よ。 色ん なムラ に分かれ て 暮 らす 人 たちが 、 みん なで 円い世 界観をカ タ チ に表 す ため、 夏 にな ると 集まっ てきて石 を 並 べて い くので す 。働 き手 の多い 所は石が ど ん どん 貯 まって 、 盛り 上が ってく る。そう で は ない 所 はパラ パ ラし かな いんで す。だか ら 円 く造 っ て、そ れ もき れい な円に しような ん て 誰も 思 ってい な かっ たと いうこ とです。 円 い 世界 観 を表現 し よう とい うとこ ろに、み ん な が寄 り 集まっ て 一緒 にや ろうと いう心が 結 集 して 造 られた も ので す。 青森市 の小牧野 遺 【竪穴住居跡】はりま館遺跡/秋田県小坂町

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跡 も同 じ 。節く れ 立っ た所 と、パ ラパラし か ない所と、渾然となって輪を造っています。 とこ ろ が、そ う じゃ ない ものも あります 。 き れい に 円にし よ うと いう のが、 北海道の 鷲 ノ木遺跡です。均整のとれた石の配置をして、 き れい な 滑らか な 円を 描い ていま す。それ は そういうやり方なんですよ。 彼ら は 円とい う 世界 観と 、そし て円をき れ い に描 く ことは 別 問題 なん です。 我々には で き ない け ども、 円 から 離れ たわけ でもない ん で す。 子 どもで も 円を 描き ます。 めちゃく ち ゃ です が 、円に な って いる んです 。まるで 、 そ の下 手 さ加減 は 大湯 のス トーン サークル み た いな も んです 。 ちゃ んと した見 事な円で は あ りま せ ん。け れ ども 、円 を描こ うとして い る とい う 意味に お いて は同 格なん です。そ れ が円の秘密です。 それ か らもう 一 つ。 凸凹 してい るのは、 き れ いな 円 を造る こ とが 目的 ではな く、円を 表 現 しよ う 、彼ら が 世界 観に 関わり を持つと い う こと を 継続し て いく とい うのが 彼らの真 骨 頂 です 。 完成さ せ よう なん てこと はゆめゆ め 思ってないんです。宮沢賢治は「未完成とは、 永 遠の 未 完であ る 」と 言っ ていま す。全く 僕 が言いたいことと一緒です。 節く れ 立って い ると いう 話のつ いでに、 寺 野東遺跡の土手は、高さ5㍍ぐらいあります。 真 ん中 の 土を掘 り 込ん で盛 り上げ ていくん で す 。黒 土 の下に あ る赤 土も 掘り上 げている 。 そ れで も 足りな く なっ て、 その下 の鹿沼土 と い う軽 石 層まで 掘 り下 げて 盛って いるんで す よ 。土 手 の上は 凸 凹で す。 盛り上 がってい る 所 と、 凹 んでい る 所と 全く 同じな んです。 大 湯 スト ー ンサー ク ルの 石が いっぱ いある所 と な い所 が あると い うの と重 なって くるじゃ な いですか。 まだ ま だ終わ っ てな いん です。 もし終わ ら せ るな ら 平らに し ます よ。 終わら せるとこ ろ に 目的 が あるの で はな くて 、彼ら のこだわ り 抜 いて き た円を 表 現す る。 円とい うものの 観 念 が意 味 するも の につ いて 、自分 たちが関 わ り を持 つ ために 、 土手 を造 ってい る。もし 、 大 湯ス ト ーンサ ー クル をき れいな 円にしよ う と いう と ころに 意 見が まと まれば 、そんな の 造作もないことだったんです。 とこ ろ が、そ う はし なか った。 同じよう に き れい な 土手を 造 れた はず なんだ けれども 、 ア ップ ダ ウンが あ る。 千歳 にある 周堤墓と い う お墓 は 、一番 大 きい もの で直径 75㍍、 環 状 に土 を 盛った 堤 の高 さは 5㍍ぐ らいあり ま す 。堤 上 面は平 ら で、 滑ら かに舗 装された ぐ らいにきれいに整った円を造っています。 大湯 の 縄文人 は きれ いな 円にし ようと思 え ば でき る のに、 し てい ない 。きれ いな円に し よ うと す ること と 、こ この 縄文人 の世界観 は 密 接な 関 わりを 持 つも ので はなか った。し か し 、円 形 である と いう こと 、円く 仕上げる と い うこ と 、ある い は彼 らの 世界観 に関わり を 持 って 円 にこだ わ るこ とに ついて 、彼らは こ だ わり を 持って い たと いう ことが 分かるの で す。 他に も 意外と あ るん です 。例え ば、北陸 に は 、三 内 丸山よ り 太い クリ の木を 使ったと 思 わ れる 遺 構があ り ます 。2 ㍍近い クリの大 木 を 縦に 裂 いて、 十 本並 べて います 。私はこ れ を 巨木 柱 列と呼 ん でい ます 。これ も円形を な し てい る 。縄文 人 がト ーテ ムポー ルを立て た 人 たち と 同じよ う なや り方 で造っ た可能性 が あります。 話は こ んなと こ ろで ちょ うど時 間になり ま し た。 縄 文人が 円 にこ だわ ってい た。円に は い ろん な 観念が あ る。 石や 貝塚、 土手、木 な ど で、 そ のカタ チ を表 現し ようと いう記念 物 は 、み ん な円と 関 わり を持 ってい る。住居 の 円 もそ う でした が 、円 はい つもこ ういうカ タ チ で表 現 されな け れば いけ ないと いうもの で は なく 、 円とい う 世界 観が 独立し てあるん で す 。だ か ら、そ の 世界 観が どうい うものと 結 び 付く か によっ て 、色 々な 表現を とるとい う ふうに解釈することができるのです。 皆さ ん 気付か な かっ たか もしれ ませんが 、 話している間、晴れろと思っていたんですよ。 そ うし た ら、ち ゃ んと 晴れ てきま した。こ の 後 もお 楽 しみい た だけ れば と思い ます。ど う もご静聴ありがとうございました。 【復元巨木柱列】真脇遺跡/石川県能登町

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