三〇
カ ッ セ ル 金 数 量 説 の 理 論 的 批 劃
大野純一
國際聯盟財政委員會の臼.冨O︒一島U︒げ硬q9ま昌は恐らく貨幣の理論並に政策に關する世界的権威を網羅する
悉のであるが︑それにょつて獲表された諸閑巷霞窃を一讃するならば︑何人も直ちにその思想の根底に横はる
ものはかの金数量読であると去ふことを襲見するであらう︒この一事實によつても我々は金歎量詮が現在の枇
界學界に︑そして叉貨幣政策の上に如何に支配的地位を有するかを窺ひ知ることが出來る︒
"以下私はこの金数量設に封して珈かの分析と批判を行つて以つて︑自分からの数量論研究の一端としよう冷
但し之に封する實謹的︑統計的批判は既にZ︒σq舞9>沖鑑︒昌了国象⑦を初め我國に於ても松岡孝見︑柴田敬の諸
氏に禽つて爲し審されてゐるが故に︑こ︑では專らその理論の解剖︑批判に限定するζと玉する︒
貨幣歎量説の概念
先づ最初に貨幣激量読一般の申で占める金数量読の地位を明かにする爲め︑歎量読の概念を検討することに
しよラo
め抑々数量読なる名稻は︑讐濃⑦ヨ§昌によれば︑U津O︒寧彗侮囚器傷ぎぽ鼠︒畠o械男︒︒宮冨昌切9︒昌寄ぎ︒μQ︒Ob︒
に於ける︾畠9h≦︑轟昌自によつてはじめて學界に紹介されたものであつて︑それは云ふまでもなく国︒碧傷o
の貨幣債値理論に樹して與へられた名稽であつた︒その後こα言葉は學界に︑世間に普及せられ︑現在に於て
は世俗に最もポピェラーな維濟上の概念となつたのではあるが︑學問上に於てはこの學読の如くその概念規定
の暖昧なものは他に例が少ないであらう︒されば丙9ユ臣¢言﹃は﹃一髄﹁激量読﹂とは何であるか﹄といふ問
題を自から提出して之に次の如く答へてゐるのである︑臼く︑﹃それは一ケの名稽である︑併し乍らそれはそ
の保持者を個別化するといふ凡ゆる名稔の目的を誠に不充分に果すところの名稻である︒それ故に旨8⑦筈
︒︒nピヨ需蚕の様な當該學読史の権威者すらその概念の明細な規定を断念し︑︑彼自からの読いた文章の中から
﹁数量読の否定﹂pを見出さんとするやーそれともまたその擁護を見出すやは一つに讃者の判断に委ねなければ
わならなかつたのである︑﹄と︒叉と砕&]≦ドぎ島ωも﹃﹁藪量読﹂は何等確定の概念ではない︑数量読論者の
む数程数量読は存在する︑﹄と言つてゐる︒故に如何なる學読が歎量設であるかに就ては學者の解羅は匠々で
ある︒"
例へば国註Uま=は︑﹁貨幣の数量と商品の債格との間に密接な關係を主張するところの學読を歎量読な
のりる名稻の下に総括する︑﹂となし︑貨幣数量論の概念を極めて廣く解繹する︒併し乍ら︑数量読なるものがか
カッセ〃金鍛量観の理論的批剃(大野)三一
r) 2) 3) 4)
ErnstWagemann,AllgemeineGeldlehre.Ig23.S.130.
SeeledesGeldes.Ig23.S.164.
DieΩuantitatstheoriealsGrundla窪ederKonjunkturforschung.Ig29。S.3.
Diehl・Mombert,ZurLehrevomGeld.Bd.1.S.7.
㍉三二
ぎる概念規定によつて表現せられるものであるとするならば︑貨幣激量読ならざる貨幣慣値學読は古今東西を
通じて惑らく世の中に存在しなかつたであらうと断言して揮らない︒何となれば∵古來貨幣債値を取扱つた學
読にして貨幣量の増減と貨幣便値との間に何等かの意味に於て關聯を認めなかつたものは一つもないと言つて
差支へないから︒
こ玉に於て人或ひは言ふかも知れない︑数量読は貨幣量と貨幣債値との間に﹁何等かの意味に於ける﹂關聯
を認める丈けではなく︑更に進んで反比例的關係を認めるものである︑と︒現にU♂巨は他の著の中で︑﹁そ
の最初の素朴的な表現に於ける激量読は商品債格の高さは一國に存在する貨幣量に比例すると主張す㌔﹂と
言つてゐる︒併し乍ら︑・貨盤数量と貨幣債値との聞の反比例的關聯の存在を是認し乍らも︑而かも伺数量読に
封立する學読がある以上曳之を以て貨幣数量読の本質的特徴なりとは云ふことが出來ない︒例へば・溶]≦霞×
は激量読を以で﹁馬塵々妥しき假読に根底を有する﹂一ヶの昌霧一〇ロであると極言する猛烈な数量論反封者で
あるにも拘ら・す鴇爾彼は
・︑環函歌e随誌︑講聾,︑.ボ︑,.闘藏融噸漂伴Cパ斎温叫"踪講G㎞陣㍉囎で卿歯血G糠隷沸︑0黛櫛巌滞
のなる方程式の成立を読くハ即ち彼は貨幣量と物債との聞の比例的關係を認めてゐるのである︒・
,故に数量読を猫自の貨幣債値學読と解する以上︑軍に貨幣量と物債水準の間の比例性の認識を以てその概念
5)TheoretischeNationa16konomie.1927.Bd・III.S,280・
8anki㎎Schoolも 亦 然uJo
6)DasKapital.Herausg.vonFriedlichEnge!s.Ig22。B乱1・S・84・
規定澄することは出來ないのであつてぜ更に積極的な.嵐︒詩6飾が嚢見されなければならぬ︒元來︑貨幣数量
と貨幣債値即ち物債水準の逆激との間に反比例的關係ありといふこ乏は占實は爾者間の因果關係に封しては全
く中立的な表現であつて︑それ抵貨幣量が原因となつて貨幣債値の反比例的攣動を惹き起すのか︑若しくは逆
に貨幣債値の攣花が原因であつてその結果としいて貨幣量の攣化が齎らされるのか︑それとも又爾者が共に第三
の原因によつて同じ程度の作用を受けるのであるか等々︑因果關係の噺定に於ては全く無力である◎然るに数
量詮は云ふまでもなぐ貨幣数量の攣化を以て原因乏なし貨幣債値の攣化を以て結果と解するのである︒故に数
量論の概念を規定するが爲めにはζの顯に關する規定がなければならぬ︒配'㌧
!こyに於て多くの學者は貨幣数量と貨幣債値彦の因果關係を歎量読の概念規定に明示せんとするのであるo︑
例へば誤暑冨μo︒風9ぎぬは日ぐ﹂﹁藪量説は貨幣の債値を他の條件の攣化せざる限りその流通量に依存せしめ
るものである︒即ち流通量が増加すれば債値は低落し流通量が減少すれば債値は上騰する︑而かも流通量の攣
動と債値の攣動とは同一の割合を保ち︑沼從つて物債の高遷は其の當時の貨幣流通量に依存する︒男貨幣の藪量が
同一の事情の下に一割増加すれば貨幣の債値は同程度に低落し全商品の便格は同一の割合を以て騰貴するハ﹂
と︒故に庇趨では貨幣の数量乏その債値との間の反比例的關係許・少ではなく實に又その間の因果關係が
]≦母冨程と七て認められてゐるのである︒この因果性を更︑に強調する者は竃凶︒冨亀︒︒である︒曰く︑
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カッセル金簸量観の理論的批剣(大野)三三
︑〆・氏'︑三四
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﹂斯︽て今月舵於ては貨幣激量と物債水準とめ間め比例性と因果性とを以つて数量読の概念規定をなすのが常
である◎'り︑二盈卍"h̀7r一.:,
併し乍ら筆者の老によればこの二つの]≦︒涛目巴を以てしても尚未だ数量読の本質を捉へ得たりと言ふこ
とが出來ぬゆ覧貨幣歎量読の概念は更に第三の山≦6涛8・鑑によつて規宕されねばなぢぬ︒而してそれは貨幣激
へもへ量乏貨轄便値称物債永準)乏の間に存する因果關係の直接性である︒次にその理由を述べよう︒
抑︑為貨幣数量読に相廟封立して貨幣の購買力即ち客観的交換債値を読かんとする學設はかつて筆者が貨幣品質
ゆ學読き名づけた竜の饗あるが"一この學派に於ては貨幣の客観的交換債値は商品の内的若七くは主観的便値と貨
幣の内的若しくは主観的債値を添相互に比較封立せしめられることによつては七めて成立すると考へる︒故に
乏等の論者は貨幣並忙商品に交換以前に謂は寒猫立絶封の内的若もくは主観的償値を認め之等が交換過程に於
で相互に比較参照せられて物債現象が生すると見るのである︒從つて︑彼等によれ臓︑貨幣債︑値即ち物慣現象
を読明するには先づ最・初に商晶のみなちす貨幣の猫立固有の債値が読かれなければならぬのであ喝コ而もて主
7)a.a。0.,S.3‑4.
8)こ の 語 はDieQuantit邑tstheorie.Ig22sこ 於 け ろK.KirmaierのQualitEtstheorie
な ろ語 か ら ヒ ン トを 得 すこの で あ ろ が 、 そ の 意 義 は 彼 に 於 け う と̀ミ異 な ろ 。
小 樽 高 等 商 業 學 校 二 十 周 年 記 念 論 丈 集 申 の 拙 稿 「貨 留 品 質 學 観 の 論 擦 と そ の
批 詳 」 謬 照 。
翻的貨幣品質學読は之を読ぐに限界利用學読を以てし︑客観的貨幣品質學論は生産費乃至勢働便値読を以てせ
んとする︒然るに︑その何れによるにもぜよ︑貨幣に於てその歎量が彼等の所謂内的若しくは主観的債値に
封して︑從つて聞接に物領水準に封して主要な役割を螢むといふことは否定すべくもないのである︒例へば主
.観的品質學読によれば︑支配し得る貨幣の量の増加は貨幣の限界利用を減少し貨幣の主観的便値を低下せしめ
以て物債の騰貴な齎らすと主張し︑客観的品質學読は例へば金の生産費の饗化はその供給量に作用しこの数量
の攣動を通tてその内的便値︑從つて叉物債水準の攣動を結果すると読く︒故に歎量読と封立する之等の學読
と錐も貨幣量と貨幣債値即ち物便水準との間の因果關係は認めるのである︒斯く見て來るなちば貨幣量と物便
水準との間の因果性を指摘する丈けでは未だ歎量読の特徴を嚢見したとは言ふことが出來ない︒それでは等し
く貨幣量と物債水準との間に因果關係を認める爾學読‑品質學読と歎量読iめ何庭にその相違があるであらう
か︒それは︑上述の所論から護者が容易に看取し得るやうに︑南方は貨幣数量の物債に封する作用を間接的︑,
詳言せば︑内的若しくは主観的債値を通じての闇接的なレと見るに封して︑他方はその数量は直接的に︑詳言
せば︑交換以前の債値を介在することなしに直接的に物債水準に作用すると解するのである︒故に貨幣数量論
の第三の岩︒詩ヨ巴は貨幣量の貨幣便値即ち物債水準に封する作用の直接性といふ黙である︒但し︑繰返して
言ふならば︑こ曳に云ふ直接性とは貨幣に於て客観的交換慣値以外の債値を介在せしめすといふ意味に於て讐
ある︒畠・
カッセル金鍛量観の理論的批剃(大野)酪三五