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ドイツにおけ る銀行集 中運動 -

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(1)

ドイツにおけ る銀行集 中運動

‑ 1 9 2 0 年代 を中心に ‑

大 矢 繁 夫

は じ め に

ドイ ツの銀行集中運動のなかで ,1 9 2 9 年に生 じ声 ベル リ1 (大銀行間の大型合 併は,ひ ときわ注 目を引 く。 ドイ ツの木銀行は,第 1 次大戦後, とりわけ 1 9 2 0 年代に, 集中運動を活発に展開 して 地方へ と拡が る支店網を構築 し, 支店制 大銀行 としての実を備えるに至 る 。2 9 年の大型合併は,時期的には, このよ う な集中過程の最終局面 として位置づ く。 しか しなが ら,その意義については,

「 2 0 年代の銀行集中」 として一括 されて捉え られ るものではない, と考え られ る。結論を先取 りして述べ ると ,2 9 年 の大型合併には,それ までの集中 ・合併 とは異 って ,2 0 年代の ドイ ツの 銀行を め ぐる過重状態 ‑ 根本的には賠償問 題,資本不足 とい う事情に よる‑ を克服 しよ うとす る意図がは っき りと込め られていた, と考え られ るのである。小稿は, この ような視点か ら ,2 0 年代の 銀行集中運動を整理 ・区分 しつつ,それぞれの意義を掴 まえ ようとす るもので ある。なお以下では,比較のために,第 1 次大戦前の銀行集中の概要 と意義を みることか らまず始め る。

I 第 1 次大鼓前の銀行集中の概要

第 1 次大戦前の ドイツの銀行集中が問題 とされ る場合,通常 ,1 8 8 0 年代以降 が対象 とされ る1 ) 。 この時期,すなわち 8 0 年代においては, ドイ ツの銀行は, 1 )Vgl .Manf r e dPohl ," Fe s t i gungundAus de hnungde sde ut s c he nBankwe s e ns

z wi s c he n 1 8 7 0und 1 91 4ノ'i n De ut s c heBanke n ge s c h i c ht e ,Bd.2( Fr ankf ur t

am Me i n,1 9 8 3 ) ,S.2 7 1 .

(2)

‑ 7 0

ドイツにおける銀行集中運動

業態上か ら 2 つ の銀行群 に分け ることが で き,それ ぞれ の特 徴を際立たせてい た。す なわ ち,外債等を中心 と した証 券 の発行業務 に力点を置 くベル リン大銀 行 と,産業 に対す る交互計算信用 を拡大 していた地方銀行 とい う 2 つ の類型 の 存在 であ る。 この時期,ベル リン大銀行 は,産業 ,例 えば地方 の炭鉄産業 とは 深 い関係 を もたず,他方 で地方銀行が,交互計算業務 を通 じて対産業設備信用 を拡 大 し,産業 との密接 な結 びつ きを示 していた 2) 。

この よ うな状況の も とで ,8 0 年代後半か ら銀行集中が展 開 した のであ る。 こ の銀行集中は, と りわけ 9 0 年代後半 以降 にな る と,ベル 1 ). /大銀行に よる地方 銀行の系 列化を主要 内容 とす るよ うにな った。 そ してその形態は,大銀行 に よ

る地方銀行 の吸収 ・合併 ( Fus i on) では な く,前者 に よる後者への参与を通 じ た利益協 同 ( I nt e r e s s e n ' ge me i ns c ha f t ) の形成 であ った8 ) 0

さて ,この時期 の銀行集 中の動機 ・要 因につ いてであ るが ,まず ,ベル リン大 銀行 の側 での事情 は次 の よ うな ものであ った 。9 0 年代後半以降,ベル リン取 引 所 では産業株 の取 引が増大 し,ベル リン大銀行は産業株 の引受 ・発行に強い利 害 関係を もつ よ うにな ったOそ して ,産業株 の引受 ・発行 をなすためには当該 産業企業 の状況 につ いて熟知す る必要があ り, このためベル リン大銀行は,当 時す でに産業企業 , と りわけ ル ール地方 な どの炭鉄企業 と交互計算業 務を通 じ て密接 な関係を有 していた地方銀行 と結 びつ くことが必要 とな った のであ る。

他方 ,地方銀行 の側 の事情は次 の よ うな ものであ った。地方銀行は ,1 8 95 ‑ 1 9 00 年 の好況期 にはなお手形業務,交互計算業務を拡大 しつつ ベル リン大銀行 2 )このような,業態上からみての,ベル リン大銀行と地方銀行という2 つの銀行群の

存在については,以下の研究でつとに指摘されている。参照のことo 大野英二 『ド イツ金融資本成立史論』( 有斐閣,1 9 5 6 年)5 0 ページ,長坂 聡 「ドイツ金融資本 の 成立」( 武田隆夫編 『 帝国主義論上』東大出版会, I 1 9 61 年,所収)1 2 9 ‑1 3 3 : i‑ジ, 戸 原四郎 『ドイツ金融資本の成立過程』( 東大出版会,1 9 6 3 年) 31 4 ページ, 塚本 健「ド イ ツ金融資本と資本市場」( 鈴木鴻一郎編 『 帝国主義研究』日本評論社, 1 9 6 4 年, 所収) 4 4 9 ‑4 5 0 ページ ,4 6 9 ページ0

3) この関係は,地方銀行の増資に際して,大銀行がその株を引受け,保有することを 通 じて形成されていった。利益協同契約そのものは,このような一連の増資過程で生 じてきた事態の最終的表現であった。Pohl ,a.a.0. ,S.2 7 3 ,なお,完全な合併 ( Fl l S i on) 形態は,地方銀行が個人銀行商会を吸収 ・支店化する場合に み られ た。

Po わ l ,a.a. 0リS.27 1.

(3)

ドイツにおける銀行集中運動 ‑ 7 1‑

か らは相対的に独立 して発展を遂げていた。 しか しなが ら,1 901 年以降の不況 期 に入 ると,地方銀行は,好況期に拡大 した交互計算信用を流動化 ・回収す る ために当該企業 の証券発行を推進す る必要に迫 られて くる。だが,資本力で大 銀行に劣 り,ベル 1 ). /取 引所か らも離れ てい る地方銀行 に とっては,独力では 発行活動を行いえず,そのためベル リン大銀行の系列化 に入 って大銀行 の主導 に よる発行活動 に頼 る以外に道はなか った, とい うのであ る4 ) 0

以上 の よ うな要因か ら銀行集中が展開 したのであ るが,そ うであるな らこの 銀行集中の意義は,大銀行サイ ドでみた場合,次の よ うにいい うるであろ う。

すなわ ち,大銀行は,系列下 にお さめた地方銀行を通 じて,当時重要性を増 し つつあ った地方産業,例えばル‑ル地方 の重工業 と間接的なが らも結びつ き, 当該企業株 の引受 ・発行活動 を行い うるよ うにな ったのであ り,銀行集中は何

よ りもこの よ うな事態を可能 とす るものであ った, と5 ) 0

ところで, この時期 の銀行集中を上記 の よ うに把握す るとして も,この時期 , ドイ ツの大銀行は もっぱ ら発行銀行 として完成 の道を歩んだ, ・とす るわけには ゆかない。 この時期に大銀行は,他人資金 の拡大等 に よ り 「正則業務」を強化

した, とい う点はつ とに指摘 されてい る。

第 1 表をみ る と ,1 8 97‑1 907 年 の1 0 年 間に大銀行が他人資金を著 しく拡大 し た ことがわか る。 また,第 2 表か らは,1 890 年か ら 1 91 3 年 の間に,大銀行はい ずれ も,預金等債権者勘定 の増大 とほぼ同 じ歩調 で,手形や債務者勘定 とい っ た短期資産を増大 させてい・ るのがわか る。本来的銀行業務 の拡大がみ られ るわ けである。

4 )塚本,前掲論文,4 6 9 ページ ,4 7 2‑4 7 3 ページ参照。なお,このような, 銀行集中に おける大銀行と地方銀行のそれぞれの側の動機 ・要田についての把握は,長坂氏 ( 前 掲論文,1 4 5 ページ ,1 4 8ページ)や戸原氏 ( 前掲書 ,3 3 3 ‑3 3 4 ページ)にも共通して いる。

5 ) ここで,集中運動によって大銀行が地方銀行を系列化し,そのことによって大銀行

は産業株の引受 ・発行を行いうるようになった,という場合 , 「大銀行 の資本信用固

定→ 発行活動による流動化」という周知の構図の中で発行活動を位置づけているわ

けではない。私見では,大銀行の発行活動は,それ自体で独自的なものと考 え られ

る。この点については,拙稿 「 擬制資本 ・証券市場と信用‑ 金融資本と擬制資本 ・

証券市場に関する研究( 2 ) ‑ 」( 『 商学論集』第3 2 巻第 3 号,1 9 8 5 年)を参照のこと。

(4)

‑ 7 2 ‑ ド坪ツr L溶ける銀行集中運動

1

蓑 大銀行の 自己資本 と他人資本 (百万マル ク)

1 9 0 7 年 1 1 9 1 3 年

出所 :

Man f r e dPoh

l,

" Fe s t i gungundAus de hnungde sde ut s c he nBankwe s e ns z w is c he n1 8 7 0und1 91 4 , ' 'i n De ut s c he nBank e n ge s c hi c h i e ,Bd.2,S.2 8 9.

2

蓑 大銀行の主要資産 と負債 の発庭 (百万マル ク)

Comme r z ‑

und Di s ‑ c ont ‑ Bank

艶 壬L 5 喜壬: 去 2 '

去 芸 …: 喜1 3 8 9 誉:

誌: …l 芸 81 . 21 ,

去 宝 喜 : Zl 2 冒 : 3 L 4 賢 孟

注 : 1 )

引受 団参与を除 く。

. 2 ) 1 8 8 0

年 の数値.

出所 :

Pohl ,a.a.0リS. 2 8 6 ‑ 2 8 7.

ただ し,大銀行 の, この よ うな方 向での業務展 開は,先 にみた銀行集中 と直

接的 関連を もつ ものであ ったか どうかは疑わ しいム とい うのは, この時期の銀

行集中は・既述 の 羊 うに・大銀行 と地方銀行が利益協 同契約を結ぶ とい うもの

であ って,地方銀行が大銀行に吸収 されてその支店 とな るとい うわ け で は な

(5)

ド' i fツにおける銀行集中運動 ‑ 7 3I く, したが って大銀行 の支店網が地方‑向けて拡張 した とい うことではなか っ たお らゼあ る' O大銀行は,集中過程を とお して痕密 な支店網を癖成 し,それに よって預金収集力を格段 に高めた, とす ることはで きないであろ う 6) 0

ドイ ツの大銀行が 「正則業務」を強化す るに際 して,当時の銀行集中が どの よ うな関わ りを もったか, とい う問題は措 くとして, ともあれ この時期 に, ド イ ツの大銀行は よ うや く本来的銀行 としての質を も獲得す るよ うにな ったわけ であ る。 この点を跨 まえ,大銀行 の発展について改めて整理 してお くと次 のよ うにな るであろ う。すなわ ち, ドイ ツの大銀行は,ほ ぼ1 8 9 0 年代以降, クレデ ィ ・モ ビリ‑的創業 ・発行銀行 としての性格を脱 し,近代的な本来の銀行 とし て成長す るに垂 ったが,他方 七は,銀行集中過程を通 じて炭鉄 な どの地方産業 との結びつ きを もつ よ うにな り,産業株 の引受 ・発行を改めて メジャーな業務 として展開す るよ うにな った, と。

戸、くして, ドイ ツの大銀行は,本来的業務 ( 「 正則業務」 ) とともに,それに は括 りえない発行業務を も併せ もつ兼営銀行 としてその姿を整 えてい ったので あ り,第 1 次大戦前 の銀行集中は何 よ りもこの よ うな事感 を もた らした, とす るこ と が で きるのである。

Ⅱ 第 1 次大戦後の銀行集中‑ 」 1 9 2 0 年代 を中心に‑

1. 最初に,第 1 次大戦か ら 1 9 2 0 年代末 までの間に,銀行集中が どのよ うな 結果を もた らしたのか,そのおおまかな状況を第 3 表に よってみてお くことに す る。

まず,銀行数については,何 よ りも地方銀行 の数の減少が 目立つ。支店制ベ ル リン大銀行 の数 も 1 9 2 9 年には 4 行 とな り, これを中心 とした寡頭体制の強化 とそれへの地方銀行の編入 ( 支店化)が進 んだ ことが窺 い知れ る。「 短期資産」

と 「負債」 の項 目をみ ると,支店制ベル リン大銀行は この期間に 8‑9% の シ 6 )Po h l によると ,1 9 1 0 年の時点で,ベルリン 8 大銀行全体が有していた支店総数は 1 0 0 以下であ り,これは,当時のイギリスの大銀行 1 行が有する支店数にも劣って い た。 ドイツの大銀行の支店制度が整 うのは 1 9 1 4 年以降のことである 。Vg l ・Po h l ,a .

r a.0. {S.2 7 2 1 2 7 3.

(6)

‑ 7 4

ドイツにおける銀行集中運動

3 表 短期資産 ・負債に占める銀行グループ別シェア

年 l銀 行 数 短期資産

1)

負 債 2 )

l 3 去. i

、 . S: 宇

壬 9 9 圭 …l l 諾 l 2 , 8:

臓 行l地 域 銀 行 l 壬 ; 圭 3 ,l 晋 l …:

憲 重 鎮 行 且 主 遥 昆 昆

3, 1 5 7 ( 3, 1 33 )

3, 243 ( 2, 609 )

7. 5 (0. 5 )

1 9. 5 土 j二 遡 1 00. 0 1 00. 0

壬 3 圭 SI 款, 0 .

各 種 公 的 金 融 機 関 (うち貯蓄金庫)

注 :1 ) 「小切手,手形 ・無利子国債 」 , 「ルポール ・7 ,1 /バー 日 ,

「商品担保貸付

」 ,

「 交互計算信用」 。

2) 「 債権者勘定」と 「引受手形」 , ただし,貯蓄性預金および銀行債権者勘定 を除 く。

出所 ' . Rudo l fSt uc ke n," Di eKonz e nt r at i o ns be we gungi m d e ut s c he nBank一 ge we r beundde r e nGe ge nkr 豆 f t eunddi eTe nd e n2 : e nZ urDe konz e n‑

t r a t i onundSpe z i a l i s i e r ung, ' 'i nUni e r s uc hun gdo sBankwe s e ns1 933 , I .Te l l ,2. Bd. ,S. 1 2 ‑1 3.

ェア増大を遂 げ, また貯蓄金庫等公的金融機 関 もか な りの シ ェア増大を遂げて い る。他方 で,地方銀行 は20%以上 の シェア低下を示 してい る。以上要す るに , 1 914‑ 1 929 年 の時期 では,本来的銀行業務 に 占め る支店制ベル リン大銀行 の比 重増大 と地方銀行 の比重低下,そ して貯蓄金庫等公営銀行の伸長 とい う事態が 進 んだ ことがわか る。

さて,第 1 次大戦後 の銀行集中 ・合併 の うち, と くに 目立 った ものがい くつ

か あ った。 1 920 年 には , Comme r z ‑und Di s cont ‑Bank と Mi t t el deut s c he

Pr i vaトBank が合併 し ,Commer z ‑und Pri vat ‑Bank が成立 した。 この合

併 は, ‑ ソプル グを 中心に 貿易金 融 な ど で 活 動 していた Commer z‑ und

(7)

ドイツにおける銀行集中運動 ‑ 7 5 ‑ Di s c onトBank が , 戦後の停滞のなか で新たに対産業取引の拡大をめ ざ し, 当時ザ クセ ンや中部 ドイ ツの諸工業 と取引関係を もっていた Mi t t e l d e ut s c he Pr i va t ‑ Bank に接近 した結果 もた らされた ものであ った7 ) 。 同 じく 1 920 年に , ベル リンの Nat i ona lbankf urDe ut s c he l and が ブ レーメンの De ut s c he Nat i ona l b ank を吸収 し, さらに22 年に 自行 よ り資本規模 の大 きな Bankf t i r Hande lundl ndus t r i e( Dar ms t adt e rBa nk) に対 しテイ クオーバ ーを開始

し,そ して同年 に新銀行 Dar ms t adt e rundNat i ona l bank ( DanaトBank) が成立 した 8) 0

通貨安定後になると,ベル リン大銀行が地方銀行や個人銀行商会を吸収す る とい う動 きが 目立 った。例えば De ut s c heBa nk は ,1 92 4 年 に Wi i r t t e mbe r ‑ gi s c he Ve r e i ns ba nk を ,2 5 年 には Es s e ne rCr e di t ans t a l t と Si e ge ne r Bank を , 27 年 には Lt i be c ke rPr i vat bank を ,28 年 には Hi l de s he i me r Bank を吸収 してい る。吸収 されたほ とん どの銀行は, 以 前 か ら De ut s c he Bank と提携関係にあ った もので,合併 に よってその独立性を失い De ut s c he Ba nk の支店 とな った 9) 0

第 4 表 は,1 91 4 年か ら 28 年 までにおけ る,ベル リン大銀行に よる地方銀行等 の吸収 ・合併件数を示 してい る 。A. Sc ha a f f ha us e n' s c he rBankve r e i n と Rhe i ni s c heCr e di t bank に よるもの も含め ると,全体 で 21 0行が28 年 までに 吸収 されてい る。 この表にみ られ る銀行集中は,先 に も触れたが,第 1 次大戦 前 の集中が利益協 同契約 に よる大銀行 と地方銀行 とのゆ るい結びつ きの形成 で あ ったの と比べて,大銀行に よる地方銀行の完全 な吸収 ・合併,後者 の支店化 とい う点にその特徴があ った 10) 。大銀行は,戦前にはな しえなか った支店網の 構築を, この時期の集中運動 に よって達成 したわけであ る。大銀行の支店数 は 7) Ka r lEr i c hBo r n,I nt e r nat i o na lBank i n gi nt he 1 9 t hand20i hCe 7 1 t ur i e s

( Wa r wi c k s hi r e ,1 9 8 3 ) ,p p. 2 4 1 ‑ 2 4 2.

8 ) I b i d. ,p . 2 42.

9 )P. Ba r r e t tWh a le ,J o i ntSt o c k Banki n g i n Ge r man y ( Lo nd o n ,1 9 3 0 ) , p.2 8 6.

1 0 ) Au s s c h u L Sz u rUn t e r s u c h un g d e rEr z e u g u n g s‑un dAb s a t z b e d i n g un g e n

d e rd e u t s c h e nWi r t s c h a f t ,De rBank k r e di t ( Be r l i n ,1 9 3 0 ) ,S.1 0 ‑ l l .

(8)
(9)

ドイツにおける銀行集中運動 ‑ 7 7 ‑ 第 5 表 にみ られ るよ うに ,1 92 8 年末で 7 11行 となった 。1 91 3 年 の 1 5 3 行 11) か ら 大幅な増大を遂げ長めである.

1 9 2 0 年代の銀行集中は , 2 9 年 の 2 つの大型合併に よって頂点に達す るO そ れは ,Comme r z ‑ undPr i va t ‑ Ba nk と Mi t t e l d e ut s c heCr e di t ba nk との 合併 ,そ して ,De ut s c heBank と Di s c o nt ‑ Ge s e l l s c ha f t との合併であ っ た。 と りわけ後者 の合併は , ドイ ツ最大 の銀行間に よるものであ り, またい く つか の地方大銀行 , すなわち Di s c onトGe s e l l s c ha f t の 子∵ 銀行 で あ る A.

sc haa f f hよ us e n' s c he r Ba nkve r ei n , No r dde ut s c he Ba nk,Si i dde ut s c he Di s c ont ‑ Ge s e l l s c ha f t ,そ して De ut s c heBa nk と 提 携 関 係 に あ っ た Rhe i ni s c heCr e di t b年 nk を包含 し,規模か らみて最 も重要であ り衝撃的で さ えあ った。

この大型合併について詳 しくほ後 にみ ることとして,あ らか じめその性格に 関 してし ̲ 、うと, この合併は 2 8 年 までの集中 ・合併 とは明 らかに質を異 にす るも のであ った, としうる。そ こで次に,戦後か ら 2 8 年 までの銀行集中 と 2 9 年 の大 型合併は, それぞれ どの よ うな 意義を 有す るものであ ったのかを 改めてみて ゆ くことにす るOその際に,通貨安定後 の民間銀行, と りわけ大銀行 の業務基 盤は どの よ うな ものであ ったのか,その特徴をみてお くことが必要 と 思 わ れ る。 ドイ ツの銀行は,敗戦 とイ ンフ レーシ ョンに よる混乱が一応治 まった通貨 安定後において,なお どの ような状況の もとで活動せ ざるをえなか ったのか, そ して この間に展 開 した銀行集中は何を もた らしたのか, とい う問題 であ る。

2. ベル リン大銀行の 1 9 2 9 年 までの資金的基盤については∴大 銀行 全 体 の B/ S の貸方 の推移を示 してい る第 6 表 に よって知 ることができる。 い くつか の特徴を拾\、 出す と次 の よ うにな る。 まず, 自己資本 ( 秩式資本金 と若立金) は ,2 9 年にな って も戦前 の 61 % 強に達 したにす ぎない こと。そ して, 自己資本 対他人資本 ( 債権者勘定) の比率は ,1 91 3 年 では 1 対 3. 4 であるが ,2 9 年 では 1 対 1 3. 5 とな ること。預金の拡大が著 しか った ことがわか る。預金の期 間別構 成 については ,2 9 年 では 3 カ月以内の期限の ものが 9 7 % を占め,顕著な短期化

を示 してい る。

l l )Bo r n,o b . c i t . ,p.2 4 1 .

(10)

‑ 7 8‑ ドイツにおける銀行集中運動

第 6 表 ベル リン大銀行全体の自己資本と債権者勘定

(百万

RM)

債 権 者 勘 定

a 顧客のた

の第 3 着か らの 借入金

債権者勘定合計 (a を 除 く)の うち

7日以内 朋 賀 ら 憶 呈月

出所 :

Manf r e dPohl ,Ko nz e nt r a i i o ni m de ut s c he nBankwe s e n,S.3 4 3.

この時期 の預 金 に関 してなお重 要 な問題 は,浮動的 な短期 外資が どの くらい の割合 を 占めていたか, とい う点 であ る。 ドイ ツの政 治 ・経済状況 に敏感 に反 応 し,事 あ らは繰延べ を停 止 して短 期 間 の うちに引揚 げ られ る よ うな短 期 外餐 に, ドイ ツの銀行 は どの程 度依存 していた のか , とい う問題 で あ る。 この点 に つ いて ,2 9 年 にはベ ル リン大銀行全体 の外 国債権者 勘定 は 51 億 RM に逢 してい た とされ 1 2 ) , そ して第 6 蓑 に よる と同年 の債 権者 勘定総額 は お よそ 1 1 0 億 RM であ るか ら,前者 の比率 は 4 6% とな る。 さらに第 6 表 に よる と, この債権者勘 定 総額 自体 がほ とん ど ( 8 2 %) 短期預 金 (3 カ月以 内の期 限) であ るので, そ の構 成 要素 で あ る外 国債権者勘定 もほ とん どが短期 の ものであ った, と し うる であ ろ う。

また第 7 表 では, ベ ル リン大銀 行だ け に限 られ た数値 ではないが, ドイ ツの 銀 行 が負 った短 期外資 の うち と くに浮動性 が問題 とされ る 「外 国現金信用」 の 割合が示 され てい る 。2 8 年 には,債 権者勘定合 計 ( ただ し 手形 保証 信用 ‑ B/ S では 「顧 客 のた め の第 3 老 か らの借 入金」 とい う項 目‑ を除 く)の 4 3 . 4

% を 占め.最大 の比率 に達 してい る1 3 ) O

ところで,以上 の よ うに,銀行 の資 金的基盤 が短 期化 と外資依存 とい う傾向 1 2 )Vgl .De ut s c he Bunde s bank ,De ut s c he sGe l d‑ und Bankwe s e n i n Za hl e n

1876‑ 1975( Fr ankf ur tam Me i n,1 9 7 6 ) ,S.3 3 0.

1 3 )Vgl .Ot t oChr .Fi s c he r ," Di ef e hl e r haf t eKr e di t pol i t i k, "i n Unt e r s uc hun g

de sBankwe s e ns 1 933 , Ⅰ .Te i l , 1 .Bd. ( Ber l i n,1 9 3 3 ) ,S.51 2 .

(11)

ドイツにおける銀行集中運動 ‑ 7 9 ‑

7 表 ドイツの銀行への短期外国信用

(百万

RM , %)

注 :1)

国際収支表か ら概算で見積 られた数値。

出所 :

Ot t oChr .Fi s c he r , " Di ef e hl e r haf t eKr e di t pol i t i k, " i n Unt e r s w c hun g de sBankwe s e ns 1933 , I ,Te i l , 1 ̲Bd. ,S. 51 2.

を深 め なが ら不安定化 しつつ あ る場合 ,銀 行 に とっては, 当然 なが ら流動 性 を 高 く維 持 してお くこ とが必要 とな る。 しか しなが らこの点 につ い ては,大銀行 の現 金流動性 ( 現金 ・発 券銀 行預 ケ金等 の債権者 勘定 に対す る比率) は,1 91 3 年 の 7 . 4% か ら24 年 には 7% ‑ ,そ して29 年 には 3. 6%‑ と落 ちてい る。 また 第 1 次流動 性 ( 現 金 ・発 券銀 行預 ケ金等 ,手形 等 , ノス トロ債 権 の債権者勘 定 に対す る比率) は,1 91 3 年 の 50. 7%か ら24 年 には60% 弱へ と上 昇 したが , 29 年 には39% まで低下 したので あ る 14) 。 資 金 の調達 面 で短期化 ・外資依存 とい うよ

うに不安定 化 しつつ あ る時 に,資 金 の運用面 で も流動的 資産 が減 少 していたわ け であ る。

通貨 安定 後 , ドイ ツの銀行 の業 務 は上 記 の よ うに不安定化 してい ったが, ド イ ツの銀 行 をめ ぐる過重 状態 は これ につ きるわ け では なか ったF . 例 えば,正規 の銀行業 務 へ の貯 蓄 金庫 の浸透 が , 当時 の競争激 化 の大 きな要 因 と して挙 げ ら れ る。 1 930 年 末 では,貯蓄 金庫 と振替 中央 機 関 とを合わせ る と短 期 信用 残 高 は お よそ45 億 RM に達 し, これ は, 同時期 の大銀行 の短 期信用残 高 のほぼ半 分 に 1 4 )Kar lEr i c h Bo r n, ̀ ̀ Vom Be gi nn de sEr s t e n We l t kr i e ge shi sB ur n Ende

de rWe i mar e rRe publ i k ( 1 91 4 ‑1 9 3 3 ) , ' 'i n De ut s c heBanke n ge s c hi c ht e ,Bd.3

( Fr ankf ur tam Me i n,1 9 8 3 ) ,S.7 6.

(12)

‑ 8 0

ドイツにおける銀行集中運動

相 当 した, とい う。貯蓄金庫 グル ープは,い まや大銀行 に とって強力な ライバ ル とな っていた のであ る 15) 0

さらに,大銀行 におけ る諸経費 の高 さもまた, 当時 の過重状態 を端的 に示す ものであ った。支店制ベル リン大銀行 では,1 929 年 の諸経費 は,癌収益 の76. 1

% を も占めた。 1 91 3 年 の45. 5% と比べ る と著 しい増大 であ った。大銀行は20 年 代 にそ ろ って大幅 な人員削減 を 実行 していたが, それ で もなお, 上 記 の よ う に諸経費 の高 さは改善 されなか ったのであ る。 したが って この諸経費増大は, 主 と して,人件費 よ りも拡大 した支店網 の管理 ・維持費 に起 因す るものであ っ た, といえ るのであ る 1 6) 0

さて,以上 では,通貨安定後 におけ る大銀行 の業務状況等 について特徴的 な 点だけを取 り出 した のであ るが, これ らの諸点 と銀行集 中 とを関連づけて整理 す る と次 の よ うにな る。す なわ ち,通貨安定後 の大銀行 は,資金的基盤が不安 定化 し, また流動性 も悪化 していた のであ り,そ の体質は脆 弱な もの とな って いた, とい うこと。 このために大銀行 に とっては,当時何 よ りも,国内の安定 的 な預 金の獲 得が喫緊 の課題 とな った であろ う, とい うこと。だが , 国内では , 貯蓄金庫 の伸長 な どに よ り競争 は一段 と厳 しい もの とな っていた。か くして大 銀行は,そ の支店網を地方へ と拡張 し,預金獲得等 をめ ぐる競争において優位 1 5 )1 9 0 8 年に貯蓄金庫は小切手取引が認められ,それ以来振替のネットワークが作 り出 された .1 9 0 9 年にはザクセンで,最初の中央振替機関が作られた。か くして貯蓄金庫 は,振替勘定で預金を扱 うことが可能となったが,第 1次大戦前ではこの業務はなお ネグリジプルなものに留まっていた。1 91 3 年では,貯蓄金庫の全預金の 9 9. 7 %は貯蓄 性のものであった。1 91 8 年には,中央振替検閲のための センター と して De ut s c he Gi r oz e nt r al eが創設され,それ以降,貯蓄金庫は,ライヒ全体をおおう振替ネット ワークによって統合され,そして De ut s c heGi r o2 : e nt r a leをとおして,貨幣市場, 資本市場へ接近可能となった .K.E.Bor n ,Int e r na t i o na lBank i n gi ni ke 1 9 1 h a7 1 d20t hCe nt ur i e s ,pp.2 4 7 ‑ 2 4 8.

1 6 )なお,大銀行の人員削減の状況は次のとお りであった 。De ut s c heBankは 4 0, 0 0 0 人 ( 1 9 2 3 年)から 1 4, 0 0 0 人 ( 1 9 2 6 年)‑,Dr e s dne rBankは 2 3, 0 0 0 人 ( 1 9 2 3 年)か

ら 8, 0 2 0 人 ( 1 9 2 9 年)‑,Comme r z ‑ und Pr i vat ‑ Bank は 2 6, 0 0 0 人 ( 1 9 2 3 年)から 7, 1 0 0 人 ( 1 9 2 5 年)へ,Mi t t e l de ut s c heCr e di t bankは 4, 0 0 0 人 ( 1 9 2 3 年)から 1, 0 5 0 人 ( 1 9 2 5 年)へ 。Vgl .K.E.Bo r n," Vom Be gi nn de s Er s t e n We l t kr i e ge s bi s2 : um Ende de rWe i mar e rRe publ i k ( 1 91 4 ‑1 9 3 3 ) , . 'i n De ut s c heBanke n‑

ge s c hi c ht e ,Bd.3,S.8 3.

(13)

ドイツにおける銀行集中運動 ‑ 8 1 ‑ に立つべ く,地方銀行の吸収 ・合併 とその支店化 とい う方 向で運動を展開 して い ったのである。28 年 までの銀行集中が これであ った。R. St ucken は28 年 ま での銀行集中を,大銀行の地方的拡張 として,そ して被合併銀行の支店化 とし て特徴づけているが,それ も上記の ような文脈で捉え られ るべ きと思われ るの である 1 7) 0

しか しなが ら,拡張 した支店網は,他面 で,その管理 ・維持のための経費増 大をもた らしていた。 ドイツの大銀行の過重状態は, この点で,何 ら解消 した わけではなか った といえる。 また,上記の ような大銀行の脆弱な体質 も,2 8 年 までの銀行集中に よって顕著に改善 された とい うわけで もなかった。か くして, 通貨安定後の ドイ ツの大銀行には,なお高次の集中が必要 とされていたのであ

る。

3. 上述のように, 1 9 28 年 までの銀行集中運動は, 大銀行が 地方銀行を吸 収 ・合併 し,その支店化に よって地方‑ と拡張 しようとす るものであ った。た だ し, この集中は,当時の大銀行の過重状態や脆弱な体質 とい うことを解消す

るものではなか った。

1 92 9 年になって,ベル リン大銀行間におけ る 2 つの合併が生 じた。先にも触 れたが ,Commerz‑und Pr i vat ‑Bank と Mi t t el deut s che Credi t bank の 合併 ,そ して Deut s cheBank と Di s conトGes el l s chaf t の合併であった。

この合併, とりわけ後者は,明 らかに,従来の銀行集中 とは異なる意義をもつ ものであった。大銀行が抱えていた問題の克服が,は っき りと意識 されていた か らである。

この,2 9 年に生 じた合併の動棟, 目的については,一般に次の 3 つが主要な もの として挙げ られ る。第 1 は,銀行諸経費の節減 とい うこと。第 2 は , 産業 , とりわけ当時の大 コンツェル ンとの取 引関係の強化 とい うこと。第 3 紘,不安

1 7 )Vgl .Rudol fSt uc ke n , " I ) i eKon2 : ent r at i ons be we gungi m de ut s c he nBank‑

ge we r beund de r e n Ge ge nkr a f t eund di eTe nde nz e n z urDe konz e nt r at i on undSpe z i al i s i e r ung, " i n Unt e r s uc hun gde sBankwc s e ns 1933 , I .Te i l ,2.Bd. , S.1 4 ‑1 5 .

1 8 ) Manf r e d Pohl ,Ko nZ e nt r a t i o n i m de ut s c he n Bankwe s e n ( Fr ankf ur tam

Mei n ,1 9 8 2 ) ,S. 3 4 4 .

(14)

‑ 8 2

ドイツにおける銀行集中運動

この 3 点 の うちで も, と りわ け重視 された のは前 2 者 であ った 19) 。諸経費 節減 については ,24 年 以降,全 ての大銀行が努力 して きたが,成果 は全 く不十分 で あ り,例 えば28 年 には , De ut s che Bank では総収益 の80, 6%が , Di s cont ‑ Ges e l l s chaf t では77. 6%が , 諸経費 と税 金で喰われ ていた のであ る。 経費 問 題 につ いては この よ うな状況 であ った。 また,大 コンツェル ンとの取 引関係 の 強化 とい う場合 ,具体的 には,当時新 たに成立 した Ⅰ .G. 7 ァルベ ン ( 1 925 年成 立)や合 同製鋼 ( 1 926 年成立) との取 引が問題 であ った2 0 ) 0

さて,上記 の よ うな合併 の動機 ・目的 に注意 を払 いなが ら ,De ut s cheBank と Di s cont ‑Ges e l l s chaf tの合併 の経過 な どについて も う少 し詳 しくみ てゆ く ことにす る 2 1 ) 0

1 929 年 7 月 27 日,新 聞が Deut s cheBank と Di s c ont ‑Ges el l s chaf t の合 併 について初 めて報 じた時,それ は衝撃的 な ニュース として受 け とめ られた.

とい うのは,両行 は伝統的 に ライバ ル関係 にあ った し, また重役 間相互 の敵意 につ いて もよ く知 られ ていたか らであ る。 さ らに,何 よ りも両行 は,基本的営 業方針 に大 きな違 いが あ った。例 えば ,De ut s cheBank は大規模 な 支 店 網 ( 1 42 支店) を有 していたが ,Di s cont ‑Ges el l s chaf t はわずか 4 支店 と 6 支局 ( Zwei gs t el l e ) を もつ にす ぎなか った 22) 。 また ,De ut s che Bank は利益志 向 的 な活動 を強力 に推進 していたが , Di s conトGes el l s chaf t は収益性を犠牲 に 1 9 )当時の短期外資依存については ,Re i c hs bank や若干の経済学者を除けば,必ず し

も緊急の危険性をもつと考えられていたわけではなかった。例えば,当時の代表的な 銀行家であ り ,De di ‑ Bank の役員ともなった Ge o r gSo l ms s e n なども,状況につ いては楽観的であった

。K.

E.Bor n , " Vom Be gi nn d e sEr s t e n We l t kr i e ge s bi sg um Endede rWe i mar e rRe p ubl i k ( 1 91 4 ‑1 9 3 3 ) . ' 'i n De ut s c heBank e n‑

ge s c hi c ht e ,Bd.3 ,S. 7 6.

2 0 ) Ebe nda,S. 8 0. M.Pohl ,Ko nz e nt r ai i o ni m de ut s c he nBankwe s e n,S. 34 7.

21 ) Comme r z ‑ und Pr i va t ‑ Bank と Mi t t e l d e ut s c heCr e di t bank の合併の経過に ついては ,Po hl ( Ko nz e nt r ai i o ni m de ut s c he nBankwe s e n,S. 3 4 7 ‑ 3 5 0 ) が詳 し い。参照のこと。なお ,St uc ke n によると,当時の Mi t t e l de ut s c he Cr e di t bank は業績が比較的良好であ り,同行が合併に追い込まれたとい うのではな く, む しろ

「自発的」な歩みであった,とい う Dst uc ke n,a.a.0. ,S. 2 2 ‑ 2 3.

2 2 ) K.E.Bo r n, " Vom Be gi nn de sEr s t e n We l t kr i e ge sbi sz um Endede r

We i mar e r Re bubl i k ( 1 91 4 ‑1 9 3 3 ) , " i n De ut s c he Banke n ge s c hi c ht e ,Bd. 3 ,

S.7 9.

(15)

ドイツにおける銀行集中運動 ‑ 8 3‑

して も流動性 の維持 に気 を使 った 23)0 De ut s c heBank と Di s c onトGe s e l l s ‑ c ha f t との合併 の ニ ュースは,衝撃的 であ った のであ る。

この合併は,1 929 年 にな って突然 に生 じたわ けではな く,それ に至 る前 史が あ った 。De ut s c heBank は ,す でに 2 6 年 頃か ら合併 のパ ー トナ ーを探 してい た。 そ の動機 は,諸経費 の大幅 な節減 に よる収益性 の 向 上 とい うこ と, そ し て , Ⅰ .G. フ ァルペ ソや合 同製鋼 な どの巨大 コンツ ェル ンと互角 に相対 し うる 規模 を もつ銀行 の形成 , とい うことであ った 24) 。後 者 の 問 題 に 関 し ては, De ut s c heBank の重役 であ る 0.Sc hl i t t e r はす でにイ ンフ レの時期 に,当 時 の De ut s c heBank の規模 では巨大 コンツェル ンの生成 には関与 しえない と認識 していた し, またそ の信用需要 に も De ut s c heBank の 預金構造 では 応 じえない とい うこともす でに 明 らか であ った

25)

。De ut s c heBank は,合併 のパ ー トナーを さ しあた って Da na トBank に求めた。 だが これ は失敗 し,そ の後 に Di s c onトGe s e l l s c ha f t に接近 してゆ く。 しか しなが ら Di s c ont ‑ Ge ‑ S e l l s c ha f t は ,2 6 年 当時は合併 に対 してなお消極的 な姿勢 を保持 し て い た。

1 929 年春 の Comme r z ‑ und Pr i va t ‑ Bank と Mi t t e l d e ut s c heCr e di t bank の合併 の後 ,De ut s c heBank は再度 Di s c o nトGe s e l l s c ha f tに合併 の提案を 行 った。最終的 には両行 の合併 は,29 年1 0 月 29 日のそれ ぞれ の株 主総会 で承認 され ,成立す ることとな った 。De ut s c he Bank の株 主総会 では ,0.Wa s ‑ s e r mann が ,Di s c o nt ‑ Ge s e l l s c ha f t の株主総会 では G.So l ms s e n が,令 併 の 目的 を説 明 し,諸経 費 の節減 について強調 した, とい う2 6 ) 。

か くして , 巨大銀行 De ut s c heBank und Di s c ont ‑ Ge s e l l s c ha f t ( 略称 De DトBa nk) が成立 したが,そ の資本金は 2 8 5 ( 百万 )RM とな り,今や他 の

4 つ の大銀行 の資本金合計 さえ上 回 る よ うにな った。 また ,ち/ S 総額 は 5 5 億 23 )1 9 2 8 年末では ,De ut s c h eBa n k の現金流動性は3. 9%

,第

1 次流動性は41. 1 %で

あ り,他方で Di s c o n t ‑ Ge s e l l s c ha f tは,5. 3 5 %と 4 5. 4 %であった。K. E.Bo r n,

̀ ̀ Vo mBe g i nnd e sEr s t e nWe l t kr i e g e sb i s芝 um En d ed e rWe i ma r e rRe b u b l i k ( 1 91 4 ‑1 9 3 3 ) , " i n De ut s c heBanke n ge s c hi c ht e ,Bd. 3.S.8 0.

2 4 ) Eb e nd a

2 5 ) Vg l .M. Po h l ,Ko nz e nz r ai i o ni m de ut s c he nBankwe s e n ,S.35 3.

2 6 ) Eb e nd a ,S.3 5 3 ‑ 3 5 4.

(16)

1 84‑ ドイツにおける銀行集中運動

RM 以上 とな り, 第 2 位 の Dr es dne rBank の B/ S 総額 の 2 倍 に達 した。

De DトBank は ,当時世 界最 大 の Nat i onalCi t y Bank ( ち/ S 総額 90 億 RM) や Guar ant y Tr us t& Co.( 71 億 RM) とは なお格差 が あ った とは い え,確 か に世 界 の一 流銀 行 と して生成 した ので あ り, 巨大 コ ンツ ェル ンと対 等 の立場 に も立 ち うる よ うにな った ので あ る 27) 。

ところで, 以上 の よ うな 2 9 年 の銀 行合 併 ( Commer z ‑undPr i vat ‑Bank と Mi t t el de ut s che Cr edi t bank の合併 も含 め て) の意 義 は ,2 8 年 まで のそれ と 異 な って,大銀 行 の地方 ‑ の進 出 とい う点 に あ るのでは なか った。 この間題 は いわ ば,す でに達成 済 み で あ った といえ る。 また , 巨大 コ ンツ ェル ンに対 抗 し

うる規模 を もつ , とい うだ け の こ とに留 ま るわけ で もなか った。 なお 重 要 な 課題 は,地方 で の競争除 去 と支店 の統廃 合 とい うこ とに あ った。 合併動 機 にみ られ た よ うに,経 費 の大 幅 な節減 を達成 し, 当時 の大銀行 の過 重 状態 を解 消す る, とい うこ とであ る 28) 。 この よ うな課題 が いか に遂 行 され たか は,第 8 表 に よってみ る ことが で きる. 第 8 表 に よる と , DeDi ‑Bank の成 立 に際 して,

8衰 1 9 2 9 年の合併による支店等の整理状況

合 併 銀 行 被 合 併 銀 行

De ut s c heBank Di s c ont ‑ Ge s e l l s c ha f t A.Sc haa f f ba uS e n' S c l l e r Bankve r e i n

Rhe i ni s c heCr e di t bank Si i d de ut s c heDi s c ont o ‑ Ge s e l l s c ha f t

Nor dde ut s c heBa nk

Ea o n ‑ k ‑e r Z ‑ u・Pr i vat l

M

itt

e l d

e

u t s c heC

r

e

dit‑

b an

k

合 計

出所 : St uc ke n,a.a. 0 . ,S. 1 7.

2 7 ) Eb e nda,S. 3 5 7.

2 8 ) Vgl .St uc ke n,a.a. 0 リS. 1 7 ‑1 8.

(17)

ドイツにおける銀行集中運動 一 8 5 ‑

9 表 1 9 1 4 ‑ 2 8 年の合併による支店等の整理状況1 )

本 ・支店数

( 丑 貰嘉寡芸鮎 l誓舗警①+② 存 続 店 舗 数 l削 減 店 舗 数

江 : 1 ) ベルリン大銀行の集中運動に関しての数値。ただし ,Dr e s d n e rBa n k の 分については,統計上の不備のため除かれている。

出所 : S t u c k e n,a.a .0リS.1 6 .

De ut s c heBa nkや Di s c ont ‑Ge s e l l s c haf t な どの本 ・支店及び預金取扱所 な ど全店舗数 2 7 2 の うち ,1 3 6 が削減 されてい る。 また Comme r z ‑ und Pr i vat ‑ Ba nk と Mi t t e l de ut s c heCr edi t ba nk の合併 に際 しては ,全店舗数 4 6 の う ち 3 2 が削減 されてい る 。 2 つ の合併を合わせ ると,全店舗数 31 8 の うち 1 68 が削 減 されたのである。半分以上が削 られた ことにな る。他方 で 第 9 表 の 方 は, 1 9 2 8 年 までの集中 ・合併におけ る支店等 の整理状況を示 してい るが, これ に よ ると ,9 7 9 の全店舗数 の うち削減 されたのはわずか 1 2 8 であ り,〉 i程度 の削減 で あ った 。 2 9 年に生 じた合併は, それ以前の集中 ・合併 とは 異 って, 明 らか に 地方 での競争除去 と支店 毎 統廃合を重要 な 目的 としていた, としうるのであ る。

むすび にかえて

各時期 の銀行集中が有 した意義について要約 してお く。

第 1 次大戦前 の銀行集中, と りわけ 1 8 9 0 年代後半か らのそれは,ベル リン大 銀行に よる地方銀行の系列化を内容 としていた。その形態は,合併 ではな く, 大銀行 の参与に もとづ く利益協 同の形成 であ った。 したが って,大銀行が 自ら の支店網を地方‑向けて築 きあげた, とい うことではなか った。 この時期 の集 中の意義は,大銀行が地方銀行 との提携関係を得 て地方産業 と間接的なが らも 繋 が り,それに よって大銀行は産業株 の引受 ・発行をな しえ る, とい うよ うな 事態を もた らした点にあ った。 ドイ ツの大銀行は, この集中過程を経 て,兼営 銀行 としての姿を整 えることになったのであ る。

第 1 次大戦後では,銀行集中は ,1 9 2 0 年代に活発 とな り ,2 9 年 にはベル リン

(18)

‑ 86

1

ドイツにおける銀行集中運動

大銀行間の 2 つの合併 で頂点を迎 えた。だが,戦後か ら2 8年 までの集中 ・合併 と 2 9 年 の大型合併 とは,明 らか に異な る意義を もつ ものであ った 。2 8 年 までの 集中 ・合併は,大銀行に よる地方銀行 の吸収 ・支店化を特徴 としていた。銀行 業務をめ く や る競争激化 のなかで,大銀行が地方進 出を企 てたのであるO この集 中過程に よって, ドイ ツの大銀行は よ うや く支店網を濃密に構築す ることがで きた。 この点では,戦前 の銀行集中がなお残 していた課題を達成 した といえ る のであ り, したが って,戦前 の集中運動 と連続的 に捉え ることもで きよ う。

上記 の よ うな 2 8 年 までの集中運動 は, しか しなが ら,当時の ドイ ツの大銀行 の過重状態を解消す るものではなか った。資金的基盤 の不安定化 などに よる体 質脆弱化‑ 安定的 な国内預金 の獲得な どをめ ぐる競争 の激化一 地方へ 向け た支店網の構築‑ 支店 の管理 ・維持費な ど諸経費 の著 しい増大, この よ うな 銀行をめ ぐる諸連関 ・状況を 克服す るためには, さらに 高次の集中が必要で あった 。2 9 年 の大型合併は, この よ うな課題 を明 らかに意識 した ものであ り, 支店等 の大幅削減 と地方 での競争 の除去を 目的 として,巨大銀行を成立せ しめ たのである。 なお ,1 9 3 1 年 の銀行恐慌 の後 , 3 2 年 には Dr e s d ne r Ba nk と Da na t ‑ Ba nk の合併が 生 じる。 それは, 明 らかに 銀行 恐慌 の 後始末 であ っ た。 だが ,事後的であ るにせ よ, この合併 も, ドイ ツの銀行の過重状態を清算 す る とい う意義を もつ ものであ った, としうるであろ う。 したが って この点か らみれば,事前 と事後 とい う違 いはあ るにせ よ ,2 9 年 の合併は, この 3 2 年 の合 併に も連 なる面 を もつ, とみ ることがで きるのであ る。

〔付記〕

小稿は,昭和 60 年度文部省科学研究費による総合研究 ( A)「 Me r g e r

Mo v e me n t の研究」の分担研究の一部をなす。

参照

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