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く 個人)産 出の技術 としての モニ トリアル ・システム
1 9 世紀 イ ギ リス教 育 史 研 究 その 2 の 1
上 野 耕三郎
モ ニ トリア ル ・シス テ ム をめ ぐる解 釈
モニ トリアル ・システム にかんす る伝統 的評価 (しばしば 「 教育学」的 な 色彩 の強 い否定的評価)にたい して,過去 1 0 年 の間 に刺激的な挑戦 が試 み ら れて きた( 1 ) 。その一方の旗頭 は,フー コー にな らいなが ら規律 の権力 との連 関 でそのシステム を論 じた, ジ ョー ンズ とウイ リアムス ンあるいはホスキン と マ ックヴであ る ( 2) 0
しか し,予想 された こととはい え,主客二元論 を拒否す るポス ト構造主義 的な解釈 は全面的 に受 け入れ られ るもの とはな らなか った。 その解釈 の難点 は( ヨイデオ ロギー,意志 を否定す ることによって 〈主体) を雲散霧消 させ,
② 資本主義 の発展,社会関係 の支配的構造, そ して国家形成 の ような実在 あ るいは 「 社会的 な もの」 を否定 し,③権力 の規律 的機能 と権力/知 との区別 に失敗 している, とホーガ ンは批判 してい る
(3)0「因果性」あるい は 「 還元」
(1 )日本ではそれ以前に斎藤新治 「 近代英国初等学校における 「 3R' S 」教授システ ムの成立過程について」『 教育学研究』 第 4 8 巻,第 3 号,1 9 81 年が伝統的評価 を 覆 していた。
(2)Kar e nJo ne sa ndKe vi nWi l l i ams on,L TheBi r t hoft heSc hool r oom' ,Z de ol ‑ o g yandCo ns c i o us ne s s , Vol . 6 ,1 9 7 9 あるいは Ke i t hW. Hos ki nandRi c har dH.
Mac ve,̀ Ac c ount i ng andt heExami nat i o n:A Ge ne al o gy o fDi s c i pl i nar y Po we r ' ,Ac c o unt i n g O 7 ga m' z at i o nsandSo c i e t y,V o l . l l ,No. 2 ,1 9 8 6.
(3)Davi dHoga n , ̀ TheMar ke tRe vol ut i onandDi s c i pl i na r yPowe r :J os e ph
La nca s t e randt hePs yc hol ogyoft heEar l yCl as s r oom Sys t e m' ,Hi s t o7 y O f
Educ at i o nQuar t e r l y,Vol . 2 9 ,No. 3 ,1 9 8 9 .
1 4 人 文 研 究 第 88 輯
す る とい う発想 を とらないポス ト構造主義的な解釈 とは対照的 に, ホーガ ン はランカスターのシステム と市場革命 との連関 に焦点 を合わ してい る。 その 際 に強調 され るの は 「ブル ジ ョア化」である 。
「ランカスター は生徒 を服従へ と脅迫す るためで はな く, 新 たな形態の主 体 ・主観 ( s u b j e c t i v i t y) を構成 す るために権力 を用 いた。すなわち教育学 は命令 す るので はな く構成 す るべ きもので,抑圧す るので はな くしつ けを す るべ きものであ る。‑‑・ ランカスターの規律 システムの重要性 は, した が ってその学校規律 のシステム を説明す るのに,機械 そして工場 とい うメ タフ ァー を用 いていることにあるので はない。 そ うで はな く,競争的市場 としてのクラスルームの概念や心理学的エ コノ ミー を創造す る試 みにあっ
( )( )( )00 た。 それ は恐れや脅迫 の きずなによるので はな く,生徒 を個人化 す る と同 時 に彼 らを新 しい形態 の社会性 と社会規律 の形態へ と統合 す るプロセスに
よって結 び付 け られてい る
。(4)」
「 一言で言 えば,ランカスターの努力 は勃興 す るブル ジ ョア教育 の学校組 織 そ して社会心理学 の創造 を助 けることであった。すなわち,彼 は服従, 000( )○( ⊃( )00000( )0 敬神,尊敬 そ して社会的身分 の教育学 を,市場 関係 とそのプロセスの まわ
0000000000000000000000000000 りに組織 された流動的階級社会 に適応 した教育学 に置 きか えた。
‑‑く 規律革命)の中心 にあったのは, そ して市場革命 の枠 のなかに規律 革命 を位置づ け,そ して ランカスター を規律革命 の内部 に位置づ けたのは, 社会権威 と主体 ・主観 とのあいだの関係 の変換 であ る。道徳権威 の社会 的 領域 の拡大 そ して個人 の道徳化 はあい まって新 たな形態 の く 規律 の〉権力
を制度化 し,近代的 〈 人間 ( s o u l ) 〉 の成長 を育 んだ
。(5)」
これ はいわば反映論 あるい は還元論か らの反撃 である 。 市場革命 あるい は
(4) Z b i d. ,p A1 3 .
(5) Z b i d. ,pp A1 4 ‑ 4 1 5 .
( 個人〉産出の技術 としてのモニ トリアル ・システム 15
ブル ジ ョア とい う外部 を解釈 に持 ち込 む こ とに よって,規律 の権 力 とそれ ら との間 に橋 が架 け られ,解釈 も安 定性 を獲 得 す る こ とにな る。 い まの私 に は この解釈 にたい して決定 的 な異論 を突 きつ け る こ とはで きな い。 だが一 方, 構 造 で あれ,階 級 で あれ, そ こに収 赦 させ る よ うな歴史 物 語 を叙述 す る こ と
のすわ りの悪 さ を感 知 して しま うの もまた事 実 で あ る。 この きわ めて私 的 な 実感 を,西 洋 の 「ロゴス中心 主義」 をその舞 台 か ら引 きず り堕 ろそ う とす る 現 代 の哲 学 が‑ この背後 に は時代 の劇 的 な変容 そ して い まに生 きる私 た ち の実感 が あ る‑ ひ たひ た と 「歴史 」 に も押 し寄 せ て きてい る こ と と結 びつ け よ う とす るの はい さ さか無 謀 で あ ろ うか。 しか しポス ト構造 主義 流 の解 釈 が一部 で み られ る こ とは,私 の実感 もあなが ち的 を はず してい る とは言 えな い ので はなか ろ うか。 もち ろん 「 歴 史」 その もの の存在 根 拠 まで を も無化 し て しまうポス ト構 造 主義 が, おおか たの史 家 か らは一瞥 もあた え られ ない, ほ とん ど無視 に等 しい扱 い を受 けて い るの も事 実 で あ る
(6)。
ところで, ホーガ ンの研究 に戻 る と, かれ の焦 点 はあ くまで ラ ンカ ス ター
(6 )主 として 『 バース ト・ア ン ド・プレゼ ン ト』誌上 において繰 り広 げられた論争 が 「 特集 ‑歴史学 とポス トモダン」 として 『 思想 』( 1 9 9 4 年 4 月号)誌上で紹介
されている。
この論争でポス トモダニズムの側 にたつジ ョイスはこう述べている。
「この堂々巡 りと陳腐な事態 を突破す るには,「 言語論的転回」を真筆 に受 け と め,従来 の二元論的理解 を繰 り返す という,ス トー ンやス ピーゲルが採用 してい る戦術 を超 えてい く以外 にはない,と私 は思 う。そのような方向をめざしていけ ば,「 社会的なもの」の既成のカテゴリーを問い直す ことにもつなが る。・ ‑・ ・
『ポス トモダニズム』の躍進 を歴史家 は自覚 しなければな らない。 その要点 は, 過去の出来事,構造,プロセスは,さまざまなかたちで記録 された表象やそれが 概念化 され政治化 された もの,そ して これ らの表象 を構造化す る歴史の言説七, 切 り離せない関係 にある, とい うことである。‑‑政治体制であろうと経済 ・社 会制度であろうと,そ こに一貫 した何かが存在す るわけで はない。存在す るのは,
それぞれに意味 を与 える社会的コンテクス トをもった事例 ( テクス ト,出来事, 観念 な ど)である。 しか し, この事例 はこの構造 の反映である,あるいは結果で
あるといえるような,基本構造 は存在 しない。総体 としての社会 とい う概念が成
り立たなければ,社会がすべての決定要因であるとい う,「 社会史」 の生命線 と
もいえる概念 も成 り立たな くなる。社会的な ものを唯物論 と結びつける秤 もい き
おい解体する。総体 としての社会 とい う概念 を歴史主義化 した,壮大 な物語的叙
16 人 文 研 究 第 88 輯
に絞 られてお り, その前後 の歴史 にはほ とん ど触 れ られていないので,彼 の 捉 え方が私 たちを どの地点 へ と導 いてい くのか は残念 なが らわか らない。少 な くともその システムの盛 衰 を時代 のなかで眺 めるな らば,実際 にはそれが 対象 とした労働者 か らの評判 もか んば し くな く, それ ほ どの広 ま りをみせ て いたわ けで はなか った ことがわか る。さ らに 30年代 には権力側 か らも職烈 な 批判 が加 え られ, それ に替 わ るべ く新 たな教授 メカニズムの登場 をみた。仮
にランカスターの考 えを「ブル ジ ョア化」とい うことに還元す るな らば ‑ も ち ろんス トレー トにで はな く,「 構造 的」 に反映 した ものであ り, 「ランカス ター は市場革命 あ るい は規律革命 を自 ら意識 したパルチザ ン とい うよ りも, 両革命 のイノセ ン トな実践者 であ る ( 7) 」 とい う留保 をホーガ ンはつ けてい る
‑ , モニ トリアル ・システム にたいす る 30年代 の批判 そ してペ スタロ ッチ 流 のテ クノロジーの登場 もまた 「ブル ジ ョア 化 」 と言 えな くはない。
したが って, ここで は因果関係 とい う問題 は棚上 げ してお き, とい うよ り も, さ しあた り教授 のメカニズム とその外部 との関係 を, もう少 しルーズ な もの としてお さえてお くに とどめ る。 あ えて言 えば, テ クノロジー の変貌 に 因果性 を強 くもとめ るよ りも,構造 とは相対 的 に独立 した 自律性 を与 えた ほ うが よい, と考 えるか らで あ る。 ここで はべつ に 「 神 は細部 に宿 り給 う」 と 開 き直 るわ けで はないが,因果性 か ら焦点 を少 しず らし, システムの些細 な 技術 に こだわ ってみ よう
。まず最初 に ことわ ってお きたいの は, モニ トリアル ・システム を規律 の権 力 として捉 えはす るが, その完成 態 としてみてい るわ けで はない とい うこと
述 も消滅する。こ?ようにポス トモダニズムが示す反還元主義的な論理を受 けと めることは,社会的なものを新たな角度か ら見直す ことにほかならない 。 」( パ ト リック ・ジョイス 「 二元論 を超 えて‑ 歴史学 とポス トモダンⅠ Ⅰ ‑ 」 『 思想』
1 9 9 4 年 4 月号 ,4 5 ‑ 4 6 貢. )
だが このようなものの言い方自体が他の論者 と共有 されるはず もな く, 論争 は 論者のすれ違いばか りが目につ き,じゅうぶんに噛み合っているとはとても言え
ない。
(7)Davi dHogan , o i ) .c i t . ,p. 41 5
〈 個人〉産出の技術 としてのモニトリアル ・システム 17 である 。 そ もそ も完全無欠 の規律 の権力 が存在 す る とは考 えないが,すで に 指摘 した ように,少 な くとも規律 の権力 として はそれ は欠陥 を学 んだ もので あ り, その行使 のなかで欠 陥 を露呈 し, それ に とって替 わ った新 たなテ クノ ロジーが出現 しためで ある
。その新 たなメカニズムの ほ うがモダ ン‑ 別 に 倫理的意味 は含 んで はいない‑ である と私 は捉 えている。 「 モダ ン」のメル クマール を何 に も とめるか について は論̲ 3が あ ろうが, い まの ところ「内面」
「 個人」の編 み上 げ とい うもの を想定 してい る。もう少 し言 い方 をひ ろげれ ば, 規律 の権 力 た る学校 メカニ ズム は 1 9 世紀 を通 じて精微 さを増 して い く過程
で, その規律 の権力が いったい どの ような知 を編 み上 げたかが課題 として浮 上 して くる
。その権 力/知 のかかわ りの真偽 を確 かめ るためにあ えて大風 呂 敷 を広 げれ ば ,1 9 世紀 を通 じての,あ るい は 2 0 世紀初頭 にいた る学校 メカニ
ズムの推移 の鳥撤図 を措 く必要が あ ろう。
今 はまだ 2 0 世紀初頭 にいた るまでのメカニズム を素描 す る こ とさえで き ていないのだが,す くな くとも 1 830 年代 にモニ トリアル ・システム に替 わ る べ く登場 したス トウ らのモ デル学校 について は, おお よそ次 の ように捉 えて い る。個 々 の子 どもの く内面) に よ りい っそ う深 く惨 みい ろうとす る,牧人 司祭 的 ともい える道徳 的な まなざ し, そのいわ ば ( 個人化〉 を産 みだす道徳 的 まなざ しは, 「ギ ャレ リー」や 「 遊 び場 」な どのメカニズムの内部 に深 く埋
どもを 「 抑圧」す るので はな く, 「 解放」す る‑ 空間 のなかで,子 どもはそ の一挙手一投足 にいたるまで視 られ,対 象化 され始 めた。言 いか えれ ば,千
どもは 「自己」 を表現 す る 「 非強制 的」 関係 に繰 り込 まれ る結果, おのず と 知識 そ して矯正 の対 象 としての 「自己」を編 み上 げてい くのであ る( 8 ) 。 もち ろ んそれ は緒 についた ばか りで\ あったが。
ところで, ホーガ ンはランカスターの システムの特徴 として① クラス分 け
(8 )拙稿 「 微視の権力 としての学校‑ 1 9 世紀イギ リス教育史研究 その 2 の 2
「 『 人文研究』第 8 5 韓,1 9 9 3 年。
18 人 文 研 究 第 8 8 番
( cl as s i f i cat i on) ,②一斉教授 ( s i mul t aneousi ns t r uct i on) ,③個人別 昇級 ・ 進級 ( i ndi vi dualpromot i on) の三 つ を挙 げてい る 。 ほか の ところで触 れた よ
うに( 9 ) ,それ らいずれ もが「 個人化」とい う問題 と関連 してい る 。 したが って,
「 個人化」 一一一 牧人司祭 的 まな ざ し とい う点 で はそれ は 「内面」 に もつ なが っ てい る‑ とい う視点 か ら, モニ トリアル ・システム を位置づ けなお してみ る とどうな るかが ここでの課題 とな る
(10)0モ ニ トリアル ・シ ス テ ム 出現 の 背 後 に あ っ た 「 教 育 」 言 説
1 8 世紀末 か ら 19 世紀初頭 にか けて社会 問題 を探 求 す るなかで, ひ とつ の
「 教育」言説が構築 されて くる
。そのプロセス は稿 を新 たに して論 じな けれ ば な らないが,簡 単 に言 えば,犯罪,貧困,社会秩 序 の撹乱 な どの社会 問題 を た ぐってい く過程 で,健全 な道徳 ・行動原理 を欠 いた労働者貧民 を 「 見 つ け だ し」 て しまった ことに端 を発 してい る
。ここか らは 「 教育」へ のなだれ込 み は容易 であった。 そ もそ も労働者貧民 の子 どもが 「 道徳」的振 る舞 い を し ないの は,彼 らの頭 のなかに振 る舞 いを統御 す る道徳 ・行動原理 が欠 けてい るか らで あ り, で あるな らば, その矯正 (と言 うことがで きるな らば)策 は その不在 を何 らかの道徳 ・活動原理 で埋 めてやれ ば事足 りる もので あった。
モニ トリアル ・システム は 「 心 の うちにわれわれ の神聖 な宗教 の原則 を埋 め
(9 )拙稿 「 微視の権力 としての学校‑ 1 9 世紀イギ リス教育史研究 その 2 の 4
‑ 」 『 人文研究』 第 8 6 韓 ,1 9 9 3 年,「 教室の誕生前史‑ 1 9 世紀イギ リス教育 史研究 その 2 の 3 ‑ 」 『 人文研究』第 8 7 韓 ,1 9 9 4 年。
( 10) 「 一斉教授」 をモニ トリアル ・システムの特徴のひとつ とすることは問題 とな るであろう。ベルそしてランカスターは 「 一斉教授」ということばを自分たちの システムの特徴 として掲げたことがない。逆に「 一斉教授」が強 く誼われるのは, モニ トリアル・システムを否定する潮流のなかであ り,いわば 「 一斉教授」は 3 0 年代の特許であった。 この潮流のなかで 「 一斉教授」が もつ意味については拙稿
「 微視の権力 としての学校‑ 1 9 世紀イギ リス教育史研究 その 2 の 2 ‑ 」で
触れた。「 一斉教授」 ということばをモニ トリアル ・システムにあてることの疑
義 は次の論文で も出されている。 Wi l l i am R .Jo hns on , ̀ " Chant i ngChor i s t e r s " :
Si mul t ane ous Re c i t at i on i n Bal t i mor e' s Ni net e e nt h‑ Ce nt ur y Pr i mar y
Sc hool s ' ,Hi s t o 7 yO fEd uc at i o nQu a r t e r l y ,Vol . 3 4 ,No. 1 ,1 9 9 4 .
く 個人〉産出の技術 としてのモニ トリアル ・システム 19
込 み, 固定 す るの に と りわ け適 して い る 。 他 方 , それ は学校 内外 で の子 ど も た ち の道 徳 的振 る舞 い を確 固 た る もの とす る
(ll)」 もので あ る 。 も う少 し言 う な らば,救 貧 に頼 る こ との な い よ うに 自助 の精 神 を子 ど もの ころか ら植 えつ け,犯 罪 に は しるの を予 防 す る道 徳 ・行 動 原 理 を埋 め込 み, そ の こ とに よっ て社 会 問題 を解 消 す る こ とをめ ざ した もので あ る( 1 2 ) 0
とす れ ば, ラ ンカ ス ター が 「 教 育 にお い て時 間 のエ コノ ミー ( economyof t i me) よ りも重 要 な もの は何 もな い
(13)」 と言 い, ベ ル が まず もって無 為 怠惰
を槍 玉 に挙 げ, マ ドラス ・シス テ ム の三 つ の 目的 の最 初 に 「学校 で の時 間 の 浪 費 を防 ぐ
14)」 こ とを掲 げ た こ と も理 解 で きよ う
。したが って, 学 校 内で は 子 ど もた ち は途 切 れ る こ とな く何 らか の作 業 に従事 して い る こ とが求 め られ,
そ して時 間, 労 力 ,費 用 そ して罰 をで きる限 り節 約 す る こ とが め ざ され た。
( l l )R e po r to ft hePa r o c h i a lSc ho o l so fStMa7 3 , ' S ,i nAndr e wBe l l , El e me nt so f Tui t i o n・ ・ ・ ・ ・ . ,p. 3 1.
( 1 2 )1 8 3 0 年代 とい う地点か ら眺 めると,いかに もその 「 教育」言説 ( そ してそれ に 連関す る教育 テクノロジー)が表層 をなでてい るにす ぎない とい う印象 をもって しまう。これ も時代 のなせ る技であ ろうか ,1 8 3 0 年代 の膨大 な量 にのぼる社会調 査 の類 ( 官 のブルーブ ックそ して民 の統計調査協会報告書 な ど)が 「 発見」 ( 編 み上 げ) した 「 労働者階級」 には肉薄で きて もいない。 これ は 1 9 世紀初頭 には 労働者が権力秩序 を揺 るがす緊急 の対象 として出現 してお らず,したが って,そ の網 の目のなか に捉 え られてお らず,「 労働者階級」が浮 き彫 りにされて こなかっ た とも言 えよう。したが って,その時代 には労働者階級 には中産階級 とは別 の道 徳 ・ 行動原理がある とは考 え られなかったので はなか ろうか。ところが ,1 8 3 0 年 代 には権力が それ を発見 し,編 み上 げ,労働者階級 はそれ独 自の道徳 ・ 行動原理 をもってい る と捉 えられ るようにな り ,3 0 年代 にはモニ トリアル・システムの拠 り所である教育言説 は無化 された。と同時 に,この ことは文化 とい うパ ン ドラの 箱が開 けられた ことを意味す る。こうして労働者貧民 にかんす る知 は精微 さを増 してい く。もち ろん此岸 と彼岸 の文化 には差異 どころか,上下 の関係がある と中 産階級が捉 えた ことは言 を倹 たないが。
( 1 3 )Jo s e phLanc as t e r ,Z mp7 1 0 V e me nt Si nEduc at i o n ,p. 3 2.
( 1 4 )Andr e w Be l l ,AnEx pe r i me nti nEduc a i i o n・ ‑ ‑ ,1 7 9 7 , pr e f ac e ,Ⅴ.r すべての 人 は子 どもたちがいか に多 くの時間 を学校 で浪費 しているか に気がついている。
したが って,この無益 な時間の浪費 を防 ぐことによって得 られ る利益 を誰 も疑 い
はしないであ ろう。この ことが実現 され,学校が生徒 に とって もっ と退屈 な もの
でな くなるな らば, 学校 で過 ごされ る時間の全部 あるい はほ とん どを役立つ もの
になるように,息子が教育 を受 けることをだれ もが望 む 。」 ( ) b i d. ,p. 1 9. )
30 人 文 研
究第 8 8 輯
「 文字 ,道徳 ,宗教 の基礎 の習得 を簡 素 に,容 易 に,楽 し く,迅速 にそ し て経 済 的 にす る こ とが初 等教 育 の主 要 目的 で あ った。・ ・ ‑・ ひ とこ とで言 え ば, 実際 の学校 を 『 読 み書 きにか んす る遊戯 ( a " LudusLi t e r ar i us" ‑ a gameofl e t t er s ‑ ) 』とす る ことであ る。 そ こで は生徒 の利益 と楽 しみが 手 に手 を とってな され る
。‑ ‑・
これ らの 目的 に達 す るために は一一一 教育 にお ける良 き目的 に達 す るため
●●●●●●● ●●●●●●● ●●
には, と くに求 め られ る ことは,注意 力 を固定 し,努力 を生ぜ しめ,学校
●●●●●●●●●● ●●●●●
●で の時間 の無駄 をな くす こ とで あ る
。(15)」
だか ら号令 一下‑ ラ ンカスター は大人数 の教育 を きわ めて円滑 に運 ぶ た めの一手段 としてサ イ ン ・合 い図 を推奨 してい る
(16)‑ 生徒 たちが 自分 に課 せ られ た作業 を一 糸乱 れ る こ とな く整然 とお こなって い る ことが, いか に賞 賛 され たか は強調 す るまで もなか ろう
(17)。子 どもはそ もそ も原理 を もたない ( 不在 )で あ る。 とすれ ば, その く 不在 〉は絶 え る こ とのない なん らか の活動 に よって埋 めれ ば よいスペ ースで\ あった。
時間のエ コノ ミーのための技術
時間 のエ コノ ミー を実現 す るため に,ベ ル は二 つ の原則 をたてて い る。 ひ
( 1 5 )Andr e w Be l l ,Mut u alTui t i o na ndMo r a lDi s c l i , l i ne‑‑; p. 5 0 .
( 1 6 ) 「 若い人の心に戦争愛 ( t hel oveo fwar ) や誤 った栄光 を喚起 してはならない。
人類 の賢明な部分 は既 にそのような恐 ろしい荒涼たる影響 を見て きた。・ ‑‑それ ゆえ厳格な ミリタリーなすべての命令 を避 けるようにしている。モニターが クラ スに右 あるいは左 に行 けと命 じる場合で も,命令 を出さずに,サインによってお
・て ・の ・ベ .秦 ︺ ・す 査
猫 柳 朋 ・ る ・ク
こな う ● ● ● ● 。」 ●● ●● ( J o ●● ●● s e phLanc ● ● ●●●● ●●●● as t e r ● ● ,Z ●●● ●●● mp7 1 0 V ● ● e me ●● ●● nt Si nEduc ● ● ● ● ●● ●● at ● ● i o n ● , ( 17) ●● ●●●●●●●●●●●●●●●●● 「 本やスレートなどを配布したり集めたり,学校を離れ ̲●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●
に時間の節約が教えられるべきである ●● ̲●●●■● ●●●●●●●●● ・ん
●●●●●●●●●●●●●●●● ●
く練習やほかの仕事をするように監 ● ■ ●●● ● ● ●●●●●●●●● 督
Ⅶ ⁚ 罷
⁚帥io: 8 :S :E ・卑 F'はJ: ・ ⁚f :里
か・ る 義歯著たまる ■ ● ●● ● ● ●●●● ● ●● ● ● ときには, ● ●●●●●●●● ス レー ト に な立 教面長白身ゐクラス
。