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近代 ≪ 病理≫のイ コノグラフィー
‑ ナ チ ス に よ る近 代 美術 の 〈病 理 化 )現 象 ‑
副 島 美由紀 (目次)
1.ドイツ近代美術 の受難
2
.ナチスによる ≪ 頑廃美術展≫: ( 病理) としての く 頑廃)
3.
( 小 ・額廃美術展〉:同調者 な らぬ先駆者たち
4.≪ 狂気≫ の転 回点 :サルペ トリエール施療院
5.≪ 奇形≫ の転 回点 :ロン ドンの見世物小屋
6.玩具/道具 のモラル
1.
ドイ ツ近代 美 術 の 受難
戦後
50年の節 目にあた る
1995年, ドイツの近代美術史 に関す る回顧展が 二つ,わが国で開催 された。ひ とつは
4月か ら約
2カ月間,東京のセ ゾン美 術館で行われた 「 バ ウハ ウス展」であ り, もうひ とつ は
8月か ら鎌倉 の神奈 川県立近代美術館 を起点 として国内数カ所で開催 された 「 芸術 の危機 ‑ ヒ
トラー と ≪ 頭廃美術≫展」である
。両者 とも近代 にお ける芸術 とファシズム との関係 を考 えてみ るのに大切 な契機 を与 えて くれ る ものだ ったが,特 に後 者 は, もともと
1991年,ナ シ ョナ リズムの台頭 を危倶す る良識 か ら生 まれ,
ロサ ンゼルス,シカゴ,ベル リンと世界 を巡 回 した展覧会 である「 ≪ 頑廃美術≫
‑ ナチス ・ドイツ時代 の前衛 の運命」 と同 じコンセプ トに立つ もので あ り,
現代 のナ シ ョナ リズム とい う問題 を考 えるために も,歴史の再認識 を迫 る貴
重 な催 しだった と言 えるだ ろう
。ただ, ナチズム とい う現象 について考察す
る喝合, その ファシズムの現れ方が極端 であったためか,問題設定 の射程が
狭 くな り,時 として問われない問いが残 されて しまうように思われてな らな
い。 そ こで本論では,ナチスの文化政策 の一環 として行われた近代美術 の迫
害 の歴史 をい ま一度振 り返 り, その思想 的背景,特 に この美術 史上 の事件 を 語 る際 にあ ま り論 じられ る ことない近代 医学 との接点 について, ささやか な 考察 を加 えてみたい。
ナチス による近代美術 の弾圧 は,美術史上最大 の受難劇 で あ る と言 われて い る。 ダダイズム, シュール レア リズム,表現主義,新即物主義,抽 象絵画 な ど
,20世紀前半 のいわゆ るモダニズムの精神 によって生 まれた絵画や彫刺 は, ナチス政府 によって 「 頑廃美術 」 の格 印 を押 され,没収 されて国外 に売 却 され るか廃棄処分 に され た。 当時 の現代 美術 を代 表 す る重 要 な動 向 に加 わ っていた代表 的芸術家 たち は,ナチスが政権 を掌握 した
1933年頃か ら徐 々 に職 を追 われ,作 品 を押収 され,活動禁止令 を受 けた。 これ ら多 くの芸術家 た ちの生活 は, ナチス政権 の成立 とともに悲劇 的転換 を被 る ことにな る。亡 命 した まま ドイ ツに戻 らなか った者,亡命 を試 みて命 を失 った者, ナチス ・
ドイツの崩壊 を見 ず に して失意 の うちに死 んで しまった者, あ るい は自殺 し た者 な ど, ドイツは多 くの才能 の損失 を被 った。 ドイツ近代美術 の歴史 は こ
こで断絶 とは言わ ない まで も,大 きな亀裂 を体験 した と言 えるだ ろう
。これ らの弾圧 政策 の突 出 した デモ ンス トレー シ ョンが
,1937年 に ミュン ヒェンで行 われた ≪ 頑廃 美術 展≫で ある。 ナチスが没収 した お よそ
17,000点 の中か ら,112 人 の作 品約
650点 を選 んで展示 した この 「 見せ しめ」の展覧会 は,画家 を志 して挫折 した ヒ トラーの前衛芸術 に対 す るルサ ンチマ ンの表れ とか,宣伝相 グ ッベル スの権力誇示 的パ フォーマ ンス といった次元 に とどま る もので はなか った。 それ は 「ドイ ツだ けでな く,広 く西欧のモダニズムの アポ リアが集約 的 に噴 出 した事件
1)」と呼 び得 る もので あった。 そ してそれ は,モダニズムの芸術 が内在 的 に抱 える困難 を開示 した とい う意味 に限 らず,
〈 頑廃美術 〉に関 して費や され た膨大 な言説 が,近代 にお ける人種 間題 ,医学
1
)平井正 「 一九三〇年代の文化状況
」『 芸術の危機 ‑ ヒ トラー と ≪ 額廃美術≫ 』
( アイメックス ・ファインアー ト
,1995,1 1貢。
近代 ≪病理≫のイコノグラフィー 181
の進歩や メデ ィアの発展 な どといった様々 な問題 の結節点 を示す ものだった とい う意味 においてである。
これ らの言説 を前 にして,次の ような問いをたててみたい。近代美術 の迫 害 によって,ナチスははた して近代 に逆行 したのだ ろうか。モダニズムに対 す る嫌悪 をあか らさまに示 したナチスのイデオ ロギー は, はた して本 当に反 近代 的だ ったのだ ろうか。 この問いを詳細 に論 じることにはな らないにして も, ナチズムを 〈 逆行的モダニズムの一種) と呼 び得 るな らば, そのモダニ ズム的要素 は近代美術への迫害 とい うファクターか らも照射 で きるはずであ る
。結論か ら言 えば,ナチスによる近代芸術 の迫害 は,医学 の設定 した 〈 病 理〉 の境界 を,写真 あるいは絵画 とい うメデ ィアによって可視化 し,言わば
〈 病理〉のイ コノグラフィーを作 りあげた とい う点 において実 に近代的 な仕業 であった ように思われ る
。で は,医学 は どの ように写真や絵画 と関 っていた のか,ナチスによるイ コノグラフィーの言説 には どの ような特徴 があったの か, まず ≪ 頑廃美術展≫ に関す る資料 を中心 に検討 してみたい。
2.
≪頚廃 美 術展 ≫:く病 理 〉 と しての く 環 廃 〉
く 顧廃)の名 に値 す る美術作品の押収 は, もともと ドイツ国内の美術館 をモ ダニズムの悪 しき影響か ら護 る,言わ ば " 浄化〟 のために行われた もので, 最初 か ら ≪ 顧廃美術 展≫が計画 されていた訳ではなか った。が
,1933年 の焚 書 の際 に内外か らの批判 を浴 びたグ ッベルスが,新 たな文化迫害 のためには 社会 の承認 を取 りつける方が賢明だ と考 えたため,急速作 品の展示が企画 さ れ,
1937年, ミュンヒェンにおいて ≪ 第一 回大 ドイツ美術展≫ と ≪ 顧廃美術 展≫ が同時 に開催 され ることになった。 ナチズムの美学 にかな う作品 を集 め た ≪大 ドイツ美術展≫がい ま一 つ盛況 とは言 えなか ったの に比べ,
4カ月間 で約
200万人 とい う驚異的な入場者数 を集 めた≪ 頑廃美術展≫は,その後
1941年 までにベル リン,ライブツ イヒな どドイツ国内の
13の都市 を巡 回す ること
になる ( 図版( ∋)0
展覧会 のカタログ とも言 える小冊子 『 頑廃美術展案内』によれば,「 頑廃的」
図版① ミュン ヒェンにおける第一 回 ≪頚廃美術展≫1937年。
とされ る絵 画の基準 は以下の ように分類 され,実際 に作 品 は第
1か ら第
9の 分室 に分 けて展示 された とい う。
①色やかたちを歪 める粗暴 な描写。造形芸術 にお ける基礎的技術 の軽視。
②宗教感情 を傷 つ けるもの。
③ 階級闘争 を呼 びか けるものや,芸術 にお けるアナーキズム。
④戦争の恐怖 を描 き,軍人 としての徳,勇気,進軍への気概 を軽視 す るも の。
⑤ 娼婦や そのひ もを題材 に した不道徳 な もの。
⑥ アー リア人種 の理想 を欠いた人物 を描 くもの。
( 診精神的 な理想像 として, 白痴, タレテ ィン病患者,障害者等 を描 いた も の
。⑧ ユダヤ人芸術家 の作 品。
⑨ 「 完壁 な狂気」に分類 され る もの。いわ ゆる〜 イズム に属す る作品すべて。
近代 ≪病理≫ のイ コノグラ フィー 183
本来, ナチ スの文化統制 の最大 の標 的 はボル シェ ビズムで あった。 キ ュー ビズムや ダダイズム,表現 主義 な どのいわ ゆ るモダニ ズムの芸術 は, すべ て ヒ トラー に よって芸術 にお けるボル シェビズム的形 式 と見 な され,追放 の対 象 とな った。 しか し, 印象派 や シュール レア リズみ な どに対 す るフラ ンスで の当時 の批判 と比 べ, ナチスの近代 美術 迫害 において最 も特徴 的 なの は,誹 諺 の言説 が く病理 ) を語 る言葉 で行 われ た とい うこ とだ と思 われ る。
ヒ トラー は1925年 に出版 された 『わが闘争 』の中で, キ ュー ビズムや ダダ イズム とい った "芸術 の ボル シェ ビズム〟 を 「精神 的錯乱,頑廃 的人 間 の病 的 な奇形2)」 と呼 び, 「これ らの病 的 な こぶ の中 に も, われわれ は次第 に腐 っ てゆ く世界 の没落現 象 を見 る こ とがで きる3)。」 と語 ってい る。 つ ま り, ヒ ト ラー に とっての く頭廃 美術 ) とは,≪狂気≫や ≪奇形 ≫ とい った く病理〉の顕 れ なので あ る。
言わ ゆる く頑廃芸術家〉 の一人 マ ックス・ペ ックマ ンは, す で に1933年 に フランク フル トの美術 学校 を解 雇 され ていたが,≪大 ドイ ツ美術 展≫ で ヒ ト ラーが行 った開会 演説 をラジオで聞 いて亡命 を決意 した。その演説 に よれ ば, モダニ ズムの芸術 家 が描 く人物 た ちは 「奇形 の身体不 自由者 や ク レテ ィン病 患者,嫌悪 の念 しか呼 び起 こさない女 た ち,人 間 よ りも動物 に近 い男 た ち, そ うい う生活 をす るな らまさ し く神 の呪 い と感 じられ るにちが いない子供 た ち4)」 であ る とい う。 続 けて ヒ トラー は言 う。
「事物 が あ りの ま まの姿 で は見 えない よ うな者 が本 当 にい るのだ と言わ ざ るを得 ない。 その よ うな者 は今 日のわが民族 の容姿 を,完全 なク レテ ィン病 患者 の ように見 た り, そ もそ も草原 を青 ,空 を綜 ,雲 を灰黄色 で あ るかの よ
2)3)ア ドルフ ・ヒ トラー 『わが闘争』平野一郎 ・高柳茂訳,繋明書房,1961,第 二巻,46,47頁。
4)5)AdorfHitler,RedezurEr6ffnungderくGroBenDeutschenKunstausstel‑ 1ung) 1937,in:Die KunststadtMtinchen 1937. Nationalsozialismusund ttくEntarteteKunst〉".hrsg.vonPeter‑KlausSchuster,Mtinchen1987,S.250, 251,244.
うに見 た り, あ るい は彼 らの言 い分 に従 うな ら,体験 した りす るのだ‑‑ こ のいわ ゆ る ≪ 芸術家 た ち≫ は,実際 その ように もの を見 てお り, 自分 たちの 表現 す る ものを疑 い もな く信 じてい る。 な らば,彼 らの 目の欠陥が機能的 な 要因 によるのか,遺伝 的 な ものなのか,検査 す る必要が あろう
。前者 で あれ ば,彼 らの不幸 に大 い に同情 すべ きだが,後者 で ある とす る と, こうしたお ぞ ましい視覚障害 が次 の世代 に遺伝 す る ことをせ めて禁 ず るよ う対処 してゆ
くことが,帝国内務省 の重要 な課題 とな るだ ろう5 ) 。」
つ ま り色 や形 を歪 めて描 くの は,視覚的欠陥 によるのであ り, よって ( 顔 廃美術 〉 は,精神 障害, 白痴, クレテ ィン病,奇形 な どといった具体 的病状 の顕現 だ とい う訳 だ。先 に挙 げた 『 頚廃美術 展案 内』 は, その ような身体 お よび精神障害者 を主題 とした作 品の多 くが 自画像 か芸術家 同士 を描 いた もの で あ り,抽 象絵画 な どは 「 絵筆 を握 った とき,画家 の念頭 に何 が あったのか もはや知 れ」ず,「自画像 を描 く際, 自分 の頭 が青 いのか灰黄色 なのか,丸 い のか四角 いのか分 か らなか った」ような 「 完全 な る狂気 の作 品」だ とまで言 っ てい る
6)0
また,≪頑廃美術展≫は文字が多用 された展 覧会 であった ことで も知 られて い る
。それ ぞれの作 品や展示室用 のキ ャプ シ ョン として, ナチ寄 りの批評家 の評 や ヒ トラーの宣伝 ス ローガ ンが同時 に並べ られていた。例 えばシュ ミッ
ト‑ロ ッ トル フの表現主義的風景画 には,「 病 める精神 は この ように自然 を見 る
7)」,ヨハ ネス・ モール ツ アー ンの抽象画 について は「 錯乱が手法 となる
8)」と いった説明が加 え られた。また,額廃美術 の措 く裸婦像 は 「ドイ ツ女性 へ のあ ざけ り」であ り,その理想 は「クレテ ィン病 患者 と娼婦」で ある とされた
9)0
あ らゆる非 アー リア人 に対 す る誹誘 ・中傷 の媒介 として利用 されたのが,
6)Entartete"Kunst".Ausstellungsfuhrer.hrsg.YonEberhardRoters,K61n 1988,S.22.
7)8)9)Mario‑Andreas Yon Luttichau
,Re
konstruktion der Ausstellung (EntarteteKunst),in:Schuster,wieAnm.4),S.152,147,130.近代 ≪病理≫のイコノグラフィー 185
非 アー リア人 の代表 とされたユダヤ人である
。粗暴 な論理 の こじつ けによっ て, ユダヤ人 は く 頑廃美術〉 に関わ る現象 のあ らゆる局面 ‑ 芸術家,画商 や批評家, また は資本家 の代表 として ‑ に登場 す る
Qヒ トラーによると,
「キュー ビズム,ダダイズム,未来派,印象主義等々 は‑‑・ドイツ国民 とは何 の関係 もな
い 10)」ものであ り,「とにか く目新 しい もの を」とい うモダニズムの 要請 は, 「 商 品 を売 らんがためのユダヤ人 の発明
11)」なのである。つ ま り,あ ら
ゆる〈 頚廃美術 )が何 らかの形 でユダヤ的性質 をおびてい ることになる
。19
世紀末か らあ らゆる芸術 の分野 に浸透 していたオ リエ ンタ リズム は,当 時 の ドイ ツの美術 にも影響 を与 えているが, 措かれた人物 の容貌がアー リア人 の類型か ら外れてい るだけで,無節操 な批判が浴びせ られている。 例 えば,「 モ ダニズムの芸術 において黒人 や南 の島の住人 が人種的理想像 として描 かれ る のは, あ らゆる人種的意識 の計画的根絶 とい うボル シェビズムの最終 目標 に よるもので ある1 2 ) 」,「ユダヤ人 の荒野への郷愁 とい う本性 の現 れ ‑ 黒人が ドイツで頚廃芸術 の人種 的理想 とな る1
3)」
,「 表現主義 は,ドイツの有機 的な意 思の力 に, 本来 アジアの もので あ るヒステ リーの忘我 を混ぜ て台無 しに した もの1 4 ) 」な どな どである。 極 めつ けは「ユダヤ人 は生 まれつ き頚廃 的で, 精神病 に躍 りや す い」とい った類 のデマ ゴギーで あ り,この ような精神 の持 ち主 は
「 芸術 の使命 といった問題 を扱 う能力のない
15)」下等人種 とされたのである。
つ まり,ナチス よる近代美術 に関す る言説 においては,≪ 狂気≫≪ 奇形≫≪白 痴≫ といった,言わば普通 の状態か らの逸脱 をさして言 う言葉が,≪ 精神病≫
≪障害≫≪クレテ ィン病≫ あるい は ≪ヒステ リー≫ とい う病理学 の用語 に変換 され, さらに ≪ 人種≫ とい う概念が被 せ られ, それが ( 頑廃〉 とい う分母の
10)ll)Hitler,a.a.0.S.249,244. 12)WieAnn.6)S.16.
13)YonLtittichau,a.a.0.S.134.
14)ArminZweite,FranzHofmannunddieStadtischeGalerie1937,in:Schuster, wieAnn.4),S.266.
15)Hitler,a.a.0.S.247.
もとに統合 され る とい う現象 をみて とることがで きる。≪ 狂気≫や ≪奇形≫や
≪ 人種≫が,まるで同 じひ とつの病根であるかの ように語 られ,それ らの病根が 近代絵画 に顕れ出ている とい う( 病理〉のイ コノグラフィーが作 られてゆ く
。芸術 のスタイルが病理学的所見 の明 らかな証拠 となる といった考 えや,( 顔 廃〉 といった暖味 な概念 を人種的要因 と結 び付 ける乱暴 な論理 は,ナチス特 有 のプロパ ガ ンダではあるか もしれない。 しか し, それ らは決 してナチズム 独 自の もので はない。 ドイツにおける近代美術弾圧 の経緯 を少 し遡 ってみれ ば, この ファシズムの文化弾圧 を準備す るため, いか に分厚 い歴史が あった かがわか って くる
。3
.く小 ・預廃 美 術展 〉:同調 者 な らぬ先 駆 者 た ち
ヒ トラー は人種主義 の肥 沃 な土壌 に落 ちた, と言われている。戦後 の非 ナ チ化委員会 は, ナチスの政策実施者 に (同調者〉 とい う分類 を設 けたが,近 代美術 の迫害政策 に関 しては,同調者 な らぬ先駆者たちばか りがいた と言 っ て もいい くらいだ。≪ 頑廃美術展≫の舞台裏 を覗 いてみる と, この文化政策 の 一大 デモ ンス トレー シ ョンに, ヒ トラー とゲ ッベルスの影響力が意外 なほ ど 薄か った ことに驚 か され る
。まず作 品の美術館か らの没収 と展覧会開催 の指 揮 を取 ったのは,ゲ ッベルスで も文部大 臣のベル ンハル ト・ ルス トで もな く, 帝国美術院長だ ったア ドル フ ・ツイーグラーであ る
。ツイーグラーは く 新生
ドイツ美術〉の理想 に叶 った画家 で もあ り,≪大 ドイツ美術展≫に多 くの絵 を 搬入 してい る。≪ 頑廃美術展≫で は近代美術 の ( 病理〉を強調す る開会演説 を 行 ってお り,美術展 の責任者で はあったが,実際の絵画選択 やキャプシ ョン,
カタログの作成 を行 ったのは, ツイーグラー 自身で はな くヴォル フガ ング ・ ヴ ィル リヒ, ヴ ァルター ・ハ ンゼ ン といった人種思想 に取 りつかれた画家兼 美術批評家 たちで あった
16)。 ヴ ィル リヒはすでに
1934年, 『 芸術 と民族 の健
16)YonLuttichau,S.99.
近代 ≪ 病理≫のイコノグラフィー
187康』 とい う本 を書 いてお り,〈 頑廃 美術〉 は病 的 な美術 であ り, 「 病人 は治療
す るか,排 除せね ばな らない。」とい う信念 を持 っていた
17 ) 。 ヴ イル リヒに文 献知識 を提供 したのがハ ンゼ ンであ る と言われてい るが,そのハ ンゼ ンが 『 頑 廃美術展案 内』で使 った語桑 は,実 は ミュンヒェンでの ≪ 頑廃美術展≫以前 に ドイツの各地 で行 われた,言わ ば く 小 ・頑廃美術 展〉でのそれ を踏襲 した
ものだった。
く 小 ・ 頑廃 美術 展) は
1933, カールスルーエの州立美術学校長ハ ンス ・ア ド ル フ・ビュー ラーが ( バ ーデ ン分離派展覧会〉を誹誘 した ことに始 まる。 マ ッ クス ・ペ ックマ ン, オ ッ トー ・デ ィクス, ジ ョー ジ ・グ ロス をは じめ, 「ブ ッ リュ ッケ」や 「プ ラウエ ・ライター」 に属す る作品 を集 めた この展覧会 は, 民族 主義 的 なグループに よって 「 頑廃 的」で あ る と非難 された ことによって, 見せ しめの展覧会 へ とその性格 を変 え られて しまったのだ。 その後 この種 の 展覧会 は,く
11月精神 ・ 堕落 に仕 える芸術 ),〈 文化 ポル シェヴ イズムの絵画展) な どと名前 を変 えなが ら,マ ンハ イムや シュ トウツ トガル トな ど
9つの都市 で開催 され る ことになる。
これ らの く 小 ・頑廃美術 展〉 で中心 的役割 を果た したの は, 当時 の ドイ ツ にお ける芸術 の中心地 の一 つ, ドレスデ ンで くドイ ツ芸術協会〉 を率 いてい た画家 のベ ツテ ィーナ・フ アイステル ‑ローメダーで ある
。彼女 は
1927年か ら国内の美術館や団体 に無料 で配付 されていた とい う 『ドイツ芸術通信』 の 編集 主幹 で あ り,特 にバ ウハ ウスのモ ダニズム を敵視 していたが, あか らさ まな人種主義的思想 の持 ち主で もあった。すで に
1927年,エ ミール ・ノルデ について 「 彼 の理想 の姿 はパ プア ・ニ グロで あ り,異境 の仮面 シンボルであ り,文化 な き民族 の原始芸術 の試 みで ある1 8 ) 」と論 じてお り,バ ウル ・クレー
17)M ・A・フォン・リュティヒャウ 「
「 狂気の極み
」」河合哲夫訳,『 芸術の危機 ‑ ヒ トラー と ≪ 頚廃美術≫ 』[ 注
(1)参照]
,41頁。
18)19)20)
平井正 ・ 水沢勉共編
「[芸術の危機]年表
1927年‑19
38年
」『 芸術の危機
‑ ヒ トラー と 《 頑廃美術≫
』 [注(1)参照]
,105,1
12,11
3貢。
の作 品 を 「 ハ ンセ ン氏病 に躍 った聖者
」「 不気味 な 「幽霊
」19)」と酷評 し, ケ‑
テ ・コル ヴ イツツに関 して は 「ドイ ツ国民が もっぱ ら醜 いモ ンゴロイ ドの雑 種 である とい う意見 を何十年 も外 国 にたた き込 んだ
20)」と言 って非難 してい
る。
未成年 の入場 を禁止 して,展示作 品のいかがわ しさを強調 した り,作 品が 購入 されたイ ンフレ時代 の価格 を表示す るな ど,く 小 ・ 顧廃美術 展〉 において フ アイステル ‑ローメダー らの取 った方法 の多 くは ≪ 頑廃美術 展≫ で も踏襲 されてい る。( 頑廃美術 )を集 めた展示室 を,彼女 はく恐怖 の部屋
(Schreckens‑ kammer)〉 と呼 んだが
21 ) ,≪顧廃美術 展≫で は,く完壁 な狂気〉に分類 された 第
9室が,〈 戦懐 の部屋
(Schauerkabinett)2 2
)〉と呼 ばれてい るな ど,表現 は 多少変 わ って はい るが, ナチズム特有 の語桑がナチスの政権掌握以前 にすで に形成 されていた ことがわか る。≪顧廃美術展≫を開 くまで,人種主義的 な美 術 関係者 には充分 に経験 が あったのだ。ゲ ッベル スの企画か らひ と月 ほ どで 開催準備 が整 ったの も, こういった経緯が あるか らであ る
。フ アイステル ‑ ローメダーの くドイツ芸術協会〉 は,国粋 主義的 な画家 たちに よってすで に
1920年 に設立 され てい る
。この組織 は表 現 主義 を 「ドイ ツの芸術 解体 の発 端 」, 「美的標準 のニ グロ化」 で ある と見 な してお り, ドイツ民族 に失われた 先祖伝来 の芸術意識 を取 り戻 す ことを使命 としていた。 しか し先述 の 『ドイ ツ芸術通信』 は
1927にアル フレー ト・ローゼ ンベル クが創設 した (ドイツ文 化 闘争 同盟) の機 関紙 で あるか ら, フアイステル ‑ロー メダー はローゼ ンベ ル ク との関 りによって,初 めて批評活動 の場 を得 た と言 って もいいか もしれ ない。 ローゼ ンベ ル クはナチスの代表 的イデオ ローグで あ り, ナチ党 の機 関 紙 『フェル キ ッシヤー ・ ベオーバハ タ‑』 (
1920‑1945)の編集長 を長 く務 め ていた。ニ ュル ンベル ク裁判 で は東方植民政策 の責任者 として死 刑判決 を受 けてい るが,演説 や出版 等 の活発 な活動 に よって, ヒ トラーの芸術観 に多 く
21)YonLtittichau,a.a.0.S.85. 22)WieAnm.S.22.
近代 ≪ 病理≫のイコノグラフィー
189の影響 を与 えた と言われてい る
23 )
01930年 に出版 された
『20世紀 の神話』は, ローゼ ンベル クの世界観 ,芸術観 を語 った もので あ るが,そ こで彼 はゴ ッホ, ゴーギ ャン,ピカ ソな ど個 々の画家 の名 をあげ
,「内的 な腐朽 と破壊 」
,「 崩壊」,
「 探究 に疲 れた混沌」 , 「 狂人 の芸術 」, 「 絵筆 を握 ?た屠殺者」といった言葉 で 近代美術 の く 頑廃〉の く 病理〉を印象づ けよう としてい る。 「 混血児芸術 はそ の不具者 の私生児,即 ち精神 的梅毒症 と画工 としての発育不全 との間 に生 ま れた もの を,く 精神 の表現)として描 出 して もよい, とい う要求 をな した2 4 ) 。」
な どとい った文面 は, その典型 的な健 吉ぶ りの一例 で あ るが,前衛 的芸術 を 特 に精神病 の病理 の現 れ として語 る手法 は, ローゼ ンベル クにおいて頂点 を 極 めてお り, ヒ トラー をはじめフ アイステル ‑ローメダー, ヴ ィル リヒ,ハ
ンゼ ンに与 えた影響 の大 きさを窺 い知 る こ とがで きる
25)0
フアイステル ‑ローメダー, ローゼ ンベル ク と並 んで ≪ 頑廃 美術展≫ に多 大 な影響 を与 えたのが,建築家,美術評論家 のバ ウル ・シュル ツェ‑ナ ウム ブル クで ある。シュル ツェ‑ナ ウムブル クは,『ドイツ人 の芸術
』『 北方の美。
生活及 び芸術 に現 れた るその理想像』 な どを著 した北方人種優越論 のイデオ ロー グで,「 血 と大地 とい う二 つの力 か ら,人 間 のあ らゆ る創造活動 が育 つ
26)」といった人種論 的芸術観 の持 ち主で あった。 シュル ツェ‑ナウムブル クの言 説 の特徴 は,えせ科学 的な用語 に よって学術 的 な印象 を醸 し出 してい るこ と, 特 に,精神病患者 や障害者 の写真 を使 って,近代 美術 の人物像 や裸体 画 と対 比 させ るような視覚的手法 だ った。 つ ま り,臨床 医学 の記録 が芸術迫害 のた
めに利用 された のであ る
。1928に出版 された 『
芸術 と人種』 (
1928)で は,実際の障害者 の顔 写真 と, モデ ィリアニの描 いた頚 の長 い婦人像, ココシュカや シュ ミッ ト‑ロ ッ トル
23)Zweite,a.a.0.S.266.
24)
関楠男 『ヒ トラー と頭廃芸術』河出書房新社,1
992,67貢。
25)Zweite,a.a.0.S.274.
26)
フォン ・リュティヒャウ
,a.a.0.38貢。
フの表現主義的人物像 を並べて比較 し( 図版②),芸術作品 も病人 の写真 の場 合同様,性格,特徴 を見分 け,病 的な ものであれば下位 に分類 し,「 人種 的 に 劣 った もの」 と同列 にお くべ きだ と結論づ けた
27)。
この手法 は ≪ 頑廃美術展≫での視覚戦略 に引 き継がれている。 『 頑廃美術案 内』 は実際 に精神病患者が描 いた絵画 と近代美術 の作品 を対比 し, その類似 性 を強調 している。例 えばバ ウル ・クレーの ≪内なる光 の聖女≫ とい う作品 を 「 精神病院の分裂病者」が描 いた ≪聖マググレーナ と子供≫ とい う絵 と比 較 し,「 後者 の方が人間的 に見 える」と述べている( 図版③)。 また, ココシュ カの素描 をや は り精神病患者 の絵 と並べ,後者の方が ココシュカの作品 よ り よほ ど芸術 的である と灰 めか している ( 図版④)0
シュル ツェ‑ナウムブル クは,1
930年 にヴ ァイマルで行われた最初 の く 頑 廃芸術)押収作業 の実施者で もある
。芸術 の 目的 とは新 しい人間の理想像 を 示す ことで あ り, 自然淘汰 と遺伝 の法則 は芸術 に も適用 され る とい う彼 の持
図版(卦
病人の表情 と近代美術の作品との比較 ( シュミッ ト‑ロッ トルフとモディリアニ) シュルツェ‑ナウムプルク 『 芸術 と人種』より
27)同上,37貢。
近代 ≪病理≫ のイ コノグラフィー
図版③
ウル ・クレーの 「 内な
191
図版④
右上の一枚が精神病患者の作 る光の聖女」 。下が分裂病患者 晶。他がオスカー ・ココシュ
の絵画
力の素描
論 はナチス によって大 いに支持 され,「ナ ウムブル クの名 は,い まやわれわれ に とって指針 その ものである
28)」 (『フェル キ ッシャー ・ ベオーバハ タ
‑ 』)と まで言われた。彼 は臨床医学 の場 で作成 されたス ライ ド写真 を持 ち歩 き,比 較対 照 して美術 を論 ず る講演旅行家 として も有名 で あった とい う
。この よ うな言 わ ば えせ学 問的 な美術 批評 に医学 の側 か ら材料 を与 えた の が,精神 医学や奇形学 の学者 たちで あった。特 に影響力 が大 きか ったの は, ハ イデルベル ク大学精神科長 だったハ ンス ・プ リンツホル ンで ある
。プ リン
ツホル ンは,精神病 患者 の美術作 品 に関心 を持 った最初 の医師で あ り,約 4 50 人 の患者 か ら五千余点 の作例 を集 めて記録 コレクシ ョンを作 った
。1922年 に
28)
伊藤俊治 『 聖なる肉体』 リブロポー ト
,1993,54頁O
『 精神病患者 の美術』を著 し,展覧会 も開いてい る
。1920年頃,プ リンツホル ンは次の ような不気味 な発言 をしてい る。「この画家 は精神病患者 の ような描 きかた をす る
.つ ま り,精神病 にかか ってい るのだ2 9 ) .」美術 を精神病理学 の 症例 として記録す る論理 の倒錯 した影響 は,「モ ンゴロイ ドの ような感 じを与 える相貌 を描 いた クラーナハ には,東方人種 のかな りの部分がた しか に生 き ていたにちがいない。」といった シュル ツェ‑ナウムブル クの発言や
30),「ドイ ツで は,頑廃美術 が幅 をきかせていた。手本 を探 した さきは,精神病患者や 精神衰弱者 を収容 してい る施設 だ。頑廃美術 は民族 の堕落 に寄与 し,腐敗 の ふち まで持 っていったのである
31)。」とい う評論家 の意見 に表れてい る。実際,
1933年のエアランゲ ンにお ける く 小 ・頑廃美術展〉か ら,対比 の材料 として の精神病患者 の実作 の展示が始 まっているのである。作品 を提供 したの はや は りハイデルベル ク大学精神科であった。
人種学の立場 に立 った同種 の論拠や比較 の例示 は,ハ イデルベル ク大学 に 限 った ことで はな く,実 は数 えきれないほ どある
。1934年,「 芸術 と人種」と い う同名 の論文 を発表 して い る ミュン ヒェン大 学教授 の ヴォル フガ ング ・ シュル ツ及 びベル リン大学教授 のヴ ァル ター ・グロス,ベル リン,イ ェ‑ナ その他 の大学で教鞭 を取 り, 『 人種 と様式』
(1926)を著 したハ ンス
・F・K・ギュンタ一, 『 人間の規範 と頑廃』 (
1923)のキール大学教授, クル ト ・ヒル デプラン ト,ベル リンの作家兼歴史家 ア ドル フ ・パルテル スの 『 人種 と民族 性』
(1920)等々で ある
。1934年 にプ リンツホル ンの後継者 としてハ イデルベ ル ク大学の精神科長 に就 いたカール ・シュナイダー は,1939 年, ある講演 の 草稿 の中で 「 頑廃美術 はまさに病人 の美術 に他 な らない・ ‑‑健常者 には不可 能だ」 と記 してい る
32)0
さ らに
19世紀末 まで 〈 頑廃理論〉 のルーツを遡れば,マ ックス・ノルダウ
29)フォン ・リュティヒャウ,a.a.0.38
貢。
30)関楠男,a.a.0.29
貢。
31)32)33)
フォン ・リュティヒャウ
,a.a.0.39,42,39貢。
近代 ≪病理≫のイコノグラフィー 193
と
C・H・ ‑シュ トラ ッツ とい う二人 の重要人物 の名 を挙 げるこ とがで きる
。 19世紀末 にオース トリアか らパ リに出て精神 医学 を学 んだ ノルダ ウは,世 紀末 のパ リとい う大都会,特 に文学 ・美術 とい った芸術 の中 に道徳 的腐敗 の 顕 れ を感 受 し
,1892年 か ら
93年 にか けて『 頑廃』とい う題名 の本 を出版 す る
.道徳的 な錯乱 の表現,精神薄弱 と狂 気 の表現 の根源 は作者 の頚廃 に存 し, そ の広が りを防 ぐた めには芸術 の病理学上 の性質 を正 し く捉 え,文化 の全分野 を政治 の統治下 に置 くべ きだ,とい った論 旨の この本 は早 くも
1896年 に三版 を重 ね, ドイツで も第 一次大戦 まで盛 ん に読 まれ て文化的用語 としての ( 顔 磨) を世 に広 めた。特 に地方 出身者 の 目に映 った大都会 の腐敗 の描写 は,や は り地方 の出身 で あった ヒ トラー に感銘 を与 え,彼 の 〈 健康〉礼讃 に影響 を 与 えた と言われてい る3 4 ) 。く 頑廃〉 とい う概念 を く 正常)か らの逸脱 として精 神 医学 に採 り入 れたの は
,19世紀後半 にルーア ン近郊 の精神病 院の院長 を し ていたオーギュス ト ・ベ ネデ ィク ト ・モ レ) I , だ った と言 われてい るが,芸術 の分野で は堅実 な市民社会 の規範 とは異 な る芸術家 の価値観 に関 して使 われ ていた く 頚摩〉 とい う言葉が
,19世紀末 には救済 され るべ き く 病理〉 として 語 られ るようになったのであ る
。一 方,パ スツールやベル ツの学友 で あった とい う
C・H・シュ トラ ッツは,
19世紀末 か ら
20世紀初頭 にか けて,人体学的人類学 の立場 に立 った 『 人 間の
自然史』, 『 女体 の美』, 『 女体 の美育』 といった本 を著 してい る。人類学者 に して徹底 した北 方人種優越論者 だ った シュ トラ ッツは旅行家で もあった。 自 ら観察 した 日本人 やマ レー人, ジャワ人 を 「 混血種 」 と呼 び, それ と対比 さ せ て 白人種 の最 も純粋 な形 で あ るゲル マ ン種 族 の理 想像 を事細 か に措 写 し た。丸背が多 いユダヤ人 の姿勢 は,意思 の弱 さの顕 れで ある といった類 の発 言 は
35 ) ,約
30年 を経 て ローゼ ンベル クや シュル ツェ‑ナ ウムブル クに よ り,
34)Peter‑KlausSchuster
,
Mtinchen ‑dasVerhangniseinerKunststadt,in:Schuster,wieAnn.4)S.27. 35)伊藤俊治,a.a.0.54頁。
驚 くほ どの類似性 を以て再現 され る ことにな る
。特 に写真 を使 った人種 の分 類 と階層化 は, シュル ツェ‑ナウムブル クの手本 の一つだ と言 っていいだ ろ う
。しか しこの他 に も, 『 怪物 の科学』を著 した シュ トラスプール大学の奇形 学者,エテ ィエ ンヌ ・ウル フや,同大学の人種主義的解剖学者 ヒル ト教授 と
いったいわ ゆる ≠ぉ抱 え〝学者が, ヒ トラー にはいた とい うのだ
36)0
こうして見 て くる と, ナチスの人種政策や文化政策 の原型 は どこにあった のか,特定す ることの困難 さを思 い知 らされ る
。19世紀末 か ら,〈 顧廃)とい う現象 を確認 し,排除 しようとい うエネルギーは連綿 と続 いていたのだ。つ ま り, それ ほ ど人 はこの病理 を恐れていた とい うことである
。シュ トラ ッツ の描写 によれば, 当時階級 の差が払拭 されつつあ り,都市 の人 口が急増 し, 文化的な解放 と住環境 の悪化が同時 に進行 しつつあった。 出生率が減少す る 一方で人々の肉体 的欠陥の比率 が増 し,人 口の半分 が何 らかの性病 を持 って いた とまで言われてい る
37 ) 。胎生学や遺伝学が奇形や精神病 を性病 や遺伝 と 関係 づ けた こともあって,性的不道徳 や 目に見 えない病根 に対す る恐怖 が否 応 な く高 まっていた と考 えられ る。 ヒ トラーの 『 わが闘争』において ち,〈ボ ル シェビズム)くユダヤ人〉( 混血)く 売春)( 梅毒〉( 精神病〉等々 に対 す る恐 れ と怒 りが, なぜ一 つの感情的源 か ら発 しているように思われ るのか, その 社会的背景 を想像 してみ る必要があるだ ろう
。言い換 えれ ば,当時 は医学が
〈 病理〉の発見 とその顕現 の指摘 に情熱 を注いでいた時代 だ ったのだ。ナチス が ( 頑廃〉 を語 る際の二大概念 である ≪狂気≫ と ≪ 奇形≫ に当て られた視線 の変化 を,以下 に追 ってみることにしよう
。4.
≪狂 気 ≫ の転 回点 :サ ル ペ トリエ ール施 療 院
ここに興味深 い連 関が あるように思われ る。前述 のノルダウ, シュ トラッ
36)
レス リー ・フィー ドラー 『フリークス』伊藤俊治 ・旦啓介 ・大場正明釈,青土
社,1990,292貢。
37)
伊藤俊治,a.
a.0.55‑57貢。
近代 ≪病理≫のイコノグラフィー 195
ツ とジャン ・マル タン ・シャル コー との関係 である
。ノルダウはパ リで シャ ル コー学派 に属 していた と思われ るし
38),シュ トラッツ もその著作 において, 人種 による外見的相違 をひ きたたせ るため, シャル コーの 『 人体筋肉の病理 学的修正』を引用 した り, 『 サルペ トリエール写真 図像集』か ら写真や図版 を 転載 してい る3 9 ) 。つ ま り両者 とも
,19世紀末か ら
20世紀初頭 にか けて狂気 の 神話が転 回 してゆ く大 きな流れの中に身 を置 いていた ことになる
。神話 の転
回 とい うは, つ ま り 〈 狂気 の可視化〉の ことである
。そ もそ も近代化 は,医療制度 の体系化 を不可欠の要素 としていた
。19世紀 後半 か ら
1920年頃 までの期 間 は,近代 医学が成立 していった時代 で もあ る が,精神医学 もこの時,前世紀 までの魔術的 ・宗教 的世界 を脱却 し,明確 な 疾患の分類 を成 しとげようとしていた。明確 な分類 とその記述 のためには, 混沌 とした症候で はな く,明確 な症状 が現れ出なければな らない。シャル コー はサルペ トリエール施療院 において, それ まで何 の身体的理 由 もないのに起 こる病気 とされていた ヒステ リーの顕 れ を ( 見 る〉 ため,写真 とい う道具 を 見出 した。 そ して写真 の中にヒステ リー を ( 発見〉したのだった。 『 サルペ ト
リエール写真図像集 Ⅰ, Ⅰ Ⅰ, Ⅰ Ⅰ Ⅰ 』 (
1876‑80), 『 新サルペ トリエール写真図像 集』
(1888‑1918)は, ポール ・レニ ヤール とアルベール ・ロン ドとい う二人 の写真家 を助手 に してシャル コーが世 に残 した一大病理学 図鑑である
。言わ ば可視化 された ≪ 狂気≫ の金字塔 なのである。
19
世紀 とい うの は ( 見 ること〉に対す る欲望 のエネルギーが頂点 に達 した 時代 だ と言われてい る。写真 とい う技術 と精神医学 の結 びつ きも,シャル コー 以前 の
1851年, ロン ドン王立写真協会 の創始者 であった
H・W・ダイアモ ン
ドがスプ リングフィール ド精神病院患者 を撮影 したのが始 ま りだ とされてい る。しか もダイアモ ン ドは この年,「 人相学お よび狂気 の研究への写真の応用 について」とい う研究報告 を行 ってい る
40)。 また フランスで も,デュシャン・
38)
フォン ・リュティヒャウ
,a.a.0.49頁。
39)40)41)
伊藤俊治,a.
a.0.55,143,149頁。
ド ・ブローこ ュが,電気刺激 による顔面 の変化 を写真 に撮 って分類 した 「 感 情表現 の電気生理学分析」 を発・ 表 し, チャールズ ・ダーウィンが進化論 の展 開に これ を応用 している.それが さ らに人相類型学の成立 を助 け,シャル コー の助手 ロン ドをは じめ, アーサー ・バ トー, A ・F ・ガル トンといった写真家 の間 に,人 間の知能や性 向,素質 の遺伝 は写真 イメージで明 らか にで きる と い う考 えが広 まった と言われている。
く 病理 の可視化)にこれだ けの関心が集 まった時代 であれ ば, シャル コーが 写真 の中に病理 を見 出そ うとした ことに倣 い, ノル ダウや プ リンツホル ンが 絵画 とい う道具 を見 出 し, そ こに病理が顕在化 され る と考 えたの も無理か ら
ぬ ことである
。さ らにシュ トラ ッツや シュル ツェ‑ナウムブル クがそれ ら医 学的分類 の中に ≪ 人種≫ の階層 を見出そ うとしたの も,当時のダーヴィニズ ムの流行 を思 えば決 して唐突 な発想で はない。
しか し,病理 の分類, つ ま りコー ド化 は, ひ とつの演出であることを忘れ てはな らない。 ヒステ リーを 〈 見せた) シャル コー も, その演出度 の高 さゆ えに,「 偽装
」,「 詐病」, 「 調教」といった非難 を浴 びた。 自 らの確実性 を普遍 性 にまで高 めようと,人 は確実性 に適合 した例 の選択 を迫 られ る。普遍性 は 制度化 を要求 し,制度 はすでに権力の行使 を意味す る。写真が人相学や骨相 学 との結合 を試 みた結果 として司法写真 の基礎 がで きつつあった
1882年,パ リで 「 変質者 と愚者 と白痴 の写真撮影」が義務 づ けられ4 1 ) ,〈 病理〉のイ コノ グラフィー は この時 しっか りと権力の手 に委 ね られ るのである
。しか も,普遍性 を要求す る演 出は,殆 どの場合 当事者 によって 自覚 されて いないか,無視 されてい るので ある
。フロイ トも驚 くほ どの 〈 視覚型人間〉
だった シャル コー は,次の ように言 ってい る。「ヒステ リー療病 は,あたか も それ を私 の意思の力 で作 り上 げたかの ように‑‑言われたのですが・ ‑‑私 は その場 に写真家 として しか絶対 的 に存在 して はいないのです
42
)。」「 民族 の祭
42)
J ・ディディ‑ユベルマン 『 アウラ ・ヒステリカ,パ リ精神病院の写真図像集』
リブロポー ト
,1990,54貢.
近代 ≪病理≫のイコノグラフィー 197
典」や 「 意志の勝利」で知 られ る リー フェンシュタール も, 自分 は 「 映画 を 撮 っただ け」だ とい う弁明 によって多 くの非 ナチ化委員会 の裁判 を闘 ってい
る。
5.
≪奇 形 ≫ の 転 回点 :ロン ドンの 見世物 小 屋
シャル コー によるヒステ リーの演 出をデ ィデ ィ‑ユベルマ ンは く 苦痛のス ペ クタクル)と呼んだ。今世紀 になって徐々 に消 えていった もう一 つの
19世 紀 的スペ クタクルが,≪ 奇形≫で ある。フアイステル ‑ローメダーによって「 恐 怖 の部屋」 と呼 ばれた く 顧廃美術〉 の展示室 は,前世紀 の ( 奇形 のスペ クタ
クル) にそのルーツを持つ
。≪ 奇形≫は
,19世紀 には大衆 の娯楽 の対象であった。サーカスや縁 日のサイ ド・シ ョーや,「テ ン ・イ ン ・ワン」 と呼 ばれ る 〈 奇形見世物館) は,観客で ある大衆 との間 に, どこか王 と道化 のそれ に似 た関係 を持 っていた ように思 われ る
.19世紀末の有名 な フ リー ク ・シ ョウであるバ ーナム ・アン ド・ベイ リー ・サーカス にはヴ ィク トリア女王 で さえ大 いに興味 を持 っていた と言わ れている。 「 親指 トム」 とい うスター を擁 し,サーカス・ビジネスで成功 した P・T ・バ ーナム は自伝 まで書 いてい るし,チ ャールズ ・デ ィケ ンズや E・ A ・ ポーの 『 骨董屋』,「ホ ップ ・フロ ッグ」 な どは, いわゆるフ リークに関す る 当時 の関心 の高 さを物語 って くれ る。 しか し精神 医学 と同様,奇形学が近代
を迎 えるにつれて,かつて神 の怒 りの顕れ,幸福 の前兆, あるいは自然 の戯 れな どと考 えられていた ≪奇形≫ は疾患 として整理 され,「 脱宗教化
」「 脱個 人化」 され るようにな る。
『フ リー クス』の フィー ドラー によれ ば
,19世紀 とい う時代 は,巨人,小人,
シャム双生児 といった くスペ クタクル〉 を新奇 な もの として く 見 る〉 ことへ
の大衆 の欲望 と, それ らを解剖学 の標本 として 〈 知 る〉 ことへの欲望が併存
していた時代 だ った。 あ るい は見世物 の領域 に医学 が介入 して くる こ とに
よって新 しい欲望 と感受性が喚起 された, とも言 えるか も知れない。小人や
髭女 といった奇形 ばか りでな く,人間の脳 や神経系の模型,両性具有者 の性
器 の蟻細工 な どを展示 した当時の医学的見世物館 は, それ らの欲望 を吸収 す る恰好 の場所 だ った ろう。
19
世紀 の解剖学 的見 せ物 の なかで,最 も人 気 を博 した のが,医者 で あ る ヨーゼ フ ・カー ン博 士 のロ ン ドンにお ける興行 で ある。展示 品 は蟻製 の模型 とアル コール漬 けの標本 か らなってお り, 人 間の卵子が成長 してい く過程 や, 梅 毒 の症状 の進行 を示 していた とい う。 この見世 物 小 屋 は男 女別 の入 口が
あって どこか神秘 的 な雰 囲気が醸 し出 され,「 恐怖 の部屋」と呼 ばれ ていた と い う
43)。このネー ミングは,科学 とい う領域 の設定 に も相変わ らず神話 の暗 い 影 が漂 ってい る ことを暗示 してはいないだ ろうか。
しか し, ロ ン ドンの見世物小屋 にお ける最大 かつ最後 の事件 は,恐 ら くエ レフアン ト ・マ ン と呼 ばれた ジ ョン ・メ リック と トレヴェス医師 との出会 い だ ろ う
。1884年,
2ペ ンスの入場料 を払 って見 た見世物小屋 でメ リックを見 出 した トレヴ ェス は,彼 をロン ドン病院 に連 れて行 き,病理学研究用 の写真 を撮 り,様 々 な医学会 に出席 させ る
。トレヴェス は 「 英 国医学会報J にその 写真 を発表 し, メ リックに関 す る多 くの報告文 を書 いた。彼 の入院費 は一般 か らの寄付 で賄 われ,彼が死亡 した際 も,有名人 で あった とい う理 由で検死 官 の調査報告書 が作 られてい る。 トレヴ ェス はメ リックを,彼が "象人 間〝
と呼 ばれ ていた見世物小屋 的神話世界 か ら連 れ出 して科学 の監視下 に置 き, 最終 的 に「 パ キデル ミア を伴 う全般的 ヒベル ス トシス
」「 多発性 ネ ウロフイブ ロマ トシス」 とい う病名 を与 えた。 トレヴェス は, ヴ ィク トリア朝 の好奇心 を引 き裂 いていた神話 と科学 とい う領域 の境界線 を突破 したのだ。あるいは, フィー ドラー に言わせ れ ば,新 た な形 で 「 再神話化」 したのであ る
44)0
メ リックの死後
18年経 った
1908年, ロン ドンの 「テ ン ・イ ン ・ワン
」は 閉鎖 され るこ とにな る。 当時 の新聞 の社説 によれ ば,奇形 は大体 において疾
43)R・D
・オールティツク 『ロンドンの見せ物小屋 Ⅰ Ⅰ 』小池滋監訳,国書刊行会,
439貢。
44)45)46)
フィー ドラー
,a.a.0.210,305,298頁。
近代 ≪病理≫のイコノグラフィー 199
患なのである とい う認識が広 まったためである
。見世物 としての ≪奇形≫ は こうして姿 を消 していき,かわ りに治療 すべ き疾患が出現す る
。奇形学 は胎 生学,形態学,遺伝学へ と分化 し,後 にまた現代的な臨床的 ・実験的奇形学 に再 び統合 され るようになる
。『 先天的奇形』 (
1971)のジ ョゼ フ ・ウォーカニ‑博士 による と,現代的奇形学では 「 防止 が その最終的 な目的であ るとい う全般的な合意が あるた め」, 奇形 の出生全体 をいか に防 ぐか とい うことが奇 形学者 の関心の中心 になってい る とい う
45)。 ナチスは言わ ば この合意 を先取 りしていたのだ。く 小 ・ 頼廃美術展〉の 「 恐怖 の部屋」が展示 した ≪ 奇形≫は, すで に脱神話化 され,防止 し排除すべ き対 象 として大衆 の認知 を待 っていた。
それ にして も ≪ 奇形≫の脱神話化 は,リンネの 『自然体 系』か ら, 胎生学 とダー ウィンの 『 種 の上昇』に強い影響 を受 けた
19世紀 の奇形学, そ して第三帝国 に到 るまでの全体 の過程 を考 えてみる と,フィー ドラーが言 うように,≪ 人種≫
とい う不 当な神話 を作 る とい う高価 な代償 を払 うことになったのである
。6
.玩 具/道 具の モ ラル
ナチスによる近代美術 の病理化 と迫害 は,近代医学 の成立 を背景 として起 きた現象で ある
。医学が まず く 見 ること)を欲 し,く 病理)を可視化 しようと す る。 その際, 自分 は写真 を撮 っただ けだ, と言 った シャル コーの ように, 見 る者 は,透明な眼差 しによって自ら顕れで る もの を見た と言 うだろう。 し か し実際 は,見 えるもの と見 えない もの との境界 に関す る判断 は,すで に行 われている場合が多いoフィー ドラー も言 う。「 医学 はで きるか ぎ り価値判断 の問題 を避 けようとす る。 しか しそれでいて彼 らは価値判 断に満 ちた仮定か ら出発す るのだ
46)。」〈 見 ること〉の欲望 は( 知 ること)の欲望 と連動 している
。そ して何 を知 るのか とい う分節化,つ ま り境界線 の線引 きは権力 のための手 段 として利用 され る。
「自由の中におかれれば, 病 は自ら一 つの不変 なる真理 を表現す るにちがい ない。 それ は医師 の まなざしに対 して,何 の混乱 もな く呈示 され るだ ろう。
そして社会 に医学的な使命 を託 し, これ を教育 し,管理すれば, まさにその
こ とによって,社会 は病気か ら解放 され るにちが いない。以上 は自由な まな ざ しに関す る大 いな る神話 で ある。 この まなざ しは発見 しよう として忠誠 を 励 むあ ま りに,破壊力 を賦与 されて しまう
47).」とフー コーが言 った ように, 近代 医学が見 た と主張 した ≪ 狂気 ≫≪ 奇形≫≪ 人種 ≫≪白痴≫な どの く 病理〉を, ナチス は一気 に排 除 しようとした。 ナチズムの極端 な破壊力 は繰 り返 されて はな らない悲劇 で あるが,それ は決 して彼 らの独創 で はないので ある。く 見 る こと〉 に関わ るあ らゆる学問 の持 つ政治性 と,実証主義 の神話 が遍在 す るこ とは,忘 れ られ るべ きで はない。
そ もそ も, ナチス とモダニズムの芸術家 たちは,近代 の芸術 にほぼ同 じも の を見 ようとした と,言 えな くもないので ある
。シャル コーの弟子で ある精 神科 医の ピエール ・ジャネ は,女性 ヒステ リー患者 のエ クスタ シー を ≠ 狂気 の愛〟 と呼 んだが, このイメー ジはジャネ と共 に医学 を学 んだア ン ドレ ・ブ ル トンに大 きな詩 的イ ンス ピレー シ ョンを与 えた
。1928年,ブル トン とアラ ゴ ンは "ヒステ リー発見
50周年〝を祝 い, ダ リは 『 サルペ トリエール写真 図 像集』 の言わ ば主役であ るオーギュステ イ‑ヌの写真 ( 図版⑤) を自分 の コ ラー ジュに使 っている
。ヒステ リー を顕在化 させ るように自我 の内的必然や 欲望 を表現 す る ことは, シュール レア リズムの詩 的原則 となったので ある。
表現主義 の色彩 の強調 は,見 る者 の ≠ 非物 質化 された内なる精神
〟に訴 え るた めだ った し,バ ウル ・ク レー は,子供 と精神病 患者 の創造活動 に関す る プ リンツホル ンの 『 精神病者 の美術 』 に,殆 ど熱狂 的 と言 っていいほ どの関 心 を示 していた とい う
。彼 らは まるで, ボー ドレールの 「 玩具 のモ ラル」 に
● お ける子供 たちの ようだ。彼 らの大部分 は玩具 を与 え られ る と, とりわ け魂
●●●
を見 るこ とを欲 す る
。「この欲望 が どの程度速 やか に侵入 して くるか に よっ て,玩具が どれ ほ ど長生 きす るが決 まる
48)。」写真,絵画 とい う玩具/道具 を
47)
ミシェル・フーコー『 臨床医学の誕生』 神谷美恵子訳,みすず書房
,1969,79貢。
48)
シャルル・ ボー ドレール 「 玩具のモラル」『 ボー ドレール全集』阿部良雄訳,読
摩書房
,1985,120頁。
近代 ≪病理≫のイコノグラフィー
図版(9 オーギ ュステ ィー ヌ 『サルペ ト リエール写真図像 集 ⅠⅠ』 よ り
201
手 に入れた者たちは,玩具 を壊 して しまった子供 たちの ように自問す る。「 魂
●●●●● ● は どこにある ?」
言 ってみれ ば,近代 の臨床医学 に携 った当時者 たち も,モダニズムの芸術 家 たち も,偏 った医学的ヴ ィジ ョンに とり懲かれていたナチスの偽政者た ち も,みな この魂 を見たい とい う欲望 に動か されていたのである
。写真 とい う 可視化 の道具 によって近代 の精神医学が作 りあげようとしていた く 病理〉 の イ コノグラフィー を,近代美術 の分野でナチスが引 き継 ぎ, その暴力的な性 急 さで完成 させ ようとしたのだ。
その 〈 病理)の可視化 と除去 とい う行為があ ま りに も破壊 的であったため, ナチスによる近代美術 の迫害 は突発 的な性格 を負わ されが ちであるが,実際 はすべてが近代 とい う大 きな動 きの中で起 きた出来事 であった。
しか し可視化 の欲望 とは,何 も近代 の産物 とい う訳で はない。例 えば
1989年 の 「ナ シ ョナル ・ジオグラフィック協会創設
100周年特別号」 , 「 宇宙」 と
題 された章 に,驚異的 な写真技術 のおか げで成 し遂 げ られた成果 ‑ 宇宙探 査機 によって宇宙空間 を渡 って送 られて きたデジタル信号 を再生 し,色強調 された外惑星 のスナ ップシ ョッ ト‑ を見 つ け, そのテ クノサ イエ ンス神話 の幻影 をダナ ・ハ ラウェイ に倣 って くヴ ィジュアル化 の トリック) と呼 ぼ う
とも
49 ) ,あるい は科学 の倉欲 な偉業 をカ ン トに倣 って〈 伝達 を目的 として空間 内 に直観 を形象化 す る可塑的創造力)と呼 ぼ う とも
50),そ こにあ るの は恐 ら く 玩具 を手 に した子供 た ち と同 じ欲望 なので ある。
49)
ダナ・ ハラウェイ 「もう神の トリックはいらない」山田和子訳,『 季刊インター コミュニケーション
』No.2,
NTT出版
,1992,136貢。
50)