長崎大学教養部紀要(人文・自然科学篇合併号) 第37巻 第1号 13‑34 (1996年7月)
﹃校
譌﹄
及び
﹃異
體字
辨﹄
の定
不 位
破 浩 子
"
K o k a ( 校 譌 )
"
a n d
"
I t a i j i b e n ( 異 體 字 辨 )
"
H i r o k o F U W A
はじめに
江戸末期の考証学者狩谷枚斎二七七四〜一八三五)は︑平安
時代の成立になる意義分類体の辞書﹁和名類東抄﹂のr訂本﹂及
び注
釈を
作成
して
いる
︒
その注釈は︑従来明治十六年に内閣印刷局から出版されたr集
注倭名類衆抄﹂に基づいて京都大学国語国文学研究室から﹁古典
索引叢刊﹂の一として刊行されたものが利用されることが多かっ
た︒明治十六年刊本が︑枚斎没後︑森立之の企画によるものであ
り︑枚斉の考証の全貌を正確に伝えるものではないことは︑川瀬
(
注
‑
)
(
注
2
)
一馬氏をはじめとして︑つとに指摘されており︑杉本つとむ氏︑
(注3)坂梨倍博氏等により︑その欠を補う試みもなされている︒本稿も︑
通行のテキストを枚斎の研究の中に位置付けることを目的とする︒
本書
の書
名に
つい
て︑
川瀬
氏は
︑﹁
集注
は︑
第三
稀以
前は
︑﹁
考
琵﹂と還しており︑第三稀から書名を変更した様であって(r古
辞書の研究﹂三天頁)﹂と述べておられる︒これについて︑杉
本つとむ氏は︑内閣文庫所蔵の稿本には渋江抽枚束の手で﹁倭名
類東抄集注﹂と記され︑﹁考課﹂と題するものが無いことから︑
(ォ
"
)
本書の名称は﹁和名類東抄集注(和と倭は通用)﹂であるとされ
る︒亀田次郎氏も︑国会図書館亀田文庫蔵本の紹介の中で︑同様
(注5)
の指
摘を
され
た︒
r国書総目録﹂には︑次のような諸本が載せられているが︑﹁集
注﹂と題するものと﹁考課﹂と題するものとがある︒()内は︑
冊数︑或いは残存巻数を示す︒
国会
(十
冊)
・国
会亀
田(
巻1
四五
六九
十)
・静
轟堂
(十
一冊
)・
官尊(十冊)・慶大斯道(二冊)・東大(二十冊・十二冊)・東
大本居(六冊)・東北大狩野(桔梗考のうち)・日比谷河田(巻
四八
九十
)・
金刀
比羅
(六
冊)
・山
口(
四冊
)・
鈴鹿
(十
冊)
・大
東急
(十
六冊
)・
穂久
遵(
十九
冊)
・無
窮会
神習
(巻
七八
九十
) r発注し冒頭は︑‑外題・2総目・3枚斉の﹁謹按﹂という文・
4新校正倭名類衆抄所穣諸本・5倭名類衆抄序といった要素から
なるが︑その内容を比較し得た諸本の中で巻首を有する八本につ
いて︑当該要素の有無及び書名の表記を整理すると次のようにな
る︒
‑ 二 一 一
‑
内閣文庫蔵二稿本
内閣文庫蔵中浄書本
静養堂文庫蔵本
国会図書館亀田文庫蔵本
鈴鹿文庫蔵本
東大本居文庫蔵本
無窮会神習文庫蔵本
無窮会神習文庫蔵本
‑
×
2
0
3
0
1倭名類東抄集注
‑和名類衆抄考謹
‑倭名類衆抄集注
‑
×
2
0
3
0
1和名類衆抄集注
‑ 和 名 抄 集 注 2 0 1和名類東砂考詮
242224
030000×○
50
3
× 4
× 5 0 3 0 4 0 5 0
3 0 4 0 5
× ( I の 次 に
︑ 幸 福 嗣 興 の 識 語 あ り )
50(この下に﹁湯島狩谷望之集注﹂と記す)
30
040
30
4050(この下に﹁湯島狩谷望之集注﹂と記す)
50(この下に﹁湯島狩谷望之集注﹂と記す)
4 0 5 0
! 扇
⁚
右のように︑﹁集注﹂や﹁考謹﹂という外題は︑内容の別とは
直接関連性がない︒例えば︑鈴鹿文庫蔵本には︑巻一の下冊の最
後に﹁和名抄考琵第一<墨付八十九丁>慶応四年六月八日書写逐
功﹂と記されているが︑内容は﹁集注﹂という外題を有する本居
文庫蔵本・無窮会神習文庫蔵﹁和名抄集注﹂と一致する︒ただし︑
渋江抽枚斎の手によって﹁集注﹂と題された稿本を書写した系統
のも
のは
︑﹁
倭名
類東
砂集
注四
(東
京都
立図
書館
河田
文庫
蔵本
)﹂
﹁右件倭名類東砂集註第四巻︒始白装束部至飲食部索餅︒其帖数
四十五頁︒嘉永五年龍次壬子仲秋前十日︒江戸玉池寓居︒村上正
直左門盤激写(国会図書館亀田文庫蔵本)﹂のように﹁集注﹂と
題している︒また︑鈴鹿文庫蔵本・本居文庫蔵本・神習文庫蔵 ﹁和名抄集注﹂の三本は︑﹁源順序﹂のr集注﹂のはじめに﹁湯島狩谷望之集注﹂とある︒序注の部分は︑写本によって︑﹁異健字耕﹂に入れるべき内容を含んでいるものと︑すでにその部分が切‑出されて除かれているものとがあるが︑内閣文庫蔵の二稿本・三稿本は南本ともその異体字関係注記含んだまま︑囲みによって他の注釈と区別している︒こうした注記は︑のべ一四項目ある︒○はその注記が存在することを示し︑×は存在しないことを示す︒‑は︑存在する注記が囲みによって区別されているものである︒出現順に番号をつける︒
r校翁」及びr異僅字耕jの定位
‑倭名類衆抄序
2 鍾 愛 3 永 辞 親 閲 4 万 物 之 名 5 文 革 6 頁 揚 7 芋 幹 8 其 注 9 稀 負 之 号 1 0 礎 石 1 1 香 煙 1 2 別 号
1 3日和名類衆抄
1 4 注 締
内 2 内 3 静 嘉 鈴 鹿 本 居 神 美 神 考
○
○
×
×
‑
○
×
×
‑
○
×
×
‑
○
×
×
‑
○
×
×
‑
○
×
×
×
×
×
×
×
×
× ○×00
1×××
○×〇〇〇〇〇
×○××××××
×○××××××
×○××××××
〇
〇
〇
〇
〇
〇 ×
・神
業‑
神習
文庫
蔵﹁
和名
抄集
注﹂
・神
考‑
神習
文庫
蔵﹁
和名
類衆
抄考
課﹂
○×〇〇〇〇〇
右のうち︑‑・sは﹁和・倭﹂︑
oo
"
^は
﹁注
・註
﹂︑
< N I は
﹁号
・壊
﹂と
いう
同一
の異
体字
に関
する
問題
を扱
って
いる
. 二稿本の﹁異懐字排﹂では︑cF>に関しては︑どちらも﹁別
号﹂
の﹁
号﹂
の意
味な
ので
︑一
箇所
にま
とめ
︑﹁
錘・
鐘﹂
﹁辞
・辞
﹂
﹁万
・寓
﹂﹁
華・
花﹂
﹁豪
・褒
﹂﹁
幹・
隷﹂
﹁注
・註
﹂﹁
号・
渡﹂
﹁磁
・
磁﹂
﹁櫨
・鐘
﹂﹁
注・
註﹂
の十
種項
目を
あげ
てい
る︒
﹁和
・倭
﹂
は本書の書名の表記にかかわるので︑﹁校翁﹂ではな‑r集注j
本文において考証されている︒しかし︑この間蓮を︑序中初出の
Iの箇所で論じるか︑﹁名目﹂という序の末尾の方で論じるかで︑
写本は二系統に分かれ︑﹁湯島狩谷望之集注﹂という記述をもつ
のは後者である︒外形的な面から見ると︑はじめにこうした分量
の多い注釈を置‑のは均衡を欠‑し︑﹁湯島狩谷望之集注﹂とい
‑義‑
う記載をする適当な場所を失うことになる.﹁校翁﹂としてこの
注をもつのが写本の中でも高次の段階で写されたものであること
から︑その時点では﹁集注﹂という書名が確定していたこと︑書
物としての体裁を整える配慮がなされたこと︑等が推測される︒
これらを見ると︑渋江抽嘉が公刊を指揮遂行した成著としての書
名は﹁集注﹂であり︑それは枚斎の意志をうけたものであろうと
いう説が説得力をもつものと思われ璽
では︑﹁集注﹂の前は﹁考琵﹂と呼ばれていたという川瀬一馬
氏の説は﹁徴証が得られない﹂のであろうか︒
ここで注意されるのは︑川瀬氏が︑内閣印刷局より公刊される
以前に転写された稿本が諸所に存しており︑﹁それ等稿本の中に
は︑初稿本を侍へてゐるものもあ‑︑又︑抽京等が整理を行った
(注7)第三稿本の姿を有するものもある﹂として'静義堂文庫に蔵する
いくつかの転写本を紹介しておられることである︒例えば︑神習
文庫蔵の﹁考護﹂は初稿本の転写であると考えられ︑そうすると
成著﹁集注﹂以前の︑書名も定まっていない段階で転写されてい
た事実が確認でき︑それが﹁考置﹂と呼ばれていた可能性が想定
できる.﹁集注﹂とは自著に対する謙辞であり︑他人の著述を
﹁集注﹂と呼ぶことは考えにくいことも︑公刊が本格化する前の
転写の過程で﹁考澄﹂と呼ばれたという想定を支持するであろう︒
9IE 棟斎のr和名抄﹂に関する注釈は︑本文校訂に関わる諸本との 異同や異体字に関するものと︑内容その他に関するものとがあり︑ 前者は﹁校翁﹂﹁異債字耕﹂として巻末に後置されている︒これ については︑棟斎自身が﹁校謁﹂の冒頭で︑その日的と意義を明 らかしているが︑その部分に写本間で次のような異同がある︒ 1所拠京本︑時有翁脱︒今従諸本改正︒然恐僕之浅学有金根之 誤︒故悉掲原字︑以発其綻︒若僕謬改︑希正於後之君子耳︒ (内閣文庫蔵二稿本・神習文庫蔵﹁考詮﹂) ⁚11所拠京本︑時有翁脱︒今従別本改正O但悉掲原字︑不没其捉O 別本之誤︑二本以上同者︑及活字本・刻版本誤者︑亦附載干 此︒恐以是為非之謬︑僕之浅学︑戎有金根之誤︑希正於後之 君子耳︒(内閣文庫蔵三稿本・亀田文庫蔵本・鈴鹿文庫蔵本・ 本居文庫蔵本・神習文庫蔵﹁集注﹂) 1の内閣文庫蔵二稿本には︑訂正書き入れがあり︑それに従う と・・‑H ‑.‑Iの文章になるo神習文庫蔵﹁集注﹂は︑訂正書き入れ以前の
形を承けており︑静嘉堂文庫本は︑訂正書き入れに従いながら︑
まだ十分に整理されていない状況を示している︒
その内容は︑1は︑規範とするに足る校訂本文を提示するに当
たりどこが底本と異なるか︑言い換えれば︑底本を改めた箇所を
明らかにし︑その理由を述べてお‑ことで︑校訂本文と現存写本
r校翁」及びr異健字耕jの定位
との関係を明確にしておき︑より勝れた校訂本文作成への道を開
いてお‑という目的を表明している︒それに対して⁚11は︑底本の
改訂に関与しない異同であっても︑選定した参訂諸本の二本以上
に共通する異同はそれを記録してお‑こと︑現在通行している活
字本・刻坂本の誤りの指摘は︑それまでの研究業練を正確に評価
し批判してお‑という意味で︑新たに﹁訂本﹂を提示する上での
必須要項である︑という考えを示している︒つまり︑Iから⁚11へ
の加筆訂正は︑﹁校翁﹂の内容及び︑自著の中における位置付け
に関する認識の変化を示すものと言える︒(そして︑この点から 見ても︑神習文庫蔵﹁考課﹂が内閣文庫蔵二稿本の書き入れ前の段階で転写されたことを推測させるのであるが︑詳細な検討は後に
譲る
︒)
先ず︑通行本の定位及び諸写本の関係を考える上で参照した稿
本及び写本とその残存状況は次のとおりである︒便宜的に各写本
に番号をつけ︑巻の存否を○×で示した︒(以下︑写本は①〜⑨
の番号で示す)内閣文庫蔵の二稿本・三稿本の別については︑高
梨氏の整理にしたがった︒
①内閣文庫蔵二稿本
②内閣文庫歳三端本
③静嘉堂文庫蔵本
④亀田文庫蔵本
⑤鈴鹿文庫蔵本
⑥河田文庫蔵本
⑦本居文庫蔵本
⑧神習文庫蔵﹁集注﹂
⑨神習文庫蔵﹁考澄﹂
巻
九冊
十一冊
十冊八冊
十1冊
四冊六冊
五冊九冊
H c q n
^ w ォ 3 t
‑ c o o 2
○
×
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
×
○
○
×
○
○
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
×
×
〇
〇
〇
×
×
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
×
×
×
○
×
×
×
○
×
〇
〇
〇
×
×
○
×
〇
〇
〇
×
×
〇
〇
〇
〇
〇
〇
×
〇
〇
〇
×
×
×
×
×
×
×
×
×
(巻三・八・九については初稿本︹特︺︑巻三については三稿本の零本と呼ばれるもの︹特︒︒︺が︑内閣文庫に蔵され
ているが︑以下︑前者を内24︑後者を内2 8と略称することにする)
!表‑
﹁校讃・異健字排﹂のテキストとして現在通行しているのは︑
珍書保存会本と京大本であるが︑珍書保存会本は︑大槻文彦蔵本
を︑正宗敦夫・山田孝雄両氏が書写校訂したもので︑大槻氏が書
本に存する誤りと判断された箇所(脱字・誤字等二三箇所)を頭
注にし︑巻末に山田氏による︑正宗氏の誤写及び︑大槻蔵本に存
したと推測される誤りの指摘がある︒京大本は︑野口怪童氏編の
曙社刊行本を復刻したもので︑木村正辞蔵本を森棋園子女が書写
したものに基づ‑︒野口氏がその序言に﹁ひたすら校合を精密に
し︑誤謬なからんことに是れ努め﹂と述べておられるように︑珍
書保存会本で指摘された誤‑の約半分が訂正されている︒
阪倉篤義氏は︑京大本の解題の中で︑﹁両者は互いに異なった
段階での枚嘉の稿本を反映するもの﹂と述べられ︑安田章氏作成
の校異は六三〇箇所余りにのぼっている︒その中には︑野口氏の
所謂﹁正宗氏の誤写﹂を訂正した結果として生じた相違六七例も
含まれ︑山田氏が指摘された異同で安田氏は取り上げられなかっ
たものも二三例あるというように︑相違箇所の正確な数を算定す
ることは困難であるが︑おおよその目安として︑安田氏の認定さ
れた両者の相違箇所について︑珍書保存会本と京大本の各々がど
の写本と一致するかを見てみた︒それを数値で示したのが︑表I
である︒(kは京大本︑Cは珍書保存会本を示す)
これ
によ
ると
︑
その異同が①と
③との異同にか
かわる場合︑珍
書保
存会
本は
︑
巻一・三・五・
六・
七・
八・
九・
十 に 関 し て は
③ I に
︑ 巻 二
・ 四 に 表
関し
ては
②に
一
致する傾向が見
られ
る︒
但し
︑
両者の相違のう
ち︑異体字に関
するものについ
ては︑異体字の
認定という問題
ー 吊
‑
巻 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
k C k C k C k C k C k C 近 C k C k C k C
① 16 14 2 10 8 14 13 10 4 13 2 2 l l 6 8 1 10 5 3 l l
② 6 5 2 15 8 13 18 42 29 4 9 39 2 7 15 25 2 2 4 4 3 2 13
③ 9 20 9 10 6 28 ll 12 24 56 16 50 1 2 3 0 12 4 1 4 4 6 3 23
㊨ 6 4 4 19 4 2 25 5 1 40 28 10 3 3 1 9
⑤ 15 13 4 ll 13 19 15 4 2 24 5 5 14 50 l l 2 6 13 39 7 5 0 2 23
ゥ 3 17 4 3 14 4 2 2 13
⑦ 15 12 13 15 18 3 9 23 5 5
⑧ 15 12 13 15 18 3 9 23 5 5
⑨ 13 10 8 ll 7 2 3 ll 13 2 4 4 5 15 50
× 7 4 10 2 2 3 7 3 7 18 4 5 2 1 33 19 2 4 9 40 1 2 3 4 3 22
が個人差を無視できない性格をもっているため︑書写者によって
は︑安田氏の認定された異体字を区別する意識をもたないことも
ある︒例えば︑②④⑥及び⑤⑦⑧は︑同一系統の写本であること
が明らかであるが(これについては︑後述)︑次のように字体の
異同
が見
られ
る︒
r枚翁j及びr異僅字耕」の定位
・yケ雷警
曙社
堰改
(の
③) 童(
⑤⑦ )
腰 ( 喜 )
珍書保存会
その
他
堰(
①③
⑤)
致(
①②
③④
⑤⑥
) 室(
②④ 塞) 隠 (
⑤ )
堰(
⑦⑧ )
隠(
⑦⑧
) ク 塩 (
② 善 ) 塩 (
⑤
⑧ ) 巻五穀(④⑤)穀(①②③⑦)
ク穀(①②③)穀(④⑤⑧)
ク 叢 叢 (
②
③
⑤
⑦
⑧ ) ク 牒 牒 (
②
③
⑤
⑦
⑧ ) ク 蒔 停 (
②
④
⑤ ) ク 綱 (
⑦ ) 網 (
②
③
⑤
⑧ ) ケ銀(②③⑦⑧)餐
穀 (
⑧ ) 穀 (
⑦ ) 叢 (
㊨ ) 膝 (
④ ) 博(
③⑦
⑧) 網 (
⑦ )
&
( ゥ )
餐 (
⑤ )
・/'fク莞栗**
描(②)揺(③⑤⑦⑧)棉諌
秦 (
② ) 秦 撃 菓 (
②
③
⑤
⑥ ) 巌 厳 (
②
③
⑤
⑥ ) 柿 櫛 (
②
③
⑤
⑥ ) 戟(
②③
⑤⑥ )秩 (㊨ )
歯 (
㊨ ) 謙(
②③
⑤⑦
⑧) 諌(
㊨) 秦(
③④
⑤) 菓 (
㊨ ) 磨 (
㊨ ) 柿 (
㊨ )
1 房
⁚
②と④が後半において異なる字体を使用することが多いのは︑
④が前半と後半とでは明らかに別筆で︑後半の書写者の異体字認
識が前半の書写者に比べて低いためである︒また︑⑤⑦⑧の間に
おける相違は︑例えば﹁秘﹂を使用するか﹁秘﹂を使用するか︑
﹁膝﹂を使用するか﹁膝﹂を使用するかといった︑書写者個人の
書記活動における使用字体・字形の違いによるものと考えられるo
字体の異同には︑このような個人的な要素が介入する余地が大き
いので︑そうした恐れのない︑文字の有無や︑項目の有無︑配列
順序の違いといった点にしぼって︑両者の違いを調べ︑珍書保存
会本について記すと︑次のようになる︒
巻(MCO^lOCDt‑OOCio 対 象 と な る 異 同
︒ o
^
^
<
N l
③に1致する数LO^t‑g^cNIO^co
このうち︑巻五・七・八・九・十については②と③との異同に
かかわらないもので︑珍書保存会本が他本とも一致する中におい
て③とも一致するということを示すにとどまる︒また︑巻九に関
しては︑﹁字書云﹂﹁名義抄云﹂といった﹁云﹂字を②において抹
消するという指示がなされ︑それに従って抹消した形で本文を実
現するか︑本文は抹消しない形で提示し︑抹消の印をつけてお‑
か︑または全‑抹消の印は書写本文に反映しないか︑という書写
者の方針の違いという要素が関与している︒したがって︑﹁云﹂
字の有無に関しては③と珍書保存会本とが一致するのは︑四例に ‑云‑
すぎないが︑抹消の印を考慮すると例が一.致することになる︒
京大本の依拠本文の違いにかかわる②系統には一致しないが③に
1致するというのは︑巻1・二・三・四・六で︑そのうち︑巻四
が②系統に1致する他は︑③に一致する︒
例えば︑阪倉氏が︑珍書保存会本が京大本と顕著に異なる箇所
として指摘された﹁探根輔仁(序)﹂︑﹁袈裟﹂から﹁青倉﹂に至
る十項目が﹁頭巾﹂の次に位置していること(巻五)は︑③に1
致するのであり︑﹁鍍﹂候を欠き︑﹁鉢﹂俵を有する(巻四)こと
は︑①③に1致しているoまた︑﹁轟﹂字に関する注が﹁蚊用大
外﹂の前に位置し(巻八)︑﹁羨薬﹂に関する注が﹁松脂﹂の﹁校
讃﹂の次頁に1項目のみ位置する(巻十)といったことは③⑤と
一致
する
︒
さらに︑﹁赤子和名﹂に対する注として︑①は割注に﹁以下十
三字着脱︒今従昌平本増︒鹿本亦有﹂と記し︑⑨はこれに一致す
る︒
①に
は︑
﹁昌
平本
脱知
字︒
依鹿
本増
(傍
線部
分は
抹消
の印
)﹂
という書き入れがあり︑妻は﹁山田本脱注十三字o那波 本脱赤子二字︒昌平本脱知字(⑤は﹁知﹂字を﹁和﹂に作る)﹂
と割注に記している︒珍書保存会本は︑①⑨の注を抹消し︑②系
統の注を頭注とするが︑③はこの頭注のみを有し︑﹁山田本脱注
十三字︒那波本脱赤子二字︒昌平本脱知字﹂と記している︒これ
は︑③が珍書保存会本に見えるような形のものに依拠し︑抹消の
印のついた割注部分を書写しなかったことを示す︒更に︑この①
r校翁j及びr異健字耕」の定位
から②への注記の変化は︑①注本文に﹁那波本文脱注赤子二字︒
山田本脱注十三字︒尾張本・曲直瀬本・下総本是保管脱﹂とあり︑
﹁以下校詣﹂と細字で注していることから︑①本文の記述を切り
出したものであることがわかる︒
﹁暫﹂に﹁阪元日稗文地為地之靴﹂の十字の抹消箇所があると
ころ︑③⑤は十字分の空欄があって︑抹消にしたがったことを示
して
いる
︒
このように︑珍書保存会本は︑巻四以外の巻は③に極めて近‑︑
不一致の三二箇所のうち︑一八箇所は山田氏の指摘した正宗氏の
誤り︑一四箇所は③の誤写と考えられ︑巻四以外の巻は同一の寺
本に基づくと推測される︒
内容を検討すると︑各写本とも︑同一の項目に対する注釈内容
に大きな違いはな‑︑相違点は︑証として異同をあげる写本の種
類及び呼称︑項目の出入り︑という二点である︒次に︑各々に
つい
て検
討す
る︒
ニ ー 写 本 の 種 類 及 び 呼 称
‑
枚嘉は﹁校例提要﹂に載せられているような諸本をすべて集め
てから﹁集注﹂の作成にとりかかったわけではな‑︑京本を入手
してから︑それを底本として︑通行の二十巻本の活字本と版本︑
天文本︑林本︑伊勢本で校訂しっつ初稿本を作成している︒そう して作成した初稿本に再度︑右の証本との異同を確認しっつ加筆訂正を行っているが︑その段階で︑天文本を下総本︑林本を昌平本と呼びかえ︑二十巻本についても︑それまでの﹁刻版鹿本﹂﹁
製版
鹿本
﹂と
いう
呼称
から
﹁那
波本
﹂﹁
刻版
本﹂
に改
めて
いる
︒
この異同記述をまとめたものが①の﹁校謁﹂である︒①r集注﹂
本文に︑さらに山田本(福井本)︑曲直瀬本との校異を書き加え︑
①に加筆した異同記述をまとめたものが②の﹁校譜﹂となる︒こ
こに︑証本の種類の増加をみることができる︒r和名抄J全編を
通して﹁校翁﹂が整備されるのは︑この段階以降である.
諸本の﹁校翁﹂の比較にあたって︑特に問題となる呼称の変化
は︑﹁山田本﹂をめぐるものである︒﹁参訂諸本目録﹂には︑難波
宗建旧蔵の又1本の上巻を﹁山田本﹂︑中下巻を﹁福井本﹂と呼
んだとあるが︑これについて︑宮沢俊雅氏は﹁憶測を達し‑すれ
ば︑山田本・福井本が京本そのものであって︑それが緒神某公の
手から離れていることを脱唆化するために又一本を仮設したので
(津8)はあるまいか﹂と述べておられる︒つまり︑巻によって呼称が異
なること︑善本との関係︑という二点において﹁山田本﹂の校異
には問題があるといえる︒観察できる現象として︑次の二点から
検討
して
みる
︒
[‑]呼称を﹁山田本﹂とするか︑﹁福井本﹂とするか
[2]﹁山田本﹂の校異をもつか否か︑その際に﹁善本﹂と
の関係はどう記されているか
‑
≡
‑
[‑
]呼
称の
変化
校異の記述形態には︑すでに正文(書き入れではな‑︑正行に
記された形態)化された他の諸本の校異に﹁山﹂﹁山岡﹂のよう
に書名を書き入れるものと︑当該校異の項目全体が書き入れであ
るもの︑そして正文化されたもの等があるが︑前二者を同一の段
階のものとして扱い︑正文化されたものと区別する︒校異の書き
入れは︑巻四以降も﹁山﹂﹁山岡﹂のように山田本の名において
なされるのが三
〇 二 例 に 対 し て ︑
﹁福
井本
﹂と
あ
るのは三例であっ
て︑全巻を通し
て﹁山田本﹂と
して校訂に資さ
れたことがわか
る︒浄書の形態
は︑巻によって
異なった様相を
見せる︒次の八
つの
観点
から
︑
表Ⅱとして整理
した
︒
巻 イ ロ ノ 、 ホ ヘ ト チ リ ヌ ル . ラ
1 15 6 6 4
2 5 1 66 3 6
3 2 1 20 3 3 2 1
4 26 1 . 1 6 3 9
5 3 5 3 7 2
6 5 9 1
7 1 1 2 1 1
8 3
9 1 1 3 6
10 1
3 2 5 12 0 59 3 8 2 42 6 6 l l 79 7 1
‑
≡
‑
(イ)山田本の校異が①にあるが︑抹消されているもの︒
(ロ)山田本の校異が①にあるが︑②にはないもの︒
この中には︑②で抹消されて︑r集注﹂本文に組み込まれ
たもの︑②が写されたときにはまだ①に書き入れられてい
なかったために記載にもれたもの︑⑨にも受けつがれてい
るもの等が含まれる︒
(ハ)①の﹁山﹂﹁山岡﹂という書き入れが︑②で﹁山田本﹂
として正文化されるもの︒これが︑上巻における原則であ
る︒
(ニ)①の﹁山﹂﹁山岡﹂という書き入れが︑②④において
﹁山
田本
﹂と
正文
化さ
れ︑
それ
を見
せ消
ちに
して
﹁福
井本
﹂
と傍
書し
︑③
⑤で
は︑
﹁福
井本
﹂と
正行
に記
すも
の︒
例えば︑①に﹁唐駒徒協反<者駒作都︒﹁山﹂伊勢本同︒
今従鹿本改>(巻六・坐臥具﹁曇﹂)﹂とあるのを︑雷で
は﹁
蕃駒
作部
︒[
山田
](
福井
)本
・伊
勢本
同︒
今従
鹿本
改﹂
と記し︑書では﹁者駒作部︒福井本・伊勢本同︒今従鹿
本改
﹂と
記す
︒
(ホ
)①
の﹁
山﹂
﹁山
岡﹂
とい
う書
き入
れが
︑②
では
﹁福
井本
﹂
とし
て正
文化
され
るも
の︒
例え
ば︑
①に
﹁音
歴<
蕎歴
作暦
︒﹁
山﹂
伊勢
本・
昌平
本同
︒
今従
唐本
改︒
輿康
韻合
(巻
五・
文書
具﹁
暦﹂
)﹂
とあ
るの
を︑
②③㈲登では﹁蕎歴作暦.福井本・伊勢本・昌平本同︒
r枚翁j及びr異佳字耕」の定位
今従
鹿本
改︒
輿康
韻合
﹂の
よう
に記
す︒
(チ
)①
②と
もに
﹁山
田本
﹂と
正文
化さ
れて
いる
もの
︒
(リ
)②
に﹁
山田
本﹂
と正
文化
され
てい
るも
の︒
この中には︑①ではr集注﹂本文にあった記事を︑②であ
らた
めて
﹁校
詣﹂
とし
て立
てた
もの
を含
むO
(メ)①には﹁山田本﹂に関する校異の記載はな‑︑②で﹁福
井本
﹂と
して
正行
に記
され
てい
るも
の︒
例えば︑①に﹁人種唐菓子<着脱唐字︒伊勢本・昌平本・
下総本同︒今従鹿本増︒輿口達・伊呂波字類抄・拾芥抄
合>
(巻
四・
飯餅
類﹁
歓喜
園﹂
)﹂
とあ
り︑
③も
同じ
であ
る
が︑②④⑤⑥m③には﹁着脱唐字o福井本・伊勢本・昌平
本・曲直瀬本・下総本同︒今従鹿本増︒輿口遊・伊呂波字
類抄・拾芥抄合﹂と記す︒①に﹁其董<音量作菜︒今従下
総本
改︒
贋本
亦作
董>
(巻
九・
莱読
類﹁
蕗﹂
)﹂
とあ
ると
こ
ろ︑
(m
Xp
oX
‑^
X^
X^
Xo
o)
には
﹁着
萱作
東.
福井
本同
︒今
従下
総本
改︒
唐本
亦作
董﹂
と記
す︑
等で
ある
︒
巻に
よる
傾向
をま
とめ
てみ
ると
︑巻
六で
は︑
②で
一旦
﹁山
田本
﹂
の形で正行に記したものを﹁福井本﹂に訂正しているが︑巻四・
五では︑﹁福井本﹂の形で正文化している︒巻二の﹁山田本﹂校
異は①ですでに正文化されており︑②でさらに﹁山田本﹂校異が
付け加えられ︑③以降に取り入れられている︒これは︑各巻の段
階の違いを反映しており︑巻二の﹁校謁﹂は他の巻に比べて整理 されており︑再度の見直しの時に︑巻二は既に浄書を完了していたことを窺わせる︒
また
︑巻
五﹁
校翁
﹂に
八例
︑﹁
異倭
字耕
﹂に
二例
︑巻
六﹁
校譲
﹂
に一
例︑
﹁異
健字
耕﹂
に1
例︑
巻七
﹁校
翁﹂
に三
例︑
巻八
﹁校
誠﹂
に四例︑巻九﹁校翁﹂に1例︑巻十﹁校翁﹂に一例の﹁山田本﹂
とい
う呼
称が
見え
︑﹁
異健
字耕
﹂に
﹁山
田本
﹂の
記述
を﹁
福井
本﹂
に訂
正す
る②
の﹁
薬<
[山
田]
(福
井)
本︑
乗作
襲︒
‑>
(巻
六・
染色
具﹁
菓﹂
)﹂
のよ
うな
記述
もあ
るこ
とか
らみ
て︑
巻四
飲食
部以
降における﹁山田本﹂と﹁福井本﹂の違いは︑巻による呼称の書
き換えであり︑それは不徹底な部分を残していることがわかる︒
[2
]山
田本
の校
異の
有無
及び
善本
との
関係
校異
記述
の有
無に
つい
ては
︑例
えば
︑表
I(
ハ)
のよ
うに
巻一
・
三・
四で
は①
に﹁
山﹂
﹁山
同﹂
﹁山
田本
同﹂
とい
った
形で
書き
入れ
られたものが︑②以降に﹁山田本﹂として︑他本と同じ‑正行に
浄書されるのが原則である︒①に﹁扉也<二字着脱︒﹁山﹂伊勢
本﹁
曲﹂
■■
本同
︒今
従昌
平本
増︒
‑>
(巻
三・
居鹿
部﹁
扉﹂
)﹂
(﹁﹂内は挿入された記事を示す)と記されているのが︑②で
﹁扉也<二字着脱︒山田本・伊勢本・曲直瀬本・那波本同︒今従
昌平
本増
︒‑
>﹂
と記
され
るよ
うに
なり
︑①
に﹁
丸帯
<蕎
丸作
孔︒
﹁山﹂伊勢本・昌平本﹁曲﹂同︒今従下総本改︒輿諸装束抄合︒
鹿本
亦作
丸(
巻四
・装
束部
﹁革
帯﹂
)﹂
と記
され
てい
たの
が︑
②で
T蓋!