奈良教育大学学術リポジトリNEAR
量の指導とその周辺 ― 主として長さの指導を中心 に ―
著者 松原 茂, 里村 喬一, 矢追 武
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 3
ページ 67‑73
発行年 1967‑03‑25
URL http://hdl.handle.net/10105/6115
量の指導とその周辺
一生として長さの指導を中心に一
松原 茂・里村 喬一一・矢追 武 (奈良教育大学付属小学校)
は じ め に
1966年における算数教育論の1つは「数学的な考え方」が大きくクローズアップされたとみてよ い。雑誌「算数と教育」7月号はこの点についての7ンケートが集約されている。数学者、数学教育学 者が多数意見をよせている中で、私は秋月氏の意見をもっとも妥当なそしてこれからの自分の課題にす べきであると考えさせられた。氏の意見を私流に要約すると次のようになるのではなかろうか。
数学的な考え方とはこれこれであるたどそういう定義はできるものではたい。よしあったものとし てそれを講義し、生徒がまる憶えしたって考え方を育てたことにはならない。数学者は数学自身を掘 り下げていく中で獲得するものであり、小学生は小学生なりに算数を学習する中で数学的な考え方の 芽生えを実践を通して感ずることができよう。ただ物理的た考え方に対して数学的な考え方というよ うなものと解すればそれらしいことはいえないわけではない。それは根拠のまた根拠を尋ねていく態 度、そしてその根拠から演択的に組み立てていく態度である。
ところが、これも高等学校位になってはじめて分るのであって小学校にあっては数学的な考察をす る材料の作成の段階で、真の数学的な考え方というものは、これだけの準備の後にはじまるものであ ろう。ではその材料作りとはどんなことであるか。それは、
①まず、整理、整頓である。1,2,3,一・・とものに順序をつけ、数を数える。
②次に、どちらが重いとか、軽いとかの比較にはじまって、どれだけ重いかという計量であり、数 量化である。
③さらには、いくつかの量の間の関係であり、その間に成り立っ法則と、その表現であろう。たと えば三角形の面積は底辺と高さの積の半分に等しいというようなことであり、・一夫αんとの表 現である。
こういう実践を小学生自身が体験していく中で感じとり、さらに発展しっづけるものである。。
氏の意見をあるいは曲解して伝えているかも知れないが、私自身はこの線で算数教育を考えていきた い。このことはディーンズがbiuユd−ing up Mat]ユematicsの書名で示しているように数学を 作りだすことにも通じるものである。私はかねがね学習指導にかかわって授業者はたえず 教材の周辺 をおさえること を主張している。算数科で指導内容といわれるものはすでに組み立てられたもの、な いしは抽象されたもので、それをそのまま与えるのではなくそれが生み出された過程まで逆のぼらなけ れぱならないということである。
このように考えてくると算数教育は技能面のド〃レにかかわる部面も数多くあり、まただいじなこと ではあるが、むしろ具体からいかに事象や対象を抽象化していくかの過程こそだいじにしなければなら ない。算数教育における 具体から抽象へ。の課題は古くしてまた絶えずほり下げていくべき課題であ
ろうと思う。
1 「量と測定の指導」と長さの指導とのかかわり
「量と測定の指導」の分野はその字句の示す通り、「量」と「測定」の二面を指導するものであるが、
これまではr測定」の指導を重く見られがちでr量」の指導をおろそかにされてきた。「長さの指導」
といえば.「ものさし」、「重さの指導」といえば「はかり」というように測定や計器の指導でおおわれ ていたようである。たしかに測定は大切ではあるが、これは単に量を測定するというのでなく、量を如 何に数量化するかの観点に立って扱われなければならない。
長さや重さの指導では、量感覚を育てることも強調された。けれども、i果して私たちの量感覚はど れほど正確なものだろうか。且また、よし正しい量感覚を得させうるとしても、それと算数教育との関 係はどうとらえるとよいのだろうか。勿論基本となるようた単位を身につけさせることの必要は論外で ある.こI)いうことは之えプ「量感を育てる指導」と銘うたなくとも当然数えねばならないことはいう までもない。
測定指導と単位の換算指導はっきもののようである。児童を算数嫌いにする原因はいろいろあるが、
単位の換算指導のやり過ぎもその一つではなかろうか。問題のための問題、いや児童を固まらすための 問題ではたかったろうか。
以上3点は、いずれもこれまでの「量と測定の指導」の欠きた内容になっていたから、上のような批 判は大変ショッキングな提案のようでもあるが、算数教育はこう変わって来ているのが事実である。
私は長さの指導の意義を次のようにとらえてみたい。
①有理数の抽象という背景がある。
みかん5こ、おはじき5こなどの個物(分離塁)から、私たちは自然数5を抽象した。分数や小数 つまり有理数を抽象するには連続量が適している。長さの数量化を通して小数や分数を抽象し、ま た逆に有理数の実体化としての数直線がっまりは長さであることの指導は児童の数学的概念を育て るのに大切な対象である。
②連続量の代表としての長き
連続量には保存性や加法性その他共通した性質があり、長さはそれらのモデルとして価値が大きい。
③児童の認識作用を高めるものとしての長さ
児童の認識作用は外界の矢口覚を通し、また感覚運動的な概念、直感を通して形式的な概念の識認に 至る。その点①や②に関連して長さがそれを助ける好適な実在である。
口長さの性質指導とその周辺
1 2年生で長さを指導する場合、次のような長さの性質を教えたい。
1長さの抽出を通して、量の存在を認めさせる。
1年生の児童はすでに長さの大小をある程度理解している。したがって、ここで「長さの抽出/」
「長さの存在/」なんていいだすと無用あるいは不必要のように思われる。ところで一般に角や広さ の指導などではどうだろうか。児童には角という量が存在することさえ知らないときには、 r量の抽 出」ということが大変大事な学習過程になってくる。上で児童は長さを知っていると仮定したが実は
それがあやしいので、「えんぴつには長さがある。」、「机の端(ふち)には長さがある。」とは知 っているが、平面上のどこにでも、曲面上のどこにでも長さがあることを、知る子は少ない。
また、一「高い.低い」、「太い.細い」 「厚い 薄い」と「長さ」との関係をどうっかんでいる →8一
のだろうか。このように見てくるとその扱い方にはいろいろと方法があろうが、一つのステップと して長さを抽象する学習場面が必要になってく乱
2 長さの保存性を理解させる。
量の保存性にはj形を変えても太いさは不変である。ゴr細かく切りはなしても全体の量には変わ りはない。刊 移動しても太いさは不変 の3つがある。これらの性質を全部同じ程度に扱うか どうか、あるいはある学年でとくにある性質だけを深く扱うとかの論議はなされてよいが一応何 らかの形でとり上げるべきである㌔現在のところ私は次のように考えてい乱
iについて
ピアジェは幼児には量の保存牲についての認識がないといっているが、だからといってその 実験の手法だけを教室にもち込む必要はないと思う。ただこれにかかわるような内容だとえば 「っつに3回ぐらいまげる長さの糸ってどれくらい
だろう。」
「はこのまわりにテープをはりたいんだけど、どれ くらいの長さのテープがあればよいだろう。」I などと間接的にテープをのばしたものとまいたテー プが同じ長さであると認めるような作業をさせると か、あるいは論理的に形のちがう2本の同長のテー プの各部分を互に対応させて一対一の対応をさせて
「同じ長さである。」ことを認めさせるような学習
㌧ソ
場面をもうければよいと考える。したがってここでは量の不変を論理を通して確めることのほ うが重要であろう。
ゴ市 について 一
同じ長さの2本のテープA,Bを子どもに見せて
1口□口□口□
同じ長さであることを確認させ、一方を寸断する。
そしてA,Bのどちらが長いかたずねてみるとどう 答えるだろうか∴Bが長いと答える子がいれば量の
保存性の理解があやしい。これらの子どもには寸断されたBをもとのようにっなぎ合わせたも のBと、したがってAと同じ長さであることを認めさせる場面を設けるべきである。
ところで、上のような指導は具体的な操作を通し、児童の認識を改めるとはいえそれだけの行 為や操作に終わってしまうかも知れない。一方≡といい、; というような何かもとのものに操作 を加えると変質したり、変量したりすると感じる児童特有の心性が.あるかも知れない。だから必 ずしも児童に量の保存性の理解がないともいえないのではないかとも思われる。したがって今後 なお実践を通して①量の保存性を扱参場合紅児童自身が竹によって大きく認識が高まる場面一 必要感を満たし解決する場面一の研究、②保存性にっいてぜひとも解決しておかなければなら ない次の場面などの研究がのこされていると思㌔
ただ高学年にはこれらとかかわりのある問題が2,3あることを述べておく。
①文章題指導の中で
加減適用の問題はほとんど量の保存性や次の項で述べる量の加法性との関連が深い。これらの性 質を暗に認めていることで問題解決にたち向かっているといってもよい。とくに次のような問題は 代表的なものではなかろうか。 //∩
P1
脚11111篶111篶 り
の比が9:7になりますか。
〔例題2〕 5年生の1組43人2組51人、3組48人が
2台のバスで遠足することになりました。1組 AとBのびんの水は前でも、あと でも全体は少しも変わりがない。
は前のバスに乗り、2組はうしろに乗りました。
(保存性)
2台のバスに同じ人数ずつ乗るには・3組をと だから、ほうさん水全体をとに う分けて乗るとよいでしょう。 かく9:アに分ければよい。
〔例題3〕 M町からN町へはバスで24分かかります。A,B,C、コDの4人がM町からバスに 乗ったが、席は3っしかあいていません。4人がN町までいくのに、各人が同じ時間だ け座席にかけるとすると、1人が何分間かけられますか。
(註:文章題指導といえば一般には思考力を高める云々ととらえられているが、私はすぺてそう だとは考えていない。量の保存性のように直接そのものを指導しない場合でも上のような 問題を通して理解させることができ、つまり文章題はある数学概念をより深める素材でも あると考えている。)
長さの連続性と稿密性を理解させる。
実数の連続性や稠密性は長さのそれと対応させることができる。これが数直線である。したがっ て何らかの形で実数の概念とつながるような指導をしておくことが大事である。たとえば次のよう ないろいろな取 )扱いが考えられる。
1)5,6名のグループを作は図Dように画用紙のA部から
糸をひき出しておくべの糸をグル プの子が交互にか し〆 わりながら、糸の先がlB点までなるぺく回数多く(した
がってひき出す長さを小さくして)なるように糸をひき 出していく。どのグループが何回も交替したか競いあう。 4
口)A,B2本のテープの間に、中間にはいるテープが何 8
本ぐらいあるか検討をつけさせ、また実際にテープを何 本か切らせて、無数にある.こと吃確めさせる。
l l l)右図のように「つみ本4こ分にあたるテープ」、「ア
こ分にあたるテープ」をつみ木とならぺて置㍍ 「5に あたるテープを切ってごらん。」などと問いかけ、 「4 にもあたらない。また5に及ばない長さのテープ」があ ること、そしてこのときには「4より少し長いテープ」、
つみ本4こ分にあたるテープ
「5より少しみじかいテープ」の表現をさせるなどして、
一70一
整数で表現はできない長さがあることを理解させる。
4 長さの加法性を理解させる。
ディーンズは幼児に数概念を伸ばすために数値以前に右 図のような教具を用い青十黄=亦になること、また白十青
一黄になるような棒を用意し、これを組み合わせることに[言]→←[二え]
よって数の合成 分解を数の導入以前に操作させようとし ている。
これがあとで2+5=7,2+3=5、あるいは7−5=2,5−2白3 と結びっくわげであ る。つまりこの教具は長さの加法性を生かして数の加減、構成を理解させるものである。
低中学年の子どもにたて4cn、よこ7cmの長方形を示し、このまわりはいくらかとたずねると、
(ア十4)x2=22 ないし ア十ア十4+4日22,220mと答える。事実はそうであるが、
量の加法性にもとづいて導いたのか、あるいは数の結合をそのまま量に写しかえたか明らかでなへ 量の構造と数の構造が全く同じために問題とする必要がないとも言える。しかし量の加法性が問題 になるのは内包量または物理量といわれるものである。加えることのできる量と、カ目えても意味を もたない量があるからである。したがって学習指導としては、あとのような量にでくわす高学年に 至って量の加法性をとりあげるのか、やはり低学年から扱っておくほうがよいか議論の分れる点で ある。
長さ く ら べ 1 長さには大きさがある。
長さには大きさがあることは児童はすでに理解している。しかし、小さな糸まき1個をもち出し ても(紙テープでも同じ)
.糸まきの中に意外に長い糸がまいてあること。
目分たちの教室の座席をとりまいても、ひとまきできるほどもあること。
それでも、教室から連動場の遊具まではとうてい及ばない。つまり、遊具までの長さは(きょり )はずい分あること。
たどを、子どもの実感や具体的操作を通して教えることがたいせつである。ふつう児童を廊下に出 したり、三階に上がらせたり、運動場で測定させたりするのは3年生の1㎞の指導になってからが 多いが、もっと低学年からいわゆる未測量の長さをとり上げて、ダイナミックな学習場面を設定し たいものである。
2 長さの大きさを比べる。
まず、直接比較をさせる。ここで注意しなければならたいことは「端をそろえましょう。」にこ だわらないことである。子どもの中には育の高さを比べる 図1 図2
のに図1の方法をとる。これは自然でもあるが唯一の方法
;:葉1二1・l1・の方1111!・いず1榊、ザ
直接比較の指導で大事なことは、「ものを比べる」こと の意味を押えることであって、単に結果を引き出すことで
もなければ、端をそろえさせることでもない。 図3
l11烹11111讐1111ク
せる場面が多い。このとき大事なことはそういう操作が 本質とどうかかわりあっているかを明らかにさせておい
てやることである。実際にはできるが文章などを通すと い できないというのは、このあたりの行為と認識の連合に
断層があることが多い。
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、 ) 考 ■,
が ・{
さて、次に間接比較をさせる。直接比べられたいものを媒介物を用いて比べるのであるが、これ は量の保存性に依存しているといえる。この際直接比較の本質であった対応の関係を、AとB,B とOの2つの対応からAとOの比較が可能であること、つまり操作の推移を理論の推移との関連で とらえさせるような指導をする必要がある。
v長さの数量化とその周辺
われわれは事物や現象を正しく捉え、また事物と事物の関係を明らかにするためにも、また現象そ のものの中味を捉えるためにもまず数量化を試みる。「人のこみぐあいを客観的に捉えたい」これが 人口密度である。「物価の動きを捉えたい。」これが指数の導入で可能である。したがってわれわれ は、すでに出きているものさし(尺度)を対象にあてがってその太いさを知る以前に、如何にして対 象が数量化できるかを指導することが大事である。
外延量の場合の数量化は個別単位をもとにすることからはじまる。任意の長さをもとにしてその幾 っ分で対象の大きさを数値化できる。このとき、すでに獲得している数系列と基準量との対応が行な われる。任意単位の社会や学問への非通用性から普遍単位による数量化の必要に気づかせる。
普遍単位に何をもってくるかは自由であるがそれぞれの量によって異なること、長さでは「メード ル」や「センチメートル」のあることを理解させる。この際1872年の国際度量衡会議での決まり 方を私は教えてやるほうがよいと思っている。たとえば「かさ」において、いわゆる「1リットル」
のますを見せて「これが1リットルですよ。」ですますのではなく、「一辺の長さが10cnの立方体 のかさを1リットルと決められたのだよ。」と教えてやるほうが普遍単位の意味づけが確かになる。
「ものさし」は普遍単位を用いて目盛化したものである。最初からものさしを与えて「目盛を読ま せる」のではなく子どもたちにものさしを作らせることからはいりたい。これは単にものさしを作ら せるに止まらず量の目盛化ひいては量と位置、数と数直線にもかかわっているからである。
まず1減の立方体(教具としてある)を数量化する対象にならぺさせる。教科書のたてのへりに、
机のへりに、一一・、ここで数量化できることを理解させる。っぎにその都度並べるには手数がかか ることから、それぞれの長さを直線状の板または棒に「写しとっておこう。」ということから、10m めもりのものさしを作らせる。
ものさしは、任意の量の大きさとその位置化されたものと捉えることが大切であろう。すなわち、
太いさ5cnの長さの位置に5を目盛り、太いさ8onの長さの位置に8と目盛ることになる。したがっ 一72一
て目盛5から目盛8までの太いさは3cnであり、その逆も30nである。よく見られる指導では目盛を 読ます指導はされるが私は量の大きさと目盛とのかかわりとくに意識して教えたい。そのわけを次に 述べる。
①まず、われわれの指導は将来・数直線や座標とのかかわりを意図すぺきであることから。
②量の大きさと目盛(順序づけといってもよい)がすべて、ものさしのようでもなく、しかもこのこ との理解が内容の把握にかかわるから。
たとえば時刻と日時の名づけ方を比べてみよう。
時刻の場合は図のように基準位置から8時間だつ た位置に8(時間)と目盛孔これに対して日付 けでは、7日たったっぎに8と目盛飢これらの ことが明らかでないと、
一ア 日一一一一 ・6時から10時までの時間…・一・10−6=4 (時間)
・6日から10日までの日数…・一・10−5昌5 (日)
の区別がつかなくなる。
③また、特定なものさしたとえば木材から何。例の角 材がとれるなどで1市の長さのところにαと めもるように必ずしも量と目盛りがそのままの形 でめもられることカミないときもある。
④また、重さなどの場合rはかり」を用いるが、このときものさしのときとちがっている。はかりで は
[■・ゼンー/ののび・
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O/123456ア89、1㌔㌔ ㌧』 .、 、
P . ,
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ノノ1■ 一、8時聞一一一一一一
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または、
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というように物から目もりへの過程に何らかのからくりがある。したがってそれらのからくりを教 えてやることが数量化と計器の読みとのかかわりを理解させることになる。
お わ り に
論文応募にあたって最初は「算数教育における具体と抽象の問題」というテーマとすべく考えていた が本稿のようなものとなってしまった。ただし本稿においても少なからず上のテーマにはふれたっもり で、むしろその一断面といってもよいであろう。具体から抽象へといっても具体そのものの中に数学的 不質がひそんでおり、それらへの追求がやがて抽象へ結びつくことを明らかにしたつもりである。