漢 訳
﹃ 方 便 心 論 ﹄ の 金 剛 寺 本 と 興 聖 寺 本 を め ぐ っ て
日本 古写 経研 究所 研究 紀要
創刊 号︵ 平成 年︶ 28 Journal of the Research Institute for
Old Japanese Manuscripts of Buddhist Scriptures Vol. I 2016
室
屋
安
孝
漢 訳
﹃ 方 便 心 論 ﹄ の 金 剛 寺 本 と 興 聖 寺 本 を め ぐ っ て
室 屋 安 孝
『
序 方便 心論﹄と はイ ンド の討 論術 の伝 統を まと まっ た形 で伝 えて いる 小品 で︑ 医学 書﹃ チャ ラカ
・サ ンヒ ター
﹄︵
C a r a k a s a . m h i t ā
︶第三 巻第 八章 の著 名 な﹁ 論議 道﹂︵
v ā d a m ā r g a
︶ の記 述と あわ せ︑ 初期 のイ ンド 論理 学の 形成 過程 を理 解す る上 で重 要な 資料 とさ れて きた()︒
『
方 便心 論﹄ の原 典は サン スク リッ ト語 であ った と推 定さ れて いる が︑ 散 逸し てお り︑ 漢訳︵大 正蔵 一六 三二 番︶ でし か現 存し てい ない
︒イ ンド 側の 文 献で
﹃方 便心 論﹄ が言 及さ れて いる 例は これ まで 報告 され てお らず
︑梵 文断 片も 確認 され てい ない
︒漢 訳本 は四 つの 章︵ 品︶ に分 かれ
︑大 正蔵 本で は
﹁明 造論 品第 一﹂
︑﹁ 明負 処品 第二
﹂︑
﹁弁 正論 品第 三﹂
︑﹁ 相応 品第 四﹂ と題 さ れて いる
︒大 正蔵 の本 文は 標点 符号 を除 きお よそ 七四 六四 文字 で︑ およ そ六 頁の 分量 とな って いる
︒ 漢訳 本の 原典 研究 は一 九二 五年 の宇 井伯 寿氏
︵一 八八 二~ 一九 六三 に︶ よる 本文 校訂 と書 き下 しが 嚆矢 であ って
︵以 下︑ 宇井
1 9 8 2
()︑︶ 関連 する 論理 学系 の
資料 との 比較 研究 を通 して 詳細 な解 説が おこ なわ れて いる
︒ジ ュゼ ッペ
・ト ゥッ チ氏
︵
G i u s e p p e
T u c c i ,
一八 九四~一 九八 四︶ は︑ 宇井 氏の 研究 を参 照し な がら イン ドの パン ディ ット の助 言の もと 一九 二九 年に 漢訳 本か らの 還元 梵文 を発 表し てい る︵ 以下
︑
T u c c i 1 9 8 1
()︶︒ 漢訳 や日 本語 を使 わな い研 究者 にと っ ては トゥ ッチ 本が 底本 とな って いる
︒ま た近 年で は二
〇〇 六年 に石 飛道 子氏 が本 文全 体を 再校 訂し
︑邦 訳に 新た な参 考資 料を もと にし た解 題を 付し てい る︵ 以下
︑石 飛
2 0 0 6
(#)︶︒ 石飛 本で は﹃ 中華 大蔵 経﹄ など の刊 本は 参照 され てお らず
︑本 文批 判と いう 課題 は残 った まま とな った
︒本 稿は
︑存 在し たで あろ うイ ンド 語原 典を 想定 する 作業 の土 台と なる べき 漢訳 本が どの よう に成 立し
︑ どの よう に伝 承さ れて きた のか とい う関 心か ら︑ 現存 する 日本 古写 経の うち
︑ 金剛 寺本 に伝 承さ れた 本文 の分 析を 目的 とし
︑あ わせ て興 聖寺 本の 本文 の考 察も 行い たい
︒
『
方 便心 論﹄ の漢 訳本 の本 文批 判と いっ ても︑大 正蔵 の汎 用性 の高 さは 言 うに 及ば ず︑ それ 以外 の対 校資 料が 限ら れて いた ため か︑ 宇井 氏に よっ て校 訂さ れて 以来 本質 的な 進展 をみ なか った
︒﹃ 方便 心論
﹄に は漢 訳以 外に 和漢 撰述 の注 釈書 もな く︑ 敦煌 資料
︑房 山石 経な どで の現 存も 知ら れて いな い︒
また
﹃高 麗大 蔵経 初刻 本輯 刊﹄
︵西 南師 範大 学出 版社
︑二
〇一 二︶ によ って も
﹃方 便心 論﹄ の高 麗版 初雕 本︵ 一〇 一一
~一
〇二 九︶ の現 存は 報告 され てい な い($)
︒本 文批 判を 本質 的に 向上 させ る基 礎資 料に 欠け てい ると いう 印象 を与 え てい たと もい える
︒現 在ま での 本文 批判 はた とえ ば宇 井氏 が述 べて いる よう に︑
﹁本 文は 縮刷 蔵経 の上 欄に 於け る宋 元明 麗四 本対 校と 鉄眼 版と によ つて 意味 の通 ずる 文字 を採 用し た﹂
︵宇 井
1 9 8 2
: 4 7 6
︶と する 折衷 主義
︵
e c l e c t i - c i s m
︑︶ 近年 の石 飛氏
︵
2 0 0 6 : 3 8
の︶ よう に︑ 校訂 には 大正 蔵の 本文 を底 本と する と宣 言し︑注 で大 正蔵 にあ げら れた 異文 をと りあ げ吟 味す る︵﹁ 異読 があ ると きは
︑原 則的 に底 本に 従う
︒底 本に 従わ ない 読み を採 ると きの み根 拠を 示す
﹂︶ とす る底 本複 写主 義︵
c o p y t e x t
を︶ とる のが 一般 的で あっ た︒ 石飛 氏は︑大 正蔵 に大 きな 影響 を及 ぼし
︑底 本と して 採用 され てい ると もい われ る大 日本 校訂 大蔵 経︑ いわ ゆる 縮刷 蔵経 と高 麗大 蔵経 も参 照し たと 述べ てい るが
︑現 在入 手が 比較 的容 易と なっ てお り︑ 本文 批評 で重 要な 位置 を占 める 金蔵 広勝 寺本
︵山 西省 趙城 県︶ や︑
﹁平 江府 磧砂 延聖 院版 大蔵 経﹂ は参 照し てい ない
︒ 石飛 氏の 実際 の校 訂を みる と︑ 大正 蔵の 本文 で意 味が とお ると して 大正 蔵に した がい
︑宇 井氏 や梶 山氏 など に支 持さ れた 異文 を退 けて いる
︒大 正蔵 の本 文を 却下 し異 文を 採用 して いる ケー スは 筆者 が気 づい た限 り二 例に とど まる
︵四 三頁 注一 にお いて 宇井 氏の 校訂 に従 い﹁ 明本
﹂を 採用 して いる
︒他 方は 以下
︑第 七節 を参 照︶
︒大 正蔵 の誤 植や 高麗 蔵再 雕本 の本 文の 対校 漏れ
︵そ れぞ れ一 例︑
T 3 2 / 2 6 c 2 6 - 2 7
の校 勘注 とT 3 2 / 2 8 a 2 8
︶ は︑ 大正 蔵の まま で注 記し てい ない︵石 飛
2 0 0 6
: 1 5 2 , n . 2 , 1 5 7
︒︶ この よう な中
︑近 年﹃ 方便 心論
﹄を めぐ る本 文批 判に 大き な展 開が あっ た︒ 国際 仏教 学大 学院 大学 では 二〇 一〇 年四 月よ り天 野山 金剛 寺所 蔵の
﹃方 便心
論﹄ 写本 を閲 覧で きる サー ビス が開 始さ れ︑ また PD Fデ ータ から のプ リン トア ウト によ る複 写も 入手 可能 とな って いる
︒さ らに 国際 仏教 学大 学院 大学 学長
・教 授の 落合 俊典 先生 のご 厚情 によ り︑ 円通 山興 聖寺 所蔵 の古 写経 を閲 覧す る機 会が えら れた
︒筆 者の 知る 限り
︑金 剛寺 本・ 興聖 寺本 をは じめ とす る日 本古 写経 は﹃ 方便 心論
﹄の 研究 では これ まで 利用 され てい ない
︒ま た大 正蔵 の提 示す る﹃ 方便 心論
﹄の 本文 と︑ すで に利 用可 能と なっ て久 しい 趙城 金蔵 版や 磧砂 版と がど のよ うな 関係 にあ るの か︑ とい う系 統学 的な 議論 もな され てい ない
︒以 下の 考察 は︑ 日本 古写 経の うち 金剛 寺本 と興 聖寺 本の ほか
︑ 大正 蔵本
︑そ の底 本と なっ た高 麗再 雕本
︑金 蔵版
︑磧 砂版 の対 校に 基づ いて いる
︒本 稿で は金 剛寺 本と 諸本 との 関係 に焦 点を あて なが ら︑ 漢訳 本の 本文 伝承 を評 価す るた めに いく つか の事 例を 提示 し︑ 系統 学的 アプ ロー チか ら考 察す るこ とを 試み てい く︒ 一
系統 学的 アプ ロー チ 系統
学的 アプ ロー チが 本文 校訂 に比 較的 大き な効 果を 及ぼ すの は︑ 対校 本 全体 が一 つの 祖本 に遡 りう るこ とを 前提 とし
︑祖 本︵
a r c h e t y p e
︶ の直 下に あ る対 校本 グル ープ﹁低 位祖 本﹂︵
h y p a r c h e t y p e
に対 する 仮の 訳語 が︶ 複数 ある 場合︑そ れら から みて 祖本 がど のよ うな 位置 に置 かれ てい るの かを 推定 でき る場 合で ある
︒一 般に 大正 蔵で は経 典に よっ て資 料状 況が まっ たく 異な り︑ 房山 石経 や敦 煌文 書︑ 奈良 写経 を利 用で きて も祖 本の 位置 が明 確で なか った り︑ 祖本 が複 数想 定さ れた りし て系 統学 的ア プロ ーチ を適 用で きな い場 合も ある だろ うが
︑﹃ 方便 心論
﹄の 本文 は伝 承の 揺れ 具合 の振 幅度 が低 く︑ 祖本
の位 置も 不明 瞭で はな く︑ 系統 学的 アプ ロー チが 一定 の効 果を 発揮 する と考 えら れる
︒す なわ ち漢 訳本 の本 文は
︑︵ 一︶ 日本 古写 経に 伝承 され てい る写 本系
︑︵ 二︶ 大正 蔵に 収載 され てい る高 麗再 雕本 をは じめ とす る刊 本系 の大 きく 二種 類の 系統 に分 岐す るこ とが 確認 でき る(2)
︒刊 本系 はさ らに
︑︵ 二A
︶ 高麗 再雕 本と 金蔵 版か ら再 建さ れる 北宋 勅版 の開 宝蔵 の本 文︑
︵二 B︶ 磧砂 蔵︑ 大正 蔵の 校勘 から 知ら れる 宋・ 元・ 明本
︑宮 内庁 本か ら再 建さ れる 江南 系︵ ある いは 宋本 系︶ 諸蔵 の系 統と いう 二つ に分 岐で きる
︒そ の場 合︑ 祖本 の位 置は 写本 系と 刊本 系の 間の いず れか の場 所に あた るだ ろう が︑ その 判断 には 検証 が必 要と なる
︒ 刊本 系諸 本に 属さ ない 日本 古写 経の よう な写 本を 用い る際 の最 大の 利点 は︑ いわ ゆる
﹁外 群比 較法
﹂が 可能 にな ると いう こと であ る︒
﹁外 群比 較法
﹂
︵
o u t g r o u p c o m p a r i s o n
︶ とは 進化 生物 学な どに おけ る系 統解 析で 一般 的に 用い られ てい る方 法で︑進 化の 方向 性︵ 極性
p o l a r i t y
を︶ 推定 する ため に︵ 決定 で はな い︶ 用い られ る︒ それ によ れば︑あ る分 類単 位︵ 分類 群
t a x o
︶
n
Xが︑系 統的 に単 一と みな しう るそ れ以 外の 内群
︵
i n g r o u p
と︶ なる 生物 群に 属さ ない とい う条 件下 で︑ 内群 の中 のあ る形 質︵c h a r a c t e
︶
r
Aに おけ る形 質状 態︵
c h a r a c t e r s t a t e
︶ aが 分類 単位 Xに もみ られ る場 合︑ その 形質 状態 aを 原始 形質p r i m i t i v e (
祖 先形 質的p l e s i o m o r p h i c )
と想 定し︑共 有さ れて いな い形 質状 態b など を派 生形 質
d e r i v a t i v e (
子 孫形 質的a p o m o r p h i c )
と 推定 する こと がで きる(5)︒写 本系 統学
︵
s t e m m a t i c s , s t e m m a t o l o g y
の︶ 場合 は︑ 生物 体系 学で いう﹁分 類単 位﹂︵
t a x o n
︶ が個 々の 写本・刊 本に 相当 し︑
﹁形 質﹂ とは 本文 のあ る 特定 の箇 所︑
﹁形 質状 態﹂ とは その 箇所 にお ける 個々 の異 文に 相当 する
︒﹃ 方 便心 論﹄ の場 合で いえ ば︑ 金剛 寺本 とあ る特 定の 刊本
︵群 の︶ 本文 が一 致す
れば
︑そ のよ うな 共通 本文 は祖 本に
︵相 対的 に︶ 近い 可能 性が 高い とい うこ とが この 外群 比較 法に よっ てえ られ る推 定と いう こと にな る︒ 写本 系資 料が なく 外群 比較 ので きな い状 況下 では
︑高 麗蔵 と金 蔵版 の一 致 によ って 開宝 蔵系 の本 文を 推定 でき
︑開 元寺 版︵ いわ ゆる 宮本 ある いは 旧宋 本︶ と思 渓蔵 版系
︵宋
・元
・明 の三 本︶ が一 致す る場 合に
︵大 正蔵 の校 注で は三 三例 にの ぼる
︶︑ 外的 典拠
︵
e x t e r n a l e v i d e n c e
︶と なる 引用 など の証 拠資 料︵
t e s - t i m o n i u m / t e s t i m o n i a
︶ が存 在し ない かぎ り︑ 批評 家は いず れの 系統 を選 択す るか とい うジ レン マの 状況 で二 者択 一を 迫ら れる︒そ こで
︑日 本古 写経 のう ち写 本系 本文 を維 持し てい ると 判断 され るも の︵﹃
方便 心論
﹄で は金 剛寺 本︶ があ って
︑そ れを 外群 とみ なし うる 場合 には
︑そ の本 文と 一致 する 刊本
︵群
︶の 本文 の方 が祖 本に 近い 可能 性が 高い と推 定す るの が外 群比 較法 にも とづ く判 断と いう こと にな る︒ ただ し︑ ここ でい う祖 本と は写 本伝 承の ある 段階 での 資料 の状 態を さし
︑現 存資 料か ら遡 るこ との でき る状 態に 限定 され てい る︒
﹃方 便心 論﹄ の漢 訳原 本は 散逸 して いる ので
︑現 存資 料か ら再 建さ れる 本文 は原 本そ のも ので はな く︑ 原本 に近 いが 同様 に散 逸し た仮 説上 の伝 本の 状態 にと どま る︒ 翻訳 が完 成し た段 階の オリ ジナ ルの 正本 の状 態を 再建 する には さら に文 献学 的な 検証 が必 要と なる こと は言 うま でも ない
︒ 日本 古写 経以 外に 磧砂 版を 使用 する 利点 は︑ 低位 祖本 の推 定に 有力 な根 拠 を与 える こと にあ る︒
﹃方 便心 論﹄ の場 合︑ 大正 蔵に 記録 され てい る校 異は 全部 で五
〇例 ある が︑ 福州 開元 寺版 であ る﹁ 宮本
﹂と 思渓 蔵系 であ る﹁ 宋・ 元・ 明三 本﹂ の両 方に 共通 の異 文が ある とき に︑ それ は江 南諸 蔵系 本文 とみ なし うる
︒こ れら 四本 の刊 本の 原典 を直 接精 査で きな い読 者は
︑磧 砂版 を用 いる こと によ って その よう な判 断に 傍証 をあ たえ るこ とが でき る︒ また
﹁元
本﹂ であ る普 寧蔵 や﹁ 明本
﹂で ある 嘉興 蔵に 固有 の逸 脱が ある 場合 に︑ 宮本 と宋 本︑ 磧砂 蔵本 が一 致す れば
︑元 ある いは 明の 本文 は二 次的 に発 生し たも のだ とみ なし うる
︒あ るい は趙 城金 蔵の 校勘 記に 記さ れた 対校 情報 は思 渓資 福蔵
︵宋 本︶ から 清本 に至 る諸 本の 異文 を記 録し てい るの で︑ 利用 価値 がき わめ て高 い︒ ただ し︑ 大正 蔵の 宮本 にあ たる 開元 寺版 は対 校さ れて いな い︒
﹃方 便心 論﹄ の場 合は
︑金 蔵校 勘記 に記 録さ れる 磧砂 版の 異文 は筆 者に よる 磧砂 版の 対校 と多 く一 致し た︒ 金蔵 版を 使用 する 利点 は麗 本の 再評 価に ある
︒大 正蔵 の本 文で ある 高麗 再 雕本 の本 文が 江南 諸蔵 系本 文と 異な るか ある いは 一致 して いる 場合 に︑ それ が開 宝蔵 系の 本文 とし て異 なっ てい るの か︑ ある いは 一致 して いる のか
︑大 正蔵 だけ から では 判断 でき ない
︒と いう のも
︑高 麗再 雕本 には 開宝 蔵系 の本 文で はな く︑ 江南 諸蔵 系本 文が 取り 入れ られ てい る事 例︵ 一六 例︶ が見 受け られ るか らで ある
︵以 下︑ 第四 節︵ 一︶
﹁混 態が 疑わ れる 例﹂
︒︶ そこ で金 蔵本 3b と対 校す るこ とに よっ て︑ 高麗 再雕 本と 金蔵 本が 一致 する 場合 には その 共通 本文 が両 者の 共通 祖先 であ る開 宝蔵 の本 文で ある と確 認す るこ とが でき る︒ また
﹃方 便心 論﹄ の場 合は 日本 古写 経の 一つ 興聖 寺本 が開 宝蔵 系本 文を 示し てい るの で︵ 第四 節︵ 一︶
︑︶ 高麗 再雕 本と 金蔵 本が 一致 しな い場 合で あっ 1a ても
︵同
︑
・
︑︶ 興聖 寺本 と一 致す る方 を開 宝蔵 系本 文と 判断 する こと が 1b 1d 可能 とな る︒ 仮に 開宝 蔵系 に属 する 第三 の資 料が 利用 でき なか った とし ても
︑金 蔵本 が 高麗 再雕 本と 一致 しな い場 合に
︑い ずれ かが 金剛 寺本 と一 致す る場 合︑ 高麗 再雕 本の みの 逸脱 であ って
︑そ れは 開宝 蔵の 本文 には なく
︑高 麗再 雕本 の段 階か 初雕 本の 段階 で生 じた 高麗 蔵に 由来 する 独自 異文
︑あ るい は金 蔵の 独自
異文 と推 定で きる
︒ま た金 剛寺 本と 金蔵 本が 一致 し︑ 高麗 再雕 本が 江南 諸蔵 系本 文と 一致 する 場合 には
︑高 麗再 雕本 に混 態の 可能 性が ある と推 定す るこ とも でき る︒ 以上 のよ うに
︑日 本古 写経
︑金 蔵版
︑磧 砂版 を用 いる こと によ って
︑上 に 述べ た本 文伝 承の 分析 過程 で頻 繁に みら れる
﹁二 者択 一﹂ のジ レン マが ある 場合 に︑ 系統 学的 な観 点か ら一 定レ ベル の客 観的 指針 をた て︑ いず れか 一方 の系 統を 古形 とみ なし たり
︑低 位祖 本を 再建 した りす る判 断に ある 程度 の蓋 然性 をも たせ るこ とが でき るよ うに なる
︒ 二
金剛 寺本 大阪
府河 内長 野市 にあ る真 言宗 御室 派の 天野 山金 剛寺 の所 蔵す る古 写本 一 切経 には
︑大 正蔵 によ って 知ら れる 刊本 系本 文と は異 なる 系統 に属 し︑ 奈良 写経 のい わゆ る写 本系 本文 を伝 承す るも のの ある こと が多 くの 事例 で確 認さ れて いる
︒金 剛寺 一切 経は 他の 日本 古写 経と 同様
﹃貞 元録
﹄に もと づい た構 成を もち
︑同 経録 に認 定さ れる 五三 五一 巻一 二〇 六部 のう ちい まな お四 千数 百巻 の経 巻を 伝え る重 要な コレ クシ
ョ
ン であ る(8)︒書 写年 代の 最も 古い もの は 承暦 三年
︵一
〇七 九︶ の﹃ 大般 若波 羅蜜 多経
﹄巻 四百 で︑ 最盛 期は 嘉禎 年間
︵一 二三 五~ 一二 三七
︶を 中心 とす る鎌 倉時 代で ある との こと であ る(9)
︒ 金剛 寺本
﹃方 便心 論﹄ の場 合は
︑そ の本 文は 刊本 系に 比べ て異 なっ た伝 承 とは 言え ない まで も︑ 刊刻 大蔵 経の 個々 の系 統を 特徴 づけ る一 定の 逸脱 パタ ーン
︵結 合的 異文 を︶ 示し てい ない
︒第 六節 で考 察す るよ うに
︑と りわ け巻 首の 内題 に続 いて 訳年
・撰 者・ 訳者 名を 挙げ る箇 所で は︑ 筆者 が現 在確 認し
えた かぎ り︑ 金剛 寺本 は﹃ 出三 蔵記 集﹄ など の経 録に よっ て支 持さ れう る訳 経年 代を 伝え る唯 一の 資料 であ り︑ それ に続 く訳 者等 の記 述は 刊本 や経 録に はみ られ ない 情報 を示 して いる
︒ 左記 の金 剛寺 本の 書誌 情報 は︑ 落合 俊典 氏に よっ て編 纂さ れた
﹃金 剛寺 一 切経 の総 合的 研究 と金 剛寺 聖教 の基 礎的 研究
研究 成果 報告 書︽ 第二 分冊
︾﹄
︵平 成一 五~ 一八 年度 科学 研究 費補 助金 基盤 研究 報告 書︑ 二〇
〇七 年︑ 二三 八頁
︶に よる
︒七 寺蔵
﹃貞 元新 定釋 教目 録﹄ 巻第 二九
・入 蔵録 上で は七 四六 番に あた る()
︒10
[
撰 者・ 訳者 名﹈ 後魏 延興 年吉 迦夜 共曇 曜等 於洛 陽譯()11[
外 題﹈ 方便 心論 經一 卷[
内 題﹈ 方便 心論明造 論品 第一
﹇尾 題﹈ 方便 心論 經一 卷
[
形 態・ 装訂﹈写 本︵ 巻子 本︶
﹇表 紙﹈ あり
[
紐﹈一 部あ り﹇ 軸﹈ なし
[
紙 質﹈ 紙本 墨書﹇時 代﹈ 鎌倉 中期
[
紙 数﹈ 一六﹇行 数﹈ 二九
[
字 数﹈ 概し て一 七︵ 一六︑一 八文 字の 場合 もあ る()
︶12
[
紙 高﹈ 二五・七
㎝﹇ 紙幅
﹈五 一・ 八㎝
[
界 高﹈ 一九・八
㎝﹇ 界幅
﹈一
・八
㎝
[
天 界﹈ 三・ 七㎝﹇地 界﹈ 三・ 二㎝
[
訓 点﹈ なし﹇印 記﹈ なし
[
奥 書﹈ 一校 了 表紙 には﹁経
/丗 八/
﹂と いう 整理 番号 のシ ール がふ され てい る︒ 本文 66 は一 六紙 から なり
︑四 四五 行に わた って 書写 され てい る︒ 本文 部分 は同 筆で
︑
校正 を担 当し た写 経生 は別 筆と みら れ︑ 修正
︑加 筆な どが 多く 記入 され てい る︒ 全体 にわ たっ て蟲 損︑ 破損
︑シ ミな どが 多く
︑文 字の 一部 ある いは 全体 が喪 失し てい る場 合も 僅か なが らあ る︒ 筆者 は︑ 落合 俊典 先生 と日 本古 写経 研究 所の ご厚 情に より 二〇 一三 年五 月一 九日 に金 剛寺 本を 実見 する 貴重 な機 会を 得た が︑ 校合 は主 に︑ 国際 仏教 学大 学院 大学 の図 書館 で提 供さ れた カラ ー印 刷に もと づい てい る︒ 三
興聖 寺本 京都
市上 京区 の臨 済宗 興聖 寺派 の本 山円 通山 興聖 寺に も﹃ 方便 心論
﹄写 本 が所 蔵さ れて いる
︒同 写本 につ いて の詳 細な 報告 は別 稿を 期さ なけ れば なら ない が︑ 永万 二年
︵一 一六 六︶ の識 語か ら平 安末 の院 政期 に書 写さ れた こと が知 られ
︑本 来は
︑丹 波国 桑田 郡小 川郷
︵現 在の 亀岡 市︶ にあ った とい う西 楽寺 で勧 進書 写さ れた 一切 経に 属し てい たと 推定 され る()
︒同 写本 は一 巻の 折
13
本で
︑表 紙の 題僉 には 本文 とは 別筆 で﹁ 方便 心論 一巻
﹂と 記さ れて おり
︑
﹁興 聖寺 一切 経/
/馨
/
8
﹂と いう 整理 番号 のラ ベル がふ され てい る︒ 内
568
題は﹁方 便心 論﹂
︑尾 題は
﹁方 便心 論一 卷﹂ であ り︑ 紙本 墨書
︑本 文は 一八 紙︑ 一紙 あた り二 九行
︵二 七︑ 二八 行も ある
︑︶ 一行 あた り一 七字
︵一 三字 ある いは 二一 字の 場合 もあ る︶
︑一 筆で ある
︒奥 書に は﹁ 永万 二年
︿才 次丙 戊﹀ 八 月十 三日 求法 沙門 珎盛 書 財田 成澤 分﹂ とあ る︒ 興聖 寺本 の書 写年 代は 金剛 寺本 より 古い もの の︑ その 本文 は金 剛寺 本と 同 類の 写本 系に 属し てい ない
︒む しろ 開宝 蔵系 の刊 本の 特徴 を示 して おり
︑楊 婷婷 氏の 分類 する
﹁刊 記も 千字 文も 無い 経巻
﹂に 属し てい るこ とに なる()
︒藍
14
本の 特定 はで きな いが
︑高 麗蔵 再雕 本や 趙城 金蔵 本の いず れの 誤り も継 承し てい ない こと から
︑開 宝蔵 か高 麗初 雕本 から の転 写本 であ ると 推定 され る︒ 四
対校 資料 と略 号 金剛
寺本
︵略 号は
﹁剛
﹂︶ と興 聖寺 本︵
﹁興
﹂︶ 以外 に本 稿で 使用 する 一次 資 料と その 略号 は以 下と なっ てい る︒
「
大﹂=
﹃大 正新 脩大 蔵経
﹄︵ 大正 一切 経刊 行会
︑︶ 第一 六三 二番
︑第 三二 巻︵ 二三 中袞 二八 下︑ 一九 二五 年一 一月 一五 日発 行︶ 所収 の本 文︒
「
宮﹂=
﹁大
﹂校 異注 より 転載
︒底 本は 宮内 庁書 陵部 所蔵 の福 州開 元寺 版︒
「
宋﹂=
﹁大
﹂校 異注 より 転載
︒底 本は 芝増 上寺 所蔵 の思 渓資 福蔵 本︒
「
元﹂=
﹁大
﹂校 異注 より 転載
︒底 本は 芝増 上寺 所蔵 の普 寧蔵 本︒
「
明﹂=
﹁大
﹂校 異注 より 転載
︒底 本は 芝増 上寺 所蔵 の嘉 興蔵 本︒
「
麗﹂= 高麗 蔵再 雕本
︑﹁ 盡﹂ 函︒
﹃高 麗大 蔵経
﹄︵ 東国 大学 訳経 院︑ 一九 七 五年 第︶ 六二 七番
︑第 一七 巻︵ 七四 五上 袞七 五三 上︑ 全二 五張
︑﹁ 癸 卯
歲
高麗 國大 藏都 監奉 勅彫 造﹂ の刊 記あ り︶ 所収 の本 文︒「
金﹂= 趙城 金蔵 広勝 寺本
︑盡 字号
︒﹃ 中華 大蔵 経︵ 漢文 部分
﹄︶︵ 中華 書局 出版
︑一 九八 七年 第︶ 六七 六番
︑第 三〇 巻︵ 九六 六中 袞九 七四 中︑ 全二 五張
︶所 収の 本文
︒校 勘記 は九 七四 下袞 九七 六下 で︑
﹁資
︵= 宋本
︑思 渓版
﹂︶
﹁普
︵= 元本
︑普 寧寺 版︶
﹂﹁ 徑︵
=径 山蔵
︑明 本︑ 万暦 版︶
﹂﹁ 磧︵
=磧 砂版
﹂︶
﹁南
︵= 洪武 南蔵
﹂︶
﹁清
︵= 乾隆 版︶
﹂の 情報 を含 む︒
「
磧﹂= 宋磧 砂蔵 本︑
﹁命 七﹂
︒﹃ 影印 宋磧 砂蔵 経﹄︵
影印 宋版 蔵経 会︑ 一九
三四
~一 九三 六︶
︑第 二五 六冊
︵四 二右 袞四 九右
︑音 釈四 九右 袞同 左︶ に基 づく
︒
(
一︶対 校結 果 筆者
は︑ 現在 まで のと ころ 高麗 蔵再 雕本
︑金 蔵本
︵校 勘記 を含 む︶
︑磧 砂蔵 本︑ 金剛 寺本 との 対校 を終 えて いる
︒大 正蔵 の校 勘記 は五 一の 見出 し︵
l e m - m a / l e m m a t a
を︶ もっ てい るが︑そ れ以 外に
︑金 剛寺 写本 から の異 文は およ そ一
〇〇 例︑ 金蔵 本か ら七 二例
︑磧 砂版 から は六 四例 を記 録し てい る︵ これ は最 終的 な数 字で はな い︶
︒校 異は 異体 字の 情報 を含 んで おり
︑そ の一 部に は 将来 的に 削除
・無 視し てか まわ ない もの もあ る︒ 興聖 寺本 の対 校の 詳細 な分 析と 報告 は別 の機 会を 俟た なけ れば なら ない
︒異 文の 分類 には 大正 蔵の 本文 を正 文と 仮定 して
︑そ れか ら逸 脱す るも のを 異文 とみ なし 暫定 的な 判断 を提 示し てい る︒ 補遺 にあ げた 異文 の一 覧表 は︑ 本稿 執筆 時点 での 校異 から 一〇 二の 見出 しを 選び 出し
︑各 本の 異文 をま とめ たも ので ある
︒見 出し の選 択に は資 料間 の系 統関 係を 把握 する のに 適切 だと みな しう るも のを 重視 し︑ 指示 的異 文︵
i n d i c a t i v e v a r i a n t s
と︶ 判断 しう るも のか ら︑ 結合 的異 文︵c o n j u n c t i v e v a r i a n t s
ある いは 共通 異文 と︶ 分離 的異 文︵s e p a r a t i v e v a r i a n t s
ある いは 独自 異文︶ をあ げて いる()
︒金 剛寺 本に みら れる 明ら かに 偶発 的過 誤︵
a c c i d e n t a l e r r o r s
︶
15
とみ なし うる 誤写 も多 くは 除外 して いる
︒興 聖寺 本の 偶発 的過 誤も 原則 とし て報 告し てい ない
︒な お︑ 異文 の分 類は 筆者 の現 時点 での 知見 にも とづ く異 文の 分散 状態 から みた 予想 であ り推 測に すぎ ず︑ これ 以外 の分 類の 可能 性を 排除 する もの では ない
︒最 終的 な判 断は 広範 な資 料分 析や 本文 批評 家の 手に
ゆだ ねら れて おり
︑そ こに 判断 の多 様性 が期 待さ れる のは 当然 であ るこ とを 付言 して おき たい
︒系 統学 的な 分析 は決 して 排除 的︑ 普遍 的な 適用 を標 榜す る方 法論 では なく
︑本 文批 評家 の描 く一 つの シナ リオ をあ くま でも 可能 性と して 提供 する アプ ロー チに 過ぎ ない
︒諸 本の 関係 を図 示す る系 統樹 もそ のよ うな 一つ のシ ナリ オを 視覚 化し たも のと みな しう る︒ 前述 のよ うに
︑﹃ 方便 心論
﹄は 系統 樹の 構成 や︑ それ の背 景と なる 系統 学的 アプ ロー チが 可能 なテ クス トだ と筆 者は 考え てい る︒ 以上 の前 提に よっ て︑ 大正 蔵の 本文 を基 点と した 異同 の分 析結 果を 要約 する と次 のリ スト のよ うに なる
︵数 字は 大正 蔵第 三二 巻の 頁数
︒︶
結合 的異 文 a 興聖 寺本︑麗 本︑ 金蔵 本
: 2 4 b 7 , 2 4 b 1 4 , 2 4 b 2 2 (
剛) , 2 5 b 4 , 2 6 a 2 5 , 2 6 a 2 ( 5 a ) , 2 6 c 3
(
剛)
b 興聖 寺︑ 金蔵 本︵ 麗本 を除 く︶: 2 3 b 1 9 , 2 3 c 2 (
剛) , 2 3 c 3 (
剛) , 2 4 a 2 4 (
剛) , 2 4 c 2 0 , 2 5 a 9 ( a ) (
剛) , 2 5 b 7 (
剛) , 2 5 b 1 8 (
剛 と宮) , 2 5 b 2 6 , 2 6 c 1 2 , 2 6 c 2 2 (
剛) , 2 6 c 2 3 , 2 7 b 1 8 , 2 7 b 1 8 ( a ) , 2 7 b 1 9 , 2 7 c 7 , 2 7 c 2 8
(
剛())
16 c 麗本︑金 蔵本
︵興 を除 く︶
: 2 4 a 1 4
d 興聖 寺本︑麗 本︵ 金を 除く
:
︶2 6 a 2 - 0 2 1 , 2 8 c 9
- 1 0 (
修 正後 の興)
e 磧砂 蔵本︑宮 本︑ 宋・ 元・ 明の 三本
: 2 3 b 4 , 2 3 b 5 , 2 3 c 4
(), 2 3 c 1 8
(),
17
18
2 3 c 2 1 - 2 2
(), 2 4 a 2 3 , 2 4 a 2 4 , 2 4 b 2 8 , 2 6 a 1 6 , 2 6 b 1 6 , 2 6 b 2 0 , 2 6 c 1 3 , 2 7 a 1 9
19
(
剛) , 2 7 a 2 8 (
修正 後の 剛) , 2 7 b 2 5 , 2 7 c 5 , 2 7 c 7 , 2 7 c 1 5 - 1 6 , 2 7 c 2 6 , 2 7 c 2 9 , 2 8 a 8 , 2 8 a 2 7 , 2 8 b 1 8 (
剛, ) 2 8 b 2 4 - 2 5 , 2 8 c 9 - 1 0 (
剛 と金, ) 2 8 c 1 7
f 磧砂 蔵本︑宮 本︑ 宋・ 元の 二本
︵明 を除 く︶
: 2 3 b 5
( a ) , 2 6 a 2 9 , 2 7 a 5 , 2 7 c 8
g 磧砂 蔵本
︑宋
・元
・明 の三 本︵ 宮本 を除 く︶
: 2 5 b 1 3 (
興) , 2 7 a 1 9 - 2 0 , 2 8 b 1 2 (
金)
h 磧砂 蔵本︑元
・明 の二 本︵ 宮本
︑宋 本を 除く
:
︶2 3 b 1 2
i 金剛 寺本︑宮 本
: 2 5 a 2 3 (
興の 注) , 2 5 b 6 (
興) , 2 6 b - 5 6 (
磧)
分離 的異 文 a 金剛 寺本: 2 4 a 1 3 , 2 4 a 1 5 , 2 4 a 1 6
(), 2 4 a 2 6
(), 2 4 c 1 (
興) , 2 4 c 1 2 , 2 4 c 1 3 ,
20
21
2 5 a 4 , 2 5 a 1 1 - 1 2 (
興) , 2 5 b 2 0 , 2 6 a 5 , 2 6 c 2 9 , 2 7 a 2 8 , 2 7 b 1 8 ( a ) , 2 8 a 2 8 - 2 9 , 2 8 b 1 , 2 8 b 6 , 2 8 c 1 7
b 興聖 寺本: 2 3 c 1 1 , 2 5 b 1 3
(
磧︑三 本
) , 2 8 c - 9 1 0
c 麗本: 2 3 c 1 5 , 2 8 a 2 8
- 2 9 , 2 8 c 9 - 1 0
d 金蔵 本: 2 3 c 1 1 , 2 5 a 2 9 , 2 5 b 2 8 , 2 6 a 2 , 2 6 a 1 5 , 2 6 b 9 , 2 8 a 2 4 , 2 8 b 6 , 2 8 c 1 - 4 1 5
e 磧砂 蔵本: 2 5 a 2 9 , 2 8 a 8 - 9 , 2 8 a 2 9 , 2 8 c 1 2
f 宮本: 2 3 b 2 3 , 2 3 b 2 4 , 2 5 c 1 0 , 2 8 b 1 0
g 明本: 2 3 b 1 3 , 2 3 b 2 0 , 2 5 a 1 6 , 2 5 a 2 0
混態 が疑 われ る例 a 興聖 寺本: 2 4 a 1 4
(
剛) , 2 4 c 1 (
剛) , 2 5 a 1 - 1 1 2 (
剛) , 2 5 c 2 3 (
剛と 宮) , 2 5 b 6 (
剛 と宮, ) 2 7 b 1 9 (
﹁ 皆﹂, ) 2 7 c 2 7 - 2 8 (
剛)
b 麗本: 2 3 b 1 9 , 2 3 c 2 , 2 4 a 2 4 , 2 4 c 2 0 , 2 5 a 9 ( a ) , 2 5 b 7 , 2 5 b 1 8 (
三 本と 磧) , 2 5 b 2 6 , 2 6 c 1 2 , 2 6 c 2 2 , 2 6 c 2 3 , 2 7 b 1 8 , 2 7 b 1 ( 8 a ) , 2 7 b 1 9 , 2 7 c 7
(
剛) , 2 7 c 2 8
c 金蔵: 2 6 a 2 0 - 2 1 , 2 8 b 1 2
(
磧︑宮
・三 本
) , 2 8 c - 9 1 0
d 明本: 2
3 b
5 (
a )
, 2
6 a
2 9
, 2
7 a
5 ,
2 7
c 8
#
大正 蔵の 校勘 にな い異 文︑ 異体 字︑ ある いは 誤記: 2 3 c 3 (
麗︑ 磧︑ 宮) , 2 4 c 2 8 (
磧 と宮) , 2 5 b 4 (
興︑麗
︑金 の㝡 と最
) , 2 6 a 5 (
磧 と宮) , 2 6 b 5 - 6 (
磧 と宮, ) 2 7 c 2 6 - 2 7 (
磧︑宮
︑金 蔵校 勘記
, ) 2 8 a 2 8 - 2 9 (
麗 の大 と火)
以下 では 右記 のう ち2 3 b 5 (
作 者の 言及 の有 無︑﹁西 域三 蔵﹂ の言 及の 有無
︑︶
2 4 a 2 4 (
﹁ 無漏 差﹂︑︶
2 5 a 9 ( a
︶︵
﹁鑚 燧﹂
︑︶
2 7 a 1 9 (
﹁渧
数﹂︶ を考 察す る︒ 五
金剛 寺本 の示 す唐 代写 経の 痕跡 唐・
西明 寺の 慧琳
︵七 三七
~八 三〇 の︶
﹃一 切経 音義
﹄︵ 大正 蔵二 一二 八番
︑ 七八 三~ 八〇 七年 ある いは 七八 八~ 八一
〇年 成立() に︶ は︑ 音義 で引 用さ れる 対象
22
語句 の字 形・ 文言 が刊 本系 経典 の本 文と 一致 しな い事 例が みら れる
︒慧 琳音 義は 唐の 都長 安で 認定 され てい た八
〇〇 年ご ろの 本文 の状 態を 伝え ると みな され てお り︑ 本文 批判 では 重要 な証 拠資 料︵
t e s t i m o n i u m
︶ とし て扱 われ る︒ 慧琳 がと りあ げた﹃方 便心 論﹄ の音 義︵
T 5 / 4 6 3 8 b 1 3
=
6 4 2 b 9
:
方 便心 論一 巻︶ でも その よう な逸 脱が みら れる︒﹃ 一切 経音 義﹄ 巻五
〇か らの 全七 例
︵
T 5 4 / 6 4 2 b 1 0
- 1 9
︶を 次の 一覧 表に しめ す︒
慧琳 音義 と大 正蔵 の本 文は 基本 的に 一致 して おり
︑狭 義の 異文 と呼 べる も のは なく
︑二 箇所 での 相違
︵總 と
摠
︑觸 と亜
︶は 広義 の異 体字 と理 解す べき もの であ ろう
︒ま た写 本や 刊本 との 重要 な相 違は
︑四 番目 にあ げら れる
﹁鑚 燧﹂ で金 剛寺 本︑ 興聖 寺本
︑金 蔵が しめ す異 体字 であ り︑ 特に
﹁鑚
﹂の 字に つい ての 慧琳 によ る注 記は 考察 に値 する
︵
T 5 4 / 6 4 2 b 1 5
- 1 6
︶︒ 鑚燧
︿上 祖官 反︒
﹃顧 野王
﹄云
︑鑚 猶鐫 也︑ 鑿也
︒﹃ 説文
﹄
穿
也︑⑴
從 金 賛聲 也︒ 下隨 悴反︒﹃ 杜注 左傳
﹄云
︑取 火具 也︑
﹃説 文﹄ 從火 遂聲
︒
⑵
經 從手 作攅︑非 也︒
〉
慧琳 はこ こで﹃玉
篇
﹄ の撰 者顧 野王 や︑﹃説 文解 字﹄
︑杜 預に よる
﹃春 秋経 伝集 解﹄ を使 用し て語 義を 精査 する
︒そ のう ち﹁ 鑚﹂
︵正 字体
﹁鑽
﹂︶ の字 に つい て︑ 下線 部
⑴
では 大正 蔵と 同じ﹁鑚
﹂を 正字 とし てい るの に対 して
︑下 線部
⑵
で は︑ 自ら が参 照し た経 典の 写本 では﹁攅
﹂と なっ てお り︑ 正字 では ない
︵﹁ 非也
﹂︶ と評 して いる
︒慧 琳の 閲覧 した 写本 の﹁ 攅﹂ の字 が金 剛寺 本︑ 興聖 寺本
︑金 蔵本 にの み見 られ る字 体で ある こと に注 意す ると
︑こ の字 は唐
別の 本文 刊本
・
写 本の 本文 慧琳 音義 での 見出 し大正 蔵で の音 義 の相 当箇 所 大正 蔵の 箇所
( 2
3 c 3
︶表
ઃ
一切 経音 義に おけ る方 便心 論の 音義 稊稗
稊稗
( 2 3 b 2 8
︶
穐諦
︵麗
︑︶ 揔諦
︵磧
︶ 挨諦
︵剛
︑興
︑︶ 茜諦
︵金
︶
摠
諦 總諦亜故 觸故
( 2 6 a 1 8
︶
滴︵ 剛︑ 磧︑ 宮︑ 宋︑ 元︑ 明︶
渧
數渧
數( 2 7 a 1 9
︶
沙礫 沙礫
( 2 4 b 2 2
︶
攅︵ 剛︑ 興︑ 金︶ 鑚燧 鑚燧
( 2 5 a 9
︶見
杌
見杌 ( 2 5 b 7
︶
代の 長安 写経 にま で遡 りう る古 形で ある こと が強 く示 唆さ れる()
︒そ の場 合︑
23
興聖 寺本 と金 蔵本 の一 致は 開宝 蔵の 本文 を継 承し てい ると 推定 され
︑麗 本や 江南 諸蔵 系の 現行 の本 文の
﹁鑚
﹂は 慧琳 によ る訂 正に も見 られ るよ うに 後に 修正 され たと 推定 する こと がで きる だろ う︒ 第
5
番目 の﹁渧
數﹂︵
︹海 水の
︺
渧
の数 は︶﹃方 便心 論﹄ 第三 章﹁ 正し い論 理の 弁別
﹂︵ 弁正 論品 第三
︶に みら れる 表現 であ る()
︒慧 琳に よる 音義 は﹁ 上沍
24
弟反
︒﹃ 考聲
﹄云
︑水 滴也
︑﹃ 通俗 文﹄ 娃
渧
︑亦 零滴 也︑ 從水 從帝
﹂︵
T 5 4 / 6 4 2 b 1 9
と︶ なっ てお り︑ 慧琳 の参 照し た写 本で の文 字の 異同 を注 記し てい な いの で︑ 開宝 蔵系 本文 と同 様で あっ たこ とが 推定 され る()︒﹁
渧
﹂ は﹁ 滴﹂ の25
俗字 であ るが
︑金 剛寺 本は 江南 諸蔵 系版 本と 同様 に﹁ 滴﹂ に作 って おり
︑外 群比 較法 にも とづ く系 統学 的判 断と して は︑ 後者 の方 が慧 琳の 時代 より 前の 古形 であ る可 能性 も示 唆さ れる
︒ 六
金剛 寺本 の訳 年・ 訳者 等の 情報 先に
触れ たよ うに
︑金 剛寺 本で もっ とも 注目 に値 する のは
︑内 題の 下に 記 され た訳 者等 に関 する 三つ の情 報で ある
︵そ の本 文は 第二 節の 書誌 情報 で引 用 した
︒︶ まず 第一 に金 剛寺 本は 訳経 年を
﹁後 魏延 興年
﹂と して 北魏 の延 興年 間︵ 四七 一~ 四七 六年
︶で あっ たこ と︑ 第二 に翻 訳者 とし て﹁ 吉迦 夜共 曇曜 等﹂ とし
︑吉 迦夜 と曇 曜の 二人 以外 に複 数の 翻訳 者の いた こと
︑第 三に
﹁於 洛陽 譯﹂ とし
︑翻 訳は 洛陽 でな され たこ とを 伝え てい る︒ あら ため て金 剛寺 本・ 興聖 寺本 と刊 刻版 大蔵 経と の異 同を 五つ の部 分に 分け てし めす と次 の表 のよ うに なる
︒
この 表で 類型 とし て示 した よう に︑
﹃方 便心 論﹄ の訳 者等 の記 述は 細か く は四 種に 分類 でき るだ ろう が︑ 実質 的に は金 剛寺 本の タイ プ﹁ A型
﹂︑ 興聖 寺本
︑麗 本及 び金 蔵本 に共 通の 開宝 蔵に さか のぼ るタ イプ
﹁B 型﹂
︑そ して 宮本 をは じめ とす る江 南諸 蔵系 諸本 のタ イプ
﹁C 型﹂ の三 種で ある とい って よい だろ う︒ 明本 は麗 本な どに よっ て﹁ 建興 年﹂ を削 除し たこ とが 推定 され
︑ 混態 をし めし てい る︒ 全体 の異 同を 金剛 寺本 の視 点か らま とめ ると 次の こと が言 える
︒金 剛寺 本 に作 者の 指定 はな く︑ 開宝 蔵系 のB 型と 一致 し︑ 龍樹 造と する C型 に反 する
︒ 金剛 寺本 は翻 訳年 代を
﹁延 興年
﹂と し︑ 経録 に傍 証さ れる 元号 を正 確に あげ る唯 一の 資料 であ る︒ 形式 とし ては C型 に一 致す る︒ ただ し︑ 翻訳 年は 経録 とは 異な り︑ 延興 年間 の不 特定 の期 間で あっ て︑
﹃出 三蔵 記集
﹄の よう な第 二年
︵四 七二
︶で ない こと は注 意さ れて よい
︒翻 訳者 につ いて 金剛 寺本 はC 型に 一致 する
︒開 宝蔵 系版 本が 吉迦 夜の みを あげ るこ とは 特殊 であ り古 形と みな すこ とは 難し いだ ろう
︒た だ金 剛寺 本の よう に吉 迦夜 と曇 曜以 外に 複数 を認 める 記述 は他 のタ イプ には ない
︒金 剛寺 本で の翻 訳地 は﹁ 洛陽
﹂で あっ て︑ これ も他 のタ イプ には ない 新規 情報 とな る︒
(
譯 譯 翻訳 者 翻訳 年 作者 写本 およ び刊 本 型
於洛 陽
翻訳 地 B
吉迦 夜與 曇曜 後魏 建興 年 龍樹 菩薩 造 宮︑ 宋︑ 元︑ 磧 C
吉迦 夜與 曇曜 後魏 龍樹 菩薩 造 明 Cʻ
譯 譯
表
巻首 情報 の比 較
吉迦 夜共 曇曜 等 後魏 延興 年 剛 A
西域 三蔵 吉迦 夜 後魏 大︑ 興︑ 麗︑ 金
(
一︶﹁ 外群
﹂と して の金 剛寺 本の 系統 先行
研究 では
︑明 本を 除く 江南 諸蔵 系の 刊刻 大蔵 経で 巻首 にあ げら れて い た﹁ 建興 年﹂︵
複数 の候 補が ある が︑ 多く は四
〇〇 年以 前︶ とい う年 代は
︑梁
・ 僧祐
︵四 四五
~五 一八
︶撰 の﹃ 出三 蔵記 集﹄
︵大 正蔵 二一 四五 番︶ 巻二 の記 述に 基づ いて 間違 いと され てき た︒ それ によ れば
︑北 魏︵ 後魏
︑元 魏︶ の延 興二 年︵ 四七 二︶ に西 域僧 の吉 迦夜 が曇 曜と 共に 翻訳 し()
︑そ れを 劉孝 標︵ 四六 二~
26
五二 一︶ が筆 受し たと いう()
︒翻 訳者 は︑ 開宝 蔵系 版本 が曇 曜の 名を 排除 して
27
いた り︑ 江南 諸蔵 系で は両 者に よる 訳出 とさ れた りし たが
︑﹃ 出三 蔵記 集﹄ など の記 述に よっ て後 者が 正し いと 看做 され てい る︒ 一方
︑金 剛寺 本は どち らの 場合 も経 録な どで 知ら れる 記述 を保 持し てお り︑ 系統 学的 観点 から みる と︑ 金剛 寺本 が刊 本の 二大 系統 のい ずれ にも 属さ ない こと
︑そ して 刊本 系全 体を 低位 祖本
︵
h y p a r c h e t y p e
︶と する 一群
︵内 群︶ の外 側に 位置 する こと
︑す なわ ち﹁ 外群
﹂に 属す るこ とを 明確 に示 して いる
︒ 撰者 の僧 祐は
︑翻 訳地 の﹁ 北国
﹂に つい て特 定し てい ない
︒注 目す べき は 三部 の経 典が まだ
﹁京 都﹂
︑す なわ ち南 朝梁 の首 都建 康︵ 現在 の江 蘇省 南京
︶ にも たら され てい ない
︑同 地の 寺院 の書 庫︵ 経蔵() に︶ 入蔵 され てい ない とし
28
て欠 本扱 いに して いる こと であ り︑ この こと は﹃ 出三 蔵記 集﹄ の情 報の 信頼 性を 必ず しも 問題 なし とは しな いこ とに なる
︒ 金剛 寺本 に記 載さ れる 二名 以外 の複 数の 翻訳 者を 支持 する 記述
︵﹁ 等﹂ と︶ 翻訳 地︵﹁ 洛陽
﹂︶ につ いて の情 報を 充分 に正 当化 する 経録 側の 資料 はこ れま での とこ ろ見 つか って いな い︒ 延興 年間 とい えば
︑北 魏の 第七 代孝 文帝
︵四
六七 年生 まれ
︑在 位は 四七 一~ 四九 九︶ が幼 少の 頃で
︑当 時の 都城 は平 城︵ 現在 の山 西省 大同 市︶ にあ った
︒洛 陽へ の遷 都は 太和 十八 年︵ 四九 四︶ であ る︒ 金 剛寺 本の 伝承 にし たが うな らば
︑﹃ 方便 心論
﹄は 遷都 され る以 前の 洛陽 で翻 訳さ れた こと にな るが
︑真 偽は 明ら かで ない
︒塚 本善 隆氏 によ ると
︑曇 曜と いえ ば北 魏の 仏教 復興 期に 多面 的に 活躍 した 人物 で︑ 高宗 の和 平元 年︵ 四六
〇︶ に第 二代 沙門 統と なり
︑遅 くと も太 和元 年︵ 四七 七︶ か太 和三 年︵ 四七 九︶ まで は活 躍し てい たと 推定 され る()
︒興 味深 いこ とに
︑﹃ 魏書
﹄の
﹃釈 老
29
志﹄ によ れば 曇曜 は十 四部 の経 典を 新た に訳 出し たこ とに なっ てい る()
︒30 曇曜
又與 天竺 沙門 常那 邪舍 等︑ 譯出 新經 十四 部︒ 又有 沙門 道進
・
僧
超・ 法存 等︑ 並有 名於 時︑ 演唱諸
異︒
『
釈 老志﹄は ここ で︑ 曇曜 が一 四部 の経 典を 訳出 した のは 天竺 沙門
﹁常 那 邪舎
﹂と それ 以外
︵﹁ 等﹂
︶の もの たち とで あっ たこ とを 記録 して おり
︑金 剛 寺本 の記 述を 想起 させ る︒ 塚本 氏は この
﹁常 那邪 舎﹂ が誰 であ った のか 未詳 であ ると して おり
︑塚 本氏 の翻 訳を 英訳 して いる レオ ン・ ハー ヴィ ッツ 氏
︵
L e o n H u r v i t z
も︶ 同様 に未 詳と して いる が︑ 後者 はそ の名 前を﹁
J ñ ā n a y a
śa s ( * d ž
’ i
̆ a n g - n a - y a - š i
̆ a
︶﹂と 還元 して いる()
︒塚 本氏 が述 べる よう に﹁ 常那 邪舎
﹂と
31
吉迦 夜を 結び つけ る資 料は 知ら れて いな い︒ 曇曜 が複 数の イン ド系 訳経 僧と 仕事 をし たか どう かも 確認 でき ない
︒
(
二︶作 品の 成立 と著 者問 題
金剛 寺本 は﹃ 方便 心論
﹄の 著者 を特 定し てい なか った が︑
﹃方 便心 論﹄ 研 究で 最も 紛糾 して いる テー マの 一つ に著 者問 題が ある
︒こ れは 宇井
︵
1 9 8 2 : 4 7 5
︶ に﹁ 此論 は宋 版大 蔵経 以来 龍樹 の著 書と なし︑麗 蔵に 至つ て著 者不 明 とせ られ て居 るが
︑予 は既 に宋 版の 説の 全く 誤で 信ず るに 足ら ない こと を明 にし 得た と信 ずる から
︑此 論は つま り龍 樹以 前に 小乗 仏教 を奉 ずる 或者 の手 にな つた もの であ ると 考へ る﹂ と述 べら れた こと に端 を発 する
︒こ の繰 り返 し援 用さ れる 有名 な一 文に 表明 され た﹃ 方便 心論
﹄著 者の 小乗 仏教 徒説
︑あ るい は龍 樹説 を否 定す る立 場は
︑ク リス チャ ン・ リン トナ ー氏
︵
C h r i s t i a n L i n d t n e r
︑︶ 沈剣 英氏 など 一定 の支 持者 を集 めて いる()
︒そ の一 方で
︑梶 山雄 一
32
氏は
﹃方 便心 論﹄ 第四 章︵ 相応 品︶ など に龍 樹の 作品 にみ られ る帰 謬論 証
︵
p r a s a n. g a
︶を 同定 し︑
﹁反 論理 学書
﹂と いう 性格 づけ を与 え︑ 龍樹 説を 実証 的に 提唱 した()
︒龍 樹説 に続 いて いる のは
︑市 村承 秉氏
︑鄭 偉宏 氏︑ 石飛 道子
33
氏︵ ただ し校 訂本 文と して は認 めて いな い︶ など であ る()
︒著 者を 小乗 教徒 か大
34
乗教 徒か に峻 別す るこ とに 懐疑 的で あり
︑梶 山氏 の解 釈に 批判 的で 龍樹 説を 否定 する のは スン
・ヨ ン・ カン 氏︵
S u n g Y o n g K a n g
で︶ ある()︒木 村俊 彦氏 は
35
﹃成 実論
﹄の 訶梨 跋摩
︵
H a r i v a r m a
︶
n
系あ るい は経 量部 系の 著者 であ ると す る()︒近 年の 欧米 の研 究で 注目 され るの は︑ ブレ ンダ ン・ ギロ ン氏
︵
B r e n d a n G
36i l l o n
︶ とヴ ァン サン・エ ルチ ンガ ー氏
︵
V i n c e n t E l t s c h i n g e r
︶ の分 析で ある︒ ギロ ン氏 は龍 樹説 を否 定す る先 行研 究を 紹介 し﹃ 方便 心論
﹄編 集説 に言 及す るが
︑中 立的 な立 場を 維持 して 作者 不詳 とし てい る()
︒エ ルチ ンガ ー氏 は︑ 龍
37
樹に 帰せ られ る偽 作︵﹃ 広破 論﹄
V a i d a l y a p r a k a r a n . a
︶ や提 婆︵Ā r y a d e v a
に︶ 帰 せら れる 偽作 群︵﹃ 百論﹄﹃ 百字 論﹄ など と︶ 同様 に︑ 遅く とも 紀元 後四 世紀 頃 まで に成 立し たで あろ うと いう 見解 を表 明し てい る()
︒ま た同 氏は
︑﹃ 方便 心
38
論﹄ に特 定の 部派
・学 派に 帰属 する こと を示 唆す るも のは ない と述 べて いる()
︒39
『
方 便心 論﹄ の作 者問 題は 多極 化の 傾向 を強 めて いる のが 現状 とい えよ う︒ 上に 述べ た作 者を めぐ る議 論は 作品 に述 べら れて いる 論証 学を どの よう に評 価す るの かと いう テク スト 解釈 と評 価の 問題︑ま た﹃ チャ ラカ
・サ ンヒ タ ー﹄ など の初 期の 論証 学の 記述 との 関係 をど のよ うに 分析 する のか とい う歴 史的 評価 に関 わっ てい る︒ しか し︑ そも そも 龍樹 作か どう かと いう 高等 批評 にか かわ る議 論の 喚起 され る背 景に は︑ 宇井 氏の 指摘 のあ と等 閑に ふさ れて いる 側面
︑す なわ ち漢 訳﹃ 方便 心論
﹄の 基礎 研究 にか かわ る別 の側 面が ある
︒ 北宋 勅版 とし て蜀 地益 州で 開版 され た開 宝蔵 の系 統の 刊本 では 作者 は特 定さ れて いな いの に対 して
︑江 南諸 蔵系 統の 刊本 では 龍樹 に帰 せら れて いる
︒実 際の 作者 問題 の議 論で 龍樹 作を 支持 する 研究 者は
︑後 者の 江南 諸蔵 系の 伝承
︵上 記第 六節 表
のタ イプ C︶ が正 しい と判 断し てい るこ とに なる()︒こ れは 系
40
統学 的ア プロ ーチ から いえ ば︑ 伝承 が二 極化 して いる 場合 には どち らが オリ ジナ ルな のか を決 定す る要 素が ほか にな けれ ば︑ 相互 に等 しい ウェ イト が置 かれ ると いう ジレ ンマ に陥 って いる こと をし めし てい る︒ では その ジレ ンマ はど のよ うに すれ ば解 決で きる のか
︒ 近年 の原 典研 究に おけ る著 者問 題に はさ らに 新た な展 開が みら れる
︒上 に 触れ たギ ロン 氏は
︑漢 訳本 が複 数の 作品 を編 集︵
c o m p i l a t i o n
︶ して 成立 した ので はな いか とい う見 解を 述べ てい る︒ 複数 の作 品を 編集 した もの と理 解す るこ とで︑作 品の 中に ある 多く の変 則性
︵
a n o m a l y
が︶ 説明 可能 にな ると い って いる()︒も しギ ロン 氏の いう よう に﹃ 方便 心論
﹄が 複数 の作 品を 編集 した
41
もの であ ると すれ ば︑ 作品 内部 に複 数の 著者 によ る複 数の 作品 を想 定し て 別々 の部 分を 判別 して いく 作業 が必 要に なる だろ う︒ また そこ で想 定さ れる
作品 内部 の個 別の 作品
・部 分が すべ てイ ンド で成 立し たの か︑ ある いは 中国 成立 の作 品・ 部分 も含 まれ てい るの かと いっ た疑 問も 同時 に考 慮さ れる べき であ ろう
︒そ の場 合︑ 船山 徹氏 によ って 提唱 され てい る漢 訳仏 典の 三分 類
︵漢 訳経 典︑ 編輯 経典
︑偽 作経 典︶ とい う視 点に もと づく 判定 が求 めら れる こと にな る︒ ギロ ン氏 の見 解に 基づ けば
︑﹃ 方便 心論
﹄は 羅什 訳の
﹃大 智度 論﹄ や﹃ 成実 論﹄ のよ うな 中国 編輯 経典 のう ち﹁ ジャ ンル
⑺
そ の他︵中 国で 編輯 した 教理 学書
﹂︶ に関 係す ると いう こと にな るだ ろう が()
︑残 念な がら ギロ ン氏
42
はそ れを 判定 する 資料 とな る変 則性 の具 体的 事例 を挙 げて いな い︒ 漢訳 本﹃ 方便 心論
﹄の 原型 は現 存の もの と異 なっ てい たの では ない かと い う指 摘は
︑﹃ 国訳 一切 経﹄ 所収 の訓 読・ 注記 をお こな った 飯田 順雄 氏の 指摘 とも 関連 させ て考 察す る必 要が ある
︵以 下︑ 飯田
1 9 4 0
()︶︒ 飯田 氏は
︑﹃ 方便 心
43
論﹄ のイ ンド 語の 原典 にあ った 註釈 が漢 文本 文に 誤っ て挿 入さ れて しま った か︑ 翻訳 者の 加え た注 記が 伝承 の過 程で 本文 に混 入し てし まっ たか もし れな いと いう 可能 性を 指摘 して いる
︒
(
三︶金 剛寺 本の 情報 の引 用 本邦
撰述 の文 献の うち 珍海
︵一
〇九 一~ 一一 五二 の︶
﹃三 論名 教抄
﹄︵ 大正 蔵二 三〇 六番
︶に 金剛 寺本 の情 報と 同一 の記 述が みら れる
︵
T 7 0 / 8 3 0 a 2 5
- 2 6
:
﹁因 明論 者︑ 如龍 樹菩 薩所 造﹃ 方便 心論
﹄︒ 此論 一卷
︑復 魏吉 迦夜 共曇 曜等 於洛 陽譯
﹂
﹇対 応箇 所は 下線 部︑ ただ し﹁ 復﹂ は﹁ 後﹂ の誤 記﹈
︒︶ した がっ て︑ 遅く とも 平 安時 代後 期に は金 剛寺 本の 記述 が存 在し てい たこ とが 確認 され る︒ 珍海 とは 平安 時代 末期 に東 大寺 など で活 躍し た三 論宗 の学 僧で
︑﹃ 因明 大疏 四種 相違
抄﹄
︵大 正蔵 二二 八〇 番︶ など の因 明研 究の 著作 でも 知ら れて いる()
︒珍 海は
44
﹃三 論名 教抄
﹄巻 一五 の第 六科
﹁五 明処 義﹂ すな わち 五つ の学 問分 野の 解説 で︑
﹁因 明論
﹂の 作品 とし て﹃ 方便 心論
﹄を あげ てお り︑ それ に続 いて 同書 の三 箇所 から 本文 を引 用し てい る︵
T 7 / 0 8 3 0 a 2 6
- b 2 2
=﹃ 方便 心論
﹄
T 3 2 / 2 3 c 5 - 1 6 , 2 4 c 9 - 1 3 , 2 4 c 1 5 - 1 9
︒︶ しか しな がら
︑珍 海は 二度 にわ たっ て﹃ 方便 心論
﹄が 龍樹 作で ある こと を 書き 添え てお り︑ それ は金 剛寺 本の 記述 にな く︑ 興味 深い
︒と いう のも
︑珍 海は 別の 作品
﹃三 論玄 疏文 義要
﹄︵ 大正 蔵二 二九 九番 巻︶ 二で
﹁中 論﹂ の意 味
︵中 論義 に︶ つい て考 察し てお り︑ そこ でも
﹃十 住論
﹄や
﹃荘 厳仏 道論
﹄に 続け て﹃ 方便 心論
﹄を 龍樹 の作 品と して あげ てい る︵
T 7 0 / 2 2 0 a 1 1 - 2 0
︶︒﹃ 荘厳 仏道 論﹄ とは 鳩摩 羅什 訳﹃ 龍樹 菩薩 伝﹄
︵大 正蔵 二〇 四七 番︶ で龍 樹の 著作 と して あげ られ る作 品で あり
︵
T 5 0 / 1 8 4 c 1 7 - 2 1
︑︶ 珍海 が﹃ 荘厳 仏道 論﹄ に続 い てあ げる
﹃方 便心 論﹄ は︑ 羅什 訳﹃ 龍樹 菩薩 伝﹄ では
﹃大 慈方 便論
﹄の 位置 に置 かれ てい るこ とが 分か る︒ 一般 に﹃ 荘厳 仏道 論﹄ と﹃ 大慈 方便 論﹄ とは
﹃龍 樹菩 薩伝
﹄に おい て﹃ 中論
﹄な どと 並び 称さ れる 作品 とし てあ げら れる が︑ 現在 知ら れる どの 作品 に相 当す るの か知 られ てい ない()
︒吉 迦夜
・曇 曜訳
45
﹃付 法蔵 因縁 伝﹄ 巻九 の龍 樹伝 にも
﹃大 慈方 便﹄ とし てみ える()
︒以 上の こと
46
から
︑珍 海が
﹃方 便心 論﹄ を龍 樹作 とみ なす とき
︑そ の典 拠と して
﹃龍 樹菩 薩伝
﹄な どに よっ て知 られ る﹃ 大慈 方便 論﹄ に同 定し てい るこ とが 確認 され る︒ 珍海 の記 述と の関 連で 注記 した いの は︑ 唐代 華厳 宗の 第三 祖と して 名高 い 賢首 大師 法蔵
︵六 四三
~七 一二 の︶ 記述 であ る︒ 法蔵 には 龍樹 に帰 せら れる
﹃十 二門 論﹄ への 注釈 書﹃ 十二 門論 宗致 義記
﹄︵ 大正 蔵一 八二 六番 が︶ あり
︑
そこ で法 蔵は
﹃方 便心 論﹄ を龍 樹作 であ ると して いる
︒こ れは 筆者 が現 在知 りえ る限 り︑
﹃方 便心 論﹄ を龍 樹作 であ ると した おそ らく 最初 期の 事例 であ る︒ 法蔵 は︑
﹁︵ 論証 式に よる 標︶ 示と 考量 によ る論 破﹂︵
標量 破︶ の方 法・ 規 則を 述べ る経 典︵ 儀軌 に︶
﹃方 便心 論﹄ と﹃
廻
諍 論﹄︵大正 蔵一 六三 一番 を︶ 龍樹 作と して あげ
︑世 親作 とし ては
﹃如 実論
﹄︵ 大正 蔵一 六三 三番 を︶ あげ て いる()
︒﹃ 如実 論﹄ は︑
﹃方 便心 論﹄ と同 様本 文伝 承に 問題 があ り︑ 刊刻 大蔵 経
47
の二 つの 系統 で作 者の 記載 が二 分し てい るこ とで も知 られ てい る︒ 開宝 蔵の 系統 は作 者不 詳と し︑ 江南 諸蔵 の系 統は 作者 を世 親︵ 天親 菩薩 と︶ して いる
︒ 現在 では
﹃如 実論
﹄は 世親 より も前 に書 かれ た著 作で あっ たこ とが 定説 とな って おり()
︑学 界の 知見 は開 宝蔵 の系 統を
︵暗 黙に 支︶ 持し てい るが
︑﹃ 如実
48
論﹄ を世 親作 だと する のは 既に 文軌 の﹃ 因明 入正 理論 疏﹄ 巻一 にみ られ
︑ま たお そら くそ れに 依拠 して 善珠 も同 じよ うに 言及 して いる()
︒唐 代の 仏教 界の
49
見解 が﹃ 如実 論﹄ の本 文伝 承に 影響 を与 えた 可能 性が 疑わ れる
︒一 方︑ 大正 蔵に 収載 され る和 漢撰 述の 作品 の中 で﹃ 方便 心論
﹄を 龍樹 作と して いる のは 上に あげ た珍 海と 法蔵 のみ であ る︒ 法蔵 自身 がど のよ うな 判断 や情 報に 基づ いて いる のか 明ら かで はな いが
︑法 蔵に よる 同定 が﹃ 方便 心論
﹄の 本文 伝承 に何 らか の影 響を 与え た可 能性 も否 定で きな い︒ 七
金剛 寺本
︑興 聖寺 本︑ 趙城 金蔵 本が 示す 古形 第五
節に おい て︑ 金剛 寺本 と興 聖寺 本︑ 金蔵 本が 八〇
〇年 頃の 慧琳 の参 照 した 写本 と同 じ異 文を 有し てい た事 例を 一例 紹介 した
︒筆 者の これ まで の校 合で は︑ 金剛 寺本 と興 聖寺 本︑ 金蔵 本だ けが 共通 の異 文を もつ ケー スが 他に
六例 確認 でき てい る︵ 特定 の異 体字 の共 有も 含む
︑第 四節
︵一
︶ を参 照︶
︒そ 1b こに
︑﹃ 方便 心論
﹄の 本文 伝承 を考 察す る上 で興 味深 い事 例が 一例 あっ た︒ この 事例 は︑
﹃方 便心 論﹄ 第一 章で ジャ イナ 教の 九つ の根 本原 理・ 範疇
︵
t a t t v a , p a d ā r t h a
を︶ 列挙 する 箇所 にあ らわ れる
︒大 平鈴 子氏 によ れば
︑九 つ の範 疇を あげ るの は初 期の ジャ イナ 教の 作品 にも 知ら れて おり
︑古 い起 源を もっ てい るら しく
︑著 名な 綱要 書﹃ タッ トヴ ァ・ アル タ・ アデ ィガ マ・ スー トラ
﹄︵
T a t t v ā r t h ā d h i g a m a s ū t r a
で︶ はそ れが 七つ の範 疇に 縮小 され たと のこ とで ある()︒﹃ 方便 心論
﹄は 前者 のグ ルー プに 属し てい る︒
50
以下 にと りあ げる 問題 の焦 点は
︑大 正蔵 に保 持さ れる
﹁漏
﹂と
﹁差
﹂と い う字 の帰 属と その 正誤 にあ る︒ まず ジャ イナ 教の 九つ の範 疇を あげ る﹃ 方便 心論
﹄の 本文 と既 存の 訳を 提示 する
︒
『
方 便心 論﹄︵T 3 2 / 2 4 a 2 3 - 2 4
:
︶ 有命 無命 罪福 漏無 漏差 戒具 足縛 解 宇井︵
1 9 8 2
: 4 9 2
︶
:
有命 と無 命と 罪と 福と 漏と 無漏 と戒 具足 と縛 と解 とT u c c i ( 1 9 8 1 : U p ā y a h r . d a y a m
7 , 2 3 - 2 4 ) : j ī v o ’ j ī v a . h
p ā p a . m
p u . n y a m ā
śr a v a . h , n i r j a r ā , s a m v a r a h . , b a n d h a h
. , m o k . s a h . |
飯田︵
1 9 4 0 : 8 9
:
︶ 命と 無命 と罪 と福 と︑ 漏と 無漏 と︑ 戒具 足と 縛と 解と 石飛︵
2 0 0 6 : 6 9
:
︶ 有命︑無 命︑ 罪︑ 福︑ 漏︑ 無漏
︑﹇ 差﹈ 戒具 足︑ 縛︑ さ 解
らに 大正 蔵以 外の 校異 を︑
﹁漏
﹂と
﹁差
﹂の 前後 とと もに 表に して 示す と以 下の よう にな る︵ 略号 は第 三節 を参 照︶
︒