日 本 軍 政 期 英 領 マ ラ ヤ に お け る 記 録 文 書 の 状 況
安藤
正
人はじめに
「戦争の世紀」といわれた二〇世紀'世界各地の戦争地域や占領地域で、公文書や古文香など重要な記録史料(ア
ーカイブズ)が'軍事上・行政上・文化上の理由から盛んに押収、略奪、破壊された。こうした行為によって消滅し
たり国外に流出した記録史料は彪大な量にのぼり、歴史研究の障害になっているばかりか'時として外交上の開祖を(‑)も生じせしめている。
ユネスコは'1九九六年に「世界の記憶Me
m or y o
ftheWo
rld」プロジェクトの一環としてr失われた記憶‑二〇世紀に破壊された図書館資料と文書館資料IL
L os
tMemoTy:L L
'b
TaTteSandA L・C hL y es de s
tTOYe d J
'n th
e20th
(2)Ce ntu Q
と窺する調査報告書をまとめ、国際文書館評議会((n ter n a tio n al C
ouncil
on A rc hiv e
s、
略称ICA)と協力して
'
マイクロフィルムによる複製作成や国外流出史料の現状復帰といった、いわば「記憶の再生」事業を推進してい る 。
日本軍政期英領マラヤにおける記良文書の状況(安藤)
史料館研究紀要第三三号(二
〇 〇
二年)八〇と こ ろ で 、 ア ジ ア ・ 太 平 洋 の 旧 日 本 植 民 地 お よ び 占 領 地 の 国 々 で も 、 日 本 統 治 時 代 な ら び に 日 本 敗 戦 前 後 の 時 期 に '
現 地 の 公 文 書 や 歴 史 的 文 書 を 含 む 彪 大 な 量 の 記 録 史 料 が 破 壊 ' 略 奪 ' 国 外 流 出 な ど の 憂 き 目 に あ っ た 。 し か し ' ヨ ー
ロ ッ パ な ど に ‑ ら べ る と ' 記 録 史 料 の 破 壊 や 国 外 流 出 に つ い て の 調 査 研 究 は 遅 れ て お り ' 正 確 な 事 実 は あ ま り 具 体 的
に 明 ら か に さ れ て い な い と 思 わ れ る 。
さ い わ い 近 年 、 中 国 ' 台 湾 ' 韓 国 や 東 南 ア ジ ア の 文 書 館 の 整 備 が 進 み ' 各 国 で 戦 争 期 史 料 の 調 査 や 公 開 が 本 格 化 し
始 め た 。 日 本 で も 国 立 公 文 書 館 法 や 情 報 公 開 法 が 施 行 さ れ ' 懸 案 だ っ た ア ジ ア 歴 史 資 料 セ ン タ ー も よ う や く 開 設 さ れ
る な ど 、 史 料 公 開 は 不 十 分 な が ら も 少 し ず つ 進 展 し て い る 。 こ の 稜 会 に ' ア ジ ア ・ 太 平 洋 諸 国 の ア
ーキ ビ ス ト や 歴 史
研 究 者 と 連 携 し て 、 戦 争 期 に 失 わ れ た り 国 外 に 流 出 し た 記 録 史 料 の 実 態 調 査 を 実 施 し ' も っ て 二
〇世 紀 ア ジ ア の 「記 (a ) 憶 の 再 生 」 に 寄 与 す る こ と は 、 日 本 が 果 た す べ き 重 大 な 責 任 の 一 つ で あ る と 考 え る 。
ま た 、 武 力 紛 争 に よ る ア ー カ イ ブ ズ 被 害 の 問 題 は 、 現 在 進 行 形 の 問 題 で も あ る 。 と く に 、 民 族 間 題 が か ら む 武 力 紛
争 で は 、 民 族 の 「記 憶 の す み か 」 で あ る 文 書 館 や 図 書 館 が 攻 撃 対 象 と し て 選 ば れ る 場 合 が 少 な く な い こ と が 指 摘 さ れ (4 ) て い る 。
人 類 の
〟記 録 遺 産 ″ を ' こ の よ う な 武 力 紛 争 か ら 守 る た め に ' ユ ネ ス コ や 国 際 文 書 館 評 議 会 は ' 国 際 ブ ル
ーシ ー ル (5
)ド 委 月 会 を 組 織 す る な ど し て ' 国 際 努 力 を 続 け て い る 。
こ の よ う な 現 代 の 戦 争 と ア ー カ イ ブ ズ の 問 題 に 取 り 組 む た め に も ' 過 去 の 戦 争 に よ る 記 録 破 壊 や 文 書 流 出 の 実 態 を
歴 史 的 、 実 証 的 に 明 ら か に す る こ と は ' 決 し て 小 さ く な い 課 題 だ と 思 う 。
私 は ' ア
ーキ ビ ス ト と し て の 立 場 と 歴 史 研 究 者 と し て の 立 場 と の 双 方 の 立 場 か ら ' 以 上 の よ .う な 問 題 意 識 を 持 ち 、
1 九 九 六 年 以 来 、 中 国 東 北 地 方 や 上 海 ' マ レ ー シ ア ' イ ギ リ ス な ど で 史 料 の 収 集 を 進 め て き た 。 ま だ 史 料 を 詳 し く 分
析 し て い な い が ' 本 箱 で は イ ギ リ ス 領 マ ラ ヤ の 問 題 に 限 定 し て 収 集 史 料 の 一 端 を 紹 介 し ' 今 後 の 研 究 の 展 開 方 向 に つ
い て ご 批 判 、 ご 指 導 を 仰 ぎ た い と 思 う 。 な お 、 本 稿 の タ イ ト ル か ら 、 あ る い は 日 本 占 領 期 の 軍 政 史 料 に つ い て の レ ポ
ー ト を 期 待 さ れ た 読 者 も い る か と 思 う が ' 本 稿 の ポ イ ン ト は 日 本 軍 政 史 料 の 問 超 で は な く て 、 現 地 の 行 政 公 文 啓 や 企
業 記 録 が 、 戦 争 下 あ る い は 日 本 の 占 領 下 で ど の よ う な 取 り 扱 い を 受 け 、 ど の よ う な 影 響 を 受 け た か と い う 点 に あ る 。
ご 了 解 い た だ き た い 。
l 開 戦 に 伴 う 記 錠 文 書 の 避 難 と 処 置
日 本 軍 は ' 一 九 四 一 年 一 二 月 八 日 ' 其 殊 湾 攻 撃 と 機 を 一 に し て マ レ
ー半 島 北 部 に 上 陸 し ' 破 竹 の 勢 い で 南 下 し て 、
約 二 か 月 後 の 一 九 四 二 年 二 月 一 五 日 に シ ン ガ ポ ー ル の イ ギ リ ス 軍 を 降 伏 に 追 い 込 む こ と に な る 。
当 時 、 イ ギ リ ス 領 マ ラ ヤ は ' 半 島 中 央 部 の マ レ
ー連 合 州 ' そ れ 以 外 の マ レ
ー非 連 合 州 、 及 び ' シ ン ガ ポ ー ル '
マラッ カ を 中 心 と す る 海 峡 植 民 地 の 三 つ の 部 分 で 構 成 さ れ て い た 。 日 本 軍 の 進 撃 が 予 想 以 上 に 早 か っ た こ と か ら ' 各 州 政
府 そ の 他 の 機 関 は ' 重 要 文 書 な ど の 疎 開 や 廃 棄 を 十 分 に 行 う 余 裕 は な か っ た よ う だ 。
イ ギ リ ス 本 国 で は 、 外 務 省 が 1 九 三 七 年 七 月 、 在 外 公 館 に 対 し て tW ar In stru cti o n s A .と い う 指 令 文 香 を 送 り 、 戦
争 勃 発 時 の 外 交 機 密 文 書 の 廃 棄 に つ い て 指 示 を し て い る 。 植 民 地 省 も ' こ の 外 務 省 指 令 を 参 考 に し て 戦 争 勃 発 時 に お (6 ) け る 文 書 記 録 の 処 分 を 各 植 民 地 政 府 に 指 示 し た 形 跡 が あ る が ' ま だ 指 令 番 そ の も の は 確 認 で き て い な い 。 (‑ ) 日 本 軍 侵 攻 時 の マ ラ ヤ の 現 地 状 況 を 窺 い 知 る こ と の で き る 一 つ の 例 と し て 、 史 料 I を あ げ て お い た 。 こ れ は 、 開 戦
日本軍政期英領マラヤにおける記録文書の状況(安藤)八1
史料館研究紀要第三三号(二
〇 〇
二年)八二当 時 ベ ラ 州 技 師 長 代 理 と し て タ イ ピ ン に い た
R・
H・ ス テ ィ
ード と い う イ ギ リ ス 人 の レ ポ ー ト で あ る 。 開 戦 十 一 日 後 '
1 九 四 1 年 1 二 月 1 九 日 の こ と と し て ' 次 の よ う に 記 さ れ て い る .
︻史料‑︼
午 前 四 時 、 私 は イ ギ リ ス 人 理 事 官 代 理 か ら で き る だ け 速 や か に イ ポ ー へ の 避 妊 を 開 始 す る よ う 通 知 を 受 け 取 っ た 。
私 は 自 分 の 車 で サ ッ チ ャ
ーズ ・ ク ォ ー タ ー ズ に 行 き ' そ こ で ワ ッ デ ル 、
ジュ
ーク ス ' ボ ー ド マ ン ' モ ラ
ード の 諸
氏 を 見 つ け た 。 わ れ わ れ は そ こ か ら 公 共 事 業 局 の オ フ ィ ス に ま わ り ' あ ら ゆ る 機 密 文 書 や 地 図 を 集 め て 車 に 詰 め
込 ん だ 。 火 を 使 う こ と が 禁 止 さ れ て い た た め ' オ フ ィ ス の も の を 焼 却 処 分 す る こ と が で き な か っ た か ら だ 。 そ の
た め オ フ ィ ス は 多 か れ 少 な か れ 無 傷 の ま ま 残 さ れ た 。 私 は 一 八 日 に イ ギ リ ス 人 理 事 官 代 理 に 而 会 し て ' 退 去 が 差
し 迫 っ て い る こ と は 明 ら か な の だ か ら オ フ ィ ス ビ ル を 破 壊 す べ き だ と 進 言 し た の だ が ' 彼 は 承 認 し な か っ た 。 そ
の た め 退 去 命 令 が 出 る ま で 何 も 破 壊 で き ず 1 . 時 す で に 遅 L と い う 事 態 に な っ て し ま っ た . こ の こ と は 大 き な ミ ス
だ っ た と 思 う 。 ビ ル の 同 じ ブ ロ ッ ク に は 測 量 局 が 入 っ て い て ' そ こ に は 敵 に と っ て 貴 重 な 記 録 が た く さ ん 保 管 さ
れ て い た か ら だ 。
こ の よ う に ' 日 本 軍 が 急 速 に 迫 り 来 る 混 乱 の な か で ' 行 政 庁 の 多 く の 文 書 記 録 が 避 難 や 廃 棄 の 時 間 も な い ま ま に 、
そ の ま ま 残 さ れ た ' と い う の が 一 般 的 状 況 で は な か っ た か と 思 う 。 ・ た だ そ の 中 で 、 ス テ ィ
ード の レ ポ ー ト に も ち ょ っ
と 出 て い る 測 量 局 の 記 録 文 書 の 場 合 は 、 他 の 部 署 の 記 録 に 比 べ る と 避 難 作 戦 が 比 較 的 有 効 に 実 施 さ れ た こ と が わ か っ
て い る 。
測 量 局 ' 正 式 呼 称 は M al ay a n S u
rveyServiceあ る い は M
alayahSu rv e y D ep a rt
mentだ っ た よ う だ が ' 主 な 仕 事 は
地 図 の 作 製 で あ る 。 し た が っ て 、 軍 事 上 極 め て 重 要 な 機 密 度 の 高 い 記 録 が 多 量 に 保 存 さ れ て い た こ と は 、 想 像 に 柾 く
な い 。 と ‑ に マ ラ ヤ は 当 時 の イ ギ リ ス 海 外 植 民 地 の な か で 最 も 測 畳 が 進 ん で い た と い わ れ 、 か な り 柄 密 な 一 イ ン チ 対
一 マ イ ル ・ マ ッ プ (こ れ は お よ そ 六 万 分 の 一 地 図 に あ た る ) が 、 マ レ
ー半 島 西 海 岸 の ほ と ん ど に つ い て 完 成 し て い た (8 ) と さ れ
る。こ う い っ た 重 要 な 地 図 や 地 図 作 成 デ
ータ な ど を 日 本 軍 の 手 か ら 守 る た め に ' マ ラ ヤ 測 畳 局 は 、 一 九 四 1 年 1 二 月 二
五 日 か ら 記 録 避 妊 作 戦 を 開 始 す る 。 最 初 は 鉄 道 で シ ン ガ ポ ー ル に ' 次 い で 、 シ ン ガ ポ ー ル 陥 落 直 前 に 船 で ジ ャ ワ へ 。
そ し て ジ ャ ワ も 危 な く な る と ' 最 後 は オ ー ス ト ラ リ ア に 。 そ の 宜 は 合 計 七 八 箱 、 重 さ に し て 八 ー ン だ っ た と い う か ら 、 (9 ) か な り 彪 大 な 記 録 類 が 輸 送 さ れ て い
る。表
Iは ' こ の 避 難 作 戦 の 中 心 と な っ た
C・ ノ
ーブ ル と い う イ ギ リ ス 人 主 任 測 丑 官 が 、 1 九 四 三 年 に 避 姓 先 の オ
ース (t0 ) ト ラ リ ア で 書 い た レ ポ ‑ ー の 一 部 を 表 に し た も の で あ
る。マ ラ ヤ 測 量 局 の 各 部 局 ご と .に ' 記 録 の 道 雄 状 況 と マ ラ ヤ に 残 し た 記 錠 の 概 況 が 簡 単 に ま と め ら れ て い る 。
例 え ば ' ク ア ラ ル ン プ
ール に あ っ た T ri
gonometricalB ra
nch(三 角 測 量 課 ) の 記 録 類 に つ い て み る と 、
(1)のtrigon
ometriCaldata(三 角 測 量 デ
ータ ) は
'日 本 軍 侵 攻 前 に イ ン ド と オ ー ス ト ラ リ ア に 写 真 複 製 コ ピ ー を 1 セ ッ ト
ず つ 分 散 保 存 し て い る が '
(2)の
fieldbooks(野 帳 ) t
plan s (図 面 ) 、 co m p u ta
tion s (計 算 帳 ) と い っ た 記 録 類 は '
ク ア ラ ル ン プ
ール ・ ジ ャ ワ 通 ‑ の 測 量 局 資 料 庫 に 残 置 さ れ た t と 書 か れ て い る 。
ReくenueSurくey
B r
anch(地 税 調 査 課 ) は 各 州 に 事 務 所 が あ っ た よ う だ が 、 た と え ば ケ ダ 州 の 場 合 を 見 る と 、
少 数 の
Betdbooksと p lan を ク ア ラ ル ン プ
ール に 移 し た が 大 半 は K u lim の 測 量 局 の 資 料 庫 に st a n d ar d sh e e ts と 共 に
日本軍政期英領マラヤにおける記鐘文書の状況(安藤)八三
〔 表 1〕 日本 軍 侵 攻 に伴 う マ ラ ヤ 測 量 局 記 録 文 書 の 処 置
(1943年作成)部局名 ( 場所)と妃環の種頬 日本 軍侵攻 に伴 う処置 Tr i go nomet r l caIBr anch ( 1) t r igo no m e t r iC a lda
t a
三角測丑課 ( クアラルンプール) 侵攻前 にイ ン ド測量局 ( De hr aDun) とオース トラ リ o r ig i na l丘e l db wks 複製 コピー を 1 セ ッ トず アに写共
つ分散保存.
s ke t c he s ( 2)Ge l dbo
oks .pl a ns . c o mp ut a t io ns pl a ns
c o mp u t a t i o n sa ndc o mp n e dd a t a クアラル ンプール .ジャワ通 りの測
主局の資料庫 に残置.
Topogr aph i calBr anc h
( 1 )丘e l db o ok s
地形測量課 ( クアラルンプール) p最終 図面があれば重要性 はあ ま
りないので クアラル ンプー ルの or ig i J 1 a l五e l d
bo o ks 地税調査課 に残置 . 丘e l ds he e t s ( 2 )a s s e mb
l i e sa nd血i rdr a w ing s t r a c i nga ndc o mput a t i ons
大半 は 日本軍侵攻時 にメルボル ンに移送.
Reve
h ueSu r veyBr anch Kedah 地税調査課 ( 各州 )
少 数の 丘e l db( 対
k sとpl a n をクアラル ンプー ルに移 したが大半 は or ig i na l丘e l dbo oks Ku
li mの測主局の資
料
庫にs t anda r ds he e t s と共 に残置.避 難が c e r t iGedpl a ns
急 で記録救 出がで きなか ったため, 日本人が資料庫 に手 を付 け l o tr e gi s t e r s ていない限 りこれ らの記録
類は失われた と思 われる.
c o mput a do ns Per ak s t a nda r ds h
e e t s タイ ビン事 務所の記録の多 くは最初バ トウ .ガジヤ‑ .つ いで l i t h o sa ndc o mpi l a t io ns クアラル ンプールに移送 された. しか し状 況はケタ と同 じ.
Pena n g
状 況不明.すべての記録類が測主局 の資料庫 に残置 された と 思 われる .
Penang,Kel a nt ana r l dTr enggan u すべ ての記良類が残置 された.
Sel angor
&Negr iSembn a n
Bl e d t ) 0 0 k sとl o tr e gi s t e r s 全部が クア ラル ンプ‑ルの地 税調査課 の資料庫 に残 敵 しか しpl a ns とs t anda r ds he e
ts
は全 部 シ ン
ガ ポールに移送 さ れFul l e r t o n ビルの測量局資料庫 に残 された.
Mahcc a
状 況不 明. しか Ls t a nda r ds he e t s は シンガポール事務 所 にあ る と思 われ
J o hor s t anda e r ds h る.
e e t s はメルボル ンに移送.
Si ngapor すべての記岸類が測丑局の資料庫 に残直 e Ma DPr Oduct i onBr anc h ( 1 )bl a c kpul l s ( 試刷 り) o f された.
a nma p s 地図作袈課 ( クアテルンプ‑ル) 1 9 4 0
年8 月以降.安全の
ためすべての地図の試刷 りを作袈 して o r i& a ld r a w in
g s( t a ir s he e t s ) イ ン ド測量局に送 る.
a s s e mbl i
e s ( 2)o上 i g i na ld r a wi ng s
pr o o f s 日本軍侵攻 に伴い,すべ て シンガポール
へ ,の ちメルボル ンへ g l a s Sn e g a t i v e sa n dz i ncpl a t e s 移送 .
( 3 )gl a s sne ga t i Ve s
可能 な限 りオース トラリアに移送 した
(4 )i シ ンガポールに mp or t a ntm inut epa pe r . ( 5 )pr iJ l t e dm
ili t a 移送. r ym a p その 他
本庁事務所 を
放棄す る際,残 された pr i nt edm
iHtar yma p その 他 の記録類や
ne ga dve s な どはすべて
焼却,破 壊 し た.
(
6 )Re (シンガポールへの移 c o r dso fSur ve yDe
送pa 中)Ta r t me ntCo mp i nで失われ 勺pe r a t i veSo c i e t y た.
(史料】
YRELI MALAYA/b MI NARYNOTESONTHERECONS TRUCTI ONOFTHESURVEYDEPARTMENT
.yMr .C.No bl e .Se ni o rSur ve yo r .Ma la ya nSur ve ySe r vi c e .a tpr e s e ntFl i ght
L ieutenant.RoyalAust
残 置 。 避 妊 が 急 で 記 録 救 出 が で き な か っ た た め 、 日 本 人 が 資 料 庫 に 手 を 付 け て い な い 限 り こ れ ら の 記 録 類 は 失 わ
れ た と 思 わ れ る
と 記 さ れ て い る 。
ち な み に 、 そ の 下 の ベ ラ 州 の 部 分 は 、 史 料
1の ス テ ィ
ード ・ レ ポ ー ト が 触 れ て い た タ イ ピ ン の 測 量 局 事 務 所 に 関 す
る 記 述 で あ る 。
タ イ ピ ン 事 務 所 の 記 録 の 多 く は 最 初 バ ト ウ ・ ガ ジ ャ へ ' つ い で ク ア ラ ル ン プ
ール に 移 送 さ れ た 。 し か し 状 況 は ケ
ダ と 同 じ
と 書 か れ て い る の で ' 記 録 の 避 妊 は 一 応 行 わ れ た よ う だ が ' 最 終 的 な 行 方 は や は り 掌 握 し て い な い よ う だ 。
最 後 に M a p Pr od uc tio n B ra
nch(地 図 作 製 課 ) を 見 る と 、 お そ ら ‑ 軍 事 上 も っ と も 枚 密 度 の 高 い の が 、 こ の 課 に あ
っ た
(2)の o ri gi n al d ra wi n g (原 図 ) や
(5)の p ri n te d m ili ta
rymap(印 刷 軍 事 地 図 ) で あ ろ う . こ れ ら は さ す が
に す べ て オ ー ス ト ラ リ ア に 移 送 す る か 、 焼 却 さ れ て い る よ う だ 。
以 上 ' こ の 表 を 全 体 的 に 見 る と ' オ ー ス ト ラ リ ア に 移 送 さ れ た 八 ト ン の 記 録 文 首 は 、 機 密 度 の と ‑ に 高 い 一 部 の 記
録 に 限 ら れ て お り 、 な お 相 当 量 の 記 録 文 事 が 現 地 に 残 さ れ 、 日 本 軍 の 手 に 渡 っ た の で は な い か と 考 え ら れ る 。
二 日 本 軍 政 下 で の 記 録 文 書 の 取 り 扱 い
東 南 ア ジ ア の 日 本 軍 政 下 で 、 現 地 文 書 の 押 収 や 保 存 、 利 用 、 廃 棄 が ど の よ う な 方 針 と 規 則 の も と に 行 わ れ た の か ‑
日本軍政期英領マラヤにおける記緑文昔の状況(安藤)
史料飼研究紀要第三三号(二
〇 〇
二年)八六こ の 点 は ' 軍 政 そ れ 自 体 の 記 録 文 書 が ど の よ う に 管 理 さ れ た の か と い う こ と と 共 に ' 本 研 究 に と っ て も っ と も 基 礎 的
な 問 題 だ が 、 本 稿 で は 触 れ る こ と が で き な い 。 今 後 の 課 題 と し た い 。 (‖ ) 東 南 ア ジ ア の 占 領 統 治 に 関 す る 基 本 方 針 を 定 め た 1 九 四 1 年 二 月 二
〇日 の 「南 方 占 領 地 行 政 実 施 要 領 」 で は ' 「残 存 統 治 機 構 」 の 利 用 と 「従 来 ノ 組 織 及 民 族 的 慣 行 」 の 尊 重 を う た っ て い る 。 マ レ
ー半 島 と シ ン ガ ポ ー ル の 軍 政 を
担 当 し た 第 二 五 軍 も 、 こ れ に 従 っ て 、 イ ギ リ ス 領 時 代 の 地 方 行 政 組 織 を 最 大 限 に 活 用 す る 方 針 を と っ て い る 。 ま た 、
日 本 軍 が 軍 政 機 構 の 中 に 調 査 部 を 設 け ' 占 領 地 行 政 の 参 考 と す る た め ' 現 地 で 盛 ん に 旧 慣 調 査 や 資 料 収 集 を 行 っ た こ (t2 ) と は 、 よ く 知 ら れ て い る 通 カ で あ る 。 そ の よ う な 点 か ら 考 え て 、 日 本 の マ ラ ヤ 軍 政 下 で も ' イ ギ リ ス 領 時 代 の 行 政 文
書 が あ る 程 度 組 織 的 に 維 持 ・ 活 用 さ れ た こ と は 、 想 像 に 難 く な い と こ ろ で あ る 。
ま た ' 接 収 し た 企 業 ' 鉱 山 ' ゴ ム 園 な ど の 経 営 に あ た っ て も 、 当 然 の こ と な が ら 、 イ ギ リ ス 領 時 代 の 経 営 文 書 が 活
用 さ れ た は ず だ 。 し か し ' そ れ ら 戦 前 の 行 政 文 書 や 企 業 文 書 の う ち ' 戦 後 ま で 残 っ た も の は ' 全 体 か ら 見 る と 決 し て
多 く な い と 思 わ れ る 。 三 年 半 の 日 本 占 領 時 代 、 と ‑ に 日 本 の 降 伏 前 後 の 時 期 に 失 わ れ た 事 例 が 多 い の で は な い か と 推 (13 ) 定 さ れ る 。 こ れ に つ い て は い く つ か の 証 言 史 料 が あ る が 、 一 例 と し て 史 料
2を あ げ て お こ
う。な お ' 史 料 中 で ︹
︺を 付 し た の は 筆 者 に よ る 補 記 、 ( ) は 原 文 通 り で あ る 。
︻史 料
2︼ 日 本 の マ ラ ヤ 統 治 に 関 す る 日 本 軍 政 当 局 者 尋 問 翻 訳 第 66 号 報 告 書 ‑ 記 録 と 建 築 設 計 図 ( 一 九 四 五 年 一
〇月
四
日)東 南 ア ジ ア 軍 第 34 独 立 兵 団 中 央 司 令 部
東 南 ア ジ ア 翻 訳 尋 問 セ ン タ ー 第
3移 動 局
一 九 四 五 年 一
〇月 四 日
件
名翻 訳 レ ポ ー ト 66 号
第 3
3部 隊 質 問 書 第 二 部 質 問 事 項 第 57 号 へ の 回 答
57
(a)(1)シ ン ガ ポ ー ル の 公 共 施 設 局 か ら 受 け 取 っ た 報 告 書 、 記 録 ' 建 築 設 計 書 類 は 、 軍 政 部 の 一 部 が 一 九
四 四 年 二 月 に ベ ラ 州 ク ア ラ カ ン サ
ール に 移 転 し た 際 に ' シ ン ガ ポ ー ル 市 政 府 に 返 却 さ れ た 。
︹中略︺図 書 類 は 本 司 令 部 の 公 共 施 設 部 が 保 管 し て い る 。
(2)本 司 令 部 は ' 各 下 部 部 局 に あ っ た 記 録 、 報 告 啓 、 そ の 他 の 文 沓 類 の 処 位 に つ い て は 、 承 知 し て い
な
い。
57
(b)測 量 局 記 録
記 録 類 は セ ラ ン ゴ
ール 州 の 測 量 局 に 保 管 さ れ て い る 。
5
(d)軍 事 裁 判 制 度 が 開 始 さ れ た と き に 汲 判 所 や 刑 務 所 に 残 さ れ て い た 記 録 類 は ' 軍 事 裁 判 所 、 検 察 局 、 あ ち
こ ち の 刑 務 所 で 保 管 さ れ た 。
57(e)︹前略︺
日 本 陸 軍 は 英 政 府 の 記 録 、 文 書 、 道 具 、 枚 椀 等 の 管 理 と 処 理 に 関 し て 、 次 の よ う な 報 告 書 を 提 出 し て い
日本軍政期英領マラヤにおける記録文香の状況(安藤)
八
七史料館研究紀要第二11二号(二〇〇二年)
る。
57(e)医学研究所の施設備品類
マレー医学研究所
1.すべての記録、文書は'医学研究所(クアラルンプール)に保管されている。
2.道具と機械類の数量︹略︺
3.建物︹略︺
57(e)(参考電文)
1.日本がマラヤを占領するにあたって、軍は企業を︹それまでと︺同じように経営しようとして、
あらゆる記録や文書を最大限に利用した。しかしこれらの記緑や文書は'過去3年半の問に日本
人によってすべて焼かれてしまった。︹中略︺
バトウガジャ地質調査局(ベラ州)
日本軍が接収したとき、建物、機械、道具、図書ならびに文音は地元の盗賊によって大半破壊さ
れたり持ち去られたりしていた。日本軍は三井鉱山株式会社(当該地方の錫鉱山の運営を任され
ていた会社)に必要な修復を命じた。すべての図書や鉱物標本はやがて修復されたが︹下略︺
マレー・ゴム研究所(クアラルンプール)
本研究所は戦前セランゴール州政府が管理していた。占領後、所長といくつかのポストは日本人
で占められ、日本人が地元スタッフを監督した。彼らは'それまでイギリス人のものであった研
究所のすべての記録、図書'文香、道具、機械、施設を維持し、スンガイプロ(クアラルンプー
ル近郊)のゴム実験農園の管理も行った。︹中略︺
一九四三年一〇月一日、軍政部が研究所と実験農園の管理を引き継ぎ、以来すべての図書、文書'
記録類は研究所で保管された。
森林実験施設・木材研究所
日本による占領と同時に'セランゴール州政庁はクボンの森林実験施設とスントウル木材研究所
を管理下に置いた。管理替えの際に、すべての記録'図番、道具'機械類が破壊ないし持ち去ら
れた︹下略)0︹以下省略︺
これは終戦直後に連合軍が行った日本軍政関係者の尋問記録の一部である。被尋問者の名前をいま特定することが
できないが、日本占領下マラヤでの記録文昔の扱いについて、い‑つかの言及が見られる。たとえば(参考怒文)と
ある部分などをみると、「日本がマラヤを占領するにあたって、軍は企業を︹それまでと︺同じように経営しようと
して、あらゆる記録や文番を最大限に利用した。しかしこれらの記録や文香は'過去3年半の問に日本人によってす
べて焼かれてしまった」などと記されている。しかし、尋問記録という史科の性格のためか'これ以上に詳しいデー
タが含まれていないのが残念である。
史料2では極めて断片的な状況しかわからないが、日本占領が記鐘文香に及ぼした影響を全体的、概括的に知る手
日本軍政期英硫マラヤにおける記録文香の状況(安藤)
史料飴研究紀要第三三号(二
〇 〇
二年)が か り は 戦 後 の 史 料 の 中 に い く つ か あ る 。 次 に そ の 一 部 を 紹 介 す る 。
九〇三 日 本 占 領 が 記 録 文 書 に 及 ぼ し た 影 響
‑ 戦 後 の イ ギ リ ス 軍 政 部 調 査 か ら ‑ ・
イ ギ リ ス は ' 日 本 降 伏 後 ' マ ラ ヤ に B ri tis h M
ilitaryAdministration (略 称
BMA.・イ ギ リ ス 軍 政 部 ) を 置 く 。 軍 (14 ) 政 部 は 1 九 四 六 年 四 月 1 日 ま で 約 七 か 月 存 続 し 、 そ の 後 民 政 に 移 管 す る o
マ ラ ヤ の 戦 後 復 興 政 策 を 実 行 に 移 す た め ' イ ギ リ ス 軍 政 部 と そ の 後 の 植 民 地 政 府 は ' 日 本 占 領 期 の 実 態 に つ い て さ
ま ざ ま な 調 査 を 行 っ て い る 。 そ の 中 に ' 日 本 占 領 下 の 記 録 文 書 状 況 を 知 る 手 が か り と な る 調 査 が い く つ か 含 ま れ て い
る 。 さ し あ た り 、 四 つ あ げ て お き た い 。
第 1 は ' イ ギ リ ス 軍 政 部 の M o n u m en ts. F in e
ArtsandArc hi
ves(略 称
MFAA、 記 念 物 、 美 術 品 な ら び に ア ‑ カ
(15)イ ブ ズ 課 ) が 実 施 し た ' 博 物 館 資 料 や 図 書 ' 歴 史 文 書 な ど の 被 害 調 査 で あ る
。こ れ は ' 連 合 国 が ヨ ー ロ ッ パ で 大 々 的 (16 ) に 行 っ た ' ナ チ ス に よ る 美 術 品 や 記 録 文 音 の 略 奪 被 害 調 査 の ア ジ ア 版 と で も い う べ き 活 動 で ' 非 常 に 興 味 深 い も の で
あ る が 、 ヨ ー ロ ッ パ に く ら べ る と 、 そ れ ほ ど 詳 細 な 結 果 が 示 さ れ て い な い よ う で あ る 。 こ れ に つ い て は 別 の 機 会 に 紹
介 し た い 。
第 二 は 、 同 じ ‑ イ ギ リ ス 軍 政 部 が 一 九 四 五 年 に お こ な っ た ' 住 民 の 出 生 ・ 死 亡 ・ 結 婚 記 録 に 関 す る 全 国 的 調 査 で あ
る 。 イ ギ リ ス 領 マ ラ ヤ に は ' も と も と 日 本 の 戸 籍 に 当 た る も の は な ‑ ' レ ジ ス タ ー つ ま ‑ 出 生 ・ 死 亡 ・ 結 婚 登 録 薄 が
住 民 管 理 の 基 本 台 帳 で あ っ た 。 と こ ろ が 日 本 の 軍 政 当 局 は ' 1 九 四 二 年 四 月 に F a mi )y R e g is tr a ti o n S y st e m つ ま り 日
本 の 戸 籍 制 度 に 類 似 し た 家 族 登 録 制 皮 を 導 入 し ' 1 九 四 三 年 1
0月 に は 隣 組 制 度 さ え 導 入 し て 、 住 民 管 理 シ ス テ ム に (17 ) か な り の 改 変 を 加 え た 。 そ の 際 に 、 旧 来 の 出 生 ・ 死 亡 ・ 結 婚 登 録 枠 な ど の 記 録 が ど の よ う に 利 用 さ れ た の か ' ま た は
さ れ な か っ た の か 。 こ れ は ' そ れ 自 体 非 常 に 興 味 探 い 問 題 だ が ' そ れ は と も か く と し て 、 イ ギ リ ス 軍 政 部 は 日 本 占 領
で 混 乱 さ せ ら れ た 住 民 管 理 シ ス テ ム を 元 に 戻 す た め に ' 出 生 ・ 死 亡 ・ 結 婚 記 録 の 現 況 に つ い て 詳 し く 調 べ る 必 要 が あ
っ た の だ と 思 う 。
表
2が 調 査 結 果 を ま と め た も の で あ る 。 こ れ は 、 各 州 か ら 提 出 さ れ た 報 告 書 や 軍 政 部 中 央 が 作 成 し た 集 計 表 な ど 、
何 種 類 か の 史 料 を も と に 私 が 新 た に 作 成 し た 。
イ ギ リ ス 軍 政 部 は ' マ レ
ー半 島 と シ ン ガ ポ ー ル を 十 の R e g i o ロ (地 方 ) に 分 け て 管 轄 し た の で 、 調 査 結 果 は R e g io n
ご と に ま と め て あ る 。 R e gi o n
3の ベ ラ 州 と R e gi o n 4 の セ ラ ン ゴ
ール 州 に つ い て は t d is tri ct (那 ) 単 位 の 情 報 が わ か
る 。
こ れ を 見 る と ' ま ず 左 側 の 欄 の 結 婚 記 録 に 関 す る 部 分 は t H in d u (ヒ ン ド ゥ
ー敦 徒 ) 、 C h ri st ia n (キ リ ス ト 教 徒 ) 、
M
os‑em(イ ス ラ ム 教 徒 ) に 分 か れ て い る が ' 記 録 の 残 存 状 況 は バ ラ バ ラ で あ る
。全 記 録 が 残 存 し て い る 、 と 報 告 し
て い る TU こ ろ が あ る か と 思 え ば 、 R e g io n
3の D in d in g s D is tr ic t (デ ィ ン デ ィ ン 郡 ) の イ ス ラ ム 教 徒 の よ う に ' 「 日 本
降 伏 時 P a
nghu
lu.
sC o u rt と K a t
hi.sO ffi ce が 日 本 人 に よ っ て 放 火 さ れ 結 婚 記 録 が 焼 失 」 と 番 い て い る と こ ろ も あ る 。
右 側 の 欄 は ' 出 生 な ら び に 死 亡 記 録 だ が 、 報 告 内 容 の 精 粗 の 差 が 大 き く ' こ れ ま た 何 ら か の 特 役 的 傾 向 を 指 摘 す る
こ と は 困 難 で あ る 。 た だ 、 R e gi o n
5の マ ラ ッ カ 州 や R
eg io n 7 の ケ ラ ン タ ン 州 な ど の 比 較 的 詳 し い 記 述 を 見 る と 、 日 本
占 領 期 に 軍 政 当 局 が 戦 前 記 録 を .利 用 し て い た こ と や 、 敗 戦 後 の 混 乱 期 に 記 録 の 一 部 が 略 奪 、 破 壊 さ れ た こ と が 報 告 さ
日本軍政期英領マラヤにおける記録文番の状況(安藤)九一
【表
2〕 1 945
年 出生 ・死亡 ・結婚 登録 記緑 の保存状 況 に関す る英軍 政部調査 (マラヤ、シンガポール)
Re
gionSt Di Depar at s t e r i c t t men ′ t Mar r i ageRec or ds Bi r t handDeat hRec or d s Regf On1 Hi ndu Al o rSt
ar
については完全に残存.191 4
年以降現在までの全州分が揃い.
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li s .Kedah
その他は調査中.
&
Kr o h chr Mos i ‑ s em Al t i an 1 Sh J
領期には新規登録なし.の他は調査中Yen.Kua Ba
保管記良の一部は戦争期に消失(
(i Ke
消t r J a l a d o da r .Ba a 941 rSt a● rBa h i li
追加情 報) :ahCour
年分 まで残存. 日本占ang h r l
ruについては残存.そa Muda.Kul
のSh.Di a s t t r s r ic a'
に無傷保管.i Langkwa
ta はDi hCour s t i r ic m, i. t s t
失リス ト省略).Regf on2 Hi nd
u 残存せず. 完全に残存.
Penan g
&ch r i s t
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シンガポールに残存.Pr ovi n ce Mos l
em
日本占領以前のものお よび日Wel l es l
ey
本占額期のもの共に不完全.Regl On3 Chr i s t i an l 941
年12
月以前の豊丘馴Per Ba a
kt an
まった く残存せず. i,g H
: L nd
u 全記録が残存. 不完全に残存.Pad a ng
Di s t r i c
tMos l em
全記録が残存.Kua l
aHi ndu
結婚登録簿 .受取簿は畳良官が日 本人 によって
破壊され残存せず.
Ka ngs a r
保管.畳良官党帳や結婚宣誓蒋Di s t r ic t
Kr ia
nM
ファイルは略奪された.os l em
で日本占領期以前の記録は完全 日本占領期においても更新.Hi ndu
結婚登録簿 .桔姑証明簿とも完Di s t r ic t Mos ー em
全完全残存.古い記.鐘の一部に 虫損あり.
La
rut Hi ndu 1 925
年以降の記録 はほほ完全Ma t a ng
& (詳細略).Se l a m
a Mos T em
日本占領期以前の記録は完全Di s t r i
c
t で日本占領期においでも更新.Di nd i ng
sHi ndu
結婚登録簿 .結婚豊島証明簿なDi s t r i c t Mos l em
は保存されていない.どがあるが, 日本占領期の記良日本降伏時Panghulu■sCourt
Uppe r Hi ndu
結婚生見簿控3
冊のみで豊丘薄 1 9 31 ‑ 1 9 41
の記録が残存Pe r ak
は .ない.
Di s t r ic t Mos l em
で 日本 占領期におい日本 占領期以前の記録は完全 で も更新.
K i nt a H i n d u登録簿利用可能.
ほとんど残存せず.
Di s t r ic t Mos 工 Bat KamnArSI ヱa 山 一 em Ka Cou
本 占領中も無事叙 までは完全だつたが失われたルを占領中に破壊.結蛤登録簿はEdi
輯証明香2冊が 日本 占領期 に消失.他は残存し日本占領期もElur
本占鎖期 も3uhZ
th
ri .
tにあった記錠 は 日本軍が同 ビ' bE S s I hhSI Of 2 血出血 . hi Gc I
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nが夜盗 にあい全記鐘がuT
h‑pt i F . i ‑ f
tn結婚証明書oJ r 4 kt i r
冊残存.ーat 全 記録残存.u T
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に保持.. t Kat 9
45 4
年冊 と社日本占hi 5
月● s
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保持.Lowe r
川nd
u 結妨空錠簿2
セ ッ ト現存.1 9 31 ‑ 1 9
41
の空錠簿副本 と日本占領期の
Per a k Cr y , i s t i an
な し. 記録が不完全だが残存.
Di s t r ic t Mosl em
日本占領期 の もの を含め全記 録が残存.
O f G c e o f C r v i s t i a n1 9 4 1 年 1 1 月以前の丑良簿は
泊 1 9 1 4 年以降現
在までの全州分が揃い.
仏eSuper i o r
安刑事政判所放失によ り全 く CourHpoh 残存 しない.
Of 丘c eo f ch r i s t i an 1 9
41
年11月以前の登録簿は日t
heS e c r e t a r y
本年がTai
pi ng
占領時 に破壊t oRe s i de nt
し全 く残存 しない.Re gI on4
Se
Kl ango l a ng r cr Hi nd vi s t i an 1 9
38年分 まで完全 に残存.u 完全に残存.
Bi r t h l 9 3 3
.ll.1 5 ‑ 1 9
40 ヱ7 ;
E]本 占領期はDi s t r i c t
Kua l a Mos ー em 1 9 31 ‑ 1 9
43
分が残存.1 9 4
2.1 . 1 . 1 9
4 3 .
ll.1が残存.Deat h l 931 . 1 .
1 . 1 9 3 9 . l l . 31 ;
日本 占硫期 は1
942. 1 . 1 ‑ 1
943523が残存.Hj nd
u 完全に残存.Bi r t h l 9 3
1.1 . 1 ‑ 1
941 .
10
.12;日本 占領期 は
Langa t Mos l em
な し.1
94
2.1 2‑ 1 9 4 4
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‑5が残存.Di s t r ic t D
eat h l 1 9
49 2 3 23‑
1.1 . 1 1 ‑ 9 1
49 3
43
0息20:E3 ]本 占領期 は1
カ巧生存.Ku血 H
hdu 完全 に残存.Bi r t h l 9 3
1.1 . 1 . 1 9 41 .
ll.5;日本 占領Sel Di s a t ngo r i c t r Mos l em
証明El本 占領期 に発行 された括昏1 8
臥 姓婚証明呑 6冊蛤 Deat h l 1
9429 3
.11
.. 1 1 . ‑ 1 1 ‑ 9 1 4 9 4 4 .
01. 0 9
23が残存..12 期 は;日本 占領期 は
1
942.1
.1 8 ‑ 1 9
43 3
31
が残存.Ka t h i . Ko a la
受取呑 .結婚証明呑 .放蛤証明替 .結婚Lumpu r
登拝啓等. 7
種8
冊 を保管.
U OfrLCer
.Ulu DistrictL
luLa ng a t 0. Kat C. hi P. .Ka D. .Ka j ang;Di j ang:Peng s t r ic h ul t u.Che r as :
史料館研究紀要第三三号(二
〇 〇
二年)Ul u Hi n
du 豊丘簿1
冊Bi r t h
出生空錠簿3
Se l a ngo r Mos r em
結婚登録簿1
冊 (日本 占領期),Deat h
死亡登 冊録簿
3
冊Di s t r i c t
J柏里涼離婚登録簿結婚空錠簿1 1
冊 (E冊 (英領期),戟l本 占領期),簿 (英領期)
Hi nd u Se Di r cks e mba on,Tampi n
のLa bourOf n.Pi f i l c ah e .Po
の各 登録薄は完全 に残r
tってお り利用可能.