平 成 二 十 五 年 度 博 士 学 位 請 求 論 文
中 近 世 の 日 蓮 教 団 と 公 権 力
坂 輪 宣 政
目 次
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
1
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 一 問 題 の 所 在
1
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 二 本 論 文 の 構 成
4
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 一 部 中 世 日 蓮 教 団 と 京 都
9
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 一 章 天 文 法 難 に つ い て
11
第 一 節 法 華 一 揆 に つ い て の 一 考 察
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ― 足 利 義 晴 と の 関 係 を 中 心 と し て ―
11
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 足 利 義 晴 と の 関 係 に つ い て
12
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 町 衆 の 自 治 と 法 華 一 揆
20
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 天 文 法 難 の 原 因 に つ い て
22
第 二 節 中 世 日 蓮 宗 の 地 位 に つ い て の 一 考 察
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ― 天 文 法 難 の 和 睦 に お け る 法 衣 な ど の 規 定 を め ぐ っ て ―
31
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 三 節 松 ヶ 崎 郷 住 民 の 結 合
43
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 二 章 中 世 に お け る 日 蓮 教 団 の 位 置 の 一 考 察
55
第 一 節 中 世 後 期 京 都 日 蓮 宗 の 周 囲 の 状 況 に つ い て
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ― 公 家 書 札 礼 と 『 七 十 一 番 職 人 歌 合 』 を 中 心 に ―
55
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
55
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 弘 安 書 札 礼 と 僧 位 僧 官
55
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 室 町 幕 府 の 書 札 礼 と 日 蓮 宗
61
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 『 職 人 歌 合 』 に お け る 「 法 華 宗 」
62
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 結 び
65
第 二 節 日 蓮 宗 と 三 条 実 香 に つ い て の 一 考 察
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ― 中 世 京 都 日 蓮 宗 と 公 家 の 関 係 の 一 例 と し て ―
70
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
70
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 日 蓮 宗 と の 関 連 を 示 す 記 事
70
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 実 香 と 法 華 一 揆
75
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 結 び
77
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 三 節 宗 論 と 民 間 布 教 者
83
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 宗 論
83
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 「 民 間 布 教 者 」 と そ の 集 団
88
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 結 び
90
第 二 部 近 世 幕 藩 体 制 下 の 日 蓮 教 団 の 一 考 察
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ― 岡 山 藩 と 江 戸 を 中 心 に ―
95
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 一 章 藩 と 教 団 の 衝 突
96
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 一 節 池 田 光 政 の 破 仏 と 本 蓮 寺
97
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
97
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 池 田 光 政 の 廃 仏 政 策
97
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 牛 窓 本 蓮 寺 と そ の 文 書
105
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ま と め
122
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 二 節 宝 暦 五 年 ・ 六 年 の 勧 化 銀 一 件 ― 日 蓮 宗 と 社 方 の 争 論 ―
127
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
127
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 論 争 の 起 こ り と 日 蓮 宗 の 対 応
129
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 神 道 長 上 吉 田 家 の 介 入 と 藩 の 対 応 の 変 化
168
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 五 月 の 判 形 以 降 の 推 移
184
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 四 ) 事 件 の ま と め
207
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 五 ) 十 ヶ 寺 の 追 却 に 関 す る 本 山 の 協 議
209
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 三 節 勧 化 銀 一 件 後 の 藩 内 寺 院 の 退 去 に つ い て
215
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 四 節 「 寺 院 の 改 宗 」 に つ い て
229
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 五 節 「 日 蓮 宗 」 の 宗 号 を め ぐ る 論 争
238
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
238
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 論 争 の 発 端 と 経 過
239
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 本 山 か ら 末 寺 へ の 指 示
247
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 寺 社 留 帳 の 記 述 か ら み る 裁 定
254
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 四 ) 文 化 五 年 の 宗 号 に 関 す る 一 件
260
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ま と め
263
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 二 章 藩 と 領 内 寺 院
266
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 一 節 藩 と 領 内 住 職
267
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 法 令 集 に み る 宗 門 改
267
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 住 職 の 任 免 と 藩 へ の 出 入 り に つ い て
277
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 行 事 の 許 可 に つ い て
297
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 四 ) 寺 に 関 す る 諸 事 例
299
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 二 節 藩 と 領 内 寺 院 ― 賞 詞 と 出 奔 ―
309
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 藩 か ら の 賞 詞 に つ い て
309
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 藩 内 寺 院 の 出 奔 に つ い て
318
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 三 節 本 山 妙 覚 寺 貫 首 の 西 国 巡 錫 の 際 の 岡 山 藩 主 と の 儀 礼
330
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 四 節 宝 永 五 年 の 日 蓮 宗 と 浄 土 宗 の 「 法 論 」 一 件 に つ い て
340
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
340
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 妙 勝 寺 で の 事 件 に つ い て
341
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 宝 仙 寺 の 事 件 に つ い て
361
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ま と め
364
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 五 節 城 下 で の 説 法 に よ る 騒 動
367
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 六 節 鷹 ヶ 峰 善 栄 の 日 雅 仏 具 受 け 取 り に つ い て
381
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 三 章 藩 内 信 徒 に 関 し て
395
第 一 節 日 蓮 宗 信 仰 と 在 地 村 落 社 会
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ― 岡 山 藩 和 気 村 と 西 中 村 の 祈 祷 に 関 す る 争 論 ―
396
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
396
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 和 気 村 番 神 祭 礼 と 村 祈 祷
396
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 赤 坂 郡 西 中 村 の 祈 祷 に 関 す る 争 論
402
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ま と め に か え て ― 「 村 座 」 と 日 蓮 宗 寺 院 ―
411
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 二 節 改 宗 に つ い て の 諸 事 件
417
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 三 節 寺 送 り 手 形 の 検 討
435
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 四 節 近 世 庄 屋 記 録 『 万 波 家 文 書 』 に み ら れ る 近 世 村 落 の 寺 院
439
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
439
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 宗 門 改 め に 関 し て
443
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 実 成 寺 の 住 僧 に 関 し て
456
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 実 成 寺 の 建 築 物 に 関 し て
464
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 四 ) 祭 礼 ・ 葬 式 な ど に つ い て
467
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ま と め
482
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 付 ) 他 宗 派 記 録
483
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 四 章 近 世 各 地 の 事 例
491
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 一 節 近 世 の 六 条 本 圀 寺 と そ の 門 前 町 ― 西 門 前 町 文 書 を 中 心 に ―
491
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 本 圀 寺 と 門 前 町 の 争 論
493
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 近 世 後 期 の 町 と の 儀 礼 的 関 係
505
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 妙 蓮 寺 と 妙 蓮 寺 前 町
509
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 二 節 萩 市 法 華 寺 蔵 『 什 宝 帳 』 に つ い て
516
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
516
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 「 什 宝 帳 」 に つ い て
516
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 「 什 宝 帳 」 作 成 の 影 響
521
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 五 章 近 世 後 期 江 戸 の 日 蓮 宗
523
第 一 節 江 戸 日 蓮 宗 寺 院 と 旗 本
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ― 『 寛 政 重 修 諸 家 譜 』 の 分 析 を 中 心 に ―
524
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
524
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 寛 政 重 修 諸 家 譜 と 旗 本 に つ い て
525
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 寛 政 重 修 諸 家 譜 か ら み る 江 戸 日 蓮 宗 寺 院
527
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 旗 本 の 仏 事 と 信 仰
542
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 結 び
549
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 第 二 節 旗 本 三 嶋 家 の 幕 末 期 に お け る 仏 事 に つ い て
553
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
553
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 旗 本 三 嶋 家 の 菩 提 寺 改 変 に 関 す る 騒 動
553
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 家 来 や 領 民 の 供 養
561
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三
)三 嶋 家 の 幕 末 ・ 明 治 初 期 の 仏 事
563
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 結 び
570
第 三 節 近 世 か ら 明 治 最 初 期 に か け て の 日 蓮 宗 寺 院 の 様 相 に つ い て
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ― 日 蓮 宗 明 治 五 年 と 同 十 年 の 書 上 に つ い て の 分 析 か ら ―
575
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
575
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 書 上 に つ い て
575
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) 書 上 の 内 容
577
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 書 上 の 寺 院 数 と 檀 家 数
582
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 四 ) 土 地 と 面 積
589
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 五 ) 僧 の 年 齢 と 出 身 地
591
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 六 ) 檀 林 に つ い て
598
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 七 ) 余 録
600
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 八 ) 火 葬 所 寺 院
601
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ま と め
605
第 四 節 近 世 江 戸 の 日 蓮 系 寺 院 の 建 立 年 代 と 維 新 後 の 合 寺 に つ い て
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ― 明 治 の 二 種 の 書 上 を 中 心 に ―
608
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ は じ め に
608
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 一 ) 明 治 書 上 二 種 と 開 創 年 代
609
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 二 ) グ ラ フ に よ る 他 宗 寺 院 と の 比 較
618
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ( 三 ) 明 治 初 期 の 寺 院 廃 合
623
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ま と め
627
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ お わ り に
630
は じ め に
一 問 題 の 所 在
二 本 論 文 の 構 成
一 問 題 の 所 在
日 蓮 聖 人 に は じ ま る 教 団 、 そ れ は 多 く の 門 流 に 分 か れ て 発 展 し て い っ た 。 本 論 で は 、 こ の 諸 門 流 の 全 体 と い う 意 味
で 、 総 称 し て 日 蓮 宗 ま た 日 蓮 教 団 と い う 呼 称 を 用 い る 。 現 在 で は 日 蓮 宗 と は 宗 教 法 人 の い わ ゆ る 単 称 日 蓮 宗 の 名 称 で
あ る が 、 本 論 文 で は 日 蓮 法 華 系 諸 門 流 の 全 体 と い う 意 味 で 用 い て ゆ く 。
さ て 、 日 蓮 宗 は 鎌 倉 時 代 か ら 次 第 に そ の 形 態 を 確 立 し は じ め 、 人 々 の 帰 依 を 受 け て 室 町 時 代 に は 基 盤 を 固 め て ひ と
つ の 宗 派 と し て 定 着 し た 。 各 本 寺 を 頂 点 と す る 門 流 が 形 成 さ れ 、 門 流 ご と に 教 学 と 法 度 が 成 立 し て い っ た 。
日 蓮 宗 は 成 立 当 初 か ら 、 従 来 の 諸 宗 派 、 と く に 顕 密 仏 教 な か ん ず く 天 台 宗 と は 融 和 せ ず 、 む し ろ 敵 対 し て い た 。 そ
の 最 大 の 理 由 は 日 蓮 宗 の 教 義 に あ っ た 。
日 蓮 宗 は 法 華 経 を 最 勝 の 経 典 と し て 、 独 自 の 教 学 を 築 き 上 げ た 。 そ れ は す べ て の 人 々 の 成 仏 得 道 を 説 く も の で あ っ
た が 、 同 時 に 他 の 宗 派 の 教 義 を 劣 る も の と み な し 否 定 す る 部 分 を 含 ん で い た 。
そ の た め に 、 他 宗 の 僧 俗 か ら は 、 常 に 批 判 の 目 を 向 け ら れ 、 反 発 も 大 き か っ た 。 し か も 日 蓮 宗 は 折 伏 と い わ れ る 強
硬 な 布 教 姿 勢 を 貫 い た た め に 、 対 立 も よ り 大 き く 深 く な る 傾 向 が あ っ た 。 そ の 反 対 に 一 旦 信 徒 と な っ た 者 た ち は 深 い
連 帯 を も つ よ う に な っ て い っ た 。
日 蓮 宗 は 次 第 に 教 線 を 拡 大 し て 行 っ た が 、 そ の よ う な 構 造 は 変 わ ら な か っ た 。 日 蓮 宗 は 独 自 の 教 義 を も ち 、 そ れ に
も と づ く 理 想 世 界 を 措 定 し て い た 。 僧 俗 は 、 現 世 来 世 と も に 、 そ の 教 え に よ っ て 生 き て い く 人 々 で あ っ た 。
具 体 的 な 信 徒 と し て は 、 京 の 町 な ど の 商 工 業 者 が 多 か っ た と い わ れ る 。 新 興 勢 力 で も 受 容 す る 層 が 多 い 傾 向 が あ っ
た よ う で あ る 。 領 主 階 層 の 中 に は 領 分 す べ て を 自 己 の 帰 依 し た 日 蓮 宗 に 改 宗 さ せ よ う と し た 例 も あ っ た 。
ま た 注 目 す べ き 形 態 と し て 、 農 村 で は 一 つ の 集 落 が 、 成 員 す べ て が 帰 依 す る 形 式 が と き お り み ら れ た 。 教 義 と し て
の 理 想 で あ る 娑 婆 即 寂 光 土 を 目 指 す こ と を 理 想 と し て い る こ と か ら も 、 そ れ は 自 然 な 流 れ で あ っ た と 思 わ れ る 。
日 蓮 宗 は 各 門 流 ご と に 競 い 合 う よ う に し て 発 展 し て い っ た 。 し か し 、 外 部 と の 接 触 に お い て は 常 に 緊 迫 し た 要 素 を
も ち 、 し ば し ば 摩 擦 を 生 じ て い た 。
こ れ は 日 蓮 宗 の み の こ と で は な い が 、 一 つ の 理 由 と し て は 教 団 と い う 独 自 の 世 界 観 、 論 理 を も っ て 立 つ 集 団 は 、
そ の ゆ え に 外 部 と の 摩 擦 を 生 じ 、 必 然 的 に 衝 突 す る 理 由 を 内 包 す る も の で あ っ た 。 そ の 集 団 と し て の 凝 集 性 は 大 変 強
固 な も の で あ っ た 反 面 、 そ れ は 逆 に 他 と の 摩 擦 を 生 じ 、 衝 突 す る 可 能 性 を も 増 大 さ せ る も の で あ っ た 。
日 蓮 宗 の 僧 俗 は 、 つ ね に 他 者 の 存 在 を 意 識 し 、 他 者 と 衝 突 す る こ と を も 視 野 に 入 れ な が ら 行 動 し て ゆ か ね ば な ら な
か っ た 。 そ の 意 識 は 、 中 世 に お い て は あ る い は 理 論 的 な 武 装 と な り あ る い は 常 に 命 を 捨 て る 覚 悟 を 伴 う 緊 張 し た 生 活
で も あ っ た の で あ ろ う 。
日 本 全 体 と し て の 政 治 ・ 社 会 の 仕 組 み 、 政 治 権 力 や 制 度 は 、 日 蓮 宗 の 教 義 と そ れ に も と づ く 行 動 に 一 致 し な い こ と
が あ っ た 。 そ れ ど こ ろ か 鋭 く 対 立 す る 場 合 も あ っ た 。 そ し て 、 公 権 力 か ら の 圧 力 が か け ら れ る こ と も あ っ た 。 し か し
日 蓮 宗 の 僧 俗 は 、 お の れ の 信 仰 を 重 ん ず る 人 々 で あ り 、 そ れ に は 容 易 に 屈 し な か っ た 。 た と え 公 権 力 の 制 定 し た 法 に
従 う こ と に な っ て も 、 信 仰 そ の も の へ は 障 り が な い よ う に 名 分 を 工 夫 し て い た 。
以 上 の よ う な 事 柄 は 以 前 よ り 注 目 さ れ 、 す で に 多 く の 先 学 に よ っ て 論 じ ら れ て き た 。 こ れ ま で 、 各 時 代 の 日 蓮 宗 の
教 義 や 門 流 の 姿 勢 、 発 展 、 内 部 で の 統 制 や 法 度 な ど 様 々 な 視 点 か ら 多 く の 研 究 が な さ れ て き た 。 こ の よ う な 教 団 の 歴
史 上 の 推 移 の 研 究 を よ り 進 展 さ せ る こ と が 本 論 文 の 目 標 で あ る 。
そ の 時 代 の 公 権 力 に よ っ て 形 成 さ れ た 世 界 で 、 教 団 は そ れ に 対 応 し な け れ ば な ら な か っ た 。 日 蓮 宗 が 中 世 ・ 近 世 の
そ れ ぞ れ の 時 代 で 、 ど の よ う に 行 動 し て き た か 、 公 権 力 と い か な る 接 触 を も ち 、 如 何 な る 対 応 を し て い た の か 、 こ れ
を 出 来 る 限 り 具 体 的 な 事 例 を あ げ て 検 討 し て ゆ く の が 本 論 文 の 主 題 で あ る 。 教 団 は 自 身 の 意 識 ・ 価 値 観 自 意 識 だ け で
存 立 で き る も の で は な く 、 他 者 ・ 外 部 と の 関 係 を も た な け れ ば な ら な い 。 日 蓮 宗 と い う 独 自 の 世 界 観 を も ち そ の 実 現
を 目 指 す 人 々 が 、 あ る い は 中 世 、 あ る い は 近 世 幕 藩 体 制 下 で 遭 遇 す る 様 々 な 場 面 に お い て 、 如 何 な る か た ち で 外 部 と
の 対 応 を 行 っ て き た か 、 と い う 観 点 か ら 考 察 を す す め る こ と を 構 想 し た 。
日 蓮 宗 の 僧 俗 は 主 体 性 を も っ て 信 仰 を 選 択 し 、 そ れ を 行 動 に あ ら わ し て き た 。 信 仰 は 相 対 化 さ れ え な い 、 絶 対 的 な
も の と し て 受 け 取 ら れ 、 主 体 的 に 選 択 さ れ 行 動 し て い た 。 信 徒 に と っ て 、 信 仰 に 関 す る 言 動 は 、 単 な る 風 習 や 規 則 で
定 め ら れ た も の で は あ り え な か っ た の で あ り 、 そ の 様 子 は 随 所 に 見 ら れ た 。
本 論 文 で は 、 日 蓮 宗 と い う 自 律 的 な 集 団 を 形 成 し て い た 人 々 が 、 何 か の 事 件 に 際 し て 、 あ る い は 平 穏 な 日 常 で 、 ど
の よ う な 対 応 を し て き た か 、 そ の 考 え 方 は ど の よ う な も の で あ っ た ろ う か 、 こ の こ と を さ ら に 追 求 す る こ と を 考 え た 。
そ し て 、 教 団 の 動 向 と い う 大 き な 問 題 の み な ら ず 、 ご く 一 般 の 平 凡 な 信 徒 や 僧 侶 の 姿 ・ 行 動 を も 探 求 し た い と 考 え た 。
な か で も 公 権 力 の 及 ぼ す 力 と の 接 触 す る 場 面 は 僧 俗 の 人 々 の 姿 勢 が 明 確 に あ ら わ れ え る と こ ろ で あ り 、 と く に 注 目
し た 。 先 述 の よ う に こ れ ま で も 、 日 蓮 宗 と 他 者 ・ 外 部 と の 交 渉 や 摩 擦 に つ い て は 、 公 武 と の 交 渉 を は じ め と す る 様 々
な 研 究 が な さ れ て き た 。 本 論 文 も そ の 大 き な 流 れ の 中 に あ り 周 辺 的 な も の も 含 め て 新 た な 知 見 を 得 よ う と す る も の で
あ る 。
二 本 論 文 の 構 成
本 論 の 構 成 と し て は 、 ま ず 第 一 部 で 中 世 に お け る 日 蓮 宗 の 外 部 と の 衝 突 の 最 大 の 事 例 で あ る 法 華 一 揆 と 天 文 法 難 、
さ ら に そ の 周 辺 の 諸 相 を 考 察 し た 。
法 華 一 揆 は 単 な る 暴 徒 の よ う に 評 価 さ れ た こ と も あ っ た 。 し か し 実 際 は 当 時 の 混 乱 し た 情 勢 の 下 で 、 各 門 流 の 日 蓮
宗 僧 俗 が 将 軍 ら の 認 定 の も と で 一 致 し て 対 処 し て い た の で あ り 、 当 時 の 公 権 力 を 否 定 し て 暴 走 し て い た わ け で は な い
と 考 え る 。 そ の こ と に つ い て の 考 察 が こ の 第 一 部 第 一 章 で あ る 。
天 文 法 難 は 、 あ く ま で 日 蓮 宗 と 比 叡 山 の 宗 教 的 な 対 立 が 根 底 に あ っ て の も の で あ り 、 権 力 構 造 や 公 権 力 の 意 志 に よ
っ て 必 然 的 に お き た も の で は な い と い え る で あ ろ う 。 本 論 で は 以 上 の よ う な 視 点 の も と 、 法 難 に 至 っ た の は 偶 発 的 な
も の で あ り 、 な か で も 近 江 の 大 名 六 角 氏 の 動 向 が 大 き な 要 因 と な っ て い た と い う 推 測 を 行 い 、 そ の 観 点 か ら 考 察 を す
す め て ゆ く 。 そ し て 、 山 門 と の 宗 教 的 対 立 の 実 態 を 示 す も の と し て 、 法 難 後 の 和 睦 の 規 定 に 記 さ れ た 内 容 を 当 時 の 社
会 的 背 景 か ら 検 討 し て ゆ く 。
さ ら に 、 法 華 一 揆 に 参 加 し た 人 々 の 一 例 と し て 、 一 村 皆 法 華 で 知 ら れ る 松 ヶ 崎 郷 の 法 難 後 の 状 況 を み て ゆ く 。
第 二 章 で は 、 中 世 日 蓮 宗 教 団 の 外 部 と の つ な が り 、 関 係 を 書 札 例 な ど を 題 材 に 考 察 す る 。 教 団 の 社 会 全 体 の 中 で の
位 置 を 、 外 部 か ら の 視 線 ・ 交 渉 を も と に 追 う こ と と す る 。
第 二 部 は 近 世 の 幕 藩 体 制 下 の 状 況 を 考 え る 。
近 世 で は 幕 府 や 藩 の 法 制 が 整 備 さ れ 中 世 よ り も 安 定 し た 社 会 と な っ た 。 し か し 、 摩 擦 の 生 ず る こ と は し ば し ば あ っ
た 。 本 論 文 で は 教 団 や 僧 俗 が 如 何 に 行 動 し て い た か を 、 出 来 る 限 り 具 体 性 を 求 め な が ら 、 そ れ ぞ れ の 事 象 の 中 で 考 察
し よ う と し た 。
第 二 部 で は 岡 山 藩 内 の 事 例 を 中 心 に 検 討 し た 。 岡 山 藩 の 藩 政 史 料 で あ る 「 池 田 家 文 庫 」 収 録 の 古 文 書 を 主 な 材 料 と
1
し て 、 岡 山 藩 内 の 出 来 事 を 中 心 に 考 察 を す す め た 。 こ の 岡 山 藩 の 文 書 は 藩 政 の ひ ろ い 範 囲 に か か わ り 長 期 間 に 亘 る 多
様 な 文 書 を 伝 存 し て い る 。 近 世 の 寺 院 の 姿 を 様 々 な 観 点 か ら 眺 め る の に 好 適 な 史 料 で あ る と い え よ う 。 そ の 中 に 記 さ
れ て い た の は 、 あ る い は 特 別 な 事 件 で あ り 、 あ る い は あ ま り に も 日 常 的 で 平 凡 な た め 記 録 さ れ に く い 事 象 で も あ っ た 。
日 常 的 す ぎ て 当 た り 前 の こ と は 意 外 に わ か ら な い と も い わ れ る 。 特 筆 す べ き で な い よ う な 事 柄 で も 具 体 的 に 示 す こ と
が で き る な ら ば 、 全 体 像 を 形 成 す る 上 で 有 用 な こ と で も あ ろ う 。 か な り 断 片 的 な も の も 多 く 含 ま れ る が 、 記 録 さ れ た
そ れ ら の 事 実 か ら 、 素 直 に あ り の ま ま に 当 時 の 寺 院 や 僧 の 姿 を 示 す こ と が 本 論 文 の 目 的 の 一 つ で あ る 。
岡 山 藩 領 域 は 「 備 前 法 華 」 の 異 名 も あ る 日 蓮 宗 の 信 仰 の 強 い 地 域 で あ る 。 こ の 点 か ら も 岡 山 藩 文 書 は 好 条 件 を 備 え
て い る 。 こ の 文 書 に よ っ て 在 地 に 密 着 し た 末 寺 や 檀 信 徒 の 有 様 を 見 い だ す こ と を 心 懸 け た 。
し か し な が ら 、 こ の よ う な 単 独 の 事 例 を 列 挙 す る の み で は 全 体 像 へ は 容 易 に 達 し 得 な い の は 勿 論 で あ る 。 で は あ る
が 、 近 世 の 大 部 分 を 通 じ て 同 じ 地 域 を 支 配 し て い た と い う 岡 山 藩 の 特 性 か ら 考 え て 、 有 意 義 な 点 も あ る と い え る 。 特
定 の 藩 領 域 に お け る 事 例 で あ り 、 記 録 の 主 体 も 同 一 の 藩 と い う 継 続 性 の あ る も の で あ る こ と か ら も 、 た と え 断 片 的 な
事 例 で あ っ て も 相 互 に 連 関 を も つ と 考 え て よ い 面 が 大 き い と 思 わ れ る 。
第 一 章 で は 教 団 と 藩 が 直 接 衝 突 し た 事 件 を 取 り 上 げ た 。 教 団 、 あ る い は 領 内 の 末 寺 や 信 徒 が 、 藩 の 政 策 と ぶ つ か っ
た 際 に 如 何 な る 対 応 を し て い た か を 示 し た い 。
具 体 的 に は 、 岡 山 藩 初 代 藩 主 池 田 光 政 の 廃 仏 政 策 と 、 そ れ に 対 応 し て 寺 を 守 り 抜 い た 本 蓮 寺 に つ い て 、 ま た 宝 暦 年
間 に お こ っ た 藩 領 内 で の 日 蓮 宗 寺 院 と 神 社 神 職 の 対 立 に 由 来 す る 騒 動 、 そ し て 日 蓮 宗 の 宗 号 に つ い て の 一 件 を 述 べ る 。
天 文 法 難 と 類 似 の 構 造 の 問 題 で あ る 。
第 二 章 で は 藩 内 の 寺 院 や 住 職 の 実 情 に つ い て 論 及 し た 。 藩 政 上 の 寺 院 の 位 置 や 宗 門 改 の 実 務 の 様 子 、 藩 内 寺 院 の 住
職 の 任 免 と 藩 の 対 応 、 行 事 の 許 可 な ど 広 範 な 藩 の 関 与 の 様 子 を 示 し た 。 さ ら に 、 藩 か ら の 賞 詞 や 、 ま た 出 奔 の 事 例 な
池 田 家 文 庫 に つ い て 略 述 す る と 、 谷 口 澄 夫 の 「 法 令 集 」 で の 解 題 に よ れ ば 藩 祖 光 政 が 寛 永 九 年 に 鳥 取 か ら 入 部 し て 以 来 明 治
1初 年 に い た る ま で の 膨 大 な 藩 政 史 料 と 池 田 家 収 蔵 の 和 漢 書 か ら な る 。 図 書 と 文 書 ・ 記 録 類 に 二 分 類 さ れ る 。 寛 永 九 年 以 前 の 書
も 少 数 含 ま れ て い る 。 現 在 は 岡 山 大 学 図 書 館 に 収 蔵 さ れ て い る 。 伝 存 の 形 態 に つ い て は 以 下 を 参 考 に し た 。 中 野 美 智 子 「 池 田
家 文 庫 岡 山 藩 政 史 料 の 構 造 把 握 を め ぐ っ て 」 『 吉 備 地 方 文 化 研 究 』 一 七 号 二 〇 〇 七 年 中 野 美 智 子 「 岡 山 藩 政 史 料 目 録 の デ ー ど か ら 、 寺 院 の 実 情 や 藩 の 寺 院 へ の 視 線 を 考 え 、 貫 首 と 藩 主 と の 儀 礼 に つ い て も 述 べ た 。 そ し て 、 法 論 に つ い て の 騒
動 を 三 件 考 察 し た 。 口 頭 に よ る 説 法 は 最 も 他 者 と の 衝 突 を 招 き や す い 。 具 体 的 に ど の よ う な 言 葉 が 原 因 と な っ た の か 、
ど の よ う な 反 応 が 人 々 に あ っ た の か 、 と い っ た こ と を 示 し た い 。
第 三 章 で は 藩 内 の 信 徒 に か か わ る 問 題 を 論 じ た 。 村 落 の 祈 祷 と 日 蓮 宗 信 仰 の か か わ り 、 改 宗 の 事 例 、 寺 送 り 手 形 の
検 討 の 内 容 を 示 し 、 ま た 大 庄 屋 万 波 家 の 文 書 か ら 、 在 地 村 落 の 宗 教 実 務 や 庶 民 の 信 仰 行 動 を う か が っ た 。
第 四 章 で は 、 京 都 六 条 本 圀 寺 の 門 前 町 の 変 質 し て い っ た 様 子 と 萩 法 華 寺 の 事 例 を 述 べ た 。
第 五 章 で は 、 江 戸 の 日 蓮 宗 寺 院 の 実 情 を 考 察 す る 。 『 寛 政 重 修 諸 家 譜 』 の 「 葬 地 」 の 記 述 か ら 、 日 蓮 宗 寺 院 と 旗 本
と の つ な が り に つ い て 考 察 す る 。 ま た 旗 本 三 嶋 家 の 文 書 か ら 、 江 戸 で の 改 宗 騒 動 を 示 す 。 そ し て 明 治 初 期 の 書 上 二 種
類 か ら 、 幕 末 期 の 江 戸 日 蓮 宗 寺 院 の 様 子 を 考 え た 。
取 り 上 げ た 年 代 は 期 間 も 長 く 、 地 域 性 も 大 き な 影 響 を 及 ぼ し て い る 。 容 易 に 論 じ ら れ な い の は 当 然 で あ る 。 本 論 の
考 察 は そ の 点 考 究 の 余 地 を 残 し て い る 。 ま た 、 本 論 文 で は 日 蓮 宗 の 教 団 史 と い う 見 地 か ら の 検 討 が 主 と な っ た た め に 、
他 の 宗 派 の 事 例 の 引 用 は 割 愛 し て い る 。
こ れ ら の 問 題 点 も あ る も の の 、 以 上 述 べ て き た よ う に 本 論 文 で は 二 部 七 章 に 分 っ て 教 団 や 僧 俗 の 動 向 を 考 え て ゆ く
こ と と す る 。
タ ベ ー ス 化 と 『 原 秩 序 』 『 伝 来 秩 序 』 の 把 握 」 『 吉 備 地 方 史 研 究 』 一 三 号 二 〇 〇 三 年 中 野 美 智 子 「 岡 山 藩 政 史 料 の 存 在 形 態
と 文 書 管 理 」 『 吉 備 地 方 史 研 究 』 五 号 一 九 九 三 年 な ど で そ の 全 容 と 関 わ っ た 組 織 ・ 機 構 、 そ し て 伝 達 伝 存 の 実 態 な ど が 考 究
さ れ て い る 。 本 論 文 で は 「 池 田 家 文 庫 藩 政 資 料 マ イ ク ロ 版 集 成 」 丸 善 一 九 九 三 年 を 利 用 し た 。
第 一 部 中 世 日 蓮 教 団 と 京 都
中 世 日 蓮 宗 教 団 は 次 第 に 発 展 し て ゆ き 、 京 都 で も 各 門 流 の 拠 点 が 築 か れ て い っ た 。 各 門 流 内 部 で は 自 律 的 な 機 構 が
成 立 し て い っ た 。 し か し 、 教 団 は 当 時 の 社 会 体 制 の な か へ ス ム ー ズ に 位 置 付 け ら れ て い っ た わ け で は な く 、 他 者 と 様
々 な 摩 擦 を し ば し ば 生 じ て い た 。 こ の よ う な こ と は 日 蓮 宗 の み の こ と で は な い が 、 中 世 教 団 に と っ て 重 大 な 問 題 で あ
っ た 。 中 世 日 蓮 宗 教 団 は 、 と く に 京 都 で は 公 家 社 会 か ら 批 判 的 に み ら れ た り 、 比 叡 山 延 暦 寺 ( 以 下 山 門 と も 呼 称 す る )
な ど の 旧 来 の 仏 教 教 団 と 対 立 す る こ と が あ っ た 。 教 団 は 様 々 な 摩 擦 や 軋 轢 を 経 験 し た 。 そ し て 新 興 の 日 蓮 宗 は 、 そ れ
ら 勢 力 か ら は 当 然 な が ら 正 統 的 な 信 仰 と は み な さ れ な い 傾 向 が 強 か っ た 。 そ の た め に 、 自 己 の 社 会 的 な 位 置 付 け に 苦
心 す る こ と が あ っ た 。 日 蓮 宗 教 団 は 、 自 己 の 信 仰 世 界 と 内 部 で の 自 律 性 を 維 持 し な が ら 、 外 部 と 協 調 し て ゆ か ね ば な
ら な か っ た 。
こ の 第 一 部 で は 、 そ の 様 子 に つ い て 事 例 を い く つ か 取 り 上 げ て 検 討 す る 。 ま す 第 一 章 で は 、 摩 擦 と 呼 ぶ に は 大 き す
ぎ る 事 件 で あ る が 、 天 文 五 年 ( 一 五 三 六 ) に お こ っ た 天 文 法 難 ( 天 文 法 華 の 乱 と も 呼 ば れ る ) に つ い て 検 討 す る 。 天
文 元 年 七 月 に 一 向 一 揆 の 蜂 起 が は じ ま り 、 京 の 町 が 孤 立 し た 際 に 、 町 を 守 る か た ち で 法 華 一 揆 が お こ り 次 第 に 力 を の
ば し て 市 政 へ の 影 響 力 を 強 め て い っ た 。 こ の 法 華 一 揆 が 山 門 と 近 江 六 角 氏 の 連 合 軍 に よ っ て 攻 撃 さ れ 壊 滅 し た の が 、
こ の 天 文 法 難 で あ る 。
第 一 章 で は こ の 法 難 に つ い て 、 当 時 の 室 町 幕 府 将 軍 足 利 義 晴 と 法 華 一 揆 の 連 携 の 可 能 性 、 法 難 後 の 日 蓮 宗 と 山 門 の
和 睦 に 際 し て の 法 衣 の 条 項 、 松 ヶ 崎 郷 の 住 民 の 動 向 、 こ の 三 点 か ら 検 討 す る 。 日 蓮 宗 が 公 権 力 の 一 部 と し て 定 着 す る
可 能 性 が あ っ た こ と に も 言 及 す る 。
第 二 章 で は 、 中 世 京 都 の 日 蓮 宗 教 団 を と り ま い て い た 状 態 と 、 教 団 の 対 応 を 考 え る ひ と つ の 方 法 と し て 、 書 札 例 を
中 心 に 当 時 の 公 家 と の 関 係 や 宗 論 に つ い て の 事 例 を あ げ て 検 討 し た 。
当 時 の 京 都 に お い て 日 蓮 宗 教 団 は 、 公 権 力 で あ る 朝 廷 や 幕 府 、 そ の 体 系 と 対 応 し な け れ ば な ら な か っ た 。 そ の 具 体
的 な 事 例 と し て 上 述 の よ う な 事 柄 を 検 討 し 、 当 時 の 状 況 を よ り 明 確 化 す る こ と に つ な げ よ う と す る も の で あ る 。
第 一 章 天 文 法 難 に つ い て
第 一 節 法 華 一 揆 に つ い て の 一 考 察
― 足 利 義 晴 と の 関 係 を 中 心 と し て ―
天 文 年 間 の 法 華 一 揆 が 幕 府 の 分 裂 な ど 当 時 の 機 内 の 政 治 情 勢 に 深 く 関 係 し て 町 衆 の 自 衛 と し て 起 こ っ た こ と は 、
す で に 諸 先 学 に よ っ て 詳 述 さ れ て い る 。 そ の な か に は 、 今 谷 明 氏 の よ う に 法 華 一 揆 を 民 衆 の 暴 発 的 な 動 き 、 あ る い は
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権 力 に 利 用 さ れ て 予 定 通 り に 捨 て ら れ た ピ エ ロ の よ う な 存 在 と 規 定 す る も の も あ る 。 こ の よ う な 説 に よ れ ば 、 法 華 一
揆 は は じ め か ら 終 わ り ま で 、 幕 府 機 構 に 組 み 入 れ ら れ る 可 能 性 の な い 存 在 で あ っ た と い う こ と と な る 。 し か し 本 節 で
は 、 法 華 一 揆 に つ い て 当 時 の 室 町 幕 府 将 軍 足 利 義 晴 と の 関 係 に 注 目 し 、 法 華 一 揆 に 集 結 し た 町 衆 は 、 将 軍 義 晴 と 連 携
し 、 そ の 認 定 の も と 「 寄 宿 免 除 」 な ど の 自 治 を 拡 大 し て い た 、 と 考 察 し 、 さ ら に 法 難 の 直 接 的 原 因 と し て 、 法 華 一 揆
の 暴 走 に よ る 孤 立 や 細 川 晴 元 ら の 弾 圧 で は な く 、 比 叡 山 ( 山 門 ) さ ら に は そ の 背 後 に い た 六 角 定 頼 の 動 向 に あ っ た と
考 え て 再 検 討 し た い 。 つ ま り 法 華 一 揆 は 、 そ の ま ま 京 都 の 権 力 行 使 の 機 構 の 一 部 と し て 定 着 し て ゆ く 可 能 性 も あ っ た
と 考 え る の で あ る 。 そ の 上 で な お 、 一 揆 が 他 の す べ て の 勢 力 か ら 忌 避 さ れ 嫌 悪 さ れ て い た た め 排 斥 さ れ る の が 必 然 で
あ っ た 、 と い う 見 方 も と れ る が 、 そ こ ま で の 想 定 は か え っ て 不 自 然 で あ ろ う と 思 わ れ る 。
な お 、 以 降 の 文 中 で は 『 室 町 幕 府 文 書 集 成 』 ( 高 橋 康 夫 ・ 今 谷 明 両 氏 校 訂 思 文 閣 出 版 、 一 九 八 六 年 ) 所 収 の 文 書
は 『 室 町 』 と 略 称 し 、 『 国 史 大 系 』 三 七 巻 「 後 鑑 」 ( 黒 板 勝 美 ・ 国 史 大 系 編 修 会 編 、 吉 川 弘 文 館 、 一 九 六 六 年 ) は 『 後
鑑 』 、 『 教 王 護 国 寺 文 書 』 ( 赤 松 俊 秀 編 、 平 楽 寺 書 店 、 一 九 六 一 ~ 一 九 七 〇 年 ) は 『 教 王 』 、 『 大 徳 寺 文 書 』 ( 東 京 大 学
史 料 編 纂 所 編 、 一 九 六 八 ~ 一 九 九 二 年 ) は 『 大 徳 』 、 『 東 寺 百 合 文 書 』 ( 京 都 府 立 総 合 資 料 館 編 、 思 文 閣 出 版 ) は 『 東
寺 』 、 『 日 蓮 宗 教 団 全 史 上 巻 』 ( 立 正 大 学 日 蓮 教 学 研 究 所 編 、 平 楽 寺 書 店 、 一 九 六 四 年 ) は 『 全 史 』 と 略 称 す る 。 比
叡 山 ( 山 門 ) の 申 状 は 辻 善 之 助 氏 『 日 本 仏 教 史 』 ( 平 楽 寺 書 店 、 一 九 七 〇 年 ) よ り 引 用 し た 。 日 蓮 宗 各 本 山 の 文 書 は
『 日 蓮 宗 宗 学 全 書 史 伝 旧 記 部 』 か ら 引 用 し た 。
( 一 ) 足 利 義 晴 と の 関 係 に つ い て
足 利 義 晴 の 動 向 は 従 来 は 「 細 川 晴 元 政 権 」 の お 飾 り 的 存 在 と し て 軽 視 さ れ 、 法 華 一 揆 を 邪 魔 者 視 し て 排 除 し た 武 家
勢 力 の 一 部 と の み 位 置 づ け ら れ る こ と が 多 か っ た 。 し か し 本 節 で は 、 義 晴 と 晴 元 と の 間 に は 対 立 も あ り 、 法 華 一 揆 は
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晴 元 と も 敵 対 は せ ず 、 む し ろ 義 晴 と 連 携 し て 、 そ の 公 認 の も と 洛 中 で の 諸 権 利 を 保 持 し 、 そ れ を 梃 子 と し て 自 治 を 拡
大 さ せ て い た と 考 察 し て み た い 。
ま ず 義 晴 の 法 華 一 揆 当 時 の 立 場 で あ る 。 か っ て 義 晴 は 細 川 高 国 に 擁 立 さ れ て 将 軍 と な り 、 阿 波 ・ 堺 方 の 足 利 義 維 ・
細 川 晴 元 と 抗 争 し な が ら 畿 内 の 支 配 権 を 争 っ て い た 。 そ の 後 義 晴 は 大 永 七 年 以 降 京 を 逃 れ て 江 州 に 亡 命 し 、 高 国 が 享
禄 五 年 に 大 物 浦 で 敗 死 し た 後 、 近 江 朽 木 谷 に 取 り 残 さ れ て い た の で あ る 。 と こ ろ が 翌 天 文 元 年 に 晴 元 と 三 好 元 長 の 反
目 に よ る 堺 方 の 内 部 抗 争 を 発 端 と し て 、 晴 元 方 と 本 願 寺 ・ 一 向 一 揆 の 全 面 的 な 戦 闘 が は じ ま り 、 そ の 過 程 で 義 維 が 晴
元 に よ っ て 軟 禁 さ れ 同 年 十 月 に は 出 奔 す る と い う 事 態 と な っ た 。 そ の よ う な 状 況 の 変 化 に 伴 っ て 、 義 晴 と 晴 元 と の 和
睦 が 実 現 し 、 義 晴 は 将 軍 の 地 位 を 保 ち 得 た の で あ っ た 。
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し か し 和 睦 後 に も 両 派 の 対 立 関 係 は 根 深 く 残 っ て い た と 思 わ れ る 。 特 に 義 晴 ・ 高 国 派 に 所 属 し て い た 人 々 の 所 領 は 、
晴 元 派 か ら 没 収 さ れ て 同 派 の 者 に 配 分 さ れ て い た と 思 わ れ る 。 公 家 や 寺 社 の 所 職 が 「 御 敵 方 」 に 内 通 な ど の 理 由 で 堺
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方 か ら 没 収 を 宣 言 さ れ た 例 も あ る 。 一 条 家 の 地 子 を 柳 本 が 徴 収 し よ う と し た 事 例 も 、 地 子 の 代 官 職 を 高 国 被 官 か ら 没
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収 し た と い う 論 理 に 基 づ い て い た と 考 え ら れ る 。 ま た 、 幕 府 の 分 裂 抗 争 と 個 々 の 争 論 が 連 動 し て い た 事 例 も 当 然 多 々
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あ っ た で あ ろ う 。 和 睦 の 後 も 、 両 者 の 利 害 の 調 整 が 大 変 困 難 な 問 題 に な っ て い た と 思 わ れ る の で あ る 。 一 例 と し て 義
晴 か ら 晴 元 へ 御 教 書 で 「 香 川 。 内 藤 。 長 塩 。 上 京 。 其 外 輩 之 事 」 を 赦 免 す る よ う 繰 り 返 し 依 頼 し て い た こ と も あ っ た 。
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享 禄 二 年 に は 「 長 塩 跡 職 」 が 足 利 義 維 に よ っ て 上 原 神 九 郎 に 配 分 さ れ た 事 が 窺 わ れ 、 前 文 の 赦 免 と は こ の よ う な 配 分
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さ れ た 所 職 の 返 付 を 求 め る 意 味 も あ っ た の で あ ろ う 。
奉 公 衆 の 所 領 に つ い て は 、 和 睦 直 後 の 天 文 元 年 十 月 十 六 日 に 晴 元 か ら 返 還 す る 旨 の 奉 書 が 出 さ れ た が 、 実 際 に こ の
「 未 決 分 五 十 余 ヶ 条 」 が 決 着 し た の は 法 華 一 揆 壊 滅 後 の 天 文 六 年 に 六 角 定 頼 の 仲 裁 と 調 停 に よ っ て で あ っ た 。 天 文 元
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年 か ら 五 年 の 法 華 一 揆 の 時 期 の 両 派 は 表 面 上 は 協 調 し て い た も の の 、 未 だ 厳 し い 対 立 を 内 包 し て い た の で あ る 。
そ し て 、 そ の よ う な 状 況 は 義 晴 か ら 出 さ れ た 奉 行 人 連 署 奉 書 な ど の 文 書 か ら も う か が え る 。 こ の 時 期 に は 寺 社 ・ 公
家 の 所 領 へ の 違 乱 停 止 の 奉 書 が 多 数 発 給 さ れ て い る が 、 そ の 中 に は 「 右 京 兆 代 」 や 「 六 郎 殿 代 」 に 「 下 知 を 加 え ら る
べ く 候 」 と い う 文 言 の 含 ま れ る も の が し ば し ば あ る 。 右 京 兆 も 六 郎 も 晴 元 の 呼 称 で あ る 。 こ れ は 単 な る 幕 府 機 構 上 の
遵 行 で は な く 、 晴 元 配 下 の 者 に は 、 将 軍 義 晴 と 雖 も 直 接 命 令 す る 事 が 困 難 で あ っ た 事 情 を 示 し て い る の で は な か ろ う
か 。
実 際 、 天 文 四 年 に 東 寺 上 野 庄 を 細 川 被 官 秋 庭 が 競 望 し た 際 に は 、 幕 府 よ り 停 止 の 奉 書 が 発 給 さ れ た が 、 「 早 や か に
彼 の 妨 げ を 退 け 、 下 知 を 加 え ら る べ き の 段 、 右 京 兆 に 奉 書 を 成 さ れ る の 処 、 是 非 に 及 ば ず 且 つ う は 所 務 せ し む る と 云
々 、 言 語 道 断 の 次 第 な り 」 と 晴 元 が 義 晴 の 奉 書 を 無 視 し て 配 下 の 行 動 を 容 認 し て い た 事 例 も あ っ た の で あ る 。 ま た 、
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違 乱 停 止 を 命 ず る 際 、 「 所 詮 今 度 芥 川 へ 至 り 仰 せ 届 け ら れ る の 儀 、 之 あ る の 条 」 と 芥 川 に 在 城 し て い た 晴 元 も こ の 決
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定 に 同 意 し て い る こ と を 強 調 し て い る 文 言 が あ る 。 違 乱 を し て い た 八 尾 が 晴 元 の 命 令 系 統 の 中 に い る 者 で あ っ た た め
で あ ろ う 。
天 文 二 年 ・ 三 年 に は 吉 田 社 領 へ 山 口 と い う 者 が 「 山 村 を 引 き 汲 み 違 背 」 「 山 村 の 儀 と 号 し て 」 違 乱 を す る の を 停 止
さ せ よ う と し て い る 。 山 村 と は 天 文 元 年 に 法 華 一 揆 に 同 行 し た 山 村 正 次 か そ の 一 族 で あ る と 思 わ れ る が 、 山 科 攻 め の
際 に は 山 村 正 次 は 「 堺 か ら の 下 知 に 背 け ば 我 ら 生 害 」 と 言 っ て い た と い う 。 違 乱 停 止 を 命 ぜ ら れ た 者 が 将 軍 か ら の 直
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接 命 令 の 効 か な い 晴 元 被 官 を 引 き 込 ん で い た の で あ ろ う 。 ま た 、 山 科 言 継 は 幕 府 と 芥 川 の 晴 元 か ら 同 内 容 の 奉 書 を 発
給 し て も ら っ て お り 、 天 文 三 年 に 禁 裏 の 堀 開 鑿 に つ い て 違 乱 停 止 を 禁 裏 か ら 求 め た 際 に は 、 義 晴 か ら 内 藤 国 貞 等 へ の
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命 令 は 実 効 性 が 薄 く 、 結 局 は 晴 元 か ら 発 給 し て も ら っ て 決 着 し て い る が 、 こ れ ら も 両 者 の 命 令 系 統 が 異 な り 、 両 派 が
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協 調 せ ず に 行 動 し て い た 面 が あ っ た 事 例 と い え る で あ ろ う 。 和 睦 の 後 に も 東 寺 は 義 晴 ・ 晴 元 両 派 に 別 個 に 「 音 信 」「 御
礼 」 な ど を 支 出 し 、 安 堵 や 制 札 を 得 て い る 。 ま た 、 半 済 と い う 問 題 で も 、 晴 元 派 が 将 軍 の 制 止 を 無 視 し て 天 文 三 年 、
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四 年 と 連 続 し て 山 城 国 内 の 近 衛 家 領 や 久 我 家 領 ・ 東 寺 領 に 半 済 を 懸 け た 例 が あ る 。 こ の 天 文 三 年 の 半 済 は 晴 元 か ら 木
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沢 へ の 命 令 に よ っ て 実 行 さ れ て お り 幕 府 か ら は 半 済 停 止 の 「 下 知 を 加 え る 」 事 を 「 六 郎 殿 代 」 や 木 沢 長 政 に 求 め て い
た が 、 効 果 は な か っ た 。 将 軍 の 命 令 は 晴 元 派 の 命 令 系 統 の 者 に は 直 接 の 効 力 が な い 状 態 で あ っ た の で あ ろ う 。
ま た 晴 元 や 六 角 氏 が 義 晴 の 裁 許 を 覆 し た 例 も あ る 。 一 例 と し て 天 文 二 年 に 義 晴 側 近 の 諏 訪 長 俊 が 義 晴 の 裁 許 に よ っ
て 大 徳 寺 領 を 没 収 し よ う と し た が 、 没 収 の 奉 書 が 出 さ れ た 後 、 大 徳 寺 側 は 十 月 二 十 八 日 に 晴 元 か ら 安 堵 の 奉 書 を 受 け
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た 。 こ れ は 同 年 十 一 月 五 日 付 諏 訪 長 俊 書 状 で は 、 没 収 の 裁 許 が 既 に 出 て い る の に 「 然 る に 今 度 摂 州 芥 川 に 於 て 六 郎 殿
下 知 を 申 請 」 し て 反 抗 し た 、 と 表 現 さ れ て い る 。 し か し 、 十 二 月 に は 大 徳 寺 側 は 、 晴 元 を 頼 っ て 相 支 え た こ と は な い 、
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と こ の 事 実 を 懸 命 に 否 定 し て い る 。 既 に 六 角 の 口 入 で 幕 府 か ら 安 堵 を 得 ら れ た た め で も あ ろ う が 、 両 者 の 対 立 的 関 係
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を 暗 示 し て い る と 思 わ れ る 。
義 晴 は 江 州 に い る 頃 、 幕 府 盛 時 の 機 関 で 管 領 の 臨 席 を 要 さ な い 親 裁 機 関 で あ っ た 内 談 方 を 再 興 す る な ど 、 将 軍 の 実
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権 を 復 活 さ せ た い と い う 意 向 が あ っ た と 思 わ れ る が 、 そ の 基 盤 は 軍 事 的 に も 経 済 的 に も 貧 弱 な も の で あ っ た と 思 わ れ
る 。 こ の 状 況 で 義 晴 が 、 富 裕 な 町 人 を 多 数 含 み 、 以 前 の 本 拠 の 京 を 席 巻 し て い て 木 沢 な ど 晴 元 派 と も 友 好 的 関 係 に あ
る 法 華 一 揆 と の 連 携 を 強 め て い っ た と 推 測 す る 事 は 大 変 自 然 な こ と で は な か ろ う か 。 こ の 推 測 を 裏 付 け る 材 料 の 一 つ
が 幕 府 の 奉 書 で あ る 。
天 文 法 華 一 揆 の 期 間 に は 、 権 門 の 地 子 を 安 堵 し た 裁 許 は あ る が 、 法 華 一 揆 に 宛 て て 違 乱 や 地 子 無 沙 汰 を 咎 め た り 地
子 徴 収 の 遵 行 を 命 ず る 内 容 の 奉 書 や 御 教 書 は 、 関 銭 納 付 に 関 す る も の 以 外 、 一 通 も 発 給 さ れ て い な い 。 当 時 、 義 晴 ・
晴 元 両 者 の 麾 下 の 武 家 た ち が 「 事 を 左 右 に 寄 せ て 」 公 家 や 寺 社 の 所 職 に 違 乱 を 繰 り 返 し て 違 乱 停 止 の 奉 書 を 受 け た 例
や 、 権 門 家 領 の 百 姓 が 年 貢 無 沙 汰 を 咎 め ら れ た 例 は 多 い こ と と 比 較 し て み て も 、 諸 権 門 の 地 子 を 無 沙 汰 し て い た 法 華
一 揆 に 納 付 を 命 ず る 奉 書 が 一 通 も な い の は 不 自 然 で あ り 、 逆 に 義 晴 か ら 、 日 蓮 宗 本 山 と い う 独 立 し た 権 門 の 被 官 人 と
し て 、 ま た 味 方 の 一 勢 力 と し て 、 地 子 無 沙 汰 を 公 認 或 い は 黙 認 さ れ て い た と 考 え る 方 が 自 然 で は な か ろ う か 。 『 鹿 王
院 文 書 』 に は 「 公 方 様 桑 実 ( 朽 木 ) に 御 座 以 来 、 日 蓮 宗 時 、 惣 次 無 沙 汰 」 と 表 現 さ れ て い る が 、 実 際 に は 義 晴 は 天 文
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三 年 に 帰 洛 し て い る の で あ る 。 義 晴 が 法 華 一 揆 の 時 期 に も 洛 中 下 京 の 屋 地 に 関 し て 実 効 性 の あ る 裁 許 を し た 例 も そ の
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裁 許 が 洛 中 に 及 ん で い た 裏 付 け と な る と 思 わ れ る 。
ま た 、 法 華 一 揆 が 受 け た 奉 書 に は 将 軍 の 命 令 を 遵 行 す る も の も あ る 。 天 文 二 年 に 東 寺 へ 、 法 華 一 揆 に 合 力 し て 洛 中
を 防 衛 す る よ う 命 ず る 奉 書 が 発 給 さ れ た 事 は 法 華 一 揆 の 自 衛 が 将 軍 の 意 を 奉 じ る 形 に な っ て い た 事 を 示 し て い る と 思
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わ れ る 。
さ ら に 、 天 文 四 年 に は 義 晴 か ら 法 華 一 揆 へ 、 晴 元 被 官 高 畠 与 十 郎 が 長 福 寺 領 へ 半 済 を 言 い 懸 け て 違 乱 す る 事 を 「 存
知 せ し む べ し 」 と い う 奉 書 が 出 さ れ て い る 。 八 月 二 十 七 日 に 長 福 寺 の 寺 家 へ 違 乱 の 輩 を 退 け る 奉 書 が 出 さ れ 、 次 い で
九 月 二 十 七 日 に は 「 五 カ 寺 法 華 宗 」 宛 て の 先 述 の 奉 書 が 出 さ れ 、 十 月 十 九 日 に 高 畠 か ら 長 福 寺 へ 「 御 屋 形 よ り 仰 せ 付
け ら れ 候 と 雖 も 、 仰 せ 分 け ら る る の 間 」 撤 退 す る と の 書 状 が 出 さ れ て 決 着 し て い る 。 こ の 例 で は 御 屋 形 す な わ ち 晴 元
の 命 に よ っ て 高 畠 が 行 動 し て い た の を 義 晴 が 度 々 制 止 し 、 長 福 寺 へ 協 力 す る よ う 法 華 一 揆 に 要 請 し て い た わ け で あ る 。
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ま た 、 法 華 一 揆 が 関 の 管 理 を も 担 当 し て い た 様 子 が 『 座 中 天 文 記 』 や 『 土 御 門 文 書 』 か ら も う か が え る 。 一 揆 が 関 の
管 理 を し て い た こ と に つ い て は す で に 先 行 研 究 で 指 摘 さ れ て い る が 、 こ れ を 勢 威 に 誇 っ た 自 儘 な 行 為 と み る か 、 義 晴
の 認 可 の も と 行 っ て い た か は 大 き な 違 い で あ る 。
さ ら に 、 法 華 一 揆 が 公 的 ・ 合 法 的 な 認 知 を う け て い た 事 は 、 天 文 元 年 に 常 陸 国 で 「 法 華 衆 」 が 「 守 護 へ の 訴 訟 」 に
よ っ て 、 一 向 宗 上 宮 寺 や 信 徒 の も っ て い た 所 職 を 奪 う 形 で 獲 得 し て い た 事 か ら も う か が え る の で あ る 。 ま た 、 義 晴 側
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近 の 中 心 的 人 物 で あ っ た 大 館 常 興 の 被 官 田 原 次 郎 兄 弟 が 法 華 一 揆 に 加 入 し て 法 難 の 際 に 山 門 と 戦 っ て い た り 、 高 国 の
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姻 戚 で あ っ た 徳 大 寺 家 の 諸 大 夫 物 加 波 蔵 人 や 幕 府 に 職 能 家 と し て 出 仕 し て い た 後 藤 ・ 本 阿 弥 家 な ど も 法 華 一 揆 に 加 入
し て い た こ と な ど も 、 そ れ を 裏 付 け る の で は な か ろ う か 。
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さ ら に 、 法 華 一 揆 の 時 期 に も 洛 中 で の 幕 府 の 職 員 の 活 動 は 確 認 さ れ る 。 法 華 一 揆 が 義 晴 と の 関 係 が 良 好 で な け れ ば
不 自 然 で あ ろ う 。 天 文 四 年 の 南 禅 寺 門 前 の 刃 傷 事 件 で は 犯 人 を 侍 所 が 検 断 し 、 開 蓋 の 代 理 が 闕 所 検 断 に 立 ち 会 っ て い
32た 。 同 二 年 の 祇 園 会 で は 警 護 の 役 を も つ 「 フ レ 口 ・ 雑 色 」 が 熱 心 に 山 鉾 巡 行 を 主 張 し 五 月 に は 「 フ レ 口 酒 直 」 二 百 文
を 東 寺 が 支 出 し て い る 。 天 文 三 年 に は 幕 府 の 小 者 が 奉 公 の 代 償 と し て 洛 中 で の 商 売 の 特 権 を 確 認 さ れ て い る 。 な お 法
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難 後 の 『 披 露 事 記 録 』 天 文 六 年 十 二 月 二 十 三 日 条 に は 小 者 大 富 が 「 地 子 銭 の 事 、 惣 次 に 毀 破 せ ら れ る の 上 は 」 沙 汰 す
べ し と 命 ぜ ら れ て い た 。 「 山 門 牒 状 」 の 「 公 人 は 政 道 を 忘 れ 」 の 文 は 公 人 も 町 衆 と し て 自 治 や 地 子 無 沙 汰 に 関 わ っ て
い た り 、 日 蓮 宗 本 山 を 一 種 の 本 所 と す る よ う な 形 と な っ た 町 衆 や そ の 居 住 地 が 従 来 の よ う な 公 人 の 段 銭 徴 収 や 検 断 の
対 象 と な っ て い な か っ た 事 を 示 し て い る の で は な か ろ う か 。
さ ら に 当 時 の 洛 中 で は 座 の 活 動 や 公 事 も 確 認 さ れ 、 義 晴 の 父 の 法 要 、 将 軍 御 台 所 の 出 産 、 新 御 所 の 造 営 、 天 皇 即 位
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式 な ど も 特 に 混 乱 も な く 執 り 行 わ れ て い た 。 大 永 四 年 の 『 蜷 川 家 文 書 』 四 八 一 ~ 四 八 三 号 に よ れ ば 、 こ れ ら の 諸 行 事
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に 際 し て も 公 人 の 役 が あ っ た こ と が わ か る が 、 管 見 で は 公 人 不 足 や 支 障 が あ っ た と い う 記 事 は な い 。 ま た 、 晴 元 の ほ
か 、 六 角 、 武 田 、 朝 倉 、 大 内 、 大 友 、 波 多 野 ら の 大 名 や そ の 被 官 ら が 京 に 滞 在 ・ 居 住 し て い る 。
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