フランスの女性移住者による 地位交渉のジェンダー化
―― 難民認定基準におけるジェンダー主流化と FGM ――
園 部 裕 子
.研究の目的
本論⑴では,フランスの西アフリカ出身女性移住者らが,サンパピエ⑵の地位を めぐって展開する交渉とそのジェンダー化の位相を検討する。ここでは 年から 年にかけて,「女性性器切除(Female Genital Mutilation/Mutilations génitales féminines,以下FGM)」
⑶
からの娘の保護を理由に,多数の西アフリカ 出身者らが難民申請を行い,「フランス難民及び庇護申請者保護局(Office français de protection des réfugiés et apatrides : OFPRA)」から「難民」認定また はそれに準ずる「補完的保護(protection subsidiaire)」を得た事例に注目する。
この手続きのプロセスを分析することから,女性移住者らが地位交渉をどのよ うにジェンダー化させているかを明らかにする。
( ) 本論は,第 回日本社会学会( 年 月 日)報告原稿を大幅に修正したもので ある。
( ) 正規の滞在許可証をもたない,超過滞在の外国人を意味するフランス語sans papiers より。サンsansは「〜がない」,パピエpapiersは「滞在許可証」の意。移民・難民支援 団体関係者や報道における他称,移民・難民の自称としてフランスで広く使われている 言葉であり,以下,本論でも使用する。
( ) 同じ習慣を指すものとして,より儀礼的な側面に注目した「女子割礼」という用語も ある。しかし以下でも述べるように現在,マリをはじめ移住女性の出身国では,「割礼」
が意味する儀礼的な行為とはかけ離れたものとして行われているのが現状であり,現地 の女性による市民団体も根絶を目指して自治体や政府に働きかけを続けている。儀礼と しての側面を強調する限り,女性たちはその存続の是非について発言権をもつ主体とは なりえない。その問題性を表すため,現在,国際社会では「女性性器切除FGM」と呼 ぶのが一般的であり,本論でもこの用語を使用する。OMS( )を参照。
第 巻 第 号 年 月 −
ここでは女性移住者らが地位交渉のために用いる手段や論理を,ド・セルト ー(De Certeau )が概念化した弱者の抵抗の〈戦術tactique〉と位置づけ る。〈戦術〉とは,以下で検討するように,自分に固有のものではないシステ ムや権力に対し,弱者が日常的実践により抵抗する「仕方,てだてart」のこ とである。女性移住者らは受入社会の完全な市民権を持たず,自らの権利を行 使するために,その社会において支配的な論理に従って独自の「場」を占める ことはできない。そこで独自の〈戦術〉を用いて支配的な論理に対抗し,裏を かくようにして,自らの権利を拡大させる機会を狙うのである。
FGMを理由とする難民申請は,これまでまったく先例がなかったわけでは ないが,ここで検討するほど多数の申請が一時に出された例はなかった。以下 で検討するように, 年代後半に非正規滞在者の正規化条件が厳格化され るに従い,女性移住者らが滞在正規化の根拠をジェンダー化し,難民申請にふ み切るようになったことが,背景として浮かび上がる。またFGMを理由とす る難民申請が受入側機関から難民等の認定基準として認められるようになった 背景には,FGMをはじめ女性への迫害について「ジェンダー・センシティブ」
な観点から判断し,難民認定の基準とする「ジェンダー主流化」の国際的な流 れがあったことも指摘できる(Martin )。
以下ではまず調査の概要を示しつつ,この〈戦術〉の概念から,調査先の女 性移住者の市民団体の日常的実践をどのように位置づけられるかを検討する。
次に西アフリカとフランスにおけるFGMの位置づけと廃絶運動を概観しつ つ, 年代のサンパピエの状況を把握する。最後に女性への迫害と難民認 定をめぐる国際的な傾向を概観し,FGMを理由とする難民申請がもつ意味に ついて分析する。
.調査概要と女性移住者の〈戦術〉
筆者は 年 月から,マリ出身の女性移住者マリアム⑷が運営するパリ市
( ) マリアム(仮名)は植民地時代の生まれで, 年フランス入国, 年頃にフラ ンス国籍を取得し,マリとフランスの二重国籍である。
内の市民団体Eで,ボランティアとして活動を手伝いつつ参与観察を行って きた⑸。マリアムは,フランスで 年代以降に広まった女性移住者による「社 会・文化的仲介(la médiation socio-culturelle)」を行う「仲介 者(médiatrice)」
である⑹。「社会・文化的仲介」とは,移住経験の長く就学歴のある移住者が,
ニューカマーや農村出身で非識字の同郷者のために,日常的な生活圏で相談会 を開き,通訳や翻訳,行政窓口への付き添いを行ったり,社会交流のために各 種の教室やイベントを企画したりする自助活動のことである。マリアムは居住 するパリ北東部の大規模団地を拠点に, 年に市民団体を結成し,おもに 近隣の西アフリカ出身住民のために社会編入を支援する活動を続けている。
「社会・文化的仲介」を行う市民団体では,相談にくる人は誰でも拒まず,
滞在許可証の申請・更新から生活の問題までさまざまな相談にのり,移住者の 社会編入を支援する。マリアムが相談の受付を始めた当初である 年頃ま では,おもに近隣の定住者が訪れていた。おもにセネガル,マリ,モーリタニ ア出身のソニンケ語,バンバラ語話者を中心とする 人から 人位の女性た ちである。
ここでは,「社会・文化的仲介」を行う仲介者が,利用者の移住女性の社会 編入のために用いるさまざまな手段や論理を分析するため,ド・セルトーの
「日常的実践」と〈戦術〉の概念を用いる(De Certeau )。受入社会の規範 を共有せず,社会的に排除された人や移住者は,その社会において支配的な 論理を駆使し,独自の場や空間を占めることで自らの地位を確立することは できない。ド・セルトーが〈戦略stratégie〉と呼ぶこうした権力主体の論理や 空間に対して,弱者の〈戦術〉は「非−場所non-lieu」的で,時間に依存する。
つまり弱者は,自分にとっての「よそのétranger」土地において「日常的実践 pratiques quotidiennes」を展開する中で,たえず警戒し,利になる機会をすば やくとらえる〈戦術〉に頼るしかない。言い換えれば〈戦術〉とは,権力の論
( ) 継続的な参与観察は 年 月まで。本論のデータは,その後の追跡調査( 年 月, 年 月, 年 月, 年 月, 年 月と 月, 年 月と 月)
に基づく。
( )「社会・文化的仲介」と団体E,マリアムの活動について,詳細は園部( )を参照。
理や力を利用し,横領する弱者の「策略ruse」である。
マリアムによる移住者の日常生活圏における支援は,このような〈戦術〉を 駆使して行われていると言える。移住者が抱える書類手続きは,滞在許可証の 申請から公共住宅の割り当てを得るための申請手続きと議員への陳情,学校や 地域との交渉までさまざまで,エンドレスに続く。マリアムは「支援してくれ るなら政治信条や宗教はどうでも良い」と言い,周囲のフランス人による市民 団体や議員にも頼りながら⑺,常に状況に応じて場当たり的に行動し,ありとあ らゆる手段を用いる。マリアムが支援する移住女性たちも,マリアムが紹介す る議員ら支援者に対して,泣き落とし,陳情書での方便,議員への「接待」な ど,考え得る限りの手段を弄して自らの書類や問題の困難さを相手に印象づ け,解決の糸口を見つけようとする(園部 )。
ド・セルトーは,「〈戦術〉が手に入れたものは,保存がきかない」と言う。
「利益を蓄積したり,自分のものを増やしたり」することもない(De Certeau
)。マリアムの市民団体運営は,フランスの市民団体としてあるべき運営 方法に完全に則っておらず,場当たり的で,そのために活動のパートナーで ある地域のフランス人関係者らから苦言を呈されている。例えば,定期的な 相談会をすっぽかす。運営やイベント開催に使った経費や領収書の管理をしな い。訪問者の人数や相談内容などについて網羅的に記録を残さないため,年次 報告に活動の成果を十分に反映できない。こうした運営方法について,マリア ムは周囲の関係者とたびたび話し合ってきたが,「できない」というばかりで ある。
しかしそれにひきかえマリアムは,元来,文字をほとんど用いない「無文字 社会」(川田 )の文化的背景をもつ西アフリカ出身者の例にもれず,並外 れた記憶力の持ち主である。とりわけ自分が面倒を見ている人や家族のプロ フィールは「すべて頭に入っている」と言い,いつ誰がどのような相談に訪れ
( ) ただしマリアムは移住先フランス,出身国マリ双方において社会党の党員として活動 している。頼る議員は基本的には社会党関係者である。調査期間中のパリ市および活動 地区は社会党市政,区政である。
たか,家庭の状況,支援内容,その後の自分への報告内容まで詳細に記憶して いる。その記憶は驚くほど正確で,これまでの参与観察でも筆者の記録と整合 性がとれていた。
つまり文字化され保存されてはいなくても,〈戦術〉にはそれなりの「仕方」
があるのである。このような観点から以下では,FGMを理由とする難民申請 をマリアムの〈戦術〉として位置づけることにする。
. FGM をめぐる現状
. FGM と西アフリカ出身女性
次に,難民申請の理由となったFGMについて検討しよう
⑻。FGMとは,女
性の外性器の一部または大部分を医療以外の目的で切除する,すべての手法の ことである(OMS et al. )。アジアから中東,アフリカ大陸にかけて広まっ ており,アフリカ大陸では図 のように,サヘル地域を中心とする カ国で 実施されている。FGMを受けた女性の割合が高いのは,東アフリカではエジ プトやスーダンなど紅海沿いの国々,西アフリカでは旧フランス植民地のマリ やギニアを中心とする広い地域にわたる。
旧フランス植民地のマリ共和国では %以上の女性がFGMを受けていると され,西アフリカでももっとも状況が深刻な国のひとつである。特に,フラン スに多く移民を輩出しているソニンケ人⑼やバンバラ人,あるいは隣国コート・
ディボワールなどの諸民族の間でも習慣になっている。都市部よりも農村部に 広まっているが,筆者の調査では,マリの首都バマコでも行われていることが 分かっている(園部 )。他方でセネガルの多数派民族ウォロフ,マリ中央 部のボボ,北部のソンライなど,民族によっては実施していない場合もある。
( ) 筆者は 年から 年までの間に計 回,マリおよびブルキナ・ファソにおいて 女性市民団体を訪問し,FGM廃絶や女性の権利向上のための運動の実態を調査した。
以下,FGMそのものについての記述はおもに,フランスの調査先団体Eでの調査に加 え,バマコでFGM反対運動を行う女性市民団体における聞き取りによる。
( ) ソニンケ人は,マリ,セネガル,モーリタニア国境を流れるセネガル河流域に居住し,
西アフリカからフランスへの移住者の大半を占める民族。
80%以上 25〜80%
実施されていない 25%以下
モーリタニア モーリタニア モーリタニア
マリ セネガル
ガンビア ギニアビサウ
シエラレオネ リベリア
赤道ギニア ガボン
アンゴラ ザンビア
ジンバブエ ボツワナ
マダガスカル
南アフリカ 共和国 ナミビア トーゴ
ベナンベナンベナン マラウイマラウイマラウイ モザンビークモザンビークモザンビーク
コート・ディボアール コート・ディボアール コート・ディボアール
ギニア ガーナ ウガンダ
ニジェール ブルキナファソ
ブルキナファソ ブルキナファソ
エリトリア ジプチ
ソマリア
スワジランド スワジランド スワジランド レソト チャド
チャド チャド
ナイジェリア
カメルーン 中央アフリカ中央アフリカ中央アフリカ
ケニア ケニア ケニア 民主共和国コンゴ
タンザニア
コンゴ 共和国 ルワンダ
ブルンジ スーダン
エチオピア エジプト
イスラームの教えだと考えられていることも多いが,西アフリカでは長らく イスラームを拒否し続けてきた民族,ドゴン人の神話にもその起源が読み取れ るなど(Griaule ; Nachatman ),宗教の伝来とは関係がない。今日で も宗教分布にかかわらずイスラーム,キリスト教,アニミズムなどどの信者の 間でも広まっており,むしろ文化的・民族的な伝統によるものと考えられる
(Locoh )。
西アフリカでは,処置は鍛冶師カーストの女性である 「切除師 (exciseuse)」
が執り行う。対象となるのは乳児から 代前半,場合によっては成人後の女性 である。切除を受けていない女性はマリでは「Bilakoro(非切除,非浄化の子)」⑽
( ) バンバラ語の単語Bolokoから来た単語。Bolokoはl’excisionや割礼を意味するが,元 は浄化するの意。
図 歳から 歳の女性のうち FGM を受けている割合( 年代初めの状況)
出典:Andro et al. /INED
と呼ばれて結婚できないため,村落社会からも排除されてしまう。したがって 禁止されていると知っていても,親たちは隠れてでも切除を受けさせたいと考 える。親が反対している場合でも,親のいない間に親族が切除師のところに連 れて行くこともある。
しかしながら,医療設備の整わない農村部で実施されていることもあり,切 除師が衛生的ではない道具を使った場合や大量出血などにより,命を落とすこ ともある。また傷の治癒後も利尿器官に炎症が残って排泄や生理に困難を来し たり,難産で落命したりする場合もあり,女性の精神的・身体的健康を生涯に わたって損なう原因にもなる。
そのため近年,西アフリカの女性運動においては,FGMの廃止が女性の権利 向上のために実現すべき最も重要なテーマのひとつになっている(Nachatman
)。また世界保健機構(World Health Organisation : WHO)も,他の国連機 関とともに 年と 年に廃止宣言を出すなど,世界的な対策が急務とさ れている(HCDH et al. )。フランスでも女性運動の中で早くからFGMが 問題視され,フランス人と移住女性によって市民団体「GAMS」⑾が結成され,
FGM撲滅運動の中心的存在となっている。調査先のマリアムも,支援する農 村出身女性が一時帰国する際は,娘にFGMを受けさせないようにと助言して いる。また,この問題に取り組むフランスの医療系NGOと連携して,マリで も啓発運動を行っている。
FGMをめぐる論争では,この習慣が「誰によって支持されているか」が大 きなテーマとなってきた。FGMは女性の問題であり,男性は関知しないとよ く言われる。だがBourdin( )の調査では,女性たちは「男性が望みさえ すればこの習慣は直ちになくなるだろう」と発言しており,歴史的にも習慣を
( )「性器切除,強制結婚その他女性と子どもの健康にとって有害なその他の伝統的慣行 の廃止のためのグループ(Groupe pour l’Abolition des Mutilations Sexuelles, des Mariages Forcés et autres pratiques traditionnelles néfastes à la santé des femmes et des enfants)」。
GAMSは 年にフランス国内に居住するアフリカ出身者とフランス人によって結成 された。現在では国内支部のほか,ベルギーなど周辺ヨーロッパ諸国,セネガルやマリ をはじめとするアフリカ諸国に支部があり,連盟を形成している。
維持しようという意思は男性側に見られると言う。
セネガルの映画監督センベーヌ・ウスマンは,こうした論争を題材に映画
『庇護権(Moolaadé)』⑿を作成している。西アフリカの架空の村を舞台に展開 する物語で,FGMに反対する女性が,切除を逃れてきた少女たちを自宅に保 護し,門前に赤い糸を張って「庇護」の印にする。その印が,切除を受けさせ たい親たちから少女を保護する。センベーヌは,夫を含めた村の支配層である 男性の論理により女性に課されるものとして,FGMを描いている(園部 )。
映画でも指摘されているように,この習慣について議論すること自体がタブー 視されており,廃止に向けた運動の影響力も,農村部まではなかなか及ばない のが実態である
⒀
。
. フランスにおける取り組み
では,フランスの移住者は,FGMをどのようにとらえているのだろうか。
フランスでは 年の移民労働者の新規受入停止後,おもに家族統合による 移民の流入が続いた。移民世帯は家族成員の一時帰省ができるほど収入の余裕 がない世帯が多く,いったん入国した家族は,帰国することなく,長くて 年以上もフランスに留まる。すでに定住している他の移住者から危険性や健康 への害を教えられ,実施していない家庭もある。他方で,子どもを連れて一時 帰国中に出身村で受けさせる事例もある。国内在住者の民族的帰属から推計す ると, 年時点でフランスに居住する女性のうち 万 千人がFGMを受け ているとされる(Andro et al. )。こうした実態に対し,フランス国内の女 性運動の流れは早くから警鐘を鳴らしてきた(Hénry et Weil-Curiel )。
FGMの当事者である西アフリカ農村部の女性の多くは,非識字者である。
そこで問題意識を伝え,啓発するためには視聴覚に訴える手段が有効であり,
( ) 年にアルシネテラン配給により岩波ホールで公開された際の邦題は『母たちの 村』。
( ) 語ることがタブーであるため,農村部では議論を提起することすら難しい。筆者のマ リ調査では,廃止運動に取り組む首都バマコの市民団体などの関係者らと,地方都市・
農村部の女性との間では,意識に隔たりがあることが分かっている。
多数のドラマや映画が作成されている⒁。先述の映画『庇護権』は, 年 月 日「女性の日」に合わせて封切られ,アムネスティ・フランスのキャンペ ーンによりフランス各地で上映された⒂。
当初は軽犯罪扱いだったFGMが社会問題化したのは, 年の「C事件」
がきっかけである⒃。以後,FGMは刑法による処罰の対象となる。しかしFGM は続けられ, 年には, 人の親が娘に対してFGMを実施した共犯で逮 捕される事件が起こる。また 年には,すでに 年に 人の娘らにFGM を受けさせた共犯の罪で司法の監視下にあった夫婦が,新たに別の 人の娘ら に切除を受けさせた疑いで逮捕,起訴される事件が起こっている⒄。西アフリカ 出身者は定住化が進む中でFGMを放棄しつつあるが,依然としてフランス生 まれの少女が被害に遭っていることが明らかになり,対策が急がれてきた。
フランスでは,被害者が病院に運び込まれた場合や,妊産婦・乳児健診を実 施する「母子保護センター(Protection Maternelle et Infantile : PMI)」での医師 による診察で,少女がFGMを受けた事実が発覚することが多い。そこで国内 の医療従事者もFGMについて知識をもてるようにするため,体制作りが進め られている。例えばパリ市では, 年の指令により,GAMSなど市民団体 とも連携し,市のPMIサービス担当が公共病院やPMIの医師や助産師の管理 職者を対象に専門研修を開くなど,未然の防止と発見に努めている⒅。
( ) 例えばBedeau( )など。
( ) GAMSや移民女性を支援する市民団体でも自主上映会が開かれ,当時,筆者がボラン ティアをしていたパリ市内の女性移住者団体でも,教室の受講者たちが参加している。
( ) 年〜 年に同じ親族内の 人の少女に,また 年に 人に対して切除を施 し,うち 人を死亡させた切除師が,それぞれの事実に対して 年, 年に禁固 年の刑を 度受けている(C事件,GAMSホームページによる; 年 月 日閲 覧)。
( ) L’Express, le / / による。夫婦はギニア人,夫は 歳でマラブー,妻は 歳
無職と報じられている。 年 月に 歳の娘が大量出血により病院に運ばれた際,治 療に当たった医師が警察に通報した。
( ) パリ市指令(Directive de la Mairie de Paris réf : MD/FS/ / sur la Conduite à tenir devant une excision constatée ou en cas de risque d’excision chez une enfant ou une jeune fille mineure)による。パリ市の取り組みについては,「パリ市女性と男性の平等についての 監視局(L’Observatoire de l’égalité femmes/hommes de la Ville de Paris)」局長Christine
Guillemaut氏への聞き取りによる( 年 月 日)。
また 年には,イル・ド・フランス首都圏女性担当局が,関係者を集めて 情報交換の会議を開いている(Préfet de la region d’Ile-de-France )。近年で は傷跡の修復手術も発達し,治療には医療保険が適用されるようになるなど,
フランスではFGMは「公衆衛生の問題」として扱われるようになっている⒆。 同時に,女性への暴力防止対策においても,強制結婚,家庭内暴力と並ぶ重要 な課題となっている。
. 年代フランスのサンパピエをめぐる状況
年に政府が正規の移民労働者受入を停止した後も,サンパピエとして 滞在し労働する移民は後を絶たない。しかし 年代の左派政権による一斉 正規化( 年, 年)をはじめ,一定の条件をもって滞在が正規化されて きたため,その存在は無視できない。現在,正規の滞在資格をもって居住して いる外国人にも,かつてサンパピエだった人が少なからずいる。正規の滞在 資格を取得できるかどうかは政策に依るため,誰でも滞在資格を得る可能性が ある。
とりわけ上記の一斉正規化後,フランスでは, 年以上継続的に滞在した ことを証明すれば滞在正規化を申請できる規定があり,多くのサンパピエが希 望をつないできた。ところが 年に内務大臣に就任したサルコジは,サン パピエの取り締まりを強化する政策を相次いで打ち出す。 年「外国人の 入国・滞在と庇護権についての法(CESEDAⅡ,通称第二サルコジ法)」によ り, 年間の継続的滞在を理由とする滞在資格申請が不可能になる⒇など,正 規化条件は厳しくなる。
「CESEDAⅡ」による新たな正規化の条件は,労働力不足部門の雇用契約,
夫婦生活に基づく家族資格申請である。しかしながらこの規定は,労働市場に
( ) 人の医師の発案で,FGMをはじめとする暴力を受けた女性を専門に受け入れる医 療センターが,パリ近郊イヴリヌ県に設立されることも報道されている(France Info, le
/ / )。
( ) 以下,第二サルコジ法その他,移民の受け入れに関する法律については,移民支援法 律家による市民団体GISTIの分析を参照(http://www.gisti.org/spip. php?article )。
おける被雇用者としての地位や,正規滞在資格の保持者やフランス国籍者との 婚姻関係など,福祉国家的な「市民」のあり方に移住者を適合させるものに過 ぎない。そこでは,こうした規定から「逸脱」する人は除外される。例えば団 体Eが支援してきた,マリやセネガル出身の一夫多妻婚世帯の第二夫人らは,
滞在歴が短いか,長くても無職や単身者の場合は,条件に当てはまらない。フ ランスでサンパピエ生活を送る女性には,「夫」との別居や関係悪化により単 身で生活せざるをえなくなった人もいて,西アフリカ出身女性のひとり親世帯 は,移住者の中でももっとも脆弱な存在である(園部 )。
年 月に全国の社会政策対象地区で起こった移民第 世代の若者らに よる「都市暴動」後,サンパピエの路上での取り締まりが強化された。とりわけ 年の 月〜 月にかけて,サンパピエの小学生が下校時に校門の前で警 察に捕らえられる事件が相次ぐ。これをきっかけに全国的な保護者ネットワー ク「国境なき教育ネットワーク(Réseau éducation sans frontières : RESF)」が 結成されるなど,サンパピエの取り締まりは再び社会問題化する。
こうした世論に対して,サルコジ内相は「 年 月 日通達」により,
一部のサンパピエの滞在正規化を認める方針を打ち出した。義務教育に就学し ている児童を養育している両親か就労を条件とするものだ。これにより 年の 月から 月にかけて,多数のサンパピエが正規化を求めて警視庁に申請 を提出した。
しかしこの正規化措置では, 万人以上の申請に対して最終的に正規化され た人数は , 人と,限定的なものに留まった。移民支援団体の間では,サン パピエの所在を明らかにするために,正規化を建前に書類を提出させたのでは ないかとも考えられている。調査先の市民団体Eでも,幼稚園児のいる 名の サンパピエ女性の申請を行ったが,いずれも認められず, 人は「フランス領か らの退去勧告(Obligation de quitter le territoire français : OQTF)」を受け取った。
( ) Réseau étucation sans frontièresのホームページhttp://www.educationsansfrontieres.org/を 参照。
( ) 難民支援団体「ラ・シマッド(La Cimade)」イル・ド・フランス事務局,女性問題担
当Violaine Husson氏への聞き取り( 年 月 日)。
またこれ以降,労働条件による正規化について,移民支援団体や労働組合 CGTと政府は交渉を続け, 年 月からは清掃業に従事するサンパピエ労 働者らがハンガー・ストライキを行った。この時も , 名の正規化申請に対 して,滞在が認められたのは 名ほどに留まった。
上記のように 年代には,移民や外国人に対して極右政党にも劣らず敵 対的な言説を繰り返す右派政権が取り締まりを強化する中で,正規化をめぐっ てサンパピエや支持団体との攻防が大きく報道されてきた。だがその間,以下 で取り上げるように,多数の西アフリカ出身のサンパピエ女性がFGMをめぐ る難民申請を行っていたことは,ほとんど報じられていない。しかし申請者の 数は , 人に達し,上記の労働条件による正規化申請より大規模なものと なっていた。また,難民の受入基準に,ジェンダーに基づく迫害を加える方向 性が明確になった事例であることから注目できる。
. FGM を理由とする難民申請
. ジェンダーに基づく迫害と難民・補完的保護
フランスでは,出身国における政治的迫害や拷問の恐れがある人を難民とし て保護することが,憲法で定められている。しかしながら「人権の国」という イメージとは裏腹に,近年,難民認定はかなり限定的かつ政治性の高いものに なってきたと言われている(Valluy )。実際,ヨーロッパでは 年代 以降,難民認定率は低下しており,冷戦終結をはさんだ から 年頃の 間に,ヨーロッパ各国の難民認定却!下!率は, %代で飽和状態になった。こう した申請却下率の上昇に続いて,メディアや政治的言説において「偽の難民」
や「経済移民」が増加しているという表象が流布されるようになる(Valluy
)。難民の受け入れが公的秩序や国家の安全との関わりで論じられるよう になってから,政府は難民申請者に対する厳しい対処を正当化するようになっ
( ) フランスは最初に公式に庇護権を認めた国で,難民についての規定が憲法で定められ ている。ジュネーヴ会議に当たり,難民認定についての政府独自の権限を守ろうとした 経緯がある(Noiriel )。
ていく(Freedman )。 年代になってからは,移住者の流入をテロリ ズムと結びつける言説が急速に高まりつつもある。
難民をめぐるこうした厳格化の動きのいっぽうで, 年から 年の国連 女性年などの運動を受けて,難民の女性に対する特別な保護が世界的な潮流と なる。難民についての国際的な定義は 年のジュネーヴ条約により定めら れており,「自由のための活動により迫害を受ける者」(フランス憲法/
年HCR基準),または「人種,宗教,国籍,ある種の社会的集団への帰属ま たは政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがある十分に理由のある恐怖を有す るために国籍国外にいる者」のことである。これらの規定では,当時の政情を 反映して,難民は政治的な迫害を受ける男性であることが前提とされていた
(France Terre d’asile )。
こうした歴史的な難民の定義に対して,「国連難民高等弁務官事務所(The Office of the UN High Commissioner for Refugees : UNHCR)」は設立から実に 年以上を経て, 年に「難民女性の保護についてのガイドライン」を発 表する。このガイドラインは,ジェンダーに基づく迫害の犠牲者である女性 や少女が難民認定を受けることの困難さや,適切な支援を受けられないこと など,難民保護に欠落している問題を指摘していた(Martin )。UNHCR はさらに近年,ジェンダー主流化を試みており, 年には,各国が難民申 請の審査に際して「ジェンダーに配慮した判断を下すため」,二つのガイドラ インを発表している。これらのガイドラインにおいて,女性や性的少数者が被 る,ジェンダーに基づく迫害を理由とする難民申請の理由の例として,FGM は性的暴力や家庭内暴力などとともに挙げられている(UNHCR )。
こうした中で,フランスで娘のFGMからの保護を理由とする難民申請の根 拠となるのは, 年「シソコ判決」である。この判決は,FGMを逃れて移 住したマリ人家族に対し,ジュネーヴ条約に基づいてFGMを「非人間的ある いは品位を貶める扱い」と認め,「ある種の社会的集団への帰属」を理由とす る迫害と認定して難民資格を認めたものだ(Le Pors )。この判決を受けて,
ギニア,モーリタニア,マリ,セネガルからのサンパピエに難民資格が認めら
れるようになった。
この難民申請の意義について考える前に,フランスの難民認定手続きの概 要を把握しておこう。難民認定の審査は,「フランス難民及び無国籍者保護局
(OFPRA)」が担当する。OFPRAの決定への不服申し立ては,「国家庇護権裁 判所(La Cour nationale du droit d’asile : CNDA)」が審議し,OFPRA決定を取 り消して新たに難民認定されることもある(「AN認定」)。そして難民といえ ども,滞在許可証を申請することになっている。上記の難民認定を受けた場合 は 年の滞在許可証,PSの場合は 年の短期滞在許可証を申請できる。
FGMと の 関 わ り で 注 目 し た い の は, 年 以 来 の「領 域 的 保 護(asile
territorial)」を改め, 年にフランスが独自に定めた「補完的保護(Protection
subsidiaire以下,PS)」である(OFPRA b)。PSは,難民には当てはまら
ない人に認められる保護で,「自国において死刑,拷問,非人間的または品位 を貶める刑罰か扱いを受ける恐れのある場合」に一定の期間,認められる。た だし一時的な状況に対する保護なので,一年ごとにOFPRAで認定を受け,更 新手続きをしなければならない。
PSと同時に 年 月 日法では,OFPRAが独自に決定する「安全な 出身国リストListe des pays d’origine sûrs」が作られることになった。この「安 全な出身国リスト」は,欧州連合の難民についての共通政策の中で,申請自体 を拒否するために盛り込まれることになっていたのを,先取りしたものである
(Le Pors )。そこでは「自由,民主主義,法による統治の原則,人権と諸々 の基本的自由を尊重しようと努めている国」として カ国が指定されている。
このリストは 年に制定されて以後,各国の情勢により 年 月および 月, 年 月, 年 月に更新されている。
ここでは,このリストに 年末までマリが含まれていたことに注目した
( ) 領域的保護は,ジュネーヴ条約の対象とならないが,生命や自由が出身国において脅 かされているか,非人道的扱いを受ける恐れのある人に認められる。決定権は内務省に あったが,わずかしか適用例がない(Le Pors )。
( ) Loi no − du decembre modifiant la loi no − du juillet
relative au droit d’asile.
い。以下で見るように,市民団体EをはじめとするFGMに基づく難民申請が 出されるようになった結果,この「安全な出身国リスト」としての規定に,マ リの女性について修正が加えられることになる。同時にOFPRAはマリのFGM の実態について現地調査を行い,報告書を発表している(OFPRA b)。
ページにわたる報告書では,FGM廃絶に向けた市民運動がマリで展開されて いるものの,その広がりに対しては依然として無力であり,フランス在住でマ リ出身の少女が帰国の際にFGMの被害に遭う可能性が十分にあると認められ ている。
またこの頃,UNHCRの方針を受けた欧州議会も,ジェンダーに基づく迫害 から女性移住者を特別に保護する必要性や,そのための支援を加盟国にうなが す通達を出している。そこでは「FGMのリスク」を難民認定を正当化する理由 の一つとして認めるよう,欧州理事会および欧州委員会に求めている。
このように,難民申請に対しては総じて厳格化が進められてきたいっぽう で,ジェンダーに基づく迫害については積極的に保護される方針が国際的にも 明確になってきている。そこでFGMはその代表的な例と見なされていること が分かる。
( ) 年 月 日付リストは,アルバニア,アルメニア,ベナン,ボスニア/ヘル ツェゴビナ,カーボベルデ,グルジア,ガーナ,インド,コソボ,マケドニア,モーリ シャス,モルダビ,モンゴル,モンテネグロ,セネガル,セルビアの カ国である
(OFPRAホームページによる, 年 月 日閲覧)。
( ) その後, 年に北部民族の独立を求めた紛争およびイスラーム過激派による紛争が 起こったことを受けて,マリは同年 月 日,OFPRAによる「安全な出身国リスト」
から除外されている。
( ) さらに 年以降,OFPRAは女性への暴力をはじめ女性として迫害を受けた難民申 請者に対応するため,特別チームを立ち上げている。これは難民認定手続きについて のEU指令および 年 月 日のCESEDA改正を先 取 り す る も の と さ れ て い る
(OFPRAホームページ「 年 月 日,女性に対する暴力についてのOFPRAの取り 組み」, 年 月 日閲覧)。
( ) Parlement européen, Résolution du Parlement européen sur l’immigration des femmes : le rôle et la place des femmes migrantes dans l’Union européenne( / (INI)), P _TA
( ) , mardi octobre .
( ) 欧州議会による通達の詳しい分析についてはFrance Terre d’asile( )を参照。
. − 年の難民申請
上記の 年の就学児童と保護者を対象とする正規化申請に失敗した 年 月頃,市民団体Eのマリアムは,知人が先述のGAMSの支援により難民 申請を行って滞在を正規化された話を聞いた。そこでかねてから面倒を見てい たマリ人サンパピエ女性Fらのために,FGMを理由とする難民申請の手続き を行った。さらにマリアムは,以前から支援を続けてきた世帯のうち,モーリ タニア出身で一夫多妻婚世帯の第二夫人,サンパピエNの難民申請も 年 月に提出した。Nは上述の 年通達の際,正規化申請を却下されたが,
そのまま家族とともにパリ市内で生活していた。
マリアムは前後して 年 月から 月に 人のマリ人女性の手続きも 行い,Nの手続きをした 年 月にも別の 人のマリ人女性の難民申請を 行った。 年 月までの申請は合計 件である。ところが,FやNが支援 を受けた話は噂となって広まり,マリアムの元には,多数のサンパピエが難民 申請を依頼しに来るようになる。この依頼者たちは,マリアムが一度も会った ことのない人ばかりだが,支援を受けた人から話を聞いたと訪ねてくる。マリ アムは請われるがまま,難民申請を手伝い続けた。
その結果, 年 月に請け負った申請は 件にはね上がった。この人々 はそれまで支援してきた定住者世帯とは異なり,ほとんどが 年代に入国 した新規の移住者で,マリ人が中心だが,コート・ディボワール人やセネガル 人も含まれている。
この結果,市民団体Eでは, 年 月から 年 月までの間に少な くとも 人のサンパピエの難民申請を請け負った。そして大半が滞在を正規 化することができた。マリアムの執筆した嘆願書から対象者のプロフィールを まとめたものが,表 である。合計 名のうち,女性は 名,男性は 名 であり,うち 組の男女は同じ日に一緒に依頼にきた「カップル」である。
( ) Nは 年生まれ, 年 月に夫の呼び寄せで「船で」スペインを経てフランス に入国し,難民申請を出したが却下された。パリ市内で生活する正規滞在者の夫と第一 夫人ともに,サンパピエとして生活していた。フランスでは認められない第二夫人なの で,配偶者資格での滞在が不可能だった。
残る 名の女性は「カップル」ではない。国籍別では,マリ 名(女性 名,男性 名),コート・ディボワール 名(同 名, 名),セネガル 名
(同 名, 名),モーリタニア 名(同 名, 名)である。
難民申請の結果,表 のように,難民と認定され 年間有効の滞在許可証 を取得した者は 名,PSのみ認定され 年間有効の滞在許可証を取得した者 は 名,いずれも認定されなかった者は 名,不明が 名である。この結果 を,申請を請け負った月別で見ると,図 のようになる。 年 月頃まで の申請では,難民認定を受け 年滞在許可証を取得した人数が,PSのみを受 けた人数を上回っているが, 月頃から後者が前者を上回るようになる。以下 でみるようにこの頃,OFPRAがFGMを理由とする難民申請に対する方針を 転換したためである。
( ) 年 月以降,マリアムは難民申請の受け付けを減らし,嘆願書ファイルも保存し なくなっていったので,最終的な申請数は不明である。今回の難民申請についても,マ リアムは相談者について一覧表などは残していない。ここで分析するのは,マリアムが 相談者のために作成したOFPRA宛嘆願書のWordファイルである。入手した 人分の 嘆願書コピーから,筆者が申請者のプロフィールを一覧にした。申請の結果はマリアム の記憶していたもので, 年 月の調査の際,筆者が作ったExcelファイルにマリア ムと一緒にデータを加えて表を完成させた。その際,さらに別の嘆願書ファイルが見つ かったためデータを表に追加し,マリアムと再確認した。上述のようにマリアムは一人 ひとりの状況を詳細に記憶しており,結果を含めてデータには信頼性があると考える。
( ) この「カップル(couple)」は,法的な婚姻関係を指すのではない。婚姻届を出し生計 を共にしている夫婦だけではなく,婚姻届は出したが届け出上の住所は別,法的な婚姻 関係にはないがフランスで同居中など多様な関係の男女を指す。氏名や住所だけでは関 係を把握できないため,嘆願書の内容とマリアムの説明から 組を「カップル」と判 断した。
女 性 男 性 合 計 マ リ
コート・ディボワール セネガル モーリタニア
合 計
表 市民団体 E が支援した難民申請依頼者の国籍別人数
0 2
8
1 0
3 4
5
2
0 1 2
1 9
8
0 5
0 2
0 0
2 1
0 1
0
1 1
0 0 0 0 0
0 0
3
0 0 0 0 0 0 0 0
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
2007 2008/01 2008/02 2008/03 2008/04 2008/05 2008/06 2008/07 2008/08 2008/09 2008/10 1 年 10年 却下 不明
年 年 未取得 不 明
女性 男性 計 女性 男性 計 女性 男性 計 女性 男性 計 マ リ
コート・ディボワール
セネガル モーリタニア
合 計
表 市民団体 E による 〜 年難民申請の結果
年=難民認定者, 年=PS認定者 筆者による統計
図 市民団体 E による難民申請の月別内訳
このように市民団体Eへの依頼が殺到していた時期,当該 ヶ国民による 難民申請は,全国で 年の , 件から 年には , 件と急増してい た(表 )。 年にはマリは難民資格認定率が .%と,エリトリアやルワ ンダを抜いて最も認定率の高い国籍国となっていた(OFPRA ; Sadik et al.
)。
しかしこの − 年の大量申請を受け,OFPRAは方針転換して判決の 適用を厳格化し,親のどちらかが正規滞在者の場合,子はその保護を受けると して,娘へはPSを認めるが,もう一方の親が難民申請しても却下するように なる。難民支援市民団体への聞き取りによれば,これまでは家族の一体性維持 のため,家族の中で資格が異なったり,未成年者にのみ保護が認められたり する例はなかった。どちらかの親の滞在資格が不安定なままでは,安定した 家族生活を送ることはできず,この方針転換は容易に受け入れられるものでは ない。
このOFPRAの方針に対し,CNDAは 年に部分的に修正を加え,娘と
母親に無条件で「補完的保護」を認めることになる(Forum réfugié )。「出 身国でFGMの拒否を表明することは社会的集団への帰属に当たり,ジュネー ヴ条約の適用を受ける」ことがその理由である(Sadik et al. )。
また,上記のようにOFPRAが 年に定めた「安全な出身国リスト」には マリ,セネガルが含まれていたが, 年 月の国務院決定により,マリが 女性についてのみリストから除外された。つまりマリは,男性にとっては「安 全な出身国」だが,女性にとってはそうではないということになり,FGMと いう女性に対する暴力が,公的に庇護の条件として認められたのである。
.難民申請の意義
ではなぜ,この時期,多数のマリ人がFGMを理由とする難民申請を行った のか。女性移住者らは,UNHCRや欧州議会など国際社会のジェンダーと難民
( ) 難民支援市民団体La CimadeのGérard Sadik氏への聞き取り( 年 月 日)。Sadik
et al.( )も参照。
申請数全体OFPRA決定認定合計(未成年を除く) 未成年児を 除く申請者初回申請再申請未成年児総合計合計難民認定 (含PS)却下認定率AN認定 (含PS)認定合計 (難民+AN+PS)PS合計 計,,,,,, コート・ディボワール,% モーリタニア,% マリ,% セネガル,% 計,,,,,,,,,, コート・ディボワール,% モーリタニア,,,,% マリ,,,,,,,% セネガル,%
表OFPRAによる難民認定統計− OFPRA,aより筆者作成
をめぐる議論を把握し,行動しているわけでは必ずしもない。また,市民団体 Eのマリアムは,フランス全国の市民団体との情報交換を活発に行っているわ けでもない。彼女は,自分に依頼が殺到していた時期に,全国的に同様の動き が高まっていたことは知らなかった。筆者も 年 月の調査時に,ロッカ ーに積み重なっていた大量の書類整理を手伝ったが,当時はまだ全国的な動向 は把握していなかった。
市民団体Eの例で考えると,マリアムが支援してきたNは, 年以上の滞 在を理由とする,他の第二夫人サンパピエの支援プロジェクトでは滞在が短 かったため対象にならず(園部 ),さらに 年通達による申請は却下 され,まさに「打つ手立てがない」状態が続いてきた。しかも,上記のように 年滞在による正規化がCESEDAⅡにより不可能になったため, 年間,耐 えて待つ意味もなくなった。サンパピエにとっては,何か手段さえあれば「す かさずとらえる」以外になす術がない状態になったのである。そこでマリアム は知人の話にヒントを得て「機会」をとらえ,直ちに実行に移すという〈戦術〉
をとったのである。
このようにしてマリアムは,支援する女性たちの地位交渉の可能性を,難民 申請に見いだした。正規化の道が閉ざされつつある中,支援を受けた人の話は 移住者の間で口伝てに噂として伝えられ,移住者の間に拡散する。そこでN と同様に, 年通達で正規化されなかった西アフリカ出身者らが,退去強
( ) しかしながら上記のように,認められる資格はPSであり,難民資格ではない。しか も両親のうち一方にしか認められなくなった。「シソコ判決」で難民申請が認められて 以降, 年までは難民資格が与えられていたため,支援側は一時的な保護のPSでは なく,難民として認定するよう要求している(難民支援市民団体La Cimade,Gérard Sadik 氏への聞き取り, 年 月 日)。なお,その後マリで起こった政変のため, 年
月 日にOFPRAはマリを「安全な出身国リスト」から完全に除外する決定を下し
ている。
( ) サンパピエの正規化申請には,継続的にフランスに住んでいることを証明するありと あらゆる書類(家賃領収書,賃金明細書,電気・ガスの明細書,医師の診察結果,電車 賃の領収書など)が含まれ,それを時系列に沿ってファイル分けし提出する必要がある ため,膨大な分量になるのが常である。当初は難民申請者がマリアムに託した書類のコ ピーなど,紙媒体のデータもあった。腰高ロッカー 個分あった紙媒体データを 年 月調査時に筆者が申請者ごとに整理し,後にマリアムがOFPRAに提出した。
制を恐れて市民団体に支援を求め,全国でFGMを理由とする難民申請の動き が広がったものと考えられる。
また当時フランスでは,サルコジ内相による一連の難民・移民関連法の厳格 化が進められ,大統領選挙に向けてメディアでこの問題が扱われることも多 かった。「フランスを愛するか,そうでなければ去るか」という巷間に知られ るようになった発言の真意について, 年 月,あるテレビ番組で説明を 求められたサルコジは,「私はフランスで移民の選別について口にした初めて の右派の政治家である。…フランスを愛するならば,フランスを尊重するもの だ。その規則を尊重するものだ,つまりは一夫多妻婚ではなく,自分の娘たち に性器切除は実施せず,アパルトマンの中で羊を屠ったりしないで,共和国の 規則を尊重するものだ」と発言している。
これはサルコジからのメッセージである。一夫多妻婚,性器切除という事例 から考えて,この発言の大部分が西アフリカ出身者に向けられていることは 確かである。ちょうど時を同じくしてマリアムの元に殺到したサンパピエたち が,この発言を聞いたかどうかは定かではない。だが親たちはサンパピエでも,
娘に性器切除を受けさせたくはない。それは出身国の習慣には従わず,「フラ ンスの規則を尊重する」からこそだ。ならばフランスで生まれた娘たちは「共 和国の規則」に守ってもらおう ―― これが難民申請でマリアムが用いた解釈 である。
このように女性たちは,「女性の権利擁護」という,受入国側で広く受け入 れられている「共和国の規則」についての言説を巧みに利用して,地位交渉を ジェンダー化している。FGMを理由とする難民申請は,先のように,政府と の間で交渉が続けられてきた正規化の条件にそもそも当てはまらない女性たち だからこそ,可能になる。例えば, 年通達のように子どもが「義務教育」
を受けているかどうか,つまりフランスへの「統合」が進んでいるかどうかと いう,受入側にとって都合の良い規定はまったく関係がない。むしろ,子ども
( ) 年 月 日,TF の番組「あなたに質問!J’ai une question à vous poser」におけ る発言。TF は移住者もよく見るテレビ局である。
が小さいからこそ親が積極的にFGMから守る必要があるのである。
次に 年通達では,両親ともにサンパピエである場合に正規化するとい う条件であった。上記のように,一方が正規の滞在資格をもっている場合,そ の配偶者の難民申請が却下されるようになったこともあり,難民申請には,申 請者の配偶者の地位がまったく影響をもたないわけではない。市民団体Eか らの申請者では,「カップル」ではない単身の女性も 名が難民またはPSを 認められている。彼女たちは法律上,配偶者がなく,未成年の子の唯一の保護 者と見なされ,認定を受けやすいと推測することもできる。
OFPRAの決定は非常に恣意的で,「事例ごとに(au cas par cas)」判断され るため,どのような条件の場合にどの資格が認定されるのか,統計結果からは 明確な基準を見いだすことはできない。だが少なくとも, 年通達のよう に,「夫婦」でなければ申請できないものではない。
また上記のNの場合,マリアムの機知により,一夫多妻婚の第二夫人であ る事実は伏せたまま,法的な配偶者のいない単身者として申請している。その 結果,Nは難民資格を認定され, 年間有効の滞在許可証を手に入れた。彼 女はその後,西アフリカの別の国を経由して陸路で出身国に一時帰郷も果たす など,国家への所属や規制を巧みに乗り越え,国境を越えて移動する地位を手 に入れた。FGMを理由とする難民申請により,西アフリカ出身のサンパピエ の女性らは,新たな滞在正規化の可能性を拓いたのである。
( ) 先述のように一夫多妻婚がフランスで認められていないため,Nはフランスでは法律 婚の妻ではなく,法的にも未婚者とされている。実際は夫や家族と一緒に住んでいる が,書類上は別の住所を届け出ている。サンパピエや一夫多妻婚世帯では,よく用いら れる策である。
( ) 難民は出身国での迫害を逃れるために難民認定を受けたのであり,通常,迫害の恐れ のある出身国には入国できないことになっている。しかし西アフリカでは国境に厳格な 境界線やフェンスが張られているわけではなく,国境をはさんだ村の間で人びとは日常 的に頻繁に往来している。マリアムによれば,こうした陸路であれば,検問の目をかい くぐって入国する方法があると言う。
.む す び
これまで見てきたように,ジェンダーに基づく暴力は,国際的にも,難民申 請者が受ける迫害として審査する条件になっている。そして欧州連合において も,またフランス国内においても,女性の権利向上の一環として取り組まれる べき課題となっている。こうした難民認定基準の「ジェンダー主流化」の動き において,FGMはジェンダーに基づく暴力の代表例として位置付けられてい る。
他方で,社会・文化的仲介を行う仲介者は,日常的な相談の場で移住女性の 支援を続けながら,サンパピエの女性のために滞在正規化の機会をうかがって きた。ともすると政府の正規化の基準から外れる女性移住者たちは,それに 真っ向から立ち向かおうとはしない。知人の経験を頼りに,ほとんど注目され ていなかった方法でも着目し,すかさず試す。このような草の根の申請の波が 広がった結果,サンパピエの女性たちは滞在を正規化させることができた。さ らには難民申請を扱うOFPRAの「安全な出身国リスト」に,女性がジェンダ ーを理由に受ける迫害として,マリの女性についての例外条件を付け加えさせ ることにもつながった。
また,本論で扱ったFGMをめぐる一連の申請とそれへの対応後,OFPRA は 年以降,FGMについての見解を変更し,FGMを理由とする難民申請 者には,難民資格を認定することにしたとされている。女性移住者たちが出身 国でもFGM廃止運動を続けつつ,多数の申請を行ったことから,OFPRAに 問題の深刻さを認識させるに至ったと言える。
このように女性移住者らは,FGMの問題を糸口に〈戦術〉を展開し,受入 国における地位交渉をジェンダー化させている。国際社会には,今後もジェン ダーを理由とする迫害としてFGMに注目し,女性たちの運動を支えていくこ とが求められている。
( ) OFPRAホームページ「 年 月 日,女性に対する暴力についてのOFPRAの取 り組み」,( 年 月 日閲覧)。
[付 記]
調査を快く受け入れ,データを提供して下さった市民団体Eのマリアムと皆さん,
聞き取りに応じて下さった国立人権諮問委員会CNCDH,パリ市女性/男性平等監視 局OEFH,都市政策庁DIV,難民支援団体La Cimade他の方々に感謝したい。
また本論文のもととなった調査には,以下の科学研究費補助金を使用した:平成
〜 年度(若手研究B)研究代表者・園部裕子「フランス旧植民地「アフリカ系」
女性移住者の社会編入 ―― 越境する女性の地位向上戦略」(課題番号 );
平成 〜 年度(若手研究B)研究代表者・園部裕子「フランスの「エスニック化」と 旧植民地出身女性移住者の社会編入 ―― 日常性の抵抗戦術」(課題番号 ).
参 考 文 献
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