1.承前
筆者は,エンターテインメント作品はその時代の雰囲気を反映し,人々が観たいと望むものを描 き出しているという観点から,1954 年にその第 1 作が公開され,爾来 50 年にわたって 28 本が製作 された東宝特撮映画ゴジラシリーズに,戦後の日本人の戦争や武力への意識の変遷を辿ってみたい という問題意識のもと, 「ゴジラ〜忘却の軌跡〜(その 1)昭和期シリーズ」において,昭和期に製 作された 15 作品について検討を加えた。その結果,そこには,戦争の恐怖,原爆の恐怖,それらを 生み出し行使した人間の在り方そのものへの恐怖や不安が, 1960 年代の高度成長期の中で忘れ去ら れ,科学の進歩と,それと手を携えて発展していく人間というイメージを肯定的に受入れていくと いう姿がはっきりと反映されていることを見いだした。
本論文では,先の論文に引き続き,1984 年公開の『ゴジラ』を含む,平成期以降のゴジラシリー ズについて検討を加えていく。
2.平成シリーズ
2.1. 『ゴジラ』 (1984)〜ゴジラの敵としての自衛隊の登場〜
1984 年 12 月,第 1 作と同じ『ゴジラ』のタイトルで,ゴジラ作品の新作が公開された。
時代は現代。昭和 29 年に東京を襲って以来姿を現していなかったゴジラが再び日本近海に現れ る。政府は緊急対策本部を設置,自衛隊の秘密兵器スーパーX とカドミウム弾を用いてゴジラを迎 撃する作戦を立てる。一方,生物物理学者林田は,ゴジラが渡り鳥と同じ磁性体を持つことを発 見,これを応用してゴジラを三原山に誘導,火口に落とす作戦を政府に進言する。政府は,自衛隊 の秘密兵器スーパー X による迎撃作戦と,林田の三原山誘導作戦の両作戦によってゴジラを迎え撃
ゴジラ〜忘却の軌跡〜(その 2)平成/新世紀シリーズ
林 延哉 *
(2007 年 11 月 30 日 受理)
Godzilla:The locus of oblivion (Part II)
Nobuya H AYASHI * (Received November 30, 2007)
茨城大学教育学部(〒 310-8512 水戸市文京 2-1-1)
*
つことにする。東京に上陸したゴジラは,いったんは自衛隊のカドミウム弾によって行動不能に陥 るが,ソ連が誤射した核ミサイルの爆発によって復活。スーパー X を撃沈,自衛隊による作戦は失 敗する。が,折しもその時,林田のゴジラ誘導音波が三原山で作動を開始,ゴジラは誘導波に誘わ れて三原山に出現,自衛隊の設置した爆弾によって三原山が噴火し,ゴジラは火口へ落下して姿を 消す。
恐怖と不安のシンボルであったゴジラは,昭和期の作品を通して,愛される人類の味方, 善玉 怪獣に変質してしまった。この善玉怪獣ゴジラを再び凶暴な魔物へと原点回帰させようとしたのが 1984 年版『ゴジラ』である(田中ほか 1993) 。舞台となる日本を 1954 年に襲撃を受けて以来一度も ゴジラと遭遇していない日本と設定することで, 『ゴジラ』 (1954)以外の昭和期作品をカッコにくく り,第 1 作同様怪獣対決もののスタイルもとらず,ゴジラだけが登場し,日本を襲う。
しかし『ゴジラ』 (1954)が,ゴジラというまだ誰も見たことのなかった 水爆大怪獣 の姿,そ の驚異的な破壊力を見せることだけで十分に成立したのに対して, 1984 年の時点では観客にとって ゴジラはすでに周知の存在となっている。ゴジラを登場させて既にゴジラの身長を上回る巨大ビル の林立する大都市東京を破壊して見せても,それほどの魅力を感じさせる作品とはならない。昭和 期作品以上の,そして『ゴジラ』 (1954)を上回る人間ドラマが求められることになった。
この作品でまず目立つのは,日本国政府,特に時の総理三田村が示す折々の適切な判断である。
『ゴジラ』 (1954)では影の薄かった政府が,ここではゴジラ対策の中心となっている。
ゴジラ生存の情報を入手した政府は,当初,報道管制を敷いてその情報を秘匿する。しかし,ソ 連原潜がゴジラによって破壊され,ソ連はそれをアメリカによるものと断定,ソ連・ワルシャワ条 約機構とアメリカ・ナトー軍が一触即発の状態になると,すかさず転じて情報管制を解除,両国駐 日大使を官邸に呼び,武力衝突の危機を回避する。
首相官邸地下に設置されたゴジラ非常緊急対策本部で対ゴジラ戦略を検討する場面では,生物物 理学者林田の提案するゴジラ誘導作戦と,自衛隊が極秘裏に開発していた首都防衛戦闘機スーパー X を使ったカドミウム弾攻撃作戦とが提案され,閣僚の大半がカドミウム攻撃に傾きかけるとこ ろ,首相は見事なバランス感覚を示し,両作戦同時進行を決定する。
米ソ両国は日本にゴジラが上陸した場合,戦術核ミサイルによるゴジラの攻撃を認めるよう日本 政府に要求してくる。首相は,非核三原則の堅持を理由としてこの要求を拒絶, 「核を使わせないの は日本のエゴイズムだ」と責める両国に対して, 「核を使いたがるのもエゴイズムだ,自国の首都が ゴジラに襲われたらためらいなく核を使用できるのか」と反論し両国を斥ける。
ゴジラの東京湾上陸に際し誤作動したソ連の核ミサイルが新宿のゴジラをめがけて発射される。
うろたえる閣僚を制して首相は,出来る限りの市民の避難と,アメリカへの迎撃ミサイル発射を要 請し,この危機事態においてとりうる限りの最善策を迅速にとる。
当時は,行革と「戦後政治の総決算」を謳った中曽根内閣の時代であり,外交的にも強いリーダー シップを総理が示していた時代だった。そうした現実の日本の状況が,映画の中の政府をも強くし たのかもしれない。全編 103 分の作品の約 20 分がこれらの政府・首相の活躍を描くのに費やされて いる。
もしも本当に日本がゴジラに襲われれば,当然のことながら政府も対応せざるを得ない。しか
し,ゴジラ対策のリーダーシップをとる主体としてはっきりと政府が描かれ,最高責任者としての
政府や首相が描かれるようになるのは,この作品以降である。武力は,この政府の統制下で行動す ることになる。その政府の保有する武力とは,当然のことながら自衛隊である。
ゴジラは登場以来,幾度となく自衛隊 のような 軍隊と交戦してきたが,その軍隊が「自衛隊」
と呼ばれることは少なく,ゴジラ作品の中でゴジラと対決する 主役 として「自衛隊」が登場す るのはこの作品が最初とある。
初主演にふさわしく,今回の自衛隊は頻繁に自分の勇姿と名前をアピールする。
緊急対策本部で統幕議長が「陸・海・空一体となって,ゴジラ迎撃作戦を展開します」と作戦を 説明した後には,勇壮なマーチにのって海上を走る艦隊,ヘリコプターの編隊,機内の様々な計器 類,きびきびと作業をこなす自衛官など自衛隊プロモーションフィルムと見まがうような映像が
「総力をあげて全土にゴジラ警戒態勢」のスーパーを被せられて 40 秒ほど続く。
映画開始後 32 分頃,ついにゴジラが日本本土に上陸するが,現地に林田ら「科学者グループ」を 運ぶヘリコプターの側面の「陸上自衛隊」の文字もはっきりと映し出される。その後も,三原山で のゴジラ誘導装置の設置場面や,ビルに閉じ込められた林田の救出などにもヘリコプターは活躍す るが,その都度はっきりと「陸上自衛隊」の文字は映し出される。自衛隊は秘密兵器スーパー X に よるゴジラ迎撃作戦を取っているが,林田を中心とする科学者グループの三原山作戦にも協力し,
科学力によるゴジラ迎撃も武力の援助あってこそ成り立つことが強調される結果となっている。
自衛隊の作戦は,新鋭戦闘機スーパー X に原子炉の核反応の制御に用いられるカドミウムを用い た砲弾を搭載しゴジラを迎撃するというものであるが,このスーパー X は「首都防衛のために極秘 に開発されたもの」で大蔵大臣を含む主立った閣僚らもその存在を知らないというものである。戦 闘機であるが空中でのホバリングも可能であり, 「極秘に開発」とは,この兵器が都心部での暴動の 鎮圧など, 自衛 だけではなく治安維持といった 内向きの 戦闘をも想定した兵器であることを 観客に想像させるが,寝耳に水の閣僚らからこうした兵器を極秘に開発していたことに対する批判 などは一切出されない。
自衛隊のゴジラ迎撃作戦は,ゴジラにかなり有効なダメージを与え行動不能状態にまで追い込む が,ソ連による核ミサイルの誤射によってゴジラは息を吹き返し,結果的に作戦は失敗に終わる。
その後は,林田グループによる三原山へのゴジラ誘導作戦が効を奏し,ゴジラは三原山火口に消え て映画は終わる。結局は,自衛隊の作戦は失敗し,科学者林田の作戦が成功したことになるのだが,
ソ連の核ミサイルの誤射がなければ,あるいは自衛隊の作戦でゴジラに決定打を与えられていたか もしれないというニュアンスを映画は否定していない。
林田は, 「私は,ゴジラが原子炉だとは思っていない」と自衛隊のカドミウム作戦には関心を示さ ないし,カドミウム弾でゴジラが行動不能に陥った際も「死んでない,死ぬはずがない」と自衛隊 の作戦がゴジラに有効であるとはまったく考えていない。事実,息を吹き返したゴジラはスーパー X を撃破し,林田の誘導音波によって誘導されて三原山に消える。このあたりの武力と科学との対 立と科学の勝利は, 『ゴジラ』 (1954)におけるそれを踏襲しているとも見えるが, 『ゴジラ』 (1954)
に比べると,ゴジラに対する武力攻撃の有効性は格段に向上しており,一方の科学者グループによ る三原山誘導作戦の要である三原山爆発は自衛隊の協力なくしては成立しないものとなっている。
林田は,ゴジラを抹殺可能とする自衛隊の判断,自衛隊のカドミウム攻撃の有効性に対しては疑問
をなげかけているが,科学と軍事力との接近,科学の軍事利用については特に疑問を持っているわ
けではない。主人公であり,主に林田と行動を共にしている新聞記者の牧も,科学と武力との接近 には疑問を持たないし,そもそもスーパー X なる超兵器が極秘裏に開発・所有されていたことを問 題とすることもない。人間の滅びと救済にまつわる武力と科学は, 『ゴジラ』 (1954)での対立と葛藤 から,昭和期における武力の漂白と未来を約束する科学への期待の時期を通り抜け,ここでは両立 し接近している。
この作品以降次第に,人間の保有する武力がゴジラとの戦いの中心を占めるようになっていく。
ゴジラに対して人間は,無力な,ただ恐怖し逃げ回るだけの存在ではなく,自らの武力によって立 ち向かう存在となっていく。それは, 『ゴジラ』 (1954)から読み取れるような新たな兵器開発に対す る異議申し立てというテーマの放棄の過程でもあり,ゴジラシリーズにおける 軍拡 路線の始ま りでもある。
2.2 『ゴジラ VS ビオランテ』〜新たな原点と軍隊の突出〜
『ゴジラ』 (1954 年版)が,全てのゴジラ作品の原点とするならば,平成期以降のゴジラ作品の原 点は 1989 年に公開された『ゴジラ VS ビオランテ』でろう。 『ゴジラ』 (1984)が,ともかくもゴジラ を現代に復活させた作品であるとすれば, 『ゴジラ VS ビオランテ』は新しいゴジラが向かいうる方 向性と持ちうるテーマの可能性を提示した作品である。冠木(1993)はこの 2 作品を「ゴジラ映画 原点期」と称し, 『ゴジラ』 (1984)は「五四年『ゴジラ』の偉大な幻におびえた作品」 , 『ゴジラ VS ビオランテ』は「過去のゴジラ作品を踏まえつつ遺伝子のアイディアを取り入れて勝利の糸口をつ かんだ」再生のヒントを与える作品であると評している。
1984 年のゴジラ襲来によって破壊された新宿副都心には,飛散した多くのゴジラの皮膚があっ た。この皮膚から回収できるゴジラ細胞は,それが持つ自己再生能力と核エネルギー吸収能力に よって,遺伝子工学の世界では,新たな資源として注目されていた。
1989 年,国土庁は特殊災害研究会議ゴジラ分室を設置し,1984 年に三原山火口に落下したゴジラ の動向を監視する体制を整えており,自衛隊から権藤一佐が出向していたが,精神科学開発セン ターより超能力者の少女三枝未希が,精神感応によってゴジラの動きを察知したと連絡が入る。自 衛隊特殊戦略作戦室の黒木特佐が権藤の連絡を受けて調査を開始,火口内で動くゴジラを確認す る。黒木はゴジラに対抗するために,ゴジラ細胞を使った,放射能を吸収して無効化する抗核バク テリアの合成を,青年生命工学者桐島に依頼する。桐島は遺伝子工学に疑問を抱きつつも,遺伝子 工学の第一人者白神博士の協力を要請する。
桐島と白神は,科学に対する考え方は対立していたが,協力して抗核バクテリアを完成させる。
しかし,米国の遺伝子産業が組織するバイオメジャーが,三原山を人口的に爆発させてゴジラを復 活させることをタネに日本政府を脅迫,抗核バクテリアを要求。政府は抗核バクテリアを渡すが,
バクテリアはサラジア共和国に奪われ,三原山は爆発,ゴジラが現れる。
白神はかつて,ゴジラ細胞を巡る遺伝子産業の抗争で娘英理加を失っていたが,彼女の細胞を融 合させたバラを育てていた。枯れ始めたそのバラに,白神は,抗核バクテリア開発のために貸し出 されたゴジラ細胞を融合し,その自己再生能力を利用しようとする。しかし,ゴジラ細胞を移植し たバラは,巨大な植物の怪獣となって芦ノ湖に現れる。白神はそれを「ビオランテ」と呼んだ。
ゴジラは大島から東京湾へ進行,自衛隊はゴジラ攻撃の指揮を黒木に任せる。黒木は陸上自衛隊
の最新戦闘機スーパー X2 を出動させる。スーパー X2 は善戦するが,ゴジラの熱線のために機体の 一部が溶解炎上,ゴジラは小田原から芦ノ湖に向かい,ビオランテと戦う。ビオランテはゴジラの 熱線を浴びて炎上,大気中へ飛散する。黒木は,駿河湾に消えたゴジラの位置を三枝未希の超能力 で発見,名古屋から上陸すると予測して陸海空の戦力とスーパー X2 を伊勢湾沖に集結するが,ゴジ ラは大阪へ向かう。黒木はスーパー X2 を大阪に急行させ,上陸の時間を稼ぐために三枝未希の念 動力によってゴジラの足止めを試みる。
権藤と桐島はサラジアのエージェントから抗核バクテリアを奪い返し,権藤ら特殊部隊は,大阪 に上陸したゴジラに抗核バクテリアを打ち込む。しかし,権藤はゴジラの反撃にあって殉職,スー パー X2 も,ゴジラの熱線を浴びて撃沈する。
ゴジラは原発を求めて若狭へ進行。黒木は若狭の原発を守るために,ゴジラの体温を上げ抗核バ クテリアの効果を高めようと人工雷雨発生装置を使用する。そこに天空よりビオランテが現れてゴ ジラと再び対戦。ビオランテと抗核バクテリアによってゴジラは力尽き海へと帰る。ビオランテも 光の粒子となって空へ帰る。白神はサラジアのスナイパーによって殺され,スナイパーは人工雷雨 発生装置によって黒木の手で消滅させられる。
この作品の大きな特徴は,映画全編を通して登場する自衛隊の活躍である。映画冒頭の,ゴジラ によって破壊された新宿副都心で飛び散ったゴジラの皮膚を採集する場面から早々に自衛隊は登場 する。ゴジラの皮膚の回収に当たっているのは,自衛隊科学科部隊である。次の場面では自衛隊 は,早くもゴジラ細胞を盗もうとするバイオメジャーとの銃撃戦を行っている。
前作でも自衛隊はゴジラの対戦相手の中心として登場してきたが,前作ではあくまでも,30 年ぶ りに現れたゴジラに対して,自衛隊が対戦するために出動したという設定であった。しかし今作で は,ゴジラの出現は想定範囲内で,対応するのは自衛隊であることも既に定められているという設 定になっている。従って,ゴジラの出現が予測されてからなんらかの決着を見るまで,すなわち最 初から最後まで自衛隊が,本編のドラマの中心となる。
ドラマとしての登場シーンだけではなく,自衛隊の兵力の映像においても,火力演習のライブ映 像だけでなく,映画の撮影のためにヘリコプターを飛ばし戦車を配置する等自衛隊の全面協力に よって映画は作られている。昭和期の記号化された軍隊ではなく,実際に存在している自衛隊の映 像と特撮映像とを細かいカット割で繋いでいくことで,リアルで迫力のある戦闘シーンを作ってい る。この作品では,バラとゴジラ細胞の融合から生み出されたゴジラの分身である植物怪獣も登場 するが,対ゴジラ戦の印象はビオランテよりも自衛隊が強い。
自衛隊特殊戦略作戦室は自衛隊における「噂のヤングエリート集団」で,対ゴジラ戦における陸 海空全軍の指揮を任される黒木特佐は 23 歳という設定である。前作『ゴジラ』では有人機であった 陸上自衛隊のスーパー X は,リモコン操縦が可能な無人戦闘機スーパー X2 となり,司令室から二 人のオペレータによって操作される。コントロールのためのレバーはさながらゲームの操作レバー であり,ワイヤーフレームで表示されるディスプレイを見ながら攻撃を行う。権藤が黒木に向かっ て「ロボット工学,コンピュータ,新素材に超伝導,先端技術のオンパレードだな,そのうえ超能 力か。自衛隊も変わったもんだなぁ」と言い黒木が「もうひとつあります。生物兵器というものが」
と答えるシーンがあるが,次々と黒木が繰り出す超兵器が実際の自衛隊の兵器の映像と組み合わさ
れて,あたかもニュールック自衛隊のプロモーション映画のようですらある。
ゴジラとの対戦も,とどめをさすことこそかなわなかったが,抗核バクテリアによってゴジラの 活動を抑え,若狭湾岸の原発を死守するという当初の任務は果たし終える。前作では科学者の発案 による作戦が最終的には功を奏したが,今回は自衛隊の作戦の勝利である。
もちろん,特殊戦略作戦室や特佐という位階が実在するわけではない。様々な超兵器も映画の中 だけのことである。しかし,先端技術をスマートに駆使して敵を撃破する 格好いい 自衛隊が,
そこには描かれている。
『ゴジラ VS ビオランテ』には,ゴジラを資源とし核兵器を越える兵器を開発できる知識と技術を 持つ桐島と白神という二人の科学者が登場する。彼らは協力して抗核バクテリアを完成させる。し かし二人の科学に対する考え方は異なる。年長の科学者白神は,科学は政治の道具に過ぎないと達 観し,青年科学者桐島は,科学の力が軍事利用されることや命を弄ぶことを懐疑している。
この作品で遺伝子工学の対象とされることでゴジラはより 生物的 になっていく。人間はゴジ ラを対戦相手としてはっきりと想定するようになり,その象徴が「G」というゴジラの呼称である。
この作品以降ゴジラは,軍隊の中では「G」と呼称されることが多くなる。軍隊にとって「ゴジラ」
は「神= God-zilla」の呼称ではなく,単なる攻撃対象を示す記号に過ぎない。そのために新たな兵
器を開発し,軍事力を増強する。科学と武力との間にはかつての対立はなく,科学が武力を統制す るのでもなく,武力開発のために利用される科学が描かれ始める。
多くのアイディアとテーマの萌芽を内包した『ゴジラ VS ビオランテ』は,1990 年代以降のゴジ ラ作品にとっての新たな原点である。そしてこの新たな原点では何よりもまず,軍隊こそが突出し た存在であった。
2.3 『ゴジラ VS キングギドラ』 『ゴジラ VS モスラ』〜平成ゴジラ映画の模索〜
1991 年の『ゴジラ VS キングギドラ』は前作『ゴジラ VS ビオランテ』と同じ大森一樹脚本・監 督作品,1992 年の『ゴジラ VS モスラ』は大森一樹脚本・大河原孝夫監督作品である。特技監督は いずれも『ゴジラ VS ビオランテ』と同じく川北紘一が担当している。
『ゴジラ VS キングギドラ』は,前作とはうってかわって怪獣対決が主眼となった作品で,仕立て もタイムトラベルを扱った未来人侵略ものとなっている。主人公は, 23 世紀からやって来た日本人 エミー・カノー,エミーの 祖先 でルポライターの寺沢健一郎,恐竜を専門とする科学者真崎教 授,国立超科学センター G ルームの所属となった三枝未希ら民間人や科学者である。
23 世紀から三人の未来人がやってくる。彼らは 23 世紀の日本がゴジラによる放射能汚染によっ
て滅ぼうとしており,それを防ぐためにやってきたという。ゴジラは,もともとはマーシャル諸島
ラゴス島に生き残っていた恐竜ゴジラザウルスであったが, 1954 年のビキニ環礁水爆実験で被爆し
てゴジラになる。そのゴジラザウルスを被爆前に別の場所に移動してしまえば,ゴジラは誕生しな
いという。しかし,彼らの真意はゴジラの代わりに自分たちが制御可能な怪獣を誕生させ,23 世紀
に超大国となり極端な格差を生み出している日本を過去から改変しようというものであった。未来
人の計画通りキングギドラが誕生,しかし移動先で別の放射能で被爆したことで,やはりゴジラも
誕生,2 体の怪獣に日本は襲われる。未来人エミーは,過激な他の二人についてゆけず二人を裏切
り,寺沢とともに未来人を倒す側に回る。キングギドラと未来人はゴジラによって倒されるが,今
度はゴジラが日本を襲う。エミーは 23 世紀に戻り,ゴジラに倒されたキングギドラをサイボーグ化
して 20 世紀に戻り,自らメカキングギドラを操縦してゴジラを撃退,未来へと帰っていく。
この作品は,前半はゴジラ誕生秘話,後半は未来人エミーの活躍が物語の中心である。冒頭から 自衛隊は登場し,キングギドラとの空中戦を行うシーンもあるが,前作とは異なり扱いはとても小 さい。終盤の見せ場ゴジラ対メカキングギドラのシーンでは,新世紀シリーズにも繋がるような,
新鋭メカに搭乗して戦う戦闘美少女もののテイストになっている(但し戦闘服は着ていない) 。 『ゴジラ VS モスラ』もまた, 『ゴジラ VS ビオランテ』 『ゴジラ VS キングギドラ』とは違った趣向 になっている。前作からは内閣安全保障室室長土橋と超能力者三枝未希が引き続き登場するが,主 役はトレジャーハンターの藤戸拓也,国家環境計画局の手塚雅子,丸友商事社長秘書室の安藤健二,
そこにインファント島の二人の小美人や丸友商事社長らが絡んでくる。
太平洋に巨大隕石が落下し,丸友商事の所有するインファント島では巨大な卵が発見される。藤 戸は土橋からその調査を依頼され,雅子,安藤とともにインファント島に向かう。三人は,そこで 小美人と出会う。三人は,丸友商事の意向で卵を日本に持ち帰ろうとするが,曳航中に,巨大隕石 落下の影響で目覚めたゴジラに襲われる。その最中卵が孵り,モスラが誕生する。そこに別の怪獣 バトラが現れ,ゴジラとバトラは争いながら海中に姿を消す。丸友商事は失った卵の変わりに小美 人を自社のキャンペーンに使おうとする。一方藤戸は小美人を国外の研究機関に売って別れた妻雅 子と出直す資金を稼ごうとする。小美人を追ってモスラの幼虫が東京を襲う。娘の言葉に目を覚ま し小美人を解放する藤戸,モスラは破壊をやめ国会議事堂に繭を作り成虫へと羽化する。
海底からマグマを抜けたゴジラが富士山から登場,バトラも日本をめざす。羽化したモスラも加 わって三体の怪獣が横浜で戦う。宿敵同士であったモスラとバトラは,ゴジラと戦うために共闘,
結局バトラはゴジラと共に海中に没する。モスラは地球に向かう巨大な隕石を破壊し地球を守るた めに小美人とともに宇宙へと旅立つ。藤戸は雅子,娘とともにもう一度人生をやり直す決意をす る。
モスラは必ず何かを守るために登場する怪獣である。それは小美人であったり,卵であったり,
地球であったり,人類であったりするのだが,この作品でもやはりモスラは地球を守る存在である。
モスラが登場する場合,どうしても主役をモスラに奪われ気味になるゴジラだが,この作品でも 地 球生命 を守るために戦うモスラに対して,ゴジラは悪玉のやられ役である。
ちなみに,この作品も『コジラ VS キングギドラ』と同じく協力に防衛庁・陸海空各自衛隊が連 なっているが,自衛隊の戦闘シーンは映画の中心でもなくそれほど突出しているわけでもない。
ゴジラと戦う自衛隊の武力が際立った『ゴジラ VS ビオランテ』 ,SF 仕立ての未来人侵略と人気 怪獣キングギドラとの怪獣対決にメカに乗り込んで戦う戦闘美少女も盛り込んだ 『ゴジラ VS キング ギドラ』 ,平和と共存の象徴モスラを登場させ,夫婦再生の物語を絡ませた『ゴジラ VS モスラ』 。こ れら 3 作品は,平成という新しい時代のゴジラ映画の可能性を模索した作品群であったと言える。
2.4 『ゴジラ VS メカゴジラ』〜殲滅の論理と共存の感情の危ういバランス〜
1993 年公開の『ゴジラ VS メカゴジラ』は,怪獣対決ではなく,怪獣対人間対決になった。ゴジ ラの対戦相手であるメカゴジラは,人類が開発した対ゴジラ用超兵器という設定である。従って,
本編の中心も超兵器を運用する軍人たちということになる。映画は制服姿の軍人が「今度こそ,奴
の息の根を止めてやる」と決意を表明する場面から始まり,冒頭より好戦的な映画であることを印
象づける。
物語は,度重なるゴジラの被害に対して 1992 年に国連 G 対策センターが作られたという設定で始 まる。本部は筑波に置かれている。G 対策センターには G フォースと呼ばれる対ゴジラ用の軍隊が 存在する。G フォースが運用する対ゴジラ兵器として開発されたのがメカゴジラであり,かつてゴ ジラとともに海底に沈んだメカキングギドラを引き上げて 23 世紀の技術で作り上げたという設定 で『ゴジラ VS キングギドラ』の世界を引き継いでいる。主たる登場人物は,G 対策センターに勤 務するロボット工学者の青木,G 対策センター所属となった三枝未希,国立生命科学研究所員で古 代生物学者大前博士のもとで働く五条梓,メカゴジラの指揮官佐々木といった人々である。怪獣の 側では,ゴジラの他に,ラドン,ベビーゴジラが登場する。
この作品の特徴は,まず,実在する自衛隊から G フォースという架空の軍隊に移ったことで,な お一層軍事色が強まっていることである。たとえフィクションの娯楽映画であっても実在する自衛 隊を登場させると設定や行動に制約がかかるのであろうか,より一層自由に運用できる軍隊という ことで G フォースが設定されたのではないかと思われる。といって,TV の特撮ヒーローもののよ うな 4, 5 人の精鋭によって作られた特別チームのようなものではない。自衛隊同様の巨大な軍隊で ある。その軍隊がメカゴジラという超兵器を使ってゴジラに挑むのがこの作品である。だが,後の
『ゴジラ×メカゴジラ』のような軍隊一色になっているわけでもない。
ベーリング海アドノア島でゴジラの同種であるゴジラザウルスの子ども ベビーゴジラ を発見 した大前,梓らは,ベビーゴジラを G フォースに提供するが,ベビーゴジラを,ゴジラをおびき出 す 餌 に使うことには反対する。ベビーゴジラは梓に懐いているし,梓とベビーゴジラと関わる 中で,未希は「今まで私,ゴジラと戦うことが人類に貢献することだって信じてた。でも今は,そ んな気持ちになれない」と心境の変化を語る。それでも未希は,命令に従って,ゴジラの神経組織 の位置をテレパシーによって同定し破壊するオペレータとしてメカゴジラに搭乗しゴジラを攻撃す る。結局,メカゴジラとゴジラの戦いは,ゴジラの勝利に終わるのだが,負けたメカゴジラクルー は,海へと去っていくゴジラとベビーゴジラの姿を見送りながら「勝負を決めたのは,結局命だっ たなぁ」 「命あるものと,ないものの差よ」 「奴にはなんとしても,守らなければならないものがあっ たんだ」と述懐する。この台詞はゴジラ殲滅を至上命令として戦闘を行ってきたメカゴジラクルー の兵士たちが,生命としてのゴジラを認めた台詞であるのだが,同時に「守るべき者のために戦う 者は強い」というヒロイズムに訴える台詞にもなっている。
ゴジラと戦う軍隊 G フォースが中心の映画だが,三枝未希とゴジラ,五条梓とベビーゴジラとい う二組の 生き物同士の交感 が,ゴジラを殺すべき害獣として敵視する軍部の論理を相対化して いる。強大な災害・害獣には有無を言わせず武力で対抗しこれを殲滅するという力の論理が,たと え異なる種であっても地球上に生きる生物である限り共存の可能性はあり得る,あるいは自らに とって邪魔な存在であるからと言って,それが相手を滅ぼすことの正当化にはならないと感じる感 情によって相対化され,危ういバランスをこの作品は保っている。
翌 1994 年公開の『ゴジラ VS スペースゴジラ』では,この戦うことと共存することとの対立が一
層際立ってくる。前作の G フォースの設定をそのまま引き継ぎ,G 対策センターサイキックセン
ター主任の三枝未希が本編主人公となっている。今作の G フォースは,ゴジラをテレパシーで制御
しようという「T プロジェクト」とメカゴジラに代わる新開発のロボットであるモゲラによってゴ
ジラを抹殺しようという「M プロジェクト」を並行して進めている。そこに宇宙から G 細胞によっ て誕生したスペースゴジラという怪獣が飛来する。福岡を占拠したスペースゴジラに対してゴジラ とモゲラが戦いを挑み,スペースゴジラは倒され,モゲラは大破,ゴジラは海に帰っていく。
全般にこれまでのゴジラ作品のアイディアのつぎはぎで作られている印象が否めず,平成シリー ズの中でも,必ずしも評価が高い作品ではないのだが,殲滅か共存かの対比を,ゴジラの抹殺とい う考え方にどうしても同意できない三枝未希と,ゴジラ抹殺を至上と考え G フォースの軍人として 働く新城との淡いロマンスに絡めながら描いたという点では『ゴジラ VS メカゴジラ』のテーマの 先鋭化であることは間違いない。結果的には新城の思いが三枝の考えに少し近づいていくことにな るのだが,この,戦闘か共存か,武力か生命か,の微妙なバランスは平成シリーズの特色であり,
その点ははっきりと描き出されていたと言える。
2.5 『ゴジラ VS デストロイア』〜平成シリーズの終焉〜
1995 年に公開された 『ゴジラ VS デストロイア』 は平成シリーズ最後の作品であり, 『ゴジラ』 (1984)
以降のゴジラ作品を締めくくる作品となった。
ゴジラとリトルゴジラが住処としていたバース島が消滅。二頭は行方不明となる。その後ゴジラ は香港に上陸,町を破壊して海に消える。国連 G 対策センターの調査によってゴジラの体内温度が 異常に亢進していることが判明,ゴジラの中の核反応が制御されず核爆発の危険もあることが分か る。G 対策センターは,サイキックの三枝未希,小沢芽留,ゴジラの体内構造に関する論文を執筆 した大学生山根健吉らを集めて対策を練る。この山根健吉は, 40 年前のゴジラ大戸島上陸の際に家 族を失い,古生物学者山根博士の養子となった新吉の息子であった。一方,リトルゴジラ(その成 長ぶりからゴジラジュニアと命名される)は静岡県・御前崎沖に出現,自らが生まれたベーリング 海アドノア島方面へ向かっていた。
同じ頃,東京湾の海底トンネル工事現場で原因不明の不審な事故が相次ぎ,物理学者伊集院研作 は,現地の土を持ち帰って分析する。その結果,地球に酸素が存在しなかった 25 億年前の先カンブ リア期の生物が地層中に閉じ込められ,それが 40 年前のゴジラに対するオキシジェンデストロイ ヤーの使用によって,海底に無酸素状態が再現されて復活し,外気の影響で異常な進化をとげた,
そのような生物が存在する可能性が示唆された。
ゴジラは四国に接近,原子力発電所を目指していたが,核爆発を誘発する恐れがあるために G フォースは攻撃が出来ない。陸上自衛隊特殊戦略作戦室の黒木は,カドミウム弾を装備したスー パー X3 で出撃,ゴジラ体内の核反応を一時的に制御することに成功する。しかし,ゴジラの心臓部 の温度は上昇を続け,核爆発の危険はなくなったが 炉心融解 が起きる可能性のあることが判明す
メ ル ト ダ ウ ン