シ ダ ジュン ジ ロウ
氏名(生年月日)
志 田 淳二郎
(1991 年 1 月 1 日)学 位 の 種 類
博士(政治学)
学 位 記 番 号
法博甲第 127 号
学位授与の日付2019 年 3 月 15 日
学位授与の要件
中央大学学位規則第 4 条第 1 項
学 位 論 文 題 目国際秩序の再編と米国外交
―ジョージ・H・W・ブッシュ政権はいかにドイツ統一に対応したか―
論 文 審 査 委 員 主査
星野 智
副査
宮本 太郎・李 廷江・佐々木 卓也
内容の要旨及び審査の結果の要旨 はじめに
志田淳二郎氏の博士学位申請論文『国際秩序の再編と米国外交―ジョージ・H・W・ブッシュ政権 はいかにドイツ統一に対応したか―』は、東欧革命、ドイツ統一、ソ連解体という一連の冷戦終結 過程のなかで、とりわけドイツ統一政策に対するジョージ・H・W・ブッシュ政権の対応に焦点を当 て、新たな開示資料を活用しながら政策決定者レベルの視点に立って、そこでの政策決定過程を考 察するものである。志田氏は、履歴書にあるように、本学法学研究科博士後期課程政治学専攻に在 学する助教で、これまで国際政治の研究領域において冷戦終結とそれに関するジョージ・H・W・ブ ッシュ政権の政策に関する研究を進めてきた。それらの研究の集大成が本博士学位申請論文である。
本博士学位申請論文は、本論 7 章の他に序章と終章が付けられ、全体で 9 章構成になっている。
本博士学位申請論文に関して、2018 年 11 月 21 日に最終試験を実施した。以下では、その最終試 験結果も含めて、本論文全体の紹介と審査結果を報告する。
1 本論文の構成
目次 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・i 主要人物一覧 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・iii 欧文略語一覧 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・v 序章 ジョージ・H・W・ブッシュ政権のドイツ統一政策 ・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第 1 節 問題の所在 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第 2 節 研究の視点 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
〔1279〕
第 3 節 本博士論文の課題、資料、構成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14 第 1 章 歴史的背景 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 第 1 節 二度の世界大戦の終結 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 第 2 節 冷戦と米欧関係の展開 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 第 3 節 レーガン政権期の冷戦 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29 第 2 章 ブッシュ政権の始動 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36 第 1 節 ブッシュ新政権の陣容と課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36 第 2 節 ゴルバチョフの〈新思考外交〉 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47 第 3 節 ブッシュ政権の外交政策方針 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54 第 3 章 西側同盟と軍縮の間 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・59 第 1 節 INF 全廃条約後の欧州安全保障 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・59 第 2 節 SNF 近代化をめぐる同盟内政治 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・63 第 3 節 CFE 交渉への米国のアプローチ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・73 第 4 章 ヤルタからマルタへ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80 第 1 節 東欧の脱共産主義化 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80 第 2 節 ベルリンの壁の崩壊 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・85 第 3 節 米ソマルタ首脳会談 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・93 第 5 章 在欧米軍駐留継続の方針 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・99 第 1 節 ブッシュ政権の欧州情勢認識 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・99 第 2 節 大西洋主義下の米欧関係維持 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・103 第 3 節 ブッシュ政権の一般教書演説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・107 第 6 章 「2 プラス 4」という解 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・112 第 1 節 「10 項目提案」とその余波 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・112 第 2 節 「重要なのは東西ドイツだ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・117 第 3 節 米国の「2 プラス 4」交渉方針 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・123 第 7 章 ドイツ統一問題の決着 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・127 第 1 節 在欧 SNF 配備問題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・127 第 2 節 NATO 再定義問題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・135 第 3 節 ドイツ統一、ソ連解体、冷戦終結 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・142 終章 国際秩序の再編と米国外交 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・151 第 1 節 要約―ブッシュ政権はいかにドイツ統一に対応したか ・・・・・・・・・・・・151 第 2 節 評価―選択的関与政策としての米国のドイツ統一政策 ・・・・・・・・・・・・153 既出論文一覧 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・164 参考文献一覧 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・165
2 本論文の内容
序章において、問題の所在、研究の視点、本博士論文の取り組むべき課題、資料、構成について 触れられている。問題の所在に関しては、第 1 に、東欧革命、ドイツ統一、ソ連解体という一連の 冷戦終結過程を「米国勝利論」で総括することが 21 世紀の国際秩序の現実を見落とするおそれがあ ること、第 2 に、ブッシュ政権のドイツ統一政策の分析は、既存の国際関係理論の援用が困難な現 代の国際秩序の動揺期にとりうる外交・安全保障政策のあり方にとって好個の素材となる点、そし て第 3 に、ドイツ統一の過程分析は将来的な朝鮮半島情勢を展望する上で有益である点、これら 3 点が挙げられている。研究の視点に据えられているのは、冷戦終結後に登場した「米国勝利論」を 相対化することになった 2 つの潮流、すなわち冷戦終結に果たしたミハイル・ゴルバチョフの役割 を重視する「ゴルバチョフ要因論」と、「米国勝利論」が冷戦終結に貢献したとする際に欧州政治 の現実をあまりに軽視しているという批判である。著者はこれら 2 つの潮流がドイツ統一研究に大 きな影響を及ぼしたとする一方で、これらの研究においては、必ずしもドイツ統一をめぐるブッシ ュ政権の外交の全貌が明らかにされていないという認識を提示している。
次に、著者はこうした問題を分析するに際して、従来の国際関係理論の有効性の検証を行う。ド イツ統一問題は欧州新秩序すなわち欧州の安全保障秩序をめぐる問題であり、「関与 engagement」
と「孤立 isolation」の間で揺れる米国外交を方向づけるものであったという認識の下で、いかな る理論的根拠で欧州新秩序や米国外交が構想されたのかを検討するうえで国際関係論の重要性を改 めて確認している。著者は、現代の代表的な現実主義理論の「均衡政策 balancing」と「便乗政策 bandowagoning」、ジョン・ミヤシャイマー、スティーヴン・ヴァン・エヴェラ、クリストファー・
レインなどの研究に言及し、同時に実際のドイツ統一過程へ分析を行いながら、国際関係理論の予 測とは沿わない形で、ドイツ統一は達成されたとした。このことから、著者は、国際関係理論にお ける伝統的な合理的主体としての国家を中心に置くモデルではなく、米国外交史の従来の研究方法 である政策決定者レベルの視点に立って、ドイツ統一をめぐるブッシュ政権の政策決定過程を詳論 するとしている。
本論文の取り組むべき課題に関しては、第 1 に、ブッシュ政権を分析視角に据えることで、冷戦 終結のレーガン、ゴルバチョフ、欧州政治が果たした役割を相対化すること、第 2 に、米国の欧州 への軍事的関与の視点からドイツ統一を再考証すること、および統一ドイツを NATO に加盟させ、欧 州での軍事的プレゼンスを維持したブッシュ政権の意図について、第 3 に、政策決定過程の構造に 注目しながら、ドイツ統一をめぐるブッシュ政権の政策決定過程の全貌を描くこと、これら 3 点を 挙げている。そしてこれらの課題に取り組むために活用される資料は、ブッシュ大統領図書館(テ キサス州)、国立公文書館(メリーランド州)、議会図書館(ワシントン DC)所蔵の未公刊史料、
FOIA(情報公開法)により国務省が新たに公開する史料、国家安全保障文書館やウッドロー・ウィ ルソン・センターをはじめ冷戦研究センターが提供するデータベース、さらには、メリーランド大 学とブルッキングス研究所のオーラル・ヒストリー・プロジェクト、ヴァージニア大学ミラーセン
ターのインタビュー・プロジェクトの成果、大統領をはじめとする政策決定者の回顧録、議会資料 や新聞・雑誌記事、先行研究といった二次資料である。
第 1 章「歴史的背景」では、ブッシュ政権のドイツ統一政策を米欧関係史の文脈に位置づけるた めに、米国の欧州への軍事的関与政策の歴史を建国期にまで遡って検討している。米国は建国以来、
「孤立主義」的発想の下で、欧州のバランス・オブ・パワーや同盟政治との結合を忌避してきた。第 一次、第二次世界大戦勃発により、米国は欧州政治に巻き込まれたものの、一方で、戦間期に「孤 立」へ回帰しつつ、他方で、第二次世界大戦後に欧州への「関与」を継続させた。冷戦の発生がそ の一大契機であり、欧州での米国の軍事的地位を保障したのは NATO であった。1949 年のドイツの 東西分断、1955 年の西ドイツの NATO 加盟、ワルシャワ条約機構の結成により、ドイツ、欧州の東 西分断が決定的となり、米ソの相互撤退の機会は失われた。1950 年代以降、西ドイツを中心とする 同盟国において核戦力を備えた在欧米軍 30 万人の 4 個師団体制が確立した。NATO それ自体は、1 つには、NATO の前方展開戦力が「導火線」となり、核を持つ米国との全面戦争につながるおそれを ソ連に惹起させ、武力行使を抑止させる「対ソ封じ込め」と、もう 1 つには、必要以上に西ドイツ の軍事力を増大させない「瓶の蓋」としての「対独封じ込め」という二重機能を果たしていた。在 欧戦域核や在欧米軍は、米欧間の「カップリング」の象徴であると同時に、東西紛争がドイツのみ に限定される「ディカップリング」の懸念や、東西分断の固定化でドイツ統一の可能性を減じさせ てはならないとするドイツ・ナショナリズムを惹起させてしまう存在でもあった。ソ連の「平和攻 勢」やデタントの進展などがこうした動態の国際要因となっていた。1970 年代以降には、カーター 政権期の中性子爆弾問題、レーガン政権期の「ユーロ・ミサイル危機」のような核危機が国際問題 化すれば、米国は同盟国への核配備を通じ、同盟の結束を強めようとすればするほど、同盟国が米 国から離れ、ソ連との軍縮を追求するという米欧関係のパターンが生まれた。ここでの暫定的な結 論は、ブッシュ政権にとっての懸念は米国を締め出す形で欧州新秩序が形成されていくのではない かという点にあったということである。
第 2 章「ブッシュ政権の始動」では、ブッシュ政権の政策決定過程の構造とソ連、東欧、同盟、
軍縮などの問題群に対する同政権の外交政策方針を整理している。ブッシュ大統領をはじめ主要閣 僚は、歴代政権で主要人事を歴任しており、実務経験が非常に豊富であった。1970 年代にデタント の崩壊とレーガン政権の対ソ政策を間近で見ていた彼らは、ソ連にゴルバチョフという新たな指導 者が誕生しても、対ソ警戒心を抱いていた。ブッシュ大統領は国際・国内環境の変化に応じ、フォ ーマルな政策決定過程を狭小化し、インフォーマルな政策決定グループをアドホックに形成し、そ こでの討議内容を主要閣僚に報告して決定を行うスタイルをしばしば採用した。大統領が参加する 会合では、ブッシュは閣僚たちと徹底的に議論をした上でのコンセンサスを重視した。スコウクロ フト大統領補佐官とベーカー国務長官は、ニクソン政権期のキッシンジャー補佐官とロジャーズ国 務長官、カーター政権期のブレジンスキー補佐官とヴァンス国務長官の確執を再現しないように、
良好な 2 人の関係を維持することに務めた。ブッシュの外交演説に込められた外交政策方針は、① ソ連が外交の脱軍事化・脱イデオロギー化を成し遂げれば、国際社会に歓迎するということ、②米
国は東欧革命を道義的、経済的に支援するということ、③米ソ双方に大幅な軍縮を呼びかけること、
④国際環境が変容する中にあっても NATO を重視する、という 4 つの柱から成り立っていたが、この 包括的な外交方針も国務省のゼーリック顧問、ロス政策企画室長、NSC(国家安全保障会議)事務局 のブラックウィル、ライスらのインフォーマルな政策研究をベースに策定されたものであった。
第 3 章「西側同盟と軍縮の間」では、ブッシュ政権が発足直後に直面した NATO 同盟内の SNF(短 距離核戦力)の近代化計画問題を取り上げている。当時、SNF は 1987 年の INF 全廃条約の対象外と なっていたためにブッシュ政権にとっても緊急の課題であった。1972 年に配備が開始されたラン ス・ミサイルは、1980 年代後半になると、金属疲労や老朽化問題で 1995 年が耐用期限となってい た。ゴルバチョフの「新思考外交」により、ソ連軍の東欧撤退が開始し、国際環境が変容する中で、
近代化 SNF(FOTL)配備先である西ドイツをはじめ、同盟国では SNF 近代化への反対の声が高まっ ていた。とりわけ SNF の大部分が配備されていた西ドイツは、自国が主戦場になることから近代化 SNF の配備に反対していた。米国が同盟国への核配備を通じ、同盟の結束を強めようとすればする ほど、同盟国が米国から離れ、ソ連との軍縮を追求するという米欧関係のパターンがここでも表出 し、SNF 近代化問題は「2 度目のユーロ・ミサイル危機」として、ブッシュ政権にとっての喫緊の課 題となった。ベーカーは、数度の同盟国やソ連との会談を踏まえ、SNF 近代化の戦略論的根拠であ った東側の通常戦力を大幅に削減させる CFE(欧州通常戦力)関連のイニシアティヴを米国がとり、
FOTL(ランスの後継機種)計画を一時棚上げし、CFE 条約調印後に、ソ連との SNF の軍備管理交渉 の準備に取り掛かるという方式を編み出した。ブッシュをはじめ主要閣僚も同方式に合意した。1989 年 5 月 30 日の NATO 首脳会談で、ブッシュは軍縮提案を発表し、同盟内対立を一時的に収束させる ことに成功した。
第 4 章「ヤルタからマルタへ」では、東欧諸国の脱共産主義化と民主化、ブッシュ大統領の東欧 訪問と東欧諸国への経済支援の約束、ゴルバチョフの「新思考外交」の成果であるソ連軍の撤退と ブレジネフドクトリンの放棄、「汎ヨーロッパ・ピクニック」という一連の経過の結果、このよう な大きなうねりが 1989 年 11 月 9 日のベルリンの壁崩壊と 12 月のマルタでの米ソ首脳会談につなが ったことが明らかにされている。ポーランド、ハンガリー歴訪を終え、東欧の変革についてソ連と ともに協議を持つことの必要性を感じたブッシュ政権は、ソ連と西ドイツの国内環境も注視してい た。ポーランド、ハンガリー、ベルリンの出来事に米国が支持を表明すれば、当地に依然として展 開するソ連軍が民主化運動を粉砕するかもしれないという懸念がブッシュ政権の政策担当者の脳裏 にあった。他方、ベルリンや東欧諸国を米ソ二超大国が当事者抜きで管理しようとすれば、西ドイ ツが反発するおそれがある。このため、1989 年 12 月のマルタ首脳会談では、ブッシュは、ソ連側 代表団とともに、ソ連経済、東欧情勢、軍縮、ドイツ統一問題など広範にわたる国際的課題につい て議論し、従来のホワイトハウスの方針通り、これらの課題について米ソ間で認識の共有に努め、
軍縮、ドイツ統一に関する明確な提案などは一切提示しなかった。すなわち、ブッシュ政権は、ゴ ルバチョフと東欧革命やドイツ統一について何らかの合意を交わすことはしなかった。このように 米国が「ヤルタ方式」を否定したことで、西ドイツのみならず東欧諸国も安堵した。1989 年 1 年間
の米国外交を振り返ってみると、ブッシュ政権は、第 2 章で示した 4 つの外交政策方針を忠実に実 行に移したことが明確となる。米国は、1989 年 5 月末に西側に対して NATO の結束を呼びかけ、東 側に軍縮提案を打ち出し、7 月には東欧を歴訪し、米国が東欧革命を道義的・経済的に支援するこ とを明らかにした。こうしてブッシュは、NATO の同盟関係、東欧諸国への支援、軍縮政策が一定程 度固まってから、ゴルバチョフとのマルタ会談に臨んだのである。
第 5 章「在欧米軍駐留継続の方針」では、東欧革命、ドイツ統一問題、ソ連軍撤退によって欧州 の再編が進み、国内外から在欧米軍の全軍撤退がささやかれる中にあっても、ブッシュ政権はこう した言説を否定し、欧州政治の攪乱を防ぐためには米国の欧州政治への関与が不可欠であるという 戦間期の教訓から、欧州秩序の安定要素として相当数の米軍の駐留継続を通じた米欧関係の維持を 表明したとしている。在欧米軍の駐留継続決定については、英国をはじめとする NATO 同盟国のほか、
東欧諸国も、ソ連軍撤退による東欧一帯の「力の空白」をソ連でも統一ドイツでもなく米国が埋め、
欧州が安定するものとして歓迎した。そして米国が欧州政治に関与し続けるというブッシュ政権の 基本方針を実現するためには、ドイツが引き続き NATO に加盟することが不可欠である一方、他方に おいてゴルバチョフ外交を西側に宥和的であるとして不満を抱くソ連の保守派を刺激せずにソ連の 面子を立てつつドイツ統一を遂行する慎重さがブッシュ政権に求められていたとする。
第 6 章「『2 プラス 4』という解」では、1989 年 11 月の西ドイツの「10 項目提案」から 1990 年 の「2 プラス 4」方式誕生の過程を詳述している。「ヤルタ方式」によるドイツ統一問題解決を忌避 する西ドイツは、連邦首相府主導で「10 項目提案」を作成し、連邦議会で統一の工程表を発表した。
この提案に関して事前連絡を受けていなかった米国ではあったが、統一そのものを支持していたこ とから、直ちに西ドイツの提案への支持表明し、ブッシュ政権は国務省政策企画室が編み出した「4 項目提案」を、マルタ会議の翌日に米国の統一政策方針として発表した。ソ連は、当事者たるドイ ツ抜きで統一問題解決に向けたイニシアティヴ発揮を画策するものの、ドイツ統一の国際会議の形 態としては、結局のところ、東西ドイツと戦勝 4 カ国である米・英・仏・ソの「2 プラス 4」方式で 落ち着いた。ベーカー、ゼーリック、国務省政策企画室の一部のみで編み出した同方式は、「ヤル タ方式」を拒む西ドイツとしては好ましい「解」であった。「2 プラス 4」に臨む米国は、交渉方針 として、在欧米軍駐留と直接関係する統一ドイツの NATO 加盟や在欧 SNF の軍備管理などを「2 プラ ス 4」でソ連に提起させないというアジェンダ限定戦略を考えた。同方針は国務省西欧局、国防総 省、NSC のインフォーマルな省庁間協議で策定されたものであり、同方針に則り、「2 プラス 4」交 渉が進むこととなった。しかし、1990 年 5 月の第 1 回「2 プラス 4」会議では、シュワルナゼは統 一ドイツの NATO 加盟をソ連としては受け入れられないと発言し、対独安全保障の観点からソ連が統 一ドイツの NATO 加盟を認める見込みは希薄であった。
第 7 章「ドイツ統一問題の決着」では、ドイツ統一に至る過程で統一ドイツの NATO 加盟問題が最 終的に決着に至る過程が説明されている。1990 年には、ゴルバチョフの「新思考外交」は「西側に 宥和的」と保守派や軍部からの厳しい批判にさらされていた。ブッシュ政権としては、反ゴルバチ ョフ派がクーデタを起こしてソ連国内が混乱するシナリオを憂慮した。そのため、ドイツが統一し
ても、また統一ドイツが NATO に加盟しても、ソ連の脅威にならないとソ連に安全保障上の保証措置 を提供する必要があった。ブッシュ政権は、1990 年 5 月の FOTL 計画中止から 7 月の NATO ロンドン 宣言に至る一連の対ソ保証措置を発表し、統一ドイツの軍事力を抑制させる上(瓶のふた)で NATO は必要であり、NATO のソ連敵視政策も放棄するとしたのである。これに対して、ソ連側は、統一ド イツの NATO 加盟に応じる姿勢を示さなかった。しかし、このようなブッシュ政権の対ソ保証措置の 後押しを得て、7 月 16 日のアルヒーズでのソ連・西独首脳会談で、「2 プラス 4」の議題として外 されていた統一ドイツの NATO 加盟を容認する決断をゴルバチョフは下した。その後、ソ連と西ドイ ツは、ソ連軍撤退経費を賄うことなどに関する合意を成立させた。かくして、一方で、旧東ドイツ 領内からソ連全軍が撤退し(1994 年完了)、他方では、統一ドイツの加盟する NATO を通じ、核を 備えた在欧米軍 30 万人のおよそ 8 割(在独米軍 24 万人)が駐留する形で、ドイツ統一は完成した。
終章「国際秩序の再編と米国外交」では、ブッシュ政権はいかにドイツ統一に対応したのかとい う問題提起への総括がなされている。著者の結論をトレースすれば、以下のようになる。ブッシュ 政権は欧州での軍事プレゼンスの維持にこだわりながら、ドイツ統一政策を慎重に遂行し、その際、
統一ドイツの NATO 加盟に反対する保守派や軍部がソ連国内で暴走するシナリオを憂慮していた。そ のため、ソ連が対独安全保障上の保証措置を求めていることをブッシュ政権は正確に把握しており、
SNF 近代化計画中止や NATO ロンドン宣言のような安全保障上の保証措置をソ連に提供した。ブッシ ュ政権が対ソ経済支援を渋っていたのは、「統一ドイツの NATO 加盟を容認しなければ対ソ経済支援 を与えない」とするレバレッジの論理に拠るものではなく、ソ連が外交の脱軍事化・脱イデオロギ ー化を果たせば米ソ協力を促進させるというものであったため、単にブッシュ政権の方針に則って 行動していたからである。米ソ間の力の差があったからこそ、米国は慎重であったのである。
ブッシュ政権はドイツ統一に対応する過程で、冷戦の「勝者」と「敗者」という明確な区分を作 らないように欧州新秩序形成に乗り出した。この点でブッシュ政権は実に慎重だった。このような 慎重なブッシュ政権が存在していなかったら、冷戦終結過程は根本的に異なるものであったかもし れない、というのが著者の見解である。以上のように、著者は冷戦終結に果たしたブッシュ政権の 役割を積極的に評価し、また冷戦終結の米国外交の実態を「米国勝利論」で総括することについて は批判的な立場をとっている。また冷戦終結の最終局面に対応した際、ブッシュ政権は米国のパワ ーの限界も感じており、単極的世界を築くという優越戦略も採用しなかったとしている。
最後に、著者は、序章で示されたドイツ統一をめぐるブッシュ政権の政策決定過程を米国外交史 研究の方法に基づいて究明するという問題関心に立ち返って、米国の域外への関与の高低と単独主 義・協調主義という 2 つの観点から 4 つの類型化を試み、ブッシュ政権の米国外交を特徴づけてい る。そして在欧米軍駐留を基調としたブッシュ政権のドイツ統一政策は、域外への関与の度合いが 高く、協調主義的な選択的関与であったと評価している。
3 本論文の評価
本論文の特徴は、ジョージ・H・W・ブッシュ政権のドイツ統一政策をめぐる政策決定過程を、ブ ッシュ大統領図書館、議会図書館、国立公文書館、国家安全保障文書館、国務省ファイルなどの未 公刊資料を駆使しながら考察しているところにある。その際、先行研究との関連でいえば、冷戦終 結研究における従来の視点であるレーガン要因論では、ロナルド・レーガンの「強さによる平和」
政策がソ連・東欧の共産主義体制を屈服させたと説明され、東ドイツの体制崩壊とその後のドイツ 統一過程に関心が注がれなかったのに対して、本論文ではそれらの点に焦点を当てたことが従来の 先行研究とは異なった視点を提示するものとなっている。さらに、近年の研究では統一ドイツの NATO 加盟問題に焦点が当てられているとはいえ、第 1 次的な問題関心が、ソ連は統一ドイツの NATO 加盟を認める代わりに NATO を東方に拡大させないとする当事者間の約束の有無の検証に置かれて いるのに対して、本論文では、先行研究が積極的に設定してこなかった米本土の戦略核戦略、在欧 核、通常戦力の近代化、配備、撤去(軍縮)問題とドイツ統一問題のリンクに着目し、米国内の政 策決定過程と欧州国際政治の相互作用を重視しながら、ドイツ統一に対応したブッシュ政権の取り 組みを描き出そうとしており、この点にも本論文の独創性があるといえる。このような問題設定と 考察内容については、一定の異論があるにしても、オリジナルな面として評価することができる。
また一次資料、オーラル・ヒストリー、インタビュー・プロジェクト、回顧録などを利用した叙述 は、ブッシュ政権の具体的な交渉や政策決定過程を活写しているとさえいえる。なお、本論文の学 問的・社会的な意義として指摘できる点は、アジアにおいて朝鮮半島と台湾海峡に「2 つのコリア」
と「2 つの中国」という冷戦終結期に解決されなかった分断構造が依然として存在し、今後ドイツ 統一に匹敵するほどの国際秩序の再編が北東アジアで起こる可能性が存在するなかで、そして欧州 政治において NATO のあり方が問題となっている状況の中で、著者の研究が今後の東アジアにおける 国際政治やヨーロッパの国際政治のあり方を考える上で一定の示唆を与えていることである。とは いえ、本論文の内容に関しては、いくつかの問題点や課題が残されているといえる。
最終試験では、本論文の内容に関して質疑応答がなされ、そこではいくつかの問題点と課題が指 摘された。それを踏まえつつ本論文の問題点と課題をまとめると以下のようになる。第 1 に、全体 的な印象あるいは評価において指摘できる点は、本論文における叙述が淡々と進み、本論文の課題 となっているドイツ政策をめぐるブッシュ政権の「慎重さ」をもっとも訴求したい山場、見せ場が 乏しいこと、さらに著者の意図とは裏腹に、ブッシュ政権陣容の冗長な説明、ブッシュのインタビ ューの長い紹介等を大幅に圧縮することで議論の運びに躍動感が出たのではないかということであ る。第 2 に、著書がネガティブに評価している冷戦研究をめぐる「米国勝利論」に関しては、東欧 の民主化、ドイツ統一、統一ドイツの NATO 加盟はいずれもブッシュ政権の思惑どおりに進展したと みれば、「米国勝利論」という視点も必ずしもネガティブに評価できないという点も指摘できる。
それと並んで、冷戦終結に関するレーガン要因論に関しても、実際のレーガン外交は特に第 2 期目 以降は柔軟な対ソ政策に転じており、1989 年 1 月にスタートしたブッシュ政権はゴルバチョフに極
めて懐疑的で、レーガンの急速な対ソ歩み寄りを危惧し、政策の見直しに半年をかけたことを本論 文では指摘すべきであった。第 3 に、冷戦の終結をソ連の崩壊とパラレルに置いているが、そうだ とすると冷戦の開始はロシア革命と解釈するのであるのか。第 4 に、本論文の方法論に関しては、
国際関係理論の方法論に拠らずに米国外交史研究の従来の方法である政策決定者レベルの視点を提 示し、他方では、終章で展開している「関与」と「単独主義」の 2 元論の枠組との関連性について の説明が本論文のなかでは必ずしも十分ではなかった。最後に、ブッシュ政権の外交戦略に関して は、ブッシュ政権が選択的関与を進めて単極的な世界戦略を築く優越戦略を採用していないとして いるが、これは適切ではあるとしても、ドイツ政策のみの検討でこのように結論づけることは早計 であるのではないか。
このように本論文にはいくつかの問題点や課題があるとはいえ、これらの点は本論文の学問的な 評価を決して減じるものではない。
4 結論
本博士学位申請論文は、博士学位論文に関する知識、国際政治学という専門分野に関する知識、
研究に関する学問的・社会的意義、試問に対する明解かつ理論的な回答という点で優れており、博 士学位論文として十分な水準に達しているものと評価できる。