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戦 時下 の女性労働政策(1)

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説〉

戦 時下 の女性労働政策(1)

は じめ に

第1章 戦時下 の 日本資本主 義経済 第1節 日清 ・日露戦 争 と繊維産業

1.日 清戦争 と綿糸業 の発展 2.日 露戦争 と綿布業 の発展

第2節 第1次 世界大戦後 と繊維産 業の変化 1.第1次 世界大戦 と繊維産業 の発展 2.第1次 世界大戦後 と繊維産 業の後退 3.満 州事変 と綿布の輸 出

4.日 中戦争 と繊維産業 の軍需化

5.第2次 世界大戦 と日本 資本 主義経 済 の破壊 第2章 戦時下 の女性労働者

第1節 産業構造 の変化 と女性労働者 1.繊 維産 業か ら重化学工業へ の進 出 2.機 械 工業 にお け る女性労働者 の特 異性 第2節 重化学工業 におけ る女性労働 問題

1.女 性労働者 の就業状 況 2.女 性労働 問題

3.工 場 にお ける女性労働者の戦時対策(以 ヒ本号) 第3章 戦時下の女性 労働政策(以 下次号)

は じめ に

日本 の近 代 資 本 主 義 経 済 は、 明 治維 新後 に成 立 し、 発 展 して きた。 近 代 資 本 主 義 経 済 の発 展 は、 工場 の機 械 設備 の整 備 と生 産 増 強 、 そ して 国 内 市場 の 拡 大 に よ る もの で あ った 。 しか し、 日本 で は、 国土 の狭 険 性か ら、 国 内市 場 の拡 大

(2)

!00

に は 自 ら限界 が あ った 。 そ の た め 、 日本 で は、 近代 資本 主 義 経 済 を よ り発 展 さ せ るた め に は、 海 外 経 済 市場 の獲 得 が 必 要 不 可 欠 な もの で あ った 。 しか し、 海 外 市場 の獲 得 を め ぐっ て、 経 済 的摩 擦 が 生 じ、 それ が 基 因 とな っ て戦 争 が 誘 発

され て きた。

か っ て、 日本 で は、海 外 経 済 市 場 を め ぐっ て、 実 に多 くの戦 争 を行 な って き た 。 それ は、 日清 戦 争 に始 ま り、 日露 戦 争 、 第1次 世 界 大 戦 、 満 州 事 変 、 日中 戦 争 、 そ して 第2次 世 界 大 戦 と連 な って い る。

日本 の近 代 資本 主 義 経 済 は、 第2次 世 界 大 戦 を除 くと、 これ らの数 多 くの戦 争 を重 ね る こ とに よ って 発展 して きた。 それ は、 ひ とえ に 日本 国 土 の狭 隆性 と 国 内市 場 の限 界 、 海 外経 済 市 場獲 得 の必 然 性 に よ る もの で あ った 。

と ころで ・ 明 治 維 新 以来 、 日本 の近 代 資 本 主 義 経 済 は、 多数 の 女性 労働 者 を 擁 す る繊 維 産 業 を 中核 として発 展 して きた 。 多 くの 戦 争 に よ る海 外 経 済 市場 の 獲 得 も、 当初 は繊 維 産 業 の 発 展 が 主 た る 目的 で あっ た 。

本 稿 は、 「戦 時 下 の女 性 労 働 政 策 」 と題 して 、 それ らの度 重 な る戦 争 の 下 で 、 繊 維 産 業 が いか に発 展 、 変 化 して きた の か 、 また それ に と もな って 、 女 性 労 働 者 た ちが い か な る状 況 に あ っ た の か 、 さ らに、 これ に対 す る女 性 労 働 政 策 は、

どの よ うな もの で あ っ たか につ い て 明 らか にす る こ とに あ る。 そ の た め に、次 の三 つ の柱 を建 て て 、 考察 を試 み た。

第1章 戦 時下 の 日本 資 本 主 義 経 済 第2章 戦 時 下 の女 性 労 働 者

第3章 戦 時 下 の女性 労 働 政 策

いず れ も、 繊 維 産 業 とそ こで 働 く女 性 労 働 者 を中 心 に、 工 場 法 制 定 後 の 女性 労 働 政 策 につ い て掘 り下 げて み た。

な お 、本 稿 は、 拙稿 明 治 ・大 正 期 の 女性 労働 政 策 」(創 価 法 学(1)(2)(3) (4)(5))に 連 な る もの で あ る。

(3)

戦時下の女性労働政策(1)

101

第1章 戦 時下 の 日本資本主義経済

第1節 日清 ・日露 戦争 と繊 維 産 業

1.日 清 戦争 と綿 糸 業 の発 展

日本 の近代 資本 主 義 は、開 国開港 に端 を発 した明 治 維新(1868年)か ら始 まっ た。 明 治 維 新 後 、 新 政 府 は、 富 国 強 兵 と殖 産 興 業 政 策 を高 く掲 げ、 近 代 資 本 主 義 社 会 を育 成 して きた 。 そ の結 果 、 日本 の近 代 資本 主 義 社 会 は、 飛 躍 的 な発 展

を遂 げ、世 界 の先 進 資 本 主 義 国家 と肩 を並 べ る こ とに な っ た・

日本 の近 代 資 本 主 義 社 会 の発 展 は、 第 一 に、 国 内産 業 の育 成 、 第 二 に、 海 外 市 場 へ の進 出 に因 る もの で あ っ た。 国 内産 業 の育 成 は、繊 維産 業 を 中心 に、 鉄 道 、 炭 鉱 、造 船 な どの 重 工 業 に及 ん だ。 海 外 市 場 へ の 進 出 は、 自国商 品 の た め

の市 場 の 獲 得 と拡 大 が 目的 で あ っ た 。

と ころで 、 海 外 市 場 へ の 進 出 は、 諸 外 国 との競 争 下 で の 市場 の獲 得 と拡 大 を 意 味 して い た 。 その 結 果 、 海 外 市 場 へ の進 出 は 、必 然 的 に諸 外 国 との経 済 的摩 擦 は避 け られ ず 、 それ が 原 因 とな っ て戦 争 を誘 発 して きた 。

ふ り返 って みれ ば、 明 治維 新 後 の 日本 資本 主 義 社 会 の発 展 過 程 で 、 実 に多 く の戦 争 を行 な って きた こ とに気 が つ く。 それ は、 日清 戦 争(1894‑95年)か ら始 ま り、 日露 戦 争(1904‑05年)、 第1次 世 界大 戦(1914‑18年)満 州 事変(1931 年)、 日中戦 争(1937年)、 それ に第2次 世 界 大 戦(1941‑45年)へ と続 い た 。

日本 は、 第2次 世 界 大 戦 を除 き、 この よ うな戦 争 を重 ね る こ とに よって 、 海 外 の経 済 市 場 を獲 得 し、 拡大 しな が ら資 本 主 義 社 会 を発 展 させ て きた ので あ る。

で は、 そ れ らの戦 争 は、 日本 の資 本 主 義 社 会 の発 展 と どの よ うに係 わ っ て き た の か 。

まず 、 日清 戦 争 は ど うか 。 明 治 維 新後 、政 府 は、 近 代 資 本 主 義 社 会 を形 成 し て い くた め に 、殖 産 興 業政 策 を高 く掲 げ た。 政 府 は 、 この殖 産 興 業 政 策 を実 施

す るた め に、 まず1872(明 治5)年 に官 営 富 岡製 糸 場 を開業 し、 フ ラ ンス ・イ ギ リス な どの技 術 的 支 援 を得 て 、 その 育成 に積極 的 にか か わ っ た ・ その後 ・ こ れ が 契 機 とな っ て、 日本 で は繊 維産 業 が 発 展 し、 これ は近 代 資 本 主 義社 会 の 中 核 的 位 置 を 占め るに至 っ た。 な か で も、1883(明 治16)年 に開 業 した大 阪 紡 績

(4)

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会社 は、イ ギ リス製 の最新式紡績機械 を用 い、電灯 を設置 して昼夜交 替制で操

i)

業 し、 大 規 模 生 産 を な し遂 げ た。

繊 維 産 業 の発 展 の 中心 を な した もの は、 綿 紡 績 業 で あ った 。 しか し、 日本 で は綿 紡 績 に必 要 な綿 花 な どの資 源 が 乏 しい とい う事 情 を抱 えて い た。併 せ て、

繊 維 商 品 を め ぐる国 内市 場 で は、 日本 国 土 の狭 隆性 もあ っ て、 自 ら限界 もあ っ た・その た め・繊 維産 業 の発 展 の た め に は、海外 市 場 へ の進 出が不 可 欠 で あ った。

政 府 は、 繊 維 産 業 を中心 とす る資 本 主 義 社 会 を育 成 す るた め に、 朝 鮮 を足 場 と した大 陸侵 略 を 図 っ た。 とこ ろが 、 当 時 清 国 は、 朝 鮮 を属 国 と して 位 置 づ け て い た た め に、 日清 両 国 で 対 立 が激 化 し、 日清 戦 争 に発 展 して い っ た。 日清戦 争 の根 本 的原 因 は、 日清 間 の朝 鮮 を め ぐる対 立 に あ った と考 え る。 これ にっ い て ・ 日本 の本 意 は・ 日本 資 本 主 義 の 経 済 的 弱 点 を補 うた め の 資 源 の 獲 得 と市 場 の拡 大 に あ っ た。

日清 戦 争 は、 軍 事 力 に優 っ た 日本 の勝 利 に終 った 。 この戦 争 の結 果 、両 国 の 間 で 下 関条 約 が 結 ばれ た 。 これ に よ り、 日本 は、朝 鮮 の 自主 権 、 遼 東 半 島 、 台 湾 、 膨湖 諸 島 を割 譲 し、 賠 償 金2億 テー ル(約3億 円)の 支 払 い、 さ らに沙 市、

蘇 州 ・杭 州 ・ 重慶 の開 市 、 開 港 を清 国 に認 め させ て い る。 この うち、遼 東 半 島 の割 譲 につ い て は、後 に、 ロ シ ア、 フ ラ ンス 、 ドイ ツ の三 国 干 渉 に よ り、 返還

2}

を余 儀 な くされ た 。 しか し、 巨額 の賠 償 金 を得 た政 府 は、 これ を も とに軍 備 を 拡 張 し、 金 融 ・貿 易 な どの産 業 を振興 し、 一 段 と経 済 を発 展 させ た 。

で は・ 日清戦 争 後 ・ 日本 の繊 維 産 業 は、 どの よ うに変 化 した で あ ろ うか 。 日清 戦 争 の勝 利 は、 日本 の繊 維 産 業 を

飛 躍 的 に発 展 させ た 。 なか で も、 紡 績 業 は、 海 外輸 出 の機 会 を得 た こ とを反 映 し

3)

て、 事業 が飛躍 的 に発展 した。第1表 は、

日清 戦 争 直 後 にお け る紡 績 業 の工 場 数 、 据 付 錘 数 、 綿 糸 産 額 の 発展 状 況 を示 した もので あ る。 これ に よ る と、 日清 戦 争 が 開戦 した明 治27年 か ら飛 躍 的 に発 展 した

こ とが わ か る。

日清戦 争後 は、 綿紡 績機 だ けで はな く、

(第i表)日 清戦争直後 にお ける 紡績 業の躍進

工場数

据付錘数

綿糸産額 慣) 明 治24年 40 401,642 7,689,938

25年 41 403,226 10,247,508

26年 46 473,158 10,666,744

27年 53 627,816 14,620,008

28年 56 677,108 18,437,01Z

29年 68 959,606 20,585,485

30年 79 1,207,174 26,134,120

31年 80 1,295,310 32,163,239

32年 75 1,359,154 37,709,378

33年 67 1,361,122 31,079,252

(出 所)飯 島 幡 司.日 本 紡 績 史120頁

(5)

戦 時下の女性 労働政 策(1)

綿糸 の輸 出 量 も飛躍 的 に発 展 した。 第2表 は、 日清 戦 争 直 後 に お け る綿 糸 の輸 出 量 が 飛 躍 的 に発 展 した こ とを示 して い る。

日本 の 綿 糸 紡 績 業 が 、 この よ うに 日清 戦 争後 、 飛 躍 的 に発 展 した要 因 は、 な にか 。 第0に 、 清 国政 府 の 開港 が あ る。 日清 戦 争 後 、 日本 が 清 国 に対 して 、 沙 市 、 重慶 、蘇 州 、 杭 州 の開 港 を認 め させ た こ とが 、 日本 綿 業 の海 外進 出 を可 能 に した とい え る。 第 二 に、下 関 条 約 に よ り、2億 テ ー ル の賠 償 金 を獲 得 した こ とで あ る。 これ は、 日本 の

.103

(第2表)日 清戦争 直後 における 綿糸輸出の躍進

数 量(斤) 価 額(円)

明治23年 9,387 2,364

24年 32,387 7,873

25年 32,754 7,720

26年 315,993 59,176 27年 3,538,868 955,530

28年 3,532,893 1,034,479 29年 21,974,713 4,029,425 30年 42,034,975 13,490,197 31年 68,833,7fi3 20,116,586 32年 102,360,832 28,521,438 33年 62,619,66Q 19,901,522 (出所)飯 島 幡 司:日 本 紡 績 史122頁 。

貿 易 の為 替 資 金 の不 足 を補 う こ とに寄 与 した。 第 三 は、 関税 の 撤 廃 が あ る・ 当 時 、綿 業 にっ いて は、 綿 花 輸 入 税 、 綿 糸輸 出税 、 綿 糸 輸 入 税 の三 つ の 関税 が課 せ られ て い た。 これ にっ い て は、 綿 紡 績 業者 に とっ て綿 製 品 の海 外輸 出 に大 き

な障 害 にな って い鬼 。 この うち、 綿 花 輸 入税 、綿 糸輸 出税 が撤 廃 され るに至 り、

綿 業 発 展 に い っ そ う拍 車 を か け る こ とにな っ た 。 第 四 に、 日清 戦 争 後 の生 産 様 式 の 変 化 も、 日本 紡 績 業 の発 展 に大 き な要 因 とな っ た こ とで あ る。 日清 戦 争 前 に お い て は 、紡 績 業 は、 人 力 お よび水 力 が 支 配 的 な原 動 力 で あ った 。 戦 後 に お い て は、 石炭 消 費 高 、 蒸 気 力、 水 力 、石 油 、 電 気 、 瓦 斯 等 を原 動 力 とす る工 業

6)

生産 様 式 に転 換 す る よ うにな った 。 日本 の産 業 が 、 日清 戦 争 を転 期 と して機 械 化 され 、 工 場 制 工業 の 時代 に入 った とい え る。

日清 戦 争 後 、 日本 の綿 製 品 の輸 出先 は、大 部 分 中 国 市場 で あ っ た。 しか し、

日本 は、 この ころか ら朝 鮮 市 場 へ の進 出 を意 図 して い た。 当時 、 朝 鮮 は、 イ ギ リス、 イ ン ドか ら綿 糸 を輸 入 して い た。 日本 は、 これ に 目 をつ け、 日清 戦 争 後 の下 関条 約 で 、 清 国 に朝 鮮 の 自主 権 を認 め させ た ので あ る・ これ に よ り・ 日本

は、 朝 鮮 に綿 糸 の輸 出 を す る こ とに成 功 した 。 日本 紡 績 業 の飛 躍 的 な発 展 は、

こ こに もあ っ た の で あ る。

しか し、 日清戦 争 後 、1897(明 治30)年 代 を前 後 して恐 慌 とな り、紡 績 業 界 全体 に影 響 を及 ぼ した。 この ころ、 弱 小 紡 績 業 は破 綻 し、 あ るい は有 力 大 紡 績

8)

へ の合 併 が 進 ん だ。

(6)

104

2,日 露 戦 争 と綿 布 業 の発 展

日清 戦 争 にお け る清 国 の敗 退 は、列 強 に清 国 の 弱 体 ぶ りを 印象 づ けた。 そ の 結 果 、 日清 戦 争 後 に、 列 強 は あ い っ い で清 国 の領 土 獲 得 に乗 り出 した。 い わ ゆ る 「中 国分 割 」 で あ る。 まず1898年 、 ドイ ツが 山東 半 島 の膠 州 湾、 ロ シ アが 遼 東 半 島 の旅 順 ・大 連 港 、 イ ギ リス が 、九 竜 半 島 ・威 海 衛 、 翌 年 フ ラ ンス が 、 広 州 湾 を それ ぞ れ租 借 し、 各 国 は この租 借 地 を拠 点 に鉄 道 建 設 な どを進 め て い っ

9)

た・ この時 期 に、 日本 も清 国 に福 建 省 の不 割 譲 を約 束 させ て い10)'d

この ころ、 ロ シ アの極 東 へ の 進 出 が積 極 的 に行 わ れ た。1898年 、 ロ シ ァ は露 韓 密約(朝 鮮 は、1897年 に大 韓 国 に改称)、1900年 には、露 清 密約 を結 んで い る。

ロ シ ア は、 露 韓 密 約 後 、 軍 隊駐 留 権 を得 、 また露 韓 銀 行 を設 立 し、 韓 国 の財 政 経 済 に大 き な影 響 力 を有 す る こ とにな っ た 。 また 、 露 清 密 約 後 は、 ロシ ア は事 実 上 満 州 を 占領 す る こ と とな っ た。

日本 で は、 日清 戦 争 後 の三 国 干 渉 以 来 、 遼 東 半 島 の返 還 を め ぐって反 露 感 情 が 芽 生 えて い た 。 そ の後 、 ロシ アが韓 国 と陸 続 きの 満 州 を事 実 上 占領 した こ と は、 日本 の韓 国 に対 す る権 益 を お びや か す もの で あ る と し、 両 国 の 対 立 を深 め た 。1902年 、 日本 は イ ギ リ ス と 日英 同 盟 協 約 を 結 び、 ロ シ ア に圧 力 を か け 晃 。

しか し、 そ の 効 果 は な く、 結 局 、1904年ll月 に 日露 戦 争 に まで 発 展 した

日露 戦 争 は 、 日本 の 勝 利 に終 っ た 。1905年 、 日本 は ア メ リカ 大 統 領 セ オ ドア.

ル ー ズ ベ ル トの 斡 旋 に よ り、 ロ シ ア と ポ ー ツ マ ス 条 約 を 結 ん 捲 。 そ れ は 以 下 の 内容 で あ った 。(1)韓 国 に対 す る 日本 の指 導 ・監 督権 を認 め る こ と。(2)清 領 土 内 の旅 順 ・大 連 の租 借権 、 長 春 以 南 の鉄 道 と付属 炭 坑 の 利 権 を 日本 に譲 渡 す る こ と。(3)樺i太 の北 緯50度 以 南 を 日本 に割譲 す る こ と。(4)沿 海 州 とカ ム 13}ヤツカ の 漁難 を 躰 に与 え る こ と・ しカ・し・ 躰 は・ 賠 償 金 は とれ な か っ た。

ふ り返 っ て み る と・ 日露 戦 争 の そ もそ もの発 端 は、 ロシ アの 満 州 占領 に あ っ た。 日本 は、 満 州 に対 して は、 重 大 な 関心 を もっ て い た。 なぜ な ら、 満 州 は、

鉱 産 物 に富 ん で お り、金 属 鉱 物 と して砂 金 、 銀 、銅 、鉄 、 満 俺 、 亜 鉛 、 鉛 、硫 化 鉄鉱 を産 出 して いた 。 また、 石 炭 、石 灰 岩 、 硅 石 、 粘土 、 曹達 な どを産 出 し、

な か で も鉄 ・ 石炭 の 埋 蔵 量 は か な り豊 富 で あ っ た。加 え て、 大 豆 の産 額 は世 界 第1位 ・ 農 田 に お け る肥 料 の供 給 、 綿 花 栽 培 の 可 能性 も大 な る もの で あ っ た

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戦時下 の女性 労働政策(1)

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この よ うな満 州 の資 源 は、 原 料 問題 を抱 え る 日本 に とっ て魅 力で あ っ た。 日本

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が 、 満 州 か ら ロシ ア を排 撃 しよ う と した 理 由 は、 ま さ に こ こに あ った 。

日露 戦 争後 、 南 満 州 の権 益 を独 占 した 日本 は、 南 満 州 鉄 道 株 式 会 社(満 鉄) を設 立 し、 これ に よ り日本 の炭 鉱 経 営 は大 い に発 展 した。

日露 戦 争 後 、 日本 の繊 維産 業 は、 どの よ うに変 化 した で あ ろ うか 。 日本 の繊 維 産 業 は、 日清戦 争 後 と同様 、 日露 戦 争 後 も さ らに発 展 した 。 これ を 日清 戦 争 後 と比 較 して み る と、 つ ぎ の こ とが 顕 著 で あ る。 日清 戦 争後 は、 綿 紡 績機 と綿 糸輸 出量 が増 加 した 。 これ に対 して、 日露 戦 争 後 で は、 綿 布 輸 出量 の増 大 と綿 織機 の増 加 が 顕 著 で あ る。 日清 戦 争 の とき は、 綿 糸 の 自給 化 が 実 現 した の に対 して 、 日露戦 争後 は、 綿 布 の 自給 化 が実 現 し、 そ の結 果 、 綿 布 輸 出量 が輸 入 量 を越 え る こ とに な っ た。

明 治 の 前 半 で は、 綿 糸 の輸 出額 の 方 が 綿布 の輸 出額 よ りは るか に優 勢 で あ っ た。 しか し、 日露戦 争後 は、 綿 布 が 躍進 し、 大 正6年 に はっ い に綿 糸 を凌 駕 し、

綿 糸1億1300万 円 、 綿 布1億4300万 円 とな っ た 。 口本 の 繊 維 産 業 は 、 日露 戦 争 後 に糸か ら布 へ と転換 した とい え る。 第3表 は、

日露 戦 争 前後 の15年 間 にお け る設備 数 の推移 を 示 して い る。 これ に よ る と、 明 治36年 か ら大 正 7年 に か けて 、紡 績 錘 数 は、2倍 以上 増 加 し、

織 機 は8倍 に増 加 して い る。

日露 戦 争 後 、 綿 布 の輸 出量 が 増 大 した の は、

(第3表)紡 績錘数 と織機 台数 紡機錘数

織機治数 明 治36年

明 治41年 大 正2年 大 正7年

1,381,306 1695879 2414499 3227678

5043 11,146 24,224 40,391 (出所)日 本 繊 維 協 議 会:日 本 繊 維 産 業

史29頁 。

い か な る理 由 に よ るのか 。 第 一 は 、綿 布 の需 要 の 増 大 で あ る。 戦 争 中 に軍 需 品 と して の 綿布 の需 要 が 増 大 し、 必 然 的 に生産 規 模 が 拡 大 した。 第 二 は 、満 州 市 場 を手 に入 れ る こ とに よって 、販 路 が 拡 張 され た こ とで あ る。 第 三 に、 明 治39 年 か ら44年 にか けて の関税 の改 正 が 、輸 入 綿布 に対 す る障壁 とな り、 その結 果 、

16)

国 内 生 産 が 助 成 され 、 そ れ が輸 出 へ とっ なが っ た こ とで あ る。

日露 戦 争 後 、 日本 繊 維 産 業 の 市 場 は、 主 として朝 鮮 、 満 州、 中 国 で あ っ た。

この うち、 満 州 は、 日露 戦 争後 、 日本 が 獲 得 した最 大 の 綿布 市場 で あ った 。 当 時 、 満 州 市 場 で有 力 な地 歩 を 占 め て い た の は、 三 井 物 産 で あ った 。 同社 は、 満 州 市 場 へ の 綿布 輸 出 は、 国 家 的 緊 急 事 業 で あ る と考 え、 大 阪 紡 績 、 三 重 紡 績 、 金 巾製 織 、 天 満織 物 等5社 綿 布 メ ー カ ー と綿 布 輸 出 組 合 を組織 し、 満 州市 場 で

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の販 売 拡張 に努 め た。 そ の結 果 、 同 じ く満 州 市場 に綿布 を売 り込 んで い た アメ

E7)

リカ を駆 逐 す る こ とに成 功 した。

日露 戦 争 後 、 日本 は軽 工 業 と して の繊 維 産 業 だ けで は な く、 製 鉄 業 を 中心 と した重 工 業 も発 展 して きた 。 と くに、 鉱 業 、 金 属 、 機 械 、造 船 、 運輸 な どの発 達 は、 日本 の重 工 業 の基礎 を形 成 す る もの で あ っ た。 た とえば、1901(明 治34) 年 に操 業 を開 始 した 官 営八 幡 製 鉄 所 は、 この戦 争 を契 機 に大 拡 張 し、 明 治 末 期 に は国 内銑 鉄 生 産 の73%、 鋼 材 生産 の95%を 占 め、 そ の独 占的地 位 を 固 め た と

18)

いわ れ て い る。

重 工 業 の 発 展 は、 手工 業 生産 が 工場 ・機 械 生 産 方 式 に転 換 す る もの で あ り、

これ は繊 維産 業 の飛 躍 的発 展 と固 く結 び つ いて いた 。

総 じて 、 日露 戦 争 は、 あ る意 味 にお い て 、 明 治政 府 が 高 く掲 げ た富 国 強 兵政 策 の総 決算 で あ っ た とい え る。 日本 は、 この戦 争 に勝 利 す る こ とに よっ て 、極 東 にお け る 日本 の 地 位 を確 固 た る もの に した 。 列強 は、 もはや 極 東 問 題 につ い て は、 日本 を無 視 す る こ とが で きな くな った。 なぜ な ら、 ヨー ロ ッパ 大 国 、 ロ シ ア を破 っ た 日本 の 軍 事 力 は、 極 東 を守 護 す る もの と して 大 きな意 味 を もって い たか らで あ る。

また、 日露 戦 争 の勝 利 は、 ア ジ ア の主 要 植 民 地 を支 配 下 に お く日本 帝 国主 義 国家 を形 成 した こ とを意 味 して い る。 少 な く とも、 列 強 が 、 日本 につ い て その よ うな認 識 を もっ た こ とは否 め な い。 以後 、 日本 資 本 主 義 は、 中 国 へ の進 出 を 強 め なが ら、 資 本 の集 中 と独 占 を さ らにい っ そ う強 化 して い くの で あ った 。

しか し、 この よ うな 日本 の資 本 主義 の発 展 も、 日露 戦 争後 、 はや くも1907(明 治40)年 にな る と、反 動 恐 慌 に み まわれ 、 経 済 の 沈滞 期 に入 り込 むの で あ った。

第2節 第1次 世界大戦後 と繊維産業 の変化

1.第1次 世 界 大 戦 と繊 維 産 業 の発 展

20世 紀初 頭 の世 界 は、19世 紀 か らの 帝 国 主 義 の 二大 陣 営 の衝 突 と植 民 地 獲 得 を め ぐる利 権 の対 立 を背景 に、 二 分 され て い た。 す な わ ち 、 ドイ ッ ・オ ー ス ト

リア=ハ ンガ リー ・イ タ リア の三 国 同盟(同 盟 国)、 ロシ ア ・フ ラ ンス ・イ ギ リ ス の 三 国協 商(連 合 国)で あ る。 同盟 国 と連 合 国 は、 当初 は そ れ な りに勢 力 の

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均 衡 が 保 た れ て い た 。 と こ ろが 、 ドイ ツ の 進 出 と軍 備 拡 張 競 争 を め ぐ り、 イ ギ リス と ドイ ツ を 中 心 に 世 界 政 策 の 対 立 が 生 じて き た 。

そ の よ う な 状 況 の な か で 、1914年7月 、 オ ー ス ト リ ア 皇 太 子 が 親 露 的 な セ ル ビ ア 人 に 暗 殺 さ れ る とい う事 件 が 起 り、 両 国 の 間 に戦 争 が 勃 発 した 。 これ を 契 機 に 、 ドイ ツが ロ シ ア に 宣 戦 布 告 し、 イ ギ リス と フ ラ ン ス は ロ シ ア 側 につ い て 、

ドイ ツ と宣 戦 、 この と き 日本 は 、 日英 同 盟 の 誼 に よ っ て ドイ ツ に 宣 戦 布 告 し、

これ に よ り世 界 史 上 空 前 の 大 戦 、 第1次 世 界 大 戦 が 勃 発 した 。 戦 争 は 、1914年 か ら18年(大 正3‑7年)の4年 に わ た っ た 。

日本 は 、 日露 戦 争 後 、 好 景 気 を迎 え た 。 繊 維 産 業 に あ っ て は 、 紡 織 、 織 機 な どの 生 産 設 備 が 新 設 拡 張 さ れ 、 製 品 の 輸 出 も飛 躍 的 に 伸 び て い た 。 しか し、 こ の よ う な 好 景 気 は 、 日露 戦 争 後 の1907(明 治40)年 か ら反 動 恐 慌 に 転i喚 して き た 。 そ の 背 景 に は 、 同 年10月 ア メ リ カ に 端 を 発 した 世 界 経 済 恐 慌 の 発 生 と拡 大 が あ っ た 。 この 恐 慌 は、 軽 工 業 の 繊 維 産 業 は も と よ り、 海 運 ・造 船 、 セ メ ン ト・

石 炭 な ど、 電 気 ・ガ ス 以 外 の あ ら ゆ る産 業 部 門 に 波 及 した 。 国 内 市 場 の 需 要 も 低 下 し、 中 国 な どへ の 輸 出 も相 場 も下 落 して き た 。 こ の よ う な 状 況 の 下 で 、 繊

維 産 業 は 、(1)明 治41年1月12日 か ら43年4月30日(2年3ヶ 月20日 間)、(2) 明 治43年10月1日 か ら大 正 元 年9月30日(2年1ヶ 月 間)、(3)大 正3年8月

1日 か ら5年1月31日(1年6ヶ 月間)、 の3回 に わ た る操 業 短 縮 が 行 わ れ た 。 第1次 世 界 大戦 は、 日露 戦 争 後 の 日本 経 済 の深 刻 で長 い 沈 滞 期 を根 底 か ら活 性 化 した 。 日本 経 済 は、 再 び勢 い を盛 り返 し、 め ざ ま しい発 展 を遂 げて い くこ

とに な っ た。 大 戦後 は、 熱 狂 的好 景気 と もい わ れ るほ ど、 株 価 が高 騰 し、企 業

zoo

熱 の 再 燃 、 投 機 活 動 も盛 ん にな った 。

日本 は この大 戦 に よ り、軽 工業 として の繊 維 産 業 は も とよ り、 重 工 業 ・化 学 工 業 もめ ざ ま しい発 展 を遂 げ、 は じめて 本 格 的 な工 業 国 とな って い った 。 そ し

て、 この よ うな資 本 主 義 の 飛 躍 的 な発 展 の過 程 で 、 資 本 の 集 中 と独 占が 著 し く 進 み 、 こ こに独 占資 本 主 義 へ の基 礎 が 固 まっ て い った 。

しか し、 大 戦 が は じ まっ た1914(大 正3)年7月 の段 階で は、 日本 の経済 は、

世界 経済 の混 乱 もあ って 、 その影 響 を受 けて い た。 東 京 ・京 都 各 地 の銀 行破 綻 、 綿 糸 布 価 格 の暴 落 、 綿 糸商 破 綻 、株 式 市 場 崩 落 、 そ の他 石 油 ・小 麦 粉 ・金 属 ・

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石 炭 な ども一 斉 に崩 落 した。

(10)

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しか し、 この こ ろ か ら、 輸 出 が 激 増 し、1914年 か ら18年 に か け、 輸 出 額7億 3000万 円 が20億3000万 円 、3倍 に 増 加 し、 この 間 の輸 出 超 過 額 は、14億 円 に 達

22)

した といわ れ て い る。

大 戦 開戦 後 の1915(大 正4)年 にな る と、 まず ロシ ア その他 か ら兵 器 ・軍 靴 ・ 馬 具 ・弾 薬 入 れ ・背 負 革 な どの軍 需 品 の注 文 が殺 到 し、 ま た東 洋 市 場 や ア フ リ

23)

カ の需 要 が 集 中 して 、造 船 ・機 械 ・繊 維 等 の産 業 部 門 の 発展 が み られ た。

で は、 第1次 世 界 大 戦 に よ り、 繊 維産 業 は いか に発 展 した か。 繊 維 産 業 は、

大 戦 中、 大 戦後 を通 して 、 綿 糸 ・織 物 と も これ まで に な い め ざ ま しい 発 展 を遂 げた 。 第4表 は、 綿 糸 紡 績 業 の発 達状 況 を表 して い る。 紡 連 加 盟 会 社 数 は、 大 正 元 年 に32社 で あ った が、 開戦 時 の3年 に39社 、 大 戦後 の8年 に は46社 と増加 して い る。 錘 数 、 綿 糸 生産 高 、 繰 綿 消 費 高 、 男 女工 の 人 数 な ど大 幅 に増 加 して い る。

綿 織 物 は、 第5表 の と お り、 絹 織 、 綿 織 と も総 生産 額 は増加 して お り、

織 機 台 数 も 増 加 して い る。 職 工数 が あ ま り変 化 して い な い の は 、 大戦 前 後 の不 況 期 の影 響 と機 械 化 ・合 理 化 経 営 に よ る も の と思 われ る。

第1次 世 界 大 戦 後 は、

綿 糸 ・綿 布 ・生 糸 ・絹 糸 な どの紡 織 品 の輸 出が め ざ ま し く発 展 した 。 第6 表 は、 明治42年 と大 正8 年 の 紡 織 品 輸 出 の推 移 を 表 して い る。 紡 織 品 の輸 出総 額 は、 明 治42年 に対 して、 大 正8年 は5倍 増

(第4表)綿 糸紡績業 の発達 社数

錘 数

(千)

綿 糸 生産 (百万貫)

繰綿消費高 (百万貫)

男 工 (千入)

女 工 (千人) 大 正 元 年

3年 8年

32 39 46

2,053 2,337 3,238

.・

39.4 48.8

39.9 45.7 55.3

i1 21.9 32.5

82.5 89.7 106.1 (出所)綿 糸 紡 績 事 情 参 考 書 。 明 治 ・大 正 国 勢 総 覧 。 東 洋 経 済 『 経 済 年

鑑 』 に よ る(紡 連 所 属 会 社 の み)。 森 喜 一:日 本 労 働 者 階 級 状 態 史222頁 。

(第5表)織 物業の発達

総生産額

絹織物 綿織物 手機数

織機合計

職工数

大 正2年 8年 12年

百 万 円 356.4 2,001.7

1,428.0

百 万 円 120.3 673.9 405.1

百 万 円 165.3 1,033.8

694.3

万台 56 68 37

万台 67 96 73

万 人 67 105

70

(出所)土 屋 喬雄 『 続 日本 経 済 史 概 要 』(昭 和14年 刊)320頁 。

(第6表)紡 織品輸 出の推移(単 位百万 円)

総額 綿 糸 綿布 生糸 絹布 小計

明 治42年

大 正8年

413.1 (100) 2,098.8

(100)

31.6 (8) 114.2

(5)

17.6 (4}

280.3 (13)

123.7 (3a) 623.6

(30)

28.9 (7) 162.4

(8)

202.0 (49}

1,180.6 (56)

(出所)岡 崎 三 郎 「 資 本 主 義 経 済 の発 展 の 諸 段 階(昭 和23年 刊)104頁 。

森 前 掲 書225頁 。

(11)

戦時下 の女性労働政策(1)

109

で あ る。 生 糸 を筆 頭 に、 綿 糸 ・絹 布 ・綿 布 と も大 幅 に増 加 して い る。

この よ うに、 大 戦 中 あ るい は大 戦 後 、 日本 の 紡 織 品 の輸 出が 大 幅 に増 加 した 理 由 は、 二 つ あ る。 一 つ は、大 戦 に よって 、 ヨー ロ ッパ 列強 が ア ジ ア市場 か ら 後 退 した こ とで あ る。 日本 の繊 維 業 者 は、 そ こに狙 い をつ け、輸 出 を激 増 させ

る こ とに成 功 した。 他 は重 工 業 の 発 展 と相 まっ て、 織 物 工業 が 家 内工 業 生 産 か ら機 械 工 業 生産 に転 換 した こ とが 考 え られ る。

な お 、大 戦 は レ.̲.̲ヨン工 業 の発 展 を も もた ら した 。

第1次 世 界大 戦 は、 繊 維 産 業 と とも に、重 工業 ・化 学 工 業 の め ざ ま しい発 展 を もた ら した 。 大 戦 中、 世 界 的 に船 舶 が不 足 して い た。 これ につ い て の 日本 へ の需要 も急 激 に増 加 し、 日本 は海 運 業 ・造 船 業 に進 出 し、 空 前 の好 況 を もた ら

した 。 鉄 鋼 業 に お い て も、八 幡製 鉄 所 の 拡 張 、 満 鉄 の鞍 山製 鉄 所 の 設 立 、 その 他 民 間 会 社 の設 立 も相 次 い だ 。 さ らに、 薬 品 ・染 料 ・肥 料 な どの化 学 工 業 も勃 興 し、 電 気 ・機 械 の 国産 化 も進 ん だ 。 日本 の 重 工 業 ・化 学 工 業 の め ざ ま しい発 展 は、 第1次 世界 大 戦 の 重 要 な経 済 的変 化 で あ る。

2.第1次 大 戦後 の繊 維 産 業 の後 退

日本 は、 第1次 世 界 大 戦 中 、大 戦 景気 をむ か え、 繊 維 産 業 を は じめ 重化 学 工 業 の 発展 を み た。 しか し、 この大 戦 景 気 は、 戦後 はや くも破 綻 し、 空 前 の 大 恐 慌 に陥 る こ とにな っ た 。考 えて み れ ば、 も と も と大 戦 中 の好 景 気 は、 国 内産 業 の発 展 に よ る もの で は なか った 。 それ は、 大 戦 中 、 ヨー ロ ッパ の 列 強 が 海 外 市 場 か ら後 退 した 際 、 その 隙 間 を狙 っ て一 時 的 に市 場 に進 出 した 結 果 で あ っ た。

したが って 、 第1次 世 界 大 戦 後 、 ヨー ロ ッパ 諸 国 の復 興 が 進 み 、 そ の商 品が ア ジ ア市 場 に再 登場 した とき、 日本 の海 外 市 場 は、 急 速 に収 縮 して い か ざ る を得 な くな った 。 その結 果 、 日本 は、 はや くも大 戦 後 の1919(大 正8)年 に は、 貿 易収 支 が 輸 入 超 過 に転 じ る こ とにな った 。

日本 にお け る戦 争 に よ る恐 慌 は、 日露 戦 争後 、1907(明 治40)年 の 反 動 恐慌 に遡 る。 以来 、 日本 は、第1次 世 界大 戦 後 、1920(大 正9)年 の戦 後 恐慌 、1927

(昭和2)年 の金 融 恐慌 、1929(昭 和4)年 の世 界 恐慌 と遭遇 す る こ とにな った 。 加 えて、1923(大 正12)年 の関 東大 震 災 も、恐 慌 をい っ そ う助長 す る こ とにな っ た。 日本 は、 この よ うな長 期 的慢 性 的 な恐 慌 の下 で 、 苦境 に立 た され て きた。

(12)

110

この よ うな状 況 の下 で 、 繊 維 産 業 をは じめ 、 重化 学 工 業 も大 きな打 撃 を被 る こ とに な っ た。 な か で も、繊 維 産 業 の損 失 は大 きか っ た 。 恐 慌 に よ り、 弱 小 紡 績 会 社 は倒産 し、 あ るい は、 吸 収 合 併 され て い っ た 。 そ の結 果 、1930(昭 和5) 年 に は、 鐘 淵 、 大 日本 、東 洋 、 富 士 瓦 斯 、 日清 、 大 阪合 同 の6大 紡 績 会 社 が 存 在 し、 これ らの会社 で全 紡 績 会 社(74)の 払込 資 本 の41%、 全 紡 錘 数 の40%あ

   

ま り、 撚 糸 機 の78%を 占 め る に 至 っ た 。

しか し、 全 般 的 に 繊 維 産 業 は 、 反 動 恐 慌 期 か ら世 界 恐 慌 期 に至 る ま で の 慢 性 的 不 況 の 下 で 、 生 産 ・輸 出 の 激 減 、 価 格 の 暴 落 、 滞 貨 の 累 積 、 企 業 の 破 綻 な ど き び しい 苦 境 に 立 た され て い た 。 この こ と は 、 綿 業 、 製 糸 業 に共 通 して い た 。 こ れ に つ い て 、 繊 維 産 業 の 各 恐 慌期 別 に 、 生 産 ・貿 易 の 状 況 を み て み る。 大 正8年 か ら10年 の 反 動 恐 慌 期 で は 、 工 業 生 産 の 減 退 が18.4%で あ っ た 。 繊 維 生 産 は 、29.3%以 上 の 減 退 で あ っ た 。 生 産 比 率 は 、50.9%か ら37.8%、 輸 出 比 率 は 、41.4%か ら36.8%に 低 下 。 大 正14年 か ら昭 和2年 の 金 融 恐 慌 期 で は 、 工 業 生 産 の 減 退 が わ ず か2%程 度 で あ っ た の に 対 し、 繊 維 生 産 で は16%の 減 退 、 生 産 比 率 は 、48.1%か ら41.5%に 低 下 。 輸 出 比 率 は 、52.1%か ら52.3%へ とほ ぼ 保 合 。 昭 和4年 か ら6年 の 世 界 恐 慌 期 で は 、 工 業 生 産 の 減 退 が32.9%で あ っ た の に 対 し、 繊 維 生 産 は39%と 大 幅 な 減 退 、 生 産 比 率 は41%か ら37.2%へ 、 輸 出 比 率 も49.3%か ら36.4%へ と大 き く低 下 した 。 以 上 の こ とか ら、 繊 維 産 業 は 、 工 業 部 門 以 上 の 恐慌 に よ る打 撃 を受 けて い る こ とが わ か る。

この よ うな繊 維 産 業 の 生産 と貿 易 状 況 の悪 化 は、 海 外 市 場 の収 縮 と国 内 市場 の縮 小 が主 た る要 因 で あ っ た と考 え られ る。

繊 維 産業 は、 この よ うな業 界 の 不況 期 に、 い か な る対 策 を講 じた の か。 当時 、 紡 績 業 は、 操 業 短 縮 、 国 内 工場 の 整 理 、 縮 小 、 在 華 紡 の 重 点化 、 その 他 会 社 合

   

併 な どを行 った 。 女 工 に対 して は、 減 給 、 一旧寺帰 休 、 解 雇 な どが行 わ れ た。

他 方 、 恐慌 に よ る繊 維 産 業 の不 況 は、農 業 恐 慌 に も波 及 した。 生 糸輸 出の 激 減 に よ り、 糸価 ・繭価 が 暴 落 し、米 価 の 下 落 と相 乗 しなが ら農…家 経 営 を破 綻 に

27)

追 い 込 ん だ 。

3満 州 事 変 と綿 布 の輸 出

1928(昭 和3)年 の末 、 中 国 で は不 平 等 条 約 撤 廃 、 権 益 回収 を め ぐっ て民 族

(13)

戦時下 の女性労働政策(1)

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運動 が 高 ま っ て いた 。 そ の結 果 、 国 民政 府 は、満 州 に お け る 日本 の権 益 回収 の 意 向 を表 明 した。 これ に危 機i感を深 め た関 東 軍 は、1931(昭 和6)年 、9月18

日、奉 天郊 外 の柳 条 湖 で 南 満州 鉄 道 を爆 破 し(柳 条 湖 事 件)、 これ を中 国軍 の仕 業 と して軍 事 行動 を開 始 し、 こ こに満 州 事変 が勃 発 した 。 その 結 果 、 日本 の軍 隊 は 、満 州 の 主 要地 域 を 占領 し、 満 州 国 の建 国 を宣 言 した 。 満 州 事 変 は、1933

(昭和8)年 、 日中軍 事 停 戦協 定 が 結 ば れ、 終 結 した 。

満 州 事 変 が 終 結 した 当時 、 日本 は1929(昭 和4)年 の世 界 恐 慌 の影 響 を受 け て、 慢 性 的不 況 状 態 に あ った 。政 府 は、 この よ うな状 況 の下 で 、 財 政 支 出 を増 大 させ る こ とに よ り景 気 回 復 を はか るた め に、 赤 字 国債 を 日銀 に 引受 け させ 、 その見 返 り と して 日銀 か ら 日銀 券 を受 け取 り、 これ を財政 ル ー トに よっ て 民間 に撒 布 した 。 赤 字 国 債 の 日銀 の 引受 発 行 は、財 政 規 模 を拡 大 し、 結 果 と して 国 内市場 を拡 大 させ た。 他 方 、政 府 は、 景 気 回 復 の た め に、 低 金 利 ・低 為 替政 策

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を実施 した。

低 為 替 政 策 の実 施 の結 果 、 綿 布 の輸 出が 急 速 に増 大 し、1933(昭 和8)年 日本 の綿 布 輸 出量 は、 イ ギ リス を抜 い て世 界0と な った 。 さ らに、1934(昭

9)年 に は、 綿布 輸 出額 が 生 糸 輸 出額 を凌 駕 した 。

4.日 中 戦 争 と繊 維 産 業 の 軍需 化

満 州 事 変 は、1933年5月 、 日中 軍 事停 戦協 定 を結 ん で 終 結 した。 しか し、 日 本 の 軍 部 は 、勢 力 を増 し、 さ らに華 北 へ の進 出 の機 を うか が って い た。

他 方 、 繊 維 産 業 の 中 国 へ の進 出 は め ざ ま し く、紡 績 業 にお い て は 中国 紡 績 を しの ぐまで に なっ て い っ た。 日中戦 争前 の在 華 日本 人紡 績 会 社 の所 有総 錘 数 は、

200万 錘 を突 破 して 、 全 中国紡 績 の43%を 占め、 撚 糸 機 は68%、 織機52%と

半数 を 占 め て いた 。

この よ うな軍 部 や 繊 維 産 業 の 中 国 進 出 につ い て は、 中 国人 の 日貨 排 斥 、 抗 日 同盟 罷工 、抗 ロ民衆 運 動 が展 開 されて きた。 この よ うな流 れ の なか で、1936(昭 和lD年12月 、 西安 事件 が勃 発 し、 それ を契 機 と して 国民 政 府 も抗 日の意 思 を 表 明 す る と ころ とな っ た 。 翌年 、1937(昭 和12)年 、北 京 郊 外 の盧 溝 橋 で 日中 両 国軍 の衝 突 事件(盧 溝 橋 事 件)が 起 こ り、 これ を きっか け と して 日中戦 争 が 勃 発 した 。

(14)

112

日中戦 争 は、 中国 綿 業 地 の大 部分 を破 壊 した 。 しか し、 戦 火 が お さ ま り、 占 領 地 の 治安 が 回復 す る と、 青 島、 天 津 な どの 日本 の紡 績 業 が 再 び操 業 を 開始 し た。

日本 は、 日中戦 争 の 当初 、 首都 南 京 を 占領 した もの の 、 中 国 は重慶 に退 きな が ら抗 戦 を続 け、 次第 に長 期 戦 の様相 を呈 して きた 。 この よ うな状 況 の なか で、

日本 は1938(昭 和13)年 、 国家 総 動 員 法 を制 定 し、 本 格 的 な戦 時 体 制 を敷 き、

戦 時経 済 に入 って い った 。

まず 、 ほ とん どの産 業 は、 民 需 産 業 か ら軍 需 産 業 へ と編 成 され 、 機 械 工 業 も 民 需 工 業 か ら軍 需 工 業 へ と転 換 され て い っ た。 繊 維 産 業 にお いて は、 民 需 生 産

の大 幅 な抑 制 が 行 わ れ、 国 内向 紡機 の生産 禁 止 、 紡 織 機 械 も、兵 器 、 航 空機部 品 な どの工 作 機 械 へ と切 り替 え られ た 。 これ に よ り、 紡 績 機 械 工 業 は、 ほ とん

どその機 能 を停 止 す る こ とにな った 。

しか し、 綿 業 につ いて は、1938(昭 和13)年7月1日 よ り、綿 の 国 内流 入 は 禁止 され た けれ ど も、輸 出 産 業 と して は許 され て い た 。 これ に よ り、 綿 業 は、

31)

外 貨 獲 得 の産 業 と して 重要 な役 割 を果 して い た の で あ る。

5.第2次 世 界 大 戦 と 日本 資 本 主 義 経 済 の 破 壊

1937(昭 和12)年 に始 ま っ た 日 中戦 争 は 、 解 決 の 糸 口 が つ か め な い ま ま 長 期 化 して い っ た 。 日本 は 、1938(昭 和13)年 、 国 家 総 動 員 法 を公 布 し、 戦 時 体 制 を強 化 して い っ た 。 さ らに 、1939年 に は 、 価 格 等 統 制 令 、 翌 年 に は米 の 配 給 制 、 供 出 制 な ど を 断 行 して 、 国 内 経 済 の 統 制 を 強 化 して い っ た 。

同 年9月 、 ドイ ツ が ポ ー ラ ン ドに侵 攻 し た こ とか ら、 イ ギ リス ・フ ラ ン ス は た だ ち に ドイ ッ に 宣 戦 を 布 告 し、 こ こ に 第2次 世 界 大 戦 が 開 始 さ れ た 。

この よ う な 状 況 の な か で 、 日本 は、 日 中 戦 争 の 打 開 策 と して 、 南 進 策 と援 蒋 ル ー トの遮 断 を 画 るた め、1940(昭 和15)年9月 に 日独 伊 三 国 同 盟(軍 事 同 盟)

を 結 び 、 フ ラ ン ス 領 イ ン ドネ シ ア へ 侵 攻 し 、 翌1941(昭 和16)年7月 に 南 部 仏 印 に 進 攻 し、 さ ら に ジ ャ ワ に も強 圧 を 加 え て い っ た 。 こ れ に よ り、 日米 関 係 は 決 定 的 に悪 化 した 。1941(昭 和16)年12月8日 、 つ い に 日本 の ハ ワ イ 真 珠 湾 奇

32}

襲 に よ り、 太 平 洋 戦 争 へ と突 入 した 。

第2次 世 界 大 戦 は 、1941(昭 和16)年12月8日 に は じ ま り、45(昭 和20)年

(15)

戦時下の女性労働政策(1)

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8月15日 に終 結 した 。 日本 は、 開 戦 の 当初 フィ リ ピ ン ・マ ライ 半 島 ・ジ ャ ワな ど南 方 要 地 を 占領 した もの の、1942(昭 和17)年 の ミ ッ ドウ ェ ー海 戦 以来 敗 退 の一 途 を た どった。

日本 は この よ うな 非 常 事 態 の下 で 、 繊 維 産 業 を含 む あ らゆ る産 業 を軍 事 産 業 に切 り替 えた 。産 業機構 も、 戦 争 目的遂 行 の た め に、 重 化 学 工 業 が 重 視 され、

軍需 工場 として の役 割 を担 っ た。

徴 兵 制 が 敷 かれ 、 男性 は戦場 へ と駆 り出 され 、 女 性 は、 学 徒 動 員令 や 女 子挺 身 勤 労 令 な ど に よっ て 、駆 り出 され 、 銃 後 の役 割 を果 した。

また、 男性 が戦 場 に駆 り出 され た た め、 軍 需工 場 で 大 量 の 労働 力 不足 が 生 じ、

大 多 数 の女 性 た ちが そ の補 充 の た め に、 機 械 工 場 で働 くよ うに な っ た。

しか し、第2次 世 界 大 戦 は、1945(昭 和20)年8月6日 ・9日 とア メ リカ の 広 島 ・長 崎 の原 子 爆 弾 の投 下 で、 ポ ッ ダ ム宣 言 を受 諾 し、 同年8月15日 無条 件 降伏 した。

日本 は この大 戦 に よ り、 日本 の 全 土 、 政 治 、 経 済 、 社 会 等 あ らゆ る ものが 完 全 に破 壊 され た。 それ は、 経 済 の局 面 か らみ る と、 明 治維 新 以 来 急 速 に発 展 し て きた 日本 の 資本 主 義 ・帝 国主 義 の破 壊 を意 味 した 。

第2次 大 戦 後 、 日本 は、 アメ リカ を中 心 とす る 占領 体 制 下 に お か れ た。 この 占領 期 こそ、 日本 の民 主 主 義 、平 和 主 義 の再 出 発 の起 点で あ っ た 。 それ は、女 性 労 働 政 策 の再 生 と新 展 開 の起 点 で もあ った 。

第2章 戦 時下の女性 労働者 第1節 産業機構 の変化 と女 性労働者

1.繊 維 産 業 か ら重 化 学工 業 へ の 進 出

日本 で は 、 明治 維 新 以来 、繊 維 産 業 を 中心 に近 代 資 本 主 義社 会 が 成 立 し、 発 展 して きた 。 近代 資本 主 義 社 会 は、 国 内市 場 の拡 大 もあ るが 、 それ 以 上 に海 外 市場 へ の進 出 を狙 った 戦 争 と固 く結 び つ い て発 展 して きた 。

日本 が 行 って きた 戦 争 は、 こ との他 多 く、 それ は、 日清 戦 争(1894年)に ま り、 日露戦 争(1904年)、 第1次 世界 大 戦(1914年)、 満 州 事変(1931年)、

(16)

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中戦 争(1937年)、 そ して第2次 世 界 大戦(1941年)と 連 な る。 日本 資 本 主 義 は、

第2次 世 界 大 戦 を除 くと、 それ ぞれ の戦 争 の度 ご とに飛 躍 的 に発 展 して きた。

なか で も、 繊 維 産 業 の発 展 は め ざ ま し く、 この産 業 は、 近 代 資本 主 義 の 支 柱 と な って いた 。

や が て、 日本 は、 日中戦 争 を契機 と して、本 格 的 な戦 時体 制 に入 る こ と とな っ た 。 その結 果 、 日本 の産 業機 構 も変 化 し、 その よ うな状 況 の下 で 女 性 労 働 者 も 変 化 して きた。 そ こで 、 こ こで は、 産 業 構 造 が どの よ うに変化 し、 ま た女 性 労 働 者 も どの よ う に変 化 して きた の か につ い て検 討 して み る。

第7表 は、 産 業 別 女性 労 働 者 分布 状 況 を示 して い る。 これ に よ る と、 満 州 事変 が勃 発 した1931(昭 和6)年 にお け る工 場 労 働 総 数 の54%が 紡 績 業 で、 重化 学 工 業 は26%に す ぎな か っ た。 ところが、 日 中戦 争 が始 まっ た1937(昭 和12)年 に な

第7表 産業別女性労働者分布状況表

%

昭和6年

昭 和12年 昭 和16年

績 業

重化学工業

54 26

35 46

23 62 (出所)商 工 省 工 場 統 計 表 よ り

大 羽綾 子 ・ 氏 原 正 治 郎 編 「 婦 人 労 働 」30頁 よ り作 成 。

る と、 両 者 が 逆 転 し、 重 化 学 工 業46%、 こ れ に対 して 紡 績 業 は35%と な っ て い る 。 さ ら に 、 第2次 世 界 大 戦 が 勃 発 した1941(昭 和16)年 に な る と、 重 化 学 工

33)

業 が62%、 紡 績 業 が23%と 両者 が 大 き く入 れ 換 っ た。

この こ とは、繊 維産 業 で働 い て い た女 性 労 働 者 が 、満 州 事 変 、 日中戦 争 、 第 2次 世 界 大 戦 にか けて漸 減 して きた こ と、 これ に対 して この 時 期 に女 性 労 働 者 が 重 化 学 工 業 へ と著 し く集 中 して い った こ とを示 して い る。 この よ うに、 女 性 労働 者 が 繊 維産 業 か ら重 化 学 工業 へ と変化 して い っ た こ とは、 同 時 に 日本 の産 業 機 構iが繊 維 産 業 か ら重 化 学 工 業 へ と変 化 して い った こ とを意 味 して い る。

また 、女 性 労働 者 が繊 維 産 業 か ら重 化 学 工業 へ と大 き く進 出 した こ とは、戦 時 下 の女 性 労 働 者 の大 き な特 徴 で あ る。 従 来 、 重 機 械 工 業 や 、 重化 学 工 業 は、

男 子 の み の職 業 とされ て きた もの で あ り、 戦 争 を契 機 と して そ こで 女 性 が 就 労 す る よ うに な っ た こ とは、 労働 運 動 史 上 で も、 また、 社 会 史 上 で も画期 的 なで

34)

き ご とで もあ っ た。

で は、 女性 労働 者 が 重 化 学 工 業 に移 動 した 背 景 は、 な にか 。 これ につ い て、

35)

谷 野 セ ツ氏 は報 告 資 料 の なか で 、 以下 の こ とを 指摘 して い る。

1.男 性 の労 働 力 の不 足 が 、 女 性進 出の 可 能 性 を高 め て い る こ と。

(17)

戦時下の女性 労働政策(1)

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2.工 業 生産 の発 達 の 結 果 、 作 業 の単 純 化 が 行 わ れ 、 其 の仕 事 は従 来 の よ う

に数年 の 熟練 を要 せ ず 、 容 易 に女 性 の 手 で も な し得 る よ うに な っ た こ と・

3.女 性 の身 体 的 、 精 神 的特 性 が 、 反復 的 単 純 作 業 に適 して い る こ とか ら、

大 量 生 産 を主 体 とす る軍 需 生 産 に あ って は、 其 の労 働 者 が む しろ、能 率 的 で あ る こ と。

4.女 性 の 勤続 年 数 が 短 い とい う一 般 的特 性 か ら、本 質 的 に は生 産 力 拡 充 に 対 す る女 性 の 進 出 に不 安 を与 えな が らも、 それ は低 賃 金 派 生 へ の温 床 とも

な り、 有 利 で あ る こ と。

5.女 性 の就 労 へ の 関 与 は、 大 部 分 結 婚 前 の補 助 的収 入 増 を 目標 として い る た め 、一 旦平 常産 業 へ 復 帰 の場 合 に も、 家 庭 へ の 還元 が 容 易 で あ り、 失 業 へ の 懸念 が 少 な い こ と。

6.時 局 認 識 普 及 の結 果 、女 性 の機 械 工 業 に対 す る関 心 が たか ま り、愛 国 的 優 越 感 を 以 っ て 、集 中 す る傾 向が あ る こ と。

これ らの 指摘 の うち、 男 性 の労 働 力 不 足 に よ る女性 の重化 学 工 業 へ の進 出が もっ と も重 要 な背 景 と考 え る。 戦 時下 に あ って は、 男 性 は ほ とん ど戦 場 へ と駆 り出 され 、 そ の た め機 械 ・化 学 工 場 で は男性 労 働 力 が 極 端 に不 足 して い た か ら で あ る。 女 性 労 働 者 は、 その代 替 的 役 割 を果 して い た ので あ る。

2.機 械 工 業 にお け る女 性 労働 者 の特 異 性

戦 時 下 に お いて は、 女 性 労働 者 は、 重 化学 工 業 に集 中 して きた。 で は、 その よ うな工 場 で、 女 性 労 働 者 はい か な る特 異性 を有 して い た か。 前 掲 谷 野 セ ツ氏 の資 料 は、 機 械 工 場 にお け る女 性 労 働 力 の特

3fi)

異 性 に つ い て 、 以 下 の こ とを 指 摘 して い る。

1.年 齢 の 若 い 女 性 が 多 数 で あ る こ と。 第 8表 の 昭 和14年8月 の 厚 生 省 労 働 局 調 査 に よ る と、20歳 未 満 が41.7%、30歳 未 満 に な る と57%で 全 体 の 過 半 数 を 占 め て い る 。20歳 未 満 で あ る とい う こ とは 、 未 婚 者 で あ る こ とを 意 味 して い る 。

2.都 市 出 身 の 通 勤 女 性 が 多 い こ と。 第9

第8表 機械工場 に於 ける女子 労 務者 の年齢別調

年齢別 女工数

女 工総 数 に

対 す る割 合 16歳 未 満 19,130

15.4°%

20歳 未満 51,577 41.7 25歳 未 満 29,980 24.2 25歳 以 上 22,739 18.4

123,426 100.0

(出 所)厚 生 省 労 働 局 調 査(昭 和14年8月)

谷 野 セ ツ 「 女 子 労 働 に 関す る報 告 」

昭 和 研 究 会7頁 。

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表 は、機 械 工 場 に お け る女性 労働 者 の 地域 的 分 布 状 況 を 示 し て い る。 これ に よ る と、 機 械 工場 に お け る女 性 労

第9表 機械 工場 にお ける女性労働者 の地域 的分布 状況

%

東京府

神奈 川県

大阪府 兵庫県 愛知県

その他 の

府県の合計

33 12 u 11 9 24

(出所)厚 生 省 労 働 局 調 査 昭和14年8月 谷 野 セ ッ前 掲 報 告7‑8頁 よ り作 成 。

働 者 の 出 身 は、都 市 出 身 で あ る こ とが わ か る。 また 、 第10表 に よ る と、 染 織 工場 の64%が 寄 宿工 で あ るの に対 して 、機 械 工場 の寄宿 工 は、わ ず か2%

に過 ぎ な い。 これ に よ り、機 械 工 場 の女 性 労 働 者 は、 都 市 出 身 の通 勤 女 性 で あ る こ とが わ か る。

第10表 工場法適用工場 に於 ける寄宿女工数 区別

年度別

女工数 宿

女工数

女工 数 に 対 す る

寄 宿 工 の割 合

女工数 宿 女工数

女 工 数 に対 す る 寄 宿 工 の割 合 昭和11年 793,768 496,482 62.5 53,862 1,050 1.9%

同12年 807,361 490,444 so.5 72,859 1,137 1.6

同13年 768,091 491,586 64.0 106,050 1,765 1.

(出所)厚 生 省 労 働 局 調

谷 野 セ ツ前 掲 報 告9頁 。

この こ とは、 繊 維 産 業 で は、 農 村 出身 の 出稼 労働 者 で 、 寄 宿 女 工 で あ った の と大 きな違 い で あ る。 谷 野 セ ツ氏 は、 この よ うな変 化 につ いて 、 以 下 の理 由 を

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掲 げて い る。

1.機 械 工 業 の 発 達 が 都 市 中心 に行 わ れ、 地 方 分 散 が 一般 化 され て い な い。

2.農 村 の 青年 女性 労 力 が 大 体 紡 績 産 業 に吸収 され つ くされ て い て、 新 た な 女 性 労力 を急速 に開拓 す るた め には、 これ を都 市 に求 め な けれ ば な らなか っ

た。

3.都 市 で は、 交 換 経 済 の た め 、家 庭 労 力 に余 剰 が あ り、 これ が 急速 に吸 収 され て い った 。

第2節 重化学工業 における女性 労働 問題

1女 性 労働 者 の就 業 状 況

戦 時下 で は、 女 性 労働 者 は、 繊 維 産 業 か ら重化 学工 業 へ と集 中 して きた 。 で

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