William Faulkner : 作品とその技巧
―As I Lay Dying の場合―
藤 井 昌 子
William Faulknerの作品は、 Saga of Southとも言われるように、ほとんどそのすべて が相互間に密接なつながりを持っている。すなわち、その舞台は勿論の事、そこに活躍する人.
物の問にも多かれ少かれ一連のつながりがある事が強く感じられる。その中で比較的独立して 考えられるのが、この!131Lσッ1)y動9なのである。しかしながら、その中心はあるPoor Whiteであり、彼等が育ち佳んでいるのは、例のJeffersonの町から40哩とは離れていない 土地であって、馴染深いDr. Peabody も登場して来る事を思えば、 Faulknerが得意とす一 る南部の土地と、そこに住む人達め生活態度や思想とは、全くかけ離れたものでない事は当然 である。
それはともかく、この作品は、1930年、FaulknerがOxfordの発電所に夜勤として働いて いた頃、抜目夜半から明方の4時頃まで、約数週聞で書上げたものである。一行の訂正もなしに.
発表したものと言われるだけに、その素材をよく使いこなして、揮然とした一つの世界を創造 している。それは歴皮的、あるいは社会的実際を忠実に写し出したものと言うよりは、むしろ、
人間が背負った宿命と、ある一一つの行為から生れ出た必然的な結果とが、複雑にからみ合って 生じる苦しみや迷いを、人知れず堪えしのび克服しつ、、彼岸への微かな希望に生きる人の姿
を画いた魂の物語と言うべきであろう。
1929年出版の71加So㈱4σ%4 加.F%γッはその作成に三年の長年月を要したと言うが、相 接近した作品だけに、構成上、両者相似通ったものがあり、人物相互の関係の取扱にも共通し た点がある。すなわち、・4SエLαyDッ勿9においても、前作と同じく作者は全くその姿を見.
せず、物語中の各人物が各一章を交互に受持ち、独白の形において事態を自然に説明して行く 手法によっている。従って各章の長短は様汝であり、長いものは七、八頁にも及ぶが、僅かに 二三行の短いものもある。語手は血族の七人に第三者達を加えて15人の多きを数え、独白の数 は延べて59にも上っている。71加So吻4伽4飾θ.翫ηよりも形式においては遙かに複雑では、
あるが、同種の系統に属するものと言えるであろう。
Poor Whiteの妻であるAddie Bundrenは今や人生の旅を終えようとして死の床にあ る。Dr. Peabodyも診察をするがもはや手の施しようもなく、彼女も又厳しい生をながらえ.
るよりは、静かに死んで行く事を希望している。Addieの夫Anseは独りよがりで、面倒な
一1一
事:には全然手も出さず、しかも他人の力のみを当にして、 the weak and unsuggestive 1)
と言われるように、無意味な言葉を振廻して生きているに過ぎない。長男のCashは臨終の母 親の為に棺桶作りに余念がない。その弟のDar1は一見風変りに思われているが、その感受性 や想像力、思老母に最も勝れ、家族の者達の心の秘密までも見透している。彼は前作のQuentin
と類を同じくする者と言ってよいであらう。三男のJewelはAddieと牧師Whitfieldとの 子であり、その宿命のためか、家族の速達となんとなく融合しにく、、激し易く直情的な行動 が多く、窃8勿伽・4%卿s におけるChristmasの前身である事を思わせるものがある。その 妹のDewy Dellは近在の若者と特別工な関係にあり、 Addieがかって起ったと同じような肉 体的、精神的に苦しい経験をなめているが、これを徹底的に深く掘下げるだけの知性も感性も
,持合せてはいない。これに、ほとんど白痴に近い末子のVerderman、これ等の家族達がそれ ぞれの能力や性格に応じて背負っている苦しみや迷いの内容が、断片的な独白から次第に明ら
・かにされて来る。やがてAddieは死んで行く。残された家族は、生前の彼女の望を達成させ
.るべく、各人各様の思いを秘めて、Jeffersonの町へと出発する。水火の難をくぐり抜け、生命 の危険に晒されながら、遮二無二Addieの骸を目的地へ運び込もうとする彼等の行動には、
何か運命にっかれた者の足掻を思わせるすさまじさがある。悪夢そのもの〜旅程でCashは再 び骨折、歩行不可能となり、Dar1は発狂、 Jewelは最愛の馬を失い自らもひ・どい火傷を負
う。その上Dewy Dellは一事務員に騙される等、様六な障害や危険に遭遇しながらも、困難 を克服し漸くにして目的を達する。作者は此の過程を描写するにあたり、路傍の第三者につい ての点描を捜入して、一一族の異常な真剣さと切迫した室気とを、その対照の妙によって巧に写
し出している。
一読して我汝は、終始してAddieが一臨終のAddieは勿論の事、その死後においても一一 批の物語を支配している事に気付く。従ってAddieの章は全篇を通じて唯一章、頁にして僅
に7頁あるに過ぎないのであるが、此の章の果す役割は実に大きいと言わねばならない。
Addieは真実に「生きる」事を希い求め才こ。彼女の父はよく The reason for living was to get ready to stay a long time. 2)と言っ1にが、彼女にはそれが真であるとは考 えられなかった。万9玩勿加9πs≠におけるMiss Burdenや丁加So観4伽4渉加F%ηに
:おけるQnentinのようには、素直に父の言葉をそのま、彼女自らの信条とする事は出来なか ったのである。若き日の彼女には、人間がお互に、自分の秘密や利己心を胸に秘しながら、相互に 何の疎通も接触もなく、同種の血が流れている事を認め合うこともしないで、外面、穏に平和に 過して死んで行く事が、真に「生きる」事とは考えられなかった。「生きる」事を求めて奔流す る血の力を自分一人の中に閉込めておく事は出来なかった。彼女は何を求め、又何処に行着く 1)Irving Malin 3 William Fau肱ner p・2
2)William Faulkner:As I Lay Dying p。461
べきかもよく知らなかったのであるが、彼女自身の中にたぎりたっ血を抑える事は出来なかっ た。やがて彼女は、自らの「孤独」の殻を打破ってこそ「生きる」道も開かれるであろうと結 論した。かくて彼女は、弱く自主性を持たぬAnseとも知らず結婚した。しかしその結果は、
生きる事とは、辛くも又厳しいものであると言う事実を認める事に他ならなかった。 When r know that I had Cash I know that Iiving was terrible and that was the answer to it. 1)と言っている。彼女はAnseに裏切られた事を知った。否、裏切つたのはAnseであ
ると言うよりは、言葉そのもの、持つ魔力であったと言うべきであろう。真実とは固守の室虚な 言葉がこの世に存在するがために他ならなかった。Anseは下女 :Love と言う言葉を用い たけれども、それは、彼自身の殼を自らの手で打破り、自分も二丁を流す事によってのみ、はじめ て他と融合出来るものだ、と言う恐るべき真剣な内容を持ったものであるとは、想像すら出来な かったのである。Anseと反対にその子Cashは、言葉なくして彼女の「孤独」の殻を打破り、
彼女の一体としての存在となった。 …my aloness had been violated and then made whole again by violation・;time, Anse,16ve, what you wi11,0utside the circle. 2>
と言っている。真実なるもの、前には、もはや 、所謂「言葉」なるものは必要ではなかった。
言葉なしに彼等は通じ合う事が出来た。行為そのものが真の意味を表わす言葉であった。Anse・
はもはや入込む余地を見出し得なかった。ついに、AnseとAddieとの闇に永久に望める 事の出来ない溝が生じて了つたのである。このように全然期待もされない時に、生まれ出たの がDar1であった。彼女はDarlをCashと同じように、万字通り血肉を分ち合う者として
受取る事が出来なかった。Dar1は自分のものと言うよりは、むしろAnseのものとして考え
才こカ〉つナこ。
牧師Whitfieldとの出会いこそは、「言葉」とその言葉の持つ「意味」とが同一のものであ る事を、この世で確認し得る唯一の機会であると考えた。これこそ行為即言葉、言葉即行為の 世界を実現するものであると信じた。彼女は「生きる」と言う言葉の意味を身をもって体得し たのだと確信した。彼女の場合 Love が真に生きる事を意味するものであるならば、生き る事とはとりもなおさず、 Sin を犯す事であった。 :Love も Sin もともに生きる 為の激しい力を内包するものであった。彼女は Love と言う言葉が真に意味するものを・
行為によって学び得たと思った。かくて彼女はJewe1を生んだ。 Jewe1は彼女の生命の炎で一 あり激情の子であった。すなわち、生命をかけた行為の代償であっナこ。しかしWhilfieldは言 葉を利己的に利用して悔いない卑しむべき人物であった。彼女は結果として、又しても言葉の 持つ魔力によって裏切られた。しかし彼女は、この体験によって生きる事とは何であるかを学 びとった。生きる力の激しさを真に体験したものこそ、静に死を迎える準備のための生活が出 来るのだと言うことを知った。長い遍歴の後、彼女は父の言葉の正しい事を、彼女自身の行為 DWilliam Faulkner:op. cit・p.463
2) Ibid. P.464
一3一
を通して確認せざるを得なかったのである。彼女は、自らの行為の責任をとって、他を責める
・:事をしなかった。彼女はより大きなもの、 Design に素直に従う事の尊さを知った。その意 味でJewelは彼女の Cross であり、又同時に Salvation ,でもあった。その後の生活、
すなわちDewy Dellを生んだのも、Verdermanを生んだのも、すべてAnseの為であり、
その後の彼女の忍従の生活は、悉く、彼女が自ら学取つに事の意味を、行為によって表わした のであり、死への準備に他ならなかった。MalinがAddieについて、
Indeed Faulkner means to suggest by his title that Addie not only is on her deathbed as the novel opens, but in a symbolic sense, h裂s been there since the time Darl and her conscious design were born 1)
と言っているが、彼女の一生は生きると言う事の探究と、それの意味するところのものを実践 しようとする努力に終始したのである。そしてこの人生の問題、その生き方、言葉とそれを裏 づける真実こそ、此の話の主題であり、又それ等は、彼女の子供達に課せられた問題でもあっ た。すなわち、多かれ少かれ彼女の分身である子供達は、このような歴史を持つAddieの「埋 葬」という共通な課題の下に、それぞれの能力に応じて人生を受取って行くのである。
大まかに分けて、この物語はAddieの臨終迄と、 Jeffersonへの出発から埋葬迄、そして、
その結び、との三つに分けられるのであるが、その中心は何と言ってもJeffersonへの族程 であろう。濁流を渡ろうとして彼等が遭遇した水難と、発狂したDar1の放火による火事騒 ぎがそのclimaxであり、すべてを巻込む大州の中心と言い得るであろう。この水火の試錬の 中央にAddieの章が配置されている事は注目に価する。更にこれは物語全体の約三分の二の ところにある。すなわち、Addieの遺族達相互間の関係、為人、問題等が漸くはっきりしては 来たものの、まだ根本的に不明な点が残されている。それがAddieと言う深奥部からの照明 によって、その全貌を現わして来るのである。このAddieの書こそ、正に過去と現在との結合 点を丸形っている。FaulknerがAddieの章の持つ意味と効果を考えて、周到にこの一点 を選んだことがうかがわれる。この物語の全重量をかける一点を求めるならば、こ、を除いて はあり得ないと思われる。丁加30㈱4伽4彦加F僻ッカ∫四枚の重ね写真的手法により、効果 胸に写出され忙とするならば、これはAddieを中心点として円形に並んだ各点から、申心に
向け発せられる光と、Addieから四方に投げられる強力な照明との交錯により、立体的に写出 されたものと言ってもよいであろう。
Addieの子供達は、大なり少なり、その出生の動機に深いつながりある宿命を背負い、それ ぞれの個性と能力に応じて人生を受取って行くのであるが、この申でCashは重要な役割を演 じている。
D 1.Malin:op cit. p.3
全篇を通じてCashの章は、 Dar1のそれに比べて極めて少く、僅に五ケ所であるが、作品 の中にキδ1ラζこれ等の位置は極めて意味深いものがある。Cashの章の第一は、Addieが息を引
.取って後、漸くにして棺が完成し才こところ、それは箇条書であるが棺は如何にあるべきかを誠意 をもつて、しかも合理的に考え、これに基き忠実に作られた事がうかがわれる。その前のDarl の書との対照により彼の人柄の一端がよく表わされている。:第二のそれは、納棺を終えた出発
』直前の場である。僅に3行足らずの短文ではあるが、棺の運搬に細心の注意を配りAddieへ の思遣りが泌み出ている。第三の場はJeffersonへの途中水火の試錬に会い、彼自身も又重傷 を受けた直後である。第四は埋葬の重責を果し、Darlを病院に送った後の場面であり、この 一章において Cashは、はじめて人聞に対する深い理解と洞察と正しい判断力とを示し、驚くべ
き能弁さで事件の結末とその深い意味を述べている。彼の人聞的飛躍を物語る感動的な章で ある。第五のそれは、この物語の最後であり、第四のそれほど能弁ではないにしても、直載的に しかも、すべての人物に対して同情と暖い理解を示しており、運命に堪え生き抜こうとする静
かにして毅然たる覚悟と、漠として暗汝たる未来が想像されるにもか〜わらず、微かな希望と 誠実とをもって立ち向うであろう姿を想像させ、真に美しい結びの書となっている。こうして 一見ると、数少いCashの章はすべて、最も重要なる事件かあるいは一つの仕事が一応完了した
ところを占めている。Cashにそれ等を締括り意味を読取る役を与える為に、作者は細心の注 一意を払い最も適した効果的な場所を用意したものと想像出来る。
こ、において、更に全篇を通して、Cashが如何に取扱われているかを検討してみたい。
第一章のDar1の章から最後の結びの章に至るまで、一貫して登場しているのは彼だけである。
既に第一章を過ぎるか過ぎぬあ才こりから、 1(Dar1)pass him and mount the path,
}beginning to hear Cash s saw. 1)あるいは:又、 Igo on the house followed by the
℃huck chuck chuck of the adze. 2)とあるように、発言者ではないにしても、彼の弛まぬ 棺作りの仕事ぶりが音によってまつ巧に伝えられる。あるいはヌ.、 We can hear the saw in the board. It comes like snoring. 3)あるいは Icould hear Cash sawing for
:miles before I got there. 4)と言ったように、臨終の場を語るあらゆる人六により意識さ れ、ある者はこれを頼もしと思い、ある者はこれに心掻き乱され、又ある者はこれに腹立たし
さを感じさせられると言う風に、その受取り:方は異るけれども、無言の彼の存在が大きく全体 を支配し、彼の仕事の進渉の程度が出発準備の基盤となっている。それはAddieがCashの出
.生に関して述べているように、彼は言葉禰きに、唯、行為を通してAddieの死を見守っている
DW. Faulkner=OP. cit.
2) Ibid.
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