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戦略の3要件と活動理論

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戦略の3要件と活動理論

林     徹

Abstract

Is business management science or art?To answer this big question, we apply such concepts as Mishina's three strategic factors for success in the long term, Vygotsky's activity theory, and Engestrom's knot- working, to the history of E.YAZAWA, who is well-known as entertain- er, rock musician, and self-producer in Japan. As a result, we extract some theoretical problems in order to describe his own business strategy by E.YAZAWA consistently, while admitting some contribu- tions of those factors, concepts, and theories as necessary conditions.

Instead, we introduce other psychological factors, i.e.,passion, persis- tence, and sense as sufficient conditions so as to connect them al- together logically.

Keywords:three strategic factors for success in the long run, activity theory, E.YAZAWA

目次

三品による3要件 (1) 3要件 (2) 適用 (3) 考察

ヴィゴツキーによる活動理論 (1) 活動理論

(2) 適用 (3) 考察 結語

(2)

1 序

経営管理(

business management

)は,サイエンスかそれともアートか。

古くて新しいテーマである。安定的な収益源を維持しながら,長期的にはそ れを打破するような新しい収益源を産み出すかまたは確保する。常に失敗と 向き合い,また成功に安住しない。外界への適応をしつつ,かつ適応可能性 を保持する。そのような逆説的な営為の継続こそが,経営管理の本質である。

理論的には,これまでに,ブリコラージュとしてのインターフェイスの編 集(L áevi

-Strauss

,1962;

Simon

,1996),分化と統合(

Lawrence and Lorsch

,1969),柔軟性と安定性(

Weick

,1969,1979; 岸田,1985),公式 と非公式の関係から織りなされる機微(

Jelinek and Schoonhoven

,1990) などが指摘されてきた。

音楽業界で言えば,ヒット作という一輪の花をうまく咲かせ,それを効果 的に魅せつつ,にもかかわらずその花を自ら追い出すようにして別の次の花 を創作する。この繰り返しである。それにかかる費用は常に,過去の花,す なわちヒット作から捻出される。その費用がなければ,すなわちヒット作が 途絶えればそれでおしまい。ちょうど,終わりなきマラソンを走り続ける,

そんなイメージである。

われわれは,「ザ・ビートルズ」における具体的なメンバー構成の変遷

(林,2006),また「キャロル」におけるそれ(林,2005)に注目し,それ らを理論的に考察し,組織の重心という概念を浮き彫りにしようと試みた。

そこで,矢沢永吉の事業構想とその後の展開,すなわち矢沢永吉の経営戦略 がザ・ビートルズの成功例から影響を受けていること(矢沢,1978),その ことが分析に値すると指摘した。

キャロル解散後にソロ・デビューし,瞬く間に長者番付に名を馳せ,デビ ュー後40年近くを経ていまなお現役の彼は,自著『成りあがり』のタイトル の通り,極貧の幼少期から出発し,日本のロック音楽業界を代表するエンター

(3)

テイナーの1人としてその夢を実現した。しかし,いわゆる一発屋ではない。

揺るぎない独自の理念を抱き,常に長期的な視点から地に足をつけた構想に 基づいて,世界中からスタッフを招聘してメンバーを組み替えながら,自ら のステージを演出し続けている。

多くのいわゆるアイドルは,案内人に導かれるままに身を任せる。ところ が,矢沢は,ここがきわめて重要な点であるが,幸か不幸かそのような安易 な路線に乗ることができなかった。その代わりに,日本の伝統的な音楽業界 と対峙し,ライヴ,CD(ないしレコード),DVD(ないしビデオテープ) これら3本の柱とファミリーを大切にし続けるという道を選んだ。そうする ことで業界の伝統とは一線を画している。矢沢は,作曲家として,エンター テイナーとして,またプロデューサーとして,アーティストであることは間 違いない。にもかかわらず,自らの著作権・肖像権を他人任せにせず,自ら 大胆な交渉と慎重な契約ができる経営者でもありまた管理者でもある。

以上が,本稿の背景である。矢沢永吉の事例は,言うまでもなく個別特殊 事例(

March, Sproull and Tamuz

,1991)である。しかし,そのような事例 から導かれる知見には迫力があるのみならず,因果,文脈依存,包括,関与,

成功,これら5つの面から現実的にも有用である(楠,2009)

こうして,以下では,第1に,三品による経営戦略の3要件を紹介し,そ れを矢沢永吉の例にあてはめて解釈し,3要件の有効性と問題点について検 討する。第2に,ヴィゴツキーによる活動理論とエンゲストロームによるノ ット・ワーキング,拡張的学習を紹介し,それらを矢沢永吉の例にあてはめ て解釈し,それらの意義と問題点について検討する。第3に,三品による3 要件と活動理論の関係について議論し,理論的な課題を展望する。

2 三品による3要件 (1) 3要件

(4)

三品によれば,戦略とは,頂に座する人に宿るものである(2006,102頁) その実体とは,無秩序にやってくる,1つ1つは小さな判断の,長い期間に わたる積み重ねにほかならない(2004,165頁)。それゆえに,事後的に浮か び上がるものであって,事前に鎮座するものではない(2004,167頁)

ここで,頂に座する人とは,伝統的な戦略論あるいは意思決定論における トップその人のことである。よって,戦略に関する社会システム論的アプロー チ(

e

.

g

.,

Guth

,1976)における政治的連合は捨象されると解釈できる。

なぜか。

三品によるGE社の分析によれば,

CEO

ウェルチ以外の人間は,GEを 出るか,とことんウェルチについていくか,どちらかを選ぶしか選択肢はな い。それで残る人間は,ウェルチを支えると腹に決めた人間だけとなる(三 品,2005,262頁)。ウェルチを中心とするこのような人たちから構成される GE社は,小平波平を中心とする当時の日立製作所,あるいはその後の同社

(岡本,1979)と次の点で共通している。

船頭多くして船山に登る。すなわち,頂が複数存在する状態は共倒れを招 くという考えである。このような企業組織観を前提に,頂に座する人という 表現を受け止めるべきと思われる。それを裏付けるように,三品は,以下の ように構造の役割を小さく評価する一方で,人事面をいちじるしく強調して いる。

「いくらよくできた組織(構造)でも,それが機能するかどうかは,誰が それを率いるかに依存する。逆に秀でた人間が率いれば,できの悪い組織

(構造)もなんとか機能する。組織(構造)は人に従うのである。誰がなん といっても,組織(構造)そのものは仕事をしない。仕事をするのは,あく まで人である。組織(構造)をいじる暇があれば,人を鍛えたほうが早い。

経営成果は,最終的に組織(構造)の長を超えて大きくなるものではない。

(三品,2005,253‑254頁,括弧は引用者による)

戦略と組織に関するこのような考え方に基づいて,三品は,経営戦略の3

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要件を提示している。すなわち,非合理性(理外の理),非可分性(全体と 部分の間を往来する経営者の存在),非可逆性(後戻りできない拘束の下で の経営者の関与),これらである(三品,2004,193‑223頁)

以下では,この3要件を矢沢永吉の例に適用して説明する。主な文献とし て,『暴力青春』,『成りあがり』,『アー・ユー・ハッピー』,『イチロー×矢 沢永吉:英雄伝説』を用いて再構成している。また,糸井重里によるウェブ サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』(

http

://

www

.1101.

com

/

home

.

html

),

NHK

テレビ『

YOU

WOWWOW

,ニッポン放送『オールナイトニッポン』 などにおいて矢沢が出演したいくつかのライブやトーク番組で発言してきた 内容についても,この記述に反映されている。

(2) 適用

非合理性(理外の理)について

これは2段階に分けて適用するべきである。まず,日本の現実社会におい てプロとして音楽業界に従事しようとすることは昔も今もどちらかと言えば 特殊な進路である。子の安定した人生設計を希望する立場からみて,それを 理にかなっていると受け止める保護者もまた,少なくとも高度成長時代まで は,一般的ではなかった。

次に,音楽産業に従事するという前提に立つとしても,それがクラシック 演奏者,オペラ歌手,邦楽奏者などの伝統的なジャンルであるなら,あるい はフォーク,ラップ,レゲエなどの流行に乗るというのなら,ある程度は理 にかなっているのかもしれない。しかし,市民権を得ていないような新しい ジャンルでの勝負,しかも先行する業界案内人に導かれずに,となると,こ れはきわめて異端である。

矢沢は,中学生時代にラジオのヒット・ポップスに関心を寄せ,クラスメー トが持つエレキ・ギターをいじることから始まり,高校進学後,音楽,発声,

声楽に関する本から独学で学び,ザ・ビートルズを目標にしてオリジナル曲

(6)

を作り始めた。

そのような矢沢の中学・高校生活を支えていたのは,家での2人暮らしの 相手,すなわち父方の祖母であった。父,永一は,原爆の後遺症から永吉が 小学2年のときに他界していたし,母は蒸発していた。永吉には,永一の前 妻との間の子,すなわち異母兄姉が存在していたが,ともに原爆で亡くなっ ていた。したがって,中高生時代の矢沢は経済的には不自由であっても,所 謂後継ぎ問題などによる制約はなく,自身の将来の人生を自由に描くことが できた。大学へ行けとか就職せよとか,進路に関して口うるさい存在は何も なかった。

祖母との2人暮らしという経済的にきわめて過酷な現実それ自体が,プ ロ・ミュージシャンを目指すという「理外の理」を許す環境であった。さら に,他の親戚たちは,そのような矢沢を支援するどころか,祖母がなけなし の金で矢沢に与えたドラム・セットを勝手に処分するなどして,矢沢の足を 引っ張ろうとしていた。こうして,十代の矢沢は三品が言う意味での「理」

から余儀なく引き離されたのである。

ヤマト時代,ロックで生計を立てようと志していた矢沢は,いわゆるフォー ク・ブームという時代の流行に晒され,バンド仲間を次々に失い,重大な転 機を迎える。そこにおける「理外の理」とは,第2段階のそれを指している。

すなわち,辞めるか,続けるか,その二者選択である。「理」にしたがえば,

たとえ一時であってもフォークに宗旨替えをするか,あるいは他の業界に転 じることで,妻子を経済的に困らせない道を選ぶはずである。

ところが,矢沢自身はその「理」に傾いていたにもかかわらず,妻が「理 外の理」すなわちロックを続けるように矢沢を諭したのである。妻子の安心 のためにベストを尽くすという伝統的な考えからすれば,自らの生計を犠牲 にしてまで,夫の夢の実現に協力する妻は貴重な存在である。

キャロル解散ツアー前,矢沢は

E

.

YAZAWA

としてのソロ・アルバム制 作の準備に着手した。問題はその中身にある。ザ・ベースから,イー・セッ

(7)

ト,ヤマトを経てキャロルに至るまで,ベーシストとして,またシンガーと してその名を馳せてきたわけであるから,ファンやスタッフからみれば,ソ ロ・デビュー後もロックを継続することが「理」であるはずである。矢沢は,

そこにあえてバラードを加えた。元キャロルという冠を外させるため,また ロック以外をもこなせる新しいエンターテイナーへと脱皮するために,矢沢 は大きく舵を切った。したがって,それはファンにとってもスタッフにとっ ても「理外の理」と位置づけられる針路であった。

こうしてソロ・デビュー後,瞬く間にして1977年度以降の長者番付にその 名を轟かせた矢沢は,さらなる「理外の理」を追求する。それまでの日本人 だけを中心とするバックのスタッフを替えるべく,自らの足で外国人スタッ フを模索するとともに,それまでの自身のメロディーに新しい何かを加える ために渡米したのである。

ひとたび成りあがった者は,慢心することで瞬く間に凋落するというのが 歴史の教えるところである。けれども,矢沢は浮かれることはなかった。

非可分性について

矢沢は,自身のプロとしての生き方について,「屋台の焼酎も,銀座の高 価なドンペリも,両方を知らない男にはなりたくない。」と端的に述べてい る。独自の構想に基づくスタッフ編成,ライブ演出,作曲,レコーディング など,仕事に打ち込んでどれだけ疲れていても冷たいビール一杯があれば,

精神的・肉体的な報酬としてはそれで十分である。しかし,エンターテイナー としての制作費に欠かせないから,いかなる契約においても,金銭的な報酬 面では絶対に譲歩しない,と。

営業面でも管理面でも,事務所任せ,マネジャー任せにしないで,実際に 演じるエンターテイナーとしての面と,その陰で自らを構想・演出するマネ ジャーとしての面,それらを常に兼ね備えている。ドンペリだけの生活では 地から足が離れてしまうし,焼酎だけの生活では夢を画に描くだけになって

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しまう。自らが両端の間をアップ・アンド・ダウンして往来するなかで,そ の位置を確かめ続けているのである。

このような非可分性は必ずしも先天的なものではない。少年期における苦 労はもとより,キャロル時代において圧倒的に不利な条件で事務所と契約さ せられたことや,ソロになって身近なマネジャーに裏切られたことなどの他 方で,ポール・マッカートニーらによる著作権の自己管理に対して強い関心 をもっていたことなどがその背景にある。

よく知られているように,中島みゆき,松任谷由実,井上陽水などと同様 に,日本の伝統的な音楽業界とは一線を画してきた矢沢は,CF,映画,テ レビの音楽番組など,自身のアルバムとライブ以外に関しては,頑なに拒み 続けていた。ところが,一定の経済的成功後,それら以外のことを経験して ゆく。遊び感覚を大切にするという意図の下に,CFや映画などの仕事を受 け入れて挑戦するようになったのである。執拗に口説かれたことも一因であ ると矢沢は述懐しているけれども,演出家としての視点から,本業以外への 関与が,エンターテイナーとしての矢沢にどんな意味が加わるかを慎重に考 えた上での選択であったに違いない。この点,

This is the Song for Coca- Cola

を事例として,著名な広告代理店を巻き込んだ芸能界と矢沢との駆け 引きに関する詳細な分析(塩沢,1981)と符合する。

こうして,マネジャーと歌手,という音楽業界における因習的な分業に安 易に乗るのではなく,冷静なマネジャーとして,大胆なプロデューサーとし て,情熱的なロック・シンガーとして,矢沢は,そのすべてを単独で演じて いるという意味で,非可分性そのものであると言える。

非可逆性について

小学2年から高校卒業までを祖母と広島で過ごし,赤貧から脱出するため に大志を抱いて,矢沢は夜汽車で東へ向かった。その出発時に,不要不急の 盲腸の手術をしてもらえるように強引に願い出たことは,その覚悟が中途半

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端なものではなかったという証拠である。

同じ18歳が,親からの仕送りにより,生活費や授業料などの面で経済的な 苦労を経験しないまま,しかも卒業後の進路も白紙の状態で,大学へ入学す るために悠然と都会へ引っ越すのとは,きわめて対照的である。仕事で失敗 しても親元へ帰ればどうにかなるとか,友人知人にヘルプを求めればどうに かなるとか,そのような助けとなる人脈や資産が,矢沢にはまったくなかっ た。ひとたび広島を離れたら,自力で生きるか,野垂れ死ぬか,いずれかし かなかった。成功の保証もなければ,失敗の保障もない。

18歳。未成年が,人的担保も物的担保もなしに,経済的な自立の基盤を確 立するということはどれほどの苦難であろうか。アイアコッカ(

Iacocca

1984)によれば,それは,経験した者でしか知り得ない,精神的・肉体的な 過酷と引き替えに,他の何物にも代え難い,成し遂げたという喜びにある。

フォード1世は実感したかもしれないが,2世には知り得ない感覚である,

と。

矢沢は,広島から上京する途中,横浜で下車し,貼り紙求人広告をみて住 み込みで3食付きのアルバイトを始めた。バー,レストラン,麻雀荘,とい う雑居ビルの地下から2階までを12時間交代で駆け回り,働いた。しかし,

「何のために,オレは横浜にいるんだ。バイトしに来たのか。そうじゃない。

シンガーになるんだ。スーパースターになるんじゃないか。忘れるな永吉。 心の中で,そう自分に言い聞かせていた。

「音楽と出会い,スーパースターになると決めてから,苦労が苦労ではな くなった。苦労がいろいろあって,最後にスーパースターになる。」このよ うに,出発点が過酷であればあるほどのちに美しい画になる。苦労を他人の 所為にせず,矢沢は,そういう人生を構想して,演出し始めたのである。ち ょうど演歌の世界において長年の苦労の後に脚光を浴びた者が,苦節15年20 年などと評されるのと同様に,どんなプロの世界においても,部外者には見 えなくても本人には見える一筋の光の下で,途中で投げ出すことなく下積み

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を続ける度胸と根性,情熱と粘り強さがなければ,大成することはできない。

こうした過酷な生活に耐えながら,矢沢は,蛸部屋でコツコツと作曲を積 み重ね,こう決断する。それまでのアルバイトを辞めて,東芝本社へ自身の 曲を自ら売り込みに上京する,と。この順序こそが非可逆性の証左である。

卑怯な逃げ道や,失敗のときのための担保はどこにもない。先に退路を断っ て,その後に正々堂々と勝負する。これである。

不本意ながらそれを却下され,別のアルバイト生活を余儀なく送ることと なった矢沢は,バンド活動を開始する。ザ・ベース,イーセット,ヤマト。

それらのバンドにおいて,矢沢以外のメンバーは次々に入れ替わっていった。

というのは,矢沢は非可逆的な道をひたすら突き進んでいるのに対して,他 のメンバーはいずれも学生または勤め人であり,バンドを生きる糧としてで はなく,趣味として位置づけていたからにほかならない(林,2005)

矢沢のこうした姿勢は,ソロ・デビュー後の国内外でのライブ・ステージ やレコーディングに対して,ぶれることなく貫かれている。

(3) 考察

以上の通り,三品の3要件,すなわち,非合理性,非可分性,非可逆性,

これらを矢沢の例に適用しながら解釈した。ここで,矢沢の経営戦略を説明 する際に,これらに加えて取りあげるべきと思われる要因を3つ指摘する。

それは,経済的成功に対する「執念」,純粋な音楽家・芸術家としてのひた むきな「情熱」と,それらに隠れがちな,職業適性と事業に対する「センス」

である。

執念と情念については,非可逆性に含まれるという解釈もありうる。しか し,挫折と挑戦を繰り返すなかで徐々に精神的な傷を負い,それでもなお非 可逆的な道を選ぶということは,たまたま結果的に1つの方向を目指し続け ていたというのとは,事情が異なる。この点については活動理論の視点から 後述する。ここで取りあげるのは,センスである。

(11)

三品(2004)によれば,売上重視の漸進的改善だけに留まることなく,適 切な転地を大胆に繰り返して,企業の長期的な存続を図ることが経営職の本 質である。その立場からみれば,その時その時によって非情なやり方でメン バーを入れ替え,米国や英国などへの渡航を繰り返すなかで楽曲の幅を拡げ,

ステージでの演出に最新技術を採り入れるなどしていった矢沢による経営戦 略の展開をうまく説明できる。

しかし,ロックからスロー・バラードへの拡大はともかくとしても,クラ シックやオペラとのジョイントないし融合は,それまでの音楽ジャンルの常 識を覆す新機軸である。そのような「遊び」(

technology of foolishness

;

March

,1976)は,専門分野における知識と経験の積み重ねから論理必然的 に導かれるものではない。

一定の成功を収めていたがゆえに新たな境地へ挑戦する経済的な余裕があ った。であるからこそ,ほんの軽い気持ち(遊び)で乗り出した。なるほど そうみることもできる。けれども,かりにそうであるなら,そもそも高校卒 業後にプロ・ミュージシャンとしての成功を夢見て上京したことそれ自体も また,それと同様の「遊び」によるものということになってしまう。

したがって,あのチャップリンや小林秀雄と同じように(齋藤,2003),

矢沢は,職業適性に対する自己分析をけっして疎かにせず,作曲という不断 の努力を通じて独自のセンスを磨き続け,自信につなげていった。このよう に解釈すると,自身の職業適性を常に命がけで見極めることと,それに対し て情熱と執念を注ぐことは,表裏一体のことであるように思われる。他の誰 かに敷かれたレールに沿って導かれる受け身の人生とは異なり,自らの職業 適性に合致する境地を選択あるいは開拓してそれに向かって邁進するという ことは,それ以外の道を捨てたという不可逆性を意味している。もし情熱と 執念を帯びていなければ,そのことは,他にも生きる道があるであろうとい う楽観,すなわち職業適性を必ずしも熟慮する必要がないという経済的心理 的背景を意味している。

(12)

職業適性を常に命がけで見極めているか否かは,スラッター(

Slatter

1984)によれば,業績悪化の兆しが意識されぬまま危機段階へとどんどん進 展することによってはじめて,明らかになる。実際,米倉(2003)によれば,

「外から見えないように失敗を隠蔽している」「いつまでたっても失敗を認 めない」,「何もしないから失敗のしようがない」,これら3つの失敗のいず れかが試金石である。とくに3番目の失敗は,逆説的な営為としての経営管 理,すなわち三品が言う経営職の本質とは相容れないように思われる。

こうして,自らの職業適性を常に命がけで見極めるという努力は,事業に 対するセンスと同義であると言える。テイラーによれば,いくら芸術的才能 があっても,自らの職業としてそれに本格的に取り組む気がなければ,現実 の世界ではそれは二流であるし,また,気合いだけが空回りして職業適性を 冷静に見極める努力を怠れば,それもまた二流である(

Taylor

,1916)

三品の3要件と,情熱・執念との関係については,ヴィゴツキーによる活 動理論から矢沢の例を解釈した後に,あらためて考察することにする。ここ では,企業の存続または発展にとって,経営戦略に関する三品による3要件 は,必要十分条件ではなくて,必要条件にすぎないということの指摘に留め ておく。

3 ヴィゴツキーによる活動理論

(1) 活動理論

以下では,ヴィゴツキーによる活動理論(高取,2004),エンゲストロー ムによるノット・ワーキングと拡張的学習(山住・エンゲストローム,2008;

渥美,2008),順次,それぞれの概要を紹介する。

心理学における伝統的な行動主義では,主体と外部の世界との相互作用,

社会との関係などが捨象されている。状況を切り拓く変革主体としての人間 はそこからは出てこない。これに対してソビエト心理学は,次のように心理

(13)

過程を社会的に把握する。第1に,コミュニケーションは個人的経験の限界 を克服する役割を持つ。第2に,コミュニケーションにおいて伝達される情 報は,当事者の絶えざる認識を経てつくられ,発展する。第3に,コミュニ ケーションは共同的活動にあたる諸個人の共同性の形成を保障する。

わけてもヴィゴツキーによる活動理論は,マルクス流の労働の概念を心理 学に持ち込んだものである。人間は道具を媒介として外界に働きかけて生産 を行う。したがって活動とは,具体的には次のような意味である。人間と対 象との間の関係において,外部の対象とりわけ社会によって人間が規定され,

その過程のなかで主観性すなわち意識が生じる,と。

こうしてヴィゴツキーによる二重刺激法とは次のごとくである。すなわち,

外部から入ってくる刺激(刺激‑対象)に対して働きかけ,人工的な刺激で ある刺激‑手段をつくり出す。この刺激‑手段を媒介として別の刺激‑対象に 対して働きかけ,新たな刺激‑対象をつくり出す。すなわち外界を変化させ る。このようにして人間は,絶えず外界に対して能動的に働きかけている。

次に,ノット・ワーキングと拡張的学習の概要を紹介する。

活動理論的アプローチの特徴は,「制度的文脈」を射程に収めた活動シス テムのモデルによって,「制度的文脈」の分析に基づきながら,その変化や 発達を積極的にデザインすること,これである。いわゆる拡張的(拡張によ る)学習とは,担い手が「現在の実践の中にある矛盾」と直面することを出 発点として,担い手による問題分析を通じて,自分たちの未来をデザインし て実行すること,すなわち具体的な実践を転換すること,そのような拡張的 な文脈における学び合いの手法である。

ノット・ワークやパッチ・ワークによって,主体は予測不可能な何か新し いものを創りながら自らの生活を変化させて発達してゆく。通常,チームは 相対的に固定したメンバーで構成されている。しかし,そうした編成が生ま れては消え,別のかたちで再度現れる,そういう律動が繰り返される形態,

これがノット・ワーキングである。

(14)

それは,実践の現場で即興を交響させる(

improvised orchestration

)か のごとくであり,現場での差し迫った必要から生成されるものである。即興 は,安定した規範が一時的にせよ崩壊した時に始動する。人々がルールを作 っては壊しながら,現場の複数の声に臨機応変に応答していく集合的な振る 舞いが即興であり,しかも活動している間だけが即興である。また,ノット・

ワーキングは人々の束の間の結びつき,つながりであって,そこに固定され た支配的な権限を独占するひとりの人物が存在しているわけではない。それ ゆえに,そこに中心はない。

以下では,前節と同様にして,外界とのコミュニケーションの過程を通じ て状況を切り拓く,あるいは制度的文脈を分析しつつ実践的にその制度を変 化させる主体(活動理論),また,チームの編成とその再編を繰り返す律動 の担い手(ノット・ワーキング)を,矢沢永吉の例に適用して説明する。記 述中,括弧で示された,活動理論,ノット・ワーキング,反ノット・ワーキ ング,拡張的学習,情熱,執念,これらは筆者による解釈である。

(2) 適用

スターを目指して広島から夜汽車で上京するという,ひとりの少年の突飛 にみえる行動。行動主義心理学の立場から,あるいは伝統的な意思決定論か ら,矢沢の大いなる営為のその端緒だけをとってみても,これを単純化して 説明する試みは,ちょうど企業の経営理論の代わりに企業の経済理論を適用 することによって陥るのと同様の(稲葉,2007),重大な誤解のみならず,

無理解をも招く。

矢沢によれば,貧しい家庭環境に育った子は2つの道に分かれる。ひとつ は,いじけて他人を蹴り倒してゆくタイプ。もうひとつは,意地でも自らの 手で何かを掴もうとするタイプである。幸か不幸か,矢沢は後者の道を歩ん でいった。したがって,本来なら,その生涯全般を対象として活動理論を適 用することが妥当である。その前提の下で,以下,3つの局面に絞ることに

(15)

する。

第1に,自身のオリジナル曲の東芝への売り込み,同社からの拒否,その 後,キャロル時代におけるリブ・ヤング出演に至るまでについて。

東芝へ自分の曲を売り込むために(スターへの近道のために)上京したも のの,不本意ながら却下された。しかし,プロへの道を断念することなく,

敢えてスターへの遠回りを選んだ(活動理論,情熱)。その後,横浜・川崎 を拠点として,自らが中心となってバンドを結成し,一部のメンバーを取り 替えたり,解散・再編を繰り返したりしながら,キャロルの結成に辿り着い た(ノット・ワーキング,執念)

ある日曜日の夕方,フジテレビ「リブ・ヤング」という若者向けの音楽番 組で流れた出演者募集案内が,矢沢と大倉の眼に飛び込み,矢沢には内緒で 大倉がハガキで応募した。しかし,局からの回答は不採用であった。これに 対して,大倉はダメで元々という気持ちであったが,矢沢は烈火の如く怒っ た(活動理論,情熱)

その怒りを,矢沢は電話を通じてフジテレビの担当者に叩きつけ,しつこ く噛みついた。実際はトックリ・セーターとジーパンで演奏していたのにも かかわらず,担当者にはリーゼントと革ジャンで横浜で活躍中のロック・バ ンドである,とハッタリを利かせた。その結果,担当者はキャロルのデモン ストレーション・テープに興味を示した。キャロル結成後3ヶ月のことであ った。

テープは2度検討され,2度とも拒否された。しかし,諦めきれない矢沢 がフジテレビに赴いた3度目に担当のディレクターが折れて,会議に諮られ た。最後まで諦めない矢沢の執念が実って出演許可が下りた。大倉と矢沢は 抱き合って喜んだ(拡張的学習,情熱と執念)

第2に,キャロル・デビュー後からソロ・デビューまでについて。

キャロルで有名になり周りにチヤホヤされると,矢沢は,他のメンバーの ように自らに稼ぐ能力が備わっているかのように錯覚したりすることも,流

(16)

されることもなかった。反対に,アーティストを人形のように使おうとする 音楽業界の仕組みを冷静に知ろうとした。

2年契約が相場のところを,キャロルは4年契約をレコード会社と結ばさ れた。その結果,レコード会社の収益とミッキー・カーチスのプロデュース 印税が増えていった。ミック・ジャガー,エルトン・ジョン,ポール・マッ カートニーらに倣い,矢沢は,歌謡界の人形にはなるまいと業界に対して抵 抗し続けた(活動理論,情熱)

したがって矢沢の信条は,ファンに対して浮かれてはならないし媚びても いけない,としつつ,ファンが求めるものが何かを考えつつもそれに没頭す ることなく自分のオリジナリティーを第一に努力を重ねる,というものであ る。

第3に,キャロルの解散時期をめぐる他のメンバーや所属事務所との確執,

CBS

ソニーからワーナー・パイオニアへの移籍に仕組まれていた罠,さら にマネジャーによる裏切りについて。

解散コンサートのツアーをめぐって,矢沢は自身のプロとしての生命をつ なぐために最低でも13本を,他方,キャロルが所属していたプロダクション 会社の社長は打算的な理由で20本を,それぞれ求めた。ところが,他のメン バーは即刻解散を求めた。最終的に11‑12本で決着したとき,矢沢は,メン バーに頭を下げるとともに,その無念と悔しさから,メンバーを許さない,

スーパー・スターになってやる,と心に誓った(活動理論,情熱)。こうし て,解散を決意し,解散コンサートについてメンバーと話し合いながらも,

他方で,矢沢はロサンゼルスでのソロ・アルバム制作の計画に着手していた

(ノット・ワーキング,執念)

自他共に認める一定の成功を収めた後,今度はスーパー・スターとしての さらなる夢,未知の扉としての米国でのデビューを口説き文句にされて,矢 沢は

CBS

ソニーからワーナー・パイオニアへ移籍した(反ノット・ワーキ ング)

(17)

ところが,宣伝をはじめ販売促進活動がなかったために,アルバム『

YA- ZAWA

』は売れるどころか,米国のある州ではジャズ部門に置かれていた。

ワーナーは,矢沢の夢を利用して,米国と日本の同時発売により,米国で売 れなくとも儲かる仕組みを得たわけである。その後,次作『

FLASH IN

JAPAN

』の制作後,矢沢はワーナーを離れ,東芝

EMI

へ移籍した(ノッ

ト・ワーキング,執念)。当時を振り返り,矢沢は,ワーナー時代を自身に とって最低の時代であったかも知れないと意味付けている。

「オレはザ・ビートルズを崇拝していた。ジョンがこうした,ポールがこ うした,というのを本で読んで,権利が大切であることを子ども心に感じ取 り,そのころから,自分の曲は自分で守らなければならない,と思ってきた。

オレには経済とか経営という感覚はなかった。ただ単に,ザ・ビートルズが 好きだ,良い曲を書くなあ,というところから始まり,そのいい曲の管理は 誰がするんだ,というところに興味を持った。(矢沢,2001,142,144頁) 自分で調べた結果,キャラクター・グッズの制作と販売の会社をめぐって,

当時のマネジャーに裏切られたことを矢沢は知った。その後,キャラクター・

グッズ,写真のネガ,肖像権,何もかもを,矢沢は自身の会社で管理するよ うになったのである(ノット・ワーキング,執念)

(3) 考察

以上から,活動理論は情熱と,ノット・ワーキングは執念と,概ねそれぞ れ関連させて解釈を試みた。ここで取り上げたい問題は「反ノット・ワーキ ング」である。

いわば,野性的に,反抗的に,草を掻き分けるようにして道なき道を開拓 しながら,既存の音楽業界と向き合ってきた矢沢。国内で一定の成功を収め た後,さらなる夢として心の片隅にあった未知なる扉,米国市場への進出を 導いてくれるとされる案内人は,彼にとってはちょうど渡りに船のような存 在であった。

(18)

デビューに至るまで数多くのキャバレーから出演を断られ,東芝から門前 払いを喰らい,フジテレビから出演をなかなか認めてもらえず,ようやく華 々しいデビューを遂げたと思いきや不利な契約を結ばされ,幾度も幾度も叩 かれては諦めずに這い上がってきた生き様からみると,ワーナーが介在して 米国進出を手助けした場面は,ノット・ワーキングの概念とは到底相容れな い。それが反ノット・ワーキングと記した所以である。

他の誰かが用意してくれた道に沿って盲従するかの如く歩む人生が,いか に危険で脆いものか。反ノット・ワーキングとは,その言い換えでもある。

ウォルマート社の創業者,サムは次のように述べている。「片田舎の小さな 町で,資金もなく十分な融資も受けられずに始めたために,自ら学び行動せ ざるを得なかったことが,わが社のその後の発展に大いに役立ったのであ る。

Walton

,1992,邦訳,111頁)

ひとかどの成功を収めた後,しかしながら,サムは次のような懸念を吐露 している。

私が時に心配になるのは,やはりウォルトン家の将来の世代だ。彼ら全員 に,早起きをして新聞配達をしろというのは現実的でないし,私が期待でき ることでもない。しかし,私の子孫が「怠惰な金持ち」の部類に堕落するの だけはみたくない(

Walton

,1992,邦訳,149頁),と。

自分がしたのと同じような苦労を自分の子どもに経験させることが,いか に現実に難しいことか。活動理論の限界をここにみてとることができる。

すなわち,経済的な苦境を背景として,何らかのきっかけから具体的な事 業に情熱を傾け,それを動力として状況を切り拓こうとする営為が活動理論 の本質である。けれども,ひとたび経済的な苦境が消失して,不自由な状況 が解消されれば,もはや状況を切り拓く必要もないし,変革への情熱も萎え る。

要するに,活動理論が活動理論たる前提として,経済的あるいは生理的な 意味で,どうしてもじっとしているわけにはいかない状況,すなわち情熱が

(19)

なければならないのである。情熱を伴わない活動は,活動理論における活動 ではない。現実的な矛盾,その認知的不協和(

Festinger

,1957)が執念と なり,人間関係の編成・再編成としての律動の繰り返し,すなわちノット・

ワーキングを推進する。これに対して,矛盾を感じることがない状況下にお ける他人との結びつきは,反ノット・ワーキングである。これをバーナード 流に言うなら,道徳的創造性を伴わない機会主義的な態度,である。

以下,三品による3要件と活動理論の関係について議論する。すなわち,

経営戦略の3要件,非合理性,非可分性,非可逆性,これらと,活動理論に おける活動(ないしノット・ワーキング)の関係である。

先述の通り,活動理論には,その前提として,生理的・精神的に不満な状 況あるいは矛盾を感じる状況がなければならない。不満や矛盾の自覚がすべ ての出発点であり,また以下のように,三品による3要件の独立変数でもあ る。

第1に,非合理性(理外の理)は不満や矛盾の自覚の従属変数である。な ぜなら,不満や矛盾を感じていない状況下において,わざわざその状況を壊 す必然性は存在しないからである。第2に,非可分性も然りである。なぜな ら,他の誰かに任せて分業すればそれによって互いに調整しなければならな くなるため,不満や矛盾(ストレス)の源泉となるからである。第3に,非 可逆性についても同様である。なぜなら,不退転の覚悟を決めなければ,不 満や矛盾が解消されるまでずっと,残りの人生が浪費され続けるであろうと いう不快な現実を受け入れなければならないからである。情熱,執念,すな わち野心は,ここから生じる。

そのように生じる野心に関して,あのアダム・スミス(

Smith

)によれば,

フェア・プレイのルールを守り,胸中の公平な観察者が認めない競争を避け,

「徳への道」と「財産への道」を同時に歩むこと,これが正義感によって制 御された野心である。これのみが,社会の秩序と繁栄をもたらす(堂目,

2008)

(20)

ところが,実際,自己の不満や矛盾を解消するために,一貫しない道への 誘惑に多くの人たちが駆り立てられる。というのは,人は,情緒を中心軸に したいくつかの関係性と,利害や権力を中心軸にしたいくつかの関係性とを 抱えながら,それらの間をいわば「渡り歩く」からである。人は,それらに そのつど適した,またはそぐわない「顔」を見せながら,無意識のうちにそ れらの関係を使い分けて生きている(小浜,2000,73‑74頁)。それが現実で ある。

矢沢の例で言えば,解散に至らずにそのまま仲良くキャロルを続けていた ら,その後の彼の経営戦略は展開しなかったに違いない。実際,キャロルの 将来に背を向けてしまった他のメンバーを一度は慰留してみたものの失敗に 終わり,矢沢はその後これを断念し(過去の柵を断ち),ソロという新しい 扉に向けて情熱を傾けた(未来を切り拓いた)。なぜなら,命がけで自らの 職業適性を見極めようともがいているのが自分しかいなかった,そう冷静に 見極めたからに他ならない。

4 結語

そのような関係の使い分けを,いかに説明すべきであろうか。

矢沢は言う,「負い目をつくらず筋を通せ」と。それこそが,胸中の公平 な観察者が認める競争であり,フェア・プレイであると考えるなら,そのよ うな活動は,バーナードが言う管理的行為の道徳的側面(

Barnard

,1936)

を意味している。

三品は,戦略について,それが頂に座する人に宿るものであり,その実体 が小さな判断の長い期間にわたる積み重ねであり,事後的に浮かび上がるも のであって事前に鎮座するものではない,とした。機会主義的側面ではなく,

管理的行為に関する道徳的側面からみれば,それら3つの特徴のうち前二者 については首尾一貫する。けれども,「事前に鎮座するものではない」とい

(21)

う点については疑問が残る。

というのは,活動理論の前提としての不満や矛盾の自覚なくしては,理論 上,活動は活動たりえず,また,人間関係のすべてが反ノットワーキングと なってしまうからである。経営戦略に関して言えば,不満や矛盾の自覚は事 前に存在せねばならず,けっして事後的に浮かび上がるような付随的な何か ではない。

この点,ミンツバーグ(

Mintzberg

,1987)は,あたかも粘土から何かを 成形する(

crafting

)ごとく,その途中にまたは事後に現れてくる何かを戦 略とみている。けれども,そもそも粘土を捏ねようとする「その気」がなけ れば,何もない。

こうして,戦略の機能にとって野心こそが決定的要因である。三品による 3要件や活動理論における活動やノット・ワーキングは,いずれも,野心と いう独立変数に対して,従属変数であるに過ぎない。他方,大病,不条理な 投獄,経済的不遇・困窮,これら3つのいずれかが偉業を成し遂げた経営者 に共通していると,実務家の間では人口に膾炙する。それゆえに,野心は,

企業の存続や発展からみて,経営戦略に関する十分条件であるといえる。

残された理論的な課題は,不満や矛盾の自覚が,三品による3要件,活動 理論における活動,ノット・ワーキングに繋がってゆく情熱,執念,したが って(事業や職業適性に関するセンスを含む)野心たりうる物的条件,これ である。それはまた,バーナードが分析を避けた(

Barnard

,1938,邦訳,

271頁),個人的心理の一般的かつ究極的な源泉でもある。これにより,勢力 ないし社会的勢力(高田,1940)との理論的な総合が展望される。

それに加えて,矢沢が目指した

E

.

YAZAWA

の道は,矢沢自身から見れ ばぶれることなく一貫した「理」である。この点,三品による非合理性の要 件と矛盾する。この矛盾は,環世界と自然世界が織りなす自然をどう見るか という世界観の問題と通底している。稿を改めて論じることにしたい。

(22)

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参照

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