奈良教育大学学術リポジトリNEAR
日本資本主義経済成立発展過程における地租の前転 に関する一考察
著者 延兼 数之助
雑誌名 奈良学芸大学紀要
巻 9
号 1
ページ 1‑20
発行年 1960‑02‑15
その他のタイトル A Study of Land‑tax Forwardshifting through Farm Prices in the Economic Development of Japan
URL http://hdl.handle.net/10105/4824
おける地租の前転に関する一考察
延 兼 数 之 助
かつて、我が国の資本主義経済が成立し発展するに当って、高率な地租が頼る大きな役割を果 したことは周知の通りである。そうして、かかる地租の高率性については、多くの研究がなされ て来たのであるが、われわれは、我が国の資本主義経済の成立発展の素材的な基礎をなしたもの が、高率な地租という租税であったという事実からして、その財政的機能、特には、租税として の特殊的な原則と機能とを通じて、税負担の関係を見、更に、これを通じて地租の高率性の必然 性と可能性とを見ようとするのである。そうして、本稿はかかる研究の一環として、いわゆる地 租の前転の一場合を通じてまとめたものである。
1.税の前転の意義
一般に租税の狭義における転嫁は、「租税の経済的作用の一部面」であり、「商品又は労務の 価格の変動に現われる作用をいう」のであって、「納税者は健格の変動に因って租税の全部又は 一部を自己の負担たらしめず第三者をして其の全部又は一部を負担せしむるの目的を達すること がある。この場合に於ては租税は其程度に於て転嫁せられる」のであるとせられる。
この意味に於てはそれは要するに「価格の問題である」。従ってそれは「社会における流通経
(】)
済組織を条件とし、自由な価格決定を」前提とする0換言すれば市場経済が発達し、いわゆる市 場の完全性が条件となるのである。そしてその転嫁の程度は経済取引に於ける当事者一売手買手 一問の地位の強弱関係によって規制せられ、いわゆる「最強者の法則」が行われ概して弱者の負 担となる。そして本稿にわれわれが問題とする「地租の米その他の農産物の価格を通じての消費 者への転嫁」はいわゆる税の前転の一の場合であって、前転は、普通には税負担を商品価格の引 上によって買手におちつけようとするのであるが、この場合に於ては、地租の負担を米その他の 農産物の価格にこめて第一、積極的にはそれら産物の価格引上により、第二、消極的にはその価 格の上騰に便乗して、それらの買手、消費者にかわそうとする問題である。従って、この問題 は、米その他の農産物の価格の問題に焦点がしぼられることとなる。農産物の中、最も意義が大
きくしかも特殊的なものは米であるから先づ米を中心に考察を進めることとしよう。
かくて、この問題の焦点は、要するに納税者である米その他の農産物の生産者又は供給者がそ れらの価格に関連して−即ち積極的には価格引上をなし、消極的には価格の変動を利用して−そ の税の負担を、それら農産物の消費者又は需要者に如何ように転帳帰着せしめるかということ である。即ち米価の決定変動が重要な事項となる。更に一方に於てはそれ等の供給者の地位如何 一一地主であるか、自作農であるか、小作農であるか等一によってもまた頗るその態様を異にする
2 日本資本主義経済成立発展過程における地租の前転に関する一考察(延兼)
(2)
ものであろう。結局に於て地租にあっては、消費者への転嫁は多くはあり得ないであろうが、わ
(3)
れわれはこれらについて実証的に考察して行きたいと恩う。
(1)松野賓吾 租税転嫁論1−2頁13頁
セリグマン著・井上文雄訳 租税転嫁論第2部1貢 但)松野賓吾 前掲103貢以下
セリグマン 前掲 69頁
(3)転嫁については拙著 財政学91亘以下参照
2.米価の決定
前に見たように租税の転嫁は一面価格の問題である。従って次に農産物、特に米を中心として その価格の決定、変動についてみることとする。
一般に財の価格を決定する直接の要件は、これに対する需要と供給との関係であって、その需 要の動因をなすものは財の効用であり、その供給を規制する有力な要因は生産費であるといえ
(1)
る。かくてすべての財の市場価格はその時における当該財に対する需要と供給との関係において 決定せられるが、その常に変動する市場価格に対してその正常的基準を与えるものは、生産費で あって、これによって市場価格は常に調節せられるものである。米価の決定についても右と同様 である。即ち市場価格は直接的には市場に於ける需要と供給との遭遇によって、いわゆる供給曲 線と需要曲線の交点に於て決定する。そして米価変動の原因もまたその決定原因の変化のうちに(2)
見出されるであろう。裕博士は、我が国に於ける米価変動の原因を1.価値の変化、2.米価決定 基準となる(最劣等地の)費用価格の変化、3.独占価格の変化、4.市場における米の需要量と供
(3)
給量との変化、5.貨幣価値の変動の5にまとめておられる。そして米価の長期変動にあっては生 産費の影響が強く、短期変動にあっては需要関係が強く作用するのである。従って米価の決定変 動については、先づこれらの諸要因について考究しなければならないが、われわれの当面の問題 は税の転嫁の問題であって、ここでそう深く米価変動の諸要因の考究に入るわけにはいかない。
従って、ここでは、米価の決定変動のうち直接的な要因である米の需給関係を中心として考察を すすめることとしよう。
(1)河田嗣郎 農業経済学 859貫
(2)裕 正夫 米価問題 64頁
(3)裕 正夫 前 掲 110頁以下
3.我が国米穀需給の特殊性
明治期を中心とする我が国の米の需要並に価格について考察をすすめるに当って若干注意すべ き点を要約しておこう。
(1)
第一には一般に農産物にあっては、その供給も需要も弾力性が比較的小であるが、我が国に於 ける米について見るも大体同様であるということである。特に国民生活水準の低いこと、並に食 慣習からそれが国民の主食料をなしている関係よりして、その需要は急激に大幅の増減を見るこ
とは少いであろうし、一方に於ては我が国の農業経営の特色からその供給も亦急激に大幅な増減 はあり得ない0ただ需要との関係に於て相対的に見ればそ、の供給は増減が大きいということがで きる。特に我が国で生産せられ、消貿せられる米は国際的商品としての性格が極めてうすいとい う事実によって右のような事情は一層強化せられるわけである。
以上に関連して米の価格伸緬性の大きいことを注意しなければならない。即ちその需要供給の 変動に応じてその価格変動は極めて敏感であり、大きな変動をもたらすものであって、いわゆる キングの法則に示されるようなうどきを示す傾向が強い。従って供給過剰になれば米価は急落の
(2)
度をまし、不足になれば米価は大幅に騰貴することとなる。
第二には我が国に於ける米生産は、′l\にしては飯米農家を中心とする自家米生産が主目的であ って、商品生産を目的とするものではなく、いわゆる余剰販売とか、窮迫販売という形態を建前
(3)
としているが、大にしては国内需要を充たそうとすることが主な眼目であって、その自給度は相
(:)
当大きかったということができる。尤も米の自給度の大きかったことは国民の生活消費水準が低 く、ために米に対する需要が比較的小であったということもあるが、何れにしても大勢としては 供給は需要を一応充足するという状態を示して来た。勿論天災などのような特別の事情による凶
作の場合には、供給は不足し、価格も急騰することもあったし、又反対に豊作の場合には供給過 剰となり価格は下落するということはあったのであるが。
第三には経済が発達するにつれて財貨の生産と消費は隔離の度を大きくする傾向があるのであ るが、わが国の米の生産及び消費は、共に全国的な地域的普遍性を有し、如何なる地方に於ても 米の生産も消費も、その大小程度は別として、必ず行われるという特長を有するのであるが、そ れにもかかわらずその生産消費の相対的数量においては著しい地方的偏惰性を示し生産地と消費 地とを顕著に対立せしめているということ。しかもこの対立関係は我が国民経済の発展すると共
(51
に、主として人口の集中的発展のためにますます尖鋭化せられてきたのである。
第四には明治期を中心とする我が国の米穀市場はその前期性が強かったということである。
元来「発達した市場とは一つの中心に於て決定せられた一財の価格が通用するところの空間的並 に時間的に制限せられた取引範囲である」が、約言すれば「一物一価の法則」ないし「無差別の
(6)
法則」が行われる範囲が市場であるといえる。そして発達した完全な市場では取引が円滑に公平 に行われ、形成される価格が適正であり、一物一価の法則が完全に行われることとなるのであ る。完全な市場はいわゆる「市場の完全性」の要件として、(1)取引主体の平等性、(2)取引客体の 等質性、(3)取引関係の透明性、㈲価格需給反応の敏感性、(5)余剰(企業利潤ならびに消費者満 足)の極大性、(6)市場参入の自由性などを要求するものであるが、これらの条件が貝備せられな
(7)
ければ市場は不完全である。経済の発達がまだ顕著でないうちは、市場の一つ一つが他の市場か ら孤立していたのであるが、漸次市場経済が発達するにつれて「具体的市場の抽象化傾向」が顕 著となり、市場はより完全となり「一物一価の法則」(叉は「無差別の法則」ともいう)がより 円滑に行われるようになるのである。然るに明治期に於ける我が国の米穀市場は市場構造の上で は、取引主体の不平等性、取引客体の異質性、取引関係の不透明性、更に取引主体の市場行動の 上では、取引価格の反応鈍感性、取引行動の非合理性、市場出入の過度性と拘束性などのような ことがらが相当強度に現れていて、いわゆる市場の完全性の条件が具備せられていなかった。そ の市場前期性が強かったという所以である。従って、かような前期的市場に於てはその生産地相 場と消費地相場と正米市場相場、市場価格と庭先価格、中央市場と地方市場等の相関関係も小さ
く地方的偏差が大きく、また米価の時間的変動の幅も大きく現れるものである。
4 日本資本主義経済成立発展過程における地租の前転に関する一考達(延兼)
第五には米は大量取引乃至投機取引の対象物件としての適格性を高度に有することである。
即ち一般には農産物は工業生産物以上に投機的であるとせられるが、特に米は品質恒常性と代 替性並に価格伸縮性などの経済的特性を高度に具備した大量物産であって、古くから大量取引乃 至投機取引の恰好な対象物件とせられていたのである。
(1)Otto von Mering;The Shifting andIncidence ofTaxation.1942.P48 r2〕裕 正夫 農業経済学原理 254頁
「3)桑畑 精一 日本農業の展開過程 89重 刷 東畑 精一 川野日本の経済と農業101頁 拙 著 日本産業論 184頁,285頁
(5)谷口 吉彦 配給組織の特殊研究113〜178貢 し61福田敬太郎 市 場 論 18貢 r7ノ 福田敬太郎 前 掲 77頁
(8)近藤 康男 日本農業経済論 118頁 福田敬太郎 前 掲 110頁
4.地租改正と農村経済
さて一般的には農村経済はまだ商品経済化が殆んど浸透せず、自然経済の域にあった明治初年 に物納地租から金納地租への転化が全国的規模に於て劃一的に実施せられることとなった。この ことは商品経済、貨幣経済の経験や訓練を経ることなしに多くの農民を商品経済のうずまきの中 にまきこむこととなったのである。地租が金納とせられた結果、農民は彼等の生産物の一大部分 を商品に転化し、価格経済の下に従属しなければならないこととなった。「農民はこの場合、そ の生産物を商品として生産することを得せしめる諸条件なくして商人となり産業者となる」こと(1)
となった。かくて、「地租納付者のすべてが一度必らずその農産物を金に代え貨幣を以て貢納す
(2)
ることとなった為め各地の市場に出廻る農産物、殊に米穀の市場出廻り量が莫大となった」ので ある。地租改正報告書では明治9年の出超量は実に1180万石に達したと推算せられている有様で ある。(3)
このようにして地租金納化に伴い地租納付者である地主や自作農は貨幣経済に接触することと なったのであるが、一方小作料は依然として物納制を踏襲することとなったものが多く維新後も 小作農は地租改正の恩恵に浴することができず、小作料に関する一限り全く貨幣経済の圏外にあっ
て彼等はその農産物の大半を時価に関係なく現物で納入しなければならないという現物経済の道
(4)
を歩まねばならなかった。
かくて地租改正の結果、地租は固定的な金納となったが、併し小作料は定額現物納であったた めに地租納付と農業生産との間に於ける緊密性が失われることとなり、地主、自作農にとって は、農産物の豊凶よりもむしろ米価の騰貴ということがその最大の関心事となるに至ったのであ る。特に地主は農業生産から遊離して小作米販売者にと昇華するに至ったのみならず、更には投
(5)
機的関心を強くもつようになった。
以上に見たように地租改正を契機として、地主、自作農は、直接に商品経済、貨幣経済の中に まきこまれることとなったが、小作農は依然として地租、小作料に関する限り自然経済、現物経 済の域にとどまるに過ぎない有様であった。併し我が国経済の資本主義的発展が漸進すると共に 農村に対して商品経済、貨幣経済が漸次浸透することとなり小作農もまたその生産消費の各方面
に大なり小なりその影響を受けることになったが、特に、小作農にあっては米作生産に於ける商 品化率は次にも見るように必らずLも大きくはなかったのであるが、一方副業的乃至兼業的生産
(6)
部門に於ても商品化が行われることとなるに至った0
従って彼等もまた農産物価格に対して関心を有することとなったのである0即ち米価の騰貴は
し7)
雑穀価の騰貴を伴うを常とし、又原料農産物価格についても関心を有するに至ったのである0併 し小作農中小作料を納付して残米なく、自家の飯米を購入するものが多数にのぼったが、かかる
しく、
場合は穀価の騰貴を喜ばなかったことはいうまでもないことに注意しなければならない。
これを要するに金納地租、現物小作料制度の実施並に商品経済、貨幣経済の農村への浸透は農 産物の商品化を促進せしめることとなったのであるが、われわれは、農産品特に米の商品化並に
その価格変動等に関連して、地主、自作農、小作農の相対的地位について実証的に見ることとし よう。
(1)K.MarxDasKapita13Bd2TeilS346(高畑訳 第3巻下 350頁)
但)小野 武夫 明治前期土地制度史論 215頁
(3)明治前期粛政経済史料集成 第7巻 79頁
(4)小野 武夫 前掲 215頁
(5)小野 武夫 前掲 283頁
栗原 百寿 日本農業の基礎構造164頁
(6)栗原 百寿 前掲 164頁 周 東畑 精一 日本農業の展開過程 48頁
(8)小野 武夫 明治前期土地制度史論286頁
5.農産品の商品化
先づ農産品の商品化であるが、これについては山口和雄教授の研究がある。教授は種々な資料 に基いて(非常に大まかではあるがとことわっておられるが)地租が未だ金納化しない明治初年 に於ける農産物の商品化率の程度は全体で25〜30%であり、その中、米の商品化率は15〜20%で あったとせられる(別表(1)参照)。然るに、大蔵省出納条例の制定を見て、政府の歳入から米が実 際に消え始めた明治9年に於ける市場出超量は地租改正報告書によると、実に1180万石に達した
(1) (男
と推算せられており同年の生産額が2470万石であるから大体に於て米の商品化率は47%強に及ん だと見ても大過なかろう。
その後における資本主義経済の発達に伴い米の消費量も増大し米穀市場の拡大につれて米の商 品化も漸進したのであるが、これを地主、自作、小作別に見れば別表′2)の通りである。これは全 国28ケ村についての斉藤万富氏の調査である。即ち明治23年、33年、41年、44年、大正元年につ いてそれぞれ地主は89%、自作は約−64%、小作は8〜20%を示している。即ち地主においては 小作米の大部分は市場に投ぜられるのであってその絶対額も大きく、その率も相当大きいもので ある。自作、小作に於ては、その絶対額は僅かであり、その商品化率も低いことが知れる。自作 の商品化率が60%以上あるに対して小作は20%以下であるが、しかもなお小作は別表r3月こ示すよ
うに自作よりも麦を多く食って米を売っているのである。即ち余剰販売でなく窮迫販売であるこ とがうかがわれるのである。
次に我が国の生産米総量のうちいくらが商品化していたか、更に地主、小作各層からの販売米
6 日本資本主義経済成立発展過程における地租の前転に関する一考察(延兼)
が総量として当時米穀市場にどのようなウエイトで参加していたか、ということについては資料 の適格なものはなく、いろいろと諸家によって推算が試みられているが、大正末期から昭和の始 めにかけては別表初に見るように生産総数量の半額以上(5・4.7%)が商品として市場に提供せら れたのである。更に当時の総販売米に於ける各層の販売米のウエイトは㈲㈲(6)(7)等の諸表か
ら総販売米3300万石の中地主販売米は37%を、その他が63%を占めており、一方農家総戸数の中 で83%が米作農家であり、その62%が総販売米の84.4%の米を販売し、残余の15.6%が不耕作地 主によって提供せられているのである。更に一戸当りを見れば、不耕作地主では平均26石余、米
作農家では9石余となりそこに著しい相違があるが相当商品化が進んでいたことがわかる。
以上に見た別表牒)における斉藤万吉氏の調査は全国28ケ村についての調査であり、これを以っ て直ちに全国の実態であると断定することは困難であるかも知れないが、更にまた全国総販売米 中に於ける地主農民各層による販売米の占めるウエイトに関する㈲(5)(6)(カ等による推算は大 正末期から昭和初期にかけてのものであって、これを以って直ちに明治期にあてはめることは軽 率の感があるが、併し以上両方面からの調査並に山口教授の研究、地租改正報告書の推算等を基 礎として、明治大正期を通じて大体に於て我が国の生産米のうち、その半量が販売米として市場 に提供せられていたことが知られる。その総販売米のうち、小作米による不耕作地主販売量がい くらを占めていたかばはっきりしないが、多数の小作農家が総販売米の大きな部分を供給してい たことは容易に推定することができる。同時に一戸当りとして地主は大量を、その他は小量を販 売することとなる。しかも後者にあっては「窮迫販売」が多いことを注意しなければならない。
次に米の季節的供給、換言すれば、米の販売の時期について見れば別表(5)に示す通りである。
別表(5)は大正末期から昭和初期にかけてのものであるが、年間の販売高の月別割合を見ると一般 に収穫直後の前年11月から翌年1月にわたる期間に於て現金需要のために収穫米の半額近くまで が売り払われるのであるが、併し、米作者にあっては出来秋の値下り期に不利と知りつつもさし せまった現金需要のために収穫直後にこれを売ろうとして、その産米の半ば以上を収穫直後の3
ケ月間に売り、地主は年間平均売をする傾向が強く値下り期を見送って端境の値上期に売るべき 米を22%も残すのに反して、米作者は16%を残すに過ぎない。この傾向は明治大正期を通じてよ
り強かったことも推定して差支えあるまい。
さて米を生産する農家は一方に於ては米の販売者、供給者であるが、一方に於ては米の購入者 需要者であって、別表(8)に示すように米作農家の約半数近く、農家総戸数の40%が国内で販売せ られる米の17.6%を購入消費しているのである。このうちには相当大量ないわゆる買庚米もふく まれるが、さきに見た目作小作の米作農の一戸当り販売高が9石5斗であったに対して購売高は 3石3斗4升であって販売高の約3分の1をこえている有様である。しかもその年間需要即ち購 売月別割合を見れば、別表(9)に見るように収穫直後からすでに早くも米貫がはじまり、値上り期 である端境期に近づくにつれて多くなるのである。そして米作収入に依存する程度が高い農家程 この傾向が顕著である。即ち彼等は窮迫農家として飯米を手放し、飯米を買うというかたちで米 穀市場にまきこまれていたのであるが、かかる傾向は購買現金の手持が大正末期から昭和初期に
かけてよりも少かったに相違ない明治期において程度こそいくらか小さくはあっても引続いて存 在していたと考えられる。
(1)明治前期財政経済史料集成 第7巻 79頁
「2)土方 成美 日本経済研究 附録 81頁
6.米価の季節変動
次に米価の変動について見れば別表任鋸こ示す通りである。長期変動については更に別表(11粗功 に示すような経過を辿っているが、ここでは主として季節変動について見ることとしよう。季節 変動が当面の問題にとってはより直接的な大きな関連を有するからである。年間米価の変動は年 によって異ることはいうまでもないが、相当長い年数を通じてみれば、大体に於て一定の傾向を 看取することが出来る。即ち別表(1鋸こ見るように特別の事情のない限り米価は新米出初めの10月 から下落し始めて1月から3月に至って最低に達し、再び5月に漸騰して端境期である8月、9
(1)
月、10月に最高に達するものである。そうして、年間米価変動の値幅のひらく極限も別表榔こ於 ける米価の最高と最低とを比較検討すれば、頗る大きいものであることがわかるのである。この 米価年間変動の主な原因は出来秋、端境期に基因する一般的な需要関係にあるのであるが、併し さきにも見たような一面米の販売者であり、一面その購買者であるという多数の米作農家の市場 米の17%に達する飯米需要が米の価格伸縮性が大であるということと関連して、また米価変動の 値幅の極限を著しく拡大したことを注意しなければならない。
さきに見たように市場が完全性を有するまでに発展していない場合には「一物一価の法則」は 行われない。従って農産物市場がまだ前期的な構造をもっているような段階では農産物について は単一な市場価格がまだ存在せず、農民にとっての概して安く変動自勺な平均価蕗と地主・商人に
とっての概して高い固定的な平均価格が存在するものであるが、明治期、大正期に於てはこの例、.、
を見るのである。かかる前期的な価格差は、生産地価格と消費地価格との問、小売価格と中央市 場価格との問、中央市場価格と地方市場価格との問、地方市場価格と農家庭先価格との間などに 存在するものであり、それがどういう状態であったかは阪本楠彦氏の詳細な研究が示している。
(3)
氏の労作「土地価格法則の研究」から(1勅射6X17)の諸表を借用してその大勢を見る資料としよう。
そしてこれらの問に於ける価格差は、いうまでもなく、地主商人に有利に、いわゆる窮迫販売を しいられる農民に不利に作用するものである。
米の販売において、その販売方法の如何がまた大供給者である地主とそうでない中小白、小作 農に対して、相反する影響をもたらすものである。明治期、大正期を通じて彼等が米を販売する
(4)
方法としては大体次の5種類が存在した。即ち(1)消費者に対する直接販売(2)地方の小売店に対す る販売(3)大都市の大商人に対する直接の発送販売㈲地方の買集′人に対する販売(鎚販売組合の手を 通じてする販売である。そして多数の自作、小作農にあっては各自の販売量はすでに見たように 小量であるから穀物の大商人に直接売ることが出来ず、多くは仲介の小商人に売るのを常とす るが、彼等小商人は販売農家を歴訪して買取るのを例とした。
更に又多くの場合に於ては生産者自身がその穀物を附近の小都市に運搬して小穀物商人に売る か、或は代理業者に委託して売り渡したのである。しかも「回\自作、小作農は米の需要関係の実 状に通ずることが少く一般に市場の状況にうといものであるから、仲買人、買集商人に貫いたた かれるなど、不利をこうむることを常とする。特に生産資金の運用に苦しみ、これらの商人から
(5)
穀物代金の前借を受ける者にあっては頗る大きな不利をうけることとなる。之に対して、大量販 売者は穀物商人に対して必ずしも常に不利の地位に立つものではない。彼等はよく市況に通じ取 引所相場をも注意し、しかも穀物を売り急ぐ必要に迫られることが少いので、商人の申出価格が 意に克たなければ他の機会を待つこととするから、商人問に競争が行われて、販売者はその最も
8 日本資本主義経済成立発展過程における地租の前転に関する一考察(延兼)
高い申出価格によって売却することとなり、彼は極めて有利な販売をすることが出来るのであ
(6)
る。更に販売の態度が積極的なりや否や、或は販売の決済がいかにして行われるか、即ち現金取 引か前払か、または後払か等によっても農家への影響は大きい。
例えば、北陸地方等に行われてきた「貸米」とか「青田売」のような場合には農家の地位は殆 んど商人の金融力に隷属することとなり大きな不利をまぬがれないのであるが、これらは自作小
(7)
作等の中小農家に多く見る例である。
更に注意すべきものとして、一時亮か平均売かの問題がある。農家経営にとって一時亮よりも 平均完が好ましいことはいうまでもない。平均完をする能力は地主、自作、小作の順に逓減し、
中小の自作、小作は、平均亮をなす希望はあってもその余力がなく、彼等にあっては貨幣の必要 が主として収穫時に菜申される傾向があり、従って販売も収穫時に集中されて、しかも米価も最
(8)
低値を示す時期に於いて一時売とならざるを得ないのである。
当時は一般に農村は現物経済が強かったとはいうものの貨幣経済の斬透があり、また明治4年 5月には商人のみならず、一般農民にも余剰米の販売が許されることとなり、更には地租が金納 化せられるようになって、米その他の農産物の商品化は段々と顕著となるに至った。そうして、
地主も自作も小作農も程度の差こそあれ、その消費、生産など、その生活の各分野にわたって商 品経済のうちに漸次まきこまれることとなったのであるが、しかも、農村社会の近代化で解放せ
られたものは大地主層であって、彼等は農村における先達として、経済活動その他において比較 的大きい先進性と自由性を取得するに至ったので、そうして、同時に金納地租の納税義務者たる ことによって、有利な条件において商品経済に入ることとなった。之に反して、中小農、特に小 作農にあっては依然として現物小作料の故に先づ何をおいても米を作らねばならず、そしてそれ が物納の故に、直接には商品化する必要もなく、ただ米を作って小作料を納め残余を飯米にあ て、現金需要の切な場合にのみこれをやむなく商品化するにとどまったのであるが、又一方奴等 はいわゆる農村社会の近代化によっても、実質的には解放せられず旧態のまま取り残された点が 多く、いろいろな面に於て極めて不利な条件に於て商品経済にまきこまれることとなったのであ
る(注1)。
かくて、すでに前にみた諸表によって明らかなように米の販売の面に於ては、大地主層は個別 的には大量を販売し、しかも販売方法、態度、決済方法等に於ても有利な立場に立つことが出 来、市場関係に於ても地主階級は有利な価格に於て販売することが出来るし、販売時期に於ても また価格の上鷹の機をつかむことが出来る。しかも彼等は小作条件に従って良質な現物を受けと りこれを高価格で販売し、利益することが出来る。これに反して、中小自作、小作農にあっては その販売総量に於ては莫大な額に達するが、一戸当りの販売量は小量である。彼等は概して消極 的な単なる業主であり、その生活は極めて低度な小規模な生活経済であり、市況にも通じないもの が多く水呑百姓に過ぎない有様であって、いわゆる「窮迫販売」の相を示し、従って或は一時亮 をせざるを得ず、或は買集め人に買いたたかれざるを得ず、極端に安い庭先価格で販売せざるを 得ないなど、販売方法の時期、市場関係等に於て頗る不利な条件にたたざるを得ないのである。
これらと関連して更にまた一方に於てはその販売米が良質米を小作料として納入した残余米であ るとか、又は小農であるが故に資金不足による肥料その他の関係上品質のよくない米であるとい
(9ノ
うことも一因ではあろうが、要するに米の販売に当って、大地主層は買手に対して優位に立ち得 るに対して、その他の農民層は相手に対して劣位に立たざるを得ないことが大地主層は比較的高 価格で販売するに対してその他は極めて不利な安い価格で手離すことになる所以であろう。特に
小農にあっては、いわゆる「米作る人、米買う人」というように総量としては総販売米の17%に 達する大量を多数の小農がいわゆる「 飯米購入」をするのであるが、この場合彼等は買手として
も相手に対して劣位にあるので、その時期に於ても価格に於ても不利を蒙ることとなる。即ち彼 等はその産米を販売するに際しては安く手放し購入に当っては高い価格を支払わねばならないと いう二重の意味に於てその苦痛を倍増することとなるのである。況んやそれがいうまでもなく手 持現金の不足に悩む小農家の場合であることをおもえばその苦境の程は想像するに余りがあろ
う。この場合これに対して安い価格や現物で米を入手した商人や地主は比較的に高い価格で小農 に売り渡すこととなるのである。しかも総額が大量に達する農家の「飯米購入」はその価格の伸 縮性の大なることから「キングの法則」も示しているように米価変動に対して頗る大きな要因を なしていることであろう。即ち飯米購入のために米価は騰貴の勢を助成せられたと、或は少くと
も下落の度を小さくしたと見ても差支えあるまい。かくて米価の年間変動に於ける高値、低値の 幅を大きくするが、このことは、地主、商人と一般農民層には相反する大きい影響を与えること となる。
(1)裕 正夫 米価問題 180真 也 谷口 吾彦 前 掲 277頁
(3J 東畑 精一 農産物価格統制 162頁
明治前期財政経済史料集成 第7巻 223頁以下 明治初年各府県米価表 間 第11巻 710貢以下 明治9.10年の交各地米価表
(刃 河田 嗣郎 前掲 800貢
(5) 〝 〝 813頁 し6) 〝 〝 813頁
周 谷口 吉彦 〝 316頁
(8) 〝 〝 295頁
潮 大内 力 農家経済 277頁
7.米価の長期変動
米価の長期変動を見れば屡々騰落をくりかえしているが、大勢としては別表的価(1飢こ見るよう に騰勢を示している。従って相当長い期間にわたって地主或は小作の地位を保つものについて見 れば、原則として地主層は価格の騰貴した即ち単価のあがった現物で小作料を受けとり、一方地 租は比較的に固定し、しかも金納であるので、米価の低かった時期に比べて小作米のうち小量を これにあてることによって足ることとなるのでその余剰は大きくなり、しかもこれを高価に販売 することができて利する所が二重に大きくなるが、小作農は現物小作料の故に単価の騰貴した現 物を以て地主に支払うこととなり、小作料金納の場合に比べて頗る不利を蒙ることとなるばかり でなく、飯米購入に際しては従前よりも多額の現金支出を強いられることとなり益々その生活は 苦しくなるのである。
まえにも見たように商品経済の浸透や地租金納制の実施は、商人、地主層をして、米価の騰落 に多大な関心を向けしめるに至ったが、一方地主層のいわゆる近代的解放や米の投機対象物とし ての適格性の大きいことや、従って米穀取引所の発達などと相侯って、その投機心を煽り、投機 的行為を盛ならしめて米価の騰落の幅を大ならしめた。かくて地主、商人は買占め売くづLなど によって巨額の利を獲得するものも現われたが、併しかかる米価の激変は以上に見たような弱い
10 日本資本主義経済成立発展過程における地租の前転に関する一考察(延兼)
(1)
立場にあった小農層にはまた格別な負担を課することになったことはいうまてもない。
(1)河田 嗣郎 前掲 87頁
井上 晴丸 日本資本主義の発展と農業及び農政 161頁 近藤 康男 日本農業経済論118頁・263頁
谷口 苦彦 前掲 385頁・500頁・577頁・600頁
8.米 価 政 策
次に米価の変動に関連して米価政策について見なければならない。明治前半期、即ち明治初年 から明治23年までの23年間に於ては政府は地租改正事業にともなう財政政策に重点をおき、米の 買上、払下、輸出を行うなど数量調節による積極的干渉を行った。その理由は、(1)備荒貯蓄、(2)
米輸出による正貨獲得、(胡米価安定による財政収入の安定確保等であったが、この時期における 米価政策の基本は地租改正事業の完成を容易ならしめようとする主旨のもとに行われたのであ る。そして概して米価引上策がとられたが、これは地租の納税者たる土地所有者が地価を標準と
して金納するのを容易ならしめんがためであった。
然るに貨幣経済の発達、市場の整備等、特には自由放任主義思想の勃興等によって、政府は明 治23年を以て、米価調節の積極的干渉を打ち切って、大正に入るまでは20余年間は米穀関税率を 動かす程度にとどめ、原則として自由放任政策を採った。いわゆる米価放任時代である。
大正期に入るや、その前半期には米価は著しい大幅の騰落を示し、従って米価政策も頗る多彩 を極めることとなったが、数量調節とともに価格調節をも重視することとなった。
政府はこの期間に於ける苦い経験に鑑みて、永久的需要調節策を樹立する必要を痛感し、大正 10年4月米穀法を制定するに至った。
右は米価政策に関する極めて簡単な要約に過ぎないが、これに於てもわかるように、明治前半 期のいわゆる財政的米価調節時代に於ては、地主は地租の納税者であることに於て米価低落から 蒙る不利益から免れるように保護せられ、一定水準以上の米価の安定は彼等にとって極めて望ま しいものであった。この時代には、地主本位の税制改革は、更に地主を米価政策に於ても保護する ことにより地主の地位を向上せしめることとなった。明治後半期に於ける米価放任政策時代に於 ては経済的自由が一般に認められる時代であり、かかる時期に於てこそ、農村的伝統と気風から 解放された商人や地主層が自由にその手腕を振うことができる時代であって、市場の発達、米価 の変動に関連して大地主層は益々その地位を向上することになるが、中小自作小作層は反対に益
々その地位を弱化せしめることとなった。大正に入ってからは米価の変動極めて甚しく、ために 大地主層、商人層はその地位を向上し、中小自作小作層は反対の傾向を愈々強めることとなる。
我が国に於ける米価政策なこついては次の諸著に詳しく論じてある。
上方 成美 日本経済研究 48−58頁
〝 我国民経済と財政 77−94頁
〝 財政学原:埋 112−124頁
〝 財 政 史 75頁 裕 正夫 米価問題 171頁以下
大蔵省理財局 明治年間米価調節沿革史(大正8年12月)
帝 国 通 信 日本産業史下 1494頁以下
9.要 約
以上に於て米の需給関係特にその販売に関連して大地主層とその他の農民層とを対比しなが ら、前者はその取引関係に於て比較的優位な地位を占め、従って比較的高い価格で販売し得るに 対して後者は全くこれに反してその地位弱く、従って極めて不利な取引をなさざるを得ないこと を知った。ここでわれわれは更にひるがえって転嫁に関する観点から地租を中心とする公課負担
と米価変動との間に如何なる関連があるかを考えてみよう。先づ米価の年間季節変動の動きと地 租納期との関連を見れば、概していえば、納期は大体に於て11月から翌年の4月5月頃までに当 るのであるが、この時期に於てほ米価は低い場合が多く、納期に当らないその他の時期に於て価 格は高いのである。なお飯岡清雄氏がその著「農村と米価問題(198頁)」に於て明治元年から大 正11年にわたる55年間に於ける年間最高値並に最低値の現われた回数を示しておられるが、それ
は次のようである(注2)。
参考のためにかかげておこう。
10月11月 12月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 最高値13回 2 3 2 2 1 0 1 1 6 8 15 最低値11回 2 6 13 8 3 4 2 2 2 2 7 以上によると地租の転嫁を中心として見れば大体米価の年間変動と地租の納入期販売との間に は密接な関連、特に大きな相関関係は存在していなかったといえる。
次に米価の長期変動と地租その他の公課負担との関連を見るとこの場合も前掲の諸表を照合検 討すれば明らかであるように、例えば地租税率の変更と米価の動き、更には地租その他公課負担 の増減と米価変動との問には特別な相関関係は存在しないようである。換言すれば米価変動の主 な原因は他にあるのであって地租を中心とする公課負担の増減に応じて、米価の高低が現れると いう決定的な判断はなし得ない。即ち公課納入のために、米を販売するとしてもその際米価を高 くしてこれを販売することが出来るか、逆に公課が少い時には米価を上げないで廉価で販売する ことが立証せられるか、言葉をかえれば、地租その他の公課負担を米価を通じて消費者に転嫁し たものであるかという断定を一般的に結論づけることはむつかしいと思われる(注3)。
さて地租の米その他農産物を通じての消費者への転嫁は、いわゆる税の前転の一場合であり、
自由市場経済を前提として、その価格形成を通じて行われる性質のものである。この点からすれ ば当然転嫁は行われるように見える。併し税の転嫁によって価格変動をもたらすという積極的な 場合よりも、むしろ米価の変動に適応して、米を販売することによって実質的にその転嫁を果す ことができるか否かの問題の方が大きい。即ち米価騰貴に際してこれを有利に売り、米価下落の 際はこれを差し控えるという方法に於て、消極的にではあるが実質的に或は結果的に転嫁を実現 することが考えられる。併し右に見たように、米価の変動と公課負担の増減には直接には相関関 係は殆んど見られないとすれば、右のような消極的な転嫁も殆んどあり得ないと思われる。況ん や米作労働の生産性向上の相対的停滞のために農産物価格は低い水準に押し下げられ農民の生活 費即ち自己の労賃に相当するだけのもの、更にはそれ以下のものをもたらすにすぎないまでに押
12 日本資本主義経済成立発展過程における地租の前転に関する一考察(延兼)
(1)
し下げられる。即ちその市場価格は価値ないし生産価格水準以下の「低米価」を余儀なくせしめ
し2ノ
られてきたことを考えれば、そこに前転の可能性は殆んど見出だせないといえる。
立に注意すべきことは、すでに見たことであるが大地主層とその他の農民層の場合とは趣を異 にするものがあるということである。大地主層にあっては地租の負担は小作料によって小作人の 負担するところであり、地主自らは原則としては負担しない。ただ減免等のために小作料が納入 せられない場合等に於てはその程度に於て小作農への転嫁は不可能となり、その限りでは消費者 への前転をも企図するであろう。完全に小作農への転嫁を果している場合は消費者への前転は必 要はないが、その経済流通上に於ける優位なる地位を利用して米価変動に乗じて利を得ることの 可能性はある。自作農にあっては直接に税負担を感じる。従って之を消費者に前転しようと努力 するであろうが、その経済的地位の強くないためにその可能性は少い。
小作農にあってはその労賃にまでも喰い込むほどの高率小作料の負担があり、小作料を他に転 嫁するという形式に於て、小作料に含まれる地租負担を吏転しようとする。併し彼等の経済流通 上に於ける弱者的地位はこれを殆んど不可能ならしめる。
これを要するに明治初年の新地租は旧藩時代の封建的貢租の高率をほぼそのままに統一的全国 的規模に於いてうけついだものであるから概して言えば新地租の設定によって消費者への税の転 嫁がなされるような新事態が生じたとは考えられない。従って仮にかかる米価その他農産物価格 を通じて税の転嫁があるとすればすでに旧藩時代に於ける封建的貢租のときから存在したものを 実質的に継承したものと考える外はない。併し経済発展が現物経済時代にあっては特殊な米商人 や小数の大地主の場合の外は、殆んどすべての農民は先づ亘租年貢米を作り、次に自家飯米を作 るという状態であったので彼等にとっては米の有利な販売は殆んど問題とならず、かかる意味に 於ても貢租年貢の前転は不可能であったであろう。従って農民はその負担に堪えるためには他の 形態によらざるを得なかったのである。かかる旧藩時代の封建的貢租を殆んどそのままの高率さ に於て継承した明治初年の地租改正以後も亦大体同様な経過を辿ったと考えられる。ただ地租の 金納制と商品経済の浸透、国民経済の資本主義的発展の進むにつれて米の商品化も進み、相当量 が市場に出廻ることになったことはすでに見た通りである。併し一般農民層にあってはその経済 的弱者の故に税の前転は殆んど不可能であったといえる。
要するに商人、大地主層は商品経済の発展に伴いそのうちに活動する適格性を具備することが 出来て、有利に動くことができたが、一般農民層は商品経済の発展から取り残されざるを得ない 状態であり、いわゆる経済的弱者とならざるを得なかった。かくて地主層は凡ての近代的経済発 展のうちに有利に活動し(概して前転の機会は屡々存在するが、併し彼等は地租の真実の負担者 ではなく従って地租の真の前転をはからなければならないほどのこともなく、時に前転の形式を とる場合にはそれは二重利得或は不当利得でさえあることがあろう)、農民は不利に肯じなけれ ばならなかった。しかもすでに見たように米による前転は殆んど見ることが出来ないとすれば、
一般農民に於ては他の形態によってその負担を解決しなければならない。それはいわゆる排転で あるか或は還元であるか、又はその他のものであるか、この問題は地租の償却と関連して更に複 雑となるが、これらのことについては他の機会にゆづることとしようは4)。
ここでは紙幅の関係上主として米を中心としたが、他の農産物に関してはこれまた他の機会に ふれることとしよう。
(1)揖西光速外 日本に於ける資本主義の発達上 80頁
佗)裕 正夫 米価問題167頁
注1・次の引証は、この間の事情を示唆するものであろう。
(1)……・‥只金納ハ然ラズ。蓋シ農家概ネ金ヲ菩フル者こ非レパ、秋収ヲ待チ一時二米穀ヲ売却シ其ノ代金 ヲ以テ上納セザルヲ得ズ。然ルトキハ相場二響キ、売価下落スルノミナラズ、全国金融ノ源ヲ堕塞スルナリ
「東辿録」巻14「明治文化集」皇室篇第411頁 加田 哲二 文化史 232頁
は)銘々適宜販売ヲナスカ為メ農家ハ一時其便利ヲ得タルモノノ如シト錐モ、前条二挙クル景況ナルヲ以 テ、其金融ヲ梗塞セリ、且ツ方今米価ノ下落二遇フヤ其販売スル所ノ代金ハ地租地方税其他町村費二充テテ 殆ント余ス所ナク菅二余ス所ナキノミナラス、或ハ却テ其不足ヲ告ク、而シテ其不足ヲ告クルニモ拘ハラ ス、其納税ノ義務アルヨリ衣類又ハ田畑家財ヲ典売シテ納税セントスルモ、金融閉塞ノ為メ之ヲ典売スル得 スシテ、柊二公売処分ヲ受クルノ不幸ヲ見ル二重ルモノ少シトセス。実況如是ナルヲ以テ、農家金融ノ逼迫 ハ殆ント其極点トモ云フへキカ。加之農細ハ常二農間ノ余業即チ紡練織布等ノ業ヲ執り、各家手元ノ融通ヲ 助クへキヲ近年其余業一般二衰頚シ、壮丁婦女共徒手シテ日ヲ送ル二重レリ。
・・‥‥……将夕納税第三期ハ即チ11月1日ヨリユ2月ユ5日迄ナル二、当時未ダ全収セサルモ其幾分ヲ収穫シテ、
直チニ之ヲ売却シ、以テ田租ノ半額ヲ納ムルハ、中等以下ノ最モ困難ヲ極ムル所タリ。其第4期ハ去ル16年 11月第36号ヲ以テ梢々稽緩ノ布告アリシモ、該県芸備ノ如キ中国ト雑モ、北部厳寒ノ地方二在テハ、積雪末 ダ全ク融解セス、道路頗ル険悪ニシテ運輸自由ナラス。加之農家ハ概シテ依然陰暦ヲ用フル為メニ2月3月 ノ交ハ旧ヲ送り新ヲ迎フル季節ナレバ異境繁二伴ツテ金融ノ遍迫真二此時ヨリ匡シキハナシ。故二米価ノ低 落ヲ厭フニ達ナク、次々之ヲ売却シテ、納税ノ義務ヲ尽スヲ一般ノ情況トス。
興業意見巻23(明治前期財政経済史料集成第20巻117−8頁)
(3)広島県下ハ地租金納ノ制度定メラレシ以来、農家各自適宜販売ヲナシ…………銘々適宜販売ヲナスヤ、
中等以下ノ者二在リテハ、因ヨリ相場ヲ待ツノ余カナク、随テ穫レバ随テ売り、、且ツ之ヲ販売スルモ、概 シテ其ノ費用ノ急ナルモノニ充ツルノ都合ナレバ其売得金ハ立トコロニ租税トナリ、町村費トナリ戎ハ直チ ニ必需ノ物品二交換スルモノニシテ、端米売り同様二付商家二対シテ競争スルカナキヨリ、云ハ、商家ノ望 ミ値段二任セテ売却スルトイフノ情況ナリ、文中等以上ノ農家ハ往々米商二均シキノ気勢二移り、常二相場 ノ高低ヲ見テ売り出サントシ、少シク其手元二余裕アルトキハ猶ホ吏幾何ノ量アルモ、一切之ヲ売り出サス シテ、其価格ヲ騰貴セシメント試ミ、之二反シテ買手ノ商家ハ納期切迫ノ時機二窺フテ之ヲ占買搾取セン トスルノ有様ナルヨリ、互二其便利ヲ得サルモノ、如シ。然ルニ農家ハ概ネ世事二暗キヨリ、販売ノ時期ヲ 失シ、終二好商ノ術計二陥り、宣料ラサルノ不利ヲ招ク事常二十中ノ八九二居ル。
興業意見巻23(明治前期財政経済史料集成第20巻117貢)
注2.地租の納期については 明治大正財政史第6巻584頁以下、明治前期財政経済史料集成第7巻354貢 明治文化史11巻409頁等参照。
注3.地租の税率については 明治大正財政史第6巻558,562,739,784,786頁東洋経済研究部;明治大正 農村経済の変遷、付録資料19貢以下等。
地租額の変遷については 東洋経済新報社;明治大正財政詳寛、明治大正財政史第6巻、日本統計研 究所;日本経済統計集、東洋経済研究部;明治大正農村経済の変遷、付録 資料117頁等並に拙著日本産業論149頁以下、拙著財政学108頁以下参照 注4.米を通じての地租の消費者への前転は、以上に見たように多くを期待することは困難であるが、本稿
において、われわれのみたことは一面また階層分化、資本の本源的蓄積と関連して頗る大きい意義を 有することを注意しなければならない。
14 日本資本主義経済成立発展過程における地租の前転に関する一考察(延兼)
(1)監 産 品 の 商 品 化 率 商品化の額 ;商品化率
米
雑穀及び藷類 特 有 農.産 品
疏 莱 類 果 実 類
計
17,428,500円
1,961,264 28,233,813 1,759,558 203,833 49,586,833
米
雑穀及び藷類
特 有 農 産 品 読 菜 類 果 実 類
計
商品化の額
23,269,500 3,922,528 31,763,039 2,639,337 3〇5,750 61,9〔犯,154
商品化率
総豊商産生産額200,119,222円に対する訂分率24.8%l雁洩産品生産額200,119,222抑こ対する百分率30・9%
山口 和雄 明治前期経済の分析42頁
r2)地主、自作、小作別の販売米と飯米 1890年
(明治23年) (〝 33年)1899年
1908年 1 19]1
(〝 41年)l(〟 44年)l(大正1年)
地
作
小
作 小 目 収
穫総
作 収 米
作入
飯 米 販 売 分 収入米に対する 販 売 分の比率 所 有 規 模
(田 畑 計)
産 米 総 飯
売
量 米 分 す 率 模
︶ 対 比 計 にの 規
量米 畑
総 売 有 米 坂 田 産 る 所
︵
量 米 米 分
総
作 売 米産 小 飯 販
産米総量に対す る販売分の比率
% 町 9 3
891
(15.6)l (15.7〕
(1.4)I (1.4)
斎藤万富氏の調査による。(全国28ケ村にっいての調査)
井上晴丸 日本資本主義の発展と農業及び農政158頁より引用、猶東畑精一、大川一司日本の経済と農業 上巻337頁以下
揖西光速外日本に於ける資本主義の発達上73頁以下参照。
(3)自作 と小作の主食内容
諸島)】(禁島)[(慧0粍)
作
小
作
米の自家消費高(円)
麦(円)
家 族 数(人)
1人当消費高米(円)
麦(円)
同上割合米(%)
麦(%)
69 16 6 11.5
2.7 81
12日 霊
7 14.3 3.3 81
7 21.9 4.9 82
1911年
(〝 44年)
ユ85 48 7 26.4 6.9 79
191 19! 18i 2j
米の自家消費量(円)
麦 (円)
家 族 数(人)
1人当消費高米(円)
麦(円)
同上割合米
麦
ヽ l ノ ヽ ノ
%%L L
6 2 6 0 7 5 5
6 2 ・ 7 2
1 ェ つ J
l
O
J
C
ム
ご
U
5
3
6
4 9
3
・
7
2 6
5
1ユ
1912年
(大正14年)
2 7
3
5
.
.
〇 7 1 8 1 9 2 5
・ 8 4
⊥
1 3 6 2 2 4 6
2
4
孔
.
・
7
2 1
0
7
2
7
2
6
5
6
4
だ
U 4
5
・
7
2 1
4
8
2
井上暗丸 日本資本主義の発展と農業及農政159頁
(4)商品としての米の数量(大正13−昭和3年)
生 産 数 量 l 販 売 数 量 l 生産に対する販売 総 数 量
地 主 米 自作小作米
(5)
:霊千石i:;霊千石
44,597 1 20,304
谷口吉彦 商業組織の特殊研究207頁 農林省 米穀要覧昭和5年22頁参照 地主販売と生産者販売米の割合
(大正15年〜昭和5年)
計
(6)不耕作地主と米作者の販売高
計
計
農林省米穀要覧1934年38頁
井上晴丸日本資本主義と農業及農政165頁 裕正夫米価問題124頁
大内力日本農業の財政学ユ63頁参照
井上 晴丸 日本資本主義の発展と農業及び農政166貢 なお農林省 米穀要覧1934年 38頁参照