研 究 ノ ー ト
四川 ナ シ族 にお け る祭 天 と祭 山(1)
一俄 亜 ナ シ を 事 例 と して 一
松 岡 正 子
は じめ に
漢 チ ベ ッ ト語 族 チ ベ ッ ト ・ビ ル マ 語 群 の チ ャ ン語 系 や イ語 系 に 属 す る民 族 集 団 は,山 神 を崇 拝 し,祭 山 を重 要 な 年 中行 事 の 一 つ とす る。 彼 ら は 四 川 西 南 部 か ら雲 南 北 部 に広 が る 「藏 郵 走 廊 」 に 居 住 し,族 源 を古 代 完 と伝 え る 人 々 で(以 下 チ ャ ン系 集 団 と記 す),チ ャ ン族 や 川 西 南 チ ベ ッ ト族,ナ シ族,プ ミ族,イ 族,リ ス族,ハ ニ 族 な どが 含 まれ る。 筆 者 は,こ れ まで チ ャ ン族 や 西 南 チ ベ ッ ト族,(図1)r西 版」諸集団の言語分布
プ ミ族 の 祭 山 に つ い て 分 析 し, チ ャ ン系 集 団 に み ら れ る 共 通 の 要 素 を 指 摘 した(図1)ω 。
〔凡例1
本 稿 で は,さ らに こ の 集 団 内 に含 ま れ なが らそ の 地 理 的 孤 立 性 の た め に実 地 調 査 が 難 し く,こ れ まで 研 究 が あ ま り進 ん で い な い 四 川 省 の ナ シ族 を と りあ げ る 。
ナ シ 族 は,総 人 口 約30万 1000人(2003)で,金 沙 江 を
(1)〔 松 岡,2000:239〜246,2003:459〜469〕 。 何 耀 華(1991)「 川 西 南 藏 族 的 信 仰民 俗 」 『中 国 民 俗 研 究 通 信 』8号 や 〔石 碩,2005:13〜31〕 に も 詳 しい 。 チ ャ ン系 集 団 の 居 住 す る 「藏 弊 走 廊 」 は,青 藏 高 原 東 部 の6つ の 大 河 が 南 北 に 貫流 す る 平均 海 抜 高 度 が2000〜3000メ ー ト ル の 峡 谷 地 帯 で.占 く よ り6大 河 に 沿 って 幾 多 の 民 族 が 移 動 し,現 在 も複 雑 な 言 語 と民 族 集 団 が 存 在 す る 地 域 で あ る 。
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は さ ん だ 西 側 の 漬 西 北 地 区 に 約85%,東 側 に15%弱 が 居 住 す る 。 こ の う ち 麗 江 納 西 族 自 治 県 に は 総 人 口 の 約67%に あ た る184,894人 が 集 中 し,中 旬 県 に は21,630人,寧 茨 県18,089人,維 西 県16,620人,永 勝 県84,832人, 大 理9,595人,昆 明5,368入 で,四 川 と 雲 南 の 省 境 周 辺 に は8,542人,四 川 側 は 木 里 県(俄 亜 と 水 洛)3,618人,塩 源 県737人,塩 辺 県2,005人 が 分 布 す る(図2)。
(図2)ナ シ族 の分布 比例尺1:18iT
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〔出 所 〕 都 時 遠(2002)「 中 国 少 数 民 族 分 布 図 集 」 中 国 地 図 出 版 社P175よ り
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言 語 は,チ ベ ッ ト ・ビ ル マ 語 群 イ語 系 に属 し,西 部 と東 部 の 方 言 に 大 別 され る。 ナ シ,ナ ホ ン,ラ ル,ラ ロ,ユ ン ク(以 上 西 部 方 言),ナ リ とマ リ マ サ(以 上 東 部 方 言)の7つ の 下 位 集 団 が あ る 。 こ の う ち ナ シ は 約23万
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四 川 ナ シ族 に お け る 祭 天 と 祭 山(1)
人 で,総 人 口 の 約77%を 占め る 最 多 集 団 で あ る。 支 配 層 の 木 氏 は,明 代 以 来 漢 文 化 を積 極 的 に取 り入 れ,漢 族 な ど他 民 族 を 融 合 して 雲 南 北 部 か ら四 川 の 木 里 に 至 る 広 い 地 域 を 支 配 した 。 トンバ 教 と トンバ 文 字 が 伝 え られ て い る。 ナ ホ ン は,早 期 に維 西 か ら寧 痕 県 北 薬 煽 に 移 住 し た集 団 で あ る。 ラ ル は約5,000人 で,元 来 は 他 民 族 で あ っ た の が 長 期 に わ た る ナ シ との 雑 居 や 通 婚 の た め に ナ シ に な っ た 。 ユ ン ク は最 も早 く四 川 の 塩 源 や 木 里 か ら中 旬 に きた 集 団 と され る。 ナ リ は約4万 人 で,雲 南 省北 部 の 寧 痕 県 を 中心 に 2万,四 川 省 の 塩 源 県 に1万,木 里 県 に1万,塩 辺 県 と渡 口市 に そ れ ぞ れ 千 人 い る。 ダバ 教 と ダバ 文 字 が 伝 え られ て い る 。 ラ ル は,塩 源 県 の 左 所,前 所,沿 海 や 木 里 県 の 屋 脚,頂 脚 な ど に居 住 す る集 団 で,言 語 習 俗 が ナ リ に 近 い 。 近 年,蒙 古 族 に改 称 した(2)。マ リマ サ は約25,000人 で塩 源 か ら維 西 に 来 た とい う 口頭 伝 承 を もつ 〔田,2005:565〜566〕 。
四 川 省 の ナ シ 族 に は ナ シ と ナ リの 下 位 集 団 が あ る 。 ナ シ は 明 代 中 期 に 麗 江 か ら移 っ て き た 集 団 で あ り,ナ リは,ナ シの 移 住 以 前 にす で に 四 川 と雲 南 の 省 境 の ロ コ湖 周 辺 に定 住 して い た 集 団 で あ る。 こ の う ち ナ リ は,モ ソ と呼 ば れ,母 系 制 を 保 つ 「女 人 国」 と して紹 介 さ れ,多 くの 研 究 報 告 が な され て い る(3〕。 これ に 対 して 四 川 省 の ナ シ は,移 住 先 が 地 理 的 に 極 め て 閉 鎖 的 な 山 間 にあ り,ま た 後 発 集 団 と して 自 集 団 の 自 立 を図 る た め に地 元 の 土 司 に 対 抗 し,周 辺 他 民 族 と の 接 触 を 避 け て 内 部 で の 特 殊 な婚 姻 形 態 を 行 っ て きた 。 そ の結 果,彼 らの 社 会 に は 移 住 当 時 の 明 代 以 来 の 習 俗 が 色 濃
く伝 え られ て い る とい う 〔宋,2003:2〕 。
本 稿 で は,四 川 ナ シ に 移 住 以 来 伝 え られ て い る祭 天 や 祭 山 に つ い て, 1980年 代 の 調 査 を ま とめ た 宋 兆 麟 『俄 亜 大 村 一一 快 巨 大 的 社 会活 化 石 』(以 下,宋 報 告 と記 す)や 和 志 武 ら主 編 『中 国 原 始 宗 教 資 料 叢 編 』(以 下,和 編 報 告 と記 す)な ど の 既 存 の 報 告 を整 理 分 析 し,麗 江 ナ シの 祭 天 や 四 川 ナ リ お よび チ ャ ン系 集 団 の 祭 山 と比 較 して そ の 特 徴 を考 察 す る。
(2)ナ リ とモ ン ゴ ル 族 に つ い て は 〔李,2006:105〜115〕 に 詳 しい 。
(3)1960年 か ら2005年 ま で の 主 な 研 究 成 果 は,拉 他 ロ米・達 石 主 編(2006)『 摩 稜 社 会 文化 研 究 論 文 集 』(止 下 冊 雲 南 大学 出 版 社)に 収 め ら れ て い る 。
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第1章 四川ナ シの年 中行事 と神 々
1.俄 亜 ナ シ と達 住 ナ シの 概 況
四 川 ナ シ は,木 里 県俄 亜 郷 と塩 源 県 達 住 郷 に 集 中 して 居 住 す る 。 俄 亜 郷 は,四 川 省 木 里 県 西 南 の 雲 南 との 省 境 の 山 間 部 に位 置 す る。 平 均 海抜 高 度 は2400メ ー トル,北 は4000メ ー トル級 の 寧 朗 山 脈,西 は峡 哨 山 脈 に 囲 まれ,東 は 沖 天 河,南 は 龍 打 河 に 面 す る。 高 山部 は 寒 冷 で ヤ ク を飼 う牧 畜 を 主 とす るが,山 腹 は 亜 熱 帯 気 候 で,年 平 均 気 温 が15度,無 霜 期 間260日,平 均 降 水 量1000ミ リで,主 に トウ モ ロ コ シや 小 麦 を栽 培 す る 。 清 末 に 開 か れ た 龍 達 金 鉱 は 豊 富 な埋 蔵 量 で 知 られ て い る 。 冬 は雪 に 閉 ざ さ れ る 険 要 で 閉鎖 的 環 境 の た め に他 所 との 往 来 は 多 くな い 。 木 里 県城 まで は 歩 い て 約10日,寧 痕 永 寧 や 麗 江 宝 山 ま で は3〜4日 で あ る こ とか ら雲 南 側 との 往 来 が や や 多 い 〔木 里 藏 族 自治 県 志 編 纂 委 員 会,1995:131〜132〕 。
俄 亜 ナ シ は,明 代 の 移 民 の 末 商 で あ る。 伝 説 に よ れ ば,明 代(1368〜
1661)中 期 に麗 江 ナ シ族 木 土 司 の 管 家 ワチ ガ ジ ャが 狩 場 だ っ た 当 地 を 気 に 入 っ て 一 族 や トンバ,牧 人,馬 飼 な ど を連 れ て 移 住 して きた と い う。 また 金 鉱 開 発 の た め に 木 土 司 が 兵 士 を駐 軍 させ た と もい う。 ワチ ガ ジ ャー 族 は 木 土 官 に封 じ られ,約400年 を経 る 。 麗 江 木 土 司 は,宣 徳8年(1447年)
に 永 寧 土 司 と と も に左 所 土 司 を打 ち 破 っ て 以 来,木 里 を 占領 し,現 在 の 西 藏 自治 区 に接 す る雲 南 の 巨 旬 や 維 西,中 旬,徳 欽,四 川 の 巴塘,理 塘 に 及 ぶ 地 域 を 占 拠 し た 。 そ して 嘉 靖(1522〜1566)・ 萬 暦(1573〜1619)年
間 は明 王 朝 下 で 吐 蕃 と戦 っ た。 沖 天 河 及 び 支 流 流 域 に は,木 土 司 が 出 兵 時 に築 い た 高 さ数 十 メ ー トル の 稠 墨 の 一 部 が 残 存 して い る 。 しか し1674年 にチ ベ ッ ト軍 が 中 旬 に侵 入 して 木 里 土 司 に 出兵 を命 じ,木 土 司 軍 を破 っ た た め,以 来,当 地 は 人民 共 和 国成 立 前 まで 木里 大 寺 の管 轄 と な っ た 。 人民 共 和 国 下 で は1953年 に俄 亜 郷 が 設 け られ,83年 に俄 亜 ナ シ族 郷 と な っ た 。 1990年 の統 計 で は6の 行 政 村 と28の 村 民 組,50の 自然 村 か らな り,総 戸 数644戸,総 人 口4566人 で,ナ シ族 とチ ベ ッ ト族,漢 族 が く らす 。 農 民 一 人 あ た りの 平 均 食 糧 生 産 量 は483斤 ,家 畜 数 は9.4頭,年 純 収 入 は266 元 で あ る。 こ の う ち俄 亜 村 は,俄 亜 と克之,施 之 の3自 然 村 か ら な り,総 戸 数120戸 で ほ と ん どが ナ シ で あ る 〔木 里 藏 族 自 治 県 志 編 纂 委 員 会,
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四 川 ナ シ族 に お け る 祭 天 と 祭 山(1)
1995:131〜132,四 川 省 編 輯 組,1987:70〜76,宋,2003:3〜10〕 。 俄 亜 ナ シ に は,「 ア ダ(安 達)」 婚 と い う特 殊 な婚 姻 が あ る。 ア ダ は,正 式 な婚 姻 以 外 の 恋 人 関 係 で,女 性 が 男 性 の も と に通 い,子 供 は 女 性 の 家 庭
に 所 属 す る 。 い か な る手 続 き も儀 式 も不 要 で,恋 愛 感情 が あ れ ば 成 立 し, な くな れ ば 別 れ る 。 これ に 対 して正 式 な結 婚 は 父 母 が 決 め,イ トコ婚 が 優 先 され る。 兄 弟 が1人 の 妻 を共 有 した り,姉 妹 が1人 の 夫 を共 有 した りす る こ とが 多 い 。 正 式 な結 婚 後 も夫 婦 が そ れ ぞ れ ア ダ を もつ こ とが 多 く,夫 婦 が性 的 関 係 を もつ の は一 定 の 年 齢 に 達 して ア ダの 関係 が な くな っ て か ら
だ とい う 〔宋,2003:11〜84〕 。
達 住 村 は,四 川 省 涼 山郵 族 自治 州 塩 源 県 左 所 区 沿 海 郷 に 属 す る 。 四 川 と 雲 南 の 省 境 に あ る ロ コ湖 の 四 川 側 の 湖 岸 に位 置 し,西 北 に は グ ム 山 が,湖
中 に は ワ グ 山 が 聲 え る。 平 均 海 抜 高 度 は2400メ ー トル で,年 平 均 気 温 は 10〜15度,夏 冬 と も に穏 や か で,風 光 明 媚 で あ る。 伝 説 に よれ ば,木:ヒ 司 が 明 代 に 木 里 を 占拠 した 時 に 派 出 した 兵 士 が,木 土 司 の 勢 力 が 衰 え た 後
に麗 江 に戻 る こ とが で きず に 定 住 した。 当 時,一 帯 は 永 寧 土 司 の 管 轄 下 に あ っ て ヒエ の収 穫 に は い つ も徴 集 され た が,ヒ エ を 靴 に 隠 して 持 ち帰 り, 栽 培 を 始 め た。 少 数 で は あ っ た が,組 織 化 され た 軍 兵 で あ っ た た め に 永 寧 土 司 も左 所 土 司 も治 め る こ とが で き なか っ た 。 彼 らは,木 里 大 寺 の 管 轄 ド に 入 っ て,人 民 共 和 国成 立 ま で永 寧 土 司 に 対 峙 した 。1957年 の 統 計 で は, 総 戸 数81戸,総 人 口608人 で あ っ た。 婚 姻 は,父 母 が 決 め る 一 夫 一・妻 制 が 原 則 で あ る。 住 民 は周 辺 に居 住 す る東 部 方 言 の ナ リ語 や プ ミ語 も話 せ, 多 くが 漢 語 も使 え る 〔四 川 省 編 纂 組,1987:1〜6〕 。
両 者 は と も に 明 代 に移 住 した と伝 え るが,そ の 時 期 は 婚 姻 形 態 をみ る か ぎ り俄 亜 ナ シが 達 住 ナ シ よ り早 期 で あ っ た とみ ら れ る 。 明 代 は 土 木 司 が 積 極 的 に漢 文 化 を受 容 した時 代 で,達 住 ナ シ の婚 姻 に は 漢 文 化 の 影 響 が 強 く み られ る か らで あ る 。 ま た 周 辺 民 族 との 往 来 の 多 い達 住 に比 べ,俄 住 ナ シ は 半 閉 鎖 的 な環 境 に あ っ て孤 立 的 で あ り,そ の 結 果,移 住 当 時 の 習 俗 が か な り維 持 され て い る と も い わ れ る。
2.俄 亜 ナ シ の 年 中 行 事 と神 々
俄 亜 ナ シは,宋 報 告 に よ れ ば1年 間 につ ぎの よ う な 行 事 を 行 う。
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1月 は新 年 で,1日 と15日 に 山 の 神 を祀 る 。 と もに シ ゾ ジ 山 に お い て前 者 は ム ラ全 体 で,後 者 は 戸 別 に 行 う。3日 か ら15日 ま で は 「祭 天」 を 行 う。
2月 は8日 に 「牲 口 節 」 が あ り,家 畜 の 繁 盛 を家 畜 神 と 山 神 に 願 う。 同 様 の 祭 りは12月13日 に もあ る。3月 は13日 に大 規 模 な祭 山 を 村 全 体 で 行 う。
3日 に は村 全 体 で 水 神 を祀 っ て 邪Cを 祓 う。6月1日 と11月1日 は,前 者 は 戸 別 に 秋 作 物 の 収 穫 を,後 者 は ム ラ 全 体 で 春 作 物 の 収 穫 を祖 先 に 感 謝 す る。12月27〜29日 に は13歳 に な っ た 男 女 の 成 年 式 を 行 う。
彼 ら の 歳 時 は,時 の サ イ ク ル の 作 り方 や 内 容 が 太 陽 や 月,星 の 運 行 に 沿 っ て 行 わ れ て い る と推 測 さ れ る。 例 え ば 歳 時 の 日 に ち は1と15日 前 後 に集 中 して お り,毎 月 が 月 の 動 きで 刻 ま れ て い る こ とを うか が わ せ る。 ま た 生 業 に関 わ る 歳 時 は2と12月,6と11月 と対 で 行 わ れ,後 半 の11,12 月 を盛 ん に 行 う こ と か ら,冬 至 を 中 心 と し た 太 陽 の 動 き も生 産 と深 く関 わ っ て い る 。
内 容 は,集 団 の維 持 と存 続 を 目的 と して 以 下 の3種 を行 う。 第1は,構 成 員 の 繁 栄 を願 う 子授 けや 児 童 の た め の 儀 式,成 年 式 な ど。 第2は,生 産 活 動 に 関 す る農 業 と牧 畜 の 儀 礼 。 第3は 病 や 災 を もた らす 邪 悪 な 「鬼 」 を 駆 除 す る 定 期,不 定 期 の 儀 礼 で,毎 年3月 の 山 神 や 水 神 の 祭 りな どが あ る。
時 間 の サ イ クル に つ い て は,特 に 生 業 に 関 す る 祭 祀 を 開 始 と終 了 時 の2 回 同様 に 行 う。 生 業 は 農 業 と牧 畜 を 主 とす る が,こ の うち6,11月 の 祭 祖 が 農 業 に 関 わ る もの で,前 者 は 米 の 予 祝,後 者 は小 麦 と大 豆 の収 穫 感 謝 の 意 味 を もつ 。 牧 畜 に 関 わ る の は2,12月 の 「牲 口節 」 で,山 間 で の 放 牧 の
開始 と終 了,す な わ ち 開 山 と封 山 に合 わせ た もの とみ られ る。
崇 拝 対 象 の 神 々 は,天 神,山 神,火 神,水 神,祖 先 で あ る 。 最 高 位 は 天 神 で,山 神 は天 神 に 次 ぐ と され る 〔宋,2003:122〕 。 た だ し山 神 は 天 神 よ り も頻 繁 に 登 場 す る 。 神 々の 性 格 は,後 述 の よ うに,山 神 は 明 らか に 山 とい う 自然 に 対 す る崇 拝 に発 す る の に対 して,天 神 は 自然 を 支 配 す る とい う よ りは,む し ろ 人 間 界,特 に 妻 方 の 一 族 を 表 す もの と して語 られ て い る 。 天 神 は,彼 らの 最 も重 要 な祖 先 で あ り,恵 み を もた らす 神 で あ る。 天 神 を語 る伝 説 は,ナ シ に 伝 え られ た彼 ら の 移 動 と定 住 の 歴 史で もあ る。 また 祭 天 で は,儀 礼 食 物 は 彼 らが 本 来 主 食 と して い た オ オ ム ギ類 で は な く,定 住 後 に獲 得 した 大 米 で あ り,大 米 を生 産 で き な い俄 亜 で も そ れ を行 う。 これ は,
..
四 川 ナ シ 族 に お け る 祭 天 と祭 山(1)
牧 畜 民 で あ っ た 彼 らが 定 住 後 に どの よ うに 農 耕 を 知 っ た か,農 作 物 を も た ら した の は誰 で あ るか とい う祖 先 の 記 憶 を儀 礼 に 反 映 した もの だ ろ う。
祭 祖(ツ ベ)で は,楊 樹 あ る い は 青 尚 樹 で 口や 目 をつ け た 像 を作 り,麻 布 で 包 ん で 祖 先 が や っ て きた 方 角 の 山 洞 に 置 く。 俄 亜 ナ シ は,指 路 経 に よ れ ば 中 国 西 北 部 か ら木 里,永 寧,素 羅,俄 又,洛 吉,白 地,大 覇,黒 白水,白 沙,麗 江 を経 て 来 た とす る 。 祭 祖 は 年 に2回,6月 と11月 で あ る 。 前 者 は 戸 別 の 小 規 模 な もの で あ る 。1日 目は,男 性 が2本 の 青 尚 樹 を 伐 って 来 て, 祖 先 像 と して 家 内 の 祖 先 棚 に 置 く。 あ る い は箕 の 中 に鵬 卵 石 を 置 く。 酒1 樽 と収 穫 した ば か りの 小 麦 を煮 た もの を供 え る 。2日 目は,ブ タ1頭 を 殺
して 果 物 を 供 え,ト ンバ が 経 文 を読 ん で 祖 先 の 帰 宅 を願 う。11月1日 は春 作 物 収 穫 後 の 秋 の 大 祭 で あ る 。 祭 天 場 の 祖 先 棚 に 青 尚樹 数 本 を挿 し,ブ タ を殺 して 肉 や 食 糧,果 物,酒,米 花 糖 を 供 え,ト ンバ が チ ピ経 を 読 ん で 歴 代 の 男 女 祖 先 の 帰 宅 を 願 う。 この よ うに 祖 先 は,農 事 祭 祀 の 中心 で あ り, 定 住 に つ い て 重 要 な 要 素 で あ っ た 農 業 に 深 く関 わ って い る 。
祖 先 は,中 央 室 内 の 大 小 の ベ ッ トの 間 に 設 け られ た 棚 に 像 あ る い は1〜
数 本 の 矢 を挿 した 瓶,羽 を付 け た 鉄 矢 を 収 め た竹 筒 を置 き,そ れ に は 五 色 旗 と銅 鏡 一 枚 を く く りつ け る。 矢 は 駆 邪 を 可 能 に し,祖 先 を 守 る とす る 。 さ ら に 祖 先 祭 祀 で は,女 性 祖 先 崇 拝 が 顕 著 で あ る。 彼 ら は 東 南 西 北 の 四 方 に ポ プ ラ ム,ア ハ ラ ム,ハ シ ラ ム,チ ル ラ ム の4女 神 を想 定 す る。 ま た 女 陰 崇 拝 の 痕 跡 もみ られ る。 木 里 瓦 廠 白河 郷 沙 窪 村(石 崖 の2つ の 洞 孔),前 所 の 打 児 窩,永 寧 の 乾 木 山 が 子 授 け に 効 能 が あ る と され る。 こ れ に対 して 男 性 祖 先 は,女 性 祖 先 に後 発 す る もの で,決 ま っ た神 像 も な い 。
水 神 は3月3日 に 全 村 で龍 打 河 と東 義 河 が 交 わ る処 の 吊 り橋 付 近 にお い て 祀 る。 大 トンバ を 中 旬 北 地 か ら招 き,村 人 は 鶏,猪 朦,米,酒,茶,香 を河 辺 で 女 神 に奉 げ る。 ま ず ト ンバ が 順 調 な風 雨 と 人 畜 の 安 全 を 祈 って 経 文 を 読 み,鶏 を殺 し,猪 腰 を 煮 て 酬 油 茶 を祖 先 に 捧 げ る 。 村 人 は 先 を争 っ
て 吊 り橋 付 近 の 河 で 沐 浴 し,新 しい麻 服 に着 替 え,古 着 を河 に棄 て て 流 す 。 礒 れ を祓 う意 味 を もつ 。
火 神 チ ョ ン ジ ワ ン ズは,モ ソの ジ ャ ンバ ラ に 相 当 す る。 イ ロ リの 傍 ら に 立 つ 高 さ30cm,直 径20cmの 石 柱(或 い は 陶 製)で 象 徴 され る。 食 前 に は 必 ず イ ロ リの 五 徳 の3本 脚 に まず 食物 を供 え,そ の 後 に 家 族 が 食 す る 。 石
..
柱 型 の 火 神 は,麗 江 ナ シ や 中 旬 ナ シに は な く,ナ リや ロ コ 湖 以 東 の プ ミ族 にみ られ る。 チ ャ ン系 集 団 の 多 くは,イ ロ リの 五 徳 の3本 脚 を火 神 や 男 女 の 祖 先 を表 わす とす る が,石 柱 の神 で 火 神 を 象 徴 した もの は な い 。 ナ リ特 有 の もの を ナ リ に囲 ま れ た ナ シ が 導 入 した の だ ろ う。
こ の ほか 白 石(ラ ボ)に 対 す る 崇 拝 も大 き な特 徴 の 一 つ で あ る 。 ラ ボ は 山 頂,家 屋 の 屋 上 や 四 隅,祖 先 を祀 っ た 棚 な ど に 置 か れ,祭 祀 時 に は必 ず 小 さ な ラ ボ と数 本 の 小 枝 を使 う。 家 の 入 口 の 両 側 に も2個 の ラ ボ を置 く。
これ は,兄 妹 が 結 婚 した た め にそ の罰 と して 門 を 守 る よ うに な っ た と伝 え られ る 〔宋2003:124〕 。 三 江 口 の 傍 に あ る ラ サ ル ミは,バ ム ト女 神 が チ ベ ッ トか ら雲 南 の 鶏 足 山 に い く途 中,日 時 を違 え た た め に3日 間 こ こに 滞 在 し,そ の 時 に 乗 って い た 馬 と さ れ る 。 周 辺 の 民 族 もみ な 崇 拝 して お り, 結 婚 後 妊 娠 で きな い 女 性 は こ こ に 来 て 子 授 け を願 う。 香 を た い て 仰 頭 し, 鶏 を 殺 し て捧 げ る。 祀 り終 了 後,瓢 箪 に 金 沙 江 の 水 を 汲 み,自 分 で 飲 む以 外 に 持 ち帰 っ て 沸 か し,ま ず 祖 先 にあ げ,次 に夫 婦 で 飲 む。 ラ ボ は 神 の依 代 で あ る。
3.達 住 ナ シ の 年 中 行 事 と神 々
達 住 ナ シ は,明 代 に麗 江 ナ シの 木 土 司 が 木 里 を 占領 した 際 に派 遣 され た 兵 士 た ち の 末 商 で あ る。 兵 士 達 は 木 土 司 の 勢 力 衰 退 と と もに 戦 い に破 れ, そ の ま ま現 地 に 残 留 した 。 彼 ら は まず 寧 痕 八耳 に行 っ た が,祭 天 用 の 黄 栗 樹 が な か っ た た め に さ ら に塩 源 達 住 に移 住 した 。 そ して 敵 対 して い た 永 寧 土 司 の 支 配 か ら逃 れ る た め に敢 え て 木 里 寺 大 ラマ に 献 納 して そ の 管 轄 下 に 入 っ た 〔四 川 省 編 輯 組,1987:24〕 。
達 住 ナ シの 年 中 行 事 は,俄 亜 ナ シ と多 くの 類 似 点 を もつ と と も に 隣接 す る モ ソ や チ ベ ッ ト族,漢 族 の 影 響 もみ られ,つ ぎの よ う に 行 わ れ る 〔四 川 省 編 輯 組,1987:24〜27〕 。
1月 を 新 年 とす る 。1日 は 戸 別 に 活 動 す る。 夜 明 け 前 に 牛 角 あ る い は 海 螺 を吹 き,松 の 葉 を燃 や して 神 を まつ り,河 辺 で 年 初 の 水 を汲 む。 夜 明 け と と もに グ ム 山 上 の 経 堂 で 香 を燃 や して 山神 を 拝 む 。 帰 宅 後,ト ンパ あ る い は家 長 が 経 文 を 読 み,石 を焼 い て稜 れ を 除 き,イ ロ リの 前 の 火 神 ジ ャ ン バ ラ を 祀 り,祖 先 を祀 る 。 朝 食 後,一 族 の 年 長 者 か ら順 に 新 年 の挨 拶 に ま
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四 川 ナ シ族 に お け る 祭 天 と 祭 山(1)
わ る。2日 に は一 族 間 で 互 い に招 きあ う。
3〜9日 ま で は 「祭 天 」 を行 う。 準 備 は12月13日 か ら始 ま る。
2月 は,8日 に 「牲 口 節(ホ ン ソ ン)」 を 行 う。 早 朝,子 供 達 が 煮 た 豚 足 や 粗 杷 を もっ て 家 畜 を 追 っ て 山 上 に い き,松 の葉 を燃 や して 供 物 を 供 え家 畜 繁 盛 を 祈 る。 夜 に は 家 で 再 び 山神 と祖 先 を祀 る。7月24日 に も 同 様 の 祭 を 行 う。 さ ら に2月 に は 日 を 選 ん で 水 神 を 祀 る 。 木 板 に トンパ が 画 い た
「グ プ ス ハ イ(龍 王)」 「ラ オ(鳥 頭 魚 尾 の 大 鳥)」 「狗(西)」 「鹿(北)」 「馬 (東)」 「牛(南)」 「山 羊(中)」 と祭 天 の 供 物 を 持 っ て水 源 に行 き,順 調 な 風 雨 を水 神 に 祈 る。 最 初 に定 住 した 一 族 で あ る ス ル家 は 一 族 で 会 食 。
3月 は,中 旬 の 一一日 を選 ん で 戸 別 に 祖 先 を祀 る(ロ ンガ ハ ヨ)。 酒 ・茶 ・ 肉飯 を供 え て 香 り と灯 を点 し,ト ンバ が 経 文 を 読 む。 最 後 に供 物 を 外 に投 げ て 烏 に 喰 ら わ せ る。4月 は 穀 物 の 豊 作 を 祈 っ て 谷 神 を祀 る。6月 は,1
日に 大 麦 や エ ン ドウ の 収 穫 期 に 新 穀 を 供 え,共 食 して 祖 先 を祀 り収 穫 感 謝 を祝 う(タ ブ)。 ス ル家 の古 い 家 々 が 黄 栗 樹 を 家 内 に植 え,20〜30斤 の コ ブ タ あ る い は 鶏 一 羽 を殺 し て 祀 る 。 ス ル 家 以 外 の 人 々 を 食 事 に 招 く。11 月 に も 日 を選 ん で 同 様 に 祖 先 を 祀 る。 ブ タ を殺 し,ト ンバ が 経 文 を 読 む 。 7月 は,29日 に全 村 で 山 羊 を 殺 して 鬼 を 駆 逐 す る。 トンバ が 各 戸 を 回 っ て 駆 鬼 経 を読 み,子 供 た ち が 木 刀 を も っ て トンバ の 後 に続 く。10月 は,日 を選 ん で 風 神 を 祀 る(ハ ン トブ)。 各 戸 は 松 明 を つ け,雄 鶏 と雌 鳥1羽 ず つ を も っ て 各戸 の 決 ま っ た樹 木 に 行 く。 トンバ が 風 神経 を よ む 。5月5日 に 雄 黄 酒 を 飲 み,8月15日 に 中 秋 節 を 行 う。
以 上 の よ う に達 住 ナ シ の 歳 時 は,俄 亜 ナ シ と同 様 に 祭 天 を 最 も盛 ん に 行 い,3,4,11月 に は農 作 物 の 豊 作 祈 願 や収 穫 感 謝 を 目的 に 祭 祖 を行 い,2,7月 に 放 牧 に 関 す る 「牲 口節 」 を行 う。 また トンバ を 中心 と した村 全 体 の 駆 鬼 行 事 や 祭 風 祭 水 が あ る こ と は,俄 亜 で も不 定 期 的 で は あ る が 行 わ れ て い る 。 しか し山 神 祭 りを俄 亜 の よ うに 村 全 体 で 大 規 模 に 行 う こ とは な い。 ま た1月7日 の ラ マ に よ る駆 除 儀 礼 に み ら れ る よ う に チ ベ ッ ト仏 教 の 影 響 を よ り深 く う け い れ て お り,一 方 で5月5日 の 端 午節 や8月15の 中 秋 節 の よ う な漢 族 の 儀 礼 もみ られ る 。
四 川 ナ シの 年 中 行 事 は,俄 亜 ナ シの そ れ が 原 型 に近 い の で は な い か と思 わ れ る。 年 初 の 祭 天 を最 大 の 行 事 と し,農 業 と牧 畜 の 始 ま り と終 わ りに 生
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業 形 態 に 関 わ る 儀 礼 を 行 う。 農 業 に は 祖 先 を 祀 る祭 祖 を6,11月 の 年2回, 牧 畜 に は 山神 を祀 る祭 山 を2,7月 に 行 う。 山神 祭 りは,3月 に 大 々的 に 行 う 俄 亜 に対 して,達 住 で は 山神 は た び た び 登 場 す る もの の ム ラ全 体 で 単 独 に 大 々 的 に 行 わ れ る こ と は な い 。 隣 接 す る ナ リが7月24日 に 女 神 グ ム 山 の 祭 りを 行 う こ とか ら,7月24日 の ホ ン ソ ン(牲 口 節)が そ れ に相 当 す る の か も しれ な い。
4.塩 源 ナ リ,永 寧 ナ リの 年 中 行 事 と の 比 較
塩 源 ナ リ の 年 中 行 事 は 以 下 の よ うで あ る 〔四 川 編 輯 組1987:190〜192, 233〜247〕 。
新 年 の 準 備 と して9,10月 に ブ タ を 殺 して 猪 朦 を作 る 。12月 に米 を 購 入 し,糟 杷,醸 造 酒,豆 腐 や 瓜 粁 や 米 花 な どを 準 備 す る 。 大 晦 日に は 家 屋 の 内外 を清 掃 し,庭 に2本 の 松 を た て,門 に 対 聯 や 彩 紙(日,月,星,鴨, 羊 を描 い た もの もあ る)を 貼 る(4)。
新 年 ク シは 大 晦 日か ら始 まる 。 ラマ と ダバ(シ ャー マ ン)を 招 い て祖 先 を家 に迎 え る。 まず 祖 先 に 料 理 を供 え,つ ぎに家 人が 食 べ る 。 こ の 日,家 族 構 成 員 は 必 ず 家 に 戻 る。 また 他 家 を 訪 ね な い 。 ジ ャ ンバ ラの 降 臨 を 願 っ て 水 を 供 え る 。1日 夜 が 明 け た ら,成 年 式(か つ て 土 司 の 子 は9歳,一 般 家 庭 は13歳)を 行 う。 ラ マ と ダバ が 占 っ た時 間 に下 座 の イ ロ リの2本 の 柱 前 で,永 寧 地 区 で は男 性 は 男 柱,女 性 は女 柱 の 前 で(左 所 で は どの 柱 の 前
(4)新 年 の 準 備 で は,米 を 生 産 して い な い ム ラ は 他 村 に 交 換 に 行 く。猪 朦 は 大 晦 日 に これ を2等 分 して 半 分 を 新 年 用 に,半 分 を 切 り分 け て 保 存 し,後 半 年 の 食 料 や 贈 答 な ど に す る 。 対 聯 を 貼 っ て か らの 新 年 の 間借 金 取 立 て を し て は な らな い,不 吉 で あ るか らだ とい う 〔四 川 編 輯 組.
1987:192)o
(5)大 晦 日に は,欠 け た 家 族 の 分 も食 器 を な らべ て料 理 を 分 け 入 れ,一 家 団 円 の 形 にす る 。 また 家 族 が そ ろ っ て い な い と食 事 を しな い と い う場 合 も ま れ に あ る。 食事 は 満 腹 を よ し と す る 。 新 年 を迎 え る大 晦 日の 夜 には,家 に 神 が 降 臨 し て 各 人 の 重 さを 測 る の で 体 重 が 重 け れ ば 重 い ほ ど よい と さ れ る か らで あ る。 ま た夜 に は,庭 に 敷 い た 松 毛 を燃 や し,次 の 日 に燃 え 尽 きた ら吉 とす る 。 永 寧 で は,こ の 夜,新 年 に成 年 式(女 性 は 穿 裾 子,男 性 は 穿 褥 子)を 挙 げ る 。13歳 た ち が 男 女 別 に 分 か れ,朝 まで 食べ な が ら 「山歌 」 を 歌 う。 ナ リ は1日 か ら10日 まで に動 植 物 を あ て る 。 順 に鶏,狗,猪,羊,牛,馬,人,谷(穀 物),豆,綿 花 で,そ の 日 に そ の 動 植 物 を 食 べ て は な ら ず,当 日 日和 が よ け れ ば 該 当 の もの が 豊作 に な る とす る 〔四 川 編 輯 組,1987:
192〜193〕 。 漢 族 に も同 様 の数 え 方 が あ り,そ の 影 響 が み ら れ る 。 漢 族 は1〜7日 ま で 鶏.狗, 猪,牛 の 五 牲 と馬 を 配 し,最 後 を人 とす る 〔中 村 喬(1990)『 続 中 国 の 年 中 行 事 』 平 凡社61〜
64〕。
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四 川 ナ シ 族 に お け る 祭 天 と祭 山(1)
で も可),脚 で 猪 朦 と食 糧 袋 を ふ み,門 枠 に 数 回打 ち付 け た ス カ ー トを 頭 か ら(ズ ボ ン は脚 か ら)着 る 。 祖 先,火 神,老 人 を拝 す る。1日 は,村 内 の 一一族 の 老 人 や 遠 方 の 客 を招 く。3日 まで,昼 間 は歌 を歌 い,ブ ラ ンコ に の り,夜 は跳 鋼 庄 を す る。15日 は,新 年 用 の 松 を抜 い て 門 の 彩 紙 を は ず し, 夜 に ご馳 走 を食 べ て 新 年 を 終 え る。 次 の 日か ら仕 事 を 始 め る(5)。
3月 ブ グ ラ ク に は 種 ま きを 開 始 す る 。 龍 王 の 降 臨 に よ っ て 雨 が ふ る の で 夜 明 け に は 皆 が 競 っ て 河 辺 に 水 を飲 み に行 き,龍 王 に 遇 え た ら一 年 間 平 安 無 事 に過 ごせ る とい う。 庭 の 外 に草 木 の 灰 を撒 い て 蛇 が 内 に は い る の を 防 ぐ。 部 屋 の 入 口 に柳 の 枝 を掛 け,頭 に は 柳 枝 で 編 ん だ 丸 い 帽 子 を か ぶ る。
5月5ロ ア リモ に は鍋 庄 を祀 り,酒 を 家 屋 の 屋 根 に撒 き,菖 蒲 と3ζ菖 を掛 け,雄 黄 酒 を飲 ん で 邪 悪 な もの や 病 を 防 ぐ。
7月25日 は 女 神 グ ム の 山(獅 子 山)を 祀 る 祭 山 を 行 う。 女 神 グ ム は 神 山の 主 で あ り,最 も子 授 け に効 果 が あ る と信 じ られ て い る。 主 に青 年 男 女 が 食物 を も っ て 山 に上 り,香 を た く。 男 女 は 踊 りな が ら ア チ ュ(恋 人)を み つ け る 。8月15日 は 祭 祖 で,ダ バ を招 き,ブ タを 犠 牲 に して 亡 くな っ た 祖 先 を祀 る 。 永 寧 は10月,左 所 は8月15日,前 所 は15日 に は モ ン ゴ ル 人 を殺 した の で 祖 先 を祀 る こ と は で き な い と して2日 に す る 。11月12日 は ル タ(牛 馬 年,過 小 年)で,子 供 達 の 無 事 な 成 長 を 祈 る。
永 寧 ナ リの 年 中 行 事 は,塩 源 ナ リ とほ ぼ 同 じで あ る 。 女 神 グ ム を祀 り, 人 畜 繁 盛 と五 穀 豊 穣 を 願 い,子 供 の 誕 生,無 事 な成 長 を祈 る7月25日 の 祭 山 を 最 大 の祭 りとす る 。 ま た 新 年 は,12月20日 に 火 神 ジ ャ ンバ ラ を祀 り, 成 年 式 を行 い,一 家 が 団 円 す る 。 生 業 に 関 わ る10月 バ コ ジ ブ(祭 祖),11 月12日 イ ン ジ ャ(牛 馬 年)も あ る 。 祖 先,火 神,水 神 も崇 拝 し,内 容 的 に は3種 あ り,農 業 や 牧 畜 な ど生 業 と関 わ る も の,駆 邪,人 口 の 繁 栄 を 願 っ て 子 授 け や 子 供 の 順 調 な生 育 を願 う 〔雲 南 編 輯 組,1987:75〕 。
第3章 四川 ナ シの祭 山 と祭天
1.四 川 ナ シの 祭 山
四 川 ナ シの 居 住 地 は,3000メ ー トル級 の 山 々 に 囲 まれ た土 地 に あ り,山 は 自然 を 代 表 し,ナ シ に とっ て は 最 大 の 原 初 的 な神 で あ る。 祭 山 の 目的 は,
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人 畜 の 安 全 と五 穀 豊 穣,順 調 な春 耕,子 授 け祈 願 で あ る 。 俄 亜 村 の 南 に は 男 山,北 に は女 山(ザ クザ ア ジ ュ)が あ り,女 山 の 清 泉 で 沐 浴 す る と妊 娠 す る と い う。 俄 亜 ナ シの 祭 山 は 次 の よ うで あ る 〔宋,2003:122〜123, 四 川 省編 輯 組,1987:118〜119〕
毎 年3月13日,村 全 体 で,各 戸 か ら一 人 が 参 加(男 女 ど ち ら で も 可) して村 の 北 の 山 腹 に あ る 祭 壇 場 で 行 う。 各 人 は杷 杷1個 と 白酒1碗 を もっ て い く。 祭 壇 の 前 に5本 の 桃 枝 を 挿 し,周 囲 に彩 色 の 旗 を は りめ ぐらす 。 トンバ が ジ ピ経 を読 む。 読 み お わ る と こ の 日の た め に 養 っ た牛 を煮 て 皆 で 共 食 す る。 終 了 後,牛 肉 が そ れ ぞ れ に配 分 され,家 で 家 人 と食べ る。 各 戸 が 食事 に招 きあ う。
新 年 の1,15日 は,ト ン バ が80あ ま りの 山 名 を よ び だ す 。 う ち 最 も崇 拝 され る5山 は,山 頂 に 湖 が あ っ て 海 螺 を 産 す る シ リ ジ,砂 金 をだ す ザ ビ ヤ ジ,鉄 を 産 す る シ ャ ラ トジ,蘇 達 河 北 側 の 男 山 ラ グ ス ツ ジ と南 側 の 女 山 ザ クザ ジ で あ る。 男 山 に は岩 が あ り,男 の 子 を 多 く授 け,女 山 に は清 水 が あ っ て 女 の子 を多 く授 け る と い う。1日 に は,新 しい 服 で 着 飾 っ た 男 女 が 猪 朦 肉 や 酪 油,酒 茶,米,香 な ど を持 っ て 山上 に 上 り,集 団 で 山 神 を祀 る 。
トンバ が 山 名 を よ び,来 臨 して 供 物 を うけ る よ うに とい う経 文 を読 ん で も ら う。 祭 祀 後,そ の場 で 野 宴 を し,老 人 か ら順 に敬 酒 をす る。 参 加 で きな い 者 は,事 前 に10斤 の 食糧 をだ し,責 任 者 が そ れ で 酒 を作 っ て み な に ふ る ま う。15日 は戸 別 に家 長 が 主 催 者 とな って 山 上 で 香 を た い て 叩 頭 し,供 物 を捧 げ る 〔四 川 省編 輯 組,1987:118〕 。
新 年1日 と3月13日 の 祭 山 は,場 所 は前 者 が 山 上,後 者 が 山腹 の 祭壇 場 で あ るが,と も に村 全 体 で 同 様 の 形 態 で 行 う。 また 供 犠 が 他 の 祭 祀 と異
な っ て 牛 で あ る こ と も,祭 天 が ブ タで あ る こ と と異 な っ て い る。
四 川 ナ リ も,山 神 を重 要 な 神 と位 置 づ け る 。 天 神 とい う存 在 は 設 け られ て い る もの の 特 別 な祭 天 を 行 わ な い 。 山 神 は,農 作 物 の 豊 作 や 家 畜 の 繁 盛 を掌 る だ け で な く,人 の 繁 栄 や 美 醜 を 決 め る とす る。 また 各 地 に は独 自の 神 山が あ り,そ れ ぞ れ が 幾 つ か の 小 さい 山 々 を 管 理 す る。 儀 式 に は,ダ バ が 主 催 して 正 月5日 か7月15日 に 村 全 体 で 行 う もの と,家 長 或 い は 老 人 が 毎 日朝 晩,自 宅 の ス タ で 行 う各 戸 単 位 の が あ る 。
儀 式 の 内 容 は,村 単 位 の もの は,当 日全 村 人 が 村 の 神 山 に集 ま る 。 犠 牲
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四 川 ナ シ族 に お け る 祭 天 と祭 山(1)
に した 山 羊 と 鶏,数 百 の 「神 鬼 人 形 」 を 供 え,松 の 葉 を燃 や す 。 ダ バ が
「ワ グ ラ」 経(山 神 に 全 村 の 人 畜 繁 栄 と豊 作,順 調 な風 雨,水 草 繁 茂 を祈 る)を よ み,ビ ジ ャ とハ ス が ポ を振 っ て 鼓 を な ら し,呪 語 を唱 え る 。 最 後 に ダバ が 神 樹 に 麻 糸 に 彩 色 の 布(山 神 へ の 供 物 を代 表)を さげ て か け る 。 同 時 に,病 人 は 自分 の 服 や 装 飾 品 な ど を 神樹 に掛 け,ダ バ に 「求 寿 経 」 「消 災 経 」 を よ ん で も らい 数 羽 の 鶏 を 放 す 。
家 庭 で の 祭 山 も 同 様 で あ る 。 屋 上 の ス タで 松 の 葉 を燃 や し,清 水 とザ ン バ 粉 を撒 き,土 地 の 大 山 神,村 の 神 山,一 族 の 神 山,自 家 の 神 樹 の 名 を順 に呼 ん で 山神 に 一 家 の 繁 栄 や 無 病 息 災,吉 祥 平 安 を祈 る。 各 戸 の 神樹,山 神 の 依 代 で あ る 。
以 上 に よ れ ば,山 上 で の 儀 式 の 内 容 お よ び形 態 は,チ ャ ン族 や プ ミ族, 川 西 南 チ ベ ッ ト族 の 山上 で の そ れ に極 め て 似 て い る 。 ま た 毎 日朝 晩,屋 上 の ス タで 行 う 祭 山 は,ま さ に 川 西 南 チ ベ ッ ト族 に広 くみ られ る 習 慣 で あ り, ナ リの 祭 山が,チ ャ ン系 集 団 の系 統 で あ る こ と を 示 唆 して い る 。
ま た ナ リは,各 地 で 固 有 の 山 神 を女 神 と して 崇 め,子 授 け を 祈 る 〔和 志 武 等,1993:114〜115,四 川 省 編 輯 組,1987:234〜235〕 。 永 寧 で は, 獅 子 山 は 女 神 グ ム の 山 で,永 寧 の 人 畜 繁 栄 や 豊 作 を 掌 る神 で あ る と と もに 山 神 の 主 で あ る とい う。 永 寧 人 は,7月25日 に数 戸 あ るい は 数 十 戸 が 麓 で 松 の 葉 を燃 や し,蜂 蜜 や ザ ンバ,生 花,牛 乳,茶 等 を 供 え,叩 頭 して 祈 る 。 ア チ ュ(恋 人)と と も に 山 の 周 囲 を 一 泊 しな が ら 回 る 若 者 も い る 。 伝 説 で は,グ ム の 最 初 の ア チ ュ は 前 所 の ワ ル ブ ラ で あ っ たが,二 番 目 の ア チ ュ の 忠 実 村 の ズ ジ に嫉 妬 して そ の 生 殖 器 を 断 ち切 っ た,そ れ が ダバ 村 に あ る 長 方 形 型 の 山墨 だ と い う。 木 里 で は,女 神 パ ドンハ マ が お り,海 か ら ウ ズ ニ ク 洞 窟 に 来 た と い う。 洞 窟 内 に は清 水 が 湧 き,女 性 の 生 殖 器 を 象 る 石 が あ る 。 永 寧 の チ ベ ッ ト佛 教 の 高 僧 た ち は毎 年11月 中 旬 に7晩,そ こ で 経 を 読 む 。 永 寧 で は グ ム グ山 参 拝 で も妊 娠 し なか っ た ら こ の パ ドンマ 廟 に 行 き, 廟 前 の 柏 樹 に 銭 を か け て 妊 娠 を願 う。
また 男 山(男 神 の 山)に も子 授 け や 子 供 の 順 調 な成 育 を 願 う。 伝 説 で は, こ れ らの 男 神 た ち は,女 神 グム グ の ア チ ュ だ と され て い る 。 忠 実 村 で は, ズ ジ山(グ ム グの2番 目の ア チ ュで あ る 男 神 の 山)を 子 供 の 成 長 を み ま も
り,当 地 の保 護 神 で あ る と して 毎 月1,15日 に 香 を た き,叩 頭 して 祈 る。
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開坪 郷 で は,ア サ 山 の 山頂 に ラマ 廟 が あ り,ラ マ を管 理 す る 山 神 で あ る と す る。 毎 年 正 月1,2日 に永 寧 の 活 仏 と ラマ が 行 っ て 経 文 を 読 む 。 一一般 人 は 5,15,25日 に参 拝 す る 。 女 性 は 麻 糸 を 廟 の 周 囲 に ま い て 菩 薩 の 加 護 を願 う。 ま た ワハ 山 は 最 大 の 男 神 で あ る が,女 神 グム グ の管 轄 下 に あ る 。 毎 年 7月15日 に 永 寧 盆 地 の ナ リの 男 女 が グム グ に参 拝 す るの と同 様 に(規 模 は ノ1・さ い が)祀 るQ
ナ リは,山 々 の 序 列 に お い て女 神 の 女 山 を 頂 点 と して 男 神 の男 山 を配 す る。 ナ リの 社 会 で は,天 界 で は 女性 を太 陽,男 性 を 月 とす るが,ナ シで は 逆 に,太 陽 は 男 性 で,星 群 が 彼 らの 子 供 た ちで あ る とす る。 自然 界 の 序 列 に も,ナ リは 母 系 制,ナ シ は 父 系 制 を反 映 させ て い る 。
俄 亜 ナ シの 祭 山,祭 天 は,チ ャ ン系 集 団 の そ れ と比 較 す る と次 の よ う な 特 徴 が あ る。
1.四 川 ナ シで は,山 神 は 天 神 に つ ぐ もの で,祭 山 も祭 天 の 次 に 位 置 づ け ら れ る 。 しか しチ ャ ン族 や プ ミ族,川 西 南 チ ベ ッ ト族 に は 天 神 とい う存 在 は 想 定 さ れ て お らず,祭 山が 最 大 の 祭 りで あ る。
2.祭 天 は,ナ リに は な くナ シ の み に み られ る。 ナ リ に は ム グ ラ と い う天 神 が い る が,ナ シ の よ う な祭 天 の 儀 礼 は ない 。 しか しチ ャ ン族 の 南 部 方 言 地 区 に は 天 神 が 最 高 の 神 と して あ り,ナ シ と ほ ぼ 同 様 の 伝 説 「ム ジ ジ ョ」
を伝 え て い る。 ム ジ ジ ョは チ ャ ン族 の 女 始 祖 で あ る。 両 集 団 と も に,あ る 地 域 に 定 住 した 時 に生 業 の 中 心 が 牧 畜 か ら農 耕 へ と移 り,農 耕 技 術 を 女 性 との 婚 姻 を契 機 に 男 性 が 女 性 の 父 か らだ さ れ た 難 題 を 一つ ず つ 解 決 して い くこ とで 学 ん で い く。 ナ シの 場 合 は,米 の 水 田 耕 作 技 術 とブ タの飼 育 を知 る。 そ こ に は 妻 方 の 社 会 が 天 神 お よび 天 界 の 存 在 と して 登場 す る 。 3.白 石 崇 拝 もチ ャ ン族 や ギ ャ ロ ン ・チ ベ ッ ト族 な ど に広 くみ られ,チ ャ ン系 集 団 の 特 徴 の 一 つ と して 指 摘 され て い る 。 管 見 の 限 り,麗 江 ナ シで は ほ とん ど きか な い が,四 川 ナ シ に お い て は特 定 の 神 を 象 徴 す る もの で は な く,い わ ゆ る 霊 的 な存 在 全 体 の 依 代 と して 登場 す る。
2.四 川 ナ シの 祭 天
祭 天 の 儀 礼 は,四 川 ナ リ に は な く,四 川 ナ シの み に み られ る。 「祭 天 ・崇 邦 颯 」 に よ れ ば,ナ シ の 始 祖 夫 婦 が3年 た っ て も子 供 に め ぐま れ ず,妻 方
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四 川 ナ シ 族 に お け る 祭 天 と祭 山(1)
の 父 母 と叔 父 に感 謝 す る儀 礼 を行 っ た ら3人 の 子 に恵 まれ,後 に チ ベ ッ ト 族 とナ シ族,ペ ー 族 に な っ た と伝 え る 。
俄 亜 ナ シの 祭 天(モ プ)に は,特 徴 と して まず 以 下 の 点 が あ げ られ る
〔和 志 武 等,1993:54〜56〕 。
第1に,固 定 さ れ た 祭 祀 グル ー プ が あ る。 祭 天 グ ル ー プ は,木 官 家(か つ て の 支 配 者 一 族)を 含 む プ トー 族 と トンバ 家 を含 む グ ス ー 族 に 大 別 さ れ る 。 プ トは グ ス よ り上 位 に位 置 付 け られ て い る 。 そ の た め 祭 祀 の 内 容 は ほ ぼ 同 じだが,小 祭,大 祭,清 竃 の 期 日が,プ トは 必 ず グス の 前 で4〜8日 に 行 うの に 対 し,グ ス は9〜14日 で あ る 。 最 終 日の 供 物 も,前 者 は ブ タ, 後 者 は ニ ワ トリ で あ る 。 政 治 的 支 配 者 を宗 教 担 当 者 の 上 位 に位 置 づ け た こ
とは,こ の 祭 祀 が 後 発 の,政 治 的 な性 格 を もつ こ と を 示 して い る 。 また 祭 祀 の 主 催 集 団 と して 固 定 され た 組 織 が あ る。 大 ト ンバ,カ シ(ト ンバ)と カ バ(ト ンパ の 手 伝 い),木 官(か つ て の 支 配 者 一 族),祭 祀 の 豚 を 飼 育 す る2戸,酒 造 りの2戸 で あ る 。 各 戸 は ブ タの飼 料 と 米 酒 用 の 米 を だ す 。
第2に,そ の 土 地 で は栽 培 され な い 米 が 儀 礼 食 物 と され,ブ タ を犠 牲 に す る。 「祭 天 ・崇 邦 颯 」 に よれ ば,祭 天 の 犠 牲 は,元 来 大 き な黒 色 の 黄 牛 と 白 角 の 黄 牛 で あ っ た の が,農 業 社 会 に な っ て か ら黒 白 の ブ タに な っ た とす る 〔和 志 武 等,1993:42〕 。
第3に,伝 説 で は,天 神 は 妻 方 の 父 を表 す 。 そ れ は 農 耕 を 生 業 と した 社 会 へ の 移 行 を反 映 して い る。 俄 亜 で は 祭 壇 に3本 の 樹 木 を立 て る 。 中 央 が 柏 で 人 皇,左 右 が 青w樹 か 黄 栗 樹 で,左 は 天神,右 は 地 神 を 表 す 。 天神 の 後 方 の 松 は 戦 神 を 表 す 。 天 神 は ソ ラ ア プ,妻 は ズ ホ ンア ソ ダ とい い,ナ シ 族 の 男 性 始 祖 レ ン リエ ンの 妻 ツ ホ ブ バ ミ ンの 父 母 で あ る 。 麗 江 地 区 で は こ れ に柏 で 表 さ れ た 舅 舅(妻 の 兄弟)が 加 わ る 。
「創 世 記 」 に 記 さ れ た ナ シ族 の 起 源 に よれ ば,大 洪 水 に よ っ て1人 生 き 残 っ た リエ ン は,天 女 チ ェ ン ホ ンパ オパ イ と愛 し合 い,天 帝 ズ ロ ア プ か ら 出 され た 難 題,刀 の 梯 子 を 登 る,一 日で99山 の 樹 木 を切 っ て 焼 き,一 日 で9911」 の畑 に 種 ま き をお え,一 日 で99山 の 種 子 を拾 い 集 め,キ ジバ トや ア リに 食 べ られ た 種 子 を捜 しだ す,岩 羊 を捕 ら え,魚 を と り,虎 の 乳 を 搾 る な どの 問 題 を 天 女 の 助 け を得 て 解 決 し,つ い に 結 婚 した。 途 中 の 困 難 を
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乗 り越 え て つ い に ポ ン シ タ オ ベ ン タ ン(現 在 の 麗 江 地 区 白沙)に 定 住 した 。 しか し3人 の 息 子 は み な 口 が きけ な か っ た 。 そ こ で コ ウ モ リ を天 界 に派 遣 して 天 帝 か ら祭 天 の 秘 法 を き きだ し,人 間 界 で そ れ を行 う と,息 子 た ち は 話 せ る よ う に な っ た 〔和 鐘 華 ら,1992:130〜131〕 。
チ ャ ン族 の始 祖 伝 説 「ム ジ ジ ョ」 に よれ ば,天 女 ム ジ ジ ョを愛 した トア ンジ ュ は,天 帝 アパ ム ピ タか ら出 され た難 題,氷 溝 に 立 っ て 落 下 して き た 木 石 を受 け止 め る,9の 荒 地 の 潅 木 を切 って 焼 く,そ こ に種 を撒 く,そ こ か ら菜 種 を拾 い 集 め る,種 を 食 ら う鳥 鳩 を射 殺 す な どの 問 題 を ム ジ ジ ョの助 け を借 りて解 決 し,結 婚 す る 〔四 川 省 編 輯 組,1986:161〜166〕 。
両 伝 説 と も,難 題 は 焼 畑 耕 作 法 の プ ロ セ スで あ り,農 耕 社 会 へ の 移 行 を 示 唆 す る もの と い え る。
第4に,神 を 祀 る 時 に女 性 の 参 加 を 認 め な い 。 祭 山が 全 住 民 参 加 で あ る の と大 き く異 な る 。 ナ シ の 父 系 制 が 中 国 王 朝 あ る い は漢 族 との 接 触 以 降 に 確 立 した とす る 通 説 に従 え ば,明 代 初 期 に麗 江 か ら移 住 した 俄 亜 ナ シ に父 系 制 普 及 以 前 と以 後 の形 態 が 残 存 して い る こ とは,上 記 の 通 説 の 時 期 を想 定 させ る もの で あ る。
以 下 は プ トー 族 の 祭 祀 活 動 の 内 容 で あ る 〔和 志 武 等,1993:55〜59〕 。 準 備 は12月1日 か ら始 ま る 。 神 酒 造 り担 当 の2戸 が 山 に松 の 柴 を切 り 出 しに 行 く。9日 は 祭 天 場 の 清 掃,10日 は 柴 を 祭 天 場 に運 ぶ 。13日 は 神 ブ タ飼 育 担 当 の2戸 が 山か ら柏 樹1本(人 皇)と 青w樹2本(天 神 と地 神) を切 り出 す 。14日,酒 造 り2戸 が 神 米 酒(嬬 米 で 造 っ た 甘 酒)を 仕 込 む 。30 日 は 全 住 民 が ソ ダ河 で 身体 や 衣 服 を 洗 って1年 間 の 臓 れ を 祓 う。 山 か ら切 り出 した 竹 と香 料 葉 で 大 小 の 神 香 を 作 る。2日,各 戸 が 順 に木 官 を招 き, 飲 食 。 神 米 を入 れ る トン ジ ャ ン を準 備 。3日 は,午 前 が 神 米 洗 い の 儀 式, 午 後 は神 米量 りの 儀 式 を行 う。 午 前 に トン ジ ャ ンを 河 で 洗 い,真 っ赤 に焼 い た 石 を 置 い て 清 め る 。 午 後,米 掲 き場 に12個 の 石,12本 の 香,鶏1羽 を 置 き,ト ンバ が 念経,カ シ が 神 米 を揚 く まね を し,カ バ が 枡 で 揚 い た 神 米 を量 っ て ト ンジ ャ ン に い れ,松 毛 で 蓋 をす る。 また 主 人 は 大 麦 の 穂 を 神 台 や 柱,水 甕 な ど屋 内 の 各処 に 挿 す 。
4日 は トデ ウ(小 祭)。 夜 明 け と と も に 木 官,ト ンバ,ト ン ジ ャ ン を 背 負 っ た 各 戸 の 男 性 が 祭 天 場 に 行 く。 祭 天 壇 は 第 一 壇 が 神 樹(神 酒 甕),第2
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