狩 野 川 放 水 路
狩野川放水路
■伊豆半島の成り立ち
伊豆半島の歴史は、約2,000万年 前にさかのぼります。当時の伊豆は、 南洋に浮かぶ火山島(一部は海底火 山)でした。その後、フィリピン海 プレートの北上の動きに合わせて、 日本の本州に接近、衝突。現在の半 島の形になりました。 衝突後、約20万年前までは、半 島のあちらこちらで噴火が続きます。 その後、天あ ま ぎ さ ん城山や達だ る ま や ま磨山といった伊 豆の大型火山が誕生し、現在の伊豆 半島の骨格を形づくりました。伊豆半島
プレート 沈み込み口 海底火山 本州 400km 800 ∼ ①深い海での 火山活動 (2000〜1000万年前)伊 豆 半 島 の 成 り 立 ち
海底火山 プレート 沈み込み口 400 ∼80km 小火山島 本州 ②浅い海での 火山活動 (1000〜200万年前) 80 ∼ 40km 陸地 本州 熱海層群最下部の 砂や泥が堆積 ③本州への衝突の はじまり (200〜100万年前) 丹沢山地の隆起と浸食 伊豆半島の隆起 ④衝突の進行 (100〜60万年前) 蛇石火山 宇佐美火山 達磨火山 多賀火山 海峡の堆積物 ⑤伊豆半島の 原型の完成 (60万年前) 箱根火山 天城火山 愛鷹山 ⑥ほぼ現在の 伊豆半島に (60〜20万年前) 駿河湾 Suruga Bay 富士山 富士山 石廊崎断層 石廊崎断層 伊豆東部火山群伊豆東部火山群 丹那断層 丹那断層 ⑦生きている伊豆半島 (20万年前〜現代) イラスト:伊豆半島ジオパーク推進協議会提供第1章 伊豆半島と狩野川の成り立ち
1■狩野川の成り立ち
◎天
あ ま ぎ さ ん け い城山系と狩
か の が わ り ゅ う い き野川流域
海から流れ込む湿った空気は、天城の 山々にぶつかって、多量の雨となって狩 野川流域に降り注ぎました。洪水のたび に河か が ん岸を侵しんしょく食して流出する土砂は、平地 部に堆た い せ き積しました。こうして侵食が何万 年もの間に繰り返されて、狩野川流域が 形成されました。 狩野川流域 相模湾 駿河湾 1,400m 湿った空気 天城山系 富士山 駿河湾①1万数千年前
富士山②1.2万年前
約1万数千年前には、富士 山が爆発し、その流れ出た 溶岩により現在の河口部付 近が塞ふ さがれ、狩野川は沼地 (ラグーン)と化しました。 約1.2万年前頃からは、大 陸の氷河が溶け出し、再び 海面が上昇しました。 富士山 古狩野湾③8千年前
富士山④5〜6千年前
海水は、沼地となった狩野 川に入り込み、狩野川は古こ 狩か の わ ん野湾となりました。 5〜6千年前までには、山 から運ばれた土砂が少しず つ堆積し、古こ か の わ ん狩野湾は次第 に狭まり、河川の様相を呈 するようになりました。 富士山⑤近代〜現在
⑥現在
狩野川やその支川からの流 れや、度々発生する洪水に より、狩野川の流路は変化 し、ところどころに自然堤 防や段丘が形成されました。 その後、狩野川では堤防の 整備や狩野川放水路の整備 等が進められ、現在の狩野 川の姿になりました。狩野川の変遷 1万数千年前〜現在まで
沼地 砂及び礫 泥 山地・丘稜・台地 溶岩 海域 砂礫州 狩野川(支川含む) 凡例1 414 246 136 414 1 136 246 469 大場川 裾野市 長泉町 三島市 函南町 清水町 沼津市 伊豆市 伊豆の国市 御殿場市 来光川 柿沢川 駿河湾 黄瀬川 狩野川 伊豆縦貫道 3000 2500 2000 1500 1000 500 0 mm 湯ヶ島 東京 1,528 2,778 湯ヶ島は東京の 降雨量のおよそ 2倍 ※ 気 象 庁 ホ ー ム ページ過去の気 象データー検索 降水量平年値の データを使用。 浄蓮の滝 伊豆市観光交流課所蔵 アユ釣り 伊豆市観光交流課所蔵 柿田川 ワサビ田 伊豆市観光交流課所蔵 狩野川は、伊豆半島中央部の伊豆市の天城山系にその源を発 し、大小の支川を合わせながら北流し、田方平野に出て伊豆の 国市古こ奈で狩野川放水路を分派した後、箱根山等を源とするな 来 ら い こ う が わ 光川、大だ い ば が わ場川等を合わせ、さらに、沼津市で富士山麓より南 下する最大の支川黄き せ が わ瀬川を合流し、そこから西へ転じ、駿河湾 に注ぐ流路延長46km、流域面積852km2の一級河川です。 狩野川の水源地天城山系は雨の多い地域で、年間降雨量はお よそ3,000mmです。流りゅうりょう量の豊富なその水は清流として知られ、 伊豆市では、ワサビ栽培が盛んです。また、鮎あ ゆの宝庫で友釣り の発祥地とも呼ばれています。 ■東京(千代田区)と湯ヶ島(静岡県伊豆市)の年降水量の比較
第2章 狩野川の概要
3修善寺温泉 大仁温泉 韮山温泉 奈古谷温泉・畑毛温泉 伊豆長岡温泉 狩野川放水路 狩野川 達磨山 天城山 函南町 三島市 清水町 伊豆の国市 伊豆市 沼津市 船原温泉 吉奈温泉 湯ヶ島温泉 嵯峨沢温泉 月ヶ瀬温泉
温泉につかり、
天と地の恵みに感謝する
伊豆半島は日本でも有数の多雨地帯で あり、雨水を地下で温めるための裂け目 や断層をもつ古い火山がたくさんあるた めに温泉が豊富に出ます。 修善寺温泉、伊豆長岡温泉など、狩野 川沿いには伝統ある温泉地が広がってお り、多くの温泉が昔から地元の人々や 湯と う じ き ゃ く治客に利用され、現在では多くの観光 客が訪れる観光地となっています。ここで歴史が変わり、名作が生まれた
修善寺温泉 伊豆市観光交流課所蔵 伊豆長岡温泉(あやめ小路) 伊豆の国市観光課所蔵 狩野川流域は歴史や文化の舞台としてもしばしば登場し、源頼朝の流刑地である蛭ひ る が こ じ まヶ小島(現蛭ひ る が し まヶ島公園) や北条氏にまつわる史跡などが残されているほか、井上靖や川端康成をはじめとする多くの作家がこの 地を訪れ、狩野川や流域の描写が描かれた優れた作品を残しています。また、盆踊りや慰霊祭、かわか んじょうなどの伝統行事が行われています。 源頼朝・北条政子の像(蛭ヶ島公園) 伊豆の国市観光課所蔵 狩野川灯ろう流し 沼津市広報課所蔵様々な恩恵を私たちに与えてくれる狩野川は、永い歴史の中、洪水氾濫を繰り返し、沿川の人々の生命と 生活を脅かす存在でもありました。古くは二千年前、弥生時代の洪水によって押し流された村里の痕跡が、 流域各地に残っています。その後、源頼朝が1180年に挙兵した時に、洪水のため東国武士の集結に手間取っ たという記録があります。江戸時代には、記録に残る大きな規模のものだけでも40回。明治には42回。大 正には20回。ほぼ1年に1回は大きな洪水に襲われていた事になります。 これは、狩野川の水源地天城山系の年間降水量がおよそ3,000㎜で、その雨が狩野川に流れ込むことに加え、 下流部まで大きく蛇行しながら流れていることが原因として挙げられます。さらに、各支川群からの流入量 が加わり、水量が増すことで、洪水を引き起こしてきたのです。 中流部 狩野川 狩野川 放水路 上流部 下流部 上流部
水があふれて
洪水がおこる
大きく蛇行
富士山麓、
箱根山麓を
起源とする
支川の流入
天城山系に降る
年間およそ
3,000㎜の降雨
田方平野た が た へ い やた が た へ い や 昭和36年梅雨前線豪雨(旧伊豆長岡町天野堰左岸) 昭和36年梅雨前線豪雨(黄瀬川橋流失) 昭和36年梅雨前線豪雨(沼津市下石田) 昭和36年梅雨前線豪雨(沼津市志多町) 狩野川の地形と河川の特性主な水害状況
主な水害による被害状況
昭和13年7月1日 沼津市、函南村等 床上浸水4,383戸、床下浸水4,927戸 昭和16年7月21日 田方郡、沼津市、三島市等 床上浸水1,880戸、床下浸水2,775戸 昭和23年9月16日 アイオン台風三島市等 床上浸水346戸、床下浸水222戸 昭和33年9月17日 台風21号 負傷者1名、家屋全壊1戸、半壊4戸、床上浸水117戸、床下浸水 217戸 昭和33年9月26日 狩野川台風伊豆地方全域 死者684名、行方不明者169名、負傷者735名、家屋全壊261戸、流 失697戸、半壊647戸、床上浸水3,012戸、床下浸水2,158戸 昭和34年8月14日 台風7号中伊豆町等 死者3名、負傷者34名、家屋全壊128戸、半壊537戸、床上浸水1,308 戸、床下浸水2,094戸、浸水面積416ha 昭和36年6月28日 梅雨前線豪雨田方郡、三島市、沼津市等 家屋全壊9戸、流出29戸、半壊1,195戸、床上浸水6,608戸、床下浸 水6,366戸、浸水面積5,000ha 昭和51年8月9日 前線 床上浸水44戸、床下浸水269戸 昭和57年8月3日 台風10号沼津市、三島市、函南町、修善寺町、中伊豆町、 天城湯ヶ島町等 床上浸水575戸、床下浸水878戸、浸水面積794ha 昭和57年9月12日 台風18号修善寺、中伊豆町、天城湯ヶ島町 家屋全壊流出1戸、床上浸水190戸、床下浸水449戸、浸水面積 302ha 平成10年8月30日 前線、台風4号沼津市、三島市、函南町、韮山町、伊豆長岡町、 大仁町、修善寺町 家屋全壊3戸、半壊2戸、床下浸水284戸、床下浸水481戸、浸水面 積371ha 平成10年9月15日 台風5号沼津市、函南町、韮山町、伊豆長岡町、大仁町、 修善寺町等 床上浸水62戸、床下浸水144戸、浸水面積148ha 平成14年10月1日 台風21号 家屋全壊1戸、半壊2戸、床上浸水975戸、床下浸水280戸、浸水面 積93ha 平成16年9月8日 〜9月9日 台風22号沼津市、伊豆市、伊豆長岡町等 家屋全壊4戸、半壊2戸、床上浸水351戸、床下浸水623戸、浸水面 積147ha 平成17年8月25日 〜8月26日 台風11号 床上浸水50戸、床下浸水142戸、浸水面積80ha 平成19年9月6日 〜9月7日 台風9号沼津市、三島市、函南町、伊豆の国市等 床上浸水247戸、床下浸水477戸、浸水面積428ha 平成23年9月19日 〜9月22日 台風15号 床上浸水4戸、床下浸水11戸 注) 平成16年4月に修善寺町、天城湯ヶ島町、中伊豆町、土肥町が合併し、“伊豆市”誕生 平成17年4月に大仁町、伊豆長岡町、韮山町が合併し、“伊豆の国市”誕生 平成17年4月に沼津市、戸田村が合併し、新“沼津市”誕生第3章 狩野川の水害史
5■狩野川台風
昭和33年9月21日グアム島東方洋上に台風22号 が発生し、その後発達しながら北上、中心気圧880 ヘクトパスカル、中心付近の最大風速75メートルと、 戦後最大級の大型台風となりました。 その後、中心気圧940ヘクトパスカル、中心付近 最大風速70メートルと強い勢力を保ったまま伊豆 半島南部付近を通過しました。 この台風の特徴は、およそ15時間余の時間で700 ミリ以上の豪雨となったことです。このため、多数 の土砂崩れが発生し、土石流などとなって上流域に 多大な被害を与え、また、中下流域ではいたる所で 堤防が決壊、氾濫し、田た が た へ い や方平野は大災害を被りました。 この台風の災害は、静岡県伊豆地域に集中し、ま た、夜間であったため、人的被害は大きく、狩野川 流域だけで一夜にして死者・行方不明者853人、堤 防の決壊14カ所、被害家屋6,775戸となり、我が国 有数の大災害となりました。被害額も土木・農業施設・ 林業など当時の金額で合計160億円にも達しました。 26日21時 伊豆半島通過時 940hPa 25日21時 24日21時狩野川台風の進路
9月26日 3:00 9月27日 3:00 9月25日 3:00 890mb 900mb 940mb 975mb 980mb 990mb 140 9:00 12:00 15:00 18:00 21:00 0:00 3:00 6:00 9:00 12:00 15:00 18:00 21:00 0:00 3:00 120 100 80 60 40 20 0 降雨量︵ ㎜ ︶ 9/25 9/26 1時間の降雨120㎜→ 800 700 600 500 400 300 200 100 0 降雨量︵ ㎜ ︶ ←降雨量が700㎜を超過 728.0 728.0 269.5 269.5 82.9 82.9 湯ヶ島 大仁 三島 伊豆の国市 沼津市 清水町 函南町 三島市 伊豆市 熊坂地区(旧修繕寺町) 流木に埋もれた田方平野(旧函南村) 千歳橋下流氾濫状況(旧伊豆長岡町) 毎日新聞社提供 狩野川台風による洪水氾濫状況 千歳橋(旧伊豆長岡町) 湯ヶ島雨量観測所で観測された時間雨量 旧建設省所管の各観測所の日雨量(昭和33年9月26日)■狩野川放水路建設の契機
「アイオン台風」
狩野川の治水事業は、昔から洪水に悩まされて来 た流域の住民にとって、切実な願いでした。江戸時 代には、下流部に簡単な土堤が造られるようになり ましたが、洪水のたびに決壊し、韮山代官の江え が わ川太た 郎ろ う左ざ え も ん衛門の指揮によって修理したという記録が残っ ています。その後、明治、大正の間、たびたび放水 路開削を中心とした狩野川改修促進運動が盛り上が り、昭和2 年からは国の直轄河川事業が始められ ました。 狩野川放水路は、昭和23 年の「アイオン台風」 での大出水を契機としてようやく計画が具体化し、 昭和26 年に工事が着工されました。しかし、その間、 用地問題など解決すべき懸案も多く、工事の進捗は 思わしくありませんでした。■狩野川台風による計画見直し
放水路の建設は、墹ま ま の う え か い す い ろ之上開水路、中央開水路、口 野開水路の順に進められ、昭和32年にはトンネル 工事が着工されましたが、翌年の昭和33 年9 月の 狩野川台風により、狩野川は氾濫し、静岡県東部地 域は未み曾有の大水害に見舞われました。ぞ う 狩野川台風による悲惨な様子を目のあたりにした 地元韮山町出身の国会議員久保田豊らは、国に援助 と放水路計画の見直しを訴え、復興のために尽力し ました。 放水路工事着工(昭和28年当時) 狩野川台風前(昭和33年当時)の放水路 ケーソン埋設工事(口野トンネル吐口) 掘削土運搬(長岡トンネル呑口側)狩野川台風後の計画
(現在の放水路)
当初の計画
毎秒2,000㎥の水を流す大きさ 毎秒1,000㎥の水を流す大きさ放水路計画の見直し
①トンネルを大きくし、2つから3つに! ②放水路をおよそ2m深くし、 断面を大きく! ③工事のスピードを上げる!計画変更
第4章 狩野川放水路の建設
7第50回国会 本会議第8号 昭和40年11月5日 演説:衆議院議員 遠藤三郎氏 「君は、郷里の狩野川の治水会長として、その治水対策に取り組み、長年に わたって心血を注がれてきたのであります。去る昭和27年のことでありました。 狩野川の根本的な治水対策を講じようということになり、放水路の開設の計画 がきめられたのであります。もちろんこれには一部に反対もあったのでありま すが、しかし、君と私とは、これを絶対になし遂げようとして、かたく誓い合 い、そして前後十数年にわたってともに苦心惨たんの結果、ついに今年7月りっ ぱに放水路が完成したのであります。 台風ともなればたくさんの犠牲者を出す魔の狩野川の治水事業がようやく完 成いたしたのでございます。狩野川の沿岸の住民は、久保田君の努力に対して どんなに感謝したことでありましょう。」
国会での久保田豊氏追悼演説の一部抜粋
久保田豊像 沼津河川国道事務所 伊豆長岡出張所■昭和40年7月放水路完成
昭和35年に策定された治水事業五箇年計画で放水路 工事が重点施策のひとつになりました。また、トンネル 3本に増やされた工事にも一段と拍車がかかり、昭和 40年7月、15年の歳月を経て、ついに狩野川放水路は 完成しました。 ●工事諸元 ◦工 事 期 間 15年間 ◦土・岩掘削 2,511,000㎥ ◦セ メ ン ト 60,000t ◦砂 ・ 砂 利 287,000㎥ ◦出 役 人 数 90万人 ◦総 費 用 およそ66億円(昭和40年当時) ※現在の価値で約300億円 狩野川放水路竣功式放水路建設の流れ
昭和 20 30 40 昭和23年 着工はしたものの 工事は進まず 予算の確保・大規模な 機械化施工の導入によ り工事が迅速化 昭和33年 アイオン台風 狩野川台風 計画変更 昭和26年 昭和40年 放水路工事着工 竣 功 狩野川放水路竣功記念碑 (沼津河川国道事務所伊豆長岡出張所) 狩野川台風による計画変更後、工事は急ピッチで進 められました。また、地盤がやわらかく、掘削工事 での崩落やトンネル工事での岩盤崩落などが発生し、 完成までに9名が殉職しています。■放水路の概要
放水路は、伊豆の国市の墹ま ま の う え之上から狩野川を分流し、珍ち ん野の、 長な が つ か塚を経て沼津市口野から江えの浦う ら湾わ んにいたる、約3kmの人工 水路です。途中、長岡トンネル、口野トンネルの2つのトンネ ルがあり、トンネル総延長が全体の約3分の1を占めています。 放水路は、氾濫しやすい、田方平野の上流部に造られまし た。また、狩野川の中央部のなかで最も海に近い事も、この 位置が選ばれた大きな理由です。 放水路は、通常、分ぶんりゅうぜき流堰のゲートが閉められ通水していま せんが、ゲートを開門することにより、狩野川本川の洪水流 (計画流量4,000m³/秒)を、中流域で最大2,000m³/秒分流し、 江の浦湾に放流することができます。これにより、豪雨によ る増水が一気に下流まで押し寄せないようになりました。 狩野川放水路管理所(沼津河川国道事務所伊豆長岡出張所) 狩野川と放水路分流堰 流量配分図(m3/秒) 狩野川放水路平面図 出典:狩野川放水路工事誌 口野開水路 江の浦湾 口野トンネル 中央開水路 長岡トンネル 墹之上開水路 分流堰 205m 210m 1,055m 850m 660m 黄瀬川 徳倉 大仁 大場川 来光川 放水路 狩野川 1,200 460 400 2,000 2,000 4,000 3,600 2,800 2,400 2,100 駿 河 湾 狩野川と狩野川放水路 口野トンネル 江の浦湾 長岡トンネル 狩野川放水路 分流堰 狩野川 狩野川 長岡トンネル 狩野川放水路のトンネルの大きさは、自動車用の トンネルよりも大きく、3階建ての校舎とほぼ同 じ大きさです。 狩野川放水路 校 舎 10m 11m 10m 11m 道路トンネル 乗用車の幅 1.7m第5章 狩野川放水路の概
が い よ う要
9■放水路の管理
放水路内の状況は、定期的なパトロールや監視カメラ等でリ アルタイムに把握しています。 沼津河川国道事務所では、災害が発生する恐れのある場合、 まず「災害対策支部」を設置して情報収集や調査、関係機関と の連絡を行い、次に情報分析や放水路分流地点の水位予測をし た上で、ゲート開閉の決定をします。ゲート操作は狩野川放水 路管理所(伊豆長岡出張所)にて行い、放流にあたっては関係 機関への事前連絡やサイレン・警報車による周辺住民への警戒 を呼びかけています。 放水路分流堰操作室 放流中の分流堰 放流中の口野トンネル狩野川放水路は補修工事などのメンテナンスを実施しています。
トンネル補修工事
放水路護岸補修工事
経年劣化により、トンネルの壁面内部に発生した空洞の補修を しています。 ①口野トンネル内には海水が浸入しているため、台船を組立 て、高所作業車を利用。 ②空洞を埋めるためにモルタルを注入しさらにアンカーを打 ち込んで補強。削孔・注入・補強は作業員が実施。 ③補修完了。 経年劣化により、痛んだ護岸の補修をしています。 護岸補修工事前 護岸補修工事後 ▼ ▼ ▼ 大雨洪水注意報が発令され、狩野川の水位が上昇する恐れがある場合。 大仁水位観測所の水位が0.2mに達し、さらに上昇する恐れがある場合。 古奈水位観測所の水位が標高10.6m以上になり、さらに水位が上がると判断した場合ゲートを開く。準備開始
1
2
3
4
放水路
注意態勢
放水路
洪水警戒態勢
ゲート操作
●流域にある雨量・水位観測所のデータを 収集する ●データ分析 ●水位予測 ●人員の確保、配置 ●機器の点検 ●関係機関との連絡 ●パトロール ●データ収集 ●周辺の市や町、漁業協同組合等、関係機関に 放流時間を知らせる ●サイレン、警報車で一般の人々に放流警告をする放水路ゲート操作までの仕組み
■狩野川放水路の効果により治水安全度が向上しています。
台風9号の概要
平成19年8月29日に南鳥島近海で発生し、中心気圧 965hPa、最大風速35m/秒という強い勢力を保ったまま、 同年9月7日午前0時前、伊豆半島南部に上陸しました。 静岡県御殿場市丸ま る た け か ん そ く じ ょ岳観測所で1時間雨量66mmを記録し、 総雨量は狩野川の持も ち こ し か ん そ く じ ょ越観測所で752mm、湯ゆ が し ま か ん そ く じ ょヶ島観測所 で685mm、黄瀬川の丸岳観測所で576mmを観測しました。 台風9号の進路 洪水時 平常時放水路による水位低下効果
(徳倉水位観測所付近 左岸7.8kp) 計画高水位 TP+11.08m TP…高さ基準値となる東京湾平均海面水位 放水路がない場合の想定水位 TP+14.1m (計画高水位以上)水位低下
約3.7m
(推定値)
今回の出水における 最高水位 TP+10.4m来光川
↓
江の浦湾
平成19年9月6日∼7日 台風9号← ← ← ← ← ←
1,960㎥
1,440㎥
1秒間に1,440㎥の
水を放流
1秒間に1,440㎥の
水を放流
2,310㎥
↓
放水路
大場川
↓
黄瀬川
↓
黒瀬橋
千歳橋
駿
河
湾
近年、狩野川の水位が最も上昇した、 「平成19年台風9号」 では、狩野川放水路
により、下流の徳倉水位観測所付近の水位が約3.7m低下しました。
放水路分流堰第6章 狩野川放水路の効果
118回 7回 6回 5回 4回 3回 2回 1回 0回 年 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017