印 度 學 佛 教 學 研 究 第 四 十 九 巻 第 一 号 平 成 十 二 年 十 二 月
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(一) 二 〇 世 紀 初 頃 か ら 二 〇 年 ほ ど の 間 に 、 日 本 人 学 問 僧 の チ ベ ッ ト 入 境 が 続 い た 。 河 口 慧 海 、 能 海 寛 、 寺 本 婉 雅 、 青 木 文 教 、 多 田 等 観 ら で あ る 。 当 時 の チ ベ ッ ト は 、 宗 主 国 を 主 張 す る 中 国 ・ 清 朝 の 衰 退 に 伴 い 、 欧 米 の ア ジ ア 分 割 ・ 門 戸 開 放 が 進 み 、 特 に 中 ・ 英 ・ 露 ・ 仏 四 国 の 包 囲 網 に 苦 し み 、 強 固 な 鎖 国 体 制 を 敷 い て い た 。 従 っ て ﹁ 秘 密 国 ﹂ チ ベ ッ ト へ の 越 境 は 、 例 え 仏 教 求 法 の 旅 で あ ろ う と も 、 命 が け の 冒 険 旅 行 で あ っ た 。 そ れ は 、 大 乗 仏 教 研 究 に 必 要 な 文 献 類 が 仏 教 発 祥 の 地 に な く 、 直 訳 さ れ た チ ベ ッ ト 語 仏 典 類 と と も に 、 ネ パ ー ル も し く は チ ベ ッ ト に お い て の み 入 手 が 可 能 で あ っ た か ら で あ る 。 明 治 維 新 に よ る 日 本 の 近 代 化 は 、 王 政 復 古 の 呼 号 の も と 、 急 速 に 欧 米 文 化 を 取 り 入 れ 、 神 仏 分 離 策 が 強 行 さ れ た 。 従 来 の 江 戸 幕 藩 体 制 を 支 え た 仏 教 側 の 痛 手 は 大 き く 、 廃 仏 毀 釈 と 檀 家 制 度 の 廃 止 は 既 成 教 団 存 立 の 基 盤 を 脅 か す も の と な っ た 。 し か し 、 こ の 危 機 意 識 を 背 負 っ た 仏 教 界 は 、 い ち 早 く 大 教 団 を 中 心 に 、 回 復 の 姿 勢 を 示 し て い く 。 明 治 一 〇 年 代 後 半 、 仏 教 界 に は 啓 蒙 的 開 明 思 想 や 護 国 ・ 護 法 の 立 場 か ら 、 戒 律 仏 教 を 唱 え 、 教 化 思 想 を 強 調 し て 、 既 成 仏 教 の 在 り 方 を 間 お う と す る 新 仏 教 徒 の 動 き が 生 ま れ て き た 。 こ の よ う 時 期 、 哲 学 館 を 創 設 し た 井 上 円 了 は 、 明 治 二 〇 年 二 月 に ﹃ 仏 教 活 論 序 論 ﹄ を 著 し 、 ヨ ー ロ ッ パ ・ キ リ ス ト 教 に お け る ﹁ 神 の 存 在 ﹂ の 哲 学 的 在 り 方 を 否 定 し 、 東 洋 の 仏 教 こ そ 真 正 の 真 理 を 有 し 、 充 分 に 哲 学 と し て 成 立 し て い る と 主 張 、 こ の 優 れ た 仏 教 の 力 で 日 本 を 高 等 な 文 化 社 会 に 転 換 す べ き で あ る と 説 い た 。 こ の 井 上 の 主 張 は 維 新 以 来 危 機 意 識 に 悩 む 地 方 仏 教 徒 を 大 い に 励 ま し た の で あ る 。 明 治 一 七 年 五 月 イ ギ リ ス か ら 帰 国 し た 南 条 文 雄 は 梵 学 = サ ン ス ク リ ッ ト 学 の 草 分 け と し て 、 大 谷 教 校 、 東 京 大 学 、 華 族 女 学 校 、 の ち に は 哲 学 館 な ど で 学 生 の 教 育 に 当 た っ た が 、 恩 師 マ ッ ク ス こ こ ユ ー ラ ー は 、 た び た び 書 簡 を 寄 せ 、 中 国 経 由で チ ベ ッ ト ・ ラ サ へ 経 典 取 得 に 行 く べ き こ と を す す め て き た 。 そ し て 南 条 は 早 く か ら 、 自 己 の 分 身 が そ れ を 実 行 す べ き こ と を 訴 え 、 こ の 説 得 は 新 仏 教 徒 を 唱 え る 青 年 層 へ の 大 き な 目 標 提 示 と な っ た 。 若 き 河 口 慧 海 、 能 海 寛 も 哲 学 館 で 南 条 の 説 を 聞 い た で あ ろ う 。 た だ 、 能 海 は 京 都 勉 学 時 代 か ら 南 条 の 説 を 積 極 的 に 受 け 止 め て い た が 、 望 み が 別 に あ り 自 身 の チ ベ ッ ト 行 き を す ぐ に 決 め て い た の で は な か っ た の で は な い か 。 明 治 三 五 年 五 月 九 日 に 記 し た 能 海 の ノ ー ト 、 ﹁ 予 と 西 蔵 ﹂ に (一) 明 治 二 十 一 年 東 温 譲 印 度 留 学 ノ 為 出 発 其 送 別 会ニ 於 テ 入 蔵 ノ 必 要 ヲ 述 べ テ 彼 レ ノ 贈 ル 。 と あ る 。 (二) チ ベ ッ ト 求 法 の た め に 能 海 寛 が 東 温 譲 に 託 し た 入 蔵 の 望 み は 、 そ の 後 長 ら く 実 現 し な か っ た 。 む し ろ 能 海 自 身 が 自 ら 行 動 す る こ と に よ り 、 一 時 的 に 同 行 し た 真 宗 大 谷 派 僧 寺 本 婉 雅 と と も に 、 日 本 人 で 初 め て の チ ベ ッ ト 入 境 者 と い う 栄 誉 を 担 う こ と と な る 。 因 み に 能 海 以 外 の 求 法 者 の ラ サ 滞 在 時 期 を 挙 げ る と 次 の よ う に な る 。 河 口 慧 海 第 一 回 明 治 三 四 ・ 三-三 五 ・ 五 第 二 回 大 正 三 ・ 八 -大 正 四 ・ 一 寺 本 婉 雅 明 治 三 八 ・ 五-三 八 ・ 六 青 木 文 教 大 正 二 ・ 一-大 正 五 ・ 一 多 田 等 観 大 正 二 ・ 九 -大 正 一 二 ・ 二 こ の 四 人 の う ち 、 河 口 に つ い て は あ と で 触 れ よ う 。 寺 本 婉 雅 、は 東 本 願 寺 経 営 の 真 宗 大 学 第 二 部 在 学 中 、 卒 業 を 間 近 に 控 え な が ら チ ベ ッ ト 探 検 の た め 退 学 。 明 治 三 一 年 六 月 京 都 を 発 ち 、 上 海 経 由 で 八 月 北 京 に 到 着 、 暫 く 蒙 古 語 、 チ ベ ッ ト 語 、 中 国 語 を 学 ん で い る 。 チ ベ ッ ト へ の 目 的 に つ い て 寺 本 は 多 く の 人 は 余 が 冒 険 の 念 あ る を 見 て 種 々 な る 批 評 を 加 え ぬ 。 (中 略 ) 余 は こ れ 等 の 一 切 の 批 評 に 耳 を 傾 け ず 、 余 は 余 の 志 を 果 す べ く 、 忠 実 に 専 心 に 一 日 も 早 く 初 期 の 途 に 上 ら む こ と を 図 れ り 。 と い う が 、 彼 の 手 記 の 中 で 第 一 回 の チ ベ ッ ト 行 の 具 体 的 な 目 的 を 語 る と こ ろ は な い 。 寺 本 は 翌 明 治 三 二 年 三 月 、 東 本 願 寺 法 主 か ら 達 頼 喇 嘛 宛 親 書 を 託 さ れ て い る 。 そ の 書 中 に 本 寺 茲 遣 派 寺 本 碗 雅 、 親 間 教 主 安 好 并 究 教 法 之 源 流 、 経 文 之 異 動 と あ っ て 、 こ の ﹁探 教 求 経 之 業 ﹂ が 目 的 で あ り 、 寺 本 の そ の 後 の 行 動 か ら も 先 ず チ ベ ッ ト 大 蔵 経 の 入 手 に 全 力 を 尽 く し 、 仏 教 界 の 要 請 に い ち 早 く 応 じ よ う と し た 所 に 初 期 の 目 的 が 存 し た の で は な い か 。 西 本 願 寺 僧 青 木 文 教 ・多 田 等 観 は 、 大 谷 光 瑞 の 使 い と し て 、 訪 日 し た チ ベ ッ ト 僧 を 送 り が て ら 学 僧 と し て 入 蔵 し た の で あ る 。 こ の 時 期 は 、 終 末 期 に あ っ た 清 朝 側 の チ ベ ッ ト 攻 撃 に よ る 大 混 乱 と 、 こ れ を 監 視 す る イ ギ リ ス 側 の 逆 封 鎖 に よ り 、 イ 求 法 と 開 教 の 間 (飯 塚 )
求 法 と 開 教 の 間 (飯 塚 ) ン ド 側 か ら の 入 境 も 困 難 を 極 め た 。 そ の 困 難 の 様 子 は 二 人 の 旅 行 記 等 か ら 伺 い 知 る こ と が 出 来 る が 、 入 蔵 目 的 も 明 解 で あ る た め 本 稿 で は 全 て を 省 略 す る こ と と し た い 。 (三) 河 口 慧 海 と 能 海 寛 は 哲 学 館 に お け る 同 窓 生 で あ る が 、 そ の あ 勉 学 の 状 況 に つ い て は 拙 稿 で 明 ら か に し た 通 り で あ る 。 こ の 二 人 が ほ ぼ 同 時 に チ ベ ッ ト を 目 指 し 困 難 な 旅 を す る の で あ る が 、 そ の 結 末 は 非 常 に 対 照 的 で あ る 。 河 口 慧 海 は 二 回 の ラ サ 入 り を 果 し 、 チ ベ ッ ト 大 蔵 経 を 始 め 多 く の 将 来 品 を も た ら し 、 ﹃ 西 蔵 旅 行 記 ﹄ を 著 し た 。 た だ 、 世 間 は あ ま り に 破 天 荒 な 冒 険 物 語 と し て な か な か 信 用 し な か っ た 。 し か し 、 河 口 自 身 の 生 還 に よ る そ の 後 の チ ベ ッ ト 学 の 展 開 、 ま た 仏 教 徒 と し て の 求 道 の 結 果 、 還 俗 し て ﹁在 家 仏 教 修 業 団 ﹂ を 設 立 す る な ど 、 終 世 自 己 に 厳 し い 修 行 者 と し て の 姿 勢 を 崩 さ な か っ た 。 近 年 、 こ の 河 口 の 業 績 を 見 直 す 研 究 が 進 行 し 、 高 山 龍 三 氏 や 奥 山 直 司 氏 の 顕 著 な 研 究 や 全 集 の 刊 行 も 続 行 し て い る 。 河 口 は 、 樽 桶 屋 の 倅 で あ り な が ら 仏 門 に 憧 れ 、 黄 檗 宗 門 下 に 入 り 、 得 度 ・ 住 職 に な っ た の で あ る が 、 独 特 な 修 行 態 度 、 持 ち 前 の 剛 直 な 性 格 は 寺 族 の 出 自 で な か っ た だ け 、 そ の 束 縛 を 断 つ こ と も 容 易 で あ り 、 チ ベ ッ ト 求 法 の 成 功 は 寧 ろ そ の 事 に よ っ て 得 ら れ た の で は な か っ た だ ろ う か 。 一 切 経 を 読 み 、 漢 訳 仏 典 の 矛 盾 を 別 出 す る こ と は 奇 し く も 哲 学 館 で 学 ん だ 能 海 と 同 じ 立 場 で あ る 。 し か し 、 河 口 は 最 初 の チ ベ ッ ト 行 き の 目 的 を 二 点 に ま と め 簡 明 に し た 。 一 チ ベ ッ ト 語 の 研 究 及 び チ ベ ッ ト 本 蔵 経 の 将 来 二 梵 語 の 研 究 及 び 梵 本 蔵 経 の 将 来 こ の 目 標 に 対 し 、 河 口 の 行 為 は 彼 自 身 の 犠 牲 に 於 い て の み 実 行 す べ き こ と で あ っ た 。 当 時 最 も 困 難 と さ れ た イ ン ド ル ー ト に 敢 然 と 挑 ん で い る 。 ﹃ 西 蔵 旅 行 記 ﹄ は 冒 険 談 の よ う に 興 味 尽 き な い が 、 実 は 周 到 に 準 備 し 、 生 を 確 信 し て 実 行 し た 優 れ た 探 検 家 の 記 録 で は な か っ た だ ろ う か 。(四) 河 口 慧 海 に 先 駆 け て 早 く か ら チ ベ ッ ト 探 検 の 必 要 を 説 い た 明 治 元 年 生 ま れ 、 能 海 寛 は 、 島 根 県 金 城 町 、 真 宗 大 谷 派 末 寺 の 出 身 で あ る 。 実 父 に 早 く 死 に 別 れ 、 母 の 先 夫 の 長 男 も 病 弱 で あ っ た た め 、 能 海 は 幼 少 時 代 か ら 寺 の 後 継 者 と 目 さ れ て い た 。 能 海 の こ の 環 境 が 後 年 に 至 る ま で 彼 の 自 立 し た 行 動 を 束 縛 し て い く の で あ る 。 し か し 、 明 治 三 一 年 一 一 月 か ら 三 四 年 四 月 に か け 中 国 か ら チ ベ ッ ト に 向 か う 。 周 到 な 準 備 と 研 究 の 末 に 選 ん だ ル ー ト で あ る が 、 時 代 の 状 況 が 全 く 能 海 の 望 む 行 動 を 許 さ な か っ た 。 先 ず 明 治 二 七 ・ 八 年 の 日 清 戦 争 が 計 画 を
延 期 さ せ た 。 そ の 後 、 留 学 僧 と し て の 派 遣 を 求 め た 東 本 願 寺 の 渡 航 許 可 も 遅 れ 、 遂 に 河 口 に 先 行 を 許 し た 。 折 角 中 国 に 渡 り 、 重 慶 を 拠 点 に 三 度 ラ サ 行 き に 挑 む が 、 チ ベ ッ ト の 鎖 国 は ま す ま す 強 固 と な り 、 盗 賊 に 旅 費 を 取 ら れ る と 言 う 事 故 も 含 め 、 遂 に 雲 南 省 大 理 か ら 麗 江 に 向 か う 便 り を 最 後 に 行 方 不 明 と な る 。 た だ し 、 能 海 は 旅 の 途 次 、 詳 細 な 行 程 の 記 録 を 東 本 願 寺 ・ 恩 師 南 条 ほ か 関 係 者 に 寄 せ て い た 。 後 に 、 第 一 回 旅 行 の 同 行 者 寺 本 碗 雅 に よ り ﹃ 能 海 寛 遺 稿 ﹄ と し て ま と め ら れ た 。 能 海 は 、 明 治 一 九 年 京 都 西 本 願 寺 普 通 教 校 に 学 び 、 禁 酒 ・ 進 徳 を 旨 と す る 反 省 会 に 入 会 す る 。 主 要 な 仲 間 が の ち 東 京 に 出 て 新 仏 教 を 提 唱 、 能 海 も そ の 一 員 で あ っ た 。 京 都 で は 英 語 学 習 に 邁 進 し 、 二 二 年 一 月 大 学 林 文 学 寮 に 編 入 す る が 、 帰 郷 し て 九 月 、 檀 家 と 契 約 し 寺 の 後 継 と な る こ と を 条 件 に 二 百 七 十 円 を 借 り 、 十 二 月 上 京 、 二 三 年 二 月 慶 応 義 塾 予 科 に 入 り 、 二 四 年 一 月 、 哲 学 館 に 転 学 し て い る 。 能 海 が チ ベ ッ ト 探 検 の 必 要 を 論 じ た の は 京 都 で の 反 省 会 入 会 以 来 と 言 わ れ る が 、 自 身 の 実 行 を 決 心 し た の は 哲 学 館 に お い て 二 五 年 一 二 月 で あ る と い う 。 能 海 は 哲 学 館 を 終 学 す る 明 治 二 六 年 七 月 、 ﹁反 省 雑 誌 ﹂ に ﹁ 西 蔵 国 探 検 の 必 要 ﹂ と い う 一 文 を 発 表 し た 。 同 年 一 一 月 に は 哲 学 書 院 か ら ﹃ 世 界 に 於 け る 仏 教 徒 ﹄ ( B 六 版 百 頁 ) を 上 梓 し た 。 両 者 を 併 せ 能 海 は お お よ そ 次 の よ う に 言 う 。 今 や 、 欧 米 の キ リ ス ト 教 は 荒 廃 し 宗 教 革 命 の 前 夜 に あ る 。 ア ジ ア に 優 れ た 日 本 の 仏 教 徒 は 、 正 し い 仏 典 を 得 て 、 そ れ を 英 語 に 訳 し 欧 米 に 布 教 活 動 を 起 こ す べ き で あ り 、 布 教 の た め 学 校 も 起 こ す べ き で あ る 。 そ の 準 備 の た め に ﹁神 聖 な る 経 典 の 梵 本 ﹂ を 探 り 、 ﹁釈 尊 の 正 伝 ﹂ を 求 め チ ベ ッ ト に 行 く べ き で あ る が 、 ' チ ベ ッ ト は 古 く か ら 仏 教 国 で あ り . と も に 団 結 す べ き 間 柄 で あ る 。 し か も 今 、 列 強 の 進 出 に あ い 、 探 検 は 急 を 要 す る 。 調 査 は 仏 教 面 の ほ か 、 社 会 ・ 国 体 ・ 人 情 そ の 他 な ど 、 多 面 的 を 要 し 、 地 理 学 上 、 人 類 学 上 な ど に 有 益 で あ る 。 と 。 近 年 能 海 の 故 郷 に お い て 歴 史 家 隅 田 正 三 氏 等 の 努 力 に よ り 数 々 の 文 献 そ の 他 が 発 見 さ れ 研 究 会 も 組 織 さ れ て 新 た な 能 海 学 が 掘 り 起 こ さ れ て い る 。 文 献 類 の 中 に は か な り ま と ま っ た 日 記 類 が あ る が 、 京 都 ・ 慶 応 ・ 哲 学 館 時 代 は 残 念 な が ら や や 月 日 の ま と ま っ た 断 片 的 な 日 記 が 残 さ れ て い る の み で あ る 。 し か し 、 こ の 日 記 や 著 書 を 見 る と 、 能 海 は チ ベ ッ ト 探 検 だ け を 究 極 の 目 標 と し た の で は な く 、 世 界 の 仏 教 徒 と し て 、 一 大 事 業 で あ る 欧 米 諸 国 へ の 組 織 的 布 教 活 動 を こ そ 目 指 し て い た も の で は な か っ た か と 伺 え る の で あ る 。 そ の 為 、 神 聖 に し て 正 し い 仏 典 の 入 手 は 優 先 す る 課 題 で も あ っ た 。 能 海 の 立 場 か ら 言 え ば 、 神 聖 な 仏 典 は 仏 教 国 日 本 が 国 を 挙 げ て い ち 早 く 将 来 す べ き こ と で あ っ た 。 そ れ が 実 現 さ れ な い 現 実 に 立 っ て 、 自 ら の 主 張 故 に 決 心 し た 選 択 が 、 不 幸 に も 全 て を な げ う ち 、 求 法 と 開 教 の 間 (飯 塚 )
求 法 と 開 教 の 間 (飯 塚 ) 決 死 の 単 独 行 動 を 取 ら ざ る を 得 な か っ た の で は な か ろ う か 。 1 山 口 瑞 鳳 ﹃ チ ベ ッ ト ﹄ 上 (第 一 章 ) 一 九 八 七 、 下 (第 三 章 ) 一 九 八 八 東 京 大 学 出 版 会 2 柏 原 祐 泉 ﹃ 日 本 仏 教 史 近 代 ﹄ ﹁二 明 治 社 会 の 発 展 と 仏 教 ﹂ 一 九 九 〇 吉 川 弘 文 館 3 圭 室 諦 成 監 修 ﹃ 日 本 仏 教 史 近 世 編 近 代 編 ﹄ ﹁近 代 編 第 二 章 ﹂ 一 九 六 七 法 蔵 館 ほ か 参 照 4 菅 沼 晃 ﹁国 枠 主 義 の 主 張 と 哲 学 館 ﹂ ﹃現 代 日 本 と 仏 教 Ⅱ ﹄ 2 0 0 0 平 凡 社 、 拙 稿 ﹁能 海 寛 と 長 江 三 峡 ﹂ (白 山 史 学 三 十 四 号 ) 一 九 九 八 同 ﹁哲 学 館 を 巡 る 河 口 慧 海 と 能 海 寛 ﹂ (石 峰 第 七 号 河 口 に つ い て 白 山 史 学 記 事 を 一 部 修 正 ) 2 0 0 0 年 5 ﹃ 南 条 先 生 遺 芳 ﹄ (第 七 六 ・ 七 九 通 ) 一 九 四 二 南 条 先 生 遺 芳 刊 行 会 編 6 隅 田 正 三 ﹃ チ ベ ッ ト 探 検 の 先 駆 者 求 道 の 師 ﹁能 海 寛 ﹂ ﹄ ( 一 八 七 頁 ﹁予 と 西 蔵 ﹂ ノ ー ト ) ︼ 九 八 九 波 左 文 化 協 会 7 寺 本 腕 雅 著 横 地 祥 原 編 ﹃蔵 蒙 旅 日 記 ﹄ 一 九 四 七 芙 蓉 書 房 8 前 掲 注 7 9 青 木 文 教 ﹃ 秘 密 之 国 西 蔵 遊 記 ﹄ 一 九 二 三 内 外 出 版 、 の ち ﹃ 西 蔵 ﹄ 一 九 六 九 芙 蓉 書 房 所 収 多 田 等 観 著 (牧 野 文 子 編 ) ﹃ チ ペ ッ ト 滞 在 記 ﹄ 一 九 四 八 白 水 社 10 拙 稿 前 掲 注 4 11 河 口 慧 海 ﹃ 西 蔵 旅 行 記 上 。 下 ﹄ 一 九 〇 四 博 文 館 現 在 刊 行 続 行 中 の ﹁河 口 慧 海 著 作 集 ﹂ 第 一 巻 ( 一 九 九 八 ) 、 第 二 巻 ( 一 九 九 九 ) う し お 書 店 に 復 刻 収 載 、 ほ か 。 12 高 山 龍 三 ﹃ 河 口 慧 海 人 と 旅 と 業 績 ﹄ 一 九 九 九 大 明 堂 ほ か 。 13 奥 山 直 司 ﹁高 楠 順 次 郎 と 河 口 慧 海 脱 亜 と 入 亜 の 仏 教 学 ﹂ (大 法 輪 一 九 九 九 ・ 九 ) ほ か 。 14 河 口 慧 海 ﹃ 第 二 回 チ ベ ッ ト 旅 行 記 ﹄ ﹁第 一 部 入 蔵 記 ﹂ (講 談 社 学 術 文 庫 ) 一 九 八 一 講 談 社 二 五 頁 に よ る 。 15 前 掲 注 6 、 江 本 嘉 伸 ﹃能 海 寛 チ ベ ッ ト に 消 え た 旅 人 ﹄ 一 九 九 九 求 龍 堂 村 上 護 ﹃風 の 馬-西 蔵 求 法 伝-﹄ 一 九 八 九 佼 成 出 版 社 16 ﹃ 能 海 寛 遺 稿 ﹄ (寺 本 碗 雅 編 ) 一 九 一 七 大 谷 大 学 能 海 寛 追 悼 会 な お 一 九 九 八 年 五 月 書 房 よ り 復 刻 出 版 17 前 掲 注 6 に ﹁明 治 二 十 五 年 十 二 月 自 身 入 蔵 ノ 任 ニ 当 ラ ン ト 決 ス ﹂ と あ る 。 18 前 掲 注 6 に ﹁又 海 外 宣 教 会 反 省 ハ 当 時 予 の 精 神 タ リ 然 ル ニ 布 教 上 翻 訳 上 ( ? ) ニ 於 イ テ 原 本 ノ 考 究 、 歴 史 ノ 探 索 、 最 モ 必 要 ニ シ テ 而 モ 之 レ 其 実 地 二 著 イ テ 調 ( 二 字 不 明-査 セ か ) ザ ル ベ , カ ラ ズ ﹂ と あ る 。 本 稿 作 成 に 当 た り 菅 沼 晃 東 洋 大 学 教 授 の ご 指 導 に 預 か り 、 又 、 日 記 、 資 料 等 に 付 き 能 海 寛 研 究 会 事 務 局 長 隅 田 正 三 氏 、 同 副 会 長 岡 崎 秀 紀 氏 に お 世 話 に な り ま し た 。 記 し て 感 謝 の 意 を 表 し ま す 。 ︿キ ー ワ ー ド ﹀ 明 治 維 新 、 新 仏 教 徒 、 大 ( 一 切 ) 蔵 経 、 チ ベ ッ ト 求 法 、 河 口 慧 海 、 能 海 寛 、 ラ サ (東 洋 大 学 ア ジ ア ・ ア フ リ カ 研 究 所 研 究 員 )