架け橋
Japanisch-Deutsche Gesellschaft
日独協会機関誌 「Die Brücke 架け橋」第693号 平成29年 4 月 1 日発行(隔月刊)公益財団法人日独協会4
2017
目 次 ページ/ Seite INHALT
新年度のご挨拶 古森 重 1 Grußwort – zum neuen Fiskaljahr Shigetaka Komori
ドイツ経済の動き 伊崎 捷治 2 Tendenz der deutschen Wirtschaft Shoji Isaki
黄金の琥珀に純白の泡
∼ Vol.24 ビールの都、ミュンヘン< 6 >∼
松沢 幸一 3
Das goldgelbe kühle Nass mit dem schneeweißen Schaum Folge 24: Die Bierhauptstadt München, Teil 6
Dr. Koichi Matsuzawa
Berliner Luft マリン・ウィンター 4 Berliner Luft Malin Winter
ドイツ数学者列伝⑴: 数学で惑星の動きを解明した天才「ヨハネス・ケプラー」 井伊 篤彦 特別寄稿「インダストリー 4.0」⑷ 新井 俊三/佐藤 勝彦/椎名 猛 5
Biografi en deutscher Mathematiker (1) Atsuhiko Ii Beitrag „Industrie 4.0“ (4)
Shunzo Arai / Katsuhiko Sato / Takeshi Shiina
ケルン便り 第9信 久保田 隆 6 Post aus Köln 9 Takashi Kubota
シリーズ ドイツの政治家 第一回 小野 竜史 8 Serie: Deutsche Politiker, Teil 1 Tatsuhito Ono
ジャーマニアックス・レビュー 柳原 伸洋 10 Germaniax Review Nobuhiro Yanagihara
文化の玉手箱 田中 洋/柚岡 一明 12 Kulturkiste Hiroshi Tanaka / Kazuaki Yuoka
日本とドイツ ビジネスが架ける橋 /「ぶらドイツ」ご案内 13 Japan und Deutschland - Brücken, die die Wirtschaft schlägt / Information zur Veranstaltung „Bura-Doitsu“
協会活動 14 JDG-Aktivitäten
エファログ(研修生コラム) エファ・マルマン 16 EvaLog (Die Kolumne von der Praktikantin) Eva Mallmann 会員のひろば/ドイツ関連情報いろいろ 17 Aus dem Mitgliederkreis / Die Informationen
コラム【驚いてン Sie!?】 鎌田 タベア 18 „Odoroiten Sie!?“ Tabea Kamada
Zum Titelblatt
Aus dem Odenwald grüße ich alle Freunde der Japanisch-Deut-schen Gesellschaft!
Der Odenwaldklub, eine Gemeinschaft von wanderlustigen Leu-ten, macht jeden Sonntag einen Augflug in eine andere Region unseres Wandergebiets, dem Odenwald, der hauptsächlich aus Wald besteht, aber auch aus Weideland und Ackerfl ächen. Kleine Dörfer mit ihren Gasthäusern laden zum Einkehren ein. Das Wan-dern bringt Bewegung in freier Luft und sorgt somit auch für die Gesundheit jedes Einzelnen. Beliebt sind im Odenwald die ge-mischten Baumbestände, vor allem die Buchen und Eichen. Ihre majestätischen Wuchsformen sind Labsal für die Seele. Gemischt mit saftig grünen Wiesen ist die bergige und hügelige Landschaft des Odenwalds ein hervorragendes Erholungsgebiet für die werk-tätige Bevölkerung seiner Randlandschaften.
Mit wanderfreundlichen Grüßen
Klaus Knorr, Ehrenvorsitzender des Odenwaldklubs
表紙のことば オーデンの森から日独協会の皆さんにご挨拶いたします! 「オーデンの森クラブ」は、ハイキング愛好家の団体です。 毎週日曜日に私たちの地域のオーデンの森の様々な場所に 行きます。オーデンの森はほとんどが森林ですが、牧草地や 耕作地も含まれています。小さな村々のレストランに立ち 寄って休憩することもできます。ハイキングをすると新鮮な 空気を吸いながら体を動かすことができ、健康のためにも良 いです。森にはいろいろな種類の樹木、特にブナや樫があり、 それらの壮大な姿を見ると、すがすがしい気持ちになります。 みずみずしい緑の草原や丘陵は、森の周辺に住んでいて普 段は忙しく働く人々のための素晴らしいリフレッシュの場所 となっています。 森愛をこめて クラウス・クノール(オーデンの森クラブ名誉会長)
6 ▽ 留学に至るまで ――はじめに、ドイツ留学を考えるに至った経緯について、教 えていただけますか? 親の仕事の関係で、5 歳から 6 歳までマインツに住んでいた のですが、高校生活最後の春休みに 2 週間ほど、マインツの知 人の家にひとりで遊びに行きました。自分のルーツをたどって みたいという思いがあったかもしれません。それまではドイツ 語にも留学にも特に強い関心はなかったのですが、マインツ滞 在中にドイツでの生き方や働き方に魅力を感じ、もう一度ドイ ツで暮らしてみたいと思うようになりました。 大学に入学してからは、専門である美術史の勉強もドイツ語 の勉強も非常に楽しく、3 年次には、交換留学制度を利用して テュービンゲン大学へと留学する機会を得ることができました。 交換留学からの帰国後、進路について悩んでいたときに、大 学でお世話になっていた先生から、ドイツの大学院への進学を 勧められました。ただ、当時、大学(院)入学の条件である Test DaF(テスト・ダフ、Test Deutsch als Fremdsprache)オー ル 4 の成績をとれるかどうか自信がなかったので、躊躇してい ました。その年の秋から留学するためには、出願までに 1 回し か受験のチャンスがなかったのです。その先生に背中を押され たのは、ちょうどその申込み締切りの日の夜だったので、帰宅 後に急いでインターネットで手続きしたのを覚えています。そ して、2015 年 4 月、Test DaF を受験し、無事合格することが できました。 ――そのような経緯ですと、Test DaF 受験までに、それほど時間 がなかったのではないでしょうか。どのように準備したのですか? 教科書を使った勉強もしてはいたのですが、それ以上に、ちょ うどその頃、大学の卒業論文の執筆のために、ドイツ語の文献 に触れている時間が長かったことが大きかったです。それと、 その年の 1 月から 3 月まで、京都市内の国際芸術祭でドイツ 人アーティストのアシスタント兼通訳の仕事をしていたので、 日常的にドイツ語を使う機会もありました。 ――大学院選びについてもお聞かせください。数ある大学の中 からケルン大学を選んだのはなぜでしょうか? ドイツの大学院への進学を勧められる前から、卒業後にまた ドイツへ留学したいという思いはあったので、美術史系の大 学・大学院について、以前から情報収集を行っていました。美 術史関係のコース全般について調べていたのですが、その当時 は本当に留学できるとは思っていませんでした。 Test DaF の結果を待っていた時期に、大学のキャンパス内で 行われていた留学フェアに足を運びました。すると、そこには、 ケルン大学のブースがあり、大学の国際交流担当の方に直接相 談することができました。それもあって、ケルン大学を受験す ることを決めました(ケルン大学のほかにも、もう 1 校受験し ました)。 ▽ 日本での留学準備 ――留学先を決めてからはどんな準備をしましたか? 大使館・領事館で発行してもらう財政能力証明書や大学の成 績証明書など、出願に必要な書類を揃えました。ドイツの大学 との書類のやりとりは、すべて郵便で行わなければならなかっ たため、とにかく時間がかかりました。先方に書類を送るたび、 念のためメールで、「到着までに時間がかかる」旨伝えていました。 勉強面では、特別な準備はしませんでした。ですが、京都近 辺在住のドイツ人やドイツからの帰国子女を対象とした土曜学 校でボランティアをしたり、交換留学の際に知り合った友人と メールのやり取りをしたりと、何かとドイツ語に触れる機会は ありました。ほかには、日本の大学の卒業論文を書いていました。 留学のための奨学金申請もしたいとは思ったのですが、入学 が決まったのが渡航を目前に控えた 8 月でしたので、結局タイ ミングを逃してしまいました。 ▽ 渡独後の準備期間 ――田附さんの場合、日本の大学を 9 月に卒業して、10 月に はケルンでの学生生活がスタートするということで、ケルン到 着後はきっと忙しかったのではないかと思います。具体的には どんなことをしていましたか? 10 月の初めにケルンに到着したのですが、入居が決まって 久保田 隆 当協会会員・ケルン在住
ケルン便
第 9 信
今回 昨年 12 月号 引き続き 日本人留学生インタビュー企画 届け ま 3 回目 今回 話 聞 せ く ケルン大学 在学中 田附 け 那菜さ 田附さ 日本 大学 美術史 専攻 2015 年 秋 ケルン大学文学部美術史研究科 Philoかophiかche Fakultät, Kunかthiかtoおiかcheか Inかtitut 修士課程 在籍 いま 田附さ へ イン タビュー 日本 け アート あ 方 対 問題意識 そ 強 く裏 け 行動力 感 い け 思いま 田附さん(左)と筆者 インタビューを終えて(2017 年 2 月) ケルン日本文化会館(Japanisches Kulturinstitut Köln)で行われた東北の写真展 にて、「Kulturklüngel」というツアーオペレーターの日本ツアーのアシスタントと してプレゼンテーション(2016 年 11 月)ドイツの政治家
第1回 アンゲラ・メルケル
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『僕とカミンスキーの旅』(Ich und Kaminski, 2015)は『グッバイ・レーニン』(2003) のヴォルフガング・ベッカー監督と主演のダニエル・ブリュールが 12 年ぶりに組 んだ作品であり、監督にとっては同作以来の長編映画でもある。原作は『世界の測 量』(Die Vermessung der Welt, 2005)が大ヒットしたダニエル・ケールマンによる 同名小説(2003 年にドイツで出版)で、2009 年には瀬川裕司氏による邦訳(『僕 とカミンスキー 盲目の老画家との奇妙な旅』三修社)も出版されている。 野心に燃える無名の美術評論家ゼバスティアン(ブリュール)は伝記を書くた めに、スイスの山奥に隠居したカミンスキーを訪ねる。カミンスキーはマティス の最後の弟子であり、ポップアートの全盛期に「盲目の天才画家」として現れたが、 突如表舞台から姿を消してしまった。カミンスキーの女性関係を新事実として伝 記の目玉に加えるべく、ゼバスティアンは画家を若かりし日の最愛の女性の元へ 連れて行こうとする。 本作はロードムービーと銘打っているものの、二人がカミンスキーの家を抜け 出して旅らしい旅が始まるのは物語もようやく中盤に差しかかってからで、ここ に至るまでゼバスティアン、カミンスキー、そして周囲の人間たちの噛み合わな いダイアローグがひたすら続く。本作はむしろ、不毛な会話、食い違いだらけの証言に翻弄され四苦八苦させられるゼバスティアン の先の見えない人生の旅物語なのだと言えよう。劇中で「師よ、私には無しかありません」と嘆く若者に対し、「では、それを捨て去 れ」と答える達磨大師のエピソードが象徴的に挿入されるが、ラストシーンの美しい海辺を背にして、さながら達磨大師の言葉に導 かれた若き信奉者のごとく、ゼバスティアンはある境地に達する。 伝記についてゼバスティアンがコメントする冒頭のドキュメンタリー風映像や、カミンスキーと映るビートルズやウォーホールらの ポートレートなど、本作は映像作品だからこそ可能となる仕掛けが数多く施されている。さて、映画を最後まで鑑賞した後に、冒頭 の場面との奇妙な食い違いに気づくことだろう。そしてわれわれがこの作品で目撃してきたものもまた、ゼバスティアンが見聞きし たものと同様、いよいよ不確かなものに感じられてくるに違いない。観賞後に気の合う仲間とじっくり語り合ってみるのも一興だ。 (田中洋:神奈川大学/日本女子大学/杏林大学非常勤講師)
Die Kulturkiste
=文化の玉手箱= まず、目を引くのは、表紙の帯の「日本のメディアが伝えないヨーロッパの真の姿を知るのは、療友・ 伴野君と言って過言で有りません」との磯村尚徳氏 ( 元 NHK ニュースキャスター ) の賛辞です。 昨年 6 月 23 日の英国の EU 離脱決定は英国の国内世論を分断し、また世界に大きな衝撃を与えました。 多くの日本のメディアから、「EU はナショナリストやポピュリストからの批判が高まり苦境に立たされ ている」との EU の危機を取り上げる論調が散見しました。 筆者は EU の巨大化した機構、行き過ぎた官僚主義、威圧的な権威主義を認めながらも、EU 委員会 のギリシャ危機など正面から取り組もうとするその調整能力を肯定し、EU 批判を「見当違いの不満」 と切り捨てています。元 NHK 国際・経済担当解説委員で、1968 ∼ 83 年、ブリュッセル、パリ、ボン ( 西 ベルリン ) 特派員を歴任しており、随所に豊富な経験に裏付けられた事例が満載です。 本著は「英国の EU 離脱」を EU 発足時からの英国との時系列的関係の変化として謎解きし、その根 底にアングロサクソン・マネー資本主義とドイツ型社会的市場主義の立場の違いと英国と大陸の確執に 言及しています。また、ドイツの戦後の政治・経済の変遷や「なぜドイツ経済は強いのか」の今日的な アイテムにも多くの紙面を割いています。 特に、第1章「 ギリシャ危機で鍛えられ大ものになったメルケル首相」と第 5 章「2017 年の独仏 2 大選 挙、メルケル独首相は EU 大統領へ」の 2 章は日独協会の会員の皆様にはぜひご一読のほどお勧めします。 (柚岡一明:日独協会常務理事) 著者紹介 元 NHK 国際・経済担当解説委員。 1933 年東京生まれ。1959 年、東京大学文学部西洋史学科卒。同年、NHK に報道局放送記者として入社。1968 ∼ 83 年、ブリュッ セル、パリ、ボン(西ドイツ)特派員を歴任。1987 年より国際・経済担当解説委員。1995 ∼ 2001 年、杏林大学社会科学部教授。 日本 EU 学会会員。EU 関連著書・訳書多数。本
『ユーロは絶対に崩壊しない
∼英米マネー資本主義に立ち向かう EU の大陸資本主義∼
』
映画
『僕とカミンスキーの旅』
『僕とカミンスキーの旅』4 月 29 日(土)、YEBISU GARDEN CINEMA ほ か全国順次ロードショー
配給:ロングライド
© 2015 X Filme Creatve Pool GmbH /
ED Productons Sprl / WDR / Arte / Potemkino / ARRI MEDIA
ISBN: 9784344994232 2016 年 9 月 13 日刊行