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はじめに

漆工芸は日本 ・ 韓国 ・ 中国 ・ ベトナム ・ タイ・ミャンマーと東アジアから東南アジアに分布している。 この漆工芸の西の限界点がブータン王国であるとされている。ブータンでは伝統的に漆を塗った杯や 椀を懐に入れて持ち歩く習慣があるなど、漆器の浸透度は高いにも関わらず、国内消費が主であり、 これまで詳細な調査がほとんど行なわれていなかった。同国は長期の鎖国政策により、海外の文化の 影響を受けることが少ないまま、古くからの伝統が守られ続けていたが、1999 年のテレビとインター ネット解禁以降、これまでにない急速な変化が起きている。北川が 2010 年秋に同国中部まで訪問し たことで、ブータン国内における漆樹の生育状況と漆工芸技術の現状、さらに漆工芸をはじめとする 伝統工芸の伝承システムについて早急に調査する必要があると考えた。この実態調査より、ブータン 漆工芸の保護 ・ 継続方法を模索し、その技術保存に日本の人材や技術が貢献できる可能性が浮き彫り になる。本稿では、財団法人美術工藝振興佐藤基金の研究助成にて 2011 年 8 月 1 日から 14 日に行った 松島 ・ 北川による現地調査をもとに、伊藤による漆液の分析を加え、ブータン漆工芸の現状について 述べていきたい。

ブータン王国の概要

ブータン王国は、人口およそ 68 万人 (2008 年 )、面積は九州とほぼ同程度で、ヒマラヤ山脈の南に 位置し、中国 ・ インドの2国と隣接している。首都は中西部のティンプー (Thimphu, 標高 2400m) であ る。緯度はほぼ沖縄に相当するが、標高 7000m から 100m 台まで高低差があり、狭い国土の中に亜寒 帯から亜熱帯までの異なる気候帯が存在する。狭い国土のほとんどが山間地で、主な産業は農業のた め、工業製品の多くは海外製品の輸入に頼っている。外貨収入は水力発電によるインドへの売電が大 きな割合を占め、他に農業、さらに観光による収入も大きい。国民はチベット系、ネパール系などで、 主にチベット仏教が信仰されている。国語は西部ブータンで使われているチベット語系ゾンカだが、 小さい国土ながら 19 の言葉がある。ゾンカを解さない地域もあるため、国からの布告などはゾンカ と英語で行われる。40 年ほど前から英語が第二国語とされ、小学校から国語以外の授業は英語で行 なわれているため、若い世代には英語が普及しているものの 40 代以上には英語は通じにくい。 ブータンでは “国民総幸福” を実現するための政策の一つに「伝統文化の保護と継承」を掲げている。 国民は公的な場所での民族服の着用義務や、建造物の様式や看板、屋外広告物に対する規制が布かれ ている。また、国土の多くが国立公園に指定され、樹木の伐採なども厳しい制限がかけられている。 また、文化保護政策を担っているものの一つに、首都ティンプー及び、東部タシヤンツェ(Trashi

ブータン漆工芸の現状

The Current State of Lacquer Art, Crafts and Production in Bhutan.

松島 さくら子

*1

,北川 美穂

*2

,伊藤 智志

*3

MATSUSHIMA Sakurako, KITAGAWA Miho, ITO Satoshi

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Yangtse)にある国立伝統技芸院「ゾーリク・チュスム(Zorig Chusum)」がある。「ゾーリク・チュスム」 とは「13 の技術」を意味する。ここは、2∼6年制の寄宿制で、仏画、彫塑、木彫、縫製、刺繍、金工、 木工轆轤、漆工などのコースが設けられており、授業料や教材 ・ 寄宿費用は政府の負担で学ぶことが できる。

1. ブータンにおける漆工芸調査の内容と方法

輪島市漆器研究所 (1989 年 ) 1)2) 、東京文化財研究所 (1990 年代 ) 3) 、世界漆文化会議 (1995 年 ) 4)5)など の先行調査、西岡京治氏の著書6)、ブータンゆっくり勉強会会報「ヤクランド通信」7)などに記されて いる漆工芸関係の記述内容に基づいたと現状の確認に加え、現在、国立伝統技芸院のタシヤンツェ校 で漆工芸講師をしているカルマ・デンドゥップ (Karma Dendup) 氏への聞き取り調査を行った。カル マ氏は 1988 年に長野県木曽平沢に 3 ヶ月滞在し日本の漆工芸を学んだ経験の持ち主である。主な調 査項目と内容は以下の通りである。 a. ブータンの漆樹について(木の種類、生育する地区、漆の採取方法) b. 漆器の種類と価格、販売方法、使用例 c. 漆器産地と職人の数 d. ブータンの漆工芸技法について(轆轤、木地に使用される木の種類も含む) e. 伝統工芸の伝承システムについて - 国立伝統技芸院 ( ゾーリク ・ チュスム ) 訪問 f. 現状と展開方法の考察 2011 年夏、日本からブータンへはバンコク経由かインド経由の乗り継ぎで、西部のパロ(Paro)国 際空港から入国する方法しかなかった。国内の交通は東西に一本の縦断道路が走るのみで電車はない。 縦断道路はほとんどが険しい山道で、制限速度が時速 40 キロであり、国内を縦断するだけで 4 ∼ 5 日 を費やす。そのため、空路でパロから入国し、先行調査で記述がある地区について立ち寄り調査を行 いながら、ブータン漆工芸の中心地であるタシヤンツェ地区に多くの時間を費やし、東南から陸路で インドのアッサム州へ出国する経路を採用した。

2. ブータンの漆樹について

2-1. 漆の生育地帯 ブータンの国語ゾンカで漆は「セ(se)」、漆の木は「セ・シン(se-shing)」と呼ばれる。漆の木は標高 が 1000 ∼ 2000 メートル台の比較的温暖な山間部に分布している。漆の木があり、さらに漆器の産地 となっているのは、主に中西部プナカ (Punakha) 付近と、タシヤンツェ付近である。塗師は必要に応 じて山に生えている若い木を抜き、家の周りに植えることもあるが、日本で行われているように、種 や根から育てて人工的に増やされるということはない。また、漆の木が生えている地域でも、たとえ ば南西部チュカ (Chhuka)、ゲドゥ (Gedu) などが漆器の産地とならないのは、その地帯に漆器に適し た木がないからだという。漆の木が生えている山には山蛭がおり、漆液を採取するのにも困難が伴な う。

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2-2. 漆樹の種類 今回、パロ、ロペサ、タシヤンツェにおいて、地元職人の案内で、総数数十本の漆樹を調査を行う ことができた。 前出カルマ氏によると、ブータンの漆樹は 2 種類に分類できるという。タシヤンツェの漆樹は葉の 幅が大きく厚みがあり、一枝に5枚の小葉がついている種と、葉が比較的小さく、一枝に複数の小葉 がついている種とがある。さらにそれらの実から漆を絞り採取する場合と、葉柄から滲み出た汁を採 取し使用する場合がある。前記 2 種とも幹に傷をつけてみたが、漆液は全く採取できなかった。 一方、パロで調査を行なった木は、幹に傷をつけると汁が滲み出てきたため、別種の可能性もある。 以下は調査を行なった漆樹の比較画像である。 ブータン王国の位置 ブータン漆工芸調査のルート

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一枝に複数の小葉がついている。 葉をもぎ取ると白い漆液がでた。 タシヤンツェの葉が比較的小さな種の木 パロの漆の木 葉は厚く実は日本の漆と似て平たい形状 傷を付けた幹から白い液がでてきた。 パロの漆の木 一枝に 5 枚づつ葉がついている。 8 月の時点で小さく丸い実をたくさんつけていた。 厚みのある葉が特徴で、中には 20cm以上もの大きな葉もあった。 タシヤンツェの葉の幅が大きい種の木

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2-3. 漆の採取方法 ブータンでは、漆は雨期にあたる 6 月∼ 9 月の間に採取され、そのうちでも 7 ∼ 8 月に採れたのも のが一番質が良いとされる。漆の採取方法は以下の 3 通りである。日本のように漆の採取後、木を伐 採する「殺し掻き」は行なっておらず、漆の木を活かした採取方法がとられている。 1. 漆の葉柄からにじみ出る液を直接塗布する「ゾ ・ セ (zho-se)」 2. 漆の若い実から搾り取る「ツィ ・ セ (tsi-se)」 3. 漆の木の枝や幹から採取する「シン ・ セ (shing-se)」 1. は葉が比較的小さな種の漆の葉から採取する。2. の実から採取される漆の5倍の濃さがあるとい い、主に仕上げに使用される。採取方法は、漆の先端の 3 枚あるいは 5 枚の葉のをつけた状態でちぎり、 葉を裏側に向けた数秒間放置し、乳状の汁が出たところで器に直接塗りつけて使うか、それを別の容 器に貯めて使う。この漆は流通しておらず、職人自らが採取せねばならない。 2. の方法で採取される漆は葉の幅が大きい種の実を使用する。タシヤンツェ近くドゥムサン (Domsang) 村で採取された漆は青い竹筒に入れられ、村人がタシヤンツェの塗師を訪ねて売り歩くと いう。竹筒には 2 ∼ 300g の漆が入っていており、価格は 10 年以上前には 250 ニュルタム(以下 Nu、 1Nu は約 2 円)だったが、2010 年夏の時点で 650Nu と、近年とくに高騰している。 実から採れた漆は布で濾されただけで、なやし ・ くろめなどの精製はされていない。また、不純物 が多いためか保存がきかず、半年で使い切ってしまわねばならない。漆の入った竹筒はビニールと紐 で蓋がされているが、職人は使う都度、蓋紙やラップ等で表面を覆うことはない。竹筒の中の漆は細 く削った竹べらなどで取り出し、量が少なくなるとブータン人のどの家庭にもある鉈のような刃物で 竹の上部を短く切断し、漆を取り出す。少しでも漆の硬化を抑えるため、小さい透明ペットボトルや ガラス瓶に移しかえて使用している職人もいる。 1. 葉の茎から採る「ゾ ・ セ (zho-se)」 3 枚∼ 5 枚の小葉の葉柄部分でちぎり伏せて置く 葉柄から白い漆液が滲出ている

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2. 実から採取する「ツィ ・ セ (tsi-se)」 3. 漆の木の幹から採取する「シン ・ セ (shing-se)」 この方法で採取されるものは現地で見ることができなかったが、日本 の縄文時代の漆掻き方法に類似していると推測される。パロの漆職人に よる枝をぐるりと一周する傷をつける採取方法を、西岡が報告している。6) 滲みでてきた漆 指で集めて竹筒に入れる 販売されている竹筒に入った漆 「ツィ ・ セ (tsi-se)」による漆採取画像はカルマ ・ デンダップ氏より提供 漆の木の枝に傷をつけている職人 (『神秘の王国』西岡京治・里子著 ) 竹を割いて籠を編む 完成した籠 ( 直径約 10cm) 麻の繊維を中に入れる 籠の中に漆の実を入れる 石の上にのせ木で挟む 木の端に人が乗って圧力をかける

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2-4. 1H NMR を用いた漆液成分の化学的分析 宮腰・永瀬ら8) が、プロトン核磁気共鳴分光計(1H NMR)、ガスクロマトグラフ質量分析計(GC-MS) などの分析装置を用いた漆液成分の構造解析を行い、その詳細を報告している。今回の調査旅行でブー タン産の漆液サンプルを入手したことで、他の産地の漆液も含めて、改めて1H NMR を用いた化学分 析を行なった。残念ながら漆の葉からのもの、幹からのものは採取量が少なく分析不可能であった。 分析に用いた漆液の産地と種類は、 (a) 徳島県産 (2010 年初夏 東官平氏採取荒味 )、 (b) 岩手県浄法寺産 (2008 年 盛漆 日本文化財漆協会 )、(c) 中国産 (2010 年東京渡 商店より購入 )、(d) ベトナム産 (2010 年 12月ハノイ漆業者より購入した荒味)、(e)ミャンマー産(2010年 8月シャン州漆業者より購入した荒味)、 (f) ブータン産 (2011 年 6 月頃にタシヤンツェ郊外のドゥムサン村で採取された若い漆の実を絞った荒 味液 )、(g) ブータン産の熟した漆の実をつぶした液 (2011 年 8 月にタシヤンツェで採取した実 ) の素性 が明らかな 7 種類である。前述の宮腰・永瀬らの文献に記載されたデータと、今回得られた測定結果 を照らし合わせつつ、入手した漆液の成分の分析を行なった。 まず、それぞれの漆液について、重クロロホルム (CDCl3) を溶媒として1H NMR の測定を行なった。 そのスペクトルを表 1 に示す。1H NMR スペクトルの形、特にトリエン成分(炭素−炭素二重結合を 3つ持つ)に該当する範囲(5.0 ppm~6.5 ppm)に注目すると、その漆の産地を容易に判別することが可 能である。 各産地の漆の1H NMR 測定から得られるスペクトルの特徴を詳細に説明する。 ① 徳島県産漆 (a)、岩手県浄法寺産漆 (b)、中国産漆 (c) の 3 点(=主成分ウルシオール)については、 含まれている主要成分(トリエン構造を持つ成分は、Z,E,Z 体ならびに Z,Z,Z 体の2系統)はほぼ同 じだが、その比率が多少異なることが分かった。また、不飽和結合(二重結合:おおよそ 5.0 ∼ 6.5 ppm)に該当するプロトンのピークが複数見られた。ただし、中国産ウルシオール (c) には、ラッコー ルのトリエン成分(Z,E,E 体)が微量含まれていることが確認できた。 ② ベトナム産漆(d: 主成分ラッコール)については、不飽和結合の該当するプロトンのピークが複数 見られるものの、ウルシオール (a) ∼ (c) のものとは全く異なっていた(トリエン構造を持つ成分は Z,E,E 体の1系統のみ)。 表 1 漆成分の1H NMR スペクトル(4.5-6.5ppm)

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③ ミャンマー産漆(e: 主成分チチオール)については、日本産漆、中国産漆、ベトナム産漆とも全く 異なる成分である。最も特徴的なのは、不飽和結合に該当するピークが 5.4 ppm 付近のみにしか観 測されないことで、不飽和結合の種類(すなわちジエン、トリエンを含む成分)が、ウルシオール、 ラッコールと比較して少数であることを示している(トリエン構造を持つ成分は無し)。また芳香 環部位がカテコールではなくフェノールの成分が比較的多く含まれていることも特徴の一つであ る。 ④ ブータン産漆 (f) については、前述の宮腰・永瀬の文献では触れられていない。今回の測定結果から、 ブータン産漆はウルシオールとラッコールのそれぞれの主成分の混合物であることがわかった。た だし、ウルシオールで常に見られる 5.0 ppm や 6.3 ppm 付近に見られる特徴的なピーク(Z,Z,Z 体)が 見られないことから、ウルシオールとラッコールの「単なる混ぜもの」ではないといえる(トリエン 構造を持つ炭素鎖の構造は Z,E,Z 体と Z,E,E 体の2系統)。 ⑤ ブータン産以外の漆は木の幹に傷をつけて樹液を採取するが、ブータン産漆 (f) は、漆の若い実を つぶして採取された液体である。今回、内部に種が形成されている熟した実の「果肉」の部分と「種 子」の部分をより分けた後に磨りつぶし、得られた液体についても1H NMR の測定を行なった。そ の結果、「果肉」、「種子」共に、カテコール骨格由来の 6.7 ppm 周辺のシグナルが全く観測されず、 漆成分が全く含まれていないことが分かった(主成分はパルミチン酸グリセリドなどの脂質)。 以上の結果から、漆の産地と漆に含まれるトリエン成分の相関をまとめたものが表2である。地理 的には最も遠い位置関係にあり、気候も大きく異なるはずの日本並びに中国とブータンの漆の成分に 近似性があり、もっとも位置的に近いミャンマーとブータンの漆は全く異なる結果となった。 今後は、今回分析可能な量が入手できなかった葉の軸や幹からの漆など、さらに多くの漆のサンプ ルを集めて漆成分を分析し、その解析結果をマッピングすることで、木の種類による漆成分の変化や 漆の伝播ルートなどの歴史的な背景、さらには塗膜の特徴と漆成分の相関についての新たな知見が得 られる可能性がある。また、質量分析計なども併用して、さらに精度の高い分析を行う予定である。 表 2 漆の産地とトリエンを含む成分の相関図

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3. ブータンの漆工芸材料と技法について

ブータンの漆器は、木工轆轤で挽いた素地に、一部は木地に着色を行った後、生漆を指で摺り込む 方法がとられている。その他、竹製酒容器や仏具の太鼓の胴、一部地区で竹を編んだざるに塗られる ことがあるが、指物や彫刻品、家具などに漆が用いられているという情報は得られなかった。 3-1. 木地の種類 漆器に使用される木材は、以下の種類を確認することができた。

ハンノキ (tak shing)、カエデ (chalam shing)、カバザクラ (ak shing)、シャクナゲ (eto metho)、カバノ キ (tab shing)、ヤナギ (langma shing)、その他日本語名は不明であるが、アプシン (ap shing)、アアクシ ン (aak shing) と呼ばれる木材も使用されている。 (shing は木の意味) 良質の木材が東部では少なくなったため、採取地は年々西に移動し、現在ではティンプー近郊の木 をタシヤンツェまで運んで使用している。 3-2. 木漆器制作の手順 1 . 冬に木を伐採し、輪切りにして流水に 2 ヶ月ほど漬ける。 2 . その後 3-4 ヶ月日陰で乾燥させる。 3 . 乾燥した木が変形しなくなるようにおよそ 10 分間煮る。 4 . 1 週間ほど乾燥させた後、古い木から順番に轆轤にかける。木地はラチュ(lachu)という、ラック カイガラムシの分泌物から赤色染料を取り出した後に残った樹脂を熱で柔らかくしたものを用いて 轆轤の回転軸に接着する。接着箇所には冷水をかけて、ラチュを硬化させて固定する。 5 . 木工轆轤用の刃物で削った後に、120 番のサンドペーパー、次に ソクスム (sok sum) というサン ドペーパーのようなザラザラの表面をもつ木の葉を用いて木地を磨く。 6 . 磨いた木地に、木の種類によって高地に生える chu-tsi という木の根からとれる黄色い色素や、水 で溶いたターメリック(黄色)、ターメリックに赤を着色したもの(赤色)を布につけ擦り、着色する。 7 . 木に穴や傷がある場合は、ソーキー (sokey) という木を削った粉を漆と混ぜて埋める。近年はエ ポキシ接着剤や木工用ボンドが使用されている。 8 . 着色した木地に、実から採った漆とバターを 1:2 の割合で混ぜ、指につけて擦り込む。現在では バターのかわりに椰子油で作ったマーガリンが使われる。漆にバターを混ぜることで木に吸い込む 漆の量が減り、木地が明るく仕上がり、艶がでる。手についた漆はマーガリンをつけて布でぬぐう。 9 . 漆室に入れずに室温で硬化させる。大規模に制作している職人以外は特に専用の作業部屋や、製 作した漆器を並べる棚はなく、仏間や寝室など適当な場所で塗りが行われ、塗り終わった漆器は床 にそのまま並べられる。

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10. 2 度目からは実から取った漆を竹篦で少量取り出し、器物に指で点づけして親指で擦り込む。こ の作業を適度な艶が出るまで、品物によっては 18 回繰り返し、葉柄から採取された上質な漆を用 いて仕上げる。 11. 最後は布、あるいはヤクの毛で織られた布で磨きをかける。 なお、日本で行っているように「なやし」「くろめ」などの精製や、酸化鉄を混ぜて黒漆を作ること はなく、黒漆には石油を燃やした煤を、朱漆には天然朱か赤土を混ぜたものを同様に指で塗る。 2度目以降はバターを混ぜない 漆を少量擦り込む 最後は布、あるいはヤクの毛で 織られた布で磨きをかける 仕上げは葉柄から採取された 上質な漆を用いて擦る 十分乾燥させた木を粗取りする ラック樹脂を用いて木地を 轆轤による成形作業 轆轤の回転軸に固定する 木地の仕上げはソクスムという葉で 研磨する 漆にバターを混ぜて 指で擦り込む 水で溶いたターメリックや 赤い色素で着色する

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4. ブータン漆器の種類

ブータンの漆工芸の起源については、王国そのものの歴史資料が戦乱で消失しており詳細は判明し ないが、一部の品はチベットの漆器と類似し、名称も同じである。ブータンは森林資源に恵まれ、木 材の確保が容易であり、陶磁器産業はほとんど発達しなかったことなどから、木製や竹製の食器が日 常的に使用されていた。特に、杯は民族服のゴの懐に入れて常に携帯し、訪問先でお茶や酒をすすめ られた時に用いた。この様子は 2003 年に制作されたブータン映画「Travelers and Magicians」9)でも登

場する。伝統的に食事は手で食べ、食べ終わった皿を拭いてきれいにするという習慣から、漆器に箸 や金属器で傷がつくこともなかったといえる。 伝統的な形状の漆器は、その木の種類と木目によって価格が大きく異なる。特に、杯の価値の付き 方は他の漆器と大きく異なる。一番高価な杯は、チャラム(カエデ)の木にヤドリギなどが寄生した 部分にできる瘤の木目の美しいもので、「ザ(dza)」と呼ばれる。ブータンではこの種類の木は、杯に入っ た毒を消すと信じられている。木目の粗いものが「プォ・ザ(pho dza)」=男杢、木目が詰まってなめ サムドゥップ (samdup) チベット風蓋付き容器 その他 ( ワインカップ ) パラン (palang) 竹制酒容器

ダパ(dapa)蓋付き容器 ポップ (phob) 杯 ニュポップ (nu phob) 銀内張付き杯

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らかなものが「モ・ザ(mo dza)」=女杢と呼ばれる。 さらに、木目が珍重されている順に 1. フクロウの羽根 「ウーゾ (woozo)」、2. 馬の歯 「タソチェン (tasochen)」、3.竹の葉「ニュザ(nyuza)」、4.炎「メリチェン(merichen)」、5.蓮の花弁「ペマチェン(pemachen)」 の模様に見えるものが高価とされる。また、本人の生年月日や占いなどで、ある特定の模様の器を入 手すると幸せになれるとも信じられていたり、内側が銀貼りの杯も毒が入ると銀の色が黒く変わると いう同じ理由で珍重される。これらは同じ大きさの一般的な木目の杯の数十倍から時には 100 倍以上 の値段がつけられる。2011 年にタシヤンツェの食料品や雑貨も扱う商店で販売されていた杯には、 80,000Nu( 約 160,000 円 ) を超えるものも含まれていた。 杯に限らず、木目が美しい木を用いた器は、その木目を最大限に活かす仕上げが好ましいとされて おり、漆により色が暗くなりすぎることは避けられている。この理由から、近年では透明で漆より作 業が簡単な合成樹脂塗料や、植物油が用いられたものが増加している。合成樹脂塗料を使用していて も、「ザ」を用いた器であれば漆を使用した器との価格の差は確認できない。

5. ブータンの漆工芸品産地と職人数

今回の調査で、パロのウチュ (Wochu)村、プナカ近郊ガマ・ルンパ(Gama Lumpa)・リムチュー(Rimchu) 村、タシヤンツェで木工轆轤職人を確認することができた。 パロのウチュ村に住む木工轆轤職人 (60 歳 ) は、2 年前より電動モーターを導入し制作を行っている が、それまでは、足踏み式轆轤を妻が踏み、二人三脚で轆轤作業をしていた。高級な工芸品の類でな く、庶民の使用する木器を制作しており、地元の人が木地を持ち込んで受注生産することもよくある。 現在義理の息子が後継者として手伝いをしながら練習をしている。西岡の著書に写真が掲載されてい た同地区の職人は漆の木を自宅周辺に植えて漆も塗っていたというが、彼は残念ながら漆を使ったこ とはなく、塗装には食用油か合成塗料を使用していた。 ガマ・ルンパ地区のジャッツォ (Gyatsho) 村では、過去に、以前漆塗りを行っていた職人を発見した。 同地区では名人と呼ばれた職人も前年亡くなったばかりで、唯一リムチュー村に残る木工轆轤職人は、 高齢となり制作数も減り、漆も使用しておらず、後継者もいない。 一方、タシヤンツェは、ブータンの木工轆轤と漆工芸の中心地として顕在であった。著者らはカル マ氏の協力により 10 件以上の漆轆轤工房を訪問調査した。それぞれの職人が個々に販売業者を含む 顧客と取引しており、需要も十分にある。客が木を持ち込む受注生産も受けている。 多くの職人は 2 年程前よりインド製のモーターを取り付けた電動轆轤を導入している。この地区は 2002 年にようやく電気が通ったことに加え、足踏み式轆轤は轆轤師の他にペダルを踏み回転を加え る係との二人がかりの作業のうえさらにペダルを踏む度に回転方向が変わることで表面をスムースに 削りづらいなどの理由から、一気に電動轆轤の導入が進んだ。足踏み式轆轤に慣れているせいか、多 くの職人の轆轤の回転数は遅く、圧力をかけると回転が遅くなるほどである。

タシヤンツェ北部のボムデリン (Bomdelin) 地区のペンテン (Phenten) 村とニャンテン (Nyangten) 村に も現在 2 名の木工轆轤職人がいるが、漆塗りは専門の職人に発注している。

その他、ペガマツェル (Pema Gatzel) 、ケンカル (Kengkhar)、カンパラ (Kangpara) などでは、アラ ( ブー タンの焼酎 ) を入れる竹製容器パラン (Palang) の産地である。

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将来の展望

今回のブータン滞在中、多くの漆器工房や一般家庭を訪れる機会があり、どの家庭でも使用してい る食器はインドやバングラディシュから輸入されたメラミンや陶磁器ばかりで、漆塗りの杯や椀を使 用しているところはなかった。ゴの懐に必ず漆塗りの杯を入れていたという習慣も現在ではすっかり なくなってしまったようである。漆器自体が日常で使用される機会が大きく減少し、金属スプーンが 普及し、食生活の変化に伴い、若い世代は漆器離れの傾向にある。 タシヤンツェでは、ワインカップ、蓋付きコーヒーカップ、お椀などこれまでの器体にとらわれな い製品も製作されている。変化している生活様式に対応するために、このような新しい漆器の開発、 また、外国人旅行者に向けて、伝統的風あいを残しながら、かつ外国人の興味を引き生活に馴染む漆 工芸品を開発していく必要もあろう。 現在のブータンの漆採取方法ではまとまった量を採取できないので、必然的に指で漆を摺りこむ加 工に限定されてしまっている。高級なものほど塗る回数は多くなるが、一定量を必要とする刷毛塗り による多様な塗装を施すことは困難である。漆の木は確認されていても、轆轤に適した木材が手に入 らないため漆液が採取されていない地区の眠っている資源の開発、或いは漆の採取方法を改良するこ とで、より多くの漆液の確保が可能となり、新たな表現を用いた漆器製作の可能性も広がる。さらに これまで漆がほとんど用いられていなかった家具や仏具、祭事に用いられる面などへの応用も可能と なるのではないだろうか。 そのためにも伝統技芸院などの教育機関で、漆工芸の伝統を尊重し、技術の継承をする手段のひと つとして、漆工芸技術や表現に関する授業、あるいは工業デザインなどの講座を設け、様々な形態や 表現方法を学ぶ授業も行なうことも今後視野に入れるべきではないかと考える。 謝辞 今回の調査は、財団法人美術工藝振興佐藤基金の助成を受けて行われました。また現地ではカルマ・ デンドゥップ氏にご協力を賜りました。NMR 測定は、宇都宮大学地域共生研究開発センターの装置 を使用し、測定には宇都宮大学大学院工学研究科の岩部勇希氏の協力を得ました。その他の関係各位 には改めてお礼を申し上げます。 平成 23 年 10 月 1 日 参考文献 1 ) 輪島市漆器研究所「平成元年度 第 3 回海外漆文化調査報告書 ブータン王国の漆文化」(1989) 2 ) 関次俊雄「タビする木椀 : ブータンから東アジアへの視点̶輪島市海外漆文化調査補遺̶」石川県 立輪島漆芸美術館紀要 5 (2010) 3 ) 小松大秀、加藤寛「漆芸品の鑑賞基礎知識」至文堂 (1997) 4 ) 藤田敏彰「ブータン王国の漆文化を訪ねる」世界漆文化 6、世界漆文化会議 (1995) 5 ) 大西長利編「アジアのうるし、日本の漆」フジタヴァンテ (1996) 6 ) 西岡京治・里子「神秘の王国」学習研究社 (1978)、改訂版 NTT 出版 (1998) 7 ) 久保淳子編「ヤクランド通信」No.41,42 ブータンゆっくり勉強会ヤクランド (2011) 8 ) 宮越哲雄、永瀬喜助、吉田孝 編著「漆化学の進歩:バイオポリマー漆の魅力」第 2 章、アイピーシー (2000)

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9 ) Khyentse Norbu「Travelers and Magicians」、Zeitgeist Video (2003) 10) 中尾佐助「秘境ブータン」毎日新聞社 (1959)、岩波書店 (2011) 11) 上山春平「照葉樹林文化」中公新書 (1969) 12) 上山春平「照葉樹林文化・続」中公新書 (1976) 13) 佐々木高明「照葉樹林文化の道」NHK ブックス (1982) 14) 中尾佐助、西岡京治「ブータンの花」朝日新聞社 (1984) 15) アシ・ドルジ・ワンモ・ワンチュック「虹と雲」平河出版社 (2004) 16) 地球の歩き方編集室「地球の歩き方 ガイドブック D31ブータン」、ダイヤモンド社 (1998,2000,2003, 2005,2007,2009) 17) 西岡里子「ブータンの手工芸品」“あるくみるきく” 142、近畿日本ツーリスト (1978) 18) Karma Dendup, “Art of Lacquer Technique” , Zorig Chusum (1992-2001)

19) Lam Kezang, “Za or Zapchi Phob.” , Zorig Chusum (2004) 20) Wendy Maruyama, “The Urushi Project” , University of San Diego.

21) Francois Pommaret, “Bhutan: Himalayan Mountain Kingdom” , Oddyssey Publishings (2009) 22) Handicrafts Emporium, ウェブサイト , http://www.colorsofbhutan.com/

参照

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