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〔中〕夏羽織の若衆(尾上栄三郎)、傘をさす芸

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妓(中山宮三郎)、巫女(瀕川路三郎)、猿曳 (--i 、 代目坂東三津五郎)、六部(市川蝦^えび>蔵‘­ r大観』は同優前名の五代目市JII団十郎とする が、この役者は寛政三年から蝦蔵を名乗る) 〔左〕扇をもつ夏衣裳の女(瀬川賂考 ‘ r大観」 では同優前名の三代目瀬川菊之丞。しかし 後 述 する刊年訂正から 、 改名後の称となる) 、 順礼 (n­ 代目市川八百蔵)、傘さす抵袖の 娘 (瀬川路之 ・" r一樹の蔭」という胃巣がある。もともと仏教の方あり、近年では大英博物館所蔵のものが『秘蔵浮世刺、『大観』は松本よね三、しかし似顧と、振袖 し鳥鯵たしよう の 9 巣で、こ 樹 の蔭、一河の流れも他生の紘」が完絵大観 ・ 大英博物館 11 』(以下『大観』と略称する)の菊隕桟 E 優は前名菊之助ー、さらにさ 全な言い方となる。その意味は、共に一樹の蔭に行に、これも原色で収載されている。雑誌の方は細かした傘に瀬川家の菊蝶の紋があり、身証のよい り、 一 河の流れを汲むのも、皆前世からの因紘であい記述はないが、『大製』では涸々の役者名のくわし裏付けとなる)、鹿島の事触れ(沢村源之助)` 曾・』ム●^ る、というのだが、少し敷切して、知らない者同士い仔証と、その内の二名の役割から、当図の刊年を夏羽織をもつ男(市川男女蔵)`奴(嵐三八) ひい• が雨を避けて、同じ木蔭に身を寄せ合うのも、又同寛政十二年(-八 OOI と判定し、贔凩客たちの購そして『大観』は、三津五郎が猿俎し与次郎を濱 ぅ““ じ川の水を汲んで飲み合うのも前世からの因縁によ求意欲を促す集合図とする趣旨の解説が付く。考証じた年時と 、 餌蔵が廻国修行者大伴山主を浪じた年 るものである 、 という解釈にもなっている.この 後 はほとんど妥当だが、 後 述 す るように刊年の訂正に時との合致から、当図の刊年を 寛政十 二年と持定し の方の解釈の前半部を ` 即座に思い起こさせるよう関連する些少の誤認と 、似 顔判定の一部に疑問が見ているが、先述した五代目室四郎の存在から ` 改名 な図様の作品が、浮世絵版画に出て来る。られ、そして、この図を制作した絵師の意識解釈に 、 の亨和元年(-八 O i l 以降の制作となる。絵師豊 初代歌川豊国の無題の大判三枚続き錦絵で 、 次の私としては、今少し損り下げた意味合いを含むもの国の落款書体も寛政十 二 年とは受け 取 りにくく 、 亨 ような作品がある。をみるので、以下にそれを述べてみたい。和期のもので、まず亨和元乃至二年の作と判定する。

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折からの俄か用に、遊山客や廻因の職能人など 、 まず役名名と、:^観』でふれた二名以外のそれぞもっとも、蝦蔵は上述した山主の役以降は震台出濱 貴賤とりどりの男女が、大樹の下に奇り集い、あるれの扮装身証についての私見を、右の 二 名も含め、はないのだが、その人気と声威は、引必後の劇書(例 し“い●人 t," .くし● ● S● いは駆け込む姿を、配合に変化をもたせて、この図当図の構成に添って左に 掲 げる。記霰中傍線を籍しえばr戯湯訓蒙図彙』〈亨和三 ・ 一八 0 三>『俳優相貌 は描いている。そして人びとの顔は、すべて役名のたものは『大観』のぢ証の訂正で、理由も付記した。鏡』〈ワ和四〉等)にも霞台姿を載せる程だから`当 “ つとく 似顧になっている(挿図®)。版元は西村屋与八。四〔右〕浪人、おそらく仮名手本忠臣蔵五段目の図に当たり役姿で登場することも 納 得できよう。 季の風物詩の―つである雨宿りの情景に 、 人気 役者 斧定九郎(五代目松 本 幸四郎 、 『大観』は同 11 の当図に関して、しかし、私は上に述べ て 来た私論 を`それぞれ趣向の扮装であてはめた ` 浮世絵では前名の三代目市川高 魔 蔵とするが、衣裳に松本の 考 証の当否もさることながら ~ この図 様構 成に 、 U な”:》 よく用いる見立て手法と受け取られる図 様 である。家の紋の四ツ花菱が付いていて、改名後と考証州に 111 客の目を喜ばせる 、 人気役者の吹き寄せ的取

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この図は早く昭和初期の縫誌r映画と演芸』に`される。ついでながら高 麗 蔵時代の紋は三升枠り合わせにとどまらぬ、ある知性を甚底にひそませ 松方幸次郎 n レクション(現東京国立博物館 蔵 )の内にr高』の字を入れたもの)、牛に粟る田令娘た、絵師豊凶の発想契機の方に 、 より以上にこだわ ものが、原色版の折り込み口絵で紹介されたことが(岩井粂 三 郎)りを感じる。

「雨

宿り

図」

鈴 木 重 三

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歌川豊国崎代世ハ Jl 立雨やとり(鳩図⑧たばこと 壇の博物露所蔦) ょ9 この図に接した時、瞬間的に脳襄を過った想像は、 やがていくつかの資料を鯛丘した結果、妥当とみて よい結論と確信に違したのであるが、暫くその結論 は後に保留し、さしあたって、当図と類紘ないし類 似溝図の作品の紹介と分析から説き進めよう。 同じ初代豊国の作品だが`当図より後の作で、 r 時 代世ハ見立雨やとり 」と 題した大判錦絵三枚続の役 者絵がある{挿図®)。似顔使用の役存たちが、それ ぞれの適役の扮装で、雨を避けて大樹の下に集ま っ た情景を描いたものだが、先掲作の例に倣い、け 証 しえた役名を付して、簡限に左に紹介する。 〔右〕足駄の歯入れ潅助ヵ(五代目松本弟四 郎)、傘さす芸妓( 三代目市川 門之助)、八百屋 半兵衛室代目坂東一__津五郎) しの 〔中〕笠で雨を凌ぐ田舎娘(五代目瀬川菊之 丞)、箱王丸 11 曽 我五郎(― -代目岩井粂三郎)、 名古屋山三(三代目尾上菊五郎) (左〕幡随院長兵衛(七代目市川団十郎)、若 党( 二 代目関 三卜郎) `白井権八(五代目岩井半 四郎) 版元は商慣から今利屋丑蔵。剣五郎の名占屋山 三 つば● の衣裳に`雨に ii れ燕の模様が入っているから、こ のデザインをはじめて取り入れた鶴邑南北作の「浮 世柄比翼稲棲」上演の文政六年(-八 二三)三月以 降のもの、しかも権八 • 長兵衛もこの戯曲に取り入 れられており、更に粂三郎の五郎も同年正月の上演 で、そして豊国が間なく文政八年に没するので`文 政六年か七年の刊行とみてよい。 当図は前掲の享和期の作と比べた湯合、人物 ・ 扮 装など関連性は薄いが、それでも、傘さす芸妓 • 田一 舎娘 ・ 若党など、全く無縁ともいい切れない。何よ5 りも雰囲気の似通いが感じられ、そして題名の r 時―

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歌川国貞覺立問やどり(禅図©口絵書琶 代世ハ見立雨やとり」の命名が何となく注目される。― r 時代世ハ」は r 時代世話」で、歌纂伎の時代物と世, 話物の人物を混肴して描いたことを意味するのだろ― うが、 r 見立雨やとり」は` r 見立」の諾が r 翻案」 の義も宿すだけに、 r 雨やとり」が単なる雨宿り情景 というよりも、もう一っ意味合いのあるものか、と 気にかかって来る。 当図に次ぎ、天保期の作例で、歌 111 国貞画の、題 名もそれこそ r 見立雨やどり」とある、蔦屋吉蔵版 の大判五枚続きの錦絵に私は際会した。これは寺の 門と、その袖の築地塀を背景に、開人物が数を増し て樹下に雨柑りする図である(挿図© ・ カラーロ絵 上段)。前褐の二例同様に、大略を及_示し、簡単に説 明を加える。さいわい当図には、扮装職種名と役名 名とが明記されており、考証の要がないので、その まま転記し、ただ役者名にのみ理解の便に代数を私 意で加えておく。 〔右)てんばむすめ(坂東しうか)、折助(八代 目市川団十郎) 〔二枚目〕座頭(三代目関三十郎) 、芸行(岩井 紫若)、オ蔵(中村福助)、萬歳(四代目中村歌 右衛門) (三枚目]六部(五代目市川淘老芭、順礼(岩 井杜若)、鳥おひ(三代目尾上栄三郎) 〔四枚目〕鰤子震(三代目嵐吉三郎)、高野ひじ り(沢村訥升)、こもそうへ虚無僧〉(+―-代目 市村羽左衛門) 厄〕ことふれ^事触〉(―-代目市川九蔵)、猿 引( ―-代目尾上多見蔵)、福寿草うり(四代目坂 東彦 三郎) 当図には、天保十三年四月に水野忠邦の改革で江 戸を辺放される海老蔵が居り、同十一年四月に五代

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目市川八百蔵から製名した 一1一代目関 三 十郎がいるか ら、ほぼ天保十二年( 一 八四 一 )頃の刊行と見られ る。 ところで当図は 、画 面が広がり 、人数と職種がふ えているので、前掲①⑥図と人物閉係が更に薄まる と思いのほか、両図、なかでも④図とは、構成する 人物や姿態に、強く協和音を奏でる部分があること を感じさせられる。中央の六部は④図のそれと甚だ 酷似し、女順礼には®の順礼の翻案の影が窺われる。 向きの正反対の鹿島の事触れ、配置位置の異なる猿 曳にも、のあ簡には相通ずるポーズを感じる。そう 見ると 、 右方の頭に手を当てて駆け込む折助の姿は ` ®の浪人とオーパーラップして来る。①あ間の直接 交流と判定するには、なお慎 lli を要するが、緊密化 した縁をもつことは承認できる。そしてこれらの図 様を通じて受けとられる相通共⑭惑の連紐から、当 図に付された「見立雨やどり 」 の「雨やどり」に、 何か伝統をもつ画題めいた匂いが、どことなく嗅ぎ 取られて来るのである。 ここで又またもう 一 図、 国を襲名した後の 介することになる

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当図には新馘種が加わり、趣固の変化を部分的に 一 見せるが、その他の人物やポーズは、見事なまでに 8 ®を模して換骨奪胎している。又自作の旧作©から一 も流用して巧みにまとめている。右方一枚の駆け込 む浪人が、®を典拠としたことはいうまでもなく、 猿曳、男順礼女⑥との関係がすぐわかる。さらに耳 (四代目大谷友右をおさえてうずくまる男は 、 ®の左端の奴の変型で 水売り(八代あることも指滴されよう。一方自作の流用には左方 の女順礼と、©の中央のそれとを比べれば明瞭であ る。伝統の受容と模倣を見せつけられる作品である が、それよりも当図では 、 先に少しふれた題辞の町 要性に注目したい。この題辞は甚だ大きな意蓑を示 、 、 、、`、、、 、'、 す。すなわち「北窓翁か古図の雨ゃとり二なろふて」 (傍点引用者付与)とある語が、これまで漠然と問題 視して来た r 雨やどり 」 という同様がすでに相当に 前から画題として顕在していたことを判然と表明し てくれるわけである(挿図⑨呑照)• 「 北窓翁」とは、英一蝶の別号である。かれには肉 筆の 大作 r 雨宿図屏風」が一一点 現存(東京国 立博物 館蔵品とパ ー クコレクション蔵品〉している。各業

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広重木曽萬遍六拾九次之内須原(挿図①) 歌 Ill 国芳遍外獣の雨やどり(挿図®) る。その者たちの変装が`何と大鈴をもった神主`それはともあれ、一蝶のこの「雨宿図」は、かな②これからやや離れて、人物の自由な組み合わせを み・』• -'の 99 ・7‘‘ 琵琶を氏った座頭、猿曳、浪人、山伏、巫女等と、り迎えられたらしい。後代に高嵩谷や、浮世絵師で行なったもの、それに、③『一蝶画譜』の系統も考

既述した職能人の集団に大部分合致し、挿絵にもそは蹄斎北馬に、ヴァリエーションというにふさわしえられる。①は挿囚①©カラーロ絵下段で見た所、

の扮装、あるいは扮装から脱した姿を描いている(挿い作品がある。また一蝶の画蹟を模写して版本に編②は⑤あ例、③は明確な作例は知らないが、広重の ')。小説ではあるが、この人びとの扮装と役目成した鈴木絲松の『一楳画譜』に b 「雨やとり J の r 木"海道六拾九次」の r 須原」(挿凶①)には、どう からもとこれらの過歴職能人は情報収集と報告の題で、簡素化された形で収められている(挿図①) 0b 『一蝶画謂』の「雨やとり」にヒントを得たらし 既報者的性格をもつ可能性も考えられ、又そこまで右のようにして、この一蝶の r 雨宿図」は、趣きい痕が見られる。 与えなくてもこのような末期作品にまで外形的身なに変化を生じ つつ薔題化したらしく患われる。つぶ②の 系統は、そ の後、役者絵の集合図に応用され

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りの系譜の連続が見られる点に深い興味を担かされさに経過を辿る資料を持ち合わせていないが、浮世て行くようである。三代豊国の嘉永期の三枚続作品 る,絵では、① r 雨布図屏風」の溝図に添った構成図、に、雨中樹下に布る役者似顔絵の男女の集合図を若 干例見当てている。愧儡師、植木売その他職能人の 加入が見られ、この吹き寄せ風趣向は捜せば他の絵 帥でも出そうである。 なお一?異色 の類縁作品として 、歌川国月 の大 判横絵錦絵 r 遺外獣の雨ゃどり」(天保十年頃、山 口屋版。揮図®)が挙げられる。具体的にどこがど うという影響関係は指滴しにくいが、画想と全 体の 布置には、 r 雨宿図」から流れる系脈が感じ取られ、

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機知に富み、ユーモアの溢れた楽しい作品である。 何気ない風俗図と見過ごしがちの、浮世絵の r 雨 宿り図 」に、その源をさぐる時 、こ のような伝統の 経路と系脈が見いだされる点から見ると、他の風俗 画類その他の図にも、私たちが現在では、もはや気 付きにくくなっている画題意識がひそんでいるかも しれない。今 後そ のような用意で浮世絵の鯛在と鑑 賞に処して行きたい。 補記、右は役打絵における r 雨宿り図」を対象に考 究を試みて見た。英人画における清良の '"一囲の夕立」 や歌置の r 霞雨図」その他の絵師の頷似図様の作品に ついては慎重に扱いたく、今後の問題としたい。―

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参照

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