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水都ヴェネツィアと周辺地域の空間形成史に関する 研究

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(1)

水都ヴェネツィアと周辺地域の空間形成史に関する 研究

著者 樋渡 彩

著者別名 HIWATASHI Aya

ページ 1‑432

発行年 2016‑03‑24

学位授与番号 32675甲第378号 学位授与年月日 2016‑03‑24

学位名 博士(工学)

学位授与機関 法政大学 (Hosei University)

URL http://doi.org/10.15002/00013072

(2)

法政大学審査学位論文

水都ヴェネツィアと周辺地域の空間形成史に関する研究

2015 年度

法政大学大学院デザイン工学研究科 建築学専攻博士後期課程

樋渡 彩

(3)

はじめに

第1節 ヴェネツィアの建築史・都市史  1.1980 年代以前の基礎研究

 2.1980 年代から多数出版される都市図  3.カナル・グランデに関する図面や写真集 第2節 ヴェネツィア研究の発展  水都への関心  1.海洋都市ヴェネツィアに関する研究

 2.都市の機能に関する研究

 3.水の都市ヴェネツィアに関する研究

第3節 ヴェネツィアの都市とラグーナの環境維持と保全  1.運河網の維持に関する研究

 2.都市の維持に関する研究  3.ラグーナの維持に関する研究

第4節 ラグーナ に関する研究  ラグーナに浮かぶ島々 第5節 ヴェネト地方に関する研究

第6節 舟運に関する研究 小結

 1.研究の目的

 2.研究の背景と問題の所在  3.論文の構成と研究の方法 註

はじめに

第1節 ヤコポ・デ・バルバリの鳥瞰図から読む水都ヴェネツィアの空間構造  1.はじめに

 2.デ・バルバリの鳥瞰図以前に登場した都市図  3.デ・バルバリの鳥瞰図全体の描かれ方  4.建造物の描かれ方

 5.その他の空間の描かれ方

第2節 近代ヴェネツィアにおける都市発展と舟運が果たした役割  1.はじめに

目次

第1章 水都ヴェネツィア研究史 序章

第2章 水都ヴェネツィアの近代化

15 12

39 16

21 17

24

28

40 29 32 31 34

41

54 5

(4)

 2.島で構成される都市と舟運  3.鉄道橋の開通と舟運  4.新港湾の開設と舟運  5.運河の再評価と舟運の強化

第3節 19 世紀のフローティング水浴施設  1.はじめに

 2.リーマ医師によるフローティング水浴施設  3.舟を改造した水浴例

第4節 水辺に立地したホテルと水上テラスの建設  1.はじめに

 2.ヴェネツィア共和国時代の水辺空間  3.19 世紀の水辺空間

 4.20 世紀初頭のカナル・グランデ沿い  5.20 世紀半ばの水上テラス

 6.まとめ

第5節 近代港湾の誕生から再生  1.はじめに

 2.ヴェネツィア港建設以前の土地利用および建物の用途  3.サンタ・マルタ地区とサン・セバスティアーノ地区の開発  4.ヴェネツィア港の再生

小結 註

はじめに

第1節 ラグーナの水環境

第2節 アックア・アルタの歴史と対策  1.はじめに

 2.ヴェネツィアの立地とアックア・アルタの原因  3.アックア・アルタの対策

 4.現在の対策

第3節 ラグーナに浮かぶ島々の役割  1.はじめに

 2.修道院の立地する島々  3.検疫を担った島々

 4.19 世紀 軍事施設として利用される島々  5.病院が配置された島々

 6.大学・ホテル・レストランの登場する島々 第4節 リドの開発史

 1.はじめに  2.リドの原風景

 3.19 世紀初頭のリドの土地利用

 4.1850 年代~ 1870 年代の海水浴場の開設と道路整備   5.19 世紀末~ 20 世紀初頭のホテル建設

第3章 ラグーナおよびその周辺の空間構造

125

126 128 131

140

159 79

84

108

116 117

(5)

 6.1910 ~ 1920 年代の緑に囲まれた住宅開発  7.1930 年代に確立されたエンターテインメント空間  8.まとめ

第5節 ラグーナ周辺の開発  1.マルゲーラ港の開発

 2.自動車道路の整備とその影響 第6節 ヴァッレ・ダ・ペスカ  1.はじめに

 2.ヴァッレ・ダ・ペスカの位置の変遷

 3.19 世紀に登場したヴァッレ・ダ・ペスカの構造  4.カゾーネ

小結 註

はじめに

第1節 テッラフェルマ

 1.様々な地形と自然資源に富むテッラフェルマ  2.アントン・フォン・ザックで見るテッラフェルマ 第2節 シーレ川流域―水車の産業と舟運

 1.シーレ川流域の地理的、歴史的特徴  2.トレヴィーゾ

 3.水車を活用する地域  4.舟運で栄えた地域

第3節 ピアーヴェ川流域―山の文化と筏流し  1.ピアーヴェ川流域の地理的、歴史的特徴  2.ベッルーノ

 3.筏流しと結びついた地域の役割

 4.ピアーヴェ川流域の産業とヴェネツィア 第 4 節 ブレンタ川流域―筏流し・産業・舟運  1.ブレンタ川流域の地理的、歴史的特徴

 2.筏流しを支えた村と町―プリミエーロ渓谷からヴェネツィアまでの木材輸送  3.ブレンタ川を利用した産業

 4.ヴェネツィア―パドヴァ間の舟運 小結

第4章 河川流域から見るテッラフェルマの空間構造

結章

参考文献・資料 謝辞

217

401

413 409 190

208

218 195

209

220

226

292

336

394 395 目次

(6)

序章

(7)

  本論文は、ヴェネツィアおよびその周辺地域を対象として、水と密接に結びついて形成された建築や都市、地域の在 り方を従来とは異なる新たな視点から解き明かそうとするものである。本論文は、次の二つの柱からなる。一つは 19 ~ 20 世紀に焦点を当て、現在も密接に水と結びつく水都ヴェネツィアが、普通なら陸の論理を導入しがちな近代化の過程 のなかで、水の都市としての価値を失わないような計画をいかに押し進め、その魅力を継承発展させることができたのか を考察するものである。もう一つは水都ヴェネツィアの形成を支えてきた背後に広がる地域に目を向け、ヴェネツィアに とって後背地にあたるラグーナ(干潟)およびテッラフェルマ(本土)という周辺の地域が水都ヴェネツィアの成立、発 展にとって極めて重要な役割を果たしてきたことを描き出し、地域形成論の構築を試みるものである。この二つの柱をも とに、水都ヴェネツィアとその周辺に広がる地域の空間形成を歴史的に明らかにすることを目的とする。

 ヴェネツィアについては一般的に、共和国時代につくられた都市が何も変わらず、今日まで持続しているというイメー ジが強いと思われる。しかし、実際にはほかの都市と同様に近代化の波を受け入れ、その空間構造を様々な次元で造り変 えてきたという事実がある。そのことを明らかに示すことが本論文の出発点となる。

 水都をまず変化させたのは、19 世紀半ばの鉄道橋の架橋である。それまで島で成り立っていたヴェネツィア本島が本 土と結ばれることになり、都市の玄関口を海側の東から本土側の西へと転換するきっかけにつながった。また、19 世紀 後半の港湾整備により、本来形成されていた都市と港と一体となった都市構造は大きく変化した。港湾整備に伴い、19 世紀末には巨大な工場・倉庫の建ち並ぶ工業地域も出現し、水都ヴェネツィアの都市構造の変化は決定的なものとなる。

そして、1930 年代には自動車道が本土からヴェネツィア本島に接続されるなど、ヴェネツィアも近代化の波に影響され たのである。だが、こうした大きな変化を遂げてきたにも関わらず、現在もなお世界に誇る水の都市として存在し続けて いる事実に注目し、何故、いかにそれが可能だったのかを解明することがヴェネツィア研究にとっての大きな課題である。

このような認識に立って本論文では、水都ヴェネツィアがさらに魅力を加えながら存続することができた理由と背景につ いて、歴史的に考察する。

 だが、ヴェネツィアの近代化の過程を把握するには、その前提として、まず共和国時代の都市構造を理解し、1797 年 の共和国崩壊以降どのように変化をしたのかを描く必要がある。共和国時代の水都としての都市構造については幸い、

1500 年に出版されたヤコポ・デ・バルバリによって作成された詳細な鳥瞰図から立体的に把握することが可能であり、

ヴェネツィアを水都として捉える視点から、この都市空間と水との密接な繋がりを細部まで読み取っておきたい。

 なお、近代化以前の海洋都市国家ヴェネツィアの港の構造については、ヴェネツィア建築大学の都市史を専門とする D.

カラビおよび E. コンチナ、そして A. サルヴァトーリや陣内秀信によって研究がなされており、その在り方の全体を おおむね把握できる。そもそも共和国時代のヴェネツィアを港湾都市として捉え本格的に研究する動きも実は比較的新し く、1980 年代になってのことである。これらの成果を踏まえつつ、共和国倒壊後のヴェネツィアがいかに港湾都市とし て変化したか、その状況のなかで魅力的な水都がいかに継承発展してきたかを論ずるのが本論文の主要目的の一つである。

 そして、本論文が中心的に扱う共和国崩壊以後の 19 世紀から 20 世紀初頭の歴史については、M. イズネンギと S. ヴォ ルフ監修の『ヴェネツィア史』(2002 年)などからその主な流れを把握でき、これらの既往の歴史研究から得られる情 報を空間的に図示しながら近代化の時期における都市の形成変化の実態とその意味を解読する必要がある。また、当時の 各種計画図を基本史料として用いながら、都市計画の在り方をそれぞれの場所で論じた G. ロマネッリによる『19 世紀の ヴェネツィア』(1977 年)や G. ズッコーニによる『ラ・グランデ・ヴェネツィア』(2002 年)などの研究が有効に使 える。そこで取り上げられた個々の空間に関する計画の内容をヴェネツィア本島全体で位置づけること、さらには改造・

整備の後に表れる都市機能の変化を追い、時間軸のなかで位置づけることが求められている。とりわけ 1930 年代におい ては、当時ヴェネツィア市土木公共事業局の技術長の E. ミオッツィが『歴史のなかのヴェネツィア』の第4巻のなかで 序章

1.研究の目的

2.研究の背景と課題

(8)

ミオッツィ自身の計画を述べており、当時の考え方をうかがい知ることが出来る。このような先行研究を用いて 19 世紀 から 20 世紀前半を中心に都市変遷の実像を大きな視野に立って描くことが可能である。

 問題は、近代化を推進した時代のヴェネツィアを扱う建築史や都市史の分野においては従来、一般の都市と同じように 建築様式や建築の空間構成、街路形態や広場形成などがもっぱら研究対象となってきた点にある。つまり陸の視点から都 市空間の特徴がいかに歴史のなかで形成されてきたのかについて詳細に論じられてきたのである。しかし、水都ヴェネツィ アを理解するには、水の側から見た都市史研究を進める必要がある。そこで本論文では次の二つの視点からヴェネツィア の空間構造を考察する。

 水の視点として、まず舟運に注目し、近代化によるそのドラスティックな変化を考察することが重要である。共和国時 代の都市内交通である渡し舟の実態が G. ザネッリによって明らかにされている。またヴェネツィアの伝統的な手漕ぎ舟 であるゴンドラについては、『ゴンドラの文化史―運河を通してみるヴェネツィア』の邦訳が出ており、日本にも紹介さ れるほど研究蓄積がある10。一方、19 世紀後半から登場し、この水都の舟運のあり方を大きく変えることになる蒸気船

(ヴァポレット)の水上バスについては、その実態を把握することが求められている。そこで、本論文では地図史料のほか、

主に歴代の造船の記録11と経営から見た水上交通史の研究12を用いて、まず航路の復元を試みる。そして都市の変容と 航路の変化を描き、水都ヴェネツィアの近代化の特徴を考察する。

 もう一つの重要な視点は建物や街路と運河の境界である「水辺」に注目することである。共和国時代については、カナル・

グランデ(大運河)沿いの商館機能をもった貴族の邸宅の変遷については陣内秀信によって詳しく述べられている13。ま た、E. ミオッツィによって、運河の形態、フォンダメンタと呼ばれる運河沿いの道の有無などを指標にしながら初期のヴェ ネツィアの形態が仮説的に論じられている14。近代化の時代には、舟運と結びついた物流機能が都市の西端の埋立て地へ 移動したことで、都心の運河沿いの建物の水に面した空間の意味、機能は大きく変化したはずである。ところが、ヴェネ ツィアは漠然と水上都市として認識されるだけで、水辺だけを特別に切り取って考察するウォーターフロントの概念はな く、「水辺」の空間利用はあまり着目されてこなかったそれに対し本論文では、19 世紀以降の水辺の新たな価値を生む方 向での利用の変化を具体的に描き出し、ヴェネツィアが水都として、そのアイデンティティを高めながら存続できた背景 を考察する。

 こうして、ラグーナ上に形成されたヴェネツィアそのものに関し、新たな視点から研究対象を拡大することが求められ る一方で、もう一つの大きな問題意識として、この資源のない水上都市ヴェネツィアが繁栄できた背景を理解するには、

これまで中心的に研究されてきた東方の先進地、ビザンツ世界、イスラーム世界との交流に加え、ヴェネツィアを取り巻 くラグーナとその背後に広がるテッラフェルマとの密接な関わりがあったことに注目する必要がある。そこで本論文は、

ヴェネツィアの形成・発展を支えてきたこうした周辺地域の構造について考察することを二つ目の大きな目的としている。

 ヴェネツィアはラグーナという特異な地形の中で形成され、発展してきた。この独自の自然環境のなかで、水を制御し、

水を活用して都市の営みを持続させてきたヴェネツィアの都市形成の軌跡は、環境共生をめざす現代の都市を考える上で も我々に多くの示唆を与えると考えられる。

 ラグーナに関する研究としては、共和国時代の治水に関する記録書がたびたび再評価されてきた15。しかし、実際には ラグーナ内で広大な埋め立てが行われたり、石油タンカー用の幅広で深さのある運河が掘削されたり、大規模開発を押し 進め、むしろ水循環はないがしろにされてきた。こうした近代的な開発が続けられていたが、1966 年の大水害(アック ア・アルタ)をきっかけに反省する動きに方向転換された。1970 年代にはこのラグーナ全体をアックア・アルタから守 るためモーゼ(MO.S.E.)と呼ばれる大がかりな水門の装置が検討された。その一方でこの大掛かりな装置によって自然 環境のバランスが崩れるという、反対意見も挙がった。こうした背景のなかで水の自然環境の生態系に関する分野から研 究が進められ、自然保護区域が定められるなど、ラグーナの保全再生についての実践と結びついた成果が多く発表された。

2006 年に出版された『ラグーナ図集』16は、地理領域、生物領域、人間領域、保護領域、総合分析で構成され、ラグー ナ環境を広範囲な視点で捉えていることも注目される。

 歴史的な研究としては、1980 年代に共和国時代の水の管理に再度注目が集まり、当時のラグーナに関する記録が再版 された17。また、本土からラグーナに注ぐ河川の河口を付け替えなどの治水に関する当時の記録書やラグーナの水環境の 制御に関するものが史料として活用され、土木技術史や環境史の分野で研究が進められている18。アックア・アルタの歴 史と対策についてはこれらの研究を用いることで把握することが可能である。

 そしてラグーナ内には、漁業・農業・狩猟などの食料を供給する島々および周辺の水域、水車を用いた製粉業などの産 業施設、宗教施設、検疫施設を受け入れた島が存在し、その個々の歴史が研究されつつある19。島のなかには、海洋都市

Intro duzione

(9)

であるヴェネツィアの役割を支える検疫所、隔離病院などの機能を担うものも複数あった。さらにオーストリア支配下で 要塞化された島々や近代にも隔離病院を設置すべく新たに造成された島など、後の時期に負のイメージで捉えられた場所 も多いが、それらが今、逆に再評価の最前線にあるという歴史の巡り合わせも見られる。

 さらに戦後における考古学調査を積み重ねた研究成果によって、古代から中世初期のラグーナ内での人々の居住の状況 も明らかになりつつある20

 だが、こうした個々の研究はそれぞれの分野で従来ばらばらに行われており、これらを地域形成史の大きな枠組みと して総合的に位置づける必要がある。今日、ヴェネツィア市は、歴史の栄光をもつ本島の都市がすでに社会的にも文化・

観光的にも飽和状態にあり、新たな可能性をラグーナに求め始めている。「ヴェネツィアはラグーナである(Venezie è laguna)」というキャッチフレーズがそれを象徴しており、ラグーナ研究の深化が求められている。

 ラグーナと並び、あるいはそれ以上に重要な後背地として水都ヴェネツィアを支えてきたのがテッラフェルマである。

ヴェネツィアは水に囲まれながらも飲料水不足に悩まされ、あらゆる物資を外に依存してきた。とくに舟運を通じた本土 との密接な結びつきは、ある意味で、重要な命綱だった。実際、舟運を得意としたヴェネツィアは、ラグーナはもちろん、

とりわけ、ラグーナに注ぐ河川沿いの地域と密接に結びつきながら発展してきたのである。また、近年、都市と田園(農 業地域)の結び付きを現代的な視点で再評価する動きがイタリア各地で強まっており、これまであまり光の当たらなかっ たテッラフェルマに着目し、この特徴ある水都が誕生、成立、繁栄できた理由、背景を明らかにすることが重要な課題と なっている。

 ヴェネツィアの背後のテッラフェルマ側に広がるヴェネト州に関する研究としては、ヴェネツィア共和国の支配した領 地にあたりパドヴァやトレヴィーゾ、ヴェローナなど文化的にも経済的にも豊かな都市が多いだけに、市壁内に囲まれた 都市の歴史に関する研究はそれなりに蓄積されつつある21。また 1970 年代、イタリアではチェントロ・ストリコ(歴史 地区)の保存・再生が進み、1980 年代にはさらにその周辺に目が向けられるようになると、ヴェネト州でも、1980 年 代、都市の周辺に広がる田園風景に関心が向けられ、テリトーリオ(地域)やパエザッジョ(風景)の視点が生まれてく る22。こうした背景から、河川を軸にした研究が登場し、自然環境系(植物学、生態学)、地理学、歴史学の視点から研 究され始めている23。しかし、周辺地域とヴェネツィアとの関係を論じるものは少ない。本来、地域形成の軸となってい た河川や運河を媒体として、ヴェネツィアとの関係を再構築する必要がある。

 以上のように、これまで海洋都市国家ヴェネツィアという視点を中心に描かれてきた都市形成を、ラグーナおよびテッ ラフェルマの視点から捉え直し、ヴェネツィアの都市形成だけでなく、ヴェネツィアとテッラフェルマを含む広大な地域 形成の歴史研究を構築することが求められている。

 本論文は、以上のような認識に立ち、従来、研究が手薄であり、しかも今後ますます重要となるに違いないこれらの領 域を研究対象に据え、新たな視点から水都ヴェネツィアの成り立ちを研究するものである。

 次に、本論文の構成について述べ、同時にそれぞれの章における研究方法について説明する。

 まず、第1章で、水都ヴェネツィアに関する研究動向の変遷について論じる。それは、本論文の位置づけ、意味づけを 考える上に重要な部分であり、すでに、序章で論じた本論文の背景についての記述の補足説明の役割を担うものと言える。

 ここでは、とりわけ 1980 年代以降に出版された建築史、都市史を軸としながら、水都としてヴェネツィアを捉えた研 究を見ていく。また、土木史や技術史などの分野についても触れる。水を制御しながら都市を維持してきた水都ヴェネ ツィアにとって、治水に関する研究の蓄積は厚い。そして近年注目されつつある、ラグーナの豊かな自然環境に対する取 り組みや研究も論じる。さらに 1980 年代頃から、ヴェネツィア本島からラグーナへと研究対象が広がるなかで、テッラ 序章

3.論文の構成と研究の方法

第1章

(10)

フェルマの田園部にも関心が向くようになる。ここでは、都市史や環境の分野のなかの河川に着目した研究を取り上げ、

1980 年代がから現在に至るまでどのような方向性で研究が蓄積されてきたのかを検証する。またヴェネツィアの都市と テッラフェルマとを結ぶ舟運の研究を概観し、研究対象の地域的な広がりを考察する。

 第2章では、ヴェネツィアの 19 世紀から 20 世紀初頭を対象とし、近代化の流れのなかでその都市構造を変化させな がらも、この都市独自の水都としてイメージを作り上げてきたことを論じる。国立ヴェネツィア文書館、ヴェネツィア市 文書館(Archivio Strico Comunale di Venezia)などで収集した一次史料を活用し、不動産台帳の地図を含む古地図と実 際の建築、都市空間の比較分析を行い、この時代の水都ヴェネツィアの形成・変化に関し考察する。

 まず第1節では、近代化が始まる前段階での共和国時代につくられたヴェネツィアの水の都市の構造を理解する作業を 行う。具体的な一つの有効な方法として、1500 年に出版されたヤコポ・デ・バルバリの鳥瞰図を用いて、ヴェネツィア 本来の水都の構造を読み解く。

 続く第2節では、これまで主に陸の視点から描かれてきたヴェネツィアの歴史を、水の視点から据え直し、とりわけ舟 運との関係を考察しながらヴェネツィアの近代化の過程を明らかにする。ヴェネツィア共和国崩壊後、フランスとオース トリアの支配に置かれ、運河の陸化(リオテラ化)や架橋といった、陸の視点で開発が進められてきた。さらにイタリア 王国統一後には、港湾が整備され、都市構造が大きく変わった。こうした新たなインフラを受け入れながらも、舟運が続 けられてきた背景を考察する。その手法として、文書館の史料や古地図などから乗客輸送船の航路を復元し、都市の形成 過程と航路の変化を読み解く。

 そして、19 世紀前半に舟運都市ヴェネツィアで現れた興味深い動きを第3節で概観する。この時代、ヨーロッパ全体 では海水浴が流行していた。その影響としてヴェネツィアに出現したフローティング水浴施設の実態を明らかにする。ま た、このフローティング水浴施設は観光化を促進する重要な流れの一つである。

 さらに第4節では、共和国時代の港機能が衰退し、新たに観光色を強めていくリーヴァ・デリ・スキアヴォーニとカナ ル・グランデ沿いの水辺の変化を丁寧に追う。この近代化の過程のなかで、現在レストランやカフェの屋外席として、運 河沿いの道(フォンダメンタ)や水上が有効に使われるようになったが、このような水辺の空間利用の形態がどのように 獲得されたのかを検証する。ここでは、ヴェネツィア市文書館所蔵の建築確認申請と古写真から可能な限り変遷を把握し、

利用の変化を描く。これは、今までウォーターフロントの概念がなかったヴェネツィアの「水辺」に初めて注目すること になる。水の都市を理解するには、歴史の視点から、海や川の側に立って、建築を、そして都市を大きな視野から見直す ことが非常に重要である。

 第5節では、19 世紀後半に行われた港湾整備によるサンタ・マルタ地区周辺の劇的な変化を考察する。ここでは港湾 機能が集約されたサンタ・マルタ地区周辺に工場、倉庫が次々と立地し、産業化していく様子を具体的に描き、19 世紀 以降にヴェネツィアの空間構造が大きく変わったことを示す。

 以上のように、第2章では、近代化のなかで、現在見られる水都ヴェネツィアのイメージがつくり出されてきた過程を 明らかにする。

 第3章では、ヴェネツィア本島をとりまくラグーナに着目し、水都ヴェネツィアの形成・発展を支えてきた水の環境の 役割について論じる。ラグーナの研究については、第1章、第3節で大きく取り上げるが、研究が積極的に進められるよ うになったのは、ヴェネツィアに大被害をもたらした 1966 年のアックア・アルタ(冠水)からである。そのアックア・

アルタとその対策については、第3章、第2節で扱う。水都ヴェネツィアが繁栄し続ける背景には、水との長い戦いもあ る。その決して華やかではない、地道な努力と英知について、掘り下げる。

 第3節では、ラグーナ周辺の島々の歴史と役割について検証する。ここでは、ヴェネツィア共和国時代、19 ~ 20 世 紀後半、そして現在に至るまでの長い時代の流れのなかで、島の役割が変化していったことを明らかにする。

第2章

第3章

Intro duzione

(11)

 その島のなかでも、ヴェネツィアとの関わりの大きいリドを第4節で大きく扱う。リドの歴史的研究は 19 世紀後半の 海水浴場開設からが主である。そこで、1808 年の不動産台帳(カタスト・ナポレオニコ)を用いて、開発以前の土地利 用を把握し、リドの原風景を考察する。海水浴場開設直後に行われたリドの開発については、ヴェネツィア市文書館に保 管されている開発計画の史料を用いながら、当時の意図を探る。ヴェネツィアとどのように関わりながらリドが発展して いったのかを論述し、20 世紀初頭に観光都市ヴェネツィアが構築されていく過程を明らかにする。これは、第2章の第2、

3、4節で論じる観光化の流れの終着点である。

0 5 10km

Chioggia キオッジア

Brondolo ブロンドロ Moranzani

モランツァーニ Porto Marghera

マルゲーラ港 Marghera マルゲーラ

S. Erasmo サンテラズモ

Punta Sabbioni プンタ・サッビオーニ

Treporti トレポルティ

Lio Piccolo リオ・ピッコロ

Lio Maggiore リオ・マッジョーレ

Murano ムラーノ

S. Pietro in Volta サン・ピエトロ・イン・ヴォルタ

Pellestrina ペッレストリーナ

Torre del Carigo カリゴ塔 Jesolo

イエーゾロ Caposile

カポシーレ Portegrandi

ポルテグランディ Altino

アルティーノ

Mestre メストレ

Porte di Cavallino カヴァッリーノ閘門

Venezia ヴェネツィア

Malamocco マラモッコ

リド潮流口 Burano ブラーノ Aeroporto Marco Polo

空港 Torcello

トルチェッロ

La Salina ラ・サリーナ

リドLido S. Nicolò サン・ニコロ

マラモッコ潮流口

キオッジア潮流口

陸地 凡例

バレーナ 水深 0-1.2m 水深1.2m以上 護岸で囲まれた ヴァッレ・ダ・ペスカ

ラグーナおよびその周辺の主な地名

(12)

 第4章では、テッラフェルマについて論じる。ラグーナの水上に誕生し、水に囲まれながらも飲料水不足に悩まされ、

石や木をはじめあらゆる物資を外に依存せざるを得ないヴェネツィアにとって、オリエントとの繋がりばかりか、舟運を 通じたテッラフェルマとの密接な結びつきは重要だった。ヴェネツィアはとりわけ、ラグーナに注ぐ河川沿いの地域と密 接に結びつきながら発展してきたのである。本章は、こうした問題意識に立って、ヴェネツィアを支えてきた後背地であ る河川沿いの地域に焦点を当てるものである。

 ここではよりヴェネツィアとの関係の強いシーレ川、ピアーヴェ川、ブレンタ川の流域に着目し、それぞれの地域とヴェ ネツィアとの関係を浮かび上がらせることを目的とする。

 第 1 節では、その前提となるテッラフェルマの地形と資源について概観する。

 第2節ではシーレ川を取り上げ、この川が担った重要な機能である舟運と水車を活用した産業が、相互に共存できるよ う地理的、空間的にどのように分布したかを考察する。船の航行が可能な自然条件に恵まれたトレヴィーゾより下流側で は、舟運による活発な物資輸送が行われ、その中継地にはカジエールをはじめとする川港が形成され、舟の牽引に用いら れる牛の交代場所の役割をもったことなどを、文献史料と現地調査から得られた成果をもとに論ずる。

 それに対し、舟運のないそのトレヴィーゾより上流側では、シーレ川の水流を活用した水車を使った産業が発展し、と りわけ製粉の一大生産拠点となり、ヴェネツィアの人口増加と共に、食糧供給を担ってきたこと、また、こうした製粉所 の所有者は修道院、ヴェネツィア出身の貴族、地元の有力家などであったことをマウロ・ピッテーリの研究24を参照し て行った現地調査の成果に基づき論述する。

 次に木材輸送の河川として知られるピアーヴェ川を第3節で見る。ジョヴァンニ・カニアートらの研究25を参照しつつ、

現地調査で得られた成果を分析考察し、ヴェネツィア共和国の存続にとって重要だった木材供給の仕組みに光を当て、共 和国による森の管理、筏による輸送の在り方などを分析考察し、ヴェネツィアとピアーヴェ川流域の関係を捉え直す。

 そして第4節でブンレタ川について論じる。その上流域で、ヴェネツィア共和国の領土の外にあたるチズモン川にも木 材供給の役割をもたせ、森を管理し、木材を生産していた有力家と契約し、やはり筏に組んでブレンタ川を通じて、ヴェ ネツィアやパドヴァまで運ぶというトータルな仕組みが成り立っていたことを描き出す。こうしてブレンタ川を扱うこと で、ヴェネツィア共和国の政治的支配圏とは異なる文化・経済圏を描くことも可能となるはずである。

 次に、ブレンタ川にとって重要な舟運に注目し、様々な観点から論ずる。特に、ヴェネツィア共和国の構想の下で、治 水事業としての運河の付け替えを行う一方で、舟運を維持するための閘門と水位差を生かした水車による製粉所が建設さ れたドーロを興味深い事例として詳しく取り上げる。

 このように、本章では新たな地域(テリトーリオ)論を構築する一つの手法として、三つの河川を取り上げ、ヴェネツィ アとそれぞれの河川流域との間に歴史的に成り立ってきた密接な相互関係を描くことを試みる。

 以上のように、水都ヴェネツィアと周辺地域の空間形成について考察を行う。

 また、ラグーナの東側に位置するリドが観光エリアとして開発される一方で、ラグーナの西側に位置するマルゲーラは 港湾エリア、工業エリアとして開発されていく。そのマルゲーラに決定する以前のプロジェクトについて第5節で概観す る。これは、第2章の第2、5節で論じる港湾整備に伴う都市の変化の続きであり、港湾機能の必要性がラグーナの縁に まで広がったことを示す。さらにこの節では、プンタ・サッビオーニ、メストレのようなラグーナ周辺で行われた開発に よる影響について触れる。

 そして、古くから行われてきた漁業、農業、狩猟、製塩業といったラグーナで生活する上で重要な役割について第1節 で触れ、そのなかでも、独特な風景を生み出すヴァッレ・ダ・ペスカについて第 6 節で詳述する。ヴァッレ・ダ・ペス カは魚を養殖する場所で、人工的につくりだされた空間である。こうしたラグーナの自然環境を人工的に管理してきた歴 史を描き、ヴェネツィアの発展を支えた背景を考察する。

第4章

Intro duzione

(13)

序章

シーレ川、ピアーヴェ川、ブレンタ川の位置と主な都市 かつてそれぞれの本流はラグーナに注いでいた

マッテオ・ダリオ・パオルッチ(Matteo Dario Paolucci)作成の図をもとに作成

0 10 20 50km

シーレ川

トレヴィーゾ ベッルーノ ピエーヴェ・ディ・カドーレ

バッサーノ・デル・グラッパ

パドヴァ

ヴェネツィア

ラグーナ アドリア海 ピアーヴェ川 ブレンタ川

チズモン川

バッキリオーネ川

タリアメント川

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25.

にドゥカーレ宮殿で開催された展覧会の図録集である。)

Ernesto Canal, Archeologia della laguna di Venezia, Sommacampagna : Cierre edizioni, 2013.

L. Puppi, M. Universo, Le città nella storia d’Italia : Padova, Bari : Laterza, 1982.

Franco Mancuso, Alberto Mioni (a cura di ), I centri storici del Veneto, Milano : Silvana, 1979 など。

Giovanni Caniato, Aldino Bondesan, Francesco Vallerani, Michele Zanetti (a cura di), Il Sile, Sommacampagna : Cierre edizioni, 1998.)。

代表的な研究として、Mauro Pitteri, Segar le Acque : Quinto e Santa Cristina al Tiveron storia e cultura di due vilaggi ai bordi del Sile, Zappelli : Dosson, 1984 と Mauro Pitteri, I mulini del Sile Quinto, Santa Cristina al Tiveron e altri centri molitori attraverso la storia di un fiume, Battaglia Terme: La

Galiverna, 1988 が挙げられる。

ピ ア ー ヴ ェ 川 に 関 す る 研 究 と し て、Giovanni Caniato (a cura di), La via del fiume dalle Dolomiti a Venezia, Sommacampagna : Cierre edizioni, 1993 や Giovanni Caniato, Aldino Bodesan, Francesco Vallerani, Michele Zanetti (a cura di), Il Piave, Sommacampagna : Cierre edizioni, 2004 が挙げられる。

Donatella Calabi, Paolo Morachiello, Rialto : le fabbriche e il ponte, 1514-1591, Torino : Giulio Einaudi, 1987.

Ennio Concina (a cura di), Il Canal Grande nelle vedute del

‘Prospectus Magni Canalis Venetiarum’, disegnate e incise da Antonio Visentini dai dipinti del Canaletto, Milano : Il polifilo, 1988 や Ennio Concina, Venezia nell'età moderna : struttura e funzioni, Venezia : Marsilio Editori, 1989 などがある。

Guido Perocco, Antonio Salvadori, Civiltà di Venezia, Venezia : Stamperia di Venezia, vol. 1-3, 1973-1976.

陣内秀信『ヴェネツィア―水上の迷宮都市』講談社、1992 年や陣内秀信『イタリア海洋都市の精神』(興亡の世界史第 8巻)講談社、2008 年などがある。

M. Isnenghi, S. Woolf, Storia di Venezia : l’ottocento e il novecento, Roma : Istituto della Enciclopedia italiana, 2002.

Giandomenico Romanelli, Venezia Ottocento : materiali per una storia architettonica e urbanistica della città nel secolo 19., Roma : Officina, 1977 や、Giandomenico Romanelli (a cura di), Venezia ottocento : l'architettura, l'urbanistica, Venezia : Albrizzi, 1988 などがある。

Guido Zucconi (a cura di), La grande Venezia : una metropoli incompiuta tra otto e novecento, Venezia : Marsilio Editori, 2002.

Eugenio Miozzi, Venezia nei secoli : Il salvamento, vol. 4, Venezia : Casa editrice Libeccio, 1969.

Guglielmo Zanelli, Traghetti veneziani : La gondola al servizio della città, Venezia : Il cardo, 1997.)

アレッサンドロ・マルォ・マーニョ『ゴンドラの文化史―

運河を通してみるヴェネツィア』和栗数珠里訳、白水社、

2010 年。

Gilberto Penzo, Vaporetti : un secolo di trasporto pubblico nella laguna di Venezia, Sottomarina : Il Leggio, 2004.

Francesco Ogliari, Achille Rastelli, Navi in città : storia del trasporto urbano nella Laguna veneta e nel circostante territorio, Milano : Cavallotti, 1988.

陣内秀信『ヴェネツィア―都市のコンテクストを読む』鹿島 出版会、1986 年。

Eugenio Miozzi, Venezia nei secoli : La città, vol. 1, Venezia : Casa editrice Libeccio, 1957.

Giuseppe Pavanello (a cura di), Marco Cornaro, Scritture sulla Laguna, in Antichi scrittori di idraulica veneta, vol. 1, Venezia : Premiate Officine Grafiche C. Ferrari, 1919 など。

Stefano Guerzoni, Davide Tagliapietra (a cura di), Atlante della laguna : Venezia tra terra e mare, Venezia : Marsilio Editori, 2006.

Pasquale Ventrice (a cura di), Antichi scrittori di idraulica veneta : Marco Antonio Cornaro, Dialogo sulla Laguna, con quello che si ricerca per la sua laguna conservatione, vol. 5, Venezia : Tipoffset Gasparoni, 1988 ほか。

本土からラグーナへ注ぎ込む河川の付け替えと、ラグーナ の埋め立てに関する変遷を図示した研究として Vito Favero, Riccardo Parolini, Mario Scattolin (a cura di), Morfologia storica della laguna di Venezia, Venezia : Arsenale, 1988 があ る。また水循環を良好にして、アックア・アルタを引き起 こしにくくするために浚渫の必要性を示唆する研究として Gianpietro Zucchetta, I rii di Venezia : la storia degli ultimi tre secoli, Venezia : Helvetia, 1985 などがある。)。

Donatella Calabi, Ludovica Galeazzo (a cura di), Acqua e cibo a Venezia : storie della laguna e della città, Venezia : Marsilio Editori, 2015. これは 2015 年9月 26 日~ 2016 年 2 月 14 日 1.

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Intro duzione

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第1章

水都ヴェネツィア研究史

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 本章は、水都ヴェネツィアに関する研究の動向について概観するものである。ヴェネツィアをテーマにした研究は、

イタリア語ばかりか、フランス語や英語、ドイツ語など多岐の言語にわたってさまざまな分野で論じられ、その数は膨大 である。第二次世界大戦後に歴史的遺産を考えるなかで育まれた、ヴェネツィアの建築史、都市史の基礎的な研究に関し ては、すでに陣内秀信が日本に紹介している。本章ではそれらの研究を踏まえながら、1980 年代以降に出版された、主 にイタリア語と日本語の研究のなかから、建築史、都市史を軸としながら水都としてヴェネツィアを捉えた研究を重点的 に紹介する。

 また、土木史や技術史などの分野にも注目し、水都ヴェネツィアにとって重要と思われるラグーナに関する研究も取り 上げる。そもそもこの奇跡とも言うべき水都ヴェネツィアが形成されたのは、立地そのものの特徴に起因する。ヴェネツィ ア本島はラグーナと呼ばれる浅い内海に浮かぶ群島からなる。ラグーナとアドリア海のあいだには、自然堤防のように細 長い島々が横たわっており、これらの島々は、大陸からラグーナに注ぎ込む多くの川からの土砂の堆積と、アドリア海の 波の力との拮抗のなかで形成された。こうしたヴェネツィアを取り巻く環境は、歴史のなかで自然の力によって徐々に変 化してきたが、同時に、人々は河川の流路やラグーナの地形にさまざまな改造を加え、水環境を制御しながら、衛生状態 もよく交通の便も保証された水の都を築いてきたのである。このように、水をコントロールしながら都市を維持してきた 長い歴史から、治水に関する報告や研究の蓄積が厚い。また近年では、ラグーナの豊かな自然環境に注目が集まっている。

それら自然環境の再生事業を紹介しながら、現在の自然環境に対する取り組みや研究動向にも触れる。

 さらに 1980 年代頃から、ヴェネツィア本島からラグーナへと研究対象が広がるなかで、後背地であるヴェネト地方の 田園部にも関心が寄せられるようになる。ここでは、河川に着目した都市史分野や環境分野の成果を取り上げながら研究 の動向を探る。

 最後にヴェネツィアの都市とヴェネト地方とを結ぶ舟運の研究を概観し、近年における研究対象の地域的な広がりを論 じる。また、水都ヴェネツィアに関する問題意識や方法論における重要な研究に関しては、さまざまな分野の動きを可能 な限り取り上げる。

第1章 水都ヴェネツィア研究史

はじめに

(18)

 水の都として知られるヴェネツィアにおいても、海や河川、運河といった水の側から都市を見るという研究が登場する のは意外に遅く、本格的にそれが始まるのは 1980 年代からになる。それ以前の建築史・都市史研究では、もっぱら都市 や建築の構成について関心がもたれていた。

 まず、ヴェネツィアの建築史研究に関しては、ヴェネツィア建築大学教授を長く勤め、イタリア初の女性建築家でもあ るエグレ・レナータ・トリンカナート(Egle Renata Trincanato)が挙げられる。1948 年に出版された E. R. トリンカナー トによる『ヴェネツィアの小建築』では、初めて庶民住宅に光があてられている。当時はまだ貴族住宅(パラッツォ)

に関する研究もほとんど進んでいない状態であったことからも、先見性が注目される。この研究では、都市環境を形づ くる庶民住宅を対象に、配置図、平面図、立面図、必要に応じて断面図を示しながら、広場、路地、運河などと密接に結 びついて成立する空間構成の分析を行っており、その後のイタリアの都市・建築の見方に大きな影響を与えた。ここに掲 載されている配置図には建築単体だけでなく、建物に隣接する運河も同時に描かれていることから、水の都市を意識する 要素がすでに盛り込まれていることがわかる。

 都市形成に関する代表的な研究としては、早い時期に土木技師のエウジェニオ・ミオッツィ(Eugenio Miozzi)によっ て行われたものが挙げられる。E. ミオッツィは、地区の新旧を判定するために、運河の形態、方言でフォンダメンタと 呼ばれる運河沿いの道の有無、そして教会の設立年代を指標として考えた。そして運河の形態とフォンダメンタの分布に もとづきながら、初期のヴェネツィアの形態を仮説的に描き出した。

 この頃イタリアでは、歴史的、芸術的遺産の考え方を単体のモニュメントに限定せずに、周囲の環境まで広げ、都 市を保護していく考え方が生まれている。1960 年に開催された、ANCSA(Associazione Nazionale dei Centri Storico Artistici、全国歴史的芸術的街区協会)による会議では、歴史地区全体が保護対象となった。そして、ちょうどこの時期、ヴェ ネツィアでは都市形成のメカニズムを研究する方法が模索されていた。建築計画を専門とするサヴェリオ・ムラトーリ

(Saverio Muratori)とその助手を勤めたパオロ・マレット(Paolo Maretto)は、建築のティポロジア(類型学)による 新たな都市分析の方法を築き、それは後に多くのイタリア都市で歴史地区の実践的な方法として応用されるようになる。  ムラトーリの代表的な著書『ヴェネツィアの実践的都市史のための研究』(1960 年)では、ヴェネツィアの島々を、

異なる原理で構成されるいくつかのグループに分け、連続平面図の作成、相互の比較にもとづく分析をおこない、都市形 成の過程を示した。連続平面図の表現により、これまで単体として扱われていた建築が建築群として扱われている。さら に、歴史の連続的流れのなかで都市組織(tessuto urbano)がどのように形成され、現在どのように存在しているのかを 分析している。この分析では E. ミオッツィの研究も参照していると考えられる。続いて P. マレットにより『ヴェネツィ アのゴシック建築』(1960 年)10が出版される。この著作はムラトーリの『ヴェネツィアの実践的都市史のための研究』

の第2部を担うものである。いまなお島のなかにぎっしりと建ち並んでいる中世以降の住宅建築群を、都市との絡み合い のなかで詳細に分析したことによって、この町での人々の住まい方、住民構成を明らかにし、さらにはコミュニティの結 合関係をも暗示することになり、歴史的な蓄積の上に成立する都市の現実を今日的視点から解明しようとするムラトーリ のめざした仕事を、完成の域にいっそう近づけた11。これらの研究では、建築、都市構造の変化に比重が置かれているが、

同時に、運河との関係も意識しながら分析が進められている。運河に囲まれた独特な地形に形成された水の都市ヴェネツィ アだからこそ、このような手法が生まれたと考えられる。

 そして、E. R. トリンカナートも都市史研究を進めた。最初に雑誌『都市計画』ヴェネツィア特集号(1968 年1月)に、

ヴェネツィアの都市形成史とその結果できあがったヴェネツィアの都市構造に関し、2本の論文を掲載した12。続いて、

建築と都市空間に関する膨大な情報をとりまとめたヴェネツィア形成史の集大成である『時の流れのなかのヴェネツィア』

は、ヴェネツィア本島の発展段階を教会や貴族住宅などの建設年代と合わせて図示されている13。おそらく E. ミオッツィ の都市形成史研究も参照したであろう。また、同年に E. R. トリンカナートの序文を掲載したヴェネツィアの地図集14

Studio

第1節 ヴェネツィアの建築史・都市史

1.1980 年代以前の基礎研究

(19)

出版されており、E. R. トリンカナートはこれらの都市地図を参照しながら形成史を描いたと考えられる。

 これらの研究を日本に紹介した第一人者である陣内秀信は、1973 年にヴェネツィアへ留学し、E. R. トリンカナートや P.

マレットから都市研究の方法を学び、帰国後、『都市のルネサンス―イタリア建築の現在』(中公新書、1978 年)を書き 上げる。さらに『ヴェネツィア―都市のコンテクストを読む』(鹿島出版会、1986 年)において、S. ムラトーリと P. マレッ トの研究を発展させ、特に、運河を中心とした都市構造から抜け出し、カンポを中心とした高密なコミュニティを支える 都市構造を築き上げていく過程について論じた15

 その後、建築のティポロジアの研究は 16 世紀以降に建設された建物も扱われるようになり、研究対象範囲の拡大や、

都市周辺部を対象とした研究も行われる。たとえば、P. マレットの著書である『都市史におけるヴェネツィアの住宅』(1986 年)16では、ヴェネツィアの起源から 19 世紀までを対象にしている。また、翌年に出版された G. クリスティネッリ著 の『カンナレージョ』17では、カンナレージョ地区全体の住宅の連続平面図が掲載され、研究対象が建築群から地域に広 がったことを示している。この手法はレンツォ・ラヴァニャンによって周辺のまちでも応用され、ヴェネツィア・ラグー ナの南端に位置するキオッジアに関し、歴史地区全体の住宅平面図を作成しながら、その構成について分析、考察が行わ れた18

 そして 1980 年代には、新たな手法も登場した。これまで現在の都市空間を形づくる建築群の空間構造の分析成果に頼 る部分が大きかったが、ジョルジョ・ジャニギアン(Giorgio Gianighian)とパオラ・パヴァニーニ(Paola Pavanini)に よる『貴族住宅の裏側』(1984 年)19では、16 世紀を中心に貴族住宅(パラッツォ)の裏手に建設された集合住宅を取 り上げ、古文書の史料を活用しながら建物の成立背景を探る研究を深めている。

 このような、街路や広場、運河のような都市を構成する要素を多くもつヴェネツィアを対象に、その独特の都市形態、

都市空間、建築タイプの形成・展開を分析した一連の著作は直接的に水の都市としてヴェネツィアを捉えた研究ではなかっ たが、その多くが運河やラグーナの水の存在を常に意識しており、水都研究の出発点となったと言える。

 さて、早い段階で水の視点からヴェネツィアを捉えたものとして、G. ピアモンテによる『水から見たヴェネツィア』

(1968 年)20があり、運河ごとに宗教施設や貴族住宅を紹介している。ここでもう一つ挙げておきたいのは、G. ペロッ コと A. サルヴァドーリの『ヴェネツィアの文明』(1973 年)21である。ヴェネツィアの都市形成の歴史に関する著作だが、

特にその第1巻では、中世のラグーナに形成されたヴェネツィア独特の都市の形態、空間構造を解き明かしている。ヴェ ネツィアの都市を構成する橋、街路、広場、運河沿いの階段(リーヴァ)などあらゆる要素を取り上げ、それぞれを比較 分類する手法を採り、この水の都市を形態学的に理解することで先駆的な役割を果たした。また、カヴァーナという舟を 係留する場所を取り上げている。ここでは、カヴァーナを運河の水を建物内に引き込んだ、いわゆるガレージ的な役割の ある空間として紹介している。現在、こういった空間は埋められていることも多いためか、ヴェネツィアの建築を扱う専 門書においてもこのカヴァーナに注目したものはない。この『ヴェネツィアの文明』第1巻にしても、まだ水の視点から 都市の歴史形成を直接据える研究までには発展しておらず、水の都市としてヴェネツィアを捉え直した研究は次の段階で の登場となる。

 建築史、都市史の分野において、地図の存在は研究を深める上で重要な史料となる。幸いヴェネツィアは歴史的に何度 も都市空間が描かれてきた。1500 年に出版されたヤコポ・デ・バルバリの鳥瞰図では、初めてヴェネツィアの都市空間 が詳細に描かれた。たとえば、教会や貴族住宅のような社会的、政治的権力のある建物は窓枠の数や装飾のような細部ま で描かれたのである。その後、都市空間を俯瞰して描く地図が次々と出版された。地図に関しては、15 ~ 19 世紀の地 図を収録した地図集が 1971 年に出版された22。この地図集には E. R. トリンカナートの序文があることから、同年に E. R.

トリンカナートによって出版された、ヴェネツィア形成史の研究を進める上で参照した地図を収録したものと考えられる。

 新しい動きでは、1981 年に出版されたヴェネツィアの不動産台帳(カタスト)地図を収録した図集が挙げられる23。 カタストは、19 世紀のフランス支配下で初めて今日日常的に使うような平面の地図が作成され、続いてオーストリア支 配下でも描かれた。前者をカタスト・ナポレオニコ(1808 ~ 1811 年)、後者をカタスト・アウストリアコ(1838 ~ 第1章 水都ヴェネツィア研究史

2.1980 年代から多数出版される都市図

(20)

1842 年)という。この図集には、二つの時代に描かれたカタスト地図に加えて、イタリア統一後に修正されたアウストロ・

イタリアーノ(1867 ~ 1913 年)のカタスト地図も収録された。こうした地図には建物の所有権ごとに番号が振ってあ り、建物の用途や所有者が記載されている台帳と合わせてみることで、当時の建物の利用状況を知ることができる。都市 史の研究を深めるのに重要な地図史料であり、都市空間を知る手がかりとしては価値が高い。そして、1988 年にカタスト・

ナポレオニコ地図が大判で、それもカラーで出版された24(◆図1)。さらに、1846 年の詳細地図集も出版された25(◆

図2)。1846 年はヴェネツィア本島に鉄道が開通した年であることから、近代化の過程で水都ヴェネツィアが大きく変 わる直前の状況を読み取ることができる。この地図には、主な教会や貴族住宅の平面図も描き込まれており、ヴェネツィ アの都市発展そのものの変化をたどることができるだけでなく、都市を捉える認識の変化が表われていることもわかる。

 そして、1989 年にはヴェネツィアの航空写真集が出版された26。図集には 500 分の1に引き延ばされた航空写真が 掲載されている。『ヴェネツィア図集』(1991 年)27では、ヴェネツィアで最も古い 1911 年の航空写真が掲載された。

この図集には、ヴェネツィア建築大学の地図研究センター(CIRCE)の協力により、CD も一緒に収められ、1911 年と 1982 年の航空写真をデジタルデータで閲覧することが可能になっている。このように 1980 年代から、古地図集や詳細 地図集が多数出版され、都市形成史の研究を深める基盤ができていったと言える。

 次に、当時の都市の様子を知る上で重要な絵画や写真を取り上げる。ヴェネツィアの風景は多くの人々を魅了し、歴史 的に絵画や写真に残されてきた。そのなかでも、都市の中心を流れるカナル・グランデに関しては、出版物も多い。ここ では、研究の変遷としてカナル・グランデに関する図集や取り組みを紹介する。まず、カナル・グランデを描いた画家 の代表として、18 世紀のジョヴァンニ・アントニオ・カナル(Giovanni Antonio Canal)、通称カナレットが挙げられる。

カナレットの作品集は 1980 年代に多く出版された28。カナレットの絵にはどれもヴェネツィアらしい水景が描かれてい るが、必ずしも写実的ではなく、都市を構成する要素を複数盛り込んだ、恣意的なヴェネツィア像を描いているという指 摘もされている29

 建築史研究に有効なものとしては、1828 年に描かれたカナル・グランデの立面図集が挙げられる30(◆図3)。建物 が詳細に描かれていることから、細部の変化を比較する上で価値のある図面と言える。

 19 世紀後半には写真が登場し、カナル・グランデは多々撮影された。19 世紀末を代表する写真家の C. ナヤによる写 真集31や、19 世紀末から 20 世紀初頭にかけて撮影された T. フィリッピの写真集32が 1980 ~ 1990 年代に出版された。

また、1998 年には、20 世紀初頭を代表する写真家 P. ジャコメッリの写真展が開催され、カタログ集が刊行された33。 これらの絵画や写真から当時のカナル・グランデ沿いの景観の変遷を追うことができる。たとえば、現在、ホテルの前面 に張り出した桟橋のテラス席は、1930 年代に登場したことが確認でき、水の都をより楽しむ空間として活用されはじめ られたと考えられる34

 1990 年には、カナル・グランデ沿いの詳細な立面図集、『カナル・グランデ』35が T. タラミーニによってまとめられた(◆

図4)。建物一つ一つが高い精度で実測された、価値ある図面集である。また、1993 年にカナル・グランデの連続立面 写真集の『ヴェネツィア大運河』36が出版され、その翌年には邦訳された37

 最近の興味深い試みでは、カナル・グランデ沿いの建物の破損状況をレーザーにより把握した調査成果が紹介されてい る38。カナル・グランデ沿いの建物はサーモグラフィーで画像化されたように表現されている。カナル・グランデに幾度 となく光があたり、各時代の最先端の技法で表現されてきたことがわかる。

Studio

3.カナル・グランデに関する図面や写真集

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第1章 水都ヴェネツィア研究史

図1 1808 ~ 1811 年 不動産台帳(カタスト・ナポレオニコ)

の地図

Catasto napoleonico : mappa della città di Venezia, Venezia : Marsilio Editori, 1988.

図3 1828 年 立面図 カ・ドーロ周辺 A. クアドリ作成

Il Canal Grande di Venezia descritto da Antonio Quadri e rappresentato in 60 tavole rilevate ed incise da Dioniso Moretti, Pordenone : Grafiche Editoriali Artistiche Pordenonesi Spa, 1981.

図4 立面図 カ・ドーロ周辺  T. タラミーニ作成

Tito Talamini, Il Canal Grande : il rilievo, Sala Bolognese : Arnaldo Forni, 1990.

図2 1846 年 G. コンバッティ作成の詳細地図集

Giandomenico Romanelli, Planimetria della città di Venezia : edita nel 1846 da Bernardo e Gaetano Combatti, Treviso : Vianello libri, 1987.

(22)

 ヴェネツィアの海洋都市を「地中海世界」という大きな視野から初めて描き出したのは、W. H. マクニールのヴェネツィ アに関する著作で、邦訳は『ヴェネツィア―東西ヨーロッパのかなめ 1081 ~ 1797』(清水廣一郎訳、岩波書店、1979 年)

である。マクニールの研究は、ヴェネツィアを中心に東地中海沿岸地方での多様な活動から衰退までを詳細に記述し、西 ヨーロッパ人による東地中海沿岸地方各地への進出で遠隔地交易が展開された姿を描き出した39。もう一つ代表的な著作 として、フェルナン・ブローデル『地中海』(原題は『フェリペ二世時代の地中海と地中海世界』。邦訳は、浜名優美訳、

藤原書店、全5巻、1991 ~ 1995 年)を挙げておく。この著作は 16 世紀のスペイン帝国とオスマン帝国が地中海の覇 権を争っている時代における、地中海とそれを取り巻く世界を海からみた歴史を描いている。従来の領土国家発展の歴史 とは違う見方を提供して、当時、大きな影響を与えた40

 1980 年代に入ると、新たな研究テーマとして〈都市〉に関心が向けられるようになる。都市の日常生活や社会関係、

人間関係といった社会史を研究するフランスのアナール派の考え方が強く影響し、都市の形態や空間構造、システムだけ でなく、機能や活動、人間といったソフトな側面の分析へと関心が広がっていくのである41。その結果、都市史の分野に おいて、港町の研究に光が当たり、東方との深い結びつきをもつ海洋都市や交易都市としてその空間を据え直し、社会・

文化の特徴を探る研究が発展するのである42

 特に、ヴェネツィアの 15、16 世紀を専門とするエンニオ・コンチナ(Ennio Concina)とドナテッラ・カラビ(Donatella Calabi)がその旗手である。D. カラビは、ヴェネツィア建築大学で初の都市史の専門家であり、市場や、運河や岸、倉庫、

商館、税関43などの都市機能に注目した都市史を論じた44。なかでも、リアルト市場に関して研究された D. カラビと P.

モラキエッロによる『リアルト』(1987 年)45は、英語やフランス語にも訳されたことから重要な研究と言える。

 一方、美術史出身で建築史の専門であり、都市史や社会史にも関心のある E. コンチナは、1990 年に建築大学のなかに「ビ ザンツ・アラブ・トルコ都市研究センター」を創設し46、教育や研究の分野でもイスラームやアラブ都市への関心を高め た。このような動きのなかで、外国人居留地のゲットー地区に注目した『ユダヤ都市―ヴェネツィアのゲットー』(1991 年)47が E. コンチナや D. カラビによって出版され、さまざまな民族や宗教も重要な研究対象になっていく48。ヴェネツィ アとイスラーム世界とのつながりに関する研究として、2000 年に出版された D. ハワードの著書『ヴェニスと東方』が 挙げられる。ここでは、ヴェネツィアとイスラーム世界の建築、都市空間に多くの類似点が見られることに注目し、その 両者の視覚的特徴などを注意深く比較しながら、東方の進んだ建築と都市の文化がヴェネツィアに大きな影響を与えたこ とを論じた49

 日本では、同じ頃、陣内もアナール派の影響を受ける。社会史研究の分野でアイオニアの役割を果たした『社会史研究』

(エディタースクール)に論文「ヴェネツィア庶民の生活空間―16 世紀を中心として」を発表した50。これをきっかけに 社会史、民俗学、文化人類学などの分野の専門家との交流が生まれ、ヴェネツィアをこれまでとは違った角度から据え直 しはじめた。また、東京の研究も都市にアプローチする上で貴重な体験だったと語り、東京がかつて「水の都」であった 事実に目を向け比較研究に取り組むようになった。そして、ヴェネツィアの都市空間をハード面とソフト面から捉えた論 文51をもとに、1991 年のヴェネツィア滞在後、『ヴェネツィア―水上の迷宮都市』(講談社、1992 年)をまとめた。こ の書では、交易、市場、広場など 10 個のキーワードをもとにヴェネツィアの都市機能や場所の意味を描き出し、主に社 会史・文学史の立場からヴェネツィアの特徴を捉えている。外国人居留地を対象とした研究では、齋藤寛海による「ヴェ ネツィアの外来者」(歴史学研究会/深沢克己編『港町のトポグラフィ』青木書店、2006 年)も挙げられる。中世後期 から近世初期のヴェネツィアを対象に、外国人居留地の場所を示しながら、国際的な港町の特徴を論じている。そして近 年、陣内は『イタリア海洋都市の精神』(興亡の世界史第8巻、講談社、2008 年)において、海から都市空間を捉え直し、

地中海世界との結びつきのなかで海洋都市ヴェネツィアの論理を解明した。

Studio

第2節 ヴェネツィア研究の発展  水都への関心

1.海洋都市ヴェネツィアに関する研究

図 15 『ドロミテからヴェネツィアの川の 道』の表紙
図 64  1887 年 都市内交通の状況
図 76 1933 年 完成した道路橋
図 84 1870 年 トレ・ポンティ周辺 Lino Moretti,  Vecchie immagini di Venezia ,  Venezia : Filippi, 1966, p.82.
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参照

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