助動詞の相互承接からみたテンス・アスペクト
著者 紙谷 栄治
雑誌名 同志社国文学
号 24
ページ 28‑39
発行年 1984‑03
権利 同志社大学国文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004989
助動詞の相互承接からみたテソス・アスベクト二八
功動詞の相互承接からみたテンス・ アスペクト
紙 谷 栄 治
現代目本語の述語は︑述語動詞︵本稿では形容詞・形容動詞のぱ
あいをとりあげないことにする︶に多くの助動詞等が続くことがで
きるという特色がある︒たとえぱ﹁書く﹂という動詞は単独で述語
動詞としてつかわれるほかに︑ ﹁書かせたくなかったらしい﹂の
ように多くの助動詞をともなって述語となることも可能である︒こ
のような現代目本語助動詞の相互承接の現象を明らかにすることは︑
それ自体重要であるとともに︑個々の助動詞についてかんがえるう
えでも重要な手がかりをあたえてくれるようにおもわれる︒そこで︑
本稿では助動詞の相互承接の概略を示し︑それとの関連でテソス・
アスベクトの問題について論じたいとおもう︒
なお︑私は本稿でとりあげる問題にっいて本稿の末尾に引用文献 としてあげたような考察を発表している︒しかし︑それらにおいては︑順次考察をすすめたことによる不統一や全体的な把握ができていない点や誤りがある︒本来ならぱ全面的に改めるべきところであるが︑今回はその時間的たゆとりもないまま︑最小限度の訂正をおこたうとともに︑間題をできるだげ総括的にとらえるようにしたいとおもう︒ただ︑紙面が限られていて諸説にっいて十分検討することができないため︑多くのぱあい私見をのべるにとどまることをおわびする次第である︒
二
本章では︑前稿︵紙谷岩o◎N︶において助動詞の相互承接について
のべたことを簡単にまとめ︑かっそれが後でとりあげるテソス・ア
スペクトの問題とどのように関係しているかについてのべる︒
述語動詞およびそれにー﹁︵さ︶せる﹂﹁︵ら︶れる﹂﹁たい﹂などの
接尾辞がっいたもの︵仮に側とよぶ︶は︑っぎの第一表のように︑
肯定・否定と過去・非過去のくみあわせのうちいずれかをあらわす︒
鈴木重幸氏等のよびかたによれぱ︑﹁みとめ方﹂と﹁テソス﹂とい
う二つのカテゴリーをもっているのである︒
表
−第 非過去 過去
肯定 否定
¢1た1ない ーなかった
それに対して︑ ﹁らしい﹂﹁ようだ﹂﹁みたいだ﹂﹁そうだ﹂たど
︵回とよぶことにする︶は︑ひりの後すなわち述語動詞が肯定・否定
および過去・非過去をあらわしたものに下接するとともに︑それ自
身︑帥と同様︑っぎの第二表のように﹁みとめ方﹂と﹁テソス﹂の
二つのカテゴリーをもつと考えられる︵ただし﹁らしい﹂は否定形
をとりにくい︶︒
表
2第 非遇 去
肯定
否定
よ うだようで︵は︶ない 過去
ようだった
ようで︵は︶なかった
以上のように︑レ〇四がともに肯定・否定と過去・非過去の対立を
示すことができ︑かっひり田の順に承接することができるのであるか
助動詞の相互承接からみたテソス.アスベクト ら︑ ﹁ようだ﹂を例にとると 1︶ 書くようだ/書くようだった 書いたようだ/書いたようだった 2 書かないようだ/書かないようだった 書かなかったようだ/書かなかったようだった︒のような組みあわせが可能である︵﹁ようだ﹂が否定彩をとるぱあいには︑述語動詞が否定形であれぱ否定形が重ねてあらわれることも考えられるが︑まだ考察するに至っていない︶︒それぞれっぎのような例文をあげることができる︒ 側実際︑あちらの人たちは何かにつけ花を贈られ贈るようだ︒ ︵北杜夫﹃へそのない本﹄︶ ↑o クリスマスの音楽︑自動車の警笛︑そんな街の音は︑徐々に 高くなって行くようだった︒︵原田康子﹃挽歌﹄︶ ○ さすがの佐藤さんも驚いたようである︒︵曽野綾子﹃ぜった い多数﹄︶ ゆ ﹁︵略︶︒そしたら︑下宿の若い奥さんが出てきて︑なにかひ どくこほしてたようだったわ︒︵略︶﹂︵五木寛之﹃内灘夫人﹄︶ ○つ ﹁万歳旛﹂の方ば未だ訂正が行われていないようだ︒︵末広 恭雄﹃魚と伝説﹄︶ 旧当然のことながら︑特に新しい進展は見られないようだった︒ 二九
助動詞の相互承接からみたテソス・アスベクト
︵笹沢左保﹃遥かなりわが愛を﹄︶
ゆ しかしこのような古い時代では︑カツオは殆ど生では食べな
かったようだが︑ ︵﹃魚と伝説﹄︶
ooしかしそれはうまくいかなかったようだった︒ ︵三浦朱門
﹃楕円﹄︶
このことは﹁らしい﹂のぱあいも同様である︒
側 書くらしい/書くらしかった
胸 書いたらしい/書いたらしかった
o↓ 書かたいらしい/書かたいらしかった
岬 書かなかったらしい/書かなかったらしかった
ただ︑今のところ最後の﹁書かなかったらしかった﹂に相当する例
は見出していない︒すべての用例をあげることは省略するが︑用例
数がそれほど多くないものをあげておく︒
陶 あたりはかなり暮れている︒平吉も電灯をっげたらしかった︒
︵﹃ぜったい多数﹄︶
○ず 弘一は︑清子の面相が変ったのに驚いたらしかった︒︵有吉
佐和子﹃針女﹄︶
帥 ︵略︶と︑着護婦が声をかげても︑夕子はきこえないらしか
った︒ ︵水上勉﹃五番町夕霧楼﹄︶
胸 そういう意味ではない︑と霧子は言葉すくたに答えたが︑英 三〇
子には通じないらしかった︒︵﹃内灘夫人﹄︶
このように︑助動詞の相互承接という観点からみると︑述語動詞
のテソスと﹁ようだ﹂﹁らしい﹂のテソスはどのようた関係がある
かが問題にたってくるであろう︒述語動詞は﹁ようだ﹂﹁らしい﹂
たどにっづくことも︑続かたいでそのまま終止することも可能なわ
げで︑そのぱあいどのような差異を生じるのかにっいても考える必
要がある︒次章ではこの点にっいてとりあっかうことにする︒
三
前章までにおいては︑タ形と非タ彫の対立は︑過去・非過去とい
うテソスに関する意味をあらわすとしたが︑私は︑環境によっては
アスベクトに関する意味をもあらわすことができると考える︒ただ︑
そのようにいうためには︑どのような環境のもとでテソスまたはア
スペクトの意味をあらわすのか︑またアスベクトの意味としてはど
のようなものが考えられ︑テソスの意味とはどのように異なるのか
を明らかにしなげれぱたらないわげである︒以下︑そのような観点
からテソス・アスペクトの間題を論じてみたいとおもう︒
まず︑タ形と非タ移の対立が文末に用いられたぱあい︑たとえぱ
¢動それくらいの分量次ら︑以前は一目で書いた︒
¢◎ 原稿用紙十枚分をやっと書いた︒
では︑q9は過去︑的は完了をあらわすといわれることがある︒この
両者を区別しないという考え方もありえようが︑やはり分けるのが
われわれの感覚から言っても自然だとおもう︒ただ¢◎を﹁完了﹂と
するぱあいでも︑それが非タ彩の何に1対応するのかを明確にする必
要があるとおもう︒私は︑は旬のような﹁過去﹂は︑
刎 それくらいの分量をあす一目で書く︵予定だ︶︒
吻 それくらいの分量なら︑一目で書く︒
のように﹁現在﹂﹁未来﹂と対応するとかんがえるが︑的の﹁完了﹂
をあらわすぱあいも︑以下のように考えれぼ︑対応する用法がある
とおもう︒そこで︑このように文末に用いられたばあいをひとまず
おいて︑っぎのようなぼあいから考察をはじめることにする︒
︵1︶時をあらわす条件節においては︑タ彩・非タ形はっぎの第三
表の傍線の部分のように︑互いに対応する意味をあらわすと考えら
れる︒
表
3
第 Fヲタ形−
タ形︹将然︺ !ヵ−ブにさしかかるとき︹既然︺カーブにさしかかったとに前もってスピードをおきにはじめてスピードを
とした︒ おとした︒
︹過程︺ヵ−プをまがるときはス︹完了︺カーブをまがったときにピードをおとしつづげはじめてスピードをあげた︒た︒
このことは︑右の︹ ︺内にあげた意味をあらわすぱあい︑
助動詞の相互承接からみたテソス・アスベクト つぎの第 四表のようにタ形・非タ形のいずれをとるかがきまっていることも考えあわされる︒
表
4第 非 タ形
一
タ彩︹将然︺非タ形十以前・まえ・寸1書く︹既然︺タ雅十のち・あと・途端前・まで︵に︶︵例︹完了︺・うえ︵に・で︶
まえ︶
︹過程︺非タ彩十あいだ・途中︵例 ﹁ ﹂−I l書いたあと︶
︵例 1書くあいだ︶
たお︑第三表の例文では文末を過去形にしたが︑もちろん非過去形
であっても傍線部に−ついては同じである︒
︵1︶ 以上のような条件節においてみられることは︑っぎのような
関係節のぱあいでも同じである︒
3¢
4¢ 弓 ¢
弓 ¢
また︑
カーブにさしかかる車の光がみえる︵みえた︶︒︵将然︶カーブにさしかかった車の光がみえる︵みえた︶︒︵既然︶カーブをまがる車の光がみえる︵みえた︶︒︵過程︶カーブをまがった車の光がみえる︵みえた︶︒︵完了︶つぎの例文のように︑動詞が動作をあらわさずに︑空問を表
現する文脈でっかわれたぱあいも同様である︒
帥 道が細くたる所に標識が立っている︵立っていた︶︒ ︵将然︶
鯛 道が細くなった所に標識が立っている︵立っていた︶︒︵既然︶
三一
助動詞の相互承接からみたテソス.アスベクト
鋤 橋をわたる所とわたった所に小屋がある︵あった︶︒ ︵将然と
完了︶
︵皿︶ っぎのように﹁らしい﹂﹁ようだ﹂﹁みたいだ﹂﹁そうだ﹂に
つづくときも︑︵1︶︵1︶と同様のことがいえる︒
的車はラィトをっげた︒どうやらトソネルにはいるらしい︵ま
たは︑ようだ︶︒︵将然︶
例 車内はまっくらになった︒どうやらトソネルにはいったらし
い︵ようだ︶︒︵既然︶
鉤車は大きくかたむいた︒どうやら急なヵ−ブをまがるらしい
︵ようだ︶︒︵過程︶
鯛車は再びスピードをあげた︒どうやら急なヵiブをまがった
らしい︵ようだ︶︒︵完了︶
右の例文の文末の助動詞が過去形であっても︑傍線部の意味はかわ
らない︒︵v︶ ﹁ので﹂﹁から﹂﹁が﹂などの接続助詞につづくぱあいも︵1︶
〜︵皿︶と同様のことがいえる︒
鈎車はトソネルに入るので︵から︶ライトをっげた︒ ︵将然︶
鯛車はトソネルに入ったので︵から︶車内がまっくらになった︒
︵既然︶
鯛卓は急なカーブをまがるので︵から︶大きくかたむいていた︒ 三二
︵過程︶
帥車は急なカーブをまがったので︵から︶再びスピiドをあげ
た︒ ︵完了︶
以上の︵1︶2︵v︶の例文にみられるように︑文末以外に用いられ
たタ彩と非タ形の対立は︑主文のあらわす時とは独立して︑かっ体
系をなしてそれぞれの意味をあらわしている︒そこでこれらの意味
をアスペクトに関する意味とかんがえておきたいとおもう︒なお︑
従来アスベクトに関する意味をあらわすものとして︑﹁〜はじめる﹂
﹁〜かげる﹂﹁〜てしまう﹂﹁〜おわる﹂や﹁〜ている﹂などの形一が
あげられた︒しかし本稿では︑そのうちの前四者は
鯛 橋をわたりはじめる車︵将然︶
鋤 橋をわたりはじめた車︵既然︶
のように︑すべて上にあげたタ形・非タ形の対立のいずれかをとる
ということをかんがえ︑語彙的な問題としておく︒また﹁ている﹂
の形については︑例文鯛鈎的のように非タ彬が﹁過程﹂の意味をあ
らわすぱあいに︑その意味をより明確にするためにっかわれるもの
であるとかんがえ︑以上にのべたアスペクトの体系のたかに位置づ
けることにする︒また﹁ている﹂が﹁過程︵進行中︶﹂以外の意味
をあらわすぱあいについては後述する︒
以上のようにアスペクトの体系を仮定し︑それが時をあらわす条
件節・関係節・﹁らしい﹂等の推量助動詞げ﹂つづくぱあいおよび
﹁から﹂﹁ので﹂﹁が﹂などの接続助詞に1つづくぱあいに一貫してみ
とめられると考えたのであるが︑それらはすべて非終止的用法とし
て位置づけることができよう︒とすれぱ今までとりあげたかった︑
文末にタ彩・非タ形の対立がくるぱあい︵以下︑終止的用法とよぶ
ことにする︶はどうであろうか︒私はアスペクトにっいていえぼ︑
終止的用法のぱあいも︑先の非終止的用法のぱあいと同様のことが
いえるとおもう︒
表
5第 ︹将然︺︹過程︺ タ 彩あ!帽子が飛ぶ!来るよ︒電車が来るよ︒一一完了一 彩あ!帽子が飛んだ︒やっとレポートを書いた︒
ただ終止的用法のぱあいには︑右の第五表にみられるように1︑発話
時点における動作の様態をあらわすぱあいに限られるようである︒
先にふれた例文¢◎のように︑タ彩が﹁完了﹂をあらわすとしたぱあ
いについても︑この表の﹁完了﹂の欄に位置づけてかんがえること
ができるのではないだろうか︒
終止的用法におげるタ形と非タ形の対立を以上のように考えるな
らぱ︑たぜアスベクトの意味の体系が非終止用法において典型的に
みられ︑終止用法においては発話時における動作の様態をあらわす
助動詞の相互承接からみたテソス・アスペクト ぱあいに限ってみられるのかが問題になる︒その点にっいては︑タ形と非タ彩はテソスとアスベクトのいずれをもあらわしうるが︑文末すなわち終止的用法においては発話時を基準とした時をあらわす必要があるためにテソスの意味があらわされ︑それをあらわす必要のない非終止的用法においては︑テソスまたはアスペクトの意味があらわされるのだ︑また終止的用法であっても発話時点におげる動作のぱあいには︑時を捨象することができるためにアスペクトの意味があらわされるのだ︑とかんがえたい︒ また︑以上にのべたように考えたぱあい︑終止的用法は︑アスベクトに関しては︑むしろ特別なあらわれ方をする場合ということに1たり︑その意味では非終止的用法の方がアスペクトをかんがえるのに適当だということにたる︒また︑テソスとアスベクトはムードとはきりはたせたいとする立場もあるが︑終止的用法においてはそのことはいえるとおもうが︑非終止的用法においては︑ムードと分げてかんがえることができるのではたいかとおもう︒本稿では︑考察を非終止的用法からはじめたが︑そのほうが以上のような利点があるとかんがえたためである︒ っぎに︑動詞の﹁ている﹂形にっいてとりあげてみたいとおもう︒
﹁ている﹂は従来アスペクトをあらわすとされることが多かった︒
私も﹁ている﹂形はアスペクトに関係があると考えるが︑その際︑
三三
助動詞の相互承接からみたテソス・アスベクト
上述のタ移・非タ形のあらわすアスベクトの意味との関係が問題に
なると思う︒そこでまず︑関係節におげるっぎのようた両者の関係
にっいてとりあげてみたい︒
表
6第 ﹁ている﹂形一一 非タ形・タ移
︵読もうとしていると一ころ︶
i読むところ
一将然 動作・作用の一きちっとしまっている一まどきちっとしまったまど一結果の状態 経験一すでに結婚している人すでに結婚した人一既然
一道端にへばりついてい単たる状態一− 一る小さた部落道端にへぱりついた小一さな部落
動作・作用の一チラチラ燃えているカ継続一マドの火
すつかり読んでいる人一一すつかり読んだ人一完了
第六表のようにみると︑﹁ている﹂彬は︑タ秒・非タ雅のあらわす
﹁過程﹂および﹁既然﹂﹁完了﹂と関係するもののようであり︑前
者は動作の継続の状態︑後者は﹁既然﹂﹁完了﹂後の状態をあらわ
Lたものとみることができよう︒そのように考えるならば︑アスペ
クトにっいては︑ ﹁ている﹂彬を基準にするよりも︑タ彩・非タ移
のあらわす意味の体系にもとづいて考える方が適当だということに
なる︒また︑ ﹁ている﹂彬を基準にしたぱあい︑それが状態をあら
わすため︑﹁まだ書かないでいる﹂のように否定形にもっづくが︑
このようなぱあいをアスペクトをあらわすものとして位置づげよう 三四とするとむっかしいことになる︒にもかかわらず︑﹁ている﹂捗が多く用いられ︑またそれを基準にしてアスペクトを考える立場が多くとられているのは︑非終止的用法においては︑動作の﹁過程﹂をあらわすには︑非タ彩であらわすよりも︑動作の継続の状態としてあらわす方がより明確であるためということがかんがえられる︒そのほか︑終止的用法のぱあいには︑上述のようにアスペクトの意味をあらわすことが制限されているためということも考えられよう︒ たお︑ ﹁ている﹂移に関連していえぱ︑鈴木重幸氏H竃o︒はテソスとアスペクトの関係をっぎのようにかんがえられている︒
表
7
第 現在未来彬〜スル〜シテイル
過去彩
そシタそシテイタすなわち︑ ﹁完成相﹂と﹁継続相﹂とがアスペクト的た意味で対立
し︑ ﹁現在未来形﹂と﹁過去移﹂とがテソス的た意味で対立すると
されるのである︒しかし︑氏のようにかんがえると︑さきに第六表
に示したような︑ ﹁ている﹂彩とタ捗・非タ彩との関係が見失われ
てしまうということはたいだろうか︒
最後に︑瞬間動詞と継続動詞の別にっいてふれておきたい︒本稿
の立場では︑瞬間動詞と継続動詞の別は︑動詞のアスペクト的た分
類による区別だとかんがえられるが︑両者は動詞単独できまるので
はなく︑そのタ形・非タ形がどのようたアスペクト的な対立を示す
かにょって区別されるとかんがえる︒すなわち︑タ彩・非タ彬が︑
﹁将然﹂と﹁既然﹂という対立だけをあらわす動詞を瞬間動詞︑そ
れに加えて﹁過程﹂と﹁完了﹂という対立をもあらわす動詞を継続
動詞とかんがえるわげである︵第三表では意味を際だたせるために
﹁さしかかる﹂と﹁まがる﹂という二っの動詞をっかった︒前者は
﹁将然﹂と﹁既然﹂の意味しかあらわさないから瞬問動詞というこ
とにたる︒後者は表に1あげた﹁過程﹂と﹁完了﹂のほかに︑ ﹁交差
点をまがるときに︑はじめて左側にょった︵または﹁まがるときに
なってはじめて⁝⁝﹂︶︵将然︶︑﹁交差点をまがったときに︑大きな
建物がみえてきた﹂︵既然︶のように1っかうことができるから︑継
続動詞ということにたる︶︒もし動詞の﹁ている﹂形が﹁動作・作
用の進行中﹂をあらわすばあいを継続動詞︑﹁動作・作用の結果の
残存﹂をあらわすぱあいを瞬間動詞とすると︑継続動詞のぱあいは︑
ゆ彼はいまその本を読んでいる︒
帥彼は若いときにその本を読んでいる︒
のうちの仏◎のように︑動作が進行中であることをあらわす以外に︑
屯カのように本来瞬間動詞があらわすはずの動作の結果の残存・経験
をもあらわすことになるため︑両者の区分が困難であった︒そこで
助動詞の相互承接からみたテソス・アスベクト 本稿では︑それにかえて︑本稿でいうアスペクトの体系にもとづいて︑動詞を分類することができるのではないかと考えたわげである︒
四
前章においては︑タ形・非タ形の対立はテソスとアスペクトのい
ずれをもあらわすとしたうえで︑アスペクトにっいて略述した︒本
章では非終止的用法︑次章では終止的用法におげるテソスの意味に
っいて考えることにする︒
︵1︶ 関係節のぼあい︒
幽¢ そのっぎにくるバスは︑九時に1発車するはずだった︵しか
しぎてもない︶︒︵くることになっていたバスの意︶
くるバスはどれも満員だった︒
この停留所にくるバスは︑以前はすべて駅前発着のものだ
った︒
右の¢〜 のようなぼあいの傍線部にっいては︑¢は﹁予定﹂﹁予
測﹂︑◎は﹁反復﹂﹁習慣﹂︑ は﹁属性﹂をそれぞれあらわすとか
んがえる︒¢と にっいては︑傍線部の﹁くる﹂を﹁きた﹂にかえ
れぱ︑﹁予定﹂﹁属性﹂の意味をあらわさなくたり︑かわりに過去に
おいて動作が実際におこなわれたことをあらわすことになる︒ の
ぱあいは︑﹁くる﹂でも﹁きた﹂でも意味のうえで大きな違いはな
三五
助動詞の相互承接からみたテソス・アスベクト
いようであるが︑ ﹁くる﹂のぱあいには︑っぎっぎくるバスの範囲
を特に限定しているのではたいのに対して︑﹁きた﹂のぱあいには︑
実際に来たバスに限ってのべられるというように︑徴妙なちがいが
あるようにおもわれる︒右の例文はすべて主文が過去をあらわして
︑ ︑ ︑ ︑ ︑いるのであるが︑その関係節中の非タ形は︑それがタ彩でないこと
によって︑それぞれが実際におこなわれた特定の動作ではたくて︑
その動作が¢予定されている︑ 反復されている︑または習慣とな
っている︑ 属性とかんがえられる︑ということをあらわすものと
みることができるのである︒
それでは¢〜 の﹁くる﹂を﹁きた﹂にかえたぱあいにはどのよ
うになるだろうか︒まず¢のぱあいは﹁予定﹂の意味ではなりたた
たくなる︒ のぱあいは︑過去において実際におこなわれた動作
をあらわすこととなり︑﹁反復﹂や﹁属性﹂の意味は失われてしま
うとかんがえられる︒すなわち︑ のぱあいには︑修飾語句や文
脈の助げがなげれぱ︑それが﹁反復﹂や﹁属性﹂であることをあら
わせなくなるのである︒以上のような理由で︑関係節中のタ彩は︑
一括して﹁過去﹂をあらわすものとかんがえる︒
︵1︶ 時をあらわす従属節中のぱあい
鯛¢ そのっぎにくるときに本を返すっもりだった︒
◎ 彼がくるときには︑きまって用事で忙しかった︒ 三六 彼は︑みんなで協力して働くときには来ず︑勝手たときに やってきた︒これらのぱあいの非タ彩も︑主文が過去をあらわす文のうちの時をあらわす従属節中で用いられたものであるが︑先の︵1︶と同様︑従属節中で傍線部が非タ彬をとることによって︑¢予定︑◎反復︑ 属性の意味をあらわしているとみることができる︒ また︑傍線部の非タ彩がタ彩にかわると︑︵1︶のぱあいと同様︑¢はそのままの意味ではなりたたなくたり︑ は過去において実際におこたわれた動作をあらわすことにたる︒したがって︑そのぱあいのタ彩も﹁過去﹂をあらわすとかんがえる︒
︵皿︶ ﹁らしい﹂﹁ようだ﹂などにっづくぱあい︒
側¢彼はその翌目︑早速親類の家に出かけるようだった︒
◎彼はいろんな人の所に出かけるようだった︒
その停留所には駅前発着のバスだけがくるようだった︒
︵V︶ ﹁ので﹂﹁から﹂﹁が﹂などの接続助詞にっづくぱあい
蝸¢どうせ彼はその翌目にはくるのに︑わざわざその目のうち
に彼のところへ出かげていった︒
◎ っぎっぎくるのに︑どのバスも満員だった︒
駅前行きのバスならその停留所にもくるのに︑少しも利用
したかった︒
以上の︵皿︶︵v︶のぼあいも︑︵1︶︵1︶と同じことがいえるはずであ
る︒ ところで︑例文幽〜賜の¢の傍線部をつけた非タ形を﹁予定﹂を
あらわすものとかんがえたが︑その点にっいては︑いろいろな解釈
がありうるとおもわれる︒たとえぱ︑高橋太郎氏宕虐のように︑従
属節中の連体彬は︑絶対的テソス︵非タ彩11未来︑タ形H過去︶︑
相対的テソス︵非タ彩11主文のことがらに対して相対的た未来すな
わち以後︑タ形11同じく相対的な過去すなわち以前︶︑アスペクト
︵非タ彩H﹁動作のおこし﹂﹁動作の過程﹂︑タ彩11﹁動作の終了成
立﹂︶をあらわすとされる︒例文鯛〜鯛のそれぞれの¢は︑主文が
過去をあらわしており︑かっ従属節中の動詞が非タ形をとっている
ので︑氏によれぱ傍線をつけた非タ形は﹁相対的たテソス﹂︑この
ぱあいには主文の時より以後であることをあらわすということにな
るであろう︒しかし︑例文幽〜蝸のそれぞれ非タ形は︑修飾語︵波
線で示す︶さえかえれぱ
蝸 ︸︵っぎにくるバスは︑九時に発車するはずだった︒ ︵しか
しまだきていたいの意︶
帥 明目くるときに本を返すっもりだった︒
鰯彼は明目︑早速親類の家に由かげるようだった︒
忽9 どうせ彼は明目くるのに︑わざわざその目のうぢに彼のとこ
助動詞の相互承接からみたテソス.アスベクト ろへ出かげていった︒のようにー︑絶対的テソスすなわち発話時を基準とした未来をあらわすことになってしまう︒そのようなぱあい︑双方の非タ形にはたして相対的テソスと絶対的テソスのちがいがあるのか︑考える余地があるようにおもう︒また 信o 予定では九時にっくバスが二十分ほどおくれてついた︒ ︵予 定では九時にっくはずのバスの意︶のようなぱあい︑発話は九時二十分以降になされたことになるから︑
﹁九時にっくバス﹂の﹁っく﹂が絶対的テソス︵未来︶をあらわす
と考えることはできないし︑また修飾語の前後関係からいっても︑
関係節中の﹁っく﹂は主文の﹁ついた﹂とくらべて﹁以後﹂という
ことにはならないから相対的テソスをあらわすと考えることもむっ
かしいとおもう︒本稿では︑関係節中の﹁つく﹂は︑主文のテソス
とは関係なく用いられており︑また発話時点とも関係なしに︑ただ
﹁予定﹂の意味をあらわすために用いられていると考えたい︒っま
り︑予定の内容をあらわすぱあいには︑発話時を基準とした時のい
かんを問わず︵もちろん主文のテソスとも関係たく︶非タ彩をとる
ということになるのである︒このことは︑ ﹁予定﹂のほかに︑ ﹁反
復﹂﹁属性﹂をあらわすぱあいにっいてもあてはまる︒
以上で︑非終止的用法に1おげるテソスの意味として︑ ﹁予定︵予
三七
助動詞の相互承接からみたテソス・アスベクト
測︶﹂﹁反復︵習慣︶﹂﹁属性﹂の三つをあげたが︑そのほかに﹁中立的
な用法﹂とでもよぶべきものがかんがえられる︒これは︑たとえぱ
帥その仕事を短時間でおえる庇と一簑つかしいことだつち
のように非タ移であらわされる︒
ところで︑以上にテソスの意味としてあげたものが︑たぜテソス
に属するかにっいてはこれまでふれてこなかった︒その根拠として
は︑体系をなしているとかんがえられるアスペクトの意味とくらべ
たぽあい相違するところがあるというようなことが考えられる︒し
かしそのことは十分な根拠とはなしえない︒そこで︑この問題にっ
いてはひとまずおいて︑っぎに終止的用法におげるテソスの意味に
っいてみることにする︒
五
終止的用法におげるタ移・非タ雅の対立は基本的には発話時点を
基準とした時を示すとかんがえられる︒すたわち非タ捗は﹁非過去﹂
を︑タ形は﹁過去﹂をあらわすわげである︒このことを︑非終止的
用法との関係でいえぱっぎのようにたる︒非タ彩にっいていえぱ︑
まず例文¢2¢のようた﹁予定︵予測︶﹂をあらわすぱあいは︑終止
的用法においては発話時︵現在︶という制約をうげて︑ ﹁現在にお
げる予定︵予測︶﹂の意味をあらわす︒ 三八
働 このバスは九時に発車します︒
鯛 この分ならもうすぐ降りだすよ︒
例文働 のような︑﹁反復︵習慣︶﹂をあらわすばあいは︑終止的用
法においては﹁現在におげる反復︵習慣︶﹂をあらわす︒
榊 バスが何台もくる︒
また例文¢2 のようた﹁属性﹂の意味をあらわすぱあいには︑ ﹁現
在におげる属性﹂の意味をあらわすことになる︒
鯛 この停留所には︑駅前発着のバスがくる︒
たお︑例文帥のようた︑前章で﹁中立的な用法﹂としたものも終止的
用法としてもっかうことができるが︑もちろん時はあらわさない︒
鮒 その仕事を短時間でおえる︒そんたことは至難のわざだった︒
っぎにタ移にっいていえぼ︑終止的用法のぱあいも非終止的用法
のぱあいと同様︑ ﹁過去﹂をあらわすとみることができる︒終止的
用法におげるタ彩は︑修飾語や文脈などによって︑ ﹁過去におげる
動作・作用﹂﹁過去におげる反復︵習慣︶﹂﹁過去におげる属性﹂を
あらわすとかんがえたい︒
このようにみれぱ︑前章で非終止的用法におげるタ形・非タ形の
テソスの意味としたものは︑終止的用法においても発話時を基準と
した時による制約をうげながらあらわれるわげである︒そのぱあい︑
﹁予定﹂﹁反復﹂﹁属性﹂たどとしたものは︑終止的用法においては
発話時を基準とした時と不可分である︵アスペクトのぱあいはそれ
と独立している︶ために︑それを終止的用法におけるテソスの意味
として考えるなら︑非終止的用法にーっいてもそれに準じてテソスの
意味としてとりあつかうことは可能ではないかとおもう︒
以上をまとめると︑タ形と非タ形の対立は︑テンスに関する意味
としては︑終止的用法・非終止的用法を通じて︑ ﹁過去﹂と﹁非過
去﹂をあらわすが︑非終止的用法におげる﹁非タ形﹂は発話時を基
準とした時をあらわすものではないということができる︒
六
以上︑現代目本語におけるテソスとアスベクトの問題について私
見をのべた︒その中心となる点は︑タ彩と非タ形の対立が︑どのよ
うた環境に−おいて︑どのような意味をあらわすかというところにあ
ったが︑私はその環境を︑終止的用法と非終止的用法にもとめたわ
けである︒終止的用法と非終止的用法とにわけることにはたお検討
が必要であろうが︑このわけ方は︑第二章でのべたような助動詞の
相互承接の現象のとらえ方をしたぱあいには︑可能になってくるの
ではないだろうか︒タ彩と非タ形の対立は︑一文中で︑または述語
内都でさえ複数回あらわれるのであるから︑それぞれが異った機能
や意味をあらわすことになることは十分考えられるのである︒本稿
助動詞の相互承接からみたテソス.アスベクト はその観点に立った一っの考察であるが︑ご批判をいただきたいとおもうものである︒ ︹弓用文献︺
鈴木重幸−り︒c︒︒﹁形態論的なカテゴリーについて﹂︵﹁教育国語﹂72号・むぎ
書房︶
高橋太郎お虞 ﹁連体彩のもつ統語論的な機能と形態論的た性格の関係﹂
︵﹁教育国語﹂39号・むぎ書房︶
そのほか︑﹁日本語学﹂H寓N年嵩月号の特集﹁動詞・助動詞の間題点ーテ
ソス・アスペクトー﹂所収の論文およびその引用文献が有益である︒
紙谷栄治畠ミ﹁助動詞﹁た﹂の一解釈 彩式名詞﹁とき﹂につつく場合
を中心にー﹂︵﹁京都府立大学学術報告人文﹂第29号︶
畠轟 ﹁連体用法におけるテソスに関する意味について﹂︵同第30
号︶
岩お ﹁終止用法におげるテソスとアスペクトにっいて﹂︵﹁国語
学﹂第HHO︒集︶
宕お ﹁﹁た﹂の特殊な用法について﹂︵コ一爪都府立大学学術報告人
文﹂第31号︶
おお ﹁﹁ている﹂について﹂︵﹁語文﹂︿大阪大学V第36輯︶
H0︒︒N ﹁助動詞の相互承接についての一考察﹂︵同第40輯︶
なお用例はっぎによった︵書名は略記︶︒﹁新﹂﹁角﹂﹁文﹂﹁集﹂はそれぞ
れ新潮文庫・角川文庫・文春文庫・集英杜文庫をあらわす︒
﹁内灘﹂新4刷︒﹁五番﹂新25刷︒﹁魚と﹂新6刷︒﹁針女﹂新昭56年︒
﹁ぜったい﹂角6版︒﹁楕円﹂集3刷︒﹁蓬か﹂文−刷︒﹁挽歌﹂新2ユ刷︒
﹁へそ﹂新昭5ユ年︒
三九