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第3章 専門学校・短期大学進学者にとっての      学校と仕事のむすびつき

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第3章 専門学校・短期大学進学者にとっての      学校と仕事のむすびつき

有川碧・杉田真衣

学者は全部で10名である。そのうち5名(卒業式直後 にインタビューをおこなった丸山も入れれば6名)は学 校を卒業している。卒業した5名の進路は、2名が正規 雇用就職、1名が就労形態としてはフリーターであるが 俳優業、1名が四年制大学(以下、四大)に編入、1名 がフリーターであった。

1 はじめに

 高校卒業後に進学した者たちは、卒業後1年目の調査 の時点では、みな在学中であった1。しかし3回目調査 においては、専門学校と短期大学(以下、短大)に進学 した者の多くはすでに卒業していた。そこで本章では、

すでに卒業している彼ら彼女らの状況を、主には彼ら彼 女らの〈学校から仕事へ〉の移行に専門学校・短大がど のように影響しているかに注目しながら、みていくこと とする。同時に、調査時にまだ在学していた者たちの状 況も追っていきたい。       

 本章では、それぞれの学校が〈学校から仕事へ〉の移 行においてどのような機能を果たしているかに着目する ため、専門学校・短大を、学校と仕事とのむすびつきの ありかたによって、①専門性の高い職業に就くための専 門学校・短大、②「手に職をつける」ための専門学校・

短大、③学校と仕事とのむすびつきが弱い短大・専門学 校、の三つに分類し、その学校ごとにケースを検討する こととする。まず次の2節では、看護などの専門的な職 業に就くための学校に進学したケースをあつかう。続く

3節では、看護や自動車整備ほどには専門性が高くない が、専門的な知識や技能を習得して(「手に職をつけ」て)

就職することがめざされている学校に進学しだケースを あつかう。4節では、2・3節であつかうケースよりも 仕事とのむすびつきが弱い学校に進学したケースをとり

あげる。

 現在、1990年代以降の雇用の流動化および移行過程 の個別化にともない、学校による職業への水路づけは総 じて弱まっている。そのため、同じタイプの学校に進学 したとしても、それぞれの若者がその後の選択のリスク をみずから引き受けなくてはならない部分が拡大してい る。そこで本章では、専門学校・短大が若者たちの進路 を水路づけているありようを検討するだけでなく、それ らの学校が個々の若者にとってどのように経験され、そ こで得られた専門的な知識・技能、職業資格、職業イメー ジ、ネットワークなどが移行過程においてどのような意 味をもっているのかに注目して分析していきたい。

 3回目調査で話を聴くことができた専門学校・短大進

2 専門性の高い職業に就くための専門学校・短大に進   学した者たち

 本節では、看護、保育、自動車整備の仕事に就くため の学校に進学したケースについてみていきたい。専門性 が高い職業に就くことが目標とされたこれらの学校は、

一般的に安定した移行ルートが確保されていると想定さ れているが、学校と仕事とはどのようにむすびついてい るのだろうか。

1)看護師を志望する人見加奈(A高校出身)

 看護師を志望して都立看護専門学校に進学した人見加 奈は、3年生の9月に都内の大学病院への就職が内定し ていた。インタビュー時には、2年生の1月から3年生 の12月まで1年間おこなわれる厳しい実習を乗り切り、

あとは2月の国家試験にむけて準備するのみとなってい

た。

 人見は2回目調査をおこなった1年生のときに、学校 は常に課題とレポートがあって休みがなく、授業で教わ ることは高校のときに比べると非常に専門的で難しく、

そのうえ実習もあって大変だと話していた。3回目調査 のときにも、専門学校での3年間を「すごい大変だった」

とふり返る。特に実習は、毎朝8時から午後4時半まで おこなったのちに帰宅して深夜3時ごろまでレポートを 書くというスケジュールであり、病院が遠い場合は朝5 時に起きなくてはならない。また実習は同じ病院に3週 間通ったあと別の病院に移るというサイクルでおこなわ れるため、新しい病院に移るごとに緊張するのでしんど かった。そのため、1年間の実習が始まった2年生の1 月には、おもわず学校を辞めたくなったと話していた。

 それでも学校を辞めなかったのは、母親の励ましが

あったからだ。学校を辞めたくなったときに「明日ホン

トに実習行かないから」と母親に言っていたが、毎朝起

こされ、「あんたが行かないと患者さんひとりになっちゃ

うよ」と言われて通いつづけることができたという。ま

た、1年間一緒に実習をおこない、ともにそのしんどさ

を乗り越えた6名の存在も「救い」だった。同じグルー

プの人との関係がストレスとなって退学する人もいる

(2)

が、人見の場合は、実習の節目に「打ち上げ)をしたり長 期休みに集まったりするなど仲がよかった。メンバーのあ いだには、節目ごとにそれまで実習を続けることができた 喜びを共有するなかで形成された連帯感があった。

 人見は、2交替制という勤務体系、給料、待遇、福利 厚生、患者にたいする接遇マナー、見学にいって感じた 職場の人間関係のよさから、志望する病院を絞った。大 学病院を選んだ理由の一つは、先端技術を学ぶことがで きることだった。5年間病院に勤めたあとにアフリカで 働くという将来展望を描いている彼女にとって、その病 院が海外で医療援助をおこなっていることも魅力であっ

た。

 以上のように人見は、親に支えられ、実習仲間と支え あいながら厳しい座学と実習を乗り越え、看護職の世界 へと渡っていこうとしていた。人見のクラスでは40人 中6人が中途退学しているという事実からは、専門的な 知識と技能の習得が難しかったり、人見のように実習を 乗り越える際に支えとなる母親や実習仲間の存在がな かったりする場合、学校の卒業と資格の取得は困難なも のとなることがうかがえる2。

2)保育と福祉の職業資格を取得する坂本和孝(B高校

出身)

 坂本和孝は保育士を志望し、専門学校の保育福祉学科 に進学した。この学科では、保育士資格、社会福祉士国 家試験受験資格(卒業後1年の実務経験が必要)、社会 福祉主事任用資格やホームヘルパー一一 2級を取得すること ができる。学校では、3年間のうちに、老人施設、保育 園(2回)、、知的障害者通所施設、児童養護施設で実習 をおこなった。学費はあしなが育英会(坂本はひとり親 家庭)の奨学金と、パートで働く母親の収入から出して

いた。

 坂本は四つほどの保育園の採用試験を受けたが合格せ ず、自宅から約1時間半かかる障害者更生施設の試験 を受けた(インタビュー後にその施設への就職が内定し た。専門学校で取得したどの資格が就職に影響したかは 不明)。インタビューでは、そこに就職する場合は付属 の宿舎でひとり暮らしをする予定であり、その後は保育 士に転職するかもしれないと話していた。

3)保育園への就職を躊躇する神崎晶子(A高校出身)

 神崎晶子も坂本と同じく保育士を志望し、高校2年と いう早い時期から学校選びやピアノの稽古を始め、短 大の保育学科に進学した。学費は親が負担したが、保育 園で働きたいために夜間部(3年制)に進学し、1年

の10月から近所の私立保育園でアルバイトを始め、朝 7時から午後3時まで保育園で働いたあとに学校に行っ て、夜11時ごろに帰宅するという生活を送った。アル バイト先で就職が決まる可能性が高いが、園庭がないた め別の園にいきたいと考えていた。

 このように早くから保育士をめざして準備していた神 崎であったが、途申から、卒業後すぐに就職することを 躊躇するようになったという。その理由の一つには、オー ストラリアに留学したいという気持ちが高まったことが ある。3年生になったころには「絶対にいきたい」と思い、

卒業後にアルバイトをしてでも留学しようと考えてい た。背景には、同じ高校から同じ短大の保育学科昼間部

(2年制)に進学し、アメリカに留学した松井由里の存 在があった。彼女が送ってくるメールからは「すごいい きいきしてる、充実してる」ことが感じられてうらやま しく、「そういう(保育とは)ぜんぜん違う道にいった りとかしててすごい楽しいとかいうのを聞いてて、あ一 そういうのもいいかなって思って、まだこれからやりた いこといっぱいあるのかなあ」と思ったという3。また二 つ目には、保育園に就職した場合の収入の低さというこ

とがあった。.2年のときに始めたレストランでのアルバ イトでは、週6日ほど働いて月収は15万円以上なのに、

内定を得た保育園は基本給が16万円(手当については 不明)で手取りの額はさらに低く、神崎は「なんで就職

しなきゃいけないんだろう」「このままフリーターでも いいかな」と思ったという。そして三つ目に、神崎は、

アルバイト先で調理をする高卒の正社員である恋人との 結婚も考えていた。もともとは考えていなかったが、同 棲すると親に話したところ、相手の親に親戚の目が厳し いからと結婚を勧められた。このように彼女は、卒業後 の進路を就職、海外留学、結婚のどれにするか悩んだと

いう。

 神崎は悩みながらも、実習4後に就職課を訪れて近所 にある園の求人をみつけ、受験を勧める教員から熱心な 指導を受けて補欠採用となり、さらにアルバイト先の人 のつてで別の保育園の内定を得た。この保育園の内定を 得られなければ留学しようと考えていたが、得られたの で留学はあきらめたという。また、恋人は彼女が結婚前 に1年でも「社会人として」働くことを望んでおり、自 分としてもとりあえず働いて結婚資金を貯めたいことを 相手の両親に伝えたうえで、同棲への承諾をひとまず得 た。そして、就職先の近くで同棲を始める計画をたて、

アルバイト代を貯金しはじめていた。結婚は卒業して1

年目の秋にする予定だが、就職した年に新しいことを二

つするのは難しいという理由で、もう少し遅らせること

(3)

も考えていた。

 こうして就職と離家・結婚を予定しつつも、神崎には 迷いがないわけではない様子だった。たとえば結婚につ いては「最近、まだ遊びたいなっていう気持ちもあって、

まだいいかな」といい、「就職決めるのも先生に押されて、

多分決めたんだなって。そこまで先生が何も言わなかっ たらずっと迷ったままだと思う」と話していた5。

4)自動車整備士の資格を取得して就職した小林俊介(B 高校出身)

 小林俊介は、高校生のときから「自動車整備工場か ディーラー」と将来展望を描き、専門学校の自動車整備 学科に入学した。学費はすべて母親が負担(小林の家は 母子家庭)し、彼は「あとから返すしかない」と話して いた。授業には座学と実習があったが、特に座学の「電気」

の授業が苦手であったり、授業に「飽きてきたり、つい ていけなくなってきたり」しつつも、「自分がどんどん プロの整備士に近づいているような」感覚も味わったと いう。学校で2年間学んで試験を受け、二級自動車整備 士の資格を取得した。

 就職活動では、希望していたディーラーの内定を得る ことはできなかったが、その後「四輪専門」の車検整備 の会社を教員から紹介され、試験を受け、就職を決めた。

彼の通う専門学校の出身者が多く就職していくため、教 員たちによく知られた会社だった。小林はもともとバイ クが好きで、「純整備っていうか、もっと複雑な仕事」

を希望していたので、四輪専門で車検の仕事ばかりをす る会社は「おまえには合ってないんじゃないの?」と友 人から言われたこともあった。しかし、「社会はそんな に甘くないんだよ!」と思ったという。教員から急いで 就職活動をしなければ会社の選択肢がなくなると言われ ており、ディーラーの試験に落ちて焦ってもいたので、

「妥協」もあったという。

 しかし小林は、志望の変更をたんなる「妥協」と捉え ているわけではない。車検整備の会社を受けた理由は、

教員に話を聞いて「ディーラーとか入るより、身につく ことが多いかな」と感じたからだった。同じメーカーの 車のみをあつかうディーラーに比べて「いろんな車が来 るから、勉強になるし、台数も多い」とも思ったという。

小林のこうした積極的な意味づけには、整備士という仕 事自体のイメージが教員から話を聞いて変化していった ことも関係している。入学当初は整備士について漠然と

「かっこいい」「車のことならなんでも知ってるよ、みた いな」イメージをもっていたが、教員と話すなかで「今 の車がほとんど電気で制御したりって変わってきてて、

昔の整備士と今の整備士で要求されることが変わってき てる」ことを知るようになったという6。

5)小括

 看護専門学校に進学した人見、専門学校の保育福祉学 科に進学した坂本、短大の保育学科に進学した神崎、専 門学校の自動車整備学科に進学した小林は、それぞれの 学校に進学した時点で、希望する仕事がかなり絞り込ま れていた点で共通している。

 入学後、彼ら彼女らがそのままその仕事へとまっすぐ に進んでいったかといえば、そうではない。人見は、実 習の厳しさから学校を辞めそうになったことがあった。

神崎は、高2という早い時期から保育士になるための準 備を始めていたにもかかわらず、保育園に就職すること にたいして迷いをみせていた。坂本は、志望していた保 育士の職に就くことができなかった。小林は、希望して いたディーラーの就職試験に合格しなかった。このうち、

とりわけ保育士志望の神崎と坂本が経験していた迷いや 困難の背景には、保育所設置にかんする規制緩和、民営 化によって、保育園に正規で就職することが非常に難し くなっているとともに、就職できても低い労働条件で働 くことを強いられているという厳しい現状があることが うかがえる7。彼ら彼女ら4人のケースからは、同じく 専門性の高い職業でも、職種によって〈学校から仕事へ〉

の移行のありかたに違いがあることがわかる。

 人見は、母親の励ましや、ともに実習を乗り越える学 生仲間の存在があったために、学校に在籍しつづけるこ

とができた。坂本は、福祉の職業資格をも取得すること ができる専門学校であったため、福祉職への進路変更と いう対応をとることができた。小林は、専門学校の教員 の話によってそれまでもっていた職業イメージが修正さ れたことがあって、車検整備の会社へと志望を変更して 就職することができた。これらの事実からは、同じ職種 においても、親や学生仲間との関係、取得可能な資格や 教員のアドバイスというような条件によって、〈学校か ら仕事へ〉の移行のありかたが異なることもうかがえる。

3 「手に職をつける」ために短大・専門学校に進学し   た者たち

 本節では、看護、保育や自動車整備ほど専門性が高く

はないが、専門的な知識や技能を身につけて、いわば「手

に職をつけて」就職することが目的とされている学校(調

理・運輸・情報処理)に進学したケースについてみてい

きたい8。学校で「手に職をつける」ことは、その後の

(4)

仕事とどのようにむすびついているのだろうか。

1)調理の専門学校に進学した深川陽一郎(B高校出身)

 深川陽一郎は、もともと料理が好きで、また高校の選 択授業で調理が楽しかったことから、都心にある調理師 専門学校の1年制課程に入学した。当初高卒後は就職し ようと考えていたが、母親(深川も母子家庭で、母親は スーパーのパート)が「行ってもいい」と言ってくれた。

入学金は姉が勤務先の会社から借りてくれた金で、学費 は奨学金で払った。

 就職は、10月に集団調理の会社に決まった。学校に 来ていた求人票を見て説明会に行ったところ、説明会場 で試験も実施していたので、「しょうがなく受けたら、

受かった」。ただし、学校では就職者アンケートが6月 ごろに実施され、教員と就職の話はしていたという。「最 初からずっと、(中略)集団調理っていう、給食のおじ さんのほうが楽だなあとか思って」、「厳しいの嫌だった んで」といい、ホテルや「料理人の世界」にはあまり興 味がなかった。就職後も料理そのものにたいしては「あ んま情熱的ではない」が、「父親がいないんで、働かな いといけない」という意識が強いようであった。

 深川は、専門学校の教育内容がさほど今の職場に役 立っているとは思っていない。役に立ったのは「包丁の 研ぎかたとか、そんなもん」で、ほとんどは「ここ(会 社)で覚えたって感じ」だと話す。「社員食堂とか給食 とかのことそんな教えてくれる機会は、ここ(専門学校)

にはあんまりないんで」という。「やっぱでもその会社 のやりかたなり色があるから。それを覚えなきゃいけな いんで」と、技術は会社に入ってから覚えていく側面も あると捉えているようである9。

 とはいえ、彼自身「会社が決まったのはこの学校のお かげなんで、入ってよかったなと思いますけど」とも言っ ているように、調理の仕事に就くことができたという点 で、専門学校が果たした役割は大きいだろう。

2)短大の運輸系学科に進学した丸山真(B高校出身)

 丸山真は。もともと就職希望だったが販売職の試験に 合格せず、「あとは自分に似合った仕事がないから」「大 学いってから決めようと思って」短大の運輸系学科に入 学した。この短大では、卒業生の多くが運輸関係の企業 に就職する。

 しかし、入学してすぐに学校で適正検査を受けた際、

色覚に問題があることがわかり、鉄道業界にはいけない ことが判明してしまう。普通の生活には影響はないが、

補助的な仕事も含め「鉄道関係は基本的に全部行けない」

と医者から言われ、「ちょっとショックで…(中略)けっ こうきつい通告」だったと話していた。

 「やっぱり入ったから、ちゃんと卒業したかったし」

とその後も辞めることなく短大には通いつづけ、取得単 位が足りずに1年間留年して、3年で卒業した。授業は、

乗り物にかんする専門的な科目のほかに、簿記論や体育 の授業も受けたが、体育以外は全部おもしろくないと話 していた。簿記や専門的な科目は「意味わかんなくて困 りました」、「教科書見たら死にました」というほど難し かったようである。

 就職活動は、「(卒業)論文のこととかいろいろあった から(中略)するにもできないって感じ」であった。丸 山は、短大入学時には鉄道にたいしてさほど興味がな かったが、駅での乗客案内補助のアルバイトを始めたこ ともあり、興味が沸いてきたという。3回目インタビュー では「何でもいいんだったらやっぱり鉄道業界」「捨て きれない」と話し、鉄道業界以外の仕事の求人も来てい たが、就職活動をする気はなかったとのことだった。目 の問題がなければ卒業要件の獲得が容易であったかはわ からないが、鉄道業界への道が閉ざされたことによる落 胆がその後の学生生活に与えた影響は少なくないことが 推測される10。卒業式の直後におこなわれた3回目イン タビューでは、駅での乗客案内補助のアルバイトを続け つつ他のアルバイトも探し、働きながら「できれば正規」

の職探しをすると話していたが、はっきりとした見通し をもつことはできていなかった。

3)大学浪人後に専門学校の情報処理学科へと進学した 木戸貴司(A高校出身)

 木戸貴司は、祖父が作った雪駄を両親が販売している 履物屋を継いで、インターネット販売をするために、大 学で経営を学びたいと考えていた。しかし入試に合格せ ず、親に「中途半端な大学にいくくらいだったら浪人し たほうがマシ」「やりたいことがはっきりしていないで 専門学校にいっても意味がない」と言われ、自分として も浪人のほうがよいと思ったので、予備校に入学した。

2回目調査時には、親が閉店を考えるようになったとの ことで、家業を継ぐことはさほど考えていなかった。浪 人するからには「上のほうにいきたい」と考えており、「経 営のほうに、会社動かしてみたい」ということで「企業 成功者の本」を読んでいた。

 予備校では成績が伸びなやみ、「早稲田以上じゃない と上の企業とか門前払い」という講師の話もあり、受験 勉強を続けることに疑問をもちはじめた。そんなとき、

「情報処理の専門いってすごい厳しいんだけど、なんと

(5)

かがんばって年収で1千万越えてる奴もいる」という講 師の話を聞き、情報処理関係の本を立ち読みして興味を 抱くようになった。大学進学への未練はあったが、「皆 が入れるくらいの大学」に入るよりは専門学校のほうが、

目標を設定しやすく有意義に過ごせるとも思い、3年制 の情報処理学科に進学することにした。親は大学受験を 望んだがしぶしぶ承諾して、学費を出したという。

 専門学校の授業は予想以上に難易度が高かったが、懸 命に取り組んでいる。調査時(2年の11月)にはすで に、情報処理活用能力検定(J検)2級が科目合格、初 級システムアドミニストレータは合格しており、その後 はJ検2級の残りの科目と基本情報技術者試験を受験す る予定であった11。専門学校に入った時点では、経営に かかわる仕事はあきらめて「手に職をつける」つもりだっ たが、その後、ソフトの設計と開発管理を担当するシス テムエンジニア(SE)の仕事には経営者的な要素もあ ることを知り、現在はソフトウェア関係の「階層の上の ほうの」会社に就職してSEになり、「転職の多い業界 なんで、もしかしたら転職してるかもしれないし、その まま会社に残ってたら、どんどん上のほうに抜け出して いるのかな」という将来展望を描いていた。

 木戸は現在の日本社会を、「あんだけ少子化って叫ば れてるくせに、給料はどんどん二極化が進んでて、成果 主義うんぬんって言っててももらえる人はごく一部だ し、それで税金が重くなってて、学費も上がってるの に、子どもなんか増えるわけないじゃんと思ってて、何 考えてるんだこの国家」と認識していた。彼はそのよう な社会において、大学入試が不合格となったときも、予 備校で成績が思うように上がらなかったときも、自分の 条件で「=二極化」の上層に位置つくになどうしたらよい かを考え、大学浪人、専門学校進学という進路を選択し たといえる。彼の選択が仕事にどのようにむすびつくか は、今後調査をおこなわなければ考察できない。ただし、

情報処理系の技能検定の中で取得すると有利だというマ イクロソフト社などベンダー企業の認定資格については12、

学校のホームページでは紹介されているものの彼の口か らは語られず、取得が容易な資格を受験していたことか らは、予備校講師の話の実現はそれほど容易ではないこ とが推測される。

4)小括

 調理の専門学校に進学した深川は、その後学校で学ん だことに関係する職業に就いた。深川は、学校では集団 調理について学ぶことがなく、実際の仕事に役立ったの は包丁の研ぎかたぐらいだと感じていた。とはいえ、学

校に入学したことによってホテルや「町場」(「個人店み たいなレストラン」)での仕事とは異なる集団調理の仕 事のイメージをもつことができ、学校を介して集団調理 の会社に就職することもできた。

 短大の運輸系学科へと進学した丸山は、在学中に就職 が内定していた深川とは違って、卒業式直後の時点では 就職が決まっていなかった。丸山と深川のケースを比較 してみると、第一に、深川が高3時に希望していたとお りの進路に進んだのに対し、丸山は就職試験に不合格と なって短大進学へと進路を変更していた点が異なってい る。第二に、身体的な理由で鉄道関係の会社に就職する 道が閉ざされた点で異なっている。第三に、短大の授業 についていくことが難しく、留年していた点でも異なっ ている。1点目にかんしては、前回の調査では、大学・

入試で不合格となって技術専門校進学へと進路を変更し たところ、入学当初はかなりあいまいであった将来展望 が学校で学ぶ過程で明確になっていき、そのまま就職し ていくことが予想されるケースがあった13。丸山も、入 学したころは鉄道にたいしてそれほど興味はもっていな かったが、学校生活を送るなかで鉄道業界へのこだわり を強めていったようである。その様子からは、職業との むすびつきの強さでいえば、上記のケースの技術専門校 と丸山が進学した短大の運輸系学科とは似通ったところ があるといえるだろう。しかし、目の問題が発覚した。

さらにそれだけでなく、丸山が進学した短大は、職業と のむすびつきが強い一方で、卒業論文を課すというよう に四大と似たカリキュラムを有してもいた。これらのこ とから丸山は、授業についていくことが難しく、短大に あまりなじめなかったようであり、努力して卒業したも ののその先の展望を描きがたい状況にあったと思われ る。      x

 最後に、木戸のケースを深川・丸山のケースと比較し てみると、木戸は大学入試に不合格となって予備校に入 学したあと、情報処理の専門学校へと進路を変更したと いうように、学校に入学するまでに2回大きな選択をし ている点で異なっている。その進路選択に貫かれている のが上昇志向であるという点も、木戸のケースの特徴で ある。木戸が上昇志向をもつにいたった背景を考察する のは難しいが、親が四大進学を勧めたという家庭環境が 影響していることが考えられる14。それから、学校に入 学してから職業イメージが具体化されていったという点 では深川と共通しているが、木戸の場合、管理職につく

ことをあきらめて「手に職をつける」目的で専門学校に

入学したものの、学校生活を送るなかでSEという職業

について具体的に知ることによって、ふたたび管理職に

(6)

つくことをめざすようになったところが違っている。そ れはもちろんSEの仕事内容に経営にかかわる側面があ るからだが、それでも、管理職をふたたびめざすように なった理由には上昇志向の強さがあるといえるだろう。

4 学校と仕事とのむすびつきが弱い専門学校・短大に   進学した者たち

 本節では、これまであつかってきたケースとは違って、

その学校に進学することと、ある特定の専門的な職業に 就くこととのむすびつきが弱い学校に進学したケースに ついてみていきたい。

1)添乗員を志望しながら短大経営学科に進学した君島 朋子(A高校出身)

 君島朋子は、短大の経営学科を卒業後、同じ系列の四 大の経営学部に編入していた。そもそも彼女は高校生の ときからツアーコンダクター(添乗員)など「観光関係 の仕事」を希望し、専門学校にいきたいと考えていた。

しかし、学歴を重要視する親の強い意向から、短大経営 学科に「まったくいく気もな」いにもかかわらず入学し た。短大在学時の2回目インタビューでも、短大は「まっ たく無意味」だと話していた。

 高校からの進路希望をかなえるべく、短大2年の夏か ら半年ほど、一般旅程管理主任者の資格15を取るため の学校(無認可校で、彼女は「スクール」と呼んでいた。

以下、スクールとする)にも通った。講座代・試験代・

研修代に50万円程度かかったが、すべてラーメン屋で のアルバイトの収入でまかなった(大学の学費は親の支 払い)。短大とスクールに同時に通うのは「体力的には きつかったと思う」が、資格のための講座は「学校のや りたくない授業はぜんぜん頭に入んないですけど、やっ ぱやりたいことだからけっこう頭に入るんですよ。おも

しろかったです」という。

 しかし君島はそこで、添乗員という仕事の理想と現実 とのギャップを感じたという。もともと「あがり症」で 大勢の前で話すことが「けっこう苦痛」であったり、個々 の客の要望に応えるよりも一律にあつかうことを優先し なければならない仕事のやりかたや、現地ではガイドよ りも添乗員の役割が小さいことにたいして疑問をもった りと、いくつかの面で違和感があったようである。また、

添乗員はほとんどが派遣社員で、長時間労働にもかかわ らず給料は日当制で「スタートが6千円から」と低く、

仕事がない時期もあるなど不安定であり、「まずひとり 暮らしはできない」と経済的不安も感じている。

 そのような不安や悩みに加えて留学希望もあり、彼女 は短大卒業後の進路について一時期大きく迷ったもの の、親の勧めもあって四大へと編入を決めた。

 編入後は、「学業で忙しい。短大と違います」という ようにたくさん授業があるほか、大学のTOEICの講座 に通いつつ、語学力の向上をめざしている。卒業後は添 乗員の派遣会社に入り、1年間国内で働いたあと、海外 旅行の添乗をしたいという。留学は「1年間くらいいか ないと意味ない」といい、その費用(「300万くらい」)

のために「貯金も欠かさず。だからバイトもがんばって る」と話していた。

 「盲導犬連れていくようなツアーもできる」という話 をスクールの教員から聞き、「そこだったらやりたいこ とできるかな」と思いを馳せるなど、就職に必要な情報 は、スクールの教員との会話や海外研修などの体験実習 によって得ていた。卒業後もスクールは、就職関係の情 報だけでなく、実際に添乗員の仕事を見学する機会など を、本人が希望すれば与えてくれるという。

 だが一方で、君島自身が知っているように、添乗員の 仕事は非常に不安定である16。そのほとんどは、それだ けでは経済的に自立することができないほどの低収入・

長時間労働の不安定雇用であるといえる。君島が四大進 学を選択したのには、もちろん両親の勧めもあったが、

その不安定さゆえ添乗員を続けられないかもしれないこ とを視野に入れたうえでの、いわば「保険」としての側 面も大きかった。そのような不安定さを認識しつつも、

「不安もありますけど、やってみなきゃわからない」「ま あがんばってみせるそって感じ」と、添乗員の仕事をし たいという気持ちをばねにしてその業界を渡っていこう としていた。

2)翻訳家を志望して短大英文学科に進学した若林理絵

(B高校出身)

 若林理絵は、高校生のときから洋画が好きで、翻訳家 を志望し、それだけでは生活できないということで、教 員の二種免許や秘書の資格も取れる短大の英文学科へ推 薦で進学した。

 しかし、授業は「受験シーズンが2年以上続きました、

みたいな感じ」というほどきつかった。進みが速すぎて ついていけず、教員が厳しかったため、好きだった英 語が嫌いになったという。教員免許取得の条件として短 大が課していた英検準2級合格を達成することができな かったため、免許を取ることはできなかった。在学中の インタビューでは、それでも「ちっちゃい子に教えたい」

「英語を使った仕事をしたい」と話していたが、卒業後

(7)

乾・安達・有川・遠藤・大岸・児島・杉田・西村・藤井・宮島・渡辺 明日を模索する若者たち:高校3年目の分岐

には「それはしょせん憧れであって、実際就けばたぶん 私はもたないと思うし」と話していた。翻訳の仕事に就 くことも、「文法も無理だから和訳もきついかな」とあ きらめた。

 若林にとって、「中学校なみ」という出席チェックを はじめとする厳しい生活指導も、精神的苦痛をもたらす ものであった。とりわけ「女性らしさを求める」その短 大特有の校風については、「けっこう居づらかった」と 話していた17。

 このような彼女の短大における困難の背景には、家庭 の事情が色濃く影響をおよぼしていた。彼女は母子家庭 で、母親は病気で働けず、生活保護を受給している。学 費は奨学金を受けつつ、手当てや祖母の金から出ていた。

そのような経済的困難に加え、母親が彼女を非常にきつ く束縛していて、彼女は短大生になっても友人と自由に 出かけることもままならなかった。また、家族の世話な ど家事のほとんどを負わされ、「(家にいると)息が詰 まる」「働きアリ状態」という状況で、落ち着いて勉強 できる環境にはなかった。そのうえ、母親は常に「玉の 輿」に乗るようにと若林に言い、大学生は「お嬢様」ら しい服装をするべきであるとして、彼女の好きなスポー ティーな服装をさせないようにしていた18。短大で「女 性らしさ」を求められたことによる精神的な負荷は、家 庭において軽減されるばかりかより重くされたことがう かがえる。

 卒業後は同じ系列の四大に編入することを考えていた が、「あの家にいて進学しても疲れる」ことや、「もう英 語も嫌いになったし、同じ大学にいても死にそうだし」

ということから、編入をやめた。そして、「就職してや りたくもない仕事をしてつまらない日々を過ごすんだっ たら、やりたいバイトをやって楽しんでお金貯めて就職 探したほうがいいと思ったんで」と、フリーターをしな がらの貯金・職探しに進路を変更した。そこには、も ともとの翻訳、および教員免許取得という希望が閉ざさ れ、子どもに英語を教えるという希望も薄れたとき、や りたくもない仕事で就職するよりはむしろアルバイトを 選ぶ、という自己選択の要素があったようでもある。し かし、これまで述べてきたような短大での困難、および その背景となった家庭での困難を考えると、勉強だけで なく、就職活動にも専念できず、卒業後の展望を描くこ とができないような不安定な状況に置かれていたであろ うことは想像に難くない19。

3)俳優を志望して専門学校に進学した岡本祥子(A高

校出身)

 岡本祥子は、高校3年間演劇部に所属しており、「声 優か舞台役者」を志して専門学校の俳優学科に入学し た。母子家庭(母親はパートの保育士)の彼女は、専門 学校の学費をすべて自分のアルバイト代から出した。卒 業の数ケ月前に事務所が決まってレッスンに通っていた が、「本当に私たちをマネージメントする気があるのか わからない」と不安になっていたところ、専門学校の講 師に、「(その事務所は)レッスン料を取りたいだけ」と 言われ、引き抜かれるようなかたちでその講師が代表を 務める現在の事務所に入り直した。現在はそこに所属し つつ、コンビニエンスストアでのアルバイトと、公演の スポンサーである人材派遣会社から依頼される短期の仕 事をしている20。将来については、「40代くらいまでで も、遅咲きでも」俳優の仕事を続けていくという展望を 描いている。

 岡本が通っていた専門学校は2年制で、授業は発声や ダンスなどほぼ実技であった。岡本は1年生のときのイ ンタビューで、「(2年間では)間に合わないくらいです。

もうちょっと時間がほしい」、「ぜんぜん仕事がもらえる くらいまではいかないだろう」と話していた。また、2 年次の担任の指導が厳しかったために、学校に来なくな る学生が出はじめ、最終的には俳優専攻の学生10人の うち4人が中途退学した。そのうちの一人は、しばらく 学校を休んだのちに俳優になることをやめ、学校の斡旋 でテレビ関係の会社に就職したという。これらの話から は、学校を出たあとの将来展望がみえにくいために、俳 優の専門学校で学びつづけることはそう容易ではないこ

とがうかがえる。

 岡本は、「会社とかに就職するわけじゃないから(中 略)不安定な仕事だから、特に学校側もなんともいえな い」という認識をもちつつも、業界のことをよく知らず、

俳優になるための支援をまったくしない学校にたいして 不満を抱いていた。しかし、個々の教員たちは業界に通 じており、とりわけ2年次の担任は、卒業後も相談でき る頼れる存在だと話す。また、専門学校の友人とも芝居 を観にいくなどつながりがあり、「同じ夢をもってる人 たちのほうが(中略)ひさしぶりに会っても話せちゃう というところがあったりするので、そういう意味で自分 の帰る場所があるかな」と話していた。

4)小括

 前節までとは異なり、本節であつかったケースでは、

ある特定の職業に就くこととのむすびつきが弱い学校に

(8)

進学したこともあって、個々の若者が置かれた状況に よって職業展望のありかたは大きく異なっていたといえ る。とりわけ、短大の経営学科に進学した君島と短大の 英文学科に進学した若林のケースは対照的である。

 君島は、短大経営学科で学んでも添乗員になるという 夢はかなわないことを入学当初から強く意識し、旅行専 門のスクールに同時に通って添乗員の資格を取得すると いう方法によって、その問題を乗り越えようとしていた。

このスクールは、添乗員という職業と強くむすびついて いる点で、前節までにあつかったケースの学校と共通し ている。さらに君島は、添乗員以外の仕事に就く可能性 もあることを考慮して、単位をきちんと取って短大を卒 業しただけでなく、四大に編入して大卒という学歴をも 獲得しようとしていた。

 一方若林は、短大で学ぶことによって翻訳家や英語の 教員になることができると思って入学したが、現実は 違っていた。入学当初は想定していなかったこのような 事態に直面したとき、若林は、別の職種に志望を変更し て就職活動をしたり、四大へ編入したりすることができ なかった。その理由としては、授業についていくのが難 しく、短大を卒業するだけでせいいっぱいで就職活動を する余裕はなく、英語にたいする自信を失ったために編 入して学業を続けるという展望も描けなくなったことが あると考えられる。その背景には非常に困難な家庭環境 があった。

 また別の理由としては、「女らしさ」を求め、生活指 導が厳しいという短大の性格もあると思われる。女性学 研究者の松井真知子が言うように、短大の「ジェンダー 化された女性の高等教育は、専門的職業準備教育という よりも結婚市場における付加価値と競争力をつけるため の『教養』教育」をおこなってきた21。若林が進学した 短大はこの「教養」教育をおこなっており、「女性らしさ」

を求める彼女の母親もそれを期待している。しかし若林 自身は、「結婚はしたくない」と話す一方で「もしかし たら専業主婦になってるかもしれない」とも話している ように、結婚にたいしてアンビバレントな思いを抱いて おり、そうした短大が求める「女らしさ」を違和感なく 受容できているわけではない。加えて、以前ならば「教 養」教育を受けて事務職に就くというのが女子短大にお ける主要な移行のありかたの一つであったが、現在は事 務職の高学歴化によって、その可能性は狭められている。

 もちろん、君島は雇用形態が不安定である添乗員の仕 事に就こうとしており、大卒という学歴を獲得したとし てもそれがどれほど有効であるかはわからないため、〈学 校から仕事へ〉と安定的に移行する過程にあったという

ことはできない。しかしそれでも、自分が志望する職業 とは無関係である短大への進学という事態を、別の学校 に同時に通うことによって切り抜けようとしていた。さ らには、四大に編入して大卒の学歴を獲得することに よって、短大進学自体も自分の進路に活かそうとするこ とができていた。一方で若林は、困難な家庭環境や短大 の性格から、短大進学前には想定していなかった事態に 対応するための手だてを得ることができず、君島よりは るかに厳しい状況に置かれていた。

 専門学校の俳優学科に進学した岡本のケースは、志望 する職業にかんすることを学校で専門的に学ぶという点 では2・3節であつかったケースに近く、この節には位 置づきがたいかもしれない。しかし、たとえ学校で学ん だとしても、学んだことを活かす職業に就く(あるいは、

職業に就けても経済的に自立する)のは難しいという点 で、君島・若林のケースと似ているといえるだろう。

5 まとめ

 これまで専門学校・短大進学者のケースをみてきてわ かることは、第一に、彼ら彼女らが〈学校から仕事へ〉

と移行する過程において、学校の性質にかかわらず、想 定外の困難に直面していたことであった。たとえば、最

も安定的に移行を果たすと思われるであろう専門性の高 い職業でも、坂本は保育士の職に就くことができず、神 崎は保育園へと就職することに迷いをみせていた。その 背景には、雇用の流動化や労働条件の悪化があった。坂 本が保育園に就職できなかったのは、保育士の非正規化 が進められている状況と大きく関係していると考えられ る。また、神崎が保育園に就職するかどうか迷っていた 理由には、就職した際の収入の低さがあった。

 若者たちが直面していた困難には、短大の教育内容が 予想以上に難しかったということもあった。短大の運輸 系学科に進学した丸山は、単位の取得と卒業論文の執筆 にかなり苦労したために、就職活動をおこなう余裕がな かったことがうかがえた。短大の英文学科に進学した若 林も授業についていくことが難しく、英語にかかわる仕 事に就くことをあきらめることとなっていた。現在、少 子化によって大学への入学が容易になり、また就職難を 背景として、かつては就職していた層が大学へと進学す るようになっている状況がある。この層のことを私たち は以前「新規参入層」と呼んだが22、二人はそのケース に位置つくといえるだろう。「新規参入層」の特徴は、

大学生活において勉強などの面で困難をかかえていたと

ころにあり、その背景には家庭の経済・文化資本が乏し

(9)

いことがあった。とりわけ若林は困難な家庭環境に置か れていたが、そのような環境が二人の短大生活に強く影 響iしていたことがうかがえる。

 第二に、全般的に移行過程が不安定化しているものの、

その現れかたは、それぞれの学校がもつ職業への水路づ けの強弱によって異なっていたといえよう。たとえば、

専門性が高い職業に就くための学校に進学した者は、そ れぞれが悩みやトラブルに直面していたものの、最終的 にはその学校の教育課程がめざす職業に就職することが できている。その反面、職業への水路づけが弱い学校で は、個々の若者がもつ資源によって生みだされる差が大 きくなる傾向があった。短大に進学した君島と若林は、

どちらも進学先の大学教育への意味づけに困難をかかえ ていたのは共通しているが、経営学科に進学した君島は、

添乗員になるために同時に別の学校に通いながら、四大 への編入を決めている。他方で、翻訳家になることをめ ざし英文学科に進学した若林は、短大の教育内容にとど まらずその短大の校風にもなじめず、卒業するのがやっ とであったといえよう。こうした違いが生まれた要因に は、両者の家庭的背景の違いが少なからずあるだろう。

親からの経済的支援がある君島の場合は、四大に編入し、

さらに海外留学も展望するなどの余裕がみられる。他方 で、なんとか学費を工面して短大に進学した若林は、四 大への編入が経済的に困難であるのはもちろんのこと、

勉強に集中できるような家庭環境にいなかった。

 今後も雇用の流動化が進行し、特定の学校から特定の 職業へのルートが不安定化することで、移行過程がいっ そう個別化していくならば、その過程に個々の若者の家 庭的背景が与える影響はますます強まっていくだろう。

1)ただし、吉川綾は医療福祉系専門学校を9月に退学   している。詳細は、『人文学報』92頁にてすでに論   じているため、ここではあつかわない。

2)そもそも人見が看護専門学校に入学して通うことが   できた理由の一つには、都立看護専門学校の学費が   安い(年間15万円ほど)ということがある。人見   の場合、学費は親が出していたが生活は楽ではなく、

  交通費や教科書代などはプールと居酒屋でのアルバ   イト収入から出していた。都立看護専門学校の募集   定員は少なく、志望者の多くが入学できないことも   述べておきたい。ちなみに、B高校の同学年の生徒   の中では、公立私立を問わず看護専門学校に入学し   た者は一人もいなかった。階層的な問題を背景とし   た「学力」的な要因もあることが推測される(家庭

  の間にある階層的格差が「学力の違い」として表れ   ていることについては、『人文学報』141−142頁参

  照)。

3)神崎は、一方で早くから進路を決定し、安定的な移   行にむけて着実に準備を進めながらも、高3時のイ   ンタビューで「あんまり先考えないようにしようと   思って」「今が楽しければいいかなっていう感じ」

  と話していた。この話からは、彼女が不安定で先行   きのみえない社会を生きぬこうとして、保育士への   道を着実に歩んでいたと同時に、先がみえないのな   ら今を楽しむしかないとも思っていたことがうかが   える。そのような神崎にとって、留学は「今しかで   きないこと」として魅力的に感じられたのかもしれ   ない。

4)実習は児童館、保育園(3回)、児童養護施設でお   こなった。

5)実際、大学卒業後の4月に連絡をとったところ、就   職は辞退して実家にいた(詳細は不明)。

6)小林の就職後の状況については第2章2・3節を参

  照。

7)二宮厚美によれば、保育所の民営化・市場化・保育   士の非正規化および雇用条件切り下げは、1987年   の児童福祉法施行令改正による公立保育所優先の原   則の撤廃を皮切りに、急速に進められた。90年代   の保育需要の高まりにたいし、財政の膨張を抑制し   つつ保育の量的拡大を進めるため、国は保育にたい   する公的責任の構造の変換を進め、「保育システム   の多様化」構想のもと公立保育所を格下げしていっ   た。97年には児童福祉法改正で保育の措置制度が   廃止され、保育所の民営化・民営委託化が厚生省に   よって打ち出された。また規制緩和が進行し、保育   の最低基準が切り崩され、保育士配置が弾力化され   て職員の非常勤化が進んだ。さらに2000年からは、

  それまで社会福祉法人が主であった認可保育所の設   置主体が民間企業などにまで広がり、民営化の流れ   に営利化がつながっていった。さらなる規制緩和と   営利企業の参入により、人件費は切り下げられ、保   育士の雇用条件はますます悪化した。たとえば西宮   市では、2001年度の公立保育士の平均年齢は38   歳、私立では28歳と大きな差があり、同様の傾向   は他地域でもみられた。私立のほうがそれだけ勤続   年数が短く、若い職員しか雇われない、長く働けな   いという現状を示している(二宮厚美『構造改革と   保育のゆくえ』青木書店、2003年)。

8)調理師資格は、看護師・保育士・自動車整備士と同

(10)

  様に国家資格である。また、業務独占資格(有資格   者だけが業務をおこなえる)ではないという点で看   護師・自動車整備士と異なるが、名称独占資格(無   資格者でも業務をおこなえるが名称の使用には制約   がある)であるという点では保育士と同じである。

  しかし、必置資格ではなく(飲食店・給食施設で設   置が義務づけられていない)、在籍期間が1年以上   の養成施設を卒業すれば試験が免除されるというよ   うに取得が容易であることから、看護師・保育士・

  自動車整備士とは分けて本節であつかう。

9)深川の就職後の状況については第2章2節を参照。

10)ただし、丸山が進学した短大は、学生の半数以上が   運輸関係の企業に就職しているとはいえ全員ではな   い。したがって、目の問題がなければ運輸関係の職   に就くことができたともいいきれない。

11)システムアドミニストレータと基本情報技術者は学   校から全員受験するようにいわれるが、他の試験に   ついては任意である。彼によれば、基本情報技術者   は「なくてもたいした資格じゃないって企業側は   思ってる」が、学校に来た企業の入が「ないよりは   あったほうがよい」と話していたという。

12)新しい生き方基準をつくる会著・中西新太郎監修   『フツーを生きぬく進路術』(青木書店、2005年)

  58−59頁参照。

13) 『人文学報』90−91頁、および『18歳の今を生き   ぬく』212−215頁の市川のケース参照。ただし彼は、

  3回目調査はおこなえておらず、その後の経緯は定   かでない。

14)大学浪人という進路を選択したケースは、親の学歴   が高く(木戸の父親は大学卒)、家庭から経済的・

  文化的・感情的支援を得ることができるという傾向   があったことについては、渡辺大輔「浪人を選んだ   者たちの進路分岐」(『人文学報』第5章)を参照。

15)国内旅程管理主任者は国内のみ添乗可能、一般旅程   管理主任者は国内・海外ともに添乗可能である。

16)1970年代以降、旅行需要が急増するなか、各旅行   会社は増加する海外の団体旅行に必要な添乗員を非   正規化しはじめ、添乗員の雇用が流動化した(鹿生   治行「雇用主としての派遣会社の役割一苦情処理   の分析を手がかりに」『大原社会問題研究所雑誌』

  No..550・551、2004年)。2000年現在で主催旅   行の90パーセントは派遣添乗員に支えられている   という(「この業界の人事に学ぶ ツアーコンダク   ター編」『月刊人事マネジメント』2000年10月   号)。日本添乗サービス協会が1996年に関西圏で

  おこなった調査によると、添乗員の60%の労働時   間は12時間以上16時間未満であり、また首都圏   での調査によると、添乗経験1年以上、年間添乗日   数151日以上の添乗員の添乗業務から得た年収は   平均254万円にとどまっている(石井拓「(社)日   本添乗サービス協会と派遣添乗員」、労働調査協議   会r労働調査』1997年4月号)。

17)たとえば制服がある。

18)若林の母親の、このような彼女へのかかわりについ   ては、『18歳の今を生きぬく』149−150頁を参照。

19)若林の短大卒業後の詳しい状況については、第1章   2・4節を参照。

20)岡本のアルバイトの状況については第1章2節を

  参照。

21)松井真知子『短大はどこへ行く』(勤草書房、1997   年)7−8頁。

22)有川碧・杉田真衣・藤井吉祥「大学進学者の進路選

  択の背景とその後」(『人文学報』第4章)参照。

参照

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