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平城京朱雀大路発掘調査

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Academic year: 2021

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(1)

平城京朱雀大路発掘調査

朱雀大路は

,奈

良盆地 を南北に綻貫す る下 ツ道の北方部にあた り

,平

城京の羅城門 と朱雀門 とを結ぶ京の中心街路である。近年

,京

に関する調査研究 も次第に進み

,多

くの興味ある事実 が明 らかになってきている。朱雀大路についても

,遺

存地割による朱雀大路幅員の復原や

,羅

城門跡発掘調査に よる朱雀大路西側濤 と西築地の検出など

,調

査研究が蓄積 されて きている。

現在では

,朱

雀大路周辺になお水 田もかな り残 っているが

,開

発 は急速に進み

,今

後無秩序に 開発 される恐れが大 きい。 このため

,奈

良市では

,遺

跡の保存 と

,朱

雀大路を生か した調和あ る都市計画構想を立案す る必要にかんがみ

,そ

の基礎資料を得 るため今回の朱雀大路発掘調査 を計画実施 した。発掘調査は

,奈

良市の依頼によ り奈良国立文化財研究所がおこなった。

平戎京朱雀大路それ 自体を調査対象 とした発掘調査は

これ までお こなわれた ことがなかっ た。ただ朱雀大路の両端に位置す る朱雀門 と羅城門については

,既

に発掘調査がお こなわれて いる。朱雀門の調査は

,奈

良目立文化財研究所が

,昭

38年度に平戎宮第16次調査 として実施

1

,朱

雀門 の規模 を確 認 してい る。 また羅城 門の調査 は

,昭

和44・ 45・ 46年 の三年 にわた り,

奈 良市 。大和 郡 山市 の依頼 を うけた同研究所 が調査 を実 施 してい る七 この調査 では

,平

坂京 の 正 面玄関にあた る羅城 開始 よびそ の周辺 の遺構 を検 出 してい る。羅城 門は

,近

世郡 山城築城 の 際

,佐

保川 の河道 を 同門 の中心部分 につ けか えたため

,遺

構 は殆 ん ど破壊 されていたが

,羅

城 門 の規模・ 構造 を推定 で きる資料 を得 てい る。 この両 門 の調査 に よって

,朱

雀大路 の始点 と終 点 の位置 はす でに判 明 してい るので あ る。

また昭和44・ 45年 の両年度 に

,奈

良市 の依頼 で

,平

城 京保 存調 査会 (会長 枢本社 人氏)は「 遺 存地割 に よる平城 京 の復 原調査 」をお こない

,現

在 あ る水 田畦畔・ 水 田・ 里道 な どの地割 を通

3

して平城京 の条坊 を復 原 した。 これに よる と

,朱

雀大路 も今 日の水 田畦畔や水 路 な どで

,地

面 上 に鮮 明に追跡 で きる こ とが判 現 した。 この調査に よって平城京朱 雀大路 も

,平

安 京朱雀大路 路幅が築地 心 々で28丈 と廷 喜式 に記 録 され てい るものに近 い規模 を もつ こ とが推測 で きた。 し か し

,平

城 京朱 雀大 路 につ いては

,捨

の規模 な どを示す文献 史料 が ないため

,地

割 に よって知

られ る路幅 が

どこか らどこまで の距離 を示 してい るか不 明であ り

,ま

して路面 の状況

,側

の様子 な どがいか な るものであるかな ど

,発

掘調査 に よ らなけれ ば判 らない ことで あ った。

今回 の発掘調査 は

,朱

雀大路 に関す る上記 の点 を 粥 らか に し

,あ

わせ て同大路 の保存修景 に も役立たせ る 目的 で実施 した ものである。発掘地点 としては

,朱

雀 大路 のほぼ 中間 に あた る六 条条間路 の北側 に設定 した。以下

,朱

雀大路発掘調査 の結果 を報 告 したい。

(狩野

 

)

「昭和39年度平城宮跡発掘調査概要」(『奈良国立文化財研究所年報1965年)

大和郡山市教育委員会『平城京羅城門跡発掘調査報告』1972年

 

俊男「平城京の復原的調査研究」 (『平城京の復原保存計画に関する調査研究』奈良市

1972令F) T 上

(2)

1.調 査の経過

平城京朱雀大路 の発掘調査 は

,昭

和49年 2月15日に開始 し

,同

年3月30日に終 了 した。そ の 調 査期間は44日間 であ る。発掘作業 開始 に先 だ って

, 2月

15日か ら19日にかけて

,ま

ず 準備作 業 をお こな った。発掘調査 の準備 として

,ベ

ル トコンベ アー用 の動力線 引込み電柱設置 と地下 ケーブル線 の埋設 をお こない

,あ

わせ て現場 小屋 な どの建 設をお こな った。2月16日か らは発 掘 対 象地 において

,機

械 に よる表土排除 を お こない

,19日

には遺構 と直接関連 しない地 表下約

lmま

での上を除去 し終 り

,調

査 の前準備 を終 了 した。

2月21日か らは

,本

格的 に発掘調査を開始 した。調査 は東偵1に設定 した発掘区か ら始 め

,遺

構上 面をお為 う茶褐色砂質上 を下げ る と大路面があ らわれ

, 3月

1日 には朱雀大路東側濤 の存 在 と位置を確認 した。3月 4日か らは西側 に設/tし た発掘区の調査 に移 り

, 3月

8日 に は

,西

側濤 とそれ に設け られた堰 を検 出 した。 しか し最初設定 した発掘区では

,西

側濤幅を確 認で き な いので一部発掘区を拡張 した。 この結果西側濤 の全 幅が検 出で き

,朱

雀大路路 幅 を知 る手掛

りを得 ることとな った。 これ と平行 して検 出遺構 の写真撮影 を順次お こな った。

計画 した発掘区全域 の調査がほぼ終了 した 3月22日には

,ヘ

リコプターに よる空 中か らの遺 構 写真測量 を実施 した。そののち

,発

掘 区全 域 にわ た り補足確認調査 をお こない

,壁

面 の土層 図 な どを作成 した。 これ とともに

,朱

雀大 路路 面 内で

,下

ツ道東西両側濤 の確認や

,西

側発掘 区 での古墳時代 の濤 の掘 り下げ を一部 お こない3月28日には

,発

掘調査 を終 了 した。埋 戻 しは 3月26日か ら開始 し

,調

査 を終 了 した地域 か ら順次進めた。埋戻 しは

,表

土除去 と同様 に機械 に よってお こない

,あ

わせ て境 界柵 の補修 な ども実施 して 3月30日に全作業 を終 了 した。

(工楽善通)

2.発 掘区の位置

今回の発掘調査対 象地 は

,奈

良市柏木 町 カケコシ182・ 183・ 185〜 189番 地

,及

び 同市六条町 六 条183〜 185番地 である。 この位置 は

,朱

雀大路 が五 条・ 六条 の条 間路 と交 叉す る部 分 の北側 に あた り

,朱

雀 門 と羅城門 とを結が朱雀大路 のほば中間点 に近 い ところである。現在県道「 京 終 停車場・ 薬師寺線」が発掘区の南側を東西 に走 ってお り

この道路が

,平

城 京 の条 間路 の位 置 をほば踏襲 しているものであることがわか る。

発掘地 周辺 は

,標

高57〜

58mを

はか り,】ヒか ら南へ とゆ るやかな下 り勾配 とな ってい る。ち なみに平城宮 の中心部 との標高差 をはか る と

15m以

上 に もなる。 また東西両側へは しだいに上

り勾配 となるため

,こ

の付近 は北 と東西方か らの水が集 ま り

,湿

田地帯 とな ってい る。

発掘地 周辺には

,ま

だ水 田が多 く残 り

,水

田地 帯 の様相を とどめてい る。発掘地 に立 てば,

西 南には薬師寺東塔 が

,北

方 には遠 く奈 良 山丘陵 の高所が望 まれ る。 しか しこの景観 も最近 の 都 市化 の波 に よ りしだ いに失われつつ あ る。現在発掘地 の南東には県立奈 良商業高等学校 の校 舎 が

,北

には奈良県立工業試験場 の建物 が建 ち

,大

き く変貌 しよ うとしてい る。

朱雀大路 につ いては

,南

北 に走 る畦畔・ 水路な どに よる条坊復原調査か ら

,ほ

ぼ そ の位置 と

2

(3)

規模が判 現 してい る。 この成果をか考 に して

,今

回の発掘調査区を設定 した。 この調査 では,

朱雀大路 とそ の東西両側濤 の検 出を 目的 と しているが

,更

に これに加えて朱雀大路に接す る築 地 とそ の内方 の街区の確認を も目的 として計画 した。 このため

,朱

雀大路全 幅を検 出す るだけ で も全長

90mに

近 い発掘区が必要 とな り

,街

区 まで合め る と

100mを

は るかに超 え る発掘区を 東西 に設定 しなければな らない。 これは用地確気 な どの制約があ り困難 な問題である。

このため今回の調査では

,北

と南に約

70m離

れ て東西 の発掘区を設定せ ざるをえなか った。

東 に設定 した発掘区は3ケ所 にわ かれ

,朱

雀大路東半部 とその東側濤・ 東築地

,お

よび左京

六条一方 の街区の検 出を 目的 としてい る。発掘区は

,東

西全 長

70mと

,ほ

ば一直線 に設定 し

た。西 に設定 した発掘区は

, 2ケ

所 にわかれ

,朱

雀大路西半部 とそ の西側濤 。西築地

,お

よび

右京六条一坊 の街区 の検出を 目的 とした。発掘区は

L字

形 と し

,西

側濤 を南北

24mに

わた って

検 出で きるよ うに考慮 した。 この発掘区は

,後

述す るよ うに西側濤全幅を検 出す るに至 らず北 端 で一部拡張す ることとなった。今回の発掘面積 は

,東

側発掘区3ケ所 で約

560r,西

側発掘 区2ケ所 で約

420rを

はか り

,東

西両発掘区の合計

980r(約

300坪

)で

あ る。

(黒崎

 

)

{│

71‑謳

Fig.1 

発掘調査地位置図

(4)

遺 構

まず発掘区の土層について概観 しておきたい。今回発掘調査をおこなった ところは

,す

でに

水田ではな く

,耕

作上の上に平均50clll前後の山土が盛土 されていた。 このため発掘前の地表高 は周辺の水 田面 よ りも高 く

,県

道の路面 とほぼ等 しい高 さとなっている。盛土 した山上の下に は厚 さ10〜20cIIlの黒色粘質土 (水田耕土

)が

あ り

,そ

の直下に厚 さ10CIIl前後の灰楊色砂質土 (水 田床土

)が

存在す る。

 

次に

,東

側発掘区では暗灰色あるいは暗茶褐色砂質土があ り

,西

側発掘 区では灰褐色粘質上が堆積 している。 これ らの上層は ともに20clll前後の厚 さを持つ。東側発掘 区では

この上層の下面にほぼ水平にマ ンガンの沈着がみ られ

,発

掘区西端すなわち朱雀大路 中央部付近ではそれが大路面に接 している。西側発掘区ではマンガンの沈着面 よ り更に下層に もう一層灰色粘土層の堆積がみ られ

,そ

の下面が朱雀大路面 となる。東側発掘区では耕作土以 下

3層

まで近世の遺物を含み

,西

側発掘区では耕作土以下

2層

までが近世のものを包含 し

,遺

構面上の

2層

か らは平安時代か ら鎌倉時代初め頃までの遺物を出土す る。

A.朱

雀 大 路

今回の調査で確認 した朱雀大路の路面敷幅は

,67,3mを

はか り

,東

側発掘区でその東半分34

.6mを ,ま

た西側発掘区で西半分

25.3mを

検出 した。 この成果か らす ると朱雀大路 の 推 定 心 は

,東

側発掘区西端か ら約40clll東へ寄った ところにあたる。検出した朱雀大路面は

,土

盛 した

現地表面か ら

,東

側発掘区で約90CIIl,西側発掘区で約

1.5mの

深 さに存在 し

,標

高では

,東

側 で

56.8m,西

側で56.141をはかる。路面は全体を通 じて黄色または青灰色の砂質土か らなって お り

,現

状ではその表面に礫敷 き

,瓦

敷 きなどの造作は認め られなかった。大路の東西両側に は後述す る濤が設け られてお り

,大

路面はその側濤に近づ くにつれて

,次

第に傾斜 して下 り,

40〜50clllの差がついて路肩をな している。 この路肩には何 らの保護施設 も認め られ な か つ

た。路面上の造作あるいは路肩の施設の有無については

,調

査によって検出 した面が

,奈

良時

代の路面そのものであるか否かについては

,に

わかに結論を下す ことはできない。 しか し

,検

出 した路面両端がゆるやかに傾斜 している状況か らみて

,後

世に削平を うけているとしてもご くゎずかで

,奈

良時代路面 とさほ ど差のない状態を とどめていた と考 えて誤 りでは な い だ ろ う。そ うす ると

,路

面上には何 らの造作 も施されなかったもの と考え られ よう。

朱雀大路面は自然堆積土 とみ られる厚 さ約20clllの砂質上で形成 されていた。大路面上には極 めて少量奈良時代の瓦片が認め られた程度で

,そ

の他の遺物は全 く認め られなかった。西側発 掘区の大路面上には

,大

路西側濤か らほば東に流れ

,そ

ののち南へ折れまがる素掘 りの濤一条 を検出 した。 この濤は

,最

大幅

1.5m,深

0.3mを

はか り

,機

能については

,位

置的にみて後 述す る西側濤上層に設け られた堰 と関連す るものと考え られ よう。

B.朱

雀 大 路 東 側 濤

朱雀大路東縁に沿 って南北に走 る濤を検出 した。 この南北濤は朱雀大路の東側濤であ り

,今

回の調査では前北約

10mに

わたって検出 した。側濤の規模については濤岸に出入 りがあ り

,ま

た底にも大小の溜 りがみ られ一様ではないが

,本

来の濤幅は

4.5m,深

1.lm前

後であること

(5)

が復原 で きる。側濤 の西岸す なわち大路側 の岸 は,と くに出入 りが激 しく,最大

1.5m前

後 え ぐ

り取 られ

,そ

れ だけ濤幅が拡が る。東岸 は西岸 に比べ て直線的で大 きな浸蝕 は 多けていないよ うであ る。東岸 には

,西

岸 の肩 部 の高 さ とみあ う位置 に幅約

2mの

平坦面― 中段 がみ られ る。

ここには柱穴 らしき遺構 もみ られ るが

この中段が どの よ うな性格 の ものであ るか判 らない。

側濤東岸 と西岸 では約20clllの標 高差 が あ るが

これは大路路肩が傾斜 してい る ことに よる。側 濤 両岸 ともに杭や石積 みな どの護岸施設 はみ られ ない。側濤底には3ケ所 の溜 りが み とめ られ た。南 で検 出 した溜 りは

,長

7mを

超 え る精 円形 の大 きな もので深 さは45cIIlある。濤底 の標 高 は発 掘区北端 で

55.6m,南

端 で

55.5mで

ぁ り

,約 9mの

間でわず か10cmの 差 しか な く

,傾

斜 は きわめて緩い。

濤 内の堆積上 の状況 を断面 で観察す る と下部 は砂 と粘上が互層 にな ってお り

,水

が よ く流れ ていた ことがわか る。濤底 には暗灰 色粘 土層 が約10clllの厚 さで堆積 し

,そ

の上 に厚 さ30clll前後 の青灰色の砂層がある。 この砂層 中には厚 さ

1〜

2 cmの粘土層が幾層 もみ られ

この時期 に最 も水 が よ く流れていた ことがわか る。砂層 の上面は凹凸があ リー様 ではな く

,そ

の上に厚 さ20

伽 の暗灰色粘土層が堆積 してい る。 この粘土層 の上 には厚 さ30clll前後 の砂 質上 が あ り

,大

路側 濤 を埋 めてい る。砂質土 は色調 の差 で上下

2層

に区別 で きる。東岸 では濤肩 に接 して粘土層が は りつ いているのが注意 され る。 この粘 土層 は東岸 にみ とめ られた中段 と関連 し

,後

に段 をな

くす 目的で粘土をは りつ けた もの とみ られ る。

濤 中か ら出上 した遺物 につ いては

,瓦

片が圧倅↓的 に多 く土器 類 の出土 は少 なか った。遺物は 上部暗灰色粘土層か ら最 も多 く出上 した。 これに次 いで

,こ

の粘土層 の上下に接す る土層 中か らも少 なか らず遺物が出上 した。瓦 片 につ いてみれば

,側

蒔東寄 りに多 くみ られ西岸 に近づ く につれ て少な くな っていた。 この ことは

,濤

の東側に瓦を葺いた遺構が存在 していた ことを暗 示 してい る とみ られ る。 また砂質土 中か らは獣骨が出上 してい る。

1盛   

側濤堆積土

11責

色 粘 土

耕 作 土 黄色砂質土 地

 

 

土 Fig.2

2 7 12

3茶

褐 色 ±

  4灰

褐 色 土

8土   

 9砂   

層 13 下層濤堆積±

 14 

下 ッ道側濤 大 路 。東 側 濤 土 層 図

青灰色粘土 10 青灰色砂質土

15柱

穴 (?)

(6)

C.朱

雀 大 路 西 狽1濤

朱雀大路 西側 に沿 って南北 に走 る濤 を検 出 した。 この南北濤 は

,朱

雀大路 の西側濤 であ り, 今回 の調査 では

,南

北約

22mに

わ た って検 出 した。偵」濤 の規模 につ いては

,検

出最大幅を とれ

7.5m前

,深

lm余

であ り

,東

側蒔 とほ ぼ似 た規模 を もつ濤 であ る ことがわ か る。

 

しか

,濤

幅 につ い ては

,濤

岸 が

3回

以上 の流水 に よる変形 あ るいはそれ に対す る修復がみ られ, 本 来 の濤 岸 を 明確 に指摘す るこ とはで きない。

西側濤 の変 遷 につ いては

,発

掘区北端 の断 面 にみ え る上 層 の観察 か ら

,次

の よ うに考 え られ る。断面 の上層 では

2つ

の安定 した濤底 と両者 に先行す る濤 の西岸がみ とめ られ

,最

3回

変形修復 とい う変遷 がた どれ る。最 も古 い時 期 の濤 底 は中位 の濤 に よって き られて確認で きな いが

,西

岸 はみ とめ られ る。 この下位濤 は糧 砂層 を西岸 とす る もので これ に伴 うとみ られ る杭 も数列検 出 してい る。粗砂 が濤岸 をな してい る ことか ら

,本

来 の下位 濤 幅 は土層 でみ られ るも の よ りも狭 く

,後

に流水 に よって西方へ大 き く浸蝕 され た ものであろ う。杭列については

,西

岸 の浸蝕 につ れ て

,護

岸 の 目的 で打 ち込 まれ た もので あろ う。

中位 濤 は 明確 な底 を とどめてい るが

,そ

の上部 は上位濤 で削 り取 られ

,両

岸 を明確 にで きな

Eコ 上位 濤(灰*占上が主体)

医コ 中仕,壽 (秒質上が主体)

匿ョ 中位 濤 岸裏込 め主

Fig.3大

路 西 側 濤 北 壁 土 層 図

        f

言 正 三 正 三 三 三 デ 垂 ≡ 手 手 ≦ ≦ ≡ ≧ 一 一

=正

三 三 三

F= 〒 = 翌

=一

1

6

  

±

 2耕

作 土 黄色砂質土・地山

Fig 4 

灰褐色粘質土

黒色砂質上 路 ・西 伊1濤 土

4灰

色 粘 土

側濤堆積土 層 図

下 ッ道側濤

(7)

い。濤底 には遺物を多 く含む砂層が30cm前 後 の厚 さに堆積 し

,そ

の上 に黒灰色砂質土層が厚 さ 20cm前 後で

,覆

ってい る。黒灰色砂質上 の上 面 は上位濤 の底 にあた る。 中位濤 に ともな う岸 に つ いては西岸 にそ の痕跡がみ られ る。大 き くえ ぐられた下位濤 の西岸 に砂 あるいは砂質土 な ど をは りつけて修復 し

,中

位濤 の西岸 と してい る。 しか しこの岸 も上位 濤 の浸蝕 に よって変形 し てお り

,中

位 濤 の幅を知 ることはで きない。

上位濤 は幅

3.5mの

平坦 な底 を もち深 さ約60callを はか る。

 

濤 底 には黒褐 色粗砂層が10Clllの厚 さで堆積 し

,そ

の上 には灰黒色粘土層が50cllと厚 く堆積 してい る。西岸付近 には岸 か ら流 れ 込 んだ とみ られ る砂 が堆積 している。上位濤 の両岸 はいずれ も粗砂層 で形成 され てお り

,流

水 に よる変形 を うけて濤幅が拡が っていた ことがわ か る。以上 のべた よ うに濤岸 の変遷が激 しく, 本来 の濤 幅 を 明確 にで きない。一応,下位 濤 が示す濤 の最大幅

7.60m,上

位濤が示す最 小幅6.40

mと

い う

2通

りの数値 を呈示 してお きたい。

西 側濤 中央やや南寄 りの位置 に

,濤

を横切 る幅約

5mの

堰遺構 を認めた。堰 は約

8列

の杭アJ

とそれ にか らめた粗枝 の横木で構成 してい る。堰 は濤 の主軸 と直交せずやや東 で南に振 る主 軸 を持 ってい る。おそ らくせ き止めた流水 を東南方 へ流す機能 を もっていた ものであ り

,大

路上 で検 出 した斜行濤 と関連す るのであろ う。 この堰 は上位濤 を埋め る灰黒色粘土層を基盤 として 構築 されてい る こ とか らみて

,濤

の最終段階 に作 られた ものであ る。

西側濤南端 では

,西

岸 の下方 に径30cm程 度 の玉石 を数個検 出 した。 この地点 は六条条 間路 に 接す る位置 と推定 され る ことか ら

,お

そ らく朱 雀大路 と条間路 との交叉点におけ る施設

,例

え ば

,橋

な どと関係す るものか も知れない。

 

発 掘 区南端 におけ る濤 底 の標高 は

54.50mで

あ り,

北端 の濤底 の標高

54.48mと

大 きな差 はみ とめ られ ない。

D.左

京 六 条 一 坊

大 路側濤 東側 に設 けた発掘区 は

,左

京六条一 方二坪 に該 当す る。側濤東側 の奈 良時代遺 構 面 は,朱雀大路路 面 と同 じ黄褐色砂質 上 で あ る。この遺構 面を覆 う黄褐 色粘上層 中には,瓦

,土

器 な どの遺物 を認め る。側濤東岸か ら東

4m以

内には

,ほ

とん ど遺構はみ られず平坦である。 こ の付近 に南北 に走 る築地 の存在が想定 され るが

,今

回 の調査 ではそ の痕跡 さえ もみ とめ得 なか った。その東 には径

lm以

内の浅 い土壊 が点 在 し

,中

に鉄滓や焼土・ 汰化物がつ まっていた。

現水 路 をは さんで さ らに東 の発掘 区 で も

,そ

の西半 は同 じ様相 を示 してい る。 この付近 か ら,

るつ ば片や粘土製 らしい鋳型 の断片が出土 し

こ こに鍛冶の工房 があ った ことが知 られ る。 こ の東 には再 び顕著 な遺構がみ られない平坦面がつづ く

ここには径20〜30clllの穴や幅40〜50cll の小濤 がみ られ るが性格 は不 明である。 おそ らく時期的には平安時代以降 に属す る遺 構 であろ う。 この部 分 の下層 には

,幅

3.8mの

濤 がみ られ る。濤 は

ほぼ北か ら南へ流れてお り

,深

±

  3 

茶 凋 色 ±

  4 

下層滞・堆積土

Fig.5 

左京六 条一 坊西半土層図

2耕

r乍

黄禍色砂質土

(8)

1盛   

2耕

作 土

灰褐 色砂質土

4地

山 土

Fig.6 

左京六条一坊東半土層図

さは

lm以

上 あ る。濤 内か らは遺 物 を検 出で きなか ったため時期 は不 甥であ る。

また今回 の調査 では

,左

京六 条一坊二坪 と七坪 との坪境 を確認す るため

,そ

の推定位置 を5

m× 10mに

わ た って発掘調査 した。 しか し

,顕

著 な遺 構 はみ とめ られず

,坪

境 も確 認 で きなか った。 しか しここか らも軒丸・ 軒平瓦が出土 し

,近

くに建物 の在存 が想定 で きよ う。

E.右

京 六 条 一 坊

大路側濤西側に設けた発掘区は右京六条一方二坪 に該当す る。確 認 で きた奈良時代 の遺構面 は

,青

灰色砂質上 であ る。遺構面は東端が低 く西方へ しだいに高 くな り

,西

端では約30clllほ ど 高 くな ってい る。 この遺 構面を覆 う褐色土 中には瓦・ 土器 な どの遺 物 を認め る。大路側濤西岸 は現畦畔 に相 当 し

,そ

の西側 に存在す る とみ られ る築地 も同 じく現 水路 と畦畔下を走 るもの と 考 え られ る。 このため発 掘区を可能 なか ぎ り東 まで設定 して調査 を 始 こな ったが

,築

地 はその 痕跡す ら検 出で きなか った。

 

おそ らく推定 の よ うに

,幅 5.5mを

は か る現水路 と畦畔下に築地 が存在す るのであろ う。検 出 した奈良時代 の遺構 は

,発

掘区西北隅 付近 の掘立柱穴

1で

ある。

この柱穴掘形 は東西約

1.lm, 

深 さ40clllを はか り

,南

北辺 は未確認 だがおそ らく隅丸方形 の平 面 を もつ もので ある 多。掘立柱 は掘形 の東壁 に接 して配 され

,径

15clll,長さ40cmが 残存 して いた。 この柱穴 に組 み あ う柱穴 は今回検 出で きず

,ど

の よ うな性格 の遺構 であるのか不 甥であ る。

奈良時代遺構面 の下 に濤状 の遺構が存在す る。 この蒔は北西 か ら南東 に向い

,幅

3〜 4m

の規模 を もち

,深

さにつ いては約

1.5mと

推定 で きる。

 

濤 を埋 め る土層 は砂層 と暗灰色粘土層 の入 りくんだ土層 であ り

,全

体 に多量 の遺物を包含 していた。濤 の推積土 は大 きく

3層

に区別 で きた。下層 は砂 ない しは砂質土層 であ り木質遺物が多 く残存 してい る。中層は

,黒

灰 色粘土

 

 

±

  3 

茶 褐 色 ±

  4 

下層濤・雅積±

 5 

青灰色砂質土 下層濤堆積±

 8 

 

 

Fig 7右

京 六 条 一 坊 土 層 図

4m

土 穴 盛 柱

(9)

層 と砂 層 との互層 であ り

,木

質遺物 は少 な く土師器 を多 量 に包含 していた。上層 は灰色粘土層 で土 師器 を多 く包含 し

,須

恵器 も若干含 んでい る。発掘範 囲が極 めて小部分であるため

,こ

濤 状遺 構 の性格 は決 しが たい。 しか し砂層 の堆積状況 か らみて

,土

躾 とは違 い水 の流 れ る濤 な い しは川 に近 い性格 の ものであろ う。遺物が豊富 な こ とか ら

,上

流 の近 くに集落 な ど古墳時代 の遺跡 の存在 が考 え られ よ う。

F.下

ッ道 側 濤

朱雀大路路面をなす黄色ない しは青灰色砂質土層 の下か ら南北に走 る

2条

の濤を検出 した。

2条

の濤は

,朱

雀大路推定中心線をはさんではば東西対称の位置に存在 している。

東側発掘区では

,発

掘区西端か ら約

7m東

へ寄った ところか ら

,12.8mの

間で南北に土質 の 変化す る箇所が認め られた。その部分の上を取 り除いた ところ

幅約

4.5m,深

さ約40clllの南 北濤を検出 した。 この濤の埋土中には

,少

量の上師器 の細片を包含す るが

,年

代を決定できる ものではない。また西側発掘区では

,そ

の東端か ら約

3m西

へ寄った箇所に

,幅

4m,深

20〜70clllの南北濤を検出 した。濤内には粘土 と砂が堆積 し

この中に遺物が含まれている。遺

物は土器片であ り

, 7世

紀後半を下限 とす る土師器

,須

恵器が出上 している。 この平行す る2 つの濤は

,朱

雀大路推定中心線をはさんで対称の位置にあ り

,そ

の濤心 々距離は約

23mを

はか

る。現段階では

この東西両濤にはさまれた間を

,朱

雀大路設定以前 の下 ッ道路面 と考え

,両

蒔はその側濤 ≧考え られる。

なお

,下

ン道東側濤の下には

,さ

らに大 きな濤が存在す る。 この濤 の西岸は

,下

ツ道側濤の それ とはば一致 し

,そ

こか ら約

13mの

幅を もつ。深 さは

1.5m以

上あ り,大規模な堀割 り状の遺 構である。濤の中には自然木が多量に埋没 していた。 この下層には厚 く砂が堆積 していたが, 今回の調査では

,発

掘面積が狭少なため

,底

を確認で きなか った。また時期を決定 しうる遺物

屯出土せず

,遺

構の性格 と年代については粥 らかでない。 (工楽善通・ 松沢亜生)

G.小  

今 回 の朱 雀大路確認調査 は

,大

路面 とそ の東西両側濤 を検 出す ることに よって

,一

応 当初 の 目的 を達成す ることがで きた。朱雀大路 の路面敷 は

,両

側濤 に接す る部分一一路肩 にかな りの 出入 りが あ って

,い

ちが いに数値 を示 しえないが

,為

お よそ

67mと

ぃ ぅことがで きる。路 面は 全 体 を通 じて 自然堆積 である砂質土か らなっている。検 出 した面が

,奈

良時代 の路面その もの ではないが

,前

述 した よ うに さほ ど大 き く削平 され ては いない。そ うす ると奈良時代路面の状 況 は

,調

査 に よって検 出 した状況 と大差 な く

,路

面 に は石敷 きな どの造作がほ どこされていな か った こ とが判 る。路面は東西両側濤に近ず くにつれ てゆ るやかに傾斜 して下が り

,路

肩 では 路面 中央部 よ り50clllの差 が あ る。 この ことか ら大路 の横 断面は

,中

央 の高 いカマボ コ型 を呈 し ていた もの といえ よ う。おそ らく大路面の排水 を考 えての配慮 であろ う。

朱 雀大 路 の東西両側濤 は

,い

ず れ も素掘 りのほぼ同 じ規模 の もので

,幅 6〜 7m,深

1〜

1.5mを

はか る。

 

濤岸 の補修 につ いては

,西

側濤 でそ の痕跡をみ とめた。流水 に よって岸が大 き く変形 されたため

,上

を入れ てそれを補修 した り

,あ

るいは濤 を深 く掘 った りして計

3回

に わ た る濤 の変遷があ とず け られた。東側濤 で も小規模 なが ら岸 に粘土 をは りつけているのが一

(10)

部 にみ られ た。岸 の補修 は街 区 に接す る側 にのみ認め られ

,大

路側 にはみ られ ない。 これは,

側濤岸 に接 して築地 が存在 してお り

,岸

が大 き くえ ぐられ る と築地 自体 まで崩壊す る危 険性が あ るため再三 にわ た って補修 をお こな ったのであろ う。東側濤 では砂 と粘上 の互層 の堆積があ り

,か

な りの流水 があ った ことがわか る。西側濤 で も中位濤 には同様 の状況 を示 しているが,

上位 の濤 では砂質上 と粘上 が堆積 し

,大

きな流 れが なか った よ うである。 とくに堰 を設けた段 階 では

,そ

の上流 に灰黒色粘上が堆積 し

,そ

こに ニナの よ うな巻貝や二枚 貝が棲息 していた ら しい。東側濤東岸 に柱穴状 の上壊 があ った り

,西

側濤南端付近 に大 きな玉石 が散乱 していた り して

,濤

を また ぐ何 らかの施 設が考 え られ るが

,今

回の調査 では面積的 に狭少 なため

,こ

れ ら の性格 については さだかでない。

大路東西両側濤 の東側 お よび西側には

,濤

に平行 して南北 に走 る築地 が存在 した と考 え られ るが

,今

回 の発掘調査 では検 出す ることがで きなか った。東側 での築地想定位置 には

,焼

土や 鉄津 な どが入 った土壊群が あ るだけで築地 の痕跡す らも認め得 なか った。 また西側 の築地 は,

西側濤 の西に接 してあ る現在 の農道 下に埋没 してい るとみ られ

ここで も築地 を認め る ことは で きなか った。 しか し築地 の存在 につ いては

,東

西両側濤 の堆積土層 中に多 くの瓦 が含 まれ て お り

,遺

構 の上 か らは存在 をみ とめ ることがで きない築地が

,濤

外 方 に平 行 して走 っていた こ

とを想定で きよ う。

左京六条一方二坪 では

,そ

の西寄 りの部分 に

,鉄

滓・ 焼土 な どを含む土壊 を検 出 した。 この 位 置 に鍛 冶 の工房跡 の存在 が想定 で きるが

,調

査 では建物 な どそれ に関連 す る明確 な遺構 を検 出で きなか ったため

これ以上積極的 な考 えを示す ことは不可能 である。 ただ土壊が築地想定 上 に まで分布す る ことか ら

,土

竣 が奈良時代末以降 の ものであ る可能性 が大 きい。今回最 も東 に設けた発掘区は

,二

坪 と七坪 との坪境を確認す る 目的であ ったが

,小

路 や側濤 な どの遺構 を 検 出す ることはで きなか った。

右京六条二坪 では

,西

側濤 の中心線 か ら西へ

20mま

では遺構面が低 く

,そ

れ よ り以西 は約30

clll高くな ってい る。発掘区西北隅付近 で柱根 を とどめ る柱穴 を検 出 した。柱穴が

1箇

所 しか認

めえなか ったため

,遺

構 の性格 と規模 は不 明であ る。 しか しこの二坪 では

この付近か ら地盤 も高 くな り

これ以西 に坪 内の主要な建物が拡が っていた もの と考 え られ る。更 に広 く調査を 消 こなえば

,こ

れ らの問題 は よ り男確 になろ う。

朱雀大路路 面下 には

,下

ッ道 の東西両側濤 と想定 した

2条

の南北濤が あ る。 この両濤 は

,心

々距離が約

23mぁ

って

,そ

の間の中心線が朱雀大路 の中心線 と一致す る ことを知 り得た。両側 濤 に狭 まれた下 ッ道 々幅 は

,か

って平城官朱雀門北側 で確認 したそ の道 幅 とほぼ一致す る。 こ の ことか ら朱雀大路造成 にあた って

,下

ッ道 を基本的に踏襲 し東西 に路幅 を拡げ るとい う計画 で朱雀大路が設定 され てい る ことが裏づ け られ よ う。 この両狽1濤出上 の遺物 は

5世

紀前半頃 の 須恵器片か ら

7世

紀末 頃 の上 師器 片で あ り

,全

体 に出土量が少 ない こともあ って

,濤

の上限を 明確 にす ることはで きなか った。 ただ下限 につ いては

,先

に述べた朱雀門北側で確認 した下 ツ 道側濤 (s D1900)の年代 にはば一致す るのであろ う。

西側発掘区西端 で西北 か ら東南へ流れ る古墳時代 の濤 を検 出 した。 この濤 か らは多量 の上師 器 をは じめ木製 品 も出土 した。発掘範 囲が狭少 なため

,集

落 な どとの関 連 は一切不 明だが

,遺

物 の埋没状況 か らみ て さほ ど遠 くない場所 に同時代 の集落が想定 で きる。平城京域 内 とい うこ

0

(11)

とで

,そ

れよ り古い時期の遺跡については充分に注意されていないのが現状である。平城官域 内の調査では

,弥

生時代か ら古墳時代にかけての集落跡が多 くみつか っている。今後 これ らに つ いて も充分注意 していか なければ な らない。 (工楽善通・ 黒崎

 

)

4.遺 物

遺物 は大路両側濤・ 上壊 や奈 良時代 以前 の濤 な どか ら出土 し

,瓦

。土器・ 木製 品 。金属製品 な ど各種 にわ た る。 とくに大路両側濤 と西側発掘区 の古墳時代濤 か らは良好 な遺物 を得 た。一 部 には未整理 の部分 もあ るが

,大

半 は整理 を終 了 している。以下 これ らにつ いて報告す る。

A.瓦  

瓦類 は主 と して朱 雀大路 両 側濤 か ら集 中 して出上 した。軒瓦 お よび丸 。平 瓦 とも量的 には少 ない。軒瓦は

,軒

丸瓦

5型

7個

,軒

平瓦

2型

9個

体 で あ る。 なお

,軒

瓦 の型式番号 は奈 良目立文化財研究所 で設定 した番号 を使用す る。

軒 丸瓦

   1は 6225‑A型

式 で

,内

区 に複弁

8弁

蓮華文 を配 し

外 区外 縁 に凸鋸歯文 をめ ぐらす。

1+6の

蓮子 を もつ 中房 は大 き く作 られ る。外 区 内縁 には圏線 を め ぐらす が

,内

外 区 を画す る界線 とともに

, 2重

圏線 にみ え る。本型式 は

,平

城 官式 と呼 ばれ る もののひ とつ で,

2

平城 宮跡

,と

くに第

2次

朝堂院地 域 で使 用 された ものであ る。

2は 6304B型

式 で

,内

区 に界線 で囲んだ夜弁

8弁

蓮幸文 を配 し, PI‐区 内縁 に珠文

,外

縁 に 線裾歯文 をめ ぐ らす。

1+6の

蓮子 を もつ 中房 が突 出す る ことは本型 式 の大 きな特徴 であ る。

穎例 は

,平

城 宮跡

,薬

師寺 で出 土 してい る。

3・ 4・

5は

6316型 式 で

,い

ず れ も内区 の主文 と して間弁 のない隣接 した複 弁

8弁

蓮華文 を 配す る。 この型式 は

,蓮

子・ 珠 文 の数

,中

房 の高 ま りな どに よって

, 8種

(A〜F・ H・

I)に

細 分 で きる。

 

今回 の調査 では

, 6316‑Dbと

さ らに

2種

の新型式 (G・

J)が

出上 した。 6316‑

Db(3)は , 1+4の

蓮 子 を もつ

6316‑Daに

蓮子 を彫 り加 え

1+8の

蓮 子 と した ものである。

本 例が

Dbで

あ る ことは

蓮 弁 と界線 の間にある範 のキズに よって確 認で きる。

 

新型式6316‑

G(4)は

二十

7の

蓮子 を もち

,中

房 は凸で あ る。 九 瓦 の取付 け は低 く

,接

合部 内外 面 ともに粘 上 を厚 くあて る。 接合線 は台形 を示す。

 

また新型式6316‑」

(5)は 1+7の

蓮 子 を もち

中房 は凸である。瓦 当面は全体 に細 かな気孔が入 って荒れている。丸瓦 との接 合部 には

,前

者 と同 様 に粘土 を厚 くあて

,接

合線 は台形 を示す。丸瓦部外面は縦方 向のヘ ラケズ リで丹念に調整す

る。 これ ら6316型 式 の類例 は

,平

城宮跡

,平

城京羅城 門周辺

,西

隆寺 で 出上 してい る。

その他

,外

区文様 のみ の小 片であ るが

,新

型式 が出土 してい る。外 区 内縁 には比 較 的 大 き く

,突

出 した珠文 を配 してい る。外縁 は斜 縁 で

,め

ぐらされた細かい線 鋸歯文 は外区内外縁 を 画す る圏線 には接 していない。外縁 の外側0.8Cmの ところに範端 を示す痕 跡 がみ られ る。

また

,外

区 のみ の小片 で あ るが

,巴

文 が 出上 してい る。 内縁 には珠文 を配す るが

,通

常 み ら れ るよ うな等間隔 には配置 しない。外縁は直立縁 であ る。 中世 の所産 であ る。

軒平瓦

   7は 6710Aも

型 式 で

山形 の中心飾 の左右 に

3回

反転 の均整唐 草文 を配 し,

Zヱ

(12)

外区に珠文を疎にめ ぐらす。文様の線 も太 く

,丁

寧な彫刻ではない。顎は曲線顎である。平瓦 の凹面は

,瓦

当・ 側縁周辺を調整 しているが

,布

目が全面に残 る。凸面は維方向にヘ ラミガキ し

,い

ぶ し焼のよ うな光沢をもつ。 瓦当面か ら7.5clllの位置に丹土が付着 してお り

軒先か ら の瓦の出が明 らかである。類例は

,平

城宮

,羅

城門

,西

隆寺跡な どで出上 している。

6は ,6685C型

式で

花頭形 の中心飾 の左右に

3回

反転の均正唐草文を配 し

外区に珠文 をめ ぐらせた小型軒平瓦である。顎は欠失 している。類例は

,平

城官跡で出土 している。

(森

 

郁夫・ 岡本東三)

軒瓦の型式番号標示については,『平城官発掘調査報告 Ⅱ』(1962年 5月 )116・117頁を参照され

たい。なお,こ の型式番号は年代の先後を示すものではないことを付記する。

2「

B召43年度平城官発掘調査概報」 (F奈 良国立文化財研究所年報1969』 )

B.土

器 類

今回の調査で多 くの上器類が出土 した。 この うち

,朱

雀大路 と関連す る奈良 。平安時代初頃 の上器類には

,土

師器 と須恵器が大多数を占め

,他

に緑釉陶器が

1点 ,模

型 カマ ド形土器

1点

がある。 また この他に古墳時代の上器 も多 く出土 している。 とくに西側発掘区で検出 した濤か

らは

,古

墳時代の土師器が多 く出上 してお り器種 も多様である。

奈良 。平安時代の上器

   

土器の多 くは遺構上面の遺物包含層か ら出上 した ものであ り, 朱雀大路東西両側濤や路面な ど遺構 と直接関連 して出上 した ものは少 ない。土器類はその大半 が小さな破片 となってお り

,原

形を うかがい知 ることのできるものは極めて少数である。

土師器

   

朱雀大路側濤出土の上師器には

,杯 A,杯 B,皿 A,高

,盤 ,壷 ,甕

がある。

この うち杯

B,壷 ,甕

は小片す ぎて

,も

との形を充分に復原できず

,記

述か らはぶ く。

a.杯 A  

全体 のわか るものは

1個

体のみである。

 2は

上 り底 の小 さい底部 と直に開 く口縁 部か らなるもの。内面および 口縁部外面の上半 まで横撫で し

,他

は不調整 のいわゆ る

C手

法に よって調整 し

口縁端部外面に

1条

の沈線が走 る。他に

,外

面を箆 で削 り

,内

面に

2重

の螺旋 暗文 と放射暗文を施 した底部の破片 と

,内

面に放射暗文を施 した 口縁部破片がある。

b.皿 A  3は

わずかに屈曲す る短い 口縁部 と平底か らなるもので

日縁端部は丸 く内側に 突出す る。 日縁部内外を横撫で し

,底

部外面は調整 しない。

C.高

  

脚部 の破片 と杯 口縁部破片が各

1個

体づつある。 脚部は棒心を用いて成形 し

,外

面を箆で

8角

形に面取 りしている。 口縁部は浅い杯部のもので

,端

部内側が上方へ突出す る。

内面に螺旋暗文を施 し

,外

面を丁寧に箆磨 きする。

d.盤   

平 らな底部 と外反 して開 く口縁部か らな り

その外面

2ケ

所に

,粘

土板で作 った三 角形の把手がつ く。 日縁部内面の端部寄 りに放射暗文を施 し

,そ

の下に螺旋ない しは連弧暗文 を施す。外面には全体に箆磨 きをおこなっている。

須恵器

   

朱雀大路側濤出上の須恵器には

,杯

A・B・ 蓋・ 壷A・ 壷E・ 瓶 。平瓶・ 甕 がある。 この うち杯 A・ 蓋 。平瓶・ 奏は小片であ り

,も

との形を充分に復原できず

,記

述か ら はぶ くこととす る。

a.杯 B  

もとの形 を復原できるものは

2個

体である。

 5は

外端部の突出した低い高台のつ くもので

口縁部はわずかなが ら外反す る。 日縁部外面下半に箆削 りを施 している。

b.蓋 A  4は 口径

20.5clll, 

高さ

2.3clllで

平坦な頂部とわずかに屈曲する口縁部からなり

,

=2

(13)

Fig.8  飴

軒瓦拓本・実測図

一一聯 窮 …

1.複

8弁

蓮 華 文 (6225A) 瓦当一復原径16,7cm。 厚 2.8cm,内 区―中房径6.8clll・ 蓮子1+8・ 弁区 幅2.7clll, 外区二内縁幅0,7clll・ 外 縁幅1,3cn・ 凸鋸歯文24,灰色

,胎

土砂含む。

2.複

8弁

蓮 華 文 (6304B) 瓦当―復原径16.7clll・2.3clll,内 区―中房径3.7cal・連子 1+6・ 弁区 幅3.2clll,外区― 内縁幅1.4cal・

20。外縁幅1.6clll・ 線鋸歯文

,黒

灰色

,胎

土緻密。

3.複

8弁

蓮 華 文 (6316Db) 瓦当―復原径16.OcnI・4.7clll,内

区―中房径5,lclll・ 蓮子

1+8,弁

区 幅3.2cul, 外区―内縁幅1.Oclll・ 珠 文17・ 外縁幅 1.2Cul.素 文, 灰黒 色

,胎

土砂含む。

4.複

8弁

蓮 華 文 (6316G) 瓦当―径15.5clll・ 厚4.9cul,内区―

中房径4.Oclll・ 蓮子1+7・ 弁区幅3.3

clll, 外区―内縁幅1.2clll・ 珠文・外 縁幅1.7clll・ 線鋸歯文, 灰色

,胎

土 砂・小石含む。

5.複

8弁

蓮 華 文 (6316J) 瓦当―径15.2clH・ 厚3.8cal,内区―

中房径3.4clll・ 蓮子1+7・ 弁区幅3.4

clll,外区―内縁幅1.1911・珠文16・

外縁幅1.6clll・ 線鋸歯文, 灰色・胎

土緻密。

6.均

整 唐 草 文 (6685)

瓦当厚4.7cln, 顎不明

,珠

文―上外 区・下外区不明・脇区

2,灰

白色

,胎

土砂多量に含む。

7.均

整 唐 草 文 (6710Ab) 瓦当厚5,7cal,曲線顎, 珠文―上外 区13・下外区13・脇区

2,凹

面―布 痕 ア ツ

,凸

面―縦方向ヘ ラケズ・丹 付着

,黒

灰色・胎土緻密。

3

(14)

偏平 な宝珠つ まみがつ く。 内面 は ロク ロ上 で撫 で

,頂

部外 面 は箆 削 りののち撫 でで調整す る。

c.壷 A  

いわゆ る薬董である。

 8は

直線 的に張 り出 した肩部 と直立す る短 い 口縁部 か らな り

,肩

部外面 には 自然釉 が付着 してい る。胴部 お よび底部 は残存 しない。

d.壷 E  7は

ロク ロの上 で器体 を挽 き出 し

糸切 りに よって切離 して成形 した もので

,体

部外面 には ロク ロロが

,底

部外面 には糸切 りの痕跡が 男瞭 にみ とめ られ る。

e.瓶   9は

瓶 の 口縁部 の破片であ る。 直角に近 く外反 した 日縁部 の端部を内側に折 り曲げ た もので

,頸

部 内外 面に しば り目の痕跡 がかす かなが らもみ られ る。 国縁部径8,9Cmを はか る。

緑釉陶器

   

朱雀大路西側濤上層 か ら出上 した緑釉 陶器 が あ る。1の皿 がそれで

口径14.5 Clll,高さ

2側

に復 原で きる。器体 の全面に濃緑色の釉 を施 している。底部 は糸切 り高 台 で あ

,パ

面 に「 十」形 の箆 亥J線がみ られ る。胎土は微砂粒 を含み

,黄

灰色でやや硬質 であ る。

模型土器

   

竃 の ミニチ ュアが

1点

出土 してい る。

 

筒形 の体部 の

1箇

所 を方形 に切 り取 っ て焚 口に作 り

,焚

口の周囲に低 いひ さ しを取 りつけて竃 に似せ た ものであ る。

土 馬 大路東側濤東方 の遺物包合層 か ら土馬

1体

が出土 した。胴部・ 尾部・ 左後脚部 をとどめるが

,原

形を充分に知 ることはできない。胴部 と尾部は一連に作 り

,脚

部を接合 した

ものである。奈良時代前半期に属す るものと考え られ る。 (吉田恵二)

下 ッ道側濤の上器

   

東西両側濤か ら土器が出土 したが

,東

j濤のものは磨滅 した土師質 の細片が少量 あるのみで

,こ

こでは西側濤出上のものについて述べる。土器には土師器 と須恵 器があ り

,い

ずれ も濤堆積土上部の褐色砂層か ら出上 している。

上師器

   

甕 と高杯がある。いずれ も磨滅の著 しい破片である。

a.甕   

体部の小片が

1個

体あるのみで復原できない。 内外面に粗い刷毛 目を残 し

, 6m前

後の厚さを もつ。砂粒を多 く含む胎土で焼成は堅い。

b.高

  

破片であるが

5個

体分ある。18は杯底部 と脚部上端を とどめる。 調整は不明だが 茶褐色を呈 し

,細

砂を若千含む緻密な胎上で焼成は堅い。

須恵器 杯・ 蓋・ 有蓋高杯・ 甕・ 臨 な どが あ る。

a.杯   13は

口径10Cm前 後 と推定 で き

内傾 す るたち あが りに外上方 にのび る受部 がつ く。

体部下半 を ロク ロ削 りす る。淡 青灰色を呈 し堅緻 な焼成 で あ る。

b.蓋   

杯蓋 が

2個

体 あ る。■は 口径13c皿前後 の もので

口縁部 と天丼部 とをわけ る稜 は細 く丸味を もって突 出す る。天丼部 の

3分

2ほ

どは ロク ロ削 りす る。12もlraぼ同 じもので

と もに青灰色 を呈 し堅緻 な焼成 であ る。12は13と胎土・ 焼成 の特徴 が共通す る。

C.有

蓋高杯

  

破片を合 めて

8個

体 あ る。14は 口径9.6c阻

,高

9.3cIIで丸 みをおびた杯部 に 三 方透 しを配 した短い脚部がつ く。透 しは下方 に拡が る長方形 で配置 は不均斉であ る。15。 16

は脚部 の破片である。いずれ も青灰色で

,砂

粒 をほ とん ど含 まず

,焼

成 は堅 い。

d.甕   5個

体分 の破 片があ る。 いず れ も体部 の小片 で原形 は知 りえない。 内外 面 の叩 き 目 を消 し去 っているものが多い。

e.臨   17は

大型 の庭 とみ られ る ものであ る。 男確 な肩 を有 し

,そ

こに浅い櫛描波状文がみ られ る。 口縁部 と底部 は現存 しないが

,突

帯 をめ ぐらす 口縁 とやや尖 る底部 に復 原 で きる。

古墳時代薄 出土の上器

   

西側発掘区で検出 した古墳時代 の濤 か らは多 くの上器が出上 し た。 この濤 の堆積土は上・ 中・ 下 の

3層

に区別で きる。上層か らは土師器 と須恵器 が出土 した

Zイ

(15)

,中

・ 下層か らは土師器 のみが出土 し

,須

恵器 を含 まない。

下層出上の上器

   

土 師器 のみに限 られ る。器 窪には

,壷

・ 甕・ 高杯が ある。

a.董   33は

平底 ぎみ の九 底 を もつ大 型 の壷 で ある。 体部全面 に細 かい用1毛目が あ り

,上

ではその うえに縦 の箆磨 きが まば らにほ どこされ ている。赤褐色を呈す る。

b.甕   

体部 の小片が

8個

体 分 あ る。 厚 さ

3〜

4 11ullで

,外

面 に刷毛 目をほ どこ し

,内

面 を箆

削 りす るものが大部分であ る。灰裾 色を呈 し

,外

面に媒 の付着す るものが多 い。

C・ 高杯

  3個

体 あ る。胎土 に砂粒 を多量 に合み

,焼

成 は堅 く遺 存 は良い。 21は 口径21cnを はか り杯部外 面に稜 を もつ。 口縁部 内外 面 と稜の部分 を横撫で し

,そ

の他 を撫 でで仕上げ る。

内外面 に調整前 の刷毛 目を残 してい る。脚部 は外 面を縦 に箆 肖よりし

,内

面上端 に棒状 兵 の先端 の圧痕 がある。 男褐色を呈す る。22は 同様 の器形 で

口径が17Clllとひ とまわ り小 さい。内面に は矢車状 に刷毛 目を残す。茶褐色を呈す。

中層出上の上器

   

土師器 のみに限 られ る。器種には

,壷

・ 甕・ 器 台・ 把手付鉢・ 高杯があ る。すべ て胎上に砂粒 を含み

,焼

成 は堅 く

,遺

存 は概 して良好 で あ る。

a.壷   5個

体 あ る。 二重 口縁 を もつ もの と単純 に/1・反す る 日縁 の もの

,そ

れ に小型 の もの が ある。29は 二重 口縁 を もつ壷 で

日径12clll,高16clllをはか る完形 品で あ る。底 部 は上 げ底 で

,下

膨 らみ の体部を もつ。 日縁部外 面は鋭 い稜 をな して外反す る。 口縁部 内外 面 は横撫 です るが

,内

面 には さ らに縦 の箆磨 きを ほ どこす 。体認外 面 は上半 を斜 め に箆磨 き し

,下

半 は とく に調整 しない。底部 は箆削 りしてい る。32も二重 口縁 を もつ董であ るが29と異 な り

日縁部が

ほぼ垂直に立ちあが るものであ る。 口縁端部 は肥厚 してお り

口径19.6clllをはか る。 口縁 内外 面 とも横撫でで仕上げ る。茶褐色で焼成 は きわめて堅 い。他 に32と類似す る破 片が

1点

あ る。

31は 単純 に外反す る 口縁部 を もつ もので推定 口径18釦 であ る。 口縁部 は一旦立 ちあが って外反 す る。外 面 は刷毛 目ののち横撫 で して仕 上げ てい る。 内面が灰 色

,外

面は灰 白色 を呈す。30は いわゆ る小型丸底土器 と呼ばれ る董 である。 日径8 CIll,高8.9Clllをはか る。体部 は最大径が 中位 よ りやや上 にあ る馬球形 を呈す 。 日縁部 は下端が くびれ

,内

外 面 を横撫 で して仕上げ る。

体部 の内面 は箆 削 りしてい るが外 面 は不 男で あ る。

b.甕   8個

体 ある。 これ らは 口縁端部 内面が肥厚す る ものが大半 であ る。 35は 口径16.4cal をはか り

日縁部 はゆ るやかに屈折 して球形 の体部 につづ く。 口縁部 内外 面は横撫 で し

,体

部 上端に も横撫 でがお よが。以下 は刷毛 目がみ られ る。体部 内面は上端 に しば り目と指頭圧痕 を 残 し

,以

下を横 に箆 削 りしてい る。 明褐色 を呈す。36は35と同様 で 明褐色 を呈す 。37は 復原 口 径 14.5cmを はか るが

,上

記 の甕 と異 な り

口縁部 は直線的であ る。 内面は灰色

,外

面 は灰 白色 を呈す。その他は器壁厚が4111111前後 の体部 の小片であ る。外 面に刷毛 目が あ り

,内

面を箆 削 り

してい るものが多い。 また外 面には煤 が付着 している。

C.器

  34は

浅 い受部 と直線的 にひ らく脚部 とか らな り

,脚

部 に丸 い透 し子とが あ る。 脚部 外 面を横 に箆磨 き し

,内

面 は撫 でで仕上げ るが

,上

端 には しば り目が残 る。茶褐 色 を呈す る。

d.把

手付鉢

  28は

口径8.4clll,高10.2clllを はか り

,小

型 の鉢 に一対 の把 手 をつ けた もの。

把手 は断面円形 で外面か らはめ込 んで と りつけ る。 口縁部 内外面は横撫でで

,体

部 内外 面は撫 でで仕上げ ている。灰 白色を呈す。

e.高

  16個

体 あ る。杯部外面 に稜 を もつ もの(25)と稜 を もた ない もの (23・ 24・

26)が

F5

(16)

る。25は 21と ほぼ同形 。同大 の ものであ る。内面 に太 い箆磨 きが放射状 にほ どこされてい る。

灰褐 色を呈す。23は 口径16.8clll,高 さ13.6cmを はか る完形 品である。脚 部は内面で稜 をな して 裾部 に至 る。杯部 の内面 と企 面上半 は横撫 で し

下半 は撫 でてい る。

 

脚部 は内面 を横 に箆 削 りし

,外

面 は綻 の箆 肖jりののち撫でで仕上げ る。裾部 は 内外面 とも撫でで仕上げ

,横

撫 ではみ

られ な い。灰褐色を呈す。26は 同様 の器形 であ るが

,外

面 に用1毛目が ある。 また脚部 内面 は し ば り目の下半以下を箆 削 りす る。茶褐色を呈す。24も 23と 同様 の ものであるが外面に煤が付着

してい る。暗褐色を呈す。27は 脚部 に

3個

の丸 い透 し孔 を もつ。裾端部 内外面 のみ横撫でで仕 上 げ る。裾部 内面上半は横 に箆 削 りしてい る。 この他 に杯部や脚部 のみを とどめ る破片が あ る が

,組

み あ うものはない。脚部 のみを とどめるもの

6例

の うち

4例

3個

の透 し孔 を もつが,

他 の

2例

は透 し孔を もたない。

上層出上の土器

   

上層か らは中・ 下層 と異な って土 師器 とともに須恵器が 出上 している。

土師器

  

壷・ 甕・ 鉢 。高杯が ある。すべ て砂粒 を含む胎上で焼成 は堅 い。

a.壷  

大型 の もの

1点 ,小

型 の もの

2点

の計

3点

あ る。 51は 31に 類似 す る大型 の 壷 で あ る。用↓毛 目は体部外 面に もみ られ る。灰 白色を呈す。49・ 50は いわゆ る小型丸底 の重であ り,

ゆ る く内弯す る 口縁部 と痛球形 の体部か らなる。 日縁部 内外面は横撫 でで仕上げ

,体

部 内面 は 上半 に しば り目を残 し以下を横 に箆削 りす る。体部外 面 は刷毛 目がみ られ る。49は 口径8 Culを はか る。50は やや頸部が細 く

,内

面 の箆 削 りは体部 中位 よ り下 にみ られ

,器

壁 を極 めて薄 くし てい る。 ともに明褐色を呈す。

b.奏   6個

体 あ る。

 

口縁部 に変化がみ られ

端部 が 内側へ肥厚す るもの(53・ 56)の ほか,

端部 が肥厚せず外反す る もの(54),内弯す るもの(55),  直線的にひ らくもの(52)があ る。

 56は

口径15。 4clllをはか る。肩 を もつ球形体部 のPI・面 は刷 毛 目の うえに箆描波状文がある。53は 口径 18.8cmを はか る。 口縁部 は外反 し

,端

部 が 内側へ肥厚す る。 口縁部 内面 に横撫で前 の横 の刷 毛 目が残 る。 内面 は漆黒色を呈す。54は 日径14.5clllを はか る。 口縁部 は外反 し

,体

部 はゆ るい肩 を もつ 球形 である。 内面は漆黒色

,外

面 は灰 白色 を呈す。55は 口径15,6cmを はか り

口縁部 は ゆ るや か に 内弯す る。無部 は粥確 な肩 を もたない。52は 口径14Cmを はか り

国縁部 は直線的 に のび る。 内外 面の調整 は55と同様 である。

C.鉢   48は

回径8.2c皿

,高

さ6.8cmを はか る小型 の鉢 である。頸部が くびれ る。 口縁部 内外 面 は横撫 でで仕上げ

,体

部 内外 面 と底部 内面は撫 でで

,底

部外 面 は箆 削 りで調整 してい る。

d.高

  14個

体 あ る。 杯部外 面 の稜 の有無 に よって

2大

別 され る。43は稜 を もつ もので 口 径22.4cIIlをはか り

口縁部 は直線的である。内外 面を横 撫 でで仕上げ る。 明褐色を呈 し外 面に は煤が付着 している。44もほぼ 同様 の もので

,杯

部外 面 の稜 は立上 りを もって屈 曲 し

,外

上 方 にのび る。 内面には刷毛 目がある。灰 白色を呈す。杯部外 面に稜 を もたない ものには

口縁端 部 が外反 す る もの(41),ほ とん ど外反 しない もの(38・ 39), 口縁端部が内弯す るもの(42)などが あ る。 これ らの杯部 の調整 をみ る と

,外

面 に刷毛 目を もつ ものは39の みで

,他

は撫 でで仕上げ

てい る。(40)は 口縁端部 に外傾す る平面 をもち

,作

りは丁寧であ る。 脚部 のみ をとどめ るもの の器形 は45で 代表 され るが

,他

に47の よ うにず ん ぐ りした ものが少数 あ る。透 し孔 をもつ もの は全体 に少 な く

とくに後者にはない。透 し孔 は円形 で

, 3個

の例が多 いが

, 1個

の例(45)も あ る。外 面 の調整 は箆削 りの上 を撫 でで仕上げてい るが

,ま

れ に箆 削 り前 の刷毛 目を残す もの

ヱδ

(17)

がある。撫では裾部内面にまでおよぶ。内面の調整は横に箆削 りす るが

しば り目の残 る位置 に差がある。42・ 45は裾部に

,47は

上端に

,46は

裾部なかほ どにそれぞれ しば り目が残 る。ま た裾部内面を用1毛目で調整す るもの(46)もある。

須恵器

  

蓋・ 瑾がある。いずれ も胎上には微量の砂粒 を合み焼成は堅緻である。

a.蓋   58は

杯蓋である。 口径12.6cIIlをはかる薄手のもの。天丼部 と口縁部 とをわける稜は 突出 し

,先

端は九い。 日縁端部は内傾 して凹面をなす。稜の部分の径 と口径は一致する。天丼 部の

4分

3ほ

どを ロク ロ削 りし

,他

は ロク ロ撫でとす る。淡い紫色を呈す。

b.魃   57は

小型の速である。 口径8.4Clll,高10Clll前後に復原できる。体部は扁球形を呈 し

,最

大径は体部の中位 よ りやや上にある。円孔が穿たれている。 口頸部外面には断面が九い 稜が突出 している。頸部か ら体部上半は ロク ロ撫で

,体

部下半は撫でで仕上げる。青味がかっ

た黒色を呈す。

(千 田岡!道)

C.木

製 品

今回の調査によって

,朱

雀大路東西両側濤 と

,西

側発掘区で検出 した古墳時代の濤か ら木製 品が出土 した。朱雀大路両側濤では

,濤

底に近い砂 を多 く含む粘質土中に木製品がみ られた。

しか し

,い

ずれ も加工痕 を若干 とどめる小木片にす ぎず

,原

形な り用途な りを充分に明 らかに できるものはない。両側濤出上の木製品に比 して

,西

J発掘区の濤か らは

,多

くの木片 ととも に農具をは じめ とする木製品が10点余出土 した。 ここでは

,朱

雀大路両側濤出土の木製品は除 外 し

,原

形が推定できる古墳時代の木製品についてのみ記述す ることとした。

古墳時代の濤は

,濤

堆積土が上 。中 。下の

3層

にわかれ

,木

製品は中層か ら下層にかけてみ とめ られた。 この うち原形を とどゎる木製品は下層に集中 し

,粘

質土を若千合む砂層中か ら出 土 したものである。木製品には

,ス

3点 ,キ

1点 ,ク

ワ形木製品

1点 ,部

1点 ,え

ぐり のある木製品1′点がある。

1は

ス コップ状を呈するスキである。鉄刃を着装するフロ部の約

2分

1を

とどめる。 カシ 材か ら作 り

,全

36.8Cm,復

原幅2.lc皿

,厚

1.4CIllをはかる。上部は幅2.lclll,高0.6clllの突 帯を作 る。中央部分には長 さ7.4CIIlの長方形の孔の痕跡がみ られるが

,孔

幅は不明で あ る。先 端は

,幅

・ 厚 さとも換 く作 り

,側

縁辺の削 りも面取 り風に丸味をもち

,鉄

刃を着装す ることが わかる。柄の状況は不明である。

2・3はナスビ形木製品 と呼ばれているスキの破片である。いずれもカシの柾 目材か ら作る。

2は

柄に近い部分を とどめるが

,状

況か らみて未製品であることが判 る。なお

,下

端は鉄刃で 直線的に切断 されてお り

,製

作を中止 して後に手を加えた ことがわかる。現存長29.4CIll,現存 幅1.8cll,厚さ1,4clllをはかる。

3は

柄部の小破片で

,船

底形の断面をもつ。破片が 小 さ い た め

,ナ

スビ形木製品に復原できるものとは断定できない。現存長7.2clll, 現存幅3.6clll,厚1.9

Clllをはかる。

4は

クワ形木製品である。一側を失 うため全体の形状は不明であるが

,頭

部近 くに精円孔が あ り

,中

央側辺部にみ られるえ ぐりなどか らクワに非常に近い形態を示す。ただ

,頭

部精円孔 自体

,柄

を挿入するためにはやや不適当なものであるとともに

,先

端部のえ ぐりの状況や材 自

=/

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