九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
ヒトの嗅覚表現に対する匂い刺激の複雑さの影響
濱川, 昌之
http://hdl.handle.net/2324/2198512
出版情報:Kyushu University, 2018, 博士(システム生命科学), 課程博士 バージョン:
権利関係:
(様式3)
氏 名 :濱川昌之
論 文 名 :
Effects of stimulus complexity on human olfactory evaluation and description
(ヒトの嗅覚表現に対する匂い刺激の複雑さの影響)
区 分 :甲
論 文 内 容 の 要 旨
匂いの感じ方は、様々な要因によって影響を受け、決定される。嗅覚認知を調べた研究のほとん どは、匂いに関する経験や学習などに着目することで、高次脳機能が嗅覚認知を補正・決定する機 構を明らかにしている。その一方で、嗅覚受容神経や嗅球といった末梢における処理によって嗅覚 認知が決定されるケースもいくつか報告されている。しかし、視覚における三原色のように、刺激 の種類・組合せとその感じ方の明確な関係性は嗅覚では明らかにされておらず、嗅覚認知を決定づ ける要素は明確にされていない。本論文では、匂い刺激の複雑さに着目することで、嗅覚認知が決 定される仕組みの解明を目指した。嗅覚系において、末梢の受容神経や嗅球では匂いの感覚情報は 集団的な神経活動によって符号化され、中枢の嗅覚野ではその感覚情報が統合されることで匂いの 感覚が生み出されている。このことから、私は匂い刺激の複雑さは嗅覚系の情報処理を反映した指 標になると予想した。嗅覚に関する情動や匂いの分子構造の側面から匂い刺激の複雑さに着目する ことで匂いを分類し、それらの匂いに対する主観評価の解析を行った。これにより、匂い刺激の複 雑さが嗅覚認知に与える仕組みの解明を目指した。
はじめに、匂いに対する情動反応と嗅覚認知の関係性を調べることで、嗅覚認知が決定される仕 組みの解明を目指した。匂いに対する情動反応は、様々な要因によって決定されることが知られて いる。例えば、ある研究例では、匂い分子に対する嗅覚受容体の結合能は遺伝子によって決定され ており、このことから匂いに対する情動的な反応は先天的に決定づけられると考えられている。そ の一方で、記憶や学習といった獲得的な要因が匂いの情動反応に大きく影響する報告もある。ある 匂いに暴露された経験が、その匂いに対する嗜好性を変化させる例が報告されている。以上のよう に、匂いに対する情動反応を決定するある1つの要素に着目することで情動と嗅覚の関係性が調べ られてきた。しかし、匂いの情動を決定する要素の不一致が生み出す情動の複雑さについて調べた 研究はほとんどない。例えば、先天的に忌避すべき匂いとして遺伝的にコードされているが、経験 や学習によって後天的に嗜好性が高まった匂いの認知的な特性については全く調べられていない。
そこで、本研究では匂いに対する「快・不快」と「好き・嫌い」をそれぞれ異なる情動評価軸とし て設定し、それらの情動評価の一致・不一致が嗅覚認知に与える影響について調べた。12人の被験 者に 36 の匂い物質を提示し、上記の「快・不快」、「好き・嫌い」に加えて、フルーツの匂いや樹 木の香りといった嗅覚知覚語と匂い強度を回答してもらった。その結果、「快・不快」と「好き・嫌 い」のスコアに相関が見られた匂いでは、強度に応じて嗅覚知覚語が一意に定まったのに対し、そ れらスコアで相関が見られなかった匂いでは、強度に関わらず嗅覚知覚語は一意に定まらなかった。
この結果から、匂いに対する情動評価の不一致が、匂い知覚の言語化に影響したことが考えられた。
次に、匂いの分子構造が混合臭の知覚に与える影響を解析することで、嗅覚認知が決定される仕 組みを調べた。匂いは混じり合うことで感じ方が変化する場合がある。混合臭を嗅いだ時に、元の 個々の匂いが統合され別の匂いとして感じられる場合を統合的な認識、個々の匂いが保たれて感じ
られる場合を要素的な認識と呼ぶ。この2つの認識モードが、どのような規則性で決定されている かは不明であった。そこで、嗅覚神経が匂い分子を受容する様式に着目し、匂い分子の構造的な複 雑度が混合臭の認識モードに影響すると仮説を立てて嗅覚認知実験を行った。複雑度を基に匂い分 子を3つのグループに分け(50以下:low、100前後:medium、150以上:high)、各グループ内 で2つの匂い分子を組み合せて混合臭を作製した。14人の被験者に混合臭を、別の10人の被験者 に単一匂い提示し、それぞれの匂いに対して各被験者は嗅覚知覚語を選択した。混合臭と単一匂い とで嗅覚知覚語を比較した結果、複雑度が小さいlowグループでは異なる嗅覚知覚語が選択された のに対し、medium と high グループでは同じ嗅覚知覚語が選択された。この結果から、複雑度が 50 以下の匂い分子は組み合わせることで感じ方が変化する統合的な認識がなされ、複雑度が 100 以上の匂い分子は組み合わせても感じ方が保たれる要素的な認識がなされることがわかった。
本研究の結果から、匂いに対する情動評価の一致・不一致と匂い分子の複雑度が、匂いの言語表 現に関係することが示された。本研究成果は匂い刺激の複雑さが匂いの言語表現に与える影響を調 べたものであり、ヒトが匂いの質に応じて言語化する仕組みの解明に貢献できる。