傷害保険における事故の外来性
著者 山下 友信
雑誌名 同志社法學
巻 69
号 2
ページ 443‑469
発行年 2017‑06‑30
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000417
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一一一四四三
傷 害 保 険 に お け る 事 故 の 外 来 性
山 下 友 信
一 はじめに 傷害保険の保険事故の一要素としての外来性について最高裁の判例はなかったところ、最判平成一九・七・六民集六一巻五号一九五五頁(以下、①最判という)は、災害共済に関して、﹁本件規約は、補償費の支払事由を被共済者が急激かつ偶然の外来の事故で身体に傷害を受けたことと定めているが、外来の事故とは、その文言上、被共済者の身体の外部からの作用(以下、単に﹁外部からの作用﹂という。)による事故をいうものであると解される﹂とし、これを前提に、補償の免責規定として、被共済者の疾病によって生じた傷害については補償費を支払わない旨の規定を置いている﹁本件規約の文言や構造に照らせば、請求者は、外部からの作用による事故と被共済者の傷害との間に相当因果関係があることを主張、立証すれば足り、被共済者の傷害が被共済者の疾病を原因として生じたものではないことまで主張、
( )同志社法学 六九巻二号一一二傷害保険における事故の外来性四四四
立証すべき責任を負うものではないというべきである﹂と判示した(以下、この立場を抗弁説という)。当該共済の内容および規約は、損害保険会社の普通傷害保険等と実質的に同じものであるので、①最判は少なくとも損害保険会社の普通傷害保険にも妥当すると考えられる。①最判以前の学説の多数説は、外来性について、①最判にいう外部からの作用であるだけでなく、被保険者の身体の内部に原因がないことを要し、主張立証責任についても、保険金請求者はこの意味での外来性があることの主張立証責任を負うと解しており(以下、この立場を請求原因説という)、下級審裁判例の多数もそのように解していたことから見ると、①最判は外来性について根本的な方向転換を求めるものである。
①最判の判示については、賛否両論あるが、約款の構造・文言とともに従前の多数説の請求原因説では保険金請求者側の立証負担が過大なものとなるおそれがあることに照らせば、①最判の判示も理解可能であると考える。しかし、①最判の判示により外来性に関する問題がすべて解決されたわけではなく、むしろ①最判の判示を前提とするときに従前は考えられていなかったさまざまな問題があることが、①最判以後の裁判例から浮かび上がっており、学説においても活発な議論がされている。むしろ、議論は混迷状態にあるといってもよく、問題の解決は一朝一夕にできることではないように思われる。本稿では、これらの裁判例および学説の状況を概観したうえで、やや大局的な観点から問題点を整理したい。
二 裁判例の展開 以下では、外来性に関する①最判以後の裁判例とこれに関する学説の展開について、問題点ごとに整理する )1
(。なお、取り上げる裁判例には、損害保険会社の傷害保険(これに類似する共済)に関するもののほか、生命保険会社の傷害保
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一一三四四五 険(これに類似する共済)に関するものがあるが、両者は約款の規定の仕方にかなり異なるところがあり、問題点も異なることから、生命保険会社の傷害保険に関するものは、5で分けて整理する。
1 外来性の意義 最高裁は、外来性の意義について、①最判以後も別事件に係る判決で重要な判示をしている。最判平成一九・七・一九生命保険判例集一九巻三三四頁(以下、②最判という)は、介護施設の職員が被保険者に対する安全配慮義務を怠ったことにより生じた事故は、外来の事故であるとした。てんかんの持病のある被保険者が入浴中にてんかんの発作により意識を喪失して溺死したという事案について、外来の事故であると認めたものである(相当因果関係の有無については差戻し)。第三者の安全配慮義務違反による事故を外来の事故といえるかについて、学説の賛否は分かれる )2
(。
最判平成一九・一〇・一九集民二二六号一五五頁・判時一九九〇号一四四頁(以下、③最判という)は、自動車保険の人身傷害補償特約に関する事例で、同特約では、自動車の運行に起因する傷害事故による損害について保険金を支払うとしつつ、疾病による傷害については保険者の免責事由とする疾病免責条項を置いていなかった。心臓疾患を有する被保険者がため池に転落する事故により死亡した事案について、外来性については①最判を引用し、外来の事故には疾病による事故も含むとしたうえで、疾病免責条項が置かれていないので、事故が疾病により生じた場合も保険金を支払うこととしていると解され、このような特約の文言や構造等に照らし、請求者は運行事故と傷害との間に相当因果関係があることを主張、立証すれば足りるとした。③最判が自動車保険における傷害保険であることに着目したものか否かは判決からは明らかでない。なお、自動車保険の傷害保険においては、現在は、普通傷害保険と同じ疾病免責条項が置かれているので、自動車保険に関する限りでは、③最判は実務上の意味はなくなっている )3
(。
( )同志社法学 六九巻二号一一四傷害保険における事故の外来性四四六
①最判は、パーキンソン病の患者が餠をのどに詰まらせて窒息死したという事案であったが、最高裁が、同じく誤嚥の事案について、①最判をさらに展開する判示をしたのが最判平成二五・四・一六判時二二一八号一二〇頁(以下、④最判という)である。同判決は、被保険者が飲酒を伴う食事をした後、鬱病の治療のために処方されていた複数の薬物を服用し、その後うたた寝をしていたが、深夜に目を覚ました後に飲酒しようとしたところ嘔吐し吐物を誤嚥して窒息死したという事案に関して、﹁誤嚥は、嚥下した物が食道にではなく気管に入ることをいうのであり、身体の外部からの作用を当然に伴っているのであって、その作用によるものというべきであるから、本件約款にいう外来の事故に該当すると解することが相当である。この理は、誤嚥による気道閉塞を生じさせた物がもともと被保険者の胃の内容物であった吐物であるとしても、同様である﹂と判示した )4
(。この判示により、①最判にいう外来性についての外部からの作用という解釈は、きわめて機械的なものであり、その原因ないし作用の発生過程を問わないというものであることが明らかにされた(④最判は保険金支払義務の可否を判断すべく差戻し )5
()。
学説の多くは、①最判に対しては好意的な評価をしていたが )6
(、④最判に対しては、一転して批判的な評価をしている。学説は、大別すると、④最判を支持する見解(甲説 )7
()、吐物の誤嚥については外来の事故とはいえないとする見解(乙説 )8
()、誤嚥による窒息から見て事実的因果関係および相当因果関係のある事実について外来性が認められれば外来性を肯定してよいとする見解(丙説 )9
()が見られる。丙説は、甲説や乙説が外来性の意義を一義的に確定しようとするのに対して、社会通念上傷害保険による保険給付の対象とすべき事故かどうかを判断する解釈上の方法として外来性の意義を柔軟に解すべきであるとするものであるということができる。
外来性の意義を明らかにした①最判以後も、外来の事故の発生自体を否定したと見られる裁判例がいくつかある )₁₀
(。これに対して、外来性が否定されているのか、外来の事故と傷害との相当因果関係を否定するものかは明確でないものも
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一一五四四七 あるが、これらについては、因果関係に関する4で取り上げる。
2 主張立証責任 ①最判は、外来性が肯定されること、および外来の事故と傷害との間に相当因果関係があることについては、請求者が主張立証責任を負担することを明らかにしており、以後の裁判例もこれを前提としていると見られる。疾病免責条項が置かれていない約款による傷害保険でも、③最判のとおり人身傷害補償保険については、①最判と同じとされる。
以上に対して、疾病免責その他保険者免責事由に該当することについては、保険者が主張立証責任を負担することも当然の前提とされていると見られる。
3 疾病免責条項の解釈 ①最判、③最判、④最判により外来性の意義はきわめて機械的なものであることが判例として確立したので、傷害が被保険者の疾病によるものであるという理由から保険者が保険金支払義務を免れるためには、保険者は疾病免責条項 )₁₁
(を置いて、その免責要件が満たされることを主張立証しなければならないこととなる。①最判以後の下級審裁判例で多く争われているのはこの点であるが、傷害事故の類型ごとに整理すると以下のようになる。
(ア) 誤嚥事故 吐物の誤嚥事故が問題となったものとして、④最判とその後の東京高判平成二六・四・一〇判時二二三七号一〇九頁がある )₁₂
(。④最判では、疾病免責は問題とされなかったが、争点とはなりうるところであったと思われる )₁₃
(。前掲東京高判平成二六・四・一〇は、中国出張中に強い酒を飲んだ後の吐物誤嚥事故に係る事案であるが、④最判により外来性は肯
( )同志社法学 六九巻二号一一六傷害保険における事故の外来性四四八
定せざるを得なくなるので、主たる争点は免責の成否ということになった。そして、前掲東京高判平成二六・四・一〇では、疾病免責にいう疾病の意義について、急激、偶然かつ外来の事故すなわち傷害以外の事故であるとする。同事件の対象となっていた海外旅行傷害保険の約款では疾病についてこのような定義規定が置かれていたが、同判決は、そのような定義規定がない傷害保険でも同様に解釈できるとする。このように疾病の意義を解釈するということは、いわゆる病気以外の身体の状態も疾病に該当しうることを意味している。前掲東京高判平成二六・四・一〇においては、保険会社は、被保険者の吐物誤嚥は、飲酒による急性アルコール中毒によるもので、これが疾病免責に該当すると主張したものであるが、前掲東京高判平成二六・四・一〇は、急性アルコール中毒について、外来性は宴席における高濃度のアルコールの摂取がこれに該当するとして外来性を肯定し、その他急激性および偶然性も肯定し、吐物誤嚥事故は傷害といえるとして、疾病免責を否定した。ここでは、外来性が吐物の誤嚥とは異なる意味で理解されていることが注目されるところである。前掲東京高判平成二六・四・一〇のほかには、これまでのところ、疾病免責にいう疾病の意義について判示した裁判例は見当たらない。
(イ) 入浴溺死事例 各種の既往症等のある被保険者が入浴中に溺死する類型の事案は、①最判以前から保険金支払義務の存否が深刻な争いとなりやすかったが、①最判以後の下級審裁判例を見ると、東京高判平成二四・七・一二自動車保険ジャーナル一九一四号四頁は、被保険者が心筋虚血または虚血性心不全を発症したため意識を喪失し溺水したと認定して、保険会社の免責を認めた事例である。東京地判平成二七・一二・一四判時二二九七号九一頁も保険会社の免責を認めた。これに対して、大阪高判平成二七・五・一LEX/DB25540404 は、心臓疾患等の疾病による溺死であることの証明がないとして保険会社の免責を認めなかった事例である。同判決で特徴的なのは、被保険者の解剖が行われていないこと、被保険者
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一一七四四九 の既往症の状態が事故前には重篤でないと認定されていることに加えて、入浴中の溺死の原因について、既往症によらず、熱中症状態になることが原因である場合が多いとする近時の医学研究の成果が参照されていることである。
入浴中の溺死事例では、疾病免責にいう疾病の意義自体に争いがあるわけではなく、溺死が疾病によるものであるかどうかという原因の判定がきわめて困難であるということにある。同判決のような医学的知見を有力な参考資料とすることになると、免責を主張する保険者には疾病によることの相当高度の証明が求められることになると思われる。
(ウ) その他の事故例 脳内出血で入院中の被保険者がベッドから転落し受傷した事案につき、脳疾患による傷害であるとして保険者の疾病免責を認めた大阪地判平成一九・一一・一四判時二〇〇一号五八頁があるが、疾病免責を認めなかったものとして、札幌地判平成二三・九・二八判タ一三七二号二〇四頁がある。同判決は、糖尿病の既往症ある被保険者が対向車線にはみ出し、対向車線を進行中の自動車に正面衝突する事故により死亡したという事案である。インスリン注射による低血糖による意識喪失が事故の原因として主張されたが、同判決は、状況からその可能性は低いとして免責を否定した。なお、同判決は、保険会社のこのための主張立証としては、単に被保険者に疾病の既往歴や素因があるとの主張立証では足りず、特定の疾病による特定の症状のために本件事故が惹起されたことの主張立証が必要であるとする )₁₄
(。東京地判平成二五・一・三一2013WLJPCA01318003 は、被保険者が自宅の勝手口で転倒して頭部を打撲し、急性硬膜下血腫により死亡した事故について、被保険者には従前から転倒発作の症状があり、検査によってもてんかんという診断は受けておらず、心因性の非てんかん性発作とも認定できないので、保険会社による疾病による事故である可能性を示す事情も相当程度認められ、他方、それを否定する請求者の主張や立証においても不自然な点が多いものの、総合すると、疾病による転倒とは認めることができないとして、疾病免責を否定している。これらの事例を見ると、全体としては、疾病免責
( )同志社法学 六九巻二号一一八傷害保険における事故の外来性四五〇
が認められるためのハードルはかなり高いとはいえそうである。
大阪地判平成二三・四・一九交民四四巻二号五四八頁は、疾病免責ではなく、心神喪失免責が問題となったものであるが、交通傷害保険で、認知症により徘徊癖のある被保険者が歩行者の通行が禁止された高架式道路の右側斜線上で自動車に衝突されたことによる傷害により死亡した事案である。保険会社は、心神喪失によるという免責事由を主張したが、運転者が本件道路上に歩行者が存在することを前提として注意を払って運転していれば回避し得た事故であるというべきであり、少なくとも本件事故は、被保険者の心神喪失によって生じた事故ではないとする。しかし、本件事故は、被保険者の認知症の影響により、傷害に該当する被保険者の死亡が生じたものというべきであり、本件事故の状況等に鑑みれば、その影響は五割とするのが相当であるとした。最後の点は、次に述べる因果関係の問題となる。
①最判以前には、外来性の主張立証責任について、請求原因説による裁判例が主流であったため、疾病免責条項の解釈や適用が問題となることがあまりなかった。①最判は抗弁説をとったため、裁判実務にも新たな課題を突きつけているといえる。吐物誤嚥に関する前掲東京高判平成二六・四・一〇では、疾病免責にいう疾病とは何かという解釈問題に遭遇し、新しい解釈を提示した。疾病は傷害以外の事由を意味するという同判決の解釈に対して、学説では、疾病の意味を日常用語の意味における病気よりは広く解釈するものであり、吐物誤嚥の事例については合理的な解釈といえるが、海外旅行傷害保険のように疾病についての定義規定を置いていない限り本判決と同じ外来の事故一般については解釈として疑問とする見解 )₁₅
(、疾病の意義を保険契約者の一般的な理解を超えて解釈するものであり、また疾病とは傷害以外を意味することから、免責事由の適用においては急激、偶然、外来の事故かどうかを判断するという方法論には矛盾があるとして、病気よりも広く疾病を認める解釈を批判する見解がある )₁₆
(。
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一一九四五一 4 因果関係 ①最判および③最判は、外来の事故と傷害との間に相当因果関係があることを保険金請求権の発生の要件とし、請求者がその主張立証責任を負うものとする。①最判および③最判は判示していないが、請求者の請求が認容されるためには、請求者はさらに傷害と被保険者の死亡等の結果との間の相当因果関係も主張立証しなければならない。相当因果関係がどのような意味であるかについて一般論を論じる裁判例は見当たらない。
外来の事故と傷害ないし死亡等の結果との間の因果関係を否定したと見られる裁判例がいくつかあるが )₁₇
(、これらの裁判例は外傷の生じる事故はあったと見られるので、1であげた外来の事故がなかったとする裁判例とは区別してみたが、両者の違いは紙一重のようにも思われる。
疾病免責条項の適用においても、傷害が疾病により生じたことが免責事由なのであるから、疾病と傷害との間の因果関係の有無が問題となる。この因果関係の存否が特に問題となった例が、前掲大阪地判平成二三・四・一九である。疾病免責ではなく心神喪失が免責事由として主張された事案であるが、認知症の被保険者の徘徊は心神喪失によるものとはいえないとし、免責は認めなかった。しかし、本件事故は、被保険者の認知症の影響により、傷害に該当する被保険者の死亡が生じたものというべきであり、本件事故の状況等に鑑みれば、その影響は五割とするのが相当であるとした。この減額は、傷害保険の約款にある、被保険者の傷害による結果が被保険者の疾病により大きくなった場合には、疾病がなかったとした場合の結果について保険金を支払う旨の条項(以下、限定支払条項という)に基づく保険金の減額を保険者が主張したことに判決が応えたものである。
因果関係論については、①最判以前の時期から、外来の事故と疾病とが競合して傷害の結果を生じさせた場合に、外来の事故と疾病のいずれが主要な原因かを判断して保険金の支払義務の成否を判断すべきであるとする見解と、割合的
( )同志社法学 六九巻二号一二〇傷害保険における事故の外来性四五二
な因果関係を認めて保険金の一部支払をすべきであるとする見解があった )₁₈
(。①最判により外来性についての主張立証責任の所在が逆転されたこと、誤嚥事故や入浴中の溺死事故などにおいて保険会社の免責の立証が困難となっていることなどを踏まえて、①最判以後は割合的な因果関係による一部支払を約款でも正面から規定すべきであるとする主張も相次いで見られるようになっている )₁₉
(。
5 生命保険会社の約款に関する裁判例 生命保険会社の傷害保険の約款では保険事故や免責事由の規定の仕方が損害保険会社の傷害保険とは異なる。①最判は、約款の文言および構造が外来性の意義および主張立証責任に関する判示を導く根拠とされたので、約款の規定の仕方が異なる生命保険会社の傷害保険にそのまま①最判の判示が妥当するかどうかは、それ自体が問題となり得る。
具体的には、生命保険会社の傷害保険では、伝統的には、保険事故については、不慮の事故(急激、偶然かつ外来の事故と定義される)による傷害であるとともに、約款別表 )₂₀
(の所定の分類項目に該当するものであることも合わせて規定とされている(以下、この規定の仕方を分類提要方式という)。現在のこの方式の約款では、さらに外来の意義について、﹁事故が被保険者の身体の外部から作用することをいいます(疾病や疾病に起因するもの等身体の内部に原因があるものは該当しません)﹂という定義を置いており、また分類項目には、不慮の溺死および溺水などのほか、その他の不慮の窒息という項目があるが、ここからは疾病による呼吸障害、嚥下障害、精神神経障害の状態にある者の次の誤嚥(吸引)は除外されるとして、胃内容物の誤嚥、気道閉塞を生じた食物の誤嚥、気道閉塞を生じたその他の物体の誤嚥が列挙されている。
これに対して、近時は、分類提要方式は批判もあることから、分類提要の分類項目に該当することという要件を廃し
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一二一四五三 た約款とする保険会社がある(以下、この規定の仕方を一般要件方式という)。その約款では、不慮の事故の要素とされる外来性について、﹁事故および事故の原因が被保険者の身体の外部から作用することをいいます(疾病や疾病に起因する外因等身体の内部に原因があるものは該当しません)﹂と定義したうえで、不慮の事故に該当しないものとして、﹁疾病による障害の状態にある者の窒息等﹂をあげ、これについて、﹁疾病による呼吸障害、嚥下障害または精神神経障害の状態にある者の、食物その他の物体の吸入または嚥下による気道閉塞または窒息﹂とするものがある )₂₁
(。
いずれの規定の仕方においても、疾病免責条項は置かれていないが、分類提要方式も含めて、上記のように、外来性の規定において、疾病や疾病に起因する外因等身体の内部に原因があるものは該当しない旨の一文(以下、除外規定という)が付加されていることが多い。また、いずれの規定の仕方においても、﹁疾病または体質的な要因を有する者が軽微な外因により発症しまたはその症状が増悪した場合における、その軽微な原因﹂などとする除外規定も置かれている。
このような生命保険会社の約款が使用された場合における、外来性の意義や主張立証責任の分配に①最判の射程が及ぶかどうかが問題となる。前掲東京高判平成二四・七・一二は、損害保険会社と生命保険会社の傷害保険とそれぞれ同じ共済(生命共済は分類提要方式)が同時に訴訟の対象とされているが、生保会社の傷害保険と同じ共済についても損害保険会社の傷害保険についてと異なる特段の別の取扱はされていないので、①最判の射程が及ぶとする趣旨であろう。仙台地石巻支判平成二一・三・二六判時二〇五六号一四三頁は、生命保険会社の傷害保険の約款と同じ内容の約款を使用する共済契約で(分類提要方式ではないようである)、疾病免責条項がないものについてであるが、③最判と同様に外来の事故が発生すれば疾病によるものであっても共済者は共済金支払義務を負うとする。外来性の意義についても①最判による趣旨であろう。前掲仙台地石巻支判平成二一・三・二六は、被共済者が農作業中に意識障害により田の用水
( )同志社法学 六九巻二号一二二傷害保険における事故の外来性四五四
路に転落し用水内にうつぶせに転落して、そのまま大量に泥水を飲んで溺死したという事案である。同判決は、疾病免責が規定されていない以上、外来の事故の解釈として疾病を原因とする事故を免責とはできないとし、請求を認める )₂₂
(。
これに対して、東京地判平成二一・一二・二二2009WLJPCA12228002は、アルツハイマー型認知症の被保険者がかまぼこを誤嚥して死亡した事案であるが、同症による誤嚥事故であるから外来性は認められないという生命保険会社の主張について、外来の事故とは、その文言上、被保険者の身体の外部からの作用による事故をいうと解されるが、その原因がもっぱら疾病であるときも、外来の事故ということはできないと解するのが相当であるとする。これは、①最判の射程は及ばないとする趣旨のようである。そのうえで、当該事案では、誤嚥事故がもっぱらアルツハイマー型認知症によるものと認めることはできないとする。しかし、他方で、当該約款では、疾病による呼吸障害、嚥下障害または精神神経障害の状態にある者の食物の吸入または嚥下による気道閉塞または窒息を不慮の事故から除外しており、この除外文言に該当することから、保険会社は保険金支払義務を負わないとした。当該除外文言は、疾病と外来の事故の発生との間に因果関係を要しない状態免責を規定するものとして、文言通りの効力を認めるものである。
以上のように、①最判の射程が生命保険会社の傷害保険に及ぶか否かについては、①最判自体が明確にしておらず、下級審裁判例もまだ迷走があるように思われる )₂₃
(。
三 問題点の検討 1 総説 傷害保険の保険事故の要素としての外来性は、傷害事故が被保険者の身体の内部に原因がある傷害を担保対象から除
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一二三四五五 外する趣旨であるということは異論がないであろう。この趣旨からは、外来性の意義については、①最判以前の多数説や裁判例のように、外部からの作用であるとともに疾病によらないことであると定義づけることにも相応の合理性はあったといえる。そのような定義の下で、裁判所も、請求原因説により傷害事故が傷害保険で担保すべきものかどうかを判定してきた。しかし、そのような外来性の定義づけでは、事故が疾病によらないことの立証責任を請求者が負うことになり、要求される証明の程度を高いものとすると、立証責任を尽くしていないとして請求は棄却されることとなる。それが請求者にとって明らかに不利益な結果を生じてきたとは思われないが、原因が外部の作用と疾病のいずれに当たるかの判定に苦しむような事例では、外来性を否定する結論を導き出しやすかったことも否定できない。このような状況が問題であるとすれば、①最判が外来性の意義を外部からの作用に限定し、疾病が原因であることは疾病免責の問題として、保険会社に主張立証責任を負わせたこと自体は一つのあり得る解決ではある。
しかし、物事の常として、錯綜した問題をある側面からは明快で合理的な解決をしたとしても、錯綜した問題は別の側面に移されただけということはあり得ることである。①最判の外来性の意義についての判示は明快であるが、これを前提として、④最判は、吐物誤嚥に関する事例に関して、外来性をきわめて機械的なものとする解釈を一歩進めることになった。しかし、④最判は学説からは多くの批判を浴びている。直感的には、④最判の外来性についての解釈は、傷害保険による保険給付を傷害保険の本来の商品設計思想よりも拡大しすぎる結果を招くおそれがあることが④最判に対する学説の批判が多いことの理由であろう。
そのような批判に対して、④最判が応えるとすれば、直感による批判は論理的でないというものであろうが、傷害保険における保険給付の要件についての解釈問題をどのように解決するかはすぐれて契約の合理的な解釈の問題であり、直感的な違和感があるということは契約ないし約款の合理的解釈としても検討の余地はあるということではないかと思
( )同志社法学 六九巻二号一二四傷害保険における事故の外来性四五六
われる。もっとも、他方で、約款がどのような文言で、どのような規定の構造をとっているかということももちろん重要な考慮要素であることはいうまでもない。しかし、約款の文言と構造を重要な考慮要素とする場合には、裁判例による解決が不満な保険会社は約款の文言を変更することにより判例の適用を回避しようとする動きに出ることを封じることができない )₂₄
(。現に、自動車保険の傷害保険については、③最判の後に約款が変更され、疾病免責条項が置かれ、③最判の判示は現在では空振りになっている。また、認定が困難な誤嚥事故や入浴中の溺死事故については、これらの事故を保険会社免責事由に追加する約款変更をする動きなどがある )₂₅
(。これらの動きは、保険会社の裁判実務に対する不信感を示すものであろうが、保険契約者に対する説明・表示の問題はともかく、不当な約款変更であるという評価を下すことは容易でないであろう。裁判実務が保険契約者側に有利な法解釈や事実認定をしても、約款の変更が行われて、本来傷害保険の保険給付を受けられる傷害事故も保険給付を受けられないことになる結果を招くことになるわけで、そのようなボールの投げ合いが展開されることは決して好ましい現象ではないと思われる。問題は、個々の問題点を別個に解決するのではなく、傷害保険の保険給付のあり方という総合的な観点から検討される必要があると考えられる。以下では、このような問題意識を持って、外来性に関する問題点について検討したい。なお、①の外来性の意義の解釈について判例が変更されることはまず考えがたいし、このこと自体には合理性はあると考えられるので、これは前提とする。
2 外来性と疾病免責 外来性の意義が疾病免責と密接な関係にあることは、前掲東京高判平成二六・四・一〇を契機に改めて認識されてきた。同判決は、疾病免責にいう疾病とは傷害以外のものをいうという解釈を提示した。この解釈は、保険業法の保険会社の業務分野の調整においても採用されてきたものであり )₂₆
(、人の身体の異常な状態は傷害と疾病に二分され、疾病には
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一二五四五七 病気以外の人の状態も含まれるという整理であり、きわめて論理的である。しかし、この解釈による疾病は病気よりも広いので、免責事由としての疾病の解釈にそのまま使うと、一般的な保険契約者の合理的な理解による解釈と異なり免責事由を広く解しすぎることになるという批判を免れることは難しい。また、同判決においては、疾病は傷害でないものという定義をした結果、吐物誤嚥が疾病免責に該当するか否かの判断において、急激、偶然かつ外来の事故であるかを検討し、これらの要件が満たされるので傷害であるから、疾病には当たらないとするが、ここでは外来性を④最判のように単純化しても、結局疾病の解釈において再度外来性の意義について解釈することになり、しかも外来性の意義については④最判の外来性の意義とは異なるものとなっているという問題がある )₂₇
(。このような問題が生ずるのも、やはり④最判の外来性の意義に関する判示に問題があるので、①最判を前提とはしつつも外来性の意義については、④最判を修正する解釈が必要であろう。
それでは外来性の意義をどのように解するかについては、前述のように甲説、乙説、丙説が主張されており、これは難問であるが、基本的には、丙説の方向で考えるべきであろう。丙説が説くとおり、傷害保険による保険給付としてあるべき姿を考える場合に、④最判のように外来性を広く解釈すると、調整手段として利用できるのは疾病免責条項ということになるが、前掲東京高判平成二六・四・一〇のように疾病の意義を病気よりも広く解釈することは、約款の文言は顧客の平均的な理解により解釈すべきであるとする現代の約款解釈論としては無理があるといわざるをえない。しかし、そうだとすると、病気とはいえないが保険給付をすべきでない場合があることを導くには外来性の概念を少し柔軟なものとしておくのが合理的であると考えられる )₂₈
(。また、①最判や④最判がいくら外来性の意味を広く解釈し、保険契約者側の利益に配慮したとしても、保険会社としては約款を変更するという動きに出るのであって、そのことをもって不当条項であるから無効ということも容易でない。判例が一見保険契約者の利益に配慮した法解釈を行ったとしても、
( )同志社法学 六九巻二号一二六傷害保険における事故の外来性四五八
約款の変更があればかえって保険給付がなされてしかるべき事例も根こそぎ不担保ないしは免責とされるという角を矯めて牛を殺すような事態を招くことは回避すべきではないかと考える。
しかし、外来性の意義について丙説によるとしても、その意義を正確にどのようなものとするかはなお問題がありそうである。現在のところ丙説として主張されている見解では、傷害の結果から遡って相当因果関係があると認められる事象について外来性の有無を判定すべきものとされ、④最判の事案においても、アルコールの摂取と薬物の使用をもって外来性を認めるようであるが、それ自体を事故と認める趣旨であれば、相当の違和感がある。丙説の論者は、事故自体は嘔吐・誤嚥とするもののようであるが )₂₉
(、それと原因事実であるアルコールの摂取と薬物の摂取とを一体として判定するというのは相当に技巧的な解釈である。また、外来性の存否について相当因果関係を用いて判定するということは、外来性自体の意義の中に因果関係を持ち込むものであるが、外来性という要件と、事故と傷害との相当因果関係という要件の関係をどのように整理するかについては、さらに理論的な整理が必要であるように思われる。また、丙説は、とりあえず吐物誤嚥の事例に焦点を当てて構築されているが、それ以外の、特に高齢者の事故事案についてどのように適用されるのかはいまだ明らかでない面がある。丙説は、これらの問題点についてさらにリファインする必要がありそうである。
3 疾病を原因とする免責と事実認定 吐物誤嚥以外の誤嚥事例、入浴中の溺死事例、その他事故事例に関する裁判例では、被保険者に病気の意味における疾病があることは明確であることが一般的なので、外来の事故と疾病のいずれが傷害の原因であるかが問題となる。外来性の意義について①最判が示されたことから、傷害事故が疾病によることの立証責任を保険会社が負担することが明
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一二七四五九 確になった。そのことにより①最判以前と①最判以後で、保険金支払義務の存否について保険会社にとって証明の程度の高さが上がって、保険会社に不利な方向に裁判実務が動いたのかどうかは限られた裁判例から判断することは困難である。
入浴中の溺死事例では、①最判以前の裁判例では、疾病による溺死と認定した裁判例も少なくないので、それとの対比では、疾病免責が認められにくくなっているという実感はあるのかもしれないし、一部の損害保険会社が前述のような約款の変更をし、立証責任を実質的に転換しているのも、そのような実感があるのであろう )₃₀
(。しかし、解剖が行われる事例は少数で、解剖されない事例では病死との判定がされやすいという実情はあるようであり )₃₁
(、前掲大阪高判平成二七・五・一の参照するような近時の医学研究の成果もあるとすると )₃₂
(、保険会社にとって不当に不利な事実認定がされているという断定もできないように思われる。入浴中の溺死の事例については、さらに医学による実証的な研究の進展を待つべきであり、現時点で裁判例の評価を確定することや、入浴中の溺死を免責事由とするような商品性の変更にも慎重であるべきであろう。
疾病免責に関する一般論については、一部の裁判例において、特定の疾病による事故であることの証明を厳しく要するとするものがあるが、これが相当かどうかは問題となる。かまぼこ誤嚥事故に係る前掲東京地判平成二一・一二・二二では、被保険者は高齢でアルツハイマー型認知症のほか、各種の疾病があると診断されていたが、外来性を否定するためにはもっぱらアルツハイマー型認知症が原因であること、または同様にその他の疾病が原因であることの証明を要するとする。同様の発想によるものとして、前掲札幌地判平成二三・九・二八でも、特定の疾病による特定の症状により事故が発生したことの立証が必要であると判示されている。ここでは、特定の疾病による結果であることの因果関係をどのような証明の程度で認定するかという問題がある )₃₃
(。そのように解する必然性はなく、被保険者の疾病の状態を全
( )同志社法学 六九巻二号一二八傷害保険における事故の外来性四六〇
体的に評価すれば疾病との因果関係を認めるという認定手法もあってよいのではないかと思われる。
4 因果関係 ①最判および③最判も外来の事故と傷害の発生との間の相当因果関係の主張立証責任の所在を明らかにしたのみで、相当因果関係の存否をどのように判断するかについては明らかにしていない。これは傷害保険に限った問題ではなく、保険一般について判例法理が確立されていないという問題であり、簡単に解決できるような問題ではない。①最判により外来性の意義が確定されたので、同最判以後は、疾病が傷害の原因であることは疾病免責条項の適用の問題となり、相当因果関係の問題も疾病免責条項の適用について問題となるが、これまた判例法理は明確には確立されていないといってよく、今後の解釈理論の構築が望まれるところであって、ここで確定的なことを述べることはできない。ただ、前述した二の裁判例で因果関係が問題となるものについて、若干のコメントをしたい。
前掲大阪地判平成二三・四・一九は、認知症により徘徊癖のある被保険者が歩行者の通行が禁止された高架式道路の右側斜線上で自動車に衝突されたことによる傷害により死亡した事案について、事故は心神喪失によるものとは認められないとして保険会社の免責は認めず、代わりに、被保険者の認知症の影響により、傷害に該当する被保険者の死亡が生じたものというべきであり、本件事故の状況等に鑑みれば、その影響は五割とするのが相当であるとした。この事例を疾病免責の適用がある場合に引き直して考えた場合に、減額をどのように説明するかである。同判決では、これを傷害保険の約款の削減支払条項によるものとしているようであるが、削減支払条項は、外来の事故である自動車の衝突で通常は死亡の結果に至らないが、被保険者の疾病があることにより死亡の結果に至ったような場合を念頭に置くものであり、本件衝突事故では被保険者の認知症の故に死亡の結果となったということは考えにくいので、削減支払条項の本
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一二九四六一 来の適用はやはり無理である。本件では、もし同判決の結論を支持するとすれば、認知症と自動車に衝突される事故に遭ったこととの間に事実的因果関係は認められるとすることによってであろう。すなわち、衝突される事故の直接的な原因は自動車運転者の過失であり、この事例では、疾病と外来の事故が競合して傷害の結果を生じさせていると見るのである。このような場合に、疾病免責条項を適用する要件としての相当因果関係を緩やかに解するのであれば、疾病免責という結論となるが、おそらくその結論は支持されないであろうから )₃₄
(、削減支払条項を類推適用することにより割合的因果関係を認めて保険金の支払額を減額することは合理的な解決となり得ると考える )₃₅
(。そのように考えれば、②最判の、てんかんの既往症のある被保険者がてんかんの発作により入浴中に溺死したという事例で、外来の事故は施設の担当者の安全配慮義務違反とされる場合にも、疾病と安全配慮義務違反は傷害の発生にとって競合的な原因であると見ることができ、保険金の一部支払を認めてしかるべきであったのではないかと考える。
以上の二つの事例では、傷害を生じさせる競合的な原因事実はそれぞれが明確に立証されており、その法的評価をどうするかが問題になっているということができる。これに対して、入浴中の溺死事例で、疾病免責条項の適用が争われる場合を考えてみると、溺死の原因が疾病であるのか、入浴による熱中症など疾病とはいえない事象であるのか、そのいずれであるかの証明ができないことがきわめて多いということであろう。①最判の下では、原因が疾病であるとして疾病免責を主張する保険会社が立証責任を負うので、原因が疾病であることを保険会社が証明できなければ保険金支払義務を免れることはできないこととなる。ここでは、疾病と熱中症等のいずれも原因とは証明されていないのであるから、上記の認知症患者の自動車衝突事例のように原因が競合する場合と同じであるとして保険金の一部支払をすることはできない。しかし、入浴中の溺死事故の事例において、被保険者には溺死事故を生じる危険性のある相応の疾病がある場合において、溺死の原因が熱中症等であるという明確な証明もないのであれば、保険金全額を支払うことが合理的
( )同志社法学 六九巻二号一三〇傷害保険における事故の外来性四六二
な解決かといえば、そうではなく、保険金の一部支払という解決をするという考え方にも相応の理由はあるということもできるかもしれない。
しかし、ここで一部支払が認められるということの理由は、上記の認知症患者の自動車衝突事故の事例についての一部支払の理由とはまったく異なり、事実的因果関係の存否が不明である場合の解決ということである。①最判以後の学説には、割合的な因果関係を認めて保険金の一部支払をする解決を望ましいとするものが増えており、私見もそのような方向には十分な合理性があると考えるが、一部支払をすることとなる局面というものは一様ではないということに十分留意する必要があるのではないかと思われる。
5 生命保険会社の傷害保険 そもそも①最判が生命保険会社の傷害保険にも妥当するかどうかが問題となるが、①最判の判決自体の理解としては、判断していないというのが正確であろう。①最判は、損害保険会社の傷害保険(または類似の共済)の約款の文言と構造を理由としているためである )₃₆
(。③最判は、疾病免責条項の置かれていない傷害保険について、①最判と同じことが妥当するとしたが、これをもってしても①最判が生命保険会社の傷害保険にも妥当するとは考えるべきではない。③最判は、普通傷害保険には疾病免責条項を置いてきた損害保険会社がこれを置いてこなかった自動車保険の傷害保険に関するもので、そこには、外来性についての①最判の新判断という予測していなかった事態があったとはいえ、損害保険会社が自動車保険には特殊な位置づけを与えていたという判断は十分可能である )₃₇
(。これに対して、生命保険会社は、すべての傷害保険に疾病免責条項を置いてこなかったものであり、この違いは契約の合理的な解釈にとって十分意味があると考える。③最判を、④最判とも併せて生命保険会社の傷害保険にも妥当させるとすれば、疾病を原因とする傷害につ
( )傷害保険における事故の外来性同志社法学 六九巻二号一三一四六三 いても外来性の要件がみたされれば疾病免責はないので、すべて保険金支払対象とすることとなるが、これは、保険の性格に重大な変容を加えるものであり、不当条項として無効ということに等しいが、これはやはり行き過ぎであろう。 しかし、そうであるからといって、①最判が妥当しないという解釈をとるべきではないと考える。その理由は、①最判は請求原因説により請求者に主張立証責任を負わせることが相当でないという実質判断により正当化されると考えるためである。現行の約款では、外来の事故の定義規定を置き、そこで疾病を原因とするものを除外するという体裁となっているが、除外規定であるから免責条項ではないという主張により①最判の射程が及ばないという理解は支持できない。些細な約款の文言の定め方により傷害保険の契約内容を変容させることは容易に認めるべきではないと考える )₃₈
(。誤嚥や入浴中の溺死事故については、不慮の事故に含まれないことが除外規定により明記されているが、いずれも疾病を原因とすることが規定されていることを合わせて考えれば、一種の疾病免責条項として位置づけてよいであろう。このように解した場合における疾病免責条項の適用については、前述の損害保険会社の傷害保険の疾病免責条項と同様の解釈・事実認定上の問題がある。
四 おわりに ①最判等により保険会社が前提としていた請求原因説による外来性の解釈適用ができなくなると、保険会社は、請求原因説の下で保険金支払義務を免れていた事例について保険金支払義務を免れることができないこととなるという影響を受けることとなりうる。このことに着目し、①最判等は、被保険者の身体状態について危険選択をせずに引き受け、保険料も年齢による差別化をしない傷害保険の商品性に影響を及ぼしうることが指摘されている )₃₉
(。高齢化社会特有の高